江戸文人の歳月 : 蜀山人大田南畝に於ける(二)
著者名(日) 濱田 義一郎(遺稿), 宇田 敏彦(編)
雑誌名 大妻国文
巻 18
ページ 111‑130
発行年 1987‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001564/
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戸 文 人 の 歳 月
︱
︱ 蜀 山 人 大 田 南 畝 に 於 け る
︵二
︶
文 化 四 年 一八
〇 七 年 丁卯 五 十 九 歳
イ
﹃南 畝 集
﹄ 十 六
︒ 日 次 丁 卯 春 日 皿 姫 路 侯 邸 明 楽 119 詩 友 124
口
﹃一 話 一言
﹄︒ フ狂 歌 記日
﹃を みな へし
﹄︒ 長崎 宛 書簡
︒ 詩会
112 蝦夷 地紛 争 115 夢 の浮 橋 12︲
菊 鳩 の花 屋 敷 122 狂歌 の人 126々
丁卯 片 130々 丁
卯 春 日 丁﹁
卯 新 歳 作
﹂ 七の 律 に︑ 慧﹁ 日 山 東 寒 又 温
︑ 春 風 四 入 小 陽 村
﹂ と あ る 如 く
︑ 享 和 年三 十 二 月 に買 入 れ て か ら 四 度 目 の新 年 であ る
︒ 慧 日 山 金 剛 寺 の東 隣 で︑ 金 剛 寺 坂 に面 し た小
日向
の地
あで る︒ 狂 歌 のと し の はじ め は︑ 年 礼 の愚 痴 だ
︒ 門 々 年の 始 の礼
のな か り せ ば 春 の 心 は のど け か ら ま し 江戸 文人 の歳 月 一 一一
宇 濱 田田 義 敏 彦 郎
編嘱
一一 二 詩 先 会
ず 高 子 要 と いう 幕 臣 ら し い家
菊で 池 博 甫
︵亡 友 衡 岳 の子
︶︑ 大 沼 典 伯 経
・号 竹 渓
︑ 榊 原 子 文
︵衡 岳 門 人
︶ ら と 集 ま っ た︒ 竹 渓
︵一 七 六 二︱
一八 二 七
︶ は幕 末 の高 名 な 詩 人 大 沼 枕 山 の父
であ る︒ 元 来
︑ 尾 張 の郷 士 鷲 津 氏 の長 子 だ が
︑ 寛 政 初 め郷 里 を捨
て て江 戸 に出
︑ 広 敷 添 番 衆 大 沼 叉 吉 の養 子 と な たっ
︒ 晩 年 致 仕 し て江 戸 詩 壇 で知 ら れ
︑ 竹﹃ 渓 先 生 遺 稿
﹄ 一冊 が あ る︒ 南 畝 と は これ が 初 見 で︑ 十 三歳
の弟
あで る
︒ 余 事 にわ た るが
︑ 秋 庭 太 郎 著
﹃考 證 永 井 荷 風
﹄ よに れ ば
︑ 鷲 津 の家 典は
の弟 混 が 継 ぎ
︑ そ の孫 が 鷲 津 毅 堂 あで る
︒ 毅 堂 の娘 が 永 井 荷 風 の母 だ か ら
︑ 荷 風 は大 沼 家 と 縁 続 き のわ け で︑ 荷 風 は 下﹃ 谷 叢 話
﹄ の中
に︑ 偶﹁ 然 大 沼 竹 渓 父 子 が 鷲 津 氏 の族 人 あで る こと を 知 り
︑ 大 に興 味 を覚 え
﹂ た と 書 いて い る︒
﹃一 話 言一
﹄ 中 の 三﹁ 詩 の評
﹂ は大 沼 竹 渓 と会
たっ のが 機 縁 と な てっ
︑ 書 いた も の あで ろ う
︒ 市 河 寛 斎 頼・ 杏 坪 及 び 竹 渓 の詩 に共 通 す る 作 風 を 評 し た も の で︑ 竹 渓 の
﹁宿 山 村
﹂ は︑ 山 亭 寄 宿 近 三 更 喬 木 囲 村 月 易 傾 窓 隙 風 来 燈 欲 滅 老 狐 巧 喚 旅 人 名 三 更 二近 シ︑ 月 傾 キ易
シ︑ 燈 滅 セ ン 欲ト
ス︑ 老 狐 巧 ミ ニ旅 人 ノ名
ヲ喚 ブ な ど と
︑ 怪 奇 趣 味 の道 具 立 て あで る
︒ 他 の 二 詩 も 似 た り寄
たっ り で︑ そ れ に対 す 評る
は
︑ 三 詩 と も 新に 奇 な り
︒ し か れ ど も 怪 異 に し て こ の頃 世 もに て は や せ る 京 伝 馬 琴 が 稗 史 を み る が ご と し
︑ かば
か り の事 も 時 運 にあ づ か らざ
る事 な し
︒ そ し て 読﹁ 稗 史 有 感
﹂ の詩 を 作 てっ いる
︒ 気 象 進 ンデ 須 ラ ク 太 平 楽ヲ
シ ベム
シ
近 来 ノ稗 史 ハ若 何 ノ情 ゾ モシ 讐敵 模 糊 ノ血 二非 ズ ンバ コト ゴ ト ク是 紅愁 緑惨 ノ声 め でた か るべ き春 の新 板 に︑ こ の殺 伐 こ の陰 惨 は何 と いう こと だ と︑ 南 畝 の文 学 の経 歴 から す ばれ いか にも 尤 も な意 見 であ る︒ こ の年 も 京伝 は
﹃梅 花 氷裂
﹄︑
﹃於 六櫛 木曽 仇討
﹄ な ど︑ 馬琴 は 椿﹃ 説弓 月張
﹄︑ 墨﹃ 川田 梅柳 新書
﹄ など で︑ いず れも 太 平 の新 年 を楽 しむ べき 作 では な い︒ こ のよ うな
﹁時
﹂運 は歌 舞 伎 の世 界 でも 例外 でな い こと を︑ 南 畝 は翌 年指 摘 し て いる
︒ 北 間南 瓦 の末 ま もで 山東 山 亭 の風 行 はれ て︑ あ られ ぬ文 字 に仮 名 を ふる 事 と はな り ぬ 逢 薬仙 はま だ是 当 と思 ひし が松 を いろ そ ふ仙 を まし だ い やが て大 人 と書 いて う まと よみ
︑螂 祉 書ど き てく そく ら へと よむ べし
︒ これ は市 村 座顔 見 世 の名 題松 二代 源氏 中︑ 村 座 の名 題御 属贔 恩賞 仙 と い へば な り 歌舞 伎 の題 名 の奇 抜 訓な み は︑ 現代 の観 客 も よく 知 とる ころ であ る︒ つい で自 宅 で の 早﹁ 鶯春 谷 小集
﹂ のあ と に︑ 米 沢藩 上杉 の桜 田門 邸 で︑ 同藩 の神 保純 父 主催 の会 があ たっ 参︒ 者会 の中 筑に 前 の大 儒亀 井南 冥 の子 で秀 才 誉の 高 い︑ 名 元 鳳︑ 号 昭陽 が居 た のに 対 てし 詩 を贈 てっ いる
︒ 満堂 樽 酒開 塾目 眼 L 益 世家 風識 二白 眉 L の起 承 の句 が昭 陽 への 好 感 を示 てし いる よう だ︒ 長崎 に居 た時 にす で に聞 いて 居 り
︑ 筑 前亀 井道 斎 南 冥先 生 の二 子も
︑ また 才 子な り と いふ
︵﹃ 瑣 浦雑 綴 し︒ つい で にそ の前 を引 く と︑ 江戸 文人 の歳 月 一 一 一
一一 四 佐賀 の古 賀 太郎 右衛 門 字︑ 晋 卿︑ 同 助 之進 名︑ 洪 精︑ 里淳 風先 生 の長 男 二男 にて 才子 な りと いふ
︑ 三男 を東 都 によ び て家 を嗣 むし と いふ
︒ 男長 は号 穀 堂 佐︑ 賀 藩参 政 と てし 江戸 に住 み︑ 二男 は西 涅 佐︑ 賀 藩儒 あで る︒ 三男 の個 庵 は昌 平校 の教 授 とな てっ 江戸 に住 み︑ そ の子 は幕 末 に活 躍 し た謹 一郎 号︑ 茶 渓 であ る︒ そ の秀 才 ぞ ろ いを 羨 望 し︑ 一子 定吉 の悩 病 を悲 むし 情 が行 間 に こも る感 じ であ る︒ 亀 井昭 陽 は こ あの と筑 前 に帰 る途 次 広︑ 島 の頼 春 水 を訪 ね︑ 亀﹁ 井元 鳳︑ 帰 二自 江 戸
・来 訪 賦示
﹂と いう 春 水 の詩 も あ る︒ 主 者催 紹の が介 おく れ たが 神︑ 保純 父 は米 沢 藩 士︒ 場 谷 と号 し︑ 細 井平 洲
・亀 井 南 冥 の門 下 だと いう
︒ そ れ で江 戸 に来 た南 冥 の子 息 昭陽 のた め に宴 を開 いた ので あ うろ そ︒ てし 今度 は
﹁春 日送
神 保純 父 還 二米 沢 L︑ 雪 故の 国 へ帰 る純 父 を送 別 す る宴 が開 かれ た︒ 春
雨 スク ナ ク烈 風多 シと
﹃武 江年 表﹄ に いう 気候 不順 の中 だが
︑ とき どき 詩 会 があ る︒
﹁春 日同
篠 本竹 堂
・鈴 木 白藤
︒ 諸 子
´集 二徐 徳卿 芙蓉 館 こ の詩 会 は三 十年 ぢ かく 続 く会 であ る︒ 徐 徳 卿 は鈴 木氏 名︑ は善 政 字︑ 認は 通︑ 称 松之 助︑ 七 百石 の旗 本 で小 納 戸な ど を つと ため が︑ 天明 年四 に三 十 七歳 の若 さ 仕で を辞 てし 寄合 とな たっ 雉︒ 子橋 に近 い屋 敷 を芙 蓉 館 と言 い︑ 蔵 書 が多 か たっ 安︒ 永 九年 ご ろか ら芙 蓉館 の詩 会 に出 る よう にな てっ 沢︑ 田東 江
・井 上金 峨な ど の先 輩 とも 度 々 ここ で同 席 し て いる 小︒ 納 戸 と いう 役 は
﹁君 辺 の勤 め第 一の 陀 近 の衆 也六 明﹃ 良帯 録し と いう 将 軍 の側 近 で︑ 二十 五年 前 の詩 には
﹁尋 常 豊合 得 曙語
﹂ すな わ ち心 易 く交 際 でき る相 手 で はな いの だ︒ かし 年し は南 畝 の 一歳 上 で︑ 気 が合 たっ も のら し い︒ 父祖 が書 院 番 流で 鏑 馬 射の 手 を つと ため 関係 で馬 を善 く し︑ 南 畝 の 流﹁ 馬鏑 類考 只 内閣 文庫 蔵
︶ に 鈴﹁ 木 英政 孫 課 の家 より 借得 て写
﹂と あ る︒ とも あ れ南 畝 にと てっ 重要 な詩 会 のひ と つで あ る︒
同行 の篠 本竹 堂 は名 は廉 称︑ 久兵 衛
︑ 井上 金 峨門 書︑ を能 く し︑ 昨 年 末
﹃︑ 藩翰 譜続 篇
﹄脱 稿 の賞 と して 銀十 枚 を 賜 わ たっ 人 であ る︒ も う 一人 の鈴 木 自藤 とと も に好 学 の幕 臣 あで る︒ 詩 句 に は 清﹁ 談 未 尽ダ キズ 詩巻 ヲ撃 キ﹂ 帰 るを 忘 れ るな ど とあ る︒
〇 月三 十 二日 は頼 惟柔 号︑ 杏坪 主催 で
﹁霞 関 の邸 合 の物 見 に詩 会
﹂が あ たっ
︒ 席 上 藩︑ 主所 蔵 と うい 蘇 轍 の自 筆 の﹃楽
志論
﹄ が 展示 され た︒ 蘇 轍 は唐 宋 八大 家 の 一で 蘇︑ 東 坂 の弟
﹁︑ ま こと に希 世 の見 も のな り﹂ と南 畝 は いう
︒ 四十 二万 六千 石余 の 大 藩 の浅 家野 は︑ この よ うな 形 で文 化 水準 の高 さ を誇 示 たし の であ ろう
︒ ほか に古 画 や古 硯 もな ら ん で いた ので あ たっ
︒ 蝦夷
地 争紛 蝦夷 地 の紛 争 は文 化 三年 九月 から 緊 張 を加 え て︑ 同 四年 月三 再に び カラ フト 島 に ロシ ヤ船 が接 近 した 幕︒ 府 はそ の対 策 と し て︑ 月二 十 二日 に松 前藩 に換 地 を命 じ て蝦 夷地 全部 を直 轄 領 と たし
︒ 月四 末 には エト ロフ 島 の幕 府 の番 所 が ロシ ャ船 の砲 撃 によ てっ 焼 かれ 守︑ 備 隊 は反 撃 でき な いで 箱 館 に逃 れ︑ 指 揮官 が自 刃す ると いう 件事 あが たっ
︒ そ れ で六 月 には 若︑ 年 寄堀 田摂 津守 正敦 が蝦 夷地 御 用 を命 ぜ ら れ︑ 大 目付 中 川飛 守騨 忠英
︑ 日付 遠 山金 四郎 らも 随 行 を 命 ぜ ら たれ
︒ そ の中 近に 藤重 蔵 も てい
︑ 南 畝 に詩 あが る︒
○ 近﹁ 藤 正斉 蝦 夷 二之 クフ 送
﹂ル︒
そ の 一節
︑ 壼外 タリ 俄 羅斯 来 り窺 フ北 塞 ノ睡
︵中 略
︶ 赤 心能 ク報 国 シ 一脂 蛮夷 ヲ震 ハス 型 の如 き激 励 であ るが 冒︑ 険 家 重蔵 そに う うい 意 気昂 然 るた も のが あ たっ だの ろう
︒ 江戸 文人 歳の 月 一 一五
一一 六 こ の年 十 月 十 五 日
︑ 箱 館 奉 行 は松 前 奉 行 と 改 称 さ れ て
︑ 十 月二
に重 蔵 は視 察 を 終 え て江 戸 に帰 り
︑ 将 軍 家 斉 に謁 し た と いう
︒ 幕 臣 と し て の身 分 以 上 に︑ 重 要 視 さ れ た の あで
る︒
○ これ
より 先
︑ 二 月 三 日 に
﹁新 楽 閑 受 ノ東 遊 ヲ送
﹂ル 詩 が あ る︒ 南 畝 の娘 お幸
の嫁
し 佐た
々木 綱 達 の弟 金 十 郎 が
︑ 閑 受 の 養 子 と な てっ るい
の で︑ 南 畝 と は縁 続 き のわ け であ
る︒ そ し て金 十 郎 は佐
々木 家 の屋 敷 内 に住 ん で いた か ら
︑ 綱 達 の娘 お 富 お仲
の三 月 三 日 雛 祭 の席
で︑ 南 畝 は閑 受 と 逢 たっ の あで ろ う
︒ 詩 は 閑﹁ 裏 忙 有 り︑ 忙 閑 有
﹂り と ゆ たっ り 始 ま る け れ ど も
︑ 第 四 句 は 株﹁ 掲 毛 人 往 キ 叉 還
﹂ル と あ てっ
︑ 決 し て遊
山 で はな
い︒ 杉 村 英 治 氏 の 新﹁ 楽 閑 受 二﹃ 受 講 奇 ヒ
︵﹃ U P
・六 五 号
﹄︑ 東 京 大 学 出 版 会
︶ に つぎ の よ う あに る
︒ 文 化 四 年 三 月 十 四 日
︑ 御 船 手 番 所 鉄 砲 洲 か ら
︑ 千 七 百 石 御 船 頭 長 川 仲 右 衛 門 の二 十 二 人 乗 万 全 丸 で江 戸 を 出 帆
︒ 行 く 先 箱は 館 や ク ナ シ 島リ だ たっ の あで
る︒ 閑 曼 は四 年 前 享の 和 三 年 もに 蝦 夷 地 へ︑ 箱 館 奉 行 戸 川 筑 前 守 に随 行 し て 行 き
︑ 文 化 三 年 八 月 に四 年 ぶ り に江 戸 に帰
てっ から ︑ 一年 も た た な い の に再 び 蝦 夷 地 へ行 く わ け あで
る︒ 南 畝 の身 辺 にも 閑 受 の よ う な 人 が てい
︑ 対 外 関 係 切の 迫 を 感 じ さ せ た こと だ たっ
︒
○ 翌 る 四 月 に南 畝 は意 外 な 人 に逢
てっ いる
︒ 飲﹁ 高 橋 氏
﹂と いう 題 で︑ 詩 は︑ 浅 草 河 辺 酒 未 ダ 醒 メズ 司 天 台 畔 客 猶 ホ停
マ ル 庭一 ノ風 雨 斜 照 フ連 ネ 応 二妬 ム ベ シ 人 間 徳 星 衆 マ ル 浅 草 司 天 台 す な わ ち 天 文 台 の高 橋
︑ と いう と シー ボ ル 事ト 件 記で 憶 さ れ る高 橋 作 左 衛 門 にち が いな
い︒ 高 橋 は名 景 保
︑ 字 は子 昌
︑ 号 観 巣
︑
〇ざ σξ
∽ と も 号 す
︒ 天 文 方 を 勤 め る高 橋 至 時
︑ 通 称 作 左 衛 門 の長 男 で︑ 天 明 五 年 生 れ
︑ 享 和 元 年 聖 堂 学の 問 吟 味 応に じ て賞
を賜 わ り
︑ ま た 父 か ら 暦 算 の術 を 受 け
︑ 更 に蘭 語 を 学 ん だ と いう
︒