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投 資 地 と し て の 植 民 地 の 贋 値

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(1)

投資地としての植民地の贋値 鴇に一台髭

(2)

 近代の初め欧洲諸國の行った櫃民政策は︑成る可く遽に植民地の資源を利用し依って生する利釜を黒塗しや

うとしたのであった︒彼の西班牙が新大陸に於て植民地を設くると盛んに鑛山の探堀をなし︑且つ植民地貿易

を並家自から濁占した︒葡萄牙も亦同様に東洋貿易を濁蓋した︒和蘭は植民地貿易を以て高家の乱落事業とは

なさなかったが︑此の樺利を自國の特許植民會就に上輿した︒其の後証蘭西起業て︑加奈陀其の他の地方に於

て植民地を設け︑綾て英吉利が先進國の維験を利用して植民政策を樹てた場合にも︑等しく植民地の資源を利

用して母國の富を増加するのを以て最も重要なる目的となした︒

 而して此の目的を賛する霞めに當時欧洲諸國が採った手段方法は種々あったが︑其の内の主なる竜のを述ぶ

   うれば︑一植民地に在る先住昆族と不合理極まる物質の交換をなしたり︑彼等に強制的勢働を課したり︑或は強   ︵       ラ制的生塵をなさしめたりした︒極言すれば土人の財産を掠奪したことである︒二は植民地よりして多額の貴金       ︵薦を欧洲に輸入したことである︒今此等の方法の総てに就きて蝕に詳燃するは紙葉が許さないから第二の方法

に就いてのみ少しく述べること蕊する︒

投費地としての犠民塘の償値

(3)

      四

 近代の初め爺婆諸國が貴金管を獲得する蕾めに︑植民地を利用したる方法及び其の結果を述ぶる前に︑先づ

世入が極めて重要歯したる貴金属の三時欧洲に於ける供給状態はどうであったかと云ふことを一瞥する必要が

ある︒一言に言ひ現すときは申世紀の末頃の無熱二面は一時非常に貴金面の馬面を感じた時代であった︒蒸れ

當時コンスタンチノープルの勢力が頗る強大であって︑租税の立論等種々なる方法に依って欧洲よりしても多

額の貴金属を此等の地に吸牧した其の上に地中海の東海岸に於て西欧洲人とアラゼや人との聞に盛んに行はれ

た貿易に於て西欧洲への輸入は常に愚蒙を超過し︑貿易の帳尻は貴金鵬を以て決癒しなければならなかったか

らである◎例へばベニス港を維て外点に輸姦した資金鵬の額のみでも決して少なくなく︑十五世紀評議港より

してアレキサンドリアに尚けて楡出した額は年々少なくも三十萬デユカーテン︵約百五十萬圓︶に上ったと云

ふことである︒此の金額は當時の経濟歌態より考ふるときは決して小額ではない︒斯くして途に當時言賦洲諸

等にて貴金森の欲乏を告ぐるに至ったのである︒之れに反して小亜細亜・埃及・アラビヤ等の地方にては︑貴      qD金津の供給が三富とな砂て其の贋値の低落を見るに至ったと言ム︒嘗てペツシエル澤ω畠臨が﹁文化は常に東方

より西方に進み金銀は常に西方より東方に流る︒しと言ったことがあるが能く此の聞の惰勢を論明して居る︒

 肴︶もQo欝ぎ潜場這O窪駕○飾鶏濤魏愚診静彰蕊㍉︾蔑r翻鐸どω●い9.

 斯くの如く中世紀時代に西部亜細亜地方に吸黙せられた多額の金銀も︑近代に入りて殿洲諸國の文化が獲蓬

するに俘ひ再び此の地に着り來つた︒加ふるに新大陸の獲見せられて後は︑多額の金銀が植民地よりして歌洲

(4)

に輸入せられ︑叉馬脚利加の如きも敵洲に封ずる金銀の供給地となった︒斯くして欧洲に於ける金銀は次第に

増加して貨幣三値の下落を來し物償の騰貴を促すに至った︒斯る現象は既に一五〇〇年頃から現はれ始めて︑

貨幣二値の如き一五三〇年と一五六〇年とを比較すれば三分の二とな珍︑一六〇〇年頃には二分の一となっ

た︒随って物便は七十年闇に三倍に騰貴したと云ふ︒ダヴネルU︑︾<窪鉱の調査に依れば︑一八九〇年の貨幣

購買力を一となすときは共の以前の購蝋型は次の如くであって︑如何に貨幣購買力が十五世紀以下著しく滅少

したかを示す◎

   一踏五一年−一五〇〇年

  一班 一山ハ年一   簸○年

  國覧・七ふハ年!蝋山ハ○○﹂年

   一山ハ一工ハ年−   薫○年

  一山ハ七山ハ年i一・七〇〇知牛

  一七二ふハ年ーー   五〇年

   一レ㌦し㌦轟ハ犀−   馬ん○年

漏れに由って観ると︑

二・覧二・五

二・三三

一五〇一年・一二五年

一置玉繍年一七五年

圃ゐハ○一年一⊥⁝五醸

一晶ハ五︸﹂年⁝;七五年

嗣七〇一年一二澱年

一七五一年一七五年

芸毛 二三三五

葦五

       ゾンバルト︒︒◎副審博が其の著﹁.近代の資本主義﹂に於て﹃若し歓洲にして從爆口の植

民地をも所有しなかったならば︑欧洲に於ける資金は歌乏を膏げて今日と難も倫自然経濟の境遇に在ったであ

らう︒﹄と論じたのも決して暴評でないことが知られる︒植民地が歓洲の経濟界に及ぼした働きは翠に此の黙の

     投資地としての植鼠馳の儂値       五

(5)

      六

みを見ても實に偉大なるものであったことは明瞭である︒而して當時の如き未だ花序なる貿易事業が獲達しな

かった時代に於て︑歓洲雲國が如何なる方法に依って植民地よりして莫大なる金銀を輸入したかと云ふと︑

      一番洲人が植民地に於て黒山の探堀をなしたること︑二植民者或は本舗政府の吏員杯が植民地の土入よりして

︵       !曳

       金銀を書物として受取りたること︑三本國が租税として植民地よの金銀を徴蓋したること︑四植民者が植民地      /一㌧      !璽㌧

に在る土入の有する金銀を掠奪したること等であった︒此等の方法の内第一の方法︑即ち植民地に於ける鑛山

の探堀は敵洲に漏し金銀を供給したる最も主なる方法であって︑植民地に於て敵癩人のなした一種の企業の結

果であるから︑今此の種の方法に依りて敵洲に供給せられたる金銀の額等に嘗て簡軍に蓮べやう︒

 ︵圖︶も・︒g旦≦珍嬉こづ鐸・訟Q置

 嘗て伊太利が小亜細亜地方に鞭て植民地を建設したときには︑金銀を探詳して之を母國に輸出したる例は鯨

りない様である︒亜弗利加にては最初アラブ人が金銀の馬堀に從即したことがあるが︑其の後葡萄牙人出で蕊

先づセネガル地方に移住し後東部亜弗利加に進入するや︑盛んに貴金馬を苦慮したものである︒ソートペール

◎。W内鰐鶏の調査に依れば十五世紀の絡より十七世紀の始めに至る閥に︑亜弗利加よ注して鷺洲に思掛したる金

銀の総額は次の如くであると云ふ◎

(6)

       慮克    刷四九 篇母−輔況二〇年       恥ご鵬畷H︑答一志ハ○︑○○︵︶

    一流二蝋年−   四 隅畠年       一ゐハ・七︑嗣○○︑○○〇

    一 血四五年一一志ハ○○﹂年      鷺一一二︑四門八︵︶︑○○〇

    一ふハ〇一年1 ・七〇〇年      五五八︑○○○︑○○○

即ち約二百年聞に金銀の輸出額は総計十二億七千二百二十四萬麻克の多きに上ったのである︒

 然しながら何んと云っても殿洲に多額の金銀を供給したるものは新大陸であった︒今二三の例を述べやう︒       ① フンボルトロζヨび9黛の調査に依ると新西班牙に於ける金銀の一ケ年雫均生産額は次の如くであった︒

       ベソス    哺四九二年:隔澱○○年       二五〇︑○○○

    叫五〇〇年一M覧躍五年       三︑○○○︑○○○

    囚覧閃門五年i圃山ハ00年       一 一︑○○○︑︵り○○

    凧議ハ○○年−一七〇〇年      一一ハ︑○○○︑○○〇

    一七〇〇年一嗣七覧○年       醐ご一︑五〇〇︑○○〇

    一七五〇年−一八〇三年      三五︑三〇〇︑○○○       ②即ち一四九二年より一八〇三年に至る約三百年の聞に生産したる金銀の総額は無慮五十三億三千八百萬ペソ

であった︒

 ︵囲︶囲①認のび︸矯6◎︸窪騨勲甑◎yワ8ゆ.

 ︵憩︶醤霧2謬譲購芦露瞬も婦i囲︒◎oい㊦欝牌羅広戸㍉9㍉8M8◎λ罵伴勘唱︒

     投資地としての植民地の儂値       七

(7)

術メキシコに於ける銀の生産額は次の如くであった︒

       メキシコに於ける       一ケ年羅均生崖額      ヰー3グラム一五二一年一  四四年

一五澱回五年一   山ハ○年

凶五みハ一蕗!   八○年

〜汎八固年ーー繍ゐハ○○年

叫山ハ○○年⁝一   二一露  三︑四〇〇

圃五︑○○○

鷲○︑二〇〇

七四︑三〇〇

入一︑二〇〇 世界に於ける生 産総額 九〇︑000

一二

黶@一︑山ハ○○

ご九九︑五〇〇

四一ハ︑九〇〇

四二二︑九〇〇

 以て當時世界に於ける銀の生産上食キシ繋が如何に重要なる位地を占めて居ったかを知ることが出來る︒

 次にブラジルに於ける金の生産額を示せば次の通りである︒

       冨万騰亮    爾七〇一年一・  二〇年       一五〇

    一七二一年f一  四〇年       四九〇

    廟・七闘瞬年一   山ハ○年      入一ふハ

 此等二三の事實よりしても近代の初め新大陸に於て生産したる金銀は頗る莫大なる額に上った庵のであるこ

とが解る︒勿論生煎額の全部が悉く皆欧洲に輸出せられたとは言ぴ得ざるも︑其の大部分が輸出せられたるこ

とは決して推測するに難くない︒其の上襲きにも蓮べたる如く︑植民地に於て鑛山を採乏したる方法以外に植

民者は先住民族が多年蓄積したる貴金薦を種々なる手段に依りて獲得したることを謂ふときは︑植民地は西鰍

(8)

壷鐙國に黒して最も重要なる金銀の供給地であって︑ゾンバルトの言の如く漱洲の維事態をして自然維濟より

貨幣維濟に進ましめた有力なる一要素であったことを知ることが出馬る︒

 而して當時は一般に政治的道徳も未だ充分に獲虚しないし︑杜會葡制裁力も頗る薄弱であり︑交通通信機關

も街不完全の時代であったからして母國と植民地との聞の維濟的關係の如きも兎角片務的の傾向があった︒猫

り植民地開獲の淀めに母國のみが経営上の利釜を聾翻し︑植民地は庶母國の爲めに利用せられたに過ぎなかっ

たのである︒或は寧ろ植民地は母國の薦めに悪用せられたものであると評する方が至善であるかも知れない︒

 然しながら各國の文化が獲達し︑世家の法律や杜會面詰度は次第に整備し︑國聴聞の關係は島々密接となり

政治的及び経急心行動の如きも從前と異なウて次第に道義に依りて支配せらる曳様になってから︑植民國が所

轄の植民地を利用して経濟的利釜を富むる爲めに採用した手段方法の如きも漸次改善し來つたのは欝然であ

る︒島蔭の如く徒らに無繁の土人を虐待して植民地の資源を擁齪し己れ猫り雨垂を璽断せんとするが如き行動

は︑濁り正義人道に反する重りでなく︑植民地は勿論のこと遽き將來のことを慮るときは植民國の爲めにも不

利釜を醸すものである︒此の道理を能く了解すると︑植民國は從來の政策を改めて途に自から進んで豊富なる

自國の資本を植民地の事業に漏し合理的方法に依りて之を維窪し︑己れを利し叉植民地のものも共に利釜を得

せしめんとするに至った︒斯くしてこそ始めて母國と植民地とが共存共榮たるべき實を灘げることが出來て︑

一般入類の幸禧を増進するを以て主要なる目的となすべき植民政策の目的を貫徹することが出來るのである︒

     投資塊としての糠民地の儂値       ︑九

(9)

      一〇

されば吾人は一歩進めて現時の植民地に於ける企業が議事の維濟に如何なる影響を及ぼしつ製あるかの研究に

移ること製する◎

 現今二上界の状勢を見るに︑從前濃幣地方に存在したる植民地の多くは既に母國より濁心して一國家を形成

した︒而して未だ猫立國とならざるものも︑殆んど猫立國と相等しき程度に政治的及び経濟的實力を有して居

て︑共の多くは暴悪國の領土である︒されば現今世界にある植民地の数は百三十五の多きを算ふるも︑大部分

は熱帯若くは亜熱幣圏内に存在して居るのである︒温帯地方に在る植民地には多籔の植民者を移して天然の資

源を開智することが出來るけれども︑共の他の地方に在るものは風土氣候等の關係よりして母義民の永住をな

すに適しない︒然しながら此等植民地の自然の資源は︑之を一般的に論ずれば温帯地方に在るもの鼠夫れに比

べて遙かに優って居る︒此の贅源を開獲する爲めには︑前記の如く母國よりして多数の植民者を凝ることは困

難であるけれども︑幸に此等の植民地には丈化の程度は低き竜多忙の蜜蝋民族が佳して居の其の勢力を利用し

得る途があるから︑天然資源の開獲をなすに必要なる勢力には歓乏を感ずることはない︒けれども勢力と相並

んで最も必要なる資本に至りては植民地自から之を供給することが出來ないから之を他に仰がなければならな

い︒舷に出て撃壌國は移智者を逡る代りに資本と智識とを植民地に移し︑墨黒民族の勢力を利用して以て資源

(10)

の開爽をなすに至った︒植民地を以て膵管民の移佳地としてよ夢は寧ろ母國の投資地として之を取扱ふに至つ

  σりた︒﹁白き資本と有色の勢力しとは現今植民界に於ける一の趨勢をよく物語るものである︒概論すれば︑此等投

寳植民地に於ける丈化の程度は母國に比すれば低く︑法律制度の如きもまだ不完全であって︑植民者の生命財

産の安全もまだ充分に保障せられす︑共の上植民地に於ける事業は遠く隔たのたる花嵐よりして之を指揮監督

しなければならないから︑植民地に於ける事業に投資することは︑母國に於て之をなす場合よの潜血上の危瞼

 や  ゆはより大なるものがあるのである︒然るにも拘はらす植民國の費本家が近時植民地の事業に投資するもの釜々

多きを加ふるに至ったのである︒重れは如何なる原因に基く窓のであらうか︒吾人は植民地への投資の事實を

述ぶる前に先づ此の原因に就きて考へて見たい︒

  ︵困︶ び○轟○嬬く一ぐ夢びづ繭凱酔⑦6醗︶謬既雲偽60嗣○霞の餌回瓦6鍵辱

 近時母國の資本家が進んで植民地に投資するに至った原因は種々あるが︑其の主なる竜のを述ぶれば︑

 一︑十九世紀寒季植民本簸たる敵藍鼠國等に於て各種の薩業が前代未聞の嚢達をなした結果として資金は貯

忙し︑重油内にては之を有利に投資し得べき飴地が漸次縮少し︑事業経誌上より生する利釜の如き次第に減少

し︑途には全然利釜を暴げ得ぎるに至ったものもあるが如き有様となった︒企業資本に封ずる牧釜の減退は資

本家の耐へ難き虞であるからして︑彼等は多少の危瞼は犯しても國の内外を問はす︑急襲利釜のある事業なれ

ば之を見逃さす進んで之れに投資するに至ったのである︒

     投資地としての植畏地の償値      一一

(11)

      一二       ゑ  ぶ 二︑植民地に於ける企業は襲きに蓮べし如く本國に於ける事業よりはより多くの危瞼を俘ふ竜のである︒然

るに蔵民地は母國と同一主調の下に統治せらる製ものであってh制度交物の如きも之を外國に比すれば母国と

共通のものが少響くなく︑叉一暦共通なる制度が施行せられ得るものであって︑資本家も漸次母國に於ける投

資と同檬なる便宜と安全とを保障せられ得る望がある︒

 三︑植民地に煮て活動しつ蕊ある官吏︑就中重要なる位置に在るものは多く母義民であるからして︑母國の

資本家は二つから彼等と親しき交際をなし︑他の國にては容易に獲難き行政上の便宜等を得ることが出遊る︒

 四︑外國に総て有利なる事業を見出して実れに投資するとしても︑其の國の政治の方針如何に依りては折角

投資して悪行しつ玉ある事業も︑外部よのの腿迫等の爲めに︑或は維螢の規模を縮少したり︑或は全然之を放      の棄しなければならない場合があみ︒ル撹ア・ボリユーい興◎踏¢彊$熱2に依れば斯る原因の爲めに佛蘭西が過去

十ケ年問に被りたる損失は牧釜に於て八千萬乃至一億フラン︑資金に於て二十億フランに上ったと云ふ︒

 ︵囲︶ 8■のε宰岡冷雲ぱ差置三略ど節Ooδ巳鈴獣○欝鼠お浅冨頓剛︶象雷雲簿◎伽費器︒・秘鬼お翻象甑9詔8◎讐のωoo9縛倉℃6鴇メ

 我が國の如きも現に斯る苦き維験を舐めつ製あるのである︒然るに自慰の植民地に於ける事業に投資すると       dりきは︑斯る丁年に脅かさる曳ごと全然無しと稻しても過言ではあるまい︒ル鷲ア・ボリユ⁝も﹃植民地は母國

以外に於て絶封三聖墨の下に資本及び人を移長せしむる爲めに開かれたる唯一の場所である﹄と云った︒

 ︵回︶ 遍bδ団虚の鶏︸δ5同蜘岡鐸℃●鴇㈱噂

(12)

 五︑斯く論ずれば︑資本家は如何にも螢利一黙張にて植民地に投資する檬に考へらる玉が︑事寳は必ずしも

そうでなく︑牧童の上より見れば投資をなす債値少なき植民地の事業にも︑國家的親筆よりして経寒湿の不利

を恩びつ蕊喜んで投資する場合がある︒斯かる親念は英國の資本家に特に認めらる製様である︒例へば南阿會

歳の維螢の如き多くの年は無配當であるにも拘はらす︑英國の資本家は該會瀧の事業を以て漁家的事業とな

し︑國民として是非共之を援助して成功せしめなければならないとの考へよりして喜んで資金の募集に懸じ︑

而か為株の市債の如きも常に額面債格を超過する有檬である︒

 斯くの如き種々なる原因よりして︑近時母國の資本が豪く植民地の事業に投資せらる蕊に至ったとして︑實

際投資の歌況は如何であるか︑次に二三の實例を引金しやう︒

 植民地が母國の投資地として如何なる呼値を有するかを知る爲めに︑先づ五十有籐の植民地を有して居る英

國を探って研究する︒

 列国間の交通開かれて以來十八世紀頃に至りて交通通信機關等が次第に備はり︑世界各地の事惰が漸次明瞭

となり︑各國が維取的に相共同して活動する様になるに件って︑和蘭のアムステルダム市は途に賞時の世界金

融市場の中心地として活動する檬になった︒然るに其の後和蘭共和國はナポレオン一世に依調て顛覆せられ︑

     投資地としての植民地の償値      一三

(13)

      鳳四

莫大なる償金を課せられたる上にアムステルダム銀行や和蘭東印度會就の失敗等が相番いて起りし警め︑途に

アムステルダムは世界金融市場の僻心としての位地を倫敦に護るの己むな邊に至った︒得れ英國は當時多くの

鷺洲諸語が未だ農業時代に在りたる聞に︑早く竜塵業界に革命が起って商工業の獲展を促がし︑漸次資金の貯

積を齎らしたが辱めに外ならない︒斯國の富に關する調査を見るに︑一六六〇年には二億五千萬確︵ペツチー

想簿鱒︶︑輔七〇三年には四億九千萬碑︵デーヴナソトU勲く窪鋤簿︶︑一七七四年には十一億膀︵ヤング磯︒毒σq︶

に過ぎなかったが︑一八○○年には十七億四千萬跨︵ペック及イーデン溺8ぼ紳田窪︶︑ 一八二一年には二十

一億九千萬膀︵カルクホーン00ご器げ◎遷︶︑ 一八三三年には三十七億五千萬確︵パブラー屑呂器同︶︑一八四〇年

には四十一億礎︵ボータ⁝娼◎博論︶と漸次増加した︒門内に富が充實すれば警抜する程︑國内に於て有利的に

之を利用し得る途は次第に減少して投資に封ずる牧釜の割合は低下した︒例へば十九世紀の初め頃には︑紡績

業へ投資すれば一ケ年一割五分乃至二割の利釜を得たるものが︑同業.者の増加に俘って競争は劇甚となり︑途

に鳶職は一割に減じ︑績いて五分となり︑後には二三分と低下した︒鼓に出て乎資本家は更に方向を縣嘉して

鐡道事業に手を藩け︑最初は二割乃至二割五分の利器を塁げ得たるも︑鐵道が延長し併行線審が布設せらる製

と一八六〇年頃には僅かに四五分差なり︑後には全然無配當のものすら生するに至った︒英國の生産業者は又

進んで詳審生.産物の販路を黒く海外に求めんと努めたるも︑自國の産業を保護する目的で無税政策に依り外野

品の輸入を抑制せんとするものありて充分に共の臼的を達することが下等なかった︒此の間の事惰を洞察して

(14)

有力なる英國の資本家は國内に於ける生産業に投資して生産物を外國に輸出するモ共に︑資本を外事に投じて

利釜を牧めんとするに至った︒最初は海外に於て信用の最も強固なる外國政府を相手としたものであるが︑其

の後海外の事情漸次明瞭となるに從ぴ︑外國資本家と或は相提携したり︑或は軍濁にて海外に於ける種々なる

事業に投資した︒北米合衆國・猫逸・露西亜等は最初英國資本に封ずる好個の投資地であった︒然るに其の後

時勢の進蓮に俘って︑此等後進國や其の他の國に於ても英國と同様に生産業が勃興し︑資本が充癒し︑最早外

國よりして資金の供給を仰がなくても自から自國内に於ける資金の需要に懸することが錦心て︑自國内に於け

る英國の投資を買ひ戻すと共に︑途には進んで英國と世界の金融市場に於て競璽をなし得るに至った︒是れ前

世紀の牛ば以降のことである︒斯くして英國は從前の如く世界の投資市場を猫占することが出來なくなったの

であるから︑從來探り來つた海外投資の方針を漸次改めて自國の植民地及び斯國と特殊の關係の下にある地方

に特に注意を投ふに至った︒植民地に於ける霜道の布設︑痩山の探堀︑港薄の改築︑製造業の計魔窟は何れも

皆英國投資の好材料となの︑途に英國の植民地は英國に封し重要なる投資地となったのである︒

 今二三の勲字的資料を示して之を誰明しやう︒

 先づ最初に近年英國が海外諸國に豪して年々投資したる金額を調ぶるに︑一九〇〇年より世界戦争前までの      ①歌況はボブソンロ︒びの◎雛に依れば左の通りである◎

投費地としての植畏地の儂値日五

(15)

一六

 九〇〇年

一九〇一年

一九〇二年

一曳〇三年

一擁.〇四奪

一九〇菰年

蝋九〇六年     争諺二山ハ︑〇六議ん二山ハ︑乱ん・七八

ゐハ

イ︑二一四

ふハ宦A○嗣一二

山ハl︑山ハ一山ハ

一 一〇︑山ハ︸七

七二︑九九五 一九〇七年一九〇八年︸九〇九年一九一〇年一九一哺年圃九ご一年

一九一三年     干確七九︑三三四一一七︑八七廟一覧○︑四門山ハ八一七九︑入三二一鰻二︑七四〇一M

H四︑菰ゐハ○

一霞九︑七三五

 ハご 瓢○訂OジP瞬.Ψ8財①図罎唱◎慧◎hO9讐鏡ポやい翼・

 即ち今世紀の始めに煮ては英國の海外投資額は一ケ年三千萬傍以内であったが︑其の後漸次増加し一九〇八

年に至れば一億傍を超過し︑一九一〇年の如き約一億八千萬傍に上り︑世界戦争の勃聴したる直前には一億五

千萬傍であった︒斯く年々増加しつ玉ある海外投資額は年と共に其の総額を増加し︑一九〇六年の現在額は三

十一億五千萬確であった︒其の内植民地への投資額は十六億二千六百萬膀で︑外心への触れは十五億二千四百

萬傍であった︒既に今世紀の始めに於て植民地への投資が外部への投資を少額ではあるが超過するに至ったの

てある︒    ① 其の後一九〇八年末に於ける海外投資は一九〇六年と飴り大差なく三十億五千萬膀であって︑内植民地へは

十五億六千六百萬傍︑外題へは十四億八千四百萬膀である︒更に植民地への投資額を植民地別となすときは︑

(16)

オト燦濠英

レラ

ンン  領 慣ヴ  印ジス奈

識1陀洲度Rア

1ル

  三 三 四

  〇二揚

    一・ ○鰺

〇 五

ケープ重織ご⁝

欝ーデシア及東亜弗利加

ナ ぶ 一 ル

其  の  他

六三五九募

三 〇 :九 八薦

である︒ ︵ご薫③びび︾る窟︒≦ご︸o鋤◎轟受○出もσ欝瀞簿09や◎心剛

 叉一九一〇年の上筆期間に英國が海外に投資した金額は総計約一億一千一百萬膀であって︑之を地方別とな

すときは︑

   英領麺風勉

   中来及南来諸國   欧測諸國

   亜 紬  亜

   北来合衆國

   其  の  他

であった︒ 働    芳膀五︑二三蔽

一瓢

A轟ハ山ハ四﹁

一︑二八八

 四四九

 二三〇

 二五九  %四七三六三二・八四二・六〇 鰺︒〇五 二・〇七 二・三二

 叉ぺーシユ℃駐ぴに依れば一九一〇年現在の英國海外投資額は三十二億膀であって︑之を地方的に細別すれ

ば次の通りである◎

    投資地としての植民地の儂値      一七/

(17)

一八

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 是れに由りて見ると︑海外投資額三十二億跨の内植民地に讃するものは約十五億八千萬膀である︒

 世界職争直前の海外投資額と最近八ケ年聞に於ける新投資額とを比較し︑更に之を植民地と外論とに麗分す

るときは次の通りである︒

(18)

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(19)

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 禽一九=二年と一九二八年とに於ける英國資本の海外に於ける投資総額を次に示さう︒ 一九=二年の事蜜は

サ⁝・ヂ難オージ・ぺ〜シユ︒︒騨08茜①畷駐げの調査であって︑一九二八年の寄れはエコノミスト及びキンダ

ースレー図ぼ緒携︸2の調査である︒

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(20)

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 此等三四の資料に依るときは世界職争直前に於ける英國の海外投資額は三十七億確を超過し︑而かも約其の

牛ばは植結露への投資であった︒世界戦争中に英國は樽入動員令及び穀物動員令と相並んで債券動員令を嚢

し︑海外諸國に投資したる資金を同筆して以て軍事費共の他の経費の支緋に當てたことは吾人の記憶に術薪た

なるものである︒単坐は比の非常政策に依りて猫り自尽の軍事費を支醸し得たる許夢でなく︑聯合國に零して

竜馬額なる資金の貸附をなして等しく軍事費を支算せしめ︑途に彊敵をして我が軍門に降るの畏むを得ざるに

至らしめたのである︒曇れは非常時に於ける例外の出軍事に過ぎないが叉以て英國の植民地が斯國の費本に封

し如何に重要なる投資場であって有用なる職務を果しつ玉あるかを知ることが出來る︒之と相類似したる他の

一例は普佛職争後佛蘭西が多大の賠償金を課せられたに恐掬はらす︑期限内に能く之を彿ひ得たのは斯國が植

     投警蟻としての植艮驚の贋値      二一

(21)

ニニ

民地共の他に貸付てあった資金を矯凝したが爲めであったと言はれて居る︒

 戦後英國の財界は職齢申被のたる創痩馬だ癒へざる望め︑海外に向って投資し得る飴裕は戦前の如くでなく

して︑繋ぎに示したる諸表に依りても明かである如く︑一九一=年以降年々の海外投贅は多少其の額を減少し

た︒然しながら投資額の減少したのは主として外國に封ずるものであって︑植民地への投資は鹸り減少しない

で︑植民地は今樹依然として英國資本に封ずる好市場である︒

 又一九二八年現在の海外投資額三十三億九千萬膀を以て軍士の懸れに比すれば三億二千萬膀を減少した︒而

して之を外闘と植民地とに分って槻察すれば︑外幕への投資は四億六千絵萬確を減少したが︑植民地への投資

は却って一億四千萬傍を増伽した︒英國の如く他の彊國に先んじて國力は充齢し︑世界何れの虞に重ても有利

なる事業があれば︑能く騰れに投資し得る特殊の便宜を有する國ですら.現今斯学植民地は外國に比してより

良好なる投費地であるのである︒若し夫れ今臼突然他の國が英國に代って同一の植民地を有し︑同一の選取歌

風の下に在りと聖帝すれば︑英國の現状よゆも更に一麿多く植民地への投資が壌加するであらうとは決して想

像するに難くない︒又以て投資地としての植民地の債値の如何に大なるものであるかを知るに足るであらう︒

ず曳

外國の實例は先づ英國響けとして進んで我が國の植民地が燃費の投資地として現在如何なる立場にあるかを

(22)

研究しやう︒然しながら此の研究をなすに當り欝欝には遺憾ながら適切なる調査資料を欠ぐからして官靡統計

等を基として植民地に於ける投費の趨勢の一般を窺ふこと服する︒

 先づ我が國の最大植民地たる朝鮮より始める︒

 朝鮮に於ける本邦人の企業の着篭を見るに︑個人企業・組合企業・會肚企業等種々なる形式に依て行はれつ

玉あるが︑其の謬説も重要なるものは會杜企業である︒我國が朝鮮を併合するや︑朝鮮に於ける企業の安杢を

計る警めに︑明治四十三年十二月制令第十三號を以て朝鮮論理令を叉府令第六十六號を以て同令施行細則を公

布し︑翌明治四十四年一月より之を施行した︒其の後朝選入の寒詣的實力も著しく獲展し︑一般に智識の程度

も向上して會敵企業に愛する理解も亦進歩し︑共の上朝鮮に於ける母國人の企業も憎々獲帯するに至ったので

大正九年四月會祉令を暴露したのである︒朝鮮に於ける塵業の獲展に俘ひ器質企業は金々其の数を増し釜々其

の規摸を擾大した︒

 今先づ朝鮮に本店を有する禽就企業の罵言及び之れに封ずる本邦人の關係に就いて調べて見ると左表の通り

である◎

投資壌としての横艮地の債薩二三

(23)

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(24)

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  備 考 ×内鮮外合同◎

 明治四十四年即ち日韓併合の翌年には朝鮮に本店を有する會杜の総籔は百五十二にして︑梯込資本額も僅に

一千五百九十萬九千八百二十五圓に過ぎなかったが︑昭和四年には其の数一千七百六十八︑彿込資本額は實に

三億一千六十二萬七百八十七圓に増加した︒即ち前者は約十二倍し後者は二十倍となったのである︒日韓併合

直後の會就企業の内︑本邦人のみの設立に係る臨のは百九にして︑落込資本額は五百萬圓に過ぎなかった︒其

の外本邦入が朝鮮人と合同して設立したる會杜数は十六︑聯繋資本金八百十萬圓あったが︑當時本邦人の朝鮮

に於ける投資はまだ極めて微々たるもので殆んど論ずるに足らなかったのである︒然るに其の後は年に依り多

少の浩長はありたるも︑概して言へば常に進展の傾向を示し︑途に昭和四年に至の本邦人のみの設立になる會

祉は千二百三十七となり︑彿込費本金額も一億九千三百七十飴萬園に上った︒即ち前者は十二倍し後者は實に

三十倍の増加であった︒其の外朝鮮人と共同しての會砒企業は其の撒百六十五にして︑彿込資本金も約九千五

百八十萬年置上った︒所謂内鮮人設立の選奨企業に於ける乗込資本額の内︑本邦人の出資に成るものが果して

幾何あるか明瞭に知ることが出置ないからして雲上企業として朝鮮に於ける本邦人の投資総額も明瞭でないけ

     軍費地としての植民触の債値      ご五

(25)

      二六

れども︑少なくも二億五千萬圓を下ら・ずと推定しても決して多きに失する推定ではあるまい︒織れを以て明治

四十四年頃に於ける會脱企業として本邦︑人の投資額約一音萬圓と比較するときは十八年聞に實に二十五倍の増

加である︒

 此の外朝鮮に支店を有する内地経界がある︒其の激は明治四十三年には僅に二十五であったが昭和四年には

九十八となむ︑佛込贅本金も六千五百二十萬園から八億八千九頁萬園となった︒此等佛込資本金の内幾何が朝

鮮の事業に投資せられつ㌧あるか全然之を推測することは幽麗ないけれども︑會就数が四倍とな肇たる勲より

老べて見ても其の額の少なくないことは想像される︒

 次に朝鮮に於ける工場に就て調べて見やう︒

 明治四十三年即ち韓國併合の年には︑職工五人以上を使用する工場激は僅に百五十︷にして其の資本金も七

百九十八萬圓に過ぎなかったが︑最近には次の如く増擁した︒

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(26)

   備 考 職工五入以上な使用するもの叉ぼ職工五入以下なるも原動力秘使罵するもの苦くぼ一ケ年の生塵債額五干圓以

       上のもののみ◎

 即ち此の期闇中に工場歎約三十五倍となり︑資本金は約七十倍となった︒實に目醒しき劇檜振りである︒此

等工場維螢と本邦人の關係に就て昭和三年の事實は明かではないが︑大正十四年︑昭和元年及び昭和二年には

工場資本金申本邦入の投資せるものが二億三千二百八十七萬圓と二億七千三十四萬圓及び四億九千百五十二萬

圓である︒即ち費本総額に楽し八七・六%︑八四・七%及び九〇・四%に相當する︒術此等工場よ夢の生産晶

儂額の内本邦人工場より生産したるものは︑大正十四年中は六七・二八%︑昭和元年には六二・六七%︑昭和

二年には六三・二四%であった︒私設工場の外朝鮮には官公署の輕古する工場がある︒若し此の種の工場の生

産品便額を以て本邦人工場の夫れに加ふるときは︑大正十四年には工場生産品総譜額の九三・=二%︑昭和元

年には八九・五三%が本邦人の投資に依り生産せられた愁のであることを知る︒

 以上述べたる二三の事例より考へて見ても︑現今朝鮮に於ける企業界は主として本邦人の手に成りつ製あり

と馨しても敢て過言ではあるまい︒早れ畢寛朝鮮が我が領土に併合せられたる結果に外ならないのである︒

 術朝鮮には民聞企業の外に朝鮮総督府の経螢する種々なる企業がある︒此等の官業に愛し國家は幾何の資金

を投入したるものであるか之を知るに適切なる資料は無いけれど︑其の牧入の多額なることよりして投資額も

亦莫大なりしことを推測することが出判る︒即ち次表の示す如く昭和元年度より昭和五年度に至る五ケ年間に

     投資地としての桶民地の償値      二七

(27)

      二入

官業及官有財産維常牧入は一億圓乃至一億四千五百萬圓であって︑総歳入に難し四九%乃至六〇%︑経常歳入

に封し六六%乃至七二%の多きを占めて居る︒

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 備 考 昭和元年度より昭翻三年度まぐぼ決算︑昭蒲魚年度及び汽年度は豫算︒

oゆ@朝鮮総督府統計書︒

 次に黒蓋に於ける本邦人の投資の歌況を調べて見やう︒豪灘に得しては朝鮮に關する程の資料もない︒依っ

て先づ私的資本の墓灘に於ける投資の一端を伺ふために藁灘に本店を有する株式會祉の彿込資本額を調べた︒      綬次表に示す如く大正九年より昭和四年に至る最近十ケ年聞の調べにては携諸費本額は三億園乃至三億四千鹸萬

(28)

圓である︒此の外に株式組織以外の會祉企業があり混入の企業竜ある︒此等企業資金の内︑本邦入の投資に關

するものが何程あるか全然これを知る事が出馬ない︒今射りに憂灘に本店を有する株式會就の内︑最も重要な

る製糖業及び銀行業に脅する竜ののみの蹴込資本を見るに︑次表の如く二億圓内外である︒極めて大ざっぱな

推定ではあるが︑終りに此の金額を以て本邦人が粒選に於て株式會祉組織の企業の下に投資しつつある資金で

あると機微すときは︑實際上の投費額に比べて決して多きに失する推定額ではあるまいと思ふ︒今假りに本邦

入の投資を以て二億圓とし︑之に封ずる利釜の割合を一ケ年一割となすときは︑一ヶ年二千萬圓の利釜が豪灘

に於ける株式會就組織に依る企業よりして本邦の投資家の手に期する理である︒携れ鍵盤が我が植民地となり

たる爲に生する一種の経濟的便値である︒

爵 正 九 年

大 正 十 年大正†一年大正十二年大正十三年 沸込資本纏額

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鷺憾蹴︑七六鰺㌦きご繍 製糖業及鍍行業に關する携込資本額

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豪灘にも亦朝鮮と等しく豪灘総督府が直接維坐する事業が澤山ある︒大正十二年度より昭和四年度に至る七

    投資地としての植民塊の三値       .        二九

(29)

       三〇

ケ年間に於て此等宮業よゆ生する牧入が総督府の総歳入及び経常歳入に封ずる割合等を見るに左表の通りであ

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『年

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大正+三昂度ご窯.轟ハ薦.七九七八瓦.雲瀧︑八κ山守︑ご○八︑融δ六鴬峯誉嚇七撃西

大正+四年度一充︑湘鳳九︑八七六九二︑Ω糞︑慧﹃六八︑藝薫︑熔炉七藝三闘六九6二

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昭瀦騰年度

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  備 考 大正十二年度鼠昭瀦元年度叢では決算︑昭和二年度及三年度は窺計︑昭覇四年度は豫算である︒

 前表によれば七ケ年間に於ける官業維常購入は︑六千三百萬圓乃至七千八百萬圓であって其の額決して少い

とは去へない︒而して此の種の牧入が総督府の経常歳入に封ずる割合を見るに︑六九%乃至七七%であって経

常歳入の大部分を占め︑総歳入に封して竜五三%乃至六五劣に相思し︑馨選総督府の歳入の最も重要なる部分

は官業であって︑姦灘の財政は朝鮮に於ける場合と等しく官業繋柱に基を置いて居るのである︒斯かる重要な

(30)

る官業に封し從來我が母國が幾何の資金を投入したものであるか︑正確なる資料を手にしないから之を統計的

に立号することは出來ないけれども︑蓋し其の額の莫大なる竜のであることは推測するに決して難くないので

ある︒ 斯くの如く我が國の植民地たる朝鮮及び姦灘の二例を採りて研究しても︑植民地が母國の投資地として極め

て大切なる役割を演じつつあることを誰明する︒朝鮮・憂灘の如き既に或る程度まで文化の獲愛したる先佳民

族の多激卸する虚に於てすら罷りである︒若し潤れ樺太の如き全然我が民族の手に依りて開獲せられつ曳ある

植民地にては︑之が烏鳶に必要なる資金は総て皆母國の資本に依りつ蕊あることは云ふまでもない︒

 最後に母國の資本を植民地の事業に投入することに依り母國の繧盤景は如何なる影響を被むるかに就きて考

へて見たい︒此の問題は種々なる前提の下に考察する必要があるからして以下数多の項に分って之を学ぶるこ

と製する︒

 一︑母國の資本が植民地の事業に投入せらる玉場合には其の額の多少を問はす︑投入したる額だけば母國の

金融市場よりして引き出さる箋ものであるからして︑母國に於ける事業に投資し得べき資金は其の額だけ減少

すること玉なる︒植民地への投資額にして餓り多額に上らない限り之が篭めに直接母國の経濟界に及ぼす影響

     投資地としての植民地の儂値      一一=

参照

関連したドキュメント

︵原著及實鹸︶ 第ご 十巻   第⊥T一號   ご一山ハ一ご 第百十入號 一七.. ︵原著及三三︶

 一六 三四〇 一九三 七五一九八一六九 六三

七圭四㍗四四七・犬 八・三 ︒        O        O        O 八〇七〇凸八四 九六︒︒﹇二六〇〇δ80叫〇六〇〇

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チ   モ   一   ル 三並 三六・七% 一〇丹ゑヅ蹄合殉一︑=一九一︑三二四入五・二%三五 パ ラ ジ ト 一  〃

〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」

モノーは一八六七年一 0 月から翌年の六月までの二学期を︑ ドイツで過ごした︒ ドイツに留学することは︑

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