マルサスの職孚及び移植民論
ー"民族圏璽と國際人ロ問題"の滑極的一篇としてー
南亮三
郎
一︑一序説
二︑入口塘加の妨げとしての戦争・
一二︑原始狩猛民族の醐棚箏性
四︑古代牧畜民族の大移動と翻孚
五︑民∵族移動後の欧洲世界とアジア近代の牧畜民族
六︑戦争による入命破壊とその補填作用
七︑移植民の数⁝果と建設途上の困難
八︑綜括と若干の批剣論織
九︑入口政}策の軸粉飾一と眞の國[防⁝國家(結語)
マルサスの戦寧及び杉植民論(南)︺七五
一七六
一︑序説
㌧こ製で少しく本稿執筆の動機について述べることを許されたい︒
顧みれば入口問題を歴更問題として把握しようとする私の見地は︑すでに奮拙著の一たる﹃人ロ理論と人ロ
問題﹄(昭和+年︑千倉書据)に於いて高揚せられた所である︒その序文の中で私は︑特に﹁同攻諸學者の注意を
乞はんと欲する﹂二黙を指摘し︑︑その一として︑﹁人ロ問題をもつて歴史問題と見るとと︑從つて人口理論は歴
史理論との關聯において︑'もしくは歴史理論そのものとして︑考察せられね臓ならぬといふことである︒入ロ
現象は本來自然稜生的な現象でありながら︑吾々の眼にうつる限りにおいて︑それは肚會現象であり︑歴史現
象である︒人類の歴史は人ロの増減運動としてみつから具現する︒人ロ運動を通じて︑人ははじめて︑入類歴
め史の棘秘を探りうるであらう﹂と書き留めた︒
當時私はマル争ス理論の再吟味に着手してゐたが︑右に謂ふ﹁歴史問題としての人ロ問題﹂の着眼は必箏.し
もマルサス學読とのみ繋がれてゐるのではなかつた︒事實︑私は︑その奮著の中に於いそ︑まつ一箇の歴史理
論としての唯物史観の構造中に﹁人ロ﹂が如何なる地位を占むべきかを検討し︑(第二章)次いで梢や積極的に
﹁歴史震の動力としての人・﹂を論述七たのであつた(第三章)コ然しながら︑構想上の導きの糸となつたも
のは無論マルサスの思想であつたとはいへ︑その章に於けるマルサスの叙述は未だ極く一般的︑抽象的たるに
まつで︑わつかに次の如く読かれたに過ぎなかつたσ
り﹁マルサスの思想のうちでは︑人ロ増加には二つの側面が認められてゐた︒すなはち人ロ増加が現存の食物
範園内に阻か脚かか澄といふ℃器ωぞ︒な一面と︑それがまた食物範園の擾大を億轡かかといふ9a<⑦な一面と
が並び存してゐるわげであ惹︒しかも注意すべきことは︑マルサスが︑この二つの相反する側面を相互に何等
へもあへももヘヘヘへもヘへぬへの關係なきものとして璽はなく︑一つの連績せる・周期的に繰り返す運動として把握してゐたことである︒彼
れがコンドルセーに徹つて︑幸幅(或ぴは人口)に關する﹃退歩的及び進歩的運動﹂器肩︒砂q雷畠o碧傷嘆o碧︒︒・ω7
ロ りのく︒ヨ︒く⑦ヨ⑦暮︒︒と呼び︑または簡輩に噛人口の﹃掃動﹄8︒竃豊︒昌と稽してゐるのがそれであるゆL
奮著の︑残りの諸章︑︑特に第五及び第六の爾章は右の思想の展開を志したものであつた︒けれどもそれは︑あ
︑くまでもマルサス學読のキ味に即しての一展開であつて︑﹁歴史問題としての人ロ問題﹂を現實的泥確誰しよ・うと志ざされたものではなかつた︒.思ふにこの問題の取扱ひに︑人類の歴史を民族圖争の歴史として見ること
によ少︑若しくは民族岡争を契機として人類史を讃み直すことにょつて︑一暦具燈的な成果に達し得べきもの
であらう◎尤も私は︑前掲拙著の中で︑すでにこの黙にも詮き及び︑﹁諸民族の歴史を場所と食物とのための
の永久の圖争﹂と解せるエルスターの一論稿を,紹介し︑そして最後に﹁人ロを輩なる量としてだけではなく︑本
・來そのもとに包撮されてゐた特定の質を浮場せしめて︑﹂.﹁このやうな見地から近代阯會に於ける﹃人ロ﹄を再
吟味し︑同時にまた﹃人ロの墜力﹄を軍に人口数の量的増加からではなくその質の憂化からも理解し始めるな
マルサスの戦争及び移植民論(南)治七七
︼七八
︑のらば,入ロをもつて歴史護展の根本動力となす見地の貫徹は必ずしも不可能ではあるまいと思ふ﹂と論結した
のであつた︒覧
時は少しく遅かつたと日はうか︑右の拙著が刊行せられるのと相前後して私は︑拙著に於けるとほ野同様σ
着想のもとに本問題の解明に親子二代の精力を傾けたるクーリッシャー兄弟(≧︒蚤巳g二民曽σq窪囚島︒・o冨H)
リヤの野望的な一著﹃職争及び移佳行軍︒i民族蓮動としての世界歴史﹄を︑手に入れ得たのであつた︒欧洲経
濟皮を學べる者にとつては﹁史家クーリッシャー﹂の名は親しいものΣ一つであらう︒こ玉にいふ﹁ク﹃リッ
シャー兄弟﹂とは即ち﹁史家クーリッシャー﹂の息であつて︑この一著はまさに彼等の父がその生涯を通じて
獲得したる一種の人ロ史観的着想から稜してその理論的展開を企てたるものである︒
この一著を机邊に置くことすでに久しく︑歳月はた穿徒らに流れ去るのみであつた︒その後私は︑﹃人ロ理
らざぐ論と國際貿易﹄(昭和+三年︑大同書院)を上梓し︑その申で﹁人口問題の克服形態﹂として聯か人ロ移動と職
争との意義を読いたが︑﹁職争と人ロ﹂を主題としての研究はなほ少しく後まで機會を得るに至らす︑そ
れは漸つと最近の﹃人ロ理論と人ロ政策﹄(昭和+五年︑千倉書房)で果されたのである︒この最近著の申で私は
屡々マルサスの職争観に鰯れる所があり︑例へば次のやうにそれを書き留めた︒ー
﹁マルサ入は嘗つて︑人ロ増加に封する妨ゆ0分類に於いて︑職争を以て主観的には︑︑く{8ごに︑客観的に
は..U8ぼく︒︒冨鼻..に薦するものとし︑結局︑周期的に起り來る職箏は謂ゆる.茄ξ︒話9巳碧け℃8三註︒5..を
一掃するものであるといふ風の論き方をした︒﹂﹁思ふにこめ論き方には二つの意味が含められてゐたρ一國・
一民族が領土狭隆で人口過剰となると︑より廣大なる他國・他民族の領土目差して進軍を開始する︒いは璽成
長的民族の自然必然的な生物學的爆嚢iこれがマルサスの第一の意味である︒第二の意味は︑職争は死亡を
辱り高めることによつてそれだけ國丙の過剰人ロの塵迫を緩︑和するといふこと︒云々﹂
然しながらhこれちの記述の翫含めちれたる﹃人ロ理論と入ロ政策﹄臓もともと職時人口問題の現實的諸相を
メ・主題としたものであつたかち︑マルサスに關する記述は勢ぴ表面的な描爲に止まり︑到底彼れの思想を全面的
に傳へ得たものではなかつた︒況んやグーリッシヤー兄弟の所論に燭れる機會もなく︑そこではた璽當面の
﹁職箏﹂に主たる關心が注がれてゐたのであつた︒ー﹂かくて別個の機會は待たれたわけである︒
本稿は即ち︑如上の維過と動機から稜して︑先づ﹃人ロ原理論﹄に潜められたるマルサスの⁝戦争及び移植民
論を詳しく探索することにょつて彼れの思想を整備し︑進みて後代諸學者の研究にも照らしながら民族岡争の
レ人口學的考察を途げんと意圖されたものである︒標記の副題ー"民族岡争と國際人口問題"ーqはその最初
の嵐圖を曙示するであらうQしかしながら︑私はいま︑本稿の完成のために多くの日時を投じ得ないし︑また
書き進めれば著しく長丈となる惧れもあるので︑こLでは取りあへすマルサスの部分のみを﹁消極的一篇﹂と
して提供することにした︒しかもこの限られた部分でさへが︑今は殆んど畳え書きの程度に︑無雑作に且つ急
速に書き流して行くの外はない︒讃者よ︑諒とせら働れよo
マ〃サスの戦孚及び移植民論(南)山七允
一八〇
ω向拙著﹃入口理論と入口問題﹄序丈二頁︒
②同上︑九六i九七頁︒・
ω同上︑九九ー一〇四頁〇一
ω同上︑=一〇頁︒
ω︑︾・昌●箪姿影島oび困ユoσq︒・"賃a乏9&o匿蒜o"︑≦o#σqo︒・o霞9δ巴印く窪冨号⑦器m琴σq}切Φ島置二●巨o首N貫H8N"
.働拙著﹃入口理論と國際貿易﹄二四〇ー二四五頁︒
切拙著﹃入佃理論と入口政策﹄九八頁︑︼三〇頁︒
=︑人口壇加の妨げとしての職孚
さて︑多くの護者はすでに︑マルサスが職争を以て入ロ増加に封する妨げ島8訂の一つとしだことは熟知し
てゐられる所である︒たが窃吾々は先づ順序として︑その妨げの初歩的論明から始めねばならない︒
﹃人ロ原理論﹄.第一篇第二出毒於いてマルサスは人ロ増加に野する種々なる妨げを読明したが︑彼れは先づ
この妨げを﹁窮極の妨げ﹂ζ三ヨ鉾︒︒ぽ舞と﹁直接の妨げ﹂ぎヨo島暮︒︒冨集とに匠別した︒前者は﹁人ロと食
物との異なる増加率から必然的に生する食物の不足﹂であつて︑﹁實際の飢謹の場合﹂はそれである︒しかし
この場合を除くと窮極の妨げは直接ρ妨げとはならない︒後者は﹁生存資料の佛底にょつて生じたるものと畳
しき一切の風習と一切の疾病と︑及び生存資料の佛底とは別の︑人盤を時ならぬに嚢弱せしめ破壊せしめる傾
きある精神的または肉盟的の↓切の原因﹂である︒かくてマルサスはこの様々なる﹁直接の妨げ﹂を︑周知の
口く馬メ̀
1︑豫防的妨げ箕⑦く⑦暮ぞ︒︒ぽ爵︒・.,
盈︑積極的妨げ客q︒三く︒9⑦︒す..
らキユに分類したのであるo
い︑♂亀職争は正に﹁この積極的妨げ﹂︑の一種とせられたが︑﹁人ロに野する積極的妨げは極めて多様であり︑それ
が罪悪より生すると困窮よ砂生するとを問はす︑人間の天壽を短縮せしめるに多少とも關係ある一切の原因を
包含する︒故にこの項目の下には隔一切の非衛生的なる職業︑過激の勢働と塞暑への曝露︑極度の貧困︑小見
む の榮養不良︑大都會︑凡ゆる種類の不撮生︑普通の疾病と流行病の全部︑職孚︑疫病︑及び飢謹等を数へるこ
わとが出來る﹂といふゐ
こ︑に於いてマルサスは﹁豫防的妨げ﹂と﹁積極的妨げ﹂との爾者を合し︑そしてこれを別の見地から再分
︑
類して︑‑
A︑罪悪三8,
B︑困窮﹃酵藁ノ
C︑道徳的抑制ヨ99器ω實巴暮
マルサスの戦孚及び移植民論(南)一入一