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現代の経営理念とその動向

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現代の経営理念とその動向

 目  次 第1節 序

第2節 伝統的理念と現代的理念   (1)経営理念の概念と類型   (2)伝統的理念

   (a)古典的理念

   (b)自由企業のイデオロギー    (c)伝統的理念の特質   (3)現代的理念    (a)経営者的理念

   (b)マッキンジー講師の経営理念    (c)現代的理念の特質

第3節 経営理念の動向   (1)伝統的理念への挑戦   (2)経営理念の新潮流   (3)現代的理念の必然性

第4節 経営理念論とその普遍的適用可能性   (1)経営理念論の普遍性と特殊性   (2)韓国の経営理念

第1節 序

企業は社会に適応し存続・成長していくためには,経営理念をもつことをを必要とする。

ところで,現代の企業にみられるところの経営理念を眺めるとき,そこに二つの類型を認 めることができる。一つは伝統的なタイプの経営理念であり,それは所有者の観点を強調 する。他はより新しいタイプの経営理念であって,それは企業ないし経営者の社会的責任 を強調する。いま前者のタイプの経営理念を伝統的理念と呼び,後者のタイプのそれを現 代的理念と呼ぶならば,今日の経済社会にあって支配的なものは伝統的理念である。

 しかるに企業と社会における諸変化の傾向は現代的理念がいずれ経営理念の主流となる

(2)

であろうということを示唆する。企業の大規模化,社会価値の変化,企業をめぐる利害関 係集団の多様化と強大化,政府の役割の増大,等の諸変化が伝統的理念に対し,挑戦を行

っているのであって,叫日の経営理念の主流は現代的理念であるとみてよい。

 現代の経営理念の動向を眺めるとき,以上のことを述べることができる。かかる主張は 現代の社会でかなりに一般的妥当性をもつと思われる。例えば,現代的理念は米国におい ても,また我が国においても,更には韓国においても意義を増すであろう。

 本稿では現代の経営理念の動向を検討することによって,以上のことを明らかにするこ とにしたい。

第2節 伝統的理念と現代的理念

(1)経営理念の概念と類型

 経営理念ないし企業理念とは,社会,企業,および企業経営に関して企業もしくは経営 者が抱くところの見解ないし信念である。すなわちそれは,企業もしくはその主体として の経営者の社会観企業観および企業経営観の総体である。かかる経営理念は経営哲学,

経営イデオロギー,経営信条,企業行動基準,等とも呼ばれるとともに,それはあるいは 社是や企業の公式的声明の形で明示的に,あるいは経営者の非公式的な個人的信条の形で 非明示的に存在する。

 経営理念の主要な役割ないし機能についていえば,その第一は企業において追求される べき目標と理想,および,目標達成にしてとらるべき方法を経営者と従業員に示すことに よって,かれらを方向づけならびに動機づけることである。その第二は,企業の存在と行 動を社会的に正当化すること,すなわち,企業の内外をめぐる多様な利害関係集団からの        1)

支持と承認を企業が得ることを助けることである。経営理念の役割についてサットンらは,

「緊張理論(the strain theory)」の立場からそれを,企業に対する利害関係集団の多様 な要求の問の対立が経営者に対してもたらす心理的緊張から経営者を解放せしめることと して理解しているが,経営理念の主要な役割としては上記の二つを挙げることができよう。

 経営理念の内容ないし問題領域についていえば,それは経営理念が企業ないし経営者の もつ社会観,企業観および企業経営観であることから,広範囲にわたることになる。す なわち,それは企業ないし経営者の社会経済体制観,企業観,経営者観,従業員観,消費 者観,政府観,企業経営観,等を含んでいる。前記のサットンらは米国の経営理念につい て検討を行っているが,その際にかれらは経営理念の内容を米国体制とその業績,米国の 企業,所有権の機能と報酬,経営者,企業と労働,経営者と顧客,競争体制の機能,政府 と企業,経済変動,貨幣・金融問題,および社会の諸価値といった諸項目によって説明し ているのであって,かれらの説明は経営理念が扱う問題領域が広範にわたることを示して

いる。

(3)

 現代の経営理念とその動向       39  かくの如き経営理念はその内容の記述に関して,ある程度具体的かつ詳細なものから高 度に抽象的なものにわたるさまざまな形態をとりうるが,一般にその内容はかなりに抽象 的であり,単純であり,しばしば一面的である。この点に関してサットンらは,イデオロギ ーとは他入の感情や活動に影響を及ぼすという目的をもって公表された信念の体系である

とともに経営理念はかかるイデオロギーであること,またイデオロギーは選択性(論議の 対象とする主題の選択において,また事実の引証において,更には,用いる論理において 選択的恣意的であること),過度単純性(その主題について単純明快なきめつけを行うこ と),用語(聴衆の愛憎心を換起し道徳的感情に訴えるために,意味ありげなシンボルを 用いること),および一般承認性(public acceptability)(一般大衆の有する価値感や感 性を無視しそれに逆うような概念もしくは用語を使用しないこと)といった特徴を有する          2)

ことを指摘している。

       3)

 以上,経営理念の概念について簡単に述べてきた。企業が社会に適応しつつ存続・成長 していくためには,それはかかる経営理念をもつことを不可欠とするといわねばならない。

ところで,現代の企業ないし経営者によって現実に抱かれているところの経営理念は,企 業の規模や業種,経営者のタイプ(所有経営者であるか専門経営者であるか),企業の成功 の程度,等によってその内容を異にしているとともに,それは二つのタイプに類型化しう るであろう。その一つは伝統的なタイプの経営理念であって,サットンらはそれを古典的       4)

理念(classical creed)と呼び,ペティットは利潤倫理(profit ethics)と名付ける。他 のタイプの経営理念とはより新しい種類のそれであって,それはサットンらにあっては経 営者的理念(managerial creed)と呼1まれ,ペティットにあっては社会的責任倫理(so−

cial responsibility ethics)と名付けられている。ここでは,これら二つの類型を伝統的 理念および現代的理念と呼ぶことにする。以下,本節では,かかる二種の経當理念につい て,ある程度詳しく眺めることにしたい。まず,伝統的理念をみることにする。

 (2)伝統的理念

伝統的理念とは,企業による利潤追求の至高性を強調し,企業による社会的責任の受け 入れを否定するところの理念である。それは伝統的に企業によって抱かれてきた理念であ るとみてよい。かかる伝統的理念の内容については,古典的理念に関してのサットンらの       5)

説明,および自由企業のイデオロギーに関してのデイヴィスらの説明が参考になる。ここ では,かれらの説明をみることにより伝統的理念のアウトラインを明らかにすることにす       鷺

る。

(a)古典的理念

 サットンらは,米国の経営理念を眺めるとき古典的見解ないし古典的理念と現代的見解 ないし経営者的見解とが併存していることを明らかにしている。かれらは既に示した如く 経営理念の内容を,米国の体制と業績,企業,所有権の機能と報酬,経営者,等の項目に

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 40

分けて説明するが,その際,これらの項目について二つの理念がどのような見方をとって いるかについて検討を加えている。ここでは古典的見方と経営者的見方の対比が明瞭な項 唱をとり上げ㌧そこでの古典的見方および経営者的見方を簡単に示すことにする?

(イ)体制観

 古典的見方は分権的,私的,競争的資本主義のモデルをもち,需要と供給の力が価格機 構によって作用し経済の巨細を調整するとみる。他方,経営者的見方は大企業の専門経営 者の役割を強調し,かれらが経済諸要因を支配し国民全体の福祉を達成せんとするとみる。

また,古典的見方では,米国の体制は時空をこえて同質的であったとみており,米国の創 設者の樹立した体制と現在の体制を同じとみる。この場合,経営者的見方は,過去50年間        7)

に基本的変革があったとして,現在の経済体制は過去のものとは全く異なるとする。

(ロ)企業観

 古典的企業間は企業の法的モデルから出ている。企業は所有者の財産処分権の行使であ るとみられ,その目標は最大利潤にあるとみられる。従業員,顧客,供給者,一般大衆は アウトサイダーとみられ,かれらとの関係において企業はその所有者に最も有利になるよ うな正当な契約・交渉をすればよい。経営者の役割は企業所有者に長期最大利潤をもたら すことにすぎない。但し,古典的企業の主な強調点はむしろ体制全体について,古典的経 済学の見方により個人の利己心が自由競争を媒介として社会厚生の最大化をもたらすと考 えるところにある。

 経営者的企業観は,上述の如き経済理論によって私的な企業決意が社会の厚生と一致す るとはみない。経営者的企業観では,個々の企業は公共の利益を配慮しなければならない とする。利潤追求は,さほど強調されない。企業が直接に公共の利益に一致するよう活動 するならば,私利追求が公共の利益と∵致することを説明するために競争機構を持ち出す 必要はない。古典的企業観の焦点が体制そのものにあるのに対して,経営者的企業観の焦 点は個々の企業にある。企業をせまい法的モデルに局限せず,企業がひとつの社会体系で あることを強調する。従業員,顧客,供給者はアウトサイダーではなくて組織の構成部分 であり,かれらと経営者との関係は,単にあるいは主として,契約的・経済的なものにと どまるのではない。所有者とくに株主は中心的地位を占めるものではなくなり,他の利害 関係集団と同位となる。経営者は所有者の代理人というよりもっと重要な自律的役割をも つことになり,企業の利害関係集団間を調整しそれらの正当な要求を満足させ組織の維持

を図り,公共利益を第一義と考える。

 経営者的企業観は個々の企業の力を重視しその力を公正に賢明に用いることを要求する』

価格,賃金,利潤の決定について正義と知恵の演ずる役割を強調し1経済的バランスを作 り出す経営者の決意を重視する。これは,古典的見方が企業を競争市場の需要供給の力の       8)

前に無力であるとみ,体制の自動的均衡機構を考えるのと対照的である。

(5)

 現代の経営理念とその動向       41 の 経営者観

 経営者観に関する諸領域のうち,古典的見方と経営者的見方の違いがとりわけ明瞭に出 ている領域は経営者の動機づけである。すなわち,経営者の動機づけについての古典的見 方は功利主義の伝統に根ざしており,これに経済学の支配的アングロ・アメリカ的伝統が 結びついている。そこでは動機づけに関する経済人仮説が採用されるのであり,利潤動機 が主張される。かくレて古典的見方によると,実業家がその企業の財務状態に関心をもつ のは自分の所得がそれによって決定されるからであり,金銭所得以外の満足源泉は無視さ

れる。

 他方,経営者的見方は企業の種々の責任を強調しており,道徳的責任感によって動機づ        9)

けられる経営者を考える。

←)労働者観

 古典的見解は,労使関係についてはそれを雇用者と被雇用者の問の対等の市場取引きと みる。すなわち古典的見解は労使関係を法的には,対等な個人間の自発的契約とみるとと

もに,経済理論的には,買手と売手の間の市場取引とみる。他方,経営者的見解は,労使 関係を権限と階層の組織における規律関係であるとみ,企業を人間関係体であるとみる。

 企業と従業員の統合に関しては,古典的見方が賃金を従業貝の動機づけの中心に置く一 方,経営者的見方は非金銭的精神的刺激としてのコミュニケーション,理解,教育といっ        10)

たものを動機づけ要因として重視する。

(ホ)政府観

 古典的見方も経営者的見方も,政府観に関して大きな差はない。政府の権力は出来るだ け制限し,その権力行使も制限すべきであるというのが経営理念における基本的命題であ る。とはいえ,とりわけ財政政策に関する場合のように,古典的見方と経営者的見方では 政府観が異なることもある。

 すなわち,古典的見方では,生産的で創造的なのは個人の活動と自発的団体だけであり,

政府の真の機能は個人の自由を維持促進するに必要な行動をとることにある。政府はゲー ムのルールを執行するだけであり,ゲームのルールを作るのではない。このルールは競争 体制のもつ自然のルールであるからである。このように政府の主な職責はアンパイアのそ れであるが,そのほかに,政府は一定の積極的な行動をとっても差し支えないとともに,

古典的見方ではこの範囲は狭く限定されている。

 他方,経営者的見方では,政府が担当するに適当である機能はもっと広く考えられる。

       11)

特に,政府の財政支出  景気変動を緩和する意図のそれ  の意義を認める。

 (b)自由企業のイデオロギー

 デイヴィスらは米国のひとびとの大部分が心に深くとどめており,経済的ならびに政治 的生活についてのその思考を導くためのゴンパスもしくは道路地図として奉仕していると ころのイデオロギーとして,自由企業のイデオロギー(the ideology of free enterprise)

(6)

を挙げている。

 デイヴィスらによるとかかるイデオロギーは米国社会の伝統的なそれであり,それは自 由市場経済ないし自由企業制度を信奉するとともに個人主義と自由,私的所有と利潤,機 会の平等,競争,労働倫理,自然法則と限定的政府といったものの重要性を強調するとさ れる。自由企業のイデオロギーを構成する諸要素をデイヴィスらに従って眺めるならば,

つぎのようである。

(イ)個人主義と自由

・個人主義は,個人が社会およびその諸制度よりも重要であると信ずる。社会の制度は個 人の利益の保護と促進のために存在するのであり,個々のひとびとの福利の総計が社会の 福利である。

 かかる個人主義の概念は,自由の概念と結びついている。すべての個人は,自己の利益 を促進ならびに保護すべく自由でなければならない。経済問題に関してはかれらは,財産 の所有および他者との契約を自由になしうるべきであり,社会制度はこの個入的自由(選        12)

択の自由)に干渉してはならない。

(ロ)私的所有と利潤

 自由企業のイデオロギーにあっては,私的所有ないし私的財産制度が強調されるが,所 有についてのかかる概念は財産についての17世紀のジョン・ロックの概念にさかのぼりう る。ロックによると,財産は個人の衣食等のために必要であり,財産の所有は自己の運命 を自身で支配することを可能ならしめるのであって,かくして私的所有は個人主義を強化 し自由な選択を維持する。かれはまた,財産はひとの努力の結果として生ずるとする。

 財産の概念と利潤の概念は,密接に結びついている。利潤は,財産を生産的目的に用い        13)

るところの所有者への支払である。

の 機会の平等

 すべてのひとは平等に創られているという米国独立宣言におけるトーマス・ジェファー ソンの言葉は,独立当時の米国のひとびとの一般的考えであって,また当時の社会では多 数者への社会的ならびに経済的平等がかなりに存在していた。かくして平等な機会なる概 念は初期の米国社会に根づき,自由企業イデオロギーの柱の一つとなっている。

 機会の平等なるイデオロギー原則は,今日も大部分のひとびとの意識に確固として存在 するのであって,1960年代および70年代にはそれは雇用,住宅,教育,公共施設,決定へ        14)

の参加に関して婦人グループおよびマイノリティ・グループによって声高に主張された。

←)競争

 自由企業のイデオロギーで最重視されるものは,競争である。競争の意義が強調される 理由の第一は競争は社会のすべての市民に高水準の経済的業績を奨励することになるとい

うものである。

 第二に,競争は最適者を社会のリーダーシップの地位につかしめ,最大多数への最大善

(7)

 現代の経営理念とその動向      43 をもたらすというハーバート・スペンサー流の論理が存在する。スペンサーは自然選択に より最強にして最適のもののみが存続するというダニウィンの見解に基づいて社会ダーウ ィニズムを提唱しており,環境への干渉がないならば最も有能なひとが自然選択によりリ ーダーシップをとるとみる。

 第三に,競争は少数者の手に権力が集中し続けないようにせしめるのであり,それは社 会的,政治的,経済的諸システムの規制者であるとされる。

 第四に,活気ある競争の下では自利追求的な個人は社会的目的へと向けて方向づけられ ることになるとされる。見えざる手が自由市場の諸行動を導き,経済的正義と機会の平等       15)

とをかなりに保障するのである。

(ホ)労働倫理

 自由企業のイデオロギーでは,労働倫理が強調される。労働倫理は,労働それ自体が賞 讃されるべきものであり,個人的にも社会的にも価値があると述べる。それはプロテスタ ント革命時代からの遺産であってプロテスタントの倫理とも呼ばれるが,労働倫理が社会 に根づいた原因はかかる宗教的理由の他に,人的労働の必要性およびフロンティアの拡大        16)

という初期の社会情勢を挙げうる。

の 自然法則と限定的政府

 イデオロギーでは,経済と政府についてのアダム・スミスの見解が主張される。

 スミスは自然の法則が人間を支配していることを強調するとともに,経済システムの作 動に関する理論として需給の自然法則を提唱する。かれはいう。ひとは生来利己的であり,

また合理的であって,経済はこれらの自然本能が自由に発揮される仕方で組織化されるべ きである。その場合にひとびとは,良く働き,財と用役を生み出し,富を蓄積する。競争 という見えざる手が経済問題を規制するならば,国家は各市民の,ならびに国全体の厚生 を最大化しうる,と。

 かれによると経済の成功の鍵は,自然法則の拘束されざる作動である。いかなる制度も,

自然に対し干渉してはならない。最も重要なことは,政府の法や助成を自然の経済法則の 前に立ちはだからせるなということである。経済システムは,自然に動くがままにさせね ばならないのである(レセ・フェア)。

 かかる限定的政府なるスミスの理念は,今日も依然として社会で選好されている。経済 的繁栄を自然の法則に依存せしめうると信ずるひとびとは少なくなってはいるものの,多

くのひとびとが経済への政府干渉に反対するのである。レセ・フェアは依然,普遍的な信 条であり,自由企業イデオロギーおよび個人イデオロギーの重要な要素であるy)

(ト)自由市場

 自由企業のイデオロギーにおける諸原則のすべては自由市場なる制度へと合体している のであり,舳企業のイデオ・ギーは舳楊の主弓長となって現練る『)

 以上,デイヴィスらに従って自由企業のイデオロギーとその構成要素について眺めた。

(8)

かれらによると自由企業のイデオロギーの諸構成要素は,すべてしっかりと組み合わさっ ている。利潤は財産の生産的利用を動機づけ,財産は個人の経済的自由の防塁である。個 人が市場で自由な選択を行うとき, その個人的福祉は最大化されるとともに,その総計 は社会の福祉と等しいのである。デイヴィスらは,自由企業のイデオロギーのそのような       19)       20)

鎖状効果の幾つかを図1のように示している。

図1 自由企業のイデオロギーとその構成要素(デイヴィスら):

     自由企業の諸理想は自由市場によって結びつけられ企業イデオロギーを形づくる

要請する

奨励する

限定され

た政府

利潤

 動機づける

労働 倫理

生み出す

自然

、法則

干隈

競争

自由市場

私有 財産

自由

防塁である

導く 平等な

機 会

個人桜山進ずる

主義

基づく

 (c)伝統的理念の特質

 これまでのところでは,サットンらおよびデイヴィスらに従って,米国の企業において 伝統的に抱かれてきた経営理念についてその概要を眺めた。

 かかる経営理念の特質は,その体制観および企業観のうちに明瞭である。この理念にあ っては,企業の所有者の観点が強調されるのであり,所有者への長期最大利潤の獲得のみ が企業の目標とされる。従業員,顧客,仕入先,および一般大衆等といった所有者以外の グループは企業の外部者とされ,企業はかれらに合法的な契約と取引の履行以外の責任を 負わないとされるのであって,企業は所有権と契約関係の観点から定義される。理念にあ っては私有財産の権利ならびに企業の自由の権利への依存がみられるとともに,古典派経

(9)

 現代の経営理念とその動向      45 済学の理論への立脚が存在するのであって,私的営利への専念は社会福祉への奉仕と一致 することが主張される。

 ここでは,かかる特質をもつ経営理念を伝統的経営理念ないし伝統的理念と呼ぶことに する。伝統的理念の基本的な特色は,それが利潤の最大化は社会的にみて正当かつ望まし く,また所有者以外のグループに対するいわゆる社会的責任の企業による積極的受け入れ ば利潤の最大化と両立しうる限りでのみなされるべきであるということを主張する点にあ る。この種の伝統的理念は,米国以外の資本主義諸国においてもその存在を認めることが できるであろう。

 (3)現代的理念

 現代的理念とは幾つかの点で伝統的理念とは対照的であるよつな経営理念をいっ。それ は企業を社会の制度としてとらえ,企業の社会的責任を強調する。以下,サットンらの経 営者的理念およびマッキンジー講師の経営理念を眺め乍ら,その特色を示すことにしたい。

(・)経営者的三吟

 サットンらは営利の追求を強調する古典的理念と並んで,企業の社会性を強調し企業の 社会的責任を主張する経営者的理念の存在を明らかにしている。経営者的理念については       21)

既にその内容の一端を眺めてきたが,ここでは簡単にその特質を示すことにする。

 すなわち,かかる特質についていうならば,経営者的理念にあっては企業による公益へ の配慮の必要性が強調され,一つの社会的システムとしての企業が強調される。従業員,

顧客,および仕入先は,企業組織の有機的な構成要素であって株主とともに企業に対し正 当な要求をもち,経営者は企業に依存するこれら直接的グループの利害を調整しかれらの 正当な要求を満たすとともに,同時に,私企業は社会よりの委託物であるとして一般大衆 の利益を至上とみていかねばならない。企業は,その強大な権力の正当かつ賢明な行使を 要請ざれ,それは,その価格,賃金,および利潤を正義と賢明さにのっとり決定せねばな

らず,古典的理念が経済システムの固有な作用の結果として自動的}こもたらされると想定       22)

するところの均衡を自ら創造せねばならないのである。

 この場合,利潤の地位および経営者の役割の面から経営者的理念の内容を更に述べるな らば,つぎの如くである。すなわち,古典的理念と異なって経営者的理念では私益が企業 の唯一の指向対象たるべきではないとされる。過度の利潤は不正であり,経営者は株主に のみならず従業員,顧客,および一般大衆,等にも道義的責任を有するのである。また,

経営者は,企業の成果に対する競合的な要求を均衡せしめねばならず,従業貝の個人的問 題への配慮をも示さねばならないのであって,その役割についての伝統的見方は修正され ねばならないとされる。経営者の業績の判断は,株主への奉仕の程度によってのみならず,

従業員の間の人間関係の充実,科学的ならびに技術的な面での進歩,消費者への新製品提 供における進歩,および地域社会へのその寄与,等のいかんによってもなされる必要があ

(10)

るのであり,企業の経営は専問的な職業なのである㌍

 (b)マッキンジー講師の経営理念

 米国のマッキンジー経営研究財団(the Mckinsey Foundation for Management Re−

search)は,1956年以降,コロンビア・ビジネス・スクールで米国の代表的企業の経営者 の幾人かによる講演会をもったのであるが,これらの経営者(マッキンジー講師といわれ る)の主張は,経営理念の新しい傾向を示している。

 かかる主張の内容の一端をみるとつぎのようであるぞある経営者はいう。「企業の所有 者は利潤最大化のためにその財産を思うがままに用いる権利をもつという古い概念は,所 有権はある拘束的社会義務を担うという信条へと進化するに至っている。今日の経営者は 所有者のための,のみならず,労働者のための,そして実にわが社会全体のための受託者 として奉仕する。……会社は,株主,従業員,顧客,およびパブリック全体の諸要求の間 で公平なバランスを維持するというその責任に鋭く気付くに至っているのである智あるい は,つぎのような発言が見られる。「企業と政府は,敵対者たるわけにはいかない。われ われの利害は甚だ共通的であり,また,われわれへの挑戦が甚だ恐るべきものであるから して,現代はわれわれの同盟の強化を要求している。それぞれの成功は大いに,他者に依        26)存する。今日,企業と政府はそれぞれ,相手の問題に係わり合うようになりつつあるdま

た,以下の如き発言もみられる。「現代の会社の時代にあっては経営者は,成長と開発 の機会をひとびとがもっことを確実たらしめるための明確な方策をとらねばならない。さ もなくば,かれらの余りにも多くのものが,組織の込み入ったプロセスの中で道に迷って しまいそうである。これが,今日の経営者の主要な責任の一つであり,そのひとびとに対        27>してのみならず,われわれの自由社会に対する責任であるd

 これらの主張から窺い知られうるように,マッキンジー講師が示す経営理念は,伝統的 理念とかなりに内容を異にしている。ハイルブローナーはマッキンジー講師の経営理念に ついて分析を行っているが,かれによるとかかる経営理念はつぎの五つを強調していると

   28)

される。

 1.新しいイデオロギーは 現代的 資本主義と 旧式 資本主義の間の区別を強調す る。すなわち,マッキンジー講師にあっては企業は19世紀後半の,初期の搾取的な資本主 義の場合よりも,より責任あるように,ならびにより社会的知覚を有するようになってい

るとされる。

 2.新しい資本主義の特徴となる印は,専門経営者の責任である。すなわち,会社によ って影響を受けるところの多様なグループの利益の受託者として行動する専門経営者が企 業における中核的要素であるとされる。

 3.大規模組織の必要性が,明示的に認識されている。すなわち,大会社は現存してお り,社会に対し多くの経済的ならびに技術的利益をもたらしているとされる。・

 4.新しいイデオロギーは,人間的価値を強調する。すなわち,人間的価値が経営決定,

(11)

 現代の経営理念とその動向      47 とりわけ従業貝に関連するそれらにおいて より強調を与えられるべきであるとされる。

 5.新しい正当性が,労働と政府の役割に与えられる。すなわち,労働組合と政府(そ れらは企業の伝統的な敵対者である)は重要にして正当な機能を有しており,企業は盲目 的に反対すべきではないとされる。

 (c)現代的理念の特質

 サットンらの経営者的理念およびマッキンジー講師の経営理念は,伝統的理念と多くの 点で対照的な経営理念が今日の企業社会において登場するに到っていることを示している。

かかる新しい経営理念は,企業の巨大化および所有と支配の分離を認識し,所有者以外の ものからもなる一種の社会システムとしての企業に焦点を当てるのであって,それは企業 の社会的責任を強調し専門経営者の利害調整的役割を強く主張する。それは伝統的理念と 異なる経済観に立脚するとともに,政府観および労働観についても伝統的理念と対照的で ある。そのような政府観および労働観に関して更にいうならば,伝統的理念における政府 観にあっては,政府の基本的役割は競争の維持であるとされ,経済の安定成長の自動的実 現が説かれ政府財政の拡張は望ましくないとされるが,新しい理念にあっては政府の経済 的役割が認識され,政府との協調の必要性が認められる。また,伝統的理念においては労 働組合は否定されるとともに財産管理への経営者の権利が強調されるが,新しい理念にあ っては,従業員への配慮および非経済的な動機づけ要因への認識がみられ,るとともに組合 の存在の受容への傾向が認められるのである。

 かかる新しい経営理念の基本的特質は一口でいえば社会的責任の強調であるとみてよく,

ここでは,企業の社会的責任を主張するそのような理念を以って現代的理念と名付けるこ とにする。この現代的理念が今日の米国において顕著に認められることは既に眺めた如く であるが,それはまた米国以外の資本主義諸国においても認められうると思われる。

(注)

(1)Francis X. Sutton et al., American Business Creed,1950(高田馨,長浜穆良訳「アメリカの経営  理念」,昭和40年).

(2)Ibid., P.2ff.(同訳書,3頁以下).

(3)経営理念の概念については拙著「現代企業の社会的責任」,昭和51年,96頁以下を参照。

(4)Thomas A. Petit, The Moral Crisis in Management,1967(土屋守章訳「企業モラルの危機」,昭和  44年).

(5) Keith Davis et al., Business and Society:Concepts and Policy Issues,4th edition,1980.

(6)以下のサットンらの見解については前掲拙著,98頁以下,および高田馨「経営目的論」,昭和53年,

  58頁以下を参照。

(7)F.X. Sutton et al., op. cit., pp.33〜5(前掲訳書,24〜5頁).

(8)Ibid., PP.57〜8(同訳書,40〜1頁).

(9)Ibid。, P 99 ff.(同訳書,71頁以下).

(12)

(10)Ibid., p.108 ff.(同訳書.79頁以下).

(11)Ibid., P.184 ff.(同訳書,140頁以下).

(12)K.Davis et al., P.189.

(13) Ibid., P.190.

(14) Ibid., PP.191〜2.

(15) Ibid., PP.193〜4.

(16) Ibid., PP,194〜5.

(17) Ibid., P{),195〜6.

(18) Ibid., P.196.

(19) Ibid., P。191.

(20) Ibid., PP.190〜1.

⑳ かかる特質については,前掲拙著,99頁以下を参照。

(22)F.X. Sutton et al., oP. cit.,PP.59〜8.

(23) Ibid., PP.356〜7.

(2の この点については前掲拙著,101頁以下を参照。

(25)David Rockfeller, Creative Management in Banking,1964, PP.22〜・3.

(2㊦James M. Roche, Understanding:The Key to Business Government Cooperation, Michigan   Business Review, Vol.21(March 1969), P.6.

(27)Theodore Houser, Big Business and Human Values,1957, P.6.

(28)Robert Heilbroner, The View from the Top , in Eare F. Cheit ed., The Business Establi−

  shment,1964, PP.1〜36,およびK. Davis et al., oP. cit., P.200。なお,ハイルブローナーによる   要約についてはその説明が高田教授によってなされている(高田町前掲書,64頁以下)。

第3節 経営理念の動向

 (1)伝統的理念への挑戦

 前節では,今日の企業における理念を眺めるとき伝統的理念と現代的理念といっ二つの 類型を認めうることを明らかにした。本節では,現状では伝統的理念が支配的であるにし ても,企業と社会における諸変化の傾向は現代的理念がいずれ経営理念の主流となるであ ろうということを明らかにしたい。

 さて,現代の社会において企業ないし経営者の多くによって信奉されている理念は,現 代的理念であるというよりはむしろ伝統的理念であると思われる。この点についてサット ンらも,経営理念における体制観に関連しつつ,古典的見方と経営者的見方のうち前者が 経営イデオロギーでは基本であり,後者はひとつの変種であり未だ十分完成したものでは ないとしている2また,高田教授にあっても,専門経営者と所有経営者を通じて,経営者

的見解 (サットンら)=・現代的理念=社会的責任理念の支持者は少数であることが指摘され

(13)

 現代の経営理念とその動向       4獲 ている1)このように伝統的理念は今日、においても依然,主流の地位を占めているとみてよ いが,しかしながら,かかる状況をいずれ変えると思われるような社会変化が生じるに至 っているのであり,伝統的理念は挑戦を受けるに至っている。

 かくの如き挑戦がなんであるかについては,まず,デイヴィスらの見解が参考になる。

かれらは,イデオロギーがその力を失わないためには,それは,時代に遅れないことを必 要とすると述べたあと,前述の自由企業のイデオロギーが企業と社会における数種の主要 な変化によって厳しい挑戦を受けてきていることを指摘する。すなわち,かれらによると

自由企業の理念の有効性と信頼性への疑問が提起されているのであって,理念への主要な        3)

挑戦としては以下のものが挙げられる。

 その第一は,大企業の成長である。大企業の成長と19世紀におけるその乱用とは,競争 が適切に働いていないというパブリックの確信へと導いた。ますます多くのひとびとが,

公正な価格,平等な機会,権力のチェック,等への競争の能力に疑問を提示したのであり,

かくして反トラスト法が制定され政府の権力の拡大がみられるに到った。

 第二は,1930年代の大恐慌である。大恐慌はレセ・フ土アへの弔鐘を鳴らしたのであり,

失業救済等のための政府による計画と規制が増大したのであって,経済的自由と個人の自 由への侵害が行われた。

 第三は,二つの世界大戦である。それらは,政府の規模と経済への政府のインパクトと を拡大せしめた。

 第四は,大企業,大労働組合,大規模な農業企業,福祉国家,巨大な教育機関,巨大な 宗教組織といったものから構成される組織化社会の出現である。かかる社会は求人主義と

自己信頼の概念に挑戦したのであり,諸組織への忠誠と参加とが独立独行のやり方よりも より重要な生計確保の方法となった。

 第五に,1960年代および1970年代の社会的関心事が企業イデオロギーに挑戦した。環境 汚染と資源の枯渇の可能性とが,自由企業の無限の経済的拡張を脅かした。婦人グループ やマイノリティらは,機会の平等が存在していないと主張した。多くの従業員が仕事に不 満を表明し,伝統的な労働倫理に背を向けた。消費者運動が競争の有効性と公正とに対す

る社会的疑惑を広めた。

 第六に,多くのグループによる政府干渉の提唱である。価格保障を求める農業団体,最 低賃金の確保を要求する労働者,経済安定を求める大企業,等はその例である。

       4)

 デイヴィスらは,自由企業の理念へのこれらの歴史的圧力を図2のように示している。

そしてかれらは,これらの圧力の結果は伝統的な企業イデオロ・ギーに対する重大な侵害で あるという。諸グループは伝統的イデオロギーの少しずつの修正が必要とみ,社会も承認

したのであるが,その結果の総計は自由企業のイデオロギーの基盤の腐食であったのであ

 5)

る。

 以上のようなデイヴィスらの見解は米国の社会に関連するものであるが,それは伝統的

(14)

図2 自由企業のイデオロギーへの諸挑戦(デイヴィスら)

 第1次 大戦および 第2次大戦

(1914〜1918 および1939〜

  1945)

天企業の 成  長

(1860〜1910)

大恐慌

    個人主義      の減劣

組織社会

(1920s〜現在)

剃よ幅

 由企業の イデオロギー

    耀駿会.

インタレスト・

グループの要求

(1850s〜現在)

  関心

(1969sおよび  1970s)

理念に対して挑戦を行ないつつあるところの社会変化を理解するための手掛りを提供して

いる。

 ところで,既に顕著に生じている,もしくは生じつつあるところのそのような変化につ いての他の有力な手掛りとしては高田教授の所説を挙げてよいと思われる。教授はこれか らの企業経営においては,社会的責任指向の経営理念が重要性をもつであろうとされるが,

教授にあっては社会的責任理念の重要性のそのような増大をもたらすところの,既に現出 していて近い将来にわたっても重要性をもつ要因として三つのものが挙げられている。そ          6)

れらはダニエル・ベルの主張する経済性指向様式(economizing mode)対社会性指向様       7)

式(sociologizing mode),利害関係者集団多元主義,および政府の役割の増大である。

ここに経済性指向様式対社会性指向様式とは,ベルが脱工業社会の重要問題として経済性 指向ないし物質的価値指向と社会性指向ないし非経済的価値の指向とのバランスをとり上げ ていることに関連する。すなわち,ベルによると企業は経済性指向から社会性指向の方向に 次第に動いているのであり,職務による満足,少数民族の雇用,給与較差,地域社会への責 任,環境への責任,等を重視する方向に向いつつあるとされるとともに,企業は社会の経 済的欲求と非経済的欲求の両者の充足を期待されているとされるのであるが,教授にあっ てはこのような社会動向は経済的責任と非経済的責任の両者を含む広義の社会的責任の意 義を強調するものであるとされるのである。

 デイヴィスらや高田教授の見解を参考にするとき,伝統的理念に対して挑戦を行いつつあ るところの今日の重要な変化のうちの主要なものは,少くともつぎのものを含むように思

(15)

 現代の経営理念とその動向      51 われる。それらは,企業の大規模化,社会の価値観の変化,多様な利害関係集団の台頭と その強大化,および政府の役割の増大である。

 ここに社会の価値観の変化とは,社会のひとびとの行動目的とされる価値,ひとびとと 組織の関係を律する価値,あるいは分配を律する価値といったものに変化が生じつつある ことを指す。例えば,目的とされる価値における変化についていえば,今日の社会にあっ ては一方で所得や富の如き物質的,経済的価値が依然として重視される一方,仕事の満足,

       8)

環境の美,等の非経済的価値が重視される傾向にある。現代の社会において利害関係集団 の増大と強大化が認められること,ならびに政府の経済的ならびに非経済的役割が増大し ており産業への政府の干渉と規制が増加していることについては,改めて指摘するまでも ないであろう。企業と社会における以上のような主要な変化が今日生じてきており,それ は伝統的理念と異なる経営理念の受け入れを今日の企業と経営者に要請しつつあるのであ

る。

 (2)経営理念の新潮流

 社会と企業における上述の諸変化が今日,伝統的経営理念に対して挑戦を行っており,

かくして経営理念の主流はいずれ伝統的理念から現代的理念へと移行するとみてよい。と ころで,伝統的理念はともかくとして現代的理念の全体像は,論者において必ずしも明確 でない。前節ではサットンらの経営者的理念およびマッキンジー講師の理念を眺めること によって,現代的理念の概要の把握を試みるとともにそのような理念の特質を社会的責任 指向性のうちに理解したのであるが,現代的理念像の明確化のためには更に検討が必要で       9)

あると思われる。さればつぎに,ロッジの所説を眺めることによって現代的理念のより一 層の理解のための一助としたい。かれの所説はまた,伝統的理念から現代的理念への移行 の必然性をわれわれが認識することをも助けるであろう。

 さてロッジはその著「新しい米国のイデオロギー」において,今日の米国社会にあって は伝統的なイデオロギーに代って新しいイデオロギーが台頭しつつあること,そしてこの ことは自由企業のイデオロギーに代えてより新しいイデオロギーを企業がとることを要請 しつつあることを指摘する。

 すなわち,かれはジョン・ロックによって17世紀に英国で唱えられ18世紀に米国に導入 されたところの諸概念から構成される伝統的なイデオロギーをロック主義と呼ぶ。伝統的 ロック主義のイデオロギーは,五つの構成要素から成る。それらは個人主義財産権,競 争,限定国家,および科学的専門化と細分化である。ここに個人主義とはコミュニティは それを構成する個人の総和に過ぎないという概念である。この個人主義に密接に結びつく 付随的概念は平等および契約の概念である。財産権は,個人の権利の保障は財産権の神聖 化によって行われることを強調する。競争は,消費者の欲求の充足は競争によって適切に なされることを主張する。限定国家は,最小の政府が最善の政府であることを意味する。

(16)

科学的専門化と細分化は,専門家が個別の部分に注淫すれば全体は自然にうまくいくとい う考えである。かくの如き伝統的イデオロギーが,米国社会に定着してきたのである。

 しかるに,ロッジによると上記の伝統的な五つの概念に代って新たな概念が登場しつつ あり,これらの概念からなる新しい米国のイデオロギーが出現しつつあるのである。第一 に,コミュニタリアニズムないし共同体主義が個人主義に代位しようとしている。組織化 された現代社会では個人主義的状況での生活はほとんど不可能となるとともに,ひとびと はなんらかのコミュニティへの参加によって自己成就の喜びを実現せんと願いつつ ある。

第二に,コミュニティ構成員たることの権i利が財産権に置きかわりつつある。コミュニティ ないし企業における構成貝としての生存,所得,健康,等あ権利が財産の所有よりも意味 をもつに至っている。第三に,資源の利用のための方法ないし財産の運用の管理の方法と して,市場での競争に代ってコミュニティの要請という判断基準が社会でとられようとし ている。第四に,政府の役割は必然的に拡大し,計画者としての国家という概念が登場し てきている。第五に,自然は小単位とみられるべきでなく,最終的には一つの統一的全体 に集約されるべきであるというホーリズム(総合主義。それは部分間の相互関連性を認識 する)が受容されつつある。こ②ように,伝統的なイデオロギー的信条は,明瞭な変容を 遂げつつあるのである。そして,ロッジは,新たに現われつつある米国のイデオロギーを

 10)図3のように示している。

図3 新たに現われつつある米国のイデオロギー(ロッジ)

伝統的な米国のイデオロギー ロックの5原理

1.個人主義

価 値

平等

̲約 現実の世界

2.財産権 地 理

生 存 3.競争一消費者の欲望 人 口

正 義 4.限定的国家 生態学

経 済 5.科学的専門化 制 度

自己成就 政 府

自尊,等 企 業

新しい米国のイデオロギー  大学,等

1.コミュニタリアニズム(Communitarianism) s 動例えば;ジョン・ウェイン 不平等への適応

コンセンサス 資 当

Z 術,等 2.メンバーたることの権利

例えば生存,所得,健康 3.コミュニティのニーズ

4.計画者および調整者としての国家 5.ホーりズム(Holism)

 ロッジは,米国社会に普遍的であった伝統的なイデオロギーが新しいイデオロギーにと って代わられつつあることをこのように述べている。要するに粗野な個人主義と自己信頼

(17)

 現代の経営理念とその動向      ,      53 とに代ってコミュニティへの参加が重要視されつつ.ある。所有権でなく多元的利害関係集 団のメンバーたることが,個人の安全と自由を保障する傾向にある。社会の経済的決定の 規制者としてコミュニティのニーズが,競争よりも重要とな:りつつある。政府が,国家目 標の設定,等をリードしつつある。全体および部分をみるところのシステム思考が,アダ

ム・スミスの原始的モデルよりも支持されているのである。そしてロッジによると,企業 の仕事はかかる新しいイデオロギーの移行に反対して戦うのでなく,それを奨励すること        11)

であるのである。

 米国社会の普遍的なイデオロギーがロック主義のイデオロギーから,コミュニタリアニ ズム等よりなる新しいイデ今川ギ』へとかなりに移行するに至っているとみるロッジの見 解は,そのような新しいイデオロギーに照応する新しいタイプの経営理念が明日の経営理 念の主流となることを示唆している。ロッジに従うならば,出現しつつあるそのような経 営理念の構成要素としては,企業と野業員の統合,企業と社会の統合,社会のニーズへの 企業による配慮,政府の役割の企業による認識,企業と社会の相互関連性,等を挙げるこ

とができるであろう。そして,これらの要素の意義を強調するところの経営理念はその本 質において,これまでみてきたところの現代的理念,つまり社会的責任指向の経営理念と 共通するといえよう。

 (3)現代的理念の必然性

 本節でのこれまでの検討からもはや明らかなように,明日の経営理念の主流は現代的理 念である。伝統的理念は,社会と企業の変化によってその有効性に対して厳しい挑戦を受 けている。 それはもはや現実を適切には説明しえず,また企業と経営者を十分には導きえ ない。企業と社会について現実をより良く説明するとともに企業と経営者をより適切に導 きうるものは,社会的責任指向の現代的理念である。本節では最後に,現代的理念のかか       12)

る必然性をペティットの所説を踏まえつつ再度強調することにしたい。

 さて,ペティットは倫理には,行動的側面と理念的側面があるとする。行動的側面とは 実際の意思決定に用いられる道徳的原理であり,理念的側面とは意思決定者のもつ信念で ある。そして,意思決定にあたり個人がその信ずる理念的倫理と矛盾する行動倫理を用い ることは可能であり,かかる場合,かれは道徳的危機に直面する。すなわち,かれは行動 的側面ではある倫理をとりつつ,理念的側面では別の倫理をとる。このような危機の克服 のためには,理念と行動のいずれか,あるいは双方を変えて,倫理の行動的側面と理念的 側面を一致させねばならない。いま倫理Aの行動的側面をA。理念的側面をAかとし,倫 理Bの行動的側面をB。・,理念的側面をB ・ニすれば,道徳的危機の条件はA。Bfおよび AfB。である。

 ところでペティットによると,今日,経営の道徳的危機が存在しているのであって,経 営者は利潤倫理を理念として信ずる一方,社会的責任倫理を行動倫理として用いている。

(18)

この場合,もし理念的倫理が変化して行動的倫理に適合するようになれば,危機は克服さ れよう。今日の状況では利潤倫理の理念に合うように社会を作り直すよりも,社会的責任 の行動倫理に理念を適応させる方が容易であろう。従って,経営における道徳的危機は,

企業倫理の行動的側面を変えるよりむしろ,理念的側面を変えることによって克服される ことになるであろう。

       13)

 このようにペティットは,経営の道徳的危機について述べている。かれのいう道徳的危 機は,企業の倫理行動をめぐっての経営理念と経営実践の対立を意味する。すなわち,か れにあっては今日の企業経営者は,依然として利潤倫理を信奉するにもかかわらず,その 実践的行動においては社会的責任倫理に従って行動しているとされるのである。そしてか れは,かかる危機の克服は経営者が利潤倫理に代って社会的責任倫理を理念として受け入 れることによって可能となるとみるのである。

 つぎにべティットはまた,理念的企業倫理が革新的,保守的,ならびに反動的という三 つの状態をもちうることを指摘する。ここに革新的理念とは既存の制度的慣行を攻撃する ものであり,保守的理念は,既存の制度を説明し擁護するものである。反動的理念とは,

以前の制度への復帰を要求するものである。理念的倫理は,企業の実践および行動的倫理 との比較において革新的にもなり,また保守的にも反動的にもなりうる。歴史的にみると,

営利主義は三つの局面のすべてを通過してきた。産業革命期には利潤倫理は革新的であり,

企業の時代にはそれは保守的であった。今日それは反動的である。そして今日では,社会 的責任理念が革新的であり,将来それが保守的になるとき経営の道徳的危機は解消しよう。

 ペティットはかくの如く,経営理念が革新的,保守的,反動的の三段階を経過すること,

そして利潤倫理は今日の社会では企業と社会の実践と現実に遅れをとっており反動的段階 に入っているとともに,社会的責任倫理はそれが企業と社会の実践と現実に先行している どいう側面に焦点を当てる限りにおいて明らかに革新的であることを明らかにしている。

ついで乍らペティットは,経営の道徳的危機を強調しており,経営実践での作用原則と しての社会的責任倫理と経営理念での作用原則としての利潤倫理との間の乗離を説くので あるが,もしこれが企業経営の全面的な現実であるとするならば,経営理念としての社会 的責任倫理はかれのいうような革新的段階にあるというよりは,むしろ既に保守的段階に あるとみなければならないようにみえる。

 これまでのところでは経営の道徳危機ないし経営倫理の実践的側面と理念的側面の乗離 についてのべティットの主張,ならびに経営倫理の理念的側面をめぐる三つの段階につい てのべティットの見解を眺めた。ペティットのいう理念的利潤倫理が本稿でとり上げてき た伝統的理念に,また理念的社会責任倫理が現代的理念に相当することはいうまでもない。

そして,以上のようなペティットの所説は,伝統的理念から現代的理念への移行が今日の 企業において不可避であることを改めて強調しているのである。

(19)

現代の経営理念とその動向      55

(注)

(1)F.X. Sutton et al., op. cit., pp.33〜4(前掲訳書,24頁).

(2)高田馨,前掲書,77頁。

(3)K.Davis et al., PP.197〜8.

(4) Ibid., P.198.,

(5) Ibid., p. lgg.

(6)Daniel Bell, The Coming of Post Industrial Society,1973(内田忠男ほか訳「脱工業社会の到来   (上・下),昭和50年).

(7)高田馨,前掲書,80頁以下。

(8)これらについては拙著「現代企業の経営政策」,昭和54年,第2章。

(g)George C. Lodge, The New American Ideology,1974(水谷栄二ほか訳「ニュー・アメリカン ・イ   デオロギー」,昭和54年).

(1①  Ibid.デp.ユ6.

(11)K.Davis et al., oP. cit., P.202.

(12)、T. A. Petit, oP. cit.(土屋守章,前掲書)・

(13) Ibid., Chap. III.

(14) Ibid., Chap.エII.

第4節 経営理念論とその普遍的適用可能性

 (1)経営理念論の普遍性と特殊性

 これまでのところでは,現代の企業における経営理念についてその類型と動向を眺めて きた。その結果,現代の企業の経営理念には伝統的理念と現代的理念という二つの類型が 認められること,また伝統的理念から現代的理念への移行傾向がみられるとともにそれは 必然的・不可避的であることを明らかにした。本節では,このような主張がどこまで一般 的妥当性をもちうるかを中心に簡単に論ずることにしたい。

 さて,経営理念についてこれまで行ってきた検討は,主として米国の論者の所説に基づ くものである。かかる検討から導き出された主張は,どこまで一般的妥当性をもつであろ うか。結論を先にいえば,かかる主張は米国のみならずわが国に対しても吏には先進資本 主義諸国一般に対しても基本的には妥当性を有すると思われる。

 すなわち,伝統的理念の特質を利潤指向的,所有者指向的理念として理解する限り,ま た現代的理念の特質を社会的責任指向的,社会指向的理念として理解する限り,これら二 つの理念は多くの国で等しくその存在を認めうるであろう。むろん,伝統的理念が自由企 業のイデオロギーのような形で一般的に存在してきたと考えるようなことは必ずしも適切 でない。例えばわが国の場合,伝統的に主張されてきた経営理念にあっては必ずしも利益

参照

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