おける「理論」と「現実」
藤田暁男
1.
は し が き
イギリスの代表的なマルクス経済学者
M.ドッブ氏は, 1"近代経済学の趨 勢」という論文の中で,マーシヤノレの経済学の次のような考えに「教訓lJを 見出し,興味深い評価を与えている1"明かに近頃のきわめて多くの人々
は,マーシャノレが彼の『経済学原理』…第一版の古典的な序文の中で, くり かえしへーゲ、ノレの連続性の原理を述べることによってまず第ーに教えようと した教訓を,無視しているのである
Oすなわち,現実世界の中には,思想に おけるような堅固な確乎とした境界線はなく,不連続性と述続性が不可避的 に絡みあっている,という教訓がこれである
O……最近の大ていの者作に比 投ずれば,知的問題にたいする彼の接近は少くとも位全なリアリズムの刻印 をもっていた。マーシャノレの批判者にとって, しばしば折衷主義とみえ,殴 昧とみえたものが,実は往々にしてこの長所に由来するものであったと私は 思うのである
oまた,乙のような長所がどうして生れたのかといえば,それ は彼が豊かな哲学的背景をもっていて,抽象的な観念と実在との聞の技雑な 関係をある程度まで正しく理解し,自らの足を大地に担えつけておくように 努力したためであった
1) oJ (傍点は引用者)
マーシャノレの「健全なリアリズム」とはどのような内容のものであろう か。1"抽象的な観念と実在との間の複雑な関係」をどのように「正しく理解
し」たのであろうか。マーシヤノレが倫理学へ関心を進める
1870年前後から主
者『経済学原理』初版が出る
1890年という時期は,イギリス資本主義の武金
の│時代が行き詰まりをみせつつあった「大不況
GreatDepression 1873年
96年」別であった。この「大不況 J J~] は,また同時に, 1宝 ~i,~資本主義の世界
的な継続的困地に対する資本の新たな対応(独占資本,帝国主義の形成)の
胎劫期でもあった。乙の「大不況」期の問題に接近していた私は, ドッブの
上述の指摘に触発されて,マーシャル経済学に対し次の矧点から関心をいだ
いた。即ち,自由競争を基本理念とする産業資本主義の式全日
1'j:代の去退とい
う現実を前にして,資本主義社会の存続を前提とする当時のイギリスの代表
的な経済学が,その現実をどのような形で理論に包摂し,産業資本主義の行
き詰まりの傾向に対応する新たな資本主義像をどのようにえがいたか,とい う観点である
oこの点からするマーシヤノレへの接近の基本線は,それまでの 論文の整理の上に苦かれた「独占の形成とマーシヤノレ
2)Jという一文で不十 分ながら提示している
O本稿ではさらにその観点をマーシャノレ経済学の形成過程に力点を置いて考 察してみたい。マーシャノレが経済学を志した
1870年前後から『原理』初版
(1890年)までの研究の進展過程において,理論の現実性を高めるためにど のような経済的要因が,どのような把握において霊視されたかを考察し,そ こから出て来た論点が『原理』にどのような形で包摂され,その基本的性格 はどのようなものかを検討することが本稿の課題である
D注
1) M.Dobb,
Political Economy and Capitalism,
Rotledge & Kegan Paul,
1937,
P.174. 岡松訳『政治経済学と資本主義~ (岩波書庖1
952年)1
67頁 。
2)拙稿「独占の形成とマーシャノレ
J~経済学史研究』経済学史学会西南部会編(ミ
ネノレヴ、ァ書房,
1973年)
2. r
理論」と「現実」の遊離の可能性
『原理』の中に, I 現代の経済学の主要な目椋は社会問題の解決に貢献す ることにある
1)J という文がある口しかし,マーシヤノレは,個々の社会問 題の直接的な対策を経済学によって意図したわけではない。むしろ,個別 的,特殊的利害にかかわる政策技術的問題に経済学が直抜かかわることを避 けようとした
Dその乙とは,古典学派以来の
PoliticalEconomy~ζ 代えて
Economics
~こ名称、を変えた理由の中に端的に示されている。
『原理
j9版の編者
C.ギノレボー氏は I マーシャノレがこの名称変更をか なり責任を持って行っている点は注志してよい」と指摘し,その変更理由 として,
1879年の夫人との共著
r産業経済学』第
12Eの文をあげている。
また
r原理』の中にも類似の説明がみられる
oその主な点は,第ーに,
Political
という用語は,今や狭い範囲の国民の一部の利害しか表わさなく
なったということ。第二に,その用語は,限定された目的を達成するため
の政策手段という側面を強調しすぎるきらいがあるというととo 従って,
Economicsというより「広義の用語」が適当であるとされたのであるO
乙れに関連して次の点に注志が払われるべきであるO ギノレボ一氏の『原 理j 9版のノートによると, r原理j 3版までは, Social Economics又は
ヤ 3)
Economicsの用語の方が適当,とされていたといっ O この Socialの内容 をどのようなものと考えていたかは, r産業経済学』第
1
章に説明がみられ るO 要点を述べようoEconomics は Moralor Social Sciencesに分類さ れるべきであるO というのは,その科学の主な目的は,日常生活における人 間行劫を決定するところの道徳的,社会的法則を追求することだからであ る口そして,その生活の福祉は,物質的宮に依存しているから,人間の行為 はこの宮の獲得に向うが,宮というものは,物質的官だけでなくこれを獲得 するための人的な或は非物質的宮 (Personalor Non‑material Wealth) も宮というべきであるO 更に,その人的宮の内容は,産業能率の向上や物質 的宮の増大に寄与する人間の能力や習慣,精神的,道徳的なものによって成 り立っている点を強調する4) O この観点は r原理』においても貫かれてお り,例えば,産業能率向上の土台となる行動は,肉体的,知性的および辺徳 的な人間の健康と力である,この促康と力を「活力 Vigourjと呼び,この 肉体力,志志力,道徳力の総合力こそあらゆる進歩の源泉である5) という 主張はその思想的基調をなしている口このような SocialEconomicsの性格を持つと考えられた経済学的にお いて
I
原理 principlejや「理論 theoryjは,どのような位置づけを与 えられたのであろうか。 1885年のケンブリッジ大学教授就任演説「経済学の 現状」では次のような考えを述べているO まず,事実の背後にある諸原因を 究明し,その知識によって「経済理論の公理 organonjを枯築する。そし て,そのようにしてはじめて,乙の公理の即Jけを用いて社会問題に立ち向う ことができる7)。また, 1897年の演論文「経済学者の旧世代と新世代」の 中にもI
一般的原理」を十分に媒介しないで具体的,特殊的問題を十分に 把握することは出来ない。社会生活のような校維な問題は,特殊な事実を直 接的に関連させて何等かの科学的な把握をなすことは不可能であり,そ乙l
こは「原理」の媒介が必要である,という考えを見出す乙とができる8)。この ように,マーシャノレは「原理
J
の1再築を明確に意識し,それによって応用の 分野が十分に展開すると考えていた口マーシャノレは
I
原理」の独自的領域の芯誌を認めていたが,同時に,そ のような「原理」が多かれ少かれ抽象的性格を持ち,それが現実と遊離する こと,そして,それが経済学回有の在り方であるとみなされることを恐れて いた。 1902年の F. Y.エッジワース宛の手紙の中で次のように云ってい るoI
私の考えでは『理論』というものはなくてはならないものであるD い かなる人もそれを用いなくては経済問題の現実的学握はなしえない口しか し,抽象的であり一般的でありかつ『理論的J
経済学が, r本来の』経済学であったということは不幸な事と云うほかはない。抽象的,理論的経済学は なくてはならないものであるが,それは本来の経済学の僅か一部分にすぎな い。……また,一般的な推論はなくてはならないものであるが,諸事実の広 符な徹底的研究もまた同じくそうであるように思われるo その作業の二つの 側面の結合こそがまさに本来の経済学であるO 私の意見では,経済理論は,
それこそが本来の経済学であると主張するとき,単なる粗雑な分析以前の歴
、司~
9)史と同じく,有害な詐称者となっつ o Jまた,エッジワースもマーシヤノレ の追想文で
I
純粋推理と具体的知識を結合して用いることにすぐれていた マーシャノレは,純粋推理のみを切り離して用いる危険性に非常な注意を払っ ていた。」と述べている10)。このように,マーシヤノレは
I
原理」或は「理論」の意義を認めながら,それの現実からの遊離を恐れ,それと具体的な応用の分野との結合によって 経済学は構成されるべき乙とを主張したのであった。
注1)
A. Marshall,
Principles of Economics,
9th (variorum) edition with annotation by C. W. Gui 1 1
ebaud, Vo1 .
1, Text, Macmi 1 1
an, 196 ,1 p. 42.馬場啓之助訳『経済学原理~
(束洋経済新報社1965年)
1. 43頁。2) A. Marshall, ibid. Vo
1 .
II, Notes, by C. W. Gui 1 1
ebaud. p. 160. Principles, idid. Vo1 .
1, Text, p.43. 邦訳『原理~
1. 53頁。3) A. Marshal1, ibid. P. 160.
4) A. Marshall and M. P. Marshal1, the Economics of Industry, Mac‑
mil1an, 1879. pp. 4
~6
. 入取が容易でない本書の参照について,井手口一夫 氏(福岡大学) ,井上琢智氏(関西学院大学)に格別の御配JJ: E (
をしていただいたととに対し謝意を表する。
5) A. Marshal1, Principles, Vol. 1 Text, op. cit. PP.
193~196. 邦訳
『原理j11.
155~159頁。
6) 早坂忠氏はこの点について次のような示唆にとむ見解を示されている。 r今日で は,マーシャノレ経済学のもっとのような側面(倫理学的,社会学的色彩…引用者〉
は,経済学的問点からは多かれ少なかれ捨象されてしまうのが普通であるし,また 経済学以外の視点からは,それが社会学, 1合理学等と銘うたれていないが故に,概 して無視されてしまっているO しかし,マーシャル経済学が当時のイギリスで支配 的な地位を獲得しえたのは,それがかかる特徴的な仕方で枯成されていた乙とによ るところ大きいし,またかかる特定形態をとったマーシャル経済学の山田をまって はじめて(ミノレまでの古典派と対比した志│床での) r新しい経済学」がイギ、リスで 確固不動の地位を占めるにいたった乙とを考えれば,との側面を無視するととは,
マーシヤノレ経済学や当時の経済学の状、況をE肝.するうえでの主大な制約をな味す るoJ rマーシャノレ経済学形成過程についての若干の党3‑彼のジョウ、、オンズ『経 済学理論』評との関連で一Jr社会科学紀要j (東京大学〉第20
・
21輯, 1971年, 136頁。ところで,早坂氏ば,経済学史学会第38回大会における共通論題のコメンターの 一人として,私の報告に対しでも有益なコメントを与えられたが,その中で,マー シヤjレの Economicsへの名称変更は,大きな芯味ばなく, Political Economy
が本来持っていた~r;,:jミ内容を拡大させる志向で行ったものであって,事実,
20ilk紀 に入ってより晩年に至るに従い,彼の著作は Political Economyの性格を強めて いったと主張されたo7iIuかに,r
産業と貿易jr n l 1 t
,信用と商業』と進むに従っ て,主としてイギリス帝国主義の侵越性に対する危段感の深まりから,政策的要素 がより主視されていく傾I向があることは,私も別抗で指摘したことがあり,乙の点 については5史Yでl要ヨヨ采,ミ:への立;議;晶品的な内在化と包;括苫の7な二ぷ:図が明m昨:に泣みとられるベきでlはまなかろうか。
『応原1理』
ではゴ考jazZ 祭5紋文対;j ß 泉〈が社会の 11悲I~μ~fr.弛足[的 j内守な一般担;論命の 1'1和杭]十此 iJ15i弘己築ミを;芯立図して,
また, イギ、リス径済Jと対して尚*閥的トーンを持つ状況下で, Polisical要素の内在化が,人間 の行劫概念の非政治化によって,即ち,正常(均衡〉価格論に built‑inされた社 会調整的行動と国民所得論=有機的成長論における社会学的,倫理的行動を中心に 据えることによって立図的に進められ, I辺続性の原理」にもとずき間近的
l
己記展 する社会の一般原理を Economicsの形で枯築しようとしたと考えられるのである。
7) A. Marshall, 'The Present Position of Economics (
1
885) ,¥Memorials of Alfred Marshall,
ed. by A. C. Pigou,
Kolly & Millman,
1956. P. 171.杉本栄一編『経済学選集j (日本評論社 1940年)2
08瓦 。
8) A. Marshall
,
c The Old Generation of Economists and the New( 1
897), "
Memorials, ibid, PP.
299~300.
邦訳同上 225‑226頁 。
9) A. Marshall, Letters, Memorials, i bid. p. 437.10) F. Y. Edgeworth, Reminiscences, Memorials, ibid. P. 66.
3.
経済学形成期における「理論」の現実性への関心
みてきたように,マーシヤノレは
1理論」と「現実」の遊離を恐れ
1理 論」の分野においても出来るだけ現実性を確保しようと努めた。その意識 は,経済学をミ
jレの数学化の形で、はじめた初期より
r原理』初版を出版す る時期に至るに従って,ますます強まっていったと考えられる口
1908
年の J.
B.クラーク宛の手紙で,マーシャルは,
11867年
r‑.J1870年
には,価値と分配の理論の主要部分は完成して居り,また, リカードォ・ス
ミス理論のミノレにおける変形を数学に翻訳していた時であり,……この時
までに
r原理』の数学的付録の殆んどの基本的部分は実際上完成してい
た。」と述べ,さらに続く文の中で
1その時まだ,経済的現実には全く無
知であった
1)0J と述べている
Oこの現実の把握が十分でないというマーシ
ヤノレの認識は, ミノレの数学的
;J;J.J訳とみなしている自らの抽象的理論が,いま
だ公表に足るほど十分なものではないという判断の大きな理由であったと考
えられる
o1900年代の終り頃, ドイツのある経済学者紹介書の編集者のため
に苦かれたとされているマーシヤノレの自己紹介文の中に,
11873年頃,故ワ
jレラス教授にそれら経済問題の図形的解析の出版をすすめられたが,彼(マ ーシャノレ自身のこと……引用者)はそうすることを控えた。何故なら, もし それらが実際的諸状況の全ての具体的研究から離なれてしまうならば,それ らは現実的諸問題にかんし現に持っている内容よりはるかに多くの直接的関 係を要求されることになるかもしれないことを恐れたからであるo
J
と述べ て い る にマーシャノレの最初の経済学出版物である「ジョボンズの経済学理論の書 評」には,明示的には現実性の重視の観点は出て来ない。しかし,乙の点に かんし次の二点のジョボンズ批判に注意しておきたい。第一は,賃金や利 潤,生産量と交換価値との相互依存関係を十分論じていないという批判点で あり,第二は,ある商品の総効用はその最終効用度と比例的でないにも拘ら ず,最終効用の比率のみを交換の様々な現実を規定するものとしている,と いう批判点である3) この二点は,マーシヤノレの『原理』の付録「リカード ォの価値論」の中のジョボンズ批判の柱でもあるo そ の 中 で 次 の よ う に 云 う rジョボンズの説明もある程の解釈を加えるなら実生活の事実と矛盾し ないようにする乙とができょうO その解釈というのは,結局『効用』や『不 効用』の用語を『需要価格』や『供給価格』を芯味するものと受け取ること である。」従って,交換価値を規定する原因も r効用の最終皮」でなく,
「消費者がかろうじて支払おうとする価格
J
,圧縮して「限界需要価格」と して把握すべきであって,この方法によって実生活と矛盾しない理論が展開 されうる4) と主張する。この場合,交換価値とそれを規定する原因との聞 の関係を連結するものとして,供給者,需要者という経済主体の行為が実生 活との関連を合んで登場する点に r理論」の現実性を高めるマーシャル的 手法の出発点がある。1876年の論文「ミjレの価値論」に,この論点はより明確な形で登場するO
それは r実際に身lこ 受 け た 人 々 に 関 す る か ぎ り の 努 力 や 犠 牲 の こ と を 指すときにだけ用いられる『生産1!1cost of production j Jと「生産経費 expenses of productionJとの概念的区別に関する問題である。即ち,
後者は r生産者がそれぞれ自由競争に支配されながら,採X';rに合う価格
remunative priceで平均的に賠買者を見出しうるように商品の呈を調整す るregulateJという状況であらわれるその採算価格で売れた商品去の生産
ご 5)
l乙要した諸経質の合計である 。乙れはマーシヤノレの供給価格の内容にほか ならないが,その規定要因として,経済主体つまりここでは生産者の採算価 格と適当な商品販売呈実現のための調整的行動が設定されており,後にもふ れるように,それは『原理』の理論桔成に際し主要な役割をお、じるのであ り,また,現実性を高める努力もこの要因をめぐって考LlJiされていくのであ
る
Dこの「ミノレの価値論」が出されたのとほぼ同じ1875年から77年にかけての 頃, 1879年にH.シジウイックによって私的に印刷された「国内価値の純粋 理論
J I
外国貿易の純粋理論」を合む書物がI
外国貿易の理論」という形6) ー
で完成しつつあった O この一つの論文の中で,マーシャルは,はじめて
「純粋理論」の展開が,現実の十分な調査にもとずかないかぎり限られた芯 味しか持ちえない場合が少くないことを明示している。乙の点に関し重要と 思われるのは次の点であるO この二論文の手法は,需要,供給曲線における いわゆる振子振動に類似の運動法則の提示の形をとっているのであるが,そ の「任芯の位置にある振子に作用する諸力は,張子が既に行った振動に,そ れほど大して依存するものではない。……しかし,道徳界において生起する あらゆる運動は,次
l
乙起る諸迩勤を支配すべき諸力の性質を変えないまで も,その大きさを変化せしめる口そして,経済諸力は,それが人間の習J慣や 感情に依存し,人間の知識や産業技術に依存するかぎり,道徳界l乙属するの であるわ。」従って,力学的に把握された諸曲線は,乙の実際問題の持つ有 機的変化にかかわる場合には変更を余儀なくされるのであり,その実際問題 の十分な吟味を行うまでは応用をひかえるべき場合があることを指摘してい るのであるD 更に,I
国内価値」を規定する「中心法則」として,先にあげ た「ミノレの価値論」の中の採算価格実現のための生産者の商品量調整とその 生産経費にかんする一文がそのまま引用され8) また,それに関連していわ ゆるマーシャjレの「操作時間」概念(いまだ長期,短期の区別は不分明であ るが)が登場し9) 供給のありょ3を変化させることによって理論展開を行っている点に注意を払っておきたい口
1870
年代当時,マーシャノレは,様々な具体的問題に積極的な関心を払って いたことは云うまでもなし'1
0例えば,早坂忠氏が強調されている貧困克服の 厚生論的問題への関心や既に「大不況」を最もきびしい形でむかえつつあっ たイギリスの国際的な産業上の主導性の維持の問題への関心
10)また,井 出口一夫氏,
R.マックウィリアム氏のマーシャルとイギリス社会主義との 関係の研究が教えているように
11),
1874年の社会主義雑誌ビーハィヴ
Bee‑Hive
への寄稿が象徴的に示しているような,社会主義や労働運動の
W)J向に も大きな関心を寄せていた。
しかし,
1870年代中頃のマーシャノレはまだそれらを理論へ休系的に包摂 し,消化するところまで至っておらず,理論の中心部分は,先人の,つまり ミノレの理論を,経済学専門家として立ちつつあったマーシャノレが抽象的な形 で発展し継承しつつ,それを基盤に先述したような現実践近が試みられる状 態であったと考えられる
Oそのような状態を経て,総合的,休系的理論
m成
がはじめて捉示されるのは,
1879年の『産業経済学』においてである
OJ. K.
ホワイテェカ一氏によれば,この古物が準備される過程で,貧困 の克服や生活改善への様々な道が挟宗されると共に,成長
lこ関する理論への 最初の体系化が試みられたという
O従って,彼は,この吉物は,ケインズが 評したような
rr使利な最善の小型教科舌』というよりはむしろ,マーシャ ノレの諸見解の体系的展開の最初の試み,そして『原理』のために必要な最初 の草稿とみなす方がはるかに妥当であるように思われる
oJと述べ,新
fこな 資料により,マーシャノレの次文を含む一節を引用している
r産業経済学』
の「後半部は「経済学原理』の内容に幾分近い総で吉:かれた
12)口」
しかし,
1952年のギソレボー氏の論文が,
1902年のマーシャノレの J.
B.ク ラーク宛の手紙を引用して指摘しているように
13) r産業経済学』と『原
理』との問には理論上のかなり大きな追いがある乙とも確かである
Oその手 紙は次のように述べている。
r私はかつて,競争が唯一の支配力である坊合 に,経済学の理論が
1‑[11象的ながら首尼一貫性を持ちうると信じた。従って,
出乱のない競争ーの倒きがもたらす状態を『正常』と概念した。今や私はその
立場を,実際的{!J/.}えからは無論のこと,抽象的観点からも支持できないと考 えている1針。」二つの間の追いにかんする主要な論点は,ギノレボー氏も指摘 するように r正常」概念と競争にかかわる問題であるO この問題は,白井 孝昌氏の1967年の論文でも鋭い分析がなされている15)。
その論点は r産業経済学』は「正常」概念を自由競争の長期における結 果として考えているのに対し r原理」では完全な自由競争は存在しなし1か ら r正常」を自由競争と結びつけることはできない口従って,競争に代っ て「正常」を実現する新たな要因が登場し r正常」概念の充実がはかられ ていったが,それはどのような内容と性格を持っていたかという問題である口 この充実のやり方即ち自由競争の排除のやり方は,この段階で「理論」の現 実性をどのような形で高めようとしたかを知る上で主要であるO
『産業経済学』での「正常価値法則」は, 1972年の井上琢包I氏の論文16)
も指摘するように r正常供給法則」は r正常」の用語が冠されていない 受動的なものとして概念されている。これら「正常価値,供給法則」は,生 産者自らの生産量を調整して,市場での価格が生産経質に等しくなり,採算 価格を実現するように調
2
きする経済主体の行動が中心に置かれている口問題は,この生産者の調整fI!~行劫と r もし自由競争であるならば,即ち,他の
生産者連と協同して行動しないならば」という前捉との問に矛盾はないかと いうことであるO この前捉のもとで「彼(各生産者)は,商品価格が生産経 費より大きい或は小さいと思われる場合に従って,彼の供給を増加し或は減 少する17)oJとE命じられるO その理論椛成は,まず生産者の調整的行動が,あたかも大企業の採業度調整を内容としているかの如く個別的経済主体の行 動椋式として設定され,自由競争という社会的動因によって,社会的均街へ 綜合化される形となっているO そこには,自由競争が現実的に生み出す過少 生産,過羽生産を,資本と労働の自由な移動が事後的に補正し均衡化へ向う という発忠はない。均衡化の動因は事前的に設定されている点を特徴とす る口しかし,それは完全な立味での自由競争ではないことになる。さらに自 由競争の現実は,収獲逓
f
自の社会的傾向のもとで佃別資本が生産量を拡大し 価格引下げ競争を展開するという破壊的な側面を持っている。このような自由競争と生産者の調整的行動との関係を,マーシャノレが『産 業経済学』以降どのように処理していったかを考える上で,当時の次のよう な「現実」に注意したい。即ち,イギリスは, 1873年恐慌の後の深刻な不況 を出発点とする「大不況73"'‑'96年」に見舞われており,その最も明白な特徴 をなしている価格の長期低落の状態のもとにあった。そこでは,激烈な競争 が展開されており,価格低下に拘らず生産力,生産量は拡大され,更に価 格低下を累積させるという,まさに自由競争の破壊的な側面が展開してい たと云えるのである。しかし,他方で,乙れに対する資本家の対応策も出 現するO 有力な国内的対応策として,各産業や商業会談所において trade associa tionニ同業者組合または経営者協会という,ゆるやかな価格協定,
生産調整のための企業連合組織があらわれつつあった18)。
マーシャノレは, 1880年代後半から『原理』完成のために経済的諸事実の精 力的な追求に多くの時間とエネルギーをつぎ込んでいる r原理』の出版が のびのびになっていたのも,病気がちということもあったが,この現実分析
~
19)の不足が主たる理由であったといっ O 乙の現実分析の一端は, 1890年の
「競争のいくつかの状況」という詰演論文に伺うことができる。そこで主と してアメリカ,イギリスの独占形成の状況を考察し,結論として次の点を強
調する O 結合や部分的独占の F~智は非常なと思を共に含むから 'l~'~m な判断
が必要なこと20)I
自由競争の便益のなくてはならない部分を双すため私 的でかつ半社会的な企業を社会的にコントロールしうる力を強め,また,競 争の悪い役割を排除し良い役割を残すためのT "
段として世論の新しい力を強 める」必要があること,さらに結びの言葉としてI
年々次のことが一応t明 確になってきているO 即ち,我々は,一方で無責任な競争のひき起こす冷酷 さと無駄そして況の放縦な伎用から,他方で強同な社会主義における恭政 と精神の死からのがれるためにより多くの知識を早急に独得する必要があ る21) Jと述べているOこのように,マーシャノレの現実認識は,まず新しい状況を伴う現宍社会の 主要な流れを容認し,その上でその社会を混乱させるような松山な要囚を否 定的に評価する傾向を持っているが,そのような認識にもとずいて, r原
理』は,競争の破壊的側面の包摂を放棄し,それに代ってその現実に資本家 が対応していく側面を吸収するという方向で r理論」の現実性が考えられ ていったと思われる口その点を端的に示しているのは, しばしば問題にされ るケ所で r短期真実限界供給価格J!こかんする論点であるo次のように云 う。ある場合には「限界生産は, もうすこしでも価格が低下すれば,自分自 身の利害からかあるいは他の生産者たちとの公式非公式の協定によってか,
とにかくこれ以上市助を玖弱にしてしまうことをおそれて生産を中止するよ うな人々の生産を怠味することになるoJ乙のあと,明らかに過剰生産恐慌 の事態と思える場合の叙述に続いて, r r市場を軟弱にする』ような人々の 行劫は商業道徳によって非難されるが,一般の世論もこの起の商業道徳に たいして全面的に反対の態度を示しているわけでもなし'0Jさ ら に こ こ に
「註」が付され r暗 黙 の も の に せ よ 公 然 の も の に せ よ , 強 い 企 業 辿 合 com bina tionが成立しておれば,業者たちが生産自にほとんど関係なく価 格をかなりの期聞にわたって規制していけないわけでもない。……22)
J
と 述べている。これは実際上イギリスの場合では先述のtradeassoC i
a tionの ことを云っているのであるD 上記の展開が示しているように,競争の破壊的 側面は理論から放逐されるばかりでなく,生産者の調整的行動が,商業道徳 や企業連合といった資本家の対応策によって柿強されていくのであるO この ようにして r理論」の骨格部分をなす「正常状態」は r原理』以前では自由競争の結果というトーンを残していたが r原理』では,ますます事前 的に設定された経済主体の調整的行動に依存する桔成をとっていく。
そこでは,経済主体もより充実した内容が盛られるが,その特徴として,
少くとも次の二点に注志を払う必要があるO 第一の点は,経済主体は,競争 に代って「先見」と「選択」を行動の主たる内容とするが,それは r一 つの孤立した単位 atomとしてではなく,ある特定の産業或は産業的集団 groupの成員」の行動といった枠組みを持っと考えられた点であるO その 主たる理由は r経済的とよばれる問題は価格によって測定できる動般に規 制される人間の行為に主として関連しているためにかなり同質的な集団を形 づくっている」からである23)。
と乙ろで,マーシャノレの正常(均衡)価格論はこのような前提のもとに展 開されるが
I
正常状態」二均衡を実現するために経済主体による価格と生 産量が調整されうる状態を構想しようとすれば,おのずから当該産業全体を 或は当該市場にかかわる産業を一つの集団として考えざるをえないであろ うD しかし,産業的集団が一つの経済主体とみなされるとすればそれは完全 独占体にほかならない。そこで,そのような独占形成を一般的現状と考える ことができないとすれば,集団としてのまとまりをもって動きながらその中 で各経済主体が個々別々の勤きをなしうるような状態を想定しなければなら ない。それは森と木のアナロジーで表現される有機体論的アプローチ以外に はないわけであるO 侵勝劣敗の競争の結果として独占形成に向うのでなく,諸経済主体の森の中の木々のような盛衰を内容としつつ,森に当る産業全体 は集団として調整(均衡化)されていく状態が構想されたのである。
注意すべき第二の点は,経済主体の具体的内容として,実業家 business‑
man,企業家 undertakerが 登 場 す る 点 で あ るD 乙 の 背 景 に は
I
経済 騎士道」の主張に代表的に示されているように,産業資本主義のヴィクトリ ア黄金時代を築いたアングロサクソン的自由の宗質を持った伝統的イギリス 経済人の理想化があると共に,当時の大規校生産の普及に伴い力を発押し始 めたいわゆる「経営者回」への現実的期待があった24)。上にみてきたように r産業経済学』では,
I
正常価値,供給法則」は,まず個々の生産者の価格,生産量調整行動に依存する形で述べられ,自由競 を
t
;t介項として社会的に実現するという理論の迩びになっていたが r原 理』では,経済主体が原子としての個々の生産者でなく,産業的柴田の中の 成員という新たな概念椛成を持ち,さらに当時の現実を反映する企業家とい う内容が与えられ,その調整的行動とそれを補強する商業道徳的対応が設定 され,それによって社会は「正常状態」に秩序づけられ発展することが椛恕 されたのであるO注1
) A. Marsha ,l1 Letters, Memorials, op. cit. P. 417.2) J. M. Keynes, Alfred Marsha1, l 1842‑1924, Memorials, Op. cit. PP.
20‑21.
このマーシャノレの自己紹介文は,近年 Marshal1
Li
braryより探し出され,A.ロビンソン教授によって, History of Economic Thought Newsletter, Spring 1972, No. 8. PP. 15‑17. にその全文が紹介されている。しかし,誰に 宛て苦かれたものか(ドイツ人の Gustav Eckstein 1875‑1916であろうとされ ているが) ,何年に:古かれたものか,また内容等について謎の部分があると云われ ている。 H. of E. T. Newsletter, Spring 1973, No. 10. PP. 12‑16.
また, 1883年のL.ワノレラス宛の手紙にも次の文を見出すことができる。 r私は ジョボンズの本の中心的諸点のすべてを前もって見越していましたし,また多くの 面で彼よりも先まで進んでいたのです。私は出版を急ぎませんでした。何故なら私 は私の学説をその実際面で発展させたかったからです。」早坂忠,前
f
口論文, 126 頁に Correspondenceof Leon Walras and Related Papers,
Vo1. 1. P. 792から引用されている。3) A. Marshall
,
Mr. Jevon's Theory of Po1 i
tical Economy( 1
872) "Memorials, op. cit. PP. 93‑100. 邦訳『選集j
133~142頁。早坂忠,
tJij担論 文, 120頁および144頁。4) A. Marshall, Principles, Vo1. 1. Te:h.t op. cit. P. 818. 邦訳『原理』
ill294‑295頁。
5) A. Marshall
,
Mr Mi 1 1
's Theory of Value( 1
876)" Memorials,
op. cit, PP. 126‑127. 邦訳『選集j162"'163瓦。6) J. M. Keynes, Memorials, op. cit, P. 23.
7) A. Marshall, 'The Pure Theory of Foreign Trade
( 1
879) " 邦 訳 『 選i 長
j56頁。8) A. Marshall, "The Pure Theory of Domestic Values
( 1
879) ," 邦訳『選集j66頁。
9) A. Marshall,向上, 89頁。
10) 早坂忠「アノレフレッド・マーシャノレとイギリスの産業上の主導粧と『純粋担 論jJ r社会科学紀要j (東京大学)却13輯, 1963年。
11) 井手口一夫『経済学と人間の復位ーマーシャノレとマノレクスー』新許論, 1969年。 第4章。 R.McWi
1 l i
ams, Marshall's 'Tendency to Socia1 i
sm' ,三r H :
変三,水田洋訳「マーシャノレと社会主義Jr経済評論j1971年3月号。
12) J. K. Whitaker,Alfred Marshall目Theyears 1877 to 1885", History