離島の商品・資本移動︵三︶−架橋時代
河 地 貫 一
架橋時代1島峡の資本主義化︵架橋時代 砂糖群島の盛衰 島市と香料群島の変遷 台湾と南洋群島︶
日本の架橋時代︵商品の交易 離島振興法︶
離島の商圏︵問題提起︶長崎県離島の商圏︵五島列・島福江島 平戸島 壱岐・対馬︶離島の本土市場
架橋時代1島峡の資本主義化
架橋時代 重商主義期の熱帯の島々は商人資本による当時の世界商品たる砂糖の独占的生産と輸出に特色づけられ︑
わが国の沿岸離島も帆船寄港と近海捕鯨によって栄えた島唄時代であった︒自由主義段階に入って︑島は沈滞と離島
化を進めたいわば﹁離島化﹂時代であった︒
資本の独占段階に入って︑わが国沿岸離島には依然として前代の停滞がつづいたが︑世界の植民地島峡はその開発
経 営 と 経 済
六六
が進められ︑急速な近代資本の投不とその資本主義佑が進行する︒わが島興植民地台湾︑南洋群島や本土沿岸離島で
も明治初期からモノカルチュワl的に開かれた炭鉱島などもその例に入るであろう︒しかし︑一般の本土沿岸離島の
資本投下とその閲発は第二次大戦後の離島振興法の施行(一九五一二l昭和二八年)をまたねばならなかった︒言葉を
かえると︑わが国離島の資本主義佑は第二次大戦後に始まるわけである︒本国あるいは本土からの島興に対する積極
的な投資を代表する地理的事実はプランテlション投資であるが︑本土の道路時代に照応してその道路の延長として
島唄を把えるための社会投資の代表的なものは架橋であり︑航送船施設であろう︒かくして︑独占段階以降の島興の
発展を劃する時期を︑われわれは﹁架橋時代﹂とよびたい︒従ってわが国の沿岸離島の﹁架橋時代﹂は第二次大戦後
とな
る︒
筆者はさきに新大陸の農業革命はほぼ一八六0年代に行われ︑それはもちろん技術革新であるが︑
その地理的表現は耕地の内陸移動であることを述べたが︑栽植農業革命もまたその本質的構成要素であった安価な労
働力すなわち奴隷の使用禁止が技術革新をよび︑従来の土地︑労働力の濫費︑搾取から生産に科学的方法が取られる
とともに耕地のはげしい地域移動を行った︒すなわち︑十八世紀の熱帯栽植農を代表した西インド諸島︑ことにハイ
9H
チ︑ジャマイカ両島のそれは全く奴隷労働力に依寄していたために︑その廃止後全面的に衰退し︑その生産方法が近
代佑されるとともに甘栽植の中心地は従来労働力不足から最もおくれていたキューバ島に移動し︑ハイチ︑ジャマイ
nJ カに代って西インド諸島における甘茂生産の中心地となり︑二O世紀に入ると︑世界砂糧総生産額の%を超える至っ
たい一方ブラジルは従来の甘庶︑たばと生産からコーヒーの単一生産にうつるとともにその耕地は内陸高原部に移動4
した
︒ 砂糖群島の盛衰
世界産糖表(単位lOO万トシ)
生 産 地 11902‑3¥1913‑1仰5‑26
南 北 ア メ リ カ 2.8 5.0 8.6 甘
(今ユF パ) (1.0) (2.6) (4.9) RE ア ジ ア 2.9 3.9 6.1
( ジ ヤ ワ ) (0.8) (1.3) (2.3)
結
そ の {也 0.4 0.8 1.3 計
百
甘 菜 糖 I 5.7 1 8.61 8.3│
糖 計 I 11.8 I 18.4 I 24.4
矢内原忠雄:帝国主義下の台湾 一矢内原忠雄全集第2巻400頁ー
資本主義が独占段階に進む一九世紀後半に入って︑南米諸
国の独立につれて︑それら諸国にまずイギリスついでフラン
ス︑ドイツの資本が航路︑港湾︑鉄道などに流入し︑土地と
労働力化ゆ濫費と搾取とに依存した古い栽植地に近代佑が進
めら
れた
︒
一方自由主義段階における長い経済的沈滞をつやつ
けてきたハイチ︑ジャマイカの復旧があり吋また英領西イン
ド諸島には一八四六川六O年の聞に︑八一︑五
O O人のイン
司4ド人労働者が移住し︑今日トリニダl
ド︑
H︐
Z E
E ι
島住民の
%はこれらインド人の子孫である︒一九世紀末から二O
世紀
に入ると︑アメリカによるポルトリコ
P )
円gEg
の合
併︑
アンチル諸島﹀巳ロ
‑ω
デンマーク領)の買収︑パナマ運河(
の開通︑キューバ︑ハイチの財政的︑経済的支配︑その他中
︒ ︒
米︑西インドに著るしい政治的・経済的影響をもたらしたアメリカの資本が﹁正に怒詩の如く進出したい
1 0
アメリカ
資本の中南米進出は第一次大戦後特に活滋となり︑
n u
る(一九一二年では一.三億ドルであった)ペ 一九二八年にはアメリカ熱帯部に一O億ドルの投資が行われてい 島市と香料群島の変遷アフリカ沿岸の島市は叔犠廃止と︑植民の内陸進出に伴って衰退したが(特にゴレl島は
HU
本土対岸ダカルの発展の前に全くその光輝を失った)︑それ自身が生産の島に変質(例えばザンジパル島が島市から
離島の商品・資本移動日l架橋時代
六七
﹂ ¥守 ︑
︑
↑/
f
ノ
経 営 と 経 済
呑料生産の島に変った)したばあい︑あるいはトンボ島︑ラゴス島(ニヂエリアの首都)︑
エリトリア︑エチオピアの外港︑本土と架橋)のように従来の外部からの内陸進出の基地から大陸内部からの外部連
絡港としての性格を変え得たものは︑内陸の開発に伴ってかえってその繁栄を進めてきた︒乙とにスエズ運河の開通 マツサワ
(紅
海に
あり
︑
後︑従来︑世界航路からはずれおそくまで﹁中世的遺物としてアラビア商人の支配下にあった東アフリカ沿岸の諸地間域﹂に栽楠農がもたちされて︑モンパサはケニアの外港として架橋されいはげしいザンジパル島との競争に打ちかっ
て繁栄している︒
ペナシ島のプムエステート
かつての島市ペナシは、本来の機能を喪失するととも にゴムプランテーシヨシの島に変ってきた。新しいエ ステートは写支のような傾斜地を利用した等高線耕地 が多いようである (昭和40年撮影一機上から)。
シシガポーノレ、ホンコシの貿易額 (単位100万ドル)
│シシガポリ│ホンコン│
輸 出 329.9
(対アメリカ) (98.3)
1938 (対イギリス) (46.7) (6.4) 輸 入 315.9 (187.0)
ド対アメリカ) (9.7) (16.5)
(対イギリス) (58.2) (17.0) 888.9 629.1
(対アメリカ) (114.7) (109.0)│
(対イギリス〉 (89.4) (80.9) 1959
輸 入 1,014.6
(対アメリカ) (40.9)
(対イギリス)I (106.1) (100.4)
(アジア経済研究所 アジア貿易統計 )
‑1961ー附表:アジアの貿易マトリッグス 1
(註) 1938年のシシガポ戸ルの数字はマラヤ、
シンガポーノレがふくまれている。
マレ戸、シンガポ{ノしのゴム (1938年)
錫 (1939)移出量
マレーの錫製品輸出量 (1939)
プム177,851トン錫41,624トン
(室賀信夫:前掲171頁209頁より作成) 戦前シンガポ戸;J...は東南アジア全域からゴ ム、錫の原料を輸入し、これを精製して輸出 していた。もちろん今日でもその性格はかな
E り残っているが、筆者のおとずれた昭和40年
44.61
1はインドネシアと国交断継状態にあり、多く
8.91
.の錫工場は閉鎖されていた。
0.9 4.6
7.6
世界錫生産呈、消費量
(1935‑38年平均)
│ 生 産 │ 消 賀 トシ│ トン
166,9501 164,900
%1 % 37.21 45.6
166,950 82,08トン9 68.5 %
6.6
2.6 10.1
室賀信夫:印度支那 (昭和16年)211頁 世界総生産量 輸 出 総 額
本 ン ス
ド
zt
I‑ h以
々﹄
リ カ
ン ナ
の
メ
プ
イ
カ
そ
ブ
ア
日
離島の商品・資本移動同l架橋時代
1.2
0.6
界
ヨ . ‑ ロ ツ ノf
ア
両
カ
米 リ 世
プ
全
アジア大洋州 a ιE z‑ n u
nhU アフリカ沿岸の島市と同じ
ような性格と考えられるアジ
アのペナン島︑シンガポール
島︑ホンコン島のゴ一自由港の
うちペナン島はザンジバル島
のように島市よりはむしろゴ
ム栽植の島に変っているが後
の二島は独自の発展を示して
きた︒すなわちアフリカと異
って一応政治的独立を保って
(室賀信夫:前掲200頁) し き て た
¥ 中 ま 固 た 大 白 陸 由 へ 港 の と 進 し 出
て 基、 地
ま と
さにリウのいう島市の性格を
乙の二つの島は長く荏続して
きた︒そして香港は第二次大
戦後急速な人口増加を示して
はいるが︑戦前と比較して自
由港としての繁栄は相対的に
六九
経 営 と 経 済
シンガポールをしのいでいる︒シンガポールの戦前の貿易で注目されるのは本国に対する移入超過外国に対して輸出
Fむ
O 超過であり︑ことに対アメリカに著るしい輸出超過(輸出は輸入の一O倍)示していることである︒乙れはわが国な
シンガポーノレの貿易相手地域(単位 100万ドル)
97.1 46.71 150.9
;;::l i(:;│::::[対副 58.2
計 1938
89.41 626.21
戦前の東南アジア諸国に対する極端な輸入超過(ゴム、錫の原料)、
アメリカに対する輸出超過(ゴム、錫の製品)は、よくシシガポ戸 ノレの地位を示している。戦後、この傾向はイシドネシアへの極端な 片貿易としてのみ残った。
どの植民地貿易にみられる本国に対する移出超過︑外国に対する輸入
超過とは全く逆の現象にある︒しかし戦後はこれらの性格はかなり変
︐っている︒シンガポールの戦前貿易の相手国をみると︑東南アジア全
域の工業原料│ゴム︑錫ーを輸入し︑その精製品市場を本国でなくア
メリカにじていた︒しかも︑ゴム︑錫は︑世界的な地域的独占商品で︑
その消費は主としてアメリカ(例えば世界総ゴム生産量の四五
M m を
ア
メリカが消費している)である︒従って︑アメリカはゴム︑錫の供給
地である・東南アジアに決定的に依存せざるを得ない立場にあり︑イギ
リスはその精製地をシンガポールに集中せしめることによって︑この
島のその大規模な軍事施設とともにイギリス極東政策の中核的地位を
与え︑しかもアメリカはそれに協力することがまた自国の決定的利益
につながる体制が整えられていた︒ここに巧妙なイギリスの極東政策
品川官があるとともにシンガポールの特殊な繁栄があった︒
重商主義前期からひきつづき香料生産と輸出が長く支配的であった
束インド諸島ではモルッカ諸島の生産制限と会社の独占買上げや一八
世紀末東インド会社解散後もジャワ島にみられる強制栽培制度に代表
されるように重商主義的な生産方法が長く支配してきた口しかし技術革新とスエズ運河の開通(一八六九年)によっ
てヨーロッパの資本が﹁あらゆる方面からζの南アジアの熱帯密林中に流れ﹂こみ︑長い重商主義時代に終止符がう
たれる︒例えば︑ジャワ烏では農地法ゆ改革(一八七
O)
とともに輸出作物が原住民耕作者の手から直接ヨーロッパ
資本の経営にうつる基礎件与え︑ついで強制栽培制度が廃止され︑﹁一八七二年以来オランダ領の諸島に自由貿易と
門戸解放政策がもたらされ﹂︑またパンカ︑国自問ωピリトン回目EZロ両島は﹁従来の農耕を放棄して錫の採磁に
専門佑しト︑﹁長い間南アジアに近付かなかった栽植耕は︑今や他のいかなる熱帯地域にもみられない有利な点を見
什 は
出した﹂ロその利点とは農業的に訓練された多くの農民であり西インドのように他の大陸からの労力の移入を必要と
しなかった点である︒かくしてこの地域のプランテlション開発とともに︑これら農民の﹁アフリカ奴隷の大陸間移
% 1由 域 │ 総 額 │ 輸 入 │ 輸 出 ア ジ ア 59.0%1 5 7.1%3 60.5%6
ア メ リ カ 31.50 31.23 31.68
ア フ リ カ 9.49 11.64 87.76
,世lこ界占総め易る易% 16.34 13.4 19.1
熱帯地域貿易 (1927)
1927年熱帯貿易総額44.5億マノレグ
Leo Waibel : Probleme der Land‑
w irtschaftgeographie (1933)訳 本238‑
239頁
離島の商品・資本移動日l
架橋時代
関領東インド主要輸出品
1905 1929
% %
ヨや ム 5.0 16.4
工
業 石 1出 7.3 11.4 原 錫 1.3 5.5
料 コフ.ラ 10.4 6.8
計 24.0 40.1
。
者 砂 糖 28.8 21.3
好 タ バ コ 13.2 5.8
日仁日1 コ戸ヒー茶 8.9 10.8
計 37.9
そ の 他 │ 22.0 百 万 川 戸 「 マ ギ ル 総 金 額 292.0 I 1,443.4
七
(東亜経済調査局:蘭領東印度篇319頁) (註)その他のなかに、工業原料あるいは暗
好品がふくまれていないとはいえない。
経 営 と 経 済 (1) 1905年では、まだ「積換え
輸出が大部分J(東亜経済調 査:関領東印度 320頁)は是 認できるが、1935年ではプム、
錫の精製加工と輸出が多いと 思われる。
(2)本国オランダへも1929年で は16%であった。これはプロ ツグ経済の進展を示すもので あろう。
(3) 乙れら工業国群への直接翰 出が急増しているが、更に、
(1)の点から考えてシンガポ戸
;~も直接消賀国の中に入れる ことが出来よう。
関領東印度の輸出相手国 相 手 国 1905 1935
% %
シシガポ戸;q1) 24.5 16.6
オ ラ ン ダ(2) 27.5 26.2
ア メ リ カ 4.2 14.2
イ ギ リ ス 2.8 7.2 3) 31..5 3)
日 本 4.4 17.1 5.4
プ プ ン ス 4.4 2.9
ド イ ヅ 1.3 1.8
ア ブ リ カ 9.8 3.1
「て の 他 21.1 22,6
計 100.0% 100.0%
総 金 '(ji
(百29万2.0ギノレダー〉(4百46万.0ギルダ戸〕
七二
動にも比すべき民族移動が南アジア(インドもふ
くめて)の熱帯地域内に起った﹂︒かくして︑世
界経済が独占の段階に入ってようやく輸出作物が
(東亜経済調査局:関領東印度321頁および334頁)
原住民耕作者の手からヨーロッパの資本にうつっ
た︒別技はジャワのプランテlションが始まった
のは一八六O年以降とし︑またランネットはジャ
ワでは一九
OO
年をもって新しい農園発進を画す
る時期としている︒そしてその栽植農は移学的方
法で輪作方式が取られた︒何れにせよ世界経済が
独占段階に入ってセイロン島ジャワ島マラヤ半島
は重商主議期の西インド地域に代って世界最大の
栽植農地域となり︑著るしく生産︑移出量を増大
するとともに従来の晴好作物からゴム︑錫︑石油
などの工業原料に変ってきた︒なお交易の相手国
も工業原料の増加ともに従来直接消費国への輸出
向MWが少なかったのが次第にアメリカ︑イギリス︑日
木などの消費国に送られるようになる︒かかる傾
向は戦後のわが国の離島にも起きている︒
台湾と南洋群島(旧日本委任統治領)との資本舟義化わが国の領有した当時(一八九五)の台湾島は主としてア
的MWメリ力︑イギリス︑中国の商業資本の搾取下にあり︑南洋群島(一九一九年領有)は重商主義的な榔子樹の契約栽培
的凶
のほかに政庁による帝国主義的な強制減培制度のもとにコプラの単一栽培が行われ︑島民の消費物資と榔子との物々
的MW交換が若るしい不等価のもとにあった︒土地の強制買上げからプランテlション経営に移行する過程でドイツは乙の
領土を失った︒
台 湾 、 南 洋 群 島 の 人 口
品 名 │ 年 次 │ 島 民 │ 肌 │ 外 国 人 ( 総 人 口 1
l
耐1}洋 1'9201 92判.剖i17拍.01 0拍.152,2m2ノM2
群島 16331 62.01 37.91 0.11 80,
1四川 0.11 5,159
(サイパン)
い 蜘1927 1 γ 1 3 1 494.41 4.71 0.9i 4,337,0
離島の商品・資本移動日l架橋時代
矢内原忠雄:南洋群島の研究46頁
同上:帝国主義化の台湾332頁の注(9)
(1) (2)
乙の前期的な亜熱帯︑熱帯島興植民地は日本からの投資によ
って急速に資本主義佑し︑直ちに独占段階に飛躍するとともに
大きい本国の資本︑商品の市場となりまた吸資地ともなった︒
そしてその開発は主として台湾は島民労働力に︑南洋群島は日
本からの移住者によって行われ︑いわば︑前者は地域労働力を
ドイツ時代における南洋群島 物々交換価格
南 米 京 (二十五斥〉
マ ッ チ (ー包) 鮭 缶 詰
(ー斥)
矢内原忠雄・・南洋群島 (121頁)
指向した東インド型であるの
に対して︑後者は移住労働力
商 品 │ 現 金 売 価 │ 三 品 品
マノレグlマノレグ
5.001 10.00
0.40
2.00 0.20
門川u
n u
a EE ‑
‑
に多く依存した西インド型で
あっ
た︒
Tこ凶 e
fヘ 口
自 湾 由 は 主 領 義 有 段 後 階 売 を 却 思 論 わ さ せ え る 出
が︑領有後九年にして自給可
能な植民地となり︑製糖業を
七
経 営 と 経 済
問中心と伊万民間投資が続き一九二六年末で総額約二二億円に達する︒これは南洋群島の一九三コ一年の民間投資四︑向
︒︒万円の約三O倍であるが︑人口一人当り貿易額(一九三二年)では︑台湾八二円に対して後者は二五三円であり︑
品川可後者における資本主義佑の高度さを示しているo民間投資のほかに官営企業があり︑また明治三三(一九
OO
)
年よ
り大正一四(一九二五)年の聞に︑台湾糖業に支出した政府資金は二︑四七O万円に達する︒また台湾のゆたかな財ω 政収入をもって重商主義期の植民政策と異り台湾開発に投下されてきた︒例えば製糖資本と内地に市場をもっ非資本ω 主義的な米作の保護奨励との競合における妥協の産物であった嘉南大刈の大水利事業の八OM(
五 ︑
000万円中約ω
四 ︑
000万円﹀は総督府の出資であった︒
羽 一
こうした投資によって︑従来自然経済の域にあった南洋群島も重商主義段階の台湾も急速に資本主義佑し︑しかも拘置ちに独占の段階に組み入れられて従来の孤立性を喪失してくる︒台湾の貿易額は明治ゴ二(一八九八)年から二O
年後には約一五倍に増加し︑南洋群島もまた南洋庁開設時(一九二二!大正一一)から一O年後には約六倍に増加
料 輸 す る
︒ 後 者 は 一 九 一 ニ
O年の対馬(人口︑五.五万)の総移出入額
原 を
︒ 粉 米 品 ) 澱 外 商 頁 乙 み
J円b
ル 別 む 笥 { は 国 持 コ米外﹂仁 ル
︑ は
EV開J間 藷 て る 張 甘 し す ザ ) と 入
φ註
台湾生産、輸移出指数 (明治35年を100とする大正14年)
l生 産 │ 移 出
米 481 546
甘 茂 1294 一
パ ナ ナ 2379 一
甘 藷 381 2,356
茶 157 一
七 四
四O七万円の約四倍に及んでいる︒それに伴って交易の相手地域
も台湾は以前の中国および香港から大部分が内地と一部アメリカ
恥MVに変り︑当然内地むけ商品の生産と移出が急増する︒南洋群応も
相手国がドイツから日本内地に変り︑しかも両者とも内地への顕
著な移出超過と外国への輸入超過という典型的な植民地的パタl
ンを示してくる(さきのシンガポールと対味的である)︒しかも
とれら台湾特産品(砂糖︑アルコール︑バナナ︑梓脳)は殆んど
台湾、南洋群島、対応の交易 (100万円)
1出 域 I年 代 I輸出 I移出 I輸入I移入 IBt I年摘代│邦要人人口
1) 1897 12.6 3.7 31.1 1905 2) 59,618
」口、コ 湾
1926 49.31202.1 62.0 121.4 434.8 1926 202,990 3) 1922 3671
南洋群島 1932 0.05 13.8 0.33 6.3 20:51 1633 30,670
5) 一 1.3 1.9 1920 7) 56,646
対 馬
193 ‑1 1.5 一 25 4.0 1930 54,562 離島の商品・資本移動向l架橋時代
矢内原忠雄:帝国主義下の台湾(全保第2巻)313頁
同 上 向 上 332頁
向 上 :南洋群島の研究 86~87頁
同 上 向 上 46頁
長崎県産業施設調査 6) 帝国港湾統計 7)
︑ ︐ ︐ ︐ ︑ ︐
J︑B
︐ ︐ ︐ ︑
︑ ︐
J
︑ ︐
J
4lnLnoa
斗
E1
u セ ン サ ス
南洋群島移出入品目(1932)
口仁口I 目 移 入 口ロ口 目
~山C丸、 額 (610,20505円.)1 泣; 額
米 13.9% 砂 糖 69.3
重 工 業 14.6 コ フ. プ 8.5
化 学 工 業 2.3 燐 鉱 7.8
酒 、 タ パ コ 10.0 告旦 節
織 物 13.5 そ の 他 7.9
木 材 パ ル プ 7.0
そ の イ也 38.7
計 100.0 計
わが国肥料市場
(大正14年)
」 コ
、口
手A
外
額四五九万マルク♂プラ︑
燐鉱で四四四万マルク)か
670万円
矢内原:台湾321‑322頁
11
駒内地市場を独占し︑また南
105
洋群島の輸移出もドイツ時
代のコプラ︑燐鉱(総輸出
湾 鮮 国
七五
矢内原忠雄:南洋群島の研究83~86頁より作成
経 営 と 経 済 発
(三菱高島鉱業所概況案内) 明治14(1881)年三菱の経営にうつる が、第1次、第2次大戦による盛衰はあ るが飛躍的に出炭が増大するのは第2次 大戦後である。
七六
ら圧倒的に砂糖が主位を占めてきた︒
内地からの商品では︑台湾は世界市場
のせまい重工業製品や肥料の重要な市
場であり︑南洋群島では酒︑たば乙の
政府専売口聞が多く︑戦前の内地離品に
相似しているが︑一方霊佑学工業製品
の市場であるところに内地離島と異っ
てこの群島の資本主義佑を示す︒かか
る商品移動による内地の受取超過のほ
かに台湾の銀行は殆んど内地資本である台湾銀行の独占事業であり︑島内の予貸率は極めてひく主o必までが島外
に投資されている︒島民もまた多く内地資本企業に投資し︑内地発行の国債も多く島内で消佑されている︒南洋群島44 に至っては政府直営の郵便局があるのみ村ある︒こうした金融流通において︑台湾に対して内地の受取超過は一九二
五(大正一招年の一年のみで一二︑000万円に達し︑結局かかる価値の移動は﹁内地の資本家が自己の右手から左
手に
hつつし臼にすぎないものであった︒
わが国の離島では自由主義段階において資本主義的開発が行われたのは炭鉱島に限っているといってよい︒さきに
刑制
述べた長崎西海の高島︑崎戸島その他はこの例である︒一二菱資本の放棄した香焼島炭坑は地方資本によって開かれて
いるが乙の点はあとで詳論する︒
の1f開
高 島
以上を要するに︑熱帯島興植民地は独占段階に入って本国の投資による急速な資本主義佑が行われ︑自由主義段階
の停滞を打破し︑本国経済を媒介として世界経済に組みこまれ従来の孤立性を喪失していった︒しかし︑さきにふれ
たように日本資本主義は戦前既に独占段階に入っていたが︑なお前代の停滞をつやつけてきたわが国の沿岸離島は︑戦
後の離島振興法(一九五三年制定)その他の主として公共投資によってようやく資本主義佑の過程に入り︑その孤立
性と停滞性から離脱してくる︒
日 本 の 架 橋 時 代
商品の交易戦前離島の商品交易と戦後のそれとを
比較すると︑その量︑質ともにかなり劃期的な変佑が
起っている︒乙れは自由主義段階から独占段階に進む
経済の高度佑につれて当然の傾向であるが︑自由主義
段階の時期と戦前の独占段階の時期とを比較すると︑
さきにも述べた如く必ずしも明確な量的質的変佑は起
って
いな
い︒
戦後まず交易商品の呈が飛躍的に増大している︒も
ちろん例えば瀬戸内の旧寄港島ゃ︑五島玉ノ浦の旧漁
業基地のように相対的に停滞しているものもあるが︑
大体長崎県離島のばあい霊呈で戦前独占期と比較して
殆ん
ど一
O倍以上の増加がみられる︒
離島
の商
品・
資本
移動
同l架橋時代
戦前両期と戦後交易商品呈の比較
瞬間糊独占醐際司
2)1 (1930)
平戸港(平戸) 1 6(千19円.0)1(千228円.0〉 1ト9.ン41 169.2
有 川 港 ) 631.5 532.0 4.6 206.6
福 江 潜 五 島 521.8 2,961.6 29.9 297.1
厳 原 港 ( 対 馬 〉 1.067.0 一 24.4 184.6
2)玉ノ浦港(五島) 一 一 65.5 18.0
全 壱 岐 島 ‑1 64.8 899.3
3)上ノ関(山口県) ← 18.4 4.9
両 津(佐渡) 一 一173.8 304.2
西之表(種子) 一 ‑1 26.8
1) 長崎県産業施設調査第二巻により、他は港湾統
計関係年による。
2) 玉ノ浦は戦前の漁業基地としての性格を戦後失
った。
3) 上ノ関は瀬戸内の古い寄港島の港である。
七,じ
経 営 と 経 済 東邦亜鉛K.K.対州鉱業所
対馬の西海岸小茂田近くに立地する。古くは白鳳期 から開発され、藩政期にはかなりの労働力を入れてい たが、本格的開発が進められたのは戦後である。
(会社提供)
七 J¥
商品の質的変佑についてみると︑工業製品と米穀の移入︑水
産物を主とした食料品と比較的面積の大きい島での林産物の移
出というパターンに変佑はないが︑まず移入では戦前の酒︑た
ばこ︑砂糖などの晴好品中心から戦前極く小量しかなかった石
油機械類などの生産財や石材︑セメント︑砂利などの建設財の
移入が大きいウエイトを占め︑また移出では水産物も量の増大
とともに従来の塩干物から鮮魚中心に︑林産物も木炭の如︑き一
般消費財から木材(主としてパルプ原料)の如︑き工業原料に変
り︑本土市場の要請に答えてきている︒五島の甘藷は食料品か
らアルコール原料として移出されるようになった︒戦前離島の
地下資源の資本制生産は殆んど石炭に限られていたのが(瓶︑一戸
内の島々では零細な業者による石材の移出が盛んであったが︑
今日かなり減少している)︑戦後地下資源の資本主義的開発が
進み長崎県でも五島︑壱岐の陶土︑対馬の亜鉛︑鉛︑白土などの鉱産物移出が多くなってきた︒移入商品はますます
多様佑するとともに︑一方壱岐の水産物︑対馬のスルメ︑鉱石︑隠岐の木材︑五島の水産物︑アルコール︑ろう石︑
瀬戸内のみかん等移出商品は特定産物に特佑する傾向を示し︑植民地的パターンを強めている︒これはさきにふれた
独占以降プランテiシヨン開発が進み︑資本主義佑してきた海外の植民地島興の貿易構造との相似を示している︒
商品の交易相手地域にもさきの時期と比較してかなり複雑な構造を示してきた︒第一に離島の資本市場佑の進展に