営 と 経 済
木の調査対象の三六%は島外で購入している︒商品の島内移動も著るしい制約を
うけ︑未だに行部(陸上および海上)から購入する率は極めて高い前期的状態を
示している︒乙れは交通路の未発達なことに上対馬に多い︒港湾統計(昭和三七
年)によると︑対馬島内に分配される島外移入商品の三六
ド島内各主要港にあM m
つまる島外移出品の二二必は海上輸送に依容し︑茂木によると漁家の漁船による
壱 岐 勝 本 浦 の ・ 朝 市
定、ム圃町田...:<<,<<0:--,州、古川叩醐酎即ぽ川町一冊、..,..~山崎謝申醐咽醐圃園田町冊一
自給時代における物々交換の名残りとして壱岐では かなり「朝市」が残っている。現在、勝本浦に最も盛
,.〆て守ある。(昭和41年撮影)
壱岐島朝市利用状況
毎
週5‑6日
36 %
29 19
日
3‑4日 対局島内小売庖以外での)1持売率
│
行利用商率i
購島売外率 I 備 者‑院 12.1 厳原町東南部 久 田 19. 38.0 厳原町近郊 地 知 35. 33.4 美津島町中心地
位 82.3 32.3 豊玉村内陸 東 部 22.0 24.2 峰村東部
回 36.9 28.2 上県町西部 比 田 勝 36.0 55.0 上対馬町中心地
言十. 35.8 36.0 一
13
(昭和38年実態調査) 3 1‑2日
利用しない 茂木氏アシケート調査集計による
(茂木六郎:対馬の商業と交通)
荷物輸送もかなりの数に上っている︒卸商の販売領域からみると︑対局には厳原(厳原町)︑佐賀(峰村)比田勝(
上対馬町)の三商図があり︑厳原の商圏は豊玉村以南をふくみ︑比田勝のそれは︑上県︑上対馬両町に及ぷ︒佐賀は
峰村一帯である︒食糧品を除いた小売商圏はさきの三卸商圏のほかに副芯として難知︑(美津島町)佐須奈(上県町﹀
が介在する︒盟玉村︑上県町の小売商勢力は極めて弱体で︑例えば豊玉村の食料品販売庖は総小売業者の九一%︑上
県町では七八%を占める︒さきの行商に依在する率の高いのはこれら商圏の接触
地点であり︑例えば豊玉村の仁位小学校区では利用率が八二
M m に及んでいるのに
対して︑厳原附近はわづか一二
M m で
ある
o )一方島外購売率は島外との交通条件に めぐまれた比国勝︑厳原附近にむしろ高い d
(昭和39年)
町
名|高居置|卸荷数ド、売応数持lt売量拍I~説 (1 ,6会OO5話O.4
iqり)美津島町 難 知 7.5 I 19 I 76 I 39. 1
盟 玉 村 な し な し 6
I
91I
21.6峰 キf 佐 賀 15.0 8 65 32.1
上 県 町 佐須奈 7.5 11 78 26.7
上 対 馬 比田勝 15.0 16 68 66.9
商 業
馬 の
対
(茂木六郎:対馬の商業と交通)
離島の商協・資本移動同i架橋時代
一
O五比田勝、厳原は古くからの商業地であるが、
佐賀は戦後急速に商業地として発展したもの である。戦前はそうめん船や、行商が島内小売 業に支配的地位を占めていたと考えられる。
離島の本土市場
福江卸商の小売商に対する列島内勢力は奈良尾を除いた若松町以南であり︑岐宿︑玉ノ浦以外は一
O%
以下であっワ 臼
た︒乙れは実態調査による小売業者の仕入れ地とほぼ一致している︒しかも福江以外の島内卸商でやや有力なのは奈
良尾︑有川程度で︑列島内の卸業者はもちろんであるが︑小売業者も九
OM
mは島外から直接商品を仕入れている︒
主要卸商地域である福江卸商の仕入れ商品の又は生産者仕入れであり︑その大部分は長崎︑福岡からであって︑他
の主要工業地帯からのものは殆んどない︒
M
の卸業者仕入れでも大部分は長崎卸商から仕入れており︑長崎以外では四大工業地帯からでうち大阪が最も多い︒そして長崎県内卸小売業者の仕入の相手地をみるとかなり四大工業地帯に
依存していると思われるから卸商からみたぱあい︑五島列島は長崎および主要工業地帯の市場であるといえる︒次に
全仕入れの九
O%
を島外から得ている小売業者の島外仕入れ主要相手地(資料がなく︑実態調査によった)は︑下五島では長崎︑大阪︑福岡︑佐世保︑上五島では佐世保︑長
9‑
崎︑大阪で︑はきものは諌早︑陶器では有田︑家具︑では大
川(福岡県)からの仕入れが注目される︒
地手
口同
入購
古兄
卸同 一 川
崎長 経営と︑経済(昭和37年)
相 手 地
l
%東 京 都 8.0
愛 知 県 1.8
大 阪 府 14.8
京 都 府 1.5
兵 庫 県 0.7
福 岡 県 23.5
長 崎 県 38.4
佐 賀 県 2.6
そ の 他 8.7
総 額 I1百67万,03円0 一般に雑貨品食
者
11
傭 第 雇 表 常 計 ぴ み 統 ょ の 業 お 居 商 工 人 商 : 伝 法 の 省 お ) も 産 巻 註 を 通
1
福江市卸商仕入先
一
O六(昭和35年商業調査、単位100万円)
* ノ(g
比 23.8% 76.2% 100.0%
大阪以東 0.5% 3.6% 4.1%
大 阪 0.9 4.4 5.3
中 四 国 1.3 1.3 2.6
九
m
1.7 0.3 2.0福 岡 10.0 3.3 13.3
長 崎 9.4 63.3 72.7
五島主要地(奈留、若松、有川、奈良尾、摂津、青方) 各小売商の仕入れ先き(件数のみ)
|福江 I~O)自|長崎市|諌早市|佐世罰福岡市(大J!時田市|大阪利益事r
食 品 23 23 27 一 35 一 一 一 一 一 衣 服 一 一 22 一 9 2 一 一 16 11
雑 貨 48 5 14 2 4
。
機 械 一 18 一 12 3 一 7 一
計
I
251 241 115[ 5[ 70 1 31 23[121 2(註) (1)諌早市ははきもの、大川市は家具、有国は向器のみ。
(2)奈留45軒、若松19軒、有川16軒、榎津5軒、奈良尾12軒、育万20軒(調 査小売商数)
(3)乙れは、昭和37年に各小売商を対象としたアンケ戸ト調査の結果であ る。調査時点より過去一年間の仕入れ先
離島の商品・資本移動向l架橋時代 口聞は長崎︑佐世保︑衣類では大阪︑京都︑岐阜がゑザ︒そして佐世保の卸商仕入れ相手地も四工業地帯が五
O%
をこえ︑県内を加えると九O M
に達するので︑五島列島は一般的に︑県内と四大工業地帯の市場m
であ
ると
いえ
る︒
多く
︑ 平戸港の移出入商品をみると移出(重量)では対岸田平が圧倒的に
一万博多からは移出入ともに極く小量である︒しかし平戸卸商
の商業調査によると(昭和三七年)︑その販路は島内︑生月︑大島に
限られるが︑仕入先きは県外(全体の三七%l金額)の七八%が博多
であり︑他の主要大工業地帯を加えると県外の大部分を占める︒
平戸、佐世保市卸商仕入地
│ 平 戸 │ 佐 世 保
司l,、、、,。じ、必 額
百 部 蹴
比 100%.0100%.0 │
県 内 34.1
福 岡 29.3 27.4
尽 阪 神 2.4 15.31
東京、神奈川 1.0 7.7
愛 知 一 1.9
そ の 他 4.1 13.6
平戸は昭和37年平戸商業調査原簿 より、佐世保は市企画室集計。
(昭和37年)