「共生システム」 の成立と衰退
―― 長崎市斜面市街地における馬力輸送を手がかりにして
亀井真実
1.はじめに
2 0 1 0(平成2 2)年の現在、働く馬を日常生活の中で見る機会は稀になっている。しかし、歴史 を遡ると、文明の黎明期、紀元前においてすでに、人間は馬を動力として利用していたことが確 認されている。そして、 6 0年ほど前の日本ではなお、農作業や人、物資の近距離輸送は馬力に頼っ ていた。日本人と馬の関係の急激な変化について、澤崎坦は以下のように述べている。
戦後における農作業の機械化、道路網の整備による輸送手段の変革など、社会情勢の変化 と技術革新との影響をまともにかぶった馬は、需要の急減からいわゆる馬ばなれが起こり、
[1 9 5 2]昭和2 7年の1 2 7万頭を最後のピークとして馬飼養頭数は激減し、 [1 9 8 3]昭和5 8年現 在では軽種約6. 9万頭、重種を中心としたその他の馬が約2万頭となった。 (澤崎 1 9 8 4:3)
戦後の復興期、それまで人力や畜力が主流であった農業においても機械化が進んだ。国産自動車 の生産も、1 9 5 1(昭和2 6)年からは飛躍的に増大し、輸送手段は馬力から自動車へと転換してい く(永田 2 0 0 8:1 3 1) 。馬の社会的需要は衰退の一途をたどり、働く馬は日常生活から姿を消し ていった(本好:2 0 0 0) 。
ところが、長崎市では、斜面市街地で建築資材や大型家電などを輸送する馬の姿は、ごく近年 まで見慣れた風景の一部であった。長崎市における馬力輸送のピークである、1 9 7 0年代後半(昭 和5 0年代前半)には、1 5組
1程の馬力輸送業者が営業していたことが調査の結果確認できた。と ころが、長崎市の馬力輸送の世界においても、ここ数年の間に廃業が相次ぎ、現在では1組が残 るのみとなっている。その繁栄と衰退についての研究もほとんど行われておらず、行政による資 料も存在していない。すなわち、衰退の原因や産業としての仕組みが解明されないまま、長崎市 の馬力輸送は消滅しようとしているのである。日本の他の地域とは異なり近年まで職業として成 立していた長崎市の馬力輸送が、なぜ最近になって急速に衰退し始めたのだろうか。この問いを、
1 本研究では、馬力輸送者数を数える際に「組」という単位を使用している。これは、聞き取り調査から得た情 報のみでは、正確な人数を把握することが困難であったからである。それゆえ本研究では、同じ名字を持つ者 を「1組」と表記する。
2 研究対象には、馬力輸送者だけでなく、寺町通りの石材業者も加えている。その理由は、彼らが馬力輸送者と 共に仕事を行ってきたという歴史的背景があるためである。この点については、2009(平成21)年11月24日に、
長照寺内の桑原円敬氏から口頭で教示を得た。
長崎市の馬力輸送者と寺町通りの石材業者
2へのインタビュー調査によって解明することが、本 研究の目的である。
インフォーマントは、以下の1 3名である。
A(5 0代、男性、馬力輸送経験者) 、B(5 0代、女性、馬力輸送経験者)
※AとBは夫婦であり、現在は農業も行っている。
C(8 0代、女性、馬力輸送経験者) 、D(6 0代、女性、馬力輸送経験者)
O(5 0代、男性、馬力輸送経験者)
※CはOの母親であり、DはOのおじ嫁である。
Oは農業と出稼ぎ、Dは農業も行っている。
E(7 0代、男性、石材業者) 、L(5 0代、男性、石材業者)
※EとLは同じ店に勤務する。
F(6 0代、男性、石材業者) 、G(5 0代、女性、石材業者)
※FとGは同じ店に勤務する。
H(7 0代、男性、石材業者) 、N(5 0代、女性、石材業者)
※HとNは同じ店に勤務する。
I(6 0代、女性、石材業者) 、M(6 0代、男性、石材業者)
※IとMは同じ店に勤務する。
調査に先立って、先行研究で挙げられた馬力輸送の衰退原因は、長崎市の馬力輸送にも当てはま るのだろうか、という観点から、フォーマルインタビューの質問項目を設定し、分析は録音デー タをもとに作成したトランスクリプトに基づいている
3。
2.日本における馬力輸送の衰退
日本における馬力輸送は、昭和の中葉に衰退の一途をたどるようになる。その原因に関して、
石井常雄は以下のように論じている。
牛馬車・大八車・リヤカーなどを輸送手段とする貨物軽車両運送業は、戦後経済の激動に 耐え、昭和4 0年代までその役割を果たしてきたが、小型トラックの普及や貨物輸送近代化の 進展に応じて逐次衰退していった。 (石井 2 0 0 1:1 6 9)
このように石井は、トラック輸送の開始が馬力輸送を衰退させた原因であり、その時期は1 9 6 5〜
1 9 7 5年(昭和4 0年代)だと推定している。他方、馬事文化財団馬の博物館
4は、馬力輸送は「都
3 ただし、Aへのインタビューは、初期の予備的調査の段階ではICレコーダを使用せずに実施している。また、
H、Gに関しては、ICレコーダを使用することができなかった。これらの調査は、筆者がインタビュー内容 をメモに取り、後に記憶を手がかりにできるかぎり忠実に再現したうえで分析に使用している。
市部では自動車の興隆に押されながらも、昭和3 0年代まで続いた」 (馬の博物館 2 0 0 2:2 9)と述 べている。衰退の時期についての認識に違いがみられるものの、馬力利用の最も大きな衰退要因 が自動車の普及であったという点において両者の見解は一致している
5。
自動車による輸送は、馬力輸送の限界を容易に乗り越えていくものであった。石井は、馬を使っ た輸送について、以下のように述べている。
[……]馬の生理的な制約から、走力や牽引力に一定の限界をもち、積載量や、輸送距離に 応じて、スピードや輸送能力が減退していく。また、急坂など道路の条件、季節や天候によっ ても影響する。 (石井 2 0 0 1:3 8)
こうした馬力輸送の限界ゆえに、技術革新によって天候や地形にほとんど影響されない大量高速 輸送手段となった自動車へと短距離輸送の中心は転換していった
6。
しかし、石井によると、馬力輸送の衰退原因は自動車の普及だけではなかった。
馬力の衰退・崩壊を早めたもう1つの理由は環境問題である。生き物である輓馬は、厩で も道路でも臭気と塵芥を発生する。衛生に努めても限界がある。荷主からの苦情で輸送を取 りやめた事例も少なくなかった。馬力業者のなかには、住民からの厩の不衛生と蝿の発生の 抗議に困惑し、廃業を考え、自動車への転換を決意するケースもあった。 (石井 2 0 0 1:1 7 6 ‐ 1 7 7)
つまり、動物を使役する際に不可避的に生じる臭いや糞という衛生問題も、馬力輸送の衰退に影 響を与えていたのである。石井は、衛生問題に対して、馬力輸送者たちのとった解決策を以下の ように述べている。
[馬力輸送]業者としては、地域に迷惑を及ぼさないように立地することが重要になる。多 くの水路と野菜畑に囲まれた城東
7では、馬の排泄物の処理は農家に喜ばれ、リサイクルは 順調に行われたのである。 [……]この地域に集中するのは効率的・経済的のみならず、馬 力運送業のある意味での欠点ともいうべき衛生問題を補完する意味があった。 (石井 2 0 0 1:
4 8 ‐ 4 9)
このように、馬糞を農業に利用する主体と近接した地域に馬力輸送者が住むことは、 「衛生問題」
の回避策となっていたのである。だが、馬力輸送者がこのような解決策を講じていたとはいえ、
4 以下、「馬事文化財団馬の博物館」は「馬の博物館」と表記する。
5 日本ではトラックが普及するよりも先に、鉄道輸送が発達していった。しかし、長距離輸送は鉄道が担ってお り、馬力は自動車と競合しながら短距離輸送の現場で利用されていた。したがって、鉄道輸送の発達が馬力輸 送の直接的な衰退原因となることはなかった(石井 2001:172)。
6 その後、トラックは大型化と高性能化が進み、鉄道輸送の優位性をも覆した(国土交通省 2010)。
7 城東とは、かつて東京都に存在した区の名称であり、現在は江東区の一部である。
糞尿による衛生問題が、自動車の普及というファクターと同様に、馬力輸送衰退の原因になった ことを否定することはできない。
次に、馬力輸送が衰退するようになった時期を確認する。上述のように、石井は馬力輸送の衰 退時期を「昭和4 0年代」としている。しかし、「昭和3 0年代前半まで、馬力運送は都市の末端輸・
配送で活躍する」 (石井 2 0 0 1:1 5 5)と論じている箇所もあり、議論に揺らぎが見られる。一方、
馬の博物館は、馬力を用いた輸送は「昭和3 0年代まで続いた」 (馬の博物館 2 0 0 2:2 9)と記して いる。馬力輸送の衰退時期に関しては研究者によって見解が多少異なる。とはいえ、これらの先 行研究から、輸送の分野では、おおむね1 9 5 5〜1 9 6 4年(昭和3 0年代)頃に馬力の利用にかげりが 見られるようになった、とまとめることができる。
3.長崎市における馬力輸送
3. 1.最盛期と衰退時期
モータリゼーションが陸上輸送のほぼ全域を覆い尽くし、その裏面で荷物を運ぶ馬の姿が公道 から姿を消した1 9 7 0年代後半(昭和5 0年代前半) 、こうした全国的な動向から背を向けるように して、長崎市では馬力輸送が最盛期を迎える。これについてO(5 0代、男性、馬力輸送経験者)
は、以下のように述べていた
8。
O: そいけんそん頃は建築ラッシュやったと。
※: へ: : :、それがちょうどどのくらい前ですかね?建築ラッシュは、
O: (2. 0)昭和何年ぐらいやったかね、 (3. 0)<昭わ: :>(4. 0)墓ん仕事が増えたとが: : 原爆の3 3回忌ごろやけん
※: あ: :あじゃそのころにぃちょうど=
O: =昭和5じゅう: :ねん: : :(1. 0)そうそう昭和4じゅう: : :5、6年ぐらいから: : 5 0ね ん: :ぐらい>やったかな<?
このようにOの記憶によると、1 9 7 5 (昭和5 0) 年頃に斜面市街地は住宅建築ラッシュを迎え、1 9 7 7
(昭和5 2)年には墓建設の仕事が増加した。1 9 7 0年代後半(昭和5 0年代前半)が仕事の全盛期で あったというこの証言は、A(5 0代、男性、馬力輸送経験者)の「最も忙しかったのは3 0年ほど 前で、2 6、2 7歳の時でした」という発言とも一致している
9。
長崎市では、1 9 5 5(昭和3 0)年頃から人口が急増した。ところが、平坦地が乏しいために、住 宅地は斜面地へと拡大していった(杉山ほか 2 0 0 0:5 0) 。1 9 5 5(昭和3 0)年頃は未だ本格的な自 動車社会の到来前であったため、車の通る道路の必要性もあまりなく、結果として、車が入れな い斜面市街地が形成されたのである(長崎市都市計画部 2 0 0 3:5) 。石井が指摘していたように、
8 以下、アルファベットから始まる引用はアルファベットに該当するインフォーマントの発言、米印から始まる 引用は筆者の発言を表す。また、会話記号は文末に記している。
9 すなわち、Aが26歳だったのは1977(昭和52)年である。
馬力輸送は、急坂などの道路条件により能力や効率が変化する輸送手段である(石井 2 0 0 1:3 8) 。 しかし長崎市では、この坂の町という地理的特徴が建築ラッシュと結び付くことによって馬力輸 送の繁栄条件となっていたのである。さらに、Oが発言していたように、1 9 7 7(昭和5 2)年には 原爆の3 3回忌に合わせて墓の建設が増加した。このような理由から、長崎市では資材の運搬に馬 を利用するほかない状況が生まれたのである。馬力輸送が長崎市で利用されてきたことに関して は、宮崎昭行が「急な坂の多い長崎市内では以前から車の入らない坂道で対州馬が運搬に利用さ れている」と述べている(宮崎昭行 2 0 0 8:2 4 5 ‐ 2 4 6) 。つまり、長崎市の地理的・人口学的特徴 と歴史的固有性というふたつの要因によって、1 9 7 0年代後半(昭和5 0年代前半)という全国的に 見るときわめて例外的な時期に馬力輸送の最盛期が生み出されたのである。
最盛期から約3 0年で長崎市の馬力輸送はほぼ消滅するに至る。インタビュー・データからは、
長崎市で馬力輸送がほとんど利用されなくなるのは、2 0 0 4〜2 0 0 6(平成1 6〜1 8)年頃であったと 推定できる。A(5 0代、男性、馬力輸送経験者)は、調査を実施した2 0 0 8(平成2 0)年7月4日 の時点では馬を1頭所有していたが、その馬も2 0 0 9(平成2 1)年2月には手放している。このこ とから、仕事が減り始めた2 0 0 4(平成1 6)年頃から馬を手放すまで、つまり、馬力輸送を廃業す るまでの期間は数年であると分かる。以下ではその衰退原因について考察する。
3. 2.先行研究との比較による衰退原因の分析
ます、馬力輸送の最大の衰退原因とされる自動車の普及について検討する。F(6 0代、男性、
石材業者)は、石材業者が砂利や砂の運搬に馬力輸送を利用する機会が減少している理由を、以 下のように述べている。
F: はい、ただ使うあれが減ったって言うのはそのキャタピラ: :
※: う: :ん
F: 運搬機が(1. 0)出てきたから、まい(なん)運搬機がなくてほとんど対州馬で出て上 まで上げよったっていう‐
かつて、Fは、対州馬を用いる馬力輸送者に資材の運搬を依頼していた。しかし、キャタピラー
(無限軌道)を搭載する小型運搬機を利用するようになり、馬力の必要はなくなってしまったの である。現在の資材運搬方法については、D(6 0代、女性、馬力輸送経験者)が「あキャタピラ: : てこ上げよ‐」や、M(6 0代、男性、石材業者)も「あ、あの: :運搬機がありますので」と述べ ている。F(6 0代、男性、石材業者)が運搬機を「どこでもみんな持っとる」と発言している通 り、インフォーマントとなった全石材店が運搬機を所有していた。これらF、D、Mの説明を併 せて考えると、馬力に代替する動力として運搬機が盛んに利用されるようになったことが確認で きる。
既に確認したように、長崎市の斜面市街地には、道路が狭小で自動車が進入できないという問
題があるため、輸送の際に馬が利用されてきた。この問題にも、運搬機は対応している。馬力輸
送のために必要な道幅について、A(5 0代、男性、馬力輸送経験者)は「馬が安全に通れる最低
限の1 3 0cmがあるかスケールで確認したりしますよ」と発言した。一方、運搬機のそれについ てはFが「1メ: :タ: :ぐらい‐の広さがあったら、キャタピラ: :で行くし」と語っている。つま り、運搬機は馬よりさらに狭い場所の通行にも適した輸送手段なのである。このように自動車の 普及は、長崎市においては馬力輸送の直接的な衰退原因となることはなかった。馬力輸送を衰退 させた一因は、運搬機の普及であった
10。
次に、衛生問題が長崎市の馬力輸送に及ぼした影響について検討する。以下のB(5 0代、女性、
馬力輸送経験者)の語りは、この点に関する返答の典型である。
※: じゃ特にそういうことであの: :他の:苦情が来たりとか言うこともなかったわけですね、
B: は hh そ:いうのはないですよ
インタビューでは、馬力輸送者と石材業者の両方から「衛生面に関する苦情は来なかった」とい う趣旨の返答を得た。 つまり、 長崎市では衛生問題も馬力輸送の衰退に直接関係することはなかっ たと推測できる。
衛生問題については、O(5 0代、男性、馬力輸送経験者)の以下の発言にも注目したい。
O: そ:そそ、そいでほらそこら近れん近所の人はみんなぁ、我が家が同じほら仕事をした あ家を修治したり修繕したりなぜなすっときには、
※: はい
O: またほら馬ば頼まんばやけん。一緒やけん。
※: そうですよね。
O: うんよそ:しよっけんで苦情言う:てもまた我が家ばすっときにまた苦情のくったい。h
※: は: : : hh みんな一緒、坂のことをよく知ってるからぁ、
O: そうそう
※: 理解してたって感じですか?
O: そ:そうそうそう。
これは、馬力輸送の現場となることが多い斜面市街地の住人たちは、馬力輸送の衛生面について 理解しており、否定的な反応を見せてはいなかったことを示している。自身も斜面市街地に住む B(5 0代、女性、馬力輸送経験者)は、仕事時に回収した馬糞の処理方法について、 「そいで: : 家まで持ち帰ったり、 (1. 0)近所の人が: :もし畑でもしてれば: : hh あいるって言われればやっ たり」と話した。このように、斜面市街地では、馬力輸送者と近隣住人とが馬糞を堆肥として利 用することによって、馬を受け入れていたのである。先行研究では、衛生問題の解決策として、
10運搬機が利用されるようになった背景として、道路整備が進んだことも重要である。この点に関し、C(80代、
女性、馬力輸送経験者)が「階段道じゃったし、したら、やっぱり家とか墓とかねぇ、[馬力輸送を]しよっ たけど、今はもうどこも墓も良か道ができてしまっとるでしょ」と発言している。この発言から、道路が整備 され階段状の道が減少したこともまた、運搬機の利用の増加につながっているのである。
馬力輸送者たちが集中して居を構えていたことが指摘されていた(石井 2 0 0 1:4 8 ‐ 4 9) 。これに 対して、長崎市の場合、馬力輸送者の居住地は散在していた。しかし、彼らの仕事現場は斜面地 に集中しており、このことが衛生問題の回避に繋がっていたのである
11。
3. 3.共生システム
自動車の進入が困難である斜面市街地では、住人である顧客と馬力輸送者にとって互いの存在 が生(活)=life の成立条件となっていた。それだけでなく、先行研究にもあったように両者は 畑や菜園のために馬糞の堆肥利用を行うことによって、馬力輸送の衛生問題を回避し、 「共存の エコシステム」 (河合 1 9 7 9:5 1)を構築していた。つまり、馬力輸送者と斜面市街地の住人とい う異なった「種」は、馬力輸送を軸にした共生関係を築いていたのである。
厳密に言えば、馬力輸送を中心にして見たときの「共生」にはふたつの位相がある
12。そのひ とつは、上述した、馬力輸送者と斜面市街地の住民という「異種」の共生である。もうひとつは、
馬力輸送者同士という「同種」の共生である。この点については、以下の発言から確認できた。
まずは、O(5 0代、男性、馬力輸送経験者)の発言である。
※: あ、じゃ長崎市でもぉ、1 0人ぐらいでぇ結構なんかみんな顔しわかってる感じだったん ですか?
O: そうそう、一緒に、仕事、行くところほらだいがい一緒やけん、坂があるところや h け ん h
このことから、馬力輸送者たちの仕事現場は斜面市街地にほぼ集中しているため、彼らが仕事中 に顔を合わせることも多かったことが分かる。だがより重要なことは、彼らの関係は単なる顔見 知りにとどまるものではなかったということである。
・ 「忙しい時は、仲間に電話をすると4、5人がかせに来てくれて」A(5 0代、男性、馬力輸 送経験者)
・ 「仕事の忙しゅうしてさぁ、行ききらんときは、行ってくれんねって言ってから。頼んだり しよった」C(8 0代、女性、馬力輸送経験者)
これらA、Cの語りから、馬力輸送にとって、仲間同士の助け合いは、生存のための前提条件で あったと理解できる。すなわち、かつての長崎市の馬力輸送は「同種」による「共生システム」
を形成することによって職業として成立していたのである。
しかし、この「共生システム」は、人口学的な要因によって危機を迎える。すなわち、斜面市
11本研究がインフォーマントにした馬力輸送者の全員が、同じ場所ではないものの、共通して斜面市街地に住ん でいた。しかし、かつては斜面市街地から離れた場所に住む者も少なくなかったという証言をえた。しかし、
その割合がどの程度であったかについては、明らかにできなかった。
12本研究では詳論しないが、ここにはさらに人間と馬との共生という次元も存する。
街地における住宅需要が減少したことである。これは以下の発言から読み取ることができる。
・ 「次第に機械化が進み、人が高台に家を建てなくなり、仕事は減りました。平地にはマンショ ンが建ち、高台ではたとえ土地を持っていても住まない人が多くなりました」A(5 0代、男 性、馬力輸送経験者)
・ 「そいで、う:ん、そいで、もう家も上の方、階段のところはもうほとんど年寄りばっかりでぇ。
もう、家ばずっと建てるようなところも無いとですよ」C(8 0代、女性、馬力輸送経験者)
・ 「今度あの: :(1. 0)で家ばた家ば建て人が減ってきて、そのげ今度は高齢化で、高齢化でほ ら: :山の上に住む人が減ってきて、うん、そいで、仕事もそいからなかご‐なったね」O(5 0 代、男性、馬力輸送経験者)
実際、長崎市の斜面市街地では人口減少という問題を抱えており、特に若年層の減少が著しい。
また、斜面市街地では平地に比べ建設費が高く、建築に関する接道条件に対応していないことか ら、新たな住宅の建設が進んでいない(長崎市都市計画部 2 0 0 3:6) 。
このように、運搬機の普及と斜面市街地での仕事の減少の相乗作用により、馬力輸送に対する 需要が減少した。そして、馬力輸送は同業者間の協力がその成立条件となっていたため、業者数 がある一定数を下回ると、 「共生システム」は一気に崩壊に向かうよりほかなかったのである。
4.結論
馬は長きにわたって人間にとって主要な動力源であった。近代日本においては、交通や農業、
林業、そして鉱業で、馬は動力として利用されてきた。しかし、動力が機械化されたことが主た る原因となって、馬力は次第に利用されなくなった。第二次世界大戦後もしばらくの間は、馬力 輸送が中短距離輸送の主要手段として利用されていた。ところが、自動車の高性能化と普及によ り馬力輸送は公道上から姿を消す。馬力輸送の衰退原因はこれだけではない。動物を使役する際 に不可避である衛生問題も、馬力輸送の衰退に影響を与えていた。こうして日本では1 9 5 5〜1 9 6 4 年(昭和3 0年代)頃、馬力輸送は急速に衰退した。
ところが、こうした全国的趨勢とは対照的に、長崎市では近年まで盛んに馬力輸送が行われて いた。日本の他の地域とは異なり、その最盛期は1 9 7 0年代後半(昭和5 0年代前半)であり、2 0 0 4
〜2 0 0 6(平成1 6〜1 8)年頃まで実用的な輸送手段として利用されていたのである。
このような特徴的性格を持つ、長崎市の馬力輸送は、今まさに消滅しようとしている。その第 一の要因は長崎市固有の地理的特徴とインフラ整備に関連している。長崎市では道路が狭小かつ 階段状であることから斜面市街地において馬力輸送に頼るしかないという現実があった。そのた め、階段状の急な細道が斜面地に多数残っている限りは、自動車の普及が衰退に関係することは ほとんどなかったのである。斜面市街地における馬力輸送の直接的な衰退原因は、モータリゼー ションではなく、馬よりも狭い場所を移動可能な無限軌道式の運搬機の普及であった。さらに、
1 9 7 0年代後半(昭和5 0年代前半)から、斜面市街地の高齢化が進み、新たな住宅の建設が減少し
たことも、大きな衰退原因となった。これは、先行研究においては挙げられていない長崎市固有 の衰退原因であり、本研究の成果のひとつと言える。
第二の要因は社会的ネットワークの次元にある。すなわち、馬力輸送の衰退には地域社会にお ける「共生システム」の崩壊も関与していた。このシステムには、まず馬力輸送者同士の「共生」
がある。馬力輸送者は単独で仕事をするのではなく、互いに協力することによって建設現場の需 要に応えることができた。つまり互いの存在が、生存の前提条件になっていた。それゆえ馬力輸 送者の数が一定数を下回った瞬間、個々の主体が仕事を継続する意思を持っていたとしても、そ の継続はきわめて困難になる。それゆえ、馬力輸送の衰退はある時期を境にドラスティックに進 行していくのである。この時期は、2 0 0 4〜2 0 0 6(平成1 6〜1 8)年にあたる。
馬力輸送者と斜面市街地の住民との共生関係も、このシステムの主要部分を成している。斜面 市街地では、地域の住人と馬力輸送者が馬糞を堆肥として利用しており、そもそも彼ら住人こそ が馬力輸送の顧客であった。それゆえ、馬の衛生問題は衰退原因となっていない。つまり、斜面 市街地では馬力輸送の必要性とそれに対する理解が共有されており、馬力輸送を成立させるため の「共生システム」が存在していたのである。
現在、日本で馬文化が根付いていた地域においても、動力としての馬利用はほとんど見ること ができない。しかし、これらの地域では、馬を新たに観光で活用しようという動きが起こってい る。これに加えて、長野県木曽郡のように馬事文化の多様な側面を地域の伝統として保存しよう としている地域もある。これに対して、長崎市の場合、馬力輸送を市の固有の文化として消滅か ら守るための具体的な動きはまったく起こっていない。行政も馬力輸送者もこのきわめて固有の 輸送システムを文化的遺産であるとは認識していないのである。行政による馬の頭数調査すら、
1 9 6 7(昭和4 2)年以降行われていないのが現実である。本研究は、保存の動きも、公的な記録や 調査もないままに、今まさに完全に消滅してしまおうとしている長崎市の馬力輸送を、学術論文 という形で記録と記憶にとどめようとする試みだったのである。
主要参考文献
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宮崎昭行 2008 「島の医師、環境と調和を実践――馬牛とともに」 日本馬事協会(編) 『新日本の在来馬
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pp.
86‐89。会話記号
(2.0) 音が途切れている秒数、 : 音の延び、 ‐ 言葉の途切れ、
> < スピードが目立って速いこと、 <> スピードが目立って遅いこと
h
息、( ) 丸括弧内の言葉が聞き取り不可能であったこと、 = 途切れなく話したこと、