鈴木勁介さんとは、私が和光に赴任した1973年以来の長いお付き合いである。和光大学、
しかも人間関係学科という波乱万丈な学科に所属したため、私は身の処し方に迷うことも 多かったが、そのたびに鈴木さんにはなにかと相談にのっていただいた。先を読んだ冷静 なアドバイスに、助けられたことが何度もある。鈴木さんについて思い出すことは多いが、
今回は、『エスキス』編集者としての側面について、書かせていただくことにする。
1987年度から2002年度まで15号発刊された『エスキス』には、鈴木さんの編集者として の類まれな才能が発揮されているだけでなく、鈴木さんの考える「あるべき大学像」「ある べき和光像」が結晶していたように思われる。すでに終刊して久しいので、『エスキス』の ことをご存知ない方も多いとは思うが、無味乾燥な体裁の紀要とは異なり、A5版縦書きの おしゃれな雑誌であった。1 号目は活字中心のモノクロ印刷だったが、2 号目以降は、カラ ーグラビアも入り、ビジュアルなつくりで、手にとりたくなる雑誌であった。毎号、芸術 学科の柊光紘さんが装丁・デザインを担当されて、独特の雰囲気をかもし出していた。
『エスキス』は、1987年度に『人文学部紀要』別冊として創刊された。創刊から1997年度 までの10号の内、あとがきのない94年度、 95年度を除いて、すべての巻末に「編者あとが き」を鈴木さんが執筆されているが、ここには、鈴木さんの『エスキス』への思い入れが 凝縮されている。初期数年間の「編者あとがき」に、鈴木さんは『エスキス』誕生の契機 や趣旨を書いている。それによると、『エスキス』誕生の直接的な契機となったのは、紀要 本誌の投稿論文が増加し、ページを増やしても対応できなくなったという事情であった。
だが、その機会を捉えて、新たに紀要別冊として『エスキス』を発刊した趣旨としては、
学生論文にも門戸を開放したり、紀要に掲載するような専門分野の論文ではなく、「新たに 着手した領域や、論文としては未成熟な段階の構想や研究ノートの類」に誌面を提供しよ うということであった。2 冊目の紀要をつくるのではなく、名称も紀要らしくない命名で、
新たな表現の分野を開拓しようとした根底には、従来の「紀要」に対する通念を打ち破り たいという、編者たちの強い意志が感じられる。
実際、『エスキス』には、「論文」も掲載されてはいたが、「研究ノート」や「研究動向」
の欄も多く、専門外の研究動向や、他の教員たちの研究関心を具体的に知ることができた。
むしゃこうじ・みのる「李朝画『五台山参詣図』(『エスキス』89、以降年号のみ記載)、永原 慶二「新出・熊野本宮文書に寄せて」(90)などの研究ノート、篠原睦治のフィールド・ノー
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特別企画◎鈴木勁介名誉教授追悼
自由な知の発信者
『エスキス』の名編集長だった鈴木さん 井上輝子
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NOUETeruko
ト「海女社会、志摩・和具を描く」(91)、石原静子「わが『実験』大学」(88)、岩城正夫
「思想形成の場としての和光大学」(89)、岸田秀「精神分析と私」(90)などの研究動向等々、
同僚たちの意外な素顔が垣間見える文章に、興味をそそられたものだ。
鈴木さん自ら、創刊以来、毎号独特の作風で「私編 岡上風土記稿」を10年にわたって 連載されたが、この連載は、川添修司さんの挿画とともに、私たちに『エスキス』を読む 楽しみの一つとなっていた。また『エスキス89』から約10年連載された田中征男さんの哲 学エッセイ「エスキース」も、この雑誌ならではの作品だったと思う。
私にも研究動向を書かないかとのお誘いがあり、「『女性とメディア』研究への招待」(89)
を掲載させていただいたが、紀要に投稿するとなると構えてしまうが、鈴木さんの顔を思 い浮かべながら、気楽な気持で文章をまとめることができたように記憶している。
学生たちの卒業論文も、毎号「学生論文」として、指導教員のコメントつきで掲載され、
教員たちとは異なる、若い世代の問題意識に基づく研究が紹介されて、興味深かった。
2 号目の『エスキス88』から始まった「エスキス・ギャラリー」は、荻太郎、吉田芳夫、
斉藤寿一さんなど、芸術学科の実作者の方々の作品が順に紹介され、専門外の者にも、作 風が伝わるような誌面構成の工夫がされた。同じ学部にいても、それぞれの方が、どんな 作品を描かれたり、制作されたりしているのか、知らないままだったのが、「エスキス・ギ ャラリー」を通して作風を知り、個展に出かけるきっかけになったこともしばしばである。
こうして振り返ってみると、『エスキス』をつうじて、分野のちがう教員同士の知的交流 の場がつくられており、『エスキス』は和光大学の知的サロンの雑誌版ともいえるものであ った。制度的には、人文学部紀要編集委員会の編集になるものであったが、編集委員会の 外部から見ている限り、ここには一種の鈴木勁介ワールドが繰り広げられていたように思 える。鈴木さんは、近年の学問的風潮を反映して、和光大学も、既成の学問をなぞった、
いわば点数稼ぎの論文偏重の傾向が濃厚になってきたことを、常日頃、批判しておいでだ った。分野を超えての知的冒険や、学会作法にとらわれない自由な表現こそ、「自由な学問 の共同体」にふさわしいと考え、ご自身にも周囲にも奨励し、その発信の場として、『エス キス』を作り続けられたのではないだろうか。
1995年に人文学部から人間関係学部が独立し、2000年に人文学部が表現学部に改組する 過程で、『人文学部紀要』別冊としての『エスキス』は、位置づけが変化していき、2003年 発行の『エスキス2002』をもって、終刊となった。その後、「全学的な規模での知的営みを 結集させた新規定期刊行物の発行」(2000年度人間関係学部・表現学部 紀要別冊『エスキス』
編集委員会からの提案)が模索されたものの、実現には至っていない。鈴木さんのような情 熱と眼力をもった編集者の存在を抜きにして、新しい刊行物の発行は難しいのではないだ ろうか。いずれにせよ、鈴木さんが和光の知的文化の一時代を築いたことは、まちがいな い。ご冥福をお祈りしたい。
────────────────────[いのうえ てるこ・和光大学現代人間学部現代社会学科教授]
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和光大学現代人間学部紀要 第5号(2012年3月)