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鈴木さんとのであいをふりかえって

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Academic year: 2021

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以前「鈴木さんと言語社会学─社会学徒のおもいでを中心に」という小文を掲載してい ただいたことがある(和光大学『人間関係学部紀要(鈴木勁介教授退任記念特集)』2003年8月:

140-4)。そこでは、「言語社会学」を称する研究者がすくなく、自称していても失礼ながら 狭義の社会学におさまるか微妙なケースがあるとか、ある意味瑣末なことにページをさい てしまった。田辺た な べ寿利すけとし(じゅり)(1894‐1962)を継承した少数の言語社会学研究者として、鈴木さん を顕彰する意図からではあったのだが。筆者がかけだしのころ(1990年前後)は、「輸入学 問」として、バジル・バーンステインやピエール・ブルデューらの紹介・援用はあったも のの、社会学事典の「言語社会学」という記述がまことにかたよっているなど、孤立感が つよかった。鈴木さんのもとにお邪魔したのも、そういった時代状況のなかで、「同志」的 意識がはたらいていたことは否定できない。ちょうど親子ほどの世代差があり、「鈴木先生」

ともうしあげるべき関係だったにもかかわらず。

現在では、40代以下の中堅・若手には、名実ともに「言語社会学」専攻の研究者が登場 するようになった。社会言語学に分類される研究の相当数が、実質的に社会学的な蓄積を 意味するようにもなった。この隔世の感がある(さきの拙文が時代物になった)現状を、晩 年の鈴木さんはおよろこびだったと拝察する。拝察するといわねばならないのは、2000年 代にはいると、筆者の勤務校が東海地区になり、のちに体調をくずされた鈴木さんのお宅 にお邪魔するようなことが、ためらわれたからである。メールだけでも御意見をうかがっ ておけばよかったと、ふかく後悔している。

ふりかえれば、筆者が最初おめにかかったのは、博士課程進学の翌年の学会報告(記憶 では1990年の日本教育社会学会大会:香川大学)だったとおもう。沖縄島周辺の標準語化がす すんだ構造を歴史的に素描した報告だった。被差別状況のなかで生徒たちのロールモデル となったのが旧士族層(首里/那覇)ではない全県から参集した師範学校系の人材であった こと、翼賛体制下まで標準語励行キャンペーンが功を奏さず、沖縄戦下でのスパイ容疑・

処刑を誘発したこと。自発的同化として強力に作用したのは米軍統治下だったことなどを、

ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」論ほかを援用して説明した。はじめての 登壇でヒザがふるえていた筆者に、生涯はじめての質問者として挙手されたのが、鈴木さ んであった。

実をいえば、1980年代なかば(大学院受験浪人中)に、和光大学の岸田秀教授(当時)

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特別企画◎鈴木勁介名誉教授追悼

鈴木さんとのであいをふりかえって

ましこ ひでのり MASIKOHidenori

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ニセ学生をしていた。フランス語や英語の原典講読などに顔をだして、なかば在学生のよ うなかおつきで、まぎれこんでいたのである。大学院合格後、そして、再開した岸田ゼミ もうでにあわせて学会大会での御礼をもうしあげにお邪魔した際、「いいテーマをみつけま した」と、ぼそっとおっしゃったのをおもいだす。しかも、そののち、地域社会学/日本 における民族関係(沖縄)、といった特論的なコマをくださった。それから現在の勤務校に 着任するまで、毎週木曜日だったかに非常勤をこなし、ついで鈴木ゼミにお邪魔するとい うパターンがつづいた。つごう7 年ほどか。30をすぎた筆者は、おそらく、兄貴分のよう な顔つきでゼミ生の報告にコメントし、ティーチング・アシスタントきどりだったはずで ある。鈴木さんは、学部紀要への投稿はもちろん、研究会などのおさそいほか、あおくさ い筆者にいろいろと気をつかってくださった。一部は博士論文に吸収され公刊もされるな ど、感謝の念にたえない。ながい就職浪人時代のささえが和光大での日々だった。

こういった御厚意にもかかわらず、筆者は、ほとんど恩返しできていないことに、いま さらながらきづいた。たとえばご著作の具体的参照など一度きりである(『たたかいの社会 学』三元社、2000年、6章2節)。そして、ふたつの「十かわ」を歴史的にみつめるといったこ とや、岡おかがみの地域文化を復興させるとか、その長期的な視座はもちろん、東アジアに対す る複雑な思いを、たちいってご教示いただく機会をもたなかったことを、おもわずにはい られない。ご尊父栄太郎氏の任地にしたがって、「京城」/札幌と、「植民地」に移住する ことの意味をずっとかんがえていらしたに相違ないのに。その言語社会学の基底にある、

民俗学的/人類学的感覚もすべて、その生育歴にかかわる種々のルーツぬきには説明つか ないと、みずからの不明をはじるものである。

彼岸にあっても、鈴木さんが紫煙・銘酒をたのしまれているだろうことは想像にかたく ないから、ことさらにご冥福をいのるまでもないだろう。むしろ、われわれ世代が、なに を継承できるかかんがえぬくことこそ、供養になると信じる(非宗教的葬儀をえらばれた方 にむかって、仏教系の表現しかうかんでこないというのも、言語社会学的現象か)。言語社会学 周辺にひとりでもおおくの人材が誕生するよう、ずっとみまもってください。

───────────────────────────[ましこ ひでのり・中京大学国際教養学部教授]

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和光大学現代人間学部紀要 第5号(2012年3月)

参照

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