• 検索結果がありません。

アダム・スミスの均衡概念について――『国富論』 第1篇第7章を中心として――

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "アダム・スミスの均衡概念について――『国富論』 第1篇第7章を中心として――"

Copied!
28
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

アダム・スミスの均衡概念について――『国富論』

第1篇第7章を中心として――

著者 舛谷 謙二

雑誌名 東北学院大学論集. 経済学

号 107

ページ 199‑225

発行年 1988‑03‑20

URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024490/

(2)

アダム・スミスの均衡概念について

−「国富論」第1篇第7章 を中心として−

舛谷謙

一一

目次 I はじぬに

Ⅱ スミスの価格論

1. 「商業社会」と自然価格 2.市場価格と有効需要 3.競争と均衡

Ⅲ 「自然的均衡」とその意義

Ⅳすむびにかえて

I はじめに

『国富論』(AnlnquiryintotheNatureandCausesoftheWealth ofNations・ 1776)の出版に先立ち, アダム・スミス(AdamSmith, 1723‑90)は長年の友人ポルトニー(SirWilliamPulteney)宛に次のよ うな書簡を書き送っている。「小生が現在刊行を準備して猫ります著作では,

ご指示の問題のあらゆる部分について十分かつ明確に論じました。……サ ー・ジェームズ・スチュアートの著作に関しては,貴兄と同意見です。別 に述べはしませんでしたが,同著作の中のあらゆる誤った原理は,小生の

(3)

アダム・スミスの均衡概念について−『国富認第1薦第7章を中心として一 著作で明確Wこ論破されているものと自負しています')」と。

この記述からして, 『国富論』が麓商主義者スチュアートの『経済学原 理』 (SirJamesSteuart,AnlnquiryintothePriciplesofPolitical Economy. 1767)の内容に対する全面的な批判として執筆されたことは明 らかである。重商主義(mercantilesystem)にあっては,生産こそが 究極の目的であるとする観点から独占を容認する政策がなされ,結果とし て国内消費者が「この独占によって,つねにひき起こされる価格の騰貴を おしつけられている2〕」 とするのが, スミスの基本的認識であったように 思われる。ここで, スミスが価格論の観点から重商主義批判の論点を示し ていることは注目に値する。それは,彼が経済政策の有効性を価格に投影 される消費者の利益の観点から考察していることを示すものと見ることが できるからである。

その価格論に関してスミスは, 『国富論』第1篇第7章の主題が諸商品 の市場価格(marketprice)とそれらの自然価格(naturalprice) との 正確な一致を妨げる諸原因の究明にあることを明らかにした後, 「明確を 期そうとしてできるだけ苦心をしても,その性質上極度に抽象的な主題に ついては,やはり多少のあいまいさが残るように思われるa〕」 と述べて,

な』お残るべき暖昧さを認識しつつも「極度に抽象的主題」の展開に向かっ

ている。

その「極度に抽象的主題」をなす価格論を「断片的な均衡理論」(rudi‑

mentaryequilibriumtheory)」と見たシュムペーターが, 「アダム.ス ミスが作りだした経済理論のなかの全く最上の部分」と述べて,現代経済 学における均衡理論の一源泉と位置付けたことば周知のと諦りである4)。

1) 1772年9月3日付。E.C.Mossnerandl.S.Ross(eds.),@TheCorrespon‑

denceofAdamSmith',Oxford, 1977, pp. 163‑64.

2) R.H,Campbell,A.S.SkinnerandW.B.Todd(eds.), ,Anlnquiryinto theNatureandCausesoftheWealthofNations?,Oxfcrd,1976,p,660.

大河内一男監訳『国宿論』.中央公論社, 1976年,第Ⅱ巻, 466ページ。本稿で は以下,WN,p.660̲邦訳Ⅱ, 466‑‑R‑ジのように略記する。

3)WN, p. 46.邦訳1 , 51ページ。

2 ‑200−

(4)

アダム.スミスの均衡概念について一『国富論』第1鯆第7章を中心として̲

均衡論の観点からして, スミスの価格論は如何なる構造と性質をもつも のなのであろうか。また,それを基準として当時の政治経済学(political economy)の学説を批判する場合, スミスは何を恵図していたのであろう か。本稿の目的は, 『国富論』第1篇第7章に展開された価格論の櫛造を 考察することにおいて, スミスの描いた均衡概念5)の性質を検討し,それ をもって重商主義および重農主義に対するスミスの批判について若干の考 察を行なうことである。

その順序として, Ⅲ章ではスミス価格論の理論的考察部分をなす『国富 論』第1篇第7章に展開される自然価格,市場価格および有効需要の諸概 念を検討し,均衡に至る競争過程について述べる。それに続くⅢ章ではス ミスの「自然的均衡」概念を中心として,重商主義と重農主義に対するス ミスの批判について若干の検討を試象る。

Ⅱ スミスの価格輪

スミスは「商業社会」における分業論,貨幣起源論鈴よび価値尺度論を 述べた後, 『国富論』第1篇第7章で「商品の自然価格と市場価格につい て」と題して,価格論を展開している。第7章は,生産要素価格の「自然 率」によって規定される「自然価格」概念の定義「市場価格」を規定す

4) 「アダム・スミスが作りだした鮭済理論のなかの全く蝦上の部分たる第7章 の断片的な均衡理論は,事実, 七‑(J.B.Say)ならびに彼の著作を通じてワ ルラスヘの方向を指している」 (J.A. Schumpeter, $HistoryofEconomic Analysis'] 1954,p.189.東畑精一訳『経済分析の歴史1」, 394ページ)。また,

そこに溝けるスミスの叙述法に関して,「経済のコスモスを櫛成している経済諸 晶間の全面的な相互依存関係を叙述せんとする端初的な方法にぼかならない。

しかしこれば1つの有効な方法である」 (Ibid., p.308邦訳2, 646ページ) と 述べ, シュムペーターばスミスの価格論を位侭付けている。

5)今日の経済理論において使用される44equilibrium'' という喪現は『閏窩論』

には殆ど見当らず(第4篇第3噸で貿易差額説の不合理性を述べる箇所に4the exact equilibrium' という表現が見られる。WN,p.489.邦訳Ⅱ , 176/、t‑

ジ),むしろi'balance'' という用語が一般的である。

(5)

アダム・スミスの均衡概念について−『国富論』第1桶第7章を中心として−

る「有効需要」概念の導入,そして「自然価格」と「市場価格」との均衡 化の考察という構成をとっている。以下本章では, スミスの叙述の順に従 って,価格論を構成する基盤をなす「商業社会」の内容を概観し, 「自然 価格」「有効需要」満よび「市場価格」の諸概念を検討した後,競争を通

じての両価格の均衡化過程を順次考察する。

1. 商業社会と自然価格

スミスが志向したのは,一般的富裕が社会の最下闇の人為にまで行き渡 るいわゆる「普遍的富裕(universalopulence)」の社会6)であったが,

現実の社会は法律的あるいは制度的な諸要因によって,その実現が妨げら れている社会である。制度的または経済的に不確定な要素を含む現実社会 を前者に近づけるものは,分業に基づいて増進される富が価格機櫛を通じ て公正に分配されることであった。そのような認識に立って, スミスば現 実の社会から「商業社会(commercialsociety)」を抽出し,その中に法 則性を見出しながら,徐左ヤこ現実の不確定要素を導入して考察を進めてい る。『国富論』第1篤第7章は具体的個別的事情を考察するそれに続く諸章 に先立って, 「商業社会」というモデルの上で価格論を構成しているが?),

それでは価格論の基盤をなすこの「商業社会」とはどのようなものであろ うか。

分業の確立が生産物の交換を必要とする結果として「だれでも,交換す ることによって生活し,いいかえると, ある程度商人にな8〕」る社会を,

スミスは「商業社会」と呼ぶ。すなわち,後述する自然価格の導出過程か

6)この点に関して, スミスは次のように言う。「よく統治された社会では,人民 の最下層にまで広く富裕がゆきわたるが,そうした富裕巻ひきおこすのは,分 業の結果として生じる, さまざまな技術による生産物の巨大な増加にほかなら ないのである」(WN, p.22.邦訳1 , 20ページ)。

7) 小林氏は, スミスにおける「商業社会」蓮「『同富論』における経済理論の 減鐸的混開の扉口にすえられた概念であって, この古典の理論的世界はこの扉 の奥に櫛築されているのである」と位置付けておられる。小林昇『│国漢論体系 の成立』,未来社, 1977年, 46,61ページ。

4 −202−

(6)

アダム・スミスの均衡概念について−『国當論』第1篤第7章を中心として一 らして「商業社会」は,その櫛成要員として労働,資本および土地の保有 者を含む,分業の発達によって自らの必要を充足させるために恒常的に生 産物の交換を必要とする交換社会を表現したものと見ることができよう。

スミスの描く経済社会を『国富論』と『講義』とにおいて対比する時に,

この「商業社会」概念はヨリ明確になるように思われる。『講義』で展開 された価格論の基盤をなす社会は,いわば「独立生産者の社会」と見るこ とができるように思われる。そこに端ける価格の唯一の構成要素は賃金と され,全ての商品は労働の象から構成されている社会として描かれてい る9)。一方「商業社会」に瀦いては,商品価格の構成要素として資本と土 地に対する報酬率が明確に顧感されることにおいて, より複雑な場合をモ デル化したものと見ることができよう'0)。その場合, モデルの複雑化は考 慮すべき生産要素数の増加の桑を意味するものではなく, スミスの経済社 会に関する認識の変化をも含むように思われる。上述のように, スミスば 分業による富の増加が社会の「最下層」まで浸透する社会を普遍的富裕の 社会と見たが, 『国富論』に無けるこの記述からしても, そこには社会成

8)WN, p.37.邦訳1 , 39ページ。

9) スミスば『講義』において次のように述べて, 自然価格を直接に労働の自然 価格(naturalpriceoflabour) と呼ぷものに関連付けている。「ある人の得 たものが,労働する間彼を維持し,教育蟹を支払うに足り,充分長生きしない かも知れずまた事業に成功しないかも知れない危険を股うに足りるときは,彼 は自己の労働の自然価格を得たのである。もし人がこれを得るならば,その場 合は労働者に対する充分な奨励があるのであり,商品は需要に応じて生産され るであろう」(R.L.Meek,D.D.RaphaelandP.G.Stein(eds.),$Lectures onJuriSPrudenCe',Oxford,1978,Pp.495‑96.高島善哉・水田洋訳『グラスコ′

ウ大学諦離』, 日本評論社, 1947年, 343ページ。本稿では以下, LJ(B), pp, 495‑96.邦訳343ページのように略記する)。ホランダーば, 『講義』での織論が 独立自営の専門手工業者の経済iこあてはまり,労働力所与の前提でその配分を 扱うという意味で労働市場存在の余地はないと指摘している (S.HOllander, 4TheEconomicsofAdamSmith',UniversityofTorontoPress, 1973, p.

115.小林昇監修・大野忠男・岡田純一・加藤一夫・斎藤謹造・杉山忠平訳『ア ダム・スミスの経済学』,東洋経済新報社, 1976年, 167ページ)。

10) ホランタ.−朧, 『講義』から『国富論』への道を,生産要累が1つだけの単 純な場合から3つの生産要素からなる復雑な場合への発展と見ている (Hol‑

lander, op, cit., p,117̲邦訳169ページ)。

‑203‑

(7)

アダム・スミスの均衡概念に.ついて一『国富論』第1簡第7章を中心として一 員が平等性をもつ独立生産者の社会ではなく,生産要素保有に関する分化

と格差が発生している社会が意図されていたように思われる'1〕・

スミス価格論の基盤をなす「商業社会」を以上のように理解し,次にわ れわれは価格論ヤこ関するスミスの考察を検討しようと思う。

スミスは商品価格を論ずるあたり, 2種類の価格を考察する。すなわち 自然価格と市場価格であるが,両価格は「相互に無関係なように見えても,

必然的に連関を有する'2)」ものと位置付けられている。それらのうち自然 価格について,いささか引用が長文にわたるが, スミスは次のように述べ ている。

「およそ一つの社会,一つの地域にぱ,労働と資本の異なる用途ごとに,

賃金ならびに利潤についての通常率または平均率(ordinaryoraverage rate)というものがある。……この率は,一つの社会の一般的事情によっ て,すなわちその貧富によって,その進歩,停滞または衰退の状態によっ て, また一つには労働と資本の各用途の特定の性質によって,おのずから 規制されているのである。/同じように, ・・…・地代の通常率または平均率 というべきものがあって, …・この率も,一つにはその土地が位世してい る社会や地域の一般事情によって, また一つには土地本来の豊度や改良さ れた豊度によって規制されている。/これらの通常率または平均率は,ふ つうそれが相場になっている時と所での,賃金,利潤,地代の自然率とよ ぶことができる。/ある商品の価格が,それを産出し調製し市場に運ぶの に用いられた土地の地代,労働の賃金,資本の利潤を,それらの自然率に したがって支払うのにちょうど過不足のない場合には,その商品は, 自然 価格というべき価格で売られているのである'3〕」〔引用文1〕。

11) 「商業社会」概念の把握につL、て,相異なる解釈が並存しているように思われ る。小林氏は「賓本主装でも賢本主義以前でもない,満開した商品生産の社会 という,矛盾した不喪定な概念である」(小林前掲番, 46ページ)とし,等質的 な独立生産者からなる社会として捉えておられる。一方,内田氏ば階級間に埜 別の存在する資本主装社会を見出して堀られるように思われる(内田義彦『増 補経済学の生誕』,未来社, 1962年, 197‑98ページ)。

12) LJ(B), p、 494.邦訳339ページ。

6 −204−

(8)

アダム・スミスの均衡概念について−『国富論』第1輔第7章を中心として−

「利潤をかれ(その商品を市場にもたらす人一引用者)のもとに残して くれるような価格(自然価格一引用者)は,かならずしもつねに商人がと きとしてその財貨を売ることもある最低のものとはいえないが,かれが相 当の期間にわたってひきつづき売ってゆける最低の価格である。少なくと も完全な自由(perfectliberty)があるところ,いいかえると,かれがそ の職業(trade)を何度でも好きなだけ変えられるようなところでは,そう なのである'4〕」〔引用文2〕。

「自然価格というのは,いわば中心価格(centralprice)であって,そ こに向けてすべての商品の価格がたえずひきつけられるものなのである。

.…・ ・このような静止と持続の中心におちつくのを妨げ為障害がなんであろ うと, これらの価格はたえずこの中心に向かって動くのである'5)」〔引用 文3〕・

以上のようなスミスの叙述から,われわれは自然価格について次のよう な特徴を指摘しうるように思われる。第1に, 自然価格は時間的・空間的 に範囲を限定された社会の状態に応じて成立する賃金,利潤および地代の 自然率によって構成される生産費とみなしうるものであって,それば同時 に,各生産要素への分配を総体として規定するものであること。第2に,

自然価格は各生産要素の可動性(mobility)を前提としながら,原価に利 潤を加えたものであって,売手の事業継続を可能にする価格であるという 意味に託いて,長期の生産費と見倣されるものであること。そして第3に,

自然価格は短期的な市場価格がその変動を遇じて収散する長期均衡価格と もいうべき性質をもつことである。以上の各論点について順次検討する。

スミスによれば, 自然価格は賃金,利潤誌よび地代の自然率によって構 成され,各生産要素価格の自然率は「一つの社会,一つの地域」に対応し て成立するものである。この意味からすれば,時間的および空間的に限定

13)

14) 15)

N皿NWWW

邦訳I , 邦訳I , 邦訳I ,

94‑5ページo 95ページo 99ページ、

(9)

アダム・スミスの均衡概念について一『国富論』第1踊第7章を中心として−

された社会にば各生産要素価格に1つの自然率が, また1つのI帥&には1 つの自然価格が存在する'6)。そうした上で同時に,スミスば自然率が社会 の進歩,停滞および衰退の状態によって決定されるとする勤態的考察方法 を示唆している。ここには時間の経過(発展段階)に対応して経済社会の メカニズムを把握しようとする観点が見出されるように思われる'7〕。その 場合,発展の各段階に詣ける生産要素価格の自然率は何に依存して決定さ れるのであろうか。

労働に例をとって黙ると, スミスば次のように述べる。労働の貨幣価格 は「労働に対する需要」と「生活の必需品と便益品の価格」とによって決 定され,その場合, 「労働にたいする需要は,その需要がたまたま増加し ているか,停滞しているか, または衰退しているかにおうじて,いいかえ るとその需要が人口の増加,停滞,衰退のどれに対応しているかにおうじ て'8〕」変動するとされる。また,賃金上昇の要因は「国民の富の現実の大 きさ如何でばなくて,富の恒常的な増加である。だから労働の賃金は,最 も富裕な国点においてでばなく, ……最も急速に富裕となりつつある国点 において最高となる'9〕」とされ, スミスは賃金の自然率が,国富の絶対的

「水準」にではなく 「増加率」に依存していると見るのである。

ところで,ある商品の自然価格の総体は,上述のような社会の状態また 16) スミスにおいて生産要素市場における価格決定過程は必ずしも明示的ではな い。生産要素価格の決定には,賃金が親方と職人の勢力関係によって決定され るとし、う制度的要因や,資本蓄積率と人口増加率の関係といった成長要因力:関 与することは明らかであるが,基本的には需給関係によって決定されると見る ことができるように思われる。小林氏は自然率を「労働力・土地・資本のそれ ぞれの需給関係が安定したときに,成立するもの」(前掲瞥, 133ページ) と述 べて鎧られる・

17) シロスーヲビーニは,①進歩,停滞塒よび衰退とL、う3つの段階が既に交換 経済の発達した社会であること,②スミスが短期および長期の区別のみならず 発展段階をも考慮していること,③段階間の移行に伴って, 自然率の変化と技 術の変化の結果として自然価格の変動が発生することを指摘している。

P̲Sylos‑Labini, ufCompetitionエThePr・ductMarkets", inT.WilsQnand A.S.Skinner(eds.), ,TheMarketandtheState',Oxford. 1976, p. 202 18)WN, p. 103.邦訳1 , 145ページ。

19)WN,p.87.邦訳1 , 118ページ。

8 −2

(10)

アダム・スミスの均衡概念について一『国富論』第1鯛第7章を中心として−

ば特定の事惜によって決定される各生産要紫価格の自然率から構成される と考えられるが, しかしそれは, 自然価格と同じ水準の価格が与えられた 場合に賃金,利潤および地代部分がそれぞれ自然率を確保していることを 必ずしも保証するものであるとは限らないであろう20)。むしろある水準の 価格が自然価格と見紋されるのは,次に述べる生産要素の可動性を通じて 調整された結果において事後的に確認しうるものであるように思われる。

次に,われわれは第2の論点について述べる。

スミスが時間的空間的に制限された「場」において考察を進めているこ とは先に述べた通りであ為が,その自然価格は「相当の期間」 という長 期21)に無いて事業継続を可能にする最低価格であるとされる。その際スミ

スが生産要索の可動性を前提として,いわゆる機会費用概念を用いて説明 していることは注目に値する。

商品の原価にそれを再販売するはずの人の利潤を含まないとすれば,

「その資本をなにか他の方法で使用すれば,それだけの利潤をあげたかも しれない」彼の「とうぜんに期待できる利潤」を払い戻していないことに なるとして22),スミスは,他の用途でその資本を使用すれば得られるであ ろう利潤の通常率をまさに犠牲にしていることを考慮することの必要性を 述べることに無いて, 自然価格を原価に利潤を加えたものと考えるのが妥 当であると結論づけるのである。その場合, 〔引用文2〕にも明らかなよ うに, 「その職業を何度でも好きなだけ変えられる」という意味で生産要 素の可動性が前提とされるのであって,その恵味からすれば, スミスの自 然価格論の内には暗黙の内に一般均衡論への端緒が示されているとも言え 20) この点について,森氏は「播要者の側において自然価格とみ、なされるかもし れない価格に詣いても,内容的には租,々の各要棄の組み合せがあるばずであ る」と指摘して鑓られる・森茂也『イギリス価格輪史一古典派需給論の形成と 展開』,同文舘, 1982年, 168ページ。

21) スミスは時間範鴎を表現する用語として, いわゆる「短期」に関してはoc‐

casionally, temporarily等を, またL、わゆる「長期」に関してはconsi‑

derabletime等を,そして「発展段階」に関してはstates, conditions等を 使用してL、る・

22)WN, pp,72‑3.邦訳1 , 95ページ。

(11)

アダム・スミスの均衡概念について一『国富論』第1鱒第7章を中心として一 よう23)。すなわち, スミスは自然価格を考察するにあたって一商品(any commodity)を取り上げるのであるが,その際,各生産要素の可動性を 仮定することに満いて,生産物間あるいは生産物と生産要素間を結合させ ていると見ることができるように思われる。

自然価格に関するわれわれの第3の論点は, 自然価格が短期的な市場価 格がその変動を通じて収敵する長期均衡価格ともいうべき性質をもつとい

うことである(〔引用文3〕参照)。

スミスによれば,市場価格とは「どんな商品でも,それがふつうに売ら れる現実の価格」であって,それは「現実に市場にもたらされる商品の数 堂」と「商品の自然価格を支払う意思のある人たちの需要」(スミスはこ れを有効需要と呼ぶが, これについては節を改いて検討する)の割合に依 存するとされる。また,そのようにして決定される市場価格は, 自然価格 を「上回るか,下回るか, ちょうどそれと一致するか」のいずれかであ る24)。

このように,現実の短期価格としての市場価格は市場への供給量と「有 効需要」とによって決定され, 自然価格と市場価格との間にば乖離が存在 23) ホラソダーは首尾一貫してスミスの理論体系を一般均衡体系として捉えて,

「価値謡についてのスミスの正式な議齢は,長期的な一般均衡の概念を達成し ようとする試薙と考えるならば, もっともよく理解できるであろう。 このこと は ・ 『代替的機会』の強澗を象れぱ, 明らかである」 と述べている(HCl‐

lander,op. Cit., p@ 114,邦訳166ページ)。それに対し, ブローグは『国富論』

第1篤第7章が「部分均衡分析的手法に象ちている」と述べて, スミスの体系 を部分均衡論と見る(M.Blaug,・EconomicTheoryofRetrospect3rded.', CambridgeUP,p.41,1978,久保芳和・真実一男訳『経済理論の歴史l』,東洋 経済新報社, 1982年, 66ページ)。また,スキナーば「スミスの関心が均衡それ 自体の状態に向けられているとL,うよりもむしろ均衡の諸水準が達成されてい く傾向をもつ諸過程iこ向けられてL、る」ことに注目し,基本的には部分均衡論 と見ながらも,「部分均衡の場合の前提的諸条件が経済全体にかんして満たされ る場合」に一般均衡の状態が出現すると見ているように思われる(A.S.Skin‑

ner, $ASyStemofSocial Science:PaperSRelatingtoAdamSmith', OXfDrd, 1979,p.161.田中敏弘・橘本比登志・篠原久・井上琢智訳『アダム・

スミスの社会科学体系』,未来社, 1981年, 233,209ページ)。

24)WN,pp.73.邦訳1 , 96ページ。

10 −208−

(12)

アダム・スミスの均衡概念について一『国富論』第1編第7章を中心として−

することが認められ患ものの,競争過程を耐じて究極的に市場価格は自然 価格に収散するとされるのである(競争を通じての自然価格への収敏過程 については3節で検討する)。かくしてスミスは, 自然価格を「中心価格」

と表現するのである。その場合, 自然価格を「静止と持続の中心」とする スミスの表現に形而上学的接近法を見ることも可能であろうが,同時に,

それは短期における均衡市場価格の累積的形成過程に鈴いて経験的に見出 されるものと考えることも出来るように思われる。それでば,変動してや まなL,市場価格と時間的空間的に一定の「場」に鈴いて不変と考えられ る25)自然価格を繋ぐ‑リンクは何であろうか。

2. 市場価格と有効謂要

スミスにおいて市場価格を規制する要因は, 『講義』と『国富論』 とで は異なっている。 『講義』において, スミスは次のように述べる。 「財貨の 市場価格の規制は次の3つの事項に依存する。/第1にその商品に対する 需要または必要。……/第2にその商品の,必要に対する潤沢または稀少。

……第3に,需要者たちの貧富。すべての人の役に立つだけの量が生産さ れない場合には,競買者達(bidders)の財産が, 価格の唯一の規制者に なる26)」と。 ここに特徴的なことは,①「需要者たちの貧富」という表現 を用いてはいるものの, スミスが単なる「需要(demand)」と「有効需要 (effectualdemand)」を明別することをしなかったことであり, またそ の結果として,②「需要」を単に市場価格の規制要因とすることにおいて,

自然価格と市場価格とを明示的に繋ぐリンクが存在しなL、ことである。わ れわれが後述するように, この有効需要の概念こそが市場価格と自然価格

とを繋ぐ亜要な機能をもつのである。

『講義』における「需要」のこのような取り扱いは,先にわれわれが見 25)時間的空間的に制限を付した時に自然価格を不変とすることは, 自然価格の

変動そのものの可能性を排除するものではない。

26) LJ(B),p.496.邦訳344ページ。

(13)

アダム・スミスの均衡概念について−『国窩論』第1輔第7章を中心として一 たように,その仮定するモデルが独立生産者からなる社会を念頭に置いて いることの結果と言えよう27〉。すなわち,商品価格の唯一の構成要素が賃 金からなる独立生産者の社会においては, 「商業社会」の場合のように各 生産要素価格の自然率が自然価格を通じて産業部門間で均等化するという 過程によって自然価格と市場価格の一致を説明するまでもなく, 自らの利 益の最大化を目指す労働者間の競争によって説明可能と考えられ』るからで

ある。

それレこ対して,『国富論』においてスミスは「有効需要28)」概念を展開し,

自然価格と市場価格との関連を強固なものにしている。われわれは次に,

この点について検討を進める。

スミスは市場価格が供給戯と有効需要との割合によって規制されるとし て,次のように言う。「すべての商品の市場価格は, それが現実に市場に 27) 『鰕羨』と『国富論』のモデルの相違については,異なる見解が存在している ようiこ思われる。大森閃は『講磯』を「独立生産者モデル」と捉え, また『国 當論』のモデルについては次のように述べて, 「独立生産者モデル」 と 「資本 主装的モデル」が使い分けられているものと見ておられる。「『国富誌』第1鯛 第7章では, まず単純モデルとして『蕊義』同椴のく独立生産者モデル>が導 入きれる。それが短期的な均衡価格である『市場価格』決定の理論モデルとな る。しかし,次いでこの価格と『自然価格』との乖離が問題腱なると,直ちに より旗雑なく資本主磯的モデル>が分析対象として壁場するようになる」(大森 郁夫「『国富論』における『自然価格』と『有効幣要』−J. スチュアートの

『有効需要』論との対比に描いて−」, 『早稲田商学』,第267.8号, 1977年,

728ページ)。それに対し,森氏は「スミスが『識義』ではまだ『独立生産者』

の世界にあった」としても, 「『国富論』の世界は資本主装社会であり,ある特 定の革,あるいは同じ章の中でも,論じられている理輪によって対象となる社 会モデルが変えられたとは考えられない」と述べておられる(森,前掲霞, 167 ページ)。

28) スミスの宥効需要概念は,その先駆的用法とは意味を異にする独自のものと 言える。スミス有効需要論の位置につL,て,小林氏は凌のように述べておら れる。 「『国富論』は,一方に自然価格という概念を樹立し他方ヤこ有効需要とい う概念を導入することによって,短期均衡価格と長期均衡価格との織りなすメ カニズムの骨格をはじめて明示し,価格理路に大道な開いたのであった」(小 林,前掲宙, 136ページ)。しかしそれが同時に,有効需要という言葉を創出し たスチュアートの識点を「隠蔽」する結果をもたらし, 「貨幣的分析の視角と それにともなう巨視的分析の方法とは,『価格の均衡理論』の樹立のために蟻牲 に供されている」と (小林,前掲宙, 1 ‑45ページ〕。

‑210‑

12

(14)

アダム・スミスの均衡概念について一『国富論』第1篇第7章を中心として一 もたらされる数過と, その商品の自然価格,すなわちそれをそこへもたら すのに支払われなければならない地代と労働と利潤との全価値を支払う意 思のある人たちの需要との割合によって規制される。このような人々は有 効需要者(effectualdemander) とよんでよい。と↓、うのば, このよう な人,々の需要は, この商品を市場にもたらすことを十分可能にするからで ある29)」〔引用文4〕。

さらに続けてスミスば, この有効需要と絶対需要とを明別すべきことを 強調している。すなわち,絶対需要(absolutedemand)の例として,貧 しい人でも六頭だての馬車に対する需要をもつが「かれの需要を満足させ るためにこの商品が市場にもたらされることはけっしてありえない30)」と 述べるのである。

以上のようなスミスの叙述から,われわれは有効需要の性質について幾 つかの特徴を指摘しうる。まず,有効需要は絶対需要と区別される意味に おいて,購買力を伴う需要であるということである。すなわち,有効需要 は単なる欲望としての需要ではない。その場合,有効需要が物的なターム で述べられていることは注目すべきであろう。商品が「市場にもたらされ る数量」と有効需要とによって市場価格が決定されることからすれば,有 効需要もある特定の「数量」, すなわち有効需要量によって表示されるべ きものと考えられていたように思われる。

スミスにあって,購買力を伴う需要は全て有効需要を意味するとは限ら ない。なぜならば,市場にもたらされる数量が有効需要を超過する場合に は「一部分は,それ(自然価格一引用者)以下でなら支払う意思のある人 ,々に売られるにちがいない31)」からである。この叙述からすれば,現実の 市場に現われる需要の中には,有効需要の象ならず,有効需要ではないが

「購買力を伴う需要」が存在することになろう。それでは, 「有効」需要

29)

30)

31)

WWW

訳訳訳邦邦邦

96ページo 96ページo 97ページ。

(15)

アダム・スミスの均衡概念腱ついて−『国富論』第1箱第7章を中心として−

とば如何なる意味で使われているのであろうか。

先の〔引用文4〕から明らかなように,有効需要は商品の自然価格を支払 う意思をもつ人為の需要であった。この意味からすれば,市場に現われる 需要の中で,特に自然価格水準に対応した需要壁が有効需要と言えよう32)。

それは, 「市場にもたらされる数通」によって有効需要が過不足なく満た される時に自然価格が市場価格として実現されるという意味に拓いて, ま さに「有効」とされるのである。かくしてスミスば,市場にもたらされる 商品の数量が「有効需要に足りない場合」「有効需要を超過する場合」「ち ょうどうまく有効需要を満たしている場合」と, 明らかに自然価格水準に 対応した有効需要鼠を基準として場合分けをして,市場価格の自然価格へ の収敵過程を考察することになるのである。その意味からすれば,有効需 要概念は自然価格と市場価格を繋ぐ.リンクをなしていると見ることができ

るように思われる。

3. 競争と均衡

スミスは市場価格論を展開するに先立って自然価格,有効需要という諸 概念を導入し, それらとの関連において短期的な市場価格決定と比較的長 期にわたる市場価格の自然価格への収敵過程を考察している。本節では,

諸力の変化力競争を通じて新しい均衡へ導く過程について少しく検討す る33〕。

32) このよう左見方を代表するものとして, ホラソダーは, スミスにおいて有効 需要が「ある特定の価格で,すなわち長期的費用価格で需要される数量として 理解された」と表現している。Hollander, op・ Cit,,p. 118.邦訳170ページ。

33) スミスの均衡化過樫を考察する場合, スティク・ラーの「競争は新しい力に対 応する過程であり,新しい均衡に達する方法である」 (G、J.Stigler, "PerfeCt CompetitiOn,HiStDriCallyCOntemplated'', ノb""JqfPOノ鰄c,"JE""・"z)' vol. 65(Feb、 1957), p.2)という認識ば堕要である。なお, スミスの競争過 程を考察する時に,いわゆる「完全競争(perfectcompetition)」の条件を用 いることば, スミスの全体像を捨象する危険性を含むものではあるが,理論的 考察に局限する場合には1つの判断の拠所となりうるように思われる。 この点 について, スティグラーは完全競争の観点からスミスの競争概念を考察しなが らも,そこから多くの事を読取ろうとすることに注意を促し, マクナルティ/

14 −212−

(16)

アダム・スミスの均衡概念について一『国奮論』第1鯆第7章を中心として−

競争過程において前提をなすと思われる特徴的な諸条件を『国富論』の 内に求めようとすれば,次のようなものが挙げられるように思われる34〕。

第1に,競争の程度が市場参加者の数に依存するとされる点である。 「も し, この資本(食料雑貨という商業に用いられる資本一引用者)が, 2人 の別々の食料雑貨商人に分割されるならば, この2人はどちらも, 自分た ちの競争によって,資本が1人の手にだけある場合にくらべて,いっそう 安く販売するようになるだろう。もし,それが20人の食料雑貨商に分割さ れるならば,かれらの競争はまさにそれだけ激しくなるであろう35〕」と述 べて, スミスば多数の競争者の存在が競争を促進するものと見るのであ

る。

第2に,利潤機会が生産要素保有者に知られていることである。「もし 市場が, この商品を供給する人たちの住居から遠く離れているなら,かれ らはこの秘密を数年にわたってずっと保っていることが可能かもしれない

…・−しかしながら, こういう種類の秘密ば滅多に長く保たれるばずのもの でないことは確かであって,秘密が保ちきれなくなると, この法外な利潤 はたちまち消滅す為のである36〕」と述べて, スミスは市場で発生する利潤 に関する秘密が長期にわたる可能性を認めてばいない。

上述の条件からして,第3に,生産要素が産業間を自由に移動しうるこ

、 はスミスの競争概念が価格と費用の一致が達成される過程にあるとして,後 の完全競争概念との根本的相違を強調する(P.J.McNulty, "ANoteOnthe HistoryofPerfectCompetiton", ノ"F・"JqfPひノ"j"JEtpjz0my,vol,75 (Au9. 1967), pp. 39599)。

34) スティグラーはスミスにおける競争条件を次の5つに要約している。①競争 者は独立して活動せねばならず,共謀して活動してはならない。②競争者(現 存の競争者と潜在的厳競争者の双方を含む)は異常な利益を排除するに十分な 数でなければ雄らない。③経済主体ば市場機会に関して相当な知識を持たねば 雄らない。④その知識に基づいて活動するための(社会的制約からの) 自由が 存在しなければならない。⑤密資源がその所有者たちの望む方向と数量におい て移動するた必の十分な時間が縄過しなければならない。 cf.G. Stigler, op̲

Cit., p.2

35)WN, p 361‑62.邦訳1 , 564‑5ページ。

36)WN,p.77.邦訳1 , 102ページ。

(17)

アダム・スミスの均衡概念について−『国富論』第1隔第7章を中心として一 と(生産要素の可動性あるいば参入・退出の自由)が挙げられよう37)。ス ミスは産業への自由参入について次のように言う。 「もし同一地方で, ど れか1つの職業が,そのほかの職業にくらべて明らかに利益が多いか, ま たは少ないかするなら,前の場合にば多数の人がその職業に殺到するだろ うし,後の場合には多数の人がそれを見捨てるだろうから,その職業の利 益ば, まもなく他の職業の利益と同じ水準になるであろう。 このことは,

少なくとも次のような社会においてば真実であろう。すなわち,…・ ・・各人 が, 自分の適当と思う職業を選択するのiこも, また適当と思うつど職業を 変更するのにもまったく自由であるような社会がそれであ為38)」と。この ように,各生産要素報酬率の均等化は,生産要素の可動性を前提として達 成されると考えられているのである。

第4の条件は,市場において取引される生産物には「一物一価」が成立 していることであって, 「もしも市場にもたらされる数盈が有効需要な超 過する場合には, .…・・一部分は,それ(自然価格一引用者)以下でなら支 払う意思のあ為人,々に売られるにちがいない。そして,その人たちがそれ に与える価格は低いから,そのために全体の価格は引き下げられるにちが いない39〕」とスミスは言う。このように,特定市場における商品に対して 抵唯一の市場価格が成立するものと見ることができよう。

さらに,長期的過程における収穫逓増の可能性がスミスによって指摘さ れていることは重要であるように思われる。この点についてスミスは次の ように述べている。「需要の増加というものは,始めのうち, 時には財貨 の価格を引き上げることもあるけれども,長いあいだには,かならずそれ 37) シロスーラビーニはスミスにおける競争条件の本質的特徴を自由参入(free entry)に見てL、る。「他の古典派経済学者と同様に, スミスにとって競争は自

由参入によって特徴付けられて潟り,逆に独占は参入のための障害を意味して いる」(Sylos‑Labini,op.cit.,p.200)。われわれが自然価格誌におL、ても見 たように, この条件はスミスの議論にとって箪要なものであるように思われ る。

38)WN,p.116.邦訳1 , 165ページ。

39)WN, p.74.邦訳1 , 97ページ。

16 −214−

(18)

アダム・スミスの均衡概念について−『国富論』第1輔第7章を中心として一 を引き下げずにはおかない。なぜなら,需要の増加ば生産を奨勤し,それ によって生産者の競争ば激しくなるが,かれらは互いに他より安く売るた めに,そうでもしなければとても思いつきもしない新しい分業や技術の改 良に訴えるからである40〕」と。スミスはこのように,長期に詣いてば需要 の増加に刺激されて生ずる分業や技術改良による結果として収穫逓増の可 能性を示唆している。スミスがこのように言う場合,その競争過程の中に 収穫逓増と完全競争とが両立しうるタイプの競争を見ることも可能である

ように思われる41)。

ところで,市場価格決定とそれの自然価格への収敵過程をスミスは次の ような各段階において考察を進めている。すなわち, (了) 「市場価格は, 自 然価格を上回るか,下回るか,ちょうどそれと一致するか, のいずれかで ある」。ここで示されているのは,現実の短期的に成立した市場価格と自 然価格との間に発生する掘離の可能性である。 (イ)商品の市場価格を規制す る要因ば「現実に市場にもたらされる数壁」と「有効需要」であること。

この場合,先に述べたように,有効需要壁に対応する価格水準ば自然価格 となるが,市場価格と自然価格の関係は(ア)に示されるいずれかのケースと

40)WN,p、748.邦訳m, 94ページ。

41) スミスにおける収穫逓増については異なる見解が並存しているように思われ る。プ画一グは「価格決定についてのスミスの例示を注意深くながめるならば,

商品の『自然価格』はその産出率とともlこ変動するものではないことを, スミス は暗黙のうちに仮定していることに気がつく」と述べて,収穫一定とする見解 を示している(Blaug,Op.Cit.,p.42.前掲邦訳68'‑<‑ジ)。また,シロスーラビ ーニば分業と特化に基づく収穫逓増の可能性を指摘するが,完全競争と収礎逓 増の非両立性を顧慮して,それが重要性をもってきたのは過去1 年であると して, スミス時代には重要性をもたなかったと結論付けている(Sylos‑Labini, op、Cit.,p.206)。それに対し,根岸氏は労働の細分化に伴う収櫻逓増の可能性 に依拠しつつ企業組織の観点から(分業を「釘生産型分業=産業や企業の特化 の亜視」と「ピン生産型分業=企業内の労働細分化を盟視」の2類型に分け,

スミスは後者をヨリ瞳要視したと魂る)屈折幣要曲線概念を用いて, スミスの 価格論の中に競争と収霞逓増とが両立するnon‑WalraS的均衡の可能性を指 摘しておられる(根岸隆「スミスと競争下の収轆逓増」, 『古典派経済学と近代 粍済学』所収,掛波出店, 1981年, 51‑64ページ)。 しかしその場合, 「内部組 織」をもつ企業を念頭に置くとしても, 「スミスにおける企業」が如何なるも のかは必ずしも明らかではないように思われる。

(19)

アダム・スミスの均衡概念について−『国富論』第1桶第7章を中心として一 なり,市場価格が如何なる水準で実現されるかは不定となる。 (ウ)市場価格 は「現実に市場ヤこもたらされる数賦」と「有効需要」との大小関係によっ て水準が決定される。 (エ)市場価格と自然価格に乖離が生ずる場合には,生 産要素の可動性その他の供給条件の変化による調整過程において,両価格 は一致する傾向を示す。次にわれわれは,脚と(エ)に関して検討する。

(1)「市場にもたらされる数量く有効需要壁」の場合。有効需要に対応す る点を含む「短期的に市場に現われる需要」を表わす右上がりの曲線を仮 定する。この場合,供給壁が有効需要に対応する数駐に及ばないことから,

有効需要者間ヤこ競争が発生し,市場価格は自然価格を上回る水準に決定さ れる。その上昇の度合いは, 「不足の度合い」 と「競争者たちにとって商 品の獲得力:もつ重要性如何」, すなわち需要の弾力性に依存するのであっ て,飢錨のときの生活必需品のような場合には,市場価格は自然価格を大 きく上回り法外な価格となることをスミスは例示している42〕。

しかしながら, この市場価格>自然価格という状況は永続的なものでは ない。それば自然価格を構成する各生産要素間に不均等が生ずる結果, よ り高い報酬率を求めて当該産業に生産要素が流入することによって供給瞳 が増大すると考えられるからである。ゆえに,生産要素価格の自然率が有 効需要水準に低下する過程において,市場価格と自然価格の乖離は消滅す

る傾向をもつとされ為のである43〕。

(2)「市場にもたらされる数瞳>有効需要愚」の場合。上記と同犠の需要 曲線を仮定すれば,供給騒力3有効需要ヤこ対応する数量を超過することから,

売手間ヤこ競争が発生し,市場価格は自然価格を下回る。その乖離の度合い ば, 「超過の度合い」と「その商品を即刻処分することが売手にとってど の程度さしせまっているか」,すなわち供給の弾力性に依存する。すなわ ち,供給が非弾力的な「腐敗しやすい商品」は「耐久性のある商品」に比 して激しい競争を引き起こして,市場価格は自然価格を大きく下回るので

42)WN, p.73‑4.邦訳1 , 96‑7‑‑<‑ジ。

43)WN, p.75.邦訳1 , 98ページ。

−216−

18

(20)

アダム・スミスの均衡概念について一『国當論』第1篤第7章を中心として−

ある44〕。

この場合に諦いても,市場価格く自然価格という状況ば永続的なもので はない。それは自然価格を構成する各生産要素が他産業に比して低い報酬 率しか実現しないことから, より高い報酬率を求めて当該産業から生産要 素が流出すると考えられるからである。ゆえに,生産要素価格の自然率が 有効需要水準まで上昇する過程に溌いて,市場価格と自然価格の乖離は消 滅する傾向をもつとされるのである45〕。

(3) 「市場にもたらされる数通=有効需要量」の場合。市場価格は自然価 格に一致するか, 「ぎりぎりまで近くなる」。そのとき各生産要素の報酬率 はその自然率に一致する傾向をもつことから,売手は「承ないや舞うなし にこの価格を承認せざるをえなくなる」のであって,市場価格を変動させ る競争は発生しない46〕。 ここでわれわれは, 「ぎりぎりまで近くなる」 と いうスミスの表現に注目したい。商品についての市場価格と自然価格の均 衡は事後的に知られるものであって,先Iこも述べたように,有効需要鐙に 対応した自然価格が各生産要素それぞれについての自然率を確保している

ことを保証しているものでばないとすれば,市場にもたらされる数量と有 効需要壁の一致は即時的に市場価格と自然価格の一致をもたらすとは限ら ない。従ってこのスミスの記述は,各生産要素市場で競争が発生し,商品 市場でも各生産要素の自然率を確保する有効需要鼠に対応する自然価格へ の一致を求めて,再び競争が発生する可能性を示しているように思われる。

以上のような過程において,市場にもたらされる数盈は, 「自然にその 有効需要に適合する」とされる47)。なぜならば, もしある市場で市場価格 と自然価格との間に乖離が存在するとすれば,市場間の生産要素価格の自 然率に不均等が生じる結果,生産要素がヨリ高い報酬率を目指して移動す るからである。その結果, 自然価格を,そこに向けて全ての商品価格が絶

44)

45)

46)

47)

WWWW

邦訳I , 邦訳I , 邦訳I , 邦訳I ,

97ページ。

98‑9ページo 97‑8ページo 98ページ。

−217−

(21)

アダム・スミスの均衡概念について−『国富論』第1鰐第7章を中心として−

えず引き付けられる「静止と持続の中心である」「中心価格centralprice」

とスミスは表現するのである。

われわれは市場価格の自然価格への収敵過程を概観してきたが, スミス のこの過程が数壁で調整されるものであることを指摘することができよ う48〕。すなわち,市場価格と自然価格に鏥離が存在している場合には,各 生産要素間で報酬率の均等化を求めて移動が発生→生産要素投入量の変化

→「市場にもたらされる数量」の変化, という過程で数量による調整がな されると見ることができるよう腱思われる。

このように, スミスの均衡化過程は競争に基づく数鴬調整過程と捉える ことができるとすれば, スミスの「自然に有効需要に適合する」という表 現朧, 「競争を通じて有効需要に適合する」 ことを意味していたように思 われる49)。

Ⅲ 自然的均衡とその意義

前章で検討したように,スミスが価格機構を通して描く経済機構は絶え ずヨリ高い報酬率を求めて自由に移動する生産要素の可動性を前提とする 限りにおいて,均衡へ収敵する傾向をもつものであった。しかしながら,

スミスにあって「モデルとしての市場機構50)」が如何に自律性を持とうと も,現実の市場にはそれを阻害する傾向をもつ法律や制度といった不確定 な要素が存在しており, スミス自身,その存在を認識していたと言える。

48) この点において,価格調整に依拠するワルラス的調整過程との差異が存在す るように思われる。

49) シロスーラビーニは次のように言う。「自然価格と自然率の概念は,競争の 概念と不可分である。この点に鈴いて, $natural' と4competitive' とは同装

と見散されうる」(Sylos‑Labini,op.Cit.,p.202)。

50) スミスの価格機構の抽象的性格につL、て, マイヤーズは次のように述べてい る。「スミスの経済上の均衡概念は,市場が着実かつ自由に向かう理想状態 (ideal condition)に存する」(M.L.Myers, $AdamSmith'sConCept Df Equilibrium', inJ.C.Wood(ed.),"ADAMSMITH‑CriticalAssessments", vol.III,CrocmHelm, 1983,p.412)。

−218−

20

(22)

アダム・スミスの均衡概念について一『国富論』第1篇第7章を中心として−

すなわち, スミスは一方においてモデルとしての「自然的均衡(natural balance)」を志向しつつ,他方におし、て現実の不確定性をもたらす政策を 正当化する重商主義を価格論の観点から批判し, 同時に, 「自然的均衡」

に至る過程を考慮せずに「もっとも完全な自由の状態(stateofthemost perfect liberty)5')」での分配を取り扱う重農主義を批判するという論理 展開を試ふたと見ることができるように思われる。

そこで本章では,初めに現実社会に存在する不確定要因を概観し,次い でスミスの志向する「自然的均衡」の内容を検討し,最後に重商主義およ び重農主義に対するスミスの批判を検討することとする。

スミスは競争均衡を撹乱する要因が現実の社会にば数多く存在すること を認識し,その結果として発生する独占価格について次のように述べてい る。 「独占価格は, どんな場合でも, 獲得できる最高の価格である。……

どんな場合にも買手からしぼりとることのできる最高価格,すなわち買手 がそれを与えることに同意すると思われる最高の価格である52)」と。経済 諸量間の抽象的考察から出発して現実の個別的具体的事象において経済社 会を捉えようとするスミスの方法からすれば53), この独占価格の存在ば,

市場価格の自然価格への収數を阻害するという理論上の問題であると同時 に,現実の経済政策の問題であったと言えよう。それではスミスは,市場 価格と自然価格の永続的乖離をもたらす要因をどのように考察しているの であろうか。

スミスは自然価格と市場価格が永続的に乖離する場合を生起せしめる契 機として,次の3つの要因の存在を挙げている。

第1は, 「個点の偶然の出来事(particularaccidents)」が商品供給量 の増加を妨げる場合54)であって, スミスば2つの例を指摘している。すな

51)WN,p.673.邦訳Ⅱ, 490ページ。

52)WN,pp 78‑9.邦訳1 , 1"ページ。

53) スミスの方法論については拙稿を参照されたい。 「アダム・スミスの経験主 義と自然法‑H.J. ビッターマンの所説を中心として−」, 『経済研究年誌』

(東北学院大学大学院),第6号, 1982年。

54)WN,pp.77‑8.邦訳1 , 102‑3ページ。

(23)

アダム・スミスの均衡概念について−『国富論』第1鯖第7章を中心として−

わち,市場と供給者の住居が離れていることに伴う情報の不完全性であり,

一方は製造業における生産技術の機密性である。このいずれの場合も,商 品供給の増加は阻まれ市場価格ば自然価格を上回り,両価格の収數は阻害 されることになる。しかしながら, この撹乱要因も「ときには数年にわた ってつづくこともある」とはされるものの, 「明らかに特殊な偶然の出来 事の結果」として,一時的作用と見倣されるのである。

第2ば, 「特殊な土壌と位置とを必要とする」葡萄酒用の土地が制限さ れているような「自然的原因(natural causes)」 ともいうべき場合55)で ある。そのような生産物ば「数世紀ものあいだずっとこの高い価格でひき つづき売られる」のであるが,その乖離の原因を自然価格の構成要素にお いて考察すれば,土地の自然率が上昇することによって市場価格が自然価 格を上回るのであって,賃金および利潤の自然率は「その近隣で他に用い られている労働の賃金と資本の利潤にたいして,その自然の比率を超える ことば滅多にない」のである。スミスにおいて地代の性格は労働および資 本のそれとは異なるとされる。すなわち, 「地代は賃金詣よび利潤とはち がった仕方で商品の価格の構成にはいりこむ」のであって,賃金と利潤の 高低ば商品価格の高低の原因であって,地代の高低は商品価格の高低の結 果なのである56)。この意味からすれば, この撹乱要因は他の生産要素に対 する土地の特殊性に起因するものである。この点に無いて,われわれはス

ミスに於ける自由貿易論の一つの論拠を見るのである。

長期にわたって市場価格が自然価格を上回る状況をもたらす第3の要因 は「個々の行政上の法規(particular regulations of police)」であっ て57〕, その存在は市場に慢性的供給不足をもたらし,その結果,市場価格 は自然価格を超えた高い水準に留まる。その例は独占の許可であって,競 争者数の制限を内容とする同業組合の排他的特権(exclusive privileges

55)

56)

57)

WN,p、78.邦訳1 , 103‑4ページ。

WN, p、 162̲邦訳1 , 244ページ。

WN,pp、78‑80.邦訳1 , 1"‑6ページ。

‑220‑

22

(24)

アダム・スミスの均衡概念について一『国富論』第1桶第7章を中心として−

ofcorporations)や徒弟条例(statutesofapprenticeship)を含む,独 占を「唯一の武器」とする重商主義の政策全体58)は全て,市場価格と自然 価格との均衡を阻害するのである。スミスばこの要因が時間の経過によっ て解消する一時的なものでも, また自然環境によって余儀なくされるもの でもなく, まさに人為的なものが市場を狭隙化し分業の進展を鈍化させ,

ひいては経済発展を阻害しているとの認識から, 『国富論』第4篇におい て詳細な吟味を加えるのである。

自由競争市場における抽象的な議論を展開して経済社会がもつ自律的均 衡化過程について述べた後,上述のような諸要因を含む現実の市場への分 析へ向かったスミスは,現実の市場のもつ不確定要素を顧慮しながらも,

その落ち着くべき先として「自然的均衡」を志向している。

『国富論』における「自然的均衡」概念が,常に重商主義的政策との関 連で表明されていることは注目に値する, 「植民地貿易の独占は……,大プ リテンの各種産業部門のあいだiこ成立したはずの自然的均衡を全面的iこ破 壊してしまったように思われる。 .…・・大ブリテンにたいして植民地貿易の 排他的独占を許している諸,々の法律を,適度に,漸次的に,緩和し,やがて,

それを全く自由にしてしまうことは, ..…完全なる自由だけが保持しうる ところの,かの自然的な,健全な,かつ適正な均衡(natural,healthful, andprOperproportion)を,すべての産業部門を通じて回復させうる唯 一の策であるように思われる59)」とスミスば述べ,独占の排除が経済上の 58) 「およそ独占こそ, まことに重商主義にとっての唯一の武器(thesoleeng̲

ine)であるように思われる」(WN,p.630.邦訳Ⅲ, 410‑11ページ)。

59)WN, pp.604‑6.邦訳1, 368‑70ページ。 スミスがここに述べるのは資本投 下の自然的順序に関する議論から導出された産業「間」の自然的均衡であっ て,一産業「内」のそれでばない。しかしながら, この両者は,われわれが考 察してきた後者の原理と必然的関係があるのであって, この点に関してホラン ダーは次のように述べて,価格論に基礎付けられた原理が,産業「間」の自然 均衡論に基づく投資の僅先順位論に結びついていることを明らかにしている。

「一国の発展のなんらかの段階で採用されるべき投資のパターンは,環境によ るものであって,なんらかのあらかじめ設定された優先順位によってア・プリ オリに規定されるようもなのではないというのが,スミスの立場雄のである。/

(25)

アダム・スミスの均衡概念について−『国富論』第1簡第7章を中心として一 自由を招来し,それに基づく自律的経済活動が産業部門間の均衡を保証す るものとされているのである。でばその場合,経済上の自由が産業の自然 的均衡の成立をもたらすとされる根拠は何であろうか。

「産業の自然的均衡」の内容について, スミスは『草稿』の中で次のよ うに述べている。「人左のあいだにば, その仕事にたいする需要に正確に 比例して,各種の仕事に従事する傾向があるということ。この均衡を破壊 する傾向があるものは,すべて,国民のあるいは社会の富裕を害する傾向 があり,それは, ある種の産業に,異常な妨害か異常な奨励のいずれかを 与えることによってであろうと,同じであるということ60)」と。人々が需 要に応じて職業に就くこと,換言すれば商品市場における均衡化過程の中 で生ずる市場価格と自然価格の乖離の調整を機能させるメカニズムこそ,

自律的経済発展の契機と見散きれているのである。その際,スミスが需要 の側面に関連付けて述べるのは, 「消蟹こそいっさいの生産にとっての唯 一の目標であり,かつ目的なのである61)」という経済観であって,なによ りもスミスをしてそのように語らしめるのは,消費者の利益を完全に無視 し生産者の利益の象を追及した重商主謡政策の全体が, 「消費者ではなく,

まさ1こ生産者」, とりわけ貿易商人や大製造業者たちによって案出され た62>との認識であったと言えよう。この点に重商主義に対するスミスの批 判の源泉が存在するように思われる。

先に述べたように, この「自然的均衡」は抽象的モデルの到達点とも言 うべき性格をもつものであったが,言うまでもなく, スミスはそれが現実

、 ・ ・・ ・一眉の分析的意装を持つのは,達成された発展の特定段階に応じて時期 iこよって変化するものとして,要素賦存が取り扱われていることである。要す るに発展についてのスミスの分析は,…・・・配分理鵠の諸原則にはっきりと基礎 づけられているのである」 (Hollander,pp.Cit.,p.278.前掲邦訳, 403ペー ジ)。

60) A.Smith, "EarlyDraftofpartofTheWealthofNations", inR.L, Meek,D.D.RaphaelandP.G. Stein(eds.), 'LecturesonJurisprudence', OXfOrd, 1978, p, 575.水田洋訳『国雷論草稿』, 日本評論社, 105ページ。

61)WN,p.660.邦訳Ⅱ, 464ページ。

62)WN,p.661.邦訳Ⅱ, 467ページ。

−222−

24

(26)

アダム・スミスの均衡概念について一『国富論』第1篇第7章を中心として一 のものになるとは考えなかった。既得權益を有する人々の抵抗が根強く,

現実の「政策」を変更することが容易になしえないことをスミスは認識し ているのである。 「自由貿易が将来大プリテンに完全に回復することを期 待するのば, この国にオシアナあるいはユートピア(OceanaorUtopia) が将来建設されるのを期待するような夢想に近い83)」という表現には,現 実社会には抽象的モデルでは処理しえない不確定要素が存在すると見るス

ミスの社会認識が見られるように思われる64〕。

ところで, この価格論に基礎付けられた「自然的均衡」概念に依拠する スミスの重商主義批判ば,一方において,経済社会を人体になぞらえて物 理法則と同様の完全性を求める重避主義への批判ともなっていると見るこ

とができよう。

諸国民の冨の源泉を貨幣ではなく労働によって年点再生産される消費財 であるとし,かつ完全な自由が年点の再生産を最大化する方策と考えるこ とにおいて, スミスば箪農主義を「正当である」と評価する65〕。しかしな がら, スミスによれば,重農主義は社会という政治体(politicalbody) を人体との類比に誘いて捉えて,人体の健康は厳格な蕊生法ヤこ依らなけれ ば維持することは不可能であり,それに少しでも反すれば不調を生じると の見方から,社会も完全な自由と完全な正義の存在によっての承富裕とな り繁栄すると見るのである。そのような見方に対してスミスば, 「一国民 が完全な自由と完全な正義とを享受しなければ繁栄できないというのであ あなら,かつて世界に繁栄しえた国民はひとつとしてなかったことにな る86)」と述べて,その過度に厳格な点を指摘し, さらに「政治体において は,経済政策が多少不公平で抑圧的であっても,すべての人がたえず自分

63)WN,p.471.邦訳Ⅱ, 146ページ。

) この点に関して,高島氏は次のように指摘しておられる。「われわれはここ にスミスの経世家的風格と同時iこ,経験に習熟したスミスの現実感覚を誤りな く説魏とるべきであろう」(岡島善哉『アダム・スミスの市民社会体系』,岩波 書店, 1974年, 190ページ)。

65)WN,p.678.邦訳Ⅱ, 497‑8ページ。

66)WN,p.674.邦訳Ⅱ, 492ページ。

参照

関連したドキュメント

内外 均衡 とマク ロ経済 政策... 内外 均衡 とマク

本論文の構成は、第 1 章から第 3 章で本論文の背景と問題の所在について考察し、第 4

(とくにすぐれた経世策) によって民衆や同盟国の心をしっかりつかんでい ることだと、マキァヴェッリは強調する (『君主論』第 3

これまで応用一般均衡モデルに関する研究が多く 蓄積されてきた 1) − 10)

第4章では,第3章で述べたαおよび6位に不斉中心を持つ13-メトキシアシルシランに

( 「時の法令」第 1592 号 1999 年 4 月 30 日号、一部変更)として、 「インフォームド・コンセ ント」という概念が導入された。同時にまた第 1 章第

第一章 ブッダの涅槃と葬儀 第二章 舎利八分伝説の検証 第三章 仏塔の原語 第四章 仏塔の起源 第五章 仏塔の構造と供養法 第六章 仏舎利塔以前の仏塔 第二部

Leonard: Elicitation of honest preferences for the assignment of individuals to positions, Journal of Political Economy 91 (1983)