東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
その他のタイトル The Characteristics of the East‑asien Thoughts, and the Philosophy of the
"Kyoto‑School" in Japan
著者 井上 克人
雑誌名 関西大学哲学
巻 25
ページ 247‑273
発行年 2005‑10‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/5351
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学 序
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
ニ四七
日本の哲学を代表する﹁京都学派の哲学﹂は宗教的色彩がきわめて強く︑特に仏教との関係は深い︒西田幾多郎
︵ 一
八 七
OS
一九四五︶の場合は禅仏教︑特に臨清系の禅との関わりがよく指摘されるところであり︑田邊元︵一
八八五 S 一九六二︶は︑日本曹洞宗の開祖道元の禅思想︑および浄土真宗の親鸞に於ける絶対他力の立場を自家薬
篭中のものとして独自の弁証法を展開させ︑西谷啓治(‑九
OOS
一 九
九 O
)
はやはり禅に基づき︑情意としての
﹁空﹂の立場から深い思索を展開している︒
このように︑彼らはそれぞれに個性のある独自の哲学を展開させながら︑そこには或る一貫する共通のテーマが
見受けられる︒それは一言で云えば︑体と用の関係︑すなわち﹁超越と内在の論理﹂である︒詳言すれば︑西田の
初期の立場を代表する﹁純粋経験﹂の論理︑すなわち超越的一なるものの自発自展という考え方︑更にその後の﹁一
般者の自覚的限定﹂︑﹁絶対無の場所﹂︑﹁絶対矛盾的自己同一﹂﹁逆対応﹂などは︑仏教および宋学の根幹をなす︑い
わゆる﹁体・用﹂の論理であると言っても過言ではない︒田邊の場合も︑彼の﹁絶対媒介︵絶対転換︶の弁証法﹂︑
井
上
克
人
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
すなわち絶対と相対とのダイナミックな関係も︑言うなれば同じく体用の論理を田邊独自の弁証法的思惟によって
解釈したものに他ならない︒西谷は︑西田や田邊のように哲学的論理を展開することはないが︑絶対無の境涯に基
づくニヒリズムの超克を説き︑同時に般若の﹁空﹂の立場を︑華厳教学の﹁理事無凝・事事無凝﹂に即して捉え︑
きわめて深い哲学的思索を繰り広げ︑多くの人々に感銘を与えている︒
9
ところで︑この体・用の概念は﹃大乗起信論﹄をはじめ︑元来仏教でよく使われたもので︑この観念そのものは
遡れば僧肇︵三七四 S 四︱四︶の﹃肇論﹄における﹁寂﹂と﹁用﹂の関係に行き着く︒因みに湯用形は﹁魏晋より
南北朝を通じて︑中国の学界には異説繁興︑争論雑出し︑表面上複雑をきわめたが︑要するにその争うところは体
用観念を離れなかった﹂とまで言っている︒
( 1 )
しかし︑こうした体用の観念が仏教に由来するものか︑それとも儒教に本来あった考え方なのかは明確に限定で
きないようで︑島田虔次氏によると︑絶対他者たる超越的人格神が無から世界を創造した︑というキリスト教のい
わば因果説︵神が因で世界が果︶に対して︑そのような外在的超越神もしくは創造者としての神の考えを持たない
中国的思弁の発想は︑仏教であれ︑朱子学であれ︑本来的に︑あるいは潜在的に体用論理以外ではありえなかった︒
さて︑本稿では︑京都学派の哲学思想をこのような仏教にも宋学にも通底する﹁体用の論理﹂︑言い換えれば﹁内
在的超越の論理﹂という視点から捉え︑その特質を浮き彫りにしてみたい︒しかし︑それに先立ち︑まず中国的発
想の淵源として︑朱子学についての概説から始めたい︒なぜなら︑京都学派の哲学を打ちたてた西田幾多郎は明治
三年︵一八七
O )
に生まれた生粋の明治人であって︑彼のように明治初年に生まれ育ち︑明治後期に活躍する思想
家の殆どは︑その思想の形成の時期に儒教的伝統が極めて大きな比重を占めていたことは念頭に入れておくべきで
ニ四八
あるからである︒それは単に彼らの思想形成の一要素というに留まらず︑少年時代の生活全体を通して︑精神の内
奥に深く浸透していたのである︒当時の子供たちは︑明治五︵一八七二︶年の﹁学制﹂発布後創設された小学校に
通学する傍ら︑近世以来の生き残りの儒学者たちの膝元にあって︑直接経書や史書︑四書五経等の素読と講釈を受
けるという光景は︑当時かなり一般的なものであった︒明治三年生まれの西田幾多郎もその例外ではない︒彼らが
思想的に活躍する時期にあって︑彼らの思想内容の中にそうした伝統がそのままのかたちで表現されるわけではな
いであろうが︑こうしたいわば血肉にまで浸透した世界観なり価値観は︑もはや直接的な思想表現としては表れて
はこず︑むしろ表向きは前近代的な封建的儒教倫理を批判しながら︑基本的な発想は相変わらず儒教的であるといっ
た場合も決して少なくないのである︒
従来︑西田哲学の成立に関連して﹁禅体験に基づく﹂ことが喧伝され︑専ら﹁禅﹂の立場から解釈される傾向が
あったが︑西田が禅に打ち込んだのは︑云うなれば︑私欲を去って自己の内面の確立をもとめようとする朱子学の
﹁居敬﹂の精神によるものである︒西田晩年の﹁物となって考え︑物となって行う﹂といった発想の淵源も︑やは
り朱子学が提唱する﹁格物致知﹂の姿勢に他ならないのである︒
では近代化をめざす明治期にまで︑深く人々の心に浸透していた朱子学的世界観とはどのようなものであったの
であろうか︒次に簡単に概説してみたい︒
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
ニ 四
九
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
朱 子 学 の 特 質
︑
朱子学は、周瀧撲 (10 一七— 10 七三)、程明道(一 0 三二 I 一〇八五)、程伊川(一 0 三一―-|-―七 O) 、朱窯
︵ ︱
‑ 三
〇 ー
︱ 二
O O )
ら︑宋時代の思想家たちによって形成された学問であり︑それはまた宋学︑もしくは新儒
学とも称される︒士大夫の政治倫理であった儒教は孔子の死後︑秦の時代に始皇帝による焚書坑儒の暴政を受け︑
漠の時代にはいわゆる﹁黄老の学﹂に圧倒せられ︑魏︑晋︑宋︑斉︑梁︑陳︑つまり六朝時代には仏教に圧倒せら
れて︑儒教の提唱する仁義道徳は︑老にあらずんば仏︑つまり道家・道教的なもの︑もしくは仏教的なものによっ
て変質せられてしまった︒このように弱体化し︑沈滞していた中国の土着思想である儒教を何とかよみがえらせる
べく︑それを︱つの体系哲学として構築されたのが新儒学︑すなわち宋学であった︒それは﹃易経﹄の自然哲学を
基礎とし︑陰陽五行説によって補強した宇宙生成論と︑更には﹃論語﹂︑﹃孟子﹄︑﹃大学﹄︑﹃中庸﹂のいわゆる四書
を基礎とした実践倫理を兼ね備えていた︒しかもそれは宋の時代に中国で一世を風靡していた禅や華厳哲学に対抗
しつつ︑同時にその理論の体系性を吸収するとともに老荘思想をも包摂することによって成立した極めて思弁的な 形而上学的体系をなすものであった。このようにして形成された宋学は、いわゆる五常〔仁・義・礼•智•信〕お よび五倫〔君臣(義)・父子(親)・夫婦(別)•長幼(序).朋友(信)〕といった種々の人間関係における道徳規範
の奨励もさることながら︑その根幹には︑﹁天地われと同根︑万物われと一体﹂といった︑人間と天地自然を同一原
理によって結合し︑更に倫理の根拠を天地自然のうちに求めようとする発想︵﹁天地一体の仁﹂︶が著しい特徴とし て見られる。したがって人間の倫理的課題は、私意•私欲を払拭して天地と一体化するところに求められるのであ
り︑人間に関わる倫理の根拠も︑天や自然の理に遡って説かれ︑人間社会の道徳的規範の本質は天理に由来してい および東洋的形而上学における体用の論理
二 五
O
朱子学では宇宙の究極的本体を周瀧渓の﹃太極図説﹄を受けて﹁無極而太極﹂と捉える︒すなわち究極的本体は
形体なく︑無声無臭である︒その無極としての太極から陰と陽の運動をなす﹁気﹂が生じ︑更に気の自己運動が木・ 火•土•金•水の五行と結合し、万物化育するとされる。朱窯は太極を「理」と捉え、それを「気」から区別し、
その両者の関係を﹁理先気後﹂という不可逆的な存在論的順序において理解する︒そうした考えの発想は︑程伊川
のいわゆる﹁性即理﹂の哲学に由来する︒朱子学は宇宙万物の躍動的生命観を唱えるが︑なかでも朱窯は程伊川に
倣い︑超越的な理の﹁静﹂を強調したことは重要である︒つまり宋学の主流は﹁静﹂の強調にあり︑その流れの内
から後述の﹁敬﹂が生まれ︑﹁未発の中﹂が説かれることになるのだが︑しかしまた︑その﹁静﹂は決して﹁動﹂を
排除した静ではなく︑動を内に最大限に含みつつの静︵﹁至静﹂︶であった︒﹁動中の静﹂︑﹁静中の動﹂とはそのこと
である︒因みに︑西田は処女作﹃善の研究﹄のなかで︑神概念についてアウグスティヌスの﹁神は静にして動︑動
無極而太極
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
乾道成男
二 五
万物化生
坤道成女 ①太極図説 ると見る点にその特質がある︒
⑰四書とくに
﹃ 大
学 ﹄
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
にして静﹂という言葉を引用し︑︵﹃西田幾多郎全集﹄第一巻︑一八六頁︶︑さらに﹃自覚に於ける直観と反省﹄では
ヨハンネス・スコトゥス・エリューゲナの﹁動静の合一︑即ち止れる運動︑動ける静止﹂︵同﹃全集﹄第二巻︑二七
八頁︶︑或いは﹁神は動的静︑静的動﹂という語を援用し︵同︑二八四頁その他︶︑以後もこうした表現を頻繁に使
用するが︑西田があえてこのような神秘思想家の動や静の概念に注目し︑わざわざそうした表現を取り入れた背景
には︑恐らく周源撲の太極図説︑すなわち﹁無極而太極︒太極動而生陽︑動極而静︒静而生陰︑静極復動﹂︵﹁近思
録﹄冒頭︶という言葉に示されるような観念が彼の念頭にあったからではなかったであろうか︒西田はまた﹃善の
研究﹄でヤコブ・ベーメの﹁物なき静さ
( S t i
l l e
o h
n e
W
e s
e n
﹂ )
﹁ 無
底
( U
n g
r u
n d
﹂﹁対象なき意志 )
( W i l
l e
o h
n e
G e g e
n s t a
n d )
﹂という語に関心を寄せ︑それに深い意味を見出しているが︵﹃全集﹄第一巻︑一八六頁および一九〇
頁︶︑まさにこれは﹁無極而太極﹂の﹁理﹂がその特質としてもつ絶対静そのもののイメージであろう︒
の重視ー三綱領・八条目
二 五
二
宋学では四書の内の﹃大学﹄が孔子の遺書として重要視され︑そこに説かれる﹁明徳を明らかにし︑民を新しく し、至善に止まる」という三綱領、および「格物・致知・誠意•正心•修身•斉家・治国・平天下」の八条目はと くに重視された。なかでも「修身•斉家・治国・平天下」の教えは、個人のもつ自己抑制的姿勢が、同時に天下国
家へと同心円的に拡充されていくことを示し︑特に日本では武士に対して公的世界への責任感を植え付けていった︒
従来︑いわゆる﹁武士道﹂として西欧諸国に紹介された倫理意識の淵源は朱子学にあることは留意されてよい︒
明治人︑西田幾多郎もそれをしっかりと踏まえており︑﹃善の研究﹄第三篇︑第十二章﹁善行為の目的︵善の内容︶﹂
のなかで︑﹁意識の統一カであって兼ねて実在の統一カである人格は︑先づ我々の個人に於て実現せられる﹂としな
がらも︑次のようにはっきりと明言していることは留意すべきであろう︒
元来我々の自己の中心は個体の中に限られたる者ではない︒母の自己は子の中にあり︑忠臣の自己は君主の中
にある︒自分の人格が偉大となるに従うて︑自己の要求が社会的となってくるのである︒︵中略︶社会的意識に種々
の階級がある︒其中最小であって︑直接なるものは家族である︑家族とは我々の人格が社会に発展する最初の階
級といはねばならぬ︒︵中略︶併し我々の社会的意識の発達は家族といふ様な小団体の中にかぎられたものではな
い︒我々の精神的並に物質的生活は凡てそれぞれの社会的団体に於て発達することができるのである︒家族に次
いで我々の意識活動の全体を統一し︑一人格の発現とも看倣すべきは国家である︒︵中略︶国家の本体は我々の精
神の根底である共同的意識の発現である︒我々は国家に於て人格の大なる発展を遂げることができるのである︒
国家は統一した一の人格であって︑国家の制度法律はかくの如き共同意識の意志の発現である︒︵中略︶国家は今
日の処では統一した共同的意識の最も偉大なる発現であるが︑我々の人格的発現は此処に止まることはできない︑
尚一層の大なる者を要する︒夫は即ち人類を打して一団とした人類的社会の団結である︒︵﹃全集﹄第一巻︑一六
一 頁
S
一 六
三 頁
︶
また︑朱子学は︑そうした実際的な人倫社会の道徳を強調する立場から︑仏教の反社会的な﹁出家主義﹂︑そして
﹁無為自然﹂を説く道家の反文明主義を徹底的に批判したことは周知のところである︒
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
二五三
③居敬・窮理—本然の性・気質の性 東洋的思惟の特質と京都学派の哲学 先に記したように︑宋学の倫理学の原理は︑程伊川のいわゆる﹁性即理﹂にはじまる︒性とは個々の人間に内在
している理をいい︑その性には﹁本然の性﹂と﹁気質の性﹂とがあって互いに対立し︑人間の倫理的課題は﹁気質
の性﹂を正して︑善の本源たる﹁本然の性﹂に立ち帰ることにある︒つまり肉欲に根ざす欲心を払拭して﹁明徳を
明らかにする﹂︵﹃大学﹄︶こと︑これが宋学の説く﹁居敬﹂に他ならない︒朱窯によると﹁本然の性﹂とは﹃中庸﹄
に謂うところの﹁未発﹂であり︑それはまた﹁未発の中﹂とも称され︑人間の喜怒哀楽の情念がいまだ発動せざる
以前の︑絶対に静なる中正を得た本質態をいう︒この﹁未発﹂が動となると﹁已発﹂となって情が顕れるのである︒
因みに西田幾多郎が﹁吾が心深き底あり喜びも憂いの波も届かじと思ふ﹂と詠った﹁深き底﹂とは︑この﹁未発﹂
の心に通じるものであろう︒ところでこの﹁深き底﹂はよく﹁絶対無﹂に準えられるが︑西田のいわゆる﹁絶対無﹂
かっぱっぱっち
はその場所的特性から見て︑例えば禅で云われるような︑いわば無が無を呑却して即今当処に活澄澄地と大機躍動
するそれであるよりは︑むしろ程伊川をはじめ朱窯が強調した︑動静を絶する超越的絶対静といった本体的性格を
もつ﹁性﹂もしくは﹁理﹂に通底するように思われる︒
さて︑﹁居敬﹂とは已発の心を鎮めて未発の心を覚醒させることだが︑同時に朱窯によれば︑﹁一草一木一昆虫の
おのおのまた
微に至るまで︑各亦理有り﹂︵﹃朱子語類﹄巻十五︶と言われるような︑物に内在する理を究明することも同時に
説かれる︒それは﹁物を以って物を観る﹂︑すなわち主観的見方が介入する以前の事物そのものの本質を直観して︑
宇宙の生命︵誠︶と合一することであり︑そしてまたそうすることによって自己の本性︵明徳︶も顕現することに
なる︒これがいわゆる﹁窮理﹂であり︑﹃大学﹄が説く﹁格物致知﹂に他ならない︒このように︑朱子学にあっては︑ 二五四
聖人の道として﹁居敬﹂と﹁窮理﹂が同時に説かれるが︑
う大前提があったのである︒
の精神ー実証科学の淵源
このように物に即して物に内在する﹁理﹂を究明すること︑言い換えれば﹁格物致知﹂の学問姿勢は︑いわば後
の実証科学的精神と通底するような側面も窺われる︒したがって朱子学は︑理論的には近代の帰納法に基づく自然
科学的研究を準備するような要素は多分にあったことは留意されるべきであろう︒
じじつ︑朱子学が提唱する﹁格物窮理﹂の姿勢は︑日本を例に取れば︑貝原益軒︵一六三0│︱七︱四︶におけ
る本草学︵﹃大和本草﹄︶︑宮崎安貞︵一六二三
I 一六九七︶による農学研究︵﹃農学全書﹄︶として結実し︑それはま
た江戸時代中期以降の山片蝠桃︵一七四八 I 一八ニ︱)︑佐久間象山︵一八︱‑│︱八六四︶に見られるように︑日
本における西洋の自然科学受容の母胎となったのである︒この側面は日本の近代化に朱子学が寄与した点で極めて 重要である。「宇宙間の事、吾が儒分内の事」という陸象山(―-三九—一―九三)の言葉にもあるように、宇宙の
ことはすべて儒学のなかに含まれるのである︒
先に触れたように︑西田幾多郎は︑後年︑﹁物の真実に行く﹂とか︑﹁何処までも物となって考え︑物となって行
う﹂︑或いは﹁自己が客観に照らされる﹂といった表現を用い︑そこに科学的精神の真髄があると主張するが︑こう
した﹁物に成りきる﹂思惟︑すなわち西田のいわゆる﹁徹底的客観主義﹂
( 3 )
は︑遡れば朱子学が標榜する学問的立
場︑即ち﹁格物窮理﹂の姿勢を踏襲していることは留意しておくべきであろう︒じじつ西田は﹃哲学論文集第四﹄
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学 ④﹁格物致知﹂
二 五 五
そこには心の理と物の理とは元来︱つのものなのだとい
⑥理気二元論︵理先気後︶ とその批判 東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
所収論文﹁ポイェシスとプラクシス﹂の最後で︑朱窯が最重要視した﹃大学﹄の有名な﹁三綱領八条目﹂を引用し︑
いた
次のように語っている︒﹁私は格物をやはり朱子の如く物に格ると読みたい︒そしてそれは何処までも物となって考
え︑物となって行うという意に解したい︒真の客観的営為は︑此から出て来るのである﹂
(4
と ︒
)理と気の関係を﹁理先気後﹂として捉え︑もっぱら理の超越性を強調する朱窯の﹁理一元論﹂的形而上学に対し
て︑その思弁性を批判する立場が次第に出てくる︒つまり﹁理﹂といってもそれは現象の背後にある超越的なもの
ではなく︑むしろ現象の真只中にある摂理にすぎない︵﹁理は気の条理﹂︶のであって︑理と気を分かつべからずと
らきんじゅん
する見方がそれである︒これはもともと陸象山が標榜した考えだが︑十六世紀初頭︑明の中頃に羅欽順(‑四六五ー
一五四七︶︑王陽明︵一四七二 I 一五二八︶の朱子学批判もこの発想につながる︒要するに彼らは朱子学の﹁理﹂の
形而上学に対して︑現象を重んじる﹁気﹂の哲学を唱えたのである︒日本の徳川期の官学であった朱子学も︑朱子
学とはいえ︑最初から超越的な究極的原理を認めない点で︑むしろこの後者の理念に則っていることは注意されて
よい︒日本人的発想の特質として挙げられる﹁即物主義﹂もそこに淵源があろう︒
王陽明は朱子学が唱える﹁格物致知﹂を追究する過程で行き詰まり︑やがて象山と同じく朱子学の﹁性即理﹂の
立場を批判して︑﹁心即理﹂を唱え︑人間の心の本性たる﹁良知(II覚︶﹂こそ重要であるとし︑﹁格物致知﹂も朱窯
の﹁物二格︵イタ︶ル﹂という理解とは異なり︑良知を﹁致︵イタ︶ス﹂︵実現させる︶ことによって﹁物ヲ格︵タ
ダ︶ス﹂と読み替えるようになる︒静座による瞑想を重んじた朱窯に対して︑﹁知行合一﹂︑﹁事上磨錬﹂を強調する 二五六
陽明学の基本はここにある︒
ところで︑朱子学に見られる理一元論的な発想︑つまり超越的な一たる理は︑万事万物それぞれに分有され︑そ
れぞれの理となる時には︑それぞれ特殊なあり方として己を顕してくるという﹁理一分殊﹂論の発想は︑また中国
の宋の時代に﹁看話禅﹂と共に一世を風靡し︑朱子学にも少なからぬ影響を与えた華厳教学の﹁理事無凝・事事無
凝﹂の考え方にも通底するものであり︑それは言葉を換えて云えば﹁体・用﹂の論理︑すなわち︿内在的超越﹀の
論理に他ならない︒
この体・用の概念は︑例えば朱寮が﹃中庸章句﹄第一章に﹁大本ナル者ハ道ノ体ナリ︑達道ナル者ハ道ノ用ナリ﹂
と述べ︑また﹃朱子語類﹄巻一の第一條に﹁陰陽二在ッテ言エバ︑用︑陽ニアリ︑体︑陰ニアリ︑然カモ動静無端︑
陰陽無始︑先後ヲ分カツ可カラズ﹂と述べ︑あるいは性は体︑情は用などと言われているものである︒しかしすで
に触れたように︑体用の概念は︑元来は﹃大乗起信論﹄をはじめ︑仏教でよく使われたものである︒
馬鳴造︑真諦訳とされる﹃大乗起信論﹄は五︑六世紀に成立し︑サンスクリット原本がないことから中国撰述説
もある大乗仏教の哲学論書だが︑いわゆる如来蔵思想を﹁真如随縁﹂というかたちで捉え︑その体・用の関係を水
と波の比喩で説明する︒すなわち体用とは因果に対していう言葉であり︑水波の比喩で説明すれば︑因果の関係が
風と波との関係であるのに対し︑体用の関係は水と波との関係をいう︒体とは根本的なもの︑自体的なもの︑用と
は派生的なもの︑その働きを意味し︑本体とその作用︑実体とその現象の関係をいう︒因果の関係はいわゆる因果
別体︑つまり因と果は風と波のように互いに別個のものであるのに対し︑体用の関係は殆ど﹁体用一致﹂とか﹁体
即用︑用即体﹂と論じられるのが特徴である︒水と波とが別物ではないように︑体と用とは不可分の関係にある︒
しかしながら水が大波小波いかようの波の姿をとろうとも︑水そのもの︑即ち水の本体︵湿︶は常にすべての波の
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
二 五
七
— •
—, .
. ,.,,.西田哲学の特質ー超越と内在の論理
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
形状を超えて︑水そのものの自己同一性を保持している︒更に敷術して云えば︑水︵体︶はあらゆるものを濡らす 働き︵用︶がある︒濡らすという働きを離れて水はありえない︒しかし水の自性に即して見れば︑水はあらゆるも
のを濡らしながら︑水そのものは濡らさないという仕方で水の水としての自己同一性が維持されているのであり︑
まさに自らを濡らさない水であればこそ︑すべてのものを濡らす水でありえているのである︒このように体はあら
ゆる用を一貫する﹁統一的或者﹂として自己同一性を堅持しており︑体は用と﹁非︱非異﹂の関係にあって︑本体
としてはどこまでも超越を保っているのである︒したがって超越といっても水が波を離れないように︑外在的超越
ではなく︑どこまでも内在的な超越なのである︒それ自身超越的なものがその本体的な自己同一性を保ちながら︑
さまざまな用︵働き︶として自己展開していき︑あらゆる現象のなかに内在するのである︒これこそまさに超越的
一なるものの体系的発展であり︑体用の論理が﹁内在的超越﹂であると言ったのはこのことである︒
西田哲学の中心問題は︑その発展の全プロセスを通じて︿真実在﹀であったと言っても過言ではない︒言葉を換
えて云えば︑﹁それ自身に於いてあり︑それ自身によって動く﹂絶対的実在の世界である︒明治四四︵一九︱一︶年
に刊行された彼の処女作﹃善の研究﹂では︑主客未分の﹁純粋経験﹂が強調され︑それがそのまま生きた真実在に
他ならず︑あるいは真実在に直に触れる契機と見なされている︒﹁純粋経験﹂とは︑﹁たとへば︑色を見︑音を聞く
刹那︑未だこれが外物の作用であるとか︑我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず︑この色︑こ 二五八
の音は何であるという判断すら加わらない前﹂の意識であって︑﹁未だ主もなく客もない︑知識とその対象とが全く
合一して居る﹂最も直接的な主客未分の現在意識である︒
( 5 )
こうした意識現象が唯一の実在であり︑しかもそれは
含蓄的
( i m p
l i c i
t )
な状態から顕現的
( e x p
l i c i
t )
な状態へと自発自展してゆく生きた全体として見られている︒
( 6 )
こ
うした真実在の動性を内容とする純粋経験も︑主客未分の原初的状態から思惟あるいは反省へと分化し分裂してゆ
くが︑それは純粋経験そのものの深化発展のプロセスに過ぎず︑純粋経験はそのプロセスを通じてどこまでも自発
︑ ︑
︑ ︑
︑
自展する︱つの体系を維持しているのである︒西田が純粋経験という概念で問題にしているのは︑そうした直接経
験にこそ見られる意識の統一︑知情意の統一であり︑次に︑﹁純粋経験は個人の上に超越することができる︒個人あっ
︑ ︑
︑ ︑
︑
て経験あるのではなく︑経験あって個人あるのである﹂
( 7)
と言われるその超越的特性である︒
さて︑こうした超越的性格をもつ﹁統一的或者﹂の体系的発展といった発想は︑万物の淵源である大極を﹁理﹂
と捉え︑﹁理一分殊﹂論を標榜する朱子学︑そしてまた中国の宋の時代に﹁看話禅﹂と共に一世を風靡し︑朱子学に
も少なからぬ影響を与えた華厳教学の﹁理事無凝・事事無凝﹂の考え方に通底するものであり︑それは言葉を換え
て云えば﹁体・用﹂の論理︑すなわち︿内在的超越﹀の論理に他ならない︒すでに述べたように︑従来︑西田哲学
が﹁禅体験に基づく﹂ことが喧伝されてきたが︑肝心なことは︑果たしてその場合の﹁禅﹂とはそもそもどのよう
な内実と論理を持っていたか︑ということであろう︒西田の哲学的思惟の特質である︿超越的一なるものの体系的
発展﹀といった発想は︑禅だけに限らず更に広く中国仏教思想全般︑さらには宋学の形而上学にも通底し︑その根
幹をなすところの﹁体・用﹂の論理︑すなわち﹁内在的超越﹂の論理であったと云ってよい︒
さて西田が西洋哲学との格闘を通じて︑より鮮明にしようとしたのは︑こうした東洋独自の思考法︑すなわち体
用の論理であったと言っても過言ではない︒しかし︑西田の場合︑とくに留意すべき点は︑体用の論理といっても
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
二 五
九
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
絶えず﹁内在的超越﹂のその超越性が常に念頭にあったということである︒﹁自己は自己を超えたものに於て自己を
もつ﹂という発想が若い頃から彼の思索に一貫してあったことからも推察されるように︑西田哲学の西田哲学たる
最も基本的な特質は︿超越的なもの﹀への志向であったことは特に留意する必要がある︒
周知のごとく︑西田の純粋経験の立場は自覚の体系へと深められ︑それがやがて﹁場所﹂の立場に至りつくこと
によって︑彼の考えを論理化する端緒を得るのだが︑その﹁場所﹂も次第に﹁弁証法的一般者﹂として具体的に捉
え直され︑﹁純粋経験﹂と言われていたものが︑晩年には歴史的実在の世界を生きる﹁行為的直観﹂の立場として直
接化されてくる︒しかしながら︑このような発展過程を通じて西田哲学の根本的な基調になっているのは︑やはり ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ 弁証法的一般者の自覚的限定ということ︑言葉を換えて云えば︑絶対否定を媒介とした実在の実在自身への自覚の
深まりということが言えるのではないだろうか︒つまり︑それ自身に於いてあり︑それ自身によって動く絶対的実
在の世界は︑自己の中に自己を映す自覚的体系の根本動性として見て取られるのである︒真実在を知るとは︑われ
われが外からそれを認識することではない︒実在の無限性は自己の自覚の無限の深まりにつながり︑そのことが︑
ひいては実在が実在自身を知ること︑すなわち実在が実在自身の底へ底へと無限に深まりゆくこと︑つまり実在が
実在自身を自覚してゆくことなのである︒
しかしやがて西田は︑実在の実在的自覚の深まりゆく底に︑つねにそれを見るものがあることに気づくようにな
る︒以後︑それがますます彼の思索を駆り立ててゆくことになるのだが︑こうした実在の深き底︑反省によって達
することのできない奥底に彼の思索の焦点が移ってゆき︑それが︑見るものなくして見るもの︑すなわち自ら無に
して自己の中に自己を映す﹁絶対無の場所﹂として捉えられてくる︒この無の場所というのは︑個々の物が︑いわ
ゆる述語的一般者の自己限定によって特殊化されただけの主語的基体としての在り方にとどまらず︑そうした在り
二 六
O
方がさらに突破され︑個物がどこまでも個物として自らを限定するような場である︒一々のものが真にそれ自身の もとに在り︑それ自身に同じものとして現前してくるような場︑一々のものを個々円成させつつ︑重々無尽に顕現
させながら自らのもとに摂取するダイナミックな中心とでも言うべき境域である︒西田はこの無の場所を︑自ら無
にして自己の中に自己の影を映す﹁鏡﹂に喩えている︒すべてのものは真の無の場所たる﹁鏡﹂に映し出された影
像であるということになる︒
( 8 )
しかし︑ここでとくに留意したいのは︑西田自身随処で強調するように︑無の場所はあくまでも自己自身に同一
︑ ︑
︑ ︑
︑
なるもの︑自己の中に自己の影を映すものなのであって︑鏡はどこまでも﹁自己自身を照らす鏡﹂である︑という
点 で
あ る
︒
( 9 )
つまり︑すべての個物が影像として鏡の中に映現されてくることと︱つに︑鏡は鏡自身を無限に映じ
てゆくという鏡そのものの自己返照の働きに着目しなければならないということなのである︒要するに︑物を映し
出すに先立って︑明鏡はどこまでも明鏡でなければならないのである︒西田の念頭からつねに離れなかったのは︑
物を映す働きの底にある鏡の本体そのものの構造︑すなわち鏡自身がもつ自己遡源的翻転の動きではなかったであ
ろ う
か ︒
西田は﹁自己自身を照らす鏡﹂という言葉を使うが︑それは言うなれば︑個々の物を映すに先立って︑あるいは
映し出すことと︱つに鏡が鏡自身を無限に映してゆく働き︑自ら何かを映そうという意図なく︑映す主体なくして
自らを映し出す働きであり︑言い換えれば︑鏡が鏡自身の底へ底へと遡源しつつ︑不断に自らを照らし返してゆく 自己返照の営みに他ならない︒先述のごとく︑個々の物を映現するに先立って︑明鏡はどこまでも明鏡であり続け
ていなければならないのである︒そのためには︑明鏡は︑本体としてどこまでも動的発展的に︑いわば静的固定化
その不断の照り返しの焦点へ遡及的に還帰し続けていなければならないの を絶えず自己否定的に打ち砕きながら︑
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
二 六
で あ
り ︑
である︒西田が晩年︑絶対矛盾的自己同一としての場所について︑それが﹁何処までも自己の中に自己を映す︑自
己の中に自己焦点を有つ︒か>る動的焦点を中軸として︑何処までも自己自身を形成して行く﹂
( 1 0
と言うのは︑お )
そらくこうした消息をいうのであろう︒更に云えば︑このような自己遡源的な不断の照り返しがあればこそ︑明鏡
はどこまでも明鏡であり続けるのである︒鏡の鏡自身への照り返りは︑現在が現在を現在化させてゆく絶対現在の
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
︑
自己限定に他ならない︒絶えず現在から現在へであり︑しかもそれは横へ横へと流れてゆく方向ではなく︑いわば
涙々と湧き起こる垂直的な自己湧出の動きであろう︒あたかもそれは︑渦巻がその見えざる中心から湧出しながら︑
同時にその中心へ向かって吸収されてゆくかのような︑流出と帰入︑出現と隠蔽との同時的動態がそこに見られて
いると云ってよい︒いや︑逆に︑見えざる中心への遡及動向があればこそ︑そこからの逆流的湧出が可能なのであっ
て︑絶対現在の不断の露現的湧出のうちには︑同時にそこからの絶えざる覆蔵的帰滅ということが働いている︒そ
うした意味で︑自ら照らす鏡は︑鏡そのものとしてはどこまでも永遠の闇なのである︒西田が﹁絶対矛盾的自己同
‑﹂という表現のうちに看取していた﹁自己同一﹂とは︑こうした自己隠蔽的な絶対的覆蔵態ではなかったか︒つ
まり︑個物的多を個物的多として現前せしめながら︑その不断の現前を可能にする場としての全体的一は︑全体的
一としてはどこまでも絶対的な隠れである︒﹁一﹂の﹁一﹂自身への還滅︑自己蔵身によってはじめて﹁一﹂は二﹂
たりうるのであり︑﹁一即一﹂として成り立つのである︒こうした﹁一﹂の﹁一﹂自身への還滅即湧出︑すなわち﹁即
非的自己同一﹂こそ︑西田が言うところの﹁見るものなくして見るもの﹂︑﹁自ら無にして自己の中に自己を映すも
の﹂︑すなわち﹁絶対無の場所﹂の正体であったはずである︒
さて︑こうした自己同一がもつ絶対的覆蔵性は︑それ自身矛盾を学む絶対的否定態として︑あくまで﹁絶対の他﹂
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
どこまでも超越的なものとしてあることは論を侯たない︒ことにそれが宗教の問題ともなれば︑このこと 東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
二 六
さて︑こうした西田の絶対無の超越性に対し︑彼の後継者と目される田邊元は︑その絶対転換の弁証法の立場か
ら︑徹底的に批判を加える︒田邊によれば︑西田の絶対無の立場は人間の相対有限性を撥無して絶対に帰入すると
いうように︑いわば相対を絶対と連続同一化し︑いわば行為的媒介の外に直観せらるべき静的な絶対的一︑換言す
れば︑相対がそれに包まれる全体とか場所とかいう如き静一の一者を認めてしまう思弁的形而上学的な立場に過ぎ
ず︑すなわちそれはすべてを融合帰一せしめる﹁即﹂の論理に立脚したものであって︑西田哲学は発出論的神秘主
義の域から一歩も出ず︑非弁証法的で観想的である︑として直観主義の名の下に断罪するのである︒では︑田邊の
絶対転換の弁証法とはどういうものであったのか︒
田邊によれば︑弁証法的思索に於いては︑絶対は単に論理を超越した直観されるべき直接態ではない︒却ってそ
れは論理の動的根源として論理の否定即肯定的なる発展により︑否定を通して自己をより深く展開し︑それへの還
帰は単に静的なる同一の根底に婦るに止まらず︑無底の根源に遡り深まるところの動静一如に於いて︑あくまで相
対に自己を媒介するものなのである︒もし単に還帰すべき同一の根底が存在するならば︑それは却って絶対でも超
越でもなくなる︒
つまり絶対の絶対たる所以は︑相対の絶対否定に媒介せられてこそそれとしてあるのである︒また相対はそれの
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
• • ぃ→. .
‑一傘
田邊冗における絶対媒介の論理ー西田哲学批判 は顕著に示されてくる︒
二 六
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
否定即肯定を通して︑還帰即遡源︑動静一如なる絶対の現成たる意味を有するがゆえに︑初めて絶対の絶対性が実
現せられ︑弁証法の絶対媒介が成立するのである︒田邊によれば︑絶対媒介は絶対の現成としての媒介を以って絶
対自身を媒介するのであるから︑あくまで絶対と相対との交互媒介であって︑両者の同一すなわち相対の絶対化で
はありえない︒人間の相対有限性を撥無して絶対に帰入するというような思想は︑相対を絶対と連続同一化するも
の で あ っ て
︑ 相 対 を 絶 対 に 媒 介 す る も の で は な い の で あ る
︒
.
︑ ︑
︑ ︑
︑
絶対は絶対としては常に対を絶する超越者である︒しかも超越でありながら︑無限に行為的自覚的に現成し内在
化せられて相対に媒介せられるから絶対たりうるのである︒この媒介の外に直観せられるべき絶対はない︒ただ︑
この絶対相対の対立的統一を行為的に信証するのが宗教に他ならない︒宗教に於いては超越への信と内在の証とが
行に於いて相即し︑超越即内在を成立せしめるのである︒
( 1 1 )
しかし田邊が自らの絶対媒介の立場から無媒介的直観主義の名の下に断罪する﹁西田哲学﹂は︑牽強付会に基づ
く誤解があった︒田邊は西田哲学を無媒介的な﹁即﹂の論理として捉え︑それを批判するが︑西田の立場は決して
そのようなものではなく︑むしろ絶対否定を契機とする﹁即非﹂の論理が終始一貫してあったのである︒しかしそ
の﹁即非﹂の捉え方が︑田邊と西田とでは次元的に異なっていた︒
田邊は絶対の自己否定的転換を強調して︑あくまで相対との相互媒介に絶対の絶対性を見て取るのに対し︑西田
は︑田邊の用語をそのまま援用すれば︑﹁︿絶対即絶対﹀即︿相対即相対﹀﹂の﹁即﹂のところに非連続の連続︑すな
わち絶対矛盾的自己同一を見︑更に︑絶対と相対との絶対的断絶︑つまり絶対の超越的絶対性︑要するに絶対の絶
対自身への自己蔵身の動向にも絶対矛盾的自己同一を見ていたように思われる︒
恐らく田邊の批判を意識してのことであろうが︑西田は晩年︑﹁逆対応﹂という言葉を使うようになる︒これは彼 二六四
の最晩年の論文﹁場所的論理と宗教的世界観﹂(‑九四五年︶において︑長年の懸案であった宗教の問題が主題とさ
れるに及んではじめて打ち出された表現であるが︑﹁絶対矛盾的自己同一﹂という︑ややもすれば抽象的表現になり
かねない弁証法的存在構造を︑絶対者と個としての自己との間に伏在する存在論的関係構造として︑より鮮明なか
たちで表現された論理である︒その詳細な説明は控えるが︑突きつめて云えば︑神に背かざるをえない自己がその
まま神の愛に包み抱かれているということ︑自らの罪障を拭い切れない煩悩熾盛の自己がそのまま如来の大悲に摂
め取られているということ︑である︒つまり︑個的自己は絶対者と絶対に隔絶しつつ︑それがそのまま一層深いリ
アリティーにおいて︱つにつながっているという逆説的な事態をいっている︒この消息を示すのに西田がよく引証
するのは︑大燈国師の﹁億劫相別︑而須央不離︑尽日相対︑而刹那不対﹂
( 1 2
という言葉である︒しかしこの語は︑ )
人間の側から解している西田の意に反して︑どちらかと言えば絶対の側から見られた表詮なのであって︑絶対が自
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
己否定的に相対へと翻る内在的方向と︑どこまでも超越的なものとして絶対に翻らぬ自己覆蔵性をも意味している︒
したがって逆対応を考える場合︑個的実存と絶対者との関係として捉えるだけにとどまらず︑その関係の底に︑そ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ の関係を関係たらしめている絶対者の絶対者自身への翻り︑つまり先述した鏡の自己返照の働き︑場所が場所自身
を映してゆく自己内還帰︑還滅即湧出の根源的動性をも念頭に入れておく必要があるのではないかと思われる︒
西田は次のように言う︒
︑ ︑
︑ ︑
︑
神は絶対の自己否定として︑逆対応的に自己自身に対し︑自己自身の中に絶対的自己否定を含むものなるが
故に︑自己自身によって有るものであるのであり︑絶対の無なるが故に絶対の有であるのである︒絶対の無に
して有なるが故に︑能はざる所なく︑知らざる所ない︑全智全能である︒
( 1 3 )
ここで言われる﹁逆対応﹂は︑あくまでも﹁自己自身に対し﹂ていることに留意したい︒絶対がどこまでも絶対で
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
二六五
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
あり続けるという絶対の自己湧出が︑同時に︑その湧出とは逆方向に絶対の絶対自身への還滅であるという︑絶対
それ自体の﹁逆対応﹂があってこそ︑それがそのまま相対的なるものへの自己否定的翻りとなって創造的に働くの
である︒﹁仏あって衆生あり︑衆生あって仏がある﹂という表現で示される﹁逆対応﹂の論理には︑じつはこうした
重層的存在構造があることにわれわれは留意しなければならない︒
︑ ︑
︑ ︑
︑
かくして︑絶対者の絶対者自身への翻転的覆蔵が自体的順序として︑いわゆる個的実存の自覚的順序に先立って
いる以上︑絶対者と個的自己との逆対応関係は︑どこまでも﹁不可逆的﹂な構造をもつことになる︒不可逆とは︑
内在的超越ということがあくまでも超越的内在であるということ︑超越はどこまでも超越でなければならないとい
うことに他ならないからである︒
神と人間との対立は︑何処までも逆対応的であるのである︒故に我々の宗教心と云ふのは︑我々の自己から
起るのではなくして︑神又は仏の呼声である︒神又は仏の働きである︑自己成立の根源からである︒
( 1 4 )
この西田の文章には︑﹁逆対応﹂が不可逆的でなければならない理由がおのずと示されている︒要するに︑西田にあっ
ては︑田邊のように相対との関係は念頭に置かれず︑あくまで絶対の絶対自身への関係が常に彼の念頭にあったと
いうことである︒こうした絶対の絶対自身への自己否定的な遡源動向こそ︑絶対が絶対でありえている根拠となっ
ている消息を示すものである︒つまり︑絶対的一の一自身への翻り︑言い換えれば︑一即一︑全即全︑絶対即絶対
でありうるための条件たる即非的自己同一︑いわば絶対の自己覆蔵的動向が念頭に置かれていると言ってよい︒
確かに田邊も絶対の絶対否定的転換︑つまり絶対の﹁遡源即流出﹂といった絶対自身の動性を見て取ってはいた
が︑しかし彼にあってはそれが取りも直さず相対との媒介的対応として捉える方向に進むのである︒それに対し︑
西田は相対との関係をいったん括弧に入れ︑相対から独立した絶対自身の次元でその動性を見ている︒すなわち︑
二 六
六
絶対と相対とが不即不離の関係にあるとすれば︑田邊のいわゆる絶対転換による交互媒介とは︿不離﹀の面を示す
ものであり︑西田はむしろ︿不即﹀の面に主眼があったと云えよう︒絶対矛盾的自己同一が相互媒介的︿対応﹀で
はなく︑︿逆対応﹀である所以もここにある︒しかもその逆対応も︑先の引用文にもあったように絶対者と我々の自
己との関係である前に︑絶対者の絶対者自身に対する関係としても考えられていたことは看過されてはならない︒
要するに︑田邊が絶対と相対との交互的翻りを見ていたのに対し︑西田は両者の翻らない側面︑言い換えれば絶対
の絶対自身への翻り︑つまり絶対の絶対的覆蔵性に主眼を置き︑ひいてはそれが相対への翻りに先立つ存在論的優
位をもつことを見て取っていたと言えよう︒相対︵個物︶が相対︵個物︶でありうるためには︑まず絶対が絶対で
ありえていなければならないのである︒明鏡はどこまでも明鏡でありえてこそ︑ものをあるがままに映現するので
ある︒したがって︑西田の﹁衆生あって仏あり︑仏あって衆生あり﹂
( 1 5
という言葉も︑衆生と仏との相互媒介的な )
可逆的交互関係を意味するものではなく︑衆生と仏との独立自全性︑衆生に対する仏の絶対的超越性︑つまり仏が
どこまでも仏でありえている︵超越︶ことに於いてはじめて衆生が衆生たりうること︑すなわち両者の不可逆的関
係を開陳した表現であることは銘記されるべきである︒
さて︑西谷啓治の場合はどうであろうか
o ( 1 6
彼は西田の哲学の根幹を深く探り︑それを主体的・実存的に捉える )
ことで︑﹁逆対応﹂の論理を更に華厳思想と結びつけることによって一層深い思索を展開する︒西谷は︑生存の根拠
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学 四
西 谷 に お け る
﹁ 空 ﹂
の立場ー実在的自覚と理事無擬の論理
二六七
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
の無底性の自覚から︑西田と出会い︑またその影響から禅に打ち込むことによって開悟し︑絶対無の境涯に立脚す
ることによって︑﹁ニヒリズムを通してのニヒリズムの超克﹂を提唱する︒西田や田邊とは違い︑自ら体系的な哲学
を構築することはないが︑その深遠・幽遼な思索によって日本国内はもちろん︑ヨーロッパ世界においても多くの
支持者を得ている︒彼の哲学の本領は︑禅の体験に基づく﹁空﹂の立場にあり︑その論理としては華厳の哲学に依
拠するものであると云ってよい︒彼は西田の﹁逆対応﹂の論理をその根幹にまで迫り︑上記の絶対と相対との非一
非異の関係を︑回互︑不回互という概念でもって捉え返し︑華厳の﹁一即多︑多即一﹂︑あるいは﹁理事無凝﹂﹁事
事無凝﹂の論理を説き進めていく︒
ところで︑華厳思想の究極は﹁法界縁起﹂であると云われるが︑いましばらく︑西谷の論述から離れて︑華厳哲
学についてまず説明を加えておきたい︒
華厳の法界について最初に着眼したのは初祖の杜順︵五五七\六四
O )
だが︑四種法界として見事に体系付けた
のは第四祖の澄観︵七三八 S 八三九︶であった︒彼は自性清浄心たるべき﹁一心﹂と︑現実に存在するすべてのも
のとの関係を明らかにすべく︑四種法界の体系を組織したのである︒四種法界とは︑①事法界︑⑨理法界︑③理事
無凝法界︑④事々無躁法界である︒最初の﹁事法界﹂の事とは具体的現実に存在する一切のものを指す︒個々の事
物は各々自らの本然の性を守り︑差別しながら存在していることをいう︒次に﹁理法界﹂だが︑理とは事に対する
語であり︑理法とか理体︑理性ともいわれる︒ただ︑この理を現象界に対する本体界︑現実界に対する理想界のよ
うに誤解されてはならない︒縁起しているすべてのものは︑縁起の理法によって成り立っているのであって︑その
もの固有の存在根拠を持たず︑どこまでも無自性である︒万法を無自性・空として把握するのが︑この理法界であ
る︒更に︑こうした現象としての事と︑理体としての真如との相即円融の関係を説明するのが第三の﹁理事無凝法
二六八
界」の立場である。縁起している諸法を、現象的立場から見れば事法界であり、無自性•空という立場から見れば
理法界なのだが︑この両者はまったく別個の世界をいうのではなく︑どこまでも同じものの二面性なのである︒事
法界と理法界とはともに融即し合っているのであり︑個々の事象も空も同じ︱つの事柄なのである︒そして最後に
﹁事事無凝法界﹂だが︑そこでは世界の事事物々がそれぞれ独立しながら︑互いに調和を保ち︑融合している︒個
物が個物として自らの本位に住して︑しかも個物の各々は相妨げず︑自らの分限を守りつつ︑同時にそれらが互い
に融通していると見るのである︒この円融・融通・無凝というところに︑華厳独自の哲学がある︒
では︑こうした華厳教学の深い哲理である個物の円融の関係は更にどのように理解すべきなのであろうか︒
大乗仏教では﹁人法倶空﹂ということが言われる︒我︵主体的自我︶も法︵客観的存在︶も倶に空であるという
ことである︒それは一切法空を如実に証するものである●言い換えれば︑実体の実体性を空化する縁起観が︑同時
に主体の主体性が無我たることを直下に覚する般若空観と︱つになり︑いわば我と法とが倶に空ぜられることに於
いて融即現成していると考えてよく︑それがいかなる構造と動態をもっているかという問いが改めて生じてくる︒
縁起の論理は︑形式論理的同一律とはまったく異質である︒形式論理的同一律は客観的世界の論理である︒縁起
の世界の論理はこうした客観化の立場の論理︑即ち形式論理の同一律をまったく打ち破るような論理である︒色即
是空︑空即是色︑一即多︑多即一とかいうのは︑そういう論理をもつ︒大乗仏教ではどうしてこのような論理が強
く表現せられたのか︒それは主客対立の立場を根底から破った所に立脚して思惟しているからである︒まったく対
象的思惟を打ち破って物も人も自己も︑すべてを対象化しないでそれ自身として捉える立場に立てばこうした表現
にならざるを得ない︒ここにいたって初めてあらゆる存在者は︑我々に対して対象もしくは客体として現れること
をやめて存在それ自身として顕︵た︶ち現れる︒我々はここに存在を存在としてあるがままに見る︑即ち真如を見
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学 二六九
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
るのである︒例えば西谷はこうした消息を﹁実在の実在的自覚﹂という表現で捉えるのだが︑これは唯識説が説く
ところの﹁唯識無境﹂の立場である︒
我々が自分自身を知るという場合︑いわゆる反省作用によって自己を対象化し︑いわば意識面に自分を投影して
それを知るので︑そこには知る我と知られる我とが二分される︒しかしこの反省作用によって知られる我は︑我そ
のものではなく︑反省作用によって対象化され︑観念化された自己でしかない︒真の自己は今現に反省をし︑対象
化された自己を見ている主体そのものである︒従って今現に生き生きと機能している自己をそのまま把握しようと
すれば︑その主体を対象化したり反省したりするのではなく︑生きて働く主体をそのままに捉える直観によるしか
ない︒そのような反省以前︑分別以前の︑いわば主客未分の純粋直観が﹁無分別智﹂であり﹁唯識﹂と呼ばれるも
のなのである︒﹁唯識﹂の﹁唯﹂とは︑世親が﹃唯識二十論﹄の初めに述べているように︑境を否定する意味であり︑
いかなる客体的境も無いことである︒いかなる境も無いところ︵無境︶で識ることが﹁唯識﹂である︒
ところが︑唯識といっても︑識る主体としてそれ自身が実体視されるわけではない︒そういう意味では識は非識
を自性としている︒それは換言すれば︑識がそれ自身境と成って似現することである︒自ら無となってその境と一
つになることである︒識は境を対象化することなく︑境そのものと成って境を識る︒それ自身境に成りきることに
おいて境を如実に識るのである︒境が境に成りきったところに識が非識を自性としていることが如実に示されてい
る︒識が境と成ることは︑境に対向する主観としてあることではなく︑境に成りきり︑云うなれば境の内から境を
識るものとなることである︒逆に言えば︑境は︑主観によって対象化され︑主観化されることを免れて︑それの有
るがままに識られるものとなる︒それは︑云うなれば境が境自身を識ること︑境が境自身を自覚することであり︑
境が如実に顕現していることだと云ってよい︒それが﹁唯識無境﹂の識である︒しかしそのことは同時に﹁唯境無
二 七
O
識﹂と同じ︱つのことなのである︒これは︑ありのままの事事物々に直ちに自己自身を見るということ︑一草一木
一昆虫の微に至るまで︑そこに現われているその物のなかに︑絶対に客体化されない自己のリアリティを見るとい
うことに他ならない︒こうした唯識無境にして同時に唯境無識であるような智が﹁般若波羅密﹂であり︑つまり般
若智に他ならない︒
﹁空﹂という言葉は一切の対象の無いことを意味している︒しかしそれは同時に︑その対象のないところのもの
が智であるということを意味している︒更にこの智は︑いかなる対象化も免れた物の本性に達した智に他ならず︑ それは実相•真如をも意味することになる。こうして「空」は「真如」や「実相」と同義となる。『般若経』にいう 「色即是空、空即是色」とはこのことである。こうした般若智にとって、実相•真如は対象ではない。対象ではな くて、自己自身に他ならない。この智が真如•実相を知るのは、智が自己自身を知ることなのである。そしてその
智は同時に実相であるから︑智が自己自身を知ることは︑実相が実相自身を知ること︑換言すれば︑﹁実在の実在的
自覚﹂ということに他ならない︒これが大乗でいう﹁人・法二空﹂である︒そこでは知るものと知られるものとが
分かれていず︑真実ありのままなる実在が如実に露現している︒云うなれば個々の事事物々が空ぜられると同時に︑
それらはそのあるがままの姿で空け放たれるのである︒﹁色不異空︑空不異色﹂とはそういうことであろう︒つまり
﹁色﹂という諸存在を絶対無に摂収し融没させる﹁空﹂の働きが︑同時に﹁色﹂の諸存在をその本来の姿のままに
顕現させるのである︒しかもこの同時性は︑いわば主客未分の処から出る自己同一の感覚である︒要するに空は単
なる空無ではなく︑すべての物をそれぞれの固有な有り方へと空け放つ根源的な働きなのである︒要するに﹁空﹂
とは︑一切を自らのうちに摂収し融没させる絶対無であると同時に︑一切を重々無尽にあるがままに開放する働き
なのである︒摂収と開放との自己同一︑これが﹁色即是空︑空即是色﹂と言われる場合の﹁即﹂の意味するところ
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
二 七
東洋的思惟の特質と京都学派の哲学
︻ 注 ︼
( 1
)
湯用形撰﹃漢魏雨晉南北朝佛教史﹄上冊︵中華書局出版︑ ︵塚本博士頌壽記念﹁佛教史學論集﹄所収︑同記念会刊行︒
( 2 )
島田虔次﹃朱子学と陽明学﹄︵岩波新書︶五頁参照︒
( 3 )
﹃ 西
田 幾
多 郎
全 集
j