早稲田大学大学院法学研究科
2015年1月
博士学位申請論文審査報告書
論文題目 中国刑法における罪量的要素に関する研究 ―いわゆる客観的処罰条件論を手掛かりとして―
申請者氏名 毛 乃純
主査 早稲田大学大学院法務研究科教授 博士(法学)(早稲田大学) 松原芳博 早稲田大学法学学術院教授 法学博士(早稲田大学) 高橋則夫 早稲田大学大学院法務研究科教授 北川佳世子
毛乃純氏博士学位申請論文審査報告書
早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程 3 年の毛乃純氏は、早稲田大学学位規則第 7 条第1項に基づき、2014年10月20日、その論文「中国刑法における罪量的要素に関する 研究──いわゆる客観的処罰条件を手掛かりとして──」を早稲田大学大学院法学研究科 に提出して、博士(法学)(早稲田大学)の学位を申請した。後記の委員は、上記研究科の委嘱 を受け、この論文を審査してきたが、2015年1月31日、審査を終了したので、ここにそ の結果を報告する。
Ⅰ 本論文の目的と構成 (1) 本論文の目的
本論文の目的は、中国刑法の罪量的要素を日本の客観的処罰条件との比較を通じて、そ れらの要素の性格を解明し、その認識・予見の要否をはじめとする解釈論上の取り扱いを 明らかにするとともに、犯罪論体系のあり方についても示唆を得ることにある。
中国刑法には、「重大な結果」(中国刑法 129 条、銃器紛失不申告罪)、「重大な損失」(同 法186条、違法融資罪)、「比較的大きい数額」「数回の窃盗」(同法264条、窃盗罪)のよう に、当該行為の社会的危害性を徴表する数量的要素が数多く規定されている。筆者は、数 量的要素は刑法の謙抑性を実定化したものとして高く評価できるとしつつ、一方で数量的 要素に対する行為者の認識・予見の要否という問題が生ずることを指摘し、この問題の解 決のためには数量的要素の犯罪論体系上の地位を解明することが必要であるとの認識を示 す。そこで、同じくその認識・予見の要否が争われてきた客観的処罰条件の体系的地位に 関する議論を検討し、そこから得られた知見をもとに、罪量的要素の体系的地位とその認 識の要否を明らかにしようとしたのが、本論文である。
(2) 本論文の構成
本論文の構成を「節」の段階まで示すと以下のとおりである。
序章
第一章 中国における客観的処罰条件論 第一節 問題の所在
第二節 中国における客観的処罰条件論の現状
第三節 客観的処罰条件に関する中国の司法実務の立場 第二章 日独における客観的処罰条件論及び判例の立場
第一節 客観的処罰条件論の展開 第二節 日本の判例の立場 第三章 罪量的要素の体系的地位
序説
第一節 犯罪概念内部の整合性
第二節 罪量要素の犯罪論体系への還元 第三節 小括
第四章 罪量的要素と主観・客観統一原則 序説
第一節 主観・客観統一原則の現代的意義 第二節 罪量的要素の認識内容への包摂 終章
Ⅱ 本論文の内容
(1) 「序章」 本章は、問題の所在を明らかにするとともに、本論文の構成を示し、本 論文全体を鳥瞰するものとなっている。
(2) 「第一章 中国における客観的処罰条件論」 本章では、中国における客観的処罰 条件論をめぐる学説・司法実務を扱っている。
張明楷「『客観的超過要素』概念之提唱」に端を発する中国での客観的処罰条件論は、日 本やドイツの学説の大きな影響を受けたものであるが、問題となっている事情の相違や犯 罪論体系の相違から、議論の様相は日独と異なるとする。すなわち、日独とは異なり、中 国では、客観的処罰条件をすべて単なる刑罰権の発動条件として犯罪概念の外部に置く純 粋な処罰制限事由説はみられない。その理由は、①中国では、犯罪論は、ある行為が犯罪 を構成するのに必要とされるすべての主観的要件と客観的要件とからなる統一体であると されていること、②中国の刑法学では、犯罪論は行為の社会的危害性を表すものであると いう理解が共有されていること、③中国刑法13条からは、犯罪は刑罰を受けるべき行為で あって、刑罰を受けるべきでない行為は犯罪ではないと観念されることから、犯罪論の外 部において刑罰権の発動要件が存在する余地がないことにあると指摘する。そこで、客観 的処罰条件をめぐる関心の重点は、責任連関の要否・内容に求められることになる。この 点について、中国の学説は、過失必要説、故意必要説、無関心な情緒必要説等に分かれる が、筆者は、中国の伝統的犯罪概念を前提としつつ、主観・客観統一原則(責任主義)を 貫徹するためには、故意必要説が正当な方向を示しているとしつつ、認識の内容の理論的 な整理や結論の合理性の検証が必要であると指摘する。
中国司法実務における客観的処罰条件の取扱いに関しては、司法実務が、①銃器不法貸 与罪および銃器紛失不報告罪における「重大な結果」について、行為との因果関係および 行為者の認識を必要としていること、②違法融資罪における「重大な損失」について、行 為との因果関係を必要とし、職権濫用があった場合には間接的故意を必要とし、職務懈怠 があった場合には認識ある過失を必要としていること、③窃盗罪における「比較的大きい 数額」および「数回の窃盗」については、実際の数値自体の認識までは必要とせず、概括 的に「比較的大きい」「数回」といった認識があれば足りると解していると分析している。
また、中国司法実務では、客観的処罰条件あるいは罪量的要素という特別なカテゴリーは
設定されておらず、それに当たる要素は、中国の伝統的な平面的体系における客観的要件 の1つとしてとして犯罪論の内部に位置づけられていると指摘している。
(3) 「第二章 日独における客観的処罰条件論及び判例の立場」 本章は、罪量的要素 に関する問題の所在を明確化するために、日独における客観的処罰条件をめぐる学説の現 状と日本の判例を検討している。学説については、処罰制限事由説、不法要素説、可罰性 要素説に大別し、処罰制限事由説は循環論法に陥っているとともに、責任主義に違背して いる疑念が払拭しえないこと、可罰性要素説は客観的処罰条件を犯罪論に還元していると はいえ、責任主義違背の疑念を払拭しえておらず、可罰性という包括的なカテゴリーを犯 罪論体系の一要素とすることにも疑問があることから、不法要素説に妥当性を見出すとと もに、罪量的要素の法的性格の解明には、近時の不法要素説のような実質的、機能的考察 方法が有益であるとの知見が得られたとする。
判例に関しては、最高裁昭和44年10月31日決定(刑集20巻6号826頁)および大阪高 裁昭和52年5月30日判決(高刑集30巻2号242頁)を取り上げて、詐欺破産罪における破 産宣告の確定(現在の破産手続開始決定の確定)と行為との関係、行為の時期、認識の要 否等を検討し、当該事情を犯罪論の外部に位置する客観的処罰条件と解する立場よりも、
これを不法要素に還元する立場に親和的であるとの評価を下している。
(4) 「第三章 罪量的要素の体系的地位」 本章では、罪量的要素と主観・客観統一原則
との関係を解明するために、その体系的地位を検討している。もっとも、犯罪概念と犯罪 論体系を同義とする日本とは異なり、中国では、刑法13条から導かれる犯罪の定義として の「犯罪概念」と、犯罪の成立要件を示すものとしての「犯罪構成」(=犯罪論体系)とを峻 別していることから、犯罪概念との関係および犯罪構成との関係が問題になるとする。
犯罪概念は、(重大な)社会的危害性、刑事違法性、刑罰を受けるべき性質という3つの 特徴からなる(混合的犯罪概念)が、この 3 つの特徴は相互に衝突・対立するものではなく、
理由と帰結といった形で統一的に理解されているとし、罪量的要素は社会的危害性の程度 のメルクマールとして、その内部に還元されると結論づける。
犯罪構成(犯罪論体系)については、中国では、旧ソ連から導入された「犯罪客体-犯罪客 観面-犯罪主体-犯罪主観面」という平面的体系が通説であるが、近年、日独の刑法学の影響 を受けて、「構成要件該当性-違法性-有責性」という段階的体系も有力化し、さらに、伝統 的な平面的体系を基礎としつつ、その欠点を補おうとする改良説や、伝統的な平面的体系 とも日独の体系とも異なる独自の体系を構築する再構築説も唱えられているとする。そし て、平面的体系が分析性に乏しい要素の羅列であるのに対して、段階的体系は目的論的-価 値論的な観点から各要素を整序することで理論的一貫性と内部的統一性とを兼備している 点で理論的には優れているが、中国の司法実務において平面的体系が定着していること、
刑罰権の恣意的な行使の防止という現在の中国刑法に求められる課題に照らせば裁判官の 裁量を厳しく制限する平面的体系に一日の長があることからすると、現時点では、改良説 を前提にするのが現実的であるとする。そこで、筆者は、「①犯罪客観面-②犯罪客体-③犯
罪主体-④犯罪主観面」という体系を採用し、①に罪刑法定主義機能、犯罪個別化機能、客 観的社会危害性推定機能、故意規制機能を営ませ、②で法益侵害性に関する実質的判断を 行い、③に犯罪客観面と犯罪主観面の架橋としての機能を担わせ、④を犯罪客観面に対応 する心理状態とする改良型平面体系を構想し、これを罪量要素の体系的地位に関する検討 の前提に据えている。
一方、筆者は、罪量的要素が雑多な要素からなることを指摘し、これを数額に関する要 素、結果に関する要素、情状に関する要素(客観的情状に関する要素、主観的情状に関する 要素)に大別する。このうち数額に関する要素、結果に関する要素、客観的情状に関する要 素は、その性質からみると客観的事実であり、その機能からみると犯罪の成否を限界づけ るものであり、その作用のメカニズムからみると当該行為の社会的危害性を可罰的な程度 に高めるものであることから、犯罪客観面に還元されるとする。これに対して、主観的情 状に関する要素は、行為者の悪性・危険性を徴表するものであって、故意・過失によって 基礎づけられた責任を可罰的な程度まで高める事情なので、犯罪主観面に還元されるとす る。
(5) 「第四章 罪量的要素と主観・客観統一原則」 本章では、客観的処罰条件をめぐる
議論を参考にしつつ、罪量的要素に対する責任連関の要否・内容について論じられている。
中国では、日本でいう「責任主義」の代わりに、旧ソ連で用いられてきた「主観・客観 統一原則」が刑法の基本原理の 1 つとして承認されている。筆者によれば、この主観・客 観統一原則は、責任主義とともに行為主義、法益保護主義をも内包するものとして多義的 かつ広義のものとして理解すべきものであるが、罪量的要素との関係では、特に犯罪客観 面の故意規制機能の貫徹、すなわち犯罪客観面の要素と犯罪主観面の要素との厳格な一致 の要請が重要である。
このような理解を前提に、個別の罪量的要素に目を向け責任連関に関する具体的な検討 がなされる。
銃器紛失不報告罪における「重大な結果」は他の法益侵害結果と同じく構成要件的結果 として犯罪客観面に属することから、報告義務の不履行と「重大な結果」との間に因果関 係を必要とするとともに、主観-客観統一原則、犯罪客観面の故意規制機能から、「重大な結 果」に対して行為者の認識が及んでいなければならないと結論づける。ただし、この認識 は、自己の銃器紛失不報告行為が重大な結果を招く可能性があることを認識しつつ放任す る心理状態であって、中国でいう間接故意で足りるとする。
窃盗罪における「比較的大きい数額」は、窃盗行為が可罰的な程度の社会的危害性を基 礎づける犯罪客観面の要素であること、この点についての認識は行為者の可罰的な程度の 主観的悪性を徴表するものであることから、その認識を要するものと解すべきであると結 論付ける。もっとも、具体的な数値の認識までは必要なく、「比較的大きい」という概括的 な意味の認識があれば足りるとしている。
(6) 「終章」 本章では、本論文の結論をまとめるとともに、今後の課題として、罪量
的要素に対する予見可能性で足りるとする見解に対する対応、および、中国刑法37条前段 から導かれる「要罰性」の要素に関する責任連関の要否についての検討を挙げて、本論文 を閉じている。
Ⅲ 本論文の評価
(1)近年の中国の刑法学界では、周知のように、犯罪論体系のあり方が最も重要なテーマ となっている(陳興良「中国刑法学の再生」刑法雑誌50巻2号、張明楷「中国における犯 罪論体系をめぐる論争」法律時報2012年1月号参照)。本論文も、犯罪論体系のあり方に 対する関心を背景としたものにほかならない。しかし、犯罪論体系のあり方を直接論ずる ことは、議論が抽象的になりすぎ、水掛け論に終わることが懸念される。そもそも、犯罪 論体系とは、自己目的的な価値を有するものではなく、刑法の適正な解釈・適用に役立つ ことにその価値を有するものである。こうして、本論文が、罪量要素という具体的な素材 を扱うことを通じて犯罪論体系のあり方を検証しようとした点は、方法論的に正当である。
本論文が「中国の犯罪論体系に関する議論」(第三章第二節第一款)および「中国の通説的 犯罪論体系に対する改良」(第三章第二節第二款)に相当な紙幅を割いていることには、十 分な理由があるといえる。
ところで、毛氏の改良型平面的体系は、その犯罪客観面を構成要件該当性と読み替え、
その犯罪客体を違法性と読み替え、その犯罪主観面(および犯罪主体)を責任と読み替え るならば、実は、日独で採用されている段階的体系と同じであるようにも思える。毛氏は、
段階的体系の理論的優位を承認しつつ、中国における受容可能性に配慮して改良型平面的 体系を採用したことから、同氏の体系は「平面的体系の衣を着た段階的体系」とでもいう べきものとなっている。改良型平面的体系と段階的体系の理論的および実践的な優务につ いては今後の中国刑法学界における議論に委ねるほかないが、改良型平面的体系を前提と したことで、本論文の主張が平面的体系を採用する者にとっても段階的体系を採用する者 にとっても理解可能なものになっており、その改良型平面体系は、尐なくとも戦略的には 成功しているといえる。
(2) 本論文は、犯罪論体系のあり方に対する関心を背景としつつ、「罪量的要素」を直接 の検討対象としている。数値を含めた程度を画する概念によって犯罪成立の限界を示した 罪量的要素は、中国刑法に特徴的なものであるが、刑法の謙抑性を体現したものとして、
日本の刑法にとっても示唆を与えるものといえる。また、日本でも、道路交通法上の酒気 帯び運転の罪のように尐数ながら数値を含めた程度を画する概念を用いた刑罰法規が存在 し、その法的な性格や認識の要否が争われている。本論文は、罪量的要素の法的性格や認 識の要否等の解釈論上の取り扱いとともに検討したことで、日本の刑法学に対しても 1 つ の新しい知見を付け加えたものといえる。
(3) 本論文は、罪量的要素の法的性質を検討するに当たって、日独における客観的処罰条 件をめぐる議論を手掛かりにするという手法を採っている。罪量的要素という観念は、中
国固有のものである。一方、客観的処罰条件という観念は、中国ではドイツおよび日本か ら伝来したものである。このように両観念は由来は異なるものの、犯罪論上の地位やその 認識の要否が争われるなど共通の関心を含むものである。また、この 2 つの観念は、それ に含まれる要素も、相当部分において重なっている。それゆえ、客観的処罰条件に関する 議論の蓄積を罪量的要素に応用する着想は、学問的な発展の契機になりうるものとして、
方法論的に支持しうるものである。
(4) 罪量的要素の法的性格に関する本論文の結論は、数額に関する要素、結果に関する 要素、客観的情状に関する要素は行為の社会的危害性を可罰的な程度に高める事情として 犯罪客観面に属し、主観的情状に関する要素は、行為者の責任を可罰的な程度にまで高め る事情として犯罪主観面に属するとする。このうち前者の犯罪客観面に属するものについ ては、主観・客観統一原則から、行為者の認識の対象とすべきであるとされる。これは、
客観的処罰条件に関する不法要素説、特に故意必要説を罪量的要素の解釈に及ぼしたもの である。この結論は、犯罪概念の理論的一貫性を維持したうえで責任主義を貫徹しようと するものであって、説得力に富むものといえる。また、中国の司法実務における取扱い等 をみることで、その帰結が実務的にも受容可能なものであることを検証しようとした点も、
理論と実務の架橋を意識した周到な研究態度であるといえる。
(5) このように、本論文は、問題意識、研究方法において正当であり、その論旨も明快
かつ論理的で、その帰結も注目されるべきものであるが、なお問題点もないわけではない。
第一に、第一章第三節「客観的処罰条件に関する中国の司法実務の立場」に関して、中 国の判例に先例拘束性がないこともあって中国には公式判例集がなく、判例へのアクセス に障害があるためやむを得ないことかもしれないが、中国の司法実務のあり方を確定的に 語るにはサンプルが不足しているように思われ、より広い資料を分析することが望まれる。
第二に、第三章第二節第二款「中国の通説的犯罪論体系に対する改良」に関して、筆者 の改良型平面的体系の前述した戦略的な意義は理解できるものの、これを平面的体系に分 類することには理論的な疑義もありうるところであり、筆者の体系と段階的体系の異同を 明確にすることが望まれる。
第三に、第四章第二節「罪量的要素の認識内容への包摂」に関して、本人が「終章」で 課題として挙げているように、なぜ予見可能性(過失)では足りず、認識(故意)を必要とす るのかについての論証が十分ではないように思われる。もとより、故意を必要とするか過 失を必要とするかは理論的に一義的に決定しうるものではなく、法文の文言や結論の具体 的妥当性等から多角的に議論することが必要となろうが、このようなきめ細かい議論を付 加することで、本論文の解釈学的な意義がいっそう高まるものと思われる。
もっとも、これらの諸点は、本論文の本質に関わるものではなく、その理論的な価値を いささかも損なうものではない。本論文は、本報告書の冒頭に記した目的を十分に達成す るとともに、中国刑法学と日本刑法学の双方に新たな知見を付け加えるものと評価するこ とができる。
Ⅳ 結論
以上の審査の結果、後記の審査委員は、全員一致をもって、本論文の執筆者が博士(法学)
(早稲田大学)の学位を取得するに値することを認める。
2015年1月31日
主査 早稲田大学大学院法務研究科教授 博士(法学)(早稲田大学) 松原芳博(刑法)
早稲田大学法学学術院教授 法学博士(早稲田大学) 高橋則夫(刑法)
早稲田大学大学院法務研究科教授 北川佳世子(刑法)