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早稲田大学大学院法学研究科

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早稲田大学大学院法学研究科

2013年2月

博士学位申請論文審査報告書

論文題目 「共同正犯と従犯の区別に関する研究

――日中比較法的考察―― 」 申請者氏名 謝 佳君

主査 早稲田大学教授 博士(法学) (広島大学) 甲斐克則

早稲田大学教授 法学博士(早稲田大学) 高橋則夫

早稲田大学教授 島田聡一郎

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謝 佳君氏博士学位申請論文審査報告書

早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程学生謝 佳君氏は、早稲田大学学位規則第7 条第1項に基づき、2012年10月29日、その論文「正犯と従犯の区別に関する研究

――日中比較法的考察――」を早稲田大学大学院法学研究科長に提出し、博士(法学)(早稲 田大学)の学位を申請した。後記の委員は、上記研究科の委嘱を受け、この論文を審査して きたが、2013年1月23日、審査を終了したので、ここにその結果を報告する。

1 本論文の構成と内容

本論文は、共同正犯と従犯の区別について、日本と中国を中心に比較刑法的な観点から 検討するものである。本論文の構成は、「序章」を受けて、第一章「日本の判例における共 同正犯と従犯の区別」、第二章「日本の学説における共同正犯と従犯」、第三章「中国刑法 における共同犯罪理論」、第四章「共同正犯と従犯の区別に関する一試論」、そして「終章」、

である。

まず、「序章」で、本論文の概略と問題意識を示す。著者の問題意識は、主犯と従犯の区 別を重要な問題とする中国現行刑法(25 条以下)が、日本刑法における共同正犯(共謀共 同正犯を含む)と従犯の区別(刑法 60 条以下)に関する問題をどのように扱ってきたか、

その際の区別基準は何か、という点に焦点を当て、立法形式の相違を超えて、とりわけそ の区別基準として有力に主張されている「重要な役割説」に着眼して、その下位基準を呈 示し、中国刑法における解釈論にもこれを活用することにある。

第一章「日本の判例における共同正犯と従犯の区別」では、日本の旧刑法「第8章 数 人共犯」という章において、「正犯」(第1節)と「従犯」(第2節)が区別され、104条で

「二人以上現ニ罪ヲ犯シタル者」が、105条で「人ヲ教唆シテ重罪軽罪ヲ犯サシメタル者」

が正犯とされ、109条で「重罪軽罪ヲ犯スコトヲ知テ器具ヲ給与シ又ハ誘導指示シ其他予備 ノ所為ヲ以テ正犯ヲ幇助シ犯罪ヲ容易ナラシメタル者」が従犯とされた点、そして、「正犯 ノ刑ニ一等ヲ減ス但正犯現ニ行フ所ノ罪従犯ノ知ル所ヨリ重キ時ハ止タ其知ル所ノ罪ニ照 ラシ一等ヲ減ス」と定められ、従犯については、「一等ヲ減ス」という減軽規定が設けられ ている点に注目し、この規定は、日本現行刑法典にも受け継がれ、現行刑法63条は、「従 犯の刑は、正犯の刑を減軽する。」と規定しているので、従犯について(必要的)減軽を定 めている立法からは、共同正犯と従犯で法定刑が異なる以上、当然に、両者を区別しなけ ればならないし、したがって、旧刑法時代においても、現行刑法時代においても、正犯と 共犯、特に共同正犯と従犯をどのように区別するかは、理論上、重要問題の1つであると

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3 いえる、と述べ、問題設定を明確にする。

第一節において、日本の重要判例 11 件を取り上げ、共謀共同正犯に関する判例法上の発 展・形成の軌跡を概観する。旧刑法時代の判例は、「共謀者一体の行為」という言葉を用い て共謀共同正犯を基礎づけ(事例①:大判明治29年3月3日刑録2輯3巻10頁)、現行刑 法下の大審院判例は、知能犯(事例②:大判大正11年4月18日刑集1巻233頁)や実力 犯(事例③:大判昭和11年5月28日刑集15巻715頁)にもこれを適用した。最高裁の 時代になって、共同意思主体説に依拠して共謀共同正犯を認めたが(事例④:最判昭和22 年12月1日最高裁判所裁判集刑事1号155頁、事例⑤:最判昭和23年1月15日刑集2 巻1号4頁)、練馬事件大法廷判決(事例⑥:最大判昭和33年5月28日刑集12巻8号1718 頁)は、間接正犯類似説に通じる論理を展開した。また、「罪となる事実は厳格な証明」に よるなど(事例⑧:最判昭和34年8月10日刑集13巻9号1419頁)、「共謀」について、

一定の限定を加える傾向が強かった。

しかし、やがて実質的実行共同正犯論に一歩近づいた判例(事例⑦:最決昭和57年7月 16日刑集36巻6号695頁)も登場した。そして、近年、黙示の意思連絡ないし黙示の共 謀に関するスワット事件をはじめとする共謀共同正犯判例(事例⑨最決平成15年5月1日 刑集57巻5号507頁、事例⑩:最決平成17年11月29日最高裁判所裁判集刑事288号543 頁、事例⑪:最判平成21年10月19日判例タイムズ1311号82頁)が登場するに至り、

共謀共同正犯が拡張される傾向にある。著者は、この間の判例の潮流を丹念かつ正確に分 析している。

他方で、このような厳罰化の是非が問題となり、実行行為を行ったにもかかわらず、実 行者に従犯を成立させる事案が登場している点にも目を向け、実行行為を行う従犯に関す る判例と見張り行為に関する判例(合計18件)の分析を行う(第一章第二節)。その分析 によれば、全部または一部の実行行為を行ったとしても、正犯意思の有無(他人の犯罪か 自己の犯罪か)によって従犯とした事例(事例⑫~⑰:以下、判例の典拠略)と、犯行の 動機ないし犯行結果との関わり合いといった諸事情に基づいて従犯とした事例(事例⑱、

⑲、⑳)もある。さらに、見張り行為に関して、犯行の実現に果たした役割の重大性から、

共謀のうえ(意思の連絡の下に)行った見張り行為を共同正犯とした事例もあれば(事例○21

~○24)、当該事案全体からみれば、見張り行為は実行行為を容易ならしめるだけであるこ とや他人の犯罪を幇助する意思であったことなどから、見張り行為を従犯とした事例もあ る(事例○25~○29)。以上の入念な分析から、著者は、現在の判例理論は、自己の犯罪を実 行する意思を媒介としているため、あまりに多様な要素を考慮することによって、かえっ て共同正犯と従犯の区別の明確性を害しているし、両者の区別について統一的根拠とその 明確な意味内容、さらにはその区別基準が呈示されたとはいえない、と説く。

第二章「日本の学説における共同正犯と従犯」では、近時の日本の学説における共同正 犯と従犯の区別に関する議論を、構成要件に該当する行為(実行行為)を行った者が正犯

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であり、それ以外の行為により関与した者が共犯であるとする「形式的客観説」、2 人以上 の者が一定の犯罪の実現という共同目的を達成するために同心一体となるという点に特徴 を求める共同「意思主体説」、実行行為概念を規範的・実質的に理解することにより、共謀 共同正犯を正当化すると同時に限定して行為支配の有無および因果性の寄与度や役割の重 要度などに着目して共同正犯と従犯を区別する「実質的客観説」に大別し、各説の具体的 な内容を概観したうえで検討を加える

前提として、主観説に対しては、他人に頼まれて人を殺害した殺し屋などの事例におい ては、自らの意思によって実行行為を行ったにもかかわらず、他人の犯罪を行う意思によ って、共同正犯ではなく、狭義の共犯が成立するという結論となり、これは、不合理であ ることが明らかである、として批判する(第一節)。

これに対して、形式的客観説は、構成要件に該当する行為(実行行為)を行った者が正 犯であり、それ以外の行為によって関与した者が共犯であるとするものであり、日本にお いて、古くから幅広い支持を集めてきた。形式的客観説の長所は、厳格な実行行為概念を 基準とすることによって、共同正犯、教唆犯、従犯の区別が客観的に明確となり、法的安 定性に資するという点である。しかし、著者は、その抽象的な基準自体は必ずしも誤りと はいえないにしても、果たして何が構成要件に該当する行為なのか、その具体基準を明ら かにしえていないという難点があるといわざるをえないとし、背後にいる黒幕を従犯とす ることには、やはり疑問があり、要するに、形式的客観説は、現代社会における共犯現象 のもつ多様性を包摂しえず、共同「正犯」としての当罰性を備える関与者を十分には捕捉 することができない、と批判する(第二節)。

また、共同意思主体説については、その創始者である草野豹一郎博士の見解(2 人以上の 異心別体たる個人が、一定の犯罪を行うという共同目的を実現するため、同心一体となる という点に求める)、その理論的後継者である齊藤金作博士の見解(共犯の成立については、

「共犯成立上の一体性」という文言を使用し、その処罰に関しては、「共犯処罰上の個別性」

という言葉を用いる)を取り上げ、これに対してなされた批判点を明確に整理する。しか し、犯罪事実の実現に対する役割分担に着目するのは、評価すべきであるものの、その前 提である共同意思主体説は、共犯現象を共同意思主体という個人を超えた社会的・心理的 存在の活動として把握するというところに無理があり、そうだとすると、共同正犯と従犯 を区別する基準としては、いずれにせよ重大な役割を要求するのは適切ではない、と批判 する。また、西原春夫博士の見解(「修正された」個人責任の原理ならば、責任の基礎を 構成要件の一部実現に限る理論的根拠は乏しく、犯罪の実現に重要な役割を演じたといえ るならば、構成要件の一部実現がなくても共謀共同正犯を認めることは可能であるとする)

と高橋則夫教授の見解(共働者が犯罪行為の一部分を分担することによって犯罪全体を実 現するという行為形式、すなわち、分業的な共働を行うという点に特徴を求め、共同正犯 の帰属構造が「相互的帰属」であるとし、犯罪の遂行過程(予備段階・未遂段階・既遂段 階)に従ってその時点において、各共働者に如何なる類型として帰属すべきであるという、

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事前判断と事後判断の総合的判断によって行われるべきであるとする)を取り上げる。そ して、西原説に対しては、「役割の重要性」を類型化する実行共同正犯において、客観的に は実行行為の分担があっても、それが犯罪の実現に対し必ずしも決定的ではなく、また、

主観的にみて単に他人の犯罪を助勢する程度の意思しかなかったような者は、従犯として 取り扱われるべきである(実行行為を行う従犯)という点には疑問が残る、と批判する(第 三節)。

さらに、実質的客観説は、刑法 60 条にいう「実行」が、構成要件該当行為の一部分担を 意味するという前提を維持しつつ、実行概念を規範的・実質的に理解することにより、共 謀共同正犯を正当化すると同時に限定し、あるいは、行為支配や因果性の寄与度や役割の 重要度などを手段として共同正犯と従犯を区別する見解であるが、それぞれの説を入念に 分析・検討する。特に藤木英雄博士の間接正犯類似説(他人の行為を手段として犯罪を行 う点を重視して、共同意思主体説を離れ、個人責任から共謀者の正犯性を根拠づけようと する。言い換えれば、共謀共同正犯を、間接正犯類似の構造をもつとする)と川端博教授 の見解(共犯者間に存在する「相互的利用関係」こそが、共同正犯の本質をなし、共謀共 同正犯にもその存在が認められるとする)が取り上げられ、一定の評価をしつつも、共謀 共同正犯が、間接正犯そのものではなく、間接正犯類似としなければならないというとこ ろは、正犯性の論拠として不十分である、と批判する。

また、行為支配説を唱える見解、および行為支配説の強い影響を受けた見解のうち、特 に平場安治博士の見解(共同正犯において、他人の所為にまで責任を負うのが、実行行為 に対する共同正犯各自に共通の包括的な行為支配であるという点に求め、共同正犯の本質 は、実行行為に対する共同支配であるとする)を取り上げ、この見解では、共謀者が、単 に謀議に参与したというだけでなく、直接実行者の意思に作用して実行行為を遂行せしめ ている場合に共同正犯になるが、いかなる場合に行為支配があるといえるか、その判断基 準は不明確である、と批判する。また、関与者の力関係が対等な場合に、その行為支配が どこまで及ぶか判断が困難であり、間接正犯類似説と同じ批判を回避することはできない であろう、とも批判する。さらに、橋本正博教授の見解(「共同的行為支配(機能的行為支 配)」を正犯原理として挙げ、共同正犯の正犯性を強調しながら、「行為支配」にいう「支 配」は、「事実」を支配の対象とし、現実の構成要件事実を支配していることを根拠に正犯 性を認める)に対しては、機能的行為支配説を正確に応用したものであり、その導出する 結論は、共謀共同正犯否定説の結論に近く、おおむね是認できるとしつつも、行為者の内 心に関する事実を認定することには困難が伴うことを理由として、精神的・心理的寄与を

「形成的寄与」と評価しない点については、疑問が残らざるをえないとし、共同正犯の実 質を、自らの寄与をもって直接的に犯罪事実を形成する点に求め、主観的関与のみでは正 犯性を肯定することができない点に問題がある、と指摘する。

さらに、行為支配応用説として、団藤重光博士の見解も取り上げられる。これは、大麻 密輸入事件(前出事例⑦)に関する最高裁昭和 57 年 7 月 16 日決定の中で、「基本的構成

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要件該当事実について支配をもった者――つまり構成要件該当事実の実現についてみずか ら主となった者――が正犯である」とする見解であるが、正犯と共犯との区別の標準は、

行為支配そのものではなく、行為支配の対象が構成要件該当事実であるかどうかに求める。

しかし、著者は、「共同者に実行行為をさせることについて自分の思うように行動させる」

ことは、果たしてどのような意味を有するのか、その不明確さには疑問の余地があるとす る。また、この根拠づけによれば、背後で利用した者の方が正犯であることを説明するこ とできるが、これが間接正犯としての正犯性とどう異なるのかという疑問が生じる、と述 べる。また、大塚仁博士の見解(共謀共同正犯の観念を否定されつつ、実行を担当しない 共謀者が、社会観念上、実行担当者に比べて圧倒的な優勢的地位に立ち、実行担当者に強 い心理的拘束を与えて実行に至らせている場合は、規範的観点から共同実行があるといい うるのであり、共同正犯を認めることができる)も取り上げられるが、この説に対しても、

受命者の自由を奪って道具として利用した場合には、間接正犯として、支配者の実行行為 性を肯定することができるが、そこにまで至らない者が、なにゆえ実行行為をしたことに なるのかという点については、説明が不十分であり、利用者に実行行為性を認めるための 根拠としては無理があるというすでに出されている批判に加えて、その優越支配者は、実 行後者に強い心理的拘束を与えて実行に至らせるのであるから、そこには支配・被支配の 関係が存在し、対等・平等関係にあるべき共同正犯の本質に適合しないという欠陥がある、

と指摘する。さらに、林幹人教授の見解(正犯と共犯は、広義の共犯の中で重大な役割を 果たした者とそうでない者とを区別するものであるから、その区別を、関与者相互の意思 的・精神的な関係を基準としてなすべきであり、精神的に支配的もしくは対等な立場で犯 罪実現に関与した者が正犯であり、従属的な立場で関与した者が共犯である。言い換える と、精神的に主たる役割を果たした者が正犯で、そうでない者が共犯である)に対しては、

この見解が、精神的関与の度合いを基準とするのであれば、その内容は不明確であるし、

その内容が客観的な犯罪実現への寄与度により認定されるのであれば、重要な役割説と同 一に帰するとし、精神関係説は、犯罪遂行の可否に関わる限りでは妥当性を有するが、そ れを超えて、関与者の精神的な上下関係のみをもって区別しようというのであれば、それ は妥当であるとは思われない、と説く。

かくして、著者は、「重要な役割」説に赴く。まず、西田典之教授の見解(共犯の処罰 根拠を、犯罪結果の物理的・心理的因果性に求めたうえで、共同正犯は、教唆犯や従犯と 同じ共犯の一種であるから、単独正犯と同一の正犯原理は妥当しないとの観点から、共謀 者が実行行為は分担しないが、犯罪実現にとって実行に準ずるような重要な寄与・役割を 果たしたことが、その共同正犯性を基礎づけるとする)に対して、いくつかの批判にもか かわらず、この理論によれば、共謀共同正犯のみならず、共犯全体について統一的に把握 することができると好意的である。しかし、同時に、同正犯の限界を画するためには、「重 要な役割」という要素のほかに、何かしらのプラスアルファが必要である、とも指摘する。

また、山口厚教授の見解(共同正犯を認めるためには、「実行行為」の分担は不可欠なも

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のではなく、「実行行為」分担の代わりに「構成要件実現にとっての重要な因果的寄与」

に共同正犯の限界を画する基準を求める)に対しては、一定の評価をしつつも、「構成要 件実現にとっての重要な因果的寄与」を判断する要素は明らかでなく、不明確であるとい う批判を回避することはできない、と批判する。

これに対して、嶋矢貴之准教授の見解(共同正犯における「共同して実行した」の文言 のうち、「実行」ではなく、「共同して」という点に着目すべきであるとして、共同正犯の 犯罪遂行態様が、教唆・幇助と異なり、「共同して」なされているということであり、教唆・

幇助にはない「共同性」に重点を置く)に対しては、共同正犯の限界づけに関して、共同 行為者に因果的影響力を与えてその双方向的な因果的影響力という「共同性」と「寄与の 重大性」とに重点を置き、実質的客観説な思考を修正・補充した点は注目に値する、と好 意的である。また、島田聡一郎教授の見解(犯罪の実現に対等ないしそれ以上の立場・役 割で加担した者は共同正犯とされるべきであって、現行法における幇助減軽によって、「処 断刑を半分にされるに足りる役割しか分担していない者」は従犯であるとする)に対して も好意的であり、見張り行為などの個別事例については、さらなる検討が必要である、と 指摘するにとどめる。さらに、亀井源太郎教授の見解(「役割分担モデル」論)について、

筆者は、関与者が果たした役割の軽重に重点を置きながら、共同正犯と従犯を区別する点 と、その役割の重要性を判断する際に、犯罪の計画から実現までのプロセスにおいて、寄 与度の大小を衡量する点に賛同する。しかし、役割の重要性を問題とする場合、実行行為 を行った関与者の役割というのは、結局は、「重要な役割」ではないかという疑問が残る。

その意味では、その関与者が自分の行為の意味を十分に理解しておきながら、すでに実行 行為を行った以上は、役割の重要性の存在を否定することはできないとして、実行行為を 行う従犯を否定すべきだ、とも説く(第四節)。かくして、著者の方向性は、「重要な役割 説」をさらに展開することに向けられる。

第三章「中国刑法における共同犯罪理論」では、立法の詳細な歴史的分析と現行刑法の 詳細な分析がなされる。要約すると、次のようになる。

「唐律」が、「造意為首、随従者減一等。」(造意を以て首と為し、随従する者、一等 を減ず。)という共同犯罪に関する通則を設けて以来、「造意者」が罪悪の大きいものと され、複数のものが1つの犯罪に関与する場合に、首犯と従犯を区別するようになった。

首犯・従犯は、中国の律の、独自な仕組みの中に生じた独自の概念であり、この概念は、

中国現行刑法26 条や27 条が規定する、主犯・従犯という文言こそ、上述したような、首 犯と同様の発想から出たものである。また、中国現行刑法における、脅従犯に関する独自 の規定(28条)の萌芽は、革命根拠地刑法時代において、当時の刑事政策により、「脅迫さ れた」者を一般の従犯と区別して処罰し、(中国)旧刑法に「脅迫された」者に関する条文 を定め、現行刑法に承継したものである。そして、中華人民共和国成立後の各刑法草案は、

ヨーロッパ、特に日本刑法の影響を大きく受けた中華民国刑法時代の法制度と断絶を図り

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ながら、ある程度の影響を残しており、ソビエト刑法からかなりの影響を受けた革命根拠 地の法制度を継承した。したがって、中国古代刑法の歴史的経験、革命根拠地刑法の特徴 的な経験、および、日本やソビエトなどの諸外国刑法の有益な示唆を踏まえたうえで制定 された中国現行刑法は、複数の者が1つの犯罪に関与する場合(共同犯罪)につき、現在 の犯罪に関与した者をすべて正犯者とする統一的正犯体系ではなく、犯罪関与の形式如何 に従って関与者を区別する共犯体系でもない、いわゆる独自な共同犯罪理論が成立したの である。しかし、1つの犯罪に関与する、複数の関与者を異なる関与形態に分けて、その関 与形態によって異なる刑を科すこと、特に、従犯に対して(必要的)減軽主義 を採用し、

主犯・従犯の区別を重要な問題とすることは、第一章、第二章で検討したとおり、判例は もちろんのこと、学説の多数も、共謀共同正犯を認めた現在の日本の共犯理論とかなり類 似している(第一節)。

中国においては、共同犯罪が成立するためには、共同犯罪の行為という客観的要件と共 同犯罪の故意という主観的要件が必要となる。共同犯罪行為の具体的な内容に関して、関 与者が行った共同行為は、違法行為であることと、共同犯罪行為の形式に、作為も不作為 も、共同犯罪行為を構成しうることが含まれる。また、共同犯罪故意の内容については、

自らが犯罪の実行に関与することを認識していること、犯罪を行う他の者が自らと共同し て犯罪の実行に関与していることを認識しているという「認識要素」、共同して犯罪を行 うことを決意し、共同犯罪行為によってその結果の発生を希望し、または、これを放任す るという「意志要素」が含まれる。さらに、各人が共同犯罪で行った役割によって、関与 者を、主犯、従犯、脅従犯に分け、また、共同犯罪の関与形態をも考慮し、教唆犯も 1 つ の類型とされ、各類型によって処罰している。中国の共同犯罪理論は、主犯が「犯罪集団 を組織し、若しくは指導して犯罪を行った」特殊な主犯(26 条 1 項前段)と、「共同犯罪 において主要な役割を果たした」一般主犯(同項後段)とを含む。そして、従犯が、犯罪 行為を行ったが直接に重大な結果を惹起せず、情状が比較的軽微な「副次的な役割を果た した」従犯(27 条前段)と、他人の犯罪実行を物理的または心理的に促進した「補助的な 役割を果たした」従犯(同条後段)とに分けられる。前者は、まさに日本刑法理論におい て議論となっている、第一章第二節で検討した「実行行為を行う従犯」に関する問題であ り、後者は、日本刑法理論における一般的意義上の幇助犯の問題である。なお、特に主犯 と従犯を区別するのに重要な基準である「主要な役割」、「副次的または補助的な役割」

の内容は何かという問題については、中国の学説も実務も、直接的または明示的にこれを 示してない。中国現行刑法の共同犯罪理論を論じる際、共同犯罪者、特に主犯と従犯をい かに類型化すべきかという類型化論に議論の焦点が当てられてしまっている。そうではな く、むしろ、条文が定める主犯と従犯を分けるのに必要な、「主要な役割」と「副次的な 役割」の判断基準にこそ、議論の焦点が当てられるべきである、と説く(第二節)。

続いて、犯罪集団の首要分子として強盗殺人犯罪集団の主犯を認めた事件(事例㊸)、

一般の共同犯罪において主要な役割を果たした主犯の事例(事例㊹)、犯行現場へ赴かず

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とも主犯と認定した事例(事例㊺)、共謀に参加したが、実行行為に関与しなかった者を 主犯としなかった事例(事例㊻)、実行行為を行っても従犯とした事例(事例㊼)、脅従 犯に関する判例(事例㊽)など、中国の判例における共同犯罪を検討する。中国の実務は、

ほとんど各事案に応じ、大体の共同犯罪の過程において、関与者の共同意思形成への影響 や、共同犯罪へ関与の程度、結果発生への働きなどによって、この問題を判断している。

しかし、これらの判断要素はかなり不安定で、裁判官ごと、事案ごとにかなり異なってお り、それゆえに結論も異なってくる。特に、事例㊽が示した脅従犯の問題点、すなわち、

緊急避難で罪責を負うべきでない者を、脅従犯として有罪としたような場合に、「緊急は 法をもたない」(緊急状況においては法は譲歩する)という法感情に背き、刑法の処罰範 囲を拡大している点には注意すべきである、と指摘する。

著者によれば、中国共同犯罪理論における各関与者の位置づけを再検討すると、脅従犯 とは、暴力や精神的な威嚇により、関与者の自由意思がある程度抑圧されながら、完全に 意思自由を喪失していない状態に基づいて犯罪に加わったことをいうと解されている 。歴 史的経験と、当時の刑事政策(「首は裁くべし、脅従は不問に付す」)の産物である脅従 犯は、その脅迫された程度や、共同犯罪における役割の不明確性によって、脅従犯の処罰 範囲を無限定に拡張するおそれさえあり、共同犯罪理論に困難な問題をもたらす。また、

ある程度脅迫され犯罪に関与した場合、共同犯罪において副次的な役割しか果たさなかっ たがために、当然に従犯になり、高い程度で脅迫されて犯罪に関与した場合、間接正犯や 緊急避難(過剰避難も含む)、期待可能性の理論によって解決するのは適切であろう。か くして、著者は、立法的解決がより望ましいと思われるが、その場合、「脅従犯」を1つ の共同犯罪者類型ではなく、1つの量刑情状とすべきである、と説く(第三節)。

なお、本稿は、日本刑法と中国刑法の共犯理論における判例と学説を分析することによ り、共同正犯(主犯)と従犯の区別基準を明らかとしようとするものであって、教唆犯に 関する問題を検討しようとするものではない。したがって、中国現行刑法の共同犯罪理論 に対しても、主犯と従犯を論じることに焦点を当てる。そこで、主犯と従犯を論じる際、

中国においては、条文が定める主犯と従犯を分けるのに必要な「主要な役割」と「副次的 な役割」の判断基準の内実を究明しなければならない。また、第一章と第二章で検証した ように、日本刑法において、共同正犯と従犯を区別する際に「重要な役割説」を取るべき であり、肝心なのは、その「重要な役割」を判断する下位基準の問題である。そこで、次 章では、このような問題について具体的な検討を行う。

第四章「共同正犯と従犯の区別に関する一試論」では、判例を再度必要な範囲で分析し、

試論を展開する。以下、著者の主張のポイントを示す。

(一)実行行為を行わず、共謀に関与した場合、実行行為を直接に行わなかったが、共 謀に関与した場合においては、関与者が犯罪の実現に対して、組織(一定の犯罪を行うた めに他の犯罪者を集めること)、画策(犯罪を行う計画の作成のこと)、指揮(犯罪の各

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段階において他の者を命令し、指導して犯罪を実行させること)のうち、いずれかの役割 を果たした場合は、犯罪実現のプロセスにおいて実行の分担に匹敵しまたはそれ以上の役 割(重要な役割)を果したと認定することができるので共同正犯が成立する。

また、3人以上の者が共同で犯罪を行うために結成した比較的安定した犯罪組織(グル ープ)においては、犯罪組織(グループ)を組織した組織者と、当該犯罪活動を画策した 画策者、犯罪活動を指導・指揮した指揮者は、「共謀に関与した」と認めるには、必ずし も明確な「謀議行為」は必要でなく、暗黙・黙示の意思連絡でも足りるものと解しうる。

さらに、その他の単なる謀議参加者の場合においては、他人が特定の犯罪を行う決意を強 めたり、他人の犯罪を助勢したりすることなどにより、犯罪を容易に実行させる無形の幇 助犯(心理的幇助犯)が成立する。つまり、犯罪実現のプロセスにおいて、「副次的な役 割」しか果たさなかったため、共同正犯ではなく、従犯にとどまることになる。

(二)いわゆる「実行行為を行う従犯」の場合、自己の意思に基づき実行行為を行う者 が、基本的には重要な役割を演じたものとして共同正犯となることは妥当である。具体的 には、自己の犯行に対して、故意がある場合、「他人の犯罪」か「自己の犯罪」か(正犯 意思の有無)に関係なく、全部または一部の実行行為を行ったとすれば、それはすでに犯 罪実現のプロセスにおいて重要な役割を果たしたものであるから、背後で組織・画策・指 揮した者、正犯意思を有しながら、全部または一部の実行行為を行った者は、他の実行行 為者と共に共同正犯となる。

(三)「見張り行為」を行う場合、見張り行為に関しては、見張り行為が実行行為の一 部である場合を除き、犯罪実現のプロセスにおいて組織・画策・指揮のうち、いずれかの 役割も果たさなかった見張り行為は、各自が関与した犯罪において、犯罪を単に容易なら しめただけであって、副次的(補助的)な役割を果たしたことであるから、従犯にとどま ることになる。もちろん、背後において既に犯罪を行うために犯罪者を結集させたり(組 織)、犯罪計画を作成したり(画策)、他の関与者を命令・指導したり(指揮)して、自 ら実行行為を行わず、ただ見張り行為しかしなかったとしても、それはすでに犯罪実現の プロセスにおいて実行の分担に匹敵しまたはそれ以上の役割(重要な役割)を果したとい えるのであるから、共同正犯が成立する。言い換えれば、見張り行為は、基本的には犯罪 実現のプロセスにおいて、副次的(補助的)な役割しか果たさなかったがために、従犯と なる。しかし、見張りはすべて従犯となるわけではなく、見張り行為が実行行為の一部と される場合、犯罪実現のプロセスにおける組織・画策・指揮のうち、いずれかの役割を果 たした場合の見張り行為は、共同正犯となりうる。

以上のように、著者は、共同正犯と従犯の区別については、犯罪の実現に対する役割分 担を基準とする(重要な役割説)のが妥当であると説く。すなわち、複数の者が 1 つの犯 罪に関与する場合に、犯罪の実現において、実行行為を行う者や、実行の分担に匹敵しま たはそれ以上の重要な役割を果たしたと認められる者は、共同正犯となる。一方、犯罪の 実現に対して、副次的な役割(補助的な役割)を果たしたに過ぎない者は従犯となる。も

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ちろん、「重要な役割」の基準をさらに具体化・精緻化していく努力が必要であろうが、

解釈論上、「重要な役割」の基準をいくら明確にしようとしても、すでに言及したように、

なお曖昧さが残ることは避けがたいように思われる。しかしながら、共犯として可罰的な 者のうち、実質的にみて妥当な共同正犯と従犯の成立範囲を画定しようとする以上、それ はやむをえないことであるし、また、甘受しうる、と説く。

「終章」では、全体のまとめとして、日本刑法と中国刑法の共犯理論における判例・学 説を分析することで、共同正犯と従犯の区別基準を明らかにしたが、共犯として可罰的な 者の限界づけに関係して、教唆犯論は、避けて通ることのできない課題であるとし、共同 正犯と教唆犯の限界づけや、教唆犯と従犯の限界づけについては、本稿では検討を行うこ とができなかった旨を述べ、その他、今後の課題も指摘する。

2 論文に対する評価

以上の本論文に対する評価として、以下の4点を指摘できる。

第1に、共同正犯と共犯の区別について、日本の判例を大審院時代から現在に至るまで、

実に詳細に自己の問題意識に即して分析している点(第一章)は、日本語の能力の高さを 含め、高く評価できる。しかも、個々の判例の評釈まで渉猟しているため、分析に厚みが ある。それにより、共謀共同正犯を含めて、共同正犯と共犯の区別に関する判例の変遷が 実に明確に理解できる。特に、厳罰化の是非が問題となり、実行行為を行ったにもかかわ らず、実行者に従犯を成立させる事案が登場している点にも目を向け、実行行為を行う従 犯に関する判例と見張り行為に関する判例(合計 18 件)の分析を行い(第一章第二節)、

全部または一部の実行行為を行ったとしても、正犯意思の有無(他人の犯罪か自己の犯罪 か)によって従犯とした事例6件と、犯行の動機ないし犯行結果との関わり合いといった 諸事情に基づいて従犯とした事例3件を分析し、さらに、見張り行為に関して、犯行の実 現に果たした役割の重大性から、共謀のうえ(意思の連絡の下に)行った見張り行為を共 同正犯とした事例4件のほか、当該事案全体からみれば、見張り行為は実行行為を容易な らしめるだけであることや他人の犯罪を幇助する意思であったことなどから、見張り行為 を従犯とした事例5件もあることを指摘し、現在の判例理論は、自己の犯罪を実行する意 思を媒介としているため、あまりに多様な要素を考慮することによって、かえって共同正 犯と従犯の区別の明確性を害しているし、両者の区別について統一的根拠とその明確な意 味内容、さらにはその区別基準が呈示されたとはいえない、と説いて、課題を抽出するこ とに成功している点は、見るべきものがある。

第2に、上記の判例の分析を踏まえ、日本の学説を共同意思主体説から形式的客観説、

さらには実質的客観説に至るまで詳細に分析し、自己の見解である「重要な役割説」を導 く過程(第二章)は、著者の力量を示すものである。共犯論が刑法理論体系全体に及ぼす

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影響までは十分に意識しきれていないとはいえ、日本における共犯論の学説の展開過程が 本稿により如実に理解できる。特に、嶋矢貴之准教授の見解(共同正犯における「共同し て実行した」の文言のうち、「実行」ではなく、「共同して」という点に着目すべきである として、共同正犯の犯罪遂行態様が、教唆・幇助と異なり、「共同して」なされているとい うことであり、教唆・幇助にはない「共同性」に重点を置く)、島田聡一郎教授の見解(犯 罪の実現に対等ないしそれ以上の立場・役割で加担した者は共同正犯とされるべきであっ て、現行法における幇助減軽によって、「処断刑を半分にされるに足りる役割しか分担して いない者」は従犯であるとする)、および亀井源太郎教授の見解(「役割分担モデル」論)

に対して好意的に評価しつつ、とりわけ亀井説について、関与者が果たした役割の軽重に 重点を置きながら、共同正犯と従犯を区別する点と、その役割の重要性を判断する際に、

犯罪の計画から実現までのプロセスにおいて、寄与度の大小を衡量する点に賛同する。し かし、同時に、役割の重要性を問題とする場合、実行行為を行った関与者の役割というの は、結局は、「重要な役割」ではないかという疑問が残ることから、その関与者が自分の行 為の意味を十分に理解しておきながら、すでに実行行為を行った以上は、役割の重要性の 存在を否定することはできないとして、実行行為を行う従犯を否定すべきだ、とも説く(第 二章第四節)。かくして、著者の方向性は、「重要な役割説」をさらに展開することに向け られるのであるが、この論理の運びは、上記の判例分析同様、工夫が見られる。

第3に、しかも、以上で得られた分析視座を踏まえて、中国の共犯立法を古代の春秋・

戦国時代から、法経、秦律、漢律、唐律、暫行新律、中華民国刑法、中国革命根拠地刑法、

1979年の中華人民共和国刑法典(そこに至る各種草案も含む)、そして1997 年の現行刑 法典に至るまで、事例も含めて詳細に分析している点(第三章)は、本論文の生命線とも いえるものであり、迫力がある。ここまで詳細な中国の共犯立法分析は、日本ではこれま で見られない。比較刑法の観点からも、本章の分析は、実に貴重である。

具体的には、「唐律」が、「造意為首、随従者減一等。」(造意を以て首と為し、随従 する者、一等を減ず。)という共同犯罪に関する通則を設けて以来、「造意者」が罪悪の 大きいものとされ、複数のものが1つの犯罪に関与する場合に、首犯と従犯を区別するよ うになったが、首犯・従犯は、中国の律の、独自な仕組みの中に生じた独自の概念であり、

中国現行刑法26 条や27 条が規定する、主犯・従犯という文言こそ、首犯・従犯と同様の 発想から出たものであるとする点、また、中国現行刑法における、脅従犯に関する独自の 規定(28条)の萌芽は、革命根拠地刑法時代において、当時の刑事政策により、「脅迫され た」者を一般の従犯と区別して処罰し、(中国)旧刑法に「脅迫された」者に関する条文を 定め、現行刑法に承継したものであるとする点、そして、中華人民共和国成立後の各刑法 草案は、ヨーロッパ、特に日本刑法の影響を大きく受けた中華民国刑法時代の法制度と断 絶を図りながら、ある程度の影響を残しており、ソビエト刑法からかなりの影響を受けた 革命根拠地の法制度を継承したとする点は、歴史的分析という観点から興味深い。加えて、

現在の中国の共犯理論も詳細に検討されているので、なおさら示唆に富む。著者の分析に

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よれば、中国においては、共同犯罪が成立するためには、共同犯罪の行為という客観的要 件と共同犯罪の故意という主観的要件が必要となる。共同犯罪行為の具体的な内容に関し て、関与者が行った共同行為は、違法行為であることと、共同犯罪行為の形式に、作為も 不作為も、共同犯罪行為を構成しうることが含まれる。また、共同犯罪故意の内容につい ては、自らが犯罪の実行に関与することを認識していること、犯罪を行う他の者が自らと 共同して犯罪の実行に関与していることを認識しているという「認識要素」、共同して犯 罪を行うことを決意し、共同犯罪行為によってその結果の発生を希望し、または、これを 放任するという「意志要素」が含まれる。さらに、各人が共同犯罪で行った役割によって、

関与者を、主犯、従犯、脅従犯に分け、また、共同犯罪の関与形態をも考慮し、教唆犯も 1 つの類型とされ、各類型によって処罰している。中国の共同犯罪理論は、主犯が「犯罪集 団を組織し、若しくは指導して犯罪を行った」特殊な主犯(26 条 1 項前段)と、「共同犯 罪において主要な役割を果たした」一般主犯(同項後段)とを含む。そして、従犯が、犯 罪行為を行ったが直接に重大な結果を惹起せず、情状が比較的軽微な「副次的な役割を果 たした」従犯(27 条前段)と、他人の犯罪実行を物理的または心理的に促進した「補助的 な役割を果たした」従犯(同条後段)とに分けられる。前者は、まさに日本刑法理論にお いて議論となっている、「実行行為を行う従犯」に関する問題であり、後者は、日本刑法 理論における一般的意味での幇助犯の問題である。なお、特に主犯と従犯を区別するのに 重要な基準である「主要な役割」、「副次的または補助的な役割」の内容は何かという問 題については、中国の学説も実務も、直接的または明示的にこれを示してない。中国現行 刑法の共同犯罪理論を論じる際、共同犯罪者、特に主犯と従犯をいかに類型化すべきかと いう類型化論に議論の焦点が当てられてしまっている。そうではなく、むしろ、条文が定 める主犯と従犯を分けるのに必要な、「主要な役割」と「副次的な役割」の判断基準にこ そ、議論の焦点が当てられるべきである、と説く(第二節)。以上の分析・検討は、まさ に本論文の副題が示すとおり、比較法的分析に値するものである。

第4に、以上の比較法的な分析・検討を踏まえて、そこから共通の課題を抽出し、「役割 分担論」に着眼して、自説を展開し、結論を導いている点は、説得力がある。結局、著者 は、共同正犯と従犯の区別については、犯罪の実現に対する役割分担を基準とする(重要 な役割説)のが妥当である、と説く。すなわち、複数の者が1つの犯罪に関与する場合に、

犯罪の実現において、実行行為を行う者や、実行の分担に匹敵しまたはそれ以上の重要な 役割を果たしたと認められる者は、共同正犯となる。一方、犯罪の実現に対して、副次的 な役割(補助的な役割)を果たしたに過ぎない者は従犯となる。もちろん、「重要な役割」

の基準をさらに具体化・精緻化していく努力が必要であろうが、解釈論上、「重要な役割」

の基準をいくら明確にしようとしても、すでに言及したように、なお曖昧さが残ることは 避けがたいように思われる。しかしながら、共犯として可罰的な者のうち、実質的にみて 妥当な共同正犯と従犯の成立範囲を画定しようとする以上、それはやむをえないことであ るし、また、甘受しうる、と説く。

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この結論部分にまだ不十分さは残るが、これは、日本の刑法理論が抱える課題でもある ことからすれば、現段階ではやむをえないであろう。特に、共犯理論が犯罪論体系全体に 対して占める位置についてはあまり言及がなされていない点は、今後取り組むべき課題と なるであろう。しかし、それは、まだ時間がかかる作業である。むしろ、本論文は、何よ り、法制度の違いを前提としつつ、そこから理論的共通点を抽出しようとする姿勢から入 念な分析・検討を加えた手法と論理展開にこそ見るべきものがあり、それがわれわれ日本 の刑法研究者にとっても実に有益であると評価できる。しかも、そこから得られた枠組み を中国で今後さらに発展させることが大いに期待される。

以上のように、本論文は、質的にも量的にも一定の高い程度を有するものであり、すで に指摘したような課題もいくつかあるが、それらについては今後の課題として是非本格的 に取り組んで欲しい。このように、残された課題もあるが、本論文は、博士学位申請論文 として、相当の水準に達していると評価することができる。

3 結 論

以上の審査の結果、後記の審査委員は、本論文の執筆者が課程による博士(法学)(早稲田 大学)の学位を受けるに値するものと認める。

2013年1月23日 審査員

主査 早稲田大学教授 博士(法学)(広島大学) 甲斐克則 早稲田大学教授 法学博士(早稲田大学) 高橋則夫 早稲田大学教授 島田聡一郎

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