存在論と歴史の問題 : 存在の探求(その1)
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(2) . 上. 岡. 宏. この種 の試 みは、存在論 とし ては前例 がな いが、考察 の方 法 とし. り出す こと が必要 にな る のであ る。. とし て具体的な意 味を帯 び て いるとは 限らな いから であ る。 そう な ると どう し ても、代 入項 とそ の結 果 と に関 し て、 そ の全体 の確 かさ が、我 々の吟味 に耐え るよう な モデ ル、あ る いは雛型を 考案 し なけ れ ばならな いだろう 。 つまり、我 々のこの現 に生 き て いる世 界 の探 究 のためには、 よ り単 純 で分析 し やす い場 面を 別 に探し出 し て、 そ の中 で事物 と人間 の具体的 な存 在連関 なり構造 な りを 、例証 的 に取. 考え れ ば、代 入され た数値 に応 じ て、 具体的 に解答 が出 てく る だろ う から であ る。 し かし、 も ち ろん問題 はそう簡 単 ではな い。 何 の根 拠 も なし に代 入項を選 ん だとし ても、 そ こから出 た結 果 が存 在 開 示. ろう か。 あ る意 味 ではそう であ ろう。 代 数式 や函数 のよう な も のを. 準備 が整う場 面 には達 し てい る。 先 の考察 「 存 在論 の方法」 は、 ま ^ 1} さ にそ のため の予備学 だ った から であ る。 では、 そ の探究 はど のよう に行 え ばよ いのだろう か。 枠組 が捉 え ら れ て いる のであ れ ば、 そ こに具 体的な事 項を代 入す れ ばよ いのだ. いて、 これま でのと ころ、 そ の形式的 枠組 を捉 えた だけ で、 ま だ実 質的な有 り方 や内容 を捉 え る段階 には至 ってな いが、少 く とも そ の. . ーー 存 在 の探 究 ( そ の 1)1 111. 存在論と歴史 の問題. 北海道教育大学紀要 ( 第 一部 A)第 四 一巻 第 一号 平成 二年九月. 序 存 在 の探究 とは、存 在者 の存 在を問う こと であ る。 問う と は、存 在者 が何 であ るか、 ど のよう な有り方 をし て いるかを 明ら か にす る こと であ り、 そ れを存 在 の真 理 とし て受 け 入れう る かどう か吟 味す る こと であ る。 ただし、 ここで いう 吟 味と は、 科学 的な意 味 で の客 観的 妥当性 に関 わ るそ れ ではな い。 そ れ は、存 在を 問う 根 源的 目我 が己 れ の実存 の問題 とし て、 みず から引き受 けう る かどう か に関 わ る吟 味 であ る。 真 理 とは、 こ こでは端的 に主 体的 であ る。 真 理 であ ると見極 め が つく ことと、良 し とし て引 き受け る こととは、 ここで は全 く同 次元 であ る。 そし て、 こう し た探究 が我 々のこ の現実世 界 に向け られ る時 、存 在 論 は、 我 々が引 き受 け る べき具体的 な存 在 の 意 味を究 明す るも のとな る。 現実 世界 と いう のは、存 在者 とし て の自分 と、 そ のま わり に遠近 と方 位 を伴 って布置す る事物 と人間 と によ って成 立 つ世 界 であ る。 こう し た現実存 在 は、す でに明ら か にされ て いるよう に、 一定 の存 在性格 と様式を持 って いる。我 々の探究 は、 これら の現実存 在 に つ.
(3) . . 宏. 上 岡. ては、 諸 学 が 一般 に行 って いる こと で、内 容的 に は極 め てな じ み深 いも のであ る。 な ぜなら、 雛 型 と い っても 、我 々がそ の つも り でそ れを事 実 的 に求 めるとし たら、 結局 遠 い過去 にさ か のぼ る か、 あ る 、も いは未 開 民族 に ついて の人類学 的 研究 報告 から得 られ るよう な 「 の」 と 「ひ と 」 の単 純 な 関 わ り 、 「ひ と 」 と 「ひ と 」 の 原 初 的 関 係 に. 二. 。 型 の歴 史家 や歴 史 哲学 専門 の学者 の手 に移 ってしま って いる し か. 飴等 △言uでは哲学固有 の領域から離れてしま い・思索 歴史しかな い廿. し、 そ れ でも それ への何ら か の顧慮 なし には、 この考察 を 進 めえ な. いことも、 我 々とし ては認 めざ るを えな い。 そ のあ たり で存 在論 と. 歴 史哲学 の間 合を は かる こと が、 こ の種 の考察 の難 し いと ころな の. 、 り、 概 括的 に論 評し たり、 そ れ に同意 を求 め たりす れ ば かえ って 、 独り合点 に陥 る危 険性 もあ る。 この考察 に当 って留意 す べき は ま. であ る。 尤も歴 史哲 学 と いう のは或 る意 味 で極 めて複 雑 な学 問 であ. さ にそ の点 であ り、 それ への態度 を 予 め用意 し ておく こと が必 要 に. 眼を向 け る のが、 当然 の成 行 き だろう から であ る。 ただし、 雛 型 に に応 用 でき る程、存 在連 関 の問題 は単 純 ではな い。 実 際 には 一歩ず. な る であ ろう。. よ る考察 がう まく行 ったから とい って、 一足飛 び に我 々の現実世 界 つ課題設定 しな がら、 そう し た雛 型的原 型 から の展開 を追 究し なけ. 間合 を測 ると いう 形 で進 めら れる こと にな る。 このよう な 複雑 な手. 手 では、 この種 の問 題 に多 彩な取 り組 み の実績 を持 つ歴 史哲 学 と の. かく て、我 々の考察 は、 存 在 の探究 と いう 本来 の目 的 を出 発点 と 、 しな がら、右 手 ではそれ へと近 づく ため の歴 史的 考察 に携 わり 左. れ ばな らな いのであ る。 この論考 で、我 々が これ から とり かかろう とす る のは このよう な 形 の探究 であ る。 存 在論 的観 点 から いえば、 これは現実 存 在 の歴 史 性 の研究 とも いえ るも のであ る。 歴 史 性 とは、別 の言葉 で いえ ば現 実存 在 の経歴 であり、保 存 さ れ た過去 の いわば地層 のよう なも ので. 線 的 な方途 がな いも のかと思案 せざ るを えな いのであ るが、 問題 の 、 性質 上、現時 点 では避 けら れな いこと であ る。そ こで以下 の論 考 は. 続 き は、 探 究 の方法 とし て はま こと にわず らわしく、 何 かも っと直. 叙 述 に混乱を来 さ ぬよう 最 大 限 の注意 を払 いな がら進 め てゆく こと. あ る が、 そ こに隠 され て いる本質 的 なも のが解 明され る こと によ っ て、 初 め て現実世界 の存在様 態 も 明ら か にな ると いう のが存 在論 的 、 方法 から得 た結論 であ った。こ こで の我 々は、それを よ り構造 的 に. 方針 と し て は、 連作 形式 を採 る こと にし た いと思う。. にしよう 。 な お、 右 のよう な事情 も あ り、 ま た考察 をす る上 で の主 題 の転換 の都 合もあ る ので、 存 在 の探究 と いう 副題 に沿 った叙 述 の. ひと つの有機 的連関 とし て、 遠 い過去 から順 に辿 って みよう と いう の であ る。. し かしな がら、 こう し た考察 は、 存 在論的 な目標 がどう であ れ、 そ こに至 るま で のプ ロセ スに関す る限 り、歴 史観あ る いは歴 史哲学 の問題 と大 きな関 係を持 たざ るを えな いであ ろう。 我 々は歴 史 そ の も のを 問題 にし て いる のではな いと は いえ、 そ の考察 と推論 が歴 史 的 な内容 に関 わ る以上、 そ の捉 え方 の妥当性 や連関認識 が事 実 学 と し て の史 学 と 衝 突 し た りす る こと は避 け ら れ な いだ ろう か ら であ る。 歴 史哲学 と いう 分野 は、 それ自 体 とし てはま だ三世 紀 足 らず の.
(4) . 存在論と歴史の問題. H. 現実世界 の連関 構造 に ついて. 我 々の住 む現実世 界 が何 ら か の連関性 を持 って いる ことは、 誰も が多 少 とも感 じ て いる こと であ る。 特 に この半 世紀 程 の間 は、世 間 の様 子 が 一変 し てし ま い、 何 が引金 にな ったか分 ら ぬな がらも、 一 つの変 化 が他 の変 化 を 引 き 起 し、 そ れ がま た別 の方 面 に波 及 し て い ったと いう こと が、 実際 に体 験 でき た時 代 であ る。 環境 世界 の事 物 は用具性 と いう存 在様式 を持 ち、 それらは何 か の為 に役 立 つと い う 仕方 で連 鎖的 に現存 在 に向 い、 そ こで収敏す ると言 った のは ハイ ( 3) 、 デ ッガー で あ るが、 現代 の変 化 の様 子を見 ると、道 具 に起 った変化 は我 々の習慣 や価値 観 ま で変 え てしま ったよう に思 え てく る のであ る。. もち ろ ん、 こう し た連関 を解 明し よう とす る試 みは過 去 にも あ っ たし、 現在も続け られ て いる。 例 え ば技 術的革新 を中 軸 にし たり、 軍事 的 観点 や経済構造 の変 化 を鍵 にし たりし て世 界史 の展開 を説 明 す る こと は、歴史家 のみな らず 、 人文 ・社会諸 科学 のあ らゆ る学 者 ( 4). が企 て てき た こと であ る。 し かも そ れら は、部 分的 には例外 なく或 る程度 の成功 を収 め て いる。 現実 世界 は複雑多 岐 であ り、 全体を 備 轍的 に捉 え る視座 が手 に入らなけ れば、 部分的 であ っても、 そ こか ら我 々の取 る べき態度 の示唆 が得 られ れば、 そ れ は大 いに有意義 だ から であ る。 特 に最 近 のベト ナ ム戦争 以後 のア メリ カと 日本 の関 わ り や、社会主義 諸国 の大変 動 を 見聞す ると、 この流れ が ど こ へ向 う のか誰 だ って無 関心 では いら れな い。 際物的 な論 説 でも 人 々は大 い に耳を傾 け る のであ る。 では、存在論的観 点 はそれら と どう違う のであ ろう か。部 分的 で. あ る のに対 し て全体的 であ る のは当然 だ が、特 に異 る のは、 この観. 点 が始 めから人倫 的領 域 ま で視 界 に入 れ て いると いう 点 であ る。 現 実世 界 は、存 在者 とし て の自 分を今 ・此処 と いう中 心点 にお いて、. そ の ま わ り に 「も の」 と 「ひ と 」 が 広 が る 世 界 で あ る 。 先 に 我 々 が. 明ら か にし た捉 え方 によれ ば、 こう し た 「 も の」 や 「ひと」 は存 在 論的主 体 とし て の自我 がそれ に対し てとる態度 的関 心 によ って、 そ. の存 在性 格 が特 徴 づけら れ る。 つまり、 それ によ って 「 も の」 は道 具 ともな り記念物 とも な る のであ り、 「ひと」は奴隷 化 され たり親 友 にな ったりす る のであ る。 従 って、 そ の連関 が実質 的 に追 究 さ れ た 場 合 は、 「ひと」と 「ひと」の相互関係 は存 在 の意 味 とし て引 き受 け う る かどう か の吟 味 の問題 にま で広 がり、最 終的 には道徳 論 にま で 及 ぶ こと があ りう るわけ であ る。. こう し た包 括的 な視点 は、 事実学 とし て の科学 にはな いし、 意 図. す ると ころ でもな い。それ は科学 が事 実 を 説 明す る為 の理論を 求 め、 そ の検証 に重点 を 置 いて いる から であ る。 と ころ が存 在論 は、 極 端 な言 い方 をす れば、検証 な ど はどう でも よ い。存 在 の真 理として 受 け 入れ る為 の吟 味 とは、存 在を問う と いう 営為 の主 体 であ った根 源 的 目我 が、 「 よし」とし て認 める かどう か の吟 味 だから であ る。 従 っ ( 5) て例 え ば、先 の論考 「 私存 在 と実存 の間 でL で示し たよう に、 自 分 の死 の不 可避性 を意 味 とし て引き受 け る にあ た って、 人 は死 と は何 かを考 え、推 論 し、解答 を出 し、 「 よし」とし て認 めう るかどう か何. 度 も 吟 味を繰 返す わけ であ る。 そ こでは客観的 妥当性 な どは どう で も よ い。他 の人 の同意す ら必要 な いのであ る。現実世 界 に ついても、 このことは原 理的 にあ てはま る。 だから こそ、 人倫 の領 域 ま で含ま れ てし まう のであ り、 現実 世 界 への対応 の面 で他者 に呼 びかけ る と いう こと はあ るにせよ、本 質的 には各 人 が己 れ の責 任 にお いて 「よ. 三.
(5) . . 宏. 上 岡. 四. 貫く原 理 であ るが、 横軸 と は、 要す る に変 化 が波 及し てゆく時 のそ. 軸 と いえ る のは、す でに述 べた態度 的関心 と現実存 在 の存 在性 格 を. ′とする かどう かを 決 め る こと の方 に、吟 味 の本 質 は か か ってし し」 まう わけ であ る。 さ て、 そ れ では存 在論的 な全体 的連関 と は 一体 ど のよう なも ので 。 あ ろう か。 実 は、 これ には 二 つの軸、 いわ ば横軸 と縦軸 があ る 縦. 器 の出 現 や国家 の誕生 と い った次元 の異 る事 態 ま で波及 し た理由 も. ば、食糧事情 の変化が社会集団の規模や性格 の変化に連なり、金属. であ る。 従 って農 耕 の発生 ・定着 をそ の連関 構造 の横軸 に代 入す れ. い。 し かも、 食 糧獲得 の手段 と成功率 は道 具 の巧拙 と深 く関係 し て 、 おり、 数 万年 にわ た る石器時 代 の間 でさえ 状 況 は 二転 三転す る の. 、 れば、 食 の必要 が他 のす べてを制 約 し て いた ことは明 白 であ り そ. の連鎖性 であ る。 前者 に つ いて いえ ば、 こ の原 理は 二 つし かな いこ. はす べて連関 し て いると いう のも、事 物 と人間 を 貫く 原 理 が存 在 論 事 実 から帰 納 し たも のではな い。 的 に確 認 され て いるから であ って、. と ころ で、 こう し た視点 は当然 の こととし て考古学 や歴 史学 の領 域 に接 触す る こと にな るが、先 述 のよう に、 存 在 の探 究 は事 実 学 で 。 はな いので、 あ る程度 アプ リ オリなも のを 含ま ざ るを え な い 全 体. を 見 る時 の存 在論的 視点 な のであ る。. 、 宗 教、道徳 と い った側 面 が次第 に表 面 に浮 き出 て来 る にし ても そ 、 れ らは切れ目な く連 な って いると考 え てよ いと いう のが この横 軸. れ が集 団 の規模 を決定 し、 人倫 の様 式 を条 件 づけ て いたと考 え てよ. と が先 の論 考 で分 って いる ので、 今 は簡単 に整 理し ておく だけ でよ. 推 論的 に解 明す る こと が当然 期待 でき るだ ろう。歴 史 の展開 に伴 っ 、 、 、 、 て、食 の問 題 は連 関 構造 の下部 に隠 れ、 国 家 軍事 経済 貿 易. 、 いだろう。それ は我 々が現実存 在 に対 し てとる態度 の方 から いえ ば 、 対象 を自分 の為 に利 用 し て己 れを拡大 し よう とす る意 志 と 己 れを 、 保存 しよう とし て対象 と合体 し、他 者 を もう 一人 の自 分 とし 事物 をも そ の延長 上 で保持 しよう とす る意 志 とな って現われ る。 現象論 も の」 は道 具 と され たり、 記念物 にさ 的 に見れ ば、 これ によ って 「 れ たりす るし、 「ひと」は奴隷や 召使 いや取 引き相手 とし て遇され た り、 逆 にも う 一人 の自分 とし て親 兄弟 や家族 や親 友 や同胞 とし て遇 、 され る。 生 き られ る世界 では、 それ ら は複 雑 に入り組 んで いるが 、 縦軸 とし ては全く この二 つの原 理 に貫 かれ て いるだけ であ り そ の どちら でも な い存在 は現実世 界 と いう遠 近 と方位を持 つ空 間 の地平. 定 量的 に断 定 でき る場 合な ら ば、 それを 軸 にし て色 々な可能 性も 追. 従 って、 例 え ば マルサ スの 「人 口 の原 理」 におけ る公準 のよう なも 、 のは、原理 に矛盾 し な い限 り、さま ざまな形 で提起 され るだろう し. では横軸 と は何 か。 これは ハイ デ ッガー的 な 用具連関 を 少 し拡大. 究 され る であ ろう 。 そう し た積重 ねは、考古 学 や歴 史学 に属す る問. 線 に退 いてし まう のであ る。 し て考 え れば分 り易 いだろう。 人間 の生存 にと って基本 的 な のは衣. らも 、彼 ら が科 学者 の慎重 さ によ って結 論を避 け るよう な 問題 を. 題を、 発掘 や記 録 文書 と いった証拠物 件 なし に、論 理的 に再構 成す. 存 在論 的 探究 は己 れ の論 理 の流 れ に従 って断定 し てし まう こと が起. 食住 であ る が、最も 直接的 な のが食 であ るとす れ ば、す べてはそ こ あ る。す な わち、成 人男 子 の年 間必要 食 糧 は下 限 がほぼ決 ま ってお. りう る のであ る。. ると いう方 向 に行 かざるを えな い。 専 門家 の研究報告 に依存 しな が 、. 。 り、家族 単位 でも そ の平 均的枠 組 は予 め分 って いる 問題 はそ れを. から始 ま る から であ る。 そ れ には次 のよう に考 え る のが 一番 早道 で. どう や って恒常 的 に確 保す る か であ る。 農耕 以前 の状態 を考 え て み.
(6) . 存在論と歴史の問題. し かしな がら、 そう は い っても、 この種 の探究 が純 粋 にアプ リ オ リな形 で行 わ れる ことはあ りえな い。 原 理的 に 一つの筋道 が引き出 され た とし ても、 そ こから考 え られる可能 性 が選択 肢を伴 って論議. かな いとし ても、 我 々はそれ に頼ら ざ るを得 な いと いう こと が起 り. 我 々の方 ではな い。 たとえ、 そ の事 実性 が或 る歴 史 学者 の報 告 でし. にな ると、 たちま ち忘 れ去ら れ てし まう のであ る。 だ から、 年 間 で. 食 糧難 の時代 には切実 な 問題 だ った のに、 量 よ り質 が問 われ るよう. 日常 生 活 にお いて、 我 々が普 段 は殆 ど気付 かず に いる こと の 一つ に、 人間 は年間 ど の位 の食 糧 を必要 とす る のかと いう 問題 があ る。. 用 具性 と生存 の問 題. う る。 つま り、あ る問題 に関 し て決着を つけ る方途 は二 つあ る が、. 約 二百キ ロと いう 数字 が飢餓線上 の境 い目 だな ど と聞 く と、 却 って. 口. 実際 の歴 史 は前 者 の道を と った と我 々が書 く場 合、前 者 云 々は歴 史. 疑 問 がわ いて来 て、 カ ロリー の問題 や肉食 と菜食 の違 いがそ んな数. され る場 合 に、 そ れを どちら か に決 める のは歴 史 の事実 であ って、. 家 の報 告 によ って いる のであ る。 報 告 の信悪性 は、 一応顧慮 され る. 字 に還元 でき る のかと い った反問 がたち まち出 てき たりす るわけ で. なら ば、 そ こから の展開を 追 究す る論 理 の筋道 は、 も はや哲 学者 の. ある。 原初 的 で最 も単純 な連関 の図式 が分 り切 った形 で捉 えら れ た. な る。 この条 件 は生物 学的事実 であ る から昔 も 今も変 り がな い。 こ. 杯強 と いう のが このライ ンであ る。 従 って家 族単位 で いえ ば、 子供. い数字 とし て、 二百 と いう 値 を と っておく と い った程度 の こと であ る。 ちな み に玄 米 に換 算す ると、 一日約 三 ・六合、大 人 の飯 椀 で七. た数値 な のであ る。 ただ、 これ から の計 算 の便宜 のため に切目 のよ. の数字 を 二百五十キ ロに修 正し ても さし つかえな いよう な中 を も っ. あ る。 だがもち ろ ん、 この数字 はそ れ程厳密 な も のではな い。 下 限. にし ても、 それ自体 は決定 的 ではな い。 必 要な ら ば我 々自身 の経 験 的類 推 に頼 る こと さえ、 こ こでは厭 わな いから であ る。 歴 史 に対す る こう し た態度 は、 俗流 で素 人的 な アプ ロー チ であ る から、 町 の歴 史好き老 人 と同様 、 専門家 から は朝笑 され る のが常 で. 独壇 場 であ る。 哲学的探 究法 と いう 伝家 の宝刀 は余 り に切 れ味 が鋭 いので、 殆 ど いつも ドグ マを彫り上 げ てしまう が、 我 々はむし ろそ. れを上 回 ると、余 った食糧 は酒類 や菓 子 の原料 にされ たり、保 存 食. あ るが、存 在 論 の側 から いえ ば、 そ んな のはとる に足 りな いこと で. の方 に注意 を 払う べき であ る。 つま り教条的教 説 の整 合性 に気 を と. とし て加 工され たりす るわけ であ る。. と こそ 肝要 だと いう こと であ る。 それ故、我 々はまず 人間 が文字 通. 残 った のだろう か。 一般 に知 ら れ て いる レベ ルで いえ ば、炭水 化物. では、 人類 は石器も な いのにひとし い初 期 の頃、 何を食 べて生 き. や老 人 の分 と家 族 の員数を均 ら せば、大 体 年間 一ト ンと いう こと に. られ て、 明白 な事 実す ら意 図的 に無視す ると い った誤 り に陥 ら ぬ こ り の意 味 で、 生 き るため に環境世 界 とど のよう に関 わ った かと いう. は澱粉 を含 むイ モ類 から得 ら れ、 脂肪 は ク ルミな ど の堅果 類 から、. は考 えら れ る。 あ と は量 の問題 であ ろう。 恐らく は家族 単 位 でかな. 蛋白質 は豆類 や魚 貝類 やネズ ミな ど の小動物 や幼虫 からえら れ る の で、 狩猟を知 らな い段階 でも 採集 だけ で生存 は可能 だ ったと、 一応. 問題 から考察 を始 め る こと にしよう。 人間 は食糧 がなけ れば生 き て ゆけ な い。 自然環境 の中 で食 べられ るも のがあ れ ば、 そ れが最初 の 用具存在 だと いう 観点 に立 てば、連 関的構 造 の基本 モデ ルはま さ に そ こに現 わ れ てく るはず だから であ る。. 五.
(7) . . 宏. 上 岡. り広 い地域 を移 動 しな け れば、 年間 一ト ンは難 し か った にちが いな. 六. 細 かく 叩く と、 し ま いには指 で押 し ても はがれ るよう な 薄 片 がと れ. を求 め て空間的 に居 住圏を 広げ る ことも 可能 にな る。 そう し た原 人. 出す ことも 可能 にな った のであ る。 可食物 の範 囲 が広 がれ ば、 獲 物. り にな った。 落 し 穴な ど で捕 えた中 型 の獣を解 体 し たり骨 髄を とり. 道 具 であ る。 初 め は大 きな 石と石を ぶ つけ て出 来 た破 片 が 刃物 の代. 石器 の出 現 は、 こう し た生存 シ ステ ムに最 初 の転換 をも たらし た. 二万年前 と いわ れ る ウ ル ム氷 期 の最 寒 冷 期 に は 海 面 が 百 三 十 米 も. で連関 が構造 的 に閉 じ てし まう 生 活 シ ステ ムに達 し て いた。 今 から. のみかテ ント ま で作 り、 脂肪 を 灯 火 に利 用し、 殆 ど マンモ ス象 だけ. に広 がり、 シ ベリ ア で マンモ ス象 を追 った種族 な どは、 毛 皮 で衣 服. 絶大 であ った。 槍 でも斧 でも思 いのま ま であ る。 狩猟 の範 囲 は 一挙. に切れ味 の鋭 い刃物 を 作 り出 し た のであ る。 この技 術 の波 及効果 は. ^ 7}. てゆく。 この仕方 で成 型す る こと によ って、 獣骨 に彫 刻 が出来 る程. たち は何 万年も の間 にわ た って生存 し て いた が、 氷 河期 な ど の気 候. 下 った為、新 人 たち は こ の前 後 にア メリ カ大 陸 や オー スト ラ リア へ. い。. 変 化 で雪線 が下 ったりす ると、 動物相 の変 化 で次第 に狩 が難し くな. も 渡 って行 き、 今 や ホ モ ・サ ピ エンスは地球 上 のど の地 域 にも居 住. ・. ると い った ことも 起 り、 地域 によ って は人種 の消滅 も起 った であ ろ. 人間 の歴 史を考 え る上 で、我 々が直 接視 界 に入れら れ る連関構造. す る存 在 とな った のであ る。. を遂 げ てき た 旧人 の時代 にな ると、 石器製 作も 技 術的 に確 立 され て. は この頃 から であ る。 今 から 一万 二千年 位前 の時 代 にな ると、 フリ. う。 し かし、 さら に何 万年も 経 って、 生 き残 った原 人 から形質変 化 き た。 そ れは予 め 石 の割 れる方向 を知 って いて、角度 を つけ て叩 い. ント や黒 曜 石を矢 尻 に使 った弓矢 も 発 明さ れ、 釣 具 や錆 も出 現す る. ( 6). フリ ント) で 彼 ら が目を つけ た のは 叩く と火花 の出 る火打 ち 石 (. 術を確 立す る。 本格 的 な 石器時 代 はそ こから始ま った のであ った。. て いたらしく、 今 から 三万年 程前 にな ると、す ばら し い石器制 作技. す な わち ホ モ ・サ ピ エンスが登場 し た のであ る。 今 から 五万年 近く 前 、 ウ ルム氷期 の中 頃 であ った。 彼 ら は少しず つ石器 に工夫を 加え. た だろう が、 そ の生 き残 り の中 から、 我 々の直接 の先 祖 であ る新 人. 氷河 期な ど で生態 系 の変化 が起 った為 に先 細 り にな った種族 もあ っ. 死滅 し た とす れば、 そ れ です べてを ま かな って いた種族 は、 そ の間. であ る。 例 え ば マンモ ス象 が気 候変 化 か何 かで先 細 り になり最 後 に. な 可食物 であ る。 あ と は現実 にそ の手 段を持 って いる かどう か だけ. は誰 にでも 捉 えら れ るだろう 。基本 的 なも のはそ の地 域 で入手 可能. さ て、 ここま で辿 ってく れ ば最 も 単純 で分 り 易 い連 関構造 の雛 型. であ り さえす れ ば、 あ と は遊 ん で暮 ら せばよ いわけ であ る。. が少な い。 家族単 位 で年 間 一ト ンと いう 最低 ライ ンが恒常 的 に可能. し て いるから であ る。 特定 の気 候条 件 や特定 の生態 系 を持 つ地域 で は、 そ こに適合す る狩猟採集 生活 は、農 耕 生 活よ り は る か にリ スク. が、 それら に基 く 狩猟採集 生 活 は現代 でも な お世 界各 地 で続 いてお り、 人間世 界 の存 在連 関構 造 とし ては、 いわ ば第 一のパター ンを な. て剥 片を取 り出し、 手 で握 って斧 のよう に使う 道 具 であ った。. 彼 ら はそれ によ って細木 から槍を作 ったり毛皮 を剥 いで衣服 にし たり、 洞穴 で焚 火を し て暖 を と ったり出来 たから、居住 圏も大 き く. あ る。 これ に角度 を つけ て念 入り に小刻 み に叩き つづけ ると、 薄 い. に別 の狩 猟具を発 明し てト ナ カイな どを獲 れ るよう にな って いなけ. 広 がり北緯 五十度 線 以北 ま で、場所 によ っては進出 でき たらし い。. 剥 片 がえ ら れ る。 これを さ ら に棒 切れ のよう な余 り硬 く な いも ので.
(8) . 存在論と歴史の問題. れば、 そ の地域 から去るし かな い。 も し大 河や海 で遮 られ孤立 し て いたら、 絶滅す るであ ろう。 だ が彼 ら が乗 馬や投げ 縄 の技 術を確 立 し て いれば生 き残 る こと が出来 る。 長 い石器時 代 は、 こう し た自然 条 件 の持続 と変化 の中 で、 必要食 糧 を確保 す るシ ステ ムを確 立す る ま で のプ ロセ スであ った。自 然 条 件 の変 動 の振 幅 があ る枠 内 に収 ま って いる間、 人間 たち の作 り上げ た シ ステ ムも それ に対 応 し て完 結 し、いわ ば閉 じ た形 にな る。そ の時 間 は万単 位 の年数 であ る から、 現代 にな っても変 化しな い。 ア マゾ ンや ア フリ カ奥 地 のジ ャ ング ル で生 存す る には、 そ こで作 り上 げ た閉 じ た シ ステ ムが最も 適 し て い る の で あ る。. 人倫 の問 題も、 この雛型 の中 で考 え れば、単 純 明快 であ る。 共 同 体 の族 長 にと って、一族 の存続 は食 糧 の確 保 と分配 にかか って いる。. 方、 ヨー ロッパでは中 石器時 代 と いう 呼名 が用意 され るよう な特 殊 な道 具 が作 ら れ て いた。 海 進 によ る動物 相 の変 化 に伴う も のだ った と いう が、 獲物 に刺 さ ると 刃先 だけ が残 ってヒ モで引き寄 せら れ る. よう な着 脱式 の錆 ま で作 ら れ たらし い。 これも最先 端 であ る。 さ ら に西 ア ジア では、 農耕 と牧畜 の原初 的 形態 が始 ま って いた。 殺 し て. 食 べる代 り に柵 の中 で飼 え ば貯蔵食 糧 となり、 採集 の代 り に栽 培す れ ば歩 きまわ る必要 がな くな る。 ま だ栽 培品種 の選択育 成 ま で千 年. 単位 で数 えら れ る時 間 が必要 だ ったが、これも先 端 的技 術 であ った。 では、 我 々は次 に紀 元前 五 千年 頃 に眼を転 じ てみよう 。相変 らず 世界各地 の殆 ど は、 よ り精 巧 な 石器、 よ り芸術 的 な 土器 と いう 閉 じ た シ ステ ムで の生 活をし て いたが、 メ ソポ タ ミアとナイ ル川流 域 だ. け は変り始 めて いた。 農耕 の定着 であ る。農耕 と いう食糧獲得 技 術 は、 これま で の五十 万年 以上も の間 に人類 が築 き上 げ てきた生存 シ ステ ムに構造的 な変 化 をも たらし た。 いわ ば食 糧以上 のも のをも た. 分配 と貯蔵 の問題 は可食物 の性質 によ るから、例 え ば採集 中心 の生 活圏 で誰 か が捕獲 し た猪な ど は大変 な御馳 走 であ り、全員 で食 べる. らし た のであ る。. 麦類を中 心 とす る農 耕 が何故 この地 域 で始 ま ったか に ついて は、. 同 歴史的世界 の起源の問題. よう 命 じざ るを えな いだろう 。 そう いう ルー ル作 り は形 こそ違 って も ど の共 同体 にも あ ったはず で、 こ の ことと、食糧確保 を 妨げ る天 変地 異を鎮 め る為 の呪術 や禁 忌 と が 一体 とな れ ば、 そ こに特定 の人 倫 の体系 が出来 上 る。 「 金枝篇」に代 表 さ れ る この種 の人類学的 民 俗 学的報告 は枚挙 に いとま のな い程 であ る が、盗 むな、殺す な、 隣 人 の妻 に言 い寄 るな と いった類 の道 徳 命 令 は、 そ の根底 に遍 く存 在 し さ て、 紀 元前 八千年、 つま り今 から 一万年前 の頃 にな ると、 こ の. の食糧 の確保 のため に農 耕 が果し た役割 であ る。 一体 ど の位 の収 量. こで繰返す ま でもな いだろう 。 原 理的 な問題 は、家族 あ たり 一ト ン. 大 河 の氾 濫 によ る土 壌 の好条 件 な どが様 々に語 ら れ て いる ので、 こ. 原初的連関構造は地球上 のどの地域でも大同小異 の形で完結して い. があ った のだろう か。 現代 では小麦も 米も 反 ( 約 十 アー ル)あ たり. て いた に相違 な い。. た。 も ち ろん、 地域毎 の特徴 はあ った。 日本 では土器 が作 られ た。. 四百キ ロ以上 の収 量 があ るが、 江戸期 の日本 では上 田 でも そ の半 分. であ るから、 紀前 五千年 の農 耕 ではさら に少 か ったであ ろう。. 採集 型 のシ ステ ムでは貯蔵 にも煮 炊 にも不 可欠 だ った から であ ろう が、平均的 な各 地 の状態 から いえ ば、世 界 でも最先 端 であ った。 一. 七.
(9) . 宏. 岡. 上. 八. は ゆ か な か っ た で あ ろ う 。 あ る 学 者 は 、 ヘ ロド ト ス が バ ビ ロ ニア で. 百キ ロでも 一町歩 耕 せれ ば 一ト ンにな る。 し かし最 初 はそう 簡単 に. ら れ る。 次 の洪水 期 ま で の 一年 間 に二回耕作 でき たとす れば、 反収. ( 約 一ヘクター ル) 以上 耕 作す る のは農 耕 の常 識 とし ても充 分考 え. でも容易 に耕 しう る土壌 が出 現し たと いう から、 家族 単 位 で 一町歩. ナ イ ルデ ルタや メ ソポ タ ミ ア では河 川 の氾濫 のあ と、 木製 の農 具. 多 分 五十キ ロ前 後 ではな か ったろう か。残 念 な がら、 これ以上追 究. は播 種 量 の百倍 から三 百倍も の収穫 があ ると書 いて いる のを事 実的. 五十キ ロでも 千キ ロに達 す る だろう。 ギ リ シ ャな ど で はと ても そう. アプ リ オリな計 算 でゆけ ば、 収穫 量 は家 族 単位 の労力 によ る可耕. に可能 な 尺度 に解 釈 し 直 し て、 肥 沃 な 土 地 な ら エー カー 当 り 三 十. はゆ かな か った から、半 農 半牧 たら ざ るえな か ったし、 そ の状況 は. でき る史料 が何も な いので、 ここでは敢 え て、 作業 仮 説 の形 で五十. リ ット ルは播 種 でき た ろう し、 それな ら千 リ ット ルは収穫 でき たか ( 9) も知 れな いと述 べて いる。 これ だと反収 で二百キ ロ前 後 にな る計 算. 今 日 でも本 質的 に変 ら な い。 メソポタ ミア の農 民 が蛋 白 源 とし て家. 面積 と単位 あ たり収量 の積 で決 ま る のであ るから、 例 え ば五反 ( 約. だが、 ヘロドト スの時 代 は 四千年も 後世 へ下 る のだから、 あ まり参. 畜飼育 を併 用し果実を 栽 培し たとす れ ば、 五 十キ ロと いう 数 字 でも. キ ロと いう 数値 を使 って みよう 。. 考 にな らな い。 推 理す るとす れ ば、播 種量 と収穫量 の比率 に ついて. 余 剰 が見込 め るわけ で、 反当 り収量 が七十キ ロに増 え たら、 そ の余. 五十 アー ル) 耕 し て、 反収 二百 キ ロな ら 一ト ンにな るし、 逆 に反収. 学者 が計算 に用 いた三十 倍 強 を、 ギ リ シ ャ人 にあ てはめて みる程度. 剰 は たちま ち大 量 のも のにな る だろう 。. 位 が違う ので換算 し直す と、 日本 では 一日五合 の籾 と いう のが計 算. 参考 にな るもう 一つの史料 は中 国 の春秋時 代 のも ので、 一畝 の平 0 ( 1) 均 収量 一石半 で成 人 一ヶ月 の食 糧 に相 当す ると いう 記 述 であ る。 単. 収 で三十 から七十キ ロであ る。. では バビ ロ ニア の三分 の 一から九分 の 一と いう 数値 が出 てく る。 反. だから、この播 種量 と三 十倍強 と いう 比率 から逆算す ると、ギ リ シ ャ. 穫 量 は百倍 から三百倍 に見 え ても 不思議 はな いと考 え てみる のであ る。 や せた土地 や改 良 以前 の品種 では播 種 量を増 やす こと は逆効 果. いし 十 リ ット ルが播種 の標準 だ ったと仮定す れば、 バ ビ ロ ニア の収. い った共産 体制 であ ったろう が、農業 生産 力 が前 述 のよう な レベ ル. らず 、 それ ぞれ は族 長 の所 へ集 められ、代 り に食糧 が配 布 され る と. にち が いな い。 共 同体 の中 のそう し た職能 分化 はま だ独 立段 階 に至. 狩猟 に優 れ た者 は遠 い猟場 に、 と い った分業 的 要素 も 目 立 って来 た. 儀式 を 司り、技 芸 に長 じ た者 は土器作 りや フリ ント 石器 の加 工 に、. 体 が出来 ただろう し、族 長 は豊 穣をも たらす 神 々 への祈願 と感 謝 の. し、豊 かにな った ことは事実 で、各 地域 にかな り の規 模 の村 落 共 同. 分 が 二、 三割 増 え ると いう 形 で相殺 され る だろう から であ る。 た だ. 為 の労力 や種播 き 用 に廻 さ れ る分な どを考 え ると、家 族 単 位 の費 消. 構 造的変 換 には つな がらな い。 人 口の自然増 加 や家畜 飼 料、開 墾 の. し かし な がら、 こう し た余 剰 分 は 一定 の レベ ルに達 しな い限 り、. ( 8). であ ろう。 つま りギ リ シ ャ人 の常 識 では、 例 えば エー カー当 り三な. 基準 であ り、 江戸期 の武士 の三 人扶持 な ども それ で決 ま って いた の ひとつき で、 一月 で 一石半 と いう 数字 は 一斗 五升 に相 当す るだろう 。 一畝 は. にあ る限り、 そ れ以上 の変 化 はな か ったはず であ る。. 農 耕生産 は、 このあ と紀 元前 後ま で の五千年 の間 に、現 在 の農 業. 約 一 ・八 アー ルと いう から、 反収 にす ると籾 でほ ぼ百キ ロであ る。 これら から推 し測 る と、初 期 の定 着 農 耕 はさ ら に低 く、百キ ロ以下、.
(10) . 存在論と歴史の問題. こでは必ず しも こだわ る必 要 はな い。 とりあ えず、 紀前 四千年 頃 の. え方 によ ってはメ ソポ タ ミア だと いう 人も居 る かも し れな いが、 こ. 明 だけ でも 千 年 単 位 で数 え ら れ る程 の時 間 のず れ があ る から であ る。最も早 か った のは恐 らく エジプ ト であ った。遺 跡 や出 土 品 の捉. 果 とし て次 に述 べるよう な構 造変換 が起 った のは、 いわゆ る四大 文. 思 われ る。 何故 な ら、 原 理的 に考 え た時 に、余 剰 がも たらす 波及効. や気 候 の制 限も あ って、 この段階 に留 ま った場 合 が大部分 であ ると. 生産す る地 域 の内 で新 大 陸を除 く殆 どす べて に行き 渡 ったが、農 具. タ では こう し た都市国 家 が三十余 りも出 現し たと いわ れ、 メ ソポ タ ミアでも事情 は大 体 同じ であ った。 食 糧 に余 剰 が出 る限 り、 遠 隔 地. ま では、構造連関 の展 開 が必 然的 に進行 し た であ ろう。 ナイ ルデ ル. の為 に拠出金 が集 められ、 リー ダー が選出 され、 専従者 が置 かれ る. 者 が集 ま って協議 し、 自 治体型 の原初的都市 国 家 が形成 され、 運 営. の強化 と は異質 の問題 が起 ってく る。 従 って、族 長 たち や町 の有 力. 為 の罰則 にせよ、従来 の犯 罪行 為 や外 から の掠奪 に備 え た自 警 組 織. の比価基準 にせよ、 穀類 を 測 る桝 の問題 にせよ、 不 正取 引 や詐 偽行. の町を相手 にす るとな ると、す べてが変 ってく るだろう 。 交換 取 引. から の物 品 の流 入も、都 市 間 の交 易も当然 起 って いたにち が いな い。. ナイ ル下流域 を雛 型 にし て、 そ の構造 変換 を追 究し て みよう。 まず 我 々は、先 述 の作業 仮 説 の収獲 量を 反収 で百キ ロの水準 に上. それ は 一定 のレベ ルに達 し た農業生産力 がも たらす 構造 転換 の、 い. し かしな がら、 ここに意外 な こと が起 ってく る。 神 人型君主 の出. げ てみよう 。す ると家族 当り の生産 力 は同じ条件 でも 二ト ンに達 し、 ンの過剰 にな る。 百 戸 の村 共 同体な ら ば総計 六十ト ンに達 し、 実 に. 現 であ る。 これ は農 耕 起 源 に由来 す る構造 転換 の論 理 では予想 しな. わば論理的 帰結 であ った。. 六十家族分 の供 給量 があ るわけ であ る。 そ れ は、 そ の村 共 同体 に属. 費消分 が増 加 し て いて 一 ・四ト ンに及 んで いたとし ても、 0 ・六ト. さ ぬ非 農耕 民を それ だけ養 う 余 力とな るから、非農耕 民 は農 民 の欲 職 人 が農 耕 民 と は別 に生 活 しう る基 盤 が手 に入 る のであ る。 職 人 が. し がるも のを持 ち込 め ば食 糧 が手 に入 る。 つま り専門的技術を も つ. か った事態な のに、 紀前 三千 五百年 頃 から数 百年 の間 にあ い つ いで 出 現 し、神 殿を造 り、 税を徴集 し、 農 民を威 圧し、 文字 通 り 君臨す る のであ る。これ は、存在論的視点 から考察し よう とす る時 に、我 々 が直面す る歴史 の謎 と い ってもよ い。 も ち ろ ん、 起 ってしま った事. 水準 に近 づく ま で の間 には、 あ らゆ る職 種 の専 門化 が起 ったであ ろ. 牙製品や化粧道旦拠そ であろうが・恐らく村 の余剰生産力が百キ ロ. 救国 の英雄 とな ったと い った ことがあ れ ば、 強権的 な 王 に変 貌 す る. 古 く から の族 長 の家 系 が この時 代 に勢 力 を得 たと か、存 亡 の危 機 に. 態 とし て説 明しよう とす るな ら、 あ る程度 の推 測も でき る だろう 。. 持 ち こむも のは何 かと いえ ば、 エジプ ト で見 る限り、 彩色 土器 や象. う。彼 ら の居 住域 が市 街地 を形成 し た ことも当然 で、大小 の村落 の. 後世 に出現 し た英雄 や偉 人 は、彼 ら が強権 的 な王 や皇帝 を潜 称 し た. こともあ りえな いこと ではな いから であ る。し かし、どう だろう か。. 点在す るデ ルタ地帯 では、交 通 の要 地 に自然 に成 立 ったに・ ち が いな い。 エジプ ト には自然 銅 が産出 し たと いう から、 それを 堀り出 し て. な っただろう か。 古代 人 の無 知蒙 昧 がそ の原 因 だろう か。 そ の いず. 時 、 古代 国家 の頃 のよう な超 人的 な存在 とし て畏怖 と崇敬 の対 象 に. この段階 ま で来 ると、 人倫的 な問題も当 然様 相 が変 ってく る。 村. れ でも な いと、我 々は言う べき であ ろう。 人間 は本 質的 にはそ んな. 叩 いて成 型す る職 人な ど は特 に珍重 さ れた であ ろう。 共同体内 部 な ら ば族 長 の裁決 で済 ん だも のが今 や出目 の異 る職業 人. 九.
(11) . . 宏. 上 岡. は種族 がち がう のだと宣 言す る人や そ の 一族 と、な るほ どそう かも. し ろ我 々は、 自分 は上 天 の神 々の子孫 であり汝 ら下界 の人間 ども と. に変 るも のではな いと考 えなけ れ ば、 考察 は宙 に浮 いてし まう 。 む. あ ろう。第 二は、相 手を自 分 たちよ り上 と見 る動機 を構成す るも の. ち が い、 風儀 のち が い、 そ の他無 数 の要 素 がそ の感 覚 を刺戟 す る で. 色、 容 姿、 にお い、 顔 のち が いの微 妙 な点 ま で及 ぶ異和 感 、 言葉 の. 。 う とす る動機 とな り、少く とも 同列 には置 かな いはず であ る 肌 の. 一O. し れな いと認めざ るを えなく な った民衆 と の間 に、 何 があ った のか. し かし、 これ だけ ではま だ、 我 々は怖 れ と驚 き と異和感 を持 つだ. 、 であ る。強 さ と輝 き と い っても よ い。戦 闘 におけ る比 類 のな い強 さ. 現実世 界 の存 在論 的 探 究 と いう 我 々の目論 見 は、 かく し て早 くも. け であ ろう 。 人類 は か つて の狩 猟 ・採集時 代 に豊 猟 と飢餓 の間を 振. 考 え て みた方 がよ いだろう 。 古 代 の民衆も我 々と同じよう に疑 い深. 最 初 の課 題 に直 面し た。 原 理的 に我 々が用意 し た縦軸 と横 軸 の骨組. どう や って作 る のか見当も つかな い武 器 や道 具、絵 文字 や記 号 の域. の中 には、 この事態 を 予想す る要 素 はな か った のであ り、 そ の限 り. 、 り子 のよう にゆさ ぶ って人間 を支 配 し た自然 に対 し て 怖 れ と驚き 、 を持 ち つづけ た が、 し かし感 謝も し て いた。 そ こから類推す れ ば. く て、 単 な るカリ ス マ性 や 呪術 力 だけ では、 容 易 に相 手を 神的 だと. では、 そ れ は存 在 の歴 史性 そ のも のが我 々に向 け て解 いて みよ と投. 第 三 の条 件 は豊 穣 であ ろう。 つまり彼 ら によ って豊 穣 がも たらさ れ. を 越 え た読 み下 せ る文字 群、 装身 具や武 具 の輝 き。 そ れ らを見 たら. げ かけ て来 た客 体性 のあ かし であ ると いえよう 。 それ故、 ここでは. れ ば、 我 々は彼 ら に対 し て恩 恵 を施す も のとし て、感 謝 の念 を 抱 く. 認 めな いも のだと仮定 し て、 そ れ でも 認 める気 にさ せるも のは何 で. 節 を改 めて、そ の謎解 き に挑戦 す る こと にし た い。連 関構 造 の転換. にち が いな いのであ る。も し、 そ の豊 穣 の原 因 が直 接 には我 々の分. 。 我 々でも まず 畏怖感 を持 ち、他 方 でそ の輝 き に眼を奪 わ れ る だろう. はま だ続 いて いる のだとす れ ば、 それ は農耕 以外 の何 か が加 わ って. あ る か推 理す る必要 があ る のであ る。. いる のを、我 々が見逃 し て いるた めかも しれな いから であ る。. ら ぬ技 術 によ ってだとす れ ば、 畏敬 の念 はさら に深ま る だろう。 で は、 これ で充分 だろう か。 いやま だ足りな いだろう。 今 の我 々に引. き戻 し て みても、 驚 異的 なも のを 見 せら れ、感 謝 の念 に満 ち たとし. と承認 でき た のかと いう のが、 そ の謎 に立向う 為 の推 理 の立脚点 で. 性 と思 考力 を持 って いるとし たら、 何故あ る種 の王族を神 人的 君主. 前 節 で我 々は 一つの謎 に直 面し た。 古代 人 が我 々と同じ よう な感. 物 を与 え ら れて降 ったが、 そ の目的 は汝 ら地 上 の民 に豊 穣 と幸福 を. えば、 上 天 に神 々が存在 し、 そ の子孫 とし て自分 たち は神 々から 文. ら、 態度 のとりよう がな い。 とす れ ば最 後 の条 件 は何 か。 ま さしく 。 そ の考 え方 、 つま り思想 ではな いだろう か。思 想 と教 化 であ る 例. ても、 た だ呆然 とす るば かり で、 そ れを どう考 え てよ いか分 ら ぬな. あ った。 そ の場合、 類推的 仮 説を 以 てす れば、 いく つか の条件 が考. も たらす為 であ ったと いう よう な思 想 教育 を 反復 的 に受け たとす れ ば、 他 に筋 道 の通 った考え方 を知 らなけ れば、 今 の我 々だ って信 じ. 神 々と人間 の問 題. えら れ る だろう。 第 一は異和 感 であ る。 我 々と は人種 が違う と いっ. てしまう かも し れな い。. 側. た感 覚 であ る。 それ は相 手 を自分 たちよ り上 か下 か いず れ か に見 よ.
(12) . 存在論と歴史の問題. も ち ろ ん、 これ は 一つの作 業 仮説 であ る。 し かし農 耕 に起点 を持 つ連関構造 のひろ がり が、自 治体 型都市国 家 の誕生 ま でし か及 ばな いのに、 神 人君主 の出 現 があ る以上 は、そ の事態 を解 明す る論 理構 造 がどう し ても必 要 であ る。 右 の条 件 は、 そ の意 味 では 一種 の函 数 式 のよう なも のであ る。 とす れば、 問題 はそ こに何を代 入す るか で あ る。 いく つか の選択 肢 はす ぐ考 えられ るだろう 。恩恵者 と いう 観 点 に立 っただけ でも、 治水 ・濯 瀦 の技術者 と か新 し い形式 の農 耕 技 術者 と か、医 術薬学 の知識 や文字 の所有 者 と か であ る。 し かし、 こ れ だと第 二 の条 件 がう まく ゆかな い。第 二 の方 はどう し ても金属 技 術を連 想 さ せ るから であ る。 た だし、金 属 はす でに知ら れ て いた。 自然 のま ま露 出す る金 や純 銅 は柔軟 であ り、 固 い石 で叩け ば簡 単 に. そ の技術 は この時 期 に確 立し て いた のであ る。. 金 属 の歴 史 はメ ソポ タ ミアと エジプ ト では大分 異な って いて、前. 者 では紀前 三千年 には青 銅 があ ったら し いが、 エジプ ト では錫 が産 出 しな か った為、 千年 以上 も 遅 れ たと いわれ て いる。 し かし、 銅鉱 石は エジプ ト や シナイ 半島 に豊富 にあ った。従 って、農 民 に は魔 法 にし か思 えな いよう な 仕方 で、 見な れ ぬ鉱 石から光 り輝 く短 剣 や斧 や採 鉱 用 の ツ ル ハシを作 り出す 一群 の人 々は、 ま さ に驚 異的 だ った. にち が いな い。 彼 ら の採鉱 技 術 は治水 ・濯 瀦 と い った土木 工事 にも 存 分 に発揮 され、 加熱 によ って巨大 な岩 石す ら割 ってし まう のを 見 たら、都市国家 の人 々は彼 ら に君臨 さ れる ことを厭 わな か った であ ろう 。 メ ソポ タミア におけ る青 銅 の出 現 はさら に決定 的 であ った。. 銅 の融点 は 一〇〇〇度 C以上 であ り、普 通 の加熱法 では到 底 溶 か せ な い。木 炭 と フイ ゴと ル ツボ が発 明さ れなけ れ ば、 合金 な ど は と て. 成 型 でき るし、純 銅製 品 のも ろさ が出 ても普 通 の加熱 温度 で焼 き な ましを かけ れば かな り の硬度 がえられ た のであ る。 紀前 四千年 以前. も無 理な のであ る。. 策 と土木 工事 の実績 が他 の都 市国家 を統 一す る力 にな った のではな いだろう か。流 血 が始 ま る のは、 エジプ ト では上 ナイ ルと下 ナ イ ル 両方 に出来 た統 一王朝 が覇権 を かけ て戦 った時 であ り、 メソポ タ ミ. の 一つに彼 ら が君主 とし て迎 えられ る段階 があ り、彼 ら の富 国 強 兵. う大神 殿を作 り、他 方 では採 鉱 と冶金 と鋳造 に要 求 され る人材 と食 糧 と財貨 を求 め て、 民衆 に納税 を求 め た であろう。 興味深 いのは、 彼ら が君臨す る初 期段階 には流血 の痕 跡 が余 り見 られな いこと であ る。 恐らく エジプ ト でも メ ソポ タ ミア でも、 都市国家 の最大 のも の. 初 め から提唱し たわけ ではな く、 君主 に推戴 され たあ と で明 ら か に し、 一方 そ の証 明とし て農 民 たち の豊穣 の神 々の為 とは レベ ル の違. 採鉱冶金 術 の持主 だ ったと推 論 し た い。 彼 ら は先 述 の条 件第 四項 を. 我 々は以上 の点 から、神 人 君主 の出 目 は非農 耕 の異 民族 、 そ れも. にそ の ことは知 ら れ て いたと いわれ て いる。 難点 は圧倒 的 に品薄 だ と いう こと だけ であ った。 純 銅 の塊 でさえ たちま ち 払底 し てしま っ たと いう。 金属 は最 高 の貴重 品 だ ったわけ であ る。 こ の点 から考 え ると、 代 入項 はどう やら金属 関係 の中 でも鉱 山採 掘 と冶金技 術 の所有者 が浮 かび上 ってく る だろう。 冶金 術 の発祥地 は カ スピ海南東部、 イ ラ ン東北 部 の高 原地帯 と いわれ、 そ れが小 ア 2) ( 1. ジア つま り今 のト ル コ東 部 を 経 て、 西と南 へ広 がり、 別 方向 でト ル キ スタ ンから中国 西域 へ広 が ったらし いが、 そ の技 術 を受 け継ぐ部 族 が農 耕 民とし て は未 発達 なまま移動を続 け て いたと仮定 す れ ば、 エジプ ト や メソポ タ ミア に入 ってき て 一大市 場 を 見 つけ たと興奮 し た こと は充 分考え られ る。 ま だ銅を溶 かし て青 銅合金 を作 る程 の高 温技 術 は持 って いな か ったとし ても、酸 化銅鉱 から高 純度 の銅を取 り出す 技術 があ れば、 それ だけ で驚異的 だ ったろう。 そし て実際 、. 一一.
(13) . . 宏. 上 岡. ア では エデ ンの園 の祖型 と いわ れる耕地を めぐ ってチグ リ ス川下流 のラガ シ ュとウ ン マと いう 都市 国 家 が戦争 し た時 であ ろう。 我 々は こう し た戦 いにおけ る双方 がす べて出目 は金属 関係 の 一族 だな どと 推 断す る必要 もな いし、そ れは強 弁 であ ろう 。た だ例え ば、シ ュメー. 。 は、 こ こで付け加 え てお いてもよ いだろう. 閏 古代国家の形態 の問題. :一. 現 実 世 界 の連 関 構 造 を 雛 型 を 使 って具 体 的 に解 明 し よう とす る. ルの都市国家 の君主が戦争などの重要な国事 の決定 には長老や市民 の代 表 の会議 に これを 諮 った と い った点 に、 推戴 され た君主 の位 置. 我 々の試 みは、 こ こま で来 てよう やく歴 史時 代 の第 一の祖 型 に到達. いだろう 。 と いう のは、最 初 の君主 が自 分 たち の祖神 とし て祭 った. 統性 を保 証す る役目 をし た点 に、初 期 の君主 の祭 った神 々が今 や南 部 メ ソポ タ ミア全体 の祖神 とな った こと の意 味を 見出 し ておけ ばよ. 結 び つき が濃厚 な 形 で現 わ れ る中国 の段 ・周時 代 に最も よ くあ て は. 遍性 をも った のであ る。前 節 で述 べた作業 仮 説 は、 青 銅 器 と王権 の. す る金属関 連技 術体系 をも つ人 々が君臨 し た。特 に青 銅器文化 が普. 層 とな る のは農耕 社 会 であ る。 そ の上 に、食 糧 を完 全 にそ こに依存. し た。 簡単 に いえば、 そ の構造 は二重 性を持 って いる のであ る。 基. が見 てとれ る のと、 君主 の祭 る ニンギ ル ス神 や そ の主神 エンリ ル神 は、 後 にサ ルゴ ン王 が北 から侵 入し て征 服し た時 に、 そ の支 配 の正. 神 々は、 直接 には彼 の君臨 の正当 性を証 明す るも のだ ったが、 や が. ま るが、 日本 にも多 少そ の要 素 があ る。 古代 王朝 国家 は エジプ ト で. シ ュメー ルよ りも古 く て単 純 な神 人思 想 だけ に却 って無 気 味 な感 じ. ルメ ル王 の事 蹟 を示す 化粧板 は、それらを余 す 所なく 描 いて いる が、. 殺徴す る恐怖 の大 王 でも あ った。 ヒ エラ コンポ リ ス出 土 の有名 な ナ. よ り大 きな豊 穣をも たらす。 ま た異 民族 や反抗者 を大量 に組織的 に. あ りえ た。 君主 はナ イ ル川 の築 堤や濯 概や大 規模 な開拓 を指 揮し、. は鷹 神 ホ ル スの化身 であ り超 人 であ り、時 にライ オ ンでも 猛牛 でも. だそう であ る。 従 って、 我 々とし ては これら の文 明 に我 々の問題 を. 出 土し ており、 ク レタ島 の方 は エジプ ト と のそれを 示し て いる だけ. し い。 た だイ ンダ ス文明 の方 はメ ソポ タ ミアと の交易 の証 拠を多 々. は判定 が つかな いで いると いう のが、 専 門家 の認 め る現 状 であ るら. れ て いるが、都 市国家 だ った のか帝 国 だ った のか出 土 器 や遺 跡 から. と ハラ ッパー の遺 跡 で有名 であ り、 後者 はク ノ ッソ スの宮 殿 で知 ら. 出 され る。 周知 のよう に前 者 はイ ンダ ス河流域 のモ ヘンジ ョ ・ダ ロ. さ て紀 前 二千 五 百 年 前 後 に視 点 を 置 いて世 界 を 見 わ た し て み る と、青 銅器時代 の文 明 はイ ンド 西部 と エー ゲ海 の特 にク レタ島 に見. 君主 の出 現 の伝播 の問題を 辿 って みる こと にしよう。. では肝余曲 折 があ る が、 それを追 究す る前 に、 ここではまず 神 人型. は直線 的 に連 関構 造 の展開 から完 結ま で進 ん でゆき、 メ ソポ タ ミア. てそ の地域 一帯 を 司 る神 々とな った為、 異 民族 の王 でも そ の神 に認 知 されれ ばよし とさ れ た ことを、 そ の事 実 は物 語 って いる から であ る。 「 よし」 とし た のは要す る に民衆な のであ る。 エジプ ト で は 、 こ のプ ロ セ ス は も っと 早 く 、 も っと 単 純 な 図 式 で. であ る。 た だ、 さそ り王 と いう 初代 君主 の農 耕儀礼 を 示す 根 棒 頭 の. 起 った。 紀 前 三千百年頃 には統 一王朝 が出 現 し たから であ る。 君主. 復 原図 に王 が胸 に抱 え て いる鍬 が描かれ て いて、 それ が採鉱 用 の ツ. あ ては める のは控 え た方 が賢 明 であ ろう 。 連関 の論 理的 筋道 から い. 3 ( 1). ル ハシ の形を し て いる こと が、 我 々の想像 を 刺戟す ると いう 点 だけ.
(14) . 存在論と歴史の問題. 貧 窮化 し、 最後 は侵 入者 に虐 殺 され る形 で亡 びたと いう 。 し かし侵. 河 口域 の特 殊 な隆起な ど で洪水 や海水 の逆 流 に度 々襲 わ れ、 次第 に. 国家 は、 紀前 二千四百年 頃 から千七百年 頃ま で続 いた が、 イ ンダ ス. え られる社会 の藍荊±だ った こと にな る。 これらイ ンド の最初 の都市. か ったと考 えれば、 イ ンダ ス文 明 は農耕連 関 の構造的展 開 だけ で捉. 来 な か った のか、来 ても 彼 ら が特 に推 戴 され る程 に は珍 重 さ れ な. 可能 であ る。 そし て ここ へは、 神 人君主 を出 現 させるよう な 一族 は. 流 入人 口を使 って、大浴 場 や下水溝 ま で備 え た のだと考 え る こと ば. 物 が豊富 に到来 し、 自治 体的 な都市 国家 が自 ら の資産 と職 を求 める. の過剰 とも いえる産物 に人 々が群 が ってき て、 シ ュメー ルからも 文. えば、イ ンド の肥沃な大 地 にす ばらし い農業 生産 力 が伴 った時 、 そ. あ る こ と を 誇 った の が こ の 民 族 だ った 。 生 え 抜 き だ と いう の は 、 紀. ク レタ島 も制 圧 し た。プ ラ ト ンの頃 のアテナイ人 がア カイ ア人 と呼 び、 アテナイ 人 だけ は生 え抜 き のギ リ シヤ人 だとし て、 そ の子 孫 で. 百年代 の中 頃 にギリ シ ャ本 土を制 圧 し、 千 三百年代 の い つ頃 か には. も青銅 も自 力 で採掘 冶金 でき る民族 だ った にち が いな い。 紀 前 千 五. され る ミ ケーネ 文明 であ った。 北 から侵 入し て来 た彼 ら こそ、 黄金. ギリ シ ャにおけ る神 人的 君主 の王朝国家 は、 アガ メ ムノ ン王 に象 徴. 代 の最初 期 ま で に何 回も転変 があ った のであ る。本来 的 な意 味 で の. を作 った のは彼 ら であ ろう が、そ のあ とも侵 入民 が来 襲 し、 古 典 古. ら にナイ ルデ ルタ から非 農 耕 民 が金属 器を持 ってや って来 た。 宮 殿. 民 は狩 猟 ・採集 民 だ ったが、新 石器時 代 に農 民 が移 住 し て来 て、 さ. れ自 体 とし て展開 し完結す る暇 がな か ったらし いから であ る。 先 住. ( M). 入者 が伝承 に いう と ころ のアー リア人 だとす ると証拠 は何も な いと. 前 千 百年頃 に南 下し てきたドー リア人 によ って、 アテナ イ以 外 は制 . 考古学者 たち は述 べて いる のであ る。. そ れら は見事 に消 去し て専 ら知識 階級 とし て君臨 し た のであ る。 前. れ だけ の実 力的裏 づけ が武力 や技 術 の面 でもあ ったはず であ るが、. し い。 一種 の形 而上学的 な指導者 だ ったわけ で、推戴 され る にはそ. れぞれ の頂点 に立 っただけ で、 統 一王朝 を作 ろう と はしな か ったら. し ろ この方 に明白 に現わ れ て いるだろう。 ただ彼 ら は都 市国家 のそ. 時 間 の隔 り があ るらし いが、神 人型 の発想 とそ の思 想 の教化 は、 む. ン階級を 頂点 にカー スト制度 を施 いた のは、 右 の都 市国 家 とは大分. て いな い。 中 緯度 地 方 の気 候的制 約を計算 し た先 の作業仮 説 と紹大口. 大き くな か った為 か、都市国 家的市 街地 や自 治体 の形成 ま で は至 っ. もあ ったと いわ れ て いる。 た だし、村 共 同体 の余剰生産力 はそ れ程. 段 王朝 が出 現す る紀前 千五 百年な いし千七百年頃ま でには、 酒造 り. て いたと いう。村 共 同体 も定着 し、かなり大きな村 落も出 来 て いた。. ま っており、 三千年代 には ア ワやキ ビとな らん で水 稲耕作 も 行 わ れ. 的 には っき りし た輪 郭 が見 え る。 農耕 そ のも のは紀前 四千年 頃 に始. では中 国 はどう か。連関 構造 の論 理性 から いう と、 こちら は対 照. 圧 さ れ てしま った から であ る。. 千五百年 頃 のイ ンド では青 銅 器 でも 何 でも揃 っており、 米 の作 付も. し て みると、 収穫 量 は春 秋時 代 の先 述し た レベ ルの六 ・七割 だ った. イ ンド にアーリア人 がイ ラ ン高 原 の方 から移 住 し て来 て、 バラ モ. 始 ま って いた。持 ち こめ るも のは形 而上 学的思 想 だけ だ った のかも. そ こ へ青 銅冶金 術 を持 つ 一族 が出現 した。 ど こから来 た のか分 ら. のではな いかと思 わ れ る。. もう 一つ、 ク レタ島 の文 明 があ るが、 こちら は連 関的 考察 の上 で. な いが、鋳 型を作 る巧 みさ の点 では世界最高 の技術を持 った集 団 で. し れ な い。. 判断 に足 る材 料 は殆 どな い。 移住者 の波 のくり かえし であ って、 そ. 一三.
(15) . . 宏. 上 岡. 民 の生産 力 はま だ低 か ったが、耕 作 物 の幾 分 かを村 々の族長 から徴. であ るはず も なく、 いきな り征服者 とし て君臨 し た のであ ろう。農. あ る。 都市 国家 さえま だな い状態 であ るから、 推戴 され た神 人君主. 開を 一応整 理し ておく こと が ここでは不 可欠 な ので、 最後 にそ れを. 構造 が完結 し たと結 論 し ても よ いだろう 。 ただ、 そ の構造 連関 の展. 伝 でゆけ ば紀前 一千年 頃 には、主要 な先 進 文 明圏 では古代 王朝 型 の. 型連 関構造 は紀前 八千年 頃 には世界中 で完 結 し たと述 べたが、 そ の. シ ャに亡 ぼされ るま で、 二千 五百年も続 く。 我 々は先 に狩猟 ・採集. 一四. 集 し ても、農 民 が餓 死し な い程度 には生産 力 があ った。 微 妙な と こ. 的 連関構造 の完結と終鴛. ま とめ てお かねばな らな い。. ろ であ る。 先 の作 業 仮 説 で代 入す る数 値 を 例 え ば家 族 単 位 で年 間 一 ・ニト ンの生産 力 と仮定 し て みる と、 そ の微妙 さ がよく分 る。 年 貢 一割 とす れ ば、 百 戸 の村 から十 二ト ンの食 糧 が徴 収 でき る。農 民 の方 はギ リギ リし のげ る数値 であ る。 君主 の方 は、 この村 から の分 で十 二家族 の家来 を養 え る。 青 銅 の技 術者 を初 め、 宮 殿 の従者 たち や兵 士 たち、 王朝 に必 要な あ ら ゆ る道 具 の製 作者 たち は、す べて丸. とそれを中 心 に部 下 と従者 と職 人 の住 む町 が出来 る。段 王朝 は、前 金 の六斉L と いう 調合 千百年 頃 に同じ青 銅 文化 だ がさら に優 れ た 「. し て派遣す る。 それ がす べて同じ手 段を と るとす れば、各 地 に王城. の手 段 はな か った であ ろう。 広域統 治 の為 に各 地 に配 下 の者 を王 と. とし て存在す る強制 的 な 収税制度 は、 自治体的原 初国 家 には論 理的. め取 られ る制度 と いう のは、 実 に奇 妙 なも のであ る。 今 日な お厳然. 盤を なす農 民 が疲弊 し崩壊す るま で続 いたと述 べた。 し かし考 え て. 古代 王朝国家 の成 立 によ って完結 し、閉 じ た シ ステ ムとな って、 基. 我 々は前 節 で、農 耕 の定 着 から始 ま った人間 世界 の構造 的 転換 は、. 法を 持 つ周 に亡 ぼ さ れ たも の の、 周 と て農 民収奪 の方 策 は不 可 避. 抱え にし て、 食 糧配 布す ると いう やり方 であ る。 ま たそ れし か統 治. だ ったから、 ギ リギ リ の線 上 に いる農 民 が疲弊 す る に つれ て、 崩壊. に成 り立ちえな い性 質 のも のであり、 これは超 人的 性 格を潜 称す る 君主 の登場 によ って のみ、確 立さ れう るも のであ った。多 分、 最初. がりを辿 って みたが、 は からず も中 国 に つ いて作業 仮説を応 用 し て. さ て、 以上 のよう に、 我 々は青 銅 器 と神 人型統 一王朝 の世 界的 広. 恵者 と いう 側 面、 つま り治水 ・濯綴 工事 と か他 国 や侵 入 民族 から農. 君主 の実行 可能 な収税 方 法 であ ったろう。 だが、 一方 で民衆 への恩. 上 で、神 人君主 が祭 る神 殿 への寄進 を待 つと いう のが、推 戴 され た. みれば、額 に汗 し て稼 いだも のを、稼 いだ人自身 が疲弊 す る程 に掠. す る。 農 民 の生産 力 が回復 し上昇す るま で、 かくし て統 一国 家 は復. は自 治体 におけ る各 自 の負 担 と か拠出 と い った自発 的 な納税 の延長. いる内 に、 農耕 から 王朝国 家 ま で の連関構 造 の展開 と完 結も 描 いて. 民を守 ると いう 側 面を押 し出す に つれ て、他 方 では有 無 を いわ せ ぬ. 6) ( 1. 活 で き な い こ と に な る の で あ る。. しま ったよう であ る。実 際、歴 史 的 世 界 の第 一の連 関構 造 は、段 ・. 王朝 国家 にと って、 そ の歳 入 は莫大 なも のだ った にち が いな い。. 強制 的 収税 が始 ま る。. で群を 抜 いて いるが、 ギ ゼー のピラ ミ ッ エジプ ト はそ の大 規模 な占…. 税 収 の殆 ど は 殻物 であ る か ら、 そ の穀 物 を 必 要 とす る非 農 耕 民 は. 周 のよう な形 で自 己完結 し、シ ステ ムとし て閉 じ てし まう のであ る。 ド が作 ら れ る頃 には完 全 に閉 じ た シ ステ ムにな り、前 五 二五年 ベ ル.
(16) . 存在論と歴史の問題. 兵 士や書 記な ど の応募者 が殺到 し てく る。 し かも、税 を取 られ た分 だけ余 剰 分 の流出 が減 った町 の方 では、非農耕 民 であ る職 人層 が減. 術者や警護兵や占星術師や記録官や学者とか侍医とか侍従 の他 に、. 史 が進歩 発展す るよう に見え る のは、農 耕 がそう だ ったよう に、意. 済策 を講じ る限り、永続 可能 な閉 じ た連関構造 だ った のであ る。 歴. 制 圧 し た何代 目 か の神権 的 王朝 であ った。 い いかえ れば、古代 王朝. 変 化 しな か ったわけ であ る。 尤も、 そ のペ ルシ ャも メ ソポ タ ミアを. 少 せざ るを えな いから、 それ だけ 職種も 少な くな る。 宮 廷 は、結 果. 外 な と ころ から意外 な連 関構 造 の形成 が始 まり、 それ が旧来 のも の. 続 々と宮 殿 に集 ま ってく る。 宮廷 に初 め から帰属 し て いる神官 や技. 的 には彼 らを も吸 収 せざるを えな いわけ で、農 民 でも なけ れば王朝. に取 って代 る から であ ろう。. 事 を作 って与 え る のが 一番 よ い。 そ の報酬分 の穀 類 が税 収 とし て充. ろう。 彼 らを野放 し にす る こと は治安 の面 でも 問題 だとす れば、 仕. 耕 専 門も しく は半農半 牧 の定着 生活 を基 盤 とし て いる のは、 地 中 海. 五 百年代 にそ の焦点を絞 る段階 に来 た。 世界を 見渡し て みる と、農. かく て、 雛 型を使 って の我 々の考察 は、今 エジプ ト が亡 びた紀前. の徴 税 と投資 又は浪費 によ って国 民を食 わ せ る シ ステ ムは、 農 民救. にも 採 用 さ れな い人間 は浮 浪者 か盗 賊 にでも な るし かな か ったであ. 分 にあ れば、 増大す る人 口に失業 対策事業 に近 い仕事 を与 え る のが. 度 であ る。 ただ、 この時 期 にな ると、 いわゆ る先 進 文化圏 の内 で閉. 周 辺 と 西 ア ジ ア 、 イ ンド と 中 国 、 ヨー ロ ッ パ の 一部 、 東 南 ア ジ ア 程. エジプ ト のピラ ミ ッド 工事 は、 そ の意 味 では最良 の政策 だ った か. じ た シ ステ ムと し て神 権 型 君主 が統 治 す る王 朝 は、 ペ ル シ ャし か. 最良 の策 な のであ る。 も し れな い。 宗教 的動機 は どう であ れ、 王 の治世 の期間中 工事 は続. 残 って いな い。中国 は春 秋 ・戦国 期 にあ り、 イ ンド は少国 分 立 状態. とす れば、 大 土木 工事 の永続 性 が最 も 理 にかな って いる のであ る。. と 日本 はま だ狩 猟 ・採集 シ ステ ムから脱し 切 って いな い。 た だ明ら. に あ り 、 ギ リ シ ア は ポ リ ス の成 長 期 に あ った 。 ヨー ロ ッ パ の 大 部 分. 投 資 可能 な対象 に限り があ っ 行 され る。全 く の浪費 だ ったとし ても、 て、 治水 ・濯概 ・開墾 工事 や軍事 的遠 征程度 では大 人 口を養 えな い ギ ゼー のピラ ミ ッド は、 エジプ ト の生産 力 の総和 であ った。 農 民 の. か に、 この頃 の中国 やイ ンド やギ リ シア では新 し い要素 が胎動 し て いた。 そ れ は次第 に大 きなう ねり とな って、 二百年 もしな い内 に ペ. 孫 だと唱し て民衆を納得 せし める君主 は存 在 しなく な る。 徴 税 制度. 生産 力 と王朝 の浪費 によ る非 農耕 民吸 収 が つり合 って いる限り、 そ し かし、 さす が に限界 が来 た。 王朝 の財産 は耐えられなく な り、. は残 ったし、農 民 の苦 労も、覇 王 の巨大 な墳墓も、神 殿も相 変 らず. ルシ ャの滅 亡 へつな がり、 以後 この地域 では神 々と同類も しく は子. 各 州 の知事 や収税 史も農 民 の崩 壊直前 の姿 に面し て税 率 を これ以 上. だ った にも かかわらず、 何 かしら 旧来 とは別種 の要素 が出 て来 た の. れ は永 久 に続 け ら れ る性質 のも のだ ったろう。. あ げ る ことは でき なくな った。 このま まな らば王朝も崩 壊す ると こ. し かし、 それ が何 であ ったかは簡単 に決 めら れな い。考 え ら れ る. であ る。. 隔 絶す る度 合 が大 であ り、 強大 な異 民族 も 近 く に居 な か った こと が. ろで あ る。 し かし、 ナイ ル狭 谷地帯 は メ ソポ タ ミアと違 って周 辺 と 幸 し て、第 十 二王朝 の頃 の投資 事業 によ って再 び生 き かえ った。 ペ. 要因 とそ の連 鎖性を 検討 し て みなけ れば、新 し い連関構造 が現 代 ま で及 んで いる のかどう かも分らな いのであ る。 従 って次回は、 そ の ルシ ャに最 終的 に亡 ぼされ るま で、 エジプ ト の本質的 なも のは殆 ど. 一五.
(17) . 宏. 岡 上. 追究 に ついやされ る であ ろう。. 注 存在論 の方法」北樹出版 ( 1) 拙著 「 一九八四刊. Q「 雷 鳥 「℃ゴー 58号 お-閃ロ ロー0①のnゴドヨ の, (2) く凪・〉- モヨ ロおョの「-の三口 6き けゴおーの.一謎 ー>口8 コ 出mヨー一家 N リコー. 、 ろ 。 で あ う. のq N ( 3) gmコヨ 出の氏の 擬 聖 明のヨ ロコQNの罫 の.龍ヰ‘8m×Zおヨ雪 雲 一 ( 大国 の興亡」 ( 鈴木主税訳 草 4) 最近話題 にな ったポー ル・ケネディの 「 思社 一九八九)は、軍事 と経済を中心 に十六世紀 スペイ ンから現代 のア メリカや日本ま で分析したタイ ムリーな企 ての 一例 であるが、予測も含め た展望 の説得力 は、東欧民主化 の ニュー スや ベルリ ンの壁 のシ ョックで少 し色あ せた感 がある。部分的な解明には常 にこうした難点が つきまとう の ( 5) 拙稿 「私存在と実存 の間 で」 北海道教育大学紀要三十八巻 二号 昭和 六十三年 ( 6) 石器 の作り方や可食物などに ついてはあらゆる文献 があり、新刊書 ほど 情報 が豊富 だと いう のが考古学 では普通 であるが、 ここでは体系的と いう 技術 の歴史」 第 一巻 筑摩書房 昭和三十七年刊を挙げ ておく。 点 で、「 技術 の歴史 第 一巻六章参照 ( 7) 「 」 松平千秋訳 岩波文庫 中 ( ( 歴史」 巻四 一九八節 8) ヘロドト ス 「 巻)参照 技術 の歴史」 第 二巻 四五五頁 ( 9) 「 0 講談 ( 中国社会 の成立」 -五四頁 講談社 一九七七年 ( 1) 伊藤道治 「 社現代新書)参照 ( n) 緑色 の孔雀石から作 ったアイ シャドウがよく使われ、 それをすり つぶす 為 のパレットが代表的な化粧道具だ った。 ア ルド レッド「エジプ ト古王国」 ( 屋形禎亮訳 創元社 世界古代史双書)参照 2 技術 の歴史」 第 二巻 四七二頁参照 ( 1)「 3 「 プ ジ ト 古 国」 ( 前掲 四四〜四七頁参照 ( 王 ) エ 1 ( 小谷伸男訳 ・創元社 ・世界古代 ( M) ウイ ーラー 「 イ ンダ ス文明 の流れ」 史双書) 七七頁参 照 5 条. スパルタなどを制圧したドーリア人を、 ア ( 1) n-.ャ冨8 ゴーZoョor鴇N. . テナイ人はト ロイ攻略 に加わ ったアカイア人 の帰還兵として、同胞 と見 て いたことが、 この記述からう かがえるだろう。 6 ( 1) 銅と錫 の比率を変える ことで用途別 に合金を作 る調合法 ・笛木和雄他編 4)参照 「 資源 ・エネ ルギー の化学 ‐上L 岩波書店 ・講座現代化学2 (. 本学教授 ・旭川分校) (.
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