九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
ハイデガーの存在の思索における共同存在の問題
廣田, 智子
http://hdl.handle.net/2324/2236328
出版情報:Kyushu University, 2018, 博士(文学), 論文博士 バージョン:
権利関係:Public access to the fulltext file is restricted for unavoidable reason (3)
(様式3)
氏 名 :廣田 智子
論 文 名 :ハイデガーの存在の思索における共同存在の問題 区 分 :論文博士(乙)
論 文 内 容 の 要 旨
本論文の目的は、ハイデガーの存在の思索における共同存在の問題を検討し、存在をめぐる 共同存在の経験の構造を解明することである。ハイデガーの思索は、主著『存在と時間』(1927 年)から1950年代に至るまで、存在を主題とする点では一貫している。ただし、『存在と時間』
では「すでに人間が存在を了解している」事態が静態的に分析されているのに対して、1930年 代を中心とするヘルダーリン論では「空け開け(Lichtung)」と「覆蔵(Verbergung)」の二重 性における存在経験の構造がその動性において剔出され、やがて言語論に結実していく。ハイ デガーの思索において「存在」が静態的分析から動的な分析に深化するのに伴って、存在をめ ぐる共同存在の構造がどのように変化しているのかを明らかにする。
第一章では、『存在と時間』を研究対象として、現存在と術語づけられるわれわれ人間の存在 了解の構造において、現存在の個別性と共同性とがどのような関係にあるかを考察する。従来、
『存在と時間』においては他者との関わりが看過されているという批判や解釈がなされている。
だが、現存在の「存在体制」と「存在様態」という区別に注目して現存在分析の構造の全体を 精確に考察すると、従来の批判は必ずしも妥当しないことが明らかになる。あらゆる様態を貫 く「体制」において現存在は共同存在によって規定されていること、「様態」において顕著にな る現存在の個別性は歴史的に受け継がれている共同存在の可能性を自己の選択にもとづいて捉 え直すところに生じることを明らかにした上で、「本来的」様態において特に重視される現存在 の個別性の構造を共同存在との関連において明らかにしている。
第二章では、同じく『存在と時間』を研究対象として、現存在が「本来的」に実存すること を、通常の意味での「道徳」や「倫理」が成り立つ前提として明らかにする。これは、『存在と 時間』においては他者が看過されているとする従来の解釈に対して、本来性における「良心の 呼び声」と「責めある存在」という概念に着目して、これらの概念がもつ倫理学的な意義を新 たに提示することになる。
第三章では、『存在と時間』刊行後から1930年代半ばにかけてのテクストを対象とする。こ の時期のテクストでは、存在をめぐる人間の経験において、人間の意のままにならず人間を襲 う存在の動的な側面が重点的に分析されている。これに対応して、後期に「四方域(Geviert)」
と定式化される「世界」概念の基本的な要素が捉えられている。そこで、人間も含めた「全体 における存在者」が性起するダイナミズムにおいて、存在をその動的な側面において人間が経 験する構造を明らかにする。第三章では『存在と時間』における哲学的な術語と関連づけて1930 年代以降のハイデガーの思索の展開を跡づけるが、この作業は、「ペダンティック」とも非難さ れる1930年代以降のハイデガーの思索を明快に解釈するための基礎的な作業となる。
第四章では、ヘルダーリンの詩作の解明というかたちをとる 1930 年代半ば以降のテクスト を研究対象とする。まず、存在が「空け開け」と「覆蔵」の二重性において、「詩人」に経験さ れる動的構造を論じる。「詩人」は、存在の経験を詩の言語に結実させることでそれを他者に伝 達することを可能にする点で、詩人と言語を同じくする「他の人たち」に対して指導的な地位 に置かれる。次に、「詩人」と言語を同じくする「他の人たち」との関係、及び「詩人」と言語 を異にする異質な者たちとの関係から、言語を同じくする者たち及び言語を異にする者たちに おける共同存在のあり方を明らかにする。そして、自らの言語的経験における「固有性」を追 求することは、言語を異にする異質な者たちの在り方を劣位のものとして排除することとは別 の可能性を持つことを示す。
第五章では、1950年代以降の言語を主題とするテクストを研究対象とする。そこでは、詩人 が物を名指すことにおいて、「四方域(Geviert)」である「世界」が性起するとされる。共同存 在が言語を紐帯としてどのように性起するかを明らかにすることで、ハイデガーの存在の思惟 における共同存在論の意義を解明する。
以上のように、本論文では、主著『存在と時間』及び 1930 年代を中心とするヘルダーリン 論、1950年代以降の言語論という、幅広い年代のテクストを扱いつつ、ハイデガーの存在の思 索における共同存在の問題を検討し、存在をめぐるわれわれ共同存在の経験の構造を解明して いる。本論文では、後期のハイデガーの「ペダンティック」とも捉えられるヘルダーリン論や 言語論を、体系的な著作である『存在と時間』との関連で解明することで、後期の「世界」概 念や言語論を人間の経験の足場に即して明らかにし、ハイデガーの存在の思索における共同存 在論の意義を示している。