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苦役考-香川大学学術情報リポジトリ

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Academic year: 2021

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苦 役 考 高 橋 正 俊 学生がやって来て,通説が憲法18条後段の「意に反する苦役」を「強制労役」 と解する理由を尋ねた。教師の務として,通説の論拠の概略を述べ,蛇足とし て筆者の意見も伝えた。学生の方ほ一応納得した様であったが,筆者の方が逆 紅気になり,ここに一・又を綴って,筆者の理解に対する識者の叱正を待つとと にした次第。 Ⅰ 日本国憲法18条は,その後段で「苦役」を禁止して,「犯罪に周る処罰の場合 を除いてほ,その意に反する苦役に服させられない一」と規定する。条文の文理 としては.,一・鬼何の疑問もない如くであるが,例に依って解釈上の対立がある。 その一・つがH「苦役」を強制労役と解すべきか否かという本稿で扱う問題であ るが,その他に.もじけ苦役」が単に労役に止まらず,隷属状態をも含むのでは ないかという問題や,臼「犯罪に因る処罰」という明文上の例外の外に,公共の 福祉(13条)に基づいて例外が認めうるのでほないか,といった諸点が剋上紅の ばせられる。本項は前述した事情に.依り,Hに.問題を限定することにしたい。 「r意に反する苦役」の意味について1・−・説は素直に苦の意味を含めて解釈す る鋭であり,他の説は何らかの根拠を提示して苦を消去し,その意味を「強制 労役」と解するものである。現在後説が,その理由は区々であるにかかわらず, 通説である。 代表的な二つの憲法註釈吾が,この相対立する立場を採っているのは興味深 い。 「苦役という以上は,通常人が多少とも苦痛を感ずる程度の労役を意味する であろう。。・・ 『苦役』の文理的意味を簡単に否定することほ.できないと思

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高 橋 正 俊 う。」(法学協会編「註鰍]本国憲法(上巻).」昭和40,394−5貫) 「『その意に反する苦役』とほ,本人の意に反して強制される労役(肉体的労 役)を意味する。・・・『苦役』は,単なる労役でほなく,通常の労役よりは やや背痛の程度の高いものをいうとする説もあるが,特にそう解すべき理由は 見出されな1ィ、とおもう。」(宮沢俊義著,声部信書補訂「全訂日本国憲法」昭和 55,233−4員) ここで,後説が,「苦」の意味を無視するに当り,「将にそう解すべき理由は 見出されない」と言っているのは注目される。これは,前説と同等の立場で, 「苦」の語を消去しうると主張しているように思われるからである。しかし, 法文解釈にあってほ,語の−・般的用法に.従うのを原則とすべきであろう1)。後 説は,−・般的な語法に従う前説常修正.を加えるものであるから,「特に・そう解す べき理由」を提示しなければならないであろう。 理由として挙げられるのは,論者により速いがある。そ・の主要な論拠につい て検討することとしたい。 第一一・に,立法技術の不適切さを指摘するものがある。「『苦役』の『苦』の字 にかかずらうのは,正当でない。草案審議当時の貴族院で,ある議員は,その 教育刑論の見地から,本条の字句は,刑罰ほ.『苦役』であるような印象を与え るので不当だと非難したが,これも『苦』の字に少しかかずらいすぎたようで ある。ただ,そういう議論が出ることは,『苦役』という文字が,立法技術的に 見て,適切でなかったこと.を示すとほ言えよう2)。」 本説の言う所は必ずしも明らかでないが,立法者の意思を法文上具体化=制 定するに際して」 ̄苦」役という文字を使うぺきではなかったということであろ う。では,立法者の意思とは何を指すか。まず第一・に・,憲法制定会議の記録の中 に読み収ることができるか。‖」法大l圭はこの点について,理由を示すことなく, 苦役を「意思に反して労役を科さない」ことであると述べていることが注目さ れる3)。また,実際の草案であったマッか−サ一一草案17条の該当文句がinvol− untaryservitudeであることも見逃せないであろう■l)。しかし,これらを受け 入れることは困難である。日本国憲法として日本国憲法制定議会紅よケて僻威 づけられたのほ,あくまで日本語」上‖文たるl ̄苦役」だからである。解釈上の原

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苦 役 考 則からして:も,苦役という言葉ほ明確で合理的意味を持ちうると考えられるの で,かかる意味での立法意思を参酌せねばならぬとは認められない。第三に・, 解釈に.おける立法者の意思に.関する本説諭老(宮沢教授)の主張に注目しなけれ はならない。それに依れは,怯の解釈とは「『立法者が考うべかりし』こと・を確 定することであり,『考えられたことを終局まで考えること』(Zuendedenken eines Gedachten)である。それは『矛盾を超越し,十全な本質を具有する』立 法者の意思を探及すること,すなわち,『立法者の合理的意恩』を探求すること である。叫そう端的にいえば,それは具体的な場合紅おける『立法』の探及で ある8)。」ここでの解釈者は,いわば実定法を越えるものとなり,立法者意思と 解釈者の願望を区別する契機ほ失なわれるであろう。筆者にとって−解釈ほ.,全 く私的なものであり,説得的でありうると考えられる理解の表明にすぎない。 従ってそれは,公権的解釈権者に影響度与えて始めて,公的性格を帯びるにす ぎず,正藩の観念もそこで始めて生起することになろう。 第二紅,苦役禁止の趣旨・目的から「苦_jの意味を否定する見解がある。し かし,趣旨・目的が条文上紅明示されていない場合には,それは論者の慈恵的 な構成物となり易い。また,論理としても循環論法になり易い$)のであって., 例えば次の様に述べられる。 「『奴隷的拘束』とは,自由な人格者であることと両立しない程度に,身体の 自由が拘束されている状態をいい,『その意に反する苦役』とは,本人の意に反 して強制される肉体的労働をいうが,両者とも身体的自由の拘束という意味で 同じである。それを排除しようというのが本条の目的であるから,苦役という 言葉を,とくに心身の苦痛を伴う労役と解する必要はなく,広く強制的な労役 と解すべきであるL7)。」 ここでほ,まず奴隷的拘束と苦役の禁止が「身体的自由の拘束という意味で 同じである」とされるが,その前提として苦役を既に「本人の意に反して強制 される肉体的労働」としている。この前提は論者の主観的構成物と言わねばな らぬれ 吏紅そこから導かれた本条の目的から「とくに心身の苦痛を伴う労役 と解する必要ほ.ない_iとするのほ,循環論法以外のものでないことほ明らかで あろう。

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高 橋 正 俊 第三ほ,「背」の文字は法的観点から無意味なものと見なければならないとす る観である。 「苦役という文言は,心身の苦痛を伴う労役ということを意味するものであ るが,意法18条は,苦痛を伴うものでなければ,その意に反して労役を課して も,さしつかえ.ないという意味のものとほ考えられない。また刑罰としてなら ば,苦役が是認されるというのでは,あたかも刑罰ほ,当然に制裁として,労 役や拘束による苦痛を与えることを目的とするものであると解釈されることに もなって,現代的な刑罰制度の意義にも適合しない。だから,労役に伴う心身 の苦痛の有麺や程度に.よって,苦役いかんを判別しようとすることほ,法的に 無意味なことである8)。」 「苦」が法文として無意味とする理由の−・は,本条の反対解釈w苦痛を伴 うものでなければ,意に.反する労役を課してさしつかえ.ない−が,「考えられ ない_!ことにあるとされる。しかし,どの点が考えられないのだろうか。確か に,苦痛を伴うものでなければ,意に反する労役を課さねばならない,という のなら考えられないと言いうることであろう。ここでは,「さしつかえない.」こ とであるにすぎない。本条制定軋際して,公的必要から,一定の場合紅は意に. 反する労役を国民に義務として課す様な事態を予想し,対応しようとしたと考 えることは決して荒唐無椅なことではない。災害防止の為の労役義務(消防法 29条,水防法17条等)の必要を予想しないような立法者を,(合理的に)考えう るのだろうか。この様な例を想起するだけで,本条法文中に,意に反する労役 をも課す場合もありうるとする反対解釈は,当然のこととしか考えられない。 −・体,憲法が(本税の論者のいうl ̄さしつかえない」と等しいと思われる)「で きる」と言うものを,立法部或いほ行政部は.「しなければならない−1ものでほ ない。また,現実にいつでもできるものでもない。かかる国民への労役の義務 付け曙,意法周一・条により法律紅依らねばならぬが,それは周知の如く議会制 民主主義上の保護下紅ある。従って,日本の議会制民主主義の法制度下に.あっ て,労役義務を課し「うる」という憲法上の規定が,ト)労役義務を課さねばな らないという立法灘への義務に.転化しているとか,出その政治上の保護の不十 分性(例えば賓縮効果といった)故に憲法上の保護が与えられねばならぬとい

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苦 役 考 う証明をなさねばならぬであろう。 理由のこは,「刑罰としてならば,苦役が是認されるというのでは.,あたかも 刑罰ほ,当然に制裁として,労役や拘束による苦痛を与えることを目的とする ものであると解釈されることに.もな」る,と言うにある。しかし,論者も認めて いるように,当然に.上のように解釈されるものでほない。そう「解釈されるこ と紅もな」るにすぎない。本条の欠陥は,(もしあるとすれば)誤解され易い文 章であるという点にあるのであって,「苦」の文字が存在することにあるのでは ない。かかる議論ほ.,立法時にほふさわしいとしても,解釈として当を得たも のとほ.思われない。更に,(刑罰の本質如何は別として)かかる反対解釈の是非 も問題となりうる9)。 第四は,「苦」という語の主観性を根拠とする説である。理由づけの中の多数 説といえよう。例えば,「『苦役.』ほ通常の労役よりも苦痛の程度の高いものと する説もあるが,苦痛は個人個人によって異なるものであるから,『苦』の字句 にとらわれすぎるのは疑問であろう10)」とする。 確かに,「苦」役か否かが,当該人の主観的認定で定まるものであるとする時 にほ,本説は極めて有力な見解と言わざるを得ない。このような場合には,そ もそも裁判規範としての性格が失なわれ,裁判規範レヴェルの解釈としては, 「苦」の意味を無視できることになるからである。かくして禁じられるのほ「意 に反する労役」となる。この解釈は如何なる論理的帰結を導くであろうか。 通説によれぼ,「意に反する労役」とは,「自由意思によらない労役つまり強 制労役を意味する11)」とし,特に肉体的強制労働を意味するとする。しかしこ こで「意に反する労役」を「強制労役_lと同一・観念であるとするには注釈がい るであろう。即ち,心理的・肉体的強制による労役であっても,当該人の意に 反しないならば,「意に反する労役」とほ言えないから,ここでの強制とほ心理 的或いほ肉体的なものとは考えられない。(「意に反しない心理的強制に・よる労 役」の観念が矛盾であるとして除き,肉体的強制労働であるとする説12)には, 一・層明らかにこの事が言えるであろう。)もし,例外規定たる「犯罪紅因る処 罪」の肉体的・物理的強制的側面に・引かれて,「強制」の意味を肉体的強制と解 したとすれば12),それは軽率な結論ではなかろうか。

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高 橋 正 俊 では,患法に.依るl ̄意に.反する労役−1の禁止とはいかなる意味を持つであろ うか。それは,法律紅依る労役義務の履行についてほ,義務者の意思に依存さ せねぼならぬことと考えられる。即ち,労役義務は,義務者に.対して強制力を 持たず,義務違反に対して法的制裁を加えること隠憲法違反紅なるということ である。このような義務ほ,法的義務と言う意味がなく,労役義務は存在しな いというのが法的にほふさわしいであろう。以_上の様な,労役義務−■般の不存 在の要請を導くような解釈13)ほ,奴隷的拘束の禁_【i二と共に−・条をなして.いると いう事情を考え合わせる一晩 余りにも不自然な解釈結果と言えないだろうか。 他の解釈が可能であれば,避けるべき解釈と言わねほなるまい。これに対して, アメリカの判例がinvoluntary servitude の解釈に際して,「(本修正条項の) 目的ほ,効果的な政府下における自由の保護に存するのであって,効果的な政 府から,そ・の本質上必要とする権力を奪い耽り,その破滅を招来せんとするも のでほ.ない14).Jことを注意しているのほ,健全な態度と言える。労役義務賦課 能力は,政府の本性_上必要な権力であろう。 また,労役義務が原則的に存在し得ないとする時には,公的負担としての 「■夫役_lや緊急時における労役義務に.ついても強制力が認められぬことになろ う13)。しかし,実際にはこれらの義務強制を(特に後者につき)認めるのが普 通であり,それらを公共の福祉に基づく,或いは非常事態時匿おける例外とし て.説明するのほ,その不自然さを免れない15)であろう。 ∬ 次に考えるべきことは従って,「苦」役が規範性を維持し得るだけの客観性を はんとうに含み得ぬものかどうかということである。苦役の一一・般的意味であ る,背痛を伴う労役という元来主観的判断基準を伴う語が憲法中紅も存在す る。例えば,27条3項における児竜の「酷」使の禁Ll二や,36条における「残虐」 刑の禁止が挙げられよう。確かにこれらの語句ほ,「苦役」と比して成熟した一・ 定の客観的意義を承認し易いということは言えるかも知れない。しかし,いず れも主観的基準という評価がなし得る点では同じであろう。それらと同じ扱い をl ̄讃_】役についてもなし得ぬものか,なし絹るとして何らかの不都合が生ず

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苦 役 考 るであろうか。「残虐」刑の例についで比較して見よう。 残虐刑の意味について,判例・通説はイ不必要な精神的・肉体的苦痛を内容 とする人道ヒ残断とみとめられる刑罰」(最判(大)昭23・6・30刑集2・7・ 777)とする。ここでほ,「人道上.残酷とみとめられる」ことが基準とされる。 即ち,歴史的・文化的・社会的或いほ個人意識からして相当の変動が予想さる べき基準であっても,主観性の故にその意味を失わせられていないことが注意 されねばならない。そうであれは,「苦役」についても通常の労役の持つ苦痛を 超えるような労役という意味を雪二えることも可能と言えるであろう。その基準 としての抽象度において,それ程の追いがあるとほ思われないからである。礫 が残虐刑の例な・ら,佐波の水故人足の労役ほ苦役である。その限界ほ必ずしも 一儀的に明確でほないが,明らかに残虐刑・苦役たるものとそうでないものを 挙げることができる。−り体限界が明らかでない場合には,その区別をなしてほ・ ならぬとほ言えないであろう。 この基準によって苦役に該当するとされる労役ほ,例え法律によって義務づ けられるとしても,その違反に対する制裁を課し得ないことに・なる。当該人に 対する倫理的要請に.しl一まることになるわけである。更に「犯罪に因る処罰の場 合」を例外とするのも,勿論犯罪の処罰が苦役であることを前出しているわけ ではない。苦役であることもあり得ることを注意しているにすぎない。また, 苦役の基準に関する考え方が変化した結果,例えば懲役刑における労役が苦役 とされる時代となっても,懲役刑自体が本条に・違反するわけでほないらとにな るわけである。こう解しても法乱.Ⅰ、‥の困難が生ずるとほ考えられない。 Ⅲ 判例は,所得税源泉徴収義務に伴う負担が苦役ではないとするに当って,「源 泉徴収義務に伴う負担をもって,所論のように,苦役であり奴隷的約束である と主張するのは明らかに誇張であって,あたらないこと論をまたない」(最判 (人)昭37・2・28刑集16・2・212)としている。ここで「明らかに誇張」と断 じているのは,「苦役」を客観的側面から取り扱っているものというべきであっ て,壬腰的場合であるなら当人にとっても誇張の理由がふされねばならぬこと

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高 橋 正 俊 紅なろう。判例の態度は客観説的に.考えていることを推測させる契機を含んで いることになる。以上,「苦.」役は客観的にも相当程度考えうる観念であり, 「督」を単独に取り出して法的意味なしとするのほ早計なのでほなかろうか。 <註> 1)小嶋和司「憲法学の課題と方法」(鈴木安蔵他著「憲法学の課題」昭29所収)22頁参 照。 2)宮沢,前掲,234頁。 3)清水 伸「逐条日本国忍法審議録(増訂判)第二巻」昭51,400貫参照。 4)憲法英訳文中のinvoluntaryservitudeを根拠とするのは,言うまでもなく,本来 転倒である。また,比較法的検討(特に,本条の母法とされるアメリカ合衆国窓法修正 13条1節)から導く説もありそうだが,実感にほ,主張されない。そ・の理由として は,HinvoluntaIy SerVitudeは.「意に.反する強制労役」或いほ「意K.反する隷属状 態」と訳すのであろうが,これほアメリカでは負債奴隷の流れを汲む債務支払のため の強制労役の禁止を狙ったもの(PeonageCases,123Fedい671(1903))であって, 奴隷制度の存在しなかった日本で直接主張できないこと。また,目アメリカでほ.,日 本で強制労役説主張の実践的理由の一つとも推測される徴兵制度の否認を,involun−

tary servit11deの禁止から導くことほできないとしている(Butler v.Perry1240

U.S.328(1916)こと等から,ニアメリカ流の解釈を正面から認めたがらないのであ ろう。 5)宮沢俊義「法律学に.おける『学説』」昭43,ア0貴。又45貴も参月鮎 6)趣旨・目的とは,(明文上明らかでない場合に.は)条文の解釈が明らかとなって始め て確定されるものであろう。解釈上働きうる場合として,H明らかとなった趣旨・目 的に依って条文の細部を一層明らか紅する,日条文が矛盾したり,解釈結果が(その 実効性を損なう程紅)社会的実体と不離するような時に,仮説的紅導入する,といった ことが考えられる。但,0の場合には,それが仮説であることが明示されておらねは ならず,解釈上の欠陥を補い,解釈の結果を合理的に保つ最小限のものでなければな るまい。 7)池田政茸,有倉避雷編「基本法コンメソタ・−ル,新版憲法」昭52,87貢。 8)田口楷一・,田上腰治編「体系意法事典」昭49,310貢。 9)汀犯罪に因る処罰の場合を除いてほ』とある反面よりして,刑罰は苦役であるとの 解釈な生じ,いわゆる改善刑,教育刑の本旨に反するものとの論議が貴族院で起った が,かかる反面解釈は,本条の主眼とするところではなく,むしろその予想しなかっ たところであると調い得るであろう。」浅井清「日本国憲法詩語」昭24,106貫。 なお,主張者側の意見として,牧野英一イ新憲法と法律の社会化」昭2も113−4貴 参照。

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苦 役 考 10)佐藤幸治「恵法」昭56,397頁二。 11)杉原泰雄,声部信審編「忍法Ⅱ人棒(2)」昭56,茄3賞。 12)例えば,宮沢,「全訂日本国恵法」233貰。 13)杉原,前掲,266貰参照。なお,杉原教授は進んで災害時における労役義務の達意怯 までも主張される。本説を徹底したものといえよう。 14)ButleIぴ.PeI・Ⅰ・y,240tJ.S.328(1916) 15)小嶋和司,「憲法」自治実務セミナ・−,250号,8貰参照。

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