2014 (平 成 26)年 度
パウル・クレーにおける天使と十字架
――20 世 紀 西 欧に おけ る 「 新し い天 使 」 の創 作原 理 と 宗
教 性 を め ぐ っ て
――
指 導 教 授 後 藤 新 治
国 際 文 化 研 究 科 国 際 文 化 専 攻
15MK009
下 園 知 弥
1 目次 はじめに ……… 3-6 頁 第 1 章 クレーの造形芸術論と作品の生成 ――イェーナ講演を中心として―― …… 7-23 頁 1-1. イェーナ講演の概観 ……… … 8-9 頁 1-2. 造形作品の形成過程 ……… … 10-15 頁 1-2-1. 第一の次元 線・明暗・色 ……… 10-11 頁 1-2-2. 第二の次元 造形の主題 ……… 11-12 頁 1-2-3. 第三の次元 造形の内容 ……… 12-15 頁 1-3. 《生成に於ける天使》の形成とその内容 ……… 15-18頁 1-3-1. 《生成に於ける天使》の形成過程 ……… 15-17 頁 1-3-2. 《生成に於ける天使》における現実性 ……… 17-18 頁 1-4. 結論 ――《生成に於ける天使》に存する内的緊張とその調和―― ……… 18-20 頁 第 1 章註 ……… … 20-22 頁 第 1 章図版 ……… …… 23 頁 第 2 章 《山の花》から《生成に於ける天使》への変奏 ……… 24-57 頁 2-1. フォルムの問題 ……… … 24-27頁 2-2. 造形と主題の結合の問題 ……… … 27-28頁 2-3. クレーにおける自然 ……… … 28-33頁 2-3-1. 自然探求の道 ……… … 28-30 頁 2-3-2. 目に見えない自然 ……… … 30-31 頁 2-3-3. 中間の世界 ……… … 31-33 頁 2-4. クレーにおける記号 ……… … 33-41頁 2-4-1. クレーの記号論 ……… … 34-36 頁 2-4-2. クレー作品における円・三角・十字のアレゴリー ……… 36-39 頁 2-4-3. 1933-34 年のクレーと《生成に於ける天使》の予型的作品 ……… 39-40 頁 2-4-4. 《生成に於ける天使》における三つの記号の役割 ……… 41 頁 2-5. 結論 ――クレーにおける自然と天使―― ……… 41-44 頁 第 2 章註 ……… 44-45 頁 第 2 章図版/写真 ……… 46-57 頁
2 第 3 章 クレーの日記におけるマルク評 ……… 58-79 頁 3-1. 背景 ……… … 60-64頁 3-1-1. 第一次世界大戦期のクレー ……… ……… 60-62 頁 3-1-2. クレーとマルク ……… … 62-64 頁 3-2. 本文批評 ……… … 64-70頁 3-3. 「世界の思想」におけるキリスト教的なもの ……… 70-74頁 3-3-1. 「世界の思想」と「地上の思想」 ……… 71-72 頁 3-3-2. 「飛翔」モチーフにおけるロゴスと愛 ……… 72-74 頁 3-4. 結論 ――「飛翔」モチーフと「愛」の分裂―― ……… 75-76 頁 第 3 章註 ……… 76-77 頁 第 3 章図版 ……… 78-79 頁 第 4 章 〈天使連作〉における《生成に於ける天使》の位置付け ……… 80-101 頁 4-1. 〈天使連作〉の時期的区分 ……… 85-86頁 4-2. 〈天使連作〉の技法的・表象的区分 ……… 86-87頁 4-3. クレーの個人史との対応 ……… … 88-92頁 4-3-1. バウハウス時代以前のクレー ……… 88-89 頁 4-3-2. バウハウス‐デュッセルドルフ美術学校時代のクレー ……… 89-90 頁 4-3-3. ナチス弾圧期のクレー ……… … 90-91 頁 4-3-4. 晩年のクレー ……… … 91-92 頁 4-4. 「十字架」と〈天使連作〉 ……… 92-93頁 4-5. クレーの宗教的実存とキリスト教 ……… 93-96頁 4-6. 結論 ――宗教的実存としての天使、あるいは創造論の一例としての天使―― ……… 96-97 頁 第 4 章註 ……… 97-98 頁 第 4 章図版 ……… 99-101 頁 おわりに ……… 102-104 頁 謝辞 ……… …… 105 頁 参考文献 ……… 106-108 頁 付録資料 1 〈天使連作〉図版リスト ……… 109-121 頁 付録資料 2 〈準天使連作〉図版リスト ……… 121-134 頁
3 はじめに パウル・クレー(Paul Klee 1879-1940)は、20 世紀前半にドイツで活躍したスイス人画家で ある。クレーは 20 世紀を代表する画家であり、美術史における重要性は周知の事実である 。 1 万点を超える数の作品を創作し、日記や論文、講義資料が多く残されていることから、 クレーはこれまで様々な視点から研究されてきた。クレーの作品には数多くの連作主題が 見出され、主題毎の研究も数多く存在する1。近年では、天使を描いた一連の作品(以下、〈天 使連作〉2とする)からクレーの心理・精神性ないし 20 世紀ヨーロッパの精神的状況を探ろ うという研究が盛んであり、90 年代以後多くの研究書が出版されている3。このような諸研
究の集大成として、2012 年にはパウル・クレー・センター(Zentrum Paul Klee)で「天使展」
が開催された4。従って、クレーの天使研究は現在一つの区切りを迎えた状態であり、従来 の研究と同じ観点から新しい解釈を提示することは難しくなっていると言えよう。 そのため、本研究は、従来の研究では重視されていなかった作品に注目し、その解釈を 通じて新たなクレー像を提示することを課題としている。クレーの天使研究において、解 釈の中心軸は主に二つ存在する。一つは哲学者ヴァルター・ベンヤミンが所持し思想の題 材にもしたことで有名な《新しい天使》であり、もう一つは晩年に描かれた天使群である。 前者は所有者である哲学者との関連から主に現代思想の分野で解釈が切り開かれ、後者は 日記等が残されていない晩年のクレーの精神状態や芸術的性格を知るための、いわゆる個 人研究の素材として主として用いられてきた。そしてこの二つの中心軸に沿った研究は、 国内外共に、かなり充実した状況に在ると言える。本研究で筆者が中心軸に据えるのは、 この二つではない。筆者が中心軸に据えるのは、1934 年にクレーが描いた《生成に於ける 天使》(図 1)である。 《生成に於ける天使》は、これまでのクレー研究において何らかの形で扱われ続けてきた、 クレーを代表する作品の一つではある。しかし、この作品はおおむね「単なる解釈の通過 点」として取り扱われてきたきらいがあり、〈天使連作〉研究においても、解釈の決定的な 一因を担うほどの重要性を付与された例は、管見の限り存在しない5。その理由としては二 つ考えられる。一つは、作品の制作年代が他の〈天使連作〉から孤立していること。すな わち、クレーが最も多くの天使を描いた晩年ではなく、しかも天使が主要な関心事ではな かった時期6に、ただ一点だけこの作品が描かれているため、解釈の中心軸に据えづらいと いう理由である。いま一つは、この作品が天使連作の中では異例かつ解釈の困難な描き方 をされており、数の上では多勢を占める晩年の天使とは芸術的傾向およびクレーの精神状
4 態が明らかに異なっているという理由である7。 このような困難が見出されるにもかかわらず、《生成に於ける天使》を研究の中心軸に据 えることの利点は、次の通りである。第一に、1934 年という時期はクレーがバウハウスや 美術学校で芸術理論・世界観を展開していた時期と直接繋がっているため、クレー自身の 言葉による作品解釈が晩年の作品にも増して有効であるという点。第二に、他の天使連作 と孤立した時期に描かれている故に、この時期に特有のクレーの天使観が明らかにされ得 るという点。最後に、第二の利点からの帰結であるが、クレーの天使観の新たな側面が見 出されることにより、クレーの宗教的性格――とりわけキリスト教との関係――の更新が期 待されるという点。これらの利点が、筆者が《生成に於ける天使》を解釈の中心に据えよ うとする理由である。 これらの利点をふまえた上で、 筆者が本研究で特に明らかにしたいと考えているのは、 《生成に於ける天使》に描かれた十字架の意味内容である。十字架は周知の通りキリスト 教の象徴であるが、その解釈ないし意味内容は古代から現代に至るまで多様を極めている。 それだけに、十字架にどのような意味内容を込めているかによって、それを描いた者の宗 教的立場が少なからず浮き彫りにされる。クレーの宗教的立場は、先行研究においては「無 宗教」とされており8、特定の宗教に傾倒していないという点は研究者の共通見解だと言え る。従って、クレー作品とキリスト教の関係についても、ほとんど踏み込んだ考察がされ ないままに「ほとんど無関係なもの」とされているのが現状である。しかしながら、筆者 の考えでは、クレーが生まれ育ち宗教観・世界観を形成した世界はまさにキリスト教世界 であった故に、クレーには表象的な要素だけではなく精神的にもキリスト教の伝統を受け 継ぐ何かがあったはずである。そして、もしキリスト教的な精神性がクレーにもあったな らば、一般にキリスト教とは距離を置いていると考えられるクレーの作品からは、キリス ト教的精神とは異なる要素もさることながら、キリスト教的精神の流れを継ぐような要素 をも見出し得るはずである。言い換えれば、パウル・クレーという新しい時代の画家が描 いた「新しい天使」にも、キリスト教との繋がりが何らか保たれているはずなのである。 上述した仮説の下に、《生成に於ける天使》における十字架表象を解釈し意味内容を明ら かにすることを通じて、クレーにおけるキリスト教的なものとは何であるのか、それはク レーの作品にどのように反映されているのか、という問いに一つの回答を与えるのが本研 究の最終的な狙いである。 上述の目標を果たすために、本修士論文では以下の手順を辿る。まず、クレーの造形芸
5 術論、とりわけイェーナ講演を手掛かりとして、《生成に於ける天使》がそもそもどのよう な創作システムによって造られた作品であるのかを考察する(第 1 章)。次に、《生成に於け る天使》と類似した作品である《山の花》との比較を通じて、「自然」と「天使」がほとん ど同じ技法で描かれている理由を明らかにし、《生成に於ける天使》のフォルムや記号が何 故「天使」を指示し得るのかを考察する(第 2 章)。次に、クレーの宗教的性格を明らかに する手掛かりとして、クレーが自身の宗教性を規定している日記の記述を考察する(第 3 章)。 最後に、《生成に於ける天使》とクレーの描いた他の〈天使連作〉との関連を考察しつつ、 《生成に於ける天使》とその十字架が担っている意味内容、とりわけキリスト教との関係 について、筆者の見解を提示する(第 4 章)。 註
1 連作の おおま かな分 類 について は Felix Klee(Hg.), Paul Klee: Leben und Werke in Dokumenten
ausgewählt aus den nachlassen Aufzeichnungen und den unveröffentlichen Briefen , Zürich, 1960,
S.259-275 を 参照。
2 本論文 での〈 天使連 作 〉の厳密 な範囲 ・定義 と 具体的な 作品に ついて は 、第 4 章で詳述 する。 3 代表的 なもの は以下 。 Mark Luprecht, Of Angels, Things, and Death, New York 1999; Ingrid Riedel,
Engel der Wandlung: Die Engelbilder Paul Klees , Bonn, 2001; Alessandro Fonti, Paul Klee: “Angeli” 1913-1940, Milano, 2005; Perdita Rösch, Die Hermeneutik des Boten: Der Engel als Denkfigur bei Paul Klee und Rainer Maria Rilke, München, 2009; Boris Friedewald, Die Engel von Paul Klee, Köln, 2011; 宮
下誠『越境する天使 パウル・クレー』春秋社、 2009 年
4 ベルン のパウ ル・クレ ー・セ ンター にて 2012.10.26-2013.1.20 にか けて 開催され 、次 いでエ ッセ ン
とハンブルクを巡回し 2013 年 7 月まで催された展覧会のことを指す。この展覧会のカタログとし て Zentrum Paul Klee(hg.), Paul Klee: Die Engel, Bern, 2012 が出版されている。
5 ただし 、リー デルの 研 究 (Ingrid Riedel, op.cit.)に おいて、《生成 に於け る 天使》は 全体の 導入の よ
うな位置を与えられているとも見做せる。もっとも、リーデルにしても、《生成に於ける天使》を 解釈の中心軸に据えてクレーの天使全体を規定しようとする試みには至っていない。 6 1934 年に描 かれた 天使 は《生成 に於け る作品 》 1 点のみであ る。ま た、 この作品 と時期 的に最 も 近い〈天使連作 〉は、前には 1931 年、後には 1938 年に描かれている。この空白の理由については 第 4 章での考察課題とする。 7 天使に 限らず クレー の 晩年の作 品は、 病によ る 死の意識 が色濃 く反映 さ れている と解釈 されて お り、この事実は様々な先行研究によって裏付けられている ――たとえば、このテーマに絞って展覧 会が催されたこともあった (Bern, Kunst Museum Bern, Paul Klee:das Schaffen im Todesjahr, 1990 等)。
8 前田富 士男・ 宮下誠 (対談)「パ ウル・ クレー の 静かな闘 い 第 六章 天 使 のゆくえ 」『芸術新潮』、
新潮社、第 56 巻第 12 号、2005 年; 松友知香子「パウル・クレーの〈天使〉について ――〈都市画〉 との関連から――」『美學』第 59 巻第 2 号、2008 年、89-90 頁を参照。
6 図版9 図 1 《生成に於ける天使》 〈Engel im Werden〉 1934 年(204, U4)、51×51cm 合板の上の麻布に下地、油彩 スイス、個人蔵 9 本論文の図版では、クレー作品はすべて作者名を省略している。また、作品年には慣例通りクレー自身に よる作品番号を付記している。なお、所蔵館については参照した図録のものをそのまま採用しているが、当 然ながら館が移動しているケースもあると考えられる。特に、2005 年のパウル・クレー・センター開館に 伴って、多くのクレー作品が――とりわけベルン美術館のコレクションが――同施設へと移されている。そ のため、作品によっては現在の所蔵館と本論文のデータが一致しないケースがあると思われるが、すべての 作品の現時点での所在を追跡することは困難であるため、この点については容赦頂きたい。
7 第 1 章 クレーの造形芸術論と作品の生成 ――イェーナ講演を中心として―― パウル・クレーの画業には多くの連作主題を見出すことができる。天使もそのうちの一 つであるが、この〈天使連作〉という名で指示されている作品群は、制作年が 1913 年から 1940 年までと幅広い。そのため、同一の主題であっても、必ずしも一致した価値観・思想 を基にして描かれたとは言えない。従来のクレーの天使研究では、とりわけ多くの天使が 描かれた時期である晩年(1939-1940)を解釈の中心に据え、これらの天使群から晩年のクレ ーの精神状態や芸術思想を分析する――あるいは逆に、クレーの精神状態や芸術思想から晩 年の天使に込められた意味内容を読み解く――という観点が主であった10。晩年の天使以外 でとりわけ注目を集めているのは哲学者ヴァルター・ベンヤミンとの因縁11において論じら れることの多い《新しい天使》(図 2)であるが、この作品は 1920 年のものであるため、こ の作品を中心に据えた研究は必然的に 1910 年代後半から 1920 年代のクレー論が主となる12。 そのため、これらの作品から隔たった期間に描かれた天使画は、〈天使連作〉リストに含め られ、クレーの天使全体の傾向を知る手がかりとして簡潔に触れられることはあっても、 クレーの天使観を知るための資料として中心的な位置を与えられることはなかったのであ る。1934 年に描かれた《生成に於ける天使》も、このような先行研究において重点的に解 釈が試みられることのなかった作品の一つである13。 時期的な孤立や解釈の難しい抽象画であることから、《生成に於ける天使》は〈天使連作〉 研究において主要な位置を与えられてこなかった。にも かかわらず、この作品はクレーの 天使観を知る重要な手掛かりとなり得る。何故ならば、この作品には「十字架」という典 型的なキリスト教の象徴が描かれており、クレーとキリスト教の関係を知るうえで重要な 資料となるからである。彼自身が言明しているとおり、クレーは特定の宗教には所属しな い立場を取っている14。つまり無宗教の画家である。しかしその宗教性の内実には不明 な点 が多く、キリスト教と距離を置きながらも彼の作品に少なからずキリスト教 的主題が現れ ている事実は無視できない15。クレーとキリスト教には何らかの繋がりがあり、その繋がり は彼の作品から見出されなくてはならない。よって、本章では、《生成に於ける天使》に刻 まれた十字架へ込められた宗教的内実の探求を論文全体の最終的な目標としつつ、 そのた めの予備考察として、「《生成に於ける天使》という作品は、そもそも どのような創作シス テムによって描かれた画であるのか」という問いに答えることを独自の課題としたい。 考察のための手掛かりとして本章で中心的に用いるのは、クレーの造形芸術論である。 クレーが残した造形芸術論のテクストは決して少なくない。その全てを取り上げて考察す
8 るのは困難であるため、本章では「イェーナ講演」の造形芸術論を中心テクストとしたい。 イェーナ講演を中心的として考察する理由は 次の二つである。第一に、断片的な小論が多 いクレーの芸術論にあって、イェーナ講演は比較的整理され、体系化されており、クレー の創作システム全体を概観し得ること。第二に、イェーナ講演を行った時期が バウハウス 時代であり、《生成に於ける天使》の制作年と連続していること16。以上の理由により、イ ェーナ講演を中心として《生成に於ける天使》の 考察をこれより試みる。 考察の端緒となる第 1 節および第 2 節では、まずイェーナ講演における造形芸術論がど のような論であるのかを確認していきたい。 1-1. イェーナ講演の概観
イェーナ講演は、演題「現代芸術について」Über die moderne Kunst として、1924 年に行
われた17。全体としては芸術の「創作過程」を追っていくことを基本線としており、その内 容は大別して三つのテーマに区切られている18。第一に、創造行為における芸術家の立場に ついて。第二に、造形芸術を形成していく諸次元について。第三に、芸術の現実性ないし 自然と芸術の関係について。これら三つのテーマのうち、論述の中核であり最も多くの議 論が割かれているのは第二のものである。この部分は次節で集中的に取り上げることにし て、本節では第一から第三までの流れと、論述全体を通してクレーが何を提示しようとし ているのかを簡潔に確認していきたい。 イェーナ講演の基本線は、芸術家の創作行為であり、そのプロセスである。第一のテー マ19はいわば前置きである。ここで語られる「樹木の比喩」das Gleichnis vom baum は、芸
術家の立ち位置を示すための導入とされており、具体的には「根 ‐自然」「幹‐芸術家」「樹 冠‐芸術作品」の対応関係を語るものである。この対応関係からは、芸術家が芸術作品の 唯一の原因ではないこと、そうではあるが芸術作品は確かに芸術家という要素を経て形成 されるものであることが窺われる。クレーが芸術家を庭師に喩えず樹木の一部に喩えたの は、「芸術の対象‐芸術家‐芸術作品」の関連の連続性を示すためであったと考えられる 。 この関連を提示した上で、クレーは第二のテーマ20へと移る。ここでクレーが提示してい るのは、芸術作品の形成過程である。つまり、樹木の比喩で言うところの幹についての詳 述である。それを聴衆へわかり易く伝えるために、クレーは造形作品の形成過程を三つの
9 次元に分割して、単なる造形から内実を含んだ芸術作品への変容過程を説明している。こ の三つの次元については後の節で見ていく。 第三のテーマ21は、芸術の現実性についてである。これは芸術作品が単なる観念的・空想 的なもの――子供のらくがきのような もの――に過ぎないという当 時クレー作品に対して なされていた非難への反駁であるとも考えられる22。ここでの論述に特徴的なのは、クレー が観念的・空想的なものの価値を積極的に認めており、「そうであるような」現実ではなく、 「そうでもありうるような」現実を志向することの意義を語っている点である23。ただし、 ここですぐさま予想されるようなシュルレアリスム的言説 のことをクレーが語っているの ではない、という点には留意が必要である。クレーがこの講演で問題としているのは、一 貫して芸術家の創作行為ないし芸術作品の形成過程である。つまり、この講演におけるク レーの芸術論の焦点は、多種多様な現実の「造形化」であって、現実の可能性やその探求 ではないのである24。 以上見てきたように、イェーナ講演は一貫して芸術家の創作をめぐって展開されている。 従って、「いかにして芸術家は創作行為をするのか」あるいは「どのようにして芸術作品は 形成されるのか」という芸術の根本問題へ一つの道筋を投げかけることが、クレーがこの 講演で目指していたものだと考えられる。造形化の具体的な過程は第二のテーマにおいて 詳述されており、第一および第三のテーマは第二のテ ーマで言われている形成過程を理念 的に支えるための前置きであり補足であるとも捉えられる。この前置きおよび補足が常に クレーの念頭にあることをふまえた上で、次節では第二のテーマ、すなわち造形作品の形 成過程について細かく見ていきたい。 イェーナ講演の論述構成 大テーマ 芸術家の創作行為について(芸術作品の形成について) 小テーマ 1 樹木の比喩 ――創造行為における芸術家の立場―― 小テーマ 2 芸術家の措定 ――造形作品の形成過程―― 第一の次元 造形要素(線・明暗・色) 第二の次元 主題および主題に即した形態(自我と秩序の緊張) 第三の次元 内容(造形作品における時間性・運動性の発露) 小テーマ 3 芸術の現実性 ――自然と芸術の関係――
10 1-2. 造形作品の形成過程 まず、第 1 節で確認したところの三つのテーマ、その第二のテーマで言及されている造形 作品の「三つの形成過程」について、最初に確認しておきたい。 第一の形成過程は、造形の基本的な手段である線・明暗・色である。第二の形成過程は、 造形の主題である。第三の形成過程は、造形作品の内容である。クレーが約言するところ によれば、第二のテーマ全体はこのような道筋を辿っていく25。 では、それぞれの形成過程について、これより実際のテクストを参照しながらクレーの 造形芸術論を追っていきたい。 1-2-1. 第一の次元 線・明暗・色 樹冠に比せられた芸術作品においては、造形的なものの特殊な諸次元へはいりこむこ とによって、変形の必然性が問題になってきます。なぜなら自然を再生するとなると どうしてもそこまでゆきつくからです。それでは造形の特殊な諸次元とはどのような ものか。そこには先ず多少とも限定された形式的なもの、線とか明暗の調子とか色と かといったものがあります。26 このような言葉によって、第一のテーマから 第二のテーマへと、すなわち前置きから造 形化の具体的な措定の話へとクレーは論述を進めていく。本節で扱う部分ではまず、芸術 家が用いるところの造形それ自体の考察から始められる。引用文で言われている造形的な ものの特殊な諸次元とは、換言すれば造形物に固有の範疇 Kategorie であり、クレーはこの 範疇として「線」Linien・「明暗」Helldunkeltöne・「色」Farben を挙げている。そして、こ の範疇の組み合わせによって造形が形成されていることを指摘する。 三つが非常に独自な仕方で相互に組み合わされていることは確かなことです。そして、 この意味で、この三つの形式上の手段と関わりあうのにいつも同じ潔癖さを保ってい ることは、あまりにも論理的です。コンビネーションの可能性は十分豊富にあります。 ですから、組み合わせる場合には特殊な内的欲求に従ってのみ操作されるべきでしょ う。27
11 続く論述は三つの範疇の組み合わせであるが、ここでクレーは「内的欲求」 inner Bedarf という言葉を用いている。この言葉は後の文脈で「秩序」Ordnung と言い換えられており28、 この秩序によって造形を構成していくことへと話題は移っていく。 さて、私は、このような基本形式の領域を離れて、今まで順に述べてきた三つの基本 的な範疇に関する構成の問題に初めてたどりついたわけです。 〔……〕 このような[基本形式の領域という]非積極的な意味での造形の段階には当然次のよう な同じ危険な意味が含まれます。すなわち、そこに留まっていては、最も偉大で最も 重要な内容にまで達しえず、その方面に向かうすぐれた精神的素質があっても挫折し てしまうのです。なぜなら形式の領域における方向付けが欠けているからです。いま 私が自分自身の経験に従って申しあげ得る限りでは、沢山ある要素を互いにひとつの 新しい秩序へ高めていくために、諸要素の普遍的秩序、その良き配置の中から、どの 要素を浮かび上がらせるべきかという問題提起をするのは、当然創造者のそのときど きの措定に任せられます。 これはつまり、普通絵の形態とか、絵の主題とか呼び習わされているところの造形物 を構成するための措定です。29 ここでクレーの論述は大きな転換を見せる。ここでクレーは端的な造形 ――何の主題も内 容も持たない線や色――を否定的に捉えており、このような段階に留まる造形を「方向付け の欠如」と言っている30。そして、この方向付けを行うのが「創造者」であると繋げている のである。つまり、これまでは狭義の造形論、すなわち単なる物質的な要素や秩序につい てであったのが、芸術家による創作行為という造形芸術論へと転換し ているのである。次 なる考察の対象は、造形形成における第二の次元、すなわち主題である。 1-2-2. 第二の次元 造形の主題 主題の次元において、クレーは造形作品の構成について論述している。まだ方向付けが されていない造形へ、創造者は主題や形態の形成のための措定を施す。その措定のことを、 クレーは「連想作用」Assoziation と呼んでいる。
12 そのような[まだ方向付けがされていない]造形作品が、われわれの眼前で次第に広がっ ていくと、一種の連想作用がその作品に付け加わりやすく、その連想作用が誘惑者の 役割を演じて、絵の主題が解釈されることになるのです。何故かといいますと、高次 の構造をもった造形作品は、わずかの空想力で、誰でも知っている自然の被造物と比 喩的な関係にもたらされるのに適しているからです。 〔……〕 そしてかの連想作用が非常にぴったりした名称のもとに現れる場合には、それを受け 入れる邪魔だてをするものはもはや何もありません。絵の主題に対するこのような明 快な同意に刺激され、画家は、はっきりした形をとってきた造形対象と必然的な関係 にあるものをなおもあれこれ付け加えるでしょう。31 [下線は筆者] ここで造形の基本的な要素――線・明暗・色――を芸術家がどのように使用していくかが 述べられている。連想作用はクレー独自の芸術概念と考えられ、その詳細はイェーナ講演 においても他の芸術論でも語られていないが、さしあたりこれまで見てきた造形芸術論か らその役割は明らかである。連想作用は、芸術家の内にある自我と造形作品の内にある秩 序を結びつける役割を担っている。この結びつきがあってこそ、主題という観念的側面と フォルムの形成という具象的側面が接続し得るのである。 このような連想作用による造形の構成を、クレーは「芸術家の努力」ないし「形式の諸 要素がそれぞれ必然的にそのところを得て互いに他のものを妨害しないほど純粋かつ論理 的に諸要素を組み合わせること」と述べている32。「必然的」や「論理的」といった言葉か らは、この連想作用が単なる空想とは一線を画する措定であることを読み取らなければな らない。クレーにおいて芸術作品の主題の決定は、芸術家の 自分勝手な思いつきや気まぐ れなどではなく、彼の自我の、造形からの連想を契機とする「秩序への応答」なのである。 このような段階に達し、単なる事物的な造形ではなく、主題やそれに即した形態が定ま ってきた造形は、最後に内容の次元へと移行していく。 1-2-3. 第三の次元 造形の内容 造形作品の形成という問題から言えば、第二の次元までで 全ての経緯は完遂したように
13 思われるが、クレーは更に論述を進めていく。クレー自身の言葉を使えば、「心理的観相的 次元」psychish-physiognomischen Dimension の解説が、ここでの論述の主眼である。 つまり、それぞれの絵の形態に、それぞれの顔、それぞれの観相学があります。作品 に表されたいろいろな像が私たちを見つめています。明るくあるいは厳しく、多少と も緊張して、慰めにみちてあるいは恐ろしく、悩ましげにあるいはほほえましげに、 私たちを見つめています。 心理的観相的次元におけるあらゆる対立のなかで、画像はわれわれをみつめるのです が、その対立は悲劇と喜劇の対立にまで広がってゆきます。しかしそれでおしまいと いうわけではありません!33 ここでの議論は、分かりやすく言えば、造形が有する心理的・感情的な動きの説明であ り、造形要素の擬人化(生物化)である。講演の中心的テーマが「芸術家の創造行為」にある ことを思えば、一見して蛇足のような印象を受けるが、実際にはそうではない。 クレーは 1900 年代より一貫して時間芸術と空間芸術の区別を批判し、「運動」を基軸と した造形芸術論を提言してきた34。その代表的なテクストは次のものである。 運動はあらゆる生成の根底に存している。我々が一度は若年時代の思索的探究に供し たであろうレッシングの『ラオコーン』、それは時間的芸術と空間的芸術の区別につい て多大な労が費やされている。だが厳密な観察によれば、その区別は単なる学問的錯 覚なのである。つまり、空間もまた時間的な概念なのである35 上掲のテクストは、イェーナ講演の 4 年前に発表された『創造的信条告白』のものであ る。更に遡れば、クレーは 1905 年の日記において既に造形芸術が時間的なものとして主張 し得ることを記している36。このように、クレーは芸術論を展開する際は、常に、造形作品 における「時間」と「運動」を意識している。このような例を示す重要なテクストをもう 一つ挙げたい。 ところで、形態関連の仕方(われわれの課題によりさらに特殊化された)、すなわち運動 (先に示した特殊な事例において、励起された運動、さらに先へ回された運動、それに
14 強要された運動)を造形化するには、また、分析的抽象に基づく運動関連をもう一度新 たに自然化させる、つまり作品固有の自然たらしめるためには、明らかに案出された 図式をもっと超えることが必要となるのである。 そもそも作品にあって運動とは何を意味するのか? われわれの作品は、一般には自 分の動くことなぞないと思うのだが? われわれはけっしてオートメーション工場な ぞではないのだ。 確かにそうだ。われわれの作品は、大抵は自然とそれぞれの場所で静止したままの状 態だ。しかも、それにもかかわらず、作品というものは、実は運動そのものなのであ る。 生成する一切のものには、運動は特有のものであって、作品は存在するより前に、作 品となるのであり、このことは世界が存在する以前に、「はじめに神が創造したまえり」 という言葉にしたがって生成し、そして未来に存 在する(存在するであろう)以前に、さ らに引き続き生成し続ける世界と寸分変わるところがないのである。37 [下線は筆者] このようなクレーの特殊な芸術観(作品=運動)をふまえると、イェーナ講演においてクレ ーが何故「内容の次元」と称して造形要素の擬人化を語ったのか は明白である。すなわち、 第二の次元ではまだ静止した空間の内にある造形芸術に 、更なる時間的変化の説明を与え ることによって、それが実際に運動し続けるもの、更に言えば「運動そのもの」であるこ とを主張するのがクレーの意図であったと考えられる。 造形作品が時間的なものであること、そこに造形作品の本来の充実した内容があること をさまざま強調してゆき、議論が充分に達したことを確認して、クレーはこのテーマを次 のように締めくくる。 わたしたちの造形作品は、これまで述べてきたようにして、逐次、多くの重要な次元を 通過してきました。ですからいまなおその造形作品にたいして構成という名称を与えるの は不当なことだと思います。わたしたちはいまからそれを音楽的な名称にちなんでコンポ ジションと呼ぶようにしたいと思います。次元の問題に関する限り、われわれはこの豊か な見通しで満足することにしましょう。38
15 以上がイェーナ講演の概観と、そこで論じられている作品形成プロセスの略図である。 この講演で語られた造形芸術論は、言い換えればクレー自身の創作システムであり、思考 過程である。よって、このプロセスをたどるようにしてクレーの作品は制作されているの だと推測できる。クレーの創作システムは、今まで確認してきたように、単なる方法論に 留まらず、主題や内容が形成される経緯までも含んだものである。 従って、この創作シス テムとクレーの作品を重ね合わせることで、作品の主題や内容を もある程度推測できると 考えられる。 では次に、《生成に於ける天使》とイェーナ講演の造形芸術論の照応を試みたい。 1-3. 《生成に於ける天使》の形成とその内容 《生成に於ける天使》は、天使連作の一枚に数えられ、1934 年に描かれた油彩画である。 クレーの芸術論のキーワードの一つである「生成」Werden が題に付せられているために、 展覧会に出品される機会も多い代表作だと言えるが、それにもかかわらず、作品それ自体 に焦点を当てた研究はほとんど進められていない39。その理由は本章の冒頭で記した通りで ある。よって、作品の形成過程や制作の意図はほとんど提示されていない のが現状である。 本節では、まずはこの作品の形成過程をイェーナ講演に即して見ていきたい。 1-3-1. 《生成に於ける天使》の形成過程 造形作品の形成には「線・明暗・色」「主題」「内容」という三つの過程があることは、 これまで確認してきた通りである。ここではクレーと同じ道筋を通って《生成に於ける天 使》の形成過程を考えることにしたい。 まず第一の次元であるが、クレーは造形作品の造形を形成する要素として、線・明暗・ 色の三つを挙げていた。《生成に於ける天使》においては、明暗の調子が異なった八つの色 面とそれを区切る線描が、クレーが言うところの線・明暗・色と対応する要素であると思 われる。ところで、この対応関係には「記号」が含まれていない。何故ならば、クレーが 提示している造形要素の中に記号という概念 は含まれていないからである。記号は線・明 暗・色から成る造形であるため、この第一の次元で形成される要素とも考え得るが、線で 区切られただけの色面と記号を同一の要素として扱うには違和感が残る。記号は明らかに
16 何の意味も持たないフォルムではなく、意味を持った形態だからである。この違和感に対 する解決は、第二の次元において示されているように思われる。 クレーは作品の主題とそれに即した形態の付加を促す作用として、連想作用を挙げてい る。その働きは前節で見てきた通りであるが、ここで改めて引用をしたい。 そしてかの連想作用が非常にぴったりした名称のもとに現れる場合には、それを受け 入れる邪魔だてをするものはもはや何もありません。絵の主題に対するこのような明 快な同意に刺激され、画家は、はっきりした形をとってきた造形対象と必然的な関係 にあるものをなおもあれこれ付け加えるでしょう。40 [下線は筆者] ここで言われる「造形対象と必然的な関係」にあるものの一つとして、「記号」という概 念が挙げられるように思われる41。クレーはイェーナ講演において記号論を展開しておらず 42、ここでの言及が具体的に何を指しているのかも定かではないが、このような推測は可能 であるように思われる。何故ならば、記号は単なる造形ではなく既にそれ自体意味内容を 有している形態であり、それが作品に描かれるのは 何の意味内容も持たない第一の次元で あるはずがないからである。つまり、第一の次元ではない以上、それが造形作品に現れる のは第二か第三の次元しかないわけであるが、第三の次元は構成された造形要素が自身の 性格を発露し始める次元であり、何らかの造形を描き加える段階ではない。よって記号と いう造形要素が登場する余地は第二の次元しかなくなる。また、第二の次元が主題と造形 の連関についての論述であることからしても、意味を持った造形としての記号に相応しい 次元だと考えられる。 記号と並んで、作品の主題とその形態も第二の次元で形成される。主題は、作品題から 鑑みるに「生成に於ける天使」であろう。クレーは「連想作用が誘惑者となって主題が解 釈される」と述べている。つまり、線描によって区切られた色面からの連想として――記号 がどの時点で付加されたのかは定かではないが――「生成に於ける天使」という主題が浮か び、そのような作品題が付せられた、と推測することができるだろう。何故 線描によって 区切られた色面から「天使」や「生成」といった概念が発生してくるのかは次章の考察内 容であるため割愛するが、そのような経緯で形成されていることはクレーの造形芸術論か ら推測し得る。
17 さて、これらの段階をふまえて、最後の次元、すなわち内容の次元との照応に入りたい。 内容の次元においてクレーが論究しているのは、造形作品の時間性ないし運動である。 このことから、《生成に於ける天使》も、時間的であり、内的に運動を有している作品であ ると言わなければならない。よって、その内容としては「運動を意味する画である」と言 うことができる。 ところで、「運動を意味する画」というのは、ある時期以降のクレー作品全般に妥当する 内容であって、《生成に於ける天使》に固有の内容とは言えない。クレーの造形芸術論に即 しては、この固有の内容はどのようなものとして語り得るのだろうか 。 1-3-2. 《生成に於ける天使》における現実性 イェーナ講演において、クレーは内容の次元を語り終えたのちに、芸術の対象について の考察を展開している(第三のテーマ)。この論述においてクレーは「芸術の現実性」という ものについて論じている。そのテクストは次の通りである。 しかし我々の鼓動している心臓は、我々を下方へと、深い根源の方へと促します。こ の促しによって生起するところのもの、夢、理念、幻想――言いたいように言って良い ですが――それらが適切な造形手段で余すところなく造形と結合している場合には、何 よりも真剣に受けとめるべきものとなります。かの類稀なる出来事は、現実を、 芸術 の現実を生成するのであり、それは平凡に思われていた生をいくらか押し広げてくれ ます。何故ならば、かの類稀なる出来事は、見られたものを再び幾らか活性化するの みならず、目に見えない直観的に感得したものを見えるようにするからです。43 [下線は筆者] とりわけ重要な点は、「夢、理念、幻想」と造形の結合を「芸術の現実」としてクレーが 論じている点だと思われる。つまり、クレーにとって「夢、理念、幻想」を芸術の主題と して描くということは、画家の頭の中だけにある空想を描くことではなくて、「何らかの意 味で現実であるところのもの」を描くということなのである。そして、おそらくはクレー にとって「天使」という主題は、この類の存在であったと考えられる。クレーにとって「天 使」とは、空想でも非現実でもなく、何らかの現実であった。そうであるとすれば、それ はどのような現実なのだろうか。
18 クレーは「夢、理念、幻想」と造形の結合(類稀なる出来事)によって、「芸術の現実」が 生成すると述べている。つまり、芸術作品が担っているのは、我々が通常認識しているよ うな知覚したままの現実ではない、それとは異なった領域としての現実である。そして芸 術とは、そのような決して可視的ではない現実を可視化する機能を有しているものと 見做 されるのである44。 ここから、クレーが天使画によって何を描こうとしたのかも明らかとなる。すなわち、 クレーがこの作品において描いているのは、その題の通り「天使の生成」であ る。しかも、 架空の出来事、物語や伝説の一場面についての想像的再現などではなく、まさに現実とし て、そうでもありうる現実の一つとして「天使の生成」を描いているのである。 よって、《生成に於ける天使》が有する固有の内容については、次のように言うことがで きる。すなわち、「《生成に於ける天使》は、 芸術が捉えた「現実としての天使」を意味す る画である」と。 1-4. 結論 ――《生成に於ける天使》に存する内的緊張とその調和―― 本章の課題は、クレーの創作システムと《生成に於ける天使》の対応を確認することで あった。両者の対応は、これまでに考察でおおよそ明らかになったと言える。まずはその 対応を簡潔に纏めておきたい。 第一の次元、すなわち端的なフォルムの段階においては、線描で区切られた色面が形成 される。この時点ではまだ「天使」や「生成」といった観念は付与されていない。第二の 次元、すなわち主題の段階においては、先に形成されたフォルムからの連想として「生成 に於ける天使」という主題が付与される。そして、この付与に即して様々な造形的補足が 加えられる。三つの記号も、おそらくはこの段階で加えられたものである。第三の次元、 すなわち内容の段階では、《生成に於ける天使》という造形作品に内在する時間性ないし運 動性が発露する。この発露に伴って、《生成に於ける天使》は、「運動」という内容、「芸術 の現実」という内容が満たされることになる。 これがイェーナ講演で語られた創作システムに即した《生成に於ける天使》の形成プロ セスである(参考図 1)。ところで、このようにして形成された造形作品には内的な緊張が必 然的に付き纏うものと考えられる。何故ならば、この創作システムにおいては、「造形 」の 持つ固有の要素と「芸術家」の持つ固有の要素が混在しており、相異なる二つの要素が協
19 同することによって一つの芸術作品が形成されて いるからである。より細かく見ていけば、 その二つの要素とは、「造形の秩序」と「芸術家の応答」のことであると考えられる。 参考図 145 クレーの芸術理論においては、造形作品には何らか原的な要素がある46。しかしこの要素 はまだ芸術家の手が加えられていないものであり、作品として個別化されていない普遍的 ないし素材的な要素に留まる。ここに芸術家の手が加わることにより ――無論ここで芸術家 は原的なものが有する秩序に最大限応じなければならない――自我が関与し、創作行為によ って個別化され、芸術作品として結実する。その結実のかたちは、もし芸術家が秩序に最 大限応じているならば、まぎれもなく現実のものであり、これまで見ることのできなかっ た現実のもう一つの諸相を示してくれるものとなる。これがクレーの創作システム の要点 である。 このようなシステムは、芸術家の「自我」と造形の「秩序」との緊張が常に維持されて いる。更に言えば、クレーはこの緊張の解消を望んでおらず、緊張した状態のまま調和さ
20 せることを目論んでいた。何故ならば、内的緊張の継続は作品の時間性と連動しており 、 クレーの造形芸術論の要でもある「運動」の契機となっているからである47。内的な緊張関 係を消失させないままに、一つの作品として、一つの現実として結実させる。それがクレ ーの造形芸術論の課題であった。 故に、《生成に於ける天使》という作品も、このような緊張と調和を目指した創造原理の 産物であり、その個別的な実りの一つであったと考えられる。 註 10 本論文 3 頁を参 照。 11 ベンヤミ ンはた だクレ ーの天使 の所持 者であ っ ただけで なく、作品 に啓 発されて いくつ かの論 考
を残している。特に有名なものは「歴史哲学テーゼ」(Über den Begriff der Geschichte)の一節である(ヴ ァルター・ベンヤミン 「歴史の概 念について」『ベンヤミン・コレクション Ⅰ 近代の意味』、浅井 健次郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、1995 年、652-653 頁)。ベンヤミンとクレーの天使の関 連は本論文の主題ではないため、本論では取り扱わない。
12 特に有名 な研究は O. K. Werkmeister, Versuche über Paul Klee, Syndikat, 1981, S.98-123. この ヴェル
クマイスターの研究では、《新しい天使》とベンヤミンの関係が語られている他、《新しい天使》の 前後におけるクレーの作品モチーフについ ての詳しい考察がある。
13 先行研究 がまっ たくな いわけで はない。《生成 に於ける 天使》 の解釈 を 試みたも のとし ては以 下
のものが挙げられる。Will Grohmann, Paul Klee, Dumont Buchverlag, Köln, 1989, S.34; Ingrid Riedel,
op.cit., S.15-16; Boris Friedewald, op.cit., S.67. グロ ーマンか らフリ ーデヴ ァ ルトまで の研究 の動向
は、「生成」の強調から「天使」という主題への緩やかな移行を辿っているように思われる。とは いえ、解釈の基本線がいずれもこの作品を「天使が生成する場」と見做す点で変わらない。この先 行研究の解釈の妥当性については第 2 章で吟味したい。 14 パウル・ クレー 『クレ ーの手紙 』南原 実訳、 新 潮社、 1989 年、506-507 頁。 15 たとえば 、《仔羊》(1920)、《ゴルゴタへの序幕》(1926)、《受胎して》(1939)などは疑いようもな くキリスト教的主題である。また、クレーは旧 約聖書の天地創造を自身の芸術論の中で頻繁に引用 しることから 、クレーがキリスト教に対して関心を寄せていなかったということはまずあり得ない ことである。にもかかわらず、クレーとキリスト教の関係について扱った論文は現代に至るまで極 めて少なく、今後研究が切り開かれるべき主題である。 16 イェーナ 講演は 1924 年 であり、《生成に於ける天使》は 1934 年である。10 年を近しいと考える かどうかは意見の分かれるところであるが、少なくとも 1920 年以前の『創造的信条告白』や日記 のテクストよりは近しいと言えるだろう。また、 1930 年代のテクスト(『原像的なもの』等)を中心 的に取り挙げようとした場合、体系的なものが皆無であるがゆえに、作品解釈に大きな困難が生じ る。
17 イェーナ 講演の テクス トは以下 を参照 した。 Felix Klee(Hg.), op.cit., S.222-241.
21 おらず、イェーナ講演の本来の主眼は「芸術家の創作行為」というテーマを様々な角度と段階から 分析していくこ とであ っ たからし て、個 々のテ ー マや区分 といっ たもの は 本来不要 な措置 である。 どころか、クレ ーが分 割 的に思考 してい たとい う 誤解を招 く恐れ すらあ る 。それに もかか わらず、 以後節ごとに区分けして論述を進めているのは、全体像の把握しづらいイェーナ講演を、部分部分 を把握していくことで全体像を提示するためである。論述の分割による不具合は、考察の折々で全 体像の再構成を筆者な りに試みることで解消に努めているため、その意図を汲んでもらえれば幸い である。
19 Felix Klee(Hg.), op.cit., S.223-225. 20 Ibid., S.223-237.
21 Felix Klee(Hg.), op.cit., S.237-241.
22 このよう な批判 をイェ ーナ講演 におい てもク レ ーが明確 に意識 してい た ことは次 の部分 のテク
ストから分かる。「私のデッサンが幼稚症 Infantilismus だという伝説の起こりは、あの線のイメージ からきたに違いありません」 (Felix Klee(Hg.), op.cit., S.240.); 「あの《小児的》infantile といわれて いる実例が皆さんに物語っているように、私は、美術全体ではなく、その部分を操作する仕事に携 わっています」 (Ibid., S.240.) 23 Ibid., S.240. なお 、この 引用箇所 でクレ ーは現 実 という言 葉を用 いてお ら ず、人間 Menschen とい う例を用いている。 24 このよう な「も う一つ の現実」の 提示を 強く意 識してい たのが、いわゆ るシュル レアリ ストた ち である。クレーとシュルレアリストたちの 関係については宮下誠の示唆に富む先行研究がある。本 発表の主旨とは異なるためシュルレアリストとクレーの差異をここで論じることはできないが、宮 下誠の示唆に富む先行研究 (宮下誠『パウル・クレーとシュルレアリスム』水声社、 2008 年)をふま えたうえで、クレーの芸術家的生存戦略という要因を無視してシュルレアリストとクレーを強引に 結びつけることは両者の誤解を招くおそれがある、とだけ付言しておきたい。
25 Felix Klee(Hg.), op.cit., S.234-235. 26 Ibid., S.225-226.
27 Ibid., S.231.
28 内的欲求 につい て述べ た後に、ク レーは「 純粋 な明暗の 本質を 秩序付 け るシンボ ル 」や「純 粋な
色の本質に相応しい秩序付け」について 論述している。(Ibid., S.231.)
29 Felix Klee(Hg.), op.cit., S.232-233.
30 „Weil es eben an der Orientierung auf der formalin Ebene fehlt.“( Ibid., S.232.) 31 Felix Klee(Hg.), op.cit., S.232-234.
32 Ibid., S.233. 33 Ibid., S.236.
34 Felix Klee(Hg.), op.cit., S.212-213; Paul Klee, Schöpferische Konfession, in: Christian Geelhaar(Hg.),
Paul Klee: Schriften Rezensionen und Aufsätze, Köln, 1976, S.119-120; Paul Klee, Tagebücher 1898-1918: Textkritische Neuedition, Paul-Klee-Stiftung, Kunstmuseum Bern(Hg.), Wolfgang Kersten(Bearb.), Stuttgart
und Teufen, 1988, Tagebücher Nr.640.
35
Paul Klee, Schöpferische Konfession, op.cit., S.119.
36 本論文註 34 参 照。 37 パウル・クレー『パウ ル・クレー 手稿 造 形理論 ノート』西田秀 穂、松崎 俊之共訳 、美術 公論社 、 1988 年、256-257 頁。 38 ここでク レーが 主張し ているの は、空 間的な 構 成概念 Konstruktion は も はや (ク レーの 考える )造 形作品には相応しくなく、時間的な構成概念である Komposition の方がより造形作品の本質に適っ
22
ている、ということであろう。
39 近年、こ の作品 を出品 した大規 模な展 覧会が 催 された (London, Tate Modern, The EY Exhibition –
Paul Klee: Making Visible, 2013.10.16-2014.3.9)。 し かしこの 展覧会 図録に お いても 、《生成に於ける 天使》の個別解釈はほとんど記されておらず、クレーの芸術論を示す一作品という位置 付けであっ た。
40 Felix Klee(Hg.), op.cit., S.232-234. な お、この 箇所 はクレー がイェ ーナ講 演 で論じた 造形化 の三つ
の問題のうちの第二のものにあたる。 41 むろん 、ここ でクレ ー が念頭に 置いて いるの は 主題に即 しての 造形の 補 完であり 、記 号に限 った 話ではないのは明白である。しかし、明確な言及がないからといって記号の可能性が排除されてい るわけでもない、というのが筆者の見解である。 42 クレーは その芸 術論全 体におい てもほ とんど 記 号論を展 開して おらず、『創造的 信条告 白』の 草 稿といったわずかなテクストしか残していない。その理由は彼の記号の有用性に対する反省による ものだと考えられる。クレーの記号論の展開とその反省については前田富士男『パウル・クレー 造 形の宇宙』慶應義塾大学出版、 2012 年、291-293 頁を参照。
43 Felix Klee(Hg.), op.cit., S.239.
44 ここで思 い出さ れるの は、クレ ーのか の有名 な 芸術の定 義であ る。「芸術は、目に見えるものを
再現するのではなく、見 えるようにする」„Kunst gibt nicht das Sichtbare wieder, sondern Kunst macht sichtbar.“(Paul Klee, Schöpferische Konfession, op.cit., S.118.) イェーナ講演での芸術論も併せて鑑み れば、クレーの芸術論の焦点は、芸術の概念やその対象の規定ではなく ――無論それらも要点とし て語られるが――芸術の「機能」、すなわち「造形化」にあったと推測される。
45 筆者作成 。
46 イェーナ 講演の 文脈で は「自然 」Natur であ った が、他に もクレ ーは「原像 的なもの 」das Urbildiche
といった概念で言い表している。原像的なものについては、デュッセルドルフ美術学校時代におけ るクレーの講義からその概要が知られている。 Cf. Felix Klee(Hg.), op.cit., S.258.
47 このこと は前註 の原像 論からも 明白に 読み取 れ る。クレーは この二 要素 の対立が 造形作 品に存 し
23 図版 図 2 《新しい天使》 〈 Angelus novus〉 1920 年(32) 31.8×24.2cm 厚紙の上の紙に油彩転写、水彩 イスラエル博物館
24 第 2 章 《山の花》から《生成に於ける天使》への変奏 第 1 章では、クレーの創作システムと《生成に於ける天使》の対応について考察を行っ た。クレーの創作システムによれば、造形作品の形成(芸術家の措定)には三つの層がある。 それは「造形要素」「造形作品の主題」「造形作品の内容」の三つである。この三つは、造 形作品を構成する普遍的な層から個別的な層へと順に展開しているが、第 1 章で明らかに されたのは、この三つの層と《生成に於ける天使》における個別的要素との対応関係だけ であった。 本章の課題は、《生成に於ける天使》において「何故そのような対応関係にあるのか」と いう問いに答えることである。すなわち、「何故このようなフォルムが天使のフォルムとし て選ばれたのか」「何故このようなフォルムによる造形作品が天使という題を持つのか」「こ のようなフォルムの造形作品は、如何なる内容を持つべきものであるのか」という三つの 本質に纏わる問いに答えることによって、《生成に於ける天使》のフォルムに秘められた内 実を明らかにすることが本章の目的である。 これら三つの問いに答えるために、本章では《生成に於ける天 使》と、この作品と造形 上類似した作品である《山の花》(図 3)との比較考察を試みたい。《山の花》を比較の対象 に選んだ理由は次の三つである。第一に、制作年が 1 年しか違わないことから、作品形成 の根底にある芸術論にはほとんど差異が無いと思われること。第二に、造形上は類似して いながらもそれぞれの主題――「植物」と「天使」――が概念的にあまりに隔たっているた めに、比較を通じてクレーにおけるフォルムと主題の関係がより明瞭化できると思われる こと。第三に、画中に「記号」が描かれていないために、《生成に於ける天使》に描かれた 三つの記号――特に十字架――に固有の意味を読み解く手掛かりとなり得ること。以上の理 由から、本章ではこれより《山の花》と《生成に於ける天使》の比較考察を試みる。 2-1. フォルムの問題 《山の花》と《生成に於ける天使》は、記号を除けば、「線描によって分断された多色の面」 というほとんど同様のフォルムによって形成された作品である。もっとも、この「 多色の 配置によって何かの主題を描く」という創作技法は、クレーを代表する創作技法でもあり、 植物や天使に限って用いられているわけではない。この技法による作品には《ハーモニー》 (図 4)や《測量された区画》(図 5)、《街の絵》(図 6)、《火と満月》(図 7)、《両方》(図 8)など
25 多種多様な主題がある48。よって、この技法によってクレーが「植物」と「天使」という全 く異なる主題を描いたという事実自体に何ら不思議はない。問題となるのは、この技法を 支える芸術論の方であり、すなわち「何故この技法が幅広い主題に適用され得るのか」と いう点である。クレーにとって「多色の配置」とは何を表現するための技法であったのだ ろうか。 クレーがバウハウスの授業で造形理論を講義するために記したとされる『教育スケッチ ブック』には、「多色」についての一連の理論が記されている。その理論を整理すると、次 の通りである。 色彩はその色合いの移行に従って「加熱」や「冷却」をする。たとえば、青から赤への 移行は「色彩加熱」であり、赤から青への移行を「色彩冷却」である (参考図 2)。この運動 は、矢印のように一方向へと向かうに留まれば、まだコンポジションを構成するための要 素にすぎない。コンポジションそのもの、すなわ ち運動有機体は、運動に対する反対運動 や終わりのない運動が生じるに際してはじめて完成する。その時、色彩の運動は矢印では なく円環となる49。この円環への移行のためには、相異なる色彩をそれぞれ対角線上に配置 することによって、加熱と冷却を一つにまとめる必要がある(参考図 3)。この円環に到達し たならば、「至るところで」あるいは「そこに」無限の運動が展開されることとなる (参考 図 4)50。 参考図 251
26 参考図 352 参考図 453 この理論の中心軸は、「多色の配置が無限の運動を生起する」という点であろう。クレー は芸術論においては多色の配置理論の焦点を灰色に据えていたが、実作品において灰色を 使用した例はむしろ少なく、円環の対比を部分的に用いるのがほとんどであった。簡略化 して言えば、暖色と寒色の相互配置によって「無限の運動」を示唆するのがこの理論の実 際の活用法であったと考えられる。そして、《生成に於ける天使》や《山の花》もまた、こ のような多色の配置理論によって創り出された作品の一つだと言える。 つまり、両作品は 「無限の運動」を表現するためのフォルムによって描かれた作品なのである。第 1 章で確 認してきたとおり、クレーはすべての造形作品は運動であると考えていた。よって、「無限 の運動」のための表現技法が彼の個別的主題――それが一見して運動を意味するものではな
27 かったとしても――の表現に適応されていたとしても、主題と理論の錯誤を示すことにはな らない。 従って、「花」と「天使」という二つの主題に多色の配置理論が適用されたのは、その根 底に「運動の表現」が在るからだと考えられる。 2-2. 造形と主題の結合の問題 イェーナ講演においてクレーは、先に述べた多色の配置による「無限の運動」 の表現と いう造形理論について、造形作品の形成という観点から、ある不足を指摘する。それは「方 向付け」の欠如である。つまり、「無限の運動」は作品 形成の指標ではあるが、それが十分 に達成されるためには、内容や主題についての方向付けがされなければならない 、という のがクレーの考えなのである。次に挙げるのはその部分の引用である。 このような否定的な意味での造形の段階には当然次のような同じ危険な意味が含まれ ます。すなわち、そこに留まっていては、最も偉大で最も重要な内容にまで達しえず、 その方向に向かうすぐれた精神的素質があっても挫折してしまうのです。なぜなら、 形式の領域における方向付けが欠けているからです。54 この発想の下に、イェーナ講演における議論は、造形要素の問題から主題・内容の問題 へと展開していく。クレーは作品の主題と造形要素の結びつきを「連想作用」から論じて いる55。連想作用――つまり、造形からのイメージの働きかけ――が造形と主題を結びつけ る理由について、クレーは次のように述べる。 何故かといいますと、高次の構造を持った造形作品は、わずかの空想力で、誰でも知 っている自然の被造物と比喩的な関係にもたらされるのに適しているからです。56 高次の構造とは、つまりは完成されたコンポジションのことであり、その一つの例は先 に述べた多色の配置によるフォルムである。従って、クレーはこの引用箇所で、多色の配 置による作品はそのフォルムからの連想によって自然的な事物と結びつき得る、と言明し ていることになる。単なる色彩の配置から自然的な事物を連想す ることが一般的に可能で
28 あるのか、という疑問は提示されるべきであるにしても、少なくともクレーはそのような 連想作用の下に造形作品の主題を決定していた。彼の作品にはこのことを示唆する多くの 作品がある。《開花》(図 9)はその最たる例である。造形としては単なる多色の配置に過ぎ ないが、クレーは連想作用によって「花が開く」イメージを そこに看取して、《開花》と題 したのだと推測される。そして、まさしくこの関連から、《山の花》における造形と主題の 結合の理由も説明できる。すなわち、クレーは画布上あるいは自身の思考の中に描き出さ れた多色の配置フォルム――「原」《山の花》フォルムのようなもの――から、「山の花」な るものを連想し、そのフォルムに「山の花」という題を与えたのだと推測されるのである。 では、《生成に於ける天使》の場合はどうであろうか。同様の理由によって造形と主題の 結びつきを説明するには、二つの困難があるように思われる。一つは 、一般的に言って、 天使は「誰でも知っている自然の被造物」ではないこと である。いま一つは、記号と主題 の結びつきが不明瞭であることである。この二つの困難は、前者はクレーにおける自然の 観念から、後者はクレーの記号論から、解決・説明されると考えられる。次節では、まず クレーにおける自然の観念について見ていきたい。 2-3. クレーにおける自然 2-3-1. 自然探求の道 クレーの自然に関する論考で最も有名なものは、1923 年に発表した論文『自然探求の道』
Wege des Naturstudium57であろう。題の通り、この論文は芸術のための「自然の研究」を目
的としている。その概要は次の通りである58。 自然との対話は芸術家にとって不可欠の条件である。何故ならば、芸術家もまた自然の 属するもののひとつだからである。芸術家と自然の対話についての分析は、視覚からだけ では不十分であるため、形姿から拡大して観察する必要がある。観察の方法は三つあり、 一つ目は「可視的内在化」、二つ目は「機能的内在化」、三つ目は前二つ とは異なる非可視 的な道、「みる私を対象との共鳴関係に導く」ところの、対象を人間化する道である。この 第三の道には更に二つの道がある。ひとつは大地の重力にとらえられている静的な道であ り、ひとつは宇宙の動性にあふれた自由な道である。これら四つの道は眼あるいは自我で 出会い、そこでフォルムにかえられ、外的な視覚と内的な観照の総合へと進む。自然 の研