東南
ア ジア研 究 14巻1号 1976年6月タイの地 租改正 につ いて
北
原
淳 *
A Not
eonLandTaxRef
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AtsushiKITAHARA
Thisnotetriestofoll()w uptht,processoflandtaxreform inTh・,I.ilandfrom 1874 to1906. Thereform couldbeunderstoodinthecontextoffiscalreform. Thefiscal
reform can besummedup asthedynamicprocesstoelimi natetaxfarmi叩 SyStem
,
which used tof(,Stergroupsantagonistictothenationalintegration policyofKingChulalongkorn. In otherwords,inordertobringaboutthenationalintegration,it wasnecessary to prcpairthematerialcondition ofthelocaladministration reform. IJandtaxcollectionhad been traditionallyadministered byFrom Na (Ministry ofAgriculture). During thereign ofKing Mongkut,Krom Nah.rl,d changed into almostthesamestatusoftaxfarmer,bycontractingtopaytheflXedrateoftaxtothe treasuryeveryyear. Thetaskoflandtaxreform,wastherefore,tointegrateKrom, Naintothebureaucraticsystem agalnandtodecreasethetaxlcakagcfrom From Na andlocalo航cials,byimprovingthecollcctingsystem. Thenextstepwastoeliminate Jを'rom Nafrom thetaxcollectingSystem. From 1888to1896,confront呈Itionbetween From Naandtheintegrationgroupofthekingconcernlnhrthemethodofcollcctlng theland taxseemed tooccuroften. Afterthcvictoryofthelatterovertheformer,
thelandtaxwascollectedbyPhrahhla71g(MinistryofFinance)inplace()fFrom Na. Thethirdstepwastorevisethetaxratetoincreasetherevenue. Afterthesuccessin amendingtheprovisionsoftheBowrlngTreatywhichhadfiXedthetaxrate,therevenue oflandtaxdoubledallofasudden. Partlybecauseofthedelayofissuingtitledeeds and partlybecauseofitsseparationfrom thetaxcollectlng admi ni.qtration,theland taxreform inThailanddidnotdirectlycontributetothesettlingofthetitlestoland.
は じ め に タイの地租改正 を論ず る場合, 日本 の例か ら,た とえば,土地 所有権 の確定に果 た した役割, 近代 化に必要 な財政収入源 の創 出等 を一 義的に想定す ることには無理がある。 タイの地 租改正 にそのよ うな役割 が皆無 とい うのではないが, それは二義的な もので あ ったo さ しあた り地租 改正 はチ ャク リ改革 の一環 と して行 なわれた財政改革 の一環 であ った と考 え る ことがで きる。 財政改革 はチ ャク リ改革 の最大 の課題で ある国家権 力の統一一に物質的基盤 を与 える措 置であ っ
*
神戸大学文学部東南 ア ジ ア研 究 14各 1号 た。従 って地租改正 も国家権 力の統一 に とって必要 な財政的措 置であ ると考え られ, また この よ うに想定 した ときその性格 が よ り良 く理解で きるよ うに思われ る。 地租改正が土地所有権 の確定,近代化のための資本蓄積 に直接貢献 しなか った基本的理由は 半植民地支配下 の家産制的経済構 造 に求 める ことがで きる。半植民地 的支配下 に形成 されたモ ノカルチ ャー経済では近代的工業化 に必要 な資本蓄積 を大量に必要 と しなか った し,そ もそ も 工業化の可能性 は制限 されて いた。国内市場 は, ボー リング条約以 降 自由貿易体制にな った と はいえきわ めて部分的 に形成 されたにす ぎず,土地 の商品化 もまた きわめて部分的な現象 にす ぎなか った。国 内商業 は,特定 の輸 出用一次産品の流通を除 くと
,
国家の財政活動 による物質 の一方的流れに代位 された。 この特殊 な商業形態では商業 の国家管理体制が優越す る。 この商 業 の国家管理体制 の下 での物質の流れに寄生す る官僚, 商業資本家層の私的商業活動 (公的資 源 の私的資源- の転用) が国内商業活動のかな りの比重を 占めたので はないか と思 われ る。チ ャク リ改革 の一環 としての財政改革 にゆだね られたひ とつの課題 は, このような公 的資源 の脱 漏部分をな くし, 国家権 力に対抗す る官僚, 商業資本家層形成 の物的基盤 を絶つ ことにあ った。 小稿 は タイの地租改正をさ しあた り上 のよ うな視角か ら考察す る。 考察の時 期 は 主 と して 1880年代 か ら1906年 の地租改正完了時 まで に限定 され るo今後地租改 正を所有権 の確定を も含 む土地政策体系の中に的確 に位 置づ ける必要 があるが, 当面 これは断念せ ざるをえない。今後 さらに本格的な実証作業をつみ重ねてみた上で地租改正の性格,土地 政策 における位置づ け等 を論 じてみたい と思 う。小稿 はその ような目標のための中間報告で ある。 1 財政改革 とその意義 Mongkut,ラーマ 4世王(1851-1868)の時代 の財政制度 は,徴収担 当者 としての徴税請負人 の利用 と,彼 らの納付先で ある国辱の諸部局への分散 とを特徴 とす る。徴税請負制度の広範 な 採用 は,条約 によって制限 された王室独 占貿易か らの収入 に代 わ る財源確保のためと られた便 宜的手段で あ った。 ラーマ4世王以 降近代 的制度の導入や王権 の正統性維持 ・強化のための諸 措 置 (寺 院,モニ ュメン ト建築 ,王室儀礼) に必要 な財政支出が増加 した。 この財源確保 の手段 が徴税請負制度の採用で あ った。 彼 らの納入先た る国庫 は 4世王期18部局,1)ChulalongkOrn, ラーマ 5世王期 (1868-1910) の財政改革着手直前10部局,2)と多数の部局 に分散 していた。 徴税請負制度は伝統 的行政機構 を利FHす ることな く, その枠外で契約 に もとづ く所定の増収効 果 をあげ る ことがで き, また伝統 的行政機構 に対 し契約 に もとづ く合理性 の要素 を注入 した と いわれ るが,3)同時 に農民, 華僑 に対す る没恩情的搾取,本来国庫収入 とな るべ き部分の 「脱 1)Wilson(1970):p.632. 2)Damrong(1963):pp・176-9. 3)Wilson(1970):p.621;Simn(1966):pp.39AO.北原 :タイの地租 改正 につい て ([) [851 f855 [860 (865 図1 徴 税 請 負 収 入 額 (1)Wilson(1970):pp.995--1,000. (2)Wira(1961):p・74. 漏
」
を生 み出 した こと も否定で きない。 この脱漏現象 は国庫の分 散化 伝統的 KinMtlang (食 邑)慣習 とい う行政機構 の不備 によ って倍化 された。 図 1に示 され るよ うに, 有力部局 のひ とつ phrakhlang (財務局) の収入 と比較 して, 敬 税請負収入 は急激 に伸 びて い る。 もしこの仮想 の 「脱漏分.」を減少 させ られ るな ら,租税収入 は さ らに増加 したに違 いない。 「脱漏分」
の存在 は増収 の上で障害 とな っただ けではな く,そ れに寄生す る官僚,商業資本家 の台頭 の可能性 も残 した。彼 らは脱漏分 を生活の維持,充足 と い う最低限の範 囲を越 えて蓄積 し,官僚資本家層 に成長す る可能性 を もった と思 われ るが,こ の ことは同時に王権 と対抗す る政治的勢 力の成長の可能性 を意味 した。地方行政改革 に代表 さ れ る行政改革が分割的割拠的政治勢力の台頭を制限す る ことに貢 献 した とす れば,財政改革 は 不 自由労働制 の解体 とな らんでその物質的基盤 を絶 つ ことi・こ貢献 した と考 え られ る。4) 即 位5年後 の ラーマ 5世王が着手 したのは徴税請負人 の一元的国庫 の下- の統制であ った。1873年 に MahaMala親王を長官 として "HoRatsadakonPhiphat" (国家収入院) とい う部
局が新設 されたが, この部局 は近代的財政制度導入 の突破 口とみ ることがで きる。1873年か ら 1892年 にか けて徴税請負人 を国家収入院の下 に一元 的に統制 し,入札 制度 に もとづ く,本来 的 契約 関係 を結 び所定の請負'gBの納入 を厳 しく義務 づ けた。 いま これ らの徴税請負人の統制 ・管 理 の徹底化 に関す る法令 ・布告 を詳細に検討す る余裕 はないが, ラーマ4世 王治世期 の1854年, 4)Saguan(1955):p.128. 51
東南ア ジア研究 14巻 l号 1856年 に発 せ られた徴税 請負人関係 の布告5)と比較す るとその差 は明 らかで あ る。 4世工期 の 布告では新課税対象 の請負を奨励 し, 請負制度 を拡充す る方向を示す ほかは, もっぱ ら請負権 の乱用 を禁 止 し,徴税 による人民 の困窮を緩和す る国王の恩情的姿勢 が示 されてい る。 この こ とは歴代 の国王がその在位初期には人民- の恩情 の姿勢 を示 し,徴税額 を低 くおさえ,従 って 治 世初期 に租税収入額 が低 く,後期に高 くな るとい う税収 サイクル6)の反映であろ う。 これ と 比較す ると1873年∼ 1892年の財政 改革 の過程 で発せ られた法令は, 徴税請負人の 「国家収入 院」の下で の一元的管理化 と近代 的契約概念の厳格 な適用 とを主た る内容 とす るO 「国家収 入院」 は勤務時間, オ フィスの設定,公 文書保管義務な ど,伝統的官僚機構 に近代 的公務概念 を導入 した タイ史 ヒ初 の近代的官庁 と評価 され るが, 同時 に徴税請負制度の改革 の
上で重要 な役割を果 た した.WichitWatakanの表現 によれば, 長官 MahaMala親王は徴
税請負人 に対 して 「経済戦争」を挑 んだ 「徴税請負人の独裁者」 であ った。7)1873年の 「国家
収入院法」 (PraratchabanyatsamrapHoRatsadakonPhiphat)8)および1874年 の 「徴税請負 人布/告
.
・
」(PrakatChaoPhasiNa主Akon)9)は, 前文 において, 請負人が徴収 した国庫収入を私的商業活動 に流用 し, このためバ ンコクの商業不振が生 じてい るとい う認識を示 してい る。 この認識 の是否は ともか くと して,国家財政の 「脱漏分」 に寄生す る商業 の発生 が うかがわれ る。10)この ような商業 によ り形成 された 「民富」を再 び国家収入に くみ込む ことが必要 とされ たので あ る。 1873年 の法では,公 開入札制度 による請負権 の競売, 所定請負観 の所定期 日 (毎月) におけ る納付義務, 義務不履行 の際の処罰 (妻子,奴隷,財産,土地没収 と本人 に対す る
3
年間の徴 役), 請負任命証
の不 正使用禁止, 収入院係官 の記帳義務,請負人 との共謀等不正行為禁止,等
もっぱ ら徴税請負人 の管理強化 の規定を主 たる内容 と してい る。請負人 はすで に ラーマ 4世 王の時代か ら Syndicateを結成 して請負額 を一 定 に保つ工夫 を した といわれ る11)が, この時 期の請負人 には単独,合資,下 請の三形態が あ った よ うで あ り, 1873年法では下 請人を使用す る請負人 に関す る規定が ある (第13, 15条)。 また請負人 の家計 には奴隷(That)な ど不 自由身 分 の被護農民が存在す ることが あ き らかであ る (第10条)。1892年 の 「徴税請負業法」(PraratchabanyatK礼nPhasiAkon)12)は1873年, 1874年の法令
5)"PrakatPhim KhosanaPhikatPhasiAkon,"Pups,vol・5,pp・132A・
"PrakatwaduaiPhuthichaRap Tham PhasiAkon TangTang llaiTham RGangRaoYGntこIm Krom,"PKPS,vol.5,pp.185-6・
"PrakatRnangHaiNangstiKhum PhasiAkondoiPhonkan,"Pups,vol・5,pp.186一一8. 6)Wilson(1970):pp,63ト2.
7)Wichitwathakan(1965):pp.100--101.
8)Pup
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,vol.8:pp・83-99. 9)PKPS,vol.8:pp.159-160.10)Wilsonは1850-60年代には徴税請負人-商人であったと推定する。Wilson(1970):p.642.
ll)l'bz'd.,pp.635-6.
北原 '.タイの地租改正につい て
を廃止 し, これにかえてよ りい っそ う体系的な請負制度の国家管理 の方 向を うち出 した。主 た る規定は,租税請負人の官吏-の編入,担 当係官 の私利私益追求 の厳禁 ,請負人 の権 利 ・義務 関係 の明確化,である。 1893年施行の 「国内関税率法
」(
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habanyatPhi
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3
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では初 めて国内関税 (国内取 引税) の官僚機構 による直接徴収 と各税 に関す る統一的課 税率 とが規定 された。 これまで徴税 請負人 は
Phas
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Tax)
とAkon(
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とい う二つの租税 のカテゴ リー について徴税請 負権 を有 したので あるが, 今後請負権 は
Akon
とい う営業税●●●
の分野に限定 され ることにな った。徴税請負人 の官僚機構へ の制度的編入 (これまで も個 々に
編入 され る例 はあ った) と請負権対象分野の限定 とが方向づ け られたので ある。14)
1890年 には 「大蔵省業務法
」(
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が発 せ られ,国庫管理 の諸 部局 は, これ までMahat
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やKal
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な どの有力部局 の管轄 に属 していた ものが,今後phr
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の下 に移管 され,国庫 の大蔵省の下への一元化が規定 された。徴税 関係 の部局 と しては,謀役代 (人頭税),
Akon
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,地租, 関税 の納入 を管理す る五 つの部局 の設 置が うたわれた。これまでの諸税 の実際の徴収担 当者 は租税請負人 と一部の官庁 で あ った。 徴 税 請 負 人 は
Pl
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,Akon
徴収 の大部分 のほか,謀役代, 関税徴収 の一部を も請負 った よ うであ り,官僚組 織 を通 じてほ とん ど大 部分 が徴収 されたのは地租 のみであ った と思われ る。 いずれに して も徴 税担 当者は これまでKal
ahom,Ma
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とい う国庫 の エー ジェン トで もある有力部局 に管 轄 されて いた。従来主 と してKal
ahom
の勢力下 にあ ったphr
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を 大蔵省 と して独立 させ 中央 の直接統制下 にお き, この大蔵省 の下 に旧徴税担 当者 を統合 す ると い う大改革が 円滑 に進行 した とは考 え られない。形式 的には官僚機構 を通 じて徴収 され ること にな っていた地 租, 関税 の徴収 自体 もまた請負化 していた事態 の中では,国庫の一元化 とい う 大事業は, とりわけ権 力抗争的な色彩をおびた政治過程 の中で進行 したであろ う。従 って1890 年 「大蔵省 業務法」に規定 された諸税 の管轄機構 設 置 も,動態的 な過程 の中で考 える必要が あ る。 1892年,1893年 の徴税請負人 国家管理化 の方向は, 当然1890年 における大蔵省 の下へ の国庫 一元化の形式的完成 とい う文脈 の中で理解 され る。 しか しこれ まで主 と して官僚機構 の枠外 に ある徴税請負人 に依存 して きた租税徴収 を, 一挙 に官僚機構 が行 な うことは不可能 であ り, そ の後少 な くとも十数年 にわた る移管 のた めの試行錯誤の時期が必要だ った もの と思われ る。具 体的実態 はよ り詳 しく一次的公文 書:によ って解 明す る必要が あ るが, ここで は とりあえず代表 的法令 によ って財政改革の ポイン トだけを概観す るに とどめた() 13)PKPS
,volt13:pp・209-・2361 14)Wira(1961):pp・118--122・ 15)pups,vol・12:pp・133--142・東南 ア ジア研究 14巻1号
□
地租関係の法令 と地租改正の過程地租 (KhaNa)は伝統的に AkonKhaNa と表現 され るよ うに Akon(Duty)の一種で あ
り,土地 か らあが る生 産物 に対す る収益税であ った。所有権 が不安定,未確定であ った ことを 一因 と して,地租 は土地所有者 に対 してではな く,土地 の利用者 に対 して課せ られた。少 な く
とも20世紀初頭 には小作人 (借地 人) が地租 を支払 う現象 は一般的で あ った と思 われ る.
地租徴収 の分野で は古来 Krom Na (農事局) の果 た した役割が大 きい。 このKrom Naは
いわゆ るChatusadom 体制 (トライローク王以前 に Mnang,Wang,Na,Khlang の民部 4
Krom を国王が直接統 括 した とされ る体制) における-部局 と して存在 した ことにみ られ るよ うに, タイ官僚機構 中の最古層 に属す る部局で あ り,Krom Na の統 制は国家権 力に とって き わめて困難 な課題で あ った。 「この税 (地租) の徴収 はタイエ リー トの国内統 治 ときわめて密 接 に絡 みあ って いたので, タイ国家がその税 か ら最低 限の収入を確保す るためにさえ,特別の 手段が とられなければな らなか った」16)といわれ るほどで あ り,徴税請負人化 した Krom Na を国産 に統合 し,地租増収 をはか る事業 は,財政改革 の中で重要 な位 置を 占めた。 ラーマ4世 の時代 には1855年, 1858年, 1864年 に地租 を軽減す る布告が発せ られてい る。 1855年 の布告 の原型 は不明だが,17)比rom Na によって新 しい地租納付証書 TraDaeng交付 のた めの検地 が行 なわれ, その際 NaKhuKho 田の地租 を0.375バー ツか ら0.25バー ツに軽 減す る規定がなされた, とされ る。 この地租軽減策 は実際 は無王の占有地 に限 って なされた と され,18)また予想 され る NaKhuKho 田地租 の減収を埋 めるため, 3世王時代 に廃止 された KhaNam (魚獲税) が再導入 され るな どの事実 もあるた め留保 が必要で ある。 軽減の理 由 と
しては,保有農民 (Krom Fiphai所属 の phraiLuang)の集団請願, 彼 らと利害 を同 じくす
る NaKhuKho 田所有 の王族,官僚 の要求 な どがあげ られ る。19) 1858年 の 「新開 田地租 の初年度免除布告」20)は新開 田の地租 を,初年度免除,2- 4年 目減 負,5年 目よ り規定額徴収, と規定 した。1864年 の 「TraDaeng交付 田地租納付延期布告」21) は水不足 による不作 のため,不作部分の地租納付を次年度 まで猶予す ることを規 定 した。1855 年 の布告 を含 め, ラーマ4世時代 の布告 は一様に地租 の軽減,支払猶 予など,地租増収 とは正 反対 の方 向を示す。 これは,米 の輸 出のための余剰が不十分 な状況 に もかかわ らず輸 出がなさ 16)Wilson(1970)・・pp・649-650. 17)以下の法令に言及されている。
"PrakatIIaiTangAkonKhaNan RepRiaktamDGm,"PKPS,vol.5,pp.225-6. "PrakatNgoenKhaNaProtITaiTangKhang,"PKPS,vol.7,pp.12ト2.
18)Wilson(1970):pp・655--7. 19)Chit(1974):pp.276-8.
20
)
"PrakatMaiHa主RiakY山IKhaNaThiRatsadonThakthangKhGnMaPiThiRack,PKPS,vol.5,pp.294-5.
北原 :タイの地租改正について
れ, と くに不作 の年 には国内飯米 の絶対 的不足がみ られ米価が高騰 したため,新開地 の米作 を 奨励す る必要が あ った事情 を反映 した措 置 とみ られ る。
4
世王の時代 のKr
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m Na
の長官で あ ったChaoPhr
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(本名LongBunl
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は国庫 に毎年16万バ ー ツの地租 を支払 う条件 で国王か ら妥協を とりつ け,Kr
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は 実質上 の徴税 請負人 と化 した。22)現場 の地租徴収者 である地方役人 の不正行為 もまた恒常的現 象で あ り, これを取 り締 るため,Ka
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など有 力部局 の手を借 りる必要があ っ た。以上の ような 4世王時代 の地租徴収 の現状 をあ らため,地租 を国庫 に一 元的に集 中す るこ とが5世王の地租改正の課題 とな った。地租率の変更 は, ひとつにはボー リング条約 および付 属協定第 4条 によ って禁止 され るとみな された23)ためなされず, 末端の納税者 たる農 民 と中 央の国庫 とを結ぶ 中間徴税機構 を改善 し,増税 をはか る ことが地租改正の当面の課題であ った。 1874年に発せ られた検地法24)は これを 目指 した もので あ り, 4世王時代 の地租徴収体制を根 本的 に改 める方 向が うち出されている。 この方向は もちろん1873年 の 「国家収入院」の新設 に は じまる財政改革 の文脈 の中で考え る ことがで きる。25) 1874年 の検地法前文 は次の よ うな事情 を記す。 (1)Kr
o
m Na
派遣 の地租徴税官 (検地官) は毎年年末(2
月) にな る と地方 の田地 を検分 し,地租徴収額 を査定 した。徴税官は検地任命 書 を国司 に示 し, 国司は,郡 司,村 長等 に対 し,徴税官の検地事業-の協力 を命 じたが,監督 不十分であ った.(2)Kr
o
m Na
の徴税官,地方役人 が田地 所有者に渡 した納税証書TuaDi
ka
の記載事項 は,鉛筆書のため消えやす く,係争の際などの証拠物 と して不十分 で あ った。 (3)敬 収 した地租 の うち,徴税官,地方役人の報償 として各 1割,米輸送料 と して80バー ツ (1c
血a
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当た り15バー ツが控除 されたが,村長 はその報償か ら村税(
KhaTa
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,皮 革税,米穀税等 を徴 税官 によ りさ しひかれ るなど, 地租支払方法, 報償 の控除 は混乱 を きわめたO (4)Kr
o
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Na
派遣 の徴税官 は他 の随行係官を も一族郎党 で 占めて しまい, 徴税業務 において地方役 人 と の相互監視 の体制がなか った。 以 上のよ うな欠 陥をな くすため, (1)Kr
o
m Na
は徴税官1
名のみを任命 し, 地方役人 (那 司), 村長 とともに検地, 徴税 を行 なわせ, 三者 の相互監視の体制をつ くる (郡 司, 村長はKr
o
m Na
徴税官 を一方的に信用 しない こと,不 正の生 じた際は三者を ともに罰す る等). (2) 関係三者 の検地,徴収 の報償 分は合計 して,第1級 国10%,第2級固11%,第3級 国12% , ク 22)Wilson(1970):pp・653-4・ 23)条約本文では英国籍者 (TheBritishSubject)は租税の賦課に関し,タイ人と同様の賦課率とされ,付属 協定では英国籍者は土地税,輸入税以外の新課税はされない,との規定である。この規定がなぜ直ちに 地租率の変更を禁止したと解されたかは不明。Bowring(1969):vol・II:pp・217-8,pp・235-6・24)"PraratchabanyatPhuRaksaMnangKrommakanlaeSenaKamnanAmpoesGngcha()kDGnPramGn Na,"PKPS,vol.8,pp.242-251.
25)筆者はかつてこの法を1855年,1864年布告の延長 〔米作奨励のための免税措置〕と理解 したが,財政改
革の一環としての側面を軽視 していたことを反省する.北原 (1973):pp・17-19・
東南 アジア研究 14巻1号 ル ンテープ
8%
とし, 村長 は報償 の中か ら諸税をKr
o
m Na
徴税官 よ りさ しひかれ る必要 は ない。(
3
)
検地 出張 にあた りKr
o
m Na
徴税官 は国家収入院にて大蔵卿 よ り印刷 した5
種 の貨 幣額単位 に応 じた TtlaDikaの書 式 を受 けとる。 (4)地租 を徴収 した際,徴税官 は額 にみあ っ た TuaDika何枚かに三者 の押印 を した上,納税者 に渡す。1
8
7
4
年法 は国司.郡 司,村 長およびKr
o
m Na
派遣徴税官の業務規定 にその主 たる内容があ ると思われ, 大蔵省 の下への地租 の一括納入 によ り増収 をはか るため,Kr
o
m Na
徴税官, 地方役人, 田地所有者 (または納税者) の共謀,癒着に よる不正発生 の事態を さけることを意 図 して い る。1
8
8
2
年 に発せ られた増補令26)は,1
枚 の TuaDikaに6種の額 に応 じた収入印 紙 を貼付 し,係官の押印を して納税者 に渡す とい うシステムに き りか え,納入貨 幣額 に応 じ相 当単位 のTuaDikaを何杖 も渡す とい う煩雑 さを廃 l上して いる (実は1
8
7
5
年 よ り行 なわれて き た システムの再確認)。租税証書 TuaDikaに収入印紙 を貼 るシステムを導入 した ことは,徴 税係官 による国庫納入相 当分の着服,滞納 をチ ェ ックす る上で きわめて有効で あ った.Kr
o
m
Na
徴税 官が出張 にあた って受 け取 り,預 った印紙 の総額 は,実際に国庫 に納付 された地租額 と徴税 出張期間後に未使用分 として返却 され た印紙残額 との合計 に理論上等 しくなければな ら ず, この点か ら徴税係官 による不 正着服額 を推定す ることが可能 とな ったか らで ある。 ラタナ コ- シン暦1
0
7
年(
1
8
8
8
年) には,1
8
7
4
年 につ いで画期的な地租徴収法が制定 された。 その全文 は,
『年次別法令集』 に もKr
o
m Na
関係 の公文書 に もみあた らないが,法令の存在 自体 はその増補布告(
1
8
8
9
年)27)に よ って もあき らかで あ る。Kr
o
m Na
関係 の公文書28)と増 補 布告 とを参照す るとほほ次のよ うな内容で あ った と思われる。 (1)TraChong,TraDaeng な ど正規 の 占有証 書のない上地 は国有地 とみなす (占有 者が 占有証書 の交付 を望 まない,耕作 の意志 がない,耕作能 力を こえて 占有 してい る,等 の場合 も 同様)。国有地 の耕作 は小作 とみな し, 国家 に対 しライ当た り0
1
2
5
バー ツ(
lsallvlng)の小作料 を支払 う こと。 (2) lFl占有証書 の所持者 はそれを提示 し, あ らたな書式 の 占有証書 Chanotrrra Chong (BaiChong)を受 け とるO 新 占有 証 は占有地2
5
ライにつ き1
郡 を交付 し,新規交付 の場合 は,2
5
ライまたは証書1
部につ き,所定の地租以外 に,L
ti有証書代 と して6
バー ツを支払 う。による占有 予定証書 BaiYiaPYam の交 付を受 けるo この L-j也を3年以 内に耕地 とした場合
4年 目に TraChongの新規交付 を受 け,以 後地租を支払 う。
(4) その土地 を休耕,放棄す る場合 は占有詐 害を返却す るり 返却せず所持 したまま同時 に別
の土地 を開墾 して はな らない。
26)Pups,vol.10:I)P・118-121・
27)"PrakatSangkhepRLvlangKhaThamniam ChongNa,"Pups,vol.12:pp.35J7. 28)Å一.Sリ311廿 ]/121;K.Sリ3・2/9,3/119;K.・ヾ.,3・2/10,10/55.などに散見される(,
北原 :タイの地租改正について この
1
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年地租法 は混乱 を招 いた らしく,翌年増補布告 が発 せ られた。 その要点 は,(
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)
2
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ラ イを こえ る同一 占有地片 につ き,証書第2
部以上 の占有証代 は 1部 につ き0
.
2
5
バ ー ツとす る.(
2
)
2
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ライ未満の小地片 は,数片合 計 して も2
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ライに満たない場合-托 して 占有証代 は6バー ツ とす る。(3)以 上 の規定以上 に前年超過徴収 した分 については返納す る。1
8
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年地租法 は, ボー リング条約 による新規課税項 目設定,所定徴税率変更 の全面的禁止 と い う枠 内で,地租増収 をはか ろ うと した苦 肉の策 とみ られ る。つ ま り占有証代, 国家 の小作料 とい う合法的 な形で新 しい地租項 目を創設 したのであ る。後述 のよ うに,1
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年 には,1
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年 (つま り収入 印紙 の使用が は じま った年)以来 の地租脱漏分の大整理が併行 してお こなわれた。 以 上を一因 と して1
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年 (ラタナ コ- シン暦1
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年)以 降の地租納入額 は飛躍的に増加 した.1
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年 には 「地租徴収法」(
Phr
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haBanyatLaks
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pNgoe
nKhaNa
)
2
9
)
が制定 さ れ た。地方行政改革 によ って内務省 による地方官吏 の直接掌握が進んだ事態をふ まえて,地租徴収業務 を
Kr
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(その後身 と しての農務省) か ら大蔵省 国税局 に移管 し,地租 は以後,国税局 が地方役 人の協力をえて徴収す るシステムが導入 された。30)この
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年か ら1
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年 に至る時期 は, 地租徴収 の管轄をめ ぐって
Kr
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m Na
と大蔵省 とが争 う時期 であ り, 地 租改正史上 きわめて重要 な時期 と して位置づ ける必要が あ る。 ところが従来 この時期 の地租 関係 の法令 (寡)は 『年次別法令集
』
(
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maiPr
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ham Sok)
な ど制定法令 の集成史料類 にはみ あた らないため,その存在 が不 明で あ った。Kr
om Na
公 文書 を検討 してみ ると, 少 な くとも1
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年,1
8
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4
年の2
回にわた って3
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)
重要 な地租徴収法令案が農務省 によ って準備 されなが ら,結局 正式 に制定 され なか った ことが明 ら かで ある。1
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1
年 の地租法案 (タイ トル不 明)3
2
)
は農務卿phr
ayaPhat
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akor
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によ って準備 された とみ られ,33)内容 は
4
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条 に ものぼる本格 的な法案 の体裁を と り,地租徴収方法を規定す る。 詳細 は省 くが要点 は1
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年の地租法の規定を整理 し,誤解 を生 じないよ う心が けた もの と考 え られ る。Kr
o
m Na
公 文書 で知 りうる限 りの1
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年地租法 の規定 に加 えて,(1)地方役人 は管理 し, 納付す る地租 を地方支出にあてて はな らず, また地租 の会計簿 を作製す ることoKr
o
m
Na
派遣官吏 の不 正は告訴す る ことがで きる。 地租 の中央送付 は地 方役人 とKr
o
m Na
係官が 共 同 して行 な う。 地租徴収 は6- 8月 に完了 し, また所定期 日までに国庫送付 を行 ない,遅滞 を厳禁す る。(2)納税貨 幣が旧貨 の場合 ,Kr
o
m Na
係官,地方役人が フイゴ,炭等 を準備 して 納付者 自身に鋳 つぶ させ,鋳 つぶ し料等請求 してはな らないo納税者 自身が行 なわず,Kr
om
29)PKPS,vol.17:pp・494-502・ 30)&∫リ3・2/31,10/55:pp・56-9・ 31)このほかに運河地域に対する占有証書の交付を目的 とした 「冊 摘 EJ寵法」 (P.r3・TruatRangwatNa) <1896>案がある.北原 (1974):pp.313-8;北原 (1976):pp・296-8・ 32)K・S・,3・2/10,10/55:pp・8--18・ 33)〟.ガリ3・り2,1/119:㍗.84. 57東南 アジア研究 14巻1号
Na
係官,代理人 に鋳 つぶ しを依頼す る場合,所定の鋳つぶ し料を支払 う, などの規定が ある。この地租法案は他 の箇所34)で, ラタナ コ- シン暦110年, あるいは111年地租徴収法 と記 さ
れてお り,部分的に施行 されたのか もしれない。 しか しタイプで打 った本文 にその後つ け加え た とみ られ る手書 きの部分 には,1893年 の年号 もみえる。
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の時代 に起算 され,1892年 に農務大臣に就任 した
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にひき継がれて検討 さ れた と考 え ることがで きる.35)1894年6月
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はあ らたに 「田地法」(
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)
を近草,上提 し, 同年11月付則農務 大臣令 と して,農務省徴税官任命布告,地租徴収令草案を 起草,上提 した。36)田地 法草案 の 主旨説明によれば次の通 りである。 旧 占有証書
Tr
aChong
の交付 にはKr
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徴税官, 地方役 人, 村長 の三者 の押印を必 要 とした。 この印章 は年度限 りで返却す る規定で あ ったが, ひき続 き期限切れ後 も不正に使用 された。不正 のTr
aCho
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乱発 のため交付帳簿 はな く,知事 もその交付状況を把 握で きず, このため土地 の権利 を め ぐる係争が激発 して い る。1888年地租法 はTr
aCho
ng
の交付 と地租 徴収 の一本化 をめざ したが,業務進行状況が必ず しも良 くないので,再 び地租徴収法 を制定 し, 地租徴収業務 の一元的管理化を徹底す る。 (1) 1874年法 および1882年増補令 を廃止す る。 (2) 権利証書 の登記 を行 な う。 (3) 地租徴収 は申告制 とす る。(
4
)
出張 ではな く,常駐 のKr
o
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徴税 官を任命 し,常設 の田地業務所を設 置す る。 (5) 徴税官,地方役 人 の報償 (徴収経費 とみなす) を徴収額 の12%とす る。 (6) 本法 を特定地域 にまず施行す る。 この法案 は土地係争の処理 と地租 の増収 とい う二つの目的を一挙 に解決 しよ う と した と み られ る。Sur
as
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は これに よ って現時点の地租収入 15,000c
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(120万バー ツ) を 25,000c
ha
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(200万バ ー ツ) に増収で きる と推定 している。 同法案の審議 はフランス との国境紛争 (1893年) の事後処理,国王の病気 などのため もあっ て長びいた。 しか し,1896年頃か ら農務省(
Kr
o
m Na
の後身 としての) の権 限縮小が計 られ, 1897年3月 に農務省が廃止 された とい う推移 をあわせて考 えると,む しろ農務大臣の起草 した 法案の審議 が意識的にサボ ター ジュされ, ひ きのばされ,結局法案は うやむやのまま流産 して しま った, とみたほ うが よさそ うで ある。1894年∼95年 にか け農務大臣
Sur
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,および副農務大臣phr
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は国王秘書官役 の
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親王や内務 大臣Da
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親王に同法案の主 旨を くり返 し説 いた公文34)K.S.,4・4/3,17/55:p.13,p.19.
35)北原 (1974):p.300でSurasakmontriが起草 したと断定 したのは誤り0
北原 :タイの地租改 正につい て
書 を送 った.37)農務省側 の主張 は,農務省が Thesapiban 常駐 の Krom Na徴税官を任命 し,
従来 の毎年の徴税期 ごとに徴税官を任命,派遣す る慣習 を廃止すれば地租 の増収,土地係争の防 止 をはか る ことがで きる,とい うものだ った。これ に対 しDamrong親 王,国王側 は,地方行政 改革が進行 中の現時点 では内務省派遣 の州知事 を Krom Na徴税官 に任命, 兼任 させ る こと に よ って従来弊害であ った 内務省派遣 の州 知事 とKrom Na派遣 の徴税官 との不和が解消で き る と主張 した。 1896年 の徴税期 には以 上の論争 は内務省 の勝利 に帰 したよ うであ り Damrong 親 王は州県 知事 に対 し地租徴収 を命ず る内務省 通達 を起草 して いる。 1897年3月∼ 1899年9月 の間農務省 は廃止 されて存在せず, この間地租徴収業務 は, 1898年 に再編新設 された大蔵省国税局 (Krom Sanphakon)が州県知事の協力をえて行 な った。38)以 後農務省が再設 されたの ち も,地租徴収業務 は完全 に大蔵省 に よ って行 なわれ,長 らく伝統 的 で あ った Krom Na による地租徴収 の慣 習は断 ち切 られた。1900年 に制定 された 「地 租徴収 法」 は以上 の経緯 の法的表現であ り, 内務省 による地方行政改革 と大蔵省 による財政改革が少 な くとも地租 改正のプ ロセ スにおける国内的阻害条件 (Krom Na-農務省 の存在) を排除す る ことに成功 した ことを示 した。 しか し同時 に,従来地租徴収 に付 随 して行 なわれて きた占有 証書 の交付 (-権利確定事業) は,農務省 の伝統的経験を不 可欠 と し, このため地租徴収事業 とは無 関係 に,権 利確定事業 が再建 された農務省の手 によ って行 なわれ る ことにな った。 1900年地租法 は別途検討すべ き重要 な諸規定 を含 むが, さ しあた り注 目され るのは 「本法 は 土地 所有 のための権利証書交付事業 とは関係 な く, それ (交付 事業) は地租徴収事業 とは異 な る事業 と して整備 され る」 (第4条) と して, 地租徴 収 を, 土地 の権利 にかかわ りな く進 め る 方 向を うちだ した点である。 この ことは,土地 の所有者ではな く,土地 の耕 作者か ら地租 を徴 収す る ことを意味 した(第12粂)。 また伝統的地租徴 収方法 によるNaKhuKho田,NaFang Loi田とい う区分を政府 が定 めた もの と再確認す る ことによ って,今後 NaKhuKho田によ る徴税地域 を拡大す る可能性 を も示唆 した (第5条 7項)() なお地方行政改革 の進行 によ り, 北部 に対す るバ ンコクの支配 も強ま り,同 じ年 に 「西北部諸州地租徴収法」(Phraratchabanyat RanRepAkonThiDinNaiMonthonTawantokChiengNtla)39)が制定 されたO
地 租徴収 が土地 の権 利確定事業 と切 り離 され, また国家の必要 による徴税方法の変更 の可能 性が示唆 され,地租増収 の要件 は整 ったので あるが, その際の唯一 の障害 とみなされたのが ボ ー リング条約 の課税制限条項 であ った。 しか しこの条項 も1900年 の条約 の一 部改正 によ って除 去 された。40)財政改革の一環 と して賭博税等徴税請負制度 によ る徴税部分 の比率を徐 々に減少 37)北原 (1974):pp.325-330[K.S.,312/10,10/55】 38)K.S.,3・2/31,10/55:pp.56-9・ 39)PKl'S,vol.17:pp・315-91
40)RFA,theYear120:p・ll;Ingram (1971):p・77,p・178・正式の協定名は次の通 りo
HAgreementfortheAbrogationoftheI.andTaxSchedulejntheSupplementaryAgreementtothe Treatyof1856"(Sept・20,1900)・
東南 アジア研究 14巻1号
させ る動 きの中で,地租増税 が必然化 した。1906年 の 「地租徴収方法,税率改訂布告」(Prakat
RaeWithilaePhikatKepNgoenKhaNa)41)は,以上 の前提 をふまえた地租増収 のための技
術的解決策 を示す。
1906年布告 の要点 は,(1)利用度に よる田地 の区分 (NaFangLoi,NaKhuKho,ThiHuan Ham),(2)平地 NaKhuKho田の地租 の 5等 級区分,(3)その他特殊 な 田地 の課税規定,等で あ
る。 この布告の付則施行令 ともい うべ き 「地租徴収布告」(PrakatOkPaiKep Ngoen Kha
Na)42)に よれば,全 国49県 (Mnang)の全行 政村 (Tambon)はすべて 5等級の田地 に区分 さ
れ, また これまで KrungKao,Angthong,Lopburi,Suphanburiの 4県 に限 られて いた Na KhtlK.ho43)田の適用地域 を拡大す る方 向が示唆 されて い る。 この1906年布告につ いては,一方では第1級 田に対 しライ当た り1バー ツの課税 率は高す ぎ るとい う意見があ り,他方賭博税 廃止委員会 は この地租 に加 え ライ当た り0.25バー ツの 占有料 (KhaHuangHam)を支払 うべ きだ と主張 した。44) その後, もれた行政村 名のつ け加 え,新村 の形成 による村 名のつ け加 え,不作や低収量を理 由 とす る田地等 級 の変更 な どが あ ったが, この1906年布告 によ って定 め られた地租 率は基本的 には1930年 まで維持 された とみ られ る。 なお1908年 には, 1906年布告の主 旨に沿 って 「Na
KhuKho方式地租徴 収布告」(PrakatKepNgoenKhaNaPenWithiNaKhuKho)が発せ
られ, これまでの NaFangLoi田が NaKhuKho 田に大量に切 りかえ られ, その対象地域 は,広 くデル タ周辺部一帯 に及 んだ。45) Ⅶ 地租徴収 の実態 まず1881年以 降の地租 および 占有証代金 の徴 収,納付額 は表 1の通 りで ある。1889/90-1891 /92年分 の全容が把握 で きないのが残念で あ るが, この時期を境 に地租 (および 占有証代金) 収入が急速 に増加 した ことがあき らかで ある。 第2の増加時期が1898/99年, 第 3の激増時期 が1906/07年である。 第1の時期の増加 は前述 の1888年 の地租徴収法 によるもので ある。 すな わ ち, この法 に もとづ く占有証代収入, 国有編入地 の小作料収入 などが従来の地租収入に加わ ったためで ある。 第3の時期の激増 の理 由は もちろん1906年の地租改 正である。 増収のための 諸措 置によ り地租徴収額 は一挙 に2倍 に もな った。 ここで興味 あるのは第 2の時期の増加の理 由で ある。 この時期 には一時的に農務省が廃止 され (1897年 3月∼1899年 9月), 地租徴収 は 農務省の手か ら新設 の大蔵省国税局 (Krom Sanphakon)の手に移 った(-1896年 の内閣大改造 41)PKPS,vol.20:pp.1637.
42)K・S・,3・2/35,10/290:fromDamrongtotheKinglothNov.R.S.124.
43)"PrakatKcpNgoenKhaNa,"(22thN(,vl1900)ではまだ この4県に限 られたoK..b1.,3・2/31,10/55:pp.
75-6.
44)K.S.,3・2/35,10/290.
45)Pups,V()1.22:pp.438--471,
6
北原 :タイの地租改正について と農務省廃止 とい う事態が,地租増収 につなが った と考 え られ る。
1
8
8
8
年 の地租徴収法 の制定によ って,以 後地租収入 は飛躍的 に増加 したが,1
8
89
年 には過去 の滞納,未納分地租 の大整理 も行 なわれた。表2
はその成果 を示す。1
8
7
5
年以 降の未納分の推 定 が可能 にな ったのは,前述 のよ うに この年か ら収入印紙が利用 され るよ うにな ったた めであ る。農務大臣(農務卿)のポス トは,1
87
5
年∼1
8
85
年 の1
1年間はMa
ha
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所属 のChao
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年 にはKa
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所属 のCha
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が 占めた。 この あ とを継 いだのは
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で,彼 は1
8
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年にKal
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が農務大 臣のポス トに就任す るまでの間, きわめて精 力的に地租1881/82 1 1883/84 111884/885/8685 二二:二二二 1888/89 1889/90 1 1 1890/91 1891/92 . 1892/93 ; 1893/94 1 1894/95 1 1895/96 1896/97 (出所)1. 1881/82-1888/89 2. 1889/90-1890/91 3. 1892/93-1893/94 4. 1 894/95-505,585 518,124 614,111 837.912 560,044 527,327 808,672 787,927 *1,004,627 * 212,240 1,024,914 1,710,225 1,479,758 1,129,455 1,696,675 1897/98 1898/99 (*& :Baht) 1,602,354 2,763,268 1899/1900 2,667,383 1900/01 1901/02 1902/03 1903/04 1904/05 1905/06 1906/07 1907/08 1908/09 1909/10 1910/ll 1911/12 1912/13
ArchievcsofRama5thReign,ReceiptofPhraklangonly Archievesof鼠ama5thReign,*Taxfor1888/89Only ReportorFinancialAdviser
StatisticalYearbook 表2 1875-1887年度分滞納地租徴収状況 :.返 却 印 紙 額 i推 定 滞 納 分 l 1 17,611C 10,998C 1875-1885年度分 52B 52B 8A 24A 10,788C 7,793C 16A 56A 61 2,995,378 3,144,855 3,163,535 2,941,196 3,763,647 3,859,494 7,579,449 7,638,743 7,101,429 8,003,720 7,302,699 6,043,752 6,894,924 ;8g8)9年回収分 1純 滞 納 額 548C 10,449C 48A . 56A 3,476C 4,296C 48B 66B 52A OA
C :Chang鋳造貨-80Baht,B :Baht鋳造貨,A :At鋳造貨-1/64Baht
FiL南 ア ジ ア研 究 14巻1号
徴収業務 にあた った。前述 のよ うに, 1891年の地租徴収法案の起草 も彼 の手 にな る もの と思わ
れ る。 彼 は1888- 89年 に, 1875- 87年間の滞納,未納分 の点検 を行ない, これによ って表2の よ うに約32
万
2000バーツ (1chang- 80baht, 1baht- 64at)の過 去の未納地租 を回収す る こ とがで きた。 1888年度分 の地租 は1889- 1890年 にか けて徴収 されたが, その結果 は表3のよ うに, 約112 万7000バー ツ相 当で あ った。Krom Na徴税官 の派遣 によ って地租徴収 がな された地域 は広義 表3 1888年度 分地租徴収状況 (単位 :Chang) phrayaKasetrak phraThanya LuangPhithak M.R.Phae KhunWichan PhrayaPrachachiP LuangNangkhan phraSithip I.uangPhakdi Na主Rok Na主Leha i)Krungkao ;Suphanburi l !Lop上)uri i iKrungtheI) lNakhonNayok 1 !Singburi LuangRachawongsalBangI.amung,Rayon LuangPhita′k PhrayaSudarat Na主To Na主Charoen ChaChit Na主Chai ChaI)honlan LuangKosa Na主Kit I.uangPhiphit LtlangRaksa PhrayaSena PhraPhiphitsali Na主PI10n I)hrayaWiset IJuangSonchak Ltlal-gMahit PhraPhrahOm LuangThan 合 計 Chonl)uri,PhanatnikhomlNonburi,Phatumthani 守
L .Chaiya,Manorom LTak,Kam phaengphet Jsawankhal.k,Sukh.thai Nakhonchaisi】 SamutSongkhram, .i phetburi Ratt'url弓 Chanthal,uri,Trat :
Songkhla,Phattalung
(出所)K・S.,3・2/2,1/119,pp.97-100. -∴ _ L -830 170 10001 630 100 730 1460 270 1730 1 580 20 600 0 0 3 5 7 6 ハU 1 4 0 7 0 2 3 6 9 1 0 4 1 5 2 4 1 7 8 火 U 4 nU 6 9 3 4 4 7 3 8 7 6 0 3 6 6 0 4 3 6 2 5 2 4 3 2 1 2 1 1 11 0 0 4 9 5 6 7 7 8 0 2 0 1 4 6 00 8 6 0 0 7 2 8 7 7 7 5 9 2 8 6 0 4 4 1 3 2 3 2 6 1 4 4 6 3 3 5 1 3 1 1 0 0 9 6 2 0 3 4 6 0 5 0 1 9 0 1 3 4 4 1 8 9 5 4 0 0 2 4 8 8 3 3 9 0 6 9 5 4 4 3 1 1 1 4 1 1 4 1 1 1 1 1 1 1 1 0 5 9 4 4 3 1 4 2 1 40 3 1 2 ハU 5 9 4 nU 1 3 9 0 2 6 1 00 4 1 3 只U 2 2 2 3 6 1 0 6 3 4 1 6 920 280 228 3 6 00 5 0 41 12 一 一 1 4 2 一 1 90 12 一 1 00 50 51 一 一 T 1 4 「J 「 .「 「 「 坤 . 76 . 「 S3 . i 1 t 一 1 5 33 一 1 t E 1 7 1 30 43 1 21 t i 10 4〇 一 f 州 i I i 3 1 90 3〇 一 1 10 80 62 i 3 1 3 3 1 00 70 一 l 10 80 6 1 0 0 1 2 3 5 7 6 0 1 4 5 7 0 4 3 6 9 1 0 4 0 5 5 6 2 4 1 7 8 8 4 3 6 9 5 4 4 7 3 ︹0 7 7 4 8 ハU 3 6 6 0 4 3 6 2 5 2 4 3 2 1 2 1 2 l l 2〇 一 90 82 24 89 75 76 77 57 98 25 15 60 01 44 46 18 38 26 40 2 6 1 4 4 6 3 3 5 1 1⊥ 3 1 1 0 0 1 0 9 6 2 0 3 4 6 0 8 0 1 9 0 1 3 4 4 8 5 6 8 9 5 4 0 0 2 4 1 2 3 3 9 0 6 9 uJ 3 6 4 5 3 1 1 1 4 1 2 5 1 1 1 「l 1 1 1 1 170 340 510 305 140 445 9 230 239 310 - 310 369 631 1000 302 40 342 212 16 228 36 - 36
北原 :タイの地相 改 iEについ て
の 中部一 円であ ることがあ き らかであ る。 とりわ け
Kr
ungKao,
Angt
hong,
L
J
Opbur
i
,Kr
ung-t
he
p
,Nakhon Na
yok,Chac
hoe
ngs
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の地租収入 は大 きか った。 ただ し最後 に,Nakhon
Rac
has
i
ma(
Kor
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)
,Songkhl
a,Phat
t
al
ung
が加 え られてお り,鉄道建設前で あるに もかかわらず, コラー トの徴収額が比較的多いのは注 目され る。46)また
,1
8
8
8
年法 の規定に もとづ き従来 の地租収入 に加えて, その
8
割程度 にあた る占有証代金収入 があ り, これが地租徴収総額 を増 加 させ た こと も見逃せない。 とりわ け運河開発 , 開墾 に よる 新 開 地 の 多 い
Kr
ungt
he
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,Samut
pr
aka
n,Ut
hai
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hani
,NakhonNavok,Chonbu
ri
,Chai
nat
,Kanc
hanabur
i
,Chac
hoc
ng-s
ao
などでは占有証代収入 が地租収入 を上 まわ った。 占有証代金の徴収 は, と くに新開地 でまだ従来の 占有証書の交付 されない,形状 と して も不 安定 な耕地 の多い地域 では大 きな混乱 をひきお こ した もよ うで ある。ひ とつ は新 占有証Chanot
Tr
aChong
の交付 に関す る規 定が不備 で, このた め多額 の交付代金を徴収 しす ぎた こと, ま た さ らには,証書のない土地 を国有地 に編入 し小作料を徴収 した こと,等 である。1
8
8
8
年地租徴収法第2
項 の規定 によれば, 従来 のTr
aDae
ng,Tr
aChong
等正式 の 占有証 書 のない土地 は新証書を受 理 しない限 り国有地 とみ なされたが,新証書 を受理す る意志 のない 農 民 は新開地 の 多いLopbur
i
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ok
,Nakhon Sawan,Phi
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aphut
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などに数多 く,混乱 を招 いた。Lopbur
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の田地 は,1
8
8
8
年法 によ り一律 に新 しい 占有証書ChanotTr
aChong(
Tr
aDae
ng)
を交付すべ きだ とみな された。 しか しこの地域 は ラオ人 の陸稲栽培地 で,2-3年耕作 したあ と
耕地 を放棄す る移動桝作法 が残 り,耕地 の
4
分の1
は未桝状態 であ った。 また保有規模 もたかだか4- 5ライ と小 さか った。そ こで農民 は新 しい占有証書 を受理 して 占有証代金や地租 の支払
いをす る ことを好 まなか った。47)
NakhonSawan
では農民 がDamr
ong
親王 に訴 えたため次 の事実が判明 した。48)1
8
8
8
年法に もとづ き新 しい占有証書が交付 されたが, この過程 で正式 と認 め難 い旧証書が
7
0
件発 見 され, この証書の対象地 には新規 に占有証書Tr
aChong
を交付す る手続 きが と られた。 この うち 面積 の大 きい40件 について はあ らたに 占有証書代(
25
ライにつ き6
バ ーツ) が支払 われ,新証 書が受理 されたが,残 りは証書代支払 いを拒否 したので国有地 に編入 され,地租 (ライ当た り0.
37
5
バー ツ)以外 に ライ当た り5s
at(
s
at
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hang
に相 当) の 小 作 料 の 徴 収 が 行 なわれ た。Phi
c
hi
t
では国有地 に編入 された土地 の農民が地租 に加 え ライ当 り0.
2
5
バ ー ツの小作料 を徴 収 された と訴 えた。 またPhi
c
hai(
Ut
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ar
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で も1
8
8
8
年法 に もとづ き,1
88
9
年 には新証書受理 を望まぬ農民 の土地 は国有地 に編入 された。数 ライの所有者 は6バー ツを支払 って新証書を
46)K.S.,3・1/1,1・/121:pp・20-29・にコラ- 卜の報告がある。
47)ib2'd.,pp.10-18.
48)
K.
S
.,3・3/4,6/55:pp.ト7・以下同様0動 索ア ジ ア研 究 14巻1号 受理す るよ り国有地 に編入 され るほ うを選 び, このよ うな土地 は1万 ライ以 上にのぼ った とい われ る。 これ ら地域 の農民は巡 幸中のDamrong親王 に対 して善処 を訴 えたた め,前述 の よ うに1889 年 に前年 の地租法 の増補 布告が発せ られ, 占有証代超過徴収分の払戻 し措 置が と られたので あ る。 しか し国有地への編入規定 は1891年,1894年法案の規定に明記されてい るよ うに,1890年 代 にはい って も慣行 と して生 きた よ うで ある。1891-1893年度の小作料徴収額 は農務大臣の報 告 によれば, 3年間分 合計 369chang61baht32atであ った。49)1894年 には 農務省 の 通達 に もとづいて, 1'hral)huttabatの知 事は国有地 とされた4169件 の農民 の土地 の小 作料徴収 を 坤請 した。50)この土地 の農民が 内務大
臣
I)amrong親王に訴 えたので,親 王は人民 の困窮を増 す と して知事 にLl止 を命 じ,
国王に対 して もこの国有地 編入規定 の再考 を求 めた。 運河地域 の新開地 の場合,1888年法が もた らした影響 は もっと複雑で あ ったOPrawetHtlri -rom 運河地域では,旧 占有証書 を受理す るた めには運河掘 削援助資金 (KhiLKhlong)として ライ当 り幹線1.375バー ツ,支線1バー ツの支払 を必要 と したo この旧 占有証書 もTraChong と呼ばれ,一時的 占有証 (BaiC110ng)に近 く,3-5年間 の免税期間があ った。旧鉦書の交付 は運河資金完納 の際交付 され る建 前で あ ったが,納付資金 の管理がず さんでそのた め証書が未 交付で あ った り, また一 部が納入 された際に交付 された仮証書 (Tua13aiNam)しかなか った りした。 このよ うな状況 の中で,新 たに占有証薯 を交付す る (原則 と して有効 旧証書は無料で 新証書 に切 り換 え) ことは きわめて困難で あ った。51) 1889年∼1891年度の地租徴収 の実態は Krom Na文書で は欠落 してい るが, 1892年にあ らたに農務卿 (農務大臣) に就任 した ChaophrayaSurasakmontriによれば, 年度末 の2月に
Krom Na徴税官 を派遣す る捨 置がお くれ,業務状態 は不活発 であ った とされ る。52) しか し占
有証書代 (しば しば 占有料 KhaChongと呼 ばれ る) 収入の増加に ともない地租総収入 は増
加 した。 同時 に農務脚 に Phatsakorawongが就任 して以 来未納, 滞納分の点検が厳 しくな っ
た とみ られ, い くつかの例を拾 うことがで きる。
NakhonNayokにつ いては
最
も詳 しい記録が残 っている。53)国司 phrayaPhibunsongkhrとun存命 中1888年度分地租 と して
国
庫 に納入 されたのは 1000chilng以 上で あ った。 1890年彼 は没 し, その財産 (現金,奴隷 など8500バー ツ相 当) を水揮 (ThahanFiphai)大佐Phrokが管
理 した。 ところが国司の遺族 は Phrokが, 国司の徴収 した地租 の残額2000バー ツ(25chang)
を着服 して い ると訴 え,Phrokは Krom Na徴税官 よ り嫌疑を うけて拘留 され, 裁判によ り
49)K・S・,3・2/10,10/55:pp・74-80・
50)ibid.,pp.18-26;KS・,3・2/9,3/119.
51)K.S.,3・1/1,1/121:pp.30-36.
52)K.S.,3・2/10,10/55.・fromSurasakm()ntritotheKing,23thJam.R.S.111.
北原 :タイの地租 改 正につい て
その着服額 の支払 いを命ぜ られた。
Phr
ok
は これ に承服せず半年 にわた る処分撤 回の行動 をした。農務卿
Phat
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akor
awong
は,国
司Phi
bun
が,国
司,郡 司,村長 の取 り分 と して 25c
hang
を さ しひいたが,Kr
om Na
徴税官 は これに合意せず, 徴収額 1100。
hang
とい う帳簿 を作 り提 出 して しまい, 地方役 人- の 報酬取 り分 の 会計報 告 がな く, 結果的 に問題の 25
c
hang
が着服 された と見な された, と結論 した。Kr
ungt
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のKr
om Na
徴税官phr
ayaPr
ac
hac
hi
p
(本名Mt
l
an)
の ケース は 次 の 通 りであ る。54)1890年彼 は死亡 し, その息子
SongMt
l
ang
は滞納 分の支払 い督促 を受 けた。息子の証言では,父 の存命中
Pha
nThong
(本 名Sa
e
ng)
が地租徴収 の請負を申 し出たので, 父は息子を通 じ
Thong
に収 入印紙,領収押印葦 を渡 した。Thong
が徴収 し,Pr
ac
hac
hi
p
が国庫 に納付 した地租 は 1062
c
hang
のみであ ったが, 調査委員会 は会計簿 を検討 し, 未納分が 168
c
hang
o
'以 ヒあると結 論 した。息子は, この滞納分支払 いのため財産 を売 り,拘 留 され,また請負人の
Thor
唱
も破産 したが, 自 らはKr
om Na
徴税 官ではないのだか ら釈放 してほしい と訴 えた。 この件 の最終 的粘着は不 明だが,1897年 に至 って
Damr
ong
親 王を 中心 とす る会議で も議題 とされて い る。
Nonbur
i
,Pat
humt
hani
の地 租徴収 (1888年度分) を担 当 したKr
om Na
徴税官phr
ay
a
Sudar
at
のケースは次 の通 りである。叫 任期中彼は表 3の通 り合計 235c
hang
の地租 を納付したが, このほかにかな りの滞納分が あ った もよ うである。 1894- 5年 に農務大 臣
Sur
as
ak一
mont
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は この滞納分 を 252c
hang
29baht
32s
al
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l
ng
と推定 した。Sudar
at
は存命 中にパ トゥム タニー地域 の末徴収分 100
c
hang
の免除願 いを提 出 した. この額 は実際徴収 され着服 さ れたのか, あるいは全 く徴収不 可能 だ ったのか56)不 明だが,1894年の彼の死後,Kr
o
m Na
の 督促官 は この免除願 いには留 意せず,妻 子の身柄 を拘留 して滞納分の支払 いを督促 した。拘束 された遺族 は,Sudar
at
の財産 はすで にMahai
j
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親 王の手 に渡 ってお り,支払 い能 力は全 くない と して支払 い免除 を願 い出た。 このほか, ノ ンブ リ-国司による1881年度分地阻 230c
ha
ng
の公務流用 ,57)1889年 のTak
の国司 による地 租 197
c
hang
の中央末納付,叫Chac
hoe
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の国司の任期 中 (1892- 1894年) の地租等 44
c
hang
の公務流用,叫 等 々地租 の未納,着服 の例 は きわめて 多い。 南部 は, 表 3に示 され るよ うに ご く一 部を除 きKr
om Na
徴税官 の派遣 はな く, 1890年代 に至 ってか らも,係官が ワイ ロを とって 面積 を過小 評価 した り,郎党 の土地 の地 租を免除 した 54)K.S.,3・2/5,21/65:pp・1--4;pp.14--17;pp.23T25. 55)〟∫リ3・2/18,39/55. 56)AkonSuan(果樹園税)の場合は租税通知茸 ChanotSuanの交付の遅れによる未徴収が多いとされる。 K.S.,3・1/1,1/121:PPLL5・ 57)K.S.,3・2/25,10/290. 58)K S.,3・1/2,9/119. 59)K.S.,3・2/26,19/55.東南 ア ジア研 究 14巻1号
り,徴税額 よ り少 ない額 相 当の収 入印紙 を貼 った り,Riar唱 (南部の通貨) の換算率 を ご まか
す等 の不 正行為が頻発 した。60)NakhonSiThammaratは1888年度地租徴収 のためのKrom Na
徴税 官が派遣 されず ,農務卿PhatsakorawongはKrungkaoの 徴 税
官
PhrayaK・asetをひ き続き この地 の徴税官 に任 命 して,過去7年間 の滞納分整理 お よび1888年度,1889年度分 の徴収 を行 な うよ う奏上 した。61)一般 に地 方 当局 のKrom Na- の協力体制 は弱 く,1892年 の地租徴収 も 地 方 当局 はサ ボ ター ジ ュ気 味で あ った。62)南部 の例 は単 な る官吏 の不正や農務省 と内務省 の対 立 とい うよ り,地 方権 力が残存 し, 中央 の統制 力が及 ばなか った ことを も示す と考 え られ る。 1890年代 にな って よ うや く中央か ら知事 (KhaLtlangYai)が派遣 され るよ うにな った北部 の場合, 1896年 当時年7万ル ピー の納付額 を請負 う中国人 の徴税 請負人が公 然 と存在 した063) この中国人 はチ ェ ンマ イ侯 の債権 人で あ ったO 属 国 (phrathetRat)にお ける地租 は, 中央 に は送付 されず,現地 の財政 に支 出 され従来 の KinMnang(食 邑) の制度が その まま認 め られ た もよ うで あ る。 例 えば クメー ルの Siamrdap州 はその例 で あ る。64)このほか, 注 目すべ き 例 と して,1889年に Chachoengsaoにおいて地租徴収 官 が カソ リック教徒 Kekoな る人 物 と その徒党100人 に襲 われ捕 え られ,地租徴収 が危 ぶ まれたた め,外務 省 を通 じ, フ ランス領事 に訴 えが な されたO65)ボー リング条約 の領事裁判権 によ り地租徴収 が物理 的に阻 止 された例で あ る。 1890年代 は Krom Naと大蔵省 (および内務 省) との閲で地 租徴収 の管轄 を め ぐり対立 が お きた時 期で, 農務 大臣 Surasakmontriに よれば 「省 と省 との間 の問題」66) の生 じた時期 で あ る。 この結末 は1896年 の内閣 の大 改造 と農務 大臣 Surasakmontriの罷 免, そ して その後 数年間 の農務 省廃止 とい う事態で あ った。1896年分 の地租徴収 は,MonthonKrungthepにつ
いて は, 首都 省 (Krasuang Nakhonban)よ り, Samutprakan,Khtian Khan,Krungthep, Pathumthani,Nonburiの各県知 事に命令 され,地 方行政機構 を通 じて大蔵省 に納付 された067)
またその他 の県 は内務 省 によ り知 事に命令 され同じ く大蔵省 に納付 された。1896年 は地 方行 政
改革 によ って 諸県 を州 (Monthon)に編成 し, 内務省 よ り州 知 事を 派遣 して 諸県 を統管 す る
Thesapiban体制 が進行 し始 めた年 で あ る。68)Krom Naを地租徴収 業務 か ら排 除 したのは こ
の内務省 を主導 とす る地 方行政改革 の進行 と符 合 してい る。 1898年 に は主要 国税 を一 元的 に徴収す る国税局 (Krom Sanphakon)が創設 され, 国税局 は 60)K.S.,3・2/7,5/119;K.S.,3・2/22,13/55など. 61)〟.∫リ3・2/4,2/119. 62)K.S.,3・2/8,ll/55.・pp.4--7. 63)K.S.,3・2/24,25/55,・DCR,1892,p.20. 64)& ・ゞリ3・2/22,31/55. 65)K.S.,3・2/35,10/290. 66)K・S.,3・2/10,10/55:p.78・ 67)K.S.,3・2/27,18/55. 68)田辺 (1972)0
北原 :タイの地租改正につい て
当面
Kr
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hc
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とPr
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nbur
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2州 の地租徴収 を担 当 し, その他 の州 は州 知事の命令を受けた地方 当局が担 当 した。69)国税局 は大蔵省 の管轄下 にあるが,地方行政 の区分を反映 して,
首都省 の管 轄区域 を担 当す る
Kr
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m Sa
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(長官W・A・Gr
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と, 内務省 の管轄区域 を担 当す る
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とに2分 された0 1898年 に徴収 されたKr
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州 の1897年度分 の地租徴収額 は表4の通 りで あるO表
3
ではKhba
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n
を除 く4県(
Mt
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a
ng
)
の1888年度分 の地租徴収額 は約17.2万バーツ相 当であ ったが, 10年後でそれは約1割増 の19.7
万 バー ツであ り,米作面積が増加 した点 を考 えあわせ ると, この1897年度 の徴収額 自体 はそれ
ほど効率的行政 の成果を示す もの と評価 で きない。 もっとも1897年の米作 は不作で あ った とさ
れ,70)また前年度 の分を従来 のよ うに数年 にわた って徴収す るのでな く次年度 内に迅速 にすべ
て徴収 した点 は考慮 されな ければな らない。表1に よ って1898年の地租収入総額 は激増 してい
ることがわか るが, この激増 に貢献 したのは
Kr
ungt
he
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州 ではな く,Kr
o
mSa
npha
ko
nNo
k
の担 当 した地 方諸州 で あ った とみ られ る。 表4 1897年度地租徴収状況 (クルンテー
プ
州) (単位 :13aht) 県 名 課 税 額 芦 徴 収 鶴 Krungthep Pathumthani Nonburi Samutprakan NakhonKhtianKhan 127,446 127,486 19,847 . 19,410 39,043 39,027 30,964 30,964 27,358 25,674 合 計 244,677 242,564 i(出所)K.S.,312/31,10/55,miangKepNgoen汰haNaMonthonTangTang,p.42.
未 徴 収 額 0 436 15 0 1,683 2,135 地租徴収 は
Kr
o
m Na
を排 除す るとい う権 力闘争 の局 面を経 て制度的に整備 され,滞納,脱 漏分 を整理 し増収 をはか るとい う消極的路線か ら課税方式 その ものを変更す るとい う積極的増 収策 が うち出 された。 1906年 の地租徴収 布告 に もとづ き, 田地 が5等級 に区分 され, 1908年 には
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bur
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,Na
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n,Phi
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等 これまでNaFa
ng
Lo
i
方式 の課税 しか なされなか った州 に もNaKhuKho
方式 の課税が導入 された。
7
り もっとも,一律 に
NaKhuKho
方式 の課税 を行 な うとい う構想 その ものはす でに1896年 の 「田地測量法
」(
Pr
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a
tTr
ua
tRa
ngwa
tNa
)
7
2
)
案 の中に示 されていた。 ともか く,以 上の税率,課税方式 自体 の変更 とい う措 置を経て,表1に示 され るよ うに,地租収入額 は1906年度
よ り一挙 に倍増 を示 したので ある.
69)K.S.,3・2/31,10/55・.PP.56-・59;HPrakatKrasuangNakhon13an,"pups,vol・16,pp・398-9・ 70)ibid.:pp.43---45.
71)K.S.,312/35,10/290‥from DamrongtotheKing,30th MarchRS・128によれば,NaKhuKhoは, ①農民が集落を形成 し恒常的に米作をする,②米作に必要十分な人口がある,地域とされた。
72)注31)参照
東南 ア ジ ア研 究 14巻 1号 表5に よれ ば租税総 収入叡 中 に 占め る地 租収 入 の比 率 は1906/7年 を境 に して9.1% か ら17.1 % にふ えた あ と, 多少 のバ ラツキ は あ るが, 1911/12,1912/13,1920/21年 の よ うな不作 の4-F(従 って地 租 減 免 が ある) を除 くとほぼ
1
5
% 前 後 に は達 して い るo/鮪役 労働 の金納化 が進 んだ上 に, 1910年 に華僑 人頭税 が毎 年徴 収 され るよ うにな り人頭税収 入 もふ えた ので,地 租 と人頭税 の収 表 5 租税報 [1-1に占
める 地租の割
合 /%'! riaht % l Baht % 3.3 12794 351 86.2;14838 826 100 2.8;13477 266 89.6 15034 832 // 1 3.4 14O83 304 86.2;16337 654 〟 1 6,7 20781 192 82・7.25127 822 // ll.3・22386 966 78.5 285)11 165 〟 7.9 24852 295 81.7i3()403 673 7.8 269.'う3 121 82.2.32644 209 8.4.31152 ()21 9.7.34598 832 8.9L32716 908 Ju ′■rL\`L/ A/I);ノ\JLjt_′-'L\▲'/ Ⅰiaht % ; Baht 1894/5 1479 758 10・0 1 486 434 1895/6 1129 455 7.5・ 428 111 1896/7 ユ696 675 10・4. 557 671Cj 1 1898/9 2763 268 12.3 1153 533 1900/1 2995 378 10.5 3128 821 1901/2 3144 855 10.3;2406 523 1904/5 3763 647 9.9;3181 83/1 1905/6 . 3859 494 9.1 ;4138 249 1 1906/7 : 7579 449 17.1,4928 808 1908/9 7101 429 14.4L5O51 386 1().3H',7057 860 1909/1910 i 8003 720 1911′/12 1912/13 1913/14 1914/15 1915/16 1916/17 1917/18 1918/19 1919/192() 15・6】 14.() 6043 752 12.3 6894 924 12.9 8379 474 14.1 8614 667 14.2 8217 723 13.3 10075 593 15.5 8676 850 13.1 6883 682 13.4:36404 701 6954 351 7342 308 6981 012 7314 646 7441 443 7688 457 8〔)69 179 8340 672 8832 273 13.4,8409 813 14.9 35766 237 13.1 39582 246 81.8L38097 502 71.8.44288 845 71.〔 51292 103 72.8 49152 297 74.0 53458 482 12.3 43767 056 73.6;59461 178 12.4 46969 978 12.7 48749 861 1 73・9!65991 947 75.6)68790 684 1920/21 : 6225 060 10.(‖ 8176 495 14.0.44141 110 75.∠‖ 58542 655 1921/22 9704 337 15.5 7749 234 12.3.45349 621 1922/23 9799 475 16・2.;7207 425 11・9!436259
52 1924/25 ;10502 075 16.4…7120 557 11.1 46346 402 1 症:*ァ-ン請負税,関税,消費税,内園取引税,漁獲税,賭博税,宝 くじ等O (出所)S/azz●∫li,a/ yc
(
lrb仇ノA,
j //leKl-,lgdt,m ,/・∼lz'a〃Z. 68 71.9・60632 852 72.9;63590 419 1 72.5! 63975 034 74.7 67972 003 7().3 72690 431 73.1 85061 109 〃 〃 ケ 〃 〃 〃 〃 〃 ク 〃 〃 ク タ 〃 〃 夕 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 ク北原 :タイの地租 改正 につい て 人 をあわせ る と租税総収入 のほ
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% を 占め る。73)1
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年代 の関税 自主権 の獲得 に よ って 関税収入 の比 重がふ え るまでは,地 租,人頭税 とい う農 民負担 の国家財政 に 占め る役 割 は決 し て小 さ くはなか った。州
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別地租徴 収額 の推移 は,州行政区域 の山 部変更 もあ るた め,正確 に は把握 で きないが, 徴収額 の多 い上位7
州 に限 ってみ ると図2
の通 りで あ るO まず1
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年 に大 きな落 ち込 みが あ り,不作 であ った ことがわか る。 次 に徴収緑 の大 きい
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の変動 が大 きいのはあ る意味で 当然 だが, 同時 に これ らの州 には新開地 が多 く,収穫状態 が水量 の不安定等 を反映 して きわ めて不 安定 であ った ことを示す もの と考 え られるO これに比較 す る と もと もと徴収額 の少 ない
NakhonSawan,Rat
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な どは安定して い る。 理 由は収穫状 態の安定 とい うよ り,新開地 の地租徴 収 が困難 で あ り, いわば徴税請 ∽ (5 望
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図2 州別地租徴収額(
日立7州 )(出
所)
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Kl'ngdE,mI)ISi'a"!・73)Ingrilm(1971l:ド.178は191()-26的 ここの比率 を20-25%とするが,定常状態ではもっと大きいO