「一人称研究」という考え方は,本誌 2013年 9 月号(Vol. 28, No. 5)の特集 「一人称研究の勧め」で初めて提唱され た[諏訪13].諏訪正樹,堀 浩一が編集し, 両名を含めた 9 名の研究者(伊藤毅志, 松原 仁,阿部明典,大武美保子,松尾 豊,藤井晴行,中島秀之)が論文を執 筆した.さらに,この特集論文をベー スにして,より一般の読者に向けて加 筆修正を施した内容の書『一人称研究 のすすめ 知能研究の新しい潮流』(近 代科学社)が,2015 年 4 月に出された [諏訪 15].客観性や普遍性を前提とす る従来科学の方法論だけでは,「生きて いる生身のひと」の知を十全に扱うこ とができないのではないかという問題 意識を共有し,上記の研究者達は,知 能にまつわる研究や学問の新しい方法 論を模索し始めたのである. しかし,この新しい研究観はまだ広 く受け入れられているとはいえない. 執筆した著者達も,一人称研究とは何 か,どうあるべきかについて多種多様 な理念や方法論をもっている.そこで, 上記の著者達が,人工知能・認知科学・ 心理学・社会学・哲学などを専門とする 研究者を対談相手に選び,一人称研究 の考え方について議論する対談を,学 会誌連載として寄稿することになった. 対談相手は,必ずしも一人称研究の 考え方に賛同しているわけではない. その方の専門分野から見て一人称研究 はどう見えるのかを率直に語り,知能 の探究において本当に必須な方法論な のかと議論を投げかけてもらうことを 依頼した.この対談を通じて,一人称 研究とはなんぞや,どうあるべきかに ついて,問いを深めたい. 本稿は,上記構想の第三弾として世 界的に活躍している建築家であり東京 工業大学で建築設計の教育と研究に従 事している塚本由晴氏を招き,主とし て藤井が対談し,必要に応じて諏訪が 突っ込みを入れるという形式で,東京 工業大学大岡山キャンパスにて 2 回に わたって行った対談のうち,2015 年 10 月 27 日に実施した前半部分である. 藤井:一人称研究について僕が思って いることは,設計とデザインを同じ意 味で使いますが,デザインを対象とす る研究をするときに,一つは,デザイ ンするということについてデザイナ自 身が語ること,一つは,建築のような 物質的な人工物をつくる人や使う人の 意図や思いを大切に扱うことです [藤井 13].いわゆる自然科学的な研究だとそ ういう意図や思いは捨象されて客観的 とみなされる数値で記述できることだ けが扱われる.建築について語るとき, 設計者の意図や居住者の思いを捨てる わけにはいかないと思います.それら を客観的なデータにしなくてはならな いという制約があると,建築家の意図 や居住者の思いというものは研究の俎 上に乗らなくなってしまう.客観的で はないと捨てられてしまうものごとを 学術的に扱う方法がないだろうかと悩 んでいます [日本建築学会 12].塚本さ んは,設計することや設計されるもの ごとについて自問自答しながら建築設 計しているし,構成的方法論に興味を もっていただいているので,いろいろ 深い議論ができると思い,対談をお願 いしました. インタラクションを共感する 塚本:2 番目の人工物をつくる人や使 う人の意図や思いの話から入るのが よいと思います.例えば,窓のそばに 机があって,そこが明るく,風が感じ られ,外が見えて,外の音も聞こえ て,そこで何か本を読んだり勉強し たりご飯を食べたりするのは楽しい ということは,客観的には説明しづ らい.設計者はこうなったら楽しい じゃないかと思って設計をするんです
一人称研究対談:
「建築デザインの理念に共感する」上篇
Empathize with a Philosophy of Architectural Design(1)
藤井 晴行
東京工業大学環境・社会理工学院
Haruyuki Fujii School of Environment and Society, Tokyo Institute of Technology. [email protected]
塚本 由晴
(同 上)
Yoshiharu Tsukamoto [email protected]
諏訪 正樹
慶應義塾大学環境情報学部
Masaki Suwa Faculty of Environment and Information Studies, Keio University. [email protected], http://metacog.jp/
Keywords:
first-person’s view, architectural design, empathy, behaviorology, commonality, agent-based design. 「一人称研究」〔第 5 回〕が,多分,それはみんなに伝わるはず だと思っているんです.共感というも のについて,信頼をある程度している 人じゃないと設計ってなかなかできな いなと思います.人間が考える心地良 さなのかもしれないし,あるいはその 後の状態の均衡状態なのかもしれない のですが,そこにずーっと居られると いうのは,意外に直感的に楽しいとい うことで説明というか,共感が得られ るはず. 『一人称研究のすすめ』の第 1 章に諏 訪先生が書かれているのも,環境との 関係,インタラクションで何が生まれ, それをどう捉えるかということ.一人 称研究は,内側から体験していくこと をどうやって,その豊かさを殺さずに 議論するかというふうに理解すると, 生態学的な転回をした建築の設計論に 近いと思いました.他に思い浮かべた のは器をつくっている人の手と土のイ ンタラクション.これも他の人には説 明できない.目で見えているものでは 説明できず,指先の感覚でしか説明で きない.その指先の感覚は土がなけれ ば発生しない.自分が押さなければ返っ てこない感覚.完全にインタラクショ ンですよね. 藤井:インタラクションは非常に重要 なキーワードで.インタラクションは 本人がやらないとわからないわけです よね.陶芸の巨匠がこんな感じとか卵 を包むように,とことばで言っても, それはほんとにインタラクションを表 しているかどうかはわからない.けれ ども,何か伝えようとしたときに,我々 の仕事だと論文や別の形態で伝えるわ けですけれど,どうやって一人称のも のごとを伝えるかっていうことが非常 にキーになるんです. 塚本:インタラクションって,多分,共 感で訴えないと伝わらないんじゃない かな.共感を得るためには,それな りの方法があると思う.ものをもの だけで見るんじゃなくて,そのもの が何に囲まれているかということか ら見ていくというところで,そのも のの存在を位置付けていくようなこ とをすれば,ある程度共感できるの ではないかと……. 藤井:それはものごとを取り巻く状況 とか文脈とかを含めて議論するという ことですね. 塚本:そう,広げていくことが大事な んです.建築の場合,1970 年代に記号 論の影響を受けて建築には建築の自律 性があるというような考え方が出てき ます.古典主義的な構成論,形式論に 対して,東京工業大学で坂本一成研究 室以降やってきている構成論というの は,基本的には記号論の方法を借りな がら,建築の言語としての体系性の中 での差異と同一性みたいなものの組合 せがどんな空間的な秩序を生み出すの か,それぞれの部分が全体に対してあ るいは部分同士に対してどういう相対 的な意味を得るのか,ということを議 論してきています.それがないと日常 的な言語でしかものごとを考えられな くなってしまう.でも,そればかりに なってしまうと,今度は逆に建築に内 在する構成の体系が主で現実が従とい う感じになって,論自体は死んだも同 然,生き生きとしなくなってしまう. その辺りをどう豊かにしていくか, いろいろ考える中で,例えば,建築を 取り巻いているものも構成の中で一緒 に考えてみたらどうかと.建築の構成 の体系の中で考える限り,建築物の外 側を取り巻いているものは構成から外 されてしまう.つまり自律性は構成の 言語によって成立するわけじゃなくて, 構成論のルールがその周りを排除する から自動的に成立する.それではほと んどまやかしじゃないか? ではどうやれば自分が良いと思うも のについて,共感を組み立てられるか? まずは建築の構成が排除してしまうも の,例えば,道でも,隣の建物でも, 擁壁や高速道路の橋桁でもいい,とに かく隣にあるものも含めて建築の空間 だと考えるようにしました.幸い東京 にはそういう面白い事例が多くあるの で,それらを集めて『メイド・イン・トー キョー』(鹿島出版会)[貝島 01] という 本にしました. でも,それだとまだ外側から見てい るなと思うようになり,一定のリズム で現れては消えるのだけれど,そこに 在り続けているものに興味が向かって いって,建築の振舞い学というのをや ろうとしています.人間にも自然のも のにも,みな固有の振舞いがある.そ ういう振舞いとの関係で建築やものの デザインを考えるのです.風は風でな りたいように振る舞い,風が多分経験 している空間もあるはずで,それと私 が今そこに居るということが同時にあ り,そこに光の振舞いが重なってもい いし,周りの人の振舞いが入ってきて もいい.そういうふうに,何かすべて が振舞い化していくような,すべてが 一人称化していくような感じをもちな がら設計しているんじゃないかなと思 います.一人称研究に私が興味をもっ たのは,人間ではないものにも一人称 的な役割を負わせることが可能だとい うことなんです. 多様な一人称とともにデザインする 藤井:擬人化する. 塚本:人間ではないものをエージェン トとして見るというか,そこに知性を 認めるというやり方があるのかなって 思いました. 藤井:塚本さんは「折合いをつける」 という表現を使いますよね.ある一人 称と他の一人称がどこかで折合いをつ けて,そこに動的平衡なものごとが生 まれたときに設計案ができるというこ とですよね. 塚本:そうです.デザインというの は,いろんなものごとに対する配慮の 統合であって,必ずしも自分の内面か らくる観念みたいなものが純粋に形に なるということではない.設計者の主 体を外して観察すれば,藤井先生がおっ しゃったみたいに,風の一人称,光の 一人称,重力の一人称,人間が集まっ て振る舞う一人称,材料の性質由来の 一人称,さらに施工のしやすさ,もち の良さも加わって,折合いをつける, どこかで平衡するっていうことじゃな いかと思います. 諏訪:エージェント 1 個 1 個の一人称が, 折合いがついたときに設計案ができる というのは,すごく良いなって思いま す.人工知能の分野でエージェントベー スというときは,それぞれが一人称で 折合いをつけるみたいな感じではなく,
自動化という側面も非常に強いんじゃ ないかな.同じエージェントという語 を用いても違うのかもしれないなと. 藤井:生身の人間を除いているから自 動化ということになるんじゃないんで すか.人間が関与したら自動化とは言 いづらくなります. 諏訪:自律協調分散の考え方は「折合い」 と同じだと思います.つくったエージェ ントが勝手に振る舞うみたいな. では,勝手に振る舞うようなエージェ ントをどう設計するのか.建築の分野 ではどうなんですか.エージェントに 設計をさせるというときも,やっぱり 同じ問題を含むんですか. 藤井:未来住宅をつくるプロジェクト にいくつか従事した経験があります. そのときこうしておけばよかったなっ て今思うのは,例えば,ブラインドは「俺 は光を入れないんだぞ」とか「寒いと きは入れてもいいかな」とか,エアコ ンは「絶対冷やすぞ」とか,暖房機は 「俺は暖かくする」とか,人間のような 振舞いをさせること.そこで,居住者 も一緒になって何かをわいわいできる ようなそういう住宅ができたら面白い なって. 自動化は身体性を捨象する 塚本:自動化には,生産性を上げる, つまり人件費を減らすというような 20世紀を支配したイデオロギーとい うか,規範というか,資本主義? の 道徳というか……,があるように思い ます. 私が違和感を覚えるのは,無前提 に生産性を上げるということだけでも のごとを決めようとするような局面と いうのが世の中にはまだまだいっぱい あって.ここでは生産性を上げなくて もよいのではないかという議論をしな きゃいけないのに,何でもかんでも生 産性を上げようとする. ホテルの受付がロボットなんてい うのは,技術的な展開を示すという意 味では面白い事例ですが,社会に送っ ているメッセージは結構異様です.ホ テル産業で働いていた人達の給料がロ ボットをつくる人達の給料に移し替え られると思うと,どうなのかなと. 諏訪:「日経新聞」にある記事が出て いました.洋服を買うときに,その洋 服が実際に自分の身体に合うかどうか を,ある機械に入って身体のサイズ を測って自動的に判定するシステムの 紹介.そこを自動化してどうする! って思います. 塚本:そうなんですよね. 諏訪:数値も重要だけど,着心地とい うのは体の大きさと服のサイズだけで 決まるわけじゃなく,布の質や重さの 感じ方とか,どういう体型だからどこ に力が関わってとか,触感的なことが 着心地には重要なのに,サイズだけで 自動的に決めて,はい,これあなたに 合います,と言われても…….本人が 試着して感触を確かめることを省いて どうするんだって.誰がそれをうれし いと思うのかなと思います. 塚本:人間が普通にできていることを 肩代わりする形で,自動化や人工知能 が使われるのは,演習段階としては良 いのかもしれないけれど,あまり意味 はないのかなと感じます. 建築でもあるんです.人間のやるこ とを先取りする製品が.例えば,引き 戸を閉めるとき最後にバシンといかな いで自動的にふっと止まってひゅーっ と静かに閉まるレールの製品がありま す.これは行儀の悪い,周りのことを 考えない傍若無人な振舞いを未然に防 ぐ効果があり,「何でそんな閉め方する んだ」とか「うるせえな!」とかって いう家族内の必要のない不和を(笑) なくすという意味では確かに存在価値 があるかもしれない. でもみながしゃべってるから静かに 閉めることや,頭にきたからバーンと 閉めることなどの,使い方の選択権が 奪われるわけです.人間,年を取って 経験を重ねると,多少は丁寧になる. いろんなことに気付くようになったり. 扉を最後ゆっくり閉める振舞いは,年 を取ってから楽しめる丁寧さの一つな のに,年を取って少しましになったと 思える自分に出会えなくなるわけです よね.そういう製品に先取りされちゃ うと.そういうのが製品化の名の下に 社会の中に出てくる.開発者は使いた くない人は使わなければいいと言うで しょう.でも,設計思想が問題なので あって,製品の良し悪しではないので す. 藤井:引き戸の閉まり方しか見ていな いからそういうことになるんですよね. 行儀作法とか成長の自覚とかがどうな るかという周辺的なことには注意を向 けていない. 塚本:それを取り囲むものを見ていな い. 藤井:部分だけを見るからおかしなこ とになるんであって,全体を見れば状 況は変わるんじゃないかと思います. 自由に振る舞うエージェントと 折合いをつける 諏訪:ちょっと元に戻すと,エージェ ントはどう設計すればいいんですか. エージェントベースで何かをデザイン するとき. 藤井:コンピュータを用いてデザイン するとしたら,設計者のエージェント をつくるか,建築を構成するさまざま なものをエージェントとするか,二つ の方法がある.設計者エージェントを つくるとき,デザインの楽しいところ は自分でするのがよい.でも,やりた くないことばかり設計者エージェント にやらせると『ブレードランナー』の レプリカントのように反逆するかも. 塚本:空間デザインの場合は,エージェ ントが勝手に入り込んでくるというこ とが前提で,空間にできるのはそれら が──この場合はエージェントという のは自然の要素や人間とかそういうこ となので,設計はできないんです── それぞれの原理に基づく振舞いに対し て,ビヘービオリアルキャパシティー, 振舞いの許容範囲を設計することはで きる.例えば,温まった空気が上昇す る,その物理的な原則を変えることは できない.でも上がっていく空気が人 間にとって不快なものになるか,逆に それが外に出ていくことで新鮮な空 気が下の涼しい所から入って,空気 の循環がうまくできるようになる── 重力換気といわれるものです──かは, 熱の振舞いの許容範囲のつくり方次第 です.だから,エージェントの振舞い を利用した空間のデザインは,製品が
パッケージとしてものごとを判断する 感じではないと思っています.大事な のは,空気が流れること,熱が上昇す ること,人が気持ち良くいられること, 太陽の光がどの辺に当たるとさらにそ の効果が促進されるかということが, 同じ形式言語に置き換えられずとも, それぞれの一人称のまま共同して,建 物の目的にふさわしい状態になること なんでしょうね. 実は,古い民家,バナキュラーな建 築はこの手の知性,高度なインテリジェ ンスをもったものなのです.最近はデ ザイナより文化人類学者や民族誌家の ほうが良いなぁと(笑).プロジェクト することで,今自分達がどこに住んで いて,どういう条件に囲まれているの か,どんなエージェントが関わってい て,その関わり方がどういう歴史的な 時間に開かれているか,など考えるの が面白い.未開の集落における人々の 暮らしをナラティブに語るために,い ろんな構造概念を開発してきたのが文 化人類学だけれど,現代建築の設計に も,そういう文化人類学的な想像力を 働かせる側面がかなりあります.自分 じゃないのです,何かをやるのは.い ろいろ手伝ってくれるさまざまな振舞 いが,何かをなしてくれる.振舞いを こっちに来いと寄せ集めたり,関係付 けたり. 藤井:つげ義春みたいな. 塚本:(笑).つげ義春のストーリーは, 無関係なこれとあれが出合うだけです からね. 刹那をからだで感じ,歴史を想像する 藤井:バナキュラーな感じで 200 年と か 300 年かけて試行錯誤ができあがっ てきたものを 20 年ぐらい,もちろん今 は勉強する手だてがたくさんあるから だんだん体得していってそういう気分 になったとして,恐らくそれが,いろ んな言葉があるかもしれないですけど, 塚本先生の言葉だったら,森羅万象の 振舞いを聞く,あるいは森羅万象と会 話して理解するという感じですね.そ れが一つの一人称研究.一つの見方で すよね. 塚本:なるほど. 藤井:それを誰かに伝えようとすると きに,今度どうやってやるのか,とい うことがあるんじゃないかと思います けれど.自分と同じデザイナをつくら なくてもいいと思いますが,これはい いから誰かに伝えたいといったときに, そういうのってどんなふうに伝えてい くことができますかね. 諏訪:塚本さんが,共感に訴えないと 駄目,でもそれをどうやるかって言っ た後に,物とそれを取り巻く物の関係 から記述するとか語るみたいなことを おっしゃいましたね.そのことと,伝 えるとか共感という話が,どう結び付 くのか,という辺りなのかもしれませ んね. 塚本:共感の軸には,身体に関するも のと歴史に関するものがあると思い ます.でも,そもそも身体が実はよく わからない.どこに境界があるのか? とりあえず皮膚は見えているけれど, 何となく感じる,物との近さみたいな のもある.そういう身体に落とし込ん だデザインの組立てや,説明言語があ ると思います.身体がもつ同質性とい うんですか,それぞれ違う主体だけど 生命体として生きている同質性という のは,年齢によって多少違うけれど大 体感じているんだと思います. その延長で,多様な生命にもやっぱ り共感できると思います.生命の生命 らしさみたいなものでしょうか.我々 が設計しているものは,非生物なので, 自ら再生産できるわけではないのです が,環境をつくるということでいうと, いわゆる自律分散ぐらいまでは組み立 てられると.例えば,太陽は少しずつ 太陽高度を変えながら毎日東から上 がって西に沈むことを繰り返すわけで すから,太陽が照らす建物の面は決ま り,そこにひさしが出て陰をつくれば 夏は涼しく,陽が低い冬は暖かくなる. このこと自体は生命ではないけれど, ある種の均衡状態を保ち続け,そのこ とで例えば物を干す,夕方になったら 涼むといった,身体=生命とのインタ ラクションが出てくる.そういう生命 的なものに建築がメタファー抜きで近 づけば,共感が得られるのではないか. 身体も同質性だけではなく,そこまで 落とし込まないと結局は駄目なのかも しれないです. 藤井:身体をもった生命体という感じ ですね. 塚本:建築のほうが身体とどこで手を 結ぶのか? 自律分散状態の環境を どうやってつくりだすか? 安定した 環境を生命=身体というものに対して 生み出していけるか? あるいは身体 じゃなくても,再生産の能力をもった ものの助けになる,メリットになると いいと思います. 諏訪:建築が動くものと手を結ぶ. 塚本:そういうことです. 諏訪:その動くものと手を結んだ結果 を示すということが,伝えるっていう こと. 塚本:そういう反復されるものには必 ずリズムがある.生命現象と同じじゃ ないけれども,環境もリズムをもって いる.そのリズムに人間がどう合わせ るか? そのリズムに合わせることに よって,逆に人間がどうやって自分を 律していくか? ということでもある. そういうのがないと,自分達を「人間」 みたいなかぎかっこ付きの存在として 組み立てられず,だらしないものになっ てしまうのではないでしょうか. そのとき鍵になるのは環境とのイン タラクションであり,そのパフォーマ ンスをどこまで高めることができるか, 数多くできるか,だと思います.でも 私達を取り巻いている環境はさまざま です.物理的なものもあれば,社会制 度みたいなのもあるし,歴史もある. その取り巻いているものごとの中にど ういう資源を見いだし,どうやったら アクセスできるかということに,イン タラクションの前提がある.そのとき 多くの人がアクセスできるようであれ ば共感されるはずです.誰でも使って いいなら,みな文句は言わず,むしろ ありがたがってもらえる.さらに,一 連のインタラクションの繰返しがそも そもの資源を損ねない,むしろ再生産 する助けになるとより共感は得やすい ですね.そういう建築をつくらないと 共感を得られないと思います. もう一つは歴史.歴史的な想像力 がないと,あまり創造性も発揮でき
ない.歴史的空間の中を自由自在に 行き来できるなら,自分達が今どこ で,何をやっているのか自分なりに考 えられるようになる.そうすると,次 の一歩はこっちに踏み出したほうが いいんじゃないかと考えられるよう になる.それはすごい力になる.身 体とか生命というのとは違う次元で 共感を生み出す大事なファクタです. 藤井:身体的というのは,反射ってい うか,割と瞬間的に反応するという感 じで.歴史というのは,もっと長い目 で見ているということですね. 塚本:身体自体も歴史的に構成されて きたという考え方がありますよね.特 に身体を近代人向けに鋳造してきたこ とに関しては,近代建築の関与が大き いので,建築を考えるということは, いかに身体を歴史的にかたどってきた かを考えることにつながるんです. 例えば,江戸時代の人は長いこと 椅子に座っていられなかったと思いま す.「しゃらくせぇ」とか言って,床 に座っちゃう.歩き方も和服と洋服で 足運びが違ってくるわけだし. 藤井:建物や着物によって人間の振舞 いが変わるわけですね.変わった振舞 いによって,また人間が新たな建物や 着物をつくる.建物や着物は自分達を 再生産しないけれど,建物をつくる人 は再生産されているんだから,システ ムとして捉えていくと建物のやっぱり 再生産みたいなことは起こっているん じゃない. 塚本:歴史的に俯ふ瞰かんするとそういうふ うに言えますよね.歴史がデザインを 語るうえで大事だなと最近すごく思い ます. 日常の学びがセンシビリティーを育む 藤井:折合いをつける場所,妥協点と 呼ぶとしたら,その妥協点をどこに見 つけるかというのは,そういったこと のセンシビリティーをもっている人と もっていない人というのがいるんじゃ ないかと思います.最初に塚本先生が おっしゃった,「これ気持ち良い」と提 示しても「何それ?」ってぴんってこ ない話というの,それはもしかしたら センシビリティーの話ではないかと. それを,あんまり感覚が鋭くない人 にも伝えてあげること.伝えてあげるっ ていうのは上から目線でじゃなくて, そのときには気が付かないだろうけれ ども,長い目で見たらやっぱり今ここ でセンシビリティーが利いたものをつ くっておくほうがいいなと思うような 状況ってあると思います. 塚本:そういうセンシビリティーのあ る方にときどき出会い,大いに刺激を 受けています.そういう感覚が鋭いか どうかは別にして,自分が昔したこと と折合いをつけようとするのは人間の 面白いところでもあり,不思議なとこ ろでもありますよね. 以前は説得するというか,「あなたな らこういう暮らしができるのではない か」と示唆すれば,わかってもらえる はずだと思っていました.でもそれぞ れの人の背景は全部わかるわけではな い.昔やってきたことと折合いをつけ ること自体にも意味がある.それに対 して変われないのは駄目だという見方 もあるけれど,やっぱりそれ正直な話 なんだろうなと.むしろそれはいかな ることなのか考えてみたいなと最近は 思うようになってきました. 諏訪:そうはいっても学ぶという話も ありますよね.昔やってきたこととの 折合いと,学んで自分が変わっていく ことと,多分両方ある.その比率が人 によっても違うし,一人の人の中でも, ある時期は昔のことに固執していたけ れど,ある日変わるということもある. さっきのセンシビリティーの話も, 現在感覚のない人にも長い目で伝わる というのは,デザイナが何か重要な 要素を含んでいるものごとを提供し て,その中で生きていくことによっ て,その人の建築に対する見方が変わ るということ.それは空間から学ぶと いう話ですね.ということは,いかに 伝えるかを考えると,学びというの を考えざるを得なくなるのかなと思 いますね. 塚本:学ぶことによって成長すること の価値はゆるがないと思います.共感 の話にまた戻りますけれど,学ぶ,成 長する機会がより多く与えられている 状態のほうがやっぱり良い.だから, 感じられない人だからまぁいいか,こ の提案はやめておこうとするのではな くて,その人があるとき気付く可能性 は残しておきたいと思います.設計で も,施主に興味がないといわれたアイ ディアも,全部はやめないようにして います.要するに,1 か 0 かではない ということです. 諏訪:確かに 1 か 0 ってきっぱりやっ ちゃうと,学びの機会も失われるかも しれませんね. 塚本:学べる余白,成長する余白,変わっ ていける余白をつくっておく. 藤井:相手側にいろいろな振舞いに対 するセンシビリティーがある場合があ るじゃない. 塚本:お店をやっている人などは実践 の繰返しの中で空間を見ていますか ら,いろいろなことに気付いているの で,話を聞くと面白いですよ.建築計 画とか設計製図とかで教えてもらい たいぐらいです.直接の接客のこと ではなく,しつらえを通して間接的 に効いてくるノウハウを,たくさん もっている. 藤井:医療関係者が履修する病院設計 についての授業で,緩やかな曲線の廊 下に沿って病室が配置されている病院 を紹介したら,受講している看護師が そこで働いたことがあって,「視線が途 中で遮られるので非常に不便です.廊 下は真っすぐ向こうまで見えたほうが 何かあったときも様子がすぐわかるの ですが,この病院は使いづらいと思い ます」って教えてくれました. 塚本:なるほど.リスクが生々しく見 えてくるんですね,病院で働いている 人には.カテーテルを着けたまま歩い ている人が倒れちゃった,廊下の向こ うの方で.そしたら助けに行きますも んね.病院にいる人達は立場が一様じゃ ないですね.患者さんと医療スタッフ ではっきり分かれている. さまざまなものごとがメンバシップを もつ 塚本:最近そういうのが面白いなと思っ て,メンバシップの空間と呼んでいま す. 藤井:メンバシップ空間.
塚本:誰と誰が同じ場所にいるのか, 何と何が同じ場所にあるのか,という. 物と人,物と物,人と人,何でもいい んです.人・物を含めて一緒にあると いうことが生み出す空間.今劇的に変 わるとすると,そこが一番希望をもて るかなと.例えば障害者,高齢者,若 い人,子供というように,今までの施 設は人間を分ける装置でもあった.分 けて,集めれば,確かに効率は良いか もしれないけれど,その弊害が今見え てきている. 第二次大戦後のように欠乏動機でつ くる時代は,例えば障害のある子供達 のための施設がないじゃないか,それ は障害のある人達に対する配慮がない ことの表れだ,予算を付けて建築しよ うとなります.社会的にこの段階は必 要だったのでしょうが,結果的には人 を分けることにもなってしまった.施 設をつくってきた 20 世紀の問題といえ ると思いますが,バリアが社会のいろ いろなとこにできてしまった.そのバ リアをどうやって下げていくのか,な くしていくのか.あるいは別のバリア が必要なら,つくらなきゃいけないの か.その考え直しは空間的で,同時に 政治的であり,歴史的な想像力がない とできない.メンバシップの空間はそ れらが重なっている. 諏訪:その話と一人称研究の話ってど こかつながりますね. 塚本:一人称研究とメンバシップの空 間. 諏訪:さまざまな異質なものが混在し ている空間. 塚本:20 世紀の施設型の建築はまず社 会的コンセプトが先行するんです.例 えば福祉,医療,文化,教育という, 近代社会をさらにブレークダウンした いくつかのコンセプトを物質化するた めに,教育であれば学校,福祉であれ ば老人福祉施設,医療であれば病院, 文化であれば美術館がつくられた.そ の中で近代の市民としての我々の振舞 いも形づくられ,いまやそういうふう に生きることが普通になっている. 一方で人々はそういう施設が求める, 客観的に正しい振舞いに窮屈さを感じ ていて,もっと自由にしたいとも思っ てる.建築設計にはそういう批評と提 案が求められていると思います.だか ら,建築のつくり方もリバースして, 振舞いをもった人々やモノに出合うと ころから始めて,それらの関係性の空 間を提案すればいいんじゃないかなと. それは何か一人称同士のぶつかり合い というか……. 諏訪:折合い! 塚本:そうです,折合いなんです. 諏訪:単一目的のコンセプトで要素還 元的につくる施設ではなくて,さまざ まな異質なもの同士の一人称の振舞い がぶつかり合う空間. 塚本:そういう非施設型と呼べる空間 がすでに現実にはいろいろあります. 例えば,花見は,コンセプト先行じゃ なくて,普段やってる酒を飲んだり飯 を食う人々の振舞いと,桜の年 1 回の 一人称的振舞いが出合い,平衡して生 まれる空間といえる. それに対していわゆるパブリック スペース,東京都庁の高層棟と都議会 議事堂との間の広場はどうでしょう. 藤井:かまぼこみたいな空間. 塚本:あの空虚さったらないですよね. 藤井:はい. 塚本:都民広場というコンセプトあり きで,それを物質化するとああなりま すが,振舞いがありません. 藤井:都民広場という記号がそのまん ま形になった. 塚本:なっているんです.ああいうん じゃなくて,例えば,ワールドカップ で日本が勝つと六本木や渋谷の交差点 の横断歩道のところに人々が集まって, 信号が青に変わった途端にうわーっと 渡りながら,反対側から来る知らない 人々とハイファイブをしていく.これ も振舞いがつくり出す空間です.横断 歩道は道路交通法のコンセプトに基づ いてつくられた空間なので,個別の事 情を捨象できる還元性があるのですが, 振舞いがそれを凌駕し,コンセプトを 換骨奪胎し,つくりかえてしまうなん てことが起こり得るのです.ああいう 空間が求められていると思います. 一人称的に関わることによって環 境が変容する.身体を使って環境に働 き掛ける.ここが大事だと思います. 藤井:そうですね. 塚本:そういうことに自信をもてる社 会にならないといけない.建築のつく り方,都市のつくり方のほうが「こう 振る舞ってください」とあらかじめ決 めてしまうのではなくて. 抽象化(要素還元)すると議論が 楽になる? 藤井:なかなかそうならないのは,そ うしないほうがやりやすいからだと思 います.境界条件を決めて,そこから 先は熟慮する対象の外側にすれば楽で すから.社会を変えるなんていうこと をいわずに,社会がこうだからという 条件のもとで設計や研究をしていれば 問題が扱いやすくなります. それをやって環境がまずいことに なっているわけですよね,どんどん地 球を温暖化させちゃって.最初は建物 の中だけの環境を考えていたんだけど, 都市を暑くしちゃったし,さらに,地 球全体を暑くしちゃっているのも,ど れも境界条件を設定して,その外には 熱を垂れ流しして大丈夫と考えてたか ら. でも,その境界を変えざるを得なく なった.社会に関しても一緒だと思い ます.引き戸が静かに閉まるとかとい うのも,それによってやっぱり社会全 体の振舞いが変わっていくとかという ところも,視野に入れるということが 必要じゃないかと思います.そうする と,口うるさい年寄りの言うこととも 折合いをつけることになるし,そこか ら学ぶものもあるだろうし. 塚本:自分の働きかけが環境に変容を もたらすということは,他者に対して 責任があることの根本だと思います. 自分のやることが世界を,世の中を, 環境を変えてしまう.これは他者に対 して責任があることそのものなので. 藤井:他者に対する責任って良い言葉 ですね.一人称だけをいうと我田引水 みたいになっちゃう危険性があるけど. 塚本:生産性向上を実現していくうえ で有効な要素還元的なやり方は,最初 に要素に分ける際に「全体」を想定せ ざるを得ない.その想定された「全体」 が境界条件となってその外に置かれた
他者をつくる.それによってメンバシッ プの空間が貧しくなるし,それに対す るセンシビリティーは失われる.でも, 一人称的に鍛え直せば,そういうセン シビリティーが戻ってくるはずですよ ね.逆に他者に対する思いやりとかそ ういうのも出てくるし,インタラクショ ンを通して環境への理解も深まる. 諏訪:内田義彦さんという経済学者が, 日常語と専門用語について,似たよう なことを書いています.いろんなディ シプリンは日常の中からだんだん立ち 上がってきたわけだから [内田 13],も ともとは日常しかなかった.さっき塚 本さんが,構成の術というのは専門性 が必要なんだけど,そっちが主になる と現実の生き生きとしたものが失われ ていくって話をされました.それが何 だか今の話にすごく近いなと思ってい ます. もう一つは,インタラクションとい うのが重要なんだって話もありました. 器をつくってる人の土と手のインタラ クションって,押すからこそ返ってく る.そこのインタラクションに何かが あるのに,それがこれまで専門の術の 言葉では捉えられてこなかった.日常 の感覚でしかないから,あんまり扱わ れていないって.日常のそういう些細 なところにも知性はいっぱいあるんだ ということを見失いがちになる. 塚本:全体を決めて要素還元的にやる やり方に対して,自分達が何に取り囲 まれ,何と一緒にあるかを考えるやり 方ですよね.知覚生態心理学のギブソ ンが肌き理めというフィジカルなものを心 理学にもち込んで,心理を人間の内面 だけの話から,インタラクションに開 かれた話にすることで,心理学の生態 学的展開がありましたが,設計の分野 だけでなくいろいろな分野で似たこと が話されている感じがするんです. 客観性は錦の御旗である? 藤井:東京工業大学の意匠系や建築計 画系は人の感覚を大切にしていて,建 築について数値だけで説明しても駄目 じゃないという考え方があったけれど も,どうも世の中はそんな感じじゃな いなと.ある学会の場で,空間の話だっ たんだけれども,この空間は面白いと か面白くないという体験すればわかる ことを,いろいろなデータを並べて語 ろうとしている.数値上は面白くない と判定される空間を自分は面白いと感 じるというと,それは主観的であると 拒絶される. 塚本:空間の良さみたいなものを制度 化し,誰にでも客観的にわかるように することのニーズはどこにあるかとい うと,例えば,大企業の中で現場に近 い若い社員が企画を上に上げるときで す.この空間が良いと思っていても, 何で良いのか上司に説明するには,制 度化されたものがないと説明できない. 会議室という抽象的な場所でのものご とのジャッジが,大きな企業を中心と する資本主義的な活動で盛大に行われ ている. 諏訪:上の人も自分の主観でジャッジ すればいいのに.そこに恐れがあるん ですね. 塚本:そうすると前例主義になるんで すよ.今の日本はそこでがんじがらめ になっている. 一人称研究は内部観測の流れをくむ 塚本:一人称研究は人工知能学会の中 の一派なんですか. 諏訪:そうです.人工知能の中からこ ういう考え方を広めようと動いていま す.人工知能と認知科学って,会員が 割とオーバラップしているので,両方 に出ている人達は割とこういう考え方 には相性が良いんじゃないかと思いま す. 塚本:内部観測にも近いですか. 諏訪:内部観測の考え方はそのままこ の中に入っています.ただ,内部観測 の複雑系の人達は基本的には物理学者 で,外から客観的に現象を見て,これ これこういうことが起こってるから内 部観測って重要よね,と言っているの だと思います.その概念自体は素晴ら しいと思うんだけど,実際にじゃあ内 部観測のデータを取ってそこでどんな 振舞いが行われているかを調べること まではやってないです.一人称研究は, あの流れをくみつつ,そこから先,進 めましょう,という感じじゃないでしょ うか. 塚本:逆に内側から体験するように成 長していく.比喩的な言い方になり ますが,そういうつくり方を設計する ときには心掛けています.外側からコ ンセプトありきでそれを物質化してい くと,どうしても鋳型にはめるように なる.それに対してこういう人達がこ ういう基本的な振舞いをするから,そ の振舞いがどういうものに包囲されて いるとより楽しいのか,この振舞いと どの資源が良い関係を結んで互いのパ フォーマンスを高め合うのか,互いを リスペクトした状態になるのか,とい うようなことを組み上げていく.どこ までが全体といえるものなのかわかり にくいですが.建てる場面では建築物 という全体はありますが,認識として はずっと広い範囲を問題にすることに なる.建築は日常性に寄り添う種類の もののほうが多いので,繰返しやって いくことに自然と美しさが備わってい くようなことにしたいというのがやっ ぱりあります. コモナリティーズに眼差しを向ける 塚本:大内秀明さんという東北大名誉 教授の『ウィリアム・モリスのマルク ス主義』(平凡社)[大内 12] に面白いこ とが書いてありました.エンゲルスが 立てた図式,非常に明快な社会がこう ……. 藤井:下部構造と上部構造があって矛 盾に昇華してっていう. 塚本:その過程で,個人の個別的な手 段が個別的な利潤を生む段階から,集 団的な手段が個別的な利潤を生む産業 資本家が労働力を搾取する段階になり, そこで革命を起こして集団的な手段が 集団的な利潤を生む社会主義へと向か うという図式があります. でも,モリスは個別的な手段が個別 的な利潤を生むという最初のところが おかしい,職人達が自分で作業するプ リミティブな段階は個別の手段とはい えないんじゃないかと.なぜなら職人 達には技を伝え合い,教え合い,学び 合う成長の場があるわけで,そこには 最初から共有性があったのに,共有性 がないという前提から始めるのは,エ
ンゲルスが手作業をしたことがないか らだと.対してモリスは働くことが芸 術化していくということを言うことで, 働くことを原罪から救おうとするんで す. 藤井:それでアーツアンドクラフツ運 動. 塚本:そこから考えていくことで,エ ンゲルス的な国家統制型の社会主義と 違って,共同体的社会主義を主張する んです. 『Architectural Behaviorology( 建 築 の振舞い学)』(Rizzoli)[Atelier Bow-Wow 10]を書いたあとに,『コモナリ ティーズ』(LIXIL 出版)[アトリエ・ ワン 14] を書きました.振舞い学は, 自然も人も建築もみな振る舞うという 話.振舞いに対してセンシティブなら ば,要素還元的にならずに,配慮する 項目を増やせる.境界条件を常にゆる く保っていられる. 藤井:境界条件を明確に決めた途端に, 境界の内側の本体と境界の外側の周り とに分かれてしまいますね. 塚本:振舞いは実は共有されている. 自然の振舞いは誰のものでもないし, 人間の振舞いも社会的に共有されてい る.建物の類型が,それぞれの町で違 うということは,それが町ごとに共有 されているということ.振舞いの「個 人では独占できない」という特徴はす ごく意味があると考えています. 個と全体をまず分けるのをやめるっ ていうか,個と全体があってそれをつ なぐんじゃなくて,そもそもそれらが 混じってるところを最初からつかみに 行けば,両方と話ができるということ を,コモナリティー,共有性として位 置付けました.モリスの思想の中にも 共通するところがあったので私,感激 したんです. 諏訪:面白い流れで話が進んで,論点 が結構明確になってきたと思いますけ れど,また最後の段階で共有的社会主 義とか国家統制的ではなくてとか,コ モナリティーとか,これはまた何か面 白くなってきたんで.どう伝えるのか とか共感とかそういう辺りと関係する と思うので,第 2 回をやりませんか. 塚本:いいと思います.楽しいですよね, この議論. 藤井:いいですね.議論したいことが いくつかあって.コモナリティーで, メンバシップの空間とかいろんなコン セプトが出てきたのですが,ここで ちょっと客観性に強引に結び付けると, 我々が言っている客観性というのはマ ジョリティーの話ですよね. 塚本:うんうん. 藤井:マジョリティーを決めるからマ イノリティーが生まれるけれども,そ もそもみんなそこに居るメンバなん だと.それをどうにかうまく捉える 方法というのはあるのかなと.それ を身体に基づく共感といったときに, それは同じ身体をもつことを前提とす るんだけれども,共通性も差異もあ る身体をもつ主体達の間での共感っ ていうのはどういうふうにできるん だろうかなというふうに思えてきた んです.それから,振舞いを共有し ているということでは,今あそこで 木が揺れているのはみんな同じよう に見てると思うんだけど,実は違う ことを見てる可能性だってあるわけ ですよね.でも,それでも何かアン カ ー に な る よ う な も の が あ る か ら, 共通認識をもってるように思えます. そういう誤解も含めて共通性っていう のがあるんじゃないかなって気がして います. 塚本:完全に同一化しないけれども, おおむねよいのではないかという.福 岡伸一さんが分子生物学でも,条件が 整うとそうなることはわかっているん だけれど,何でそうなるかわからない とか,こういう条件になると確率的に はこうなるというようなときに,「振舞 い」と表現すると書かれていました. 建築設計もそういう感じじゃないです か,「こんぐらいかな」みたいな(笑). 藤井:かちっと決められない. 塚本:そうそうそう. ま と め 建築学・塚本由晴氏の世界観と,認 知科学・諏訪,デザイン科学・藤井, それぞれの「一人称研究」の世界観を 共感し合うという形で対話が進みまし た.前半は主に建築の学からの主張を 拝聴しました.後半では知能の学の主 張が本格的になります.普遍性,論理性, 普遍性に頼ることなく,共感に訴え続 ける後半の語りにご期待ください.
◇ 参 考 文 献 ◇
[Atelier Bow-Wow 10] Atelier Bow-Wow:
The Architecture of Atelier Bow-Wow: Behaviorology, Rizzoli(2010) [アトリエ・ワン 14] アトリエ・ワン:コ モナリティーズ ふるまいの生産,LIXIL 出版(2014) [藤井 13] 藤井晴行:創造という行為の研 究について(〈特集〉一人称研究の勧め), 人工知能学会誌,Vol.28, No.5, pp.720-725(2013) [貝島 01] 貝島桃代,黒田潤三,塚本由晴: メイド・イン・トーキョー,鹿島出版会 (2001) [日本建築学会 12] 日本建築学会 編,位寄 和久,岩田伸一郎,大崎 純,大西康伸, 加藤直樹,川角典弘,長坂一郎,藤井晴 行,渡部 俊:建築のデザイン科学,京 都大学学術出版会(2012) [大内 12] 大内秀明:ウィリアム・モリス のマルクス主義 アーツ & クラフツ運動 を支えた思想,平凡社(2012) [諏訪 13] 諏訪正樹,堀 浩一 編:特集「一 人称研究の勧め」にあたって,人工知能 学会誌,Vol. 28, No. 5, p. 688(2013) [諏訪 15] 諏訪正樹,堀 浩一 編著,伊藤毅志, 松原 仁,阿部明典,大武美保子,松尾 豊, 藤井晴行,中島秀之:一人称研究のすす め─知能研究の新しい潮流─,近代科学 社(2015) [内田 13] 内田義彦:生きること学ぶこと〈新 装版〉,藤原書店(2013) 2018年 3 月 28 日 受理
著 者 紹 介
諏訪 正樹(正会員) 1984年東京大学工学部卒 業.1989 年同大学院工学 系研究科博士課程修了(工 学博士).同年,(株)日 立製作所基礎研究所入社. 推論学習の研究に従事. 1994∼96年スタンフォー ド大学 CSLI 研究所にて客員研究員.1997 年 シドニー大学建築デザイン学科主任研究員 (Senior Researcher).2000 年より中京大学 情報科学部助教授,2004 年より同学部教授. 2008年 4 月より慶應義塾大学環境情報学部教 授.身体知の学び,感性を育む方法論,コミュ ニケーションのデザインの研究に従事.共編著 に『一人称研究のすすめ 知能研究の新しい潮 流』,『知のデザイン 自分ごととして考えよう』 (ともに近代科学社,2015),単著に『「こつ」 と「スランプ」の研究 身体知の認知科学』(講 談社,2016),『身体が生み出すクリエイティブ』 (筑摩書房,2018).日本認知科学会,日本デ ザイン学会各会員. 藤井 晴行(正会員) 早稲田大学理工学部,同大 学院理工学研究科にて建 築学(1983 年卒業,1985 年修了),カーネギーメロ ン大学大学院にて哲学と 計算言語学(1994 年修了) を学ぶ.博士(工学).シ ドニー大学大学院にてデザイン学を学ぶ.統語 論・意味論,機械翻訳,数理論理などを応用 し,デザイン科学の方法論を構築する実践的研 究と伝統的民家が表現する固有の知を継承する 研究的実践に従事している.清水建設技術研究 所,同・基礎研究室,東京工業大学講師,助教 授,准教授を経て,2015 年 1 月より東京工業 大学教授.共著に『建築のデザイン科学』(京 都大学学術出版会,2012),『一人称研究のす すめ 知能研究の新しい潮流』,『知のデザイン 自分ごととして考えよう』(ともに近代科学 社,2015).日本建築学会,日本認知科学会各 会員. 塚本 由晴 建築家,博士(工学),ア ト リ エ・ ワ ン 共 同 代 表, 東京工業大学大学院教授. 1965年 生 ま れ.1987 年 東京工業大学工学部建築 学 科 卒 業.1987 ∼ 88 年 パリ・ベルビル建築大学. 1992年貝島桃代とアトリエ・ワン設立.1994 年東京工業大学大学院理工学研究科博士課程修 了.Harvard GSD, UCLA, Columbia GSAPP, Cornel University, Rice University, The Royal Danish Academy of Fine Arts, TUDelftなどで 客員教授を歴任.『メイド・イン・トーキョー』 ( 鹿 島 出 版 会,2001),『 ペ ッ ト ア ー キ テ クチャー・ガイドブック』(ワールドフォトプレ ス,2001),『図解アトリエ・ワン』(TOTO 出版, 2007),『Behaviorology』(Rizzoli New York, 2010),『WindowScape』(フィルムアート社, 2010),『コモナリティーズ ふるまいの生産』 (LIXIL 出版,2014)など.