古典教育における言語観の変容に関する研究
東京学芸大学教職大学院・院生 小澤 まみ キィワード:古典教育、言語観、高等学校 1、問題の所在 小助川(2015)は古典嫌いの分析から、子どもたち が挙げる理由について、「「役に立たない」「今と のつながりが感じられない」といった学習する意義 に関するもの、「主語述語がはっきりしない」「意 味が取りにくい」「古典文法や口語訳が難しい」「読 むのが面倒」といった文語文を読む困難さに起因す るもの、「話がつまらない」といった内容そのもの の魅力に関するもの」(p.13)に大別している。古典嫌 いの一つの要因には「今とのつながりが感じられな い」という学習意義への問題があることが分かる。 同じく田中(2007)は、「子どもたちにとって、古 文や漢文(訓読文)の言いまわし、いわゆる文語文 の表現は、耳慣れないことば、「むかしの人のこと ば」であり、違和感をもたれることが少なくない。」 (p.6)と述べた。そして、花や春といった今も使っ ていることばを挙げ、「国語教育のなかの古典教育 が見落としてはならない点は、こうしたことばが日 本語としていまも連綿として使い続けられていると いう事実」(p.7)であると古典教育のあり方を主張 した。このことから、学習者は古典のことばと今の ことばのつながりを意識することはできていないと 考えられる。 学習者がもつことばへの見方には言語=道具・技 能説がある。佐藤(2011)は、言語は道具やツール にすぎないという考えを間違いであるとし、「言語 は人にとって、道具や技能ではなく、文化の経験そ のもの」(p.140)と論じている。また、大津(2010b) も言語(ことば)はコミュニケーションの手段であ るという見方は本来的機能とは考えられないと指摘 している(p.6)。山西(2014)は次のように論じてい る。 「ことばは文化である」という表現の持つ意味 を考えてみると、ことばは、文化を伝達し、表 現し、創造する上での重要な道具であることに とどまらず、ことばそのものが、語彙の中に、 用法の中に、音の中に、表現方法の中に、多様 な文化を内在化させていることに気づかされ る。(p.188) ことばへの見方には、コミュニケーションの道具 や文化を創造する道具という、ことばは道具である という見方や「ことばは文化である」という見方が あることが分かる。古典を学ぶ学習者も、古語や表 現を古典作品の内容理解のための道具としか捉えて いないのではないか。大津(2010a)は、国語教育で ことばの構造と機能を認識し、ことばの性質を十分 に活用することは、近年 PISA 型読解力と関連して 取り上げられることもあるが、未だ体系だったもの になり得ていないと論じた(p.274)。国語教育では ことばの性質に着目した学習は少ないと考えられ る。古典嫌いの子どもが「今とのつながりが感じら れない」という原因の一つに、古典教材の内容はも ちろん古語や作品内の表現に対しても、つながりを 感じられる機会が少ないことが考えられる。ことば を道具としてしか見ない学習者が、ことばは昔から つながった文化であるという認識をもたなければ、 「今とのつながりが感じられない」だろう。つまり、 自分が使用していることばに対して、昔からつなが りのある文化であるということばへの認識をもてて いない学習者がいることが考えられる。 2、研究の目的 以上のような問題意識を踏まえ本研究では、高等 学校の古典教育において、ことばはコミュニケーシ ョンの道具にすぎないと考えているような、ことば における文化の側面を認識していない学習者が、こ とばは昔からつながっている文化であると、言語観 を変容させていくことの重要性とその実践の方向性 を論じる。学習者が、ことばは昔からつながってい る文化であると気づくことができると、古典を学習 する意義を見出せるようになるのではないかと考え られる。 3、言語観とは第2日目 H会場 ― H1
― 149 ―先述したように、学習者はことばを道具やツール としか見ておらず、古典教育には今とのつながりが 感じられ難いという問題があると考えられる。そこ で、学習者にことばは文化であるという認識を獲得 させたい。本論ではその認識を言語観という用語で 説明する。しかし言語感覚と誤解を招く可能性があ るため、言語観と言語感覚を比較し、本研究におけ る言語観という用語の定義を行う。 3-1 言語感覚 浅田(2018)は、言語感覚を次のように定義して いる。 人が言葉を用いる際に発揮される、個別の言語 表現と自分の所属集団でいつも用いる言語表現 との違いや、あるいは個別の言語表現同士の違 いを、認識したり感じ取ったりする能力。(p.8) 浅田はニュアンスや美しさは、人によって異なっ た受け取り方をされる可能性がある(p.8)とし、例 えば論文調の「硬い」文体とそうでないものの違い や、「文学的な」文体とそうでないものの違い、正 しい表現と誤った表現や、適切な表現と不適切な表 現を認識したり感じ取ったりすることにも当てはま ると論じた(p.8)。高等学校学習指導要領解説(平 成30 年告示)でも言語感覚を定義している。 言語感覚とは,言語で理解したり表現したりす る際の正誤・適否・美醜などについての感覚の ことである。(中略)相手,目的や意図,場面 や状況などに応じて,どのような言葉を選んで 表現するのが適切であるかを直観的に判断した り,話や文章を理解する場合に,そこで使われ ている言葉が醸し出す味わいを感覚的に捉えた りすることができることである。(p.24) 学習指導要領では言葉を選んで表現したり、捉え たりすることを言語感覚としている。このように、 言語感覚はことばの正誤や場面に応じたことばの適 否といった言語表現についての感覚であるため、こ とばに対する認識を意味する用語としてはふさわし くない。 3-2 言語観 倉澤(1984)は「言語に対する見方」(p.296)を言 語観としている。また、塚田(1984)は、言語観を 以下のようにまとめている。 力点の置き方によって,伝達中心の言語観,表 現中心の言語観,知識体系中心の言語観などを 区別することができる。(中略)こうした,い ずれの言語観に立つかによって,言語教育の内 容や方法も多分に異なるものになる。 (p.261) ことばに対して着目する側面によって、様々な言 語観が見られることが分かる。塚田は、言語を規則 体系と見るには音韻や文法が重視された学習にな り、表現を追求する立場では、個性的、美的創造的 な言語活動が重視されると例を挙げている(p.261)。 自分がどの言語観に立つかでその後の学習内容が変 化するため、立場に合った授業内容が求められる。 土部(1967)は自分・相手・表現内容を捉える過 程について、相手が「その対象をどのように見、そ のような対象に対してどのように考え、どのように 感じているのかを確かめ」(p.3)自分が「どのよう に見、考え、感じるべきであるかを意識し直」(p.3) すことを重視した。斎藤(1983)は言語文化研究か ら、言語は文化の一部や言語の中に文化が映し出さ れるという考え方は、言語の研究が文化の研究に通 ずることを明示している点が重要だが、この言い方 では、言語そのものが文化だという考え方が欠落し かねないという問題点もあるとした(p.416)。 ここか ら、相手と自分のことばの見方や考え方を確かめ、 意識することや、ことばそのものが文化という考え 方が重要なことが分かる。 3-3 言語観まとめ 筆者はことばへの認識に着目しているため、こと ばの見方やことばは文化という言語観に立っている 先行研究を踏まえ、言語観という用語を用いること とする。よって本研究では、ことばを意識化・客体 化することを通して、ことばの特性に気づくことが できる意識や知識を言語観と定義する。そして言語 観の中でも、ことばを意識化し客観的に見つめた時 に、ことばは昔から現代につながってきた文化であ ると認識する側面に注目する。言語観という概念を 用いて古典の学習を捉えると次のように考えられ る。ことばはコミュニケーションの道具にすぎない と考えていた学習者が、古語や古典作品の表現に着 目した学習によって、ことばには当時の見方、考え 方の影響があり、昔からつながった文化であると考 ― 150 ―
えることができるようになる。すると、ことばに対 する認識である言語観が変容し、古典を学ぶ意義を 学習者が実感できるようになると考えられる。例え ば現代の学習者が、露に対して水滴という意味だけ でなく、儚さから命の意味を意識できることや、袖 から涙と連想できるのは、ことばが昔からつながっ た文化であるからと考えられる。自分が日頃使って いることばや表現と古典とのつながりを知り、こと ばは昔からつながった文化であると考えられること で、学習者の言語観が変化することをねらう。 4、古典教育における先行研究の分析 本節では言語観に注目し、ことばが現代とつなが った文化だと学習者に実感させるような研究にはど のようなものがあるのか分析することで、どのよう な実践を行うべきかを論じる。 4-1 学習意義に着目した実践 金子(2005)は、「古典を学習する意義をどこに 見出すのかということについては、「現在」に生き る我々が「古典」を学ぶという時間的な隔たりがそ こにある以上、永遠の課題でもある。」(p.179)と論 じた。「その際に、古典とは先代から受け取るだけ でなく、次代に引き継いでゆくものであるという視 点を大切にしたい。」(p.179)とし、伊勢物語で受け 継がれてきたものが、生徒にとって納得のゆくもの なのかを明らかにしてゆくことを通して、生徒が受 動的な情報の消費者としてではなく、文化の後継者、 創造者として主体的に行動してゆくための出発点と したいと論じて、高校生に実践を行った(p.179)。単 元では、伊勢物語が作り出され、受け継がれてきた 文化や人間にとって「物語る」欲求について考える ことを通して、古典の意義について理解すること、 描かれる人間像や世界観を理解すること、現代語と の関わりを通して、言葉の果たす役割について理解 することを目標とした(p.179)。生徒は伊勢物語の男 は、どのような男として語り伝えられているのかや それぞれの章段の関連、歌と物語の関係、物語とは どういうものかを考えていく(p.180)。生徒の学習記 録には「感情的な面では、我々の感覚とたいして変 わらないように思います。」(p.181)という記述があ り、当時の人々の感覚との共通点、今とのつながり に気づけたことが分かる。しかし、言語観そのもの に着目した実践ではない。 4-2 資質・能力の育成に着目した実践 森(2018)は、「身近な行事としての七夕という 視点を皮切りに,伝説の変遷,その定着を昔話や和 歌といった作品から読み取っていくことでその内容 も深めるといった,多面的な学習」(p.32)を行った。 グループで七夕にまつわる昔話、行事、和歌から 1 つ課題を選択し調べ学習を行う。生徒は、これまで 知らなかった七夕の知識を知ったり、地域ごとの特 色に気付いたりすることができた。また、質問紙調 査による資質・能力の測定から、「授業活動におい て「好奇心・探求心」を高めることによって、単元 終了後の「批判的思考力」「好奇心・探求心」「愛 する心」などの資質・能力の育成につながることが 期待できると考えられる。」(p.41)ことが分かった。 ここでの「愛する心」とは、「言語文化を愛する心」 (p.37)であり、実際に生徒は「今に至る行事を大切に したい」(p.40)という記述をしている。身近な七夕か ら生徒は自分の生活につなげて考えることができ、 「言語文化を愛する心」に影響を与えたが、言語観 そのものに着目した実践ではない。 4-3 古語とのつながりに着目した実践 郡(2005)は、語彙史研究を利用した古文教育の可 能性から、「ことばの歴史的変遷をふまえた言語文 化研究を通して、古文と現在がつながっていること を実感させる授業実践例」(p.1)を提示した。伊勢物 語の初冠から、 「なまめいた」、「はしたない」の意味 を理解していく。その際に、古語を現代語と対応さ せて受験単語のように覚えさせるのではなく、こと ばに興味を持たせるために「ことばの背景」について 納得させる必要があるのではないだろうかと論じた (p.2)。 授業を受講した大学生は、現代の人々が想像 する「なまめいた」のイメージと本来の意味を複数 作品から学んでいくことで、現在も使用しているこ とばの意味が変化していき、本来とは異なる意味で 使用されていることや古語と現代語のつながりを見 出すことができる。郡は「日本語の変遷を考える、言 語の背景を知る、という視点からの授業実践を通し て、古典という教科そのものへの興味を喚起させる ことができないか」(p.5)と考えを論じた。ことばの 背景や変遷に着目すると、当時の使われ方や時代を 経て少しずつ意味が変化していく過程を知ることが できる。そして、「古文読解の際、 気をつけなくて はならないのは「現在も使用していることば」であ る。」(p.3)と論じている。ことばは同じだが、意味が 異なるもの、本来の意味に別の意味が追加されたも のなど、古語と現代語を比較すると様々な変遷が見 ― 151 ―
られる。そこから、学習者は今と昔のつながりを感 じられると考えられる。 この実践のように、あることばに着目することで、 学習者が現在も使用していることばと古語とのつな がりや意味の変遷に気づくことができた実践は、山 際(2018)が挙げられる。山際は、源氏物語の若菜 巻で用いられている6 例の「ぬるし」に着目し、「ぬ るし」の主語や具体的な心情、何を表しているのか ということを考えて「ぬるし」の働きを捉える実践 を高校生に行った。生徒の感想では、「今で言う「生 ぬるい」と関係があるのに今日気づいた。」(p.9)や 「今では使わない様な使われ方をたくさんしてい て」(p.10)という記述があり、古語とのつながりに気 づけ、今にはない当時の意味を知ることができたと 分かる。だがこれらの実践は、ことばに対する当時 の見方や古語とのつながり、意味の変遷に着目して いるが、つながりを実感させるに留まっており、そ れを発展させ、ことばは文化であると生徒が言語観 を変容するまでには至っていないと考えられる。 4-4 まとめ 昔の人のものの見方や考え方、身近な七夕などの 文化、古語の意味や変遷に着目した実践によって、 学習者が今とのつながりを実感できる実践が行われ ていることが分かった。古典作品から当時のものの 見方や考え方、ことばの意味や変化を探っていき、 今とのつながりを実感させることは有効であると考 えられるため、ことばの背景を知る視点を今後の実 践に生かしていく。しかし、これらの実践は、学習 者に自身の言語観を意識させるものではなかった。 言語観を問うという点では、鈴木(2015)が小学生 と大学生の言語観を調査する際に、ことばについて のマインドマップを活用しているため、この方法を 参考に学習者の言語観を捉えていきたい。 5、結論と今後の展望 以上の先行研究から、学習者のことばへの認識を 問う機会を作ったうえで実践を行い、そこから抽象 化し、発展させることで、言語観の変容を捉えるこ とができると考えられる。実践では、自分たちが使 用していることばと古語とのつながりや、ことばの 意味の変遷に着目できること、当時の人のものの見 方や考え方が表れていること、現代の学習者に身近 に感じられる題材である古典作品を用いることが望 ましい。よって、これらに合う古典教材を選定し、 単元指導計画を考える。そして、調査を行うことで 教材の適正と言語観が変容するプロセスを捉えてい きたい。 参考・引用文献 浅田孝紀(2018)『言語文化教育の道しるべ 高校 国語教育の理論と実践』明治書院 大津由紀雄(2010a)「「ことばへの気づき」に根ざ した言語教育の構想」『日本教育学会大會研究発表 要項』69 巻,pp.274-275 大津由紀雄(2010b)「言語教育の構想」『言語政策 を問う!』ひつじ書房,pp.1-31 金子直樹(2005)「「伊勢物語」の授業 導入期の 古典指導から」『中等教育研究紀要』45 巻,pp.179-184 倉澤栄吉(1984)「国語教育における形式主義・内 容主義」『国語教育指導用語辞典』教育出版,p.296 郡千寿子(2005)「語彙史研究を利用した古文教育 -『伊勢物語』初段「なまめいた女」考-」『弘前 大学教育学部紀要』第93 号,pp.1-6 小助川元太(2015)「教材としての「古文」と作品とし ての「古典文学」」『日本文学』64 巻 4 号,pp.11-20 斎藤武生(1983)「「言語文化」の発想」『言語文 化論集』第15 号,pp.407-417 鈴木洋子(2015)「小学生の言語観に関する一考察 -研究成果の社会還元普及事業の実践から-」『学 苑』891 号,pp.1-11 田中俊弥(2007)「古典教育のすじみちを考える」 『ことばの学び』14 号,pp.6-7 塚田泰彦(1984)「言語」『国語教育指導用語辞典』 教育出版,pp.260-261 土部弘(1967)「言語表現の機構と国語科教育の構 造・領域」『国語と教育』,pp.1-10 森顕子(2018)「七夕単元 文化的行事を文学とし てたどる」『「OECD との共同による次世代対応型 指導モデルの研究開発」プロジェクト-平成 28 年 度研究活動報告書-』,pp.32-49 山際咲清香(2018)「言葉に着目して『源氏物語』 を面白く読む-若菜上・下巻「ぬるし」から見える もの-」『アクティブ・ラーニング時代の古典教育 小・中・高・大の授業づくり』,pp.197-214 山西優二(2014)「文化・ことばと国際理解教育- 文化力形成の視点から-」『日本に住む多文化の子 どもと教育 ことばと文化のはざまで生きる』, pp.185-203 ― 152 ―