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小野仁美著『イスラーム法の子ども観-ジェンダーの視点でみる子育てと家族』

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Academic year: 2021

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触れている(348 頁)。 「歴史研究というのは真実に近づくこと はできず、ただ歴史に対して学者が解釈 するものだ」と聞いたとき、ショックを 受けた。今までの自分の研究や資料を探 す苦労などを全部否定されただけではな く、これからの目標も失いそうになった。 そこで、自分の研究では必ず真実に近づ きたいと決心し、歴史の全体像を完全に 復元することはできなくとも、一つ一つ の文献資料や画像などの蓄積をもって一 側面から分析することを研究手法とした。 その積み重ねにより、歴史の真実に近づ くことができると信じている。 評者には、近代中国人日本留学の真実への 接近があればこそ、著者をして「祖国を愛し つつ」の一言を絞り出さしめたと感じられた (185 頁)。 多くの情報が手元で溢れる中で真実に近づ こうとする姿勢は、専門知が蔑ろにされフェ イク情報がまかり通る昨今、まさに求められ ていることであろう。読後、そうした意味で も、評者は襟を正すことにもなった。 本書は、水滴石穿を彷彿とさせる力作であ る。 (東信堂、2020 年 2 月、 352 頁、6,000 円+税) <書評>

小野仁美著『イスラーム法の子ども観

-ジェンダーの視点でみる子育てと家

族』

中田有紀(東洋大学アジア文化研究所) 本書は、博士論文「イスラーム法の子育て 観―法学者間のイフティラーフからみたマー リク派の特徴―」(2011 年度、東京大学大学 院人文社会系研究科提出)に、その後の研究 成果を合わせて加筆修正し、構成されたもの である。 著者は、「前近代の法学者たちによって記さ れた法学書を、子どもをキーワードとして読 み解いていき、彼らが神の意に沿うと考えた 子育てや家族の在り方を明らかにすること」 (1 頁)を目的としている。 イスラーム法学者たちは、著者が指摘する ように、「クルアーンに示された絶対不変の心 理と、預言者ムハンマドの慣行(スンナ)を 参照しながらも、様々な価値観を許容する法 体系を創出し、維持してきた。イスラーム法 は、一つの固定的な法典としてまとめられる ことはなく、複数の法学派が共存する形で継 承された。そして、イスラーム法の具体的内 容は、膨大な数のイスラーム法学書として今 日にまで伝わり、現代ムスリム諸国の家族法 にも影響を与えている」(2 頁)。 イスラーム教徒の約9 割を占めるスンナ派 では、4 つの法学派がイスラーム史の中で発 展してきた。それらのうちマーリク・イブン・ アナスを学祖とするマーリク学派の法学書群 を中心に、本書の検討が進められている。 前近代のイスラーム社会における子育てや 教育についてのイスラーム法学者たちの見解 を、詳細に分析している本書は、イスラーム 社会において、子どもがどのような存在とし

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て捉えられてきたのかを法学的な観点から理 解するうえでの貴重な研究成果といえる。 現代のインドネシアのイスラーム教育研究 に取り組んできた評者は、現地のムスリムの 温かい子どもたちへのまなざしや態度をいつ も感じてきた。そのため、近代以前の社会に おいて、イスラーム法学者たちは子どもの存 在を重視し、その養育をめぐることを議論し、 細かく定義していたことを、本書を通して理 解できたことは、大変興味深く感じた。 序論と結論のほか、4 つの章で構成されて いる本書の章立ては以下の通りである。 序論 1.法学書を子ども観から読み解く―本書 の目的、2.本書の特徴と意義、3.イスラ ーム法学書の歴史と概要 第一章 人間の成長段階と法的能力 1.イスラーム法における子どもの概念、 2.身体的成熟と法的能力の変化、3.弁識 能力という指標、4.未成年者としての「子 ども」と法的能力 第二章 父の権限と子への義務 1.実子の確定、2.子の宗教と新生児儀礼、 3.父子相互の権利と義務、4.父は子に対 して絶対の権限をもつのか、5.父という存 在の考察 第三章 母の役割と「子の利益」 1.母の授乳は義務なのか、2.乳母の雇用 をめぐる問題、3.監護をめぐる母の権利と 子の権利、4.「子の利益」を守るという価 値観 第四章 子どもへのクルアーン教育 1.子どもへの教育を示す言葉、2.クルア ーン教師の雇用規定、3.マーリク派法学者 による教育専門書、4.マーリク派法学者の 教育論、5.ムスリム社会の担い手としての 子どもたち 結論 イスラーム法の子ども観が映すもの 以下、本書の各章の概要を示したい。 第一章では、人間の成長段階による法的能 力の変化という観点からイスラーム法規定を 検討している。儀礼行為、結婚や離婚、商取 引、刑法などの幅広い分野をまず見渡し、イ スラーム法に特有の思考や記述方法、そして 社会との関係についても考慮しながら考察が なされていく。ここでは、身体的な成熟を基 準とする青年の定義を確認したうえで、未成 年期を二分する弁識能力という概念に着目し ている。イスラームにおいて、「成年者である ことの原則的な基準は、身体的に成熟し生殖 能力を備えること、つまり自身の子を持つ能 力を備えることである」(62 頁)。イスラーム 法の規範においては、男女の関係を詳細に規 定し、子どもをもつことへの責任を明確にし ている。未成年期の間は、イスラーム法を順 守する義務をまだ負わず、成年に達してはじ めて、来世での報酬と懲罰の対象となり、イ スラーム法に照らしてその判断がなされると いう。 しかし、未成年者であってもやがて善悪の 判断ができる能力が身についていく年頃を迎 える。「弁識能力者」という表現を用いて説明 を行う法学書が多くなるのは、11 世紀以降だ ったと著者は論じている。4 つの法学派すべ てがそれぞれ、弁識能力を有する子どもの権 限について述べていることを示したうえで、 マーリク派の場合の弁識能力を備えた未成年 者とは、成年に達する直前の短い期間だった ことを指摘している。また「弁識能力」とい う概念をマーリク派が導入した要因について は、他の学派の法学者の見解なども含めて論 じている。 第二章では、子に対する父親の権限がどの ように規定されているのかについて検討して

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いる。具体的には、父子関係の確立、子の宗 教、新生児儀礼、扶養、相続、後見、親子間 の殺人などの項目について、イスラーム法学 者たちが展開したさまざまな議論を検証して いる。イスラーム法においては、父親に大き な権限が与えられている。しかしそれは、無 制限な権限ではなく、父親に課される義務も 明確にされていることを明らかにしている。 ハディースには、「あなたとあなたの財産は、 あなたの父親に属する」と書かれたものがあ る(117 頁)というが、興味深いのは、これ が根拠とされる法学者の見解は限定的であり、 本章で対象とした上記の諸項目に関して、こ のハディースが引用される法学書は、あまり みられないということである。著者は、イス ラーム法学書の記述には、子に対する「父親 の愛情」という表現がみられ、「子の利益」へ の配慮という姿勢も強く見られることを指摘 している。本章を通して、マーリク派の諸規 定からは、「家長としての家族成員の一人であ る子を制御するという立場ではなく、父親と して子を養育するという基本姿勢がみて取れ る」(119 頁)という。 第三章では、イスラーム法における母親に よる子への授乳と監護(子どもの身の回りの 世話などのいわゆる子育て)に関する法規定 を分析することを通して、母親の役割がどの ように規定されていたのかを明らかにしてい る。イスラームの家父長制的性格は、女性や 子どもの権利を軽視する傾向があることが先 行研究で指摘されてきた。本章では、そうし た見方への再考を試みている。 母親を子育ての担い手と捉える言説は、欧 米やアジアに限らず、イスラーム地域におい ても19 世紀末から 20 世紀にかけて広がった (9 頁)ことを認めつつも、著者は、前近代 に広く社会に浸透していたイスラーム法に関 する複数の史料を比較しつつ、母親の役割が どのように捉えられていたかについて考察し ている。 まず、授乳については、授乳に関するイス ラーム法規定の根拠とされるクルアーンの章 句の内容の解釈をめぐってイフティラーフ (見解の相違)が生じたことについて複数の 法学書を検討し、明らかにしている。マーリ ク派の場合、他の学派と異なり、「母親による 授乳を婚姻継続中に限っては義務づけている」 (129 頁)という。また、婚姻を解消した場 合は、「子の生命維持に支障のない限りにおい て、母親の授乳義務はない」(130 頁)という。 したがって母親の授乳義務は、「母親と子の関 係においてではなく、母親とその夫との関係 において生じるものである」(130 頁)として いる。他方で、法学者たちは、子にとっての 母親の乳が最良であることを認識していたこ とを示す法学書の内容も紹介しており、そこ では、子にとっての母親の深い愛情を示す表 現が法学書のなかに書かれている。また、乳 母の雇用に関する法学者らの見解や契約文書 のひな型集などの内容の分析を行ったうえで、 イスラーム法が乳母による子育てを推奨して いた痕跡はみられないとしている。また監護 については、法学書の項目のうち、誰が監護 者として優先するのかという問題と、監護は いつまで行うのかという監護期間に焦点を当 てて、詳細に検討している。その結果、マー リク派では、他の学派よりも母親や母系親族 による子育てが重視されており、監護期間も 長くとらえられていることを明らかにしてい る。監護をめぐる規定において、母としての 役割を強制するものではなく、子にとっての 利益を尊重することを重視した法学書の例も 示されている。 第四章では、法学書で扱われる教育につい ての議論のうち、最も頻繁かつ詳細に論じら れるクルアーン教育を中心に、法学者たちが

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教育をどのように考えていたのかについて検 討している。マーリク派の法学者たちは、他 の学派とは異なり、子どもへのクルアーン教 育を論じた教育専門書を残しているという。 本章では、マーリク派法学者たちの教育論を 法学書以外の情報と併せて検討している。 まず、クルアーン教育に関する法規定の多 くが、クルアーン教師の雇用契約の問題とし て扱われていたことから、クルアーン教師の 雇用について、学派によって有効か無効か、 判断が異なることを示したうえで、マーリク 派は、有効とする立場を取っていたことを指 摘している。学祖マーリクが、クルアーン教 師の雇用の是非について、「書物としてのクル アーンの売買を有効としていることからの類 推」(186 頁)によることが示されている点は 興味深い。マーリク派は、クルアーン教師の 雇用を有効としたことによって、その後の教 育論の発展が見られたという。複数の教育専 門書が書かれるとともに、ファトワーも出さ れた。例えばイブン・サフヌーンによる『教 師の心得』、イブン・アビー・ザイドによる書 やファトワー集、カービスィーの『教師に関 する諸事と教師と生徒との諸規則の詳細』な どにおいて、子どものためのクルアーン教育 の重要性が強調され、具体的な指針が示され ていたことを著者は指摘している。これらの 教育専門書を通じて、マーリク派の法学者た ちは、法学的な議論の枠内において、子ども を対象とするクルアーン教育についての議論 を展開していった。しかしそれだけにとどま らず、マーリク派の法学者たちは、法学議論 以外の場においても、子どもへの教育に関す る積極的な言及を行っていたことについても 論じられている。 イスラーム法学書や関連する一次史料を詳 細に分析することによって、前近代のイスラ ーム法における子ども観について考察した本 書の学術的意義は非常に高い。特筆すべきは、 以下の3 点と考える。 一つは、前近代のイスラーム社会における 子どもの位置づけや養育に関わる見解を明ら かにしたことによって、世界の子ども観研究 における不足を補っていることである。子ど も観に関する研究は、著者も述べているよう に、これまでの先行研究に見られるが、その 多くは西欧中心のものであり、イスラーム社 会の子ども観に関する研究においては、前近 代のイスラーム法学に関連する一次史料に基 づく研究は十分になされていなかった。しか し本研究では、前近代のイスラーム法学に関 する一次史料を丹念に精査することで、当時 の法学者たちの子ども観や、その教育のとら え方までをも明らかにしている。 二つ目は、イスラームの家父長的な家族観 を再考することに貢献している点である。ム スリム社会は、筆者も指摘しているように、 家父長制的な家族観を有していると指摘され ることが多い。しかし、本書は、一次史料と なる原典をジェンダーの視点から検討するこ とによって、父親の権限は、決して無制限な ものではないことや、父と母がそれぞれに子 をめぐって権利義務の関係にあることに加え、 「子の利益」を尊重する価値観がみられたこ とを明らかにしている。単純な法判断によっ て、夫であれ妻であれ、その行動を規制する ような判断はされていないことを示しており、 イスラームの家族観をより詳細に理解するう えでの貴重な知見を提示しているといえる。 三つ目は、「子ども」という観点からイスラ ーム法を包括的に考察し、マーリク派の法学 者たちは、教育への関心が高く、さまざまな 文献において、子どもの教育について論じて いたことを明らかにしたことである。 「子ども」をキーワードとしてイスラーム 法学者たちの見解を探る過程で、著者は、イ

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スラーム法学書だけでなく、イスラーム法学 者たちが記したさまざまな文献を確認し、文 献にたどり着けない場合は、関連するファト ワーをも参照し分析している。法学議論にと どまらず、クルアーン教育およびクルアーン 教育以外における子どもの教育についても法 学者たちが論じていることを示す事例は興味 深い。女性のためのクルアーン教育の大切さ を指摘しているカービスィーの見解(193 頁) は、前近代のイスラーム社会においても、女 子のための教育の大切さが説かれていたこと を示す重要な根拠といえる。他方、例えばイ ブン・アル・アラビーは、『旅行記』において 教育について記述しており(204-205 頁)、そ こでは、クルアーン教育以外の教育の大切さ を指摘している。当時のマーリク派のイスラ ーム法学者が、子どもの教育を大切に考え、 教育を幅広くとらえることを試みていたこと を教えてくれる。 このように、前近代のイスラーム社会の子 ども観を法学の観点から考察し、世界の子ど も観研究に貢献するとともに、イスラーム法 やイスラーム法学者の柔軟な思考について幅 広く理解する機会を与えてくれる、本書の学 術的意義は非常に高い。 あえて指摘するとすれば、イスラーム法学 者たちによる教育専門書に関する記述につい てである。著者は、クルアーン教育をめぐる 法規定は、法学書の枠を超えて、新たなジャ ンルの著作へと発展したとし、「教師の作法、 あるいは教師と生徒の作法について論じた一 連の著作」(187 頁)を、「教育専門書」とし て論を展開している。しかし、複数の教育専 門書の内容として著者が紹介しているのは、 教師の報酬やクルアーン教育の内容、教師に よる体罰などについてである。これらは、主 として教師に関する規則や教師による指導内 容が主であり、学習者である生徒に求められ る「作法」についての言及が十分とはいえな い点には、少し物足りなさを感じる。例えば、 イブン・アビー・ザイドのファトワー集の内 容には、「報酬の支払いや教育修了の要件につ いて」や、「体罰」などとともに、「教室内で の教師の態度について」が含まれているとい う(191 頁)が、これには、教室内での教師 による生徒との関わり方やそこでの生徒に求 められる態度などについては触れられていな いのだろうか。教育は、教師だけでなく、そ の指導を受ける生徒がいてこそ成り立つもの である。教師が理想とする教育に対して、生 徒はどのような態度や作法が求められたのか について、もう少し情報が加わると、当時の 法学者たちの教育観をより鮮明に示すことが できたのではないだろうか。 とはいえ、限られた一次史料を精査するこ とで、当時のイスラーム法学者たちによる、 子ども観や教育の在り方を示した本書は、大 変貴重である。繰り返しになるが、本書は、 これまで一次資料の検討が十分になされてこ なかった「子ども」をめぐる前近代のイスラ ーム法学書の検討によって、世界の子ども観 を捉えなおすことを試みた貴重な学術的成果 である。また、前近代のイスラーム法学者た ちが、単純な法判断で人々の行動を制限する のではなく、イスラームの原理原則に則りな がらも、個々の状況を配慮しながら柔軟に対 応し、子どもを大切に守り、育て、導くこと を非常に大切にしてきたことを示している。 したがって、イスラームという宗教およびそ れを信仰する現代のムスリムを理解する上で の、貴重な歴史的知見を与えてくれる一冊と いえる。 (慶応義塾大学出版会、2019 年 11 月、 278 頁、5,800 円+税)

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