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言語文化研究所年報 7号

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(1)

lSSN 0915-7654

武庫川 女子 大学

言語文化研究所年報

7号

(2)

武 庫 川 女 子 大 学

言 語 文 化 研 究 所 年 報

7号

次 女 ら しさの イ メージ 女 ら しさ 性差 学 生 の意識

SD法

歌謡曲 おまえ あんた

佐竹

秀雄

1

西崎

11

市川

真文

25

岸本

千秋

35

歌謡 の中の 日本語 ∼「おまえ」

「あんた」ヽ

就学前の読みの意義

キ ー ワー ド キ ー フー ド キ ー ワ ー ド キ ー フー ド 店 の 主 張 ― タ ウ ンペ ー ジの広 告 を資 料 と して一 就学前指導 読み方指導 広告 キャッチ フレーズ 業務関係のことば 彙

「かすか」 と「ほのか」

清水

1

キ ー フ ー ド 語 義

(3)

武庫川女子大学言語文化研究所年報 第 7号 (1995)

女 ら しさのイ メージ

1.研

究の 目的 近年、性差別の問題点が盛んに指摘 されている。そんななかで、「 女 らし さ」「 男らしさ」の「 ラツサ」 も問題の一つ とされ、「 ラシサ」を求め る意識 が性の役割を固定化 して、性差別を生み出す原因の一つになっていると考え られている。 この考えの大筋は正当な もの と思われ るが、実は、その「 ランサ」が どう い うものであるかの検証が、十分にはな されていないのではないだろ うか。 日本語使用者が「 女 ら しさ」「 男 らしさ」を どの ように とらえているか、そ れが明らかにされているとは思えない。 確かに、1日来の伝統的なランサ観は、男 と女 とを対極的な存在 として位置 づけ、行動的、積極的な男に対 して、従順で、控え 目な女を、あるべ き姿の ように認識 してきた傾向があ った。 しか し、性に対す る考え方の変化にはか な り日まぐるしいものがあ り、近年は、性に対す る意識が以前 とは大 きく変 わ って きている可能性が高い。昔なが らの性意識を前提に、「 ランサ」につ いて議論す ることには根本的な過ちを冒す危険がある。そ うした意味か ら、 「 ランサ」をどの ように認識 しているかの実態を解明す ることが必要である と考える。 ここでは、その うちの「 女 らしさ」に対する意識、特にイメージの問題を 取 り上げ る。「 女 らしさ」 とい うものに対 して、特に若 い世代の人たちが感 覚的にどのようなもの として とらえているのかについて明らかにすることを 目的 とす る。

2.調

査の方法 実際には、大学生を被調査者 として「女 らしさ」のイメージに関す るア ン

(4)

ケー ト調査 を行 った。現代の学生たちが「 女 らしさ」に どの ようなイメージ を持 ってい るのか とい う意識 を探 ろ うとした。 調査法 として

SD法

を利用 した。次の枠 内には、対立す る意味を持つ20組 の こ とばを示 してい る。 これ らのそれぞれのセ ッ トを尺度 と して、「女 ら し さ」か ら受け るイ メージが、

5段

階 の どの程度にあた るかを判定 して、

Oを

つけ るよ うに指示 した。 明るい―暗い 冷たい―暖かい 柔 らかい―堅い 強い―弱い けなげ ―す るい 織細―が さつ 良い―悪い 従属―独立 保守的―進歩的 内向的 ―外向的 活動的―受動的 上品―下品 几帳面 一大 ざっば うるさい―おとな しい 九い一四角い 細い―太い ′さい一大 きヽヽ 粗い―細かい 醜い―美 しい 憎 らしい―かわいい た とえば、「 明るい―暗い」の場合であれば、次の例の図に示す ような数 直線を示 し、「 明るい一暗い」を

5段

階に分けた ときに、「女 らしさ」が どの 段階に位置するかを回答 して もらった。仮に、明るいイ メージと思えば1に、 暗い と思えば5に

0を

つけ るように求めたのである。次の例は、「 やや明る い」 と判断 して

2に 0を

つけた場合を示 している。 〔例〕

1 2 3 4 5

明るい ト ーー○一 ―十一 ―‐ ――」暗い

また、そのほかに、次の

3点

についても質問 した。

A

あなたが、「 女 らしい と感 じるのは どんな人ですか」なるべ く具体 的に書いて ください。

B

あなたは (あなたの彼女には)、「女 らしく」あ りたい (あっては し ヽヽ

)と

思ヽヽますか。

C

あなたは (あなたの彼女が)、 他人か ら「 女 らしい」 と言われ ると うれ しく思いますか。

(5)

Aの

質問には具体的に記述す るように指示、B、

Cの 2点

については、

YE

S/NOの

形式で回答することを求めた。 被調査者の内訳は次の通 りで、総数 761人である。 ・武庫川女子大学の学生…468人 (女468人) ・大阪府立大学の学生……168人 (男133人、女 35人) ・関西学院大学の学生……

%人

(男

"人

、女 58人) ・神戸学院大学の学生……29人 (男 ll人、女 18人)

3.調

査結果(:)―全体の集計

3.1.イ

メー ジの強 さ まず、女 らしさに対するイ メージの強いもの と弱いものを求め よう。項 目 ごとに回答の平均値を出 し、3を基準 としてその差を出 した。最 も差が開 く と

2の

値が出て くることになる。

2に

近いほ どイメージが強 く、

0に

近いほ ど弱いことばになる。そのイ メージの強弱についての一覧表が、次の表1で ある。表の見方を説明す ると、「 上品 1.32」 とい うのは、「 上品 ―下品」の 尺度の場合に、平均値が、基準の 3よ り1.32だけ上品のほ うに近か った こと を示 している。 表 1_イ メージの強さ 女 ら しきの イ メー ジ

1.上

2.織

3.柔

らか い

4.細

か い

5.丸

6.美

し い

7.暖

か い 8. かわいい

9.几

帳 面

10.け

な げ 1.32 1.22 1.16 1.12 1.10 1.04 1.02 0.94 0.94 0.84

11.良

ヽヽ

12.細

13.お

とな しい 14.′jヽ さ い

15.保

守 的

16.明

る い

17.受

動 的

18.内

向 的

18_従

20_弱

い 0.77 0.76 0.75 0.52 0.47 0.42 0.35 0.31 0.31 0_13

(6)

イ メージの強い ものには、「 上品」「 繊細」「 柔 らかい」などプラスイ メー ジの ことばが並び、逆に、弱いほ うには「 弱い」「従属」「 内向的」「受動的」 などマイナスイメージの ことばが並んでいる。 女性解放が問題に されて以来、「 女 らしさ」について、その内実は「 男に 従属 し、 自己主張を しない、ひ っそ りとした受け身の女性的なもの」である と指摘 されてきた。 しか し、 この調査の結果を見る限 りでは、その ような認 識は一般的だ とは思えない。「保守的・受動的・従属的」 とい ったイ メージ は得点が低い し、「 明るい―暗い」に至 ってはわずかではあるが「 明るい」 ほ うに得点が傾いている。 こうしたイメージの傾向が認め られる理由について、

2通

りの解釈が可能 と思われる。 一つは、学生たちの、女 らしさに対す る認識が旧態依然た るものだ とす る 立場である。かつて女 らしくあることをよしとした人たちが、女 らしさを「保 守的・受動的・従属的」なものだ と認識 していた とは思えない。そ うい う認 識がないままに、女 として望 ましい とされていた態度や生 き方を、無批判に 肯定 していたのではないか。 もしそれならば、「 保守的」「 従属」「 受動的」 などのイメージが弱い とい う結果が出るのは、なんの不思議 もないことであ ろ う。 そ して、 もう一つの解釈は、新 しい女 らしさのイメージを構築 していると い うものである。1日来の女 らしさにまとわ りつ くイメージの うち、マイナス イメージももっていないわけではないが、それ よ りも、「 上品・繊細・柔 ら かい 。美 しい ‐曖かヽ― かわいい」 といったプラスイメージを積極的に意識 しは じめた と考えるものである。性差別の問題の認識のなかで、音なが らの 女 らしさが もつ保守性、受動性、従属性 といった側面を知 った うえで、かつ ての女 らしさとは違 う女 らしさを志向 し始めた とい う解釈である。「 保守的」 「 従属」「 受動的」な どのマイナスイ メージが少 し認め られ るが、それ以上 にプラスイメージが強い点が、それの反映だ と考えるものである。 これだけからは、どちらが正 しいのかは断定しがたい。 しか し、いずれに せよ、女らしさに対して、結果的にはプラスイメージとしてとらえているこ

(7)

女 ら しさの イ メー ジ とだけは間違いない。少な くとも、女 らしさを「 男に従順で控え 日である」 とい うイメージだけで とらえるのは一般的でなさそ うである。 また、表1について、 もうひ とつ別の視点か ら考える●ン トが得 られ るこ とを指摘 してお く。それは、イメージの強い「 上品、繊細、柔 らかい、細か い、九い、美 しい」が、人間の性格を表すのにも用いられるが、モ ノの よう すを表すのに も使われ ることばだ とい う点である。た とえば、ファッシ ョン 関係に使われやすい ことばが並んでいる。他方、生 き方や態度を表すのに使 われ る「 従属的、受動的、保守的」は、イメージの弱い項 目である。これ ら の点で、学生たちが、女 らしさをどのようなもの と結びつけてイ メージして いるかが、おぼろげなが ら推測できそ うに思える。

3. 2.「

女 らしさ」への顧望 それでは、「 女 らしくある」 ことについて、 どう考えているのだろ うか。 調査で、女子学生の場合は 自分 自身が、男子学生の場 合は 自分の彼女が、

「女らしくありたヽヽ

(あ

ってはしい

)か

「他人から女らしいと言われるとうれしいか」

2点

につ いて 回答を求めた。 その結果が次の表

2で

あ る。 表

2

女 ら しさへ の願望

CXDと も

YES

CX)と も

N0

482(人

) 139 140

63.3(%)

18.3 18.4 「 女 らしさ」を肯定的に とらえている者が

6割

を超えてお り、否定的に と らえている者が

2割

以下である。学生たちの多 くは、 自分 自身あるいは 自分 のパー トナーに、「 女 らしくある」 ことを望んでいるらしい。 そ こで、「

00と

YES」

と回答 した者を肯定派、「(以)と も

NO」

と回 答 した者を否定派 として、両者のイメージの違いを比較 してみ よう。20組の なかか ら、肯定派 と否定派の値の差が大 きい ものの10語を、表 3と して次に

(8)

イ メ ー ジ 示 す 表

3.肯

定派 と否定派の差 肯定派

否定派

1.良

2.美

し い 3. かわ いい

4.明

る い

5.受

動 的

6.内

向 的

7.保

守 的

7.従

属 7け な げ

10.曖

か い 0_96 1.20 1.09 0.52 0.24 0.62 0.54 0.10 0.67 0.72 0.58 0.55 0.42 0.41 0.37 0.35 0.35 0.35 0.28 0.26 0.23 0.41 0.23 0.96 1.12 0.60 0.76 0.58 0.61 0.84 これ らか ら、次の点が注 目され る。

a

否定派は、肯定派ほ どに「 良さ」 も「美 しさ」 も感 じていない し、 かわいい」「 明るい」 とも思 っていない。

b

否定派は、肯定派 よ り女 らしさを「受動的」「 内向的」「 保守的」で、 「 従属」のイ メージとして とらえている。

c

両者 ともに、対立す るイ メージの同 じほ うを選択 している。 a、

bか

ら、両者の認識の違いを知 ることができる。肯定派は、「 良い」「 美 しい」の ように、 プラスイ メージとして とらえがちであ り、反対に、否定派 はマイナスイメージの耐え忍ぶ女を連想 しがちなのである。 とはい って も、

cか

ら、両者のイメージが、必ず しも対極に位置 している のではないことがわかる。た とえば「 良い―悪い」の場合、肯定派が「 良い」 ほ うの値を とっているのに対 して、否定派が「 悪い」ほ うの値を とっている わけではない。やは り「 良い」ほ うの値を とっていて、ただ、肯定派 との差 が大 きい とい うだけである。 さらに、上表に掲げた対立だけでな く、20組す べてについて同 じほ うの語が選ばれていたのである。肯定派でも、女らしさ

(9)

女 ら し さの イ メー ジ に、多少「 受動的」「 内向的」「 保守的」なイメージを持ち、否定派であって も、女 らしさを「 悪い」 と言 っているわけではないのである。結局、両者の 差は、イ メージが強いか弱いかの程度差だ ったのである。

4.調

査結果(2)―男女比較

4. :.イ

メージの差 次に、被調査者が男性であるか女性であるかに よつて、イメージの差の有 無について述べ よう。被調査者総数 761人の うち、女性 579人 (76.1%)、 男性 182人

(23.9%)で

ある。その結果を次の表4に示す。 表

4.イ

メージの強さの男女差 全体

女性

男性 女性 ―男性

1.上

2.繊

3.柔

らか い

4.細

か い

5.丸

6.美

し い

7.暖

か い 8. かわヽヽヽヽ

8.几

帳 面

10.け

な げ

11.良

12.細

13.お

とな しい

14.小

さ い

15.保

守 的

16.明

る い

17.受

動 的

18.内

向 的

18.従

属 的

20.弱

い 1.32 1.22 1.16 1.12 1.10 1.04 1.02 0.94 0.94 0.84 0.77 0.76 0.75 0.52 0.47 0.42 0.35 0.31 0.31 0.13 1.36 1.25 1.22 1.17 1.15 1.02 1.05 0.91 0.94 0.85 0.50 0.52 0.43 0.43 0.34 0.32 0.10 1.16 1.13 0.95 0.96 0.94 1.09 0.93 1.05 0.93 0.82 0.62 0.94 0.64 0.58 0.30 0.39 0.11 0.22 0.27 0.21 0.20 0.12 0.27 0.21 0.21

-0.07

0.08

-0.14

0.01 0.03 0.18

-0.23

0.15

-0.08

0.22 0.04 0.32 0.12 0.05

-0.11

80 7︲ 79 0 ︶ ^ 0   ^ U

(10)

多 くの項 目で、女性のは うが高い値を示 している。女性のは うが高い値を 示す ものの うちで、男性 との差が比較的大 きい項 目は、「 受動的 (0.32)、 柔 らかい (0.27)、 保守的 〈0.22)、 細かい (0.21)、 丸い (0.21)、 上品 (0.20)」 な どであ る。それに対 して、男性のは うが高い値を示す ものは、「 良い (― 0.23)、 かわいい (-0.14)、 弱い (-0.11)、 小 さい (-0.08)、 美 しい (― 0.07)」 の

5項

目である。 これ らの項 目を見比べると、かな り明白な差異が認められる。女性の高い 項 目であ る「 受動的、柔らかい、保守的、細かい、丸い、上品」などが、性 格的なものを表 しうるのに対 して、男性の「 良い、かわいい、弱い、小さい、 美 しい」は、外見的な ものを表す ことが多い とい う事実である。 この内面性 と外面性 とい う点に、女 らしさに対す る、男女が抱 くイメージの差があるよ うに思える。 さらに言えば、女性の高い「受動的、柔 らかい、保守的、細かい、丸い、 上品」の うち、「 受動的、保守的」は、男女全体 としては低い値であ った (表 1参照)。 全体で低い値の項 目で男女差が大 きか った (女性

>男

)と

い う ことは、男性が非常に鈍い反応 しか示 さなか ったことを意味する。男性にと って「受動的、保守的」なイメージは、 とて も弱いものにす ぎないとい うこ とになる。つ ま り、男性は、女 ら しさとい う語に内包 されていると批判 され てきた受動性や保守性をあま り感 じていないことを示 しているようだ。 これ らの事実か らは、男性のは うが、「 女 らしさ」に対 して、無批判的に 外見上の問題 として認識 しているように推察 され る。

4.2.願

望の差 それでは、「 女 らしくあ る」 ことへの願望についての男女の差は どうだろ うか。

女子学生の場合は自分自身が、男子学生の場合は自分の彼女が、①「女ら

しくあ りたヽヽ

(あ

ってはしい

)か

、②「他人から女らしいと言われるとう

れしいか」についての回答の組合せを、男女で比較 しようとしたものが、次

の表 5で ある。

(11)

5

女 ら しさへの願望 の男女差 女 性 全 体 ①② とも

YES

1-`tN0

そ の 他 359 (62.0) 112 (19.3) 108 (18.7) 123 (67.6) 27 (14.8) 32 (17.6) 482 (63.3) 139 (18.3) 140 (18.4) 表 5に よれば、肯定派 (①② ともⅦ S)の割合は男性のほ うに多く、否定 派 (①② とも

NO)の

割合は女性に多いように見える。 ここにも、男性のは うが、「女らしさ」をより強 く求めている傾向があるように思える。ただし、 カイ自乗検定をしたところ、χ

2=2.31(自

由度

2)で

、有意差は認められな かった。つまり、統計的には男女における差を確認できなかったのである。 しか し、男性に「女らしさ」の肯定派が多い可能性は否定されたわけではな い。今後の研究課題と思われる。 5_ おわ りに 女 らしさのイメージを見 る限 り、現代の学生たちの多 くは、女 らしさに反 発を していない し、マイナスイ メージも持 っていない。それ どころか女 らし さを良い もの と考 え、 目指 し、憧れているとさえ推測できる。 こうしたイ メージが、昔なが らの女 らしさの延長線上にあるものなのか、 現代ふ うの新 しい女らしさなのか、 この調査だけか らは断定 しがたい状況に ある。ただ、学生たちに とって、「 女 らしさ」 とい うことばがイメージす る ものは、人間の生 き方や態度 よ りも、もっと表面的な ものである可能性 も考 えられた。 この点については、別の角度か らの女 らしさについて研究をす る ことが必要だ と思われ る。 また、男女差に関 しても、統計的な差は認め られなかったが、なんらかの 差はあると推測 される。特に、男性の側に外見を よ り重視 して「 女 らしさ」 女 ら しさのイ メー ジ

(12)

を とらえようとす る要素があると思われ る。 なお、今回の調査での質問「 あなたが、女らしいと感 じるのはどんな人で すか。なるべ く具体的に書いて ください。」に対する集計については、 ここ では報告できなか った。近い機会に分析結果を発表 したい。 付記 調査を実施す るにあたって、本学国文学科の教員の方 々のはかに、田 中宗博氏 (大阪府立大学)、 大鹿薫久氏 (関西学院大学)、 伊藤茂氏 (神 戸学院大学

)の

協力を得た。 ここに記 して謝意を表す る。 また、 この研究は、平成

7年

度文部省科学研究費補補助金 (一般研究

C)に

よる研究「「 女 らしさ」の意味・用法・イ メージの研究」の一部 である。 (本研究所教授)

(13)

武庫川女子大学言語文化研究所年報 第 7号 (1"5)

歌 謡 の中の 日本語

∼「おまえ」

「あんた」∼

西

l 寿岳章子氏が『 章子のことば教室』(「か もがわ ブ ッタレット」

)の

中の「 民 主主義 と『 お前』」の中で、「 私は胸のす くお話 しを西光夫人か ら聞いたので す。 どんなてきび しい内容の会話でも、西光 さんは決 して妻を『 お前』 とよ 〔まず、『 あなた』だ ったそ うです。 さすが、ほんものの解放者です。私は常 日頃ひそかに、わが妻に『 お前」などとい う人は、表面上いかにす きの無い 民主主義者に見えても、 どこか ウサ ンクサイと思 っているものですか ら、 と て もうれ しいで した。」 と書いている。因に、同氏は『 日本語 と女』(「岩波 新書」

)の

「 私のお前史」の中で、「 私に とって『 お前』 とぃ うことばは、理 解語彙でこそあれ、使用語彙ではなか った」 と書 く。 『 女性の呼び方大研究』(遠藤織枝編・三省堂

)の

第一章「 好 きだから『 お まえ』なんて―パー トナーの呼び方」の中で小林美恵子氏は「…………私は 夫に限 らず人に『 おまえ』呼ばわ りされた くない し、人を『 おまえ』 とも呼 べない。たまたま『 おまえ』を使 ってしまうのは、 どうしても言 うことをき かない娘や息子たちにいらだって、『 お まえは どうしてそ うなの」 と怒鳴 っ た りするときぐらいだろ うか。それは後で考えると、あきらかに親であるこ とをか さに着て、子供たちを押 さえこも うとしていた と、反省せ ざるを得な いような場面である」 と書 く。更に、「『 おまえ』『 おれ」 と互いに呼び合 う ような (特に男性 どうしの

)親

しい関係 もあるに して も、『 おまえ』は一般 的には上位に立つ者がその立場を権威 として振 りか ざし下位者に言 うことを きかせ ようとす る関係の中での呼称である」 と記す。 これは、「 対等 もしく は下位者に対 して用いる。親愛の意を込めて用いる場合 もある」(『日本国語 大辞典』

)に

符合す る。

(14)

ところで、対称の人称代名詞には種 々のものがある。『 角川類語新辞典』 によると、「 対称 (相手をさす代名詞)」 (502)に「貴方・あんた」以下19語 「(502-a)」 (目下の相手を呼ぶ語

)に

「 君・お前」以下

9語

を列挙す る。 以下は、昭和歌謡に見 られ る対称の代名詞についての浅見である。 2 本調査は『 昭和歌謡大全集』(成美堂 出版

)―

昭和 元年∼昭和64年 の600曲 ―、『 歌 謡大全集』(同

)―

平成 元年∼平成

7年

の36曲 ―の計636曲 を対 象 と した。 昭 元 ∼19 昭 20∼ 39 昭 40∼ 59 昭60∼平7 計 割 合 あなた 1.4 君 12 19 11 31 103 16.2 お 前 19 14 表

1

男性の女性への呼称 昭 元 ∼19 昭 20∼ 39 昭40∼ 59 昭60∼平7 計 割 合 あなた 18 124 82 229 36.0 君 16 3.5 あんた 1.1 表

2

女性の男性への呼称 表1および表2は、男性の女性への、あるいは女性の男性への呼称につい て、語別にその表れ る曲数を示 したものである。対象の呼称 として、外に「あ いつ」があるが、用例のみを示 してお く。 男性 → 女性

ひ と りひ とり あいつ もひ と り(ひと り・昭52) 男性 ⇔ 男性

あいつがやれば僕 もやる (上海だ よ り・昭13) 女性

0

男性

あいつなんか もう愛 してないわ (ぼやぼやできなヽ― 平3) 男性の女性への呼称の見 られ る曲

147山

、女性の男性への呼称の見 られ

(15)

歌謡の中の 日本語 る曲258由における各語 の割合は、 ① 男性の女性への呼称 あなた

6.1%

70.1%

お 前

23.8%

女性の男性への呼称

あなた

88.8%

8.5%

あんた

2.7%

の様になる。「 あなた」「 君」は男女両用の人代名詞 として用い られているが、 その使用割合は対照的である。以下、各語について考える。 3 先ず「 あなた」について。 「 あなた」が男性の女性への呼称 として用い られた例は、「 あなた とゆ っ くり遊びたい」(若いお巡 りさん・昭31)・「 あなたがぼ くを まっている」(ブ ルーシャ トー・昭42)・ 「 あなたがいつか話 して くれた」(岬め ぐり・昭49) ・「 あなたは少女の時を過 ぎ」(青春時代・昭51)・ 「 人波に紛れ る貴女 を 見てた」(ルピーの指環 ・昭56)・ 「 あなた明 日が見えますか」(さざんかの 宿・昭

57)等

である。因に「 若いお巡 りさん」では、「 家出を したのか娘 さ ん 君の気持 ちも分か るけ ど」「 タバ コを下 さいお嬢 さん 今 日は非番の 日 曜 日………あなた とゆ っくり遊びたい」 と「 あなた」「 君」を使い分けてい る。 この点については後に更にふれ る。「 ブルーシャ トー」以下の例は恋人 (親しい女性

)へ

の呼称傍である。 ところで、『 基礎 日本語2』 (角川小辞典

)に

おいて森 田良行氏は、「 あな た」を次の様に分類す る。 上位者に対す る「 あなた」

(1)特

定の相手に対す る「 あなた」

(2)不

特定多数の相手に対す る「 あなた」

(16)

同等 もしくは下位者 に対す る「 あなた」

(1)男

性 の場合

(2)女

性 の場合 夫婦や恋人同士の間の呼称。特に女が男を呼ぶ場合に用いる「あな 四 た」 手紙文で用 いる「 あなた」 以上 の分 類 で、 当該 例 は もち ろん に 相 当す る もの で あ る。 同書 は に 説明を加えて「 会話ではな く、文章の地の文や、詩歌、歌謡などで用いる と、恋愛関係にある二人か、夫婦同士を意味する」 として、「 有楽町で逢い ま しょう」「 女のみち」「 世間は二人のために」「 港が見える丘」を例 として あげ る。因に、 これ らの例中の「 あなた」は女性の男性への呼称である。 と ころ で、 同氏 は

(1)で

「 親 しい男性 同士 の場合はむ しろ『 きみ』、

学生や生徒同士では『きみ

/お

前』などを用い、

『あなた』は一般的でない。

女性に対してと、親 しくない相手へのよそ行きの言葉には用いられる」とす

る。

先にふれた「若いお巡 りさん」では「 家出を したのか娘 さん」を「君」と 呼称 し、「 死ぬほ ど心配 してるだろ 送 って上げ よ う任せてお きな」 と続け る。「 タバ コを下 さいお嬢 さん」を「 あなた」 と呼称 し、「職務尋問警棒忘れ あなた とゆ っくり遊びたヽヽ鎌倉あた りは どうで しょぅか」と続ける。「 君」 については『 角川類語新辞典』の「男性同士、または男性 と女性 との間で対 等 または 目下に、親 しみを込めてい う」に符合する。一方「 あなた」につい ては、「 お嬢 さん」が「『 ぉ じょうさま』 よ り少 しくだけて、親 しみのこもっ たいい方」(『日本国語大辞典』

)に

は符合す るが、「 よそ行 きの言葉」(森 前掲書

)に

は符合 しない。 男性の女性に対す る「 あなた」 と女性の男性に 女性に対する「 あなた」の使用比率が

1:24と

言 う点では、男性の女性に対 する「 あなた」は一般的でないのは事実であろ う。 次 に「 君」 について。 女性 の男性 に対す る呼称 としての「 君」 と男性 の女性 に対す る呼称 と して

(17)

歌謡の中の 日本語 の「君」の使用比率は

1:4で

ある。女性の男性への呼称 としての「君」の 優は、「 君に捧げた純情の」(女の階級 ・昭11)「さよならさよな ら君いつ帰 る」(夜のプラ ッ トホーム・昭22)「君に捧げた純潔は」(長崎エ レジー・昭 22)「君に逢 ううれ しさの」(水色の フル ツ・昭25)「君は通け き相模灘」(江 の島悲歌・昭26)「君のみ胸に黒髪を」(この世の花・昭30)「君を頼 りに私 は生 きる」(こ こに幸 あ り・昭31)「君の情けに咲 く花 ならば」(東京の人 よ さよ うな ら・昭

31)等

々あるが、「 君」 と呼ぶ人 と呼ばれ る人の関係はその いずれ もが恋人同士あるいは愛人関係にある間柄のものである。 ところで、男性の呼称 としての「 君」 と女性の呼称 としての「 君」 とには 差異があるのか。 君 と出逢 った香林坊の

(加

賀の人) 君に逢 ううれ しさの

(水

色の ワル ツ) 君の帰 りを待 っていた

(モ

ナ リザの徴笑) 君いつ帰 る

(夜

の プラッ トホーム) 男性→ 女性 女性→ 男性 男性⇔ 女性 女性→ 男性 等類似の フレーズの用例での比較 して、特にその意識上の差異は無い ように 思われ る。 「 あなた」 と「 君」 とは、女性か ら男性へは「 あなた」、男性か ら女性へ は「君」 とい う傾向が一般的であることはその用例数の示す ところであるが、 恋愛関係にある二人の場合においては、例えば「君」に「 目下の相手を呼ぶ 語」(『角川類語新辞典』)に分類 され るが「 目下」と言 う意識は全 く無 く、「 親 しみ」を込める表現 と見るべ きであろ う。 次に「 お前」について。 「 お前」については、「 お前頼 りにの り切 って」(愛馬進軍歌・昭14)「銅 毎 よお前が知 るばか り」(玄海 ブルース・昭24)「今 日もお前 とつな ぐ舟」(お んな船頭歌 ・昭30)「ギターお前をつまびけば」(ギターを持 った渡 り鳥・昭 34)「お前 も泣いて」(達者でナ・昭35)「なア酒 よお前にはわかるかなア酒 よ」(酒よ・昭

63)の

様に、「 馬・銅爆・月・ ギター・馬・酒」を擬人化 し、

(18)

「 お前」 と呼称す る例、母親が息子に対 しての呼称例に「 お前もいつかは世 の中の」(おふ くろ さん・昭46)、 母親が娘に対 しての呼称例に「他人 (ひ) にきかれ りゃお前の ことを 年のはなれた妹 と」(花街の母・昭48)「今 日は おまえの晴れの問出だよ」(祝い酒・昭

63)の

様な例 もあるが、他の用例は、 恋愛関係にあると思われ る二人、あるいは夫婦同士の間の呼称 として、男(夫) か ら女 (妻

)へ

の場合に限 って見 られる。 昭和40年以前は、「 可愛お前にゃいつ また逢える」(俺は待 ってるぜ・昭32) 「 お前一人の身ではない」(お座敷小唄・昭

39)程

度 しか見 られないが、40 年以後にその用例の増加す るのは特徴的である。「 うぶなお前が可愛 い と言 ったあなたは憎い人」(夢は夜ひらく・昭41)「死んでもお前を離 しは しない」 (女のためい き・昭41)「俺 もおまえ も新宿そだち」(新宿そだち・昭43)「お

まえのはかにだれもない」

(お

まえに・昭

47)「

やせてゃつれたおまえのうわ

さ」(く ちな しの花・昭

48)な

ど。「 お まえ」の用例は男性か ら女性 に対す る 呼称の場合に限定 され る。 女性 の男性への呼称 と して「 お まえ さん」が一例見 える。「 お まえ さんに は色気がない とかわいあの娘が 口借 しが る」(どうど うどっこの唄・昭42)。 「 お まえ さん」 の例 は近世 以後 見 られ る。「 マ ア少 しお待 ち遊 ばせ。 お まえ さん には、 チ トあつ うござい ませ う」(式亭 三 馬「 浮世風 呂」)「 何 もお前 さ んの思案一 つ と母親がお美尾の産前 よ りかけて、万づの世話 に と此家へ入 り 込 みつつ」(樋ロー葉「 われか ら」)「 お前 さん何時か左様 (さ う

)言

ったね」 (同「 同」)「お前 さんの紙漉 きも久 しいもんだね」(徳田秋声「 あらくれ」) 「 お前 さん、知 らないのかい。そ ら、あの何 とかいふ保険会社の方だ よ」(永 井荷風「 腕 くらべ」)「お前さん。怪我 ア しな さらなか ったのか」(同「 墨東 奇諄」

)等

々その用例は多い。 「 お まえ さん」 について『 日本国語大辞典』には、「 江戸時代には、一般 社会で も遊里でも使用 され、かな り高い敬意を表 した。庶民階級で、妻がそ の夫を呼ぶ時に もある」とあ り、「 おまえさま」の 補 注 に「『 お まtヽさま(さ ん)』『 おめえさま (さん)』『 おまさん』『 おまはん』な ど種 々の形が見 られ、 語形が崩れ るに したが って敬意 も下落 している」 ともある。 当該「 おまえさ

(19)

歌話の中の日本語 ん」は妻の夫に対す る呼称ではない。男性が「 あの娘」 と呼ぶ関係か ら、男 性にとつての特定の若い女性に よる呼称である。現在普通は開かれない。 次に「 あなた」の訛音 としての「 あんた」について。 「 や っば りあんた もおんな じ男」(ど うせ ひ ろ った恋 だ もの ・昭31)「 あん た ないてんのネ」(だか ら言 った しゃないの・昭33)「みん なあんたに上げ る」 (おひ まな ら来てね・昭36)「私 は あんたを忘れ は しない」(ラヴ・ イズ・オー プ

7 ・

58)の

ほか、「 恋 唄綴 り」(平

2)「

雨 の大阪」(平 3)「火 の国 の 女」(平3)「東京」(平

5)な

どがあ る。因に、「 だか ら言 った じゃないの」 のみが女性 の女性への呼称であ るが、他の例は女性 の男性に対す るものであ る。 「 あんた」 につ いては、『 日本 国語 大辞典』 には「 現 代 多 く下位者 に用 い る。東京 では卑俗 な言い方であるが、関西ではそ うではな く、親愛 の気持 で 言 う」 とあ る。因に、『 浪花方 言』 に「 江戸 で云 あ なたな り、 あがめ いふ 言 葉也 、又云、我 よ り目上 の者 を通 して己 (コチ

)の

あんたな ど ヽいふ」 とあ る。 4 以上、各 々の呼称について単独に見てきたが、次に各呼称 とその呼称者の 自分 自身の呼称 との関係についてみる。 ◇対称「 あなた」 自称「わた し」 「 貴方 もわた しも買われた命」(カスパの女・昭30)「あなたの熱い くち づけが 。私の胸をゆするのよ」(夏の 日の想い出・昭40) ◇対称「 君」 自称「 ぼ く」 「 星を数えた君 と僕」(北上夜曲・昭36)「君は僕の心の星 君は僕の宝」 (星の フラメンコ・昭41) の様に、男性を「 あなた」と呼ぶ女性は自らを「 わた し」と呼び、女性を「君」 と呼ぶ男性は 自らを「 ぼ く」 と呼ぶ場合が圧衝的で、『 角川類語新辞典』に も見えるが基本的な形である。因に、女性が男性を「君」 と呼称する女性 も

(20)

自らを「 わた し」 と呼んでいる。例えば、「 柱に寄 りそいたたずむわた し さよならさよなら 君いつ帰る」(夜のプラットホーム・昭22)「君を頼 りに わた しは生 きる」(ここに幸あ り・昭

31)な

ど。 ◇対称「 君」 自称「 われ」 「 はれやかな君の笑顔 や さ しくわれを呼びて」(青春のパ ラダイス・ 昭21)「君は鍬 とれ我は鎚」(ああ紅の血は燃ゆる・昭19) ◇対称「 君」 自称「 おれ」 「惚れていなが ら行 くおれに '君 の幸せ祈 りつつ」(哀愁列車 ‐昭31)「君 よ り切なヽヽ この俺なのさ」(霧にむせぶ夜・昭43)「君 と出逢 った香林 坊の・静かに俺を待 ってる町だ」(加賀の女・昭44)「もし君 とキ ッスで きたら俺街中を逆立ち したまま」 (100%… …

SOか

もね!・ 昭

57)な

ど の外、「 無錫旅情」(昭62)「悲 しみは雪の ように」(平

4)な

ど。 「 ああ紅の ………」のみが男性 (学徒

)同

士の呼称であるが、他の例は恋 人同士あるいは恋愛関係にある二人の間での呼称である。 『 あいさつ語辞典」(奥山益朗編

)に

は、「 おれ」に「 同輩 またはそれ以下 に対 して用いる自称代名詞」 とあるが、 自称の「われ」は掲出 しない。F角 川類語新辞典』は、「 われ」に「 文章語」、「 おれ」に「 口語・男性語」 と位 相を示す。『 基礎 日本語2』 は「 われ」については「現代語では文語的表現 として用いる」 とす るのみだが、「 おれ」については男子の親密な間柄での 用語 とす る。次の用例 との関係で更に考える。 ◇対称「 お前」 自称「 おれ」 「 可愛 お前に ゃいつ また逢える・俺は待 ってるぜ」(俺は待 ってるぜ・ 昭32)「俺 もお まえも新宿そだち」(新宿そだち・昭43)「おまえ と酒が あればいい 飲 もうよ俺 とふた りき り」(ふた り酒・昭55)「お前が俺に は 最後の女」(みちの くひ とり旅・昭56)「泣いたおまえが可愛い 俺 がいつで もいるか ら」(ギンギ ラギンに さ りげな く・昭

56)等

々。 『 角川類語新辞典』は「 お前」に「 普通、男同士。男か ら女にい う。同等 あるいは 日下にい う。そんざいないい方。 日常語」 とし「 おれ」の対意語 と す る。「俺」に「 同輩 またはそれ以下に対 して使 う。やや乱暴ないい方」 と

(21)

歌謡の中の 日本語 す る。F日本 国語大 辞 典』 の 補 注 に「 自称の Fおれ』は、中世以降使用 さ れ、特に近世以降多用 された。貴賎男女の別な く用いられたが、近世の後半 期頃か ら女性の使用が絶 えた。同等 もしくは 目下に対する使用例が多いが、 目上に対す る用例 もあ り、江戸期 までは現代語の ように特に悪いことば、卑 称 とはいえない」(「おれ」の項

)と

ある。 上記の様な ことは、現代語の「 お前」「 俺」に確かに認め得るであろ うが、 当該例のような、恋愛関係にある男女間の場合には、当然上下関係での用法 ではな く、親密 さの表現であろ う。仮に「 おまえ」 と「 おれ」 とが「 ぞんざ い」で「 やや乱暴」 と一般に意識 されるならば、それは「 より親密 さと親愛 感」の表現を意図 した ものとみ るべ きであろ う。 したが って、上に示 した対 称「 君」 自称「 おれ」の「 おれ」、「 俺に返すつ も りならば 捨てて くれ・人 波に紛れ る貴女を見てた」(ルピーの指環 ・昭

56)の

ごとき対称「 あなた」 に対す る自称「 おれ」の「 おれ」などは、「 やや乱暴」であ って も「 おまえ」 に対す る「 おれ」 とは違 った、「 照れを押 し隠そ うとす る気持 ち」の表現で はな│かろ うか。 ◇対称「 あなた」 自称「 あた し」 「 愛 したひ とはあなただけ・あた しの恋人」(逢いた くて逢 いた くて・ 昭41)「お馬鹿 さんね あなただけを信 したあた し」(ラブユー東京・昭 41)「あなたはわ るい人ね・ ダメなあた しね」(経験 ・昭45)「あた し酔 えば家に帰 ります あなたそんな心配 しないで」(氷雨・昭57) ◇対称「 あんた」 自称「 あた し」 「 や っば りあんた もおんな じ男 あた しはあた しで生 きてゆ く」(どう せひろった恋だ もの・昭31)「 あた しせつないの・みんなあんたに上げ る」(おひまなら来てね・昭36)「あんた とならいつ死んでもかまわへん ・あたしが本気で惚れたひと」(東京・平5) ◇対称「 あんた」 自称「 うち」 「 うちはあんたの夢をみ る」(火の国の女・平3) 上例の「 火の国の女」は「肥後の国」を舞台とする歌であ り、熊本県下で も用いられ る自称の「 うち」は当然 といえば当然ではある。因に、 この関西

(22)

を中心 として関西以西で も用 い られ る「 うち」は、婦女子が用 いる。 「 あた し」は「 わた し」 よ りも「 やや くだけた語感を持つ」(『日本国語大 辞典』

)口

語 であ り、「 あんた」 も「 あなた」 よ りも「 くだけた」 口語 であ り、 本来 の語形 の崩れは親愛 の気持 ち と親密の度合 いの表現を表す ものであろ う。 東京 では「 あんた」は卑俗 な言い方 であ り、その点では例 えば、対称「 あん た」 に対す る自称「 あた し」の持つ温かな親愛感は ど う理解 され るのだろ う か。 ◇対称「 あなた」 自称「 僕」 「 あなたがぼ くをまっている」(ブルーシャトー・昭42)「僕には出来な いまだ愛 してる あなたは大人の振 りを しても」(危険なふた り・昭48) 「 あなたがいつか話 して くれた 岬を僕はたずねて来た」(岬め ぐり・ 昭49)「あなたがいま望むなら・僕には泣 きたい くらい恋人」(恋人・平 5) ◇対称「 お前」 自称「僕」 「 僕のは ころびぬえるのは・お まえのはかにだれ もない」(おまえに・ 昭47) 「 あなた」 とも「 お前」 とも呼ぶ対象に 自らは「僕」に対応す る。「 僕」 は一般には「 男性が対等およびそれ以下に対 して使用する日常語」であるが、 恋愛関係にある男女間ではその意識はなかろ う。ただ、「 あなた」に対す る 「僕」 と「 お前」に対す る「僕」 とでは、その「 僕」の表現意識には差異が あろ う。「 お前」に対す る「 僕」には、「 俺」に近い意味あいがあるのではな かろ うか。 5 次 に、対称 の呼称が同時に見 られ る例を示す。 ◇「 あなた」と「お前」 「お前一人の身ではない・貴方ひとりが欲 しいのよ」(お座敷小唄・昭 39)「うぶなお前が可愛いと 言ったあなたは憎い人」(夢は夜ひらく・ 昭41)「『あなた』『おまえ』夫婦みち」(命くれなt― 昭62)

(23)

歌謡の中の 日本語 ◇「 あなた」 と「 君」 「 あなたに『 さよなら』って言えるのは・みんな君の人生だね って言 っ て」(22才の別れ・昭50)「あなたをつか まえて泳 ぐの・すねて怒 る君 も 可愛い よ」(小麦色のマーメー ド・昭57)「君は素敵だか ら一人で平気 さ ・みんなそ う あなたのせい よ」(嵐の素顔・平 1) 6 歌謡の中の対称の代名詞には、以上に示す様に「 あなた」「 君」「 お前」「 あ んた」が見 られ る。それ らの語の意味・位相について『 角川類語新辞典』は 次の様に記す。 「 あなた」 男女両用。 日上・対等の相手に対 してい う。 日常語。対意 語 (わた し) 「 あんた」 同輩以下に くだけてい う。 口語 「 君」

男性同士、 または男性 と女性 との間で対等 または 目下に、 親 しみを込めてい う。 日常語。男性語。対意語 (僕) 「 お前」

普通、男同士。男か ら女にい う。同等あるいは 目下にい う。 ぞん ざいないい方。 日常語。対意語 (おれ) 「 あなた」以外の語に共通す る「上か ら下」への意識が始めに記 した寿岳 章子氏などの「 お前」に対す る視点に結び着 くのであろ うが、本稿で取 り上 げた恋愛関係にある男女間、あるいは恋人同士の間、夫婦の間などの場合に は必ず しも上に見る様な視点は当てはまらないのではないだろ うか。 小学館の

PR誌

『 本の窓』(創刊号

)に

次の様な記事がある。 池上 私の教えている留学生が、私に向か って「 あなた」 と言 うんです。 なんて失礼な。そこで、その学生に「 あなた」は 目上の人に対 して 使 う代名詞ではないと教えると、辞書に「 尊敬」 とあったと言 う。 た しかに、「 あなた」は、多 くの辞書に「尊敬の意を込めてい う呼 び方」 と書いてある。つま り、 こうい う説明だけでは実用にそ ぐわ ない。(略) 林

(略

)日

本語の実態では、「 お父 さん、あなた!」 と言 った とき

(24)

には、 もうすでに親子喧嘩なんです。 池上 夫婦喧嘩の ときは、「 あんた!」 じゃないで しょうか。「 あなた」 には、 まだ優 しさがある。 林

戦争中に、『 父 よ、あなたは強か った』 とい う歌が流行 して、そ の ときすでに問題 にな ってるんです よ。 日本人は、父親に向か っ て「 あなた」 とは決 して言わない、 と。 「 あなた」について、『 大辞泉』には「 ①対等 または 目下の者に対 して、 丁寧に、 または親 しみをこめてい う。」 とし、特に「 現代語では敬意の程度 は低 く、学生が先生に、 または若者が年配者に対 して用いるのは好 ましくな

い。」と注記する。②として「妻が夫に対して、軽い敬意や親しみをこめて

い う。」 とす る。 「 あんた」は「『 あなた』 よ りくだけた感 じの語」(『大辞泉』)、「『 あなた』 よ りぞん ざいな言い方」(『学研国語大辞典』)、「 現在は『 あなた』を軽 くい った ことば」(『あいさつ語辞典』

)等

の様にあ るが、元の語形が崩れ ること によって、 自分 と相手 との一体感を表す ことは多い。例えば、 好 きお うて一緒にな った仲やない あんた遊びなはれ 酒 も飲みなは れ あんたが 日本一の落語家 (はな しか

)に

なるためや ったら うち は どんな苦労に も耐えてみせ ます

(浪

花恋 しぐれ 。昭58) に見える対称「 あんた」、それに対す る自称「 うち」には夫婦間の「親 しみ」 と「慈 しみ」 と「 敬意」 とが感 じられ、ほのぼの とした温 も りが伝わ って く る。 『 日本語 と女』の中で寿岳章子氏は「『 お前』の一種の安定感は何 とも言 えない。否、『 お前』 にこそ、夫婦の醍醐味がある」 との「 お前」を巡 って の一方の極の礼讃派を認め、「 近頃の若い人の一部には、『 お前』があ って こ そ夫婦は安泰 とい うことばの意味合いがわか らない人がいる。『 お前』はた しかに強者的な、少 し大仰に言えば、一種の ヒエラルキーを獲得 している者 が下の者に声をかけるときの ことばであるだけに、 うまく行けば、立派な殿 様が良民にあたたかい眼差 しを注 ぐような、穏やかな雰囲気に溢れた夫婦の 状況を表す ことば とな り得る。」 とも記す。

(25)

7 歌謡を題材に、特に対称の代名詞の使われ方につヽヽて略述 して来た。 寿岳章子氏の『 章子の ことば教室』 と『 日本語 と女」 とで「 お前」の意味 はかな り明かになるが、現代の多 くの「 国語辞書」の記述は満足のい くもの はない。「 ことば」は時代 ‐場所・状況によつて使い分けられ、同 じ「 こと ば」で も意味が付加 され、異な った意味合いを醸す ことがある。「 国語辞書」 は紙面の制約で多角的な説明の不可能 なことは十分承知は しているが、実用 にそ ぐわない説明のあ ま りに多いことも事実であろ う。そ して、不用意 な「 辞 書」の使用は誤 った見方を知 らしめることに繋が る。 規子間の「 お前」と夫婦間の「 お前」と恋人間の「 お前」とでは、同 じ「 お 前」で もその意味合いは異なる。 同 じ「 あんた」で も夫婦喧嘩の時 と日常会話の時 とではその意味合いは異 なる。 同 じ恋愛関係にある二人の場合でも「 あなたに……」「 お前に……」「 君に ……」「 あんたに一―」 とでは、相手に対す る思いは異なる。 代名詞一つに してもその記述的研究の必要を痛感す る。

(26)

就 学前 の読 み の意義

―フランスの入門期指導論

4-市

1

B.Betelheimは、難読症 について次 の よ うに指摘 す る。 そ うした人 々に とっては、子 どもの頃の最初の、 またそれにつづ く 読書体験は、個人的に自己を投入で きる体験ではなか った。逆に、読 書はなん らの深い意味 も持たぬ、文字や言葉や文章 の単 なる知覚 とい う本質的に受動的な体験であった。 読む ことに関連 してなん らかの不安を抱 いているために、あるいは それが全 く退屈な体験であるがために (読書が与えて くれ るものに対 して個人的に関与で きなければ、読書は退屈である

)子

どもは読みを 学ぶ ことに積極的に抵抗す るか もしれない。その よ うな子 どもに とっ て、読書は自分の真の興味 とは無関係のものである。 この指摘は、いかに も精神分析家のものらしい。

Bettdheimに

いわせれ ば、最初期の読書体験が、以後の読書生活に大 きな影響を与える。「 楽 しく もな く他の価値ある報酬を与えて くれ るわけでもない課せ られた作業」 とし ての読書に接近 していった子 どもは、「 読書や読書が与えるものをできるこ となら避けたいと思 う」 ようになるのである。 しか も、それは決 して珍 しい ことではない。 だが、逆にまた、「文字の解読やその他の技術の訓練を受けることな しに、 就学前にあるいは就学後に読めるようになる」子 どもたちも多 くいる。 そ うした子 どもた ちは本 を読 んで聞かせ て もらってい る うちに読書 欲 を抱 くよ うにな った子 ど もた ちで、彼 らは程 度 の差 は あ って も、授 武庫川女子大学言語文化研究所年報 第 7号 (1995)

(27)

業 で教 え られ る もの とは関わ りな く家庭 で読 む ことを覚 え る。本 を読 んで開かせ て もら う楽 しみを知 る子 どもは、本が好 きにな る。読書 に 対 す る親 た ちの関心や、規 たちが 自分 に読 んで くれ る ときの楽 しげ な 様 子 に影響 されて、子 どもは熱心 に、 自分を魅 了す るス トー リーを頭 に きざみつけ る。 それか ら全 く自発的 に、彼 は言葉 を拾 い出 し、親や 兄弟の助けを借 りて言葉 を識別す るよ うになる。 この子 どもたちは、「『言葉が読める』 とい ういわば うつろな能力」の蓄積 の果てに、読書の世界に入 っていったのではない。最初か ら読書や文学を楽 しみたいとい う「子 どもの自発的な欲求の結果 として」読む技術の学習が行 われ、文字や言葉が読める能力 と読書や文学を楽 しみ、意味あるものを理解 す る能力 とが並行的に習得 されていったのである。 ここで重視 しなければならないのは、どちらの場合においても、読み方教 育の入門期以前の体験、すなわち就学前の段階での読書にかかわ る体験が重 要だ とい うことである。それは家庭であ った り、保育園や幼稚国であ った り するのだが、就学以前に「読書への深い関心を培われた子 どもたちは、学校 で読む ことに苦労 しない」。た とえば、兄や姉の読書をテープルの反対側か ら眺めている うちに文字を反対に覚えて しまった子 どもの例を挙げて、「 学 校に入ると、は じめは言葉を本来の形で読むのに苦労す るが、読書への関心 が植えつけられているので、す ぐにそれができるようになる」 とい う。 さら に、読書への関心か ら読む ことを学び始めた子 どもたちは「圧倒的に後によ い読者 となる者たちの大部分を占める」のだが、実の ところ「学校の教え方 が結果 として生んでいるのは、あま りに多 くの子 どもたちが、そのときにも また後になってか らも、読書の意義を見出せずにいるとい う事実」だ とす る ならば、実質的に読書入間は、学校以外の場 と学校以前においてなされてい るといわねばならない。 結局、Bettelheimの い うことは、読む ことの意義や機能についての経験 が読む ことを方向付けるのであ り、そのオ リエ ンテーションは就学以前に行 われてお り、小学校は この点において無力だ とい うことだ。読みの学習にお

(28)

就学前の読みの意義 ぃては、その技術的な側面が軽視 され ることはあ り得ないが、 しか しまた、 読む技術が読む行為の発達の重要な鍵 となるのでもないのである。に もかか わ らず、学校の読みの学習は読む技術の練習に終始 してお り、読書や文学の 楽 しみか ら子供たちを遠 ざけている。だか ら、多 くの よい読者は、「 その子 たちが学校で さらされている体験にもかかわ らず」 よい読者になるのだ とま でい う。 Bettelheimはアメ リカの学校 と子 どもたちを主 なケース・スタデ ィとし て、読みの学習について論 じているが、同趣 旨の指摘は、フランスの幼児教 育の場で もなされている。就学以前の子 どもたちの読む能力の基盤的な発達、 読みにかかわ る経験、 さらには読みの学習その ものが、小学校での読みの学 習に大 きく、深 く影響を与えていると考えられている。こうした点について、 よ り包括的な形で、教育行政の側か らの提案 もされている。 フランス文部省は、すでに一九七七年に、「 幼稚園 と小学校準備級 との教 育的連続性 (Con●皿走

`p`dago鉾

que ente l'ёcde matemelle et le cycle p“

pa=。

re de l'“。le p●:nare)」 とい う通達を出 し、同年に公示 された文 部省令 (「小学校準備級の 目標 と教育課程 (0勁∝壼s et progmmmes du cy‐

cle prф

"atore des“

01es pnm狐“

)」

)が

「 小学校準備級で行われる基礎

学習に関 して、 この基礎学習のために必要な心理的成熟の状態をつ くりあげ る上で、幼稚園、特に年長組の諸活動が重要であることを繰 り返 し強調」 し ていることの趣 旨を徹底 させ ようとしている。そ して、幼稚園においては、 やは り同年の通達「幼稚口について (r“01e mtteme■e)」 に示 された教育

指針を尊重すべ きことを述べて、 フランスでの幼稚園―小学校、 とくに年長 組 と準備級のあいだの連続性を確かなものに しようとしている。 もっとも、 この幼稚園―小学校間の連続性の強化には、 フランスの学校制 度固有の条件 も与 っている。 フランスには落第制度があ り、準備級では約20

%が

留年 しているといわれているが、七七年のグロシャン委員会の報告に よ れば、就学前教育の経験 の有無が、明らかに小学校での落第 と関連を もって いる。同様の結果は、七三年度の中等教育学校一年生を対象にお こなった文 部省の調査にも現れている。それによれば、幼稚園に

2年

以上通 ったものは、

(29)

その約6割が落第をせずに小学校を卒業するが、通日経験のないものにあっ ては約

4割

にす ぎない。逆に、小学校で

2度

以上落第を経験 した ものは、2 年以上の通園経験を もつ ものでは4.5%、 通日経験 のないものでは、

9.1%で

ある。 こうした調査結果か ら早急に結論を導 くべきではないが、 フランスの 「 機会平等主義」にもとづ く諸政策の中で、 アビ文相に よる教育改革の一貫 として、小学校における修学効果に著 しい不均衡をきたさないためにも、年 長組 と準備級 との連携が焦点 となったといえる。 また、制度の上からもフラ ンスの幼稚園は初等学校 とみなされている。 このため先の通達では、Betel‐

heimの

指摘 した、家庭を主 とした就学前の発達的環墳の重要性 よりもいっ そ うふみ こんだ、幼稚国の予備教育的な役割を明らかにすることになったの である。 つま り、学習技能習得の準備期間 として、年長組―準備級をひとまとま り ととらえて、幼稚口で も「学習上必要 とされる事柄に応 じうる最適な手段を 豊かに もつ指導を行 う」 としている。「 ひとりひとりの子 どもの精神的・身 体的かつ社会心理学的なあ らゆる潜在能力を最適に発達 させる」 ことが幼稚 園の任務 であ り、幼稚園で培われた潜在能力が、「 小学校での この (読み・ 書 き・計算

)基

礎学習の質 と大 きくかかわ っている」 とされ る。 したがって、 「 読みや計算に関す るあらゆる学習の過程を、 もっば ら準備級以後に行われ ることだ と見な して幼稚園か ら排除することは避けるべき」だとい うことに なる。 けれ ども、 これは、読みの早期教育、

Betelhelmが

い う読みの技術的側 面の学習の幼稚園か らの開始をい うものではない。そ うした学習は「 時期尚 早 とい うおそれだけでな く、子 どもたちの人格の調和のとれた発達を促進 し、 よ り正確な学習 と豊かな発達の潜在力を保障するそのはかの諸活動を犠牲に するおそれがある」。幼稚園ではあ くまで も「 園児の表現力をか きたて続け、 園児の活動力を生かす こと」に努めるべ きで、「学習の 目標 とす る能力の習 得を中心的な関心 とした訓練を実施するとい うことは、幼稚国の教育 目的で はない」のである。むろん、読みの基礎にかかわる学習が成立する条件を子 どもたちが備えている場合、読みの学習が展開 されることになるが、その場

(30)

就学前の読みの意義 合 も「懸案の学習を条件づける心理的能力の発達 と成熟に役立つ ことを第一 の 目的 とした活動か ら生 まれて くるべ きであ り、故意に学習が実現され るよ うに しむけ られた教育実践をめざすべ きではない」 と、あ くまでも子 どもた ちの諸活動の中か ら、読みの学習の方法 と材料を見つけだす ことを といてい る。 具体的に「 幼稚国について」では、 この時期の子供たちの ことばの学習に ついて「(発達に関す る研究成果をふ まえ

)こ

れ までに述べた発達過程の規 則を考えあわせる時、身体か ら直接発現す る自我の表現形式の ことごとくを 教師は十分に活用 しなければな らない ことが明 らか となろ う」 と述べて、 自 発的な表現活動か ら学習が展開 され ることを基軸に している。そ して、身体 運動や絵画な どの造形的な活動を含め、何 よ りも話 し言葉に よる表現か ら書 き言葉へ と導 くにあた って、次の ような項 目を示 している。 三歳頃から、幼児は自分の書いた字や友達のそれに意味を与えよう とする。 この自然な行為が起点 となって、幼児はアルファベ ットを身 につけることになる。そこで、①書 く記号の役割 とその性質を理解 し、 ②それらを実際に書 き、③諸種の音声を記号文字に対応させ、④時間 の中で展開される話 し言葉 と、左から右へと空間の中で展開される書 き言葉の間の関係をとらえるために、書 く記号と話 し言葉を文字で結 合すること等ができるように指導すべきである。 子 どもの内発的な行動、 しか も書かれた ものに意味づけ るとい う読む行為 の本質に深 くかかわる行動か ら出発 して、文字の習得へ といたることが示 さ れている。読なの技術的な側面は後に まわ され、読みの、そ して文字の もつ 機能についての体験が先行 している。 しか も、子 どもの発達の全体性をふ ま えた項 目だてにな っている点に

_発

達教育学的視座を重視す るフランスの面 目がある。 発達的な観点は、 これ までの幼稚園におけ る文字習得の問題点を踏 まえて 提示 された五項 目の 目標に、 よ り鮮明な姿で現れている。

(31)

話 し言葉か ら書 き言葉へ と移 る際には次の ような 目標が設定 される。 ① イ メージを注意深 く見て メッセ ージを記号化 し、その意味を知 りた い とい う情緒に関す る目標。 ②音韻 に関す る目標 一年少組の ころか ら違 う音、同 じ音を聴 き分ける ように指導すべ きである。聴覚上の弁別は視覚上の弁別に比べては るかに微妙であるため、各種の遊戯を子 どもに提供する必要がある。 この 目標 は、機能的遊戯 と訓練 とが渾然一体 となった珍 しいヶ―ス である。 ③運動神経系統 に関す る 目標 ―子 どもはアル フ ァベ ッ トの記号を左か ら右へ ど読みなが ら書 き写す ことがで きなければならない。ほ とん どの場合、 この 日標は五歳六 カ月か ら六歳にかけてやっと正確に達 成 され ることが実証 されている。

④記号に関する目標―各自が解釈する多義的記号にはじまって、子ど

もは記号の意味に関する規則や慣習の必要性を理解しなければなら

ない。 しか し、 この慣習は学級 とtヽう集団内のみで有効であるか ら、 ぜひ習得 しなければな らない任意 の記号を使用する必要性を子 ども に認め させ るべ きである。 ⑤結合に関す る 目標 ―この 目標は表象機能の発達 と結びついてお り、 表象機能は多数の要素を同時的に克服す る可能性を与える。 また、 表象機能は音韻の結合を習 う五歳六 カ月か ら六歳 にかけて よ うや く 現れ ることが実証 されている。 ここには、G.Mialaretが 読み方学習の レデ ィネスとして分析 した六項 目 な どに見 られ る発達研究の成果が盛 り込 まれている。Mialaretの 場合、読 み方学習の レデ ィネスを次の ように分類 している。

1

身体的発達の一般的条件

2

社会的条件 と感情面

3

知覚的運動機能 の条件

(32)

就学前の読みの意義

4

言語 にか んす る条件

5

空 間 の構造 化 にか んす る条件

6

知的水準 にか んす る条件 「

1

身体的発達の一般的条件」は、広 く学習活動にむか ううえでの条件で あ り、「

6

知的水準に関す る条件」は、読み方学習の成就の可能性にかか わる条件であ って、読みの学習の基盤 となる項 目は、

2か

ら 5と 考えて よい。 この うち「

3

知覚的運動機能の条件」は、おもに視覚運動機能の調節・制 御にかかわる発達 と リズムの保持・模倣 にかかわ る発達水準 として、「5 空間の構造化にかんす る条件」は、空間構造化の能力 と読みの能力の高い相 関性 として説明 されている。「

4

言語にかんす る条件」は、象徴的機能の 発達、 コ ミュニケーシ ョンの質的な移行、 口頭言語の充実の三点に集約 して いる。

2

社会的条件 と感情面」については、Mialaretは 次の ように述べ る。子 どもの発達のある様態を紹介 して、 子 どもは4、

5歳

になると、読み方をおぼえたい と思い、 この時期 に きわめて特徴的な模倣的行為をす るまでになる。すなわち、子 ども は好んで本や新聞を (正 しく、あるいは さか さまに

)手

に もってすわ り、家族の者たち と同様に、か らだの一部は動か さずに、 日や頭をい くらかな りとも規則的に往復運動 させ、 ときには、いま「読んでいる」 最中のお話を「物語る」 ことさえす る。た とえ子 どもは読めな くとも、 彼は読 む人の行為の最 も外面的な様相を とらえて、それを巧みに まね ることはできたわけである。 と述べ、 さらにJ.Piagetの「 子 どもの発達がつねに社会環境に よって影響 さ れることは事実であ り、その社会環境は、たんに促進剤の役 目をするだけで な く、それ 自体が集団の歴史を背負 った数多 くの概念を、伝達す る役 目をは た している」 とい うことばをひいて、子 どもに見 られ る「特徴的な模倣的行 為」1よ「重要であ り、 これに留意すべ きである」 とい う。

(33)

さらに、「 字を読む よ うな準備訓練をまった くうけていない」子 どもたち の例をあげ、 と、家庭を中心 とす る社会的環境が子 どもたちの読みの発達に深 くかかわ る ことを示唆 しているのである。 また、感情的環境 も無視 しえない条件である。R.Z″zoの「 た しかに子 ど もは模倣す る一だがその模倣は、幼児においてさえも、たんなるしぐさのお うむがえ しではな く、それは欲求や願望を表現 しているのである」 とい う発 言を紹介 しているが、 こうした、模倣 とはいえ読む行為にそ くす る感情の存 在は、読みの学習の レデ ィネス トして動機付けの上か らも、学習成果の位置 づけの上か らも重要なのである。 以上の

Mialaetが

示 した条件にて らせば、

Betelheimの

指摘は、読 みの レデ ィネスは、決 して並列的なものではな く、読む ことへの社会的・感情的 環境が他の ンデ ィネスを統合す る構造 として把握す ることがで きるとい うこ とだろ う。 このように見た ときにあらためて、小学校での読み方学習以前の 読む ことにかかわ る経験や、そのための諸活動の重要性が明瞭に意識 され る のである。 L.Be■engerは、「 読書 とは社会的なことが らなのである。子 どもたちは、 読む ことを知 る前に、書かれた ものをふ くむ環境に生 きている」といい、「 こ のことこそが、読みを学ぶ唯一の理 由」 と指摘す る。 とくに、二歳か ら五歳 その子 どもたちは、言語が記号に よってあ らわ され るとい うことさ え知 らないのである。親たちは、彼 らに一度 も読 んで聞かせた ことが ないので、彼 らは本 とい うものが、情報やお もしろいお話のみな もと であることを知 らず、 また彼 らは掲示板、 ビラ、看板、新聞、告示な どの世界に生 きていないので、言語 の印刷 された形にな じみがない。 だか ら彼 らは、ふつ う印刷記号が広 くもちいられてい る環境 に育つ子 どもがへてい く、「 それはなん とい う意味なの?」 の段階に達 しないの である。

(34)

就学前の読みの意義 にかけ ての子 どもに とって、す なわ ち幼稚園 に通 う子 どもに とって、「 社 会 的 な環境 が、読 む ことに よる コ ミュニケー シ ョンの価値 に 目をむけ る こ とを 可能 にす る」。 では 、幼稚 園 では どの よ うな活 動 の中に読 み へ の糸 口を見 い だ した らよいのだろ うか。Beuengerは、 図書室の隅の棚におかれた本や手で もちあつかえる玩具絵本、先生 が書 きためた子 どもたちにおあつ らえ向 きの暗唱のための語句や文を とお して読書に規 しむ。あるいは、郵便や通信は、読む ことの感情的 ・情報的な価値を具体化するものである (たとえば、先生が書いて く れたみ じかい手紙を離れた ところにいる友達へ送 るな ど)。 また、 ラベ ルな どを上手につか って、読みの表象的な価値を しっか りと認識 させ ることが大事である。 と子 どもたちへの働 きかけ方を具体的にあげなが ら、「先生は仲介者であれ ば ょい」 とヽヽう。「 これ とこれは同 じことが書いてあるな どとい った情報的 機能、間違 った場所に貼 られた ラベルを貼 り直す とい った訂正機能、すでに 知 っている単語を分類す るといった組織化す る機能」を示 して、先生の援助 は何をなすべ きかを明らかに している。読みの技術の訓練者で も文字や表記 の教授者で もな く、子 どもと読書 とをつな ぐ「仲介者」 として働 きかけ るこ とが求められている。 この点を、準備級に まで延長 して、一つの指導方法 として論 じたのは、 ■FoⅨ冽耐踵■ である。 (読みの入門期が抱え る

)問

題の解決は、読みの早期教育には求め ることができない。わずかに、読書を実際に体験す る中にその解答を み とめ ることがで きるのである。 自然な環境 としての学校で活動す る ことを子 どもたちに許すだけで充分であ る。 …社会的な環境は、子 ど もたちが、 コ ミュニケーシ ョンの上 で有用であるもの として、読みの 実地体験を積めるようでなければならない。

表 5  女 ら しさへの願望 の男女差 女 性 全 体 ①② とも YES 1‑̀tN0 そ   の   他 359(62.0)112(19.3) 108 (18.7) 123(67.6)27(14.8) 32(17.6) 482(63.3)139(18.3) 140(18.4) 表 5に よれば、肯定派 (① ② ともⅦ S)の 割合は男性のほ うに多く、否定 派 (① ② とも NO)の 割合は女性に多いように見える。 ここにも、男性のは うが、 「女らしさ」をより強 く求めている傾向があるよう に思

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