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ニーチェから日蓮へ : <樗牛の場合> 前篇

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ニ ー チ ェ か ら 日 蓮 へ 〈樗牛 の場合〉 前篇 中 村 憲 治 序 高 山樗 牛 は、 明 治 四 年(1871年)一 月 十 目に生 まれ 、 明 治 三十 五 年(1902 年)十 二 月 二 十 四 日に 没 した 。 三 十 二 年 間 に も満 た ない 生 涯 で あ っ た 。 し か しな が らそ の 著 作 は数 多 く、 ま た 時代 に 与 え た 影 響 も 大 き か っ た 。 当 時 の 日本 は 、 あ らゆ る分 野 で 西 洋 の 模 倣 、 或 は 輸 入 が行 われ て い た 。 そ れ は 思 想 界 で も例 外 で は な か っ た 。 明 治 初 年 、 日本 の 思 想 界 に取 り入 れ られ た 西洋 思 想 は 、 英 ・米 ・仏 の功 利 主 義 、 自由 主 義 で あ った(文 久 三 年 、独 逸 人 の 商 人 ボエ ー デ ィ ングハ ウス 《通 称 ボ ー デ ンハ ウス 》 に よ って カ ン トの 人 間 学 の 第 一版 が 長 崎 の地 に もた らされ た2と い う史 実 が あ るそ うだ が 、 これ は殆 どそ の 影 響 を考 え る必 要 は な さそ うで あ る。)が 、 明 治 十 一年 フ ェ ノ ロサ が 渡来 して か らは、独 逸 思 想 も盛 に 取 り入 れ られ る よ うにな った 。(だ が 、 英 吉 利 経 験 論 の 哲 学 を圧 倒 して 独 逸 哲 学 が 盛 ん に摂 取 され る に 至 っ た の は 、 明 治 二 十 年 代 の末 頃 で あ ろ う爭 と言 わ れ て い る。)そ して 、 明 治 以 前 の思 想 も、 勿 論 脈 々 と生 きて い た 。 い わば 、 い くつ もの 思 想 が混 じ り合 い 、】 ぶ つ か り合 う、 激 動 の 時代 だ った と言 え る だ ろ う。 そ の 時代 の 真 直 中 を 流 星 の 如 く生 き た の が樗 牛 で あ った 。 そ の樗 牛 の 思 索 の 跡 を辿 って い て 、 最: も私 の 興 味 を ひ い た の が 、 ニ ー チ ェ主 義 か ら 日蓮 主 義 へ の移 行 とい うこ と 『 で あ った 。 樗 牛 は 日本 にお い て 最 も早 い 時 期 に お け るニ ー チ ェ主 義 者 、 或 は 、 ニ ー チ ェ を紹 介 した人 の 一 人 と言 わ れ て い る。 そ れ ば か りか 樗 牛 は ホ イ ッ トマ ン 、 ゲ ー テ 、ハ イ ネ 、 ワー ズ ワー ス 等 々 、 数 多 くの 西 洋 の 作 家や 一117一

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詩 人 等 につ い て 言 及 し、 紹 介 し 、 そ の作 品 を翻 訳 し、 批 評 を加 え て い る 。 い って み れ ば 当時 の 時代 の最 先 端 を行 く文 化 人 の 観 さ え あ る 。 そ の 樗 牛 が 突 然 の 様 に 、 日蓮 讃 美 を 始 めた の で あ る。 これ は 、 元 来 樗 牛 は矛 盾 の 多 い 人 間 で あ っ た③ らしい が 、 そ の矛 盾 の なせ る業 だ った の か 、 或 は 樗 牛 の思 想 の 流 れ の 中で の 当然 の 帰 結 だ っ た の か 、 そ れ と も∼ そ の どち らで も な い 突 然 の 思 想 的 な 飛 翔 とで もい うべ き も の で あ っ た の か 、 興 味 は尽 きな い 。 こ の試 論 は 、 そ こ の所 を 探 って 行 くこ と を主 眼 と して い る 。従 っ て 、 こ こ で は樗 牛 の伝 記 的 側 面 や 、 ニ ー チ ェ主 義 以 前 の 思 想 の 跡 に つ い て の 言 及 は 、 必 要 最 低 限度 に 留 め た こ と を 、お 断 わ りして お き た い 。 序 の 最 後 に 、 これ ま で の 樗 牛 研 究 につ い て 簡 単 に述 べ てみ た い 。 樗 牛 研 究 に は 、伝 記 的 研 究 と、 部 分 的 研 究(樗 牛 とニ ー チ ェ と か 、樗 牛 と 日蓮 、 或 は樗 牛 と 日本 主 義 とい うよ うな)が あ る。 前 者 に 属 す る研 究 を二 、 三 紹 介 す る と、 「高 山樗 牛 そ の 生 涯 と思 想 」(秋 山正 香 、 昭 和 三 十 二 、十 一 、 積 文 館)、 「樗 牛 伝 」(斉 藤 親 平 、 大 正 五 、 二 ∼ 大 正 八 、 三 、 人 文)、 等 が あ る。 この 他 に も小 野 寺 凡 氏 の よ うに地 道 な 伝 記 的研 究 を して い る人 は い る が、 手 に入 る出 版 物 の数 は、 余 り多 くは な い よ うで あ る。 次 に後 者 に 属 す る研 究 を若 干 紹 介 す る が 、 こ ち らの方 は数 多 い 。 「主 我 主 義 の主 張 一 高 山 樗 牛 とニ ー チ ェ」(吉 田 精 一 、 昭 和 三 十 、 十 一 、 東 京 堂 」、 「ニ ーチ ェ と 日本 文 学 」(長 谷 川 泉 、 昭和 三 十 八 、 二 、 至 文 堂)、 「樗 牛 とニ ーチ ェ 『美 的 生 活 論 』 を 中 心 と して 」(重 松 泰 雄 、 昭 和 二 十 八 、 六 、 文 芸 研 究)、 等 々 で あ る。 こ の他 に も一 葉 、 天 心 、鴎 外 ら と樗 牛 を 論 じた も の 、 日蓮 と樗 牛 を 論 じた も の な ど、 数 は 多 い 。 しか しな が ら現 在 で は 、 樗 牛 は滅 多 に 論 ぜ ら れ な くな っ て い る 。 こ れ は 、 フ ァシ ズ ム の 宣 伝 に 利 用 され た こ と が影 響 し て い るの か も知 れ な い が 、 私 に は不 当 な こ と と、 思 わ れ る 。何 故 な ら、樗 牛 は フ ァ シ ス トで も 国粋 主 義 者 で も な い か らで あ る。 これ は ニ ー チ ェ が ナ チ ス に不 当 に利 用 され た こ と と、 よ く似 て い る 。 い つ れ にせ よ 、 日本 の 思 想 界 にお け る樗 牛 の思 索 の跡 を再 検 証す る こ とは 、 決 し て無 意 味 な こ と と は思 われ な い 。 私 の こ の さ さや か な 試 論 が 、 どれ だ けの 意 味 を持 ち得 るか 一118一

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ニ ー チ ェ か ら 日蓮 へ 〈樗 牛 の場 合 〉 につ い て は 、 ひ ど く心 も とな く思 っ て い る 次第 で は あ る の だ が 。 ニ ー チ ェ との 出会 い 以 前 樗 牛 が ニ ー チ ェ を知 った の は 、長 谷 川 義 記 氏 に よ る と⑱ 明 治 三 十 一年 一 月 に 井 上 哲 次 郎 の 講演 を き い て か らだ とい う。 しか し、 明 治 二 十 八 九 年 、 ケ ー ベ ル の 口か らニ ー チ ェの 名 が東 京 帝 国大 学 の 学 生 た ち 桑 木 嚴 翼 、 姉崎 嘲 風 、 登 張 竹 風 高 山樗 牛 等 々 に伝 え られ た爭 との 説 もあ る。 どち らが真 実 な の か 私 に は 分 らな い し、 今 そ れ は本 題 で はな い 。 こ こ で は 樗 牛 は 、 明治 三 十 年 前後 に ニ ー チ ェ を知 っ た とい う こ と で充 分 で あ ろ う。 樗 牛 は ニ ー チ ェ を知 っ て 、 強 くひ か れ た 。 明 治 三 十 四年 十 一 月 十 五 日付 の 姉 崎 嘲 風 宛 書 簡 の 中 で 樗 牛 は 「… 吾 れ は又 ニ ー チ ェの 思 想 に 先 天 の 契合 あ る を覚 えぬ る は如 何 に そや 。」⑥と書い て い る 。 こ の 「先 天 の 契 合 」 に つ い て 考 え る前 に 、樗 牛 の 文 学 的 姿勢 に触 れ て お か な くて は な らな い 。 そ れ が 「先 天 の 契 合 」 につ い て 考 え る ヒ ン トに な る と思 うか らで あ る。 明 治 三 十 四年 八 月 鎌 倉 で書 い た 「感 慨 一束 」 の 中 で樗 牛 は 、 軽 々 し く ト ル ス トイ や ゴ ー リキ ー を註 釈 し、 讃 美 す る 日本 の 当 時 の 文 芸 界 につ い て 言 及 し、 「等 し き者 の み 等 し き者 を解 し得 べ し 。」⑦とい っ て い る。 こ れ は 翌 年 の 三 月 に 書 い た 「静 思 録 」 中の 言 葉 「大 い な る誘 惑 と大 い な る 懐 疑 と に打 勝 った信 仰 で な けれ ば兎 て も一 代 の人 心 を指 導 す る こ とが 出来 な い 。」⑧とも 符 合 す る だ ろ う。 つ ま り樗 牛 は 、個 人 の 精 神 の深 さや 大 き さに つ い て 言 っ て い る の で あ る。 軽 佻 浮 薄 な 輩 が 、 トル ス トイ や ゴー リキ ー を讃 美 し 、 得 意 気 な 顔 を して い る の を樗 牛 は苦 々 し く思 うの で あ る。 個 人 と して トル ス トイ と 同 じ位 悩 み 苦 しん だ 者 で な け れ ば 、 そ の 文 学 を解 せ るは ず が な い 、 とい うの で あ る 。誘 惑 に負 け そ うに な っ た り、 懐 疑 の 迷 路 に 踏 み 込 ん だ 者 達 を 求 い 導 くこ とが で き る の は 、 そ れ らを乗 り越 えた 者 で な けれ ば で き な い 、 とい うの で あ る。 権 力 争 い に うつ つ を 抜 か して い る僧 侶 達 に 、 人 心 を 求 い 導 くこ とな ど、 で き るわ けが な い 、 とい うのだ 。 自 ら痛み を知 っ てい る 者 で な けれ ば 、 他 人 の痛 み な ど分 るわ け が ない 、 とい う こ とだ ろ う。 自 ら痛 一119一

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みを知る者は、他人には優しいものである。それに対して、他人に厳しく、 自分に甘く、というのは、最も怠惰で、最も楽な生き方であろう。そして 思慮浅き人の最も陥り易い所でもあろう。正にその対極を樗牛は主張して いるのだ。そして、よく分りもしないのに分ったような素振りをすること を樗牛は他人にも自分にも許さない。過去から現代に至るまで、大いなる 評価を受けている「源氏物語」に対する樗牛の論評に、それはよく表われ ている。「・…一吾は源氏を好まず、却てそを古今の大悪文の一つに数へたく 思ふ也。」⑨まず名文と云へば世の人々は源氏物語というので、幾度も手にとっ て読んではみたが、面白くもなんともなく、根気が続かなくなり、いやに なってうち捨ててしまった、という。自分の心に感ずる所のない文章は、 世の中の人すべてが名文だ、名文だといっても、自分は悪文だ、悪文だと 罵言する、と居直っている。要するに樗牛は、自分の心に訴えかけてくる 文章以外は、認めないのである。これが樗牛の一貫した姿勢のー側面であ る。つまり実体験(精神的体験も含めた)に裏打ちされた自らの心に忠実 であろうとする姿勢である。その現れが、「源氏物語」への批判であるのだ が、それとは逆に樗牛は、「平家物語」と日蓮の文章を高く評価するのであ る。殊に日蓮の文章に対しては「上人の文は文に非ずして精神也。」⑩とまで いっている。麗々しく装飾された文章を樗牛は好まない。飾り気のない、 文章の裏から精神が現われてくるような迫力のある文章を樗牛は好むので ある。日蓮の文章にひかれる以前には、ニーチェの文章が正にそれであっ たのである。だがニーチェと出会う前に樗牛には、類似した出会いがあっ た。それは、ホイットマンとの出会いであった。 明治三十一年五月、「ワルト・ホイットマンを論ず」の中で樗牛は、「実在 の人生は決して自然に離れ得べきものにあらず、是れホイットマンが人生 に関して有せる根本の思想なり。…・・・肉の外に霊なく、霊の外に肉無し。」⑪と 言っている。現世にこそ人生がある。そして精神と肉体は切っても切れな いものである。つまり肉体と精神は同等に貴いということである。ホイッ トマンのそうした主張に樗牛は大いに共感する。そして「されどホイット

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-120-ニーチェから日蓮へ(樗牛の場合〉 マンは、吾等を以て見れば徒に肉欲の快楽を重じたる浅薄なる詩人に非ず。 …人樫を唱ひ生殖を唱へたるのみならず、又一切物象に精霊あることを 歌ひ、男も女も、飲食も、呼吸も、是の精霊の円満なる発達に欠くべから ざることを歌いたり。」⑫と続けている。そして更に「ー・…人生を以て『永遠 なる旅行』となすも、彼の心は常に個人てふことを離れず。一・臼く万物は 個人の為に存す、…・・・」⑬ホイットマンは肉欲だけを重ずる浅薄な詩人では ない。あらゆるものに(生殖、肉体、男女、飲食、呼吸等)精霊が宿っており、 また精霊の発達に、これらは欠かせない、ということを歌っているのだ。 そしてホイットマンは常に個人に重きを置いている。万物は個人の為にあ る、といっている。と、樗牛はいうのである。そして、「彼の声は・…・・意志 の声なり、市かも最も健康に最も樫力ある人の口より出づる意志の声なり。 彼は一度びも泣かず、悲まず、恨まず、常に笑ひ、楽み、踊る0 ・・・…J⑬ホ イットマンの声、すなわち詩句は、健康的で活々として、力強い、そして 笑ひ、楽み、踊る意志そのものだ、と樗牛はいうのである。これは樗牛の 現世肯定の言葉と受け取ることができるだろう。あの世に(いいかえれば 浄土に)希望を托すのではなく、この世の生に、人生に、最大の価値を置 く。そして個が最も重要なのである。この現世肯定の個人主義に、樗牛は 共鳴する。これが樗牛の姿勢のもう一つの側面だ、と思われる。この樗牛の 個人主義的信念は、日本主義時代の樗牛にも保持されている。「個人を離れ て別に国家無く、・・…・」⑮と樗牛はいっているのである。つまり、個人の為 に国家があるのであって、国家の為に個人があるのではない、というので ある。このような思考は、樗牛には以前からあった。「……所詮国家は人類 生存の目的即ち人生の幸福を大に円満に実現せんが為に建立せられたる者 なり。別に個人を離れ、初より国家なる形式ありて、吾人の自由なる活動 を拘束したるに非ず。」⑮と既に明治三十年七月に樗牛はいっているので、ある。 こうみてくると、樗牛の日本主義に関する発言は、秋山正香氏の指摘する ように、「大半は、恩師井上哲次郎博士への援護射撃」⑫で、しかなかったよう な気がする。明治三十年五月に書いた樗牛の「日本主義」を読むと、樗牛 寸 ー よ り 山 1 t ム

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ら し くな い も って 回 っ た 言 い 方 や 、苦 しげ な こ じつ け が 眼 に 付 く。 樗 牛 の 文 章 は そ の殆 どが竹 を割 った よ うに分 りや す く、痛 快 な の だ が 、 「日本 主 義 」 に 関 す る文 章 は、 妙 に 分 り難 く、奥 歯 に物 が は さ ま っ た よ うな 印象 を受 け る。 相 当無 理 を して 書 い た 文 章 な ので は 、 な か ろ うか 。私 に は、 樗 牛 の 「日 本 主 義 」 は 、 井 上 哲 次 郎 らの 「日本 主 義 」 とは 、 同 一 の も の とは 、 思 え な い の で あ る。 こ の 時代 の樗 牛 に とって 、 最 も重 要 な の は 、や は り個 人 で あ っ た と、私 には 思 わ れ る。 樗 牛 自身 後 に 「ドー モ 日本 主 義 時 代 の 思 想 が 、僕 の 本 然 の 皮 相 な る 部 分 の発 表 に過 ぎ な か った こ とが今 か ら思 はれ る」⑱と述 懐 して い るの で あ る。 これ は樗 牛 の 人 間 的 な弱 さ の 表 れ だ と私 は思 う。 日 本 主 義 時代 の樗 牛 は 、 義 理 、 人 情 に い ま だ しば られ て い た の で あ ろ う。 「日 本 主 義 」 を書 い た ニ ゲ 月後 の 前述 の発 言 ⑯は 、 自 らの 弱 さ を克 服 せ ん が為 の 発 言 と も とれ るだ ろ う。 更 にそ の後 の ニ ー チ ェや 日蓮 との 出会 い に よ っ て 、 樗 牛 は こ の 弱 さ を克 服 して い った と私 に は 思 わ れ る。 しか しな が ら この 時 代 の 樗 牛 の発 言 が 、 後 に フ ァシ ス ト達 に利 用 され て しま った こ と も事 実 で あ る。 だ が 、 この 部 分 を拡 大 解 釈 す る の は 、樗 牛 の本 質 か ら外 れ て い る と、 私 は 思 う。 「日本 主 義 」 に 関 す る発 言 も、 樗 牛 の 著 作群 の 中の 、 ご く一 部 と の み と らえ て お けば 、 充 分 だ と 、私 は 思 うの で あ る 。 さて 、話 を 元 に 戻 そ う。 樗 牛 の文 学 的 姿 勢 は 、 これ で か な りは っ き り し て きた と思 う。 つ ま り、 実 体 験(精 神 的体 験 も含 め た)に 裏 打 ち され た 自 らの 心 に 忠 実 で あ ろ う とす る側 面 と、現 世 肯 定 的個 人 主 義 的側 面 を持 っ た 姿 勢 が そ れ で あ る 。前 者 の 方 は実 体 験 が 増 す わ け だ か ら、 心 に も変 化 が起 る の は 当 然 で あ る し、 樗 牛 自身 そ の 変 化 を素 直 に 受 け 入 れ て い る。 バ イ ロ ン に対 す る評 価 の 逆 転 な ども 、 そ の よい 例 で あ ろ う。 だ が 、 後 者 は終 生 あ ま り変 らな か っ た よ うに思 う。 特 に 現 世 肯 定 的 とい うこ とに 関 して は 、 一 貫 して い た よ うに 思 う。 キ リス ト教 や 当時 の仏 教 界 に対 す る批 判 も 、 主 に あ の世 とか 、 浄 土 に 最 高 の価 値 を置 く とい うこ とへ の 批 判 だ った か らで あ る 。 一122一

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ニ ー チ ェか ら 目蓮 へ 〈樗 牛 の 場 合 〉 ニ ー チ ェ との 出 会 い さて 、 こ こで 少 し明 治 時 代 の 思 想 界 に 眼 を転 じて み よ う。 日本 に 最 初 に 輸 入 され た 哲 学 が 、英 ・米 ・仏 流 の 哲 学 で あ った こ とは 、 既 に 述 べ た 。 そ して 、 明 治 十 一 年 、 米 人 で ハ ー バ ー ト大 学 出 身 の フ ェ ノ ロサ が 招 聘 され 、 哲 学(政 治 学 、 経 済 学 も講 じた)を 講 じた わ けだ が 、彼 はヘ ー ゲ ル 哲 学 に 心 酔 して い た た め に 、 ヘ ー ゲ ル や カ ン トを説 い た とい う。 次 い で 、 英 国人 クー パー(Cooper)が 招 か れ て爭 カ ン トを講 じた 。そ して 明 治十 九 年 以 降 独 逸 人 ブ ッセ 、 ケ ー ベ ル ら が招 か れ 、 い よい よ独 逸 哲 学 の 研 究 が 本 格 的 に な る の で あ る。 そ して 、 ヘ ー ゲル 、 カ ン ト、 シ ョー ペ ンハ ウ エ ル な どの研 究 が盛 に行 わ れ る よ うに な る。 そ して 、 そ れ に呼 応 す る よ うに 、 明 治 二 十 年 二 月 「哲 学 会 雑 誌 」(明 治 二 十 五 年 以 降 は 「哲 学 雑 誌 」 に改 称)が 発 刊 さ れ た 。 そ の 中心 に な っ た の は 、井 上 円 了 、 井 上 哲 次 郎 、 有 賀 長 雄 、 三 宅 雪 嶺 、 棚 橋 一 郎 、加 藤泓 之 、 西 周 、 西 村 茂 樹 、 中村 正 直 、 原 担 山 等 、 荘 々 た る メ ンバ ー で あ っ た 。 そ して 、 こ の よ うな 時 代 のた だ 中の 明 治 二 十 六 年 九 月 、 樗 牛 は 東 京 帝 国 大 学 文 科 哲 学 科 に 入 学 した 。 同級 生 に は 、 桑 木 嚴 翼 、 笹 川 臨風 、 そ して 生 涯 の 友 と な っ た 姉 崎 嘲 風 らがい た 。 そ して 明 治 二 十 六 年 とい う と、 ケ ーベ ル が ブ ッセ に代 って 来 日 した年 で も あ っ た 。 ケ ー ベ ル の 日本 の 哲 学 界 へ の 貢 献 は 、甚 だ 大 き い 。 そ の ケ ーベ ル の教 を樗 牛 も受 け た の で あ る。 恐 ら く樗 牛 は ケ ー ベ ル を介 して カ ン トや シ ョー ペ ンハ ウエ ル 等 々 に触 れ た も の と思 わ れ る 。 中 で も、 シ ョー ペ ンハ ウエ ル に は か な りひ か れ た ら し く 、後 に 「シ ョー ペ ンハ ウエ ル の 如 き英 雄 豪 傑 は 最:早や 此世 に 出つ る能 は ざる乎 。」⑳な ど とい って い る。 そ して更 に 「世 に 凡 人 の数 幾 十 百 千 万 億 あ り とす る も、 人 類 に於 て 何 の益 す る所 ぞ 。願 は くは 彼 等 の 十 万 を 割 い て 一 バイ ロ ン を得 む 。」⑳と述 べ て い る。天 才 の 出現 の 為 な ら、 多 くの 凡 人 の犠 牲 も惜 し くは な い 、 とい うこ とで あ る。 更 に 続 け て 、 日蓮 の為 な ら 一 千 万 を、そ して 釈 迦 の為 な ら一 億 を 、 と述 べ て い る 。 こ の 文 章 か ら樗 牛 の過 去 の 天 才 た ち に 対 す る ラ ン ク付 け が 見 られ て仲 々面 白い 。 こ の文 章 は 明 治 三 十 四年 十 一 月 に書 か れ た もの だ が 、既 に この 頃 樗 牛 の 中 に は 日蓮 主 一 ユ23一

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義 の 芽 生 え が あ った よ うで あ る。 そ の こ と は さて 置 き 、 樗 牛 がニ ー チ ェ を 知 っ た 時 期 は 、 は っ き りは分 らな い が 、 ニ ー チ ェ につ い て 本 格 的 に論 評 を 始 め る の は 、 明 治 三 十 四年 頃 か らで あ る。 こ の 頃 の 樗 牛 は 、 結 核 療 養 を か ね て 、 大磯 に 住 ん で い た 。 そ して 三 十 四年 一 月 「文 明批 評 家 と して の 文 学 者 」 を 『太 陽 』 に発 表 す る 。 そ こ で まず 樗 牛 は 、 ニ ー チ ェの こ と は話 しに 聞い て い た が 、 仲 々 読 む 暇 が な く残 念 に 思 って い た が 、や っ と二 、 三 冊 の 著 書 を 読 ん だ 、 と述 べ て い る 。従 っ て この 時 点 で は ま だ そ れ 程 多 く は ニ ー チ ェ の 著 書 を読 ん で は い な い と、 思 わ れ るの だ が 、 か な り鋭 い 観 察 力 を示 して い る。 「… … 彼 は 哲 学 者 と謂 はむ よ りは寧 ろ大 な る 詩 人 也 。 而 して 詩 人 と して 大 い な る所 以 は 、 実 に 彼 が 大 い な る文 明 批 評 家Kulturkritikerた る 所 に存 す 。」⑫と樗 牛 は 指 摘 す る 。確 か にニ ー チ ェ は 、ヘ ー ゲ ル や カ ン トの 如 く 、 自 らの 思 想 を体 系 化 し た哲 学 者 とは 趣 き が 異 な る 。澱 め ば 水 も腐 る と ニ ー チ ェ は い う。 体 系 化 して しま え ば 中身 は形 骸 化 して しま う、 とい うの で あ る 。 そ の ニ ー チ ェ の 得 意 とす る 表 現 方 法 は ア フ ォ リズ ム で あ り、 詩 で も あ る と、 い え るだ ろ う。 そ して そ こ に は 、 様 々 な も の へ の 否 定 的 批 判 が 散 りば め られ て い るの で あ る 。ニ ー チ ェ を大 い な る文 明批 評 家 的 詩 人 と し た 指 摘 は 、 的 を得 て い る 。 そ して樗 牛 は 「… …彼 の 歌 へ る もの は 山 に非 ず 、 河 に非 ず 、 恐 ら く は彼 自 ら も解 す る能 は ざ り し天 地 人 生 の 幽微 也 。 … … 唯 霊 な る もの の み 能 く霊 を動 かす 。」⑳と述 べ て い る。 ニ ーチ ェは 永遠 回 帰 思 想 が 、 自 らの 内 よ り発 生 した の で は な く、 あ る時 突 然 む こ うか らや って き た と、 述 べ て い る 。 つ ま り、 論 理 の積 み 重 ね に よ っ て 獲 得 した とい う類 の 思 想 で は な く、不 思 議 な 力 に よ っ て与 え られ た 思 想 だ とい うの で あ る 。 閃 き な ら、凡 人 で あ る我 々 に もた ま に は あ る もの で あ ろ うが 、 これ はそ ん な も の よ りも遙 か に 次 元 の 高 い こ との よ うで あ る 。 「霊 な る も の の み能 く霊 を動 か す 」 とい う樗 牛 の 言 葉 は 、 そ こ の所 を察 して い るの か も知 れ な い 。 だ と す れ ば 、驚 くべ き 慧 眼 で あ る。更 に樗 牛 は 、 ニ ーチ ェ に は 「… … 己れ の信 ず る所 を貫徹:せむ が為 に は遙 ち一 世 を敵 と して 戦 ふ を辞 せ ざ るの気 魄 あ り。」⑳と 述 べ て い る 。樗 牛 は ニ ー チ ェの 思 想 だ け で は な く、 ニ ー チ ェ本 人 を もみ て 一124一

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ニ ー チ ェか ら 日蓮 へ 〈樗 牛 の場 合 〉 い る の で あ る 。 これ は 樗 牛 の 大 き な 特 長 で あ る 。 樗 牛 は 常 に 文 章 を とお し て 、 そ れ を書 い た人 間 を もみ る の で あ る 。 そ して そ の 人 間 の 生 き方 に 共 感 で き るか 否 か が 、樗 牛 に とって は 大 きな 問題 だ っ た よ うで あ る。 そ して 樗 牛 がそ の 文 章 か ら垣 間見 た 二 一 チ ェの生 き方 は 、 大い に 共 感 で き る も のだ っ た の で あ る。 樗 牛 は級 友 桑 木 嚴 翼 の ニ ー チ ェ批 判 に対 して 、 「… 吾 等 の 関 は る とこ ろは 説 に非 ず して 人 也 。 桑 木 君 何 ぞ其 の 所 謂 る倫 理 説 よ り一 歩 乃 至 百 歩 を進 め て ニ ーチ ェ其 の 人 を解 説す る こ と を為 さ ざ るや 。 … 」⑳と反 論 し て い る 。 樗 牛 に と っ て 、 … 説 な ど、 第 一 の 問題 で は な い 。 世 の 善 悪 の 基 準 も 、 永 く世 間 に信 ぜ られ て き た定 説 も 問題 で は な い 。 そ の よ うな も の に よ り所 を 求 めた 説 の展 開 は 、 樗 牛 の 眼 に は空 々 し く映 る 。 ニ ー チ ェ は 、 真理 は 虚 偽 で あ る とい っ た 。 人 類 は 営 々 と して 虚 偽 を積 み 重 ね て き た 。 言葉 自 体 が虚偽 な ので あ る。例 えば 、 「葉 」 とい う言葉 が あ る。 だ が、 どこ に も 「葉 」 そ の もの な どあ りは しな い 。 あ るの は 一葉 一葉 微 妙 に 異 った 葉 で は な い か 。 そ う した 言 葉(即 ち虚 偽)の 積 み重 ね は、 虚 偽 以 外 の 何 も の で もな い 。樗 牛 もそ れ を直 観 的に 感 じて い る よ うな ふ しが あ る 。 「真 理 は人 生 の 最 も低 廉 な る低価 の み 、窮 す れ ば 巳 む な く真理 に行 く、??」⑳な ど と手 帳 に 書 い て い る の で あ る 。 樗 牛 は 常 に 作 品の 奥 に 、 そ の作 品 を書 い た 人 間 を と らえ る。 そ して樗 牛 は ニ ーチ ェに 天 才 を観 た 。 個 と して の 天 才 を観 た の で あ る 。 ニ ー チ ェ の文 章 か らは 、 誰 の助 け も借 りない 、 ニ ー チ ェ 自身 の 肉 声 が 聞 こえ て く る 。人 は しば しば 既 成 の権 威 の 力 を借 りて 、 自説 を正 当化 し よ う とす る。 それ ば か りか 、 自説 とい え る もの な ど、 か け ら もな い 場 合 さ え あ る。 だ がニ ー チ ェ は 自分 自身 の 言 葉 で 語 る。 そ レて 既 成 の権 威 の力 を借 り る所 か 、 そ れ ら を こ とご と く否 定 して み せ る 。 そ の 結 果 、 どの よ・うな反 発 を 受 け よ う と、 ま た 多 くの 敵 を作 ろ う と、 ニ ー チ ェ はそ れ を甘 ん じて 受 け る覚 悟 を持 っ て い る。 樗 牛 はそ れ を 見 抜 い た 。 そ して い よ い よニ ー チ ェ に の め り込 ん で行 く の で あ る。 一125一

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注 ① 「明 治 維新 と独 逸 思 想 」 大 塚 三 七雄 著 昭 和52年5月3日 長 崎 出版 ユ49ペー ジ ② 同 上29ペ ー ジ ③ 「樗 牛 全集 」 高 山林 次 郎 著 明治36年 博 文 館 第2巻860ペ ー ジ ④ 「樗 牛 一青 春 夢 残 高 山林 次郎 評 伝 」長 谷 川 義 記 著1982年11月 暁 書 房89ペ ー ジ ⑤ 「日本 人 の ニ ー チ ェ研 究 譜 」 ニ ーチ ェ全 集 別 巻1982年9,月 白水 社 516ペ ー ジ ⑥ 「樗 牛 全 集 」 第5巻423ペ ー ジ ⑦ 同 上 第4巻976ペ ー ジ ⑧ 同 上1037ペ ー ジ ⑨ 同 上950ペ ー ジ ⑩ 同 上955ペ ー ジ ⑪ 同 上 第2巻589ペ ー ジ ⑫ 同 上591ペ ー ジ ⑬ 同 上593ペ ー ジ ⑭ 同 上599ペ ー ジ ⑮ 同 上 第4巻451ペ ー ジ ⑯ 同 上280∼2S1ペ ー ジ ⑰.「 高 山 樗 牛 一そ の 生 涯 と思 想 」 秋 山正 香 著 昭 和32年11月 積 文 館 ユ42ペー ジ ⑱ 「樗 牛 全 集 」 第5巻400ペ ー ジ ⑲ 前 出 「明 治 維 新 と独 逸 思 想 」164ペ ー ジ ⑳ 同 上 第4巻1005ペ ー ジ ⑳ 同 上1005ペ ー ジ ⑳ 同 上 第2巻824ペ ー ジ ⑳ 同 上827ペ ー ジ ー126一

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ニ ー チ ェか ら 日蓮 へ 〈樗 牛 の場 合 〉 ⑳ 同上 ⑳ 同上 ⑳ 同上 833ペ ー ジ 987ペ ー ジ 第5巻272ペ ー ジ 一127一

参照

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