Posted at the Institutional Resources for Unique Collection and Academic Archives at Tokyo Dental College,
Available from http://ir.tdc.ac.jp/
Title
ありがとう
Author(s)
松浦, 信幸
Journal
歯科学報, 120(4): 4i-4i
URL
http://hdl.handle.net/10130/5395
Right
Description
!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!
ありがとう
松 浦 信 幸
私のお話は本誌巻頭言にはそぐわないかもしれませんが,私の経験についての雑感を綴りたいと思
います。
もう随分前の話になるが,私がまだ歯科麻酔学講座の講師で千葉病院(現千葉歯科医療センター)
に勤務していたときの話である。入局当時から障がい者歯科治療の魅力に惹かれていた私は,その日
も朝から障がい者の歯科治療に没頭していた。午前最後の患者の治療を終え,受付でカルテ記載をし
ていたとき,別の部屋で治療を終えた自閉スペクトラム症の患者が興奮状態となり,受付で大声を上
げながら壁や床を叩いていた。私は直ぐに彼の両手をとって一緒に待合の椅子に座り,「どうした?
心配ないよ」,「今日の治療は終わったの?」,「よく頑張ったね」,「頑張ってくれてありがとう」と何
度も声をかけて宥めた。しばらくして彼の興奮も収まり,落ち着いて待合の椅子に座っていられるよ
うになったので,先程のカルテ記載の続きをしていたとき,一連の様子を見ていた私の患者(先天障
がいと知的障がい)の母親が目を涙でいっぱいにして私に話しかけてきた。「先生,私嬉しいの」,「う
ちの子のように障がいのある子は,他の人からありがとうって言われることがないの」,「感謝される
ことがないのよ」,「先生が患者さんにありがとうって言っている姿を見て嬉しくって,嬉しくっ
て」,「ごめんなさいね,泣いちゃって…」,「先生,ありがとう」。
障がい者の歯科治療に携わり,患者やご家族のことは自分なりに理解しているつもりでいた。しか
し,母親の話を聞いて頭をガツンと殴られるような強い衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えてい
る。そんな茫然自失の私に対して母親の言ってくれた「ありがとう」が瞬間的に私の心に深く沁み入
る感覚を覚え我に返った。普段何気なく使っていた「ありがとう」であるが,時として人の心に真っ
直ぐに届き,強く震わせることのできる魔法のような力があることに気付かされた出来事であった。
この日以来,障がい者の歯科治療の際には必ず「頑張ってくれてありがとう!」とすべての患者に伝
えるようにしている。気のせいかもしれないが,歯科治療に非協力であった障がい患者とのコミュニ
ケーションがこれまで以上に良好となり,歯科治療もスムーズに行えるようになった患者が増えたよ
うに思う。
2020年は新型コロナウィルスが猛威を振るい,今も収束の兆しも見えない中,日常生活は勿論,臨
床や教育システムまでもがこれまでとは一変してしまった。ウィズコロナの新しい生活は,以前より
も他人との繋がりやコミュニケーションが希薄になりつつあるように感じるのは私だけでは無いだろ
う。密を避けるために,毎日必要最低限の関わり合いしか持つことのない今だからこそ,「ありがと
う」と感謝の気持ちを多くの人に私は伝えたい。「ありがとう」が持つ魔法の力はコロナ禍でもきっ
と良好な人間関係と和をもたらしてくれると信じている。私はこれからも「ありがとう」を大切にし
たいと思う。
文末ではありますが,私個人のたわいもないお話が本誌の今年最初の巻頭言となりましたこと,何
卒ご容赦下さいますようお願い申し上げます。
(東京歯科大学オーラルメディシン・病院歯科学講座 教授)
巻 頭 言 ④