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指導の本性について ; 1

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Academic year: 2021

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(1)75. 指導 の 本性 につ いて (I). 牧 野 宇 一 郎 は「 経験」 の名 で総称 す る こ と もで きる,人 間 の あ らゆ る活動 は,必 ず 利、 何 らか の学習を本人 に もた らす ので ,そ の意味 で「 学習活動 」 とよんで よい と して きた。「 学習」 とよば るべ きものは性 向 の変化 であ って ,活 動 と して 表現 されな ければ本人 さえ確認 で きないが ,そ れ 自体 は活動 ではない。学習 は学習活動 な しには生 じない し,逆 に学習 を生 じない学習活動 はない。 しか し学習 と学習活動 とは別 で あ る。泳 ぐ能力 は実 際 に泳 ぐ活動 によ って のみ獲 得 され ,ま た確 認 もされ る。だが現 に泳 ぐ活動 を していないか らとい って 泳 ぐ能力 がない とはいえない。だか ら「 学習活動」 とは,い かな る学習 で あれ , それを もた らす のに不可欠 なその学習者本 人 の 活動 であ る,と い う こ とがで きる。 また,す でに二 回 にわた って 論 じたよ うに,学 習活動 は構造 的 に見 ると一 種類 しかない。 それは場面変換 のための試行 ,も しくは試行 を通 して の場面 変換 とい う こ とであ った。それは一 日でいえば「 場面変換試行 」 とい う こと にな るであろ う。学習活動 には さまざまな種類 や様式 があるよ うに見 え るが, その差異 は同 じ構造 の複雑 さ,組 織化 ない し体系化 の程度 の ちがいであ った。 以上 のよ うな学習活動 の意味 ない し定義 と構造 とは,学 習活動 の本質 を表 わ してい ると見 る こ とがで きると思 う。われわれは ここか ら,教 育 にお け る 指導 の方法 につ いての基本 的な格率 ない し原則 をえた こ とにな る。 それ は教 育上 の指導者 は,あ れや これや の技術を手 に入 れ よ うとす るよ りも,何 よ り もまず望 ま しい学習 に導 く学習者本人 の学習活動 を的確 に予想 し,そ れを場.

(2) 76. 指導の本性について (I). 面 変換試行 と して実行 せ しめ るべ きだ とい う こ と,ま た反 対 に望 ま しくない 学習 に導 くと想定 され る学習活動 は これを極力 学習者 か ら遠 ざけ,そ れ の実 行 を阻止す べ きだ とい う ことで ある。 もちろん ,ど んな学習 が望 ま しいか ,ど んな学習 が個人 に とっていつ ,ど こで ,な ぜ 可能 で欲望 さるべ きで あ るか とい う こ とは,教 育 の理 想t化 の 中心 問題 であ って ,指 導 の あ り方 も全面 的 に究明 しよ うとす れば,こ うい う問題 を避 けて通 る こ とはで きない。 しか し本稿 では とて もそ こまでは立 ち入 れな い。 ここで は,学 習活動 の本質 が明 らか にな った限 りにおいて ,そ こか ら,あ るいはそ の こ とに関連 して ,ど の よ うな実践 的指 針が指導 の方法 につ いて え られ るだろ うか , とい う こ とを検討 しよ うと思 う。 ただ し, その前 に 「 指 導」 の意味 につ いて 吟味 して お きたい。. 指導 とは何か. 「 指 導 」 とい う言 葉 は わ が 国 に お い て ,さ ま ざまに 使 われ て い る。思 い 浮 か べ られ るま ま に列 挙 す る と,「 指 導 す る」,「 指 導 法」,「 指 導 目標 」,「 指 導 者 」,「 自己指 導 」,「 指 導 教授 」,「 指 導 教官 」,「 指 導 主 事 」,「 教 育指 導 」,「 行 政指 導 」,「 生 産指 導 」,「 学 習指 導 」,「 指 導 案 」,「 学 習 指 導 要 領」,「 指 導 要 録」,「 生 活 指 導 」,「 教 科指 導 」,「 算 数指 導 」,「 集 団指導 」,「 個 人 指 導」,「 生 徒 指 導 」,「 学 生 指 導 」,「 職 業指 導 」,「 指 導 原 理 」等 が あ る。 これ らに おいて「 指 導 Jの 語 は必 ず しも同 じ意 味 に用 い られ て い るとは 限 らな い 。 これ らを英 語 に訳 して み る とそ の こ とが よ くわ か る。例 え ば ,「 生 徒 指 導 」 は英 語 の ``guidance'9に 当た る もの とほ ぼ考 え られ て い る。「 職 業 指 導 」 は それ の一 種 で “VOCatiOnal guidance"と ょばれ て い る。 「 学 習指 導 」 はか つ て「 教授 」 と よばれ た もの を ,児 童 中 心 の 見 地 か ら「 学 習 」 とよん で み る と これ も行 きす ぎだ と して再 修 正 され て 用 い られ るよ うに な った と され.

(3) 牧 野 宇 一 郎. て お り1),``teaChing"と か ``inStnuction"と か訳 され る ことが多 い よ うで あ る。だか ら この語 は しば しば,「 生徒指導 」ない し「 生活指導」を含 まな い とされ る。 これ は「 学習」 の語 の意味 の矮小化 を招 くお それがあると思 う。 ただ ,「 学習指導要領 」 の 中 の「 学習指導 」 はそ のよ うには使 われ ていない。 なぜ な ら前者 は “a cOurse Of study"と して , 学習全体 の指導 の要領 を意 味す るか らで あ る。「 指導主事 」は “a superviser"で あ る。「 指導教官」 は,指 導 の直接 の責 任者 と して の 担 当の教官 とい う通常 の 用法 の他 に, “a guidance teacher''ゃ. ``an academic adviser"に 当た る専 門的用法 がある。. これ らの こ とは教 育 関係 の 内外 の辞典 を少 し調 べ ればわか る。 「 指導」 の意味が多様 に理 解 されてい るためか ,こ の語 の単 独 の見 出 しは, 辞典類 に もあま り載 っていない。 阿部重孝他編『 教育学辞典 』 (岩 波書店. ,. 昭和 12年 )に はそ の見 出 しがあ って ,独 語 の ``Fthrung''が 当て られ てい る。 ここで は「 指導」 がまだ大変狭 く理 解 されていて ,今 日で はほ とん ど問題 に な らないよ うに思 われ る。 「 指導す る」 に相 当 す る 英語 と しては, ``lead,"“ guide,"“ conduct,'' ``direct"“. manage"な. どがす ぐ思 い浮 か べ られ るが,こ の うち学習活動 に. 働 きか けて 学習 に影響 を及 ぼそ うとす る行 ないを最 もよ く表 わす語 は, “方 向づ け る"と い う字義を もつ “direct"だ と思 われ る。他 の語 は,こ の語 の 意味 の一部 を表 わす もの と考 え る こ とがで きる。 “guide"に も同様 の ニ ュ ーア ンス があ るが,既 有 の性 向を助成す る感 じが 強 く,性 向を大 いに変化 さ せ るとい う意図を 合意 しに くい うらみがあ る。 他 の “lead"(先 導す る), “conduct"(指 揮す る),“ manage"(管 理 す る)は みな,学 習 へ の影響 よ り も学習活動 へ の働 きか け方 を表 示す る こ とに重点 がおかれてい るよ うに思 わ れ る。 “direct"は , 動詞 と して , 行動 や活動 を―一 したが って 学習活動 を一一 援助 した り統御 した りす る意味だ けでな く,意 図的 に性 向 の変様一― す なわ 1)日 本 教 育社 会 学会 編『 新 教 育 社 会 学 辞典 』東 洋 館 出版 ,1986年 。 五 十嵐 顕 他 編『 岩 波 教 育 小 辞典 』岩 波書 店 ,1982年 。.

(4) 78. 指導の本性について (I). ち学習 ―一 に影響 を与 え るとい う意味を十分 に もってい るよ うに思 われ る。 それ は同義語 と して “inlueuce,''``pi10t,''“ pOint,''“ teach," adress," “govern,''``manage,''``commaudメ '``adViSe,''``leVel,''``train''等 があげ 2)こ. られ てい る. とによ って も察 せ られ る。. デ ューイ(J.Dewey)は ``direction"を “guidance''と ``cOntrOl''の 中間 に 位置 づ け,「 directionは … directさ れ る者 た ちの活動的 な諸 傾 向が …一 定 3)」. の連続 的な コースに導 かれ るとい う事実を示唆す る. との べ てい る。 ここ. に,「 活動的諸傾 向」 とあるのは結 極 ,活 動 的な諸性 向で あ る。 “direction" はだか ら性 向 の方 向づ け と して ,性 向 の変様 に影響 を与 え る作用 と見 な され てい る こ とにな る。上 の文 の 引用箇 所 の近 くには ,そ の語 が諸活動 を方 向づ け る意 味 に用 い られ てい る例 も見 られ るが ,彼 に とって適切 な方 向づ け にお いて は性 向 と活動 とが相 即す るよ うに行 なわれな けれ ばな らな い ことを考 え ると,そ れ も不思議 で はない。私 は しか し「 指導 」 の 目的な い し意 図 と して は,活 動 と区別 された性 向 の方 向づ けだ けを採用 したい。そ して活動 へ の働 きか け は「 指導 」 の手段 と考 えたい ので あ る。デ ュー イに とって も性 向 の変 様 は直接 にはで きな いので あ るか ら,directionも 当然 ,相 手 の環境 へ の. ,. したが って また それ と相手 との相 互作用 た る活動―一 私 のい う「 学習活動 」 一一 へ の働 きか けを通 してでな けれ ば行 なわれないので ある。 だか ら私 は「 指導」を英語 の “direction"に ほぼ相 当す るもの と考 え ,こ の ``direction''を デ ュー イが考 えて い るよ うな意味 に解 した い。 ただ私 はデ ュー イが「 指導 と しての教育 (Education as Direction)」 を『 民 主主義 と教育 』 の第 二 章 の表題 と してい るよ うに,「 指導 」を「 教育」 の一 様 式 と見 なす ことには賛成 しな い 。 私 は「 教育」 と「 指導 」 とは,混 同 または同一視す る ことな く,は っき り 区別 して用 いたい と思 う。指導 も教育 も,教 育本体 た る学習者 にお け る学習 グ οηα′GⅣ ιrη α″ 2)ROgα 'S」 レ″ 1962, 隻 学。. 3)J.Dewey, Dθ ηzθ θ7η り. sα. αγπs, Third Edition, Crowell Co.,New York,. 'ι. οη, The Macmillan Co。 ,1916, p.28. αι グ αηグ Eグ πε.

(5) 牧 野 宇 一 郎. 79. の生成 に 関わ る働 きで あ り作用 で あ る。 と ころが教育 は無意 図的 に行 なわれ る こ とがあ りうるのに,指 導 はいつ で も意 図的 で ある。 この一 事 か らで も両 者 が同 じでない こ とは明 らか で あろ う。教育 は個人 に性 向 の変様 た る学習を 生ぜ じめる一 切 の働 きで あ る。指 導 は教育 の一 要 因 と してのみ働 くことがで きる意 図的な作用 で あ る。 それは必 ず相手 に学習 を生ぜ じめよ うとす る意 図 を も って行 なわれ る。 それ は人 間 による意 図的行為 と して人 為 で ある。人為 でない指導 はあ りえな い。教育 も指導 も個 々の人 間 に対 して行 なわれ るが. ,. 指導 が必ず人 間 によ って意 図的 に行 なわれ るのに対 し,教 育 は人 為 た る指 導 な しに も成立 し,ま たそれを合む場合 で もそれ に尽 きるもので はない。それ は指 導者 と しては働 いていない周 囲 の人 々や本人 の作用 を含む だ けでな く. ,. 物 理的 環境 の作用 を も含ん でい る。 だか ら「 生活 が教育す る」 とか「 コ ミュニ ケ ー シ ョンが教育す る」 とかい う こ とはで きる。 しか し「 生活 が指導す る」 とか「 コ ミュニ ケ ー シ ョンが指 導す る」 とかいえば語弊 が生ず る。学校 は教育す るが ,指 導す るの は学校 全 体 とい うよ りも教師 であ る。教師 は指導す るが,教 師 だ けで 教育す る こ とは で きない。教師 は指導 を引 きうけ る ことを通 して教育 に参加す る生徒 ,教 師. ,. 職員 ,校 舎 その他 の物的環境 とい う諸要 因か ら構成 され る生徒 の学校生活 が 生徒 を教育す る。 「 子 ども中心 の教育」をいか に 叫 んで も,そ の「 教育」 が人 為主義的 に理 解 されてい る限 り,子 どもは被教育者 にす ぎず教育 の本体 と して位置 づ け ら れ る こ とはで きない。教 育 その ものが子 ど も中心 と して捉 え られ るときには じめて ,そ れ に参加 し奉仕す る指導 も子 ども中心 の作用 とな る ことがで きる ので はなか ろ うか。 「 自己指導 」 の語 は「 自己教育」 よ りもず っと分か りやす い。なに人 も自 己に対す る教育 を 自分 だ けで担 う こ とはで きないが,自 己の学習 へ の指導 は 自分 だ けで行 な うよ うにな る こ とがで きるか らで ある。 それ は他人 か らの指 導 を受 け なが らで も,そ れ と両立 して行 な う こ とがで きるで あろ う。学生 は 教師 の指導 を受 け なが ら,自 分 の学習活動 を工夫 し,資 料 な ども自分 で探 し.

(6) 80. 指導の本性について (I). て 研究す る。デ ュー イは『 学校 と社会 』の第一章 の末尾 で ,学 校 は「 よ り活 動 的 ,表 現 的 ,お よび 自己指導 的. (self‐. directive)諸 要 因 の導入 」を図 るべ き. だ といい,ま た 「 奉仕精神」と並 んでは「 有効 な 自己指導 の諸器具 (instruments of erective self‐ direction)」. を身 につ け させ るべ きだ ともい ってい る。子 ども. た ちが 自ら作業や行 事 のスケ ジ ュール を組 む よ うにな るのは,学 習活動 が 自 己指導 的 にな る例 で あろ う。 教育 はいつ で もど こで も,指 導 がない ときで も行 なわれてい るが,指 導 は 必 ず教育 にお け る人 為的要因 と して行 なわれ る。だか ら次 の二 つ の こ とがい え るで あろ う。一 つ は,指 導 に対 して は「 教育 にお け る」 とい う修飾語 は実 は 要 らな い とい う こ とで ある。教育 に属 して いない指導 はあ りえないか らで あ る。「 学校 にお け る指導」,「 家庭 にお け る指導」,「 生産現場 での指導」 な どの表現 はみな正 当で あ る。 しか し「 教育 にお ける指導 」 とい ういい方 は重 複 的で冗漫 で あ る。われわれは それの代 わ りにただ「 指導」 といえば よい こ とにな る。「 教育指導 」 とい う言葉 が昭和五〇年以来用 い られ ていて ,主 任 の よ うな「 中堅教師 」 が,「 子 どもの指導 に直接 かかわ る教師を指導す る」 4)。. こ とを意味す るといわれ てい る. これは「 教育 にお け る指導」 の意味 で は. ない とい う点 では妥 当で あ る。 しか し一般 の教師が生徒 を指導す るの は「 教 育」 で ,中 堅教師が後輩教師を指導 す るのは「 指導」 だ とい うのは一 貫性 を 欠 いた言語使用 であ る。 それは「 教育 」 と「 指導」 との混同 の一 例 だ とも見 られ よ う。両者 を区別す る立場 か らは,そ れは「 指導法 の指導」 とか「 教師 指導」 とかい う別 の表現 にお きか え られねばな らない。 もう一 つ の帰結 は,指 導 は意図通 りの学習 が成立 しな くて も行 なわれなか った とはいえな いだろ うとい う ことで ある。指導 は行 なわれて も成功 しない こ とがあ るのであ って ,成 功 しないか らとい って指 導 その もの まで行 なわれ なか った とい う こ とはで きないだ ろ うとい う こ とで ある。指導 が意図す る学 習 を成立 させ るのは教育 で あるが,教 育 には指導以外 の要 因が働 いてい るか. 4)上 寺久雄『 教 師の心・ 教 師の顔』教育開発研究所 ,昭 和61年 ,pp.94f..

(7) 牧 野 宇 一 郎. 81. らで あ る。それ に指導 の主体 は一人 とは限 らな いか ら,指 導 の意 図 とい って も特定 しがたい場合 があるとい う事情 もあ る。教育や教授 は学習 の成 立 な し には行 なわれた といえない であろ うが,指 導 につ いてはそれが行 なわれ たの に意 図 された学習 は生 じなか った とい う こ とがあ りうるのではなか ろ うか。 この点 を もう少 し考 えてみ ると,「 教授」 の語 は過程 だけでな く結果 に言 及す る成功語 で あ るか ら,何 か あ る学習 を相手 に達 成 させ終 え る こ とな しに 彼 を教授 した とはいえない。 しか し教授 は指導 に属 してい る。だか ら教授 目 標 が達成 されなか った ときは ,あ る こ とを教授 しよ うと指導 したが ,教 授す る こ とがで きなか った とい う こ とがで きる。「 教 え る こ と」や「 陶冶 」 につ いて も同様 に考 え られ るで あろ う。「 管 理」 の語 は これ に反 し,結 果 た る学 習 の成立 に言及す るので はな く,相 手 の活動 を外 か ら規制す る こ とを意味す る。 それゆえ管 理 は ,相 手 に学習 を生ぜ じめ る意図 の下 に行 なわれれば指導 に属す が ,そ うでな ければ指導 に属 さない とい う こ と にな る。指導 に属す管 理 の指導意 図は いつ も実現す るとは限 らない。 だか ら この管 理 は成功 しなか ったか ら行 なわれ なか った とい うわけ にはいかない。 つ いでに もう少 し指導 の部分 的機能 につ いて考 えてみ よ う。 まず「 訓練 」 とか「 鍛練 」 とか よばれ る もの は ,相 手 に一 定 の学習 を させ るために相手 の 学習活動 に働 きか け る こ とで あ り,こ の意味 で指導 に属 してい るが ,相 手 の 活動 を特 に学習活動 プ ロパ ー と して 促進す る ものだ といえよ う。 また「 ガイ ダ ンス」,「 補導」,「 相談」,「 生徒指導」,「 生活指導」 な どとよばれ る ものが ある。 これ らは学習者 の 自発性 を重 んず る こ とに特 に留意 し,よ り適 切 な学 習活動 を彼 自身 に採択 させ ,こ の採択過程 を通 して ,ま た採択 された活動 の 遂行 を通 して ,彼 の性 向 の変化 た る学習 が生 ず る こ とを期待す る作用 だ と解 され る。生徒 は学校 での学習活動 プ ロパ ーについて「 ガイダ ンス」 を受 け る こ と もあるが ,友 人 関係や就職 につ いて「 相談 」を受 け る こ ともあ る。 この 場合 に取 り組 まれ るのは主 と して学習活動 イ ンプ ロパ ー だ といえよ う。 どち らの種類 の指導 も,あ ま り成功 しない こ と もあ るであろ うが ,だ か らとい っ て指導 自体 が その場合 は行 なわれなか ったのだ と断ず るわけ にはいかないで.

(8) 指導 の本性 について. (I). あろ う。 さて「 学習指導」 は これ らす べ ての作用 を含めて表 示す る こ とがで きると 私 は思 う。「 教授」,「 訓練」,「 生徒指導」,「 生活指導」,「 ガイダ ンス」,「 相 談」,「 補導」,「 管 理」 はみな学習指導 に属す る作用 を表 わす こ とがで きる。 これ らに専 門 の担 当者 が配 されて も,そ れ はその 作用が学習指導 でな くな る とい う こ とではない。あ る特定 の指導行 為 を独立 させて「 補導」 とよんだか らとい ってそれが指 導 に属 さな くな ったわ け ではないので あ る。 しか も これ らは相互 にさえ独立 であ るとは限 らない。例 えば教 師 は教授 に際 して も管 理 をす る。出欠 を とった り,規 律 を取 り締 ま った りす る。「 教授 」 の 中 に「 管 理 」が含 まれ てい るわけであ る。ただ ここで 問題 にな るのは ,「 学習指導」 と「 単独 に行 われ る管理 と して の指導」 との 関係 である。 私 は さき程 ,管 理 には指導 に属す る もの と指導 の外 の もの とが区別 で きる とい った。学習 のためではな く,例 えば経 済 的 目的 のために行 なわれ る管理 もあ る。 これ は指導 ではない。相手 に学習 を生ぜ じめ る意 図 で行 なわれ る管 理 だ け が指 導 に属 してい る。 と ころで この指導 と して の管 理 に,さ らに二 種 が区別 で きる。 その一 つ は前 のパ ラグ ラフで 触れたよ うに,教 授 な ど何で あ れ学習指導 に属す る作用 に含 まれ て 機能 してい る管 理で あ る。 もう一 つ は. ,. 学習指導 の外 で 機能 してい る管理 で ある。教育委員会や校長が校舎 を修理 し た り,教 員を転勤 させ た り,学 級定員を変更 した りす るのは ,そ の例 であ る。 なぜ な ら こ うい う仕事 は ,子 ど もた ちの学習 の 向上 の ために子 どもた ち個 々 の学 習活動 を直接変化 させ るとい う意味 で指導 に属 してい るが ,行 政的な管 理 者 は子 どもた ちと接 しなが ら指導す るのではないので ,こ の管 理 は指 導 に は属 して も学習指導 には入 らな い と考 え られ るか らで あ る。 この管 理 は学習 指導 (ま たはそれ の部分的指導 )に 含 まていないで ,単 独 で行 なわれ る指導 的管 理 なのであ る。 この こ とのためにわれわれは ,指 導 の最 も大 まかな区分 と しては ,単 独 に 行 なわれ る管理 と学習指導 とを認 めな ければ な らない。指導 の本体 とで もい うべ きものは もちろん学習指導 で あ って ,単 独 の管 理 はそれを補助す る もの.

(9) 牧 野 宇 一 郎. で あ る。 と ころで「 学習指導」 は文 字通 りには学習 を指導す る こ とを表 わ してい る ので ,学 習 が 直接 的 に指導 で きるか の ご と く錯覚 させ る危 険 が ある。だか ら われわれは この用語 の ニ ューア ンス を次 のよ うな もの と理解す る必要 が あ る。 そ して この こ とは ,学 習指導 と単独 の管 理 との 関係を具体 的 に捉 え る上 で も 必要 な ことであろ う。す なわ ち「 学習指導 」 とい う用語 は ,相 手 の学習活動 に参加 しなが ら,あ るいは 自己の学習活動 に相手 を参 加 させ なが ら,相 手 の 学習活動 を変化 させ る こ とによ って 相手 の学習 に影響 を与 え るとい う形 の指 導 を表 わす ので ある,と 。す なわ ち,学 習指導 は相手 との コ ミュニ ケ ー シ ョ ンを通 して行 なわれ る指導 だ と見 なそ うとい うので あ る。 この指導 において の み指導者 は学習者 と生活 ない し経験 を分担 し,学 習活動 の効果 た る学習 を 直か に見 とどけ る こ とがで き,し たが って学習活動 へ の働 きか けを学習 に照 ら しなが ら加減す る ことがで きる。学習指導 は「 参加型」 の指導 だ と特徴 づ け る こ とがで きるで あろ う。 そ うす れば単独 に行 なわれ る管 理 と して の 指 導 は「 非参加 型」 の指導 だ といえ る ことにな る。教師が生徒 を指導す るとき の指導 も,親 が 家庭 で子 どもを指導す るときの指導 も,主 と しては上 のよ う な意味で の学習指導す なわ ち参加型 の指導 だ といえよ う。 そ して通常「 指導 法」 とい うときには ,主 と して は参加 型 の指導 の方法 が問題 にされ て い る。 以上 によ り「 指導」 は 自己指導 の場合 も他人指導 の場合 も,相 手 の学習 に 影響 を与 え る一― したが って 新 しい学習を もた らす一一 ために ,相 手 の学習 活動 に変化を与 え一一 したが って 新 しい学習活動 を遂 行 させ一一 る働 きを意 味す る,と いえ る。だか ら指導 にお け る最 も一般 的な格率 は ,相 手 の学習 の ために必要 な相手 の学習活動 を ,そ れ の構 造 に即 して十分 に遂 行 せ じめよ. ,. とい う ことで あ る。以下 い くつ か の節 にわた って ,日 頃見す ご されが ちな指 導方法 上 の 問題点 を取 り上 げて ,で きるだけ具体 的 に考 えてい こ うと思 う。 私 は こ うす る こ とによ って指導方法 に関す るい くつ か の格率 ない し留意点 を 提示す る こ とがで きるあろ う。 しか し今 の と ころは学習 の一一 したが って教 育 の一一 理想や価 値 の 問題 は論外 と してい るので ,指 導 につ いて も十分 に 問.

(10) 84. 指導 の本性 について. (I). 題 とな し うる の は ,究 極 にお い て は それ の 有 効 性 だ け な の だ とい う こ とを 断 わ って おか な けれ ば な らな い 。. Ⅱ。指 導 目標 と学習活動. 先 の考察 か ら明 らかな よ うに,指 導者 は指 導 に際 して は相手 に何かあ る学 習 を生ぜ じめよ うとい う意図を もって 相手 に働 きか ける。 この意 図 ない し目 標 を もつ こ とは指導 の特質 で あ るか ら,そ れ は「 指導 目標」 とよぶ こ とがで きるで あろ う。 と ころで問題 は ,指 導者 は親 で あれ ,教 師 であれ ,そ の他 ど の よ うな人 であれ ,自 己 の指導 目標 を相手 た る学習者 に知 らせ た り,理 解 さ せ た り,強 要 した りす べ きで あ るか ,と い う こ とで ある。学習者 が あ る学 習 を主 目標 に して ,あ る活動 をす る ことはよ く行 なわれ ,そ の活動 を学習活動 プ ロパ ー とい って きたが ,相 手 が学習 目標 よ りもそれ 自体 の 目標 で行 な う こ とがで きる活動 を,す なわ ち私 が学習活動 イ ンプ ロパ ー とよんで きた相手 の 活動 を ,わ ざわ ざ学習活動 プ ロパ ーに変 え させ る必 要 が あ るだろ うか。 この よ うな問題 は決定的な解答 を出 しに くいか も しれないが ,一 般 的な傾 向 と し て ど う処 理 した らよいか とい う こ とは考 え られ るであろ う。 あ る商家 の 中学生 は学校 か ら帰宅す ると,夕 食前 一 時間半 ほ どを 家事 の手 伝 いをす る ことに して い る。夕食以後 の団 らん と打 ち合わせ の あ とで ,彼 は 勉 強 のために 自分 の机 の あ る部屋 へ 行 く。家庭生活 の 中 に彼 の活動 (学 習活 動 )が 組 み こまれ て い る。 この よ うな場合 には ,親 子 は生 活 目標 を一 に して い るので あ って ,「 親子 の 断絶」 とい った問題 は起 こ りに くい。親 は 自己が リー ドす る家庭生活 に息子 を参加 させ る ことによ って一 つ の学習活動 を提 供 してい るのであ って ,こ の活動 が息子 に家庭 や両親 へ の理 解 や分担能力 を 自 ず と学習 させてい る。 いわゆ る勉 強以外 に大切 な学習活動 の あ る こ とを感 じない親 が ,自 分 た ち が天手古舞 で働 いていて も,子 ど もには何 の手伝 い もさせ ず ,勉 強を見 てや れな い償 い と して個室 は もちろん金 と暇を与 えて放 任す るな ら,よ ほ ど しっ.

(11) 牧 野 宇 一 郎. か りした子 ど もか ,他 によい指導者 を もってい るかでない限 り,親 子 の 断絶 は避 け られな いであろ う。子 どもは親 に 当然話す べ き こ とも話 さな くな るで あろ う。 と ころで家事 を息子 に手伝 わせ る親 は ,息 子 が手伝 うのを喜 ぶだ け でな く. ,. 家事 を手伝 わせ るのは家庭生活 や 商売 につ いて学習 させ たいか らだ ,な どと 告 げ るべ きだ ろ うか。親 がか りに こ うい う指導 目標 を も っていた と して も. ,. それを告 げ る こ とは多 くの場合望 ま しくな いのではなか ろ うか。 それは相手 の性 向 に直接働 きかけ るか ら,い きお い学習 を強要す る形 にな るか らで ある。 学校 で は子 ど もた ち も,学 習 の ために勉 強 してい るのだ とい う ことを感 じて い る。 しか しそれで も教師 は ,学 習意欲 を高 めよ うと した り,学 習 を要求 し た りす るよ りも,そ れ に導 く学習活動 をそれ 自体 の興味 と目的 の下 に実行 さ せ るよ うに取 り計 らう方 が得策 ではないだ ろ うか。子 どもに凧 を作 らせ ると き,こ の作業 が どんな学習 を もた らすかを子 どもに納得 させ る必要 が あ るだ ろ うか。外 国語 教授 もわが国 では ,生 徒 た ち にあ ま りに学習活動 プ ロパ ー を 要求 しす ぎる傾 向が あるのではなか ろ うか。 若 い夫婦 が二 歳 の わが子 を準備 ので きた食卓 にす わ らせ ,「 さあいただ き ます を しま しょう」 といいなが ら, 自分 た ちが 手 を 合 わせて「 いただ きま す」 とい う。子 どもが唱和 しない ので ,ま た同 じ こ とを繰 り返す 。食事 ごと に この よ うにす るが ,な かなか効 目がない。 つ いに親 は ,「 いただ きます と いわな けれ ば食 べ てはい けません」な どとい うよ うにな る。 この種 の光景 は よ く見 かけ ると ころであろ う。 幼児 は両親 と生活 を共 に したい ので あるか ら,両 親 が幼児 を交 えて楽 しく 食事 しさえすれば ,幼 児 は 自ず と両親 を見 習 うは ず で あ る。両親 と同 じ仕方 で 食事す るよ うにな るとい う場面変換 を幼児 が望 む よ うにな るや否や ,そ れ のための試行 を 自ら始 め るにちがいない。 こ う して幼児 は両親 が望 む習慣 を 身 につ け るであろ う。思 うに これが成 功 しない のは ,両 親が しつ け よ うとす る熱心 さの余 り,幼 児 に学習 を ,す なわ ち しつ け られた状態 にな る こ とを強 要す るか らで ある。学習 へ の 強要 は必要 な学習活動 をかえ って困難 にす る。.

(12) 86. 指導の本性について (1). それは稲 の穂 を絶 えず 引 っ張 り上 げ るのに似 てい る。 こ うされ ると,稲 は 自 ら呆 た したい生育活動 をす る暇がな くな って しま う。 親が子 どもにか くか くにな って ほ しい と希 望 を の べ た り,自 分 が厳 しい態 度 を とってい る意 図や 理 由を話 して きかせ た りす るの も,学 習 へ の 強要 また は学習意欲 の 喚起 とい う意味を も った作用 であ り,子 ど もの性 向へ 直接働 き か け よ うとす る こ とだ といえよ う。 ドラマ の 中 で もよ く,「 お母 さんはね. ,. あなた にただ真面 目にな って もらいた いか ら こそ ,こ うす るんだよ」 とい っ た風 なせ りふが 聞かれ る。 昔 は心や性 向へ , したが って 学習 へ ,直 接働 きか け よ うとす る努力が盛 ん に行 なわれ た。正 直 だ とか ,誠 実 だ とかの徳 目が直かに要求 された。説 教や 教訓 も,青 年期以 後 にな って相手 が 自らそれを求 め るときには ,発 奮 のよい 機縁 とな る こ と もあろ う。 “BOyS be ambitious!"の 訴 えは 若者 の 琴線 に 触 れ る もので あ った。 しか し思 うにそれは ,そ れが 平常鼓吹 され る小心 よ く よ くた る諸 徳 目をむ しろ打 ち払 う性格 の ものだ ったか らで あろ う。 しか も本 当の賢者 は滅 多 に説教 しない のではなか ろ うか。偉大な師は弟子 に修業 させ 自ら悟 らせ る。求 めて もいないの に他 人 か ら直接加 え られ る説 教は強要 と感 ぜ られ ,か え って学習者 の反発 を招 くもの と思 われ る。 も し子 どもが正 直 に しな さい とか ,真 面 目にな りな さい とかいわれてそのよ うにな るな ら,指 導 とは何 と簡単 な こ とであろ うか。だが人間 の心 や性 向は ,強 要 された通 りに 方 向づ け られ るよ うにはで きていない。それは あたか も走 ってい る自転車 を 右 に 向け よ うと して ハ ン ドル を右 に切 るだ けでは ,か え って反 対側 に倒れ る よ うな もので あ る。 生活 を共 に していれば相手 は学習活動 イ ンプ ロパ ー を通 して無 理 な く学習 す るの に,外 か ら学習を強 い ,折 角 のその活動 を学習活動 プ ロパ ーに転換 さ せ よ うとす るのは ,誤 った指導法で あ る。 自分 の指導 目的を学習者 に徹底 さ せ るな どとい うのは ,一 般 に指導 の本性 に反 した「 きれい ご と」だ とい う こ とにな るで あろ う。 デ ュー イは厳密 にいえば何物 も他人 か ら詰 め込 まれた り押 しつ け られた り.

(13) 牧 野 宇 一 郎 5)が. す る こ とはで きない とい ってい る. ,思 うに根本 の理 由は何物 も,本 人 の. 学習活動 の結果 と して以外 には学習 されないか らで あ る。 あ る家庭 で幼児 におむ つ を外 させ るため ,時 間を見計 らって居 間 の便器 に す わ らせ るが何十分 た って も駄 目で ,親 が便器 か ら離 した とたん に幼児 は漏 ら して しま うとい う こ とが あ った。幼児 は木馬 にで も乗 ったつ もりだ った の か も しれない。彼 は親 か ら何 か説 明を され ,「 しっ. l. しっ. l」. な どと側で. いわれて も,何 の こ とか よ くわか らなか った で あろ う。 なぜ な ら彼 は ,両 親 も兄弟 も居 間 の 中 で用 を足す の を見 た こ とがなか ったか らで あ る。 この こ と に気 づ いた母 親 が ,自 分 が用 を足す度 ご とに幼児 を トイ レに同行 させ た と こ ろ ,や がて幼児 が 自分 か ら「 トイ レ」 を予報 す るよ うにな った。 これは結果 的 には模倣 で あるが ,過 程 と しては倉J造 であ る。なぜ な ら幼児 は親 との コ ミ ュニ ケ ー シ ョンの 中 で 後者 の行動 を経験 的 に感得す る こ とによ り,無 自覚 的 にせ よ同様 の行動 がで きるよ うにな るとい う場面変換 の要求 を もち,そ れを 満 たす ため の試行 を したか らで あ る。彼 は 自己 自身 の この学習活動 によ って. ,. 自己 に とって新 しい行 動 を生 まれては じめて 為す こ とがで きるよ うにな った ので あ る。幼児 の この行動 は 強要 された ものでな く,親 と目的を共有す る 自 主 的活動か ら自然 に生 じた もので ある。だか らそれは幼児 の 中 に新 しい学習 が生 じた こ とを物語 ってい る。だか ら指導者 は相手 に学習 を強要 した り,学 習 意 図を もたせ た り,学 習 意欲 を高 めた りす る代 わ りに,問 題 の学習 に導 く 相手 の学習活動 が可能 にな るよ うな 共 同生活 をす る方が よい。 M.ト ケ イヤ ー氏 によれ ば ,ア イ ンシ ュタイ ンは勉 強 はで きなか ったが ,非 常 に好奇 心が 強 か った。そ して概 して ユ ダヤの母親 は 日々実験 を してい るよ うな ,例 えば 「 毎 日,新 しい料理 を実験 的 につ くってみ る」 よ うな暮 し方 を してい るとの こ とで ある6)。 私 は ,学 習 を主 目的 と して行 な う活動 を「 学習活動 プ ロパ ー」 といい ,学 習以外 の主 目的 の下 に行 なわれ る活動 を「 学習活動 イ ンプ ロパ ー」 とよんで ′ ο2,p.31. ηグ Eグ πθ αι zθ ttα り α ケイヤー,加 瀬英明訳『 日本 には教育 がな い』,徳 間書房 ,1951,p.145。. フε 5)J.Dewey,Dι タ. 6)M.ト.

(14) 88. 指導の本性について (ェ. ). きてい る。人 々は学 習 とい う成果 は ,学 習活動 イ ンプ ロパ ーに よ って よ りも 学 習活動 プ ロパ ーに よ って の方 が よ りよ くあげ られ ると想像す るか もしれ な い。 しか し,幼 児は母 国語 を学習 しよ うと して学習す るので はない。 またわ れわれは趣味で何かをす るときは ,多 くの場合 ,学 習 の意図で行 な うのでは ない のに莫大な学習 をす る。研 究者 は学習 のため とい うよ りも,発 見や発 明 の ために創造す る。結果 と して彼 は多 くの学習をす る。だか ら概 して ,よ り よ く学習 に導 くのは,学 習活動 プ ロパ ーよ りも学習活動 イ ンプ ロパ ーだ とい えよ う。 これは誠 に逆説 的 に見 え る。特 に学校 は学習活動 プ ロパ ーの組織化 によ っ て 成 立す るよ うに思 われ るか らで あ る。 しか し教師 に とって子 どもに望 ま しい学習を もた らす と思 われ る活動が. ,. 子 ど もに とって もそ うい う学習 を意 図 した活動一一 学習活動 プ ロパ ーーー で な け ればな らな い とい う こ とはない。む しろ望 ま しい学習 を もた らす と ころ の学習活動 イ ンプ ロパ ー を もって 学校 を組織す る こ とがで きればで きるほ ど. ,. 学習効 果 はあが るといえ るで あろ う。生活教育 が 尊 ば るべ き理 由 の一 端 は こ こに あ ると思 う。 なぜ学習活動 プ ロパ ーよ りも学習活動 イ ンプ ロパ ーの方 が学習 に対 して効 果的 で あ るか。それは学習活動 には 固有 の 目的が あ って ,学 習を もた らす こ とを期 待す るのは二 次的 な 目的 だか らで あ る,言 語 活動 の 固有 の 目的は コ ミ ュニ ケ ー シ ョンとか表現 とか に存す る。言語 を学習す るとい う目的は二 次的 な ものだ といえ よ う。いかな る学習活動 もそれ に固有 の 目的 のみで行 なわれ る方 が力 強 く真剣 な もの とな り,し たが って 学習効果 も大 きい のでは なか ろ うか。 ル ソーは次 のよ うにの べ てい る。「 われわれ の教授上 の ,ま た衡学的な癖 はいつ も,子 どもた ちに 自分 自身 でな らず っとよ く学習す るであろ う こ とを 教 え るとい う こ と,そ してわれわれだ けが彼 らに教 え る こ とがで きたで あろ う こ とを忘れてい るとい う こ とで あ る。彼 らに歩 くこ とを教 えよ うと して 骨 ・歩 くこ とを下手 に教 え られたため 折 る こ と以上 にばか げた こ とが あ るか。 ….

(15) 89. 牧 野 宇 一 郎 7)」. 一 生 下手 に歩 く人 が どれ ほ ど見 られ る こ とか。. 教 えな くて も子 ど もが ひ. と りで に身 につ け る こ とを教 え るのは ,無 駄 で あ るばか りか有害で あ ると主 張 されてい る こ とがわか る。 教 え るとい う こ との意味 もさまざまで ,「 道 を教 え る」 の ごと く,単 に告 げ報 らせ るとい う場 合 もあ る し,逆 に何 も告 げ報 らせ る こ とな しに相手 に何 かを学習 させ るとい う場合 もあ る。子 ど もが 自分 自身 で歩 くこ とを学 ぶ の を 妨 げず ,周 囲を整備 した り,戸 外 につ れ 出 した りしてその学習活動 を容易 に す るのは ,後 者 の意味で の 教 え る ことであ る。 この場合 の子 どもの活動 は学 習活動 イ ンプ ロパ ーで ある。子 どもは歩 き方 を学 ぼ うと して 歩 くのではない。 歩 くこ と自体 が面 白 く,身 体 を動 かす こ とが快 くて 活動す るので ある。歩 き 方 の学習 は結果 にす ぎない。 ル ソーが戒めてい る教 え る こ とは ,手 を とって や った り,ほ めてや った りして歩 き方 を覚 え させ よ うとい う, したが って指 導者 の意 図が子 どもに察知 され るよ うな指導 で ある。 こ うい う場 合 には,子 ど もの方 も何 とな く学習 を意 図 した り意識 した りす るよ うにな るか ら,そ の 行動 は学習活動 プ ロパ ーの性格 を帯 びて くる。歩 くこと 自体 に見 いだ され る 内実的興味 は ,学 習 へ の意識 によ って殺がれ る こ とにな る。今 日,幼 児 に夜 尿 を しないよ うに言 い きかせ る こ とによ って夜尿症 を治 せ るな どと考 え る親 はいないで あろ うが ,他 の多 くの事項 において も事情 は似てい る ことを悟 っ て いない親 は少 な くな いのではなかろ うか。 ル ソーが ,子 どもたち に彼等 が 自分 自身 で学習 で きる ことを教 え るな ,と い っていた こ とは ,指 導 が不 要 だ とい う意 味 にはな らな い。幼児が歩 き方 を おぼえ るの には ,親 は幼児 の歩行 が学習活動 イ ンプ ロパ ー と して行 なわれ る よ うに幼児 との生活 ない しコ ミュニ ケ ー シ ョンを創造 し,幼 児 に歩行能力 が 学 習 しよ うとい う意 図な しに 自然 に結果 と して 身 につ くよ うに しなければ な らな い。 これは指導 なので あ る。 指導者 は相手 の学習活動 に働 きかけねば な らな いが ,で きる限 りそれを学. 7)J.― Jo Rousseau,ご η Jι ,Garnier,p.60。 zグ. ,.

(16) 90. 指導の本性について (I). 習活動 イ ンプ ロパ ー と して遂 行 させ るのが よい。親 が子 どもに家事 を手伝 わ せ ,教 師 が子 どもた ちと一緒 に何 かを作 った り研究 した りす る。共 同体的 な 楽 しい生活 が ,子 ど もは意図 しな い大切な学習を子 どもに もた らす とい う状 態が望 ま しい といえよ う。 したが って概 して指導者 は,こ とさ ら率先垂 範 し よ うとす るよ りも,一 緒 の生活 ない し経験 と して の コ ミュニ ケ ー シ ョンを形 成 し先導 しよ うと しさえすれば ,結 果的 によ く指導 した こ とにな るであろ う。 率先垂範 は ,指 導者 も被指導者 も同 じ種 類 の行動 を 為す べ きときのその行 動 につ いては ,指 導者 の 守 るべ き一 つ の格率 ,い や義 務 で あ るとさえいえ る か も しれない。 一 生懸命働 いて い る親 が ,息 子 に勉 強せ よとい って も別 に不思議 はない。 だが ,も し自らの定数 の是正 や削減がで きない議 員 が他 の一 般公務員 に行 政 改革 を要求す ると した らどうで あろ うか。指導者 は 自分が行 な ってい るの と 同 じことでな ければ被指導者 に要求 で きない ,な どとは もちろんいえない。 だが 自分が為す べ き こ とを為 さないで ,そ の 同 じ こ とを他 に求 め るのは ,指 導 では く支配 の態度で あ る。相手 に行 なわせ たい学習活動 を指 導者 がやむな く無 理 して率先遂 行 せ ねばな らな い ときが あ る。だが 余 り無 理 をす ると指導 者 は二重人 格的 とな り,学 習者 の活動 は学習活動 プ ロパ ーの性格 の もの とな るで あろ う。だか ら率先垂範 の意 識 な しに,自 然な コ ミュニ ケ ー シ ョを通 し て指導 がで きる方 が望 ま しい。 最 後 に本節 で一 言 した い こ とは ,他 人 の あま り望 ま しくない何 らか の活動 を止 め させ ,あ るいは予防す るには ,そ の活動 を しよ うと して い る個人 に直 接働 きかけてそ の活'動 を阻む のが最 も有効 だ し教育的で もあ るとい うこ とで ある。直接注意 したため に逆 に「 因縁」を つ け られ た りして 難儀 をす る こ と はあ る。だか ら見 て 見ぬ振 りをす る こ とな く個人 的 に直接忠告す る人 は勇 気 の あ る人 で あ る。計画 的 または性癖 による犯行 は別 と して ,う っか り犯 す程 度 の軽 い非行 につ いて は直接個人 的 に注意す る以上 に効果的な改善方法 はな いであろ う。なぜ だろ うか。思 うにそのよ うな問題行動 は生 活経験 にお け る 学習活動 イ ンプ ロパ ーで あ るが ,こ れが阻 まれ妨 げ られ るときには ,そ れ を.

(17) 牧 野 宇 一 郎. 駆動 して きていた生活 目標が達成 で きな くな る。 と同時 にそれが改 めて意識 的 に 明確 にな り,自 らの反省 の対象 とな る。阻 まれた のは行動 だけで あ るが. ,. そのためにかえ って 本人 は 自主 的 に反 省す る ことにな るので あろ う。 そ して 阻 まれ妨 げ られた の とは別 の活動 を始 め る ことにな るか ら,そ こに新 しい学 習 が生 ず るので あ る。 カナダを バ スで旅 していた とき,日 本 か ら来 た学生風 の女性 が ,道 路 わ き に 出て来 ていた野生 の 山羊 の群 を見 るや ,バ スの窓をあけて 紙 を投 げ与 えよ うと した。 と,後 ろ にいたア メ リカ人 ら しい年寄 りの女性 が「 やめな さい. ,. い けない」 と叫 んだ。 日本女性 はす ぐ,あ ,そ うだ った と気 づ いた様子 で 紙 を引 っ こめ た ので あ る。私 は老 女 の勇気 に感心す るとと もに ,若 い女性 が紙 を与 え るの を止 めて よか った と思 った。そ して彼女は一生 この ことを忘れな いだろ うと思 った。 今 日のわが国では ,こ の種 の光景 はほ とん ど見 られな い。 多 くの場合 ,管 理 責任 の あ る人 た ちさえ ,自 分 では何 も しな い し,部 下 に もさせ ないで ,た だ きれいな声 で 録音 した注意事項 を拡声装置 を使 って ひ っき りな しに放送す るだけで あ る。なぜ エ レベー タの乗 り方 や プ ラ ッ トフ オー ムでの待 ち方 まで アナ ウ ンス して注意 を喚起 しなければな らな いのだろ うか。あ る私鉄 は以前. ,. 列車 が止 まる前 にな ると, ドアが 開 くか らそのそば にい る人 は気 をつ けて 下 さい とい った風 の車 内放送 を行 な っていた。私 はそ の とき考 えた。 これは奉 仕精神 か ら行 なわれてい るのではないだ ろ う。 このよ うな注意 を して おかな い と事故が起 きた ときに会社 が相 当責任 を と らされ るか ら,そ れを避 け るた めではなか ろ うか。 も しそ うだ とす ると根 は裁判 に あ るのではないか ,と 。 これ らの事情 は調 べ た らわか るで あろ うが ,私 が問題 に したい のは ,こ うい う言葉 だけ の ,し か も機器 を通 して の ,そ して 不特定多数 に 向けての ,繰 り 返 し行 なわれ る事前 の注意 は ,人 々に何 を学習 せ しめ るか とい う こ とで あ る。 この種 の注意 に耳 を傾 け,そ の指示 に従 う人 は ,い つ の間 にか ,外 か ら注 意 されない と 自分 では物事 を よ く判 断 して 自主 的 に行動す る こ とが で きな い よ うに習慣 づ け られ るのではなか ろ うか。 こ うい う人 た ちは室 内や車 内が い.

(18) 92. 指導の本性について (I). か に蒸 れて いて も窓を明け る こ とに気付かな いか ,気 付 いて も自分 では あけ よ うと しない で あろ う。反対 に ,こ の種 の注意 や指 示を余計 な うるさい音声 公害 の一 種 と受 け取 る人 は ,世 界 に類 を見 ないで あろ う こん な馬鹿 ら しさに 憤慨 して も仕方 がない と消極的諦観 の態度 を強め るであろ う。 日曜 に あ る公 園 へ 行 った とき,園 内 は家族連れ で に ぎわ って いた。森 の あ る方 へ 行 った と ころ,「 芝生 を大切 に しま しょう」 とか ,「 ごみを捨てない よ うに しま しょう」 とかひ っき りな しに ス ピー カーががな り立 てていた。 こ の音 こそそ こでの最 大 の公害 で あ った。それは少 数 の不届 き者 のために莫大 な数 の人 々を不必要 に苦 しめ続 け る一例で あ る。 このよ うな注意 は不届 き者 の性 向を改 め るまで の効果がな い。 つ ま り指導 と して成功 しに くい。ス ピー カーの声 を止 めれば ,ま た同 じよ くな い こ とが行 なわれ る。だか ら,ス ピー カーか らの 呼 びか け はいつ まで も続 け られねばな らな い とい う こ とにな る。 公衆道徳を もたな いのは公衆 ではな くて ,そ の何百分 の一 か の人 間 にす ぎな いのに ,こ の少数者 へ の指導 は行 なわれないで ,指 導 され る必要 の ない大衆 が音声公害 のよ うない っそ うの迷惑 を蒙 らされ るので あ る。 子 ど もの望 ま しくない行動 をた しな めて止 め させ るのは ,共 同体 の コ ミュ ニ ケ ー シ ョンか らはずれ よ うとす る行動か ら彼 を引 き戻す こ とで あ るか ら. ,. お とな の簡単 な注意 で指導 に十分 で あ る。 と ころが子 どもの性 向を非難 し説 教すれ ば ,そ れは指導者 の洞察 の誤 りを暴露す る危 険 があ り,そ の ときには い っそ う反発 を招 きやす い。 要す るに 日常 の指導 において指導者 は ,相 手 に積極的 に何 かを学習 させ よ うとす るときも,ま た 消極的 に既得 の性 向を改 め させ たい ときも,こ の指導 目標 を語 った り指導 の理 由を説 明 した りして 直接 に相手 の性 向を変様 しよ う とす るのでは な くて ,共 同生活 を分担す る形 で行 なわれ る相手 の学習活動 イ ンプ ロパ ー を統御す る こ とによ って ,間 接 的 にそ う しよ うとす るの が最 もよ い と考 え られ るので あ る。 学 問 においてで あれ ,芸 術 においてで あれ ,ま たその他 どんな領域 におい てで あれ ,著 名 な指導者 が一方 において 大変厳 しい とと もに,他 方 において.

(19) 牧 野 宇 ― 郎. 非 常 に暖か い もの を もって い るとい う話 を聞 くこ とが多 い。 も しこの二つ の性質 が全 く同 じ次元で作用す ると した ら,両 性質 を備 えた 人 の指導 は定 め し分裂 的 にな ることであろ う。だが じっさいにはそ うな らな いのは ,両 性質 は対象 を異 にす るか らだ と想像す る ことがで きる。す なわ ち 厳 しさは相手 の学習活動 に対 してで あ り,暖 か さは相手 の性 向 ない し心 に対 してで ある,と い うよ うに。 オ ー ケ ス トラの指揮者 が公 演 の前 に団員 と練 習す るのは公 演 を成功 させ る とい う ことを主 目的 に した学習活動 イ ンプ ロパ ーで あ る。指揮 者 が団員 のそ のよ うな活動 を洗練 す る点で厳 しく,学 習 に対 しては暖 か くあ るとき,彼 は 指導者 と して も適切 に振舞 って い る こ とにな る。. ― (続 く)一.

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90年代に入ってから,クラブをめぐって新たな動きがみられるようになっている。それは,従来の

( 同様に、行為者には、一つの生命侵害の認識しか認められないため、一つの故意犯しか認められないことになると思われる。

1 単元について 【単元観】 本単元では,積極的に「好きなもの」につ

■はじめに

賠償請求が認められている︒ 強姦罪の改正をめぐる状況について顕著な変化はない︒

2) ‘disorder’が「ordinary ではない / 不調 」を意味するのに対して、‘disability’には「able ではない」すなわち

下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ