究における「他者性」の問題
著者
真鍋 一史
雑誌名
関西学院大学先端社会研究所紀要 = Annual review
of the institute for advanced social research
号
4
ページ
1-20
発行年
2010-10-15
Ⅰ.はじめに
本稿の目的は、欧米社会学における宗教をめぐる概念(conceptualization)、命題(proposition)、 理論(theory)と、それらとは表裏一体の関係にある宗教意識調査の質問項目(question item)、指 標(indicator)、尺度(scale)、について、文献研究とコード・ブック(codebook)の検索にもとづ いて、概観と整理を試みるとともに、それぞれに対して時間的・空間的な比較――ここで時間的な 比較とは「経時的比較」を、そして空間的比較とは「文化比較/国際比較(cross-cultural comparisn/ cross-national comparison)」を意味している――の視座から検討を加えていくところにある。 いうまでもなく、このような概観と整理の試みは、どのような研究領域においても、それぞれの 研究者が、それぞれの研究の方位を定めるためにとる、いわば常套手段ともいうべきものである。 たとえば、筆者の書斎の書棚を少し見渡してみただけでも、そのような試みの例ともいうべき、つ ぎの2 冊の著作が目に入ってくる。一つは L. W. Milbrath、内山秀夫訳『政治参加の心理と行動』 早稲田大学出版部、1976 年で、もう一つは J. T. Klapper、NHK 放送学研究室訳、『マス・コミュニ ケーションの効果』日本放送協会、1966 年である。では、筆者が本稿でねらいとしていることと、 この2 冊の著作とは、全く同じ問題関心の線上にあるかというと、必ずしもそうとはいえない。こ の2 冊の著作がそれぞれの研究領域における主要な個別研究をほぼ網羅しつくして検討している大 著であるのに対して、筆者の試みは欧米における宗教研究と宗教調査のなかから、いくつかの代表 的な研究成果を選択的に取りあげて議論している小論にすぎないという点は別としても、さらに以■
論 文■
欧米社会学における宗教理論と宗教調査
――宗教研究における 「他者性」 の問題――
真 鍋 一 史
関西学院大学名誉教授(
青山学院大学総合文化政策学部教授)
■
要 旨■
本稿は、宗教意識をめぐる欧米社会学の概念、命題、理論と、それら とは表裏一体の関係にある宗教意識調査の質問文、指標、尺度ついて、文献研究とコード・ ブックの検索にもとづいて、概観と整理を試みるとともに、それぞれに対して時間的およ び空間的な比較の視座に立って、方法論的な検討を加えていくものである。最後に、それ を踏まえて、この領域における今後の研究の方向を示唆する。それは、宗教意識をめぐる 「理論」と「調査」の統合についての具体的な方略の必要性ということである。■
キーワード■
世俗化理論、宗教多元主義理論、宗教市場理論、宗派・教団、 宗教的実践、宗教的信念下のような違いが指摘できる。 (1)2 冊の著作が主として個々の研究結果にもとづく個別命題の統合と一般化の試みをそのね らいとしたのに対して、筆者は宗教、とくに宗教性(religiosity)あるいは宗教意識(religious consciousness)――日本では宗教性よりも宗教意識という用語が使われることが多い(対馬路人、 1993;西村明、2007)――に関する研究領域における、一方の「概念 ・ 命題 ・ 理論」と、他方の 「質問 ・ 指標・尺度」、との対応関係に焦点を合わせようとしている。 (2)2 冊の著作が、西欧社会でなされた観察や測定にもとづく一般化の試みであるのに対して、 筆者は、一方の「概念 ・ 命題 ・ 理論」と、他方の「質問 ・ 指標・尺度」を、時間的・空間的な比較 という視座から検討しようとしている。 では、筆者の以上のような試みには、どのような意義があると考えられるであろうか。 まず、(1)については、宗教性あるいは宗教意識というテーマに関しても、「実証的な知の蓄積
(accumulation of empirical knowledge)」をめざすという方法論的な立場に立つかぎり、本稿で行な おうとしている知的作業はきわめて重要なものといわなければならない。 つぎに、(2)については、筆者の方法論的な立場は、欧米社会学における宗教理論と宗教調査の 諸成果に、「他者性(otherness)」ともいうべきものを認めた上で、しかしそれゆえにこそ、「普遍 性」という点においては問題が残されており、したがって「日本」との比較という視座を設定し、 そこからそれらの再検討を試みるというものである。いうまでもなく、社会科学にとって「比較」 という視座は基本的に重要なものである。この点については、たとえば、S. M. Lipset(1968 = 1972)のつぎのような指摘をあげておくだけで十分であろう。 「社会科学があらゆる人間行動に適用される一般命題の定式化を行うものであるかぎり、基本的 には社会科学はすべて比較にもとづかなければならない。」 しかし、このような認識があるにもかかわらず、これまでの世界の社会科学の現状は、いわば 「欧米偏重」ともいうべきものであった。以下のような反省がでてくるのは、このようなコンテキ ストにおいてである。 「社会科学は人間行動の一般命題の定式化を目指しているにも関わらず、これまでの原理や定理 や法則の大部分は西欧の都市化された産業社会でなされた観察や測定にもとづく一般化であるにす ぎない」(Mack, 1969 = 1971)。
このような方法論的な立場がさらに過激化した例として、H. Befu は A. G. Frank の ReORIENT:
Global Economy in the Asia Age, Berkley: University of California Press, 1998 をあげている。つまり、
Frank によれば、「欧米の社会学は M. Weber や K. Marx から現代の理論にいたるまですべて間違っ ている。これまでの考え方を反省し、アジアに焦点を当てて理論の再構築をしなければならない」 というのである(Befu, 2006)。しかし、このような立場も Cumulative Knowledge という点からすれ ば、やはり生産的な考え方とはいえないであろう。
筆者は、欧米社会学の諸成果の宗教現象への適用という点については、いわゆる単純なall or
nothing の立場はとらない。むしろ欧米社会学の諸成果を、文化比較/国際比較の視座から慎重に 再検討することをとおして、より有効なものにしていこうという行き方をとる。以下のような考え 方も、ここでの行き方と同じ線上にあるものといえよう。
「交差国家的調査の一つの方法論的利点は、一つの国家を扱っているときには無視される可能性 のある多くの問題に直面しなければならないということである。交差国家研究によって概念(変 数)の再検討と明確化が促されるとともに、等価性の問題も慎重に吟味されることになる」(Almond and Verba, 1963)。 ここでは、欧米社会学の諸成果を、日本に視座を置いて、文化比較/国際比較の視点から検討す るが、逆に『異文化から見た日本宗教の世界』(P. L. Swanson、林淳編、法蔵館、2000 年)という 視座からの研究の蓄積も、かなり進められてきている。 こうして、学術研究の領域におけるグローバル化の進展にもとづいて、宗教研究の「知的様式」 はどのようなものへと変容していくのであろうかというのが筆者の最終の問題関心である。因み に、J. Galtung は「デカルト主義との比較にもとづく道教的な社会科学認識論の構成原理」の探究 を試みている(矢澤修次郎、大重光太郎訳『グローバル化と知的様式』東信堂、2004 年)。
Ⅱ.宗教理論
ここでは、欧米社会学における宗教をめぐる主要な概念・命題・理論のなかから「世俗化理論 (secularization theory)」「宗教多元主義理論(religious pluralism theory)」「宗教市場理論(religiousmarket theory)」の三つを取りあげて、検討する。 1.世俗化理論 (1)世俗化をめぐる議論については三つの側面が区別できる。 ⅰ)世俗化は、それをめぐる言説(discourses)においては、一方で諸悪の根源として非難され ながら、他方で自由と開放をもたらすものとして歓迎される。 ⅱ)世俗化は、一方で社会の近代化にともなう世界的・普遍的な現象とされながら、他方でヨー ロッパのキリスト教社会で起こった地域的・特殊的な現象とされる。 ⅲ)世俗化という同じ用語が用いられながら、それが常に同じ現象を意味しているかというと、 必ずしもそうではない。それは、一方で「教会の会員数の減少」や「教会への出席の低下」 というより具体的な事柄を意味するとともに、他方で人びとのオリエンテーションが「宗教 的なもの」から「世俗的なもの」へと移行するというより一般的な事柄を意味する。この後 者の側面については、さまざまな実質的な内容が指摘されてきた。つぎに、そのいくつかに ついてあげておきたい。
・「超越的なもの(the transcendent)」から「内面的なもの(the immanent)」へ
・「決定的なリアリティ(decisive reality)」から「日常的なリアリティ(daily reality)」へ (Haller, 1990; Wallis and Bruce, 1992; Lawrence, 1998)
・「神的なもの(the divine)」から「人的(the human)なものへ」 ・「信仰(faith)」から「合理性(rationality)」へ
・「価値(value)」から「効率(efficiency)」へ ・「真理(truth)」から「数値(value)」へ
・「質( quality)」から「量(quantity)」へ ・「迷信(superstition)」から「科学(science)」へ ・「継続(continuity)」から「変化(change)」へ (Lawrence, 1998) (2)世俗化という命題に対する疑問・反論・批判 「近代化は世俗化をもたらす」という命題は、社会学の古典の中心にある前提(assumption)で あるが、この命題に対してはさまざまな立場から疑問・反論・批判が提起されてきた。 ⅰ)啓蒙主義にもとづく規範的判断(Enlightenment-based normative judgment)に対する批判
この命題は、「理性(reason)と顕在的経験(manifest experience:客観的に観察可能な経験)」 は「信仰と超越的経験(transcendent experiences)」に優るという啓蒙主義にもとづく規範的判 断を前提としたものであり、「科学的命題」というよりも、むしろそれ自体が「信念体系」の 一部をなすものであるという批判である。 ⅱ)分析的な(analytical)批判/論理的な(logical)批判 「近代化が世俗化をもたらす」という命題については、近代の「何が」原因で、世俗化と呼 ばれる現象のうちの「何が」実際に起こったかについての分析的な議論が必要である。「世俗 化」という概念が広義のものとして理解されなければならないのと同様、「近代化」という概 念も多義的なものである。そこで、両者の関係についての命題の定立のためには、それぞれの 用語の意味内容の明細化(specification)が不可欠となってくる。具体的にいえば、「世俗化」 という用語の多義性については、すでに述べたが、「近代化」という場合も、そこでの議論が 「近代化」のあらゆる過程を取りあげるのか、それともその特定の過程に焦点を合わせるのか、 さらに後者の場合は、それが「産業化」の過程を意味するのか、「都市化」の過程を意味する のか、「情報化」の過程を意味するのか、といったことが明確にされない限り、「近代化」と 「世俗化」との関係についての議論は分析的なものとはなりえない。 ⅲ)実証的立場(empirical position)からの批判 a . 「伝統的宗教は衰退したが、新しい宗教運動が起こっている」という観察にもとづく反 論であるが、この観察には、①神秘主義、オカルト、秘教といった「ニューエイジ」タイプの ものの出現を報告する研究(Robbins, 1988; Rothstein, 2001)、②原理主義的宗教の増加を報告 する研究(Gellner, 1992)、の二つの種類がある。 b .実証的データをもとに、宗教の重要性(religious relevance)は、経時的に直線的に (linearly in time)衰退していくわけではないという研究者もいる(Roof, 1985)。つまり、近代 化の宗教に与える影響は、世界のさまざまな国や社会の文化的・歴史的伝統によって、「阻止 される」 こともあれば、「促進される」こともあるという。 c .宗教現象についてのヨーロッパと北アメリカの比較にもとづく議論がある。それは、 「近代化は世俗化をもたらす」という命題にとっては、ヨーロッパの国ぐにとアメリカ合衆国
のいずれが例外といえるかという議論である。 一方において、ヨーロッパの研究からするならば、世俗化の進展が見られるヨーロッパとく らべて、依然として宗教活動が活発なアメリカ合衆国は、「近代化は世俗化をもたらす」とい う命題に当てはまらない例外的なケースということになる(Bruce, 1999)。もっとも、アメリ カ合衆国においても、世俗化の兆しが見られるとする研究者もいないわけではない(Norris and Inglehart, 2004)。 他方において、アメリカ合衆国の研究者からするならば、アメリカ合衆国では宗教がひきつ づき活力を維持しているところから、ヨーロッパこそが例外的なケースであるとして、「近代 化が世俗化をもたらす」という考え方そのものに異論を唱えることになる(Berger, 2001;
Brown, 1992; Casanove, 2001; Davie, 2002; Finke, 1992; Stark, 1999; Stark and Innaconne, 1994)。
d .ヨーロッパにおける「世俗化の進展」について議論をする場合も、さまざまな国・地 域・社会ごとに異なる様相が見られるということを考慮に入れておかなければならない。それ は、ごく大まかにいえば、以下のとおりである。 一方の、北欧諸国・オランダ・イギリスなどでは、世俗化を「教会の会員数」や「礼拝への 参加者数」で捉えるかぎりにおいては、最も世俗化が進んでいるといえる。 他方の、南欧諸国・社会主義崩壊後の中欧・東欧諸国では、今でもかなりの数の人びとが伝 統的な宗教を堅持している。 以上から、近代化と世俗化とは一対一の対応関係にあるのではないかということがわかる。 つまり、世俗化の進展は、近代化だけでは完全に説明することができないのである。 e .この研究領域における代表的な研究者である K. Dabbelaere(1981; 1995; 2002)は、世 俗化の進展を三つのレベルから分析することを提案している。 ①マクロ ・ レベル(社会的レベル): 社会的レベルにおいては、世俗化とは、「宗教的な制度」と「世俗的な制度」との間で機能 分化(functional differentiation)が起こり、教育や医療の分野などで、以前は前者が担っていた 役割を、今では後者が引き受けるようになってきたことを意味する。つまり、世俗化とは、社 会システムの活動において、教会が究極の重要性をもたなくなってきたということである。こ うして、宗教は社会の下位システムとなったという捉え方をする(Wilson, 1982; 1998)。 ②宗教団体(religious organization)のレベル: 伝統的な宗教(traditional religions)が、その地位(status)、権威(authority)、権力(power) を失うことで、それに代わるほかの宗教(alternative religion)が、「宗教市場」においてその 位置(position)を高めていくということが起こる。それらの宗教団体は、世俗化の進行にと も な っ て、「 超 越 的(transcendent)」であるよりも、「現世的(this-worldly)」「現世肯定的 (world-affirming))」になっていった。
③ミクロ・レベル(個人のレベル)
いわば 「心のなかの世俗化(secularization-in-mind)」 ともいうべきものが見られるようにな る。それは、「教会が選択肢の一つとしての共同体(a chosen community)になる」「選択の個 人 化(individualization of choices)」「 宗 教 志 向 と 世 俗 志 向 の 区 分 化(compartmentalization of people’s religious and secular orientations)」、という形で起こっている。具体的にいうならば、そ れは、「宗教的なブリコラージュ(religious bricolage)」、つまり、さまざまな宗教のメニューか ら個々人がそれぞれ自分に合うものを選んで再構成する「アラカルト宗教(a religion à la carte)」、あるいは「パッチワーク宗教」ともいうべきもので、まさに「大きな物語(grand narrative)の終焉の時代」にふさわしいものといえよう。 以上の提案、つまり世俗化という現象を三つのレベルに分けて検討するという提案は、ここ での欧米社会学における宗教理論の概観と整理の試みという点からしても、きわめて有効な枠 組みを示唆するものといわなければならない。実証的研究という視点からするならば、これら 三つのレベルを同時に視野に入れて取り組んだ世俗化の研究はいまだ存在しない。 2.宗教多元主義理論 religious pluralism という用語は、日本語では、「宗教多元主義」と訳される場合もあり、また「宗 教多元現象」と訳される場合もある。後者の訳語の場合は、「さまざまな宗教が存在している」と いう事実(fact)の報告に比重が置かれるのに対して、前者の訳語の場合は、そのような事実につ いてある価値観(たとえば、「他者性」を容認する、あるいは危惧するといった価値観)を含んだ 言葉によって語るというような言説(discourse)の展開に比重が置かれることもある(保呂、 2008)。しかし、ここでは、とくにこのような概念的区別はしばらく置き、これまでの先行研究に おけるそれぞれの用法のままに、そこでの議論をまとめていきたい。 古典的な考え方からするならば、宗教多元主義というものは、地理的なアイデンティティ(それ が「国」という単位であるにしろ、「地域」という単位であるにしろ)をもった宗教間のかかわり 合い、あるいは宗教と権力――および対抗権力(countervailing power)――との間のかかわり合い に関係するものとされてきた(Beckford, 2000; Martin, 1978; Draulans and Halman, 2003; Halman and Draulans, 2004)。 宗教は、権力や権威との緊密な結びつきをもつものである。それは、正統性(legitimacy)の獲 得のためと考えられる。宗教多元主義にはいくつかの形態(form)がある。 (1)「完全な」多元主義(complete pluralism): 権力・権威・エリート層との結びつきが弱い複数の宗派・教団(denomination)が競合している という形態である(Bellah(1970)の「市民宗教(civil religion)」という考えかたを参照されたい)。 (2)「限定つきの」多元主義(qualified pluralism): エリート層と結びついた教会相互間およびその内部で競合が見られるという形態である(たとえ ば、イギリス、北欧諸国など)。 (3)「区分化された」多元主義(segmented pluralism): 別々の地域に居を構えている競合グループ間に線引きがなされているという形態である(たとえ
ば、ドイツやオランダの「プロテスタントの地域 ・ 社会」と「カトリックの地域 ・ 社会」)。因み に、「プロテスタントの地域 ・ 社会」と「カトリックの地域 ・ 社会」 をくらべた場合に、前者では 「個人の責任(personal responsibility)」が重視されるのに対して、後者では、教会が個人と神との 間の仲介者(mediator)」という位置づけがなされるので、「集合的アイデンティティ(a collective identity)」が強化されることになる(Jagodzinski and Dobbelaere, 1995)。その結果、世俗化の影響は、 カトリックの地域 ・ 社会の方で相対的に小さいものとなるのである。 宗教多元主義の問題に関連する議論の一つとして、いわゆる「産業社会」と呼ばれる社会におい ては、西欧社会、非西欧社会を問わず、「宗教市場(religion market)が多様化(diversifying)する」 という考え方がある。このような考え方のもとに、「世俗化理論」は批判を受けることになる。最 も影響力のあった研究の一つとして、T. Luckma(1967)をあげることができる。Luckman によれ ば、欧米社会においては、人びとの日常生活のすみずみまでを規定してきた宗教的な制度や教会の 枠組みが崩れてきた。この点は、「世俗化理論」の考え方と軌を一にしている。Luckman の考え方 が「世俗化理論」と異なるのは、しかし、それと同時に、人びとの心のなかに、いわゆる「見えな い宗教」が現れてくることに注目した点である。Luckman は、そのような宗教の特徴として、つ ぎのような点をあげている。 ・人びとは高度に分化(differentiated)した多様な社会に最も適した宗教の形態(form)を求める。 ・人びとはもはや宗教団体や宗教の制度的枠組みを必要としない。 ・人びとは自律的、主体的、主観的に自分の世界観や価値観を選択する。 ・自由な選択のもとに、人間の存在や現実世界、さらに超越世界に独自の意味を見出そうとする。 Luckman は、一方で伝統的な制度化された宗教が衰退してきたとするとともに、他方で人びと が宗教を求める心を喪失したのではないという。つまり、産業社会における宗教の変化を、宗教の 衰退としてではなく、いわば、その社会的な「存在形態」の変化――つまり、宗教が「私化 (privatize)」され、「個人化(personalize)」され、それゆえに社会的に「見えなくなってきた」と いう変化――として捉えたのである。 こうして、Luckman の議論は、宗教研究の門戸を広げることになり、いわゆるニューエイジタ イプの宗教や、スピリチュアリティへの関心の高まりも含めて、新たな宗教運動や宗教経験が研究 の対象に取りあげられるようになってきた。 しかし、このように宗教研究の間口が広がるにともなって、宗教研究において、何をその研究対 象とするか、その範囲をどこに定めるか、線引きはどこで行なうか、といった議論もでてくること になる。 このような議論についてはしばらく置き、ここでは宗教多元主義と新たな宗教形態への移行 (shift)をめぐるもう一人の忘れてはならない論者を取りあげる。それは「世界価値観調査(World
Values Survey: WVS)」の主宰者 R. Inglehart である。Inglehart は、一方で世界的に宗教性が衰退し てきているという考え方を否定するとともに、他方で世界的に原理主義が台頭してきているという 考え方も否定する。その上で、社会における宗教性の変化を、つぎの二つの側面から描き出す。一 つは、経済的・政治的に安定した社会では、人びとは宗教に救いと安らぎを求める必要が少なくな
るが、不安定要素の多い社会ではその必要性は高まるという側面である。そして、もう一つの側面 は、発展の進んだ社会では、人生の意味や目的を深く考える人びとが増えるが、じつはそのような 人びとは伝統的な信仰や確立した宗教団体に背を向けるようになる。人びとは、たとえ宗教団体に 加わるということがあるにしても、人生の意味や目的について、階統的(non-hierarchical)でない、 包括的(non-all-encompassing)でない、絶対的(non-absolutist)でない答え、つまりそれぞれの場 合、場合に応じた答えを求めようとするということである(Inglehart, 1997; Norris and Ingkehart, 2004; Jagodzinski, 2003 も参照されたい)。
3.宗教市場理論
宗教の現代的な意味と形態についてのもう一つの議論が「宗教市場理論」「供給側重視理論 (supply-side theory)」「合理的選択理論(rational choice theory)」と呼ばれるものである(Finke,
1992; Stark and Iannaccone, 1994; Stark, 1999; Warner, 1993)。世俗化理論が、多元主義は宗教活動を 衰退させると主張するのに対して、宗教市場理論は別の考え方を提示する。それは、いまだ十分に 実証的に検証をされているわけではないが、宗教的真理をめぐる教会間の論争は、人びとを宗教か ら遠ざけることもあれば、近づけることもあるとする。具体的には、つぎのように説明される。 世俗化理論の側からするならば、教会間の競争は教会の権威を低下させ、教会が新たな会員を社 会化(socialize)していく力を弱化させる。多元主義は、「事実上、宗教を信頼性の危機に陥れる」 という(Berger, 1967)。宗教市場理論の側からするならば、教会間に競争がある場合、教会がそれ ぞれいわば市場でのシェアを獲得しようとして活発な教会活動を展開する。そして、市場原理から するならば、ある教会の教会員が増え、ほかの教会の教会員が減るならば、競争は激化し、教会は それぞれの教会員の満足と便宜を高めようと努める。結果として、人びとの宗教活動は活発化す る。 ところが、このような教会間の競争がない場合、つまり特定の教会が宗教市場を独占している場 合は、教会は教会員の満足と便宜を高めようとする意識が低く、結果的に人びとの宗教活動は衰退 化する。 では、宗教市場理論を、どのように実証的に検証するか、ということがつぎの課題となる。ここ では、これまで人びとの宗教活動のレベルを測定する指標(indicator)として、主として教会の会
員数(church membership)が用いられてきた(たとえば、Finke and Stark, 1988)ということを指摘 しておきたい。 この点については、つぎのような二つの方法論的な問題が提起される。一つは、指標の妥当性を めぐる問題で、具体的にいえば、一方で教会活動に参加しない名前だけの会員がいるとともに、他 方で会員ではないが活発に活動をしている者がいるという問題である。もう一つは、指標の比較文 化的な妥当性をめぐる問題で、それは、たとえば米国とヨーロッパの国ぐにを比較すれば明らかと なる。つまり、米国では①多くの異なる宗派・教団(denomination)が存在する、②教会員になる ことが容易である、③選択の幅が広い、のに対して、ヨーロッパの国ぐにではそうはなっていな い。 以上のような測定の指標をめぐる議論はしばらく置き、これまでの実証的な調査研究では、どの
ような「知見(findings)」が提供されているであろうか。この点については、二つの対照的な知見 が報告されている。
「多元主義は宗教性や教会活動への参加とは負の相関関係を示す」(Draulans and Halman, 2003)。 「多元主義が進めば、宗教は人びとを引きつけ、結果的に人びとの宗教性は高まり、教会活動へ の参加も増えることになる」(Pettersson and Hamberg, 1997)。
最後に、宗教市場理論について、若干の方法論的な問題を提起しておきたい。 ①宗教市場理論は、「自由選択(free choice)」といういまだ議論の余地のある観念(ideal)に立脚 している。 ②この理論は「合理的選択モデル」の一つであるが、人びとの「選択の過程」の解明というところ には全く関心を示していない。 ③この理論は、「宗教に対する需要(demand)は、時間(time)と空間(place)を越えて一定であ る」という前提(assumption)に立っており、したがって人びとの宗教活動の変化はひとえに供 給側の変化――たとえば教会の数、地位、活動などの変化――によって起こるものとされてい る。 ④合理的選択理論では、個人のレベルに焦点を合わせた実証的な調査研究はいまだ十分になされて いない。たとえば、宗教市場理論は、人間の普遍的な悩みや不幸な出来事、とくに避けることの できない老いや死に対する答えとして宗教が発展するという、いわば「信念(belief)」――知見 ではなく――ともいうべきものにもとづいており、そのことの実証的な検証を第一の目標として いるようには思われない。 ⑤宗教市場理論と世俗化理論については、それぞれの理論の展開――理論の内的整合性――の精査 と、それぞれの理論を構成する個別命題の検証ということが、今後の重要な課題となってくる。 たとえば、宗教市場理論からするならば、人間の悩みや苦しみは普遍的なのものであり、宗教の 需要もまた普遍的なものだという。ところが、世俗化理論からするならば、そのような人間の悩 みや苦しみについての「宗教的な説明」に取って代って、「科学的・合理的・社会的・政治的な 説明」が人びとの関心を引くようになってきた。宗教の必要性・不滅性、そしてそれに対する需 要も決して普遍的なものとはいえなくなってきたとする。これが「宗教の魔力からの開放 (disenchantment)」と呼ばれる過程である。いうまでもなく、この命題も「前提」であって、「知 見」ではない。 ⑥実証的な仮説という視点からするならば、人びとが教会へ行くのは悩みや苦しみからの人間の救 済ということのためだけではない。たとえば、社交のためとか、当り前の習慣となっているから とか、それが社会的に望ましい行為とされているからとか、さまざまなことが考えられる。個人 的レベルに焦点を合わせた総合的な実証的研究が要請される所以である。
Ⅲ.宗教調査
宗教市場理論の登場以来、社会学の領域における宗教をめぐる議論は、再び活発になってきてい る。そして、このような議論は実証的研究の結果が発表をされることでまた盛り上がる。宗教研究における、以上のような科学史上の事実は、R. K. Merton(1949 = 1961)の「社会学理論」と「経 験的調査」の相互の関係についての論述を想起させるものといえよう。いうまでもなく、ここでの 筆者の方法論的な立場は、それがMerton の議論を想起させることになったということで終わるも のではなく、むしろ宗教をめぐる「理論」と「調査」は、すべからくMerton の議論に沿った形で の知の相互作用の展開がなされなければならないという具体的な提案へとつながっていくものであ る。このような方法論的な立場に立って概観するならば、欧米社会学における宗教研究において は、文化/国際比較という視座からの研究がきわめて少ないということがわかる。この点について は、つぎの二つの事柄がかかわっていると考えられる。一つは宗教をめぐる上述のような議論が欧 米の研究者を中心に展開されてきたということである。かつてR. W. Mack(1969 = 1971)が「社 会学における原理や定理や法則の大部分は、西欧の都市化された産業社会でなされた観察や測定に もとづく一般化である」とした問題点が、ここでもそのまま当てはまる。Mack は、このような問 題点を「方法論的エスノセントリズム」と表現した。しかし、もう一つの問題点も忘れてはならな い。それは、日本の研究者が国際的な舞台において、このような議論に参加してこなかったという ことである。インドの研究者Savitri Vishwanathan の指摘のとおり、「日本の研究が世界の研究に 『仲間入りする』ことが、今ほど求められている時代はない」といわなければならない。このよう な問題関心の線上で、筆者はできるかぎりの個人的な努力を続けてきた。それは、質問紙法 (questionnaire method)にもとづく多数の国ぐにを対象とする大規模な国際比較調査(large scale
multi-national surveys)への参加ということである。近年、さまざまな国際比較調査がなされるよう になってきた。ここでは、「ヨーロッパ価値観調査(European Values Studies: EVS)」「世界価値観調 査(World Values Survey: WVS)」「国際社会調査プログラム(International Social Survey Programme: ISSP)」「宗教・道徳多元主義研究(Religious and Moral Pluralism: RAMP)」を取りあげる。なお、 それぞれの調査プロジェクトの固有の特色については、Art and Halman(2004),Jagodzinski(2006)、 真鍋(2010)などを参照されたい。 EVS は、ヨーロッパにおける人びとの社会的な態度や行動、政治文化、宗教的な価値観の諸相 とその変化の方向を捉えることを目標に、1980 年代初めにオランダの Tilburg 大学を拠点として開 始されたもので、宗教に関する「指標」を幅広く使用している。EVS は、現在では、中部・東ヨー ロッパ諸国をほぼ全てカバーするまでとなっている。 WVS は、EVS のアイディアを世界的な規模にまで拡大していこうとして始められた試みであり、 米国ミシガン大学のR. Inglehart 教授を中心に進められている。世界の多くの国ぐにを網羅した世 界最大の調査で、宗教に関する多くのデータを蓄積してきている。 この二つの調査プロジェクトにもとづいて、宗教を扱った出版物も数多く生まれた。それらのな かには、宗教を単独のテーマとしたものもあり、また宗教をそれ以外のさまざまな価値観とともに 取りあげたものもある。宗教に焦点を当てたものとしては、Halman and Riis(2003)、Halman and de Moor(1993)、がある。
ISSP は、ドイツ・マンハイムの「調査方法分析センター(ZUMA)」と米国シカゴ大学の「全国
世論調査研究センター(NORC)」が中心となり、そこに欧米だけでなく、非欧米の国ぐにの大学・
いる。宗教はこれまで1991 年、1998 年、2008 年に調査テーマに取りあげられた。ISSP では、各 国共通の質問項目だけでなく、いわゆるNation Specific Items が調査実施国で準備されることもあ る。 RAMP は、1997 年から 1999 年にかけて、北ヨーロッパの国ぐにを中心に 11 か国で調査を実施 した。 さて、本稿においては、これら四つの調査の「コード・ブック(codebook)」を用いて、人びと 宗教性あるいは宗教意識を捉える中心的な指標の検討を行なった。以下においては、それぞれの指 標ごとに、方法論的な検討の結果を簡潔にまとめておきたい。 1.宗派・教団(Religious Denomination) ここにあげたいずれの調査においても、宗教に関する質問諸項目の中心になるのが「宗派・教 団」を尋ねる質問である。それは、通常、“Do you belong to a religious denomination?” というワー ディングで訊かれる。そして、その答えが「はい」なら、続いて国ごとにプリコードされた世界の さ ま ざ ま な 宗 派・ 教 団 の リ ス ト(Roman Catholic、Church of English、Jewish、Hindu、Muslim、 Buddhist、Orthodox)を提示し、“Which one” と訊かれる。ここで、文化/国際比較の視座からする ならば、はじめの質問の“belong to a religious denomination” の “a” という表現が、そして、それに 続く質問の“which one” の “one” というところが問題となる。具体的にいうならば、欧米で宗教と いえば、それは一般に、「どれかに属する」か、それとも「どれにも属さない」か、のどちらかの 選択ということになる。ところが、日本では、多くの場合、「一人の人間(または家族)が同時あ るいは交互に複数の宗教の儀式に参加する」(『対訳 日本事典』講談社インターナショナル、1998 年、 p.481)。欧米の宗教が排他的(exclusive)であるのに対して、日本の宗教は排他的でない(non-exclusive)といわれる所以である。そうであるならば、上述のワーディングは、欧米の宗教の考え 方を前提としたものであり、それは、異文化――たとえば日本――のなかでの調査には「なじまな い」質問文であるといわなければならない。
RAMP では、質問文のワーディングに微妙な違いが見られる。それは、“Do you consider yourself as belonging to a church/denomination or religious group or community?”というものである。“consider” いう語を加えることで、回答者は自分が「教会員といえるかどうか」について再考する機会が与え られることになる。いわゆる「名前だけの教会員(nominal members)」は、「自分と教会との結び つき」について再考し、この質問に対して「いいえ」と答える可能性もでてくる。こうして、EVS の場合は、教会の会員分布とほぼ同様の結果が得られるものに対して、RAMP の場合は、それよ りも会員数は少なくなるものと考えられる。そうだとするならば、“consider”を加えるという方策 によって、文献レヴューをとおして整理した個人レベルにおける世俗化の実相、つまり「選択の個 人化(individualization of choice)」あるいは「選ばれた共同体としての宗教(religion as a chosen community)」などと表現されるいわゆるポストモダンの宗教性の実相が捉えられることになるで あろう。
しかし、RAMP の質問のワーディングに問題がないわけではない。それは、ワーディングの違
なるということである。
ISSP では、「宗派・教団」については、調査参加国がそれぞれ独自の質問文を使用している。た
とえば、1998 年の調査では、オランダはすでに述べた RAMP と同じ質問文、ドイツは “To which religious group do you belong?”、 チ ェ コ は “what is your religion?”、 日 本 は “Do you have a religious faith?” という質問文となっている。 ここでの問題点として、このように各国で独自のワーディングが用いられることをどう考えるか ということがあげられる。いうまでもなく、国際比較調査というのは、基本的には「同一の」調査 を「異なる」国ぐにで繰り返し「反復する」ことによって、それらの国ぐにの違いを明らかにする ものである。そこで、その反復につぎの二つのタイプがあるといわれる(Lykken, 1968)。 (1)一字一句同一の質問文を用いた調査の反復(literal replication)というタイプ
(2)機能的に等価な質問を用いた調査の反復というタイプ(functionally equivalent conceptual replication)
そこで、このような分類法を援用して考えるならば、ISSP の 「宗派・教団」 を尋ねる質問文は、 国ごとにレトリカル表現においては異なっていても、機能的には等価であるという前提が置かれて いるものと考えられる。しかし、その等価性はどのように検証されるのであろうか。この点は今後 に残された重要な課題であるといわなければならない。 ここでの「宗派・教団」についての質問文をめぐる議論と関連する別の質問文の問題点について も、記しておきたい。その一つは「神」のイメージについての質問で、ここで取りあげた調査プロ ジェクトでは、“a God” “a personal God” “a Higher Power” というよう に、それが単数形で表記され て い る と い う 問 題 点 で あ る。 つ ま り、 こ こ で の 神 の イ メ ー ジ が い わ ゆ る 一 神 教 的 な 考 え 方 (monotheistic beliefs)を前提としているところから、多神教的な考え方(polytheistic beliefs)に立 つならば、その回答が困難となるということで、たとえば日本では少なくとも「神仏」という表現 が必要となってくる。「少なくとも」としたのは、日本においては「神仏」の表現についても、さ らにそれを「漢字」で書いたときと、「ひらがなやカタカナ」で書いたとき――たとえば 「カミや ほとけ」 というように――では、人びとのイメージに差異がでてくるという議論もあるからであ る。 もう一つは、回答を一つだけ選ばせるという回答形式の問題点である。すでに前節で議論したよ うに、現在、世俗化理論の枠組みのなかで、「宗教的なブリコラージュ」あるいは「アラカルトの 宗教」というポストモダンの考え方がでてきている。これは、一人の人間が異なる宗教から、自分 に合った考え方や行動の仕方を同時に選びだして、それを「寄木細工」や「アラカルトの食事」の ように再構成するようになってきたという現象を示している。しかし、一つだけ回答を選ぶ回答形 式では、このような新しい宗教現象を捉えることが不可能となる。 この点と関連して、欧米のコンテキストにおいても、人びとが質問紙調査の回答の選択肢におい て、同時に複数の神のイメージを選ぶかどうかを調べてみるという試みは、きわめて興味深いもの といえよう。筆者は、寡聞にして、このような調査の試みがなされているかどうかについては知ら ない。
2.教会への出席(Church Attendance)
これは欧米社会学の宗教研究において、いわゆる宗教的実践(religious practice)」を捉えるため の鍵となる指標であり、通常は独立した項目として分析される。
質 問 文 と し て は、“How often do you attend religious services apart from weddings, funerals and baptisms?” が用いられてきた。そして、回答の選択肢としては、RAMP では「毎日」から、「全く
出席しない」までの8 ポイント尺度を用いている。ISSP も 8 ポイント尺度であるが、その選択肢
は「週に数回」から「全く出席しない」までで、その具体的内容がRAMP と異なる。EVS の選択
肢は「順序尺度(ordinal scale)」の形式をとっていない。具体的には、1. more than once a week、2. once a week、3. once a month、4. Christmas/Easter day、5. other specific holy day、6. once a year、7. less often、8. never、practically never というもので、この場合、クリスマスに一年に一回教会に行くと いう人は、どれを選ぶのかという疑問がでてくる。 ここでの問題として、つぎの点があげられる。欧米では「教会への出席」と「礼拝への出席」は ほぼ同じ意味で使われる。それは、キリスト教では、教会のなかで聖職者(媒介者:middleman) が一堂に会した信徒(lay public)に対して「礼拝という形での儀式(ceremony)」をとり行なうこ とが制度化(institutionalized)されているからである。この「礼拝」ということと機能的に等価な ものとして、日本では「お参り」という用語が当てられる。「お参り」は広く神社への参拝や寺へ の参詣を意味する。しかし、キリスト教での「礼拝」と、このような日本の「参拝や参詣」には大 きな差異が見られる。いうまでもなく、前者が制度化された、定期的な、集合的な(aggregate)現 象であるのに対して、後者は制度化されていない、不定期な、私化された(privatized)現象であ る。そうだとするならば、欧米での「教会への出席」と、日本の「神社・仏閣へのお参り」とを機 能的に等価なものとすることができるのだろうかという疑問がでてくる。こうして、この質問項目 ――「あなたは、神社、寺、教会などの参拝や礼拝にどの程度行きますか」――は、日本人にとっ ては、何かしっくりこないものであるといわなければならない。 「宗教的実践」を捉える指標としては、「教会への出席」以外にも、さまざまなものが開発され てきている。たとえば、ISSP2008 の日本語版の調査票では、つぎのような四つの項目が使われて いる。 ・「神様や仏様を拝んだり、祈ったりすることがどのくらいありますか。」(v59) ・「参拝や礼拝以外に、寺、神社、教会などの行事や活動に参加することがどのくらいあります か。」(v60) ・「あなたは宗教的な理由から、仏壇や、神棚、十字架やキリストの像などを家に置いています か。」(v61) ・「あなたは、日常的な参拝や礼拝とは別に、宗教的な目的で巡礼に行ったり、お寺や教会などを 訪れたりすることがどのくらいありますか。」(V62) これら四項目の通文化的/交差国家的な妥当性(validity)と信頼性(reliability)の検討は、今後 に残された重要な課題といえよう。
EVS では、“Do you take some moment of prayer, meditation or contemplation or something like that?” という質問文が用いられているが、これはポストモダンの考え方が質問文の作成に影響を与えたこ
とを示す好例といえる。それは、この質問文が「祈り」という伝統的な宗教行動にとどまらず、 「瞑想」「黙想」などの内省的な宗教行動をも含めており、さらに“something like that” という表現
を加えることで、より多様な宗教行動を網羅しようとする意図が読み取れるからである。 RAMP には、ほかの調査プロジェクトでは尋ねられていない質問項目がある。それは人間の誕 生、結婚、死をめぐる宗教儀式についての質問項目である。ただ、RAMP の質問文は、人びとが これらの宗教儀式をどの程度を行っているかではなく、そのような宗教儀式をどの程度重要なもの と思っているかというものである。これら宗教儀式についての実践頻度の測定は、きわめて興味あ る課題といえよう。 3.宗教的な信念(Religious Beliefs) (1)「神」「死後の世界」「霊」などの存在に関する信念 宗教的な信念を尋ねる質問文にはいくつかの種類がある。その一つが、「神」「死後の世界」「霊」 などの存在に関する信念を尋ねる質問文である。これは、いわばはキリスト教の「教義(doctrine)」 ともいうべきものにもとづいて調査の項目が選ばれ、それらを回答者が信じているかどうかを確か めるというものといえる。
EVS は、そのような質問項目として、God、life after death、a soul、the devil、angels、hell、heaven、 sin、re-incarnation、resurrection of the dead、telepathy を取りあげている。
ISSP では、life after death、heaven、hell、religious miracles についての質問文が用いられている。
RAMP では、「死後、何が起こるか」について尋ねている。回答の選択肢は以下のとおりである。
・nothing
・there is something, but I don’t know what ・we go either to heaven or hell
・we all go to heaven ・we are re-incarnated
・we emerge into some kind of eternal bliss ・I don’t know whether there is anything or not ・other ここでの問題としては、どこまでがキリスト教の本来の「教義」にもとづくもので、どこからが 「俗信」――あるいは「民俗宗教(folk religion)」――にもとづくものであるかの基準が明確でなく ――たとえば、re-incarnation(生まれ変わり)と resurrection(復活)の区別など――、そこで、こ の質問文が何を測っているのかが明確でないということがあげられる。 もう一つは、これらの項目を用いた通文化的/交差国家的な比較ということがどこまで可能か、 いいかえれば、これらの項目の異文化への「翻訳」――この点についての根源的な議論については 青木(1978)を参照されたい――は、どこまで等価なものとなるか、という問題である。この問題 は、この研究領域において、今後取り組んでいかなければならない最大の課題というべきものであ ろう。
(2)神のイメージ(the image of God)
神のイメージ(あるいは「神の概念(the concept of God)」)は、宗教的な信念の一部を構成する ものと考えられてきた。
EVS では、神のイメージの回答の選択肢として、つぎのものをあげている。 ・a personal God
・some sort of spirit or life force ・I don’t know what to think
・I don’t believe in any sort of spirit, God, or life force
ISSP2008 では、神のイメージをより広く捉えようとする意図がうかがわれる。 ・I don’t believe in God
・I don’t know whether there is a God and I don’t believe there is any way to find out ・I don’t believe in a personal God, but I do believe in a Higher Power of some kind ・I fond myself believing in God some of the time, but not at others
・While I have doubts, I feel that I do believe in God ・I know God really exists and I have no doubts about it
RAMP で は、EVS の は じ め の 二 つ に 加 え て、“God as something within each person rather than something out there” という選択肢が準備されている。
ここでの問題の一つは、欧米のキリスト教の神概念が中心になっており、その通文化的/交差国 家的な比較への疑問ということである。再びその翻訳をめぐる問題が提起される。たとえば、以上
の選択肢の一つとして提示される”a personal God”という用語については、日本語版の調査票
(WVS や ISSP)では、「人格神」という専門用語訳を用いるか、それとも “a personal” の部分を省 略して単に「神」と訳するか、のいずれかの仕方がとられてきた。しかし、いずれの仕方をとるに しても、そのような調査票(Translated Language Questionnaire: TLQ)では、もとの調査票(Source Language Questionnaire: SLQ)で意図された意味内容が回答者に伝わらない。それは具体的にいえ ば、つぎのような理由からである。キリスト教の教義からするならば、“a personal God” という考 え方には、①「人にして神」、②「人の形をした神」、③「人の心をもつ神」、という内容が複合的 に含まれている。ところが、「人格神」という専門用語では、そのような具体的な意味内容が神学 とは無縁な一般の人びとには伝わらない。また、単に「神」としてしまう翻訳では、キリスト教的 な「神概念」が消されてしまうことになる。
この点と関連して、たとえばISSP では、“There is a God who concerns Himself with every human being personally.” という考え方に対して「そう思うか、それともそう思わないか」を尋ねる質問文 がある。いうまでもなく、この質問文は四つの意味内容を含んでいる。①神の側からの人間への能 動的なかかわり合い――したがって、それは「恩寵」と考えられる――、②神と人との個人的なつ ながり――M. Buber(田口義弘訳『我と汝・対話』みすず書房、1978 年)のいわゆる「我と汝」 の関係という思想の方向も含めて――、③Himself という表現に表されている神=男性という認識、 ④a God という表現に示されている「唯一神」という考え方、がそれである。ところが、この質問 文は、日本語版調査票では、あろうことか、「すべての人に神は存在している」となっている。こ
れでは、以上の四つの考え方――キリスト教の教義にもとづく考え方――を、日本人がどう考える かを捉えることが全く不可能となってしまう。 もう一つの問題点は、ここでも複数の選択肢のなかから一つだけ回答を選ぶ形式で、ポストモダ ンの時代の新しい宗教現象を捉えることができるであろうか、ということである。そこで、一つの 提案であるが、いわゆる「宗教的なブリコラージュ」と呼ばれる人びとの心のなかの実相を捉えよ うとするならば、回答者が同時に複数の神概念を選ぶかどうかを調べてみるというのはどうであろ うか。一方で、ポストモダンの時代を射程に入れ、また他方で、通文化的/交差国家的な比較を視 座に置くとするならば、このような斬新なアイディアを取り入れていくことこそが、この領域の研 究に新しい地平を拓くことにつながると考えるのである。 「宗教的な信念」に関する質問項目としては、以上のほかにも、つぎのような内容が取りあげら れてきている。 ・宗教的な経験 ・宗教の重要性 ・宗教の社会的関与 ・宗教の影響 ・宗教の機能と逆機能 しかし、ここでは、これらの諸項目について詳細に検討するだけの紙面の余裕はない。この点に ついては、他日を期したいと考えている。
Ⅳ.おわりに
さて、以上においては、一方で欧米社会学における宗教をめぐる概念、命題、理論と、他方でそ れらとは表裏一体の関係にある宗教意識調査の質問項目、指標、尺度を取りあげ、それぞれについ ての概観と整理を試みるとともに、それらについて時間的・空間的な比較の視座から、独自の検討 を加えてきた。 最後に、この領域における今後の研究の方向に関する提言をもって、本稿をしめくくりたい。そ れは、一言でいえば、宗教性あるいは宗教意識の研究領域における「理論」と「調査」の統合につ いての具体的な方略の模索ということである。 宗教性あるいは宗教意識に関する文献研究と実証的調査の検討作業を試みた筆者の偽らざる印象 は、この研究領域においては、いまだ「理論」と「調査」の統合の試みが十分でないということで ある。一方で、ポストモダンの時代を射程に入れたさまざまな理論の構築が図られながら、それら の理論を実証的に検証する試みは体系的になされていない。他方で、質問紙法による多数の国ぐに を対象とする大規模な国際比較調査が実施されるようになってきたにもかかわらず、それらを踏ま えて通文化的・交差国家的な理論の体系――R. K. Merton(1949 = 1961)の言葉でいえば「特定の 変数と変数の関係の明瞭な検証可能な叙述の体系」――が構築されるというところにまで到ってい ない。いうまでもなく、科学の発達は、「理論」と「調査」の相互作用によってもたらされる。どちら が多すぎても少なすぎても科学は発達しない(関、1969)。しかし、宗教性あるいは宗教意識の研 究領域においては、「理論」も「調査」もどちらも大きく蓄積されながら、両者の統合がいまだ十 分でないというところに問題がある。まさに両者の相互作用についての具体的な方略の提案とその 実践が要請される所以である。
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ABSTRACT
Theories and Researches in Western Sociology of Religion: Otherness in the Study of Religion
MANABE, Kazufumi Aoyama Gakuin University In this paper, first, based on a literature survey, I attempt an overview of the concepts, propositions and theories in Western Sociology of religion, namely secularization, religious pluralism, and the religions market. Then, based on a search of code-books, I examine the question items, wordings and scales of large-scale multi-national comparative surveys, namely EVS, ISSP, and RAMP. One problem of the above-mentioned scientific works is that theories and researches are based on observations, measurements and generalizations made from Western perspectives. Finally, I suggest a future direction for scientific study in this field, which is described as the codification of theories and investigations from a comparative perspective. Keywords: secularization theory, religious pluralism theory, religious market theory, denomination,