――目次――
1,
口絵,長崎港外伊王島天主堂における礼拝の光景,プチジエアン師慰問廻章の一部
2,
宗教の本質,川合貞一,Sadaichi KAWAI,pp.1-18.
3,
明治初年における切支丹迫害の思想背景,姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,pp.19-44.
4,
近東における回教民族の動乱について(上),赤松智城,Chizyō AKAMATSU,pp.45-58.
5,
盂蘭盆経について,池田澄達,Chōtatsu IKEDA,pp.59-64.
6,
トレルチの基督教本質論(下),菅円吉,Enkichi KAN,pp.65-87.
7,
印度法典における種姓職業遺産相続について,中野義照,Teruyoshi NAKANO,pp.88-116.
8,
晩餐式に潜める宗教思想(中),日野真澄,Masumi HINO,pp.117-138.
9,
南伝人施設論の成立について,渡辺楳雄,Baiyū WATANABE,pp.139-152.
10,
ギルガメーシュ物語,石橋智信,Tomonobu ISHIBASHI,pp.153-165.
11,
新刊紹介並批評
J.M.P.Smith, The Prophets and Their Times,
松井了穏,Ryōon MATSUI,pp.166-169.
宇井伯寿氏著『印度哲学の研究(第2)』,長井真琴,Makoto NAGAI,pp.170-172.
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R分は此慮に宗致の木葉に就て少しく論じて見たいと思ふのでぁるが、宗放の本質主宕ふ問題は 従妹多くの坪者によつて唐論議された所のものであつて、云はご冨ひ古された問題㍍のである。而 もなほ漸に論兜するの必梨があるもの∼やうに思はれる。 さて宗敢の本貿と云ふ請来は一鶉的のもので何等の疑義ぉも容さないものともM心はれるが、然し 必ずしもさうではない。さればこそかのトレルチエの如きは宗教の木葉弄るものに満て次のやうに 云ってゐるのでぁる。宗教の本暦と云ふ言葉は多くの意味を有ってゐる研からして非常に人■ギ遇は せる例のものであつて、北ハの中に也合されてゐる種々の疑問をば川一研究で以て一旗に耶決するこ とが出水もするもののやうに思はせる。宗教の本貿と云ふキ=葉はまづ第いに心的現象としての㌫数 現象なるもの∼心理的に総識され得る、宗教の㌫放たる所以をホ寸べき木製的船級ぉ悪映してゐ る。それから再ポ敢の本葉と云ふ富来は畢なる現象に対して基の風㌫本邪む滋味してゐる、即ち崇敬 宗秋の木∬宗教の 本質
一
合2
宗敬の水質
二
の弟理内容ノど意味してゎら。而して付加敢の弟S正賓即ち且ハ理内容へ与るもの一は前の場合l二於けるやう に心理r−勺研究によつてに決して明かにされやらS一ではへ甘くして、心理的研究.に封し†澤識諭的紺究 と云はるペき全︿別の研究を市会うるのでJのる。研で㌫敢の赤沼い拙念が基い旦理H㍍に造進んで行 くペきものでJウ匂とすると,一般㌫孜の由概念に止って居ることは⋮⋮発すして、それが相々い旺戚 ㌫歌の上に腰川されなければ㍍らなくなろ。而してそれが居直的㌫放▼∽批判的情情詐情となり、宗 教S理想と描水の宗教と山疑問1∴住つて非る。かくて小石敢の本望と云ふ肌合が㍍釣り桐山督里的研 究に鳴いてわくのである。それから=l∼<絞に㌫放の本耶の疑問なるも山にルポ敢北ハ物が吾々の丑溝の金 橋に於て如何なる意味・で有ってゐるかと云ふ疑問に他ならないのでぁるが、基S疑問は︰“敢基物か らしてだけでは答へられない。どうしても其の同園を闘慮し∵似寄った現免及び闘聯して川る現象 で共に相慮しなければならない。かくて宗教の本質▼り疑糊は同時に基他の世界認識及び世駆考雑と の閻揺動何の疑問わじ提出せすしては決し︷提出され得ないのでぁる。そこで再ポ敢山木黒い緑川と、 ㌫敦に山つて師走せられた得れの知識に射する普々の鵡も普通的にし招理的小甘世弊知識い位祝融何 と云ふ疑問とが結び付いて雄るのでJツ㌔かくて︰ポ数S木賃の疑問はH畔でも習丹及び門川た山つ
て成就せられた萬も普通的㌧概念1ニ於ける吾々の撞揃の砥措に射する紳の侃念の関係如何と云ふ形 向上草的疑問に移って行くのである︵笹︶と。トレルチエの以上の見那に見ても㌫数の木質と云ふ言3
薬が種々に附されてゐると云ふことが分からう。
べヴストナイン入フrノ′ン が然しn分の考へる桝に鵬ると、︰ポ放的醗簾とい∴コ息識現象kに就ては細々の見地からして考娯が〓凍るに刺通ない。即ち心理的見地に立っての考捧も〓容れば認識論的見地に立っての考察も
出凍るし、又西塾的即ち形而隼⊥的見地に立ってのぢ容1い出水れば発展史的見地に立っての考察も出郷るのである。而して其の如何なる見地を操るべきかに㍍数的冊舷基物に対して提出せられた疑
問の性那加何に山つて定まるペきものセあらう。されば㌫数の本賢女削かにし与フと云ふやうな場
合に於ては本欝基物が問超であるのでぁるからして、トレ〝チユの去ふやうにそれに対して種々の
かにすることには亨トなからうし、それからヌハ吊数的冊愉仁封寸ろ情机評情十ホったからと去って、
脚係ぉ肌かにしたからと云って、即ち基のn然因果Jで明かにしたからと云って㌫数基物山本庖有明 考察が起って凍る管のものではないやうにM心はれるり仰ふに㌫数的m城主で電意識規範﹂り心理的それで以で再“数の本質む明かにすろことに∴㌦らなからう。素より侶際中小敬い木屑耕究の場合トニ於て
其の準備とし豆心抑的考察む以て始め乙こともあらうし、又川相計情む以て之む結ぶことぉめら
ぅ。けれどもそれけ眞の意味上㍍けろ㌫放の木情北海s・考君主上〓から別なものであ∵Uいである。が従妹㍍教のホ軍でギ察寸イりにカって見地の泥川が刑侶に存してゎたと云ふこししは否定すべからざ
る姉射でめらう。さhソーこてトレルナユの考へるやぅに山ポ叡の木型といふ︰∵=尭が多くの意味一ぜ有って ㍍靴の赤黒4 わろとするのは北ハの雷イし得十ルらの主ぶふことは円舞ない。輩†ろに二︰パ叙い本月の研究はパパ放の心理 ∵ 的擬珪の研究でもなければ、基い情相計情の研究でも覧くして、︰小数的H鳥し﹂い∴正識現佑水﹂の本 H豆耶通に存してゐるかを洞見しょうとすろに在るのでぁろ。されば㍍釣り本別と云曇∴︰基は多義 を容さざるものと云はなければ石仏らない。 旺、ErnstTr完lt衿アG︵準ヨn邑1e Sェーr㌫1en▼C・S・血S∽−告︸ 〓 軟水の準新の再ポ敢の本質に閲すろ研究と云ふものは、基軒数若くば獅−大紋り調に不知不識影増さ れてゐる研からして、多くは情机詐情の一見皿を混同してゐ一匂と云ふ批紺十㌧免れ㍍いやうに‖心はれ イ㌔従って北ハの云ふ桝の㌫数の木賀なるものは多くは㌫敏一般の本粟で往な ︿して、あろ畔妹なる 丹心敢の本貿である。理性㌫敢若くば理想㌫放し﹂云はるペきものの本蛮であろのでぁる。崇敬の本貿 に閲す一U∴説の常腎に中らないのは云ふ迄もないことでぁる。かのカ.ソトが再小数に定鶉を下して、 宗教とはあらゅる本緒・γ仰の命令として瑚相識することでぁるとなし︵謙一︶又めらゆ乙八川の本拓を 刷の命介として履わすろことがめらゅる㌫数の本購を謁す桝のものでめイ烏 三︶と去ってぉるのは もとーふLリ、 マーブルヒ草派の∫−ヘソが ヨ小我の本領は伸への憧れでめる。基の本桐は人用外の㍍在へ人問の謂に憧れるのでぁる。宗 譲秋の木宜 四
わ 数は白からの人用的本貿ぉば無窮ならしめようとする願ひイで其の本領とするものでもなければ. 又それに兆いてゐるものでもない。宗数は人聞の不死の願を基の本徹とするものでもなければ、 又それに兆いてゐるものでもない。さう云ふ願ひはn己む黒押し、人糊む輌としても之を充たさ れんことを求める。さう云ふ〓心想は刺詰め長い行程に威してゐるものでぁる。再小欲は唯一紳を以 て、胃たものもなければ焉しもない桝の醐を見て成証する﹄︵批三︶ と云ってゐるのもやはりさうでめる。かう云ふ樹の拉解は軟水の畢新に於て二購に二見〓される桝の ものでぁるが、而もいづれも㌫放の木貿を諭するに粋⋮つて、椚机許情の見地む交へたものであつて、 ㌫数の本須む純容翫的仁考察したものであると云ふことが〓凍ぬ。構く人相雄及び土俗草の提供せ る材料む利用して民放心理堺の構成を試みたブントの如きすら㌫敢ノで以て艮状の精紳が一定の階段 に達して茹めて創造せられるものであるとなし、其の階段に至るまでの信仰な以て宗敢の酌階であ るとなした∩而して宗教は、入関及び基の周囲の世界が人間努力の最高‖的たる理想の欝現せられ ゲヘーレン てゐると芳へ・LJれる超戚堤的世非に係属する戚傭でぁつて、さう云ふ理想世界は刺々の硝押せられ ろに至って始めて完成される︵荘川︶ものと考へたの一である。ダントには創潰的綜介の頂裡といふ調 J﹁ン人ツルノン.r 法な追 基が手中に在るからして新に宗教なるもの∼俊雄するに空ろ湖描む説く串は左よで閃難で けれい亡ム、然し如からしては付物も珪じ㌧いと寸ると、︰祁故にやh︰ざる㍍敢の前附 はないでゃらう 宗秋の本質 五
8 からして如何上して㍍敢が律れて凍イハーでJりらうか。印ち紳講からして加Hにして㍍数が雄れて凍る であらうかり刑戊椚寸イ?−とが旧来たいことになる。それからブントが︰吊故に※謂む下して八川及 び其の川桐山世牲が理想的ト㌧超仲兄的世終に使用する焼情でぁつて、基Sノ理想的な超成畳的世非な るものは刺々力純理せられるに発って妬めて完成されると云ってゐろ研から考へろと、黒か小石放言ノ 前借と小串数と一で別つ研の粧畔〓之イで信仰の▲対象両州追に究めたものと云ふことが〓非よう。と云ふ のはブントは︰祁敢の前約l二於てはぃ仰の封免に鋸であつたのでぁるが、仰々の信仰せられるに至っ て奥の㌫敢始めて起ると考へるからでぁるすると小心放の本封ノで定めるものは信仰の判東でぁると云 ふことにトムつて凍るのでぁるが、然しH仰の封象㌧るものが果して万吊穀、り本㍍ノで定めるに足るもの でぁらうか。一醗信仰の対象hサムlbのは八州の屈む上覧鰻畏ノで謂し凍ってゐる。さう云ふ峠虔によ って種化する桝のものが宗放言木舅む規定すィ¢枕準となる繹にはゆくまい。何故かと云ふと枠堆な るものは常に不捷に存しなければならないからである。 は川 内Pコt−RritilハderワPごi裕訂コノ1雪害コP S∴琶 叫リーハ当ナUie︼㌃ご呵iロコjココ巧げPぢde↓Grenzeコd誓b︼○招eUくeヨ§昔 p ︼諾 ︵ 司 P訂nこ紆∽Pセ≒ご㌻∴㌘意暑戸︹∵岩 ︵ ′ れ ﹂笥2乙t−ノぷコ責豆﹃Ch〇言明訂・コ・ソ了;usGnd P己忠告・∽︷erTけi︼・刀■㌶¢ ︵ 三 崇敬り木質 _J▲ /ヽ
7 惟ふに㌫敢の本質を明かにしようと云ふには㌫数的惜政基物の分析を行ひ、而して其の不捷の契 機を見め㍍ければなるよい。さて㌫漱的椚協に於てはあらゅる心的粥麗に於けるが如︿何時でも対 象と別条に封すろ詫枇∽閻保とに分析が〓氷るのでぁるが、㌫数的醗故に放ける対象なろものは常 墨在性を有してゐるだけではなく、其の対象に封する詫軌山関係なるものがま に た一拍隅櫓のもの であるのでJ直る。 リウゲヘーリヒカート Tノ、ンでし〃イト ㌫数的醗戯に於ける封象に封する琵机S而係は従妹﹃依蹄の戚情﹂若くほ﹃痛棒の戚情﹄と云ふ言葉 て以て言表されてゐるので・巾一心。シェフイアーマ♪−は㌫数な以て我々が前石の革通約秋作Jで祈祝 して之に依裾うる戚情でぁると城 崎殊へ仕ろ再ポ敦机念り形成は情性り必然性に基くものでほなくし て戚情S必然性l︰基くもの。即ち有限しL無限とい舘∵の′戚偶に準っくものであるとなし二榊して其 の戚惜は純人冊的性情のものであるから、㌫数的緯囁ほ人類に限りてのヰ槻的作用でぁろと考へた のでぁるハ許J。さればシュクィアーマバーに於ては㍍敢的惜瞼に措ける封象に対する差配の関係 なろもの∼は伏裾の戒惜として現れ、而して常々の心的葎沼の他の方而ノ1r調せろ認識や意志とに異っ た桝の成僻に基いてゐろと云ふのでJ項る。然るにブントけ依鋸の成仰やゃ痛い欲求㍍ど去・でらのは ㌫故的腿戊の部分的助伐たろ呈は出水るけれどl∴ポ放の木賃にのみ崩して居ムものではない。宗数 的鮎中の進んだ状腿に通した場合に於ては伏蹄の戚備は榊との令一と経って了ふし、又華醐の欲求 宗敬の水賞
8 宗教の木質 八 ノゥゲヘーリヒ は内的秋再翌の中に消えて了ふのであろ。而して覆る研のものは揖に超城見的世罪に係属するしし云 ふことだけであろ。是れあらゆろ形式、あらゆる色介の㌫数的描腰に舶右なものでJのろのでJの去。 而して超戚堤的世界に係崩すると云ふことがまづ第一に成情的に現れて誹ると云ふのでJ可るがーさ ぅすると、ブントは㌫数的醗槍に於て対象のま祝上対するm係はシュライアーマハーの場介に於け るが如く戚情炎物ではなくして、超戚畳的世界に係属すると云ふことであつて、それ∩椚磁情でぁ るのではないのであるが、それがまづ戒情的に現れて凍ると云ふのでぁる︵鈷二︶。ウダントが㌫数的 慨敏に於ける対象S詫睨に射す一工闘係を以て遇戚史的他界への係属であると云ってゐるのは情況桝 を要すべき鮎があるにしても、而もなほ宗教的熱中の高揚した状腿に於ては依蹄の戚僻すらなくな って了ふと云ってゐるのは牲志すべきことであると云はなければ行らないやうに思はれる。とにか く宗教的惜脇に於ける対象に封する韮軌の閲係なるものは、心的生活の一方而たるに止まる成偶で もなければ、認識でもなければ、ヌ意志でもない。何故かと云ふと、㍍敢的惜脇なろも・いはそれ等 の一一よりも更に根元的のものであるからである。然し㌫数的椚脇に於ける対象に対する詫蹴の榊 係をば成僻と呼ぶものがめるならば、之を戚怖と呼んでも名義上敢て差文はあるまい。が共成情な るものはナトルブの考へたやうに、認識や意志や構想と舶並んでゐる姉妹住職園ではなくして、 あらゆる心的生活の共同的根概たるものであると解さなければならないの一は云ふ迄もないことであ
9 する材料や宗教史の示す研を以て見れば明かである。 宋秋の本賞 る。既に㌫数的醗喩なるものは心が金的に超成増的な耳在を把超する現地を指して之を云ふのであ る。而して心が金的に超戚史的な黒在む把捉した現地に於ては心と対象たる所の鱈荘との聞には些 の間隙をも残さないでめらうからして、之を一両から見ると、宗教的醗峨なるものは心と対象たる 潜在の蹄一であると云ふことが出水よう。惟ふに神秘敦に於ては納入合一を説くのが常であるが、 然し心と対象たる璽在の抑一はめらゆる宗教的醗蹴に通じた境地であって禰り榊雅致に於てのみ見 らるゝ例のものではないのでぁる。宗教の本貿なるものはさう云ふ脱硫瞼に存してゐるの
り丁エルレーナ一バス であ
る。而して宗教的惜陰に於けるこのま軌伯方而が云はゞ其の形式的契機であつて、客租的内容の如 何に拘らす不堪に弄する所のものであるのである。宗教のアプリオリーを窮す研のものは即ちこれ であるのである。 旺目 許r訂ieヨPe訂r︶eeberdieRe巳giOPH巾日日胃g・T呂巳誇r・S・諺−試 問 司告ぎつ賀ハe竜qC訂lOgi¢HI・巳盲2∽已nd謬ligiOP・望erT阜S・可・っのーゴロ四
然るに小吊敢的醗墳の客観的方面帥ち丑象的内容のカから之お見ると、丹パ敬意識の輝展につれて信 仰の封象居るものは幾多の撞鱒ぜ翁し非ったのである。それは人相坤や土硲挫の提供する㍍故に聞 九ユ0 宗秋り木㌍ 一〇 マイヤー・ほ万石致に於て封象′で来象すろ什カに川泊りJツリトししてハ∵りいでJのろが、北ハの川泊りし上玉 ウンクー十トーニアリト ムのは、∩然雨下的/〓然的、超〓無情、肘而土雄的来象の什カであると云ふのである、其の∽一の 衣象の什方では呪物相野が北ハの最1h庇い階投に立ってゐろ。自然人に取っては戚宜的に知見される
、も
か若くは域宮的に効用されることの〓誹る所のものが材質㍍るもので精細〓然
人に取っては肉 醗を肛へた成宮的なるものでウ0のであ一〇。か︿て宗数的帯想・り構戊すろ用の〓仰の封象も招H的 な紺脇非に究められろのでJのろ。而してこの階段に於ては信仰の対象と通常的串象との鈷介は因果 の閥係であるとは未だ考へられハ仏いか、しして、それで基の問に内的紬庸か〃してゐるものとはされ ないのである。かくて硝押される呪物の情動の来免される唯一の形式に焼抽でぁるのである。而し て信仰の対象たる所のl成宮的な封象の蕗愴に射する聞聯の比摸的緊府側でない虚に於ては、崇薮的構 想は勝手に跳梁するのである。何故かと云ふと、信仰上の構想が紺輸的認識的臓構むたよりーしする 宗教的傭描的さーi鱈銅鐸によつて指舶されなければ之一半串くものがないからである。腎際呪物を純押 する者には登仙外が魔の世非であるのである。研が〓然的にして押瞼的︰′−表象山什方の起るに至っ て始めて紳を創造する所の構想の溝助が更に制限せられて伸万石た現黒の車に引入れるやうになる のである。がこの隅段に於ても信仰は其の対象を紺協約税鮨の巾に究めるのでぁる。けれども㌫数 的構想上の▼対象の結合は東軍偶然的な勝手気偶なものではないのである。即ち㌫数的因果僻群が自11 然的押収的解押に従はうとするに至るのである。それで信者が宗数的に解挿すろ串寄は同時に物的 箪寄であり、而して其の弔鱈は庇ほ的若くはー=‖lほ的因果解揮に於て何等かの知壁上の事象と閲係が ウンシートチユTリヒ 付けられるのである。質際〓然而†的ハ甘衣象の什カか らして自然的な表象の圧力ヘ移って行くのは 金︿帽む追うてであつて、而して同一なろ㌫敢に於てすら両署の舶並んで術はれると云ふことが稀 ではないのでぁる。従って基の問に限外規を引くことは出水ないし.而して又弟鱈上両者の混同し ウンクーナ﹁.tTリヒ た形が侶仰の対象として存してゐるのである。多くの場合に於て自然而下的な考へガの商周な形で ぁるか、或は自然的な考へカでぁるか疑はしいことがあろ。それ・で村越に呪物縄邦が止んでn然縄 邦が舵ょるかを正碓仁定めることは侶楽互い。若しu、月、天、叫河、海と云ふやうなものが紳 として硝邦せられるならば、人間の半不幸の開怖が構想によつて信仰の対象に運び入れられるだけ ではなく革ろ一般に知畳の対象基物に戚膚的紳助と闘係のないやうな楷徴、性肇前勤が錯せられ るのでぁる。かくて〓餓刷と㈹邦されム呪物との問の差別と云ふもSは州封的のものであるのであ ウンクート一ト一丁リl︰ る。n然面†的互太東の什カと〓然的な尤象の什カとの限界に立ってゐるりが例へば韮魂の冊念で ある。死人S⋮肌魂ぉば榊とすろ頂射的な人川に取ってはそれは疑もなく成一I・で的知見の対象でわろの でぁる。彼が妙に見る研の婁セば彗際知畳すると㍊ふからしてやはり戚宜的物賀的なるものでぁる のでぁる。而してそれが不〓議圧親株悪い何物かを有してゐる限ら腺仰の対象となつて凍る。従つ 讃歌ゆ本梵
12
て一段進んだ相拍のものとだつて都るのでめろ。其の上往ポのれして㍍㌫分力形相⋮︰が弱められて死
者の吊肌魂に裾せられろ宇フにへ㌧ろ。再伸.肌魂硝押の頂鮪的圧形は皿先塁理でJ項ろ。凧先日需什か・しして基 経黒押が起って非る。飢死丹パ邦仇・英雄川.吊押はらとより㌫数的信仰でめ一心誓・ごあろ。皿先付バ押及び姉に英雄黒井の毎はれてゐる研に於ては死新り景魂は刺として吊小められる。所で死粛の小冊還が動物植
物基地種々の物と結介する研からして、呪物祀押しし混じた∴の形が起って凍る。これが即ちトーテ
ムの衣象の仕方である。自然的な美貌の什カが勢力■で得て凍て戚宜的揮協拍車象の中に信仰の対象
が見出されることになると、椰々の榊が創造されて凍る
ことに㍍ろ。帥J∴小欲的狛㍍附繹が粥神山外に覇紳なも創造して之七硝押し而してこれに由って北ハの醐七避けよ
うし。するやうになる。が宗教
的経験の進んで術く研か、㍉
Lて一度創造せられた細々も其の形は攣らすに存してゐても基両性楕は 担って行くのである。かくてn然的な衣忽の什カでは宗教的粥暦解藤の要求ノγ満足させないことしなる。つまり㌫放的絆喩に於ける文化的∵倫鞘的鞘輌的財黒が苅んせられろことになるに従って臼
然的な衣象の什方はめまりに局限せられたらのであるからして、㌫数的構触は之む打破して丁はな
ければならない。かくてn然的な衣貌の′什方咋超〓然的尽衣魚功什京へ移って行くのでぁる。さて追白然的は表象の仕方の聴撒と云ふべきものは信仰の封象が最早正接に押収せられる現鱈の中に責
められないと云ふことであつて、此の階段に於ては信鶉は敢草信仰の封象む現∬なるものとして衣
買取ゐ本質;n 象し得んが謂に之′ピ成宜的に捏騙するの必要な通じないの一で直るが。勿論H仰の対象と戚膚的に緯
瞼され得る世井との雨の闇聯が附けて了つた繹ではない。と云ふのは信仰の対象なるものが戚宜的
に緯癒せられヌ戚宜的に捏癒せらるべき視野む如何やうにか若くはいづれの部分に於てか制約する
ものとして表象せられる限りに於てのみ現賓なるものとして考へられるからでぁる。が倍仰の対象
基物は決して成官的に紺醸せられたものでは㍍くして、純粋に︰構想上の物でぁるのである。而して
超自然的階段に於ては翻訳くは刺々が世界を創造し又之を支配す一言云ふ睨念が㍍敢の抽く可から
ぎろ要務となるのでぁる。是巨即ち超絶的㍍紳とn然的に紺燈せられ若くは経験せられ得べき現篤 との純分圃聯の衣現せられたろもめに他年らないのでめろ。超n搭的㍍美象の階段に於ては紳は最早成宮的に絆験せられ互いもいであるに加速禿いがー然し信仰の封象はやはり多くは戚宮的肛睨的
に衣魚されるのでぁる。是れ最む満仰望誠に㌍Lもさうである。殊に刑−刷新くぼ榊々し去油せんとの熱望よゎして之れに人間的性蛮を典へることに㍍るのでぁる。蓋し伸と人と智同じ形同じ性貿の
ものと考へる主烹ことはぁらゆる㌫敢の木貿に存してゐ一。ことでぁつて加川なる㍍放も公然之む
統去って了ふことは〓凍ない。それで人格の鞘念ぺるJ品は川根=然的圧表簸の什カの進んだ形に於て始めて現はれて凍ろ・即ち刷新くぼ神々の道徳的精細的特徴の叩きを附かれてゐる研に於てはつ
きり現れて凍るものではや匂けれども▼〓仰を和する者に取っては衣魚のすべての隅段に於て紳
々
詣敢ゆ木耳14
が人格的㍍者と考へられる主宕ふことは云ふ迄もないことでぁる。而して苧フ㍍つてち紳むば戚官
的に表象することが滅びて了ふと云ふ澤のものではない。が西里的批判が信仰表象む指導すること
にト†り、而して㌫数的構想の作業を持切って了ふことに有ると、同橋か本蛮的に縫って葬る。エツ
クバルトの信仰の世界に於てすら市坪が信仰Jピ支配したので直るが、然し君雄的㌦高か㍍数的構想 、㌫数的美貌氾成の頂始両地血はナうしても全く拾1一られて丁ふ。の上に立っことになって凍ろと
而してさう云ふ慮に於てなほ㌫数が存してゐろとすると、信仰の哲雄的形申⊥隼的な来象の仕方が
ウン,−トナユ丁リヒ 自然而下的、n然的、及び超自然表象と結び骨いてゐるのである。而してそれは他り三ポからして引出いて自然に出て雅たものであるもののやうに見えるのでぁる。信仰い侶而⊥草的ぃけ来象の什方
が微頭徴用精潰の地位に立っ程極備に行はれてゐることは多くない。で普通には信仰衣塊の亜粟な
翫に於て或は之を斥け苅くは=れに攣形を輿へるに止ってゐるのである。とにかく匪祀㍍数日陥園内に於て形向上型的認識の批判的所動が如何なる鮎にまで達し得るものであるかは彿徽が之なホし
で居るのでぁる。勿論沸教の信仰の世畢卜於ては㌫数的構想が何超にも劣らす其の勢力空軍フして
ゐる。がそれと同時に常掬血批判が柏鵡に形増してそれむして全く無刷論的のものたらし空しゐる
のである。然し宗教の中に押見解的若くは一般市坪的即研が㌫数的構想の所動を指苺し而して之と修
正し放める慮に於ては川越に於ても批判が締はれるのでめろ。而してそれは取運したあゆる宗教に
宗教の木食】6
於てさうである。それで何握に哲軸的誰識が宗教的構想中支配し始めるか、其の限界赫を引くこと
が困難でぁる。それから市坪の酷系の中には宗数的動機が働いて督坪的招識に大なる刺衝五由へる
だけでは︰てして、それによつて獲得された世界S枇非の衣象に宗教的茹包む賦興す一言のがあ る。:ノザの惜系の如きは其の拙著なるものである。云ふ迄もなく⋮ノザは全く認識的に之を打建て而して心情の野路的要求をば努めて認識的興味に従旭せしめ与フとしてゐる。けれどト異に
於て宗教的動機が如何に有力であるかは紳の知的愛を説いてゐるのな見ても分かる。而して言ノ
ザが安伐と軟蔓とを見旧した基の愛なるものは即ち宗教であるのである︵竺︶と。以上マイアーの述べてゐ一品は一々の郡ト︰就て去へば幾多の疑義があるにも的・呈、包満的な見
地に立って宗教上の信仰い封吸お論じてゐる研は大偶に於て北ハの節電てゐると云ってよからう。
ある。を
とにかく入関粕輌の敬展の如何に従って信仰の対象たる桝のものは光って非るのでれで信
仰の対象たる捕のものが舵であらうと︵n分ほ魔め信仰を以て最も砥い椚段に崩するものであると考へち鮎に就てはダントに梨成する。呪物潤邦は魔の信仰から派生して雅たものであり、且之な痩
イブー
悲してゐるものであ一言‖心ふ︶或は又習隼的形而上隼的な理念でぁらうと宗教的信仰の対象たるに妨げはないのでぁる。例へばセバロン精のブユダ族が魔香南仰してゐると寸ちと∵てれは宜派に故
人イスクレナ丁 等の㌫敢であるのである。をれからマイアーも既に論及してゐる言ノザの本醗の如きものは窮よ
宗飲の本質l¢ ち、西南弼週派の説く研の眞、華美の維射的惜位の苧フなものでぁつてち完数的信仰の対象たり 得るので争わ。然しさう云ふものが㍍数的信仰の封免となるのは、それが公的なるものとしての心 によつて鱈在として把捉せられるに由るのである。此彪に哲草と㍍敢の限非が存して居ると云へよ う。蓋し哲隼なるものはm心惟を以て始まりM心恨ノで以て終るのである。それで到通せられ化世界恥入 ケダンケソ二/ルパ∵イ一 生軌であつても〓心想作業に由って独得せられたと云ふ迄でぁつて、基れが醤毎た止ってゐる問は 基逓に安化の蝿飽の拓けて凍るものではないのである。桝が宗故に於てはさうではなくして、ゆる がぎる確信となつて凍るのでぁる。それで宗教に於けゃま睨の建遁は哲雄に於けるそれとは全く異 つで凍るのである。足れ野に㌫敢の生命でぁつて、これぁってこそ鮨めて宗教でめ♭、これなけれ 〓凍ると云ふことになるのでぁる。すると昭草と㌫放との和辻はそが判免に対して執る桝の心 . ば哺耀なろ粥枠上の批解脱人珪租たるに止iるのでJのる。然らばさう一字ふ差別は如何上して起って 凍るであらうか。n分の侶する所に操ると、世界租人世軌の内容が公的なるものとしての心によつ て増在として把握冊瞼せられると然らぎるとに由るのである。 かう云ふやぅに考へて凍ると、常嘩の到達した研の世界軌人圧租がまた再パ放言■対象となることも の腿 度山小道に山るものであつて封塊の性須如何に由るものではないと云ふことになる。従って信仰の 対象は人格的のものでなければならない理由はないことに㍍るのでぁる。マイアーは既に述べた通 宗教り本質
7
♭、紳若くは神々と交通せんとの熱望からしてこれに人格的性質を輿へることになる、紳と人間と
を同じ形同じ性質のものと考へると云ふことはあらゆる宗教の本質に存してゐると云ってゐるけれ
ども、必ずしもさうではない。否前に人格的性質を航興すると云ふことは宗敢の本質とは何等本然
的桝係なきことでぁつて、唯宗教螢展のある階段に於てさうであると云ふに止まるのである。一慨
心が金的に潜在を把捉する原憶喰に於ては、ブントが宗教的熱中の高揚した状鰻に於ては依蹄の戚
僻すらなくなつて了ふと云ってゐる通り、人格なるものも止揚されて了ふのである。それで翻を人
格的のものとLて東泉すると云ふことは翻と交通せんとの熱望からと云ふよらも寧ろ紳に向つて希願する研があるからして之ぉ人格的のものとして表象するに至るのである。惟ふに信仰の判象なる
ものは自分が昏て他の盛で論じた如く人格に通せざるものからして人格的なるものを経て超人格的
なるものへと移って行くのである︵堅一︶。信仰の対象ぉば恨りに経じて榊と呼ぶならば、足れ即ち翻⋮鵡化でぁるのである。而して紳の進化すると共に宗教は進化して行くものと云へよう。而かも
宗教の本質は木捷に存するのである。
旺日 ソ︻巳巧、守↓C邑○甘d灰emO昏已昏宮n打$PS.詔干よ恕 拘拙者現代督邸への洩 三六六−三八︼五
以上逓ペたやうに宗教の本質は対象基物に存してゐるのではなくして対象に執すろ達観の側に春
真数ら本‡13
宗教の木賃
︼八
してゐるとすると、宗教の永通性は白から保護されて凍ることになるのである。何故かと云ふと、ま
税が全的なるものとして封象を把捉する場合には其の封象の如何なる和獅のものたろな問はす、何
時でも宗教的鰻便宜洩って現れて凍るからである。さればギーヨーが既成宗な、弼抑宗教の奥の信
者は益々少︿なつて行く。彼等はいづれの口にか全く無くなつて了ふであらう。思惟の似きは従姉
よりも﹂帰寮れの條仲と打㌣ワつ∼ある。人茹の過去の生活に於て宗教が禿きを虚してゐたのは、それが人刷り卿的道徳的椚功一竺働かしめる殆んど唯一の方法であつたからでぁる。宗教は入関のあら
ゆる高相な種向の出口のやうなものであつて、基の時代に於ては宗教お除いては机野や物貿的な偏
見があつ化ばかりでぁつた。然るに今や人は歩みるを要せすし一て思想家たることが侶妹、信するを
要せすして夢想家たることが出凍るのである。即ち科挙と密航とが生まれて吾々に無限の展望智宥
する範囲を捌いて堪れる。而して各日は基塵に活動の剰除を有効に任用することが出水るのでぁる
︵彗と云ふやうに云ってゐるのはやはらコント沈の宗教を以て和学以前の世界説明、科邸以前の政 令伶靴と見る見解に拘はれたものであつて、つまb宗教の木蛮をば信仰の対象に存するものとしたものに仙ならないのでぁる。椎ふに信仰の対象は頻るでめらう。然し如何に科学輩彿が亜降しょう
とも科挙薮術の承に宗教的態使が亡びて了ふと云ふことは考ふ可からざることである。
旺 の亡句呂,L︸訂l⋮鴨i呂計l、雪昏片.吋.艮が19
徳川の最後毘些二年春、長崎浦上郷なる潜伏キクシクソを捕へて投獄し、改心せよと迫空した∴
件は、プラ/ス公使の抗溝な受けて、同年末川従全部の即放で一旦終結した。然るに翌年明拾政府になつて、満び追鵠が始まり、その六月一‖数艮什十同人を他構割とするを芋飴に、明治時代の新
出㌍豆政仰の新純朱■で以てわはれ、外囲公使聯分の扶溝む安けたが、外に射しては﹁晃此ハLを約しっ 、、内にあうては1移艮l政策を吊ひ、改心せしめようとした。明消二年末に浦上肘艮英女王千伶人 ′で十人溝に分肌帆したが、1改心Lせしめうといふ政策は除り功を奏しない。かくする問に、明約川年 末、安政佗約S改訂を〓的とする㍍余大使一行が水間に向ふ串になり、代数の鶉に人艮を追癌する膵な帆は対等の岡安む求める資賂はないと封められ、終に淋⋮敢政策む放水するの已むを得ざるに至
りl 明治六年非には、敢艮悉惜鋸肘を許された。此が明狛初年に於ける明文井犯情で、今その際上放ける雄カの揖想叩溌な枇然して見やう。
徳川満船は明文押黙綱を遽扁する鶉に彿敢を同数として総て〓本人は椰敢の楢那壷を抽たしめI 明清和郎に於けろ切支丹泊粥の劇触常穀問治初年に於ける切立升迫害の思想背景
正
妨 崎
明治細枠lこ赴ける明文丑追書の思想骨栄 二〇 ・1再ポ門ポLの1ころぴL改心には、幣沸教の二ポに属せしめる串とし−慶墜二年の追昔にも棚庸ぉして 数誠の任に皆らしめた。然るに明治政府は沸教彼の進言をも却け、柳腰をして宗門新を敢崩せしめ た。目的方法は異なる接だが、間数ま義に於ては同じで、つまり一はをなすには布団人民同∴・加数 を準すべく、従って他観の宗教を串するのは扱逆に均しといふのが、共通の観念であつた。時に別 沼初年の兼政永−−聞には、各自内心の信仰問題と狗宜して、申m派の榊追御ど政治の兆とする凪が多 く 、‡政視苫と祭政一致とを躍るべからぎるものとし、此の焉に醐泄官を再興して入居の上に甫き ︵緩和郁新となり歌部省となる︶、ヌ紳輔分離を進行する満には、廟棚薬種い騒動をも通すに至った 位であるから、切支丹禁制は、その反而に於ける必然の結果であつた。 此際に於ける常路者の思想は、明治二年九月、急迫典隆の宣旨やその後の祁令に現はれ、つまり ﹁貴通﹂を基礎とした﹁祭政一致﹂といふ国数ま鶉であつた。稜1祭政一致﹂は﹁政教一致﹂と行7リー明治 八年大数院め鹿正、十年敏和者の鹿止で、段々に影が描くなつたのでぁるが、︵此等の郡▼ 口昂醸 ﹁日本宗教史L九六七−七六頁盤照︶、慶應四年︵帥明治元年︶浦上数艮の道雄が始まる頃は、恰も此 い由改正鴻が段々に新政仰の方針と行アりつ∼める時であつた。m押月十七‖浦上敢艮を各藩に預け るといふ塵卦法を公布した稜十〓、榊舐官の設拾を見た。此の二方而の政策は瓦に刺戦の竺ノセ串 と考へられる。
2l 耶淋は邪教なりと看るペかちす、既に米久世公の返翰に︵箭盟馴用い整謂描︶正宗なりと認 めhソー亡答へられし打アり。北売㌫む拒むは條理甲らぎるに似たり。然れども故には二掠なし.拗蒋篤 志の外に侶です。宗門け数お施すの要路.人心をして靴徹せしめす、同紙一致なるを要す。・・;⋮・世
人共蔑視貸守り一ならざろペからざるな知て、敢法の︼ならざれば、頼も問梢の立ち雛きむ知らす。
僧長が本願ヰーニ勝つ傭はす家嫌が一向乱に苦められしを似て知るべしー名指と排も自由になす構わ
す。⋮・⋮叩隼・⋮⋮
︹附詑︺ 名肺り光L能11n叩み川音溝l主な苛つぜいふりてわろが、つ果り、中井沸赦克ビがわつ㍗から、此の如く糾問な過し 圭ビいふ悉抹でわらう。比良l二鳥頂一揆の糾わ引川しないのに一帯でわろ。 蓋し烏氾は水の如し.侶迫は拐の如し、既に少しく頂戴む加へたり、彿氾は茶の如し.耶鮪は泊明で、その文ほ左の如くである。
間に於ける同数ま義の思想を机察して見やう、基一は、元年後年又は二年前半と思れるが、筆者不
改ま苑の言論は、別として、此の外交談判の周に出た神々の建講や級別中の言論を材料として、此
和呼應して歩む進め、その間を縫ふて、外囲使臣の拭溝も闘えす行はれた。他力面に於ける紳近隣
此の如くにして元年の溶から二年の殊にかけて、開放ま義の落行とキリシタン禁制の断行とは、
明拍動咋に於りる明文井出昔の脚朝野動 × X22 の如し=水は世人必要・い物にれど、北ハ肇きゃ知らす、陽より︵も︶茶お愛し.茶より︵も︶河戸好む、 世に酔人の多き所帯︵刷︶掟丘も 抑卜皇政復古し▼ 政利一得し、摘∼天†川一致に蹄せしりんとす、北露車消炎に†寸γ下されし裏 打†りり然るに空婁と描すろ数正信王∴心して、甚雉根を和めたりり現に醐嬬彿と椚して二︰大綱Jで㍍ + し、儒彿ヌ分派して毀統となえ∴日誌大下S人、吾人曾すれば邪心肯なり、か此してに川れの〓、一 致の期に苧0ペきや。今又耶鯨一㌣抑えん時lユ論陣徹の兆なり。故に耶弗む〓むは耶鮎・γ㍊Jぴにぁ ら す、‖本山人心嬬糀徴せんを恐るるなり。 今、関根大噂革の用命に乗じ、大に教化J£几し、儒彿が㌫派ノで分け、苗掴む樹つろ一軍放制せんと する石詰署の峠なろに.耶茹の混雉わ痩けては、端岡乱山基なれば、政府ねく是む起て、堅く謝絶す る所以の大汗と、向雄‖本桐有の大道、混裔まで肛服し、人心田結したる樟吊効と、中古以凍封入の 誹憩籠排除の〓的弼々捷証し、仝何のカ一致して政府の捕柿平たるに至らば北ハ節に及んで、耶鮎の 正数なるむ克て、政肘より・公然敢帥■で晒し、‖本の化育を堂せしむべし。︵下略︶
合冊の詫張は明自でめるが、数の正邪は問題でないといひながら、中音以後の講愚説を排寸とい
ひ、又耶蘇が正しくば措雑此肘で之Jで迎へぅといふのは、暇令ひ﹁即納Lにしても、つまり数は上の典 明沼・朝隼に於けろ明文廿氾告の揖まとl帯景 × × ×幻 る撼に見へたト。 明治御車lこ於ける切支丹適密再爪細膏痘
文側聞化の閥は大迫を話する迄にして、宗門の如き拍兼葡に骨ての草なしと。故に秋雄比布政府
に於ては、基人艮好む塵に随ひ、宗門Jで自由に倍せしめ、妨鵠することなし、基故は研未の矩にし て、士君子の力を悉すべき稚の串にぁらぎれば也と云へ⊥馴机錮齢の︶。欣雅比の開化は基雨水久し くして、円木より二三胃年轟の見なり、牧園にで陳腐h仏りと見る敢ならんには、別段外憫へ拗諾するに及ばぎるペし。然るに糊満にカ一灯川る越を似て是を考れば、未諭にもあらゃして要用なる串あ
ゐる。 し化りLといひ、﹁儒も近残数派あって椚窟人を零す﹂といふ如き、茹末以雄榊迫者の思想を代表して ﹁水損茶喝千古の発明Lと威服し、﹁刺通も中古侶俳に赦せられて取離なりしが、近凍柳音義に復 る所、それを秘するのが人比の義務だといふ考へである。序でに此埜指笛に、朱普の附記がめるが、 次の一雄溝詩は、外囲他日が倍数の白山について鋤碧したのに答へるらしく、明治二年末に出た かと思ふが.その所論には、白山といふ意味な諜解して、つまらぬから発てゝおくのだと見えてゐ る。鬼に彗 その扶棟に構る思想は神道例数詫舐である。此も先のと同じ頃のもので、筆者は不明 である。 × ×24 二四 明治初年た於けろ切支升迫害の田畑背旗 日本は三百年程の弟にして、開化の力も混し、⋮⋮人日本特別の難解や必要を説いて︶⋮⋮・・ 耶淋も亦然り、今より三石年前、西洋敢仰瑚㍑潤す此宗旨を布訳するに託して、日本を傾けんと 企て陀り。此事大なる莱値となりて、前後人を殺すこと二十入荷人に及ペり。是より日本人は上下 食騰の別なく、大に耶群数を恨み嫌へゎ。是れ噌を以て食を燈する理に近けれども、一朝に足れを 醒燈せんこと極めて難し。 日本は一和の敢あり、俗に挿して榊追主雪 是は此国利割以雄固有の源追にして、しかも問慨に 関係すること重至要捏アり。上古は天子州ち此造の師にして、師則君なり。然るに中葉以水、支那の 儒迫.竺土の彿追侵入し凍て、固有の大道泥漕し、人心初て離れ、邪説漸興り、今に至って更に排 明し難し。方今陶政大岸串の機骨に乗じて、右の彿迫儒道をも一洗せんと欲し、宣教使を聡く。抑 儒滞の数、基源婆各別あるとも、共ま窓に至りては、君父哲赦し、倫理を軋るの甚しきにめらす、只 基数温派分するよト∴ 人心向背一ならす、足れ同債の立たざる一大癖嘗なb、然るに耶淋敢今叉基 悶に鼠入する峠は益混雑を珪じて、全閉の治平に蹄する目的なし。 日本に俳迫の胃壁延したる、全問のカを十分して基二三を食するに至る。基人民を新し、貸財お英 し、闘カを衷弱せしむる幾許なるを知らず。然るに近古基追及派に分れ、各基読替ま成して、観良 を共布に誘引せんとす。故に全問の人心益解散して一致しがたし。今耶淋敢を加る時は、爛合憤の
鮎
期なく、更に背坂を促すに革り、阿沃の人嘩猶一息哲添る如し。是れ日本の開化を妨ぐる重菱に
して、同盟攻雁の喜ぶ彪なるや、抑憂ふる踵なるや如何。
日本の観たる人倫の泣明かならす、問政無援▼庖暴を令び、天理に反対する民俗ならんには、外
国より教化を加へらるべし。今我間闘化進ます、同氏漁協のものありといへども、理倫に背き天網
を乱る新に至わては未だ甚多からす。此上図民を一致せしめ、泥輿水偶等の俳像努贋し、唯一鼻薬
の致を宜べんには、別ち隠然耶淋盤敢の本意にも邁示するならん。然らば鞘.教化誘覇の郎に至っ ては、暫共自国の政府へ任せ喝外閑人の手を労し、世話をなすに及ぶまじ︵く︶恩ふなり。 ・⋮⋮︵指輪膚止の事を述べて︶⋮⋮;宗門一致せす、人心離散したる澄跡は、近凍浦上村中へ太神宮の敢を建てたりしに、村民共、是
を唖蔑して更に信仰邦放せす、其仙華未める薗は、是を外して出入せすと。抑太紳宮は我開剋にして、
天虫陛下の剰宗なれば、深く紫敬せぎるべからす、是を唯放するのは∵今のヰ上を軽蔑し奉るなゎ、
基他の紳就も亦、基彼喝或は肯雑観家の馬︵に︶大有益なる事を渇し聡れ玉ひし人を祭りし打了り。基軋前にある弗哀ぉ出入するを碓ふは、是日本人にして上古右功の人哲昨蔑する打てり。此串極めて
軽からす、北ハ洗弊造に上を疎み、同軍︵岡?︶の人を蹴れ、外団へ踊伏するに至らん。足れ課せぎる べからす、附せざるべからぎる大卯也。彼の悪法︵綱柑洲網︶を犯し光るのみを到るにあらす。 明拍和郎に於ける切支丹追啓の鳳佃背景=6
更するに此仰の紳周囲秋和が骨⋮帖の改作に普くぁつたのでぁるから、敢艮に射する成じは叛逆を
以て扱ったので、ヌ外囲仕〓との談判にも、それお肌言してゐる。朋治三年末︵竹福︶E国教班が聯合し外拓椚に⋮班して抗議した時、㍍倉石大日も澤外路卿も、擢にキリシクソなるが政、でな︿奴
逆だから附するのだとヤりつてゐるC之に対して、外聞他日は押しっめて、奴蓮といふも.畢寵はキリシタンを信するが放で、結局倍数の謂の故の尉じゃないかといふ諭鮎を進めてゐるが、それに射
する答は−やはり祈窮論法に外㍍らぬし小石倉の言は左の如くでぁる。 1兎に角、天子の致を准じないから器するので、北ハ以外に理由はない。⋮⋮キリソクソだからとい ふ串は,つまり皇国の数を奉じないといふ事。輌迫の敢では、天子は大柳の御薗であり、天子の政 捕は,涌から出てゐる。然るに耶淋は、此の敢を信するなと数へる。浦上の太榊宮へ彼等が磐升し ないのは,即ち天子む相成するものであろ﹂云々︵桐は弼い言葉を川ひてある︶。つまり先王描げた建議の内容と同じて、政府部内では、大に溝を練った結果と見え∵岩倉は最も張く之む代来してゐる。
此の楼な考が政府部内を支配してゐたのでぁるから、慶應四年の春に長航路僧肝が、対数民罪の手
強として、浦上肘太紳宮む建て妬めたのは、胆に数艮な試みろ鶉の′誓じなく、大和宮の丹誠にそい心
を晒せさせぅといふ着から出たのである。そこで同年秋、俳教範宗の諦本山が、敢諏の任那を引き
明治初年lニ於けィ〃切立押迫〃︰=のH−.小鮒背封 ×崇7 受けうと太政官へ申し〓にのに封して,其の偶に及ばずと拒絹した︵八月骨三日︶。ヌ浦上村民が諸
藩に配間された後にも・憐情・加賀ほ損などでは、彿仰が軟禁獲完外、講溝川れも榊俄にそ
の事を掌らしめ、岡山溝では照代敢の数帥を使用した。而してその教訓の内容は、何れも官鑓等の
言ふ研と同じで、‖本に住まれて外囲の数な準する不和令£力めろ。又に天子撲の椚忠恕知らない
かとか、太紳宮描を升めといふ持ハ仏mむ正にしてゐる。キリシタソ信仰の箱鮎、教徒の鮎申して居ろ掩互の事などには公︿嘲れてゐない。而して沈心し㍑といふ鶉には紳軋に療邦させた沸もめる。
和弘同数といふ睨念から見て、又二石赤水同定粗念の結果として、浦上の敢艮が外囲ハ=薮帥と聯給するといふことが、時に宜府のにらみ麒であつた粥は云ふまでもない。談判上は﹁敢の邪正しは諭せ
す主雪ても、心の内には、外数即ち邪教とふい観念は中々張かつ㌔中に具高等甘夏にも、竺
府多く下級宜揖にほ︶、切支叶い内容なき∼−又は塾祉の醇朴にほして、判支升は小窪として必し も邪宗じゃないしL、案外の〓心をJlて考へ正し化人もあるらしいが、鬼に乃糾偶の敢な来て∼外故に 蹄寸るといふ串が−大卯だと〓心ほれたのでぁる。刺通揖想と腫夷⋮芯との醐紺も、その間には右カ の分丁でぁつて、開聞lま已むな得ハ甘いとしても、此鮎に於てはやほり摘夷を那須するつもりであh一、 沸教も亦排斥せら一山ベさもSであつた。此の穀雨の刷追定義は▼付し、基の根粧に於ては儒教‖心想にも瑚鮪して、新政府に立った人々は
明串朝咋lニ於りろ明文井追勇め風面爾恵28 明清和咋ド於けろ切支丹潰尭り揖加瀬薮 二八 常儒教‖心想に育ってゐた。且っ徳川時代以非、士分の追相川仙想としT、放卜しいふものは、土治者が 定めて、下被治者が之を春すべきもの、且つ治者たる新の内心経信とは必しも一致しないでも、被 治者民衆︵又は愚比ともいふ︶の放としては、何ものかセ典へて、それで撰心暫準ひさへすればよい といふ考を抱いてゐる。基故新政肝の中には、自分は必しも刺追信者でなくとも、政治の上で皇室 中心を潜行するには翻道を更寸るとした人もめり、をの翻道も通俗の醐軋崇邦さへあればよろしと する。熱心な復古醐追鶉は、それだけでは満足なしかったのであるが、その他の人々も紳氾開放ま 鶉に一致したのは、此の鶉である。 兎に乃此の如く宗教信仰についての理解のない人々が行った政策であるから、敢民の熱心も理解 出水す、又宣教師の行勒も、疑心の中に隅円心を生むで限に映する。数民がアニマの救といつて熱心 であればあるだけ、頑迷不駆だと考へられ、上の命令に従はすして、外闘宣教師に心酔する不都合 な奴だと思ふ、数民が納札の鳥居を出入しないだけでも今の攻肝に忠ならぬ者、﹁課せざるべからす 附せざるべからぎる大卯Lだと晰する。且つ又解除に敢民を踵分するに常って、死を以て威嚇し、土 民百姓だから、死を恐れて容易に屈従するかと思ふと、その反射に中々信仰を朗守する。それ見ても ﹁宗門﹂のカの深く人心に喰ひ入るに楷くが、そitだからその信仰を尊誰するといふ方には向かす、 反射にそれだけ恐るべく冊むペきもの、﹁宗門Lは人を離せる晒仁と見る。それだから禁巌の必要を
29 といふ意見は、つまり閲改ま鶉の結北である。 ×
他方、敢艮側の梢翻状嘘を見ると、何よりも先に二而年雄迫韻の中に窒息した後に、口の日を見
たといふ提活の悦びに加へて、独居を忍んで内に潜むだ追伸がめト、又天稟敢の敢として、人生の
大事はアニマの救の外にないといふ瓢に熱中してゐる。而してそれな典概的にバライソとインフエ
克に相反増し柁のである。
一骨威する。此の如くにして、迫溝は峻故になら、﹁断乎たる越澄Lといふ方に進み、教氏の熱心と勿論、攻肘部内には多少の晃和諭はめつたので、常時長崎で肇に潜った大腿八太の如きは、教成
熟心の戊に否を巻い化一人であつ柁、︵公刊の淡謂以外に混練でも放校からその串をきいた︶。而して救民の心む入れかへさするは、腰迫や紳職の説教では駄目であるから他に何か優れた歌を作らう
といふ尭も出化。小村敬宇にその事を和談したといふが、その集の賛成者も、つまら数を上から輿
へるといふ考に於ては▼俵田論者と異なるものではなかった。浦上村民の何ふろ所によれば、預け
られた諸藩の役人の中には、数民から天ま数の内容をきいて多少同情したものもあり、又信仰に入
らうとした者又現に浦上までついて凍た者もあるとの箪であるが︵それは多少の誇大はあるにして も︶、政府の要部にある人は、全く考カを異にしてゐて、侶命ひ内容は邪教でなくとも、砲焚すべし 明治勧桓に於ける切文升泊鰭り脚朝野穀 × ×;犯
明治朝咋に於けろ切立汁氾苦り心欄曹栄
二〇
ルノとの対照で活き′1と心に描︿。此翫から云は\死は恐るべき射でなく,マルチリヨの死は
却て光粟である。勿論多数信者の小には、それはど熱心でないもりもあつたが、然し凱⋮心者の感化
で勒かされろ。それで役所へ羽目されろ布に死の畳悟をし、その前夜には大正堂に行ってミサを受
け、殉教の光琴で歩みて勘助するポも少からすぁつた。拷問にあひ、基小水の中につけられても、
限を天まに洗ぎ、芋を胸に草し∼、サンタマリヤ描を恨に見たものらめる。身備に何の戚じもない無戚魔になつた老のあろのも、つまり、此の信心の集中、天上の展望といふ別抑のカが働いたので、
舌代の殉教者にも金くある例な野にしてゐる。
此の如き熱中恍惚は、特に女子に多かったらしく、各藩での擬しい拷問にたへ通したものに女子
が多い。拷問者が女子か魂他にしてしまつた場合には、始は恥の戚もめつたが、そを油b出けるとー現栗には威兜を失った状態になつたらしい。此は拷問する者の思違でぁつて、女子に苦痛を輿へう
としたのが却て別柏の精刺状植苗誘致したので、同様の結果が大正八年の朝鮮故昆摘問の場合にも
現れてゐる。基他、苦めらるれば苛められるほど、反捨的に抵抗力を増す︵勿論容易に追惑に屈する 薪以外で︶といふ一般の心理については、一々述べるまでもない。アニマに刷する侶仰は、云沃ゞ仙人本位り租念であ・るが、天産放従には、その赦曾の構成につい
て世界的抱負がある。それが此場合には、庇捜にはフランそ完教師に依融すろ心になつて現れてゐ
31 るが、兎に角、世界韮義であろ。同家ま義を固守する政脾着が、偶人主義と世非ま義との二端に射 して、冊悲し叉■深い嫌疑せかけたのも、決して触⋮理ではない。教徒s・世界正光が此の場合にはフラ ンスに依戯するといふ方面に現れ、特lニ慶些二年の場合には、フランス公使の談判が有効に進むと いふ事は、宣敬称にも信徒にも有効の文革であ㌻ヮ、明治の場合には、各囲の連合になり、一桁有力 になつて水た。但し一般信徒にとつては、此等の外観班助について政治上の考は伶りなかったらし い。而して叔後はロマのバツバ様に伏崩するといふ考が大なる援助であつて.此は二百年雑の遇樽 粗念である・。凱衣の宣教師に逢った時にも、光つロマから雄たかといふmな敬し、その経めを得て 安心してフラン孟且教師に倍現した位でぁるから、宣教師の倒錯、従ってその観の政治的勢力とい ふことは.信徒にとつては、知らない串であり、ヌ訳要の串でなかった。又宣教師にしても、フラ ンス朗に依頗するといふよりほ、数骨の柿成によつてフランス政府に命令すべきといふ感度でぁつ 7j O ナ 、 それ故中心人物だるプチジエアソは、迫軍問題が面倒になりそうに見える岬、慶腰三年暢暦十 月、フランスに向つて長崎を去り、禦年陽暦六月七日︵欄刷⋮︶新公使ソトレーと同伴して日本に掃っ た。基問フランスで各地を巡閻宣し、宮妊政肘へも交渉したでふ∵らうが、咄にりマ法†胎で方針の
和談をした。兎に乃︰に出で法王に謁見しセのが一八六八年陽讐バ七尾墜語︶、浦上で
三一 明治初咋に於けろ切支丹出盛由掛加瀬景32 明沼・仰埠l二於ける切支丑泊昔り旧知普恵 三二 の迫宰が一段落を告げ化頃でぁつたが、その報はまだロマに通してゐなかつ化らしい。その聖‖数 裡を閥はつてゐるが、法王はマリア始め講聖人に斬り、不幸なる教徒が終に勝利 を得る校にと云っ てゐる。而して数民は明治元年未に法王へ訴状分出してゐる。 その信仰の内容としては、斬りによつて天上の助 此の如くにして澱後法王にたユ云といふのは、 を求めるにあるが、然し全く枇俗的椛カに位相する考のないとはいへない。 宣教師の方面では、フランス枚酔の幼が十分でないので、 pマの方に恨を向けるのは自然である が、ロマでは軟骨千古の膝偶プチカン魯議の終結を告げうといふ時に際したので、プチジエアソは、 明治二年五月再び日本を去ってロマに行き、翌三年陽暦七月十人冒その最終の〟骨講、法‡不可誤の 慰衷にも塵列して、十二月再び日本に締着した。此際に各国から参列してゐた数倍の人々に円本信 徒の状態を訴へ、他界の輿論を起さうとし化のも勿論の串でぁる。此に於て城府十二月締着稜、此 等の鮎を組宿し∵世界の同信徒、時にはバツバ接が、汝等の鶉に斬って居て下さる耶を知らせる慰問 状を蓮井し、その草稿を上海に造りをこで石版に印刷して、洗粧の人々へ発送した。日附は一入七 一年の二十六蛮人祭日の二月五日で、陰暦肌泡三年十二月十六日であつた。 ︵此の文li全部殆ど在くか先番でわつて、僅少の薄手lこほ組てふりが光年してわろ。此晶には而細石加へろ以外に元の漢字 liふりが光わ取り去り、而Jて仮名甘の牙な漢字に攻め㍗分lこli、元のか光なふりか先にLて山†。︺
33 口 宜 なん甘 天主とバツ.ハの御かげを以、日本の司教なるベルナルドは、御まセススキリシトによりて難鶉す るキリシタンに、ことぐくおん班仕申促 たいせつぜんナく 御身天まは、そのもとたちのアニマに御すまいなるご大切と‡徳のかさねぞゑをたまいて、此よ ろうヤろざい にをゐて牢屋と流非のくるしみをこ∼ろよくしのぎてのち、パラヒゾのかぎりなき御たのしみをう けるよふに春希候。然ば それがし、pフマにおぁて︰ハツバの御をばにといまり巾任じぶん、さくねんの十一月のころに、 モふ†ふ おふきなる騒動のよふすぉき∼およぴて、ふかくかなしみ申梶て、天稟とサンクマリヤ、ペアトス たちにむかつて、そのもとたちのいりよふ︵なる︶ちからをこいねがい申候。又おこたらすにバツバ ′ヽ にこのおもむきなかたりもうしそうらへば、われ′1のアニマのたつとさ糾おや、そのもとたちの苦 みち なん 那をきこしめされて、御かなしみなされ、オラショの氾ぉもつて、そのもとたち、いつまでもアニ マのたすかトをあらせらるよふにと、やくそくを和せすめ︵瞞︶もうしそろ。これめら服断のよきキ リシタン邦も、をのもとたちの抑まゼススキリシトにたいして︵岡粥︶しのぐたぎ御排促嘩青 じくひ∨に天詫の御まへにそのものたちをわすれす、 明治初年に於けム切支丹泊藩¢胤州甘煎 ︰X
3‘l いつしん それがしも∵7ルたちも、やますに一心からはなはだねがいつかまつる︵上そろ。かつ⊥︶た▼この ひび 口々のか︿だんなるねがいの︰ブちに、そのもとたち、ことん11く立入ものこらす死→るまで天まの てんぐ じそ芸 し かいしん 御おきてを攻夫にまもるよふにと、又立入も天狗とJのくにんのす∼めにだJJ芸れて、改心してイン ベルノの︿るしみのそこにおつ︵る︶草しれあるペからす、とひたすらにねがい改し併。 にク〝スにかけられ
絡もまことの切支押入は一切にんげんのたすけのため、死たまいし抑まイスス
′ヽなん キリシ・卜のでしなればこそ、クルスのみちにし佗がいて∵このよの苦難をしのぎ申ぎろ狙あるべから 〃んペつ すと、めん︿よ︿分別いたしそふらわば、此那きと見へる御おしゑぉや寸︵わこない巾がために・ かた 御母サンタマリヤ、クルスのそばにうけたる︿るしみと、アポストロ、マルチレス、こと/\くな なん汀 がしたもう御血と、そのご那準で、アニマのめにかけられて、くらべてみれば、たれいづれの人か、 じぷんなんr ら 自分の難義はわづかな串と‖仙いとり、よろこびを以、此せかいにてすこしのカルスのみちにしたが ゼんぞ わぎること有べからすとぞんじせしめ候。なんじらどものご先融なり㍍さムニ‖本のマルチレスかく だんに長崎のたてやまといふところに、クルスにつけられ、天まにたいしてころされなされし二十六 人の串をおもいいだすべく條。てう卜L∵﹂んにち︵忙⋮︶、そのベアトスたちのヤフきなろ就日なれば、 こち一︵う それがしもハブルたちも、糾ミサをおこない本る巾に、天強にたいして御流出の身となる○、なん しっ †上・〃だ1. しゆご じらどもと兄弟なる‖本のキリシタン衆の■ためにも、ご守誰なるベアトスを、天詫のゎんまゑに御 明治初年に於けろ切支ル泊冨り揖想再盈35 I.レ上・〃 のかわり、おくりもふす。此状如此御座候。天まハテル、 Lまほ たま おん な∧じら㌣b 恩をほどこし給ひて汝等北ハをまもり賜れかしと単願上併、 御庄凍千人宵七十一年 明拾榊咋l二於けろ切支丹氾確の心劫背敷 わぃて とり合なされくださる∼よふに、光㌻心l二奉希上條。⋮⋮人中略1改心﹂せぬ様にと糊めて︶;・⋮ おん Ⅳ▲ふⅣむきてかづー∼ じっの切支升のご宿帳をおこない、そのご掟をき1とに勤め致し候へば、御まよト数々のご恩をあ しんく ごりき たゑられたまいて、辛苦をけんごにしのぐよふに、合力をうけて、心をかためるペき︵こ︶と、とノ花 がいなしと布候。 ひびモのもヱ ふ仁つき それがし長崎え抑てのち、およそ二月あつて口々に其許どもにてがみをおくらんとM心いおり使而も、 た∨いままでふでの不足ありて、その串かなわざれども、こんにち、天まのおんかげぉもつて、日 本い切支丹のてをかり、これさいわいとして、このてがをかゝせ可中條。⋮⋮人中略︶⋮⋮・ ごりうだい にくしん バツ.♪の御名代として、なんじらどもに、アニマにも、肉身にも、 さいわいなるよふに、天まに御 ゎがいわけモ八ヾご︼ろ なんじ♭ たいし上・♪ ガラサを本願上候踵、そのごゎんのかわりにうやまふべき御大措ビヨバツバと、汝等どもに、ごフ くりき しんくなんぎ イブのみちぉつげなされしアニマのおやなるわれくのためにも半円即菰︿るしみむ功力として、 一d■● 天まに搾げ奉るよふに故可巾條に、右此段ときぐよみ、ふかくかんべんするよふに可致候。天ま ゑんほふ にたいして韮的より独力にとられたる講の切或ル人にむかつて、われくのあいのしろしと、兇まい
大雄ヒリコ、大庄スヒリトナソトは、和
以上。
三五;犯 此は.ソナジエアソの〓本文の糟本にもなるが、教徒の車で各藩頂の同朋l−ijに聯絡をとつ化請の手 に託して、浦上の流血人へ送ったのでぁる。それがどれだけ各洒に届いたか、疑問でぁるが、川桁四 年非の頂満帆帖帰以緩、取損江北大にへ㌧つたいであり、又その前にー=徽艮とハ〓衰帥とS川に交通ら陰に 石はれてゐたのであるか・㌧一り侵りH往い手に入ったもの主〓心はれ、今その一の捕物が浦上に宛っ てゐろ。兎に乃 此の習mが揖用にh与り、特にロマでも.人々が川信徒の常にマリア 様に斬ってゐ てくれるといふことは、溌桃の小にある人々には大きなカになつたに違㍍い。 っ∴て明清明年六‖十人‖︵欄諾︶、プチジエアソは、梢潰の天琵堂で、法王即位二十#年の祀 県式な邦訂し、‖本倍往の名で祀賀状Jゼロマへ送った。洗最中の信徒は勿論婁曾はしなかったが、 多少とも辛1i小=む得たとm心はれイ0。而Lて此の賀状に封して扶※の通常︰は九パ≠八〓附で凍て︰ノチ ジエアンはそれに習き添へ、翌年正パ木版で︵多分‖本で︶印刷して信徒へ配布した。此方は沌字が 多く、悉くふり暇名む附してあるが、その多くな取り去万、又或嘉は椙びに改めて公文む〓す。 明れ初隼lニ於けろ切友丹頂黒︰り〓小想77拾