1930年代ドイツにおける<世界開放性>をめぐる思想模様
― ヴァルター・ベンヤミンの媒体概念を中心にして ―
池 田 全 之
Die Umst
‥ande der Gedanken um<Weltoffenheit>im Deutschland in den dreiβigen Jahren des 20.Jahrhunderts
―
‥Uber die Grundstruktur des Medium-Begriffs bei Walter Benjamin―
Takeyuki IKEDA
In den sechzigen Jahren des 20. Jahrhunderts, wo das deutsche Wiederaufleben aus der nationalen Vernichtung durch den Zweiten Weltkrieg vorl
‥aufig abschloss, erkl
‥arte Theodor W.Adorno gr
‥undlich fol- gendermaβen, ,,Hitler hat den Menschen im Stande ihrer Unfreiheit einen neuen kategorischen Imperativ aufgezwungen : ihr Denken und Handeln so einzurichten, daβ Auschwitz nicht sich wiederhole, nichts Ahnliches geschehe. Dieser Imperativ ist so widerspenstig gegen seine Begr
‥ ‥undung wie einst die Gegeben- heit des Kantischen. Ihn diskursiv zu behandeln, w
‥are Frevel (aus Negative Dialektik,,). Adorno, der einen neuen kategorischen Imperativ als Grundlage der Ethik vorschl
‥agt, verurteilt das kulturelle Wieder- aufbl
‥uhen, welches das grausame Ereignis des Auschwitz zu vergessen wagt, indem er, um Argnisse zu
‥erregen, sagt, alle Kultur nach Auschwitz sei M
‥ull.
Aber wenn wir die gegenw
‥artige deutsche Menschenbildungstheorien
‥uberblicken, finden wir leicht daβ verschiedene intellektuelle und ernste Versuche, die Kultur nicht nochmal zu verderben, gemacht haben seit der ersten Perioden nach dem Zweiten Weltkrieg aufgrund derjenigen mannigfaltigen Erben, die uns von den dem Nationalsozialismus widerstreitenden Philosophen und P
‥adagogen vermacht worden sind. In diesem Aufsatz betrachte ich die Umst
‥ande der Gedanken hinsichtlich der <Weltoffenheit> in den dreiβigen Jahren des 20. Jahrhunderts, insbesondere diejenigen Walter Benjamins, und klarmache worauf sie uns hinweisen.
はじめに
ドイツ戦後復興が一段落した 1960 年代に,アドルノ
(Adorno, Theodor Wiesengrund 1903-1969)は自身の 思考原則を開陳した『否定弁証法(Negative Dialektik) 』
(1966 年)において,「ヒトラーは不自由な状態の人々 にある新しい定言命法を押し付けた。つまりそれは,ア ウシュヴィッツが繰り返されないように,それと似たこ とが起こらないように思考し行動せよ,というものであ る。…この命法は,かつてのカントのそれのように,基 礎づけに抵抗するものではある。〔だが〕それを議論す るのは冒涜というものだろう」
(1)と喝破した。倫理の 基礎として新たな定言命法を唱えるアドルノは,アウシ ュヴィッツ体験を忘却した復興を「アウシュヴィッツ以 降の文化は…塵芥である」とあえて挑発的に批判し,自 身の非同一性の哲学に基づく人間形成論を構想してい
く。しかし,ドイツ現代人間形成論史を紐解くならば,
文化を塵芥としないための知的で誠実な努力が,戦後の ごく初期から,まさにナチズム期の知的遺産を踏まえな がらなされてきた。そうした遺産のうち,特に<世界開 放性(Weltoffenheit) >をめぐる1930年代の思想布置を 検討し,ベンヤミンの試みがわれわれに示唆するものを 明らかにする。
(1)ドイツ戦後復興へ向けたヤスパースの哲学的理念
「われわれはほとんどすべてを失った。国家も,経済 も,われわれの身体的現存を支える安全の条件も。そし てこのことよりもいっそう悪いことに,われわれ全員を 縛る規範も,道徳的尊厳も,民族としての一体化をもた らす自己意識も。…われわれは本当にすべてを失ったの だろうか。否。われわれは生き残って生存している。…
われわれが生存しているということが意味を持つべきで
ある。われわれは,無を前にして奮起するのだ」
(2)。
この一節は,第二次世界大戦がドイツにもたらした破 局を前にして,戦後の精神的復興への願いを込めてカー ル・ヤスパース(Jaspers, Karl 1883-1969)が,自らの 編集する認可雑誌『変貌(Wandlung)』の創刊号で述 べたものである。ヤスパースは,西欧近代の超克が標榜 され,「血と大地」の神話実現が国策とされていた時期 に,妻がユダヤ人であったために大学を追われ沈黙を余 儀なくされていた。まさに非合理的な神話への時代の全 面的な崩落を前にして,彼は興味深いことに,前期の主 著である『哲学(Philosophie) 』 (1932年)において存 在理解や,生の意味の究明に関して限界の画定が目ざさ れた「理性」への信頼をあらためて表明し,それを自身 の実存哲学に組み込もうとしていたのである。
それでは,ヤスパースが「理性」に求めた姿勢はどの ようなものだったのか。『哲学』においてヤスパースは 人間の本質を,科学主義的に観察ないしは操作の対象と される意識や,たとえばドイツ観念論に顕著なように,
普遍的な理念の実現に方向づけられる精神と定義するこ とを否定する。そして,個々人にもっとも固有であり客 観化することができない自己や,他者との誠実な交わり を希求し自己生成の自由を本質とする自己,歴史的な存 在でありながら同時に永遠へと思いを馳せる自己である
「実存(Existenz) 」に人間の本質をみた。こうした人間 理解に立脚して『哲学』は,従来の自然科学や講壇哲学 にみられる人間理解の一面性を暴露し,実存の徴表を緻 密に記述し,本来的な自己への覚醒のあり方としての超 越の様態を解明した。そこでは,もっぱら科学による人 間や世界の解明の一面性だけが強調され,それを乗り越 えた境地への志向が強かったのであり,戦後のヤスパー ス哲学を特徴づける「理性」については表立ってはまっ たく言及されていないのである。
ヤスパースがはじめて「理性」について言及したのは,
ナチスの台頭によりハイデルベルク大学教授の席を追わ れる寸前に行われた連続講義『理性と実存(Vernunft und Existenz)』(1935 年)においてである。これまで 理性については,例えばカントにみられるように,認識 能力(悟性)を制御し,道徳的自律を指導する原理であ るというふうに,至高の精神能力と考えられてきた。こ うした伝統的な理解に対して,ヤスパースは端的に「実 存は理性によってのみ明晰になり,理性は実存によって のみ内容を得る」
(3)と言う。そして,この発言の真意 は次の一節に示されている。
「実存なき理性は,あらゆる可能な豊かさにおいても 結局,意識一般や精神の弁証法といった単なる知性的な 運動という任意の思考に陥ってしまう。それは自身の歴 史性という拘束力のある根を欠く知性的な一般者へ堕落 することによって,理性であることをやめてしまう。理
性なき実存は,感情とか体験とか,無疑問的な衝動性格,
本能や恣意に依拠するのだが,盲目的な暴力性に,しか もこれによってこうした現存在の諸力という経験的な一 般者に陥る。歴史性を欠いて,超越性を欠いた自己主張 を伴った偶然的な現存在という単なる特殊性の中で,そ れは実存であることをやめる」
(4)。
ヤスパースによれば,人間の心は,まったく動物的な 衝動的な生(「現存在」),明晰ではあるが機械的な法則 性を志向する「意識一般」,理念に導かれた有機的な全 体性から自身の生と世界の意味を了解する「精神」 , 『哲 学』において「実存」と呼ばれたものの四つの相互包括 的な領域(包越者 das Umgreifende)からなり,その 各々が客観の領域にあたる「世界」と特徴的な関わり方 をしている。そして,「実存」と他領域をつなぐ絆とし て「理性」が見出される。ヤスパースは『理性と実存』
において,理性を明晰に思考する能力と考えれば,それ は意識一般を指しており,理念へ向かう能力と捉えれば,
それは「精神」のことであり,自身が構想する「理性」
ではないと言う。むしろヤスパースによれば,
「理性とはあらゆる限界を乗り越えて,遍在的に要求 する思考である。それは,生起の法則性と秩序との意味 において普遍妥当的に知ることができるもの,それ自体 ひとつの理性存在であるものを把握するばかりか,他な るものをも白日の下に置こうとする。…理性は,絶える ことのない限界を乗り越える思考過程において,包越者 のあらゆる様態〔現存在,意識一般,精神,実存〕を開 明し,それ自体が他の包越者のようにひとつの包越者で あることがない」
(5)。
すなわち,ヤスパースの考える理性とは,心と世界を 形成する諸領域の各限界を乗越えようとする思考であ る。この理性に導かれてわれわれは,例えば科学的世界 観や理念的な世界構築の真理性と限界を明らかにする。
さらに,これらの領域がわれわれに有する真理性を判定 する審級が実存である。また,このことを別の形で表現 するならば,実存がもっとも固有な自己であるとしても,
それが外部に開かれなければ本来的な自己であることだ けを目ざす盲目的な自己形成意志となり,現存在レベル での自己保存欲求と変わらなくなってしまう。それゆえ,
実存に世界とその真理性を開示し,自己生成のための素 材を提供する働きが理性に求められた。
このように,ナチスに迫害されて国内亡命を余儀なく
されていた時期にヤスパースが理性に求めていたもの
は,ある包越者の地平に閉じている一面的な世界把握を
乗り越える「世界開放性」だった。しかも,ヤスパース
はそれらを単純に乗り越えることを求めただけではな
く,それぞれが持っている自己形成にとっての真理性も
認めるべきであると主張し,ナチス運動に物質的に奉仕
する結果となった当時空前の発展を見せていた科学技術 についてすら次のように述べている。
「技術化とともに歩まれてきた道はさらに進まれなけ ればならない。この道を後退させることは現存在を不可 能にまで困難にすることである。誹謗することは役に立 たない。克服することが必要である。…よりよい成功へ 向かってあらゆる活動性が技術的に基礎づけられなけれ ばならないという必然性に対して,機械化することがで きないものへの意識が誤りようのないところまで先鋭化 されなければならない」
(6)。
実存にとって,科学技術はその現存を維持するという 真理性を有している。そしてさらに,科学技術が持つ意 味として,存在理解についての科学の無力さを理性が実 存に開示するということにあるとヤスパースは言う。つ まり,ヤスパースによれば,これまで述べた包越者の五 領域を包み超えた究極の包越者として「超越者」があり,
実存がそれとの繋がりを確信することにヤスパース哲学 の究極目標がある。超越者は一切を包み込んでいるもの の絶対に不可知である。内在の一切はそれの存在の痕跡
(暗号〈Chiffre〉)を刻印しているものの,それらが直 接に超越者を表現していることはありえない。むしろあ らゆる内在が超越者にどのような形であれ到達できない という挫折体験こそが,超越者の存在確信へと転化する 究極の暗号となる。
(2)科学技術の積極的活用に基づいた解放構想―ライ ヒヴァインとベンヤミン
このように,ヤスパースは近代の所産の超克を説くナ チズムへの対抗軸として,ヨーロッパ的伝統である理性 の再評価へと向かったのであるが,こうした試みは,ま ったく同時期にアドルノ(Adorno, Theodor Wiesen- grund 1903-1969)らが近代に,神話への理性の頽落の 兆候を読み取り思想的袋小路に陥っていったことを想起 すれば,思想的な堅実さを認めることができよう。しか しながら,この「理性の哲学」がはじめて提唱された 1935 年当時の思想模様を振り返るならば,科学技術の 究極的な意義として挫折しか認めなかったヤスパースに 対して,科学技術の成果を活用して「世界開放性」を実 現しようとしたライヒヴァイン(Reichwein, Adolf 1898-1944)の教育実践と,ベンヤミン(Benjamin, Walter 1892-1940)の『複製技術時代の芸術作品(Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Repro- duzierbarkeit) 』 (1935/36年 以下『複製』と略記す る)にみられる解放構想があったことに注目しなければ ならない。彼らの構想は共通して,当時の科学技術の最 先端の成果だった写真と映画を活用してナチズムに対す る橋頭堡を築こうとするものだった。
對馬と今井が指摘しているように
(7),ライヒヴァイ
ンの教育原則は,「生活に密着している」こと,つまり 事物との直接的な関わり(事物経験)の優位だった。ラ イヒヴァインの映画を活用した教育実践を報告している
『農村学校における映画(Film in der Landschule)』
(1938年 以下『映画』と略記する)は,こうした原則 を踏まえて映画の教育的意義について,「まったく確実 なことに,映像はけっしてわれわれを取り巻く現実性の 直観からより直接的かつ,生き生きと,より色彩的に獲 得されることができる事物の代替物であると認められる べきではない」
(7)と述べたうえで,映画が教育過程に 果たす役割について次のように述べている。
「映画の教育的正当化が根拠づけられるのは,映画が
『出来事』を提示することによって,あらゆる個々の側 面の内容的なものを強調し,写真や壁絵以上に強くそれ を取りだすことによる。…『生き生きとした語』が子ど もと教師との間の精神的な交流の担い手である。教師は 子どもに郷土世界の内容を解釈してやるように努める。
そして,『生き生きとした語』は子ども自身のもっとも 有意義な表現手段でもある。『映像』は,こうした交流 に『補助』として組み込まれる。その課題は,直接的な 直観と言語ニュースとによって獲得できないものを補完 的に組み込むことにある」
(8)。
ライヒヴァインによれば,教育活動を支えるもっとも 重要なメディアは,子どもと教師との生き生きとした対 話であり,こうした対話を補助する機能が映画に割り振 られている。そして『映画』は,こうした映画の補助的 な機能について自然観察の実践を例にあげて説明してい る。それによれば,校庭に植えられているヒマワリを観 察する場合に,花を接写した写真と全体写真を提示され ることのよって,子どもの「見る力(Sehen)」は,遠 望である全体と接写された微細な部分をさまよいながら それらを比較し,ヒマワリについての深い認識を得る。
つまり,肉眼による自然な観察だけでは到達されること のない対象とのかかわりをメディアが保証し,生命につ いての子どもの認識を拡張させる。この実践では文字通 りメディアを身体の一部とする対象との関係が志向され ており,ライヒヴァイン自身も,断片的かつ並列的に取 り出された対象の映像を全体と結びつけて構成する子ど もの「見る力」の訓練の必要性を訴えている
(9)。
そして,メディアの身体化による対象との関係の変革 についての議論は『複製』にもある。ベンヤミンはこの 変革の様態を,目による自然観察を行う画家とカメラを 通して対象を捉える撮影技師との差異として明らかにし ている。
「呪術師は自分と患者の自然な距離を保つ。より正確
に言えば,彼は―手を置くことによって―その距離を少
しだけ縮め,―自身の権威によって―それを大きく拡げ
る。外科医はこれとは逆に振舞う。外科医は患者との距 離を―患者の体内に介入することによって―まさに縮め て,彼の手が内臓の下を動くときの用心深さによって―
それを少しだけ拡大する。要するに呪術師と異なり,外 科医は患者と人間対人間の関係で対峙することを決定的 な瞬間に断念し,むしろ手術によって患者の中に浸入す る。―呪術師と外科医の関係は,画家とカメラマンの関 係に等しい。画家はその作業において所与のものとの自 然な距離を観察する。これに対してカメラマンは,所与 のものの組織へ深く浸透する。それぞれが持ち去るイメ ージは大きく異なっている。画家のイメージは全体的で あり,カメラマンのそれはばらばらに粉砕されたもので あり,その諸部分は新しい法則に従って集められる」
(Ⅶ. 373f.) 。
外科医が手術で一気に患者の臓器に肉薄してから,観 察し作業するために対象との心的な距離を取るのに対 し,呪術師は患者に手をあてることで心的な距離感を縮 め,自身の権威によって距離を強調する。呪術師と同様 に画家は肉眼で見ながら描くことによって,対象の本質 へ少しずつ迫っていく。これに対して,メディア(カメ ラ)を身体化した撮影技師は,カメラワークにより一気 に対象へと迫り,そのときの対象の現れを,入念に観察 し撮影することにより,ばらばらにして取り出す。そし てそれらを編集し再構成する。ベンヤミンは,このよう にばらばらにされた映像に「慣れる」ことが大切である と述べている。
たしかに,映像にさしあたり子どもの事物体験の補助 という機能を割り振ったライヒヴァインと,ばらばらに 取り出された映像を編集することによって,それを観る 者に「無階級社会」という具体的なイメージを閃かそう とした『複製』の試みには差異がある。だが両者がまさ に同時期に,世界の素朴な信憑としての,あるいはイデ オロギーに彩られた現れを相対化させる役割をメディア に期待したということは紛れもない事実だったのであ る。そこで本稿では,科学技術を自己形成への否定的契 機とみなすのではなく,その最先端の成果であったニュ ーメディアを介してわれわれの世界認知を変革しようと した試みを取り上げる。メディアを介することによって われわれにいかなる知覚の変容が起こるのか,あるいは そうした変容があるとすれば,その変容において起きて いる心的な事柄はいかなるものなのか。このことを,ベ ンヤミンを範例にしながら考察したいと思う。
ベンヤミンにおけるメディアを介した〈世界開放性〉の様態
1930 年代という時代に立ち戻って,ベンヤミンにお ける〈世界開放性〉の問題を考えるとき,何よりもまず
思い出されるのは,『一方通行路(Einbahnstraβe)』
(1928年)に収録された最後の断章「プラネタリウムに
(Zum Planetarium) 」である。そこでは,1930年代に 著された諸エッセーに通底する根本経験だった第一次世 界大戦が招来した文明の破局に深い傷を受けながらも,
人類の未来について黙示的に語られている。
ベンヤミンによれば,自然と人間との交感は,古代に おけるシャーマンを介した精霊との交流に見られるよう に陶酔の中で行われていた。一見,近代はこうした交感 を個人の趣味の領域に押しやったように思われるが,ベ ンヤミンによれば,陶酔のうちでの自然との交感は文明 史的に繰り返されている。つまり,それが近代の所産で ある科学技術を介することによって極めて不幸なかたち で起こったのが第一次世界大戦だったというのである。
「先の戦争〔第一次世界大戦〕は,宇宙の諸力との新 しい,前代未聞の結婚の試みだった。人間集団が,ガス が,電力が平原に投入され,高周波の流れが風景を走り 抜け,新しい星が空に昇り,空中と深海はプロペラでご うごうと鳴り,母なる大地のいたるところに人は犠牲者 を埋める穴を掘った。宇宙へのこうした大きな求愛は,
はじめて惑星規模で,すなわち技術の精神において行わ れた。しかし,支配階級の利潤欲望が技術において自分 の意志を満たそうと考えたので,技術は人類を裏切り,
初夜の寝床は血の海に変わった」 (Ⅳ. 147) 。
技術を介しての自然との交感は,帝国主義の時代にお いては,国家であれ企業であれ支配階級の膨張欲を満た すための道具として技術を活用し,自然から資源やエネ ルギーを徴用して戦争を遂行し,破局に瀕することにな った。そこには交感はなく,あるのはただ技術を利用し ての自然支配だけだった。こうしたヴィジョンだけでは,
技術を人間中心主義の極みとして断罪し,肉体労働を介 する大地との交流のような中世的なモラルを強調するハ イデガーらと変わらなくなりそうである。しかし,「プ ラネタリウムに」に記された綱領は,技術を文字通り人 間の身体の一部となるように使いこなすことによって,
人間―自然関係にパラダイム転換を起こさせようとして いるのである。
「技術は自然を支配することではなく,自然と人類の 関係を支配することになる。たしかに種としての人間は 何万年来終局に到っている。だが,種としての人類は,
発展の始まりに立っているのだ。人類にとって技術にお いてひとつの体質(Physis)が組織されるのであり,こ の体質において人類と宇宙との接触が,民族とか家族の 場合とは違ったかたちで新しく形成されるのである」
(Ⅳ. 147) 。
自然支配への欲求に従属しない技術との関わり方―
『一方通行路』で示唆されたヴィジョンは, 『複製』にお
いて展開される。『複製』は原始時代から受け継がれて きた従来型の技術を「第一の技術」と呼び,1930 年代 当時の技術革新の粋であるニューメディアを「第二の技 術」と呼び,両者と人間との関係の差異を次のようにま とめる
① 第一の技術は,多人数を動員することによって実 現されるのであり,したがって,人間の自由を拘束 したり,犠牲にすることによって成立する。第二の 技術は,できるだけ少人数を動員することを,理想 的には無人を理想とする。
② 第一の技術は,その作動過程において一回的であ り,いったん結果に到れば後戻りできない。第二の 技術は結果に到る過程の繰り返しの可能性を特徴と する。
③ 第一の技術の目標が自然支配であり,目的性に強 く束縛された労働モデルに立っているのに対して,
第二の技術の模範は「遊戯」であり,人間と自然と の共同遊戯(Zusammenspiel)目ざす。
まだ,ベンヤミンが当時のニューメディアに何を期待 したのかを明らかにしていないので,意味が判然としな いであろうが,このように自身が理想とする技術と人間 の関わりをまとめたうえで,『複製』はこうしたニュー メディアとの関わりが人間の自然体験(知覚様態)に後 戻り不可能な変化をもたらすと述べている。
「その役割が人間の生活においてほとんど日々増大し ているような器械との関わりが引き起こす統覚とか反応 を人間に練習させるためには,映画が役立つ。同時に,
この器械との関わりは人間に次のことを教える。すなわ ち,第二の技術が解放した新しい生産力に人類の構えが 適応するときにはじめて,器械に奉仕する隷属が器械に よる解放に座を譲ることになるのである」 (Ⅶ. 359f.) 。
ベンヤミンの思想形成史をみるならば,『複製』が提 唱する技術革新を梃子にした人間―自然関係の刷新構想 は,アドルノによって痛烈に批判されたこともあり
(10), ベンヤミンが残した文書の表面上では見られなくなって いく。しかしながら,『複製』の議論が現在のメディア 論に礎石のひとつを提供したという事実を勘案すれば,
メディアを身体化することによる知覚変容と,それと連 動する世界体験の質的な変化の具体相を理解すること は,現代につながる 1930 年代の思想遺産を受け継ぐた めに必要となるだろう。そこで本節ではまず,20 世紀 にそもそも人間的意識のありようがどのように変化した とベンヤミンが考えていたのか,を明らかにしたうえで,
そうした変容した意識の世界体験についてメディアが果 たす役割について検討する。
(1)自律的意識という前提の転覆
ベンヤミンによれば,20 世紀に人間的意識のモデル
が決定的に転換したことを実感させるのは,第一次世界 大戦からの帰還兵である。それについてベンヤミンは,
共同体において親から子どもへと金言や格言として受け 継がれてきた知恵を「経験」と名づけたうえで,そうし た伝えるべき知恵を失い黙りこくる姿に言及している。
「明らかに経験は相場を下げてしまった 。そして 1914 年から 1918 年にかけて世界史のもっとも途方もな い経験のひとつを被った世代においてそうなのである。
おそらくこのことは,表れているほどには不思議ではな いのかもしれない。当時,人々が戦場から黙りこくって 帰ってきたことを確認できたのではないだろうか。伝達 可能な経験が豊かになったのではなく,いっそう貧しく なったのだ」 (Ⅱ. 214) 。
目の前でかけがえがないものであると教えられてきた 人命が簡単に失われていき,ヨーロッパ文明が営々と築 き上げてきたものが瞬時に瓦礫となっていくのに接し,
兵士たちは自身のアイデンティティの崩壊を体験し,語 るべき内容を失ってしまった。今井康雄はこのような言 葉を失うショック体験において起こっている事柄を明ら かにしているテキストとして,『ボードレールの幾つか のモチーフについて( Uber einige Motive bei Baude-
‥lair) 』 (1939年 以下『モチーフ』と略記する)をあげ
ている。今井によれば,意識がまず厳然として存在し,
次にそれが努力して疎遠な世界へと自身を開くことによ って真理を失い,同時にこの失うことを通して経験を獲 得 す る , と い う ヘ ー ゲ ル ( Hegel, Georg Wilhelm Friedrich 1770-1831)に代表される古典的な意識モデル が崩壊した後では,フロイト(Freud, Sigmund 1856- 1939)にこそ新たな意識の説明モデルが求められなけれ ばならないのである
(11)。
正確を期するならば,ヘーゲルの場合でも,意識の生 成原理を語っている『精神現象学(Ph
‥aomenologie des Geistes)』(1807年)の緒論を見れば明らかなよう に,外界に対する意識の先位が認められるというよりは,
自らの従来の尺度と外界のありようが合致しなくなった ときに,外界を測る新しい尺度を発見する努力に意識生 成の原動力が見出されており,単純に確固たる意識が自 発的に外部に開かれるというふうには理解されてはいな い。だが,フロイトに立脚するベンヤミンの説明は,外 界からの刺激があまりにも大きくなり,それを測る尺度 を意識が探しあぐねる事態の説明としては有効なモデル たりえているように思われる。
フロイトの『快楽原則の彼岸(Jenseits der Lust-
prinzips) 』 (1920年)に基づき,ベンヤミンは「意識は
刺激に対する防御(Reizschutz)として登場しなければ
ならない」と主張する。つまり,人間の有機体は自分が
元来持っている固有のエネルギー量を外部の破壊的なエ
ネルギーから守らなければならない。すなわち,意識が 容易にショックを受け止めることができるようになれば それだけ,トラウマが残る余地が少なくなる。それゆえ,
ベンヤミンによれば,外部からのショックに対して夢や 追想を総動員してダメージを軽減する心の働きとして意 識は成立する。意識が成立することによって,ショック をもたらす出来事は意識が蓄積する記憶のファイルに書 き込まれ,意味を後から付与され「体験」の内容として 整理されてしまう。
「個々の印象へのショックの要素の参与が大きくなれ ばそれだけ,意識が刺激防御のために絶えず居合わせな ければならなくなればそれだけ,意識が収める成功が大 きくなればそれだけ,印象が経験の中に入り込むことが 少なくなり,むしろ印象が体験の概念を満たすことにな る。ショック防御の固有の成果は結局のところ,おそら く次のことにありうるのだ。すなわち,出来事に,その 内容の完全性を犠牲にして,意識の中における正確な時 間位置を指定することに」 (Ⅰ. 615) 。
ところで,ベンヤミンによれば,ボードレールが抒情 詩に結晶させた 19 世紀中葉以降の近代社会は,外部刺 激が増大してショック体験が常態化している時代であ る。『モチーフ』は,ボードレールによって詩へと昇華 された大都市生活のショック体験に近代全般が孕む地獄 の相貌を浮かび上がらせ,同時にボードレールの詩的な 眼差しに内包されているそこからの救済の可能性に言及 している。こうした方向と並んで,ブレヒト論から『複 製』に到るエッセー群では,20 世紀に発明されたニュ ーメディアの影響でさらにどぎつさを増した意識外部の 知覚コードという事実を肯定し,強度を増した知覚コー ドを逆手にとって,ありうべき世界への解放の方途を模 索している。
(2)『複製』における〈世界開放性〉の様態
『複製』は,「第二の技術」であるニューメディアを 身体化することによる自然と人間との支配なき共同遊戯 空間の創出を目ざしていた。そしてこうした新たな自然 との関わりを可能にする姿勢として「触覚的受容(die taktische Rezeption) 」をあげている。それは,精神を 集中しない「気晴らし(Zerstreuung) 」状態での, 「慣 れ」を介しての対象との関わり方を意味する。ベンヤミ ンは,このような対象受容の例として建築物をあげてい る。建築物に接するとき,例えば有名な建築物を前にし て通常,旅行者が行うように視覚を通して精神を集中し ながらその美を探る場合には,本当の意味で建築物を鑑 賞しているとは言えない。建築物と人の関わりにおいて は,使用すること,すなわち習慣を介して受容されるこ とのほうが,視覚的な鑑賞の基盤をなしているとさえ言 える。そしてこれとまったく同じことが,ニューメディ
アを介しての対象との関わりの場合にも言えるとベンヤ ミンは言う。ベンヤミンによればニューメディアが招来 する変容された知覚に慣れることこそが求められる。
冒頭でも述べたように,ベンヤミンが考えていたニュ ーメディアとは写真,そして一続きの写真とも言える映 画である。それでは,映画を介することによってわれわ れの知覚はどのように変容されたというのだろうか。
『複製』では,近年のメディア論において人口に膾炙さ れている議論がなされている。多少長くなるが, 『複製』
の第ⅩⅥ節においてこのことが集約的に語られている箇 所を引用しておこう。
「映画の社会的機能の中でもっとも重要なのは,人間 と〔撮影〕器械との間に平衡を生み出すことである。こ の課題を映画は,人間が〔撮影〕器械に単に自己を表現 する仕方によって解決したばかりか,彼が器械の助けを 借りて周囲の世界を自分に表現する仕方によって解決し た。映画が周囲の世界の在庫品をクローズアップするこ とによって,われわれに馴染みな小道具の細部を強調す ることによって,カメラレンズの卓越した操作によって,
われわれの現存を支配している必然的なものへの洞察を 増大させることによって,映画は他方では,途方もない 予想すらされない遊戯空間をわれわれに約束してくれる ようになる。…クローズアップによって空間が拡張され,
スローモーションによって運動が拡張される。そして,
拡大撮影において問題なのが,人が『どのみち』不明瞭 に見ていたものの単なる明瞭化なのではなく,むしろ物 質の完全に新しい構造形成を目に見えるようにすること であるように,スローモーションは,既知の運動動機を 目に見えるようにするばかりか,この既知の動機の中に,
まったく未知の動機を発見する」 (Ⅶ. 375f.) 。
カメラワークの技巧であるクローズアップやスローモ ーションによって,人間の自然な知覚では捉えられない 世界の細部や世界の鳥瞰図を得ることができるようにな り,生活時間とまったく異なる時間の中で事物に接する ことが可能になる。このことによってわれわれは,従来 の理解にとって隠されていた生活世界の側面を暴露され る。そして,こうして取り出された諸映像を編集(モン タージュ)することによって,この暴露は増強されて,
諸映像それだけでは提示することができなかった新しい 意味を顕現させる。ベンヤミンは,ニューメディアによ ってもたらされた,映像として切り出すことによる現実 の断片化(破壊)と,編集作業によるそれらのパズル状 の並列的な接合による新たな意味の顕現に,『ドイツ悲 劇の根源(Ursprung des deutschen Trauerspiels) 』
(1928年 以下『悲劇』と略記する)で17世紀バロック
の条件下で活写されたアレゴリー的な見方の現代版を見
ていた。さらにまた,相互に無関係なシーンをつなぎあ
わせるときに現れるものによるショックによって,通常 自明なものとして受け入れられている現実生活を異化す る効果を見出したブレヒト劇との類親性を認めることも できるだろう。
『複製』の構想では,現実の複製である諸映像をつな ぎあわせることでわれわれが生きる現実のありようを強 調しながら暴露させてショックを与えることにより,ナ チスの神話に基づく国家目標への陶酔のうちでの参加を 誘うプロパガンダへの橋頭堡を築こうとした。たしかに こうした試みは,後の世代からすれば,メディア自体の 中に社会批判の可能性を見ることができるのかという困 難を内包しているように思われる
(12)。だが,ベンヤミ ンの目標が映像断片の布置による現実の暴露と,無階級 社会のイメージを閃かせることだったことを措くとして も,そこにおいて生活世界がわれわれに顕現し,しかも われわれの自明な世界理解を拡張し粉砕さえする機能と してメディアを捉えることは,ライヒヴァインの教育実 践にも通底する発想だったのであり,1930 年代のメデ ィア論におけるひとつの到達点だったと言えるだろう。
すると次に問われなければならないのは,メディアを介 しての知覚変容において,われわれの思考に何が起こっ ているのかである。そしてこのことをベンヤミンに即し て明らかにするうえで,基本的なテキストになるのは,
『ドイツロマン主義における芸術批評の概念(Der Be- griff der Kunstkritik in der deutchen Romantik) 』
(1920 年 以下『ロマン主義論』と略記する)である。
この博士論文においてベンヤミンは,初期言語論と並び はじめてメディア(媒体)について考察しているのであ り,そこでドイツ初期ロマン主義者に身を寄せながら取 り出された批評概念が,後に『悲劇』において結実し,
ベンヤミンの生涯の思考モチーフとなるアレゴリー的な 解釈術にまっすぐに流れ込んでいくのである
(13)。
反省媒体の只中での芸術作品の自己更新
ベンヤミンの思考の道筋をメディア論の起源へと辿る ならば,その発端は『言語一般および人間の言語につい て( Uber Sprache
‥ ‥uberhaupt und
‥uber die Sprache des Menschen)』(1916 年 以下『言語』と略記する)
と『ロマン主義論』にある。前者においてメディアとは 人間の言語のことであり,そこにおいて神の創造の言語 が反復されて顕現する場所と定義されていた。こうした
『言語』の思想は『旧約聖書』を下敷きにしていたが,
反面,そこにおいては哲学的伝統の中でメディア的な発 想がどのように位置づけられるのかという問題意識が希 薄だった。これに対して『ロマン主義論』では,ベンヤ ミンは自身の思想をドイツ初期ロマン主義者の言説に仮
託しながら展開しており,こうした理由で,初期ロマン 主義者たちがフィヒテ哲学を批判的に摂取したことに起 因して,メディア的思考と近代的な主観主義との関係が 明らかにされるのである。
(1)初期ロマン主義者/ベンヤミンによるフィヒテ批判
『ロマン主義論』のテーマは思考形式,すなわち反省 の構造である。ベンヤミンは,初期ロマン主義者(とり わ け , フ リ ー ド リ ヒ ・ シ ュ レ ー ゲ ル 《 S c h l e g e l , Friedrich 1772-1829 》とノヴァーリス《Novalis 1772- 1801》 )に自身を重ねあわせながら
(14),自分がどこで近 代的主観主義から離反せざるをえないのかを歩測してい る 。 そ の と き に 試 金 石 と さ れ た の が , フ ィ ヒ テ
(Fichte, Johann Gottlieb 1762-1814)の初期知識学
(Wissenschaftslehre)である。知識学は,あらゆる対 象性に先行してそれを定立する意識の活動形式を究明す る。フィヒテによれば,意識の定立活動は絶対的主観の まったく自由な行為なのであり,それゆえ,知識学のテ ーマは絶対的主観の定立活動をめぐる自己認識の形式と なる。そしてベンヤミンによれば,初期ロマン主義者は,
外界の認識構造を扱う知識学の理論哲学において,自我 の無限な活動性が制限されたことに異を唱えている。
『全知識学の基礎(Grundlage der gesammten Wis- senschaftslehre) 』 (1794年 以下『基礎』と略記する)
によれば,自我は第一義には無限の活動性であり(第一 原則),常に遠心的に働く。しかし,この活動性はある 点Cにおいて障害を受けて屈折される。フィヒテはこの 遠心的な活動性を「生産的構想力(die productive Ein- bildungskraft) 」とも呼んでいる。すると,屈折された 点の外に何らかの非我が屈折の原因として実在すると考 えられそうであるが,フィヒテはそうした実在論的見解 を退ける。『ロマン主義論』でベンヤミンも引用してい る箇所では,活動性が屈折される事態について次のよう に述べられている。
「理性が中に入ってくる(これによって反省が発生す る) ,そして構想力を規定してBを限定されたA(主観)
に取り入れさせる。しかし今や,限定されたとして定立 されたAは,さらに無限のBによって限定されなければ ならない。…このように進行して(ここでは理論的な)
理性のそれ自体による完全な限定にまで進むのであり,
そのときには,構想力において理性以外には限定を加え るいかなるBももはや必要ない。すなわち,表象者の表 象まで到るのである。実践的領域においては,構想力は 無限に進んで,最高の統一性という端的に限定不可能な 理念にまで到る。この理念は,完成された無限性に従っ てのみ可能であろうが,このような無限性はそれ自体不 可能なのである」
(15)。
この一節にあるAとは,障害を受けて活動性を屈折さ
せられて自己に帰ってきて成立した,言いかえるならば,
限定されていることを自覚した主観(意識面に現れた経 験的な私)のことであり,Bとは障害を加えるものとし ての非我である。それは当初の自我の無限な活動性に制 限を加えうるために,無限である。だが,非我に無限性 を認めることは絶対的主観の無限性と両立しない。そこ で,この矛盾を解消するためには,制限されたAと制限 を加えるBとの対立関係をもう一度反省し,制限された として自己を限定し,これと同時に,Aを制限するとし てBを限定する理性の働きが不可欠になる。こうして,
理性がBを自身の意識の内容として再定立することによ って,表象する者にとって表象が出現することになる。
理論哲学において,こうした非我の意識内定立は自我の 前意識的な活動によって遂行されている。すなわち,理 論哲学のレベルでは,自我の活動性は常に限定されたも のとして現象しているのであり,表象である非我は厳然 と実在するに留まっている。フィヒテにおいて,こうし た非我存在の厳然性を自己意識の統一性に回収する自我 の最終的な活動の分析は実践哲学に委ねられる。だがそ こで,フィヒテはこの回収を無限の理念に向かう努力と みなしてしまい,自我における無限性の完成の途を実質 的に塞いでしまう。
初期ロマン主義者の分析に従いながら,ベンヤミンは このようなフィヒテの構想について,「無限の定立活動 の制限が反省の可能性の条件となっている」と述べ,自 己への反省の開始点を絶対的自我の自己定立(第一原則)
に置き,それが常に同時に反定立を伴う(第二原則)が ゆえに,自己定立と反定立の関係性の規定のために反省 が始まるとして,それ以上に遡及することを許さなかっ たと総括する。ベンヤミンによれば,初期ロマン主義者 たちがフィヒテから離反するのは,まさにこの反省の開 始点をどこに設定するのかをめぐってだったのである。
「反省のうちには,しかし既に明らかにされたように,
直接性と無限性の二つの契機がある。直接性はフィヒテ の哲学にとって,〔自我=自我という〕あの直接性の内 で世界の根源と説明を求めるようにという指示を与え る。しかし,無限性はこの直接性を曇らせ,ある哲学的 過程を通じて反省から除去されなければならない。至高 の認識の直接性への関心をフィヒテは初期ロマン主義者 と共有している。初期ロマン主義者による無限者への祭 祀は,彼らをフィヒテから切り離し,彼らの思考に最高 に独創的な方向を与えたのである」 (Ⅰ. 25) 。
フィヒテは,哲学の原理として自我の端的な自己定立 である〈自我=自我〉(事行,知的直観)という認識の 直接性を提唱したが,反面,それの完全な実現(自我の 無限性の実現)は到達不可能な理念とみなされていた。
それでは,初期ロマン主義者はそれをどのように打開し,
どのような境地に到達したとベンヤミンは解釈するのだ ろうか。
(2)反省媒体としての芸術と作品の自己更新
ドイツ観念論の進展の中で,フィヒテが発見した無制 約な絶対的自我は単に人間的自我の純粋形式であるのに 留まらず,人間精神の枠を超えて内在一般の原理へと拡 張された。初期ロマン主義者たちも,こうした思想動向 と軌を一にしており,実質としての自我ではなく,『基 礎』の理論的部門にある自己定立の反省形式(表象の発 生形式)である, 「思考の思考(Denken des Denkens) 」 を原理とする。そして,ベンヤミンの論著において最初 期のメディアに関する定義が与えられる。
「反省は絶対者を構成する。つまりそれは絶対者をひ とつの媒体(Medium)として構成する。絶対者ないし は体系における連続的な同型的な連関に,すなわち人は この両者を現実的なものの連関として,その実体におい てではなく(それはいたるところで同一である),その 明確な展開の程度において,解釈しなければならないの だが,シュレーゲルは―たとえ媒体という表現は用いて いないとしても―その叙述の中で最大の価値を置いた」
(Ⅰ. 37) 。
「メディア=反省形式」という定義は,『複製』での 議論を想起するならば,奇異な感じを受けるかもしれな い。だが,映画というメディアにおいて現実生活では隠 されていた側面が顕現するという考え方や,映画に接し て観衆が自身の生きる世界を再認識するという発想に は,『ロマン主義論』で初期ロマン主義から取り出され た認識論的構図が明らかに継承されている。以下では,
後期ベンヤミン思想まで受け継がれたこの構図を明らか にする。
まず,人が対象を認識する場面についての初期ロマン 主義者の説明から見ていこう。反省形式を絶対者とみな す立場から,初期ロマン主義者は自然認識を次のように 説明している。
「体系ないしは存在論的な絶対者は,決して思考媒体,
すなわち思考する関係の連関という性質を失うことがな い。だから,それのあらゆる規定においても絶対者は思 考するものであり続け,思考する本質こそが絶対者を満 たすすべてである。これによって,対象認識の理論のロ マン主義的原則が与えられる。絶対者のうちにある一切 は,あらゆる現実的なものは,思考する。この思考は反 省という思考であるがゆえに,それは自己自身だけを,
もっと正確に言えば,自身の思考だけを思考することが できる」 (Ⅰ. 54f.) 。
シェリング(Schelling, Friedrich Wilhelm Joseph
1775-1854)の自然哲学における〈生成する自然〉観を
想起すれば分かりやすくなる一節である。シェリングに
よれば,自然には,自己生成を行う原理として「世界霊
(Weltseele)」,「主観としての自然」が宿っており,そ れがフィヒテにおける自我のように,自己自身を定立す る。そして定立された自己である客観としての自然をさ らに反省する中で,そこに潜在的に含まれていた諸力が 分開されて多様な自然界が階層的に形成されていく
(16)。 この発想に端的に見られるように,対象はすべて自己定 立とその反省という絶対者(反省媒体)を原理として存 立する。この点では,人間と対象に差異はない。シェリ ングは,こうした自然の自己認識(展開)過程は人間精 神のうちでも反復されるのであり,それゆえ自然を認識 することは精神の「超越論的過去(die transzendentale Vergangenheit)」を知ることであると述べている。初 期ロマン主義者の場合にも,ある事物についての認識と して現れるものは,思考の自己認識という絶対者の人間 の中での反映であるとみなされる。すなわち,対象認識 とは,人間が対象を認識することであると同時に,対象 と通底している自己の存立基盤を認識するということで あり,すなわち広い意味での自己認識である。
初期ロマン主義者によれば,事物は一方的に人間に認 識されるのではなく,また,事物が人間と無関係に自己 認識するのでもなく,事物は,人間による認識において 自分を再認識することになる。ベンヤミンは,初期ロマ ン主義者が回復することを求めた無限性とは,実は「関 連の無限性」であったと述べているが,人間の認識作用 が関与し,さまざまに関係を結ぶことにより,認識する ものと認識されるものとの境界が撤廃されて,両者が自 在に移行しあうことになる。ベンヤミンによれば,人間 の認識作用を介しての意味の無限に豊かな増殖こそが,
初期ロマン主義の認識論一般の原則となる。
「ある存在者が他の存在者によって認識されるという ことは,認識されるものの自己認識,認識するものの自 己認識,認識するものが自身の認識する存在者によって 認識されることとひとつである。これがロマン主義的な 対象認識論の原則の最も厳密な形式である」 (Ⅰ. 58) 。
ベンヤミンによれば,①主観の自己認識,②客観の自 己認識,③主観による客観の認識,④客観による主観の 認識,の同時生起が「理解」という出来事である
(17)。 そして,人間の認識作用の関与による,対象との関係に おける全面的な意味の増殖こそが,初期ロマン主義者が 自身の活動の主戦場とみなした批評が目ざしたものだっ た。初期ロマン主義者は主観―客観関係の枠組みを飛び 越えて思考を飛翔させることを理想とし,自然認識から 得られたこうした認識論的な知見を芸術作品理解に適用 する。
「ロマン主義の批評概念を特徴づけるものは,趣味判 断における作品の特別な主観的評価を知らないというこ
とである。評価は,作品の即物的な探求や認識に内在し ている。批評家が作品に評価を下すのではなく,芸術そ のものがそうするのである。つまり,芸術が批評という 媒体において,作品を自身のうちに受け入れるか,ある いはそれを自身から拒絶するかによって」 (Ⅰ. 80) 。
芸術の領域においては,対象認識の基本構造に従って,
読み手の理解を仲保として,作品は自己認識,すなわち,
こういうモチーフで書かれたこういう内容の作品である ことを突破し,それぞれの作品が芸術という理念の相の 下でそれぞれが有する固有性格や真理性を証し立てるこ とが批評に求められる。当初の作品の自己認識に読みの 関与によって,さらに反省を促していくこと,この批評 の果たす役割の具体をベンヤミンはフリードリヒ・シュ レーゲルに依拠して次のように述べている。
「この場合,批評がなすべきことは,作品自体の密か な構造を発見し,作品の隠された意図を果たすことに他 ならない。作品自体の意味において,つまり,作品の反 省の中で作品は作品を乗り越えて,作品を絶対化しなけ ればならない。ロマン主義者にとって批評は作品の評価 であるよりも,作品の完成の方法であることは明白であ る」 (Ⅰ. 69) 。
ここにわれわれは,たしかに『ロマン主義論』以降の 文芸批評論ほどには作品の解体,断片化の契機は見られ ないとしても(ただし,『ロマン主義論』においても,
作品の自己認識は一度否定されるのであるから,そうし た契機がまったく見当たらないとは言えない)
(18), 『翻 訳者の使命(Die Aufgabe des Ubersetzers)
‥』 (1921年)
に見られる,美の理念の現前化を想定する純粋言語の完 成を目ざしての翻訳の関与と協働による原作の「後熟
(Nachreife) 」に直結する発想を確認することができる。
読み手と作品に通底する無限反省という絶対者を芸術の 理念とみなすとすれば,批評活動というメディアにおい て惹起しているのは,無限反省の理念に導かれて,個々 の作品の個別性(作品の当初の自己認識)を方法的に相 対化し,そこに隠された意味や意図を発見する/される ことにより(このことは,作品と読み手は同等なのであ るから,読み手による発見であると同時に,作品自体の 反省による当初の自己認識の更新である),作品は自身 の意味を無限に増殖させていく。
たしかに『ロマン主義論』は,ドイツ文学研究期のベ ンヤミンの論考であることもあり,後年のメディア論と のつながりが見えにくいかもしれない。だが,『ロマン 主義論』にある「芸術」という個々の芸術作品の超越論 的な理念を『複製』が理想とする「無階級社会」と置き 換え,個々の芸術作品を現実生活と置き換えるならば,
カメラという当時のニューメディアを介して現実生活に
介入しそこに隠されていた側面を露呈させることによ
り,現実生活の自明性を打破して異化し,決して現前す ることのない無階級社会のイメージを閃かそうとする
『複製』の方法論に,両者のつながりを見ることができ るだろう。さらに,『複製』における断片化された映像
(現実生活からのコピー)の自在な編集が自ずから解放 のイメージを顕現させるという考え方にも,読み手が作 品の価値を評価するのではなく,作品そのものが,反省 を介して自らの解体と構築を反復しながら,自身の価値 を認識するという『ロマン主義論』における脱主観主義 が一貫されていることを容易に確認できるだろう。『ロ マン主義論』は,初期フィヒテの知識学という近代主観 主義の典型からいかに脱主観主義的な(その意味で脱近 代的な)認識論が成立したのかを明らかにしている。そ してこのことからわれわれは,後に文芸批評論やメディ ア論,想起論へと展開していくベンヤミンの認識論と近 代的な伝統との切り結びの現場を垣間見させられている のである。
おわりに
ナチズムに対する批判の拠点を〈世界開放性〉に求め た 1930 年代ドイツの思想動向を見てくるならば,世界 についての明晰な認識をもたらすものとして科学的知識 を高く評価しながらも,その究極的な意味を,科学は存 在について教えることができないという挫折に求めたヤ スパースに対して,当時最先端の科学技術の成果だった 写真や映画を活用することで,世界の真理へと導こうと する思想や教育実践があったことが明らかになった。
子どもの生活場面に密着しながら,映画や写真を用い て,自然な対象−人間関係ではけっして得られない世界 の微細な構造に肉薄させたり,子どもの環境世界を包み 込む広がりを鳥瞰させることによって,自分の生活のあ りようを世界全体の中に位置づけさせようというライヒ ヴァインの教育実践。自然と人間との共同遊戯空間の創 出をニューメディアに期待したベンヤミン。第一次世界 大戦という空前の破局体験を経た彼らの思想には,『複 製』の末尾に記された技術との関わりへの反省が通底し ていたと思われる。
「弁証法的に思考する者にとって,今日の戦争の美学 は,次のようなかたちで表現される。生産力の自然な利 用が所有の秩序によって妨げられると,技術的手段,テ ンポ,エネルギー源の増大が不自然な使用を迫る。この 美学は不自然な使用を戦争に見出す。戦争は破壊によっ て,社会が技術をその道具とするために十分に成熟して いないこと,技術は社会的な根本力を制御するのに十分 なまで形成されていないことを証明するのだ」 (Ⅶ. 383) 。
たしかに,この二人の間には,人間形成の究極目標
を<宗教の責任による社会主義>実現に求める(ライヒ ヴァイン)のか,マルクス主義的な解放に求める(ベン ヤミン)のか,に関して大きな相違がある。だが,メデ ィアがもたらす映像こそが現実そのものの真の相貌を開 示し,さらにこの映像に触れた者に自己についての新た 知見(自己認識)を覚醒させるという,〈世界開放性〉
をめぐってメディア,それをもたらした科学技術の積極 的活用が共通していたことはまぎれもない事実である。
そして,メディアを介することによってわれわれと対 象との関係にいかなる変化が起こったのかを,ベンヤミ ンの初期著作に探ることによって,メディア論と近代主 観主義的な認識論との接点が明らかになった。つまり,
外界の一切を自我の自己認識作用のうちで行われる意味 づけ作用に回収してしまう初期フィヒテの知識学は,世 界の意味を人間との関係でのみ規定する人間中心主義の 願望をもっとも純粋に実現しているといえる。これに対 して『ロマン主義論』が明らかにしたことは,フィヒテ の知識学の推進力である〈思考の思考〉という反省形式 の転用から,『複製』の議論にまで流入しているメディ ア論的な発想が誕生したということである。
「ある作品の価値評価は,決して顕在的なものであっ てはならず,常に作品のロマン主義的批評(つまり,作 品が行う反省)の事実に内包されたものでなければなら ない。というのも,作品の価値はひたすら,はたして作 品が自身の内在的な批評一般を可能にするのか否かにか かっているからである。この批評が可能であるとすれば,
したがって,作品の中に自己を展開し,絶対化し,芸術 という媒体の中に解消させる反省があるならば,その作 品は芸術作品なのである」 (Ⅰ. 78f.) 。
反省形式を絶対者とみなし,人間的自我を超えて遍在 するとみなす初期ロマン主義者は,作品を理解するとは 単に主観的な評価であるのではなく,作品の当初の自己 認識に,読むことが関与して反省を促し,作品自身が自 身の隠されていた意味を開示することであると考えた。
しかもこうした作品の自身による新たな自己限定は,芸 術(絶対者)という無限の理念から常に相対化され,読 みが関与するごとに自己認識の解体と再限定を累進的に 繰り返していく。ベンヤミンにおいては,このような対 象の意味の無限増殖という発想が,初期言語論にある
『旧約聖書』に淵源する神の創造の言語の復元としての 人間の言語活動という理解と絡みあいながら,後期のメ ディア論へと展開されていくのである
(19)。
だが,ライヒヴァインとベンヤミンにみられる科学技
術を活用し,ナチズムに対する批判の立脚点をメディア
に求めたことは,当時の社会情勢の中ではリアリティを
発揮することができなかった。しかし,現在において人
間形成のあり方を考察するときには,理性の所産である
科学技術といかに関わるのかという彼らの問題設定は,
まさにわれわれの問題でもあると言えるだろう。科学技 術を否定契機として捉えるのか,あるいはそれを活用し て解放の夢を託すのか。実はこの問題を当時の思想模様 に返すならば,精神科学派の教育学者であるリット
(Litt, Theodor 1880-1962)が注目すべき発言をしてい るのである。
リットもまた,技術・労働体制化での人間形成のあり 方を問うている。そしてリットの問いは,ベンヤミンの 問題関心と軌を一にするかのように,人間の諸能力の調 和を重視し,労働・技術体制を人間疎外の体系として断 罪するドイツ観念論期の人間理解の妥当性に向けられ る。
「事物への献身〔技術下での労働〕自体は非難すべき ものではないし,それどころか…不可欠の条件である。
…人間の保護に委ねられた事物に対する熱意と,気づか れないうちに事物の中に吸収されしまうことのないよう に,自己の個人的生活に気を配ることと,どのようにし たら人間は,この両者を結びつけることができるように なるのかは,常に,各々の特殊な状況の中の個々人に委 ねられなければならないのである」
(20)。
この一節を見れば明らかなように,リットには技術・
労働体制に人間本性の規格化を見たアドルノやヤスパー スとの共通した問題意識がある。だが,技術・労働体制 に同一化のイデオロギーを批判することに終始した前者 や,実存という超越の領域への質的飛躍を際立てる後者 と異なり,リットは技術・労働体制の断罪と全面肯定の 中点を求め,この体制を支配する主体が人間であるとい う事実を改めて喚起する。こうしたリットの発想法にわ れわれは,技術と関わりながらもそれを過つことなく支 配することを模索する西欧的理性の懐の深さを知らされ るのである
注
本文中のベンヤミン全集からの引用は,Walter Benjamin, Gesammelte Schriften, 7Bde.,hrsg.v. Rolf Tiedemann u. Helmut Schweppenh‥auser, Suhrkamp, 1972/89, Ffm. から引用し,巻数 と頁数を示した。なお,引用文中の鉤括弧内,傍点は断りのな いかぎり筆者による補足である。また,テキストの理解のため に諸訳を参照したが,本文中の引用文はすべて筆者による試訳 である。
(1)Theodor W. Adorno, Gesammelte Schriften Bd.6, hrsg.v.
Rolf Tiedemann, S.358, Suhrkamp, 1997,Ffm.
(2)Karl Jaspers, Rechenschaft und Ausblick, S.148, Piper, 1951, M‥unchen.
(3)Karl Jaspers, Vernunft und Existenz, S.49, Piper,31973, M‥unchen.
(4)Jaspers, Ibid., S.50.
(5)Karl Jaspers, Die geistige Situation der Zeit, S.170, de Gruyter, 51979, Berlin.
(6)對馬達雄『ナチズム・抵抗運動・戦後教育―「過去の克服」
の原風景』,32−98頁,昭和堂,2006年,ならびに,今井 康雄「アドルフ・ライヒヴァインのメディア教育学―教育 的抵抗とは何か」(「東京大学大学院教育学研究科紀要」第 44巻 1−19頁,2005年)参照。
(7)Adorf Reichwein, Film in der Schule Vom Schauen zum Gestalt, S. 26, Westermann, 1967,Braunschweig.
(8)Reichwein, a.a.O., S.25f.
(9)Reichwein, a.a.O., S.50-51
(10)アドルノの1936年3月18日付ベンヤミン宛書簡(Adorno- Benjamin Briefwechsel 1928-1940, hrsg. v. Henri Lonitz, S.168ff.,Suhrkamp, 21995, Ffm.)参照。なお,『複製』をめ ぐるベンヤミンとアドルノの思想的対立については,拙稿
「目的・合理的理性の機能転換―ベンヤミン・アドルノ論争 の人間形成論的意味について」(東北教育哲学教育史学会 編『教育思想』第31号所収,55−74頁,2004年)も参照。
(11)今井康雄『メディアの教育学―「教育」の再定義のために』, 191頁,東京大学出版会,2004年参照。
(12) 『複製』の構想によれば,映像として断片化されることに より,現実世界が当初持つ意味から遊離され,それら映像 を編集することによって映像に新たな意味が付与される。
そして,「慣れ」をもって映画に接する集団において,自 身が生きる現実世界と映像の連なり(映画)が緊張状態に おいて並置されるときに,真理(無階級社会のイメージ)
が垣間見られる,となる。だが,問題は後期ハイデガーの 言う「存在への聴従」の場合と同様に,観る者自身に閃い たものが本当に「真理」なのかどうかを確証する尺度が欠 けていることにある。注(9)であげた書簡での「映画館 での観衆の笑いは集団的なサディズムの発露ではないか」
や,「チャップリンの映画は真正なのか」といったアドル ノの異論は,まさにこうした尺度の不在を露呈しているよ うに思われる。
(13) 『複製』におけるカメラによる現実の断片的切り出しと,
その編集による新たな意味の閃きの構想に,『悲劇』のア レゴリー論があったことについて指摘する先行研究には枚 挙に暇がないが,さしあたりペーター・ビュルガー/浅井 健二郎訳『アヴァンギャルトの理論』,102 − 103 頁,あり な書房,1987年参照。さらに『悲劇』のアレゴリー論にあ る,事物と意味が遊離されてアレゴリカーの手の中で自在 に組みあわされるうちに,真理の閃きを俟つ姿勢と『ロマ ン主義論』にみられる芸術の理念という(反省)媒体の相 の下での読みの介入(「関係」)による作品の自己認識の解 体と再認識という批評構想の関係を指摘したものとして は,Vgl. Hans Heinz Holz, Idee In Benjamins Begriffe Bd.2, hrsg.v. Michael Opitz, u. Erdmut Wizisla , S.445-478, Suhrkamp, 2000, Ffm.
(14) 『ロマン主義論』がどこまでベンヤミンの再構成であり,
どこまでがドイツ初期ロマン主義者の思想なのかについて