『 現 代 世 界 思 想 史序 説 上 』 へ の追 加 ,
そ して 戦 後 日本 社 会 と思 想(1)
倉 田 稔
も く じ
は じめ に
第1節 『 現 代 世 界 思 想 史序 説 上 』 へ の 追 加 外 国
レ ー ニ ン 『 唯 物 論 と経 験 批 判 論 』 トマ ー シ ュ ・マ サ リ ク ヴ ィ ク トル
・ア ド ラ ー バ ・ 一 一 一 ・ト ラ ン ド ・ラ ッ セ ル 第1次 大 戦 ロ バ ー ト ・オ ッ ペ ンハ イ マ ー ア ウ ン ・サ ン
日本
鶴 彬 日 本 の 第 二 次 世 界 戦 争 憲 法 ア メ リ カ 占 領 軍 の 政 策 フ ァ シ ズ ム 日本 の 民 主 主 義
文献 追加 ・訂 正
第2節 戦後 日本 の社 会 と思 想。 戦争 直後
戦 後 の思 潮 原 水 爆 禁 止 運動 謀 略 事 件 『 私 は貝 にな りた い』 太宰 治
は じ め に
小 生 は,『現 代 世 界 思 想 史 序 説 上 』(丘 書 房1992年)を 出 した が,そ れ は, 20世 紀 前 半 論 で あ っ た 。 本 稿 で は,ま ず 第1節 で は,こ の 上 巻 か ら除 い た もの を付 け加 え る。 つ い で 第2節 で,戦 後 の 日本 に つ い て,ノ ー トをペ ー ジの 余 分 が あ る 限 り記 す 。
〔1〕
2
商 学 討 究 第50巻 第4号
第1節 『 現 代 世 界 思 想 史序 説 上 』 へ の 追加
外 国
レー ニ ン 『 唯 物 論 と経 験 批 判 論 』
レー ニ ン は,1905年 革 命 後 の苦 しい 運 動 の 中 で,同 志 ・哲 学 者 ボ グ ダ ー ノ ブ (1873‑1928)と 共 に革 命 運 動 の 指 導 を し た。 そ の ボ グ ダ ー ノ ブ は,新 し く起 きた経 験 批 判 論 を受 け 入 れ た。オ ー ス トリ アの エ ル ンス ト ・マ ッハ(1838‑1916) の 哲 学 で あ る。 レー ニ ン は,そ れ に反 対 し,経 験 批 判 論 が 新 しい 観 念 論 だ と断
じた 。 そ して 『 唯 物 論 と経 験 批 判 論』1)で,マ ッハ 主 義,経 験 批 判 論,そ して ボ グ ダ ー ノ ブ を批 判 した 。 レー ニ ンは こ の時,ボ グ ダー ノ ブ を 運 動 か ら切 り捨 て て も構 わ ない と思 っ た の で あ る 。 しか し,マ ル クス 主 義 哲 学 の 歴 史 で は 有 名 な こ の哲 学 書 は,粗 野 な もの で あ っ た 。 レ ー ニ ンは この 当時,哲 学 は素 人 で あ っ た し,こ の 作 品 は 非 弁 証 法 的 で あ っ た 。
トマ ー シ ュ ・マサ リク
トマ ス ・マ サ リク(1850‑1937)は,チ ェ コ の モ ラ ヴ ィ ア地 方 に,ス ロ ヴ ァ キ ア人 の農 奴 を父 に,チ ェ コ人 を母 と して 生 ま れ た 。 苦 学 して哲 学 を学 び,ウ ィー ン大 学 を卒 業 し,ウ ィー ン大 学 や新 設 プ ラハ 大 学 で 教 え な が ら,チ ェ コの 歴 史 哲 学 を研 究 した。 そ して 帝 国議 会 議 員 に選 ば れ,第1次 大 戦 で は,国 外 で チ ェ コ独 立 運 動 の 指 導 者 と な っ た。 大 戦 後,大 統 領 に な っ た。2)
ヴ ィ ク トル ・ア ド ラ ー
Dr.ヴ ィ ク トル ・ア ド ラ ー(VictorAdler;1852‑1918)は,ド イ ッ 系 ユ ダ ヤ 人 の 大 ブ ル ジ ョ ア の 子 で,プ ラ ハ に 生 ま れ た 。 ウ ィ ー ン 大 学 で 医 学 と 心 理 学 を 学 び,医 者 と し て も 有 名 に な っ た 。 ドイ ッ ・ブ ル ジ ョ ア 自 由 主 義 の 影 響 を 受 け
1)『 レ ー ニ ン全 集 』
2)こ の 哲 人 大 統 領 の 生 涯 と思 想 に つ い て,チ ャペ ク 『マ サ リ ク との 対 話 』(成 文 社)
に 描 か れ て い る 。 主 著 『ロ シ ア 思 想 史 』。
『 現 代世 界 思想 史序 説 上 』へ の追加 ,そ して戦後 日本社会と思想(1) 3
て い た が,人 道 的 立 場 か ら,マ ル ク ス,エ ン ゲ ル ス の 影 響 を 受 け,社 会 主 義 者 に な っ た 。1886年 に 労 働 運 動 に 入 り,週 刊 紙 『グ ラ イ ヒ ハ イ ト』 を創 刊 し,オ ー ス ト リ ァ 社 会 主 義 運 動 の,こ れ ま で 二 つ あ っ た セ ク ト を 一 つ に 統 一 し た 。1888 年 末 の ハ イ ン フ ェ ル ト党 大 会 で 社 会 民 主 労 働 党 が 結 成 さ れ,全 国 的 な 統 一 組 織
を 持 っ た 。 彼 の 新 聞 は 発 展 し て 『ア ル バ イ タ ー ・ッ ァ イ ト ゥ ン グ』 と な っ た 。 彼 は,党 指 導 者 と な り,第 ニ イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル で も 指 導 的 役 割 を 演 じ,若 い オ ー ス ト ロ ・マ ル ク ス 主 義 者 を 育 て た 。 彼 は フ リ ー ト リ ヒ ・ア ド ラ ー の 父 で,
『著 作 集 』(ウ ィ ー ン1929年)が あ る 。第1次 大 戦 の敗 戦 で,1918年 に レ ン ナ ー 新 政 府 が 作 ら れ た 時,彼 は 外 相 に 就 任 し た 。
バ ー ト ラ ン ド ・ラ ッ セ ル
ラ ッ セ ル(BertrandRussel,1872‑1970)は,本 来 は 哲 学 者,数 学 家,論 理 学 者,哲 学 史 家 で あ る が,そ れ だ け で は な い 。 文 明 批 評 家,社 会 改 革 者 な の で あ り,彼 は 社 会 科 学 に も専 門 的 能 力 を 持 っ た 。 中 国 の 文 化 が,ヨ ー ロ ッパ,ア メ リ ア よ り進 ん で い る と見 た 。 第1次 大 戦 で は 反 戦 を 唱 え,ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 を 辞 め さ せ ら れ た 。3)
第1次 大 戦
は じめ ドイ ツ 軍100万 人 が フ ラ ンス を攻 撃 した 。彼 らは,徒 歩 と馬 で 行 軍 し, 皮 を布 で 覆 っ た 帽 子 を被 っ て い た 。 当 時 の 戦 争 は,大 砲 で 撃 ち,騎 兵 と歩 兵 が 突 入 す る とい う もの だ っ た 。 だ が 機 関銃 が登 場 した。 ヴ ィ ッカ ー ズ社 や ホチ キ ス 社 の作 っ た もの だ っ た。 これ で 壷 壕 戦 が 始 ま っ た。 チ ャ プ リ ンは,映 画 『 塾
3)『 ラ ッ セ ル 著 作 集 』,邦 訳 あ り 。;PrincipiaMathematica,1910‑13;TheProblems ofPhilosophy,1912.訳,『 哲 学 入 門 』 角 川 文 庫1978;GermanSocialDemocra‑
cy,1896;JusticeinWarTime,1916;PoliticalIdeals,1917;ThePracticaland TheoryofBolshewism,1920;TheProblemofChina,1922;WhyIamnota Christian,1927,1931;ReligionandScience,1935;AHistoryofWesternPhi‑
losophy,1945.訳 あ り。;「 自 叙 伝 」 理 想 社;「 人 間 の 知 識 」1948.
[研]碧 海 純 一 『ラ ッ セ ル 』 草 書 房;ア ラ ン ・ ウ ッ ド 『バ ー ト ラ ン ド ・ ラ ッ セ ル 』 み す ず 書 房 。
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壕 』 を作 っ た 。 塾 壕 が700キ ロ も掘 られ,北 海 まで 届 い た 。 兵 士 に は,一 種 の 凍 傷 と水 虫 の,塾 壕 足 が 登 場 した 。4)大 砲 の 恐 怖 で神 経 症 が 発 生 した 。
ロ シ ア は,開 戦1カ 月 で 武 器 が底 をつ い た 。 工 業力 が 弱 か っ た の で あ っ た 。 戦 争 は,長 期 戦 と な り,こ の 年,夏 服 で 冬 を戦 っ た 。 砲 弾 に よる神 経 症 が 発 生
した 。 化 学 兵 器,つ ま りガ ス 兵 器 が 開 発 され,ガ ス弾 が 使 わ れ た 。1915年7月 21日,ド イ ツ が 初 め て120ト ンの 塩 素 ガ ス を戦場 で 使 っ た 。
各 国数 名 の カ メ ラマ ンが そ れ ぞ れ の 戦 場 で,撮 影 を許 さ れ た 。 しか しフ ラ ン ス で は,母 親 が 涙 を流 す よ う な こ とを撮 影 す る の は 禁 止 さ れ,死 体 撮 影 は死 刑 だ っ た。
ベ トナ ム か ら15万 人 が フ ラ ンス 軍 へ きた 。 英 軍 の25%が 外 国=イ ギ リス植 民 地 の 人 で あ っ た 。 フ ラ ンス は 中 国 人 を 雇 っ た 。 中 国 人10万 人 以 上 が,ヨ ー ロ ッ パ へ 来 た 。 ヨ ー ロ ッパ 全 体 で,植 民 地 か ら300万 人 以 上 が 来 た 。 ガ ン ジー は, イ ン ドで 志 願 兵 を よ び か け,イ ギ リス に協 力 す る の が 得 策 だ と,当 時 は考 え て い た 。
通 信 は,伝 書 バ トか ら無 線 へ 移 っ た。飛 行 機 が 登 場 した が,は じめ は木 製 で, 布 張 りで あ り,初 め は手 で爆 弾 を落 と した 。
塾 壕 戦 を制 した の は戦 車 で あ り,イ ギ リス は初 め て,戦 車 マ ー ク2を 作 っ た 。 これ を農 業 用 トラ ク タ ー か ら作 っ た。 ドイ ツ はA7Vで あ り,米 は フ ォ ー ド3 トン戦 車,仏 は ス ナ イ ダ ー で あ っ た。 戦 車 は,麺 壕 と有 刺 鉄 線 を 踏 み 潰 した 。
ア ラ ブ人 は,フ ァ イサ ル1世 と と もに 戦 っ た。 ア ラ ビ ア の ロ レ ンス が,50人 の ア ラ ブ人 親衛 隊 を もっ て,ト ル コ軍 を 攻 撃 す る任 務 を持 っ て い た 。 ロ レ ンス の役 割 は こ れ に つ きた 。
ドイ ツ は,ユ トラ ン ド沖 海 戦 で 負 け て,海 上 支 配 が で き な くな り,封 鎖 され た 。 そ れ を 回復 す る た め,Uボ ー ト(潜 水 艦)で 攻 撃 を した。 ア メ リ カ は,英 仏 へ の 貸 付 金 が 戻 らな い と まず い の で,参 戦 した。 この 時,チ ャプ リ ンは,映 画 『 公 債 』 を作 って,ア メ リ カ人 に戦 時 公 債 を買 う よ う説 い た 。
4)エ ル ン ス ト ・フ リ ー ド リ ッ ヒ 編 『戦 争 に 反 対 す る 戦 争 』坪 井,ダ ン ジ ェ ン訳 編(龍
渓 書 店1998年)を 見 よ 。 傷 疲 軍 人 ら の 悲 惨 な姿 が あ る。
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ロ シ ア の 赤 い 革 命 に つ い て,エ イゼ ンシ ュ テ イ ンが,映 画 『 十 月』 を作 っ た 。 ロ シ アが 休 戦 し た の で,ド イ ツ は東 部 戦 線 か ら西 部 戦 線 へ 兵 を 移 動 して総 攻 撃 をす る こ とが で き た。
(以 上,テ イ ラ ー の 『第1次 大 戦 』 記 し た 。)
(新 評 論)で も述 べ ら れ て い な い 部 分 を
ロバ ー ト ・オ ッペ ン ハ イ マ ー
オ ッペ ンハ イマ ー は,1904年,ニ ュ ー ヨ ー ク に 生 まれ た,ユ ダヤ 人 で あ る 。 ハ ー バ ー ド大 学 を卒 業 した 。 理 論 物 理 学 を学 び,ま た 左 翼 に な っ た 。1938年, ハ ー ン らが 核 分 裂 の発 見 を した 。1939年 に ナ チ は 原 爆 計 画 を もっ た 。 ア メ リ カ 人 は 戦 争 の た め に何 で も し よ う とな っ て い た。 マ ンハ ッ タ ン計 画 が 作 られ,グ ロ ー ブ ス 将 軍 と オ ッペ ンハ イ マ ーが 指 導 し た。1943年,ロ ス ・ア ラモ ス の秘 密 研 究 所 が 作 られ,オ ッペ ンハ イマ ー は そ の 所 長 に な った 。 こ こに は超 一 流 の科 学 者 が あ つ まっ た 。 家 族 をふ くめ て6千 人 の 町 に な っ た 。 彼 は 熱 烈 な戦 争 賛 美 者 に な っ た。 だ が ドイ ツ が 負 け て もそ の ま ま研 究 が 続 い た 。 彼 は 原 爆 の 父 と言 わ れ た 。 後 に プ リ ンス トン高 等 研 究 所 の 所 長 に な っ た 。 後 の,水 爆 の 父 は,エ
ドワー ド ・テ ラー で あ る 。 オ ッペ ハ イ マ ー は,マ ッ カー シ ー の赤 狩 りに あ い, 原 始 力 委 員 会 は彼 を公 職 追 放 に した。1967年 に死 ん だ 。
ア ウ ン ・サ ン
ア ウ ン ・サ ンは,ビ ル マ建 国 の 英 雄 と され る。 イ ギ リス に支 配 され て い た ビ ル マ の 独 立 運 動 の た め に,日 本 に潜 伏 した 。 日本 名 も持 も っ た 。 日本 に軍 事 援 助 を求 め た の だ っ た。 彼 は,対 イ ギ リス 軍 事 革 命 を狙 った 。 海 南 島 で 彼 等30人 の 若 者 が 軍 事 訓練 を行 な っ た 。 南 機 関 の 南 大 佐 と結 び付 い た。 日本 軍 と と もに
ビル マ 解 放 に 参 加 し,ビ ル マ 独 立 義 勇 軍 を作 っ た 。1941年 に 日本 軍 と と もに ラ
ング ー ンを 占拠 し た。 だ が 日本 は彼 ら を裏 切 り,ビ ル マ を全 面 占 領 した。1945
年3月,彼 は 日本 軍 に反 旗 を ひ るが え し,日 本 の敗 戦 で,イ ギ リス と交 渉 し,
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ビ ルマ 独 立 をか ち とっ た 。 ア ウ ン ・サ ン は 国 軍 の 創 設 者 とい わ れ,政 治 家 に な った 。 だ が 暗 殺 さ れ た 。
日本
鶴 彬
鶴 は,1909(明 治42)年1月1日,石 川 県 河 北 軍 高 松 町 で 生 まれ た。 本 名, 喜 多 一 二(き た か つ じ)で あ る 。 二 男 だ っ た 。1915(大 正4)年 に,地 元 の 尋 常 小 学 校 へ 入 学 した 。 父 ・松 太 郎 は,貧 しい 竹 細 工 職 人 で あ り,亡 く な っ た 。 そ こ で 母 ・ス ズ は再 婚 し,上 京 した 。 一 二 は,機 屋 経 営 の 叔 父 の養 子 に な る 。1923年,高 等 小 学 校 を卒 業 して,叔 父 の機i屋で 働 い た。 彼 は,1924年 か ら 川柳 界 に登 場 した 。 一 時,大 阪 へ 行 き,ま た東 京 に出 た。1928年,帰 郷 し,高 松 川柳 会 を結 成 し,4月 に 検 挙 さ れ た 。 彼 は ナ ップ に参 加 した 。 そ して再 上 京 す る。1930年,金 沢 第 七 連 隊 に入 営 す る。1931年,金 沢 第七 連 隊 赤 化 事 件 に よ り大 阪 に収 監 され る。1933年,原 隊へ 復 帰 し,年 末 に除 隊 す る 。 そ して上 京 す る 。 反 戦 川 柳 をつ くっ て,1937年12月,特 高 警 察 に逮 捕 さ れ た 。1938年,留 置 場 で 赤 痢 に か か っ た が,手 錠 をか け られ た ま ま だ っ た 。 豊 多 摩 病 院 に入 院 し,
9月14日,29才 で 病 死 した 。 川 柳 の小 林 多 喜 二 と言 わ れ た5)。 代 表 作 は一
万 歳 と あ げ て 行 っ た手 を大 陸 へ お い て きた 。 修 身 に な い孝 行 で 淫 売 婦
手 と足 を もい だ 丸 太 に して か へ し
日本 の 第 二 次 世 界 戦 争
日本 に とっ て の 第 二 次 世 界 戦 争 は,帝 国主 義 国 と して遅 れ た 国 で あ る 日本 の 対 外 的 帝 国 主 義 戦 争 で あ っ た 。 そ の 上,日 本 軍 は 天 皇 の 軍 隊 で あ っ た。 つ ま り
この 軍 隊 は,国 民 に責 任 を持 た な い の で あ っ た 。 軍 部 は ま た,朝 鮮 人 を 日本 兵 5)沢 地 久 枝 編 で 彼 の 『 全 集 』 が で た 。 一 叩 人 編 『 鶴 木 杉 全 集 』 た い まつ 社;一 叩
人 編 著 『 反 戦 川 柳 人 ・鶴 彬 』 た い ま つ 社1978年 。
『 現 代世 界 思想 史序 説 上 』へ の追加 ,そ して戦後 日本社会と思想(1)
7に した。 昭和 天 皇 は,日 本 の 軍 事 力 と天 皇 制 とが,最 大 の 関心 で あ った 。 彼 は 東 亜 の盟 主 に な る こ と を夢 見 た。
日本 人 大 衆 は,家 の 労 働 力 を奪 わ れ,息 子 を失 っ た 。 日本 人 が 戦 争 に 出 た の は,天 皇 の せ い だ と,戦 後,多 くの 人 は言 っ た。 そ れ に 当時,命 の 値 段 が 安 か っ た 。 出征 は,皆,名 誉 と思 っ て い た 。 反 戦 は,村 八 ブ に な る か ら,許 さ れ な か っ た。 戦 前 は 国体(=実 際 は天 皇 制 の こ と)が 重 要 で あ っ た 。 これ に触 れ る
こ とだ け は注 意 しな け れ ば な らな か っ た(大 友)。
1937年 の 第 二 次 上 海事 変 で 起 きた南 京 大 虐 殺 で は,30万 人 が殺 され た 。戦 後, 中 国 で 南 京 大 虐 殺 記 念 館 が で き た。
1941年8月 刊 の 高 村 光 太 郎 の 『 智 恵 子 抄 』 は,大 ベ ス ト ・セ ラ ー に な っ た 。 戦 争 に ゆ く若 者 が 純 愛 もの と して こ れ を読 ん だ。
そ の 年,1941年,ハ ワ イ のパ ー ル ・ハ ーバ ー を攻 撃 した 日本 は,他 方,同 日, マ レー 半 島 に 上 陸 した。 シ ン ガ ポ ー ル を 占領 し,昭 南 島 と名 を変 え,す ぐ民 衆 を5万 人 粛 清 した 。
昭 和19年3月,東 京 大 空 襲 が あ っ た 。12万 人 の 死 傷 者 が 出 た 。 宮 城 だ け は 直 撃 弾 を受 け な か っ た。4月 か らソ連 は,対 日参 戦 の 準 備 を始 め た 。 そ して 同 月,日 ソ 中立 条 約 を破 棄 した 。5月8日,ド イ ツ が 降 伏 し た。6月26日,沖 縄、
が 占 領 され た 。 日本 は ソ連 に 和 平 交 渉 を始 め た。 ポ ッ ダ ム会 談 で,初 め,天 皇 制 維 持 が 認 め られ て い た が,米 国 務 長 官 バ ー ンズ の 主 張 で 削 られ た 。 だ が そ の 後,天 皇 制 は温 存 され る こ とに な る。
終 戦 の 間際 に,原 爆 が2つ,ア メ リ カ に よっ て投 下 さ れ た 。これ は もち ろ ん, 戦 後 世 界 戦 略 を 考 え た ア メ リ カの 責 任 で あ る。 だが,天 皇 が 終 戦 を 遅 らせ た こ
と も一 因 で あ っ た 。 近 衛 文 麿 が す で に終 戦 の 半 年 前 に,終 戦 を上 奏 して い た に
もか か わ らず,天 皇 は戦 争 を 続 け たか らで あ る。 ポ ツ ダム 宣 言 前 日に,ト ル ー
マ ン ・ア メ リカ 大 統 領 は 原爆 投 下 指 令 を 出 し た。7月26日,ポ ツ ダム 宣 言 が 出
さ れ た 。8月6日,広 島 に 原 爆 が 落 と され た 。9日,長 崎 で は原 爆 に よ り,そ
の年 に7万 人 が死 ん だ。 日本 の 戦 闘機 は あ ま り高 く飛 べ なか っ た が,B29は1
万 メ ー トル上 空 を飛 べ た。 日本 が 降 伏 す る途 中 だ っ た の で,本 来 は,原 爆 を 落
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とす 必 要 は な か っ た 。 ア メ リ カは,原 爆 開発 に膨 大 な軍 費,20億 ドル を使 っ て い た の で,投 下 せ ざ る を え な か っ た 。 ア メ リカ は 原 爆 を 落 とす た め に,戦 争 を 長 び かせ た 。
8月7日,ス タ・ 一 一 一 リ ンは軍 に対 日参 戦 を命 令 し,8月9日,対 日参 戦 を布 告 した。 参 戦 は8月 終 わ りの 予 定 で あ った が,原 爆 の た め に く りあ げ て速 め た 。 8月9日,ソ 連 が 参 戦 した 。 対 ソ戦 で は,日 ソ は 戦 力 が25倍 違 っ た。 日本 の 開 拓 団,居 留 民 が 悲 劇 に会 っ た 。関 東 軍 は か れ ら を見 捨 て た の で あ っ た 。さ らに, 退 却 の さい,日 本 民 間 人 の こ ど もた ち を殺 した例 もあ る。
カ ラ フ トに は,日 本 人 が40万 人住 ん で い た 。8月10日,樺 太 当 局 は,北 海 道 へ の 緊急 疎 開 を決 定 した 。 日本 人 は,大 泊(お お ど ま り)か ら船 で 北 海 道(稚 内)へ 逃 れ た 。 関 東 軍 の 崩 壊 や 広 島 原爆 につ い て,政 府 は 国民 に 余 り よ く知 ら せ なか っ た 。
8月10日,日 本 は連 合 国 に,ポ ツ ダム 宣 言 を 受 諾 す る と,電 報 を打 っ た 。 ソ 連 参 戦 の翌 日で あ る。8月14日,「 玉 音 放 送 」 が 録 音 され た 。若 手 将 校 た ち は, 休 戦 反 対 で,ク ー ・デ タ を行 な っ た が,失 敗 した 。
8月17日 に 関 東 軍 は停 戦 を決 定 した 。 ス タ ー リ ンは,日 本 将 兵50万 人 を ソ連 に 抑 留 した 。
昭 和 天 皇 は,マ ッカ ー サ ー との 有 名 な 会 談 で,す べ て 責 任 を東 条 首 相 に押 し 付 け た 。6)
日本 人 は,敗 戦 に よ っ て 日本 史 上 最 大 の 政 治 変 革 を し た。 ま た 日本 人 の 思 想 は,史 上 最 も大 き な変 化 を した 。 日本 は,歴 史 始 ま っ て 以 来,外 国 人 に 占領 さ れ た こ とが な く,負 け た こ とが なか っ た 。 敗 戦 は,明 治 以 来 の富 国 強 兵 政 策,
日本 の 道 が 否 定 され た,特 別 の もの で あ っ た。 神 武 以 来,日 本 人 大 衆 は,戦 争 に 反 対 し なか っ た 。
この 戦 争 は,日 清 戦 争 に 遡 れ る。 敗 戦 の 前 の50年 間 は,日 本 で は 戦 争 が 常 に あ っ た 。 そ の後 の50年 は,ほ ぼ 出征 して い な い時 代 で あ る。 第2次 世 界 戦 争 あ 6)豊 下 楢 彦 「天 皇 は 何 を語 っ た か 」(『世 界 』岩 波 書 店)537号,1990年2月 。 同 「空
白 の 戦 後 史 」(同)538号,1990年3月 。
『 現代世界思想史序説 上』への追加,そ して戦後日本社会と思想(1)9
る い は 「 大 東 亜 戦 争 」 に は,国 民 に も責 任 が あ った 。 日本 国 民 は加 害 者 で あ っ た が,加 害 者 意 識 が 日本 人 に は 少 なか っ た。
憲 法
戦 後,日 本 国 憲 法 が 制 定 さ れ る は こ び とな っ た 。1946年1月 に,弊 原 内 閣 の 松 本 国 務 相 試 案 が で た 。 こ れ をGHQ(General且eadQuarter,連 合 国 総 司 令 部,実 際 は ア メ リ カ 占領 軍)に 見 せ た 。 そ して4月17日 に,改 正 憲 法 案(政 府 憲 法 調 査 会 案)が で きた 。5月 に 第1次 吉 田 内 閣(進 歩 党 と 自由 党 の連 立)が で き,6月 に 第90議 会 が 開 か れ た 。こ の 時 期 に,三 種 の 憲 法 案 が で きた 。1が, 進 歩 党 案,自 由 党 案 で あ り,こ れ ら は絶 対 主 義 天 皇 主 義 に 立 った 。2が,社 会 党 案 と,既 述 の4月17日 発 表 の 政府 案 で あ り,象 徴 君 主 制 に 立 っ た。3が,共 産 党 案 で あ り,人 民 共 和 国 の立 場 に立 っ た。 改 正 憲 法 案 が 発 表 され る と,1と
2は,そ れ に 賛 成 した 。 改 正 憲 法 案 はGHQの マ ッ カ ー サ ー 元 帥 が 全 面 的 に承 認 を与 え た と言 わ れ る 。 そ の威 力 が 大 きか っ た 。GHQは,国 民 の 意 志 で 決 め た とす る や り方 が 非 常 に う ま か っ た と さ れ る。
文 部省 作 成 の 「 新 しい 憲 法 の 話 」で は,非 武 装 を 正 しい と した 。野 坂 参 三(共 産)の,自 衛 の為 の 武 力 は,否 定 され た。
憲 法 で 言 う,天 皇 は国 民 統 合 の 象 徴 で あ る とい う そ の 「 象 徴 」 は,意 味 不 明 で あ っ た 。ま た この 憲 法 の 「 交 戦 権 の放 棄 」は,世 界 に類 の な い 規 定 で あ っ た 。 これ は しか し立 派 な もの で あ っ た 。 日本 の平 和 憲 法 に よ っ て,日 本 は そ の 後, 軍 事 経 済 に力 を入 れ ず,「 平 和 産 業 」が 発 展 した 。軍 事 経 済 は 浪 費 産 業 だ か ら, で あ る 。 この 平 和 憲 法 は,日 本 人 の 発 明 で は な い が,世 界 に 広 げ て よ い 思 想 で
あ る。
荻 野 富 士 夫 は,憲 法 は負 け 取 っ た と,表 現 し,加 藤 典 洋 『 敗 戦 後 論 』7)は, 憲 法 に よ っ て,戦 後,「 ね じれ 」 が 発 生 し た と,す る ど くつ い て い る。
7)講 談 社1997年 。 こ れ は 伊 藤 整 賞 を 得 た 。
10 商 学 討 究 第50巻 第4号 ア メ リカ 占領 軍 の 政 策
ア メ リ カ 占領 軍 の 政 策,つ ま り寄 生 地 主 制 の 廃 止,軍 部廃 止,財 閥解 体,労 働 運 動 の 自 由 な どの 政 策 は,日 本 軍 国 主 義 の復 活 を 阻止 し よ う と した もの だ っ
た 。 だ が,そ の 主 観 的 意 図 と は 別 に,こ れ らの 政 策 は,「 よい 」 資 本 主 義 を作 る条 件 に な っ た。 重 要 だ っ た の は,寄 生 地 主 ・小 作 人 関係 の 廃 止 で あ り,軍 部 の廃 止 で あ る。 戦 前 の 日本 は,軍 事 経 済 が 肥 大 して い た。 これ で は経 済 的 に発 展 で きな い の で あ る 。 国 内市 場 は 狭 くな る。 経 済 的 に い う と無 駄 な,兵 器 ・軍 備 に膨 大 な 予 算 が 使 わ れ た の で あ る 。
寄 生 地 主 制 の 廃 止 は,山 林 を 除外 した が,有 償 の土 地 改 革 で あ っ た 。これ は, 日本 に土 地 持 ち農 民=近 代 農 民 を 大 量 に作 り,生 産 性 増 大 と国 内 市 場 拡 大 の 条 件 に な っ た 。 近 代 農 民 と な っ た 日本 の 農 民 は,豊 か に な る こ とが で きる。 土 地 改 革 は,ア ジア,ラ テ ン ・ア メ リカ の 諸 国 と比 較 す る と,巨 大 な 意 義 が あ る。
これ らの諸 国 の 経 済 的弱 点 は,土 地 改 革 を して い な い こ とで あ る 。 先 進 国 は 土 地 改 革 を して い る の で あ る 。 日本 で戦 後,こ の小 農 が 大 量 に登 場 した こ とに よ っ て,日 本 の 国 内 市 場 が広 が っ た。 戦 前 の 日本 農 民 は 貧 困 だ っ た 。 戦 後 の農 民 は か な り豊 か に な っ た。 彼 ら は農 業 に投 資 し,生 活 を向 上 させ た 。
そ れ と と もに,財 閥解 体 ・労 働 運 動 の 自 由 化 も,「 よ い」 資 本 主 義 を 作 る こ とに な っ た。 財 閥 解 体 は,し か しす ぐ元 に 戻 され た。 日本 の 労 働 運働 も組 合 形 態 と して は大 した こ とは な い が 一 外 国 で 言 う,yellow‑,こ の 自由 化 に よ っ て少 な くて も賃 金 が 増 大 し,国 内 市 場 が広 が っ た。 戦 後 改 革 で,婦 人 解 放 は最
も う ま くい っ た。 だ が こ れ らの 戦 後 改 革 は 中 途 半 端 に終 る の で あ っ た 。
フ ァシ ズ ム
米 ・英 ・仏 で は,フ ァ シ ズ ム は 勝 利 しな か っ た 。 さ て ドイ ツ と 日本 の フ ァシ ズ ム に違 い が あ る 。 普 通,日 本 人 は,日 本 が フ ァ シズ ム 国 だ っ た とい う認 識 を して い な い 。 一 般 大 衆 は,戦 争 に引 きず り込 まれ た とい う感 覚 を もっ て い る。
ドイ ツ で は,民 衆 が積 極 的 に ナ チ ス に荷 担 した の で,そ の反 省 の 意 識 が 強 い 。
逆 に 日本 人 は,フ ァ シズ ム に荷 担 した と い う意 識 が ほ とん どな い 。 だ か ら フ ァ
『 現 代世 界 思想 史序 説 上』 へ の 追加 ,そ して戦 後 日本 社 会 と思想(1)
11シズ ムへ の 反 省 が 弱 い の で あ る。 日本 人 は ま た,戦 争 の 反 省 は あ ま り しな い 。 これ は 日本 が ほ と ん ど民 主 主 義 の時 代 を も っ て い な い こ と に 一 因 が あ る。 同 じ 敗 戦 国 ドイ ツ は,ニ ュ ル ンベ ル グ裁 判 に 引 き続 い て,ナ チ 戦 犯 を鋭 く追 求 した 。
これ は精 神 的 姿 勢 が 日本 と違 っ て い る 。 ドイ ツ は少 な くて も,ワ イマ ー ル共 和 制 の 民 主 主 義 時 代 を もっ て い た か らで あ る。
ニ ュ ル ンベ ル グ裁 判 で の教 訓 は,政 府 が 悪 い こ と を命 令 して も,個 人 は そ れ に 従 って は い け な い,と い う こ と で あ っ た 。 しか しそ の 思 想 は 日本 人 は ま だ持 っ て い ない 。
オ ー ス トリア で は,ド イ ツ よ り,フ ァ シズ ム 反 省 の 意 識 が 薄 い。1938年 の オ ー ス トリ ァ併 合 の た め で あ る。 彼 ら は ドイ ツ に よ っ て ナ チ ズ ム に させ られ た と意 識 して い る。
多 くの 日本 人 は,主 体 性 な しに,戦 争 に参 加 させ ら れ た 。主 体 性 が な く とは, 奴 隷 的 に とい う こ とで あ る 。 天 皇 陛 下 の命 令 だ か ら参 加 した の だ と考 え る。 そ
の た め に フ ァシ ズ ム へ の 反 省 が 少 な い。
日 本 の 民 主 主 義
日本 に は 個 入 主 義 ・近 代 民 主 主 義 イ デ オ ロ ギ ー が 欠 如 し て い る 。そ の 原 因 は, 1,鎖 国,家 光 以 来 の 二 百 数 十 年 の 歴 史,2,近 代 ブ ル ジ ョ ア 革 命 が な か っ た こ と,で あ る 。
ブ ル ジ ョ ア 階 級 は,オ ラ ン ダ(16〜17世 紀,ス ペ イ ン か ら の 独 立 革 命),イ ギ リ ス(17世 紀,ピ ュ ー リ タ ン 革 命),フ ラ ン ス(18世 紀,大 革 命),ア メ リ カ
(18世 紀,独 立 戦 争)に み る よ う に,近 代 民 主 主 義 革 命 を 行 な っ た 。 彼 ら は, 封 建 制 や 絶 対 主 義 に 対 して,血 を 流 し て 民 主 主 義 を か ち と っ た 。 民 主 主 義 ・自 由 主 義 は,西 欧 の ブ ル ジ ョ ア ジ ー の 産 物 で あ り,市 民 革 命 を 行 な い,あ る い は そ れ に 成 功 し た 国 だ か ら,そ こ に 生 ま れ た の で あ る 。 そ れ を 行 な っ た の は,ブ ル ジ ョ ァ ジ ー と農 民 で あ っ た 。 こ れ に 失 敗 し た の は,ド イ ツ16c.の ミ ュ ン ツ
ァ … 一 一を 指 導 者 と し た 農 民 戦 争 の 敗 北,ロ シ ア18c.の プ ガ チ ョ ー フ の 敗 北 な ど
で あ る 。 そ の 後 で さ え,19c.中 ば に,1848年 革 命 を き っ か け に し て,民 主 主
12 商 学 討 究 第50巻 第4号
義 が 変 質 した の で あ る。 日本 は 民 主 主 義 を書 物 で は学 ん で い た 。 だ が,文 字 に 書 か れ た 思 想 と行 動 に移 さ れ る 思 想 は,違 う。
日本 の ブ ル ジ ョア ジー は,江 戸 時 代 に商 人 と職 人 と して,い た。 だ が 明 治 維 新 で は,彼 らは そ の 革 命 の主 役 に な らな か っ た 。 革 命 に 参 加 した の は 下 級 武 士 だ っ た 。 日本 の ブ ル ジ ョア ジ ー は 民 主 主 義 の獲 得 の 闘 い に 参 加 しな か った 。 明 治 初 年 に 自由 民 権 運 動 が 起 きた が,こ れ は 数 年 で 挫 折 した 。 これ 以 降,日 本 の ブ ル ジ ョア ジ ー は,天 皇 制,絶 対 主 義 政 府,軍 部 に従 属 した 。 こ う して ブ ル ジ ョア民 主 主 義 は実 現 し なか っ た 。 第 二 次 大 戦 後,ア メ リカ 占領 軍 の支 配 に よ っ て,ア メ リ カ的 民 主 主 義 が 上 か ら移 入 させ られ た 。 ア メ リ カの 民 主 主 義 は,す で に,か つ て の 時 代 の,独 立 戦 争 の 時 代 の近 代 民 主 主 義 で は なか っ た 。 日本 に 与 え られ た 民 主 主 義 は ア メ リカ の 民 主 主 義 で あ る。 近 代 ヨー ロ ッパ の そ れ で は ない 。 ア メ リ カの20世 紀 半 ば の民 主 主 義 で あ っ た 。 こ う して 日本 に は近 代 ブ ル ジ ョァ民 主 主 義 は根 づ か なか っ た 。
占領 軍 最 高 司 令 官 マ ッ カ ー サ ー(1880‑1964)は,戦 後5年 間,日 本 を 支 配 した 。 彼 は 日本 に ア メ リ カ式 民 主 主 義 と キ リス ト教 を植 え付 け よ う と した 。5 年 後,帰 国 した マ ッカ サ ー は ア メ リ カ上 院 で 演 説 し,民 主 主 義 の 経 験 で は 日本 人 は12歳 の 少 年 だ,と 言 っ た。 こ れ まで マ ッカ ー サ ー は 日本 人 に好 ま れ て い た が,こ の発 言 で 彼 は 日本 人 に嫌 わ れ た 。 だ が この発 言 は正 しか った 。 日本 人 は そ れ ほ ど民 主 主 義 の 経 験 を して い な い か らで あ る 。
戦 前 の絶 対 主 義 的 日本 は,敗 戦 に よ って,半 民 主 主 義 国 に な った 。 天 皇 崇 拝 で,「鬼 畜 米 英 」の も とに 戦 っ た 日本 人 は,あ っ け な く,ア メ リカ 崇 拝 に な っ た 。
した が っ て何 の た め の 「 鬼 畜 米 英 」 だ っ た の か分 か ら な い。 仮 り物 だ っ た の で は ない か 。 また 日本 人 は権 力 盲 従 な の で あ る。 強 い も の に ひ れ ふ す とい う,ア
ジ ア的 国民 で あ る。 日本 人 は,一 夜 に して忠 君 愛 国 思 想 か ら 「 民 主 主 義 」 へ 移
った 。 こ の 「 民 主 主 義 」 は支 配 政 策 と して の民 主 主 義 で あ っ て,本 来 の 民 主 主
義 で は な か っ た 。 そ の うえ,'こ の 「 民 主 主 義 」 は,GHQの 権 威 を バ ック に し
た 民 主 主 義 で あ っ た。 日本 人 は カ メ レ オ ン的 で あ る。 日本 人 が 戦 勝 国 ア メ リ カ
を愛 し,あ る い は尊 敬 す る とい うの は,マ ゾ ヒズ ム8)で あ る と,ヨ ー ロ ッパ 的
『 現 代 世 界思 想 史序 説 上』 へ の追 加 ,そ して戦 後 日本社 会 と思 想(1) 13
観 点 か ら は言 え る 。
そ れ に,戦 前 の 日本 人 は危 険 な考 え を持 っ て い た。 他 民 族 蔑 視,神 国 思 想, 暴 力 思 想 で あ っ た 。
戦 後 日本 人 の思 想 は,な お も,徳 川300年 の 封 建 制 と鎖 国 の 影 響 に あ る。
ま た戦 前 に は,3つ の 自 由主 義 運 動 が あ っ た 。 そ れ らは皆,つ ぶ れ,あ るい は つ ぶ され た 。 第1は,自 由民 権 運 動 で あ っ た 。 そ れ は 自 ら運 動 をや め た 。 第2
は明 治 末 年 の 社 会 主 義 運 動 で あ っ た 。 こ れ は,幸 徳 事 件 に よ って 弾 圧 され た 。
ヒ
第3は,弱 か っ た が,大 正 デ モ ク ラ シ ー で あ'り,そ の後 の 共 産 党 運 動 で あ っ た が,戦 争 遂 行 の過 程 で 弾 圧 さ れ た 。
日本 は,明 治 以 降 は 脱 亜 入 欧,戦 争 期 は鬼 畜 英 米,戦 後 は ア メ リ カ崇 拝 と な っ た。 第 二 次 大 戦 の敗 北 後,日 本 は特 異 な歴 史 を も ち,そ れ に従 っ て 日本 人 は 独 得 の 考 え を持 つ よ う に な っ た 。戦 後,日 本 は 民 主 主 義 国 に な っ た と され るが,
も と も と近 代 民 主 主 義 を もた な か った 日本 人 は,半 分 しか 民 主 主 義 的 に な らな か っ た 。 価 値 の 中 心 は,天 皇 制 か らマ ッ カ ー サ ー へ,「 民 主 主 義 」 へ,そ の 後
ア メ リ カニ ズ ムへ,簡 単 に変 わ った 。
日本 人 は,マ ゾ ヒズ ム,甘 え,恥,集 団 主 義 の 観 念 を もち,ア ジ ァ 侵 略 戦 争 へ の反 省 が 不 足 した 。 戦 後 改 革 に よ っ て,多 くの 事 柄 が 変 化 した。 だ が,株 式 会 社 は,民 主 主 義 的 に な らな か っ た 。 ま た 中 央 官 僚 制 は ほ と ん ど変 化 し なか っ た。戦 後 の 日本 の社 会 構 造 は,民 主 主 義 的 で は な く,「官 主 」主 義 的 とな っ た。
『 現 代世 界 思 想 史 序 説 上』 へ の文 献 追 加 ・訂 正
文 献 追 加 大 塚 金 之 助 の項
[研]拙 書 『 大 塚 金 之 助 論 』 成 文 社1998年 訂 正 表
24ペ ー ジ 最 後 行 大 逆 事 件 とい う名 で 出 た の は,9月 が初 め て で あ る 。
8)拙 書 『ウ ィ ー ン の 森 の 物 語 』NHKブ ッ ク ス 。
14
37ペ ー ジ 4ペ ー ジ 43ペ ー ジ 118ペ ー ジ
120ペ ー ジ
121ペ ー ジ 6ペ ー ジ 121ペ ー ジ 122ペ ー ジ 127ペ ー ジ 128ペ ー ジ 130ペ ー ジ 137ペ ー ジ 153ペ ー ジ
166ペ ー ジ 167ペ ー ジ
10行 20行 1行 2行 12行 11行 13行 7行 11行
11行 柳 条 溝 4行 教 授 20行 藤 原
6,8行 喩
7行*
5行 独
商 学 討 究 第50巻 第4号 日韓 併 合 → 韓 国 併 合 同
と う し → 1921年 → 100名 →
党 員 →
社 会 党 → 大 東 亜 戦 争
同
投 資 1922年
大 会 直 後 の 党 員 は100名 党 組 織
社 会 民 衆 党
→ 「 大 東 亜 戦 争 」
最 後 行 そ の 後 日本 は,日 本 軍 は,パ ー ル ・ハ ー バ ー 攻 撃 の1時 間 前,マ レー 半 島攻 撃 を し,そ の 後 日本 は 15行(2箇 所)皇 后 → 皇 太 后
最 後 行1月 →2月
→ 柳 条 湖
→ 助 教 授
→ 藤 井
→ 諭
と る
→ 独 填
多 くは荻 野 富 士 夫 さん か らの指 摘 に な る。
第2節 戦後 日本 の社 会 と思 想 。戦 争 直 後
日本 は,戦 後(戦 争 の直 後 か ら現 在 まで)の 前 半 期 は 貧 乏 で あ っ た が,高 度
経 済 成 長 が 終 わ っ た こ ろ を画 期 と し て,後 半 期 は 「 豊 か 」に な っ て,う ぬ ぼ れ
た 。
『 現 代世 界 思想 史序 説 上 』へ の追加 ,そ して戦後 日本社会と思想(1)
ヱ5戦 後 の 思 潮
1945年 の敗 戦 以 前 に,戸 坂 潤,三 木清 が 獄 死 した 。8月 に無 条 件 降 伏 を した が,10月10日 にや っ と政 治 犯 が 釈 放 され,例 え ば,共 産 党 首 脳 が釈 放 さ れ た 。 そ して特 高 警 察,治 安 維 持 法 が 廃 止 され た 。10月 末,河 上 肇 は,徳 田 ・志 賀 の 出 獄 を む か えて 病 床 か ら感 激 の歌 を書 く。1946年1月,野 坂 参 三 帰 国 歓 迎 国民 大 会 開 か れ,野 坂 は,民 主 人 民 戦 線 の 結 成 を提 唱 す る。 河 上 は1月17日,「 同 志 野 坂 を迎 え て」 の絶 筆 の 詩 を書 い た 。
大 山郁 夫 が 亡 命 か ら帰 っ て きた 。合 法 無 産 政 党 を作 ろ う とい う大 山の,戦 前 の 活 動 は,最 も合 理 的 な 方 向 で あ っ た 。 だが そ れ で も弾 圧 さ れ た の だ っ た。
清 沢 例 『 暗 黒 日記 』(岩 波 書 店)が 発 行 さ れ た 。 彼 は 自 由 主 義 者 で あ り, これ は戦 争 中 の 日記 で あ る。 詩 人 ・峠 三 吉 は,原 爆 の 詩 を発 表 した 。
ル ー ス ・ベ ネ デ ク トは,『 菊 と刀 』 を 出 し,日 本 の社 会 と文 化 を 分 析 した 。 彼 女 は,罪 の 文 化 の ほ うが 良 い と考 えて い る が,そ れ は西 洋 風 考 えで あ る 。
石 坂 洋 次 郎 の 小 説 「 青 い 山脈 」 が発 表 さ れ た 。 彼 は古 い 因 習 を打 破 し よ と し た 若 い 人 々 を 描 い た 。 こ れ は 昭 和24年 に 映 画 化 され,原 節 子 が 主 演 し,「 民 主 主 義 の教 科 書 」 と言 わ れ た 。
「リ ン ゴ の 唄 」(並 木 路 子)が 出 ,笠 置 シズ子が登 場 し,美 空 ひば りが そ の 真 似 で 出 て き た。 映 画 で は黒 沢 明 監 督 が 活 躍 す る。 映 画 『 ひ め ゆ りの塔 』 が 出 た 。
1946年 元 旦 に,天 皇 の 「 人 間 宣 言 」 が な され,彼 は神 格 を否 定 した が,自 分 が 人 間 だ と は言 っ て い ない 。
1948年,天 皇 が,国 会 開 会 式 に来 た。 衆 参 議 長 が,カ ニ の 横 ば い で 最敬 礼 し て 問題 に な っ た 。 さす が そ の後,や ん だ 。
川 島 武 宣 は,『 日本 社 会 の 家 族 的 構 成 』(日 本 評 論 社1948年)を 発 表 した 。 彼 は,日 本 の戦 後 民 法 の 基 礎 を作 っ た。1948年,改 正 民 法 が 施 行 さ れ た 。
文 学 者 と して 宮 本 百 合 子 が 活 躍 した 。 伊 藤 整 訳 『 チ ャ タ レイ 夫 人 の 恋 人 』 は,戦 前,削 除 版 で 発 行 さ れ た が,今 度 は 裁 判 に か け られ た。 五 味 川 純 平 の
『 人 間 の 条 件 』 が 出 た 。壷井 栄の 『二十 四の瞳』 は,映 画 に もな り,戦 争 中の
16 商 学 討 究 第50巻 第4号 あ る小 学 校 で の教 育 を感 動 的 に 描 く。
鈴 木 大 拙 は,禅,仏 教 の 思 想 家 に な っ て ゆ く。 川 端 康 成 は,小 説 で 日本 の美 だ け を 求 め る。 柳 田 国 男 『 全 集』 が 出 て,日 本 の 民 俗 学 が作 られ た。
永 井 荷 風 は,『 断 腸 亭 日乗 』 を 出 した 。 戦 争 下 の 日記 で あ っ た 。
戦 争 中,国 民 は マ イ ン ド ・コ ン トロ ー ル され た 。 教 育 勅 語 が そ の経 文 で あ っ た 。 戦 後,教 科 書 が 一 時 期,墨 で 黒 塗 りさ れ た 。 修 身,国 史,地 理 が 否 定 され 合 体 し,社 会 科 に な った 。 戦 前 の 国 史 で は,神 話 が 教 え られ,日 本 は神 の 国 と さ れ た。
戦 後 を 「 民 主 主 義 の は き ちが え」 と言 う人 が い る。 だが,ま だ 日本 人 は 民 主 主 義 を は い て い な い。
原 水 爆 禁 止 運 動
広 島 ・長 崎 へ の ア メ リ カの 原 爆 投 下 以 来,日 本 で 原 水 爆 反 対 あ るい は禁 止 運 動 が 始 め られ た 。 こ れ は 当 然 の こ とで あ る。 だが,日 本 人 は全 体 と し て は加 害 者 で あ っ て,こ れ を忘 れ が ち で あ っ た 。 占領 地 の東 南 ア ジ ア の 国 の 人 々 は,原 爆 が 日本 に お ち た こ とを幸 い だ と思 っ た の で あ る。 また,こ の 運 動 は,統 一 こ
そ が 一 番 で あ る の に,分 裂 した 。1945年 か ら人 類 は核 戦 争 の時 代 を迎 え た。 し か し現 在 は実 際 は 原 子 力 発 電 の 危 険 の 方 が 大 き い。
謀 略 事 件
占領 下 の 労 働 運 動 が 発 展 す る 中 で,奇 妙 な 事 件 が 相 次 い だ 。1949年,国 鉄 の 下 山総 裁 の 死 体 が発 見 さ れ,三 鷹 駅 で 無 人 電 車 が 暴 走 し,1949年 に,東 北 線 松 川 駅 付 近 で 列 車 転 覆 事 件 が 起 きた 。 す べ て犯 人 は,国 鉄 労働 組 合 と共 産 党 員 の せ い に され た 。 こ れ らの 事 件 に よ っ て労 働 運 動 弾 圧 と大 量 首 切 りが容 易 に行 な わ れ,占 領 軍 に は 非 常 に 好 都 合 に 進 ん だ 。 これ ら は 占 領 軍 の 謀 略 の 疑 い が 濃 い 。 作 家 広 津 和 郎 は,創 作 の 筆 を投 げ うっ て ま で も調 査 し,『 松 川 事 件 』 を書 い た 。 これ は,ド レ フ ユス 事 件 に対 す る ゾ ラ の 活 躍 に 匹敵 す る。
北 海 道 で は 白 鳥 警 部 射 殺 事 件 が お き,北 海 道 共 産 党 委 員 長 ・村 上 が 逮 捕 さ
『 現 代 世界 思想 史 序説 上』へ の追 加 ,そ して 戦後 日本社 会 と思 想(1) 17
れ,後 に 無 実 だ と分 か っ た 。
東 京 の 帝 国 銀 行 椎 名 町 支 店 で,銀 行 員 の大 量 毒 殺 事 件 が 起 きた 。 毒 殺 犯 人 は 七 三 一 部 隊 の 関 連 者 と され,警 察 は 追 っ た。 だ が,占 領 軍 か ら方 針 の変 更 を余 儀 な くさ れ た 。 困 っ た 警 察 は,小 樽 の 画 家 ・平 沢 貞 通 を捕 まえ,自 白 に よ り死 刑 囚 に デ ッチ 挙 げ た。
『 私 は貝 に な り た い』
加 藤 哲 太 郎 は,『 私 は 貝 に な りた い 』(春 秋 社)を 書 い た。 ほ ぼ 実 話 で あ る 。 加 藤 は,大 正6年,東 京 生 ま れ で,加 藤 一 夫 の 息 子 で あ る。 慶 応 大 を卒 業 し,国 策 会 社 へ 就 職 した 。 昭 和16年 に召 集 さ れ,中 国 戦 線 へ 行 き,中 尉 とな っ た。 帰 国 後,捕 虜 収 容 所 長 と な り,捕 虜 を人 道 的 に扱 っ た 。 だ が敗 戦 で 逃 亡 し た。
昭和23年11月 に捕 ま っ た 。 横 浜 で 裁 判 を受 け,絞 首 刑 の 判 決 と な っ た。BC 戦 犯984名 が 死 刑 判 決 さ れ た も の だ っ た。 彼 は巣 鴨 プ リズ ンへ 収 容 され た。 そ こ に,助 命 嘆 願 文 が 膨 大 に 集 め られ た。 妹 は,マ ッカ ー サ ー に直 訴 し た。 トル ス トイ の 娘 か らの 嘆 願 書 が 来 た 。 マ ッカ ー サ ー は裁 判 再 審 を命 じた 。 や りな お し裁 判 で,有 期 刑30年 と な り,昭 和33年 に釈 放 さ れ た 。獄 中10年 で あ っ た。 そ の 後,結 核 で 入 退 院 を繰 り返 し,昭 和51年 に 死 ん だ。 この 小 説 は,主 人 公 が 刑 死 す る物 語 で あ る 。
太 宰 治
戦 前 か ら戦 後 に か け て,興 味 あ る 作 家 が い る。 太 宰 で あ る。 彼 は 明 治42 (1906)年6月19日 生 まれ で,作 家 時 代 が3つ の 時 期 に 区 分 され る。 前 期 は昭 和8年 か ら12年,中 期 は 昭 和13年 か ら20年,後 期 が 昭 和20年 以 後 で あ る 。 そ の
う ち第4期 も 区分 で き,「 グ ッ ド ・バ イ」 か らで あ る(奥 野)。
太 宰 は,青 森 県 北 津 軽 郡 金 木 村 う まれ で,本 名 は,津 島修 治 で あ る。 津 島 家
は,曾 祖 父 の 代 か ら津 軽 屈 指 の大 地 主 ・富 豪 で あ り,召 使 が30人 い た。 父 は,
源 右 衛 門 とい い,貴 族 員 議 員(そ の 資 格 者 は,高 額 納 税 者 で,県 に4‑5
ヱ8