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『町人貴族』あるいはコメディ・バレエという幻想

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『町人貴族』あるいはコメディ・バレエという幻想

著者 榎本 恵子

雑誌名 コミュニケーション文化論集

巻 18

ページ 1‑19

発行年 2020‑03‑19

URL http://id.nii.ac.jp/1114/00006936/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

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モリエールのドラマツルギー 

~ Défi 挑戦 <3> ~ 

『町人貴族』あるいはコメディ・バレエという幻想  Molière’s Playwriting

– Defiance – Part 3 –

“Bourgeois gentilhomme” or an illusion named comedy-ballet

榎 本 恵 子

序論

1670 年 1 月 30 日、サン=ジェルマン=アン=レーにおける王の演劇祝祭で

『豪勢な恋人たち』Les Amants magnifiquesを上演したジャン・バティスト・

ポクラン、モリエール Jean-Baptiste Poquelin, dit Molière(1622-1673)とそ の劇団は、10 月 3 日、シャンボール城に赴いた。そして前年、『プールソ ニャック氏』Monsieur de Pourceaugnacを上演したヴィガラーニの舞台で 10 月 14 日、コメディ・バレエ『町人貴族』Le Bourgeois gentilhommeを上演した。

コメディ・バレエとは 1661 年からモリエールが『うるさがた』Les Fâcheux で初めて打ち出した「喜劇のストーリーを補うものとして音楽や舞踏を融合 させた1」もので、『町人貴族』では、1669 年トルコの使者が国王ルイ 14 世 に謁見に来たこと、巷では既にトルコの風習が笑いの対象となっていたこと からルイ 14 世の依頼でトルコ儀式を大枠として作られた。

1668 年ヴェルサイユでの祝祭「国王の大いなる喜び」で、田舎貴族の娘 と結婚をした百姓を描いた『ジョルジュ・ダンダン』George Dandin ou le Mari confondu、1669 年サン=ジェルマン=アン=レーにおいて、パリに嫁を 貰いに来た田舎郷士の弁護士の話を描いた『プールソニャック氏』で観客の 笑いを掴んでいたモリエールは、今度は貴族に憧れ、その仲間入りを夢見る パリの金持ちの商人ジュールダン氏を主人公にした。

ルイ 14 世はこの『町人貴族』をたいそう気に入り、10 月 16 日、20 日、

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21 日と追加上演された。その後モリエール劇団はこの作品のパリ市内のパ レ=ロワイヤル劇場で 11 月 2 日から公演する予定であった。しかし、ルイ 14 世が追加上演を希望したため、サン=ジェルマン=アン=レーに移動し、

11 月 9 日、11 日、13 日と更に 3 回御前公演を行った。したがってパリのパ レ=ロワイヤル劇場での初演は 11 月 23 日となった。そして翌 1671 年 3 月 17 日の復活祭までのシーズン途切れることなく演じられた2

この作品はモリエールの他の作品『タルチュフ』Le Tartuffe ou l’imposteur や『女房学校』L’École des femmesと並んで現在でも毎年のように演じられ ている。例えば、2020-2021 年のシーズン、パリ 16 区のラヌラグ劇場では 1 月 18 日から 5 月 16 日まで 10 回公演が予定されている。パリ・オペラコミッ クでは 6 月 15 日から 28 日まで 10 回公演、ヴェルサイユのオペラ・ロワイ ヤル劇場では前年に続いて 6 月 11 日から 21 日まで、さらにコメディ・フラ ンセーズでは 9 月 16 日から 10 月 25 日まで公演が予定されている。パリの 有名な劇場だけで 4 劇場が『町人貴族』を扱う。ルイ 14 世の「これこそ本 物の喜劇であり、良質で有益な笑いである3」という言葉が残っているが、

まさしくモリエールの笑いが本質的なものであり、観客を愉しませ、行き過 ぎた行為に注意を喚起させる「理想の喜劇」を具現化した作品であることを 示しているといえよう。

では、その世界観はモリエール特有の鋭い社会風刺としてのものなのか、

誰にとっての「愉しみ」であるのか、コメディ・バレエの集大成ともいわれ る『町人貴族』のスペクタクルとしての神髄を明らかにしたい。

I.モリエールの社会風刺

『町人貴族』は幕が上がった第一幕第 1 場から音楽が溢れてくる。音楽の 先生の弟子がジュールダン氏に依頼されたセレナーデを作っている。その 隣で優雅なリズムとは裏腹に、音楽の先生とバレエの先生が雇い主である ジュールダン氏を、金はあるが芸術には無知で、彼らの才能を褒めてはくれ ないがいい金づるであると陰口をたたいている。

観客は最初から、このジュールダン氏が、金持ちではあるが貴族ではな く、貴族の仲間入りをするために金を湯水のように使っているが中身が伴わ ず、笑いを誘う人物であることが分かる。そしてジュールダン氏のむなしい 努力の奥にモリエールの鋭い社会風刺があることを察知して話の展開を期待

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するのである。『町人貴族』はシャンボール城でルイ 14 世主催の祝祭のため に作られた余興であったが、そこには当代の写し絵が展開されているのであ る。

まず、この作品に込められた 3 つの社会風刺、貴族とブルジョワ階級とい う身分制度、宮廷人の素養である音楽・バレエ・剣術・哲学、そして当時良 くも悪くもパリを賑わせたトルコ趣味を検討したい。

1)身分

第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(庶民)は厳格に分けら れており、その差は決定的なものであった。しかし、例えば聖職者は妻帯禁 止のため、俗人家系から排出することも必要になり、第二身分出身あるいは 第三身分の者が聖職者になることも少なくはなかった。長男に財産が渡った 後次男以下の貴族は手に入る官職や土地がなければ、高位聖職者になること もあったし、第三身分の者が下級聖職者になることもあった。また、1604 年にアンリ 4 世によって施行された官職売買制度に関わる法令、ポーレット 法は、大都市のブルジョワ階級に出世する機会を与えることになった。

もともとは財政的必要から臨時収入を得るためのものであったが、一定条 件を満たすことで従来の世襲貴族と同様に爵位を叙せられる場合もあるこの 制度により、購入した者は譲渡と世襲を重ね、新エリート層を形成した。従 来の封建貴族である帯剣貴族に対し、法服貴族と呼ばれ、財務官系統や司法 官系統に多くみられた。リシュリューが統治機構の改革をした際、この法服 貴族を重用したことから、帯剣貴族の力を削ぐこととなり絶対君主制を確立 していく第一歩となった。

法服貴族は法的には従来の貴族と同じ特権を有したが、帯剣貴族は新興貴 族層を卑しい成り上がりの町人と下げすみ、この二つの貴族間の溝は埋まる ことはなかった。貴族たちの年間にかかる経費は想像以上に多く、絶対君主 制が進む中で帯剣貴族が財政面での問題を抱えるようになるとこの溝はより 顕著になった。

中央が管轄する地方長官が全土に置かれるようになると、帯剣貴族達の所 領経営にも影響が出、彼らは宮廷に来て宮廷内の役職や国王から年金をもら うようになる。また宮殿が一箇所に定まると宮廷社会が生まれ、高位聖職者 や貴族たちは、国王や有力貴族の集う宮殿に伺候するようになる。ヴェルサ

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イユ宮殿への移転は 1682 年とまだ『町人貴族』の初演から 12 年先のことで あるが、既にルイ 14 世が祝祭を二度もヴェルサイユ宮殿で開いており、貴 族たちはルーヴル宮殿との往復を余儀なくされた。またルイ 14 世の趣味の ために貴族のステータスも変わった。これらすべては帯剣貴族にとってはか なりの負担であったが、家紋の名誉を維持するために消費を抑えることもま まならなかった4

また、金額的な面を考えてみると、それなりの生活をするためにはかなり の支出を余儀なくされる。例えば、貴族の生活の一例として『十七世紀フラ ンス演劇事典』にはマントノン夫人の弟夫婦の生活費が紹介されている 夫婦と奉公人 10 人の生活費として月約 500 リーヴル、年間 6,000 リーヴル 必要である。それに衣装代、家賃、遊興費を加えると 12,000 リーヴルとな る。そのうちの 3,000 リーヴルが遊興費である。実に生活費の 2 分の 1 の金 額が観劇等に費やされているのである6。ジュールダン氏がドラントに貸し ていた金額は仕立て屋、羽飾り職人、馬具屋への立て替えを含め総額 18,000 フラン(18,000 リーヴル)であった。ドラントは、彼の言葉を信じるなら、

宮廷に出入りし、朝も国王の部屋に入って話をすることのできる地位にあ る。また、ジュールダン氏に借金をするのが、差し迫った経済状況からなの か、単に金づるにしているだけなのかはわからないが、貴族はお金がいくら あっても足りず、借金をする者もいるであろうことは想像がつく。これが当 時の実態の一側面であったと言っても過言ではないだろう。そして貴族の約 1 年分をジュールダン氏は貸していたのであり、町人であるジュールダン氏 がその金額を貸せるほどの資産家であったことを考えれば、それはそのまま 官職を買って貴族の称号を手に入れた法服貴族の財力を示していることにな り、帯剣貴族が彼らを好ましく思わなかったことも推察できる。

一方で、ブルジョワ階級にとって、官職というものはお金で買えるはずな のに、実際は財力だけではなれないことが、貴族への憧れを強くしている。

貴族でない出自を誇りに思っているジュールダン氏の娘リュシルの恋人クレ オントの言葉がいみじくもその実情を物語っている。「むしろ貴族の肩書を 盗んでもいい7」風潮があり、「神さまに授かったものを、ちょろまかした 肩書きで飾り立てて世間の目を欺いたり、実際とは違う人間に見せよう8 とする人がいたのだ。確かに『女房学校』ではアルノルフは貴族ではないの にド・ラ・スーシュ氏と呼ばせていた。現在のレ・アル地区であり、パレ=

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ロワイヤルからそれほど遠くないパリの中心地であるサン・イノサン門近く に居を構えていたジュールダン氏が、お金を出せば届くところに、雲の上で あるはずの貴族の世界があると思ったとしたら彼の行動も頷ける。それでも ジュールダン氏が憎めないのは、金に物を言わせるのではなく、上辺だけと はいえ、貴族の素養を身に着けようという発想を持っているからである。そ してそれこそが、貴族との埋められない溝を浮きだたせているのである。

ルイ 14 世の絶対君主制が確立した 1670 年は、帯剣貴族と新勢力である法 服貴族、そしてフランス経済を担っていくことになる資産家のブルジョワが 台頭してきた時代であったことが、ここに如実に描き出されているのであ る。

2)学問の先生

ルイ 14 世の宮廷において貴族たちに音楽とバレエ、剣術の素養があるの は当然のことであった。まず国王自ら幼いころからバレエをたしなみ、12 歳の時に初めて宮廷バレエを催し踊った9。また国内外への政治的パフォー マンスの意味も含まれていた 1664 年、1668 年に開催されたヴェルサイユで の盛大な祝祭を想起すれば、バレエがいかに重要な地位を占めていたかが明 らかである。また 1668 年 5 月 2 日にエクス・ラ・シャペル(アーヘン)の 条約でフランドル戦争を終結したのち、息をつく暇もないままに講和条約へ の介入や貿易関税をめぐる対立などからオランダ戦争を始めていたルイ王政 に剣術が必須であったことも容易に頷ける。ルイ王政の外交手腕を考える と、そこには修辞学を始めとする哲学の素養が切っても切り離せない。

それ故にジュールダン氏が学ぼうとしたのはこの時代の重要な 4 つの学問 なのである。しかし音楽の先生によれば「貴族になりたいっていう妄想に取 り疲れて貴族のまねごとをやりたがっている10」ジュールダン氏は残念なが ら「芸術をあまりよくわかっていないし、何でもかんでも的外れなことばか 11」やってしまう。第一幕第 1 場の音楽とバレエの先生のジュールダン氏 を語っている言葉が、まさにジュールダン氏が上辺だけで中身の伴わないこ との滑稽さに気づかない滑稽さを的確に表現しているのであり、次に続く、

実際のジュールダン氏とのやり取りがそれを証明する形で笑いを誘う。そし て、哲学に至っては当たり前のことを難しい言葉を使って説明されることで 知識を得たと勘違いして喜ぶジュールダン氏の無邪気な姿に、観る者は同情

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の笑いを禁じ得ない。

ところがモリエールの鋭い諷刺は先生たちにまで及ぶ。彼らは自分たちの 学問に自信と誇りを持っているのだが、ジュールダン氏に対する本音を吐露 することで、実は教義と行動が矛盾していのにそれに気づかない愚かさを 提示する。「繊細な芸術の価値を分かってくれる人たちのために仕事がした 12」と言いながら、「少し世間に認められたい」、「いい作品を暖かく歓迎し てくれて、心をくすぐる褒め言葉で苦労をねぎらって」欲しいという願望が ある13。「褒めてもらっても、それだけじゃ楽しい暮らし」はできず、ジュー ルダン氏のように「間違った判断」をしても、彼の「お金がその埋め合わせ をしてくれる」人の必要性を知っている14。建前はバレエの先生が言ってい るように「儲けにこだわるなんて卑しいことは立派な人間のすること」では ないと分かっていながらも、本音は、ジュールダン氏のように「両手でご褒 美を差し出しながら」褒めてほしいのだ15。第一幕第 1 場の「ジュールダン さんという方は、私たち[音楽とダンスの先生]にとっては美味しい金づ 16」であると言い切っているところは、観客にジュールダン氏の立ち位置 を固定させる役割の他に、先生方の即物的な姿を浮き彫りにしている。

その最たる例が、各々の学問の価値を認めてもらえず口論になっていた音 楽、バレエ、剣術の先生の間に入って「賢明なる人間は、どんなにひどい言 葉を浴びせられても、超然としているものです。侮辱に対する偉大な返答 は、自制心並びに忍耐なのです」とたしなめた哲学の先生である。哲学の悪 口を言われた途端豹変し、他の 3 人の先生と殴り合いになる。それぞれの先 生は自分の学問を一番崇高なものとして誇りに思っており、相手の分野を受 け入れず、否定する。それぞれの学問の重要性を提示することには成功した が、相手への不寛容さは滑稽である。学問の教義をまことしやかに説きなが ら、内実の伴わない実像は観客の笑いを誘うのである。

3)トルコ趣味

『町人貴族』の中では「トルコ儀式」が大団円にかけて展開するが、これ はルイ 14 世の依頼によるもので、前年来訪したトルコ人の一行と当時流行 していたトルコ趣味をモリエールとトルコ通のダルヴィユとリュリとで舞台 上に描き出したものである。

ヴェネツィアとオスマン帝国の間には小競り合いが続いていたが、オス

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マン帝国がクレタ最大の港カンディアを攻撃したため戦争が長引き、1645 年にはヴェネツィア本土に飛び火した。対オスマン帝国との関係はヴェネ ツィアにとって最大の懸念事項であった。三十年戦争の後、キリスト教諸国 がヴェネツィアに支援し、1669 年フランスも陸から援軍を出したがヴェネ ツィアはカンディア奪還に至らなかった。この 14 世紀以降拡大し勢力を保 持しているトルコの驚異はヨーロッパ中に知れ渡っていた。

同 1669 年 8 月、ツーロンにソリマン・アガ・ムスタハ・ラカが上陸し、

サン=ジェルマンのシャトー・ヌフで 12 月 5 日彼を招いた祝宴が開かれた。

ソリマン・アガはそれほど高い身分の使者ではなかったのだが、コンスタン チノープルの宮廷に負けないようにとフランス側はかなり気負った。ソリマ ン・アガもスルタンの威を借りて親書を渡す際ルイ 14 世を玉座から立たせ た。この屈辱はルイ 14 世の中に残ったようだとトルコ通の記述が残ってい 17

一方、パリ市内では、5 か月も滞在したソリマン・アガとその一行に好奇 の目が向けられていた。彼らと会った人たちから聞いた話を書いたロビネの 手紙からは、トルコ人たちの食べ方、目をクルクルさせたり、オドオドして るかのように眉に寄せたり、腹ばいになっては起き上がって祈る様や、腕を 組んで、大きな声でぶつぶつ言ったかと思うと今度は小さな声でぶつぶつ 言ったり、他にもいろいろおかしなことをして、まるでアルルカンのような 印象を与えていたことが分かる18。もう一世紀以上も前から、トルコ人のイ メージは旅行記や著作の中で「野蛮」な人種であるというレッテルが貼られ ており、芝居の中でも時に滑稽な、時に残酷な人物として登場していた19

「リュシルがトルコ人と結婚すると言っているの?」と娘がトルコの王子と 結婚することを承諾したと知ったジュールダン夫人が驚いて、「あの子がそ んなことをしたらこの手で絞め殺してやるわ20」と言ったことは、当時の人 びとの心の声を代弁しているといえよう。

モリエールの『町人貴族』にはこのように当時のさまざまな現実の姿が浮 き彫りにされているが、果たして観客は正視し、笑うことができたのだろう か。

II.観客の目に映る「絶対君主制の宮廷礼賛」

モリエールが描いた社会の写し絵は、観客の目にはどのように写ったので

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あろうか。この作品を依頼したルイ 14 世と彼と共にシャンボール城で公演 を愉しんだであろう貴族たち、11 月にパレ=ロワイヤル劇場での一般向け公 演を愉しんだ観客の視点から考察したい。

1)ルイ 14 世の目に映る娯楽性

先に挙げた社会風刺は、モリエールの鋭い観察眼によって描き出されたも のである。しかし、実はこれらは裏を返せば絶対君主制における「神」的存 在のルイ 14 世の宮廷へのオマージュとなる。

アラン・クプリによると、モリエールが「宮廷の宴の意図に迎合して」作 品を作る時、そこには「宮廷の神格化による」宮廷礼賛と「この世では並ぶ もののない存在である」宮廷礼賛があり、『町人貴族』は後者であることが 強調された世界観を映し出している21

最初から、貴族の世界はおまえなどには理解不能なのだと、町人である ジュールダン氏との間に線が引かれている。第一幕第 2 場で、音楽の先生が 準備した歌手が羊飼いの衣装を着けていることに、ジュールダン氏は「なぜ いつも羊飼いばかり出てくるんだ?」と問い、バレエの先生は「登場人物に 歌わせる時には、もっともらしくするために、羊飼いが喋ってることにする んですよ。昔から羊飼いは歌うものと決まっていますからね。それに、王さ まや町の人が恋心を歌い上げるなんて不自然です」と答える場面がある22 この時、1640 年代まで貴族たちが夢中になっていた田園劇を理解できない ジュールダン氏は貴族になれなくて当然であることが暗示されるのだ。

ジュールダン氏が「身分の高い人たちもやっぱり音楽を習っているのか な?23」とか「身分の高い方たちはそういうことをやっているのかね?24 と聞いたり、「身分の高い方々は皆さまこのような着こなしをされていま 25」と言われたりするとき、宮廷が手本になっていることが示される。そ してその手本を真似することはできても表面的でしかないことを見せつけ る。

「猿真似をする間抜けな登場人物を見下ろ」し、「沸き起こる笑いの渦の中 で自尊心を満足させる」ことで宮廷の優位性をゆるぎないものにする26。そ の頂点に立つルイ 14 世にとっては、その玉座から一生懸命動く人々を眺め ることになるのである。それは自身が、身分も制約もない絶対的な権威の高 みに君臨していることを実感させることになるだろう。

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『町人貴族』の中に出てくる、音楽、バレエ、剣術、哲学は先に述べた通 り、この時代の貴族の素養であり根幹をなす学問であるが、ここにもルイ 14 世へのオマージュがあることを見て取れる。

バレエの重要性は 1661 年王立バレエアカデミーが設立されたことから明 らかである。音楽の重要性は 1669 年の王立音楽アカデミーの設立に見て取 れる27。作品の中では、これらの芸術が国をいかに平和に豊かに導くために 必要かということが示される。バレエの先生は「音楽とダンスさえあれば他 には何もいりません」と言い、音楽の先生と二人のラッチが続く。音楽の先 生が「国家にとって音楽ほど役に立つものはありません」と言えば、バレエ の先生は「人間にとってダンスほど必要なものはありません」と答える。そ して「音楽がなければ、国家は存続できません」、「ダンスがなければ、人間 は何もできません」と続く。音楽の先生は、「世界に見られる混乱や戦争は すべて、音楽を習っていないからこそ生じるの」だと言い、「戦争は、人間 がお互いに調和できないために生じる」ので、「すべての人間が音楽を学ん だなら、みんなの調子をあわせることができて、世界中が平和になる」と 言う。またバレエの先生によれば「歴史にあふれている悲惨な出来事すべ て、政治家のヘマ、偉大な武将のミス、人間の不幸はすべてダンスを知らな いからこそ起きて」おり、その理由は、「ある人が何かヘマをしたときはた いてい(略)『誰それさんは、かくかくしかじかの事で足を踏み外した』」と 言い、「『足を踏み外した』りするのは、ダンスを習っていない」からであ 28

そして剣術の先生がその優位性を説くとき、フランスの軍事力の高さとル イ 14 世の手腕により領土を拡大していたまさに当代のフランスの権力への オマージュと取ることができる。1670 年はフランドル戦争が終わり、オラ ンダ戦争を開始した年である。また哲学の先生の言葉にはデカルトの思想29 が見え隠れしているが、その他パスカルやボワローなどのモラリストたち や、1663 年に設立した科学アカデミーを想起させる。これらアカデミーを 総括するのはメセナである国王で、さまざまな分野が国王の庇護下に入っ た。17 世紀は多くの分野が花開き、発展したことが知られている。ジュー ルダン氏のところに来た先生たちが、自分の学問の優位性を説き、相手の学 問を受け入れない不寛容さは笑いを誘発するが、その学問に対する誇りは国 王へのオマージュが含まれていると取ることができるだろう。

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トルコ風の儀式のバレエがメインに仕立てられた最後に披露される「諸国 民のバレエ」にはモリエールの心配りがある。この「諸国民のバレエ」と題 されたバレエは、六つの場アントレ面に分かれている。第一場アントレ面は劇場の入口でバレ エ台本を配るプログラム配りの男とそれを手に入れようとする人たちの対話 風の歌とバレエで、第二場アントレ面はそのプログラム配りの男とひと悶着をした厄 介者のバレエである。第三場アントレ面はスペイン人の歌とバレエ、第四場アントレ面はイタ リア人の歌とバレエ、そして第五場アントレ面はフランス人による歌とメヌエットが 踊られ、最後の第六場アントレ面で三つの国の踊り手が一堂に会し、このスペクタク ルがいかに素晴らしいか、ここに集うことのできた人々の幸せを歌う。

シャンボール城にはモリエール劇団の他にドメニコ・ビアンコレッリ率い るイタリア劇団が呼ばれていた。ルイ 14 世はモリエール劇団とイタリア劇 団の交互に披露される出し物を楽しみにしていたのである。ビアンコレッ リ、通称アルルカンはソリマン・アガが来る前からトルコ人に扮して演じた り、幕間の宮廷バレエで踊っていた。モリエールは王妃マリー・テレーズの 出身、スペイン・ハプスブルグ家に対してスペインのバレエ、その後にイタ リア人のバレエを入れ、歌われる歌も、スペイン語とイタリア語にするとい う配慮をし、それらすべての中央に座すルイ 14 世へのオマージュとしたの である。

2)国王以外の観客の目に映る娯楽性

モリエールの描いた社会風刺が、ルイ 14 世の絶対君主制へのオマージュ としてとらえることができるとしたら、他の観客たちの目にはこの作品はど のように映ったのだろうか。

ジュールダン氏は、貴族がたしなむ音楽やバレエがいかなるものかを理解 していない。羊飼いの男女が歌う恋の歌の歌詞もメロディも気に入らない様 子である。貴族たちの間でルイ 14 世と共に踊るのがステータスとまでなっ ていたバレエも、メヌエットですら踊れず足がついていかない。剣術も最初 の姿勢から構えることができない。胡麻化されているとも知らずに仕立て屋 に服一着分の布をくすねられ、靴下がきつかったり、洋服の生地の柄が上下 逆さまになったのを彼が流行を知らないだけだとかわされ、ドラントには友 人という言葉に操られて金を貸し、彼の恋路のために散財する。いみじくも 音楽の先生が言ったように「金づる」でしかない。

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貴族達は、ジュールダン氏に比べれば国王に近い存在であるとはいえ、国 王とは張り合うことのできない格差があることを承知している。それを認識 したうえで、自分たちより下の身分に対する絶対的な優位性をジュールダン 氏に見ることになる。ジュールダン氏ほどの財力をもっていれば現実社会に おいては官職を買うこともできるだろう。しかしそうしないのは、それでも 彼らに近づくことさえできないからだ。そして彼らをただただ真似るしかで きないそのことごとくが滑稽であり、現実社会において経済的辛酸をなめて いる貴族たちにとっては自尊心を保つ砦となり、心の中で喝采していたので はないか。

では一般庶民はどう見ただろうか。ジュールダン氏を妬ましく思っている 人もいただろう。また、彼と同様、より高みへと昇格する野心を持っている 者もいただろう。ジュールダン氏が、唯一すぐれたところを披露したのは、

暗算である。パスカルが父親の仕事を軽減するために計算器を発明したほど 計算が厄介であったこの時代の金額の計算をジュールダン氏は暗算する。つ まり、ジュールダン氏が「できない」ことごとくは貴族に属するもので、彼 に「できる」ものは町人ならではの才能である。ジュールダン氏がどれほど 強く思いを持っても、貴族のまねはできても、貴族に一向に近づくことがで きない姿を見てジュールダン氏と同じ思いを抱いていた者たちは、身の程を わきまえ、身の丈に合った才能を生かすことが仕合せであることを痛感した のではないか。

またこの作品の中でひとり現実的な考えを言うジュールダン夫人の言葉に 人々は考えさせられることになる。「自分より身分の高い人と結婚なんかし たら、いろいろと困ったことになるに決まっています。リュシルが私たちの ことでお婿さんに文句を言われるなんて私は嫌ですよ30」から始まる地につ いた、母として、また自分の境遇をよく理解して堅実に生きている人の言葉 に、観客は、これこそ仕合せに生きることではないかと考えるのである。

モリエールの作品は、ただ一人の人物が風刺の対象に据えられるのではな く、その人物もまた別の観点から風刺されるというように、二重、三重の構 造を持つ。つまり、異なる階級の観客が観てもそれぞれ納得できる仕掛けが 施されていたのである。

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III.コメディ・バレエの集大成

作品が描き出した社会の絵姿とそれが与える国王、貴族、一般の観客たち へのメッセージを考察してきたが、観客の中には、実際は素直に笑えない痛 烈な批判も含まれていたであろう。それなのに宮廷とパレ=ロワイヤル劇場 で人気を博したのはなぜだろうか。その理由はやはりコメディ・バレエとい う構成にある。演劇の規則を逸脱することも可能にする形式は、真実らしい が誰もがハッとするような生々しさを備えていない、架空の登場人物を設定 することを可能にした。そのモリエールの二つの手法を明らかにしたい。

1)『町人貴族』の芝居の構造

まずこの芝居の構成を確認していきたい。第一幕では、音楽とバレエの先 生が、ジュールダン氏は芸術を理解しないが称賛を報酬で答えてくれるスポ ンサーであると話し、貴族になりたいという妄想に駆られているジュールダ ン氏に追従する。第二幕では、ジュールダン氏は二人の他に剣術、哲学の先 生を呼び、レッスンを受ける。そしてその後招待するドリメーヌのための宴 の打ち合わせをする。第三幕では、仕立て屋に最先端の衣装を仕立ててもら いすっかり貴族気分になったジュールダン氏が、侍女のニコルとジュールダ ン夫人に笑われる。そこに貴族の友人でドリメーヌの招待をセッティングし てくれたドラントが金の無心に来る。ジュールダン氏がドラントと宴の進行 を話すために退席した後、リュシルの恋人クレオントとその従僕コヴィエル がやって来て、恋人たちは愛を確かめ合う。しかしジュールダン氏が、娘は 貴族にしかやらないと二人の結婚を反対すると、コヴィエルは策を講じるこ とにする。そこへドリメーヌが到着し、宴が始まる。第四幕第 2 場でジュー ルダン夫人が部屋に入ってくるまで宴が続く。

その後、コヴィエル扮するトルコの王子の使者がやって来て、ジュールダ ン氏の父親が実は貴族であったこと、クレオント扮するトルコの王子がリュ シルを見初め、結婚を申し込みたい言っていると伝える。ジュールダン氏の 承諾を得ると、彼をトルコの「すごい偉い身分31」である遍マ マ ム ー シ歴の騎士の位に 叙すると言ってトルコ風の儀式を執り行う。第五幕では、結婚を嫌がってい たリュシルは相手がトルコの王子に扮したクレオントだとわかると乗り気 になる。ジュールダン夫人もそれに気づくと賛成し、すべてのからくりを理 解したドラントとドリメーヌも一緒に若い恋人の結婚を祝福する。それに乗

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じ、この二人も一緒に結婚することにする。これをジュールダン夫人の目を ごまかすためだと思っているジュールダン氏は上機嫌で、さらにニコルとト ルコの王子の使者、実はコヴィエルとの結婚を承諾する。こうして三組の結 婚が執り行われることになり、喜びの一同が舞台に集い幕が下りる。

そしてこの各幕間に歌とバレエが挿入される。モリエールのコメディ・バ レエの幕間劇は、前後の話とはあまり関係ないディヴェルティスマンの性質 を持った幕間劇を入れるもの、喜劇の筋とは直接関係ないが似た主題の歌や 踊りを入れるもの、幕と幕のつなぎとして機能するものとあるが、『町人貴 族』で歌や踊りは幕と幕のつなぎとして機能するだけでなく、本筋に組み込 まれている32

幕が上がるとジュールダン氏から頼まれた曲を音楽の先生の弟子が拍子を とりながら創作している。第一幕の終わりにはジュールダン氏に依頼された 歌とバレエのお披露目となり、第二幕のジュールダン氏の称賛の台詞に繋が る。第二幕は、ジュールダン氏が新しい服を仕立て屋の小僧にリズムにのっ て着替えさせてもらい、小僧がジュールダン氏からもらった心づけに喜びな がら踊って退出する。こうしてジュールダン氏は第三幕でドラントとドリ メーヌを迎える支度ができる。第三幕の終わりで料理人や給仕が歌って踊り ながら準備をし、第四幕ドラントとドリメーヌを交えての宴の場面へと繋が る。第四幕はジュールダン氏のトルコのママムーシに叙任されるトルコ風儀 式で終わり、奇妙な格好をした夫の姿に驚く第五幕第 1 場のジュールダン夫 人の驚愕の台詞へと繋がる。そして大団円で三組のカップルが結婚すること になり、公証人が来るまで、もともと準備してあったバレエ「諸国民のバレ エ」を登場人物は観客と一体になって観ながら幕となる。

2)三幕喜劇あるいは五幕喜劇

モリエールがシャンボール城で上演した時、慣習に倣って歌とバレエのリ ブレットを配布している33。そこにはこの芝居が三幕であったことが記され ている。現在の五幕になったのは、1671 年に刊行されたときである。

第一幕は刊行版の第一幕、第二幕であった。ジュールダン氏が諸学問の先 生方とのレッスンが終わり新しい服を着て「貴族ジュールダン氏」が完成す る。第二幕は刊行版の第三幕と第四幕第 1 場の宴の酒の歌までである。この 第二幕ではいわゆる喜劇が展開される。貴族に憧れたジュールダン氏が貴族

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かぶれの格好をして家じゅうの者に笑いものにされ、「友人」の貴族ドラン トに金を無心され、ドリメーヌが自分の思いにこたえてくれたと思って用意 した宴を楽しむ。そしてジュールダン夫人が入ってくる第四幕第 2 場から最 後までの、ジュールダン氏がトルコの高位の叙勲を受け、貴族になるという 夢が叶ったと思う「トルコ儀式と、娘とトルコの王子との結婚」の話が第三 幕となる。

三幕ものであったときのほうが、ストーリーがよりまとまっていたといえ る。しかし、ストーリーが変わったわけではない。もともと幕間劇によって 各幕の区切りが弱くなっているからだ。したがって、出版に向けて五幕もの にしたということは、むしろ御前芝居であるコメディ・バレエの格式を考え て、本格喜劇の形へと昇格させたと考えるべきだろう。

『町人貴族』を考察した小場瀬卓三は、この芝居は実は五幕ものの喜劇で はなくて、「五幕という大喜劇の形式をとっているが、実際は笑劇だ34」と 言及している。モリエールがルイ 14 世に依頼された時の条件を考えると、

五幕喜劇のコメディ・バレエの形をとりながらその本質は「ふざけた『トル コ儀式』を展開するための35」一幕ものの笑劇と考えるほうがしっくりくる からだという。そうであるとすれば、そのように見せることこそが、実は国 王だけでなくこの芝居を観るすべての観客に対して社会風刺ではなく、娯楽 としてのニュアンスを強めているといえるだろう。

3)一幕笑劇あるいはコメディ・バレエという名のトロンプルイユ 小場瀬卓三は、この作品を笑劇形式であるとする理由として、筋が簡素 であることを挙げている。「第一幕と第二幕にはほとんど劇行為はなく、

ジュールダン氏の性格を説明する断片的な場面が繰り広げられているだけで ある36」とし、ジュールダン氏とドラント、ドリメーヌの三角関係、リュシ ルとクレオント、ニコルとコヴィエルの主従の恋、クレオントのトルコの 王子に変装することも「第四幕、第五幕における『トルコ儀式』を真に受け るジュールダン氏を準備する工作にすぎず、劇行為からは全く独立してい 37」と言及している。

確かに、幕間劇が挿入されているために、各幕の切れ目が希薄になり、い くつもの逸話が繰り広げられているように見える。けれども、この作品はコ メディ・バレエが本来縛られていないはずの演劇の規則が忠実に守られて

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いる。「場の一致」は言わずもがなであるが、「時の一致」も守られている。

ジュールダン氏が初めて登場するのは、起き掛けの部屋着姿であることから 朝の場面である。そして昼にドラントとドリメーヌを招いての宴が行われ、

夕方に三組の結婚式が執り行われる。12 時間以内に収まっているのだ。

さらに、身の程を知らない主人公に天罰が下らないというのも笑劇らしか らぬ点である。自分の願望が何一つ叶っていないことをジュールダン氏が知 るのは、幕が降りた後である。芝居の中では、自分が貴族の家系で、娘は王 族に嫁ぎ、ドリメーヌの色良い返事を待つ状態である。そして二つのカップ ルの結婚という終わり方は、喜劇の常套手段に則っている。

確かに、ジュールダン氏の貴族になるための鍛錬、ドリメーヌをめぐる三 角関係、リュシルとクレオントの恋、ジュールダン氏のママムーシ叙任式等 一つ一つを考えれば複数の逸話で、すべてが「トルコ儀式」へと結びつく伏 線と捉えることもできる。しかし、「ジュールダン氏が憧れの貴族になるこ とを追い求め夢が叶う(と信じている)」までの物語と考えれば一つの筋で ある。

トルコの王子が出てくるという真実らしからぬストーリー構成が受け入 れられた背景には二つの作品の成功がある。モリエールはそのうちの一つ、

1665 年にリヨンで刊行され人気を博したポルトガルの喜劇『見習い貴族』O

Fidalgo aprendizからジュールダン氏と彼を取り巻くドラント、ドリメーヌ

を構想した38。また、トルコ儀式に繋がるトルコの王子の話は、ポワッソン の喜劇『偽ロシア人』Les Faux Mosccovitesが 2 年ほど前にオテル・ド・ブ ルゴーニュ座で成功したことが後押しとなった39。幕の区切りがなく喜劇の 形式から逸脱し、一幕ものの笑劇であると見えるのは、それは今まで喜劇 の添え物であった幕間の歌とバレエが本筋に組み込まれたことを意味してい る。「バレエも喜劇の主題にできるだけ結びつくように、またバレエと喜劇 が一体40」となったこの作品がコメディ・バレエの集大成といわれる由縁で ある。

小場瀬卓三は「ふざけた『トルコ儀式』を展開するための、このように真 実らしからざる筋の笑劇の中に、モリエールが現実から切り取ってきた生々 しい風俗の描写、それにたいする鋭い諷刺を持ち込んだ41」とモリエールの 手腕を評価しているが、逆に笑劇的な要素を含んでいるからこそこの芝居が どの身分の観客にも受け入れられたとは考えられないだろうか。先に見てき

(17)

たように、モリエールの観察眼は鋭く社会の現状を舞台上に映し出してい る。それでも観客が笑いと共に流せるのは、登場人物が、それぞれの階層の 人たちを代表しており、モデルとされる人たちが想起できるのにもかかわら ず現実離れしているからである。その性格と行動のすべてが誇張され、観客 が「ありえない」と笑うことができるからである42

例えばジュールダン氏が仕立て屋の「身分の高い方々は皆さまこのような 着こなしをされています43」と言われて生地の柄が上下坂さまになっている のを鵜呑みにしたとき、ドラントにあと 200 ピストール貸してくれたら借 金は 18,000 リーヴルとキリがよくなると言われたとき、ドリメーヌのダイ ヤモンドを「そんなダイヤは実につまらんものです」と苦し紛れに言ったと き、トルコの王子さまが娘を見初めたと言われたとき、その通訳のコヴィエ ルが来たとき、観客の誰しもがそれらに気づかないジュールダン氏のあまり のナイーブさを現実離れしたお人好しとして笑えたからこそ、この作品は受 け入れられたのではないだろうか。 

また人は、知っているものや身近にあるものが話題になると嬉しいもので ある。観客は「ふざけた『トルコ儀式』」が巷で間近に見てきた驚異の対象 であるトルコ人を想起して大いに盛り上がったであろう。つまりコメディ・

バレエというジャンルが持つスペクタクルとしての魅力がモリエールの鋭い 社会風刺をオブラートに包んだのである。まさに芝居におけるトロンプルイ ユではないか。それ故に、シャンボール城でルイ 14 世はこの作品を見て大 いに愉しみ、予定より多く上演させたのであり、パレ=ロワイヤル劇場では 一般の観客を大いに沸かせたのである。

結論

『町人貴族』が現在まで上演され続けるのは、単にトルコ風の儀式が観客 受けするからではあるまい。ジュールダン氏のお人好しさや、彼の貴族に憧 れる思いに付け込んで搾取される姿に同情するからだけでもないだろう。そ こに共感する何かがあるからだ。モリエールの喜劇は当代の社会構造のさま ざまな問題点を突き付けることで、観る者に共感と共に考えさせる。

今一度、現代社会においてそれはもう時代遅れのテーマなのか考えてみた い。『町人貴族』の登場人物の設定を現代に当てはめてみればそれほど違和 感はない。今でも現状より上の地位につこうと野心を持つ人はいる。学歴如

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何ではなく本人次第でどこまでも上り詰めることはできる。またお金で買え るものも多くある。お金が不可能なものを可能にする力を持っていること も事実だ。そしてその逆もまたしかりだ。結婚にしても、親同士の決めた結 婚、見合い結婚、利益重視の結婚もある。玉の輿結婚を夢見る者もいない訳 ではあるまい。三角関係、不倫、恋人を奪うことも、騙しあいも、詐欺も存 在する。テレビドラマや映画の主題になっていることがその証であろう。

作品を読む現代の我々は、人間の本質、人間の抱える問題、闇、喜びはい つの時代も変わらないと感じさせられる。そしてどの登場人物に肩入れする かによって抱く感情は変わってくる。それでも、喜劇を彩る歌とバレエが作 品を娯楽としてのスペクタクルに仕立て、その演出に観客は見入るのであ る。これは実写版のドラマにおいてより、破天荒なストーリーを受け入れや すいアニメや漫画のほうが倫理的なメッセージを込めやすいというのと同じ である。コメディ・バレエというジャンルの持つ魔法といっても過言ではあ るまい。

今後上演される『町人貴族』はどのような演出を我々に提供してくれるの だろう。人間はいつの時代も変わらないという普遍性があるから、次はどん なジュールダン氏が見られるかと我々は演出家の新解釈を待ち望み、新しい 舞台に魅了されるのではないだろうか。

1 浜中康子『栄華のバロック・ダンス 舞踏譜に舞曲のルーツを求めて』、音楽の友 社、2001、p. 23。

2 パレ=ロワイヤル劇場ではコルネイユの『ティットとベレニス(当時は『ベレニ ス』と呼ばれた)』と 1 週間交替で演じられた。11 月 23、24 日には『町人貴族』

上演、28、30 日、12 月 2 日には『ティットとベレニス』、5、7、9 日には『町人貴 族』、12、14、16 日には『ティットとベレニス』というように 3 回ずつ連続で交 互に上演された。これはライバル劇場のオテル・ド・ブルゴーニュ座においてラ シーヌの『ベレニス』が上演されており、パレ=ロワイヤル劇場とオテル・ド・ブ ルゴーニュ座の競合作品による上演で、1671 年の復活祭までのシーズン中続いた。

観客は二つの『ベレニス』を見比べることを楽しんでいたが、全体としては、パ レ=ロワイヤル劇場による喜劇と悲劇の交互の上演がより客を掴んだ。それぞれの 週の『町人貴族』の平均収入は 1,099 リーヴル(1 リーヴル=1,500 円換算でおよそ 1,618,500 円の収益である。但し取り分は一人当たり 5.6%である。これはコルネイ ユの平均 814 リーヴル(およそ 1,221,249 円)と比べると『町人貴族』がパリ市民 に好まれていたことは明白である。『ラ・グランジュの帳簿』抄訳 『モリエール

(19)

全集』10 巻、秋山伸子訳、臨川書店、p. 146 - p. 150 参照。G. Forestier Molière, NRF Biographies, Gallimard, 2018, p. 437-438。

3 Étienne La Font de Saint-Yenne, L'ombre du grand Colbert, le Louvre et la ville de Paris, dialogue. Réflexions sur quelques causes de l'état présent de la peinture en France. Avec quelques lettres de l'auteur à ce sujet. Nouvelle édition corrigée &

augmentée, Paris, Michel Lambert, 1752, p. 49.

4 佐々木真『図説 ルイ 14 世―太陽王とフランス絶対王政』、ふくろうの本、河出書 房新社、2018、p. 113。

5 オディール・デュスッド、伊藤洋監修『フランス 7 世紀演劇事典』中央公論新社、

2011、p. 712-713。

6 職業によるが、平均の庶民の生活水準を見ると、貴族の仲間入りをしたいと思い、

さまざまな家庭教師の先生を呼べるほどジュールダン氏が資産家であったかが明白 である。平均の日雇いの賃金 10 ソル(約 1,000 円)、ある女中の月給が 26 ソル(約 26,000 円)という頃句が残っている。牛肉は 1 キロ当たり 1.5 ソル(150 円ほど)。

芝居に関しては平土間が 15 ソルであったということは、現在、アルバイトの日給 に対し観劇料が同じかそれより少し高いのと同じ感覚であろう。オディール・デュ スッド、伊藤洋監修『フランス 17 世紀演劇事典』、中央公論新社、2011、p. 712- 713。

7 第三幕第 12 場、p. 180。ページ数は『モリエール全集』第 6 巻、臨川書店、秋山伸 子訳のものである。

8 同上、p. 181。

9 拙論、「モリエールのドラマツルギー~Défi 挑戦<2>~『ジョルジュ・ダンダン』

あるいはヴェルサイユの一夜の幻想」、『コミュニケーション文化論集』第 17 号、

2019、p. 19、 sq。

10 第一幕第 1 場、p. 101。

11 同上、p. 102。

12 第一幕第 2 場、ダンスの先生の台詞、p. 102。

13 同上。

14 第一幕第 2 場、音楽の先生の台詞、p. 102-103。

15 同上。

16 第一幕第 2 場、p. 101。

17 G. Forestier, op. cit., p. 432。

18 Robinet, Lettres à Madame, 31 mai 1670。

19 トルコを舞台にした悲劇、悲喜劇はメンフレー、悲劇『ロード島の女、またはソリ マンの残虐』1621 年、ジャン・メレ、悲劇『偉大にして最後のソリマン、あるい はムスタファの死』1637 年、ダリブレー悲喜劇『ソリマン』1637 年、デマレ・ド・

サン=ソルラン悲喜劇、『ロクサーヌ』1647 年、スキュデリ悲劇『イブラヒム、あ るいは名高きバッサ』1643 年、トリスタン・レルミット悲劇『オスマン』1656 年 がある。また、喜劇の中でも、恋人がトルコに逃げたりと遠くの国として使われて いた。小場瀬卓三『古典喜劇成立史―モリエール研究』、法政大学出版局、1970、

p. 248 参照。

(20)

20 第五幕最終場、p. 207。

21 アラン・クプリ「モリエールと宮廷」、『モリエール全集』、第 6 巻、2001 年、p. 250。

22 第一幕第 2 場、p. 111。

23 第一幕第 1 場、p. 100。

24 第二幕第 1 場、p. 116。

25 第二幕第 5 場、p. 137。

26 アラン・クプリ、前掲論文、p. 250 et sq.

27 『町人貴族』の音楽を担当したリュリがその立役者である。

28 第一幕第 2 場、p. 109-110。

29 小場瀬卓三は、哲学の先生のストア学説が 17 世紀の上流社会に広く流布していた こと、精神の三つの作用は当時の学校教育の中に含まれていたことを説明している が、さらに「デカルトの亜流の色彩」を与えられていること、彼の物理学理論も デカルトの『気象学』も念頭に置いていると言及している。小場瀬卓三、前掲書、

p. 264-265。

30 第三幕第 12 場。

31 第四幕第 3 場、p. 207。

32 拙論、前掲論文、p. 28-29。

33 Georges Forestier, op.cit., p. 435。

34 小場瀬卓三、前掲書、p. 253。

35 同書、p. 256。

36 同書、p. 254

37 同上。

38 G. Foretier, Moliere, op. cit., p. 434。

39 同書 , p. 433。

40 モリエール『はた迷惑な人たち』、「序文」、『モリエール全集』第 3 巻、2000 年、

p.76。 

41 小場瀬卓三、前掲書、p. 256。

42 ジュールダン氏が、哲学の先生に、学問を教わりたいと申し出たものの、「学んだ」

と思い込んでいるものは実は彼がもともと知っていたものであり、侯爵夫人に宛て た手紙の文も、結局は自分の書いたものを素晴らしいと褒められて満足している。

次に暦を教えてもらいたいと言ったときも、おそらくジュールダン氏の中には、何 か「新しいもの」を学びたいと思ってはなかったのだろう。既に音楽やバレエ、剣 術、流行など、全く知らない分野において無知であり才能がないことを思い切り知 らしめさせられて、精神的に打ちのめされていたはずだ。自分自身が、元の自分で いいのだという確信が実は欲しかったのかもしれない。彼が貴族ではなく自分自 身になりたかったのではないかという議論はピエール・フォルスが Molière ou le prix des choses(1994)に論を展開しているので本論ではこれ以上深く触れないで おく。

43 第二幕第 5 幕、p. 137。

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