奈良教育大学学術リポジトリNEAR
そのまつくらな巨きなもの
著者 吉田 正美
雑誌名 文学研究
巻 2
ページ 28‑30
発行年 1955‑12‑01
URL http://hdl.handle.net/10105/8914
る︒結論として うた子が始めて安住の地としたのはこ のS病院であり︑S病院をとりまいている社会であると
いうものを︑あえて強調している点である︒この点︑そう
露骨竺呂わずに︑暗にそう読者をして感じ承らせる斑に 終末をもつべきでありそれは︑この﹁生きる﹂がより広 い啓票的な指導力をもち︑労偽者︑棄民にアッピールす べき生活記禄運動を進めて行かせる力をもりが故に︑よ
り二層そういう部分を鰭.聖にす きであ 二と思う︒
以上こっの点をなお検討すべき課題としたい︒そして
金紋的な﹁生きる﹂ の作品分析へと義んでいきたいU
︵一望一竺記︶ ︵文週︶
そのまつくらを巨きなもの
吉 田 正 美 そのまつくらな巨きだものを 畢れはどうにも動かせない 薄絹お聖で蛇だわなのかなも み ん な は も う 藍 も す ん だ の か
改めて又どらをうつたり手を叩いたり 村いっぱい大へんにぎやかになりた 向ふはさ?き みんなと一諸に入?怒誹屠
しだ へ′なぎゃ績C元
締昼鷺軋るい烹五第野原にひらいている あゝ松を出て社損を登り
.桧長や路子整国憲∵れた
うすくらがりの板の上に からだをなげておれ誓泣きたい け㍑ども響れはそれをしてはならない 無授 紐畏 断じて進め
﹁そのまつくらな巨重なもの ﹂ に宮沢一聖治がりさ当っ
てし発ったのは敏腕をなげうち︑農民の由へ ﹁もろとも にかがやく宇宙の放鹿と﹂なろうと決心し描須故人協会 を設立して意もない昭和二年境と推定される︒ わず か一年繭﹁おれたち捜尊農民である﹂ と宣言し﹁ぎちぎ ち と 鳴 る 汚 い 芋 を
﹂ も つ 餌 に 無 限 の よ ろ こ び を 感 じ 無 銭 を拘って農民として生きょうとした綾がなぜこのように 運かに動かし樽ない持害に︵一き当ったのだろうか絶望の
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オ一ほカ仇の致しさからやって来たつかれの麗くるしい 虚無讐仲二川は二秒九頓の針を流していて さぎがたく さん束へとんだ﹂と適切にも表現した彼は﹁太市や忠匹 などと一諸に露草かけた笹の由へ﹁おちこんで﹂しまい たいような労班を自分に強いている︒生れついての農民 ならば血族的な又封鎖的な紐帯にしぼられながらもそれ 誓それで激しい労功の後には祭りがあり︑一寸でも自分 の土撃砕ふやしたいという希望があり︑更に蛇失意の底 にも﹁酵母の蛮﹂でうさを忘れるすべがあった︒
しかし亘り水飲百姓を理想とした波に止竺切れの沢庵 にも遠慮せねば誓わず︑酒も煙草も︑又時には﹁食はな い﹂ことも当然の醇であらねば写らなかった︒彼の諸共 に農民となる怠慾は彼にとって農民生活の追体験であら
ぬは琴曇はかったからである︒
しかもそんな彼をむか午たものほ学校を出︑町にそだ ち︑月給をとった撃のあるものに対する疑いであり﹁誰 ももう手も足も出ずい意のまんまで お礼よりもきたな く︑おれよりもくるしいの琴ら そっちの方がずつとい
\﹂という﹁ひは梅や風の暗黙のあいだ 主義ともいは ず思想ともいはず たゞ行捻れる巨き牢もの﹂の反撥で
あ っ た
︒ 食 は な い 串 で も
︑ ぶ っ た 苧 れ る よ う な 労 仇 でも彼はおそらく幸雄したであろう一︒又まれにみる行動 の 詩 人 で あ る 彼 は 翠 実 嬉 び を も つ て こ れ に た え よ う と し て い る
︒ け れ ど も 農 村 に わ だ か ま る 旧 思 想 に は 彼 の 理 想 も 刃 の む け よ う も 左 く
︑ 農 民 に 不 信 の 損 を む け ら れ て 眩 被 は 動 き が と れ な か っ た
︒ こ の 矛 盾 の 時 期 に
﹁ そ の ま つ くろな巨きなものを﹂ は書かれたのであり身動きならぬ 苦 し み は そ の 理 想 が 前 進 的 な も の で あ る だ け 我 々 を 強 く う つ の で あ る
︒ だ が ま つ く ら な こ の 虚 無 の 中 で も 彼 は 遁 ま ね ば な ら な い
︒ た と え 道 は 無 く と も 撃 れ る 軒 な く 光 はなくともともかく進まねは元ら∴兢い︑絶望の由からわ ず か に 身 を 起 し た 彼 は 再 び 行 動 を 開 始 し た
︒ 自 分 の 価 値 を 零 に す る 革 で
⁚
⁚
. 厳 格 に 身 を 持 す る 革 で
⁚
⁚ 自分の技術を受けとClていただく餌で⁚⁚⁚
そして昭和八年披注死んだ︒
死 の 貢 ぎ わ ま で
﹁ デ ク ノ ポ ウ ト ヨ バ レ
﹂ る 餌 を
﹁ ホ メ ヲ レ モ セ ズ ク ニ モ サ レ
﹂ な い 事 を 顧 い な が ら
⁚
⁚
⁚
⁚ 絶 詠 は
﹁ い た つ き の 故 に も く ち ん 命 な り み の り に す て ば う れ し か ら ま し
﹂ で あ っ た
︒ こ れ を も っ て も 彼 が 最 後 迄 を の 生 活 を 変 え な か っ た 率 が し ら れ る 爪 で あ る け
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しかし彼の生き方は遂に﹁そのまつく一hな巨きなもの
を解決し接しなかった︒波の詩は民族的な︑土に生
きるものゝ澄軍態の上にたって時にはきらびやかに時に
はぎりぎり品生活感情至殆んどバロメーターの如く適切
に写し出し悩むH志の典型を鋳出しており前代□太詩の
二両といわねばならないが︑綾の方法捻誤りていたと
私は撃つ・︑没はたしかに鷹格に身を持した︒しかし
それは披0精神風土の車でではなかつたか︑積は農
にと同じょうに労伍した︒しかしそれは農民と苦楽を頒
ち合う場で写されたか︑それは農民の苦しみ誓.仲を享受
しようとする稟教東商自己扶牲監相神では苧かったか︑
亨つとすれ学それは農民聖感情の奥底までゆすぶる力は
恐らく彿音㍗∴∵∵が当然であろう︒私蛇稜がその小
中正的方法の紋に死をもってまであがなわればならなか
った.班の農民生活をおしむ︑禎丁八の為ではなく︑方法
論再晦迷誓紋に生命きつははれた多く爪∵日大人のために︒
﹁何処にか走らざるべからす走るべき処現し何事か
な宍まえ蒜からず︑.為すべきがなし.坐するにたへず
葡迫は天地に7−中吉﹂石川啄木高村光太郎そして
十年をへたてて暗黒は尚今一人n人をねじふせたのであ
ソ二三〇︒二U︒二〇︵文四﹂ ア ンチ︒
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の 文 学 世 界
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丸 山 卓 三
〇
現代中国文学は︑近代文学に対する異質性を持ハ′てい
る︒・しかし︑超樹盟文学の異質性は二万人民文学に対 しても異質である︒中国文学の提由∵するアンチ三アIゼ は︑ソヴューt圏を除いて︑フランスと日太に鋭敏に吸 収されつつある︒中国文学の研究が︑ソプエート圏を除 けは︑フランスと日本で︑盛んな事実は︑両者が先進国 疑似先進盤として︑同じ悩みを感じているからであり︑
しかもこの悩みを自力で解くことによってのゑ︑両者の 活路を見出し帝るのである︒
近代文学の繭恒とするものは︑人間を全き統一体とし てとらえることが究極的に可寵であるとする蜜である︒
この前鮭はしばしば疑われたけれど︑否定論をふくめ
て︑前提そのものが寧止されたことは一度もfCか?にC
しかし︑二悦の大戦を経て︑人間の解桂があからさまに