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せる 柏 市 i~'のおもしろさに 引 き 込

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Academic year: 2021

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生 命 の 場 所

Circle of Life

第13回 文字どおり、見よげるような大木。 自然に自分の回線より上の方を仰 ぎ見る形になる。幹と枝と葉の見 せる柏市i~'のおもしろさに引き込 まれていたが、ふと足もとを見て 目か覚めた。 写 真 / 渡 辺 潔 ヵヘ:ノシリと土をつかむ ような根元にイチョウ の子供!? オスの木 メスの木があるイチョ ウは、いろいろとミス テリアスだ

「イチョウ」詣

ζ

溺;よ誤認?不

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時で、

イチョウは秋に黄色く色付く頃のイメージが強いが、緑 の季節の樹形も堂々としていて見事で、ある。高さ45m、 直径5mに達する大木もある。また、とにかく丈夫な木 で、生育環境を選ばない。成長も早く、病虫害にも強い。 萌芽力が旺盛なので、現定しでもすぐに芽吹く。秋の黄 葉が散ったあと、枝打ちをした冬の姿からたちまち緑の 葉を付ける春先のイチョウには、底知れぬ生命力を感じ てしまう。最近では健康食品売場で「イチョウ葉エキス」 1

O M

の文字を見かけたりするが、何となくわかるような気が する。もともとイチョウ科といわれる植物は中生代の温 帯林を代表するものだったらしい。研究により

7

属がわ かっているが、現在残っているのはイチョウ1種である。 また、

t

盟主任異株という珍しい植物であり、精子によって 受精が行われる。ちなみにイチョウの精子を発見したの は、福井県出身で当時の帝国大学理科大判直物学教室助 手の平瀬作五郎氏。明治2

9

年のことだった。

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Summer N

o

.

3

6

COVER 夕暮れどき’'11のあし判lから射し込 んだ光の刺丈一醐 緬を照らし た。卓iffi'Iらしい気象のドラマだ。 (伊豆の抗沼にて) Photographer/Kiyoshi ¥¥'atanabe 本 文 デ ザ イ ン 加 厳 正 問 SPECIAL THANKS 交通新/Hit!: 3

ow

句e

[オブリージ]

CONTENTS

百り」の世界

ノーブレス・オブリージ宣言

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l

.

2

2

川本愛子(ソプラノ歌手・二期会会員)

「わが社にょうこそ」産業界トップに聞く

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.

I

山中静哉(アキレス株式会社代表取締役社長)……

H

H

人物クローズアップ「学習院と私」

vol.14

奥田貞人(

TOWA

株式会社代表取締役社長)・…

H

H

・生命の甲F 書店 3回

「イチョウ」写真

渡辺潔

・伝統のニッポンへ! [ 12] 益 子 焼 ( 栃 木 県 益 子 町 )

・食卓の四 17]

鰭(きす)出張

キャンパスタウン探訪第l回

目 白

1

6

回「オール学富岡の集い」レポート

・絵友会たより

亀井拡新鋭友会長が誕生@

職域桜友会/桜友行政書士会@

輔仁会サークル/サッカ一部@

l

映画研究部@

桜友会全国支部/新宿桜友会⑪

催事・イベントのご案内

OBLIGE

伝言板

会員からのお便り紹介コーナー…

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H

本羽目般の写真;.イラスト・記事の無抑止級およぴ桔すを祭じます。

(4)

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L

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・唱

Ei

﹁これはひょっとすると世界初録音になるか もしれませんよ﹂とビクタ

l

のプロデューサ ーの方がおっし ゃった言葉から、私の世界初 録音

CD

﹁ チ マ

l

ラ 歌 曲 集 ﹂ が 生 ま れ ま し た 。 昭和必年に女子部を卒業し、武蔵野音楽大 学声楽科に入学し、大学院修了後、大学に残 り 、 − 年後に結婚いたしました 。

4

人の子供 を育てながら大学で教え、また、演奏活動も しておりましたが︵大 学は昭和 白 年 に

4

人目 が生まれました時に退職いたしましたてある 時ふと子供達に私がやってきた事を何かの形 で残しておきたいと思いまして、思いきって

CD

を製作することにいたしました。いろい ろと曲を選んでいくうちに、私の大好きなピ エ ト ロ ・ チ マ

1

ラの歌曲を思師が歌曲集とし て出版なさったところでしたので、ビクタ

l

の方と相談して、チマ

l

ラの曲で録音するこ と に な り ま し た 。 ピ エ ト ロ ・ チ マ

l

ラという作曲家は、よほ どイタリアの歌曲に詳しい専門家でなければ 知っていらっしゃる方は少ないと思いますが、

1

8

8

7

年にイタリアのロ

l

マ で 生 ま れ 、

1

967

年にミラノで生涯を閉じています。日 本の元号でいえば明治加年生まれで山田耕搾 が

1886

年生

11965

年没︵明治四年

i

昭和羽年︶ですから、とても身近に感じま すが、イタリアの数百年にも及ぶ長い歴史の 中で育ったチマ

l

ラと西淫音楽が輸入され日 年そこそこの教育を受けた山田耕符とはとて も比較できることではありません 。 チ マ

1

ラ は ロ

l

マ の サ ン タ ・ チ ェ チ

l

リ ア 音楽院で、レスピ

l

ギ に 作 曲 法 を 学 び 、

19

27

年から

1958

年の問メトロポリタン歌 劇場で指揮者としての仕事の合間に歌曲を書 い て い ま し た 。 彼の歌曲は、絶えず美しい声を意識の中に とらえ、イタリアの求めてきた美しい施律が 主体となり、歌い手が思わず歌いたくなるよ うな作品ばかりです 。 録音は、府中の森芸術劇場ウィーンホ

l

ル で、朝日時から夜叩時までかかりました 。 ホ ールのステージには私とピアニストと 譜めく りの人の

3

人だけで、地下のミキサール

l

との連絡はスピーカーだけでした。リサイタ ル の 時 と は ま た 違 っ た 緊 張 感 が 漂 い 、

1

曲歌 い終わってスピーカーから ﹁

OK

で す ﹂の声 が聞こえるまでの時間のなんと長く感じられ た こ と か 。 上手くいかないと

2

回 、

3

回と歌い直して いきます。最初から最後までとても楽しく歌

世界初録音

CD

「チマーラ歌曲集」

を子供達に。

J

A

1

ELA MUSIQUE

川本愛子

ソプラノ歌手・二期会会員

4 うことができたのですが、録音が終わった時 はさすがに全員ぐったりしてしまい、やっと 家 に 帰 っ て ま い り ま し た 。 次は中に入れるリブレットの製作です 。 た またまニューヨークに住んでいらした学習院 の先輩の方に﹁チマ

l

ラに関する事なら何で も良いので調べて頂けますでしょうか﹂とお 願 い し た と こ ろ 、 ﹁ メ ト ロ ポ リ タ ン の 図 書 館 に チ マ

l

ラの写真があるようですよ﹂と教えて 下さり、早速送って頂きました 。 こ れ に は ビ ク タ

l

の 方 も び っ く り し て 、 ﹁ 日 本 で チ マ

l

ラ の顔を知っている人はいないのではないです か﹂とおっしゃって、すぐその写真を

CD

の 表紙に使うことに決まりました。そして、表 紙のタイポグラフィ

1

・ デザインやチマ

l

ラ についての英文等、ほとんど全てといって良 いほど学習院の友人知人の方々にお世話にな り ま し た 。学習 院の方達がいらっしゃらなか っ た ら こ の

CD

は仕上がらなかったといって も過言ではありません 。 その後評判も良く、皆様に喜んで頂いてい るようです 。 これからも 一 人でも多くの方々にチマ

1

ラ の美しい歌曲を聞いて頂けるよう努力してま いりたいと思っております 。 ま た 、 近 い 将 来 、 続巻を出せればと思っております 。最 後 に レ コード芸術に畑中良輔先生が書いて下さいま した文を引用させて頂きます 。

O M

﹁一般のファンにとって、よほど声楽好きで もなければピエトロ ・ チ マ ! ラ の名は無縁の も の か も し れ な い 。 グ 口 、 | ヴの大辞典をひも と い て も 、 彼 の 名 は 出 て こ な い ︵ 第 六 版 ︶ 。 一

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川本慶子{かわもと・あいこ) 東京都出身。学習院初等科・女子中等科を経て昭和43年、女子高等科を卒業。 武蔵野音楽大学声楽科卒業、同大学院修了。二期会オペラ公演「リゴレットJ の小姓役でデピュ し、圏伊玖磨氏指糧のオペラ「夕鶴」のつう役の他、「パリ アッチJのネッダ役、「倦姫Jのヴィオレッタなどを好演。宗教曲のソリストと しても活躍。平成日年より「レスピーギとチマーラの夕べ」「随伊玖磨の夕べI. llJ r111本愛子の楽しいコンサー卜Jのリサイタルを開催し好評を縛した。学習 院女子中等科講師なども勤め、平成14年の桜友会新年会では皇太子殿下御臨席 のもとでその歌声を彼脅した。第日回奏楽堂日本歌曲コンクール歌唱部門3位 入賞、木下記念賞受賞。 八 八 七 年 、 ロ ー マ 生 まれで、ちょうど山田耕 梓よりひとつ下ということになる 。 チ マ

1

ラ は イ タ リ ア 音 楽の流れから見る時、たしかに マイナーな存在ではあるが、彼の残した歌曲 の数々は、甘 美 な施律と、近代的な和 声 に 支 えられて、実に魅力的な内容の中に聴く人を 魅惑する 。 時代も 二 十世紀に入っているだけ に 和 音 の 扱 い 方 に も 現 代 風 な 色 彩 を 織 り 込 み 、 こ と に 長 七度の和音が独特のム

l

ドを添える 。 最 近日本でもよくとりあげられるようになっ た 。 二 十年くらい前から ︽ 海 の ス ト ル ネ ツ ロ ︾ や ︽ 雪 が降ります ︾ などは独唱会にまた 音 大 の 試 験 や コ ン ク ー ル に よ く 歌 わ れ て き た が 、 ま だ チ マ

1

ラ の 名 は 一 般のものにな っ た と は 言 えない現状である 。 ︵ 中 略 ︶ 今月初発売となった 川 本愛子のこの

C

D

も 世界初録音である 。 おそらく世界のイタリア 歌 曲 ファンは、このアルバムに目をムクに違 い な い 。 川本愛子はリリコ ・ レ ジ エ ロ の ソ プ ラノとして、歌曲にオペラに活躍を続けてい る中堅だけに、しっかりした内容を各曲から つ か み 出 し て く る 。 通り 一 辺の甘 美 な 施 律 を なぞるだけでなく、詩の 一 語一語にリアリテ ィを持たせながら 、 流 麗 な チ マ

l

ラ の 魅 力 を 語りかけてくる 。 楽譜の歌曲集のほうには入 つ て な い 新 し い 曲 も 三 曲 ほ ど 加 え ら れ 、 新 鮮 な 選曲ぶりである 。 ︵ 中 略 ︶ 世 界 最 初 の こ の 一 枚 、 ま ず は 成 功 と い う べ き だ ろ う 。 貴重な資料でも あ る L @世界文化フォト rcimara Lirict

e チマーラ敵曲集J 発 売 ビ??ーエンタテイン メント株式会社 平成5年に、川本氏が世界中刀 録音のrチマーラ敬曲集』の CDを発表し、高い評価を得 fニ 。

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特 集

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もうひとつ

日常

マルセノレ・フ。ノレーストの小説「失われた時を求めて」のドラマは、 一片のマドレーヌの香り含か〈?ところから展閲される。 「子寄り」というものが人間の情感やj架府心理にとって いかに重い関わりをもっているかをこの小説家は気づいていたのだ。 それにしても「香り」は目に見えなし、。つかみどころがない。 そんな「脊り」の世界を、もうひとつの日常を確かめる気持ちで あらためて与えてみよう。 文/善田紫紺(昭57史) 6

ラベンターの香りにはリラックス効来安自駁力果がある

雨 上 が り の 脊 り 、 季 節 の 草 花 や 木 々 の 香 り 、 あるいは人工的な空間に漂う香水や芳香剤の 香り。ある香りをかいだときに、えもいわれ ぬ懐かしい気持ちになったり、遠い昔のこと を 思 い 出 し た り し た こ と は な い だ ろ う か 。 ﹁ 匂 い は音や視覚よりも心の珪換をかき鳴ら す ﹂ と 言 っ た の は 小 説 家 の キ ッ プ リ ン グ だ が 、 香りと記憶には確かに深い関わりがある。臭 神経は脳と密接に結びついていて、神経とい う よ り は 脳 そ の も の と い う 人 が い る よ う に 、 人は本能的に﹁匂い﹂とその場面を同時に記 憶 し 、 デ ー タ と し て 蓄 積 し て ゆ く の で あ る 。 だから、生まれたばかりの赤ちゃんは

H

が 見えなくても匂いで母乳の位置を探り当てる 。 そして新しいものに出会うと、まずそれを口 に含み、匂いを嘆いで円分にとって楽しいも の か 危 険 な も の か を 確 か め る の で あ る 。 現代社会の人の生活では、感覚の中で優先 されるのは視党や聴覚であり、臭覚の必要性 は二の次だ。けれど、人の本能の部分と深い つ な が り を 持 つ ﹁ 匂 い L と い う 感 覚 に は ミ ス テリアスな部分が山ほどある。匂いとは、香 り と は 私 た ち に 何 を も た ら す も の な の だ ろ う 。 人は、古来、香りとどのように付き合ってき た の だ ろ う か 。

﹁ 匂 い ﹂ の う ち 、 私 た ち 人 間 に と っ て 心 地 よ 0

制 伊

く感じる好ましいものを呼び分けて﹁香り L と い p

匂いの感覚、臭覚は 言う までもなく、人間 の 五 感 の ひ と つ で あ る 。 だ が 、 他 の

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つ の 感 覚 に 比 べ て ﹁ 匂 い ﹂ を 感じるメカニズムはまだ明らかにされていな い 部 分 が 多 い 。 例 え ば ﹁ 色 ﹂ は そ れ ぞ れ定まった波長をも っ可視光線で、その波の長さで円は色を識別 す る 。 ﹁ 立 回 L も周波数と呼ばれる波の長さで高音 ・ 低音が区別されており、この 音波が耳の鼓膜 に に ぶ つ か っ て 背 が 検 知 さ れ る 。 ま た ﹁ 熱 い 、 冷 た い 、 硬 い 、 や わ ら か い ﹂ という触覚は、人間の皮膚にある神経の先端 が物体に触れたときの刺激が大脳に伝わって 起 き る も の で あ る 。 そ し て 味 覚 は 、 舌 の ﹁ 仲 霊 園 ﹂ と い う 味 を と ら え る 器 官 へ の 刺激が、電流に変わ っ て 大 脳 へ 伝 達 す る も の で あ る 。 こ の よ う に ほ か の 威 信 比 に は 、 化 学 的 あ る い は物理的な説明がつくのだが、臭覚に関して は そ う 簡 単 に い か な い 。 唄 在 、 人 の 臭 覚 と は 、 物 質 が 蒸 気 と な り 、 その分子が空気中に飛散して、人間の鼻腔の 奥にある臭覚器官に到達し、そこにある臭覚 摺官の臭毛の細胞を刺激する、その刺激が電 流に変わり、脳に達して起こす反応と考えら れ て い る の で あ る 。 い ず れ に し て も 、 ミ ス テ リ ア ス で あ る 。

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香りの分類

特集・「香山

h 香 り の 分 類 に つ い て は 昔 か ら 、 花 や 革 、 音 、 色、味などの様々なものにたとえて表現され て き た 。 匂 い の 感 じ 方 と い う の は 人 に よ っ て 、 ま た 、 そ の 時 の 精 神 状 態 に よ っ て も 違 う の で 、 これをひとつのカテゴリーの中で分類すると いうのは、元来、無理があった。それでもこ れまでに﹁香り﹂は色々な研究によって、ユ ニ ー ク な 分 類 が な さ れ て き た 。 凶 情 − 紀 末 の フ ラ ン ス の 調 香 師 ビ

l

ス は 、 香 りの種類を背階で表した。例えば、鋭くスト レ ー ト に 品 に 飛 び 込 む ハ ッ カ 、 ラ ベ ン ダ ー 、 ジャスミンなどはトップノ

l

ト と い っ て い 向 背 域に位置した。これに対してバニラ、パチユ リ、白檀などは重量感、安定感があり、香料 の べ

l

スとなるアンダート

l

ン で あ る 。 こ う した香りの組み合わせを音楽とし、同じよう に素材の組み合わせが良ければ素晴らしいハ ー モ ニ ー を か も し 出 す と 考 え た 。 人間のもつ感性や感情で香りを分類したの は 、 オ ラ ン ダ の 調 香 師 ジ ェ リ ネ ッ ク で あ る 。 す べ て の 匂 い を エ ロ チ ッ ク 、 反 エ ロ チ ッ ク 、 麻酔的、刺激的の

4

極 に 分 類 し 、 さ ら に 新 鮮 、 高 揚 、 鎮 静 、 暑 苦 し い と い う 感 情 と 、 酸 性 、 甘い、苦い、アルカリ性といった味で細分化 す る 方 法 だ っ た 。 例 え ば 、 ﹁ 新 鮮 ﹂ の 部 類 で 反 エロチックかつ刺激的、さらに酸性と苦いの 中 間 に 位 置 す る の が ミ ン ト と い う 具 合 だ 。 円本でも香道の発達に伴って、香木の香り ごみりつこ︿ を五味六国に分類したが、いずれにしてもと らえどころのない匂いの分類に関して、満足 す る 方 法 は い ま だ 考 え ら れ て い な い 。

香りの発達

人が﹁香り L を匂いの中でも特別なものと して意識し、生活に役立てるには、匂いの歴 史 か ら 考 え る と 長 い 長 い 時 間 の 経 過 が あ っ た 。 原 始 の 時 代 に は ま だ 、 ﹁ 匂 う こ と ﹂ は 人 に と っ ても他の動物たちと同様に生きていくための 重要な手段だった。天候の変化、山火事など の災宵や外敵の襲来の同避、食物の選別、ま た 種 族 保 存 の た め に も 立 い が 相 手 の 性 を , 唄 ぎ 分 け 合 う こ と が 必 要 だ っ た 。 人 は 長 い 時 間 、 匂いを嘆ぐという動物的な本能によって自分 た ち の 生 命 を 守 り 続 け た の で あ る 。 人が﹁香り﹂を自らの手で作り出すことが できるようになったのは﹁火﹂の発見によっ てである。火を起こし明かりを灯したり肉を 焼いたりするうちに、捕物や動物の皮を焚く とその煙の中に芳香が漂うのを見い出したこ とは、人が自発的に作った香りを﹁パ

l

フ ユ

l

ム ﹂ ︵ パ

l

は 通 じ る 、 フ ュ

l

ム は 煙 の 意 味 ︶ と い う 言 葉 で 表 す こ と か ら 想 像 が つ く 。 人は最初、香りを神に俸げて身の幸せを念 じた。そして死体にも魂が宿ると考えその保 侮に芳香を利用したり、食物も芳香を使うと 防腐効果があることを覚えた。さらには、食 べ物に香りをつけるとより美味しくなること を 知 る に い た っ た の で あ る 。 8

香料のは

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現代ヨーロッパ諸国の香り文化の原点はエ ジプトだった。香料のもっとも古い作り方が ﹁ 出 エ ジ プ ト 記 ﹂ に 次 の よ う に 記 さ れ て い る 。 ﹁ 主 は ま た モ

l

ゼに言われた。あなたはすな わ ち 、 ス タ ク テ 、 シ ケ レ テ 香 、 カ ル パ ナ ム 、 純粋の乳香をとりなさい。おのおの同じ量で な け れ ば な ら な い 。 あ な た は こ れ を 以 っ て 、 香すなわち、香料を作る業に従って薫香をつ くり、塩を加え、順にして聖なるものとしな さ い ﹂ | | 香 の 材 料 は ま ず 細 か い 粉 末 と し 、 混 ぜ 合 わ せ た 上 で 香 と し て 焚 い た の で あ る 。 紀元前

2000

年頃に書かれたパピルス本 に は

3

時の人々が香料をどのように使ってい た の か が

A

かれている。それによれば、交た ちは香料入りの水で体浴し、男たちは香料入 りの軟膏を体に塗った。食べ物や菓子も香料 で香りがつけられ、祭りの日には通りで官香 が焚かれるので、貧しい人たちも一緒に香ば し い 空 気 を 味 わ う こ と が で き た と い う 。

B

C

I

附記のクレオパトラの時代になると、エジ プトの香料には東洋より移入されたパラに代 表される花の香りなど、さらに多くの要素が 加 え ら れ た 。 現代の香水のもととなる香料の数々をこの 時代のエジプト人たちはすでに創香し、これ らはアラパスタ

l

製の美しい査に入れて、品 質が落ちない様に蓋をした。近年、ツタンカ ーメンの基から

BC1350

年頃のものと見 られる曲線の美しい香膏査がいくつか発見さ れたが、その一部には

3000

年の時の流れ を 超 え て 、 香 り が 残 さ れ て い た と い う 。

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生活に役立てるためのさまざまな試行

香水のは

2

香水を発明したのは、早くから芳香のある 樹脂やスパイスの取引を行っていたアラブ人 だった。医師で科学者でもあったアビセンナ ︵

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年 ︶ は 、 ア ル コ ー ル の 蒸 留 技術を使い、植物の香りを揮発性の溶剤の中 に長期保存する方法、つまり今円の香水の製 造に成功したのである。彼は最初の実験にア ラ ブ 人 の も っ と も 好 き な 花 、 ロ ー ズ を 使 っ た 。 これがいまだに世界中で愛されるロ

1

ズ 水 で あ る 。 ロ世紀になると尼僧聖ヒルデガルドがラベ ン ダ ー 水 を 発 明 し た の に 続 き 、

M

世紀には貫 婦人たちの化粧材料としてはじめて、ローズ マリーより蒸留されたハンガリー水が製造さ れた。そして回世紀になると香水を賛ポに使 う風習は、香水産業で西蓮拍国をリードして い た イ タ リ ア か ら 英 国 に 移 っ た 。 だ が こ の 時 代 に 宮 廷 に 満 ち て い た 香 り は 、 現代に生きる私たちにとってはかなり刺激的 な鼻をつくような匂いだったと思われる。な ぜなら、その匂いは洗わない服と洗わない体 に打ち勝つ必要があったからだ。この後、香 水業界をリードすることになるフランスでも ﹁ 永 遠 に 美 し く す る ﹂ 香 水 の 処 方 が 大 衆 本 で 推 奨 さ れ た が 、 そ れ は ﹁ 幼 い ワ タ リ ガ ラ ス を 巣 か ら 取 り 出 し 、

4

日間半ゆで卵で飼育し、殺し てギンパイカの葉、タルク粉、アーモンド油 と 共 に 蒸 留 す る L という何やら呪術的なもの だった。こうした身体を洗わない女性の悪臭 を圧倒するための、匂いの強い香水は回世紀 頃 ま で 製 造 さ れ 続 け た と い う 。

オーデコロンの流行

ヨーロッパの香水を本格的なものにしたの は 、 か の マ リ

l

アントワネットだった。彼女 は東洋のスパイシ!な香りや動物臭のあるも のを嫌い、ローズやバイオレットから蒸留し た 繊 細 で 自 然 な 快 い 香 り の 香 水 を 流 行 さ せ た 。 また、ローマの没落後忘れられていた脊りの ある風呂の楽しみを再流行させ、この流れは 革 命 以 降 も 受 け 継 が れ た 。 回世紀、イタリア人のポ

1

ル ・ フ ェ ミ ニ ス に よ っ て 新 製 品 が 売 り 出 さ れ た こ と に よ り 、 西洋の呑水産業はオーデコロンの時代を迎え ることになる。素晴らしい水という名のそれ は、レモン、ベルガモット等の相橘系の精油 と ラ ベ ン ダ ー を べ

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ス に し た も の だ っ た が 、 その後、彼の子孫ジャン ・ マ リ

l

・ フ ア リ ナ は こ れ に ロ

1

ズマリ

1

を 加 え て 処 方 を 変 え 、 オーデコロンの名で売り出すと瞬く聞に圧倒 的な人気を呼んだ。以後、他の調香師も競っ てこの処方を真似、上品な呑りを持つ﹁オー デコロン﹂の今日に至るブ

l

ム が 始 ま る の で あ る 。

東洋の香り

東洋の香りの発祥地はインドである。東洋 でも西洋同様に香りは最初、宗教的なもので 司 祭 や 貴 族 な ど 特 権 階 級 の み の 間 で 使 わ れ 、 庶民の生活に浸透するのはずっと後になって からのことだった。インドに産出する白檀や 沈香は神々に捧げるのにも、祈る人々の心を 鎮めるのにも格好の薫香であったし、その他 U や こ う にも爵香やシナモンなど神秘的な香りが多く 用いられたが、蒸留技術を持たなかったため 粉 末 香 料 や 香 油 の 形 で 使 わ て い た 。 日本に香料が伝わったのは、奈良時代の仏 教伝来の頃である。もともと日本に産出する 香木はヒノキやクスノキなどごくわずかなも ので、西洋のように多彩な香りの世界を展開 するにはいたらなかった。だが、日本人特有 の 繊 細 な 感 性 で 香 り の 心 を ウ 生 以 し 、 伝 統 芸 術 である﹁香道﹂を生んだ。香道では﹁香を聞 く﹂というように、沈香の発する香りに耳を 傾け、精神を安定させ眠怨にふける。前述し てきたように、東洋においての香りは主に精 神の安定という人間の内面のためのものとし て 、 発 達 し た の で あ っ た 。 10

°

柑橘系の香川狩有里t味付けの定番のひとつだ

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日本の香り文化

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香料は伝来した直後は、仏教儀式の焼香供 養 に 使 わ れ て い た 。

8

世紀半ばの法隆寺や大 安寺の財産目録には香炉の品質や大きさ、使 用されていた蚕料の種類などが残されている 。 貴族の生活では寝室に香を焚いてム

l

ド を 高めたり、衣類に香りを焚きこめたりする習 慣 が あ っ た 。 衣服に香りを移すためには、香 炉に焚いた上に竹の簡をかぶせ、その上に衣 類を広げるという方法がとられた 。 こ う し た ことは宮廷においては女性のみならず、男性 に と っ て も 身 だ し な み の ひ と つ だ っ た こ と が 、 源氏物語などに記されている 。 また、香料の中でも白檀や丁子などには強 力な防腐 ・ 殺菌効果があり、正倉院には衣服 や寝具、経典、文書の保存に利用されていた ﹁ えび香﹂と呼ばれる香料が残されている 。 平安末期の戦乱の世では、武士も心の安ら ぎ を 求 め る よ う に な り 、 こ れ に 呼 応 し て + 金 迫 や 香 道 が 生 ま れ た 。 香道はもともとは沈香木 を選び、その香りを味わい鑑賞するものだ っ たが、これが後に名呑合わせという香りの 言 い 当 て ゲ

l

ムや組香へと発展して、今日の香 道に引き継がれたといわれる 。 先に、日本人の香りに対する期待は精神の 安 定を求めるものだ っ た と 書 い た が 、 欧 米 と 決 定 的に違うのは、欧米では 香 り が 自 然 か ら 脱却した円我意識 の 強 い イ メ ー ジ を 持 っ て 発 展 し て き た の に 対 し て 、 日 本 で は 、 香 り は 、 四 季や自然と密着しながら発展してきたという こ と で あ る 。 このことは、日本人の生活が古 来、自然や四季と深いかかわりを持ちながら 常まれてきたことと多いに関係がある 。 例 え ば、日本の住まいは昔から木造で風とおしが よく、開け放した戸からはいつも四季折々の 香りが風と共に運ばれてきた 。 と こ ろ が 生 活 の 洋 風 化 と共に住居の密閉度が高まり、台所 やトイレ、玄関などに生活の不快な匂いがこ もり始めた。このことで室内の芳香剤が世に 氾 濫しはじめたが、あまりに強烈で不自然な 呑りに日本人はやはり抵抗を持つのだ。最近 で は 芳 香 剤 に 代 わ っ て 、 本 来 の 脱 臭 や 空 気 の 清浄を目的とした置炭や自然な香りのハ

l

プ 等が見直されている 。

香りによる療法

今、香りの世界で注目されているのがアロ マ コ ロ ジ ー で あ る 。 ア ロ マ ︵ 北 夕 暮 U ︶ と サ イ コ ロ ジ ー ︵ 心 理 学 ︶ の 合 成 語 で 、 脊 り の 人 体 に 対する生理的 ・ 心理的効果に対して使われる 。 ヨ ー ロ ッ パ で 十 日 く か ら 行 わ れ て き た ア ロ マ テ ラ ピ ー は こ の う ち 、 香 り に よ る 病 気 治 療 を 目 的 と し た も の で 、 天 然精油を中心に蒸気を 吸収したり、服用したり、マッサージによ っ て体内に擦り込んだりする方法がある 。 円 本 に も

1

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0

年 代 頃 に 入 っ て き た が 、 心 地 良 い 脊 り は 弘 や 肌 か ら 体 内 に 入 る と 、 臭 細 胞 を 通 っ て 脳 に 到 達 し 、 自 律神 経 系 や 内 分 泌 系 、 免疫 系 に さ ま ざ ま メ ッ セ ー ジ を 送 っ て 、 自然 治持方を高め、心身のバランスを整える 。 血 圧を下げて過度の緊張を解き、リラックスさ せたり、呼吸を深くして気分を整え、冷静な 気分を取り戻す手伝いをするのである 。 森林浴も或る意味ではアロマテラピ

l

の 一 種 で あ る 。 森の中を歩くと気分が落ち着いた りきわやかで軽快な気持ちになるのは、樹木 から発散されるフィトンチ ッ ド と い 、 ユ 方 香 物 質のおかげである 。 これが循環器や中枢神経 系などの体内組織を活性化させ、新陳代謝を 促したり、皮府の炎症を抑えたりする効果を 発揮するからである 。 フ ィ ト ン チ ッ ド に は 空 気を清浄にするほか、殺商効果もありジフテ リアや流行性感日にも効果があることが知ら れ て い る 。 また、日本占来の香道も心身症の 治療に効果があるとされ、蝦呑でめまいの治 療をした例などが報告されている 。 こ う し た ア ロ マ コ ロ ジ

l

を利用した生活用品も、入浴 剤から芳香剤、シャンプー、スキンケア用品 など様々な商品の開発研究が進められている 今 日 で あ る 。 12

O M

森の中は気持ちがいい。さまさ’まな香りが満ちている

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(14)

判院生ちの

死戸、

わが

4

寸たようこそ

~・

アキレス株式会社

平成

M

6

社長に就任したばかりの山中氏

新宿桜友会の発起人に名を連ねた山中氏

会社でも、桜友会でも活躍する同氏の、

山中静哉(やまなか・しすや) 昭和12年7月22日生まれ。東京都 杉並区立第七小学校、桐朋学園中 学校、岡高等学校を経て、学習院 大学政経学部に入学。昭和35年卒 業。卒業後興国化学工業株式会社 (現アキレス株式会社)に入社し、 本社メリヤス課に配属される。以 降、営笑畑を中心!こ、大阪支店産 業資材課長、ウレタン販売部長、 アキレス商事側取締役などを経て、 昭和61年に取締役履物第一事業部 長に就任。常務・専務を務めた後、 平成12年代表取締役副社長。さま ざまな事業部を経験した実績と、 21世紀における更なる発展を目指 して、平成14年B月に代表取締役 社長に就任した。趣昧はドライブ、 旅行、ゴルフ、草花観賞。

代表取締役社長

︵ 昭

お 政

ーー まず御社をご紹介ください 。 アキレス姥副会社というと、みなさん に は シ ュ ー ズメーカ ー の イ メ ー ジ が 強 い ことと思いますが、現在大きく分けてシ ュ ー ズ 、 プラスチック、産業資材の

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つ の事業部 門 があります。シュ ー ズ事業部 門 は 、

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を は じめとするブランドゃ、健康的な足の育 成をサポ ー ト する外反母 駈 ・ 一 嗣平足予防 の 設 計 思 怨 を持った靴などがあります 。 プラスチック事業部門では、家具用や車 両 用 の 合 成 皮革 ・ レ ザ

l

、 ビ ニ ー ル ハ ウ ス 用 の被覆資材、建築材料と し ての壁材 や床材などを製造しています。産業資材 事業部 門 で は 、 建築材料の断熱材や、産 業資 材 用ウレタンフォ ー ムなどを製造し ています 。 最近では、導屯性の電子材料 や健康 ・ 介護闘係の製品も作っています 。 || ずいぶん多様な製品を作っていらっ しゃるのですね 。 そ の 時 代 時 代 に必要な物の材料を提供 していきたいと考えてきた結果ですね 。 そして、最終消費者に喜んで感動してい ただけるような商品を作ることが基本で す 。 || 現在はどのような展開をされている の で し ょ う か 。 現 在 、

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つ の 悦 キ 木 部 が あ る の で す が 、 事業部を横断的に見て技術を組み合わせ、 新しい商品を生み出していこうとしてい ま す 。 特にエレクトロニクス、エネルギ ー、エコロジーの ﹁

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つ の

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﹂ を中核に 据え、事業を展開しています 。 具体的には、導屯性ポリマ

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を使 っ た ハ

l

ドディスクドライブ︵

HDD

︶ 用 の 部品があります 。 ノ ー ベ ル 賞 を受賞した 白川博士が山された理論をもとに導屯性 14 Obi.

(15)

ポ リ マ

1

を使って静電気を排除する技術 を研究し、確立しました 。

HD

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は 、 高 盤町化 ・ 小型化されればされるほど、微 弱な静電気が品質に大きく影響するんで す ね 。 現 在 で は 、

HDD

本体の部品に採 用されることになり、今年の

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月 に は 、 と う か ん 中国の東莞にも工場ができました 。 また、政府の新エネルギー ・ 産業技術 総合開発機構︵

N

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︶の助成金を受 けて、廃品の冷蔵庫などから断熱材に使 われているウレタンを回収し、木材チッ プとミ ッ クスし、木質系熱成型板として 再利用する技術開発に取り組み、生産を 開始しています 。 この製品は、フローリ ング板や、システムキッチンの扉などに 使われます 。 ほかには、リフレ ッ シ ュ 効 果 の あ る マ イナスイオンを発生する素材を合成皮革 に混入する技術を開発しました 。 す で に 、 ソファー用 ・ 手帳用などは、好調に売れ て い ま す 。 ゆくゆくは壁材や、インテリ ア用も手がけたいですね 。 そ う す る と マ イナスイオンル

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ムができあがります 。 || 新社長就任にあたっての抱負をお願 い し ま す 。 事業の推進に加え、やはり企業は人で すので、人材育成には力を入れていきた い で す ね 。 また、当社では創業以来 寸 和 を以て貴しとなす﹂という 言 葉を掲げて い ま す 。 そのせいもあ っ てか、社員聞は もちろん、経営側と社員側の関係が非常 にうまくいっているのも自慢です 。 こ れ は永遠に守っていきたいと思っています 。 それから、現場主義に 基 づいた商品開 発と、売れるル

l

ト に 売 れる企画を提案 していくという基本を徹底し、お客様に 商品をお届けしたいですね 。 そ の た め に 、 たとえばシューズ部門では、直営店を出 しています 。 直営店で得たお客様の購買 動向などをフィードバ ッ クして商品に活 か そ う と い 、

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気持ちと、また、各店に応 じた品揃えや売り方など、直営店で得た ノウハウを小売店さんにご提案して役立 てていただこうという意図もあります 。 ーー では、これからますますお仕しくな り、大学時代のご友人ともなかなか会え ま せ ん ね 。 実はこれまでも、友達にはずいぶん不 義理をしてきたんです 。 そもそも大手志 向の時代の中にあって、私が当社に入社 したのは、物を作る会社に入りたかった ということと、大手企業の歯車の

1

つ で はなく思い切って仕事ができる会社に入 りたいと考えたからです 。 そう決めた限 り、自分の 中心 には仕事をおいてきまし た 。 大 学 時 代 は 弁 論 部 と 、

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年生の終わ りごろまではテニス部に所属していたの で す が 、 A 立 珊 部 の 方 は 、 親 し い 仲 間 と

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1

5

人で年に

1

同会うくらいでしょうか 。 テニスは最近はほとんどしていません 。 今度、新宿近辺の企業に勤める A 孟 臼 院 の 卒業生からなる ﹁ 新宿桜友会﹂が再発起 されたのですが、その発起人のひとりに 名を連ねさせていただいたのがせめても の罪滅ぼしといいますか 。 ー! 大学時代のご経験が今につながって い る と こ ろ は あ り ま す か っ ・ 弁論部では、人前で話す度胸と基本は 身についたでしょうか 。 テ ニ ス 部 で は 、 練習がきっくて、翌円は円円駅の階段を 上がるのも辛いくらいでしたが、規律と い う も の を 学 びました 。 とにかく入社以来註共にな っ た 今 日 ま で 仕 事 一 筋 の 毎 日 で し た が 、 産 業界に身 右/SIくECHERSのシューズの数々。若い世 代を中心に売り上げを伸ばしている。下/ ECCOのシューズ。足にぴったりとフィット し、街歩きには欠かせないアイテムのひとつだ を置いたからには、企業人として最大限 努力し、活躍していると認めていただく こ と 。 そうした姿を見て ﹁ 自分も﹂と励 みにしていただければ、それが学校に対 する恩返しではないかと忠 っ て い ま す 。 || 最 後 に 、 これからの学習院へのメ ッ セージをお願いいたします 。 昔 に 比 べ て 、 学 習院のスポーツの活躍 を聞かないのが寂しいです 。 ﹁ 文 誼 両 道 ﹂ の ﹁ 武 ﹂ に も っ と力を入れて両立させて 欲しいと思います 。 テレビの大学のスポ ーツ中継などで応援してみたいですね 。

DATA BOX

一一

一一

アキレス株式会社

昭和22年に「興国化学工業株式封むとしてゴム及び合成樹 脂の製造販売業として創業される。昭和57年に社名を「アキレ ヌ株式会ヰむに変更。現在に至るまて侍代lこ合った材料を間共 するメーカーとして事業範囲をj広大し、 3部門(シューズ、プラ スチック、産業資材)9事業部を持つ。従業員2II 7名。本社所 在 地.東京都新宿区大京町22。園内に5拠点・7工場、;毎外に 8拠点を展開する。この他に全国に販売封土、営業所のネット ワークが張り巡らされている。 Photographer/Hideki Shiozawa インタピ、ュー・構 成/小 久 保 京子 (11[162史) 15 0

制 炉

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置量四ゆrllJJl1・f・1-.・J~'''~・

新体制スタート

桜友会長に亀井

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弘氏が就任

ふ か 平 成

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月 お 日 の 桜 友 会 定 時 総 会 に お い て 、 亀 井 也氏︵昭

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年 旧 高 ︶ が 、 賀 陽 治 憲 氏 ︵ 昭 沼 旧 高 ︶ に 代 わ り 桜 友 会 長 と し て 承 認 さ れ ま し た 。 ま た 、 元 会 長 ・ 島 津 久 厚 氏 と 前 会 長 ・ 賀 陽 治 憲 氏 に は 名 誉 会 長 と し て 桜 友 会 活 動 を サ ポ ー ト し て い た だ く こ と と な り ま し た 。 島 津 氏 の 会 長 在 任 期 間 は 平 成

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月 で 第

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代 目 、 平 成

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月 の 黒 田 長 楽 ︵ 昭 日 旧 高 ︶ 会 長 代 行 の 時 代 を 経 て 、 平 成

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5

月 か ら の 賀 陽 会 長 は 第

5

代 目 、 亀 井 会 長 は 第

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代 目 に あ た り ま す 。

亀 井 温

241日高) 昭和E年10月四日生。昭和24年学習院旧制高等科卒。 同27年東京大学経済学部経済学科卒業後、日本銀行入 行。釧路支店長、京都支店長、国債局長等を歴任。昭 和56年日本証券代行側入社。周61年代表取締役社長、 平成日年代表取締役会長を経て同12年より相談役

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代桜友会長

同 時 に 新 執 行 部 が 以 下 の と お り 決 ま り ま し た 。 ︽ 情 報 出 版 部 会 ︾ 担 当 副 会 長 ・ 池 田 浩 規 ︵ 昭 お 政 ︶ 、 部 会 長 ・ 畑 中 茸 雄 常 務 理 事 ︵ 昭 却 化 ︶ 。 会 報 編 集 委 員 会 委 員 長 ・ 同 常 務 理 事 。 ︽ 組 織 部 会 ︾ 担 当 副 会 長 ・ 草 刈 麿 ︵ 昭 出 政 ︶ 、 部 会 長 ・ 山 崎 徹 常 務 理 事 ︵ 昭 お 政 ︶ 。 組 織 活 性 化 委 員 会 委 員 長 ・ 同 常 務 理 事 、 学 年 会 組 織 化 委 員 会 委 員 長 ・ 武 藤 通 章 理 事 ︵ 昭 訂 政 ︶ 。 ︽ 催 事 事 業 部 会 ︾ 担 当 副 会 長 ・ 小 野 田 博 ︵ 昭 却 化 ︶ 、 部 会 長 ・ 松 尾 薫 常 務 理 事 ︵ 昭 日 政 ︶ 。 季 節 催 事 担 当 委 員 会 委 員 長 ・ 同 常 務 理 事 。 通 年 催 事 担 当 委 員 会 委 員 長 ・ 金 田 雅 律 常 務 理 事 ︵ 昭 叫 経 ︶ 。 ︽ 準 会 員 サ ー ビ ス 部 会 ︾ 担 当 副 会 長 ・ 小 野 田 博 ︵ 昭 却 化 ︶ 、 部 会 長 ・ 竹 田 裕 立 唇 巾 務 理 事 ︵ 昭 団 法 ︶ 。 準 会 員 サ ー ビ ス 委 員 会 委 員 長 ・ 同 常 務 理 事 。 ︽ 会員サービス部会 ︾ 担当副会長 ・ 池田浩規︵昭お 政 ︶ 、 部 会 長 ・ 高 津 寛 常 務 理 事 ︵ 昭 店 経 ︶ 。 棲 友 ク ラ ブ 委 員 会 、 月 例 会 担 当 委 員 会 、 桜 友 会 カ

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ド 拡 大 推 進 委 員 会 、 各 委 員 長 ・ 同 常 務 理 事 。 オ ブ リ

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ジ ・ 短 信 編 集 委 員 会 委 員 長 ・ 吉 江 隆 信 常 務 理 事 ︵ 昭 印 仏 ︶ 。 ︽ 財 務 部 会 ︾ 担 当 副 会 長 ・ 村 上 智 也 ︵ 昭 担 政 ︶ 、 部 会 長 、 飯 野 浩 一 常 務 理 事 ︵ 昭 日 営 ︶ 財 務 委 員 会 委 員 長 ・ 同 常 務 理 事 。 ︽ 事 務 局 ︾ 担 当 副 会 長 ・ 村 上 智 也 ︵ 昭 況 政 ︶ 、 事 務 局 長 ・ 高 森 邦 彦 常 務 理 事 ︵ 昭 日 政 ︶ 。 助成金支給委員会委 員 長 ・ 奥 津 好 恵 常 務 理 事 ︵ 昭 狙 英 ︶ 、 同 ・ 坂 野 雅 俊 常 務 理 事 ︵ 昭

M

政 ︶ 。 デ ー タ 管 理 委 員 会 委 員 長 ・ 大 和 田 孝 理 事 ︵ 昭 訂 化 ︶ 。 広報担当委 員 会委 員 長 ・ 善 利秀臣理事︵昭持 経 ︶ 。 広告担当委員会委員長 ・ 黒 川 光 隆 理 事 ︵ 昭 必 政 ︶ 。 以上が平成凶年度の桜友会活動の推進メン バ ー で す 。 ご 協 力 を 賜 り ま す よ う お 願 い し ま す 。

賀陽治憲

氏 、

島津

桜友会名誉会長に就任

第5代桜友会長

賀陽治憲

Hi'l22/日高) 大正15年7月3日生。賀陽恒 憲氏次男として東京に生まれ る。昭和B年学習院初等科入 学。周回年旧制高等科卒。同 25年東京大学法学部政治学科 卒業後、外務省に入省。在イ スラエル、デンマーク、ブラ ジル各特命全権大使等を歴任。 大正7年10月日日生。実家は 宮崎県都城市。鹿児島の島津 家宗家とは分家の間柄。大正 14年学習院初等科入学。司14 年旧制高等科卒業後、東京大 学に進学。戦後より実家の林 業を嗣ぐ。平成5年から第23 代学習院長。 17 0

刷 伊

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職域桜友会

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士事の仲間たち|

なつかしのキャンパス再び

桜友会だより

桜友行政書士会

OHYU-GYOUSEI

SYOSHl-KAI

桜友会出身の行政書士、長年の夢だった

桜友行政書士会。

27

名の同窓生が集い、

ついにその活動を開始した!!

信i.

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コの字型に組まれたテーブルでの総会。専門用語があちこちから飛び交った

ますは自己紹介。緊張のひとときです

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月の設立総会にて)

富田!産

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「行政審士』。言葉自体は知られているけれど、実際どの ような仕事をしている人かを言える人は、意外と多くな いかもしれない。 簡単にいうと、行政書士とは官公庁に提出する許認可 申請書類その権利義務、事実証明に関する書類の作成、 手続代行、相談業務をする人のことである。 一般家庭ではあまりなじみがないと思われがちだが、 相続関係の仕事や外国人の入管手続きの仕事なども行っ ており、いわば、、街の身近な法律家”だ。 女性の社会進出により、行政審土として自宅で事務所 を開業したり、子育てをしながら仕事をしている女性も 多いという。 仕 事 上 で の 同 窓 生 の 集 い で あ る ﹁ 職 域 桜 友 会 ﹂ 。 各 社 ご と の 個 別 桜 友 会 ゃ 、 同 業 他 社 が 集 う グ ル ー プ 桜 友 会 な ど 、 近 年 新 し い 絞 友 会 が 結 成 さ れ て い る 。 今 回 紹 介 す る ﹁ 絞 友 行 政 占 士 会 ﹂ は 、 ま さ に 満 を 持 し て 誕 生 し た 舷 友 会 だ 。 般 友 行 政 書 士 会 ︵ 時 称 H 桜 行 会 ︶ は 、 正 式 名 称 を ﹁ 学 習 院 僚 友 行 政 省 士 会 ﹂ と い う 。 こ の 会 が 結 成 さ れ た の は 、 今 年 の 1 月 初 日 。 学 習 院 輔 仁 会 館 の

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階 に て 、

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人 の 同 窓 生 を 集 め ﹁ 設 立 総 会 ﹂ が 聞 か れ た 。 前 日 守 の オ プ リ

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ジ 誌 上 に お い て 、 ﹁ 社 会 保 険 労 務 士 会 ﹂ の 充 実 し た 活 動 内 容 を 紹 介 し た が 、 桜 友 行 政 書 士 会 の 発 起 人 の ひ と り は 、 こ の 社 労 士 会 に も 属 し て い る 南 場 清 海 氏 で あ る 。 社 労 士 会 で 活 動 し て き た 高 場 氏 は 、 か ね て よ り ﹁ 行 政 書 士 で も 何 か 社 労 士 会 と 同 じ よ う な 充 実 し た 同 窓 生 の 集 い を 聞 け な い も の か ﹂ と 考 え て い た 。 し か し 、 桜 友 会 出 身 の 行 政 書 士 の 有 資 露 岩 が ど れ く ら い い る の か は っ き り し た デ

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タ が な く 、 監 友 会 結 成 の 実 現 を 阻 ん で い た 。 そ ん な 折 、 高 場 氏 は ア ク シ ョ ン を 行政書士の業務は実に幅広い

。脱帽

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18 起 こ し た 。 ま ず は 小 さ な こ と か ら 前 進 し よ う と 、 桜 友 会 出 身 の 行 政 書 士 の 仲 間 を 集 め て 、 行 政 吉 士 会 結 成 に つ い て の 話 し 合 い を 持 っ た の で あ る 。

E 保 険 労 務 士 と 比 べ 、 行 政 書 士 の 業 務 は 多 岐 に 渡 る 。 同 じ 行 政 書 士 と い っ て も 、 ひ と つ の 会 と し て ま と ま り づ ら い の で は な い か 、 と い う 心 配 も あ っ た 。 そ う し た 状 況 下 で 、 何 度 も 話 し 合 い の 場 が も た れ 、 昨 年 7 月

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日 、 発 起 人 会 が 学 習 院 の さ く ら ラ ウ ン ジ で 聞 か れ た 。 こ の 場 に は 、 高 場 氏 の ほ か 、 小 林 英 之 、 村 上 伸 回 目 、 藤 田 研 、 渡 辺 洋 介 の

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氏 が 集 い 、 そ れぞれの地域整 h A 会 に 会 を 発 足 し た い 旨 を 話 し 掛 け 、 各 県 の 桜 友 会 に 属 す る 行 政 書 士 を 紹 介 し て も ら っ た り も し た 。 こ う し て 、 設 立 総 会 を 迎 え 、 こ の た び 総 会 が 聞 か れ た の で あ る 。 桜 友 行 政 書 士 会 で は 、 有 資 格 者 で 入 会 希 望 の 会 員 を 随 時 募 集 し て い る 。 現 在 の 会 員 は 幻 名 。 ﹁ 今 後 さ ら に 充 実 し た 活 動 を し て い き た い ! ﹂ 。 意 気 揚 揚 と 応 え る 高 場 氏 の 姿 が 目 に 焼 き つ し た 。 持 連 絡 先 ﹀

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6406 ︵ 立 場 清 海 ︶

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右/発起人の高場清海氏と池田副会長 左/オプリージを掲げる渡辺洋介さん 上/襖友クラブの活動を説明する池田副会長 下/中央が議長老務めた藤田研氏 1 月の設立総会には~~人の同窓生がさくらラウンジに集まった

桜 友 会 出 身 の 行 政 書 士 に と っ て は 念 願 の 第 1 回 寸 桜 友 行 政 書 士 会 総 会 ﹂ が 、 6 月 辺 日 ︵ 土 ︶ に 車 尽 ・ 目 白 の 堂 書 院 睡 し 会 館 1 階 の 教 職 員 コ ー ナ ー で 開 催 さ れ た 。 事 前 の ス ケ ジ ュ ー ル で は 午 前 日 時 か ら 総 会 が 聞 か れ る 予 定 で あ っ た が 、 叩 時 却 分 過 ぎ に は 既 に 516 人 の 会 員 が 姿 を 見 せ て い た 。 通 常 、 こ の よ う な 総 会 で は 、 同 窓 の 仲 間 に 久 し ぶ り に あ っ た 喜 び ゃ 近 況 の 報 告 な ど で 会 場 が 賑 わ っ て い る も の だ が 、 驚 く ほ ど 落 ち 着 い た 雰 囲 気 。 こ れ も 発 足 し た て の 桜 友 会 ら し く 、 な ん だ か ほ ほ え ま し い 。 定 刻 の 日 時 に な っ た 。 参 茄 7 7 4 定 の 日 名 の 会 員 が 顔 を 揃 え た 。 全 幻 名 中 、 国 名 の 参 加 と い う こ と か ら も 、 会 員 の こ の 会 に 対 す る 期 待 の 度 合 い が 窺 え る 。 開 会 に 先 立 ち 、 発 起 人 の ひ と り で あ る 高 場 清 海 氏 が 挨 拶 。 宜 同 場 氏 は 、 前 号 オ ブ リ

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ジ の 社 会 保 険 労 務 士 会 で も 登 場 し て お り 、 そ の 顔 に ご 記 憶 の あ る 方 も 多 い に 違 い な い 。 高 場 氏 は 、 今 回 の 桜 友 行 政 書 土 会 総 会 ま で の 経 緯 を 、 順 を 追 っ て 会 員 各 氏 に 説 明 。 同 業 者 と し て 同 じ 学 校 の 出 身 者 が 交 流 を 持 つ こ と で 、 仕 事 に 一 層 励 み 、 更 な る 輪 が 広 が る こ と を 期 待 し た い と 述 べ た 。 発 起 人 の ひ と り で あ る 藤 田 研 氏 が 議 長 に 選 出 さ れ 、 い よ い よ 本 題 に 突 入 。 経 過 報 告 や 会 則 、 理 事 会 規 則 、 会 計 規 則 の 説 明 と 承 認 な ど が 行 わ れ た 。 法 律 の エ キ ス パ ー ト の 集 ま り だ け あ り 、 討 議 も 本 格 的 。 専 門 用 語 も 続 出 し 、 緊 迫 感 あ ふ れ る 総 会 で あ っ た 会 場 を 同 じ く し て 、 午 λ 後 1 時 か ら は 懇 親 会 を 開 催 。 桜 友 会 を 代 表 し て 池 田 浩 規 副 会 長 が 出 席 し た 。 桜 友 行 政 書 士 会 発 足 の 祝 辞 を 述 べ る と と も に 、 桜 友 会 活 動 に 関 し て 、 今 後 ま す ま す の 理 解 と 協 力 を 要 請 し た 。 総 会 の 雰 囲 気 と は 一 転 。 お 酒 も 入 り 、 実 に 和 や か な 雰 囲 気 の 中 、 会 員 相 互 の 懇 親 が 深 め ら れ て い た 。 小林英之(昭31政) 小林行政書士事務所 高場清海(昭32政 ) 陶G・l・C 村上伸昌(昭32政) 村上行政書土事務所 田野明彦(昭3日政) * 北郷忠光(昭39済) * 尾和和子(昭43短国) * 星 博 ( 昭45済) * 藤田 研(昭49法)藤団法務行政事務所 小倉早苗(昭54史)側ネクスト 渡辺龍哉(昭63済) 三井住友銀行 渡辺洋介(平li政) 第一法規出版綱 渡辺信子(平日 法) 側ファステム 竹下弥花(平7済) * 神宮孝幸(平日法) * 武藤久美子(平日政) 藤間事務所 橋本和芳(平1日法) 側労働新聞社 古宮瞳毛子(平11法) 古宮瞳毛子行政書士事務所 翠尾奈奈(平12法) * 中尾 聡(平12独) * *よ記のほか桜友行政書士会には、長野善雄(昭 31政)、郷原衛(昭40政)、堀田功子(昭4051:、) 飯塚悟(昭43済)、小倉勝実(昭54営)、松本明 美(昭56哲)、牛丸祥子(平4法)、本多由里亜 (平日法)の各氏が在籍している(平成14年B月 22日現在)。 19

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「輔仁会サークル」合昔散歩|

思い出サークルめぐり〈その

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桜友会だより

予ッカ一部

学習院サッカーを受け継ぐ者たちが

取り組む姿勢はただ

時代年代は違っても、変わらないのは

「ベストを尽くす」こと。

上/現在は桜蹴会世話役の佐藤 洋平氏(昭55経)。昭和55年より サッカ一部l立東部一部リーグで 活躍するようになった。右/昭 和62年4月5日の関東大学春季 対抗戦にて 学習院でのサッカーサークルの胎 動は、戦後間もない昭和 M 年 。 新制 大学が発足した年 。 サッカー部の前 身である﹁サッカー同好会﹂設立の 申請が村田経和氏︵昭却独専︶を中 心に学校当局になされ認可 。 翌 お 年 から部員が集まり、同好会としての 活動が開始された 。 昭和初年には、第 2 回 目 を 迎 え た ﹁ 四 大 学 運 動 競 技 大 会 ﹂ で 、 サ ッ カ ー が 正 式 種 円 に 。 学 習 院 も プ レ イ し 、 運 動 部 セ レ ク シ ョ ン で な い 学 校 で は 、 一 番の強さを誇った 。 2 年に及ぶ同好会時代に確実に実 績をあげたサッカー同好会は、昭和 幻 年 に 可 学習院大学斬仁会サッカー 部﹂として活動を開始 。 初 代 部 長 に 、 豊 崎 光 衛 教 授 が 就 任 し 、 一

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し た サ ッ カ ー 理 論 を 流 布 し た 。 現 代 に 脈 々 と受け継がれる学習院サッカーの土 台が回まった 。 昭和お年、部としては初めての対 外試合である ﹁ 第 1 回全日杢主選 手権大会﹂に参加 。 翌却年には﹁関 東大学蹴球リ

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部 ﹂ に 加 盟 し 、 部として本佑的の活動を開始した 。 新規加盟後、サ ッ カ ー 部 は 怒 鴻 の 3 年連続リ l グ優勝 。 一 気 に

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部科絡 を 果 た し た 。

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部に昇格後、昭和幻 年まで毎年ブロック優勝を成し遂げ たサッカー部 。 この時期が、第 1 期 の黄金時代であ っ た 。 昭和招年になると、関東のリ

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グ 制が改変され

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部 制 に 。 学習院は国 士舘、順天堂、青山学院など強豪ひ し め く 第

3

部に残 っ た 。 そして昭和 必 年 に 再 び リ l グ制が改変され、東 都 リ

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グ 1 部に加盟 。 関東大会に優 勝するも、関東 2 部の入替戦で上智 に 惜 敗 。 昇格は実現しなかった 。

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年にかけては、東都

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部 に 降格し、苦難の時期であ っ た が 、 チ ーム強化が図られ、日年に

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年ぶり の

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部 リ

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グ復帰 。 昭和印年にはリ ーグ優勝を果たした 。 そ し て 、 関 東 大会 2 位で入替戦に進出 。 慶感を 2 ーーで下し、悲願の関東

2

部リ l グ 入りを成し遂げたのである 。 会 場 の 西ヶ丘サッカー場には多くの OB が 応援に駆けつけ、勝利の喜びを味わ っ た 。 2 年にわたって関東 2 部で健闘し たが、再び東都 1 部降稿 。 創部胡周 年の平成 4 年には、日年ぶりに東部 2 部に降格してしま っ た 。 と こ ろ が 、 こ れ で 終 わ ら な か っ た 。 平成 9 年には東都

2

部 リ

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グ で 、 黒星なしの優勝をし、見事 1 部に復 帰 し た 。 一 進 一 退 を 繰 り 返 し つ つ 、 現役部員たちは活躍している 。 サ ッ カ ー 部 の O B 会﹁桜蹴会﹂で は 、 毎 月 第 3 日 曜 の 昼 間 、 中 L −品 グ ラ ウンドに街ぷで集まりサ ッ カ ー を 楽 し ん で い る 。 現役の合宿には若い O B も参泊し、胸を貸す 。 ま た 、 甲 南 や 成 践 と O B 戦も行 っ て い る 。 折 し 主 寸 年 は 日 韓 共 催 で サ ッ カ ー − ワールドカップが開催され、全国的 に サ ッ カ ー ・ フ ィ l パ l に 沸 い た 。 各地のどの試合会場も大いに盛り上 が り 、 サ ッ カー文化が日本にも根付 い た の で は な い だ ろ う か 。 学習院大学暫 L 会サッカー部も今 年、制部印周年を迎え、記念の催事 が計画されている 。 今後とも初 ・ 中 ・ 高 ・ 大 の 一 貫 の 取 り 組 み で 学 期 門 院 の サ ッ カーの伝統を継ぷし、活躍する こ と を 期 待 し た い

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体のレベルが 上 が っ た ﹂ と O B も認めるサ ッ カ ー 部 。 上住リ

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グ を 目 指 し て 、 月 平 均 門 院 の選手たちがペストプレイを繰り広 げてくれるのが楽しみだ 。 20

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(20)

右/関東大学サッカー入管戦にて 成際大学と対戦した学習院サッカ 一部(昭和田年12月)。左/昭和62 年目月、関東大学サッカーリーグ 戦で駒沢大学と試合。下/昭和33 年3月、サッカー部員で記念煉影。 ピラ校が建っているところは当時 クラウンドだった ・ーーーー

圃.‘

桜蹴会会長 学習院大学聞い会サッカ ー 部 は 、 今年同周年を迎えました。この印 年の聞に、当サッカー部はいろい ろ と 変 遷 を し て き ま し た 。 昭和初年代、大学スポーツ興隆 の流れの中、強豪と呼ばれる大学 と互角に渡り合った時期もありま し た 。次第に大学の数も増え、ま たレベルの格差も広がり、我がサ ッカー部は東京都 1 部リ l グ 、 そ し て 2 部リ l グ へ と : : : 。 一 時 、 関 東 リ

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グへの昇格も果 たしましたが、その後、また東京 ︵ 昭必済 ︶ 都 3 部まで降格という憂き目にも 遭 い ま し た 。 現在は曲がりなりにも、東京都 1 部 に 残 留 し 、

5

シーズン目を迎 え よ う と し て い ま す 。 そ の 問 、 400 名余りの卒準歪 がサッカー部を巣立ち、後輩の指 導や、シニアチ 1 ムのメンバーと して、今でもサッカーに関わる

O

B

は大努います 。 特に、里問大学との定期戦には O B 同士の試合も行い、和気諸々 の中にも、お互いに結構勝負にこ だわり、皆いつも以上に頑張って し ま い ま す 。 現役の強化としては、他大学の ようなセレクション制度などを場 入できない現状の中で初、中、高 等科を含めたオ l ル 掌 カ 円 院 サ ッ カ ー部の強化に努めて行くことがこ れからの桜蹴会の課題であると感 じ て お り ま す 。 白球を無我夢中で追いかけた青春のひとコマ 21

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「輔仁会サークル」舎昔散歩|

思い出サークルめぐり〈その

2

)

桜友会だより

映画研究部

映画鑑賞から映画制作へ!

若者たちの夢と熱意を

写し込んだ

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mのミクロな世界

学習院輔仁会大会 (文化祭)でのセット展示会場にて (昭和30年) 現在では当た旦削のように見てい る テ レ ビ 放 送 。 園 内 で 始 ま っ た の は 、 昭和お年のことである。それまでの 娯 楽 の 主 流 は ﹁ 映 画 ﹂ 。 学習院の掌生 にとっても例外ではなかった 。 学 習 院 大 学 映 画 研 究 部 の 始 ま り は 、 ⋮ 昭和辺年 6 月 。 ﹁ 国 劇 研 究 会 ﹂ と 同 時 に﹁映画文化研究会﹂の名称で誕生 し た 。 映 画 好 き な 学 生 が 集 ま っ て 、 映画研究をはじめたのである 。 製訳当時は同好会であったが、部 員が増え、昭和お年

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月に﹁映画研 究部﹂に昇栴した 。 最盛期には大学 と 短 大 合 わ せ て

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人の部員が在 籍 。 活動の中心は新作映画について 互いに意見を論じ合う月

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回 の ﹁ 合 評 会 ﹂ だ っ た 。 当時、映画会社では新作映画の試 写会が毎日のように行われ、半分以 仁は無料で入場できた 。 部 員 た ち は 映画会社を回って、試写会の入場券 獲得に奔走したという 。 また、余硲のあるときは有料の映 両館に足を運んで鑑賞することもあ っ た 。 常 食のカレーが却円だった時 代、映阿館の入場料は却

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円 。 一 決して安くない有料の映両には、そ う頻繁には行けなかった 。 当時の映画のジャンルは、ドラマ やバラエティ、ミュージカルをはじ めニュース、文化 ・ 教育映画など実 に 多 彩 。 どの部員も週平均 7 本鑑賞 し、合評会に備えた 。 そして合評会 では、評論家顔負けの迫力で熱弁を ふ る っ て い た 。 そんな折、自分たちの映画を作り たいという慾奈生まれてきた 。 だ が、お金もカメラも、フィルムもな い 。 そ こ で 、

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の 協 力 を 募 っ た り 、 赤 寄 ノ リンスホテルなどでダンス パ ーティを催したりして、制作資金を 蓄 え て い っ た 。 撮影に使用したのは

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フ ィ ル ム 。 映画は、ニュース制作会社にカメラ を借りて撮影した 。 ま た 、 映 像 に つ ける音声は後で録音する ﹁ ア フ レ コ ﹂ で あ っ た 。 ス タ ジ オが空いている真 夜中に缶詰になり、夜を徹しての録 音作業 。

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聞 く ら い徹夜して集 を 進 め た 。 円 本 大 学 芸館子部よりも映両制作 が 早 か っ た 晶 子 宵 院 で は 、 昭 和 お 年 頃 か ら

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年 に 1 回 ぺ

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ス で 映 画 制 作 が 行われたが、昭和制年か ら 年 1 本 ペ ースで作られた 。 こ の 頃 に な る と 、 他大学との交流も活発化 。 他 大 学 と の 合 評 会 も 行 わ れ た 。 学 習院は四大 学 映画連盟に加入し て い た が 、 慶 慮 、 法 政 、 明 治 、 立 教 、 早稲田からなる ﹁ 都下大学学生映画 連 盟 ﹂ へ の 加 入 は 長 年 の 夢 で あ っ た 。 こ の 連 盟 が 叩 周 年 を 迎 え た 昭 和 泊 年 、 晴れて仲間入りを果たした 。 山 平 生 映 岡祭も開催され、制作も盛んに行わ れるようになった 。学 習 院 初 等 科 を 1 年間ロケして制作された ﹁ 学 宵 院 初等科 ﹂ 筆 中 生活やマージャン風景 な ど を 綴 っ た初めての劇映画 ﹁ H H 与 の 谷 間 ﹂ 子 供 を 主 役 に し た フ ァ ン タ ジ ー ﹁ あ こ が れ ﹂ な ど 、 実 に さ ま ざ まな作品が作られた 。 さて、現在の映画研究部はという と、技術の進歩でデ ジ タ ル カ メ ラ を 使 っ た 撮 影 が 主 流にな っ て い る 。 俳 優は、部員の友人や演劇部の 学 生 に 依頼 。 半 年 に 1 回、上映会を行 っ て い る 。 映画を鑑賞する集いが、評論 へ、そして制作へと変化してきた映 画研究部 。 今日も部員たちは、カメ ラを手に新たなる映画の可能性を求 めて、どこかに出没しているに違い な し 。 22 Obi.

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参照

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