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生 命 の 場 所
Circle of Life
第13回 文字どおり、見よげるような大木。 自然に自分の回線より上の方を仰 ぎ見る形になる。幹と枝と葉の見 せる柏市i~'のおもしろさに引き込 まれていたが、ふと足もとを見て 目か覚めた。 写 真 / 渡 辺 潔 ヵヘ:ノシリと土をつかむ ような根元にイチョウ の子供!? オスの木 メスの木があるイチョ ウは、いろいろとミス テリアスだ「イチョウ」詣
ζ
溺;よ誤認?不
s時で、
イチョウは秋に黄色く色付く頃のイメージが強いが、緑 の季節の樹形も堂々としていて見事で、ある。高さ45m、 直径5mに達する大木もある。また、とにかく丈夫な木 で、生育環境を選ばない。成長も早く、病虫害にも強い。 萌芽力が旺盛なので、現定しでもすぐに芽吹く。秋の黄 葉が散ったあと、枝打ちをした冬の姿からたちまち緑の 葉を付ける春先のイチョウには、底知れぬ生命力を感じ てしまう。最近では健康食品売場で「イチョウ葉エキス」 1O M
惨
の文字を見かけたりするが、何となくわかるような気が する。もともとイチョウ科といわれる植物は中生代の温 帯林を代表するものだったらしい。研究により7
属がわ かっているが、現在残っているのはイチョウ1種である。 また、t
盟主任異株という珍しい植物であり、精子によって 受精が行われる。ちなみにイチョウの精子を発見したの は、福井県出身で当時の帝国大学理科大判直物学教室助 手の平瀬作五郎氏。明治29
年のことだった。Summer N
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.
3
6
COVER 夕暮れどき’'11のあし判lから射し込 んだ光の刺丈一醐 緬を照らし た。卓iffi'Iらしい気象のドラマだ。 (伊豆の抗沼にて) Photographer/Kiyoshi ¥¥'atanabe 本 文 デ ザ イ ン 加 厳 正 問 SPECIAL THANKS 交通新/Hit!: 3ow
句e
[オブリージ]
CONTENTS
百り」の世界
@
ノーブレス・オブリージ宣言
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2
2
川本愛子(ソプラノ歌手・二期会会員)
。
「わが社にょうこそ」産業界トップに聞く
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山中静哉(アキレス株式会社代表取締役社長)……
H・
H・
−
…
・
@
人物クローズアップ「学習院と私」
vol.14奥田貞人(
TOWA
株式会社代表取締役社長)・…
H・
H・
−
@
・生命の甲F 書店 3回「イチョウ」写真
/
渡辺潔
@
・伝統のニッポンへ! [ 12] 益 子 焼 ( 栃 木 県 益 子 町 )@
・食卓の四 17]鰭(きす)出張
@
キャンパスタウン探訪第l回目 白
@
第
1
6
回「オール学富岡の集い」レポート
@
・絵友会たより亀井拡新鋭友会長が誕生@
職域桜友会/桜友行政書士会@
輔仁会サークル/サッカ一部@
l
映画研究部@
桜友会全国支部/新宿桜友会⑪
催事・イベントのご案内
@
OBLIGE伝言板
.
会員からのお便り紹介コーナー…
H・
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@
本羽目般の写真;.イラスト・記事の無抑止級およぴ桔すを祭じます。ρ
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・唱
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﹁これはひょっとすると世界初録音になるか もしれませんよ﹂とビクタl
のプロデューサ ーの方がおっし ゃった言葉から、私の世界初 録音CD
﹁ チ マl
ラ 歌 曲 集 ﹂ が 生 ま れ ま し た 。 昭和必年に女子部を卒業し、武蔵野音楽大 学声楽科に入学し、大学院修了後、大学に残 り 、 − 年後に結婚いたしました 。4
人の子供 を育てながら大学で教え、また、演奏活動も しておりましたが︵大 学は昭和 白 年 に4
人目 が生まれました時に退職いたしましたてある 時ふと子供達に私がやってきた事を何かの形 で残しておきたいと思いまして、思いきってCD
を製作することにいたしました。いろい ろと曲を選んでいくうちに、私の大好きなピ エ ト ロ ・ チ マ1
ラの歌曲を思師が歌曲集とし て出版なさったところでしたので、ビクタl
の方と相談して、チマl
ラの曲で録音するこ と に な り ま し た 。 ピ エ ト ロ ・ チ マl
ラという作曲家は、よほ どイタリアの歌曲に詳しい専門家でなければ 知っていらっしゃる方は少ないと思いますが、1
8
8
7
年にイタリアのロl
マ で 生 ま れ 、1
967
年にミラノで生涯を閉じています。日 本の元号でいえば明治加年生まれで山田耕搾 が1886
年生11965
年没︵明治四年i
昭和羽年︶ですから、とても身近に感じま すが、イタリアの数百年にも及ぶ長い歴史の 中で育ったチマl
ラと西淫音楽が輸入され日 年そこそこの教育を受けた山田耕符とはとて も比較できることではありません 。 チ マ1
ラ は ロl
マ の サ ン タ ・ チ ェ チl
リ ア 音楽院で、レスピl
ギ に 作 曲 法 を 学 び 、19
27
年から1958
年の問メトロポリタン歌 劇場で指揮者としての仕事の合間に歌曲を書 い て い ま し た 。 彼の歌曲は、絶えず美しい声を意識の中に とらえ、イタリアの求めてきた美しい施律が 主体となり、歌い手が思わず歌いたくなるよ うな作品ばかりです 。 録音は、府中の森芸術劇場ウィーンホl
ル で、朝日時から夜叩時までかかりました 。 ホ ールのステージには私とピアニストと 譜めく りの人の3
人だけで、地下のミキサールl
ム
との連絡はスピーカーだけでした。リサイタ ル の 時 と は ま た 違 っ た 緊 張 感 が 漂 い 、1
曲歌 い終わってスピーカーから ﹁OK
で す ﹂の声 が聞こえるまでの時間のなんと長く感じられ た こ と か 。 上手くいかないと2
回 、3
回と歌い直して いきます。最初から最後までとても楽しく歌世界初録音
CD
「チマーラ歌曲集」
を子供達に。
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品
1
ELA MUSIQUE
川本愛子
剛
女
高
)
ソプラノ歌手・二期会会員
4 うことができたのですが、録音が終わった時 はさすがに全員ぐったりしてしまい、やっと 家 に 帰 っ て ま い り ま し た 。 次は中に入れるリブレットの製作です 。 た またまニューヨークに住んでいらした学習院 の先輩の方に﹁チマl
ラに関する事なら何で も良いので調べて頂けますでしょうか﹂とお 願 い し た と こ ろ 、 ﹁ メ ト ロ ポ リ タ ン の 図 書 館 に チ マl
ラの写真があるようですよ﹂と教えて 下さり、早速送って頂きました 。 こ れ に は ビ ク タl
の 方 も び っ く り し て 、 ﹁ 日 本 で チ マl
ラ の顔を知っている人はいないのではないです か﹂とおっしゃって、すぐその写真をCD
の 表紙に使うことに決まりました。そして、表 紙のタイポグラフィ1
・ デザインやチマl
ラ についての英文等、ほとんど全てといって良 いほど学習院の友人知人の方々にお世話にな り ま し た 。学習 院の方達がいらっしゃらなか っ た ら こ のCD
は仕上がらなかったといって も過言ではありません 。 その後評判も良く、皆様に喜んで頂いてい るようです 。 これからも 一 人でも多くの方々にチマ1
ラ の美しい歌曲を聞いて頂けるよう努力してま いりたいと思っております 。 ま た 、 近 い 将 来 、 続巻を出せればと思っております 。最 後 に レ コード芸術に畑中良輔先生が書いて下さいま した文を引用させて頂きます 。O M
相
巴
﹁一般のファンにとって、よほど声楽好きで もなければピエトロ ・ チ マ ! ラ の名は無縁の も の か も し れ な い 。 グ 口 、 | ヴの大辞典をひも と い て も 、 彼 の 名 は 出 て こ な い ︵ 第 六 版 ︶ 。 一.
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川本慶子{かわもと・あいこ) 東京都出身。学習院初等科・女子中等科を経て昭和43年、女子高等科を卒業。 武蔵野音楽大学声楽科卒業、同大学院修了。二期会オペラ公演「リゴレットJ の小姓役でデピュ し、圏伊玖磨氏指糧のオペラ「夕鶴」のつう役の他、「パリ アッチJのネッダ役、「倦姫Jのヴィオレッタなどを好演。宗教曲のソリストと しても活躍。平成日年より「レスピーギとチマーラの夕べ」「随伊玖磨の夕べI. llJ r111本愛子の楽しいコンサー卜Jのリサイタルを開催し好評を縛した。学習 院女子中等科講師なども勤め、平成14年の桜友会新年会では皇太子殿下御臨席 のもとでその歌声を彼脅した。第日回奏楽堂日本歌曲コンクール歌唱部門3位 入賞、木下記念賞受賞。 八 八 七 年 、 ロ ー マ 生 まれで、ちょうど山田耕 梓よりひとつ下ということになる 。 チ マ1
ラ は イ タ リ ア 音 楽の流れから見る時、たしかに マイナーな存在ではあるが、彼の残した歌曲 の数々は、甘 美 な施律と、近代的な和 声 に 支 えられて、実に魅力的な内容の中に聴く人を 魅惑する 。 時代も 二 十世紀に入っているだけ に 和 音 の 扱 い 方 に も 現 代 風 な 色 彩 を 織 り 込 み 、 こ と に 長 七度の和音が独特のムl
ドを添える 。 最 近日本でもよくとりあげられるようになっ た 。 二 十年くらい前から ︽ 海 の ス ト ル ネ ツ ロ ︾ や ︽ 雪 が降ります ︾ などは独唱会にまた 音 大 の 試 験 や コ ン ク ー ル に よ く 歌 わ れ て き た が 、 ま だ チ マ1
ラ の 名 は 一 般のものにな っ た と は 言 えない現状である 。 ︵ 中 略 ︶ 今月初発売となった 川 本愛子のこのC
D
も 世界初録音である 。 おそらく世界のイタリア 歌 曲 ファンは、このアルバムに目をムクに違 い な い 。 川本愛子はリリコ ・ レ ジ エ ロ の ソ プ ラノとして、歌曲にオペラに活躍を続けてい る中堅だけに、しっかりした内容を各曲から つ か み 出 し て く る 。 通り 一 辺の甘 美 な 施 律 を なぞるだけでなく、詩の 一 語一語にリアリテ ィを持たせながら 、 流 麗 な チ マl
ラ の 魅 力 を 語りかけてくる 。 楽譜の歌曲集のほうには入 つ て な い 新 し い 曲 も 三 曲 ほ ど 加 え ら れ 、 新 鮮 な 選曲ぶりである 。 ︵ 中 略 ︶ 世 界 最 初 の こ の 一 枚 、 ま ず は 成 功 と い う べ き だ ろ う 。 貴重な資料でも あ る L @世界文化フォト rcimara Lirict、
e チマーラ敵曲集J 発 売 ビ??ーエンタテイン メント株式会社 平成5年に、川本氏が世界中刀 録音のrチマーラ敬曲集』の CDを発表し、高い評価を得 fニ 。O
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l特 集
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もうひとつ
の
日常
マルセノレ・フ。ノレーストの小説「失われた時を求めて」のドラマは、 一片のマドレーヌの香り含か〈?ところから展閲される。 「子寄り」というものが人間の情感やj架府心理にとって いかに重い関わりをもっているかをこの小説家は気づいていたのだ。 それにしても「香り」は目に見えなし、。つかみどころがない。 そんな「脊り」の世界を、もうひとつの日常を確かめる気持ちで あらためて与えてみよう。 文/善田紫紺(昭57史) 6﹁
匂
い
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ち
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る
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り
﹂
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ラベンターの香りにはリラックス効来安自駁力果があるプ
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雨 上 が り の 脊 り 、 季 節 の 草 花 や 木 々 の 香 り 、 あるいは人工的な空間に漂う香水や芳香剤の 香り。ある香りをかいだときに、えもいわれ ぬ懐かしい気持ちになったり、遠い昔のこと を 思 い 出 し た り し た こ と は な い だ ろ う か 。 ﹁ 匂 い は音や視覚よりも心の珪換をかき鳴ら す ﹂ と 言 っ た の は 小 説 家 の キ ッ プ リ ン グ だ が 、 香りと記憶には確かに深い関わりがある。臭 神経は脳と密接に結びついていて、神経とい う よ り は 脳 そ の も の と い う 人 が い る よ う に 、 人は本能的に﹁匂い﹂とその場面を同時に記 憶 し 、 デ ー タ と し て 蓄 積 し て ゆ く の で あ る 。 だから、生まれたばかりの赤ちゃんはH
が 見えなくても匂いで母乳の位置を探り当てる 。 そして新しいものに出会うと、まずそれを口 に含み、匂いを嘆いで円分にとって楽しいも の か 危 険 な も の か を 確 か め る の で あ る 。 現代社会の人の生活では、感覚の中で優先 されるのは視党や聴覚であり、臭覚の必要性 は二の次だ。けれど、人の本能の部分と深い つ な が り を 持 つ ﹁ 匂 い L と い う 感 覚 に は ミ ス テリアスな部分が山ほどある。匂いとは、香 り と は 私 た ち に 何 を も た ら す も の な の だ ろ う 。 人は、古来、香りとどのように付き合ってき た の だ ろ う か 。香
り
と
は
何
か
﹁ 匂 い ﹂ の う ち 、 私 た ち 人 間 に と っ て 心 地 よ 0制 伊
く感じる好ましいものを呼び分けて﹁香り L と い pつ
。
匂いの感覚、臭覚は 言う までもなく、人間 の 五 感 の ひ と つ で あ る 。 だ が 、 他 の4
つ の 感 覚 に 比 べ て ﹁ 匂 い ﹂ を 感じるメカニズムはまだ明らかにされていな い 部 分 が 多 い 。 例 え ば ﹁ 色 ﹂ は そ れ ぞ れ定まった波長をも っ可視光線で、その波の長さで円は色を識別 す る 。 ﹁ 立 回 L も周波数と呼ばれる波の長さで高音 ・ 低音が区別されており、この 音波が耳の鼓膜 に に ぶ つ か っ て 背 が 検 知 さ れ る 。 ま た ﹁ 熱 い 、 冷 た い 、 硬 い 、 や わ ら か い ﹂ という触覚は、人間の皮膚にある神経の先端 が物体に触れたときの刺激が大脳に伝わって 起 き る も の で あ る 。 そ し て 味 覚 は 、 舌 の ﹁ 仲 霊 園 ﹂ と い う 味 を と ら え る 器 官 へ の 刺激が、電流に変わ っ て 大 脳 へ 伝 達 す る も の で あ る 。 こ の よ う に ほ か の 威 信 比 に は 、 化 学 的 あ る い は物理的な説明がつくのだが、臭覚に関して は そ う 簡 単 に い か な い 。 唄 在 、 人 の 臭 覚 と は 、 物 質 が 蒸 気 と な り 、 その分子が空気中に飛散して、人間の鼻腔の 奥にある臭覚器官に到達し、そこにある臭覚 摺官の臭毛の細胞を刺激する、その刺激が電 流に変わり、脳に達して起こす反応と考えら れ て い る の で あ る 。 い ず れ に し て も 、 ミ ス テ リ ア ス で あ る 。﹁
香
り
﹂
の
発
見
と
活
用
の
歴
史
。
香りの分類
特集・「香山
親
h 香 り の 分 類 に つ い て は 昔 か ら 、 花 や 革 、 音 、 色、味などの様々なものにたとえて表現され て き た 。 匂 い の 感 じ 方 と い う の は 人 に よ っ て 、 ま た 、 そ の 時 の 精 神 状 態 に よ っ て も 違 う の で 、 これをひとつのカテゴリーの中で分類すると いうのは、元来、無理があった。それでもこ れまでに﹁香り﹂は色々な研究によって、ユ ニ ー ク な 分 類 が な さ れ て き た 。 凶 情 − 紀 末 の フ ラ ン ス の 調 香 師 ビl
ス は 、 香 りの種類を背階で表した。例えば、鋭くスト レ ー ト に 品 に 飛 び 込 む ハ ッ カ 、 ラ ベ ン ダ ー 、 ジャスミンなどはトップノl
ト と い っ て い 向 背 域に位置した。これに対してバニラ、パチユ リ、白檀などは重量感、安定感があり、香料 の べl
スとなるアンダートl
ン で あ る 。 こ う した香りの組み合わせを音楽とし、同じよう に素材の組み合わせが良ければ素晴らしいハ ー モ ニ ー を か も し 出 す と 考 え た 。 人間のもつ感性や感情で香りを分類したの は 、 オ ラ ン ダ の 調 香 師 ジ ェ リ ネ ッ ク で あ る 。 す べ て の 匂 い を エ ロ チ ッ ク 、 反 エ ロ チ ッ ク 、 麻酔的、刺激的の4
極 に 分 類 し 、 さ ら に 新 鮮 、 高 揚 、 鎮 静 、 暑 苦 し い と い う 感 情 と 、 酸 性 、 甘い、苦い、アルカリ性といった味で細分化 す る 方 法 だ っ た 。 例 え ば 、 ﹁ 新 鮮 ﹂ の 部 類 で 反 エロチックかつ刺激的、さらに酸性と苦いの 中 間 に 位 置 す る の が ミ ン ト と い う 具 合 だ 。 円本でも香道の発達に伴って、香木の香り ごみりつこ︿ を五味六国に分類したが、いずれにしてもと らえどころのない匂いの分類に関して、満足 す る 方 法 は い ま だ 考 え ら れ て い な い 。香りの発達
人が﹁香り L を匂いの中でも特別なものと して意識し、生活に役立てるには、匂いの歴 史 か ら 考 え る と 長 い 長 い 時 間 の 経 過 が あ っ た 。 原 始 の 時 代 に は ま だ 、 ﹁ 匂 う こ と ﹂ は 人 に と っ ても他の動物たちと同様に生きていくための 重要な手段だった。天候の変化、山火事など の災宵や外敵の襲来の同避、食物の選別、ま た 種 族 保 存 の た め に も 立 い が 相 手 の 性 を , 唄 ぎ 分 け 合 う こ と が 必 要 だ っ た 。 人 は 長 い 時 間 、 匂いを嘆ぐという動物的な本能によって自分 た ち の 生 命 を 守 り 続 け た の で あ る 。 人が﹁香り﹂を自らの手で作り出すことが できるようになったのは﹁火﹂の発見によっ てである。火を起こし明かりを灯したり肉を 焼いたりするうちに、捕物や動物の皮を焚く とその煙の中に芳香が漂うのを見い出したこ とは、人が自発的に作った香りを﹁パl
フ ユl
ム ﹂ ︵ パl
は 通 じ る 、 フ ュl
ム は 煙 の 意 味 ︶ と い う 言 葉 で 表 す こ と か ら 想 像 が つ く 。 人は最初、香りを神に俸げて身の幸せを念 じた。そして死体にも魂が宿ると考えその保 侮に芳香を利用したり、食物も芳香を使うと 防腐効果があることを覚えた。さらには、食 べ物に香りをつけるとより美味しくなること を 知 る に い た っ た の で あ る 。 8香料のは
じ
ま
り
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抱
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現代ヨーロッパ諸国の香り文化の原点はエ ジプトだった。香料のもっとも古い作り方が ﹁ 出 エ ジ プ ト 記 ﹂ に 次 の よ う に 記 さ れ て い る 。 ﹁ 主 は ま た モl
ゼに言われた。あなたはすな わ ち 、 ス タ ク テ 、 シ ケ レ テ 香 、 カ ル パ ナ ム 、 純粋の乳香をとりなさい。おのおの同じ量で な け れ ば な ら な い 。 あ な た は こ れ を 以 っ て 、 香すなわち、香料を作る業に従って薫香をつ くり、塩を加え、順にして聖なるものとしな さ い ﹂ | | 香 の 材 料 は ま ず 細 か い 粉 末 と し 、 混 ぜ 合 わ せ た 上 で 香 と し て 焚 い た の で あ る 。 紀元前2000
年頃に書かれたパピルス本 に は3
時の人々が香料をどのように使ってい た の か がA
かれている。それによれば、交た ちは香料入りの水で体浴し、男たちは香料入 りの軟膏を体に塗った。食べ物や菓子も香料 で香りがつけられ、祭りの日には通りで官香 が焚かれるので、貧しい人たちも一緒に香ば し い 空 気 を 味 わ う こ と が で き た と い う 。B
C
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附記のクレオパトラの時代になると、エジ プトの香料には東洋より移入されたパラに代 表される花の香りなど、さらに多くの要素が 加 え ら れ た 。 現代の香水のもととなる香料の数々をこの 時代のエジプト人たちはすでに創香し、これ らはアラパスタl
製の美しい査に入れて、品 質が落ちない様に蓋をした。近年、ツタンカ ーメンの基からBC1350
年頃のものと見 られる曲線の美しい香膏査がいくつか発見さ れたが、その一部には3000
年の時の流れ を 超 え て 、 香 り が 残 さ れ て い た と い う 。生活に役立てるためのさまざまな試行
。
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﹁
香
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出
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|
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香水を発明したのは、早くから芳香のある 樹脂やスパイスの取引を行っていたアラブ人 だった。医師で科学者でもあったアビセンナ ︵9
8
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年 ︶ は 、 ア ル コ ー ル の 蒸 留 技術を使い、植物の香りを揮発性の溶剤の中 に長期保存する方法、つまり今円の香水の製 造に成功したのである。彼は最初の実験にア ラ ブ 人 の も っ と も 好 き な 花 、 ロ ー ズ を 使 っ た 。 これがいまだに世界中で愛されるロ1
ズ 水 で あ る 。 ロ世紀になると尼僧聖ヒルデガルドがラベ ン ダ ー 水 を 発 明 し た の に 続 き 、M
世紀には貫 婦人たちの化粧材料としてはじめて、ローズ マリーより蒸留されたハンガリー水が製造さ れた。そして回世紀になると香水を賛ポに使 う風習は、香水産業で西蓮拍国をリードして い た イ タ リ ア か ら 英 国 に 移 っ た 。 だ が こ の 時 代 に 宮 廷 に 満 ち て い た 香 り は 、 現代に生きる私たちにとってはかなり刺激的 な鼻をつくような匂いだったと思われる。な ぜなら、その匂いは洗わない服と洗わない体 に打ち勝つ必要があったからだ。この後、香 水業界をリードすることになるフランスでも ﹁ 永 遠 に 美 し く す る ﹂ 香 水 の 処 方 が 大 衆 本 で 推 奨 さ れ た が 、 そ れ は ﹁ 幼 い ワ タ リ ガ ラ ス を 巣 か ら 取 り 出 し 、4
日間半ゆで卵で飼育し、殺し てギンパイカの葉、タルク粉、アーモンド油 と 共 に 蒸 留 す る L という何やら呪術的なもの だった。こうした身体を洗わない女性の悪臭 を圧倒するための、匂いの強い香水は回世紀 頃 ま で 製 造 さ れ 続 け た と い う 。オーデコロンの流行
ヨーロッパの香水を本格的なものにしたの は 、 か の マ リl
アントワネットだった。彼女 は東洋のスパイシ!な香りや動物臭のあるも のを嫌い、ローズやバイオレットから蒸留し た 繊 細 で 自 然 な 快 い 香 り の 香 水 を 流 行 さ せ た 。 また、ローマの没落後忘れられていた脊りの ある風呂の楽しみを再流行させ、この流れは 革 命 以 降 も 受 け 継 が れ た 。 回世紀、イタリア人のポ1
ル ・ フ ェ ミ ニ ス に よ っ て 新 製 品 が 売 り 出 さ れ た こ と に よ り 、 西洋の呑水産業はオーデコロンの時代を迎え ることになる。素晴らしい水という名のそれ は、レモン、ベルガモット等の相橘系の精油 と ラ ベ ン ダ ー を べ1
ス に し た も の だ っ た が 、 その後、彼の子孫ジャン ・ マ リl
・ フ ア リ ナ は こ れ に ロ1
ズマリ1
を 加 え て 処 方 を 変 え 、 オーデコロンの名で売り出すと瞬く聞に圧倒 的な人気を呼んだ。以後、他の調香師も競っ てこの処方を真似、上品な呑りを持つ﹁オー デコロン﹂の今日に至るブl
ム が 始 ま る の で あ る 。東洋の香り
東洋の香りの発祥地はインドである。東洋 でも西洋同様に香りは最初、宗教的なもので 司 祭 や 貴 族 な ど 特 権 階 級 の み の 間 で 使 わ れ 、 庶民の生活に浸透するのはずっと後になって からのことだった。インドに産出する白檀や 沈香は神々に捧げるのにも、祈る人々の心を 鎮めるのにも格好の薫香であったし、その他 U や こ う にも爵香やシナモンなど神秘的な香りが多く 用いられたが、蒸留技術を持たなかったため 粉 末 香 料 や 香 油 の 形 で 使 わ て い た 。 日本に香料が伝わったのは、奈良時代の仏 教伝来の頃である。もともと日本に産出する 香木はヒノキやクスノキなどごくわずかなも ので、西洋のように多彩な香りの世界を展開 するにはいたらなかった。だが、日本人特有 の 繊 細 な 感 性 で 香 り の 心 を ウ 生 以 し 、 伝 統 芸 術 である﹁香道﹂を生んだ。香道では﹁香を聞 く﹂というように、沈香の発する香りに耳を 傾け、精神を安定させ眠怨にふける。前述し てきたように、東洋においての香りは主に精 神の安定という人間の内面のためのものとし て 、 発 達 し た の で あ っ た 。 10°
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柑橘系の香川狩有里t味付けの定番のひとつだ﹁
香
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日本の香り文化
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香料は伝来した直後は、仏教儀式の焼香供 養 に 使 わ れ て い た 。8
世紀半ばの法隆寺や大 安寺の財産目録には香炉の品質や大きさ、使 用されていた蚕料の種類などが残されている 。 貴族の生活では寝室に香を焚いてムl
ド を 高めたり、衣類に香りを焚きこめたりする習 慣 が あ っ た 。 衣服に香りを移すためには、香 炉に焚いた上に竹の簡をかぶせ、その上に衣 類を広げるという方法がとられた 。 こ う し た ことは宮廷においては女性のみならず、男性 に と っ て も 身 だ し な み の ひ と つ だ っ た こ と が 、 源氏物語などに記されている 。 また、香料の中でも白檀や丁子などには強 力な防腐 ・ 殺菌効果があり、正倉院には衣服 や寝具、経典、文書の保存に利用されていた ﹁ えび香﹂と呼ばれる香料が残されている 。 平安末期の戦乱の世では、武士も心の安ら ぎ を 求 め る よ う に な り 、 こ れ に 呼 応 し て + 金 迫 や 香 道 が 生 ま れ た 。 香道はもともとは沈香木 を選び、その香りを味わい鑑賞するものだ っ たが、これが後に名呑合わせという香りの 言 い 当 て ゲl
ムや組香へと発展して、今日の香 道に引き継がれたといわれる 。 先に、日本人の香りに対する期待は精神の 安 定を求めるものだ っ た と 書 い た が 、 欧 米 と 決 定 的に違うのは、欧米では 香 り が 自 然 か ら 脱却した円我意識 の 強 い イ メ ー ジ を 持 っ て 発 展 し て き た の に 対 し て 、 日 本 で は 、 香 り は 、 四 季や自然と密着しながら発展してきたという こ と で あ る 。 このことは、日本人の生活が古 来、自然や四季と深いかかわりを持ちながら 常まれてきたことと多いに関係がある 。 例 え ば、日本の住まいは昔から木造で風とおしが よく、開け放した戸からはいつも四季折々の 香りが風と共に運ばれてきた 。 と こ ろ が 生 活 の 洋 風 化 と共に住居の密閉度が高まり、台所 やトイレ、玄関などに生活の不快な匂いがこ もり始めた。このことで室内の芳香剤が世に 氾 濫しはじめたが、あまりに強烈で不自然な 呑りに日本人はやはり抵抗を持つのだ。最近 で は 芳 香 剤 に 代 わ っ て 、 本 来 の 脱 臭 や 空 気 の 清浄を目的とした置炭や自然な香りのハl
プ 等が見直されている 。香りによる療法
今、香りの世界で注目されているのがアロ マ コ ロ ジ ー で あ る 。 ア ロ マ ︵ 北 夕 暮 U ︶ と サ イ コ ロ ジ ー ︵ 心 理 学 ︶ の 合 成 語 で 、 脊 り の 人 体 に 対する生理的 ・ 心理的効果に対して使われる 。 ヨ ー ロ ッ パ で 十 日 く か ら 行 わ れ て き た ア ロ マ テ ラ ピ ー は こ の う ち 、 香 り に よ る 病 気 治 療 を 目 的 と し た も の で 、 天 然精油を中心に蒸気を 吸収したり、服用したり、マッサージによ っ て体内に擦り込んだりする方法がある 。 円 本 に も1
9
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年 代 頃 に 入 っ て き た が 、 心 地 良 い 脊 り は 弘 や 肌 か ら 体 内 に 入 る と 、 臭 細 胞 を 通 っ て 脳 に 到 達 し 、 自 律神 経 系 や 内 分 泌 系 、 免疫 系 に さ ま ざ ま メ ッ セ ー ジ を 送 っ て 、 自然 治持方を高め、心身のバランスを整える 。 血 圧を下げて過度の緊張を解き、リラックスさ せたり、呼吸を深くして気分を整え、冷静な 気分を取り戻す手伝いをするのである 。 森林浴も或る意味ではアロマテラピl
の 一 種 で あ る 。 森の中を歩くと気分が落ち着いた りきわやかで軽快な気持ちになるのは、樹木 から発散されるフィトンチ ッ ド と い 、 ユ 方 香 物 質のおかげである 。 これが循環器や中枢神経 系などの体内組織を活性化させ、新陳代謝を 促したり、皮府の炎症を抑えたりする効果を 発揮するからである 。 フ ィ ト ン チ ッ ド に は 空 気を清浄にするほか、殺商効果もありジフテ リアや流行性感日にも効果があることが知ら れ て い る 。 また、日本占来の香道も心身症の 治療に効果があるとされ、蝦呑でめまいの治 療をした例などが報告されている 。 こ う し た ア ロ マ コ ロ ジl
を利用した生活用品も、入浴 剤から芳香剤、シャンプー、スキンケア用品 など様々な商品の開発研究が進められている 今 日 で あ る 。 12O M
鞍
森の中は気持ちがいい。さまさ’まな香りが満ちている判院生ちの
死戸、
わが
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寸たようこそ
~・
アキレス株式会社
平成
M
年
6
月
、
ア
キ
レ
ス
株
式
会
社
の
社長に就任したばかりの山中氏
。
新宿桜友会の発起人に名を連ねた山中氏
。
会社でも、桜友会でも活躍する同氏の、
新
し
い
、
企
業
の
ト
ッ
プ
と
し
て
の
抱
負
と
、
学
習
院
へ
の
思
い
を
語
っ
て
い
た
だ
い
た
。
山中静哉(やまなか・しすや) 昭和12年7月22日生まれ。東京都 杉並区立第七小学校、桐朋学園中 学校、岡高等学校を経て、学習院 大学政経学部に入学。昭和35年卒 業。卒業後興国化学工業株式会社 (現アキレス株式会社)に入社し、 本社メリヤス課に配属される。以 降、営笑畑を中心!こ、大阪支店産 業資材課長、ウレタン販売部長、 アキレス商事側取締役などを経て、 昭和61年に取締役履物第一事業部 長に就任。常務・専務を務めた後、 平成12年代表取締役副社長。さま ざまな事業部を経験した実績と、 21世紀における更なる発展を目指 して、平成14年B月に代表取締役 社長に就任した。趣昧はドライブ、 旅行、ゴルフ、草花観賞。ア
キ
レ
ス
株
式
会
社
代表取締役社長
︵ 昭
お 政
︶
ーー まず御社をご紹介ください 。 アキレス姥副会社というと、みなさん に は シ ュ ー ズメーカ ー の イ メ ー ジ が 強 い ことと思いますが、現在大きく分けてシ ュ ー ズ 、 プラスチック、産業資材の3
つ の事業部 門 があります。シュ ー ズ事業部 門 は 、EC
C
O
やSKE
C
H
E
R
S
を は じめとするブランドゃ、健康的な足の育 成をサポ ー ト する外反母 駈 ・ 一 嗣平足予防 の 設 計 思 怨 を持った靴などがあります 。 プラスチック事業部門では、家具用や車 両 用 の 合 成 皮革 ・ レ ザl
、 ビ ニ ー ル ハ ウ ス 用 の被覆資材、建築材料と し ての壁材 や床材などを製造しています。産業資材 事業部 門 で は 、 建築材料の断熱材や、産 業資 材 用ウレタンフォ ー ムなどを製造し ています 。 最近では、導屯性の電子材料 や健康 ・ 介護闘係の製品も作っています 。 || ずいぶん多様な製品を作っていらっ しゃるのですね 。 そ の 時 代 時 代 に必要な物の材料を提供 していきたいと考えてきた結果ですね 。 そして、最終消費者に喜んで感動してい ただけるような商品を作ることが基本で す 。 || 現在はどのような展開をされている の で し ょ う か 。 現 在 、9
つ の 悦 キ 木 部 が あ る の で す が 、 事業部を横断的に見て技術を組み合わせ、 新しい商品を生み出していこうとしてい ま す 。 特にエレクトロニクス、エネルギ ー、エコロジーの ﹁3
つ のE
﹂ を中核に 据え、事業を展開しています 。 具体的には、導屯性ポリマl
を使 っ た ハl
ドディスクドライブ︵HDD
︶ 用 の 部品があります 。 ノ ー ベ ル 賞 を受賞した 白川博士が山された理論をもとに導屯性 14 Obi.栢
巴
ポ リ マ