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労 働 生 産 性 と 価 格 の 問 題

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(1)

労働生産性ほ社会主義経済のめざましい発展の主要な源泉であると同時に︑理論的にいってもまた重要な中心問  

題である︒それというのも︑労働生産性ほたんに経済成長率の決定要因であるばかりではなく︑生産費︑賃銀︑国  

民所得の大きさとその分配︑さらには労働力の配分を規定する重要な要因だからである︒労働生産性をめぐる儲問  

題の研究がきわめて活撥なのも決して偶然でほない︒根本的にみれは︑労働生産性の飛躍的な発展なしにほ社会主  

義の決定的な勝利ほありえないし︑また現実的にいっても︑工業化の過程では労働力が相対的に稀少化し︑生産の  

たえまない増大改善は労働生産性の向上によらざるをえないからである川それにまた︑戦争による労働力の尤大な 喪失も理由のひとつになろう︒理由ほそれだけにつきない︒いまひとつの理由ほ︑例の価値法則論争において明ら  

かになったように︑労働生産性の研究ほ価格と価値の正しい把握なしに不可能だからである︒   

労働生産性は︑抽象的にいうと︑使用価値畳とそれを生産するに要した労働監との比率であり︑それほ山定時間  

内における人間の針目的的な生産活動の作用度を示すものである︒通常︑労働生産性ほ⊥単位時間に労働者がつく   

労働生産性と価格の問題   ︵四二五︶一八五    労働生産性と価格の問題  

︐卜G・リヒクーの研究をめぐつて ーー  

石   津   雄  

(2)

︵四二六︶一八六   第三十二巻 軍手四・五号  

る生産物の量によって.︑あるいは一単位の生産物に文題される労働時間の最によって測定される︒しかし︑この簡  

単な規定も実際の測定となれば︑いろいろの基準があって︑まことに披経である︒単位を何に求めるかによって種  

々の指数が構成されうるし︑また構成された指数ほそれに応じて長短をあわせもつことになる︒   

労働生慮性は全般的な経済能力の中の重要な要素と考えられるため︑その水準の決定には特別の関心が寄せら  

れ︑その測定ば社会主義経済の経済能力に関する計らゆる重要な問題を解明するうえで大いに役立つのである︒歴  

史的にみると︑lソグェ†トでは労働生産性指数の構成に関する方法論的問題がやかましい論争の対象となってきた  

︵1︶   し︑また現に問題とされている︒計画経済のもとでほ統計指標が正確でなければ︑盾ちに経済全体に重大な結果を  

招くことはいうまでも寵い︒   

ところで︑労働生産性は労働面だけの努力と寄与に守って規定されるものでほない︒マルクスも指摘するよう  

に︑﹁労働の生産力ほ多様な事情によって︑なかんずく︑労働者の熟練の平均度︑科学およぴその技術学的な応用  

可能性の発展段階︑生産過程の社会的結合︑諸手段の範囲および作用能力によって︑また自然関係によって規定さ  

︵2︶   れる︒﹂だから︑労働生産性は狭義の労働支出効果を示すだけでほなく︑社会の生産力の発展水準とその利用効率を  

あらわすものである︒あらゆる労働支出の尺度となるものほ労働時間である︒さきに指摘したように︑一労働生産性  

風支出された労働とそれによって生産される生産物との相互関係によって規定される︒したがって︑労働生産性の  

向上は︑山商品の生産に社会的に必凛な労働時間が短縮されて︑より少量の労働がより多嵐の使用価値を生産する  

力をかくとくするような労働過程の変化である︒このような時間の節約ほ︑あしゆる社会における労働生産性の発  

展に対する本質的な要素である︒それゆえに労働生産性の向上ほ︑一定時間内に生産される生産物が増大すること  

を意味し︑社会の富を増大する可能性を与えるもめである︒このような意味において時間節約の法則︵das GesetN   

(3)

︵8︶ der穿OnOmiederNeit︶は︑あらゆる社会に妥当する一般法則といわれる︒しかし︑その発現形態にほ著しい  

差異がある︒  

前述のように︑社会的な労働の生産性の向上は︑常に労働時間の節約であるが︑それはたんに生きた労働の節約  

だけではなく︑過去労働の節約をも含むのであって︑それらが社会的な規模でともに節約されることを意味する︒  

だから︑あらゆる節約ほ社会的労働の生産性を向上させるのである︒労働生産性の向上とは︑まさに商品に含まれ  

る労働のうち生きた労働部分が減少して過去労働部分が増加し︑しかもその結果︑その労働の総監が減少するとい  

うこと︑つまり過去の労働が増加する以上に生きた労働が減少することである︒   

労働生産性がたかまればたかまるはど︑州単位の生産物を生産するに必要な労働時間が減少して︑一定時間内に  

ほより多くの生産物を生産することが可能となり︑生きた労働がますます節約されることになる︒この場合生産物  

の原個に占める過去労働部分︵生産手段の消席︶の割合は相対的に増大するが︑他方賃鹿部分.は絶対的にも相対的  

にも減少して︑原価をいっそう低下さ掛る︒労働生産性の向上︑つまりあちゆる労働の節約は原価の引下げとなっ  

てあらわれる︒社会主義経済の発展において原価の引下げがきわめて重要な意義をもつのは︑それが一方では企巣  

の収益性をたかめ︑蓄積の源泉を増大し︑他方でほそれによ1て社会主義的再生産を拡大させ︑経済成長率を大き  

くさせる点にある︒   

以上のような抽象的な説明に限るのであれば︑われわれほさして重要な問題にはぶつからないであろう︒しかし  

労働生産性の概念と測定とほ切り離して論じえない︒殊に貸簡単位によって労働生産性を測定する場合には︑価格  

形成の問題1社会主義のもとでの特殊な仕組み1を無視してほ何庵明らかとはならない︒従来の主張によると︑生  

産手段に関しては価値法則ほ生産手段の価格形成償おいて規制者の役割を果さないかのように考えられてきた︒こ   

︵四二七︶l八七    労働生産性と価格の問題  

(4)

第三十二巻彗丁甲五号   ︵四二八︶ス八   のため従来の価格制度のもとでは︑生きた労働の支出と対象化された労働の支出の正しい比較測悪因難であり︑  

/    またそれゆえに︑労働節約のためのたたかいにおいて価格をテコとして利用す苫とを著しく困難にしていた︒生   産手段の特殊な価格形成ほ︑実際にほ経済計算制をを弱め︑経済効率の比較を困難にし︑計画化を複雑ならしめ︑   ︵4︶ 技術進歩を妨げる傾向があったといわれている︒殊に生産手段の価格ほその価値の中に含まれている剰余生産物価   値︑つまり社会のための生産物を実現しえないため︑技術進歩の効果ほ︑物的支出と労働の支払に対する支出の節   約の範囲内でしかあらわれず︑社会的な労働生産性の向←︑したがって︑剰余生産物鼠鼠の増大に含まれている表   的な効果を規定することができなかった︒社会主義のもとでの技術進歩ほ︑多くの経済的刺戟によ・つて保障されて   ほいるが︑その中でも重要な役割を果す価値的刺戟ほ︑実際には間接的な刺戟︑つまり原価の引下げを通して作用   し・ていたことふら︑生産集団の直接的な物質的関心を弱める傾向があった︒このようないろいろの理由から生産手   段に対する価格形成のやりかたをかえること︑すなわち生産手段の価格水準をその価値にちかづけることが央剣に   検討されつ1ある︒われわれが初めに労働生産性問題の新しい観点からの把握が必要だとしたのもまさにこの意味   においてであるる︒クロンロードも指摘するように︑﹁労働を節約しうるためにほ︑価格の助けをかりて社会的労 ︵5︶  ︵6︶ 働の実質的支出を決定することが重要なのである︒﹂われわれほヅヒター︵G2r訂dRicF−2r︶に従いながら︑価嘩   形成の問題を原理的に考察し︑それとの関連で若干労働生産性の問題を検討してみたいと思う︒   

︵1︶■岡稔﹁労働生産性の概念と測定について﹂還済研究二九五九年貢   

︵2︶ 長谷部訳﹁資本論﹂背水版第﹂巻二二ページ  

︵3︶ Frit昌2Fr2nSゝrbei−蔓Oduk−i鼻声10Fn2n−wickF扁邑村2n−abilit芦Berぎー誤㌣S.−P   

︵4︶ 木原訳編﹁価値と価格の慧讐四六ぺ1ジ以下︑クロンロードの論文を参照︒   

(5)

︵5︶ N宅営skussiOn旨2rdasWer−gese−ニnPressederSOWjet象On∵写γのせー彗㍍・−監f・   

︵6︶ G2rhardRich−er・DieArb21−sprOd蔓1喜賢inTh20rie仁n−Pla詠這er−in↑欝∞㍍・l軍N声  

社会主義の計画経済祓督本主義とは異なり︑価値法則を意識的に利用しうるという点で優位性をもっている︒従   G.Richter.営ePO−itisc訂穿OnOmi2喜duns2rePre許・⁝Wir−sc邑−swi∽∽¢ヨSC邑tH2ft S¢岸S・N宇N寧  

こ   

来の見解によると︑価値から計画的に背離した価格を決定することによって︑社会主義的生産を増大改善し︑国民  

の生活水準をたかめるという基本的目的がより急速に達成されるものとされてきた︒経済学教科書の指摘に従え  

ほ︑﹁価値法則の作用を認許すること︑そしてそれを利用する手腕をもっことは︑経済活動家が生産を合理的に指  

導し︑生産方法をたえず改善していき︑経済計算制を実施し︑生産物の増産のためにかくれた余備を発見し利用す  

︵1︶   るのを助ける︒﹂のである︒    このような可能性を有する点に社会主義の優位性があることほ疑いえない︒なるはど原則はそうである︒しか  

し︑現実にほこのような経済的なテコを完全にほ利用していないのである︒ソヴュトの価値法則論争の根本問題も  

実哲﹂の点にあった︒これについてはすでにわが国でも多くの研究紹介がなされているから触れない︒われわれは  

むしろ東独における論争について検討してみたい︒    東独の雑誌﹃経済学﹄ほ完五七年二月に﹁移行期における経済理論と政策﹂を特集したが︑この特集号に掲載  

︵2︶ された二つの論文−べーレンス︵買tN謬冒ens︶とべナリー︵ArneBenary︶のもの−が非常な反響を呼び起し  

たのである︒両者はともに︑経済法則を合理的に利用するために︑移行期における経済理論と社会主義的経済指導  

ほいかにあるべきかを検討する︒い1かえれば︑問題は社会主義的経済指導の手段と諸方法に関連しているのであ   

︵四二九︶一八九    労働生産性と価格の問題  

(6)

︵四三〇︶一九〇   第三十二巻 第三・四・五号  

る︒べーレンスは︑社会進歩の推進力を大衆の創造的活動に求め︑積極的な経済的刺戟によって人間の創意性と自  

己畳任を導く必然性を漁調する︒そして移行期の第一期には中央指導が重要であるが︑その第二期でほ斗争と消極  

的な経済的刺戟を避けるために︑経済法則1商品生産の法則をも合計て−に窓きをおくぺきだとする︒またべデリ  

ーの見解はこうである︒国民経済の計画的な発展ほ︑一方でほ︑集中化︑つまり中央の計画機関の決定力を必要と  

するのに︑他方ではそれほ勤労者の創造紆活動の発達を必要とするのであって︑これなくしてほ計画ほ非現実的な  

ものとなり︑・実現されないものとなる︒このような創造的活軌は︑分散的な決定−中央の決定した主要指標から派  

生する任務と方法を解汝するために現場の勤労者の決定1を必蟄とする︒コールマイは︑べナツーの主張に従う  

と︑結局のところ︑価値法則は生産と流通に存在する個別的な経済活動に還元されるとして︑これに反対してい  

︵3︶   る︒リヒターもまた両論文を批判して︑価格体系の取扱上の客観的欠陥がかれらの修正主義的見解のきっかけをつ  

くりだしていると激しく批判す告 つまり両者は社会主義的生産の目的が資本主義的手段をもって有効に達成しう  

るというのであって︑実際にこのような方法をとるならば︑あらゆる点で社会主義的な認識を放棄してしまうだけ  

ではく︑社会主義的経済指導の決定的な立場を破棄す説ことを意味するのであり︑したがってまた︑社会主義の基  

︵4︶  

礎針危くするというのがリヒターの主張である︒ルック ︵許rhertL宍k︶もまた同じ指摘を行っている︒ルック  

によかと︑両者は集中萬な計画を分散的な責任に結びつけようとはせずに︑一方的に後者を強調する余り︑国家  

の経済的組織的機能の弱体化ないし止揚に関心を向けることに終ってしまったとみる︒リヒクーもまた︑両者ほ価  

格の中央決定を非経済的な指導であるという点で根本的に誤っていると批判し︑これに対して経済活動の高揚のた  

めにほ︑理論的な連関を認識し実際上の経験を豊富にして中嘆の諸基準をつくりだすことこそ重要であるという︒   

社会主義経済のもとでも価格の調整はきわめて重要な問題であると同時に︑きわめて困難な課題である︒価格の   

(7)

形成は各企業の収益性を決定するためではなく︑住居の欲望をよりよく充足するように行うぺきだというのがリヒ  

クーの立場である︒いうまでもなく︑このような価格形成ほ自然発生的にでほなく︑国家が価格を決定する権力と  

経済力をもつ結果として生ずるのであ 

る︒なぜなら︑東独のような社会主義国の傾合でほ︑資本主義的セクターが存在していても︑全体からみればその  

割合は相対的に低く︑生産ぼ計画的に行われるからである︑︒つまり高度の生産の社会化ほ市場めあての無政府的な  

生産を克服できるからである︒ソヴュトの経済学者コルニエンコめ指摘するように︑﹁生産の専門化ほ各産巣部門  

︵5︶  

が経済全体のために活動するだけではなく︑またそれに依存するという段階に到達する﹂からである︒   

べーレンスやべナリーのみるように︑国家の経済指導という機能の中に慈恵的な価格決定の可能性があるのでほ  

なく︑経済政策の成功は科学的具体的に決められた価格いかんにか1っ 

用という諸要求に反するならば︑そ︹にあらわれる結果は明らかに患図せる目的に合致しないであろう︒   

周知のように︑価格は価値の貨幣表現であ隼資本主義のもとでほこの価格ほ市場関係いかんによって価値より  

も高くなったり︑低くなったりす驚この変動の基準︑すなわち変動の中心ほもほや狭い意味での価値でほなく︑  

資本の競争によって不均等な資本構成が平均資本構成へと均等化する場合に現われる生産価格を形成するのであ  

る︒   

社会主義的工業はあらゆる生産において総生産の決定的な部分を支配している︒そして価格は社会主義の基本的  

経済法別の作用をたえまなく強化すかために国家によって決定されるのである︒それゆえに︑社会主義の 

資本主義におけるような何らかの価値規制︑価格の自動的調節はなくなる︒   

しばしば計画経済のもとで町価格体系が慈恵的に決定可能であるために︑時間節約の山般鉄則に適合せる経済   

労勘生産性と価格の問題   ︵四三一︶一九一   

(8)

︵四三二︶山九二   第三十二巻 祭事甲五号  

的な諸関係とその発展の貫徹が妨げられると批判されている︒ 

なお社会主義的な計画経済の優越性は根本的には変らないという︒それというのも︑社会主義経済の弱点は資本主  

義経済の敵対的な矛盾とは反対に除くことができるし︑それにまたその克服は社会主義経済を急速に前進させるか  

らである︒だからといつて︑価格の背離を決定する基礎としての価格基準か自動的にあらわれるもので﹀ほなく︑ま  

たべーレンスのl指摘するはどには楽観的なものでほない︒べーレンスによると︑﹁価格は個別的な労働支出に基づ  

︵6︶  

いて決定されるのでほなく︑それらの価値によって決定される︒﹂というのであるい   

リヒターの見解でほ︑多くの経済学者ほしばしば価値を漠然とした︑把握しがたい大いさであり︑せいぜい把握  

されたとしても︑それほ十走の生産物についてではなく︑生産全体についてであるとの見解に立つのであって︑そ  

れにまたかれらほ基礎的な誤りを欠陥として認めていないという︒社会主義のもとでほ︑価値法則ほもはや生産の  

規制者でほなく︑鉄がどれだけ生産されるかは価格に依存しない︒多くの生産物において問題なのほ商品ではなく  

て︑ただ商品の外被であり︑したがって価値ではないと︑いうのである︒リLターほこの見解に反対して︑マルクス  

の指摘を重視している︒すなわち︑マルクスほ︑資本主義的生産様式の止場後も社会的生産が推持されておれば︑  

﹁価値規定ほ︑つぎの意味︑すなわち︑労働時間の規制︑および相異なる諸生産群の間での社会的労働の配分︑⁝・  

︵−︶ 従来よりも重要になるという意味で︑依然として重きをなす﹂というのである︒他の人びとほ︑生産物の所有交換  

が行われるどころでほ︑したがって主として個人的消費の場合にほ︑価格ほ別の経済的な観点から︑つまり購買力  

と商品供給を山致させるように形成されると考える︒このような見解に従えほ︑価値ほ第二次的な関心であって︑  

より重要なのは価格であるとされる︒リヒターのような改革論者はこれを根本的な誤りとみるのである︒   

少くともこのよな立場に立てほ︑価格をタコとして利用するための基礎を失うのである︒なるはど原価を計算す   

(9)

ることによって︑例えば上フクターがどれだけ要資したかを知ることができる︒しかし︑ひるがぇって考えてみる  

と︑この出用にほ過去労働の価格︑つまり全く思った収益を体化せる原料価格.が含まれている︒だから現実にはそ  

れがどれだけ要賀したか︑どれだけの社会的労働が支出されたかを誰も知りえないのである︒マルクスほ﹁商品の  

現実的費用ほ労働の支出によって度量される﹂ことを強調している︒社会主義のもとでは︑どれだけの労働支出が  

生産物に体化されているかを近似的に知ることはきわめて重要である︒少くとも近似的な価値決定が行われないか  

ぎり︑価格は労働支出の測定用具として役立ちえないのであ.る︒   

いま国内市場についてみれば︑原価および価格の不正確性から起る問題︑すなわち販売においてそれに見合った  

等仙物がえられるかどうかの問題ほ︑消塑税−㌢ヴュートでいう紋引税−によって比較的簡単に解決できる︒もしこ  

れが十分高ければ︑なにがしかほ価値以上に支払われたものとみなすことができる︒消費税の意味ほ山走の生産物  

を獲得するさいに︑貨幣の購買力を政治経済的観点から全く意識的に差別するということである︒しかしそのため  

にほ︑購買力の低下に対する尺度を前提としなけれぼならない︒だからこのような方法を用いても︑生産物の現実  

的費用な認識するという問題は避けられない︒   

外国貿易についてはなおさら切こと困難である︒というのほ︑輸出価格がどの範囲にあれば支出はもはや償われな  

いということができるか︒それ匡またどのような輸出品てぁれば︑価値の世界価格に対する比率によって特に有利で  

あるかという判断も安心して行うことができない︒ロー︵謬in旨FRau︶も指摘しているように﹁このような価格形成  

的要因−生産税︑消費税−は生産物のいろいろな中間段階で使用されるから︑輸出機関はどく稀にしか世界価格での  

︵8︶   生産物の輸出が国民経済的に有利であるかどうかを判断しえない﹂のである︒だが外国貿易の本質的な問題ほ︑そも  

そも各国経済における諸生産物間の異った価値比率を相互利益のために利用するということにある︒だからここで   

︵四三三γ一九三    労働生産性と価格の問題  

(10)

第三十二巻 第三り四・五号   ︵四三四︶ 仙九四  

もまた∵定の為替価値を実現するためにほ︑種々の生産物にどれだけの労傲が支出されているかを知る必要がある︒   

さらにまた投資効率の問題においても原価を判断の基準にすることほ不適当である︒例えば︑水力発電所と火力  

発電所のどちらを建設するのがより有利か︑建設用木材と鉄筋コンクリートのどちらを生産するのがより有利か︑  

など鳶いう問題も︑現実の価値とそれによってもたらされる社会的節約の大きさとを蘭定する場合にだけ︑これを  

正しくとげることができよう︒だからいづれの問題もそれを正しく解決しょうと思ぇば︑価値を反映せる価格の決  

定がまず前提となる︒   

社会主義のもとで原価が問題とされるのほ︑資本主義における目的とほ全く異なり︑それは社会の欲望をよりよ  

く充足せるためであるというのがリヒターの見解である︒もっとも社会主義経済といえども︑正しくない価格決定  

を行えば︑基礎となる支出費用が生産物の現実的費用から著しく背離するという可能性が存在する︒社会主義経済  

の全般的な経済能力を規定する労働生産性の問題も現実的費用という観点から把握すべきである︒これについてほ  

さきに指摘した通りである︒   ●  

いま指摘した問題は︑例えば︑機械化や自動化の経済効率を判断する場合に明らかとなる︒機械化や自動化にお  

いてほ︑対象化される労働が相対的に増加するのに︑他方生きた労働は相対的にも絶対的にも減少する︒Lこで問  

題なのは︑過去労働の相対的な増加は価格で示され︑その中に少くとも社会のための生産物−剰余生産物価値1が  

二部分合まれているのに︑他方生きた労働ほ賃銀で示され︑労働者のための生産物のみしか含まないことである︒  

だから原価というような基準を用いるならば︑経済効率ほ低く示されるか︑ときによっては共に効率が高まってい  

ても仙般にほ示されないようになる︒例えば︑いま皿生産物の原価が二マルクの過去労働と八マルクの生きた労働  

からなるとし︑白勧化の採用によってその構成が変化し︑前者ほ七マルク︑後者が二マルクになったとしよう︒こ   

(11)

の場合にほ原価ほ一〇%低下する︒現実的費用を考えるために︑いま仙マルクの質銀で±マルクの価値増加がある  

ものとすると︑社会のための労働と自己のための労働の比率−労働日の分割1ほ﹂射二♪なる︒したがって自動化  

の採用の前後における生産物の価値は︑スマルク︵竿︵鱒×∞︶=こ由︶に対し三;ルク︵冒︵買N︶エー︶とな  

り︑現実的費用ほ三九%低下する︒このように︑現実的費用の票労働生産性を考えるうえで決定的な役割をもつ   のである︒  

本来墟価にほ異質的な鹿分︑つまり社会のための生産物を含む部分・︵M︶が自己のための生産物のみを含む部分  

︵Ⅴ︶に加算されているので告て︑このはぅな加算ほ資本貞義のもとでこそ意味がある︒しかし︑社会主義のも   とではある程度しか労働量の変化を反映しないという限界がある︒これを意識しないでほ労働生産性の諸問題は正   しく解決でさないのであ鷲原価以外に生産性の変化を判断の基準に加えるという主張もあるが︑現実的資用の変  

化ほ労働生産性の変化を計る尺度である1︒労働生産性といってもいろいろな測定がありうるから︑どれを用いるの   がよいか︑念のため説明を加えよう︒  

い孟例を射いて説明すれば︑労働蓋性の嘉ゼハ四%︵縄︺些誉なる︒さらに平均賃銀聖祭変と  

みなせば︑生きた労働の支払いほ八マルクからニマルクに低下するから︑これについての生産性の向上ほ三〇〇%   となる︒だがこれは労働生産性の尺度とするにほ大いに問題がある︒ここでほざらに山つの相異が指摘される︒す  

なわち︑生産物全体についてみると労働生産性ほ仙六四%となるが︑他方この生産物の最終生産段階あるいはその   企業だけみると︑それほ次のように計算される︒  

㌣  

労働生産性と価格の問題  

㌢−わー+き   

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い当貰  

︵四三五︶一九五   

(12)

この式における等は︑−1生きた労働の支出︑Sl過去労働の雷︑添字は時点嘉す︒次窟段階の蓋性を   総托的に示すが︑簡単化のため前段階ではいずれも生産性に変化がなかったとして総括指数な計算する︒その結果  

ほ次の通りである︒  

この計算では過去労働と生きた労働の換算のため︑価格は価値に照応せるものと歪している︒以上の説明によっ   て︑国民経済的に望ましい︑計画的な価格の価偉からの背離を決寄るためにも︑あるいは原価の比較では限定さ   れる種々の蓋方法や投資効率を判断するためにも︑蓋物の価値嘉似的に確定することが必要である︒リヒタ   ーの考えほ︑要するに︑価値と価格の根拠のない背離を解消することによって︑社会的労働の測定蓋しく行うと   いうこと︑つまり価格の測定用具の機能を活用すべきだということに重点がある︒   

︵l︶ 邦訳﹁経済学教科酋﹂七六五ぺー汐    ︵2︶ F.Be旨s盲m2r量em計⁝u苫書g爵On呂ischerGese−Nin賢旨gangsperiOdニnWirtsc琶s・  

wissensc芦∽.S邑erb草S・−亭室A・旨ary盲Grundpr蔓em2nde→p蔓scF2nぎnOmiedesS02−a−ism宏   第三十二巻 野手由・五号  

︵3︶  

︵4︶  

︵5︶   ー00×ひ.研+当ひ×沌  

inder昏erga品名eriOde一a.a−〇・■S・のN・芝・  

G.誉imey童nige句ra笥derp−anm誉enAusnu−Nu品derW2r−fOrme⁝nddesWertg2Set22SinderP2ri・  

〇dedes昏ergangs2mSO邑ismus箋i誌chaI−swIss2nSC邑−・Nr・N\宝の﹀S・富  

戸Luck盲merk羞2nNumAr−ikel喜賢妻hトNum2rOb12md2rA琶喜ngぎnOm−SCherGeset詣inder  

昏e毒angSperlO乾∵∽・SOn計旨eftS・軍−声  

ぎ旦enkOい旨:enCFa堅2ニerwarenprOd仁旨2ndenArbel−inSO註smus・SOWjetwiss2n邑aft這2ft    ∽.∽   − 

l−−澄故  l 

︵四三六︶一九六  

(13)

三   

枚会主義のもとでの価格ほどのような基準によって決定されるであろうか︒もとよりこれは価格形成の三要素  

C︑Ⅴ︑Mの算定問題である︒いうまでもなく︑CおよびⅤ部分の決定ほそれ自体重要な問題であるが︑ソヴヱト  

の論争でほそれにもましてM部分をどのように算定して︑価格の中に含ましめるかに主なる関心があった︒これに  

ついてほ岡稔氏 ︵﹁経済研究﹂︑一九五八年四月︶ および望月喜市氏 ︵﹁フェビアン研究﹂︑一九五八年九月︶ の論文  

にそれぞれ詳細な説明がなされている︒   

ソビエトの論争の結果をみると︑﹁分化した収益率﹂の支持者を除けほ︑単一方式によって価格計算を行うべき  

だとする主張ほ大別して三つある︒すなわち︑それほ社会の総剰余金価値の部門価格への分配をCとⅤに比例して  

行うぺきだとする考え方と︑専らⅤにのみ比例させようという主張と︑両者の折襲説とである︒第一ほ生産価格説  

であり︑第二ほ価値説である︒価値説の立場は︑生きた労働のみが価値を創造するという労働価値説の周知の倫題  

から出発して︑何らかの方法でM対Ⅴの比率を計算し︑この比率を各生産部門の実際の賃銀に乗ずることによって  

Mを算定し価格を価値に⊥致ぶせようとするのであって︑この方法によって正確に投資効率を測定し生産成果を測  

定するこ上がで 

労傲生産性と価格の問題   ︵四三七︶一九七   

甘 了 甘  

\J 、−′  )  

モー誤↓一S●会∽・  

BeFrens.Ar訂itprOduktiまt芦LOhnentまck−u扁喜d Rentab山≡芦SLNP  

﹁資本論﹂滞三巻一二〇〇ページ  

H.河pu﹀Nu einigen Fragen derく01kswirt告baft−ic訂nR011e仁ndBedeutungunseres Au野口訂ndeFinEinFeitい  

Heft N\−∽当︶SL韻什  

/  

(14)

が︑づヒクーほまずこの説から検討を始める︒  

リヒクーはまず初めに︑総生産費を加算基準 ︵N宏CEa的Sbasis︶ とする計算方式ほことごとく実践において労働  

価値説を軽視するものであり︑総生産費が塵準にされないまでも︑そもそも対象化された労働の一部分を加算基準  

に含ましめるならば︑同じことがあてはまると批判する︒この意味でほリヒターほ価値説の立場に全面的に賛成す  

渇か・にみえるのであるが︑後では生産価格説への接近を試みるから︑必ずしもそれに固執するわけでもないように  

考えられる︒   

リヒタ一によると︑誤った討算方式が用いられるときには︑関心ほ専ら高価な原料を加工することに向けられ︑  

また︑価格決定の基礎が明確でないと︑原料の投入も厳重でほなくなり︑結局のところ︑高価な原料が使用されれ  

ぼされるはど︑加算基準も大きくなり︑その結果生産物血単位あたりの収益もますます大きくなる︒   

確かに高収益ほ望ましいにほ違いないが︑その場合にほ社会全体がそれな負担しなければならないこ∴Lにな′り︒  

これほまた他の倒によつても示される︒いま指摘したような計算や価格形成の方法が用いられるならば︑原料の使  

用患と生きた労働の支出が同山であっても︑生産段階がより多く分割されるはど︑生産物は高価となる︒リヒター  

ほこれを説明するために︑生産物は三つの段階を経て初めて完成するものとし︑単純化のため減価償却と補助習用  

を拾像する︒   

いま現実的穀用が山定である場合に︑統合を行えは計算ほどのようになるであろうか︒三部門の合計額ほ︑Ⅰ+  

肖十苧共ざ菰蜃十︵望+00○十雷︶油層1−監○十琶竣1i謡∞となる︒仙見したところ︑統合は国民経済的な観点からみ  

てまことに有利であるかのようにみえる︒なぜなら︑利潤加算率ほ前と同様庵のに︑価格は三六〇から二八八に︑  

二〇%引下げられるからである︒はたしてそういえるだろうか︒リヒターほこのような計算結果を誤った前提にも    第三十二巻 第三・四・五号   ︵四三八︶一九八   

(15)

加算率 価格  

十 20% =120  

+一20% 蒜240  

+20% =360  

γ一 ゾツ √㌦  

銀0 0 0 賃3 8 6  

トト  

7︒  12 

工 Ⅱ Ⅱ   ︒  ︒  12︒ 

①  原料  賃銀+加算  

Ⅰ  70+30×1706=1212   

Ⅱ1212」−80×】.7d6=257 7   

Ⅱ 257り7」− 60 ×1706 = 360.0  

労緻生産性と価格の問題   ︵四三九︶ 〟九九    ︑  

3   とづくものだと断定している︒ここでの節約はすべて社会のための生産物︑つ蒼りM部分を犠牲して   いるのである︒賃銀=自己のための生産物ほいづれの場合にも一七〇であるのに︑他方社会のための   生産物ほ︑生産段階を分割したときにほ一二〇︑統合したときには僅かに四八となる︒い.いかえれ   ほ︑実現されるM.部分ほ六〇%だけ低下するのである︒しかし︑生産の統合によってほ価値︑すなわ  

ち商品の現実的費用は全然変化しないのである︒三六〇の価格が価値の貨幣表現に完全に照応して  

いるとみるならば︑平均的な生産条件と労働に応じた支払いがなされている場合には︑賃銀山単位あ  

票二 

れば各段階の価格ほ①のようになる︒   

価格がこの表のように決定されると︑新価値の生産と実現ほ同じ段階においてなされる︒かりに総  

生産費を基礎とした加算計算五行うのであれば︑最終段階のみで価値が実現されることになる︒つま  

り︑この段階において実現される価値と生産される価値の差額は山七・七 ︵誓苛・↓1迂○=−↓.q︶ であ  

る︒前の二つの段階でほ逆の関係が成立することはいうまでもない︒現実的な労働の節約がないかぎ  

り統合してみても最終価値三六〇には何ち変化ほない︒   

これに対して総生産費を加算基準とすれば︑この場合にほ当然のこととして社会的な生産組織が変  

化するから︑﹁分化した収益率﹂かエ疋めて︑これによってMを各部門に配分することを主張する︒リ  

ヒクーほ︑血応この主張にほ同意しながらも︑い︑つたいその区別などうして決定するのであろうか︑  

と反間している︒恐らくこの論証を与えることは困難であろう︒明らかに︑過去労働部分と生きた虜  

働部分の割合いかんによって原価の構成も変るLには違いないが︑それ以外に価値説の諸要求を考慮し  

(16)

第三十二巻 第三・四・五号  

/  

︵四四〇︶二〇〇  

ているであろうか︒だから︑リヒターのような改革論者にと?ては︑﹁分化した収益率﹂を用いても︑結局のところ︑単  

一方式によるよりも計算が挽雑化する.だけで︑それ以外に何ら経済上の利益はないとして︑この見解をしりぞける︒   

そのうえ︑価値額と価額の等置ほ︑それぞれの生産物が価値通り実現されるか︑最終段階のみを考慮するか︑あ  

るいほ価値生産物に限定するか︑三つのうちの仙つに限るときにのみ有効なのである︒生産段階を統合したときに  

はこのことほあてはまらない︒前の二つの例を比較すると︑最終段階の価値は三六〇であって︑価値牲産物も同じ  

劇二〇であるが︑価値生産と価値実現ほ部分的に崩壊するため︑価値総額と価格総額ほ互いに背離してしまう︒そ  

こで次にほ︑Ⅴ対Mの算定基準を順次検討してみよう︒   

第一のケースについてみると︑いま満たように価値総額と価格総額について︑これが山致するという仮定ほ非用  

に疑問である︒それというのも︑一産業部門の内部で他の諸部門において生産された価値が実現されないかぎり︑  

最終生産物のみが必然的に価値通り売られなければならないからである︒その場合の価格総額はそれぞれの中m的  

な評価に︑したがってまた︑これらの部門内部での段階間の諸価格によって左右される︒前段階において価格が生  

産された価値部分を実現しておれば︑価額ほそれに照応せる価値額を超過し︑また実際にそうであるように︑前段  

階の価値成分が次段階で実現されるとすれば︑価額はそれに照応せる価値額以下になる︒   

最終段階の価格を考慮して︑それを価値額と等置する可能性が理論的にほ残されている︒ここでいう最終段階の  

概念ほまた問題なのであって︑生産物が生産的消費から分離されて初めて正当なのである︒いま考慮されるのは個  

人的消出に入り込む生産物だけであるから︑消費財の価格によってⅤとMへの生産物の現物的な分類がなされる︒  

この価格によってどれだけの社会的労働が労働給付の代償として受取るかを事実上決定する︒いいかえれは︑労働  

者の賃銀と消費財の価格とが︑生産手段の価格水準とほ無関係に︑社会的総生産物に対するかれらの分離を決定す   

(17)

るのである︒これが第二のケースである︒ 

ってMを算定すれば︑個人的消費への移転にさいして商品全体ほ価値通り実現されると正当に主張できるのであ \   リヒタ一に従えば︑このような方法でM対Ⅴの比率を計静し︑この比率を各部門の実際の賃銀に乗ずることによ  

る︒実際になされた労働時間仙単位あたりに還元される社会的労働の格差ほ相当に大であって︑パンの場合は靴山  

足を買うよりも何倍も払いもどされる︒だ.から決定的なのほ消費財に対する貨幣の平均購買力である︒リヒターの  

主張は︑生産財価格は価値以下にあり︑︑消費財のそれほ価値以上にあるということでほなく︑消費財の価格ほ.部  

は価値以上にあり︑また他の二部ほ価値以下にあるが︑平均してみるとそれらは一致するというのである︒これが  

リヒターの中心的な考え方で透る︒周知のように︑この問題についてほ経済学者の間に統一した見解がない︒他の  

見解によると︑両部門の貨幣の平均購買力を価値展示の基礎にすべきという︒現行制度のもとでほ︑このことほ生  

産手段の価格が平均して価値以下であるのに︑消費財の価格ほ平均して価値以上にあり︑しかも後者についてほ価  

値以外に加算額も実現されるということを意味する︒したがって︑この見解をとるかざり︑その価値がとこで生産  

されるかを明らかにする必要がある︒貨幣形態であむわれる加算額はその物的︑価値的な等価物をもたなければな  

らない︒とほいっても︑この問題ほ決定的な意味をもつのでほなく︑価値決定の問題を解決するさいには︑賃銀が  

変化しなければ︑購買力と商品フォンドを近似的に小致させるよう必要な加算額だけ消費財価格を引上げるという  

にすぎない︒   

ところが実際にほこのような計算ないし計算方式は︑生産手段と消費財がどれだけ社会的労働を含むかを説明し  

ないかぎり︑それほ失敗に帰する︒なぜなら︑本来決定さるべきものが同時に前提され︑循環論法に落ち入ってい  

るからである︒これがリヒクーの主要な批判点である︒  

労働鎮座性と価格の問題  

︵四面二︶ 二〇山   

(18)

第三十二巻+男三・四・五号   ︵四四二︶二〇二    そこでかれは第三のケースを検討する︒通常純生産物ないし国民所得ほ有効な価格で確定できるし︑それにまた  

実際に行われる生産的時間も少くとも評価しうるのである︒リヒターほさしあたり生産的︑不生産的労働の区別を  

しないで︑直接生産分野で働く不生産的労働者警﹂れに含ましめる︒このような手続を終ったあと︑国民所得と労  

働時間数というこれら二つの大きさから︑平均的な仙労働時間内に生産される価値生産物の貨幣表現む把握する︒  

この計算方法症労働対貨幣でなく︑貨幣対貨幣によるものであるから︑これによって労働の質的差異な区別す曽﹂  

とができる︒ただしこれを阻害する要因がないでもない︒すなわち︑∴地域による区分︒二︑ノルマの質的差堀ハ︒  

三︑種々の産業部門における同一労働に対する支払の差異︒四︑貸銀ないし給料グループの正しい区別の動揺︒こ  

れらの条件があるために︑計算上の正確性ほ多少失われるが︑それにしてもⅤ対Mの比率の算定にとって有益であ   ると考えられる︒   

この計算を行う場合にほ︑個々・の部門において使用された過去労働の価格の大きさに︑賃銀フォンドを基礎と 

して算定した純生産物︑つまりこれらの部門の価値生産物を加えることは正しくない︒新価値ほ這誤差内で正し  

く示されるが︑リヒターの例のように︑各段階へ波及する計算でほ︑過去労働に対する古い価格がそのままであ  

− れば︑過去労働ほその価値表現にお小て修正されないから︑貨幣表現ほさらにまた価値を十分に示さないことに  

なる︒価値への接近において過去労働の貨幣表現の変化を考慮するにほ︑別の方法によらなければならない︒リヒ  

タ1ほそこで生きた労働と同様な労働時間あたりの価値創造を基礎としても差支えないものと考え︑その理論的根  

拠をマルクスに求める︒すなわち︑﹁各商品の価値ほ十−卜したがって資本を構成する諸商品の価値も︑−その商  

︵1︶ 品そのものに含まれる必要労働時間によつてでほなく︑その再生産に要する社会的必要労働時間に制約されるご   

このことほ当然価値の貨幣表現にもあてほまる︒あらゆる生産は同時にまた再生産である︒リヒターほ社会的生   

(19)

A B   −C   商品生産  1100016800 37500   実現された純生産物 214?428021400  

(価値生産物)  

産の相互速けいと相互関係を正しく説明するものとして︑産業連関モデルを構成する︒この速けい関係を明らかに  

することは︑特に国民経済の計画的な︑ 

相互間の速けい関係を示す均衡体系を構成することによ︑つて︑﹂部門の生産変化が他部門にいかなる茸響を及ぼす  

かを知ることができる︒このよう成して作成される図式は︑相互間の影響を含まない種々の生産手段の個別バラン  

スの痍合よりも説得力があるとリヒターほみている︒ 

︵2︶   であり↓ごく最近の例でほ︑オ︑スカー﹂畠/ソゲの﹁支出と生産のバランス﹂が注目される︒  

④  

労働生産枠と価格の問題  

A部門 B部門 C部門  純生  商品   か ら か ら か ら  産物  生産  

A部門 5500十 3360+  0+ 2140=110bo   B部門 3300十 6720+ 2500+ 4280=16800   C部門1100十  0−ト15000一卜21400=37500   総 計 9900十10080十17500+27820=653bo   

リヒターは説明の便宜上三部門の連けい表を使用するが︑議論の水嚢はこれによ  

って何ら変らない︒これらの三部門の関連ほ価格基準によつて示される︒総生擢と  

価値生産物ほ②の通りである︒   

相互速けい関係は㊥のような構成を示す︒   

いま新投資︑余備の増大︑社会的消費の物的支出などのために︑A部門から厄  

叫一〇〇︑B部門から三三六〇︑C部門から五〇〇〇︑それぞれ控除され克とする︒   

個人的消費のための商品は価格で血八三六〇︵付記琶Ⅰ︵00十∽駕○十∽き○︶\とな  

るが︑ただし商業利潤ほ考慮しない︒いま賃銀に山三丸山○が支出されるとすれ  

ほ︑残りの部分ほ派生所得によってまかなわれる︒その額ほ四四五〇である︒この  

関係から次のような比率が求められる︒  

個人消費者蓋に占める臥合は﹁ケ四%︵鮎粥︶   純所得の割合は四二・六%   一㍑川⁚.⁝∴⁚⁚一  

︵四四三︶ 二〇三   

(20)

④0.5A+0.2B+  OC+2782×2==A    O‖3A+04B+0、P67C−ト2782×2=B   

Oい1A+OB」一  0い4C+8346×2=C  

第三十二巻第三・四・五号  

個人消費の純蓋物に占める割合ほ六五﹂九%︵両㈹関︶  

賃銀ほ次のような額で各部門に支出される︒  

A=二七八二︑B=二七八二︑C=八三四六  

貨幣賃銀あたりの実現される社会のための生産物ほ︑  

A=1?誌. 厨ル〇.会  c=−.琵  

となり︑平均すればM部分ほ一三九仙○であり︑Ⅴ部分も同じ一三九仙○であるから︑その比率は一となる︒   

いま指摘したような価値生産と価値実現の問題ほ国営企業に関するものである︒実際の研究となると︑・取引税そ  

の他の加算金を含む個別部門の総生産額から原価が差引かれるから︑原価もMが占める構成比によつて修正され  

る︒・総生産額と賃銀支出をもって修正される原価との差額を対比することによって︑この部門のⅤ対Mの比率が封  

算される︒   

前に述べたように︑生産された新価値ほⅤに比例するものと考えるから︑均衡状態が成立するために  

ほ︑④の関係がなくてほならない︒   

この均衡式のように生産された価催生産物の代りに実現された価値生産物をおきかえれば︑本来の数  

字ほ放棄しなければならない︒∵リヒターが近似的な価値決定という理由ほ実にここにある︒この均衡体  

系の解は行列式計算によって簡単に求められる︒原則的には部門数がいくら増加しても︑電子計算機に  

ょって解が求めちれるかぎり︑特別の困難ほない︒某ヒターの研究はまだ過渡的なものと考えられるが︑  

それにしても産業連関的手法を用いて価格形成の原理を追求する点はわれわれとしても十分注目に低い  

するものである︒ソヴュトにおけるこの種の研究がどのようなものか詳細ほ知らないが︑ポーランドを    ︵四四四︶ 二〇四  

(21)

⑥10140+4576+ 01−5564ニ20280    6080+9152+2080∽卜5564ニ22880   2280+ 一0十12480一ト16692ニ31200   18252+13728十14560」−27820ニ74360   

G)岬0.5A+02B・十 OCご−5564   03A_06B+0‖067C=−5564   0、1A−ト OB−0・60Cニー16692  

労働生産性と価格の問題   除けば︑恐らく東独でこの間欝先鞭をつけたのはリヒターその人であると思われる︒   ところで前式からA︑B︑Cそれぞれの均衡をる求めると⑥︑   したがって︑   

綽+蔓×串︶干窮︶11聾  

すなわち︑Aの均衡値ほ二〇二八〇で雪︑BとCも同じ手法によそ苛二二八八〇︑C豊三   〇〇となる︒これを上式に代入すれは︑均衡体系ほ⑥のように示される︒  

前と同じょうに蓄積率亙の他が維持されるとすれば︑Aは二〇二八︑Bほ四五七七︑Cほ四宗○を  

それぞれ控除七なけれぼならない︒したがって︑派生所得を含む個人的消費ほ壱〇五六︵当箆〒  

︷罠竿金言十竃○︸‖‖=−さ警︶となり︑前と同じように各比率を求めると︑  

純所得の割合ほ三七・五%  

個人消費の総生産に占める割合は二二・八%  

J個人消費の純生産物に占める割合ほ六∵三%   となる︒との比率の中でも総生産に対する比率はさして重要でない︒というのほ︑その大きさほ絶    一   睡   ∽   一句   

−   一句    1.    ひ  

○  

ご− −  

一−︑  

−㌦ −S lン .可ぎ      可ひ○   

ゆ⊥   研一  

Dゝ   ト∵望器−  −爪革監  −−嬰双蒜  

︵四四五︶ 二〇五   

(22)

第三十二巻 第手甲喜子   ︵四四六︶二〇六   対的な生産水準のみならず︑社会的分業の構造によってまた影響されるからである︒それにまた商品生産の増加  

ほ︑あくまでも目的に対する手段にすぎず︑それほ総生産物とそのために使用される過去労働との差額︑つまり純  

生産物を最大限にするための前提であり︑また結果なのである︒いいかえれば︑この純生産物の大きさたけが決定  

的なのであり︑結局経済計算制の本質的な意義もこの点にあるとヅヒターほ指摘する︒   

この結果を基にしていろいろのことが主張できる︒主としてC部門において生産される消費財が実質的に価値以  

上に売られるならほ︑その額は小となり︑そして商品供給がもほや十分でないとすれば︑高められ︑た購買力と這  

不変の質銀が等しくなるように︑派生所得ほ切1げられるであろう︒そして事実上ほ︑純所得から物質的財貨に対  

する同じ大きさの物的支出を差引けは︑それに応じて残額も少くなる︒このことほ労働生産性の向上なしには国家  

ほ実質賃銀の引上げ.をなしえないこと︑あるいほ他面において縮少が行われないと旗質賃銀の引上げは可能である   ことを証明する︒   

ここでほどのような関係があるかをみよう︒価値の評価ほ貨幣の平均購買力の基礎となり︑購買力ほ価値の貨幣  

表現に依存する︒最初の例でほ︑尋均一時間労働につき賃銀ほ二マルクと仮定きれており︑それがまた二マルクの  

剰余生産物価値を生むとしたから︑一マルクでほ言分の労働がえられる︒この関係ほ本来の数字に対しでも︑ま  

た換算されたいづれの場合にもあてほまる︒しかし︑個人消費者の手にある貨幣は平均購買力以下であり︑C部門  

でほ妄000の価格をもって山二四八〇の価値をうるにすぎないが︑他方早部門をみると︑そこでは三三6の  

価格をもって四五七六の価値を手にする︒この結果︑C部門でほ一〇〇〇の価格をもって八三二の価値︵この封算  

ほ峯00ひN︶を︑また欄部門で咋﹁000の価格をもっ至芸ハ右価値をうることになる︒全体毒均す  

れば︑仙000の価格ほ九二九の価値に照応することになる︒   

(23)

それと同時に︑いまや労働日の自己および社会の 

対一・一息三となる︒この計算を説明しよう︒二〇〇Qの価値生産物に対して労働者ほ一〇〇〇の賃銀を獲得し︑.  

これでもって九二九の価値ある商品を購入するから︑社会のための生産物としてほ一〇七山の価値生産物が残され  

る︒この関係から︑眉ニミ㌃−こ﹂諾が計算される︒いま労働者が獲得する価値が事実上純生産物の半分を占め  

るものと想定しょう︒このことは明らかに名目賃銀が仙定不変であれば︑それに応じて実質賃銀が上昇することを  

意味する︒労働生産物の分割が変化する上述の計算でも別段価格関係にほ何ら変化ほ起らない︒変化するのは︑要  

するに︑価値の貨幣表現だけなのである︒この点は誤解してほならない︒いま計算された生産物のすぺての価値に  

∵〇七六を乗ずれほ︑賃銀が一定に維持されるから︑商品供給量は最初の例における仙八三六〇の価格となる︒  

このようにしてえられる価値ほ都合よくいけほ︑労働日の分割によって決められた価値の貨幣表現に照応するであ  

ろう︒この計算によると︑購買フヵンドと商品フォンドを山致させるために消費財価格の引上げが必要ではなく  

なる︒   

これに関連してしばしば社会の純所得が叫定であるかぎり︑労働生産性ほ夷質賃銀よりも急速に上昇しなければ  

ならないと主張される︒しかしながら︑価格が∵足不変で︑賃銀の増加が純労働生産性と同じ大きさで上昇すれ  

ほ︑純所得も苗二率で増加していくのである︒いま名目賃銀が脚定で労働塵産性が向上していくのに︑これと同じ  

大きさで生産性の向上に逆比例して価格が引下げられるとすれは︑純所得の価値表現は何ら変化しないで︑物的な  

生産壷が生産性とともに増加するようになる︒これとほ反対の極端な場合にほ︑労働生産性の向上は実質賃銀の増  

加に吸収される︒これほいづれも抽象的考察にすぎないが︑現実にほ第山部門の優先的発展が必要とされるかち︑  

労働生療性ほ実質賃銀よりも急速に上昇しなけれほならない︒  

労働牡産性と価格の問題   ︵四四七︶ 二〇七   

(24)

︵1︶﹁資本論﹂第三巻 〟二七ぺージ二一八ページ   

︵2︶ OskarLange﹀Ba一a房邑rati童puS打apr︒d仁ktsii︵BalanceOf七邑aysandOutputOfPr︒ductiOn︶−汐00・inか  

S05etStudies﹀Apri=誤¢らp・∽箋・憲∽・ツァクパーマンの紹介が﹁ソヴュト研究﹂紙上になされている︒  

四  

従来の見解でほ︑生産手段の価格が低く︑消費財の価格が高いことはむしろ経済発展のために有利であるとされ  

てきた︒いいかえれば︑統制用具ないし刺戟剤としての価格の概能が重要視されてきたのである︒これに対して︑  

ソグヱトにおけるクロンロードやストル︑︑︑り/ンやマルイシェフらの改革論老と同じように︑リヒターもまた測定用  

具としての価格の機能を重視して︑現行制度でほ労働支出日貨の変化を正しく反映しなかったと批判するが︑それだ  

けを強調するわけでほない︒東独の現状をみると︑原料状態が緊迫しているため︑これについての節約がいまや中  

心問題とされている︒このような重大問題をひかえながら︑価格が低くかったために︑その節約は最天限に利用さ  

れたとほいえない状態である︒この点では統制用兵としての価格の機能を重要視しているとみてよいだろう︒   

さきに指摘したが︑原価からみた投資効率は必ずしも経済全体の効率をあらわすものでほない︒従来の価格体系  

のゆがみから︑経済全体の純所得をたかめるうえで決定的な意味をもつ︑いわゆる原料節約のための投資ほ稀にし  

か実施されなかったようである︒それにまた価格が低かったことか宮原料在庫の調整も十分にはなしえなかった  

ことなど︑束独における特健事情がその背景に考えられる︒   

そのうえ東独のような過渡期の経済では︑価格関係がもつ特殊な意義も無視できない︒というのほ︑主として消  

塑財生産に使用される生産手段ほ資本主義的セクターから購入されているからである︒だから︑国営企業で生産ぎ  

れる価値の二部分は私的企業で実現されることになり︑したがってまた︑国営企業で働く労働者ほこのような方法    第三十二巻 第三・四・五号   ︵四四八︶ 二〇八  

(25)

で資本家の利潤のために働くという結果になる︒なるはど︑それ相応の租税政策によってこのような現象は修正さ  

れるが︑むしろ生産手段の価格を引上げることが全体にとってより有効な統制用具となるというのがリヒクーの主  

張である︒この意味でほ︑リヒターほ価格の二つの機能−測定用具と統制用具としての価格の機能仁を必要とみる  

ソヴJトの通説と異なるものではない︒  

以上のようなリヒターの主張に対しては︑当然のことながら批判があろう︒その根拠ほ生産手段の価格を引上げ  

ると︑その結果生産手段の結合は法外にたかまり︑企業の原価も増加して︑新投資を行うのに多額の蓄棍を必要と  

することである︒この点についでリヒクーほ︑たとえ生産手段の価格があがっても︑それほ帳簿上の問題であっ  

て︑純粋な評価問題にすぎないという︒いわば現行の生産手段はこれによって平均的な購買力を評価がえするにす  

ぎないが︑他方原価のとうきは前段階の諸部門におい七生産される価値成分が全く実現されないことを示す︒また  

新投麿についてみれぼ︑あらゆる機械や鉄鋼により多くの生産手段が使用されるから︑そのため製造企業は必要な  

生産手段のとうきの大きさだけ純所得を増加せしめる︒ぃというのほ︑この方法によれぼ生産される価値はよ少早く  

実現されるからである︒生産手段の価格を引上げても︑国家ほ従来と同じ規模において任務を遂行できるとリヒタ  

ーほみているが︑それを漸進的に引上げるのか︑あるいぼ﹁度に署当な水準に引上げるのか︑必ずしも明確では  

ない︒   

この結果︑個入消費者の手にある償幣の購阿見力に比鮫して︑国家の手により多くの購買力が帰せられる︒ただ国  

内経済への影響だけをみると︑生産手段の価格引上げによる変化は︑現実の社会的支出のそれではなく︑計算制度の  

その反映に関係するだけであるから︑高い価格による反映は現実をより正しく示すものとリヒターは考えている︒  

前述のように︑商品に対する社会的支出は前でも後でも同じなのだが︑ただ投資効率−これほ外国貿易にもあてほ   

︵四四九︶二〇九    努働生産性と価格の問題  

(26)

︵四五〇︶二一〇   堅一宇二巻 第手四立号  

まる卜はいまやより正しく判断される︒そして時間節約の法則がいっそう作用する可能性が与えられる︒   

以上の議論においてリヒクーほ︑価値説の立場をと?てきたが︑それは一面的であるとして︑次にほ生産価格説  

への接近を試みているぞの意味ではマルイシェフあたりに近いとも考えられるが.︑かれ自身何も語っていない︒た  

だ価値説によって与えられる諸関係はさはど影響されないとみている︒いま生産のために投下される固定フォンド  

を垂二五〇〇とし︑それに対する償却率を七・六%とすれば︑償却フォンドほ四〇六六になる︒投下される固定フ   ■ オンドとそれから生ずる償却額ほ次のように配分される︒  

⑦ A  

B   C   

⑧ AlO800+4701十   B 6480+ 9402+  

C 2160+  0+  

2782×1.6== 4451.2   2782×1.6== 4451.2   8346×1.6=13353.6  

0+4451.2+1647.8=21600   1845+4451い2+1326い8=23505   11070+13353.6+1091.4=ニ27675  

915十22256い0+40660   19440十14103十1  

れるか明らかでほない︒したがって各部門の純生産物は⑦に示される︒  

均衡を維持するためにほ︑Al−二一六〇〇︑Bl−二三五〇五︑C=二七六七五となる︒  

A︑B両部門でほ投下フォンドが相対的に大きいから︑価格構造もまたこの二つの部門の  

価格がたかくなるように変化する︒そして部門間の連関は⑧のようになる︒  

前と同じ割合で蓄積と社会的消費が行われるとすれば︑A=二仙六〇︑R㌻=四七〇一︑  

C旦二六九〇が純所得から支出されるであろう︒したがって︑個人的消費ほ一五七七山  

︷︵琵陀諾十き霊︶1︵巴雷十彗○−十望減岩︶=−笥ご︶となる︒賃銀が副定不変であれば︑個人消  

費として使用される本来の商品価楓一八一三ハ○との差額二五六九ほ︑これらの商品に対す    固純じ斗ヾ﹁  A=聖霊匝  

B=−可畠田00  

C=−A00の¢  

その結果︑Ⅴ対Mの比率ほ減少して︑   海嶺温 −芝q.00  

ー加持の.00  

ー○望.h  

山対心から一対〇・六となる︒これがどうして導か  

(27)

る消費税として使用される︒   

個人酌消費の物的大ぎさはこのため変化するわけでほない︒最初の例に比較すると︑現実の分配関係が泉質的に  

ほより明瞭に反映される︒ただその間に若干の差があるのは︑固定フォンドが投下されているため︑A︑B両生産  

物ほ価値説よりも幾分大きく評価されるからである︒   

このようにしてえられる価格構造ほ︑リヒタ一に従えば︑多年にわたって妥当性をもちうるし︑労働の測定用具  

としての価格の機能もたかめられるというのである︒このような価格を維持する場合にほ︑労働生産性の向上によ  

?て純所得が増加するにつれて︑消費税の引下げ︑あるいほ部分的にその改訂が行われるのであろう︒   

ここで注意すべきことほ︑価格水準の絶対的な大きさほ時間節約の実現にとって唯一の決定的な意義をもたない  

ことである︒経済的な決定において経済全体にとってもっとも有利な生産方法︑投資効率を判断するためにほ︑種  

々の生産物の価格関係が労働支出に応じて変化することが必要である︒以上においてリヒターの主要な見解をみて  

きたが︑ここでの価格形成の問題ほあくまでも原理的︑舶象的な段階でのそれであって︑実際に価格の改訂を行う  

ためにほまだいろいろの中間的な操作を必要とするのであろう︒価格改訂の具体化の問題ほ将来に待つとしても︑  

なお︑原理的には若干の疑問が残される︒第∴に︑リヒターは価値説と生産価格説の関係をどう理解しているか︒  

また第二にほ︑生産価格説による場合︑ソヴエードの論争と関連していかなる算定方式を採用しているのか︒われわ  

れにと.ってほ︑この二点が理解できない︒これらの問題は︑紙数に制限があるため︑他の機会に再び検討すること  

にしたい︒  

労働生産性と価格の問題   ︵四宕二︶二一一   

参照

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