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吉岡潔

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(1)

Timaeus 29B‑D に付て

吉岡潔

1.友votp叩iC①に付て内容が異った二つの叙述があるMenon 97E6‑

98A8. Phaidon 75E2‑8c両者は共に想起が魂の不死転生と云うことから出 発しているものと述べている事は同一である(Menon 86 B. Phaidon 72E‑73A〕O併し次の点で異っているD㊥前者では想起が8bEα (思い倣し) と直接に関係して思い倣しかその前段階として存在しその上で,きTttarTinrj

(知識)がそこから生れる。後者ではハイドロス篇C249B6‑C4)④と同じ く,思い倣Lと云う言葉には触れることなく,戊icrdrjcric; (感覚)と知識との 関係として想起が述べられているO知識はイデアの知であり思い倣Lとは別個 rのものとして用いられていることは否定せられぬとしても,④知識と思い倣

Lと想起の三者が如何なる関係にあるか充分明白にせられているとは考えられ ない。メノン篇C98A)によれば思い倣Lは原因の推理が結び目となってそれ がやがて知識に転化すると云う。同じ様なことがノヾイドン篇(96B4‑8),政

捨家篇(309C)にも述べられているが前者は疑問文となっていて積極的には 受けとれない。㊥後者では神的思い倣Lと云う語を知識と云う語に解すべき か、の疑問を残している。叉,テアイテトス篇(201C‑202C)では,思い倣L にロゴスの加ったものが知識であるとの主張が解明せられないままにこの命題 は育てる痛値がない(210B, 160E)として不明の裡に終局している。この事 は知識と感覚,イデアと感性的存在,存在と生成運動の対立分離を読みとるべ きであるとの論である,テアイテトス第の示す所は知識を感覚的客体から抽象 するあらゆる試みの失敗の証明である(Corn ford, Plato's theory of Knowledge,p.162‑3)ということを意味するのではないとしても,思い倣L と知識の問に(内容不明な)ロゴスと云うものをおいて,前段階,後段階の関

(2)

係を読みとることが出来るか否かは,饗宴篇C202A)の内容の場合と同じく 直ちには解決せられないo所がハイドロス籍の‑叙述C249B6‑C4)の内容に よれば,想起には思い倣Lを容れる余地は考えられないO想起の本態は思い倣

Lとは無関係に成立すると考えられる。併し又そのすぐ後で(250A)地上魂 の想起に伴う労苦が述べられている。

このような色々に解釈せられる叙述内容の解明が問題となる。思い倣Lは感 覚に関連することは初期以来のものである㊥が特に感覚に記憶が加って感覚と 記憶から思い倣Lは生れると述べられているものがある(Theaitetos 209C Philebos 38B)Cそうすれば想起に付て次の二つのものが成立するであろう。

即ち,感覚一記憶一思い倣し‑知識と云うメノン筈の示すものと,感覚一知識 と云うハイドロス荒の示す内容とが成立するo而して後者には次のものが附記 されている。想起は悦惚,神の霊感,狂気なしには成立しないC249C sq)c 神の霊感によって神にのみ許される所の思惟の統一と感覚の多様の綜合,感覚 の雑多から推理によって総括される統一へ推移する所の想起が可能となる⑦ のである。これ即ち弁証法に外ならない(Phaidros 266BC. Philebos 16A sq)かくて知識が成立し説明を与え得ることとなるであろう(Pohteia

、534B)C

思い倣Lは知識の前段階であると一のメノン富等が示す所が否定せられないと すれば,その持つ意味を如何に解すべきか。国家篇,饗宴筈の述る所によれば 次の通りである。知識はイデアの知であり,思い倣Lは存在と非存在の中間者 である所の経験界を対象とする知である(Pol. 476A‑477E),即ち知識の対 象は美そのものであるに対して思い倣しの対象は美しい声,色,形及びそれら から生れるものであり,思い倣Lは知識とは別異の,知識と無知の中間者であ る。知識には誤謬はないが,思い倣Lは誤謬を有するC477E)c従って多くの 常識(vbftlf*α, 86&α)が非存在と,判然と存在するものの中間にさまよって いることが見出されるC479D),人々は想起によって美しいものを順次に<HL

‑145‑

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く見て行きながら,労苦を経て突如一種驚くべき(イデアの)美を見るのであ る(Symp. 210E)c④思い倣Lは誤謬のものであり,ある人にとってはか って最も信ずべきこと'と思われたが現在はその反対と考えられる如きものであ る(Epistle丑314ABX誤謬から想起によって誤謬なきものとなると云うこ とは,突如とか労苦を介してのみである。断層と飛躍を見る.こと否定の余地は ない。叉饗宴第に云う所の美しいものと,ハイドン篇(74E)に云う所の似て いるがイデアには劣るものとか,又前者の思い倣Lと後考(75E)の感覚とが 夫々対応しながら,ハイドン篇に見当らぬ所の,併し饗宴笛には存在する所のセ 労苦とか突如と云うものが,感覚でなくして思い倣Lとの関連に由来している ことを示すと云うことを看取し得るのではあるまいか。㊥実際ハイドロス篤 C248B, 250A)の示す所によれば地上の魂の大部分は,天上に於て見た所の 宇宙の実体の記憶がうすく,思い放しによって養われているに止まることか

ら,総ての魂にとって恩起が容易であると云う訳にはいかない,労苦を必要と̲

するのである。

このことから思い倣Lと知識と想起の関係は恐らくは次の事情のものと考え‑

られるかも知れない。即ち知識は事実に於ては思い倣Lを前段階として持つ, 併し本質的には感覚一知識の間とは思い倣Lは入る余地はないと解されるかも, 知れない。併しこの意味を解するには思い倣Lと知識を同一層の存在として取 扱ってはならない。前者は誤りのものであり後者は然うではないのである。憩 起を一方では感覚から知識へとしながら,他方では思い倣Lを介在せしめて知 識への進展とすることには理由がある。プラトンの関心する所はソクラテスの 弁明第に述べてあるように,ソクラテス周辺の社会とその持つ原理的な論理の 分析にある.oソクラテス周辺の社会から出発してそ3L)非合理性を分析しようと

した。その社会は,⑯深慮や知識ではなく,プロタゴラス主義と思い倣しの.

支配する社会である。併し分析はその非合理性の分析丈でなくしてその非合理 性を明白にすることによって,無知の知(apologiaSocr. 23A)に到り労苦,

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突如と云うものによって表現されているものの媒介によって思い倣Lから知識 へ・イデアの写像からイデアへ・断層を越えて転換する。それは立場の転換で ある。このことが存在理解の基低に構っていることを示している。プラトンに 於て二種の神漁り,悦惚が混在して述べられている如く,思い倣Lから知識へ

と,感覚から知識へとが混在して,プラトニズムの本態を我々に対して不明の ものとしている。併しソクラテス周辺の社会を問題とする限り感覚一知識の段

・階に限定することは出来ない.思い倣Lが出発点となる。思い倣Lが,知識を 愛し求めて,知識とは何かと云う問題を究めようとすれば労苦の後に突如とし て無知の知の自覚を通って思い倣Lは自己自身を否定し,知識へ転ぜねばなら なくなる。一旦感覚から出発して記憶を伴って思い倣Lに到ったものが,自己 を否定することによって始元に帰えり,複び感覚から出発して知識へ到る所 の,立場の変換が示されている。思い倣Lと知識は夫々その個有の立場を持っ ている。而してその対象と性質を別個にする夫々の知の段階のものに外ならぬ と解される(Tim. 51E. Theait 201 A sq. Goryias 454C‑455A) 2.チマイオス篇の宇宙論は構成者たる神による宇宙形成と云う神話の形式で 述べられているが,その事は次のような事情を合意するように思われる。

①チマイオス箔は神が善の目的を以てこの宇宙が出来る丈善くなるように構 成したと云う目的論が述べられている⑯。 ㊤永遠の存在である所の謂わば 原型宇宙C28A. 37CD)を手本としてその写像としてのこの宇宙を神は構成 したが神は全能の神ではなく宇宙は創造の結果でもなく,原型宇宙を範型とし て所与の質料を以て構成したと云うことは原型字音が永遠存在であり自己同一 であるに対して写像宇宙は生成消滅的存在に止まると云うことC28A一二C. 37

・CD),又原型宇宙の説明は真実の説明C51E. 52C)であるに対して写像宇宙 の説明は蓋然的もっともらしき説明QStkふC λbγoC)に止まねばならないと 云う蓋然論が述べられているC29B‑D), ㊥神が全能でなく構成者であると 云うことは,その写像宇宙の理解に対し,構成以前の存在(52D)である所の

9Cォ

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原型と,それを写す母体である場所cxu>pα)によって表現せられているもの、

の理解に際して生ずる無視せられない所の特別の性格を附与する。抱て上に述 べた蓋然的説明にはそれが成立する理由として二点が挙げられている0 ‑は乱 明の対象が写像であること,第二は説明が人間の本性を持つ者の夫であると云 うことC29B‑D)。所でイデアの写像とか分有と云うことの持つ難点は解明せ られぬままに,パルメニデース篇(135AB)から受けとられている所である。

チマイオス篤に於て異る一点はEl〝6uとScKOCとの言語学的関係から 61からSI/ea>c λ6γocに転じている。そこでは所謂構成的領域から反省 的領域への変転があるO㊥原型‑写像の関係でなく, &λ姉ぐλ6γo卜 ElKんC λ6γorの関係が成立している。チマイオス第の述べる所は次のようで ある。神は物体より優先者として魂を構成しC34C)更に魂と物体から宇宙を 構成した(3UB)次に地球を工夫し(40C),かくして人間は己に出現した宇 宙の中に於てC41A)宇宙の形成に類した仕方で(41C)形成され,運命の法 則に従って人間の分を持つものとして生れ生活しているものであるC41A‑

42A)C㊥このことは宇宙が人間の外なるものとして,その外部に我々に敵 対のものとして固定した外界として存在し,それが昼,夜,月,年と云う如き 回帰的時間の経過に伴って運動し変化する(37DE. 47A)Cそのような宇宙が 感覚と記憶から生れる所の思い倣しの対象であるC28BC. 52A. 45E‑‑46A)

と云う宇宙の相を物語っているに外ならない。

このような字音の相を存在(イデア)の写像としての宇宙と,又時間を永遠 の写像と云い(37D),更に又その宇宙の説明を蓋然的説明と云う表現によっ て表わしているO個物はそのようなことを前提として固定した外界の一部としノ て成立し,それが時間の経過に伴って変化する(500と考えられている。こ のような宇宙生成の解説は他にも見ることが出来る。即ち宇宙生成に"付て第二 部初めに神の概念を用いないで宇宙は必然の理性による説得の結果の所産であ ると述べているC47Esq)。この場合,必然は直ちに必要ではないOそれは他

(6)

のもの共によって動かされ必然的に他のもの共を動かす所のもの達C46E)と 云う場合の必然的とから生れている必然であろう。物理的相互作用であって物 体に関連すること他の叙述C30B. 36D)との比較に於ても明白である。⑲ 理性の説得の結果は写像としての宇宙の成立であり,それを捕えたものが 思い倣Lとしても,思い倣しの対象面に付て必然が如何なる内容を意味するか はこの叙述文からほ判明でない。写像の母体として述べられている場所

C50CD)は,その必然の一つの解説となるであろう。即ち,存在(イデア) と生成と場所は宇宙生成前の存在者でありC52D),父なる存在と母なる場所 の二者から子たる写像宇宙が生れたと云うことと関係せしめて見る時は,場所 に必然の包む意味が理解せられるように思われる。チマイオスの語る所によれ ば場所は物体の受容者であるC50C 52AB)。常に同一を持して不変であり, その中で物体はある時はこのように,ある時は彼のように現象する(50C)c 場所は生成するものに席を与え,感覚でなく一種の庶子の推理によって理解さ れほとんど信じ難いものである。存在するものは必然的に何処かの地域にあっ てある場所を占む。又地にも天にもないものは無であると云う時はそれは眼で 見ながら夢みると云うことに関係する。その結果一方写像に関して,写像がそ れに於て生成した所のそのもの(場所)が写像に属しないで写像はある他のも の(イデア)の常に動く像であることから見て,それ故に写像はある他のもの (場所)の中に於て生成していくのが適している。 ・‑‑併し他方真実に存在す るものに付ては真実の正確な説明があるもの(イデア)はあるものであり,又 他のあるもの(場所)は他のあるものである限り,凡そ一時に同一のものが‑

となり二となると云う仕方で二つの内のどちらも他のものの中になって行くこ とはないと云うことを支持する(52A‑D)C

場所と存在(\デア)は区別せられているがC52C‑D),場所は又他方写像と はそれが信じ難いC52B.29C)と云うことによって異別者として解されている。

併し叉区別せられ乍らも他面では夢みると云うことと関連すると云うことに

‑149‑

(7)

よって母体として写像と及び思い倣Lと密接な関係にはいっているC52A)⑮。

又それは庶子の推理によって把握せられるとも云われている事は,推理と 云うことからある種の統一性との関連性を産むであろう。パイドロス慕

メ(2490にある如く,多の感覚から推理によって総括せられ, ‑の方へ進む 之云う如く,一に関連すること否定せられない。併しvoOoCはγvr¥(TLOCに 対立し思い倣Lが知識に対立するのに相応じている⑲。即ちイデアが真の統 一ならばそれと異った別種の統一性である所の,謂わば固定した外界と云う視 覚等感覚と恐らくは又記憶から生ずる所の思い倣しの対象に附与される所の統 一性を成立せしめ,かくして人々の外部に固定した外界が成立し,それが時間

・と共に変化すると云う見解に到るであろうO㊥場所は普通云われる如き空間 の意味でもなく,又物体でもない。固定した外界と云う場合は,物体の基盤に 空虚の空間をおいてみる見解に出ている。従って時間は回帰的時間と云うこと が生れ,写像の母体を容器とすることでは真理ではあるが十分に判明に説明し 得ないとしてC49AB)それに止まらずそれを場所とした所以である。場所は 思い倣しの対象の構造を示すものとして述べているO⑲人間はその本性とし て(29D)被造物の‑として宇宙の中に於て自己が立つ‑時空で視点を定め自 分を中心として謂わば瞥見することによって宇宙や物体を把握理解する外はな い。思い倣Lは人間がそのような人間の分の立場に立つ時の知であると云うこ とから宇宙の説明も完全に正確なものと云うことにはなり得ない,蓋然性に満 足せねばならないのであるC29CD)

このような事情を確信して写像論の再出発に当って云う。即ち,諸々の蓋然 的説明が初めに(27D sq)述べられたが,それを心に保持しながら各々に付 て又全体を一括して初めからこれ迄に話したのに劣らず,むしろそれ以上理に 合うものを表すように努めよう。実際今話の初めC48E 2 sq)に於て奇妙な 不慣な話C49A 3‑4. 50C6.53CDの中から人の持った夫々の分⑲と云う 理説へ私共を救助するため再び神を救助者として呼びもどして話をすすめる

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(48DE)。

必然を理性により説得すると云う場合の必然はこの限り必要ではない。占い とか神愚りとかは知識なきものへの神の賜物であり,思い倣しの知に止まる人 間が,知慧,理性,知識なきままに生ずる不安定,不合理性からの直接の脱出 を図る場合に人間に於て成立するものに外ならないC71E‑72B)。所で6tKOC・

はFL石βoc λ6γoc Soγ!▲α等と一緒に或は単独に用いられている。 λ6γocと FLFOocの別は真実,想像の対立と解されるかも知れないC26E)が, 29B‑D では厳格に守られている訳ではない。一般にEi〝,Lc λbγocの解釈は蓋然的, もっともらしさの意味に止っている。特殊の例外を除いて,⑳併し,蓋然性の 単一の義にとることは疑問がある。ライン‑ルトは疑問を出している(Class philology 19503. P.171)所がGIkoc;は理に合うという意味を持っている (Nomoi 680A. 681 A sq. Philebos 31D 33B, Epinomis 976D)。宇宙 が神の摂理により作られたとエィコ‑ス・ロゴスに従って云わねばならぬ (30BC)と云うエィコース・ロゴスは合理性を指すであろう。このものは大 部分を最善へ導くC48A3)と云うことに対応する。先に述べた如く神は出来

る丈よくなるように宇宙を構成したのである。目的論には価値に対する反低 値,意識的に対する無意識的が前提要件となる。乳母の不規則動揺C52E)と 云う内容はそのような面を表わしている。このように見る時は先に述べた必然

C47E)は神的なもののためのものと云われる必然C69A)に外ならない。そ れは正に附随原因(46CDjを意味するであろう。㊧人間の持つ所の外的世 界による包囲とそこから来る蓋然的知には完全性は期待し得なくともそこにあ る種の完全(善)と云う合理性を得て,この宇宙は神の摂理によって出来得る 限り善の目的Kp合致するように生成したと考えるに到ったのである。蓋然論と 目的論が随伴する所以である。チマイオス篤は宇宙の始元,火其の他の要素の 始元(48C 53D)即ち,一般に宇宙の本質(41E. 47A)について語ること はなく写像としての宇宙の論であり蓋然論につきること(48CD. 59CD)は,

‑151‑

(9)

チマイオス箔でとっている方法がハイドン篇rggoで云う原因探求の第二の 航海に云う方法に外ならない。即ち,イデアの写像と云う宇宙の論である CPhaidon lOOAB)思い倣しの立場に止まることに由来するC48C)C事実天 文学は惑星の不規則運動を否定し得なかった(38CD)。地上の魂は外界の瞥 見による所の,又政治や日常生活を支配する常識である思い倣し(Polileia 479D. Menon 99BC)の養う所に止まる(Phaidros248B)。併し思い倣Lが 知と無知の中間にあることによって却って忘却した知識への要求にかりたてら れ宇宙の本質の知たる知識を愛し求めることになるC47A)Cその根抵は,運 命の法則に従って地上にある魂が思い倣しの立場に立ちながら,かって天上に 於て宇宙の本質を見たことである(4IE. Phaidros 249E‑250A)。かくして 知識の愛求は思い倣Lから出発してそれを否定し知の立場を変えて感覚の多か ら再出発して推理によって‑へ進んで,忘却した知識を想起するに到る。其の 知識の立場では,宇宙は如何に生成したか真に語る時は,宇宙の本体は如何な る仕方で運動をおこしたものであれ,その原因によって生成がおこるのが自然 である所の放浪原因を新にとり上げねばならないのである(48A)。放浪原因 は思い倣しの段階にある宇宙像から離れて,想起によって知の立場を転換して イデアたる宇宙の本体を見るに到る場合の宇宙の窮局原因,自然の叡知的原因 く46DE),宇宙を結合する善と云う原因(Phaidon 99C)であり,真実の説 明に於て知識が探す対象に外ならない。放浪原因は附随原因C46C. etc)と

は異る。後者は前提要件である。原因と云うことは,生成するものは必然的に 何らかの原因により生成すべきであるC28A)と云う事と比較せられるが,〜

方は放浪を欠く。放浪はその前方C39D)の叙述によれば時間と同意である。

放浪は不定,混乱,不規則の意味に解される(Burnet. G. P 1. P.346)c附 随原因と同一視される根拠であろうか。併し放浪原因は放浪していく原図,原 因から原因へと放浪をひきおこして進む原因である。 71λαva>fJL」vr]は中動で はないか(Goodwin Gr. Grammar P. 267 §1245)㊨。その解釈に付て

(10)

47E5‑48A.I 48A7‑B3. 48E3 sq.を一括してその上で放浪原因を解する時 は,放浪原因は必然と同一者となる(Taylor etc.㊨)。併しそのような一般 の見解では蓋然論の中で, 48B‑Cの宇宙,火其の他の要素の始元論が蓋然論 外に突如として何故述べられているかの疑問に回答し得ない。かくして立場の 変換に伴って思い倣Lから知識に転ずる。知識の対象は初めに固定した外界と その時間上の変化と云う相のものではない。感覚に受けとられた絶えず変化 する雑多なる感覚内容の意識流から出発して,思惟がとらえるイデアによる所 の流動の中の'持続統一によって逆正外界とその知識が成立すると考えねばなら ない。最初固定した外界を前提し,その中に人間の存在を考えるのは,思い倣 Lがそれから生れる所の記憶の作用の結果であるC45E‑46A)C常識の立場で 考える如き固定した外界とその時問的変化と解する宇宙像の否定を前提とし て,知識の対象が感覚の多と思惟の統一によって把握されると云うことは,前

者を思い倣しの意味で人間的とし,後者を思い倣Lとは異る,非人間的のもの としてそれを神的となし,神の霊感,狂気なしには成立せぬとした。プラトニ ズムは他の学問の如くには語れぬと云うCEpistle Vfl. 341C 344CD. Timaios 48C 53DE)のは夫である。併しそのことは神秘的体験を意味するのではな い。空間を基盤において見る所の思い倣しの立脚地ではなく,時間を根抵にお く存在解釈の態度に付てである。このようにして狂気とも云はれる想起によっ て捕えられたものがもたらすものは善の表出せられたものである二㊨その限

り善は真理・存在と知識を可能とすると国家篤に云う通りであるC508E‑

・509A⑳)。 SCKCOC λoγoCの進展する経路は正にプラトン弁証法の論理の生き た姿である。先駆する対話笛にその葡芽を示し更にチマイオス篤に於て変遷を 重ねながら法律第等を経てパルメニデース・⑳ゼノン等とプラトン自身を連 結せしめている。

‑153‑

(11)

① Hack forth, Phaedrus (P. 91)の見解にも拘らず&J/丘FL叩OCCは後期にもある (Tim. 41E sq.) (Corn ford, Plato's Cosm. P. 144)

◎イデアの想起は直接に述べられてはないが,メノン篇の知識は実際の経験,原因の推 理によって思い倣Lと区別せられている。テアイテトス篇(201BC)の知識が視覚と の関係の有無で思い倣Lと区別せられてしゝるのと近い。尚Gorgias 454 B sq. 500 E

sq.参照。

㊥ハイドロス篤では知識は他の文字にかわっている外,想起は総ての魂にとって容易と 云う訳ではないC250A1‑2)と云う表現になっている。

④知識を記憶と同一視した特殊のものはTheaitetos 191 DE 201 C etc.参照。

尚Politeia (510 A sq.) Timaios (27 Dsq.)から常住不変,永遠の存在界と生 成消滅界の関係は反対矛盾の関係であるとして,その上で知識と思い倣いが夫々それ らに関係すると解するのは単純である(Revue de Metaph. et morale 1959. no 2 P. 139‑140).

①その内容はソクラテス・プラトンのものでないと解されている(Burnet, Phaedo P.101).

㊨ Charmides 158E sq. Theait. 179C Tima. 28C. 52 A.

(うPhaidros 249 B sq. Tim. 68D. Philebos lOA‑I/A. Hackfortt Phaedrus p.

㊥想起が思い倣Lと知識を結合すると云うことに付てはEpistle 340E. 341C‑E.

342AB. 344B.

㊥ Epistle W 340DE.

⑩ Apologia Soc. 29C. Theait. 158E. 162E sq. Hermes 88.3. (267)

㊨ Tima. 29D‑30C. Windelband, Platon S. 111‑112.

㊨ Sophistes 218 C 221A‑C Howald, bckふC λoroc (Hermes 1922. I) S. 67‑

Windelband, Vom System der Kategorien S. 9 sq.

⑳チマイオス篤は宇宙生成から初まり人間の本性論で終る(27A) :

27C‑47E. 47E‑90E.

㊨ 46CDの叙述から必然を附随原因(460と関連せしめ,そこからPhaidon 99B‑

(12)

との関係から見て(Burnet, Phaedo P. 106)必要の意味にも解されるであろう。

併しそれは27D: di石vrtva aczcavのみに依っている。その外に蓋然論がある。

Politeia 476C Adam, The Rep. of Plato 1. 337.

t⑯ Homeros, Ilias ll, 102 (Stephanus Thesaurus Graecae Linguae M.

670‑671 Ⅵ. I 537‑8) Taylor, A Commentaryon Plato's Tim. P. 343‑5.

L⑱ 45Er46A. 47A. Corn ford, Plato's Cosmology P. 153. Bergson, Essai

sur les donnees immediates de la cons. P. 7 etc.

L⑱宇宙の律動を以て緊張弛緩する律動とせず眼に映ずる星辰の描く運動,空虚の空間を 前提とした回帰的運動と解するものと通じている。このように考えた時間は真の時間 ではない,宇宙の本質と共に他にある(47A. 38B 3‑5 Politeia 529 CD) r㊥ Homeros Ilias XXIV, 594‑5. e*ォんC λ6γocは蓋然性につきない(GebGhr) r⑳ Zeller, ph. derGr. H. I. 790etc. 87C: bUocに対するTaylor訳p.

Rivaud P. 226 67CD. 68Bの夫とProbable and reasonable及び90E:

KaTふλbjov zov elkot0.に対する訳語の削除B云umker, Problem der Materie S. 116 Anm. 2. Class. Philology 1950. 3. C17D Reinhardt.

尚Tim. 9QE 8: Kara, λdrov TOV GIKOT0.は分の理法の意味に解される。

・㊨目的論に於ける反価値,無意識の存在はHegelにもあるSystem derPhil.

erst. Teil, Glockner S. 83‑97‑ 1.

も㊨ Leibniz, Phil. Schrift. VI. 613 § ]. Gerhardt.

㊨ Taylor, A Comm. on Plato's Tim. P. 299 sq. Corn ford, Plato's

Cosm. P. 159 sq.

Phaidros 249 DE.

・⑳何故自然論であるチマイオス篇に国家論が存在するか,又国家篇反覆の部分は第五巻 迄であり第六・七巻を欠く理由,語り手がソクラテス・ピタゴラス派のチマイオスで あり,その持つ意味,第四番目の人の不在の示唆するものは何か。チマイオス篇は単 にピタゴラス派の宇宙観ではない,思い倣しの立場の夫である。従って宇宙の本質を 対象とする所の現在の天文学と異る天文学(Politeia 529 CD)への言及として上 記の諸問題は回答されねばならない。

‑155‑

(13)

㊨パルメニデースの詩Diels‑kranz, Fr. d. Vors. 28‑ B. 8‑ 60‑61の理解に何 ては, Kirk and Raven, Freeman, Beanfret等あるにも拘らずプラトンと の関係に付てProclos, EI21 TON TIMAION B 345 (Diehl)による所の Corn ford, Plato and Parmenides P. 46. Plato's Cosmology P.

に従うパルメニデースに触れる対話篤の主要なものはTheait. 180 D sq. 183 E

sq. Sophistes 241 D sq. Tim. 29 CD.

参照

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