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法の基礎概念

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Academic year: 2021

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(1)

法 の 基 礎 概 念

ー デ ユ ギ ー 法 理 論 の 一 面 1

宙 貝

方 正 雄

]

()

()

(2)

()

佛 蘭 西 の 一 大 法 律 肚 會 思 想 家 レ オ ン ・ デ ュ ギ ー の 法 理 學 の 一 面 を 語 る に 當 血 ︑ そ の 前 提 と し て ︑

彼 の 方 法 論 及 び 思 想 内 容 の 特 色 に つ い て 若 干 の 理 解 を 得 度 く 思 ふ ︒ 要 す る に 彼 は 個 人 主 義 思 想 を 排

斥 し て 實 謹 的 法 律 學 の 肚 會 的 職 分 を 高 調 す る の で あ つ て ︑ 彼 自 ら ︑ 近 時 に 於 け る 法 律 學 愛 遷 の 特 色

は ︑ 哲 學 的 及 び 個 人 的 法 律 組 織 ω 景 鼠 ヨ ︒ 甘 ﹁一 島 ρ 器 ユ ︑︒ 乙 δ ヨ 弾 冨 ℃ ξ ・︒ 言 ま 簿 凶= 臼 く ご 轟 房 冨 よ う 實 謹

的 及 び 肚 會 的 法 律 組 織 ω k ・︒ ぶ ヨ ・ 言 ﹁ζ ρ 器 色 ︑︒ 乙 お み 巴 ω 9 9 ω ︒ ︒ 芭 一ω 冨 へ の 推 移 に あ り と 稽 し て ゐ

る ︒ 從 つ て 彼 の 法 律 學 は ︑ そ の 方 法 論 に 於 て 實 謹 的 で あ b ︑ そ の 内 容 に 於 て 肚 會 的 で あ る と 云 ひ 得

る ︒

 

その方法論が徹底せる實讃主義なることを︑私は彼自身の言葉によつて説明し度い︒曰く︑﹁私

は如何なる政窯にも叉如何なる敷會にも厨しない︒私は如何なる種類の信仰に劃しても敬意を表す

るけれども︑然し何等のドグマを認め澱︒私は專ら科學を事とし︑事實の公卒なる観察を基礎とす

る﹂と︒又彼は云ふ︑﹁法律の世界は閉鎖せられπ世界でもなければ又實在から切断せられπ世界

でもない︒それは理想界ではない︒戚鯛し得る事實の世界こそ之を説明分類することが必要とせら

(3)

れ る ︒ そ の 具 膿 的 表 現 の 姿 に 於 て 把 握 せ ら る べ き も の は 諸 々 の 人 間 の 意 思 で あ る ︒ こ の 意 思 に よ う

て 結 果 せ ら れ π 肚 會 的 数 果 ︑ こ の 意 思 に よ う て 動 か さ れ た 物 質 的 實 力 こ そ 確 定 評 領 す る こ と が 必 要

で あ る ︒ 私 の 総 て の 努 力 は こ の 目 的 に 向 け ら れ て 來 力 L と ︒

叉 ︑ 彼 の 思 想 は そ の 内 容 に 於 て 肚 會 的 で あ る ︒ 彼 は 法 律 の 基 礎 を 肚 會 に 求 め ︑ ﹁ 法 律 は 肚 會 的 な

う ﹂ と 高 調 す る ︒ 然 し 彼 は 肚 會 を 以 て 個 人 よ う 濁 立 せ る 濁 自 の 存 在 と は 見 な い ︒ 彼 は ︑ 弧 立 的 個 人

を 否 認 す る 如 く ︑ 個 人 よ り 離 れ 尤 濁 自 の 肚 會 的 實 在 を 否 認 す る ︒ 換 言 せ ば ︑ 個 人 に し て 肚 會 關 係 に

入 ら ざ る 者 な く ︑ 個 人 の 關 係 に 非 ざ る 肚 會 も 存 在 せ 諏 ︒ ﹁ 個 人 は 肚 會 的 に な れ ば な る 程 多 く 人 間 的

で あ る ︒ ﹂ 此 の 基 本 概 念 か ら 彼 の 総 て の 思 想 は 出 登 す る の で あ る ︒

デ ェ ギ ー は 多 く の 黙 に 於 て 特 質 あ る 主 張 を 唱 へ て ゐ る ︒ か の 権 利 否 認 論 ・ 主 権 否 認 論 は 最 も 特 異

な る と 共 に 叉 非 難 の 多 い と こ ろ で あ る ︒ 是 等 の 黙 を 考 察 す る こ と な く し て 彼 の 思 想 を 語 る は 早 計 で

あ る ︒ 然 し 此 の 黙 に 關 す る 評 論 は 之 を 後 日 に 期 し ︑ 今 は 彼 を 理 解 す る 第 一 段 階 と し て 否 認 論 の 根 底

を な す と こ ろ の ﹁ 法 の 本 質 ﹂ に 關 す る 思 想 を 槍 討 せ ん と 思 ふ ︒ と ㌧ に ﹁ 法 ﹂ と は 所 謂 閑 拾 一︒ α o 費 o 界

を 指 す ︒ ﹁ 法 規 ﹂ と 云 ふ を 適 當 と す る か も 知 れ な い け れ ど も ︑ そ の 内 容 は 法 規 範 或 は 法 の 根 本 原 則

の 意 味 で あ る か ら ︑ 他 面 に は 成 文 法 の 法 條 の 意 に 解 せ ら る \ 危 瞼 を 避 く る 黙 を も 考 慮 し て ︑ 之 を

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()

}まσqδααδ

第 節 法 の 概 念

i

一法は個人の中に存在せずして肚會にのみ存在し得る︒法は排他的に肚會的であつて個人主義

的自然権の基礎の上に立つものではない︒法は叉︑肚會権力の所産に非ぎること恰竜それが個人の

力に非ざるが如くである︒それは肚會連帯に基く事實である︒それは︑客親的原則である︒法は︑カ

ントの主張する如き實践理性の無上命令でもなく︑功利主義者・快樂主義者の唱ふる道徳規範で毛

ない︒それは事實の原則である︒人がこの原則を有するは︑先験的形而上學的原理に由るのではな

く︑人は肚會に生存し且肚會を離れて生浴し得ざるの事實に由る︒法は人が肚會的生活をなすに至

るや存在する竜のであり︑將來に於て竜肚會の存績する限り︑其の適用形態に於て漫化を來すとも

本質的基底に於て漫る之となく存在を績けるであらう︒從つて法は肚會人の原則である︒斯くて法

は肚會の事實と共に登現し來つπものであめ國家の創造に非ざるが故に︑成文法と錐も之の肚會総

(5)

員 に 適 用 せ ら る \ 原 則 の 表 現 に 非 ざ る 限 う ︑ 何 等 の 肚 會 的 意 義 を も 有 せ ぎ る 結 果 と な る ︒

二 上 述 の 如 く 法 は 肚 會 連 帯 の 事 實 に 基 く 肚 會 規 範 で あ つ て ︑ 等 し く 實 在 す る 事 實 に 基 く と 錐

も ︑ そ は 自 然 科 學 的 注 則 と 異 る ︒ 自 然 法 則 は 因 果 律 で あ う 肚 會 規 範 は 目 的 律 で あ る ︒ 自 然 現 象 は 原

因 に よ つ て 決 定 せ ら れ ︑ そ の 登 現 の 必 然 的 な る と 自 登 的 な る と 太 し 虎 差 異 は な い ︑ 然 る に ︑ 人 の 行

駕 は 意 識 的 に 選 揮 せ ら れ π 目 的 に よ う て 決 定 せ ら る \ ︒ こ れ 肚 會 規 範 が 文 化 現 象 と し て 目 的 律 π る

所 以 で あ つ て ︑ 総 て の 目 的 は 肚 會 規 範 に 適 合 す る 限 う 正 當 で あ う ︑ 此 の 目 的 成 熟 の π め に 爲 さ れ 尤

る 行 駕 は 総 て 肚 會 的 慣 値 を 有 し ︑ 從 つ て 法 的 債 値 を 有 す る 結 果 と な る ︒ 然 ら ば 法 と は 目 的 適 正 の 原

則 で あ ウ ︑ 因 果 律 尤 る 自 然 法 則 と は 全 く 面 目 を 異 に す る ︒ か く の 如 し と せ ば ︑ 法 は 人 の 意 識 的 意 思

に 適 用 せ ら る \ も の で あ め ︑ 且 つ 人 の 意 識 的 行 爲 の 相 劃 的 慣 値 を 決 定 す る も の で あ る か ら ︑ 行 爲 準

則 図 ︑ σq δ α ︒ 6 9 乙 鼻 Φ と 稽 す る も 不 可 な い で あ ら う ︒ そ は 行 爲 自 禮 の 個 人 的 絶 劉 的 償 値 を 決 定 す る

も の で な い か ら ︑ 倫 理 法 則 π る も の で は な い の で あ る ︒

三 か く て ︑ 行 駕 準 則 は 肚 會 規 範 で あ う 法 と な る 竜 の で あ る か ら ︑ 先 第 ↓ に 行 駕 準 則 の 本 質 的 内

容 及 び そ の 特 質 を 述 べ ︑ 次 に 行 駕 準 則 と 法 ︑ 法 と 道 徳 及 び 法 と 國 家 と の 關 係 に 言 及 し ︑ 以 て デ ェ ギ

ー の 主 張 す る 法 の 輪 廓 を 明 か に し 度 い と 思 ふ ︒

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()

第 二 節 行 爲 準 則 ( 趾 會 規 範 ) の 慧 義

1ω1

ω1i︑‑1

] 肚 會 連 帯 の 理 解 デ ュ ギ ー の 法 理 論 に あ う て は 肚 會 連 帯 の 理 論 は 不 可 蝕 の 前 提 で あ る が ︑ 今

は 必 要 の 最 少 限 度 に 於 て 之 に 言 及 す る に 止 め る ( 註 ) ︒

(

Bo

ー9t

o

誠實なる實謹的分析研究の結果によれば︑あらゆる人類杜會形態に於ける唯}の實在は個人の意

識及び意思である︒この個人性は肚會團騰に於て其の意義を登揮する︒即︑人は個人的であると同

時に肚會的であつて個人性と肚會性とは相反するものではなく︑それは密接に結合して不可分の一

膿をなし交互作用をなすのである︒人がか\る肚會結合をなすの要素は類似連帯及び分業連帯に還

σ

(7)

元し得る︒この連帯による肚會的相互依存の事實之そ総ての理論の出登黙である︒人が肚會生活を

欲する理由は︑類似連帯意識ー協働生活にようてのみ充足し得る需要共同の意識を有し︑又分業

連帯意識‑互に相異せる能力に基いて役務を交換することに依めてのみ各種欲望の充足が可能な

うとの意識を有することに存する︒即︑人は個人性の意識を有すると共に︑自己を他と結合する二

重の連帯意識を持つ︒個人性は肚會性の登達に比例して成長する竜のであウ︑肚會性は個人性を伸

長せしむるものである︒個人と集團との劉立を主張する議論は事物の眞相に合致せ顧︒雨者は一膿

に融合するものであウ︑この一膿こそ人それ自禮なのである︒

要するに連帯とは︑需要の共同と分業とによつて︑人類肚會の構成員︑特に同一肚會集團の構成

員を相互に結合するところの相互依存の事實である︒この結合關係の態容は時間的塞間的諸條件に

よつて凝移するものであつて︑法學者の任務は正にこの諸條件の配合關係の認識槍討に存する︒然

し一般的には︑類似連帯に比し分業連帯がより重要なる役割を演じ來るの傾向あめ︑分業連帯の登

達にようて肚會連帯による肚會結合は盆々緊密となるの傾向があると云ひ得る︒

Zの人を結合するところの相互依存の事實に基いて肚會規範としての行爲準則は必然的に存在す

る︒何故なら︑之無くしては肚會は存立し得ないであらうから︒人は肚會なくしては生活する乙と

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商 學 討 究 第 五 巻 へ 下 ) 四 七 〇

を 得 ず ︑ 祀 會 は か \ る 杜 會 規 範 な く し て は 存 績 す る こ と 不 可 能 と な ら う ︒ こ の 肚 會 規 範 の 存 在 を 否

認するならば︑敢て之を要請するに躊躇せ澱︒ユゥクリットが彼の幾何學を季行線の要請の上に建

築したやうに︑近代人の総ての肚會的膿係は総員に適用せらる\この行爲準則の要請の上に建築す

る乙とが出來る︒然らば︑かくの如く必然的存在を有する行儒準則とは何を意味するであら5か︒

その内容特質に就て暫く槍討せねばならない︒

=行爲準則の内容行鵜準則とは何か︒此の問題を解明せずしては如何なる肚會科學上の諸問

題の解決も不能である︒デュギーの見解にありては︑経濟問題並びに法律問題は緬てこの行駕準則

の問題に還元きれ得る︒籾て︑行爲準則とは意識的行爲に適用せらる㌧人間意思及び行偶の規律を

云ふ︒そは因果律に非ずして目的達成の規範である︒以下内容について述べる︒

ω第一の行爲準則

吾々が肚會生活をなし外部的行爲に依つて意思を表現し力場合にはその慣値剣断が必要となる︒

而して︑個人の意思行爲が肚會的慣値を有するのは︑明かにそれが類似連帯及び分業連帯に適合す

る目的に依りて決定せらる\場合である︒か\る目的に依りて決定せられπる個人意思が肚會構成

員蚕艦の上に力を有するは︑連帯意識の論理的必然的蹄結であると云はねばならない︒絶劉的に静

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止 状 態 に あ る 肚 會 を 想 像 せ ば 行 爲 準 則 の 問 題 は 登 生 し よ う 筈 が な い ︒ 外 部 に 現 は さ れ だ 意 思 が 他 の

肚 會 構 成 員 の 上 に 効 果 を 齎 す や 否 や の 問 題 の 確 定 に 直 面 す る に 至 る や 行 爲 準 則 の 概 念 は 登 現 す る ︒

意 思 が 肚 會 連 帯 に 適 合 す る 目 的 に 從 つ て 決 定 せ ら る \ と き そ の 効 果 を 持 つ ︒ 此 の 黙 よ b 第 一 の 行 爲

準 則 が 登 生 す る ︒ '

肚 會 連 帯 ノ 目 的 二 依 リ テ 決 定 セ ラ レ タ ル 各 人 ノ 意 思 行 爲 ヲ 遵 奉 セ ヨ ︒ 之 ガ 成 熟 ヲ 妨 グ ル ガ 如 キ

コ ト ハ 何 事 モ シ テ ハ ナ ラ ナ イ ︒ 出 來 得 ル 限 り 之 ガ 達 成 二 協 力 セ ヨ ︒

此 の 行 爲 準 則 の 概 念 は 極 め て 早 く よ わ 人 類 意 識 の 中 に 登 生 し た る に 相 違 な い ︒ 入 は 常 に 他 人 と 共

に 生 活 し 來 つ た も の で あ ウ ︑ 斯 く て 自 己 は 個 人 的 で あ る と 同 時 に 肚 會 的 で あ る と 云 ふ 観 念 1 ー 從 つ

て 肚 會 連 帯 の 意 識 が ︑ よ し 不 明 確 に せ よ ︑ そ の 心 意 を 支 配 し 來 つ だ 乙 と は 明 自 で あ る ︒ か く て 人 は

肚 會 連 帯 に 服 從 す 可 き も の な う と の 情 操 を 持 つ に 至 う ︑ 肚 會 協 働 に よ わ て の み 生 存 し 得 る こ と を 自

畳 し ︑ 此 の 肚 會 連 帯 を 輩 固 な ら し む る に 奉 仕 す る 各 人 の 行 爲 を 遵 奉 す 可 き で あ る こ と を 理 解 し た ︒

從 つ て 如 何 に 原 始 的 な 肚 會 に せ よ ︑ あ る 行 偶 準 則 に 服 從 す と の 意 識 を 有 せ ざ る も の は な い ︒ こ の 第

一 の 行 爲 準 則 は 肚 會 連 帯 の 意 識 と 融 合 し ︑ 連 幣 と 同 様 の 進 化 を な し ︑ 連 帯 に 鷹 ず る 遷 移 を な し 來 つ

尤 ︒ か く て ︑ 此 の 準 則 は 時 代 に よ う 場 所 を 異 に す る に 從 つ て 表 現 形 態 に 於 て 攣 化 ≧ そ あ れ ︑ そ の 内

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()

容に於て普遍委當的である︒換言すれば︑此の準則に適合する行爲は時間的塞間的諸條件に從つて

凝移する肚會的承認を受けるものと云ひ得る︒

②第二の行爲準則

上述せる所が行駕準則の第一概念であるが︑若し肚會連帯の目的によめて決定せられたる個人的

意思行爲が肚會構成員総騰の遵奉を受くるとせば︑斯かる條件を映除せる個人的行爲はか\る遵奉

を受け得ざる可きは見易き理である︒即︑肚會連帯への協働を無視する行爲は之を遵奉するの義務

を負ふ可きでない︒此の観念は螢達して肚會連帯を破壊するが如き行爲をなさΨることが各人の義

務であるとの意識を生ずるに至つπ︒從つて第二の準則は第一のものよう論理的に登展しπもので

ある︒次のものがそれである︒

個人各自ハ︑肚會連帯二背致メル目的ニョリテ決定セラレタル行爲ヲ愼ム可キデァル︒

此の準則竜亦第一のものと根底に於て同様であウ肚會連帯の意識に包含せらる\ものであつて︑

時間的室間的諸條件の愛移に慮じて連帯の種々相を正確に反映するのである︒

斯くて︑肚會連帯の意識は二個の行嬬準則の概念を含む︒一は肚會連帯に適合する個人的意思行

爲を遵奉するの義務であり︑他は肚會連帯に合致せざる目的に何等關與せざるの義務である︒

(11)

ω第三の行駕準則

肚會結合に於ける人の行爲準則は之を以て足う︑之以上に出でぎるものであらうかっ肚會構成員

は︑肚會連帯に適合する行爲を遵奉する義務あるのみならず︑更に肚會連帯を促進せしむ可き積極

的義務を負憺すとの観念を抱持するに至らなかつπであらうか︒人は個人的であると同時に肚會的

であう︑自己は他無くしては生存することを得ず︑他は我無くしては生活し得ぎるの關係を確信し

てよう︑人は肚會連帯に能動的に協働す可き自己の義務を威じπのである︒換言せば︑肚會的行動

を遵奉し反肚會的行動を愼むを以て足れbとせず︑祉會連帯を塘進し得る総てのことを途行す可き

積極的肚會的義務を理解しπのである︒斯くして第三の行駕準則は︑,

肚會連帯ノ實現二協働セヨ

と云ふこと之である︒

ω上述三準則の要約

以上の考察ようすれば︑行駕準則の観念は本質的に肚會連幣と結合し︑且これに依存するもので

ある︒此の二者は同一の竜のなうと云ふも不可ないのであつて︑その進化は卒行する︒肚會構成員

を結合する連幣の紐帯が緊密複雑度を増すに從つて肚會的義務の観念は嚴格廣汎なる竜のとなり來

.

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商 學 討 究 第 五 巻 ( 下 ) ・ 四 七 四

る ︒ 個 人 が 他 と 連 帯 し 且 之 を 欲 す る は ︑ 連 帯 的 な ら ざ る を 得 ぎ る が カ め で あ り ︑ 又 此 の 故 に こ そ 連

帯 を 欲 す 可 き で あ る ︒

而 し て ︑ 此 の 準 則 は 人 類 の 心 意 に 毅 見 す る 限 り に 於 て の み 肚 會 科 學 の 劃 象 と な る ︒ 行 駕 準 則 は 一

個 の 肚 會 的 事 實 で あ つ て ︑ 総 て の 肚 會 的 實 在 と 等 し く ︑ 肚 會 構 成 員 が 之 を 意 識 す る が 故 に ︑ か く て

之 を 知 b 得 る が 故 に の み 肚 會 に 實 在 す る ︒

か く て ︑ 肚 會 構 成 員 は 互 に 連 帯 的 で あ る と の 事 實 よ う 抽 出 し 得 ら る \ 行 爲 準 則 は 次 の 如 く に 要 約

ぜ ら る \ で あ ら う ︒

類 似 連 帯 或 ハ 分 業 連 帯 ヲ 削 減 ス ル ガ 如 キ 事 ハ 何 事 モ シ テ ハ ナ ラ ヌ ︒ 此 ノ ニ 形 態 二 於 ケ ル 肚 會 連 帯

ヲ 壇 進 ス ル タ メ ニ 個 人 ニ ト リ テ 可 能 ナ ル コ ト ハ 何 事 ヲ モ ナ セ ヨ ︒

此 の 準 則 は ︑ 個 人 の 駕 に も 杜 會 の 駕 に 竜 何 等 眞 の 椹 利 を 確 立 す る も の で は な い ︒ 實 謹 的 研 究 の 結

果 に よ れ ば ︑ 眞 に 實 在 す る 竜 の は ︑ 人 は 肚 會 集 團 の 一 部 を 構 成 す る が 故 に 行 爲 準 則 に 服 從 せ し め ら

る ㌦ の 事 實 ︑ 及 び 総 て の 個 人 は 肚 會 的 存 在 な る が 故 に 或 る 一 定 の 使 命 を 遽 行 す 可 き 肚 會 的 義 務 を 負

澹 し 此 の 使 命 途 行 の 蔦 に 要 求 せ ら る \ 一 定 の 行 駕 を な す の 能 力 を 有 す と の 事 實 の み で あ る ︒

ω 客 観 的 地 位 の 意 義

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r 以 上 の 行 爲 準 則 ︑ 即 肚 會 規 範 に 關 す る 實 謹 的 研 究 は 次 の 結 論 を 導 く ︒ 即 ︑ 此 の 肚 會 規 範 は ︑ 個 人

たると集合膿πるとを問はず何人に竜権利﹁自己の人格を他の人格に封して強制し得る能力を附

π

︒︒9ε

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(14)

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6g︒︒︑一&凶く一一5b︑ミい︑輿︑ミk︑N"

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︑ ミ ミ ︑こ ミ ︑ ミ ︑ ミ 鳥 惑 ︑ ミ 偽 輿 轟 ミ ミ 偽 ミ ミ 誉 恥 ミ ミ ミ " ミ 誉 ミ ぎ 鳶 誉 焼ミ 隔 ミ 譜 q ミ ミ . ( ○ ℃ . ︒ 団£ ︾ . ∩ o ヨ 梓P

ω 図 ︒︒梓 o, ヨ ① α ¢ 弓 2 一江 ρ 口 o ℃ ○ 降 一く o 払 集 ¢ 一 ◎︒ 9 9 押 ℃ . ω 9 ・)

か く て 實 謹 的 研 究 に よ れ ば ︑ 實 在 す る 竜 の は 肚 會 連 帯 に 基 く 個 人 の 義 務 即 ﹁ 肚 會 的 職 分 ﹂ な る 義

務 の み で あ つ て ︑ 権 利 な る も の \ 存 在 す る 飴 地 は な い の で あ る ︒ 個 人 叉 は 國 家 を 以 て 権 利 主 膿 と な

す は ︑ 抽 象 的 ︑ 個 人 的 ︑ 形 而 上 學 的 ︑ 先 験 的 概 念 で あ つ て 上 述 の 實 謹 に 反 す る ︒ そ は 近 世 肚 會 の 實

謹 的 組 織 の 中 に 地 位 を 有 す 可 か ら ざ る 思 想 で あ る ︒ 権 利 主 膿 の 権 利 關 係 は 實 在 す る も の で は な く ︑

肚 會 的 職 分 な る 義 務 の 肚 會 關 係 で あ る と こ ろ の 客 観 的 地 位 の み 實 在 す る ︒ 自 然 権 の 主 張 の 如 き は 一

の 夢 想 に 過 ぎ な い ︒ 由 來 権 利 思 想 は 形 而 上 學 的 概 念 で あ つ て ︑ ロ ー マ 法 の 膿 系 は ぎ 罵 } 暮 及 び

脅 ヨ 一身 暮 な る 思 想 に そ の 基 底 を 有 す る の で あ る が ︑ 斯 く の 如 き 先 駒 的 概 念 が 決 定 的 に 排 除 せ ら る

可 き 肚 會 経 濟 制 度 が 今 や 作 ら れ つ \ あ る も の と 思 は る \ ︒

(15)

三行爲準則の一般的特質以上なし來つπ説明を要約すれば︑肚會規範は肚會と共にあり︑そ

の存在は要請せらる可きものであつて︑學者の努力はその認識に向けらる可きものである︒かくて

吾々は實謹的肚會學的方法を探蚕︑肚會連帯の事實によゐてこの規範を把握し︑椹利は實在する竜

のに非ずして實在するものは肚會的職分のみなることを明かにし得π︒次の課題は︑上述の内容を

有する肚會規範は如何なる特質を有するものであるかと云ふことにあらねばなら諏︒以上これを述

0り行爲準則は祉會の事實に基礎を有する

既に明かになうカるが如く行爲準則は杜會連帯より駿生せるものであつて︑肚會連帯と同様の特

質を以て現れ︑肚會連帯の如くに個人的であると同時に肚會的である︒

規範の基礎が個人的なウとは︑それは人が肚會生活をなすが故に存在し︑然らぎれば斯かる規則

は存在し得ずとの意である︒そは人類結合の存する限わ常に存在する︒此の黙ようすれば︑注及び

道徳を以て自生的なりとなし肚會進化の自然的産物なちとなす純正祉會學的見解に一致する︒從つ

て吾々は︑肚會に先在する個人的灌利義務に基礎を求むる見解に反封せざるを得ない︒行爲準則は

正しく肚會的産物であつて︑肚會の存在は行鴬準則の存在を意味する︒

(16)

()

行駕準則が個人的なうとは次の理由に基く︒第一にこの観念は個人の意識にのみ存し得るが故で

ある︒所謂る肚會意識は輩なる假定であつて︑祉會連帯の観念は排他的に個人意識に存する竜ので

あう︑肚會連帯の螢展は個人意識の憤充に一致する︒意識の内容は肚會的であらうけれども︑意識

自禮は個人の意識である︒而して肚曾連帯の観念と行儒準則の観念とは同一なるが故に︑行駕準則

の観念は排他的に個人の意識である︒個人の意識の中にのみ吾々は行偶準則或は肚會連帯を見出す

ことが出來る︒ドイツ歴史學派の所謂る民族意識は肚會學者の肚會意識と等しく一の擬制である︒

次に︑行禽準則は個人にのみ適用せらる\が故に個人的である︒それは意識と意思の主膿のみを暴

束し得るに過ぎない︒此の意識と意思とが行蔦準則の適用を可能ならしめる︒是等なくしては︑因

果律は存在し得るであらうが︑目的律は存在し得臓︒而して行駕準則は目的律であり意識と意思と

の主膿は個人である︒如何なる集團もその意識と意思との實在が科學的に立謹せられざる限う之が

適用を見る事を得楓︒

②行儒準則は強弱の冨別なく適用せらる︒

肚會連帯は同一集團に属する個人を例外なく包含するものであう︑從つて行爲準則は総ての個人

に例外なく課せられ︑肚會連帯の紐帯によ蚕て結合せらる\個人の間に差異を見ない︒故に國家も

(17)

亦その適用を受ける︒由來國家とは霜政者の團膿であつて︑個人よう分離せる濁立の人格ではな

い︒國家の意思と稻する乙とあるも︑そは表現上の便宜に外ならない︒國家とは︑入類杜會に於け

る個人或は個人の集團が當該肚會の一定範園の強制力を濁占するに至つπとき登現するものに過ぎ

臓︒即︑治者と被治者との永績的分化である︒實謹し得るものとは個人意思の登現のみであつて︑

個入意思よら離れπ國家の軍一意思は形而上學的假説である︒そは科學的慣値を有せ澱︒國家の意

思は實在せずして實在する竜のは爲政者の個人意思のみである︒從つてか\る爲政者も亦肚會連帯

の義務を負ふ︒後述する如く︑此の行爲準則が客観法なうとせぱ︑國家も亦法に服從するとは容易

に理解し得るところである︒

㈲行鴬準則はその内容に於て普遍的永績性を有し︑その形態に於て可攣性を有する︒

総ての肚會は連帯であう総ての行駕準則は肚會連帯に於ける協働を命ずる︒総ての祀會關係は類

似と分業との連帯關係であり︑從つて行爲準則の普遍的内容は永績的である︒

之と同時に︑此の二種の連帯がとる所の形態は時間的空間的諸條件の差異にようて獲化する︒故

に行爲準則の適用形態に於ける痩化性は必然的の蹄結である︒歴吏家及び肚會學者の任務は︑連帯

進化の現象を考察し特定時期に於ける肚會事實の観察にようて當該時期の行爲準則の内容を把握表

(18)

商學討究第五巻(下)四入○

現することにあらねばならない︒

斯くの如く︑行爲準則の内容に普遍性と永績性とを認むることを以て︑直ちに自然法を許容する

ものと解してはならない︒自然法は幾何學的眞理を含んだ絶封的の法であつて︑総ての入類肚會が

之に向つて努力す可き肚會理想である︒然るに行儒準則は理想に非ずして一個の事實である︒そは

適用形態に於て人類肚會と同様に愛化し︑多様な生活關係に從つて憂化する︒それは肚會の無限に

多檬なる構造から流れ出でるものである︒

要之︑行爲準則は肚會連帯に基いて存在し︑人が他人と連帯的なるを意識するとき行駕準則を意

識する︒從つて乙の二個の観念は同一であうその進化は準行する︒行駕準則はその基礎に於て肚會

的であう︑その適用及び意識に於て個人的である︒そは基底的内容に於て永績的であり適用に於て

間断なく凝化する︒斯かる行駕準則は法でないであらうか︑これ次に研究せんとすると乙ろであ

る︒

第 三 節 行 爲 準 則 と 法 (客 観 法 )

(19)

O

幽 以 上 述 べ 來 う π る 所 に よ わ て ︑ 行 爲 準 則 は ︑ 肚 會 に 先 在 す る 個 人 権 な る 形 而 上 學 的 概 念 に 依

族 す る も の に 非 ず し て ︑ 類 似 及 び 分 業 の 連 帯 の 事 實 に 基 く 肚 會 規 範 な る こ と を 理 解 し 得 虎 ︒ 而 し て

叉 ︑ 個 人 は 肚 會 的 存 在 な る が 故 に 此 の 規 範 に 服 從 す る 義 務 あ る こ と ︑ 此 の 規 範 に 違 反 す る 個 人 行 爲

は 肚 會 的 反 動 を 喚 起 す る Z と ︑ 及 び 此 の 規 範 に 適 合 す る 総 て の 個 人 行 爲 は 肚 會 的 是 認 を 受 け る も の

な る こ と も 認 め 得 力 ︒ 此 の 肚 會 連 帯 の 観 念 に 包 含 せ ら れ 泥 る 行 駕 準 則 の 観 念 は 即 法 菊 σ σq 一︒ ^げ ・一 ﹁︒ 搾

允 る 竜 の で あ る ︒ 肚 會 連 帯 の 意 識 よ う 行 駕 準 則 は ︑ 國 家 が 之 を 宣 言 し 之 に 拘 束 力 を 附 與 す る 以 前 に

既 に 法 で あ る ︒ 肚 會 相 依 の 關 係 に 基 い て ︑ 人 は 自 己 の 行 駕 に 樹 す る 規 範 を 明 確 度 の 差 こ そ あ れ 常 に

意 識 す る ︒ 此 の 行 爲 準 則 は ︑ 肚 會 に よ う て そ の 違 反 に 卦 す る 制 裁 が 組 織 せ ら る \ 以 前 に 既 に 法 で あ

る d 行 駕 準 則 は 肚 會 連 帯 の 結 果 な る が 故 に そ れ 自 膿 に 肚 會 的 制 裁 を 持 つ ︒ 法 を 以 て 國 家 の 創 造 す る

と こ ろ と な し そ の 拘 束 力 は 國 家 に よ ウ て 與 へ ら る \ と な す は ︑ 形 上 而 學 的 個 人 権 の 假 説 の 上 に 立 つ

も の で あ つ て 實 謹 的 見 地 よ う は 排 斥 せ ら れ ね ば な ら 澱 ︒

思 ふ に ︑ 強 制 に よ る 制 裁 の 問 題 は こ の 準 則 に 服 從 す る 者 が 意 思 に 基 く 行 爲 を な せ る 場 合 に 登 生 す

(20)

(4

る︒若し行爲がこの準則に合致する竜のならば必然に肚會的数果を齎す︒蓋し行爲準則に適合する

行鴬は肚會連帯に協働するものなるが故である︒從つてそれは︑肚會連幣を意識する個人の集團に

自然に満足を與ふる結果となる︒

肚會連帯を観念するに當う︑人は之に合致する行爲を観念し希望し︑且之を遵奉する︒若しも行

爲準則に脊致する行爲あうとせば︑砒會連帯に劉する侵害となら肚會連帯の意識を有する個人によ

う て 侵 害 な う と 解 さ れ ︑ 從 つ て 個 人 集 團 よ う の 反 動 を 挑 襲 す る ︒ 換 言 せ ば ︑ 行 駕 準 則 違 反 の 行 駕 は

肚 會 連 帯 の 侵 害 と な う 反 肚 會 的 な う と 考 へ ら る \ ︒ 然 ら ば ︑ 行 爲 準 則 に 適 合 す る 行 霧 に 劃 す る 肚 會

的 承 認 か ︑ 式 は 之 に 反 す る 行 爲 に 劃 す る 祉 會 的 非 難 か 何 れ か の 一 が 存 在 せ ね ば な ら な い こ と ㌧ な

る ︒ 斯 か る 肚 會 的 是 認 と 反 動 と の 意 識 は 時 間 的 空 間 的 諸 條 件 の 差 異 に よ う て 異 れ る 形 式 を こ そ 探

れ ︑ 肚 會 連 幣 の 意 識 存 す る と ≧ ろ 常 に 存 在 す る の で あ る ︒ 故 に 肚 會 連 帯 の 観 念 は 行 爲 準 則 の 観 念 を

包 含 し ︑ 從 つ て 肚 會 的 制 裁 の 観 念 を 包 含 す る と 云 ひ 得 る ︒ 斯 く 観 察 し 來 れ ば ︑ 行 爲 準 則 は 敢 て 實 力

的 制 裁 組 織 を 有 せ ず と も 既 に 法 で あ る ︒ 從 つ て ︑ 肚 會 連 帯 の 事 實 が 法 の 基 礎 で あ つ て ︑ 之 を 要 約 す

れ ば ︑ ﹁ 肚 會 事 實 ︑ 即 肚 會 連 帯 ︑ 即 進 化 ︑ 即 法 ﹂ と な る で あ ら う ︒ こ れ 所 謂 る 客 観 法 U δ 津 ︒ 9 ・ ︒ 焦

の 本 質 で あ る ︒ か く て ︑ 法 は 肚 會 連 帯 の 事 實 に 基 い て そ れ 自 身 に 拘 束 力 を 有 し 國 家 に 先 在 す る も の

(21)

なるが故に︑治者も被治者も共に之に服從せねばならない結果となる︒

二杜會連帯の理論に基く法の概念に封し︑種々の反劉論がなされ得るであらう︒主要なる反封

論の根擦を分析せば次の如きに蹄着する︒即︑法は肚會的規範であつて個人の意思力では無く︑肚

會相依は肚會結合㊨基本的要素なることは容認するも︑そは輩に一個の事實を認めπるに過ぎな

い︒然し︑軍なる事實が法の基礎となb得ざるは︑恰もそれが直ちに道徳律の基礎となり得ざると

同榛である︒かくて︑輩なる肚會事實に基く全膿系は崩壊するであらうと︒

此の推論は道徳律に關しては一鷹正當なる可きも︑法に關しては承認し難い︒道徳的原則を確立

する爲には善悪の標準を確定する乙とが必要條件であつて︑道徳律は善なるが故にある行爲を要求

し悪なるが故に他の行駕を禁止する︒道徳律はそれが命ずる行爲の内在的債値にその根抵む持つ︒

禁止せられ叉は要求せらる\行爲の標準が事實以外に存する場合の外は眞の道徳的命令πるを得な

いであらう︒

反之︑法に適合する行駕は肚會的なるものに適合する行爲である︒法は肚會的なるが故にあるこ

とをなせ︑反肚會的なるが故に或る行爲を愼む可しと云ふのである︒法的義務とはそれ自燈内在的

に善なることを駕すの義務ではなく︑肚會的慣値を有することをなすの義務︑反肚會的行駕を爲さ

(22)

商 學 討 究 第 五 巻 ( 下 ) 四 八 四

ビ る の 義 務 で あ る ︒ 法 π る や 否 や の 標 準 が 規 律 違 反 に よ う て 惹 起 せ ら る \ 肚 會 的 反 動 に あ 6 と し て

一 般 に 認 め ら る こ と は 之 が よ き 鐙 左 と な る で あ ら う ︒ 然 ら ば ︑ 法 は 自 己 を 事 實 に 適 合 せ し む る の 規

律 な る 限 う 事 實 に 依 擦 せ ず と 云 ふ 可 き で な い ︒ 事 實 こ そ ︑ 眞 に そ れ が 肚 會 的 で あ る な ら ば ︑ 法 の 眞

の 基 礎 で あ る ︒ 從 つ て 法 に 關 す る 全 問 題 は 肚 會 相 依 ︑ 即 ︑ 肚 會 連 帯 が 事 實 な う や 否 や の 問 題 に 昂 着

する︒而して肚會連幣が肚會の事實なるや疑問の籐地ない所なるが故に︑法ー客観法の基礎は肚

會 連 帯 の 事 實 な り と す る は 極 め て 妻 當 で あ る ︒

第 四 節 法 と 道 徳

以 上 述 ぶ る 所 に よ b て ︑ 形 而 上 學 的 ア ・ プ ソ オ リ 概 念 か ら 隔 れ 尤 法 の 構 成 が 大 略 明 瞭 に な つ だ と

思 ふ ︒ 其 庭 で 吾 々 は ︑ 法 の 地 位 輪 廓 を 明 か に す る 偶 に ︑ そ の 隣 接 匠 域 と で 竜 稽 す 可 き 道 徳 と の 關 係

に っ い て 簡 軍 な 考 察 を 加 へ る こ と \ す る ︒

吾 々 は 行 爲 準 則 を 以 て 法 な う と な し π ︑ 何 故 に 行 駕 準 則 は 法 に し て 遣 徳 で な い の か ︒

法 が 一 定 の 行 鶏 を 禁 止 し 或 は 命 ず る の は ︑ そ の 行 駕 自 燈 の 先 験 的 原 則 に 從 つ て 善 で あ り 悪 で あ る

が 駕 で は な 鴎 ︑ 特 定 人 類 集 團 の 肚 會 關 係 に 背 致 し 或 は 適 合 す る が 駕 で あ る ︒ そ れ は 人 間 意 思 の 外 部

(23)

的表現のみに着眼し︑人の内部的思惟欲望を規律するものではない︒それは他の意思との關係に入

ウπる意思のみに適用せらる㌧︒然るに︑倫理は行爲自膿の内在的慣値を評慣する原則を確立する

のであつて︑行爲を評償しその善悪を知らしむる規準なる限う倫理的である︒而しと吾々が既に探

及した行駕準則は斯くの如き性質の規準ではない︒人は肚會連帯に協働す可しと云ふのは︑斯かる

協働がそれ自膿内在的に善なるが爲ではなく︑人として肚會連帯にようてのみ生存し得るが故であ

る︒問題は善悪の債値剣断ではない︒若し然ゐとせば實謹科學の關與せぎるところである︒吾々の

行駕準則は行爲の内在的慣値評慣の規準ではないのであつて︑それは行爲の肚會的慣値決定の標準

であり︑個人の行爲が生ぜしむる肚會的敷果の上に基礎を置く︑故に行爲準則は法にして道徳では

ないのである︒之本質的の差異である︒

第 五 節 法 と 國 家

1

法と國家との問題は極めて多くの課題を包藏し︑デ逸ギー法理論の構成は結極此の問題解決

(24)

()

に向けられてゐπのである︒然し今は多岐に渉らず︑法の本質究明に必要なる限うに於てのみ國家

との關係を考へる︒

以上の歎節に於て吾々は︑法は肚會連帯の事實に基くものであう︑法の拘束力はそれ自膿の性質

に基くもので國家によりて附與せられπるものに非ざることを理解しπ︒從つて法は其の螢現に於

て國家と無關係であム之に先在する竜のである︒國家は法律一︒一を制定して既存の法を確認明示す

る︒斯かる場合には法の敷力は極めて大とならう︒かくて國家組織は極めて大なる意義を有するの

であるが︑法そのものの登現とは關係を有せ楓︒法律は國家が制定しπる竜のなるが故に法が性質

を有するのではなく︑既存の法に合致するが故に然るのである︒法は肚會構成員の意識にようて登

現し國家とは關係を有せ綴︒﹁法は國家の創造ではない︒國家の外に存在する︒法の観念と國家の

観念との間には何等の牽連はない︒法は個人を拘束すると同標に國家をも羅束する︒﹂

政治的分化の跡を辿らざる肚會の實例は肚會學者にようて示されて居る︒然竜その成員は行爲準

則を意識する︒これ法πるに妨あるであらうか︒然らば國家状態に磯達せる肚會の有無は法の存否

に取釦て重要でない︒それ自膿に肚會的制裁を有する肚會規範として理解せられた法は完全に國家

概念とは濁立であう︑且之に先行し之よう包括的である︒吾々は未だ國家に就vて語ると乙うなき

(25)

に︑輩に杜會の一般的構成の観察︑肚會連帯の事實ようして︑既にその根抵及び制裁に於て肚會的

なる行爲準則の観念に到達したのである︒これが法たらざるの理由はない︒

更に文化の高き程度に達し政治的権利の組織を有する肚會にあウても︑個人の集團によりて理解

せられ︑その起源に於て肚會的であう︑之が侵害に劃しては肚會的反動による制裁あう︑之に適合

するときには肚會的是認を受くるところの行爲準則存在し︑然竜國家にようて採用せられざるもの

がある︒是等と錐竜法だるに毫も妨なしと云はねばならない︒

=上述の理論に反劃するものは︑法を以て國家の創造物なウとなし︑その源泉として主擢の概

念を構成し︑その蹄属主禮として國家の人格を主張する︒國家の人格化は個人とは濁立せる集團の

實在を豫定するものである︒ある者は國家の人格化は法律の眼にのみ存在するもの雷であるとなし︑

ある者は擬制であるとなし又は一の抽象であるとする︒然し乍ら注學は閉鎖せられπる世界ではな

く實在の世界である︒それは現實の事實を取扱ふものであつて擬制や抽象を取扱ふものではない︒

實謹的研究によれば︑基本的であう箏ふ可からざるものは個人の意識と意思のみである︒而して

叉︑人は肚會的であb他と連帯することを示す︒此の連帯は個人目的及び肚會目的の永績的合致で

ある︒肚會的であう個人的である人はこの連帯にようてのみ生存し得る︒此の事實に依擦する法は

(26)

()

其の適用形態に於て攣化性を有し︑その内容は永績的であう︑その敷力に於て普遍的であつて総て

の肚會成員に同等の義務を課する︒國家は治者と被治者との政治的分化なるが故に︑治者も被治者

竜法に服從する︒治者も亦客観注に從ひて行動す可く︑その範園に於てのみ適法に行動し得る︑治

者の意思は被治者の上に生來的優越性を有するものではなく︑叉治者の権力はそれ自燈の性質上合

法的なるものでもなく︑肚會連帯に於ける協働を保謹する爲に行使せらる\限うに於てのみ正當で

ある︒かくて國家は肚會連帯の保護を義務とする意識的の力である︒それは個人的莉盆及び集合的

利盆の便宜的綜合である︒吾々の眼には主権の主膿としての濁自の人格は存在せずして國家も亦客

観法に服從する︒從つて法は主権の命令であウ國家の創造なわとなすは何等慣値なき濁断であると

云はざるを得ない︒

一昌最後に實定法と法との關係について考へる︒思ふに︑或る文化程度に達しπる肚會にあうて

は︑實定法を制定することは國家の重要なる職能の一である︒それは一般に國家主権の創造なうと

せられてゐる︒然し乍ら︑吾々の考察にあうては︑實定法は既存の法を確認明示せるものに過ぎず

して︑法の遵守を保謹する爲の組織的手段に外ならない︒實定法が拘束力を有するのは︑治者の命

今を包むが爲でなく︑それ自燈に拘束力を有する法に合致するが故である︒實定法は法を實現する

(27)

と き に の み 命 倉 π め 得 る ︒ 實 定 法 は 法 と 一 致 す る 限 う 法 と 同 一 性 質 を 有 し ︑ 普 遍 的 で あ う 総 て の 人

の 上 に 拘 束 力 を 有 す る ︒ 法 は 治 者 に も 被 治 者 に も 権 利 を 與 ふ る も の で は な い ︒ そ れ は 客 観 的 地 位 を

創 造 す る 竜 の で あ う ︑ こ の 法 的 地 位 は 法 的 義 務 及 び 是 等 の 職 分 を 遽 行 す る 能 力 と ︑ そ の 途 行 を 妨 ぐ

る 障 害 を 除 去 す る 能 力 と を 包 含 す る ︑ か く て ︑ 治 者 竜 被 治 者 竜 此 の 職 分 途 行 の 駕 の 権 利 を 有 す る に

過 ぎ な い 之 と \ な る の で あ る ︒

量玉口口

以 上 述 べ 來 り た る と こ ろ を 以 て 法 の 本 質 に 關 す る デ ュ ギ ー の 説 明 を 終 る ︒ 要 す る に 彼 の 學 説 は ︑

﹁ 肚 會 事 實 ︑ 即 肚 會 連 帯 ︑ 即 進 化 ︑ 即 法 ﹂ と 云 ふ こ と に 臨 着 す と 云 ひ 得 る で あ ら う ︒ 而 し て 其 の 主

張 は ﹁ 灌 利 本 位 よ b 義 務 本 位 へ ﹂ で あ る ︒ 即 ︑ 連 帯 事 實 を 基 礎 と し て 義 務 の み の 存 在 を 説 き ︑ 客 観

法 は 此 の 義 務 事 實 に 關 す る 肚 會 意 識 を 基 礎 と す る 法 則 で あ つ て ︑ そ の 規 律 す る と と ろ は 権 利 主 髄 の

關 係 で は な く ﹁ 法 的 地 位 ﹂ に 基 く 義 務 の 關 係 で あ る と す る ︒ 斯 く て 客 観 法 本 位 は 治 者 も 被 治 者 竜 肚

會 に 劃 す る 奉 仕 義 務 者 に 過 ぎ な い と な す こ と \ な う ︑ 從 つ て 個 人 主 義 國 家 主 義 の 否 定 と な る ︒ 此 の

根 本 的 立 揚 よ り ︑ 彼 は 公 法 に 私 法 に あ ら ゆ る 断 案 の メ ス を 振 ふ ︒ 彼 の 所 謂 る 實 謹 的 肚 會 注 説 い 9

 

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