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言語の表記と理念化について 中 川 勝 昭

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Academic year: 2021

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(1)

言語の表記と理念化について

中 川 勝 昭

はじめに

本稿では,数という理念的対象の表記を検討することから出発して,それと の比較を通じて,言語の表記と理念化の問題について考察する。

1.理念的対象の表記

数の概念とは,どのような経験的主観性からも全面的に解放された存在であ る。日本語の「ななつ」という言葉で意味されるものも,英語で

s e v e n

と呼ば れる概念も,あるいはその他の言語の場合であっても,全く同一のものである。

それゆえ,数とは,その音声的な表出の形態がどのようなものであれ,絶対的 に客観的な存在である。それは,数というものが,経験的な世界に具体的な相 関物を持たない理念的対象だからである。

数のような理念的対象が,その感性的な受肉化に対して自律性を保っている のは,当然のことながら,表記の場合も同様である。数の表記方法,すなわち 記数法には人類の歴史上様々なものが存在したが,表記の仕方によって数の概 念そのものが変容を被るということは全くあり得ないことである。

人類の歴史上に現れた記数法は,大きく三つに分類されるという。1) 加算型 記数法,混合型記数法,そして位取り記数法である。数を記録するための最も 原始的な方法は,数えられる対象と一対一対応でしるしを付けていくことであ る。例えば,所有する家畜の数を記録するために,手ごろな大きさの木片に家 畜と同数の刻み目をつけておくといったことがそれに当たる。しかし,こうし た記録方法は,厳密には数の表記とは見なされない。「記数法」と呼ばれるも

1) D .ゲージ『数の歴史』1 9 9 8

年,創元社,p3 6-5 4. G.G.ジョーゼフ『非ヨーロッパ起源の数学』1 9 9 6年,

講談社,p7 5-7 8. 前者の「加算型記数法」,「混合型記数法」,「底」という用語は,後者ではそれぞれ,

「加算的グループ化記数法」,「乗法的記数法」,「基数」となっている。

(2)

のには,一つの共通した原理が存在している。それは,一定数の要素が集まっ た集合をそれより上位の集合の要素として繰り入れていく「底の原理」である。

十進法で言えば,10が底であるし,二進法ならば2が底である。

加算型記数法とは,表示すべき数に達するまで,或る単位を表す数字を並べ で表記する方法である。この記数法として現在でもよく知られているものは,

ローマ数字である。例えば,十進法を底としている場合,23を表示するため には,10を表す記号を二つと1を表す記号を三つ並べて書くことになる。

混合型記数法とは,加法と乗法の両方を利用する方法で,漢数字による表記 方法がこれに当たる。二十三と書けば,その数字通りに読まれるが,明示され てはいない一定の規則に従って乗法と加法を交えて,23として理解されるの である。

加算型記数法も混合型記数法も,十進法の場合であれば,10,100,1 000…と位が上がるにつれて,新たな数字が必要とされる。そして,無限に 続く自然数列に対応するためには,無限に数字を作り出していかなければなら ない。これに対して,位取り記数法では,0から9までの十個の数字でどんな 大きな数でも表現することが可能である。位取り記数法の場合は,他の記数法 ならば,新しい数字で対応するはずのことを数字の位置関係に担わせているか らである。つまり,位が一次上がる毎に左側に数字を並べていくという方法で 対応しているのである。

このような効率性・経済性の観点から考えて,現在では,位取り記数法が最 も優れた記数法と見なされているが,数自体からすれば,どの記数法にも全く 優劣はつけられない。最も経済的と考えられる位取り記数法が,他の記数法に 比べてより良く数の概念を反映しているということは全くないからである。

2.極限的な表記の可能性

ところで,もし,数を表示するのにどのような表記方法を採用しても優劣が つけられないのだとするならば,以下に示す厳密には記数法とは呼べないかも しれない二つの極端な方法も排除されないことになる。記数法と呼べないのは,

どちらの方法も底の原理に基づいていないからである。

(3)

例えば,

3 8 1 1 5

という数を表記することを考えてみよう。数の本質とは,純 粋な「差異性の抽出と保存」2) にあるのだから,一つの方法は,その差異性そ のものに一つのしるしを対応させることである。これは,ある意味で最も原始 的な方法である。縦に一本棒線を引いて1を表すものとし,2なら二本の棒線,

3なら三本の棒線を引く。したがって,

3 8 1 1 5

を表すには,三万八千百十五本 の棒線を引くことになる。一つ一つの差異性相互の間には,差異はないから,

1番目の要素も

3 8 1 1 5

番目の要素も全く同一である。その点からすれば,全て を一本の棒線で表すことにも正当性がないわけではない。

また,1,2,3… という数は,それぞれが意味の統一体であり,それぞ れ他のどの数とも異なっているから,個々の数に対してそれぞれ別な記号を与 えることも可能である。1から順番に一つ一つの数にそれぞれ別な記号を割り 振っていき,一つの記号によって

3 8 1 1 5

を表すのである。この方法を適用する 場合,割り当てられる記号も相互に異なっていなければならないから,自然数 列を表すためには,無限の記号が必要になる。

無論、これらの方法は,実効性を無視した両極端の場合である。前者の方法 は,棒線がある程度の数を超えると,一目見ただけではどの数を表しているの かわからないから,その都度棒線を数え上げていかなければならないだろう。

また,後者の方法は,一つ一つの記号がどの数を表しているのかを記憶してい なければならないから,どの数を表すにも一字で済むという簡便性を割り引い たとしても,記憶にかかる負担は計り知れないものになるだろう。

それにも拘らず,これら二つの方法は,数の概念そのものを侵食することな く,権利上認められる。このことは,先に挙げた三つの記数法を,新たな光で 照らし出してくれる。上記の三つの記数法は,いずれも二つの両極端の中間に 位置するものであると言える。「中間」と言ったのは,いずれの場合も,一定 の数を底として設定しているからである。そして,その底に基づいて,表記の 簡略化を図り,利便性を高めているのである。それは,逆に言えば,人間の視 覚的認知の精度と記憶力の限界が刻印されているということになる。底を設定

2) E.カッシーラー『実体概念と関数概念』1979年,みすず書房,p56.

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するということ自体は,全く主観の側の都合であり,数の本質とは何の関係も ないことなのだから。

このように,理念的対象としての数は,自らは表記方法を選ぶことなく,主 観に対して自律性を保ち,絶対的客観性を常に維持している。

3.言語の理念化

これに対して,言語は,数をその一部分として含んでいるとはいえ,全体と して見た場合には,表記との関係は,数の場合と対照を成していると言える。

言語は通常,表記が存在しない場合でも機能し得るものだが,それが「本質」

としての理念性を獲得するのは,表記されることによって初めて可能になるの である。実践の中に投入されている言語は、本質論的な問いとは無縁だが、一 旦、「言語とは何か」という問いが立てられるや否や、表記という係留点が必 要とされるのだ。

実践の中で機能している言語は,特定の状況や文脈的なコンテクストに取り 囲まれているばかりでなく,発話者が誰であり,その人物が言いそうなことや 決して言いそうもないことについての期待と共に受け取られる。しかも,その 発話者特有の音声的特徴や言い回しというものも伴っている。

実践での言語を取り巻く,こうした様々な情報は,何も言語にとって偶然的 な付帯事項として,後から加わったものではない。これまでの音声学的な実験 や音声認識装置の実現化によって示されてきたように3),言語が完全に機能す るためには欠かせない重要な構成要素なのである。聴取者は,常に,最も広い 意味での「コンテクスト」を頼りに発話者の言葉を理解するのである。ある言 明は常に誰かの声の特徴を帯びているものであるし,その十全の意味は,当該 コンテクストの中でしか汲み取ることができない。

ところが,その同じ言明が文字によって表記されたとするならば,実践の中 で話された言語にとって自明のものであった,上記のような様々な情報が失わ れ,中性化されてしまう。どのような種類の文字を使うのであれ,発話者の音

3)

拙稿,『音声認識ソフトが「記号」にとって意味するもの』,九州工業大学情報工学部紀要

(人間科学),

第13号,平成12年3月,p65-70.

(5)

声的な特徴は反映されず,音声の形相だけが抽出され,いわば「誰のものでも ない」言明になってしまう。また,書かれることで,具体的なコンテクストか ら引き離され,いつでもどこでも理解可能だか,だからといって完全には理解 することができないものになってしまう。

こうして,言語は書かれることによって,誰にもどこにも所属しないものと なるが,その宙吊り状態の代償として,特定の主観に依存しない理念性を獲得 するのである。

4.言語の表記の可能性

ところで,言語を表記する方法にも様々なものがあるが,実践状態の言語が コンテクストを参照しつつ機能するものであることを考えれば,言語の表音的 な側面のみに着目して表記することは,多くの可能性の内の一つを選択してい るに過ぎないことになる。つまり,実践的な言語使用であるならばコンテクス トが担うはずの役割を,ある種の文字に負わせることも一つの表記の可能性で ある。もちろんそれは,当該言語の特徴との強い関連性をもっているのだが。

例えば,古代エジプトで使われていたヒエログリフのような古代文字にしば しば見られる,限定符という記号がある。その名のとおり,或る文字の意味の 限定をする働きを持つが,それ自身は発音されない記号である。ヒエログリフ の体系は,子音のみを表す子音文字を中心的な構成要素とし,そのほかに,一 文字で一語を表す表語文字と上記の限定符という記号が用いられる。ヒエログ リフの中には,筆記用具をかたどった文字があり,その音価は

/

s/

であるが,

この音価自体は「書く」という概念一般を表しており,この文字一つだけでは 十分な理解ができない。そうした場合に,限定符を用いて意味を明確にするの である。この文字の横に男をかたどった限定符を置けば,それは「書記」の意 味になるし,巻物をかたどった限定符を置けば,「書物」の意味になる。4)この 場合の限定符は,実践においては,文脈や状況が果たす意味の限定という役割 を代わりに担っていることになる。

4) V.デイヴィス『エジプト聖刻文字』1996年,學藝書林,p56.

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また,日本語のように同音異義語が多い言語の場合にも,表記の中に意味を 限定する要素が必要である。日本語をかな文字やローマ字のような表音文字だ けで表記すると著しく理解しにくくなるのは,実践的な状況で意味の限定を担 うものが,音声のみの表記の場合には失われてしまうからである。日本語の表 記の場合は,漢字が同音異義語の迷路から抜け出す導きの糸となっている。5)

一つの言語音声が発せられたとして,それが,同じ意味へと辿り着く経路は 一様ではない。音声が完全に相手に伝わって,その音声のみで理解に到達する 場合は,幾つも存在する可能性の一つに過ぎない。ある場合には,音声が半分 程度しか聞き取れず,前後の文脈や状況によって理解が補われることがある。

また,喧騒の中,ほとんど互いの音声が聞き取れない状況でも,コミュニケー ションが成立する場合がある。その場合,状況による意味の限定ばかりでなく,

相手の口の動きも理解の助けとされるかもしれない。これは,確かに例外的な 場合であうろう。しかし,文脈や状況が実践的な言語の不可欠の構成要素であ るならば,それらの要素が示す,その都度様々に変化する関与の度合いの一つ の例ではあるのだ。

5.アルファベットの有効性と「記号」

言語の音声的な特徴のみを抽出することが,言語の本質を構成する唯一のや り方ではないとしても,アルファベットという単音文字体系があらゆる言語の 表記に対して有効であるという事実は,揺るがしがたいものである。単音文字 体系の適用は,どの言語も四十程度の音素という単位で構成されているという 仮定に基づいているが,その経済性ばかりでなく,単音文字で表記することは,

言語の分析にもその効力を発揮する。

ギリシャ語やラテン語のような典型的な屈折語の場合には,語幹と語尾の境 目が明確になり,語形変化を体系的に説明できる。また,例えば日本語の「来 る」という動詞の活用を考えた場合,単音文字で表記することで,意味的な同 一性に対応する

/k/

という形態上の不変な要素を視覚化することができる。こ

5)

高島俊男『漢字と日本人』平成

1 3年1 0月,文藝春秋,p1 5 0.

もっとも,そのような事態をもたらしたの が,ほかならぬ漢字への依存であるというのが本書の主張に沿った捉え方だろうが。

(7)

のようなアルファベットの有効性が,音声と意味の連合関係,すなわち「記号」

こそが,言語の本質であるという考え方を誘導したであろうことは想像に難く ない。

しかし、経済性と有効性は本質を保証するわけではない。言語の本質を具現 化するのが表記であるならば、1つの表記法を特権化するのではなく、あらゆ る表記の可能性を汲み尽くす作業が必要だろう。それは、言語の「1つの」本 質ではなく、様々な本質を洗い出すことを意味する。数のような理念的対象の 理解には、感性的表出の網羅的探求は不毛であろうが、言語の場合にはむしろ、

その理解を深めるものとなるだろう。

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