公式組織の基本要素をめぐって
その他のタイトル Comments on the Elements of a Formal Organization
著者 飯野 春樹
雑誌名 關西大學商學論集
巻 21
号 1
ページ 1‑22
発行年 1976‑04‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00021051
公式組織の基本要素をめぐって
飯 野 春 樹
は し が き
バーナード理論の影響力の増大に伴い,これに関心をもつ研究者がふえ,
論文や学会報告でバーナードを取り扱う人々が多くなってきた。
1 9 7 4
年9
月 には「日本バーナード協会」すら設立されている。筆者は,これだけ水を汲 みとれるのであるから,井戸は一本で足りる,その代り,せいぜい深く堀る ように努めたい,と願っている。バーナード理論において,彼の組織理論が中核的であり,戦略的である事 実に対しては,誰しも異議をさしはさまないであろう。しかしながら,その
「組織」をめぐる解釈においては,必ずしも意見の一致があるわけではな い。とくに「組織要素」をめぐって,いくつかの異なる理解がみられる。か
. . . . . . .
くして本稿は,まず組織の構成部分である活動または諸力について論じ,っ いで組織の基本要素に開する若干の見解を吟味し,そのなかで筆者自身の見 解を提示することを目指すものである。
このような問題の考察は,基本的ではあっても必ずしも生産的でないので はないかと思う。しかしながら,関係各位のご教示と反論を得ることによっ て,バーナード理論の正しい理解とその深化が促進されれば,筆者にとって この上ない喜びである。
公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
I
まず最初に,バーナード理論において,その組織理論のもつ意義を確認し ておくことにしよう。そうすることが,次節以下の考察に資することになろ う。
周知の通り,バーナードが主著
TheF u n c t i o n s of t h e E
咋c u t i v e .1 9 3 8
で試みたことは,そのクイトルから見るかぎりでは,組織理論にもとづく管(1)
理理論の記述であった。彼は,彼独自の管理論,つまり
t h e f u n c t i o n s o f t h e e x e c u t i v e
を構築するためには,新しい組織論を構想せざるをえなかっ(2)
たのである。彼自身,それを「公式組織の社会学」と名付けている。
およそ人間にかかわる管理と組織を論じるに当たっては,明示的にせよ暗 示的にせよ,一定の人間仮説が存在するはずである。伝統理論では,ほとん どの場合に暗示的であるが, 「経済人」仮説をとっている。バーナードはそ (1) このことについて,すでに主著執筆の直前,そのローウェル講義
( f 9 3 7 )で次
のように述べている。 「管理者の諸職能は,公式組織の生命の,区別可能ではあ るが不可分離の一側面・・・である。もしこの特殊な側面を理解しようとするな らば,組織の諸原則とその生存の条件もまた理解されねばならぬことは明白であ る。」主著( 1 9 3 8 )
では.「もしこれらの諸職能を適切に記述しようとすれば,そ の記述は組織そのものの本質に即したものでなければならない」といい,主著の 組織概念を説明した論文( 1 9 4 0 )
でも, 「組織の構造と動態的な性格に関連した 言葉でのみ,これをなしうることに気付いた」と述ぺている。後年.主著を回顧 して. 「私は,経営の実践やリーダーシップの諸問題の論議の不可欠な序論とし て,経営者がそれを用いて,それを通じて,あるいは,それによって仕事をしな ければならぬ必須の用具ないし装置の本質を記述ないし陳述しようとしたにすぎ ない」と述べている( 1 9 5 5 )
。主著の「日本語版への序文」( 1 9 5 6 )
でも. 「その ためには,彼らの活動の本質的用具である公式組織の本質を述べねばならぬこと がわかった」と記している。なお,管理理論に対するこのような組織理論の位置づけをもって.筆者がバー ナード理論をたんなる管理論としかみていないと誤解されないように希望してい る。
( 2 )
主著「日本語版への序文」.「新訳経営者の役割」3 4
ページおよびE l e m e n t a r y
C o n d i t i o n s o f Busi
加s sM o r a l s , 1 9 5 8 , p . 2 .
公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
れを排して,自由意志と責任とを具備した新しい自律的人間観を明示的に提 示する。彼によれば,個人とは「物的,生物的,社会的要因である,過去お—
(3)
よび現在の無数の諸力と素材を具現している・・・全体」であるが,そのよ うな性格をもつゆえにこれら諸要因によって制約されているけれども,次の ような一定の人格的特性を具備しているものとみなされる。つまり,(1)行動 する,(2)その背後に動機をもつ,(3)選択力,自由意志をもつ,(4)目的を設定 する,ということである。ここに,環境に影善される,物的,生物的,社会 的要因の統合物としての人間の「決定論」的な側面と,喋境に主体的に作用 する人間の人格的な「自由意志論」的な側面が含まれている。
バーナードは決定論と自由意志論,全体主義と個人主義のあいだから協働 を見出す。彼はいう。 「個人主義の哲学,すなわち選択や自由意志を重視す る哲学の最も普通な意味は, 『目的』という言葉にある。これとは反対の哲 学である決定論・・・の最も一般的な表現は『制約』である。個人には目的 があるということ,あるいはそうと信ずること,および個人に制約があると
(4)
いう経験から,その目的を達成し,制約を克服するために協働が生ずる。」
つまり,個人が目的達成をめざして制約に直面するとき,もし物的,社会的 制約よりは個人の生物的制約の克服が可能と認識されるならば,個々人のあ いだに協働が成立しうるとする。単純なものであれ,複雑(人数の増加によ る複雑化ばかりでなく,協働を促進する機械,設備などテクノロジカルな側 面をも含む)なものであれ,協働という動的過程が成立すれば,その具体的 な協働の場は,構造的には,協働システムと名付けられる。システムの特性 として,協働システムは,より大きいシステムのサプシステムであるが,そ れ自休いくつかのサプシステムをもっている。それらは,物的システム,社 会的システム,人間システム,およぴ,やがて公式組織と定義されるシステ ムである。
ところで,管理とは,変化する環境のなかで協働システムの均衡を維持し
(3) C . I . B a r n a r d , ・ The F u n c t i o n s of t h e E x e c u t i v e , 1 9 3 8 , p . 1 2 .
(以下,The
F u n c t i o n sと略記する。)
(4) I b i d . , p . 2 2 .
4 (4)
てその長期的存続をはかる専門的な過程である。バーナードは,あらゆる協 働システムに普逼的に存在する中核的なサプシステムであって,管理の作用 をになう役割をもつものとして,公式組織を定義する。彼はいう。..「協働シ...
ステムの経験を分析するための最も有効な概念が,公式組織を,二人または
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
それ以上の人々の,意識的に調整された諸活動または諸力のシステム,と定 義することのうちに具現しているということこそ, 本 書 の 中 心 的 仮 説 で あ
(5)
る。」ここで協働システムから抽出された公式組織は,バーナードが
af i e l d
(6)
o f personal " f o r c e s "
ともいう,極めて抽象的な「概念構成」a " c o n s t r u c t "
(7)
である。
組織の構成部分は人々の「諸活動または諸力」
a c t i v i t i e sor f o r c e s
であ るが,活動や諸力そのものは,協働的であれ,非協働的であれ,公式組織と の関連以外にも一般に広く存在しているものである。それらを,ほかでもな. . . . . . . . . . . . . . . . .
ぃ,その特定公式組織の調整されたイ ノパースナルなシステムの構成部分た らしめる要件が,公式組織の基本要素
t h eelements o f an o r g a n i z a t i o n ,
つまり,(1 )
共通の目的,(2)コミュニケーション,(3)協働意志,である。これ ら 3要素は公式組織成立のためのモメントであり,あらゆる公式組織に存在(8)
する必要にして十分な条件である。たとえ
1
分間でもよい,これら3
要素が ととのえば,その場がある公式組織である。公式組織とは,. . . . .
3要素によって くくられた(規定された), これら諸活動ないし諸力の交叉する場, つまり システムである。諸力が組織場になるためには, 3要素は動かしがたいもの である。この問題が本稿の主たるテーマをなしている。(5) I b i d . , p . 7 3 .
主著の未公刊「第1
章・序論」草稿では,組織は次のように定義 されている。Ano r g a n i z a t i o n i s a s y s t e m o f human i n t e r a c t i o n s u n i f i e d by a p u r p o s e o r p u r p o s e s w h i c h c o n s t i t u t e t h e i m m e d i a t e o b j e c t i v e s o f t h e s e a c t i o n s a s a w h o l e .
(6) I b i d . , p . 7 5 , f o o t n o t e . (7) I b i d . , p . 7 5 .
(8)
存続を考慮すれば,有効性と能率が必要であり,さらに道徳性の問題が重視さ れなければならないであろう。存続にかかわる管理論への移行の過程で道徳性や 責任がいっそう強調されるゆえんである。公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
さて,バーナード理論が他の伝統的な管理論ないし組織論と根本的に異な る点の一つは,それが以上のような人間論,協働論にねざした理念型として の抽象的組織概念をもっていることである。それは
i d e a l s i m p l e formal
(9)
o r g a n i z a t i o n
に即して記述されたものである。この「抽象組織論」には,か の公式組織の定義(主著第6
章),公式組織成立のための3
つの基本要素,存続のための
2
条件(第7
章)が含まれよう。「抽象組織論」という命名は,当然に「具体組織論」を予定したものである。
バーナードは「抽象組織論」を武器にして,われわれが日常経験するよう な,伝統理論が従来取り扱ってきたような,より具体的な組織問題への接近 を試みる。それは具休的な複合公式組織
c o n c r e t e (complex f o r m a l ) o r ‑
(10) (il)
g a n i z a t i o n
に即した理論,つまり「具休組織論」である。主著第3
部は「公 式組織の諸要素」TheElements o f Formal O r g a n i z a t i o n s
と題されてい るが,それは,管理論への移行の過程における,かなり具休的レベルでの組 織問題の考察である。専門化,誘因,権威,意思決定などの諸要素がそれで(12)
あり,組織3要素の具休的展開をなすものである。またバーナー ド自身,第 3部で主として取り扱った諸問題を,コミュニケーション,権威,決定過 程,動的均衡などの名のもとに,彼の概念的枠組における動態的概念として
(13)
分類している。これら諸概念は,彼がかの抽象組織論をもつゆえに,個人と 組織のバランスないし統合をつねに意識しているゆえに,そして,複合公式
(9) 主著 7 9
ページにas i m p l e f o r m a l o r g a n i z a t i o n , 94
ページにi d e a l s i m p l e o r g a n i z a t i o n s
という記述がある。( 1 0 ) I b i d . , p . 7 .
( 1 1 )
モノ,カネ.ヒトをも含んだ「企業」.「大学」その他,バーナードのいう「協 働システム」までを「組織」ということがあるにしても,ここではそれらを含ま ない。( 1 2 )
したがってバーナードは,その管理職能の展開に当たって. 「本質的な管理職 能は,すでに第7
章において述べ,第3
部でやや詳細に提示した,組織の諸要素 に対応する」という( I b i d . ,p . 2 1 7 )
。( 1 3 ) C . I . B a r n a r d , O r g a n i z a t i o n a n d M a n a g e m e n t , 1 9 4 8 , p p . 1 3 2 ‑ 1 3 3 .
組織にみられる組織の作用ー一全体としての調整ーーを,自律的な個人に対 する働きかけという観点から考察するゆえに,おのずと動態化されたのであ る。主著後半の第
3
部「公式組織の諸要素」, 第4
部「協働システムにおけ る組織の諸機能」は,主著前半で構築された概念的枠組の具休的適用であり,その妥当性をテストするものであったと考えるのが適当であろう。
複合公式組織を構成する基本単位が単位組織
u n i to r g a n i z a t i o n
である。単位組織は「社会における行動の場所である具体的な特定の局所的組織
, (14)
c o n c r e t e s p e c i f i c l o c a l o r g a n i z a t i o n
」にほかならない。バーナードは,ぃ わゆる組織,つまり複合公式組織と個人とを直接的に対応させるのではな く,両者のあいだに単位組織をおき,それを極めて重視している。単位組織 には「特定の目的,特定の場所的特徴,特定の時間計画をもち,個々の貢献(15)
者の選択を規定する特定の社会結合上の
a s s o c i a t i o n a l
情況がある」とバー ナードがいうように,それは非公式組織ないし人間開係が含まれた具休的な 存在である。複合公式組織の諸要素を論じるに当たっても,そのそれぞれに 非公式組織の機能が組み込まれている。たとえば,上述のような専門化にお ける社会結合上の専門化,誘因としての社会結合上の魅力,インフォーマル なコミュニケーション,権威における非公式組織の機能,などがそれであ る。かように単位組織,複合公式組織の考察は,かなり具体的なレベルでな されていることを注意しなければならない。かくしてバーナード理論では,人間論,協働論から組織論,管理論にいた るのであるが,極めて具体的な行為である管理を説明するための組織論は,
以上に説明したように,抽象的なものから具体的なものへと移行している。
端的にいえば,
i d e a ls i m p l e o r g a n i z a t i o n
とそのe l e m e n t s
から,c o n c r e t e complex o r g a n i z a t i o n
とそのe l e m e n t s
への考察である。 したがって,バーナードがたんに
o r g a n i z a t i o n( s )
というとき, それがさまざまの意味 一極端な場合には協働システムと同義である一一ー,さまざまのレベルで用( 1 4 ) T h e F u n c t i o n s , P r e f a c e , x i .
( 1 5 ) I b i d . , p . 1 3 6 .
強調点は筆者による。公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
いられていることに注意しなければならない。
I l
バーナードの定義する「公式組織」とは,「二人またはそれ以上の人々の,
意識的に調整された諸活動または諸力のシステム」である。それは「ちょう ど電磁場が電力あるいは磁力の場であるように,人間『諸力』の場
af i e l d
(16)
of personal " f o r c e s
」である。 「組織のこのような概念は,諸活動が『諸 カ』—あるものは人間的,社会的であり,あるものは物的である一ーの場(17)
に生じ,それらによって支配されているような,『場』の概念である。」かよ うにバーナードの公式組織の概念は,一つの「概念構成」とみなされる,極 めて抽象的性格のものである。
バーナードは主著でしばしば「諸力」という用語を用いているが,それが いかなる内容のものかは必ずしも明確ではない。そのため,従来は「諸力と
(18)
は何かが気になるが,さしあたり深い意味はないものと考えればよい」とさ れ,また最近でも「この 諸力とは何か が問題であるが,人力,能力,影
(19)
響力,個人の力の差といった意味であろう。いずれ検討してみたい」とされ ている。一般には,ほとんどの場合,無視されている。
(20)
しかしながら,主著への前奏曲ともみなしうる彼の
1 9 3 6
年論文において,彼は社会進歩に密接に関連する「諸力」を協働の場を通じて考察しようと試 みている。組織の定義にある「諸力」とこの論文における「諸力」が同ーで
( 1 6 ) I b i d . , p . 7 5 , f o o t n o t e .
( 1 7 ) O r g a n i z a t i o n and Ma
叩geme
祉,P r e f a c e , v i i .
( 1 8 )
川端久夫稿「バーナード組織論の再検討」,「組織科学」第5
巻第1
号,5 6
ペー ジ。( 1 9 )
平雄之稿「パーナード理論におけるコミュニケイション」,「組織科学」第9
巻 第3
号,25
ページ。( 2 0 ) C . I . B a r n a r d , " P e r s i s t e n t Dilemmas o f S o c i a l P r o g r e s s , " Newark C o l l e g e
o f E n g i n e e r i n g Commencement, J u n e 1 2 , 1 9 3 6 .
目下,千葉商科大学専任講師 吉原正彦氏の努力によって翻訳が進行中であり,近く公表が期待されている。あるという確定的な保証はないとはいえ,そこでは「諸力」が極めて重要な 要因となっている。この論文の冒頭でバーナードは,彼の思考方法と「諸力
」の具体的内容を次のように述べている。少々長くなるけれども,極めて興 味深いものであり,また本稿の主題と深くかかわっていると思えるので,以 下に引用しておこう。
私の知るかぎり,人間の精神が意識する宇宙のすべての局面において,おしなべて 妥当するただ一つの一般的事実がある。それは変化という事実である。これまでに変 化があったゆえに,われわれは時間がすぎ去ったことを知る。そして,時間が経過し たならば,われわれは変化があったことを知る。このことは自然界についてあてはま る。それは同様に,そしてさらにいっそう明らかに,社会的世界にもあてはまる・・
この社会的世界
s o c i a lw o r l d
は,それが諸カf o r c e s
によって動かされているゆ えに,たえず変化している・...これらの社会的諸力とは何か。ごく簡単に述べる と,それらは次のようなものであると思う。1. 宇宙の物(理)的諸力
Thep h y s i c a l f o r c e s o f t h e u n i v e r s e .
2 .
人間の生物的諸力Thef o r c e s o f human b i o l o g y .
社会生活に関連したこれ ら諸力の最も適切な表硯は,自己保存の本能,食・住の要求,心身の強さの限界,疲 労の繰返し,増殖の必要,生理的な死の不可避性であろう。3 .
経済的諸力E c o n o m i cf o r c e s .
これらは,根本的に,物的,生物的,精神的諸 カの特殊なあらわれである。それらは,社会の存在ゆえに,別種の諸力として発塊す る。4 .
宗教的または精神的諸力R e l i g i o u so r s p i r i t u a l f o r c e s .
5 .
人種的諸力R a c i a lf o r c e s .
これらもまた,社会的諸条件のもとでは, 物的,生物的,ー精神的諸力の特殊な表硯として発塊する。
6 .
政治的諸力P o l i t i c a lf o r c e s .
それらは,起源的に, 完全に社会的なものと考 えられよう。これら諸力に加うるに,社会生活には私が「起動力」
p o w e r s'
と呼ぽうとする他 の二つの要因がある。それらは,それによってこれらすべての諸力が社会的行為に適 用でき,社会的行為に転換されるか,あるいは,それによって諸力が表面化される特 別な経路c h a n n e l s
だから,そう呼ぶのである。これら起動力の第ーは,個人的努力 の形で社会的諸力を表瑛する個々の人間i n d i v i d u a lmen
である。第二は,協働的努 カの形で社会的諸力を表現する集団としての人間meni n g r o u p s
である。これらの諸力と起動力のなかに,社会的世界に包摂されるすべての要素が含まれて いると思う・・・・
公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
・・・私は,経験と観察および歴史から,物的,生物的,経済的,精神的,人種的,
政治的諸力はすべて基本的であり,不可欠であり,根深いものであると信じている。
そして,そうであるゆえに,またこれら諸力は継続的に相互に作用しあい,しばしば 相互に対立するゆえに,これらの根本的で対立的な諸力と起動力を利用し,方向づ け,パランスさせ,調和させることが人間の避けることのできない仕事となる・・・
. . . . .
この理解のための最善のアプローチは,協働の考察(強調は筆者)によるものと私 は信じる。そのいっそう明確に具体的な形では,それは「組織」と呼ばれる。そのい っそう抽象的な意味では,それは個人主義と対比される集団主義
c o l l e c t i v i s m
と呼ば れる・・・・たしかにこの論文では,主著にみられるような,協働(システム)と公式 組織の明確な区別,公式組織の厳密な定義などはいまだ試みられていない し,また,種々の点で主著との直接的関連を論じるには不適当な所もあるか もしれない。しかしながら以上の引用は,主著の基調をなしたであろう彼の 思索の過程と「諸力」の内容る知るうえで,かなり重要な役割を果たすもの
と思われる。
主著においても,以下にその一部分を引用するように,バーナードは「活 動」よりさらに基本的な「諸力」のほうを重視しているようにみえる。彼に よれば,現境も個人も組織も,これら諸力の交叉する場とみなされている。
活動もまた,諸力の表現ということができよう。
・・・公式組織の不安定や短命の原因は,結局,外部の諸力のなかにある。これら
. . . . . . . . . . . . . .
の諸力は,組織が利用する素材を提供するとともに,•その活動を制約する。組織の存
. . . . . . . .
続は,物的,生物的,社会的な諸素材,諸要素,諸力からなる環境が不断に変動する なかで,複雑な性格の均衡をいかに維持するかにかかっている(主著
6
ページ。強調 は筆者による。以下も同じ。)。・・・個人とは,物的,生物的,社会的要因である,過去および現在の,無数の諸
. . . . . . .
力と諸素材を具硯している単一の,ュニークな,独立の,孤立した全体を意味する
( 1 2
ページ)。.
.
・・・人間は・・・現在および以前の物的,生物的,社会的諸力の結果である・・
• ( 1 5
ページ)。公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
・・・公式組織を,二人またはそれ以上の人々の,意識的に調整された諸活動また
..
は諸力のシステム,と定義する•
• • ( 7 3
ページ)。. . . .
組織は,ちょうど電磁場が電力あるいは磁力の場であるように,人間「諸力」の場 である。両方の場合とも,これら諸力を叙述し,規定するために用いうるすべてのも のがその効果の証拠である,そして,これらの証拠の生じる範囲が諸力の場を規定す るといわれる・・・・人間は,組織という場を占有する組織諸力の客観的源泉である。
これらの諸力は,人間にのみ存在するエネルギーに由来する。それらは,二定み桑件
・・・・・・・・・。•..........
が場のなかで生じる場合にのみ組織諸力となり,言語とか他の行為のような一定の硯 象によってのみ立証される・・・
(75 76
ページ,注7)
。主著における以上の記述からもおよそ明らかとなるように,われわれの理 解では,バーナードの公式組織とは, 3要素によってくくられた(規定され た),これら諸力の交叉する場, といわざるをえないのである。かの3要素 は組織の構成部分である活動ないし諸力を公式組織場とする要素であって,
必ずしもそれらは組織の構成部分と同じでなければならぬ論理的必然性はな いのである。
以上の第一,二節は,これから試みようとする諸見解の検討に必要な準備 作栗,つまり筆者自身の見解の表明であった。次節以下では,これを依りど ころにして諸氏の見解との対比を行なうことにしよう。
皿
繰返し述べたように,バーナードはその公式組織を「二人またはそれ以上 の人々の,意識的に調整された諸活動または諸力のシステム」と定義する。
システムとしての特性を備えた構成休は,自然界にも社会的世界にも,あま ねく存在している。それぞれの構成部分もさまざまであろう。システム観を
• • • • • • • (21) ・・・・・・
とるバーナードは,人間の活動または諸力を構成部分とする,意識的に調整
. . . . . . .
されたシステムを公式組織と呼ぶのである。公式組織をこのような「活動の
( 2 1 )
彼はこれをc o m p o n e n t s ,c o n s t i t u e n t s , c o n s t i t u e n t p a r t sなどと表硯するこ
とが多い。
システム」たらしめるものは何か。それがバーナードの指摘する3つの基本 要 素
e l e m e n t s ,
つまり, (1
)共通の目的,(2)コミュニケーション,(3)協働意 志,にほかならないのである。このような理解は,平雄之教授の所説を検討するに当たって重要である。
(22)
教授はすでに多くの論文によってバーナード研究家としての令名が高く,と くに最近の一連の業績は『組織科学』の編集委員によって次のように紹介さ れている。 「〔乎教授は)かねて,この 3要素のうちコミュニケイションこ' そが決定的な要素であるという意見を表明し,この観点からパーナード理論 の全休を把握しようという独自の道を切り開き,周囲に少なからぬ剌激をあ
(23)
たえてきた。」
教授自身も「バーナード解明への道」として,(
1
)意思決定論,'(2
)弁証法的 統一の理論,(3)システム論,(4)三層構造論,(5)リーダーシップ論,(6)コミュ(以)
ニケイション論,を指摘され,教授のコミュニケイション論アプローチこそ が「さまざまに解されるバーナード理論を,より高次の立場で総合統一する
(25)
ことにもなると自負」されている。
筆者もバーナード理論におけるコミュニケーションの重要性,コミュニグ ニションや情報の概念を用いて組織を解明する意義などを否定する気持はま ったくないばかりでなく,平教授の努力に対しても敬意を表する一人であ る。しかしながら,筆者がここであえて教授の所説に言及せざるをえないの
( 2 2 )
本稿に関連するものとして,(1 )
「組織と管理におけるコミュニケイションの地 位」,日本経営学会編「経営国際化の諸問題」,千倉書房,昭和4 9
年,(2)「バーナ ード理論におけるコミュニケイション」,雲嶋良雄編「現代企業の基本問題」,同 友館,昭和49
年,(3)「パーナード解明への道」.「芝浦工業大学紀要」(9)
,昭和 50年,(4)「パーナード理論におけるコミュニケイション」.「組織科学」第9巻第 3号,昭和50年,がある。以下,この順で(その1)……(その 4)
と略記する。( 2 3 )
「組織科学」第9
巻第3
号,2 3
ページ。( 2 4 )
平稿,(その1)2 0 7
ページ,(その3)2 9
ページ,(その4) 3 3
ページ。 ただ し,(その3 ) ,
(その4)では (4)
を除外した5
つに分類されている。( 2 5 )
平稿,(その2)3 2 5
ページ。公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
は,教授が組織
3
要素(ないし5
要素)のうち,コミュニケーショジのみを 表面に出される根拠ないし理由づけに疑問をもつからである。教授はコミュ ニケーション以外の「諸要素について力説することは組織の周辺の話をして(26)
いるにすぎない」と極論されている。 「コミュニケーション論にあらずば組 織論にあらず」の意気さえ感じられる。
教授は,そのコミュニケイション論の意図と理由づけについて,次のよう に述べておられる。
・・・意図するところは,人々の「活動のシステム」のみが組織であるから,人々 の「活動」を中心にパーナード解明に接近することにある。その中でも問題の中心 は,ほとんどすべての人間活動には,必らずコミュニケイション活動が含まれている
(27)
ということである。
........
. . . .
人々の「活動のシステム」のみが組織である。組織 3要素のうち「活動」とみなし
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
うるものは,コミュニケイションだけである。だから協働意欲と目的は,組織の痕境 である。換言すれば,協働意欲と目的は,組織成立の必要条件ではあるが,人々の活
. . . . . . .
動ではないから,組織の痕境である。 (28)
教授のコミュニケイション論の出発点は,まさに本稿の主題であるバーナ ードの組織概念にかかわっている。教授は,組織が「活動のシステム」であ る以上,組織の構成部分である「活動」以外のものは,組織に内的たりえ ず,組織の基本要素たりえない,と主張されているのである。筆者はこれに 対して,コミュニケーションが活動の一側面であり,組織にとって極めて重 要であることをなんら否定しないけれども,組織の構成部分と基本要素の重 要な区別を無視して議論を展開することには疑問がある,といいたいのであ る。筆者の批判点はこのような組織概念に由来する出発点にのみかかわって いる。
平教授は公式組織を,その諸論文のほとんどの場合に,「活動のシステム」
( 2 6 )
平稿,(その1)20 9
ページ,(その2)3 3 2
ページ。( 2 7 )
平稿,(その4)2 3
ページ。( 2 8 )
平稿,(その1) 2 0 8
ページ,(その2)3 2 8
ページ。強調は筆者による。公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
とのみ定義され, 「意識的に調整された」という部分はこれを意識的に省略 されているようにみえる。これは,組織ー活動ーコミュニケイションー管理 という教授の所説を強調するための意図的省略なのであろうか。公式組織と は「意識的に調整された」活動のシステムである。バーナードの公式組織に おいて重要なのは,組織一般ではなくて公式組織であり,対立したり争った りする活動をも含めた活動一般ではなくて,意識的に調整された協働活動で ある。人々の活動をして「意識的に調整された」ものとするのが,ほかなら ぬ 3要素である。人々の活動は,共通の目的に向って,コミュニケーション を通じて,協働意志にもとづいて,はじめて意識的に調整され,その特定公 式組織の活動となるのである。 3要素によって意識的に調整されておればこ そ,同じく人間活動から成る非公式組織との区別が可能である。目的が異な ればこそ,他の公式組織との間の区別をつけることができる。また人々は,
どんな公式組織でもいいというのではなく,特定の公式組織に協働意志をも つことによって,その公式組織に貢献するのである。
平教授は同様に,その定義から「または諸力」の部分をも省略される。も し,コミュニケーション以外の 2要素がその「諸力」に合まれるならば,教 授は3要素説を承隠されるのであろうか。
稲村教授は, 「活動または諸力」に関連させて 3要素を説明される。教授 は,組織の基本要素
elements
と構成部分components
の区別にとまどい を見せつつ,次のような解釈を示される。この定義〔公式組織は
3
つの要素からなるとする主著82
ページの定義〕における構 成要素〔すなわち,e l e m e n t s
〕と「意識的に調整された人間活動ないし人間活動の体 系」( p . 7 2 )
という定義に含まれる,人間活動ないし人間諸力という構成要素〔すなわ ち,c o m p o n e n t s )
との関係は, 必ずしも明確にはされていないが, 伝達は人間活動に対応し,貢献意欲及び共通目的は組織の成立•維持のために諸個人が体硯し,内面 (29)
化していなければならぬ人間諸力を意味するものと解される。
( 2 9 )
稲村毅稿「バーナード組織論の性格についての批判的考察」. 「商学論集」(関 西大学),第1
羽紗言3
号,35
ページ注。極めて熟考されたこの解釈の妥当性はここでは問わないけれども,稲村説 では 3つの基本要素とも活動「または諸力」という構成部分に含められてい る。コミュニケイション
1
要素説を,これと同じ立場から力説される平教授 は,このような稲村説に対してどのように反応されるのであろうか。バーナードは,公式組織の諸要素を第 7章および第 3部で論じたのち,第
4
部での管理の諸要素に至っている。この過程で,組織成立の3
要素,存続 の 2要素が一貫して維持されている。そこにバーナード理論の意義の一つが あるにもかかわらず,コミュニケーション以外を組織の周辺の地位に追いや ってしまうと,すべての管理問題もまたコミュニケーションに関連づけねば ならなくなる。そこで教授は, 「管理とは,コミュニケイションという行為 である」とされ, 「活動の抽出のみがフォーマル組織に直結する。これを管 理の問題とみたい。その他の諸職能は,管理=コミュニケイションのための(30)
準備業務とみることにしたい」と提言される。筆者の印象にすぎないけれど も,コミュニケイション論アプローチから試みられた管理理論の休系と記述 にはいささかの無理があり,たとえば管理の 3職能,組織の均衡(とくに外 的均衡)の理論,さらには道徳的創造性の問題など,バーナード管理論の特 徴的な所ほどその特徴が消え去り,それらを説明するのにかなりの困難を伴 っているように思われる。少なくとも筆者にとっては,その管理理論はかな り難解なものとなっている。
平教授は, 「意思決定論アプローチ」にかわる「コミュニケイション論ア
(31)
プローチ」を強調されているが,筆者は前者のほうが,管理論における目的 の重要性,目的と環境とのかかわりあいを明確にする点ですぐれていると考 える。さらに,協働意志にかかわる問題を,個人的意思決定として「意思決 定論」に入れるか,•あるいは「モーティペーション論」として独立させるか は別として,組織および管理の要素から「協働意志」を抜くことにも疑問を もっている。この点は次節で論じたいが,バーナードの組織論における人間
( 3 0 )
平稿,(その4)3 1
ページ。( 3 1 )
乎稿,(その4)3 3
ページ。公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
の二面的取扱い,つまり,人格的な自律的人間(たんにコミュニケーション をするよりは主休的な意思決定を行なう個人)と組織を構成する非人格化さ れた活動との区別,を認め,賞讃する以上は,組織論から協働意志を,管理 論からモーティベーションを排除することは賢明とはいえないと考える。
最後に,バーナードが主としてコミュニケーション概念によって伝統的な 組織構造論を動態化したとはいえ,コミュニケーションのみを過度に強調す ることは, 目的ー有効性, 協働意志一能率にかかわるオープン・システム としての組織の外的掏衡よりは,コミュニケーションのチャネルとかコミュ ニケーションのシステムなど組織の内的均衡の問題に関心を集中させること によって,組織論を再ぴ伝統的な組織構造論に立ち帰らせる危険性をはらん でいる。同様に,平教授が「コミュニケイションに対する戦略的要因がリー
(32)
ダー(コミュニケイションの伝達者)である」と言われるとき,あるいは,
「組織の成立条件と人々の間のコミュニケイションの成立条件は,全く同じ である。すなわち,『誰が』(伝達者) →『何を』(目的) →『誰に』(協働意
(33)
欲)伝えたかということによって,コミュニケイションは成立する」として,
いずれの誰もが自動的に協働意志をもつと仮定されているとき,すでに「上 から下へ命令さえすれば」という伝統理論の色調をかなり帯びているように 印象づけられる。
一本足よりは二本足で立つほうが安定的であり,さらに坐禅の姿勢は三つ の支えをもっゆえに最も安定的である。何ものによらず,最少限三つの支点 があれば最も安定して立つことができる。バーナードは公式組織を立たせる 支点として,必要にして十分な三つの要素を選び出したのである。システム 論者なればこそ,一つではなくてギリギリ必要な3要素を選んだのである。
(以)
ー要素では,およそ非バーナード的な決定論にならざるをえないであろう。
筆者はコミュニケイションの一本足に危惧をいだいている。その上に壮大な 構築物をのせようとすればするほど,一本足の土台は危険である。ひとたび
( 3 2 )
平稿.(その4)2 3
ページ。( 3 3 )
平稿,(その4)2 5
ベージ。(糾) 私的な論議での,三戸公教授の発言より。
公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
土台がすくわれると,全体がくずれ去るおそれがあるからである。コミュニ ケイションのみが活動であるゆえ,組織の要素はそれしかありえないという 理由づけは,平教授のコミュニケイション論アプローチの確立という遠大な 計画にとっては不必要であり,むしろ有害でさえあると思う。そのような理 由づけがなくても,組織にとってのコミュニケーションの重要性はいささか も減じることはないであろう。
w
バーナードの主著を読了したホーマンズは,バーナードヘの私信のなか で,組織3素要のうち,目的はそのままでよいが,コミュニケーションを
i n t e r a c t i o n s
に,協働意志をs e n t i m e n t s
に言い換えたほうが適切ではない かと述べている。バーナードは直ちに反論し,コミュニケーションはi n t e r ‑ a c t i o n s
の特殊な一側面であること,敵意をも含むs e n t i m e n t s
では広きに すぎる,敵意は協働の要素たりえないこと,などを書き送っていたと筆者は 記憶している。ホーマンズの場合は3要素説であるが,組織要素をめぐって わが国でも若千の異論が提示されてい る。前節でみたコミュニケーション中 心の平説のほか,協働意志をめぐって,それを除外ないし代置すべきであるとする所説がある。本節はそれらの所説の検討に当てることにしよう。
門脇教授は次のように書いておられる。
われわれは,協働意志が組織成立の必要充分条件であろうかという疑問を抱く。バ ーナードにしたがえば協働意志なくして組織はなく,組織のあるところ必ず協働意志 があることになる。しかし,硯実は彼の主張通りであろうかdたとえば戦前の日本の 炭鉱の納屋制度や紡績業の寄宿舎制度をみれば自ずと明らかであろう。もし,鉱夫や
(35)
女工に協働意志があれば,そのような制度は必要ではなかったはずである。
. . .
協働という言葉を自発的協働の場合にしか用いない人たちも多いが,バー
( 3 5 )
門脇延行稿「バーナードーサイモンの組織均衡論について」,「彦根論叢」1 2 8
号,8 1
ページ。公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
ナードはそうではない。われわれにとって,協働とは人々が自発的に,喜々 として協力している状態を意味するとはかぎらないのである。バーナード自 身は,奴隷制度を協働の例示としてしばしば用いている。門脇教授はおそら く,この言葉を自発的協働に限定して用いられ,したがってバーナードのい う「説得の方法」としての強制力の行使などは無視されるのであろう。
協働意志は, 「誘因の方法」のみならず「説得の方法」による個人の動機 への働きかけを通じて,ある組織との関係が,他の機会と比較して,個人に純 満足をもたらしうるものと個人が主観的に判断するときに生ずる,という定 義の問題である。個人の判断は,組織の強制力ばかりでなく他のさまざまの 要因によって影響されよう。今日のように専門化が進み,相互依存性が増大
. . . . . . . . . . .
した組織社会では,個人単独で行動する機会と比較すれば,組織で働くほう が有利であると考えざるをえない人が多いであろう。いずれかの組織で,止む なく働かざるをえないことも多いのである。専門バカの大学教授などはその 適例であろう。不況下の就業機会の減少は,硯在の組織関係を相対的に有利 に判断させるであろう。将来への期待は,硯在の判断に有利に作用するだろ う。ほんの
2 , 3
の例示にすぎないけれども,組織内外の諸情況が個人の動 機に影響を与えるのである。バーナードの「説得」の概念はかなり広義であ り,また長期的視点をも含んでいる。ちなみに,先の奴隷制度においては,他の機会とはおそらく死であろう。自殺に追い込まれるか,あるいは殺され
. .
るよりは,協働を選択するほうが「まだしもまし」であるような状態とみな すことができるであろう。
(36)
門脇教授の所説を高く評価し, 「氏の指針に沿った」展開を試みられたの
(37)
は川端教授である。川端教授は,少なくとも 2つの論文において,組織要素 としての「貢献意欲」に疑問を提起される。たとえば,
( 3 6 )
川端久夫稿「近代組織理論の基本問題ーーバーナードの組織概念をめぐってー」,(九大)「経済学研究」第35巻第 3•4 号, 30 ページ。
( 3 7 ) 注( 3 6 )
の論文.およびそれと同じころに執筆された「バーナード組織論の再検 討」.「組織科学」第5
巻第1
号。公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
・・・バーナードにおける協働休系と組織の概念構成にかなりの混乱がありそうな ので,その整理が試みられるべきである・・・・整理に際しての制約要因は「貢献意
欲」i .
澪こあり,この要素は,さしあたり,組織の本質規定からは排除されるべきではな
と述べ,また他の論文でも, 「組織概念のふたつのレベル」という同じ問題 意識のもとに,バーナードの「組織の定義と諸要素の矛盾」の存在を指摘し つつ,次のように言う。
組織の
3
要素のうち目的と伝達とは,さきの定義(本質論的規定)にすでに含まれ ている・・・・貢献意欲はまさに本質論的規定では排除されている人間(的諸要素)を代表しているわけである・・・・「経営者の役割」第
7
章以降の組織概念は実体論 的規定となっていて,第 6章の定義=本質論的規定には合まれていないパースナルな 諸要因を付加されている。そのかぎりにおいて,協働体系との区別が不明瞭になって(39) いる・•...
両論文を通じてまず指摘しうることは,当時すでに山本安次郎教授によっ て協働休系と組織の区別が明確に主張されていたにもかかわらず,川端教授
自身がむしろ両概念の解釈に当たって「かなりの混乱」に陥っておられるよ うにみえる,ということである。そして,第
6
章の組織の「定義」と第7
章 の組織の「諸要素」とは,すでに本稿でみたように,筆者はともに「本質論 的規定」に属するものとみなすけれども,川端教授は「第7章以降の組織概 念は実休論的規定」であるとされる。したがって教授は,第7章での「協働 意欲」説明の冒頭の文章(主著8 3
ページ)を例示として引用し, 「本質→実. (40)
体への段階移行が,ここでは忘え去られ,再び本質論レベルに戻っている」
と批判されている。筆者の見解からみれば,バーナードは本質論レベルに戻 ったのではなく,もともと本質論レベルで述べていたのである。
( 3 8 )
川端稿,「経済学研究」,2 7
ページ。( 3 9 )
川端稿,「組織科学」,5 8
ページ。( 4 0 )
川靖稿.「組織科学」,5 8
ページ。公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
バーナードは,組織を「人間の集団」ではなく,「人間の活動のシステム」
とみなす。人間そのものではなくて活動が問題である。組織にとっては,選 択力をもった自律的人間が,意識的に調整された,したがって社会化された 活動を特定組織に対して提供するかどうかが問題である。パーナードが人間 に対する二面的接近をすればこそ,その媒介として協働意志が問題となるの であり,人々がある特定組織に対して協働意志をもつのでなければ組織は定 義上構成されえないのである。かくして, 「貢献意欲」はすでに定義に含ま れており,それは「本質論的規定では排除されている人間を代表」するもの とは決してみなしえないものである。公式組織概念に人間的諸要素を取り入 れたことが,バーナード理論の伝統理論とはきわだって異なる特徴であっ たはずである。すでに述べたように, 「貢献意欲」を組織要素から排除すれ ば,管理要素としても排除されざるをえず,今日の極めて重要なテーマであ るモーティベーション論の根拠が失なわれるにちがいない。
(41)
川端論文に「大きく依存している」ことを明示され,教授と同様に「組織 の境界」の問題を解明する過程で,組織要素,とくに貢献意欲にふれておら れるのは小笠原教授である。組織要素としての協働意志ないし貢献意欲を問 題視する点で,われわれは門脇ー川端ー小笠原の系譜を見出すことができ る。
小笠原教授は次のように川端教授の所説を支持される。すなわち,
・・・バーナードは.人々の活動にはその基礎としての貢献意欲が不可欠であるこ........
とを強調しながらも,それが協働体系にとって不可欠であると言うことを忘れていな い。貢献意欲は「組織」との直接的関連で取り扱われるものではないのである・・・
・貢献意欲が・・・極めて可変的な個人的要因として「組織」から捨象されるべきも のであることに注意しなければならない。 「組織」の定義にあたって捨象されたはず のものを, 「組織」の要素とじて復位せしめることは.バーナードの犯した重要な論
(42)
理的矛盾と言わなければならない。
( 4 1 )
小笠原英司稿「バーナード理論の基礎概念」.「北海道産業短期大学紀要」第8
号,20
ページ。( 4 2 )
同上,26
ページ。この引用文の前半を述べるに当たって小笠原教授は,川端教授の場合と同 様にバーナードの主著
8 3
ページの「協働意欲」説明のための文章を利用され る。しかしながら,その文章の「協働体系」は文脈上「組織」と読むほかは(43)
なく,教授の解釈にはいささかの無理があるように思われる。
次に,後半部分において教授は, 「可変的な個人的要因」なるがゆえに,
貢献意欲は組織の定義から排除されるべきであるとされる。しかしながらバ ーナードは,パースンそのものは排除したが「個人的要因」を排除したもの とは思われない。もしそうならば,人間の活動や諸力,さらには組織要素と してのコミュニケーションもまた排除されねばならぬことになるだろう。さ らに,貢献意欲の強弱には個人差がある,つまり可変的であるとしても,バ ーナードにとって貢献意欲とは,いわゆる 1-C~O の別名といってもよい ゅぇ,この状態は可変的であるよりは一般的である。このことはちょうど,
個々の具休的な「目的」は,組織に応じ,時系列に応じてさまざまに変化す ることはあっても,目的としての機能には変りがないのと同じであろう。
さらに小笠原教授は次のように述べられる。
「組織」の必要十分条件としての要素は,その高度に抽象的な概念の構成にとっ て,必要にして不可欠の,しかも最少限度のものでなければならず,このような観点.. からは,筆者はむしろ,バーナードの挙げる貢献意欲を,協働的活動,すなわち貢献 に修正しなければならないと考える・・・・
..
「組織」は,(1)貢献,(2)目的,(3)伝達を基本要素として成立する・・・・
貢献意欲は, 「組織」にとってその外部にあって,環境的要因の一部を構成しなが ら「組織」を成立せしめる前提的条件としての役割をはたし,同時に, 「組織」に境
(44)
界を設定せしめるのである。
かくして小笠原教授は,バーナードの「貢献意欲」を「貢献」に代置した
( 4 3 )
第7章のクイトルは「公式組織の理論」であり,協働意欲は「組織の要素」と して記述されている。さらに,拙稿「「経営者の役割」執筆過程における協働体 系と組織の概念について」.「商学論集」第17巻第 5•6 号を参照。( 4 4 )
小笠原稿,26 27
ページ。公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
うえで,組織の3要素説を採用される。小笠原論文は極めて意欲的で示唆に 富むけれども,少なくとも組織要素に関するかぎり,本稿で述べた筆者の立 場からは批判に値すると思う。つまり,教授が組織要素とみなされる「協働 的活動,すなわち貢献」は,まさに目的,伝達, (および協働意志)の結果 にほかならない。貢献とは,これらの組織の「基本要素」によって組織の「
構成部分」となったものである。したがって, 貢献という
c o m p o n e n t s
をe l e m e n t s
のなかに同列に数えることには, 筆者は承服できないのである。む
す ぴバーナードのいう公式組織とは,
a s y s t e m o f c o n s c i o u s l y c o o r d i n a t e d a c t i v i t i e s o r f o r c e s o f t w o o r more p e r s o n s
(45)
と定義される。それは活動または諸力を構成部分とする一つのシステムであ
(46)
る。彼はいう。
The s y s t e m t o w h i c h we g i v e t h e name " o r g a n i z a t i o n " i s a s y s t e m c o m p o s e d o f t h e a c t i v i t i e s o f human b e i n g s . What makes t h e s e a c ‑ t i v i t i e s a s y s t e m i s t h a t t h e e f f o r t s o f d i f f e r e n t p~rsons a r e h e r e c o o r d i n a t e d .
人々の活動を意識的に調整されたシステムとするための基本要素が組織の 3 要素である。
The e l e m e n t s o f a n o r g a n i z a t i o n a r e ( 1 ) c o m m u n i c a t i o n ; ( 2 ) w i l l i n g ‑
(47)
n e s s t o s e r v e ; a n d ( 3 ) common p u r p o s e .
( 4 5 ) T h e F u n c t i o n s , p . 7 3 . ( 4 6 ) I b i d . , p . 7 7 .
( 4 7 ) I b i d . , p . 8 2 .
公式組織の基本要素をめぐって(飯野)
本稿での筆者の主張は,このようなパーナードの見解に極めて忠実な,常 識的な解釈によっている。筆者は,現在のところ,バーナードの組織の定義
と諸要素には混乱はなく,また論理的矛盾があるとも考えていない。
バーナード理論を発展させ,あるいは批判して,論者それぞれが独自の所 説を発表することは貴重な努力であり,評価されるべきことである。しかし ながら筆者には,新説や批判を提示する人々のほうが,むしろ,(
1
)協働休系 と組織,(2)組織の構成部分と基本要素,(3)活動と諸力,などの解釈に当たっ て,混乱や矛盾をあらわにしているように思えるのである。もちろん本稿にも,筆者の独断的解釈や誤解にもとづく的はずれの失礼な 批判が多く存在するであろうことをおそれている。ご教示と反批判を得るこ とによって,パーナード理論のより深い理解と正しい批判が可能となるよう に願っている。
〔付記〕 昨秋の思いがけぬ火災に際し,ご厚情をいただいた方々にこの場を借りてお 礼を申しあげたい。本稿を精神的な立直りのきっかけとしたいばかりに,不備を承知 の上で,あえて印刷に付す決意をした。
本稿作成のための資料を提供して下さった高沢十四久,平雄之,吉原正彦,小笠原 英司およぴ貴重なコメントをいただいた吉原正彦の各位に,心からの謝意を表した い。