Bul l e t i no fFa c ul t yo fEd uc a t i l ) n,Na ga s a kiUni ve r s i t y:Huma ni t i e s1 9 9 8,No. 5 7,1 ‑1 5
現代 に生 き るも うひ とつの美術 井 川 憧 亮
は じめに美術 あ りき
長崎 では,昨年
( 1 997)
は" 26
聖人殉教400年 "の年 であ ったので, この歴史的 な年 に 何 か私 が考 える美術的な こ とがで きないだ ろ うか と時期 を伺 っていた。教会 に関す る美術 を語 って くだ さる方 に, もっ と言 えば教会の美術 に携 わ る方 にお願 いを し,何 かお話 しを していただ こう と思い立 ち,教会 におけ る 『今 日の美術』 のあ り方 に焦点 を当てたい と考 えた。もう一 つ考 えた こ とは,「週休
2
日制 の導入 に よ り,小 ・中学校 におけ る美術の授業 が, いわゆ る主要科 目と称 す る科 目に押 されて, どこか片隅 に追 いや られ,従来 よ りもかな り 時間数 が削減 されて きて い る」 といわれ, また,「文部省 は,美術教育 は小学校 だけで充 分 であ り,それ以上必要 はない」 (註1)とまで言われてい る。私 は 「美術 こそは,人間の 感性 を よ り生 き生 き とさせ る もq)であ り, また,生涯 にわた って必要 とな って くる ものな の に」 とこれ まで信 じていた。教育の現場 で 「本 当に美術教育 を何 とか しな くては」
と,日増 しに私 は考 え込 んでい る。
こう した中で,私 は標題 であ る "現代 に生 きる もうひ とつの美術 "を公開講座 として取 り上 げ るこ とに よ り,少 しで も美術教育 におけ るこれ らの問題の解決への道 を兄 いだす こ ととなれば と,そ して,受講生 とともに考 えてみ るこ ととした。
続 いて,昨年
1
1月下旬,五 島福江 島の福江アー ト出会 い館で数年振 りの個展 を行 な った。ここ長崎は, 日本の離 島 と言 われ るが,更 に ここよ りフ ェリーで 3時間半 かか る島で,現 代美術 (註
2
)と称 して作 品発表 した。現在 ,私 が取 り組 んで い る作 品発表 につ いての実 際等 を合わせて紹介 しよう。公開講座案 について
この公開講座 申請 は,年碁 か年 明け とい う忙 しい ときにや って くる。特 に,院生 の修士 論文指導 の追 い込 みの時期 と重 な る。私 自身 は制作 を第一 としている老 であ るが故 に,か えって,文書書 き としての論文指導 は責任 を もっで 県重 にな らざるを得な くな り,大変嫌 な仕事 とな る。 そんなわけで,学生 に同情 しなが らも,全 く時間がな くな り, こう して私 は例年 の ご とくパニ ック状態 に陥 り,どこかに雲隠れで も したい とい う気 に駆 られて くる。
こんな ころ公開講座 の 申 し込 みの締 め切 りが迫 り,その手続 きをせねばな らず,本 当に苦 痛 を伴 う。 事態 は緊急 な返答 をせねばな らない。
そ こで今回は,教会 に因み,ふ と思い出 したのが カロン神父で,そ うだ ノ私 は ク リスチ ャンで もなんで もないが カロン神父 にすが るこ とに した ら, とて も気 が楽 にな った。そ し て,講座の構成 は カロン神 父 と私の二人 で行 ない,教会の美術 と美術教育 との関係項か ら 何 か見 えて こないだろ うか とい う想定で, とりあ えず決め るこ とに した。
10 長 崎 大 学 教 育 学 部 人 文 科 学 研 究 報 告 第57号
次 に,公開講座 の標題 を決め るのが,これがまた,難 しい。受講生 が この標題 に よって, どれほ ど集 まって くるか とい うこ とが含 まれているか らだ。だか らといって羊頭狗 肉の手 法 を避 け るこ とは もち ろんであ るが,最大の悩 みは,受講生が集 まって来 ない こ とだ。
ポ スターの効用性は
実の ところ,私 が, この講座 での力が発揮 で きるのは職柄 ,ポス ター作 りであ る。公開 講座予算は少ないので カラー印刷 がで きず,せいぜい
2
色刷 りが限度 であ る。 それで も, きっ と多 くの人の 目に留 まって くれ るように と,その出来映 えを気 に しなが らポス ターの 案 をデ ッサ ンす る。 この講座の実施最後 に事務部 よ り,アンケー ト用紙 な る ものが用意 さ れてお り, これを受講生 に配布 し,アンケー トに記入 した後,その場 で回収 す る. このア ンケー トの中に,"この講座 を どう して知 りま したか" とい う項 目があ り,なん と受講生 は "ポスターで知 った''とい う方 はほ とん どいなか ったのであ る。私 は もっ ともっ とよい ポス ター作 りをせねばな らない と反省 した. また,ポス ターの配布先 や,掲示 す る場所 にも問題 があ り,今後の検討 とな った。
講座受講料 に異議 あ り,そ して,講座の顔
公 開講座 の主 旨は,改めて私 な りに述 べ る と
,
「大学 で行 な ってい る研究 や教育 を文字 通 り公 開す るこ とに よって,地域 やあ るいは年齢 を超 えて,だれで もが関心あ る講座 に等 しく受講 していただ き,講師 と受講生 との コミュニケー シ ョンを計 りなが ら,お互 いに何 かを兄 いだす こ とに意義があ るこ と。 また, この機会 に大学 が地域 に根差 してい る姿 をア ピールす る こと」 だ と思 ってい る。講師 をお願 いす る とき,今回は神父であ り芸術家 であ る とい う職名 に私 は こだわ った。
それは美術教育の原点 を教会の美術 に求め,そ こか ら何 かが得 られ るのではないか とい う こ とであ る。教会 で実際美術の仕事 や制作 に携 わ ってい る方 に今 日の教会美術の現状 を語 って もらい,同時 に芸術家 としての心構 えや,また,人間の道 について も併せて諭 して く だ さるこ とも期待 したのであ る。
受講生の中に車椅子 に乗 った
2 0
代始めの青年 がいた。言葉 を しゃべ る時 ,体全体の力を 込 め,上半身 を何度 も揺す りなが ら声 を発す る。気 がつ くと彼 は汗 をびっ しょりかいてい る。私 の ように耳の遠 い身 には,本当に申 し訳 ないがほ とん ど聞 き取 れない。彼 は,諌早 か らJRに乗 ってJR浦上駅 で下草 を し,そ こか ら本学 まで約 1時間ほ どかけてや って来 た とい う。 この ような方 には受講料 は当然無料 であ るべ きだ。事務部 か らは 「前例 がない ので今後前 向 きに検討 す る」 との こ とであ ったので,「それな らす ぐにで も電話 で文部 省 と掛 け合 ってほ しい」 旨を伝 えたが,結局無料 とはな らなか った。教育学部 とい う看板 を 何十年 と掲 げて きた学部 に も拘 わ らず,何 を もって教育 とい うのだ ろうか。 この ように名 のみの学部 に過 ぎない ことに出会 う と,本当にや るせない思いだ。 この方 が学生 の身分 として入学 したな らば,授業料 は当然無料 とな っているはずであ る。
この青年 の参加 で,本講座 が予想以上 の成果 を上 げた こ とは言 うまで もない。 (註3)
講座 のスケジ ュール とカ ロン先生の講演 レジメ
1 0
月18
日 (土) ジル ・カロン 講義 :教会の美術作品 について井
川
:現代に生きるもうひとつの美術ll
1 3:3 0‑1 6:3 0
1 0
月1 9
日 (日) ジル ・カロン+井川恒亮 対談 :教会の美術 と美術教育 について1 3:3 0‑1 6:3 0
1 0
月26日 (日)井川怪亮 演習 :素材 との対話1 0:3 0/ 一 ‑1 5:3 0
以上 の 日程 で行 な った。 カロン先生 の話 の内容 については,何れ録音 テー プか ら書 き起 こ しをす るつ もりであ るが, ここではペー ジ数 がな く, また,現時点で カロン先生 は時間 がない との こ となので, カロン先生 に許可 を得 て,私の方 で本講座 の感想 な りをま とめ る こ とに した。
カロン先生の講演 レジメ (筆者 の メモか ら) (1)教会 の美術作品 と芸術作品 との違 いについて
a
作品作 りの 目的がそれぞれ違 うこ との認識。後者 の場合 は,個人的な苦悩 や喜 び の表現 であ り,前著の場合 は総合的な人類の苦悩 や喜 びの表現 であ る。つ ま り, 一般 の方 々の心 として捕 らえてい る。b
場所性の問題 があ るこ と。美術館 と教会 との機能 の違 いか ら0C 芸術は手段 に過 ぎない と言 うカロン先生の芸術的立場 か らの見解 としては,芸術 家 であ りたいけれ ども,犠牲的精神 と罪 の狭 間 にお られ るこ とへの告 白。
(2)教会 での美術作 品作 りは,総合的な創造性 か ら検討 されてい るこ と。 つ ま り,教会 の建築設計 か ら始 ま り,そ こに飾 る宗教的なテーマ を念頭 に制作 されてい る こと。
(3)教会 の作品 は,ただ単 に もの を作 るのでな く,宇宙 や 自然 や精神性 を常 に深 く探求 す る努力を重 ね られてい るこ と。
(4
)宗教 と芸術 との間 になにが しかの接点 を見 出せ るこ と。a メ ッセー ジ性
b
テーマ性C 宇宙観 ・‑ビ ッグバーン
d
ミステ リー (不思議 な,神 あ るいは ?)の世界 ‑宇宙 の力,光e
人間の生 き方 ‑心 の問題 (心 の飢 え,満足)f 人間 と自然の調和 ‑体 と心 と知識 のバ ランス,宇宙 あ るいは ?と人間のバ ランス
g
すべての ものが生 きてい る。(5
)黙想 の世界 ‑ 目を閉 じて 自分の心 を見 る (心の底の無限 さ,人間の素晴 らしさ,人 間の体 の偉大 さ)0以上 ,ス ライ ド上映 を しなか ら,講演 をされ,また,教会 におけ る制作及び 自作 の説 明 をされた。 (写真⑳⑫ )
井川の演習 と言葉
私 の課題 は "素材 との対話 "(註
4)
であ る。今回は,まず,受講生 に材料 を用意 して もらうもの として 日常的 に捨 て る,あ るいは捨 て られ る物 (廃 品,廃材等) を予 め集 めてお くこ とを伝 えた。
「26
聖人 とこれ ら集 めて き12 長崎大学教育学部人文科学研究報告 第
5 7
号た もの とどんな関係があ るのか」 と,私 を困 らせ るような質問 をす る者はなか ったが,そ れで も気掛 か りであ った。私は,カロン神父のお言葉 に救 われたい とい う思いで補聴器 の ポ リュムを一杯 に して耳 を傾けた。 カロン先生の講演 では,前項 の レジメ
( 4 )
と( 5 )
が芸術 に とって も,そ して,その中に特 に,( 4 )
の C,f,g
等 は具体的 に私の仕事 とかな り重 な っ てい る と思われた。さて,私の演習であ るが,受講生 が 日常的 に使用 された もの を作品化 し,それ らを どの ように飾 り (設営 し),続 いて作 品 を作 った動機 や設営 した理 由な どを作者 自身の言葉 で 語 る とい う設定の内容であ る。 つ ま り,素材 との対話 とは,廃材捜 しか ら既 にス ター トを してい るこ と,その ことは各人各様 のそれぞれの出会 いを も含 まれてい るこ と等 を受講生 に話す。
かつて,ひ ところ "男は黙 って‑"広告 (コマーシ ャル)で うたわれた ように, もとも と日本人は "黙 ってい ることが美徳 " として受け止め る風習があ り,その こ とと合わせ る かの ように,芸術 も, また
,
「それ 自体 で充分 に語 る表現 力 を もつ ものだ」 と先輩 たち を 通 して よ く言われた ものだ。それで 自作 について 「実 は,これ これ‑で」 と話 していた ら,「芸術 は説 明をす る ものですかね」 と先人 か ら諭 された こ とがあ った。だか ら自作 につい て語 ろ う とい うものな ら,「言 うの を聞 いて しま うと,かえ ってイメージが壊 れた」 とか,
「それは こ じつけだ」等 と一蹴 され る経験 が これまでに何度 かあ った。私 が制作者 として, 一般的 に 日本人 アーチス トで 自作 について語 って くれた方 はあ ま り見受けなか った し, ま た,その ような習慣 もなかった。 (註5)
それ に も負けず,私は "言葉 (自分の言葉)で もって, しか も,誰 れにで も分か り易 く 伝 えるように努力 してい る。そ うす るこ とに よって,初めてその人の作品の証 しとな るか
らだ" と思 う.確 かに,語 ってイメー ジを壊 す場合 もあ るだろ う。 また,た とえこ じつけ にな った として も, こう したプロセスの中で, 自己を見つめ直す こ とは とて も大切 な作業 だ と信 じる。 この ような素材 との対話 が,制作の論理的な展開へ と発展 させてい くこ とに なる. ここに演習 としての制作風景 を写真 にて紹介 してお こう (写真⑳ 亘か⑳⑳⑯⑳⑳).
五島での作品発表 について
福江 での個展 を述 べ る前 に,私 に とって五 島 と言 えば思 い出すのは,何 と言 って も今か ら
1 0
年前( ' 8 8
年 ),4, 0 0 0
人 も参加 したあの三井楽町 (住民総数3, 0 0 0
人) での 1, 0 0 0
メー トル防波堤壁画制作 だろ う。それは世界最大の壁画 に挑戦 とい うもので,絵画 とい う媒体 が地域 の人 々や文化 に対 して直接的 に働 きかけた大イベン トであ った0近 くの薬局 に勤務 してい る方 が通 りすが りに私の個展 を見 た。 「会場 に入 るや否 や,小 学生の ころ参加 した防波堤壁画 を思 い出 した」 と彼女 が話 して くれた ときは,何 とも言 い ようもない大 きな感動 を覚 えた。 この ような 日常的体験 の記憶 としての出来事 (美) を語 って くれ るこ とはロマンテ ィックな世界 に誘 われてい るようにさえ思われた。
今の私が実現 しよう としている絵 画は,まさ しく,大 自然 に包 まれた壁 画がその中で呼 吸 し,生成 消滅 してい るこ とであ り (写真(彰①⑳ ), また,一方 ,画廊空 間においては, 作品 に よって,つ ま り,室 内空間全体 を包み込む ようなオールオーバー的 な色彩の響 きか
ら,視覚のみな らず身体全体 で感 じて もらうこ とだ。
この防波堤 の壁画 を見 られた方 が,「井川 の プ ランに沿 って皆 で描 いた この作 品が こう
井
川 :現代に生きるもうひとつの美術1 3
した 日常的な風景 と共 に存在 しているので,それ こそ毎 日,井川 が個展 を しているんです ね」 と語 って くれた。言われてみればな るほ どと思われ, こんなふ うに鑑賞 して くだ さる 方 がお られ,流石 ,̀̀みみ ら くの くに"の末 えいだ と思われた。
福江 アー ト出会 い館 のギ ャラ リー空間
五 島での個展は正式 には
2
回 目とな る。会場 は前回同様 の福江 アー ト出会 い館 で,元病 院跡 をその ままギ ャラ リー に した ものであ る。企画者 は この病院の奥様 で もあ る虎 島英子 さんで,1F
は こ ども図書館 として利用 されている。2F
をギ ャラ リー と し,今回は1F
の これ まで使用 しなか った一部畳 を解放 す るこ ととな り,展示空間が以前 よ りも立体的 に 広 くな った。す ぐさま,私 は, この もう一 つの
1F
の空間 に対 して2F
か らlF
に誘導 で きる装置 を 思いついたが,その前 に,最初 の下見か ら前 回の展示の印象 とは違 った空間のあ りようを 構想 していた。 この2F
は, もともと病院 として部屋 は大 き く2
つ に別れ,階段横 と西側 にはその間 をつな ぐ廊下的空 間が設 け られてお り,部屋 の壁 の周辺 には窓 が一杯 に取 り付 け られていた。 それをギ ャラ リーー的 に仕立 てたので,西側一部 の小 さな窓 をその まま残 し て,後 は全面壁面 とな ったわけであ る。そ して,前 回気 づかなか った もう一 つの階段 が,最初 か ら利用 していた階段 の横隣 りに クロスす るように,つ ま り,
2
部屋 のそれぞれ に階段 が設 け られていたのであ る。 昇 りと 降 りの階段 では ?と夢 を誘 う。ところで,全面壁面 とな った展示空 間は, どこにで もあ るようなギ ャラ リー的壁面 を形 成 してい る。 つ ま り,作品 を壁面 に取 り付 け る とい う 目的化 した壁 であ り,私 には壁 自体 の作 り出す空間 に一種 の袋小路 に迷 った ような印象が して しま う. それ と直接的 に関連 が あ るか どうか分 か らないが,奥様 か ら前 回,私 が作品 を虫 ピンで壁面 に取 り付 けていたの を見 られて,「ここは病院 で したか ら,幼 い子 や赤 ち ゃんが ここに来 る と,す ぐに注射 を されたのを思い出 し,泣 きだす こ とがあ ります よ」 と言 ってお られたので,その言葉 か ら あ る種 の場所 や ものの もつ リア リテ ィを感 じさせずにはおれなか った0
ギ ャラ リー空間への着想
私 は,五 島列 島 まで出向 きなが ら, どう していわゆ る普通のギ ャラ リー壁面 と対峠 して しま うような錯 覚 に陥 って しま うのか,む しろ,折角 ,五 島 (最果 ての西の地 とも呼ばれ る)の光 が こう して手の届 くようにあ るので,それを即 ,活 かせてみたい と考 え始 めた。
私 が絵画 としての もっ と解放 された展示空間 を実現化 す るには,そ して,私 が,現在 , 外界 とのや り取 りを 自作 までに反映 させてい るこ ともあ り,今 ここにあ る光 を私の作品の 中に取 り込 む こ と。 それに よって視覚的 (感受性的)な私 の絵画性 を よ り助長 して くれ る に違 いない と, 自身 に言 い聞かせなが ら, この着想 を膨 ませてい った。
ギ ャラ リーの下見 に行 った とき,た また ま,奥様 が ところ どころに壁面 を開 き, もとも とあ った窓 か ら外の空気 の入 れ替 えをされてお られた。 "この外 か らの光 だ" と私 は直感 した。 よ く見 る と‑壁面 に
1‑ 2
つの可動式壁面 があ り, もう私の頭 の中には外光 を取 り 入れた作品作 りを構想 しつつ,現場測量 を行 っていった。前述 した ように, これ も下見の段階で気づいた こ とだが, もう一 つの階段 があ った こ と
1 4
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第5 7
号であ る。 それは最初 か ら知 っていた階段 とクロス し,一見 ,迷路 の ようで,異空 間を構成 していて,それ 自体で も絵画的な空間 を暗示 してい るように思われた。
作品の設 営 と効果
作品設営 のポイン トは,前述 した ように "視覚的 (感受性的) な私の絵 画性 "をメイン といわれて きた壁面 か ら解放 す るこ と。 まず,それ をモ ッ トー に しなが ら,
2F
の絵画空 間 に取 り組 む こ と。 もう一 つの階段 には,2F
か らlF
への単 な る移行的 な ものでな く,2F
か ら直ちにさっ とlF
の空間が飛 び込 んで くるようにす ること。1F
の空 間は中庭 を 見 る外 の景色 まで関わ りを持たせ ること (写真⑪ )。以上 の3
つ を基 に して設営 を行 った。2F
は入 り口か ら階段 を見上 げ る と,色の着 いた柔 らかな色面 に 目が止 まる ように,そ して,階段 を上 り詰 め る と頭上 には垂 れ下 が った別 の色面 がち らりと見 え る (写真(㊨).階段 を上 が りきって しま うと,最初 に 目に した作品が渦 を巻 いてい るので,右側 よ りその 渦 に沿 って中へ と進 む (写真(9⑲⑪ )O この時,渦巻 きの壁面作 品 を見 ているのだが,渦 巻 き以外の作品 にまで も目をや りなが ら, これ らの作 品に包 まれて行 く。 渦巻 きの陵線は 波打つ ように高抵 をつけて,まるで,シガタエルボーの ような曲線 とな ってい る (写真(む (9⑫⑮⑫⑬ )。制作 の中では この高低 の 曲線 に注意深 く計算 す る。 そ して,実際 ,現場 で の設営の とき,予想 とはずれて,計算違 いが多 い。 この違 い こそ,あたか も,予定調和 の ご とく順応 させてい く気配 りのプロセスが,絵画制作の面 白さを深 くさせてい る ものだ と 私は思 う。
この渦巻 きは,今回は断面 を見 る と日本語の "の"の字 の逆 の形状であ り,その巻 く具 合は この "の" ぐらいか, もう少 し巻 いた もの ぐらいであ る。
やがて,渦の中心部 まで足 を運ぶ と,眼前 には垂直面 の色面 が反 り上 が り,色壁面 に包 まれて しま うが (写真⑲⑪ ),続 いてそれを背 にす る (振 り返 る) と,渦巻 きの陵線 は低 くな ってい るので,ギ ャラ リー内の空間や向かいの壁面 に視点 が行 き着 くこ とにな る (写 真⑬⑰ )。 つ ま り, どこか らで もどんな視角 か らで も見 え るこ とで,今来 た道 を戻 って行 くと記憶 の筋 には,あたか も鏡 の世界の ように繰 り返 して見 えるはずだが,全 く違 った色 面 に包 まれ,また,それ らの陵線 に 目をや りなが ら,新 たな視野 を兄いだすのであ る。特 に,渦巻 きか ら出 るあた りは,右手方 向に,今上 が って来た階段左側横の, こち らの部屋 か ら次の部屋 に行 くための渡 り廊下的 な空 間 に設置 した作 品 (写真⑮⑲⑮⑳ ),階段上 に 舟形状の作品 (写真①(亘)⑮) と,それ らを通 して,次の部屋 の奥 まった ところにあ る窓 に 取 り付けた作品 (写真⑩ 砂⑳⑳ )等すべての場 と空間 まで視線 が行 き来 す る.
渦巻 きか ら出て行 くと左側 へ と渦巻 きの外側 を回 りなが ら (写真⑰⑲⑲ ⑳ ),可動壁面 に取 り付 けてい る東 ,北 の窓の作 品 (写真⑲ ),そ して,西窓 の作品 (写真⑳⑳⑳ ) を見 る。 この部屋 か ら階段横 を通 る とき,海藻の ような形状 の作 品 (写真⑯⑮⑳) は こち らの 部屋 とあち らの部屋 とを仕切 りなが らも,仕切 らず,昼下 が りの西 日が一段 と明 るい部屋 へ と化 してい る。 ここには
3
点の可動壁面 に取 り付 けた作品があ る。南側の窓 に取 り付け た作品 (写真⑲ の左手,㊨ )は,昼少 し過 ぎるころまでかな りの明 るさを透過 させてい る。日が傾 くと西側の窓 に取 り付けた作品が一段 と透過光 を増 す (写真⑬)0
右手 に 目をや る と, もう一 つの階段の
lF
か ら床 に敷 き詰めた作 品が,魚等 を とるため 海底 をのぞ くガラス窓の ように浮 かび上 が って くる (写真(彰)0井
川 :
現 代 に生 き る もうひ とつ の美 術1 5
偶然の結び
1F
に降 りずにその まま西 日¢)流れ る窓 に沿 って細 い通路 を歩 くと,右側面の壁 に歩 く 人の影 の周辺 に色光 が鮮 やか に浮 かぶ (写真(む(ラ)o ギ ャラ リーが出来 た当初 か らもとも とあ った窓 が大人の 目の高 さにあ り,高 さが40cmの2
間分,横長 にあ り, これは唯一採光 用 として残 された窓 であ る。 ここに も作 品 を取 り付 け (写真⑳ ),重層化す る色面 の作品 か ら西 日の強 い透過光 に よ り, ものが動けばそれ 自身の影色 を見出す こととな る。これは初 めか ら意 図 された影色ではない。偶然で きた壁面の色光 に展示 を手伝 って くれ た学生 や私 自身が気がついた現象であ り, この ような発見 も見 る世界 とイメージを高め, 外か らの光 の取 り入れ方 には こんな方法 もあ るこ とを教 えて くれた し,また,何 よ りも学 生達 が感動 していたので,無言 の絵画の教 えをその影色が示唆 して くれた ことであ る。 こ
こに も,現 に生 きてい る もう一 つの美 のあ りようを感 じず にはおれなか った。
この色光 に気がつかれた来観者の方 々は どれほ どお られたかはわか らないが, もし,そ れ と出会 い,見 る者 が 自身の影 q)周辺 か ら色光の鮮 やか さを捜 し求め るように,その行為 の中に こそ,見 ることの不思議 さを改めて問い直 してい るこ とにな るのではなかろ うか。
この ように作品設営の仕掛けは思わぬ副産物 を生 みなが ら,流転 して行 く。 そ して, リ アルな事柄 や現象は私 に とって未だかつて存在 しない ように思 える し,同時 に 自身の周辺 に常 に存在 してい るように も思 える。 ただあ るのは,作品 同士 か らの,あ るいは,作品間 か らの垣間見 る色たちの響 きに よ り共鳴 し,見 えないはずなの に見 えた り,感 じた りす る こ とではなかろうか。つ ま り, リアル とは,私 には この ような ことを も指 しているのだ。
これか らも私は,作品 におけ る絵画のエネルギー として,そ こらに光 をあて よう として いる。
註
(註
1
)本学附属 中学校 での公開研究授業 (平成9
年10
月2日実施) に指導助言者 として,長崎県教育委員
会の岩村氏の発言。(註
2
)現代美術 とい う日本語 に私 はず っ と違和感 を もち続けてい る。美術史的 にみて,次 に新 しい時代が 来 た として も,つ ま り,来 る年 ,来 る年 ,ず っ と,現代美術ではないか。 また,
「私 は現代美術 を や っています」 とか,書類上 に記す場合 もため らい と,後味の悪 さが残 って しまう。(註
3
)特 に, この方 の質問内容 においてであ った。現代 とい う時代性の上 にた って, しか も芸術の本質 を 突 きなが ら,例 えば, コンピ ュー ター によるアー トの出現 との関わ りに よって人間は どうなるのだ ろ うか といった ものまでを問いかけていた。 また,捨 て られた コンパ ク トデ ィスク (CD)を材料 に し,悩め る時代性 を先取 り した ような作品作 りは,実 にユニー クさがあ り,皆 を感動 させ るイン パ ク トがあ った。 (写真⑳ ⑮)(註 4) これは先輩 であ る榎倉康二氏 と芸大で授業 を組んだ とき二人で考 えた タイ トルであ る。結構古 くな ったネー ミングであ るが,私 は これが とて も気 に入 ってい るので長崎 に来 てか らもず っ とこの タイ
トル を使 い続 けてい る。
(註
5
)もっ と作 り手 は,自己現場の作 るこ とを通 してオ リジナルな 自分の言葉 で語 るべ きではなかろ うか。それは現場 の直接的 な直視 で な くて もいい。 た とえ,見 えな くて も自己周辺 あた りに もの を感 じ た こ ともあ るはずで, 自己の感 覚 を通 して雰 囲気 で もなんで もよい。感 じられた 自己の世 界 で充 分なのであ る。
今回の作品発表 の協 力で,研究室 のゼ ミ生,OB,特 に,吉岡由紀子 ,川田剛 ,森永 昌樹 の諸君 に感謝の意 を表 します。