もうひとつの世界 : 逆説<カクテル・パーティー>
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(2) . vo l ,2 ,21 No. i d。 Uni i i lof H0k ー t i t on I A) Journa on (Sec ver s く a y of Educat. も. と. ひ. う. -- 逆説 :. つ. 世. の. 界. <カクテル ・ パーティー>. 綾. 史. 部. Feb . ,1971. --. 夫. 北海道教育大学札幌分校英文学研究室. l d Fumio AYABR: The othe r Wror γリ ー- 一-- A Paradox: r乃e coc秘の! Pq. ,. 見. 知. ら. ぬ. 客. 思いがけなく人の 世に招かれて以来, 人は時々刻々いやおうな しに, 思いがけない物や人の訪 1 ) 問を受け続ける, 夢のなかでさえ人を 交渉に引き入れずにはお かないこの < 見 知 ら ぬ 客 〉 は, 人に応接のいとますら与えない. それはどこからともなく風のように 侵入し, たちまち人間存在 そのものをすっ かり満たし, 一瞬のうちにまたどこへともなく 姿を消す, この客との応接を避け ることは空気なしに生きるにひとしい. 人はただただ驚 嘆の眼をもっ てこの客を遇するほかはな 2 ) い. 二つの眼で見 ているのに二つの眼でない眼, いわば眼そのもの, または〈一つの眼 〉 とな 感傷や厚顔な観念な どを ってこの客を映 しだす. 人はそのまま 一つの 鏡となる. もは や弱々しい よ り ど こ ろ と して い る わ け に は い か な い.. 鏡 だ か ら 映 る の で は な い. 映 る か ら 鏡 な の で あ る, し. かも不思議はこれにと どまらない. その見知らぬ客もまた鏡である. そのきわめて短い滞留のあ ) 3 姿 い だ に こ の 鏡は, 人 が 自 己 に 対 して も 隠 して お き た い も の, < 顔 を 合 わ せ た く な い > 自 己 の. を, 遠慮なく映しだしていく, 二つの鏡が向かい合うのである, 人がその二つの眼を閉じてみ て も, 二つの眼ならぬその 一つの眼には, 見知らぬ訪問客がありありと映っ てみえる, 光は鏡の外 で な く 内 か ら 射 し て く る の で あ ろ う か.. 光 の 正 体 を つ き と め る こ と は で き な い に して も, 光 の 当. び なんと切々と 親し った所に浮 きでてい る存在のひとつひとつが, 千載 一遇の奇縁をいかに喜 , み を こ め て 語 り か け て く る こ と で あ ろ う か.. 人生はじつに この見知らぬ客との応接の連続である, この客はしばしば, きみが人間であると いうことへの反証を提示する. この反証を否認しようとしてこの客から眼をそむけても, 自己の 醜い姿が消えるわけではない. 鏡を呪えば, 呪われたはずの 鏡は, 呪われるどころか, 呪われる ままにきみの愚行を忠実に記録し, その永遠の証人となることを黙っ て引受けることであろう, 鏡を見ているは ずなのに, 見えるものは鏡ではなく自己の赤裸々な姿にほかならない, 「鏡は己 ) 」 惚の醸造器である如く, 同時に自慢の消毒器で ある4 . 猫もまたこうして見知らぬ客となる. 母にとっ てもっ とも 身近な存在は子どもである. 夫と妻とはきわめてなまなま しい人間の関係 である, 人は親しい友人を, 見知らぬ人とはいわない. しかし, 親が子どもの臨終になしうること は, 奇跡を 祈ることだけである. 人は友の代りに 眠ってやることはできない, 皮膚のすぐ下にあ る血管に 手を触れることがで きないように, 血肉を分けた人たちでさえも限りなく遠い存在であ 一 80 一.
(3) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和46年2月. る こ と に, 人 は お の の く. く こ の世界 自 体 が ど こ か 狂 っ て い る. 少 な く と も 外 見 と は ま る で 違 っ た. )〉 と身にしみて感じる あの見知らぬ客との応接に際して他人の分まで責任をと ところがある5 . りたがる気負いを 虚栄だと断じ切れないゆえんも, ここにあるようである, )> の餌食とな 美しいものは手折られ, つかのまの平和はこの世のく狂気・暴力・愚昧・賃欲6 り,この世はまさに地獄の様相さえ呈 している, しかも人は観照の高みからこの世のタ オ た関節を ト 嘆いてばかりいることはできない. みずからがこれらの呪わしい行為にたとえ無意識 にであれ加 担 して い な い と い う 保 証 は ど こ に も な い か ら で あ る,. 澄 み わ た っ た 空 は, 嵐 を 呼 ぶ た め に あ る の. か, やさしくて麗しいものは, 啄笑され凌辱されるためにあるのか, 四季とりどりにたたずまい を変える庭園のように刻々に変わりゆく自己の姿を, 見知らぬ客が映しだすのは, 〈もはやどう )〉 た め な の か しよ う も な い ほ ど 呪わ し い 自 己 の 姿 を, 時 お そ く し て 知 る7 . い こ の 「二 本足 の 動 物」 は,. 強 いよ うにみ えて弱. そ の 二 本の足 を 使っ て どうい う <よい 人 生 >を 送 る こ とが で きる の. か, 口に出そうと出すまいと人 はみな, 柔和な顔を引きたてる怯えたような眼差しで自問 し, 検 討 し, さ ら にた め ら い が ち に 問 い 返 し つ つ 生 き て いく. い ま 眼 前 に 存 在 し て い る も の だ け で なく,. これまで存在したことのあるものも, また, 存在したかもしれないものも, 人が間を発するとき に自己を託すにたろ鏡である. そしてある日, 秋風の誘いに落ちる一葉の枯葉のように, 人はま た, 見 知 ら ぬ 世界 に 招 か れ て いく。 見 知 ら ぬ 客 は, そ し て あ の 一 つ の 眼 は, ど こ へ 行く の か . 活. 字. と. 意. 味. 人はこの世に住む限り, あるときは慰めを固く拒む悲痛, あるときは息もとまるほどの驚樗, また,人生よ長くここにあれと叫びたくなる心の高揚のひとときを体験しながら生きていく, この ときどこからともなく 「ことば」 が誕生する, かと思うと,生まれると同時にそれは消え去る, 無 から有が生じその有がまた無となっていく. 消え去るものをつなぎとめようとして人は 「文字」 を呼ぶ, 直線と点と曲線との謎めいた配合が, ぶきみな空白を縫うようにして行進を開始する. 文字の列, 活字の列 のなかに人は自己の生存のあかしを貯えておこうとす る, だが, 単純にみえ て複雑な活字の列はひとたびできあが ると, まったく見知らぬものとなる. 人が活字に頼っ て作 品をかきあげるに際し, 活字のなかに 「意味」 を龍めようとするのは当然である, ところが, 活 字となったことばのなかを探してみれば意味が戻っ てくるということはありえない 。 す でに幽明 境を異にした 「意味」 を呼び戻そうとしても, それは死児の齢を教えるに似ている. 活字の魔力はしかし大きい. 人はことばにはそれぞれ固有の意 味が内蔵されて いると信じてい )> のような自己の姿に哀傷の涙をひそ ることが多い, 結局は く森 のなかで迷子になった子ども8 かに注いで活字の森から帰っ てくる, それなのに人は, そのつど新しく応接するはずのことばに 勝手に意味を寄生させようとつとめ, その異常増殖にみずから好んで苦しんでいる. <人はみな )> 人 は こ の か ら く り か ら 逃 れ る す べ を 昆 に か か っ てい る, み ず か ら 仕 掛 け た 更 に か か っ て い る9 ,. 知り得ない以上, 自業自得として諦観するほかはないのかもしれない, ただ, 活字から意味を裡 造することだけはきびしく自戒すべきであろう, ことばの演出する悲喜劇 の最たるものは, 「文 学」 という活字に手品を期待し自己に過大な期待をかけつづける, 人間の悲喜劇である, 人は意 味を乱用し, それに陶然とし, みずからの意味中毒症状に気づかない. 活字が意味の宝庫であるかのようにみえるのは, そう考えるほうが便利だと思う気持のせいで ある, 自己自身の目的のために他を利用しようとするとき, 人や組織がこの点に着眼し重宝がる のは当然といえよう. ことばが生まれるのと同時, あるいはその 直前に意味は消え去っており, - 81 -.
(4) . Vo l ,21 No ,2. i i ido Uni ion (Sect lof Hokka t Journa ver on I A) s y of Bducat. Feb . ,1971. 残されたものは, 変身も仮装もすることのない活字だけである‘ にも かかわらず, 人は活字の上 に幻の家を建 てようとする. <描こうと思え ばどんな途轍もない夢でも自由に描きだすことがで o )>, こうして作りあ げられた意味は, 夢であるとしても現実以上に現実的なも きるものなのだl のとして感 じられるようになる. こうして活字への物神崇拝が始まる, 過去はいとも簡単に現在 によって歪められうる. だが, やがて意味の麻酔は切れる. 活字のどこを探してもあの幻の家は 見当らず, 幻滅を覚えるにいたる, しかも, 人はこの失意に耐え抜くことをせず, 求めること自 体に意味があるという かのごとく自己を鼓舞し, なおも幻滅を追い求める, <幻滅に安住してし まえば, 幻滅自体が幻影になりうるのだ=)>. 夢は夢を呼ぶ‐ 意味と活字との癒着は人生の秘密を開く鍵であると人は考えがちである, だがこれは陥りやす い錯覚である, 実例をあげるには新聞を開くに及 ばない, 思想とか理論とか呼ばれて いるものが 往々に して相手を殺す口実とさえなるのを, 活字はどういう思いで耐えているのであろうか. 活 字に心あらばわが 身の不運を嘆き, 人間の恐るべき 徽岸と無智のうえにわが骨を積みて火をつけ よと叫ぶことであろう. 活字は, 小羊のように従順であるとともに, 虎のように精樺である. そ れにつけても, ことばを生み 文字を呼 び活字を行進させ, さらに意味という夢を描かせるにいた ったあの体験 は, どこへ行ったのか. 過. 去. と. 思. い. 出. 行く川の流れのように, 時間は来たりそして去る. 過ぎ去ったものをありし日のままに蘇生さ せ再現すること は, ま ったく不可 能である. しかし常識によれば, 過去の事実はく思い出〉とし て ・現 存 して い る,. そ う だ と し て も, 現 存 し てい る の は 思 い 出 で は あ っ て も 過 去 の 事 実 で は な い は. ずである, 時間の冷 厳な不可逆性は, 過去に起こったことと思い出とが, 黒と白のように異質の ものであることを 教える, 過去の事実はもはや存在しない. だからこそ過去とい えるのである. )> ゆえんである <過去につい ての真実〉は知ることがで 2 <昔 の こ と を 聞 き た い と は 思 わ な い1 。 き な い こ と を 人 は 知 る,. 時は一刻一刻生まれたとたんに 非存在と化していく. それならば, 思い出のなかに浮かびでて くる事象 のあの生気に満ちた現実味はどこからく るのか, 思い出と呼ぶにはあまりにも現実的な 、い出もまた走馬 灯のようにひとときもとどまることなく変 現実性に人は全身の震動を覚える. 恩 転を続け, この画 像は一瞬のうちに 次の画像に席を譲る. <樟脳で包んでおくことのできる思い )> 3 出 は な い, き っ と 虫 が つ く も の な の だ1 . 思 い 出 は 保 存 が き か な い の で あ る. 同 じ 思 い 出 を 二 度 見 る こ と は な い, 生 ま れ る や い な や 過 去 に な っ て しま う の が 思 い 出 で あ る. い や, 過 ぎ去 っ た 思 い 出 は も は や 思 い 出 で は あ り え な い. < 思 い 出 に つ い て さ え 真 実 は 知 る こ と が で き な い こ と を 4 )>. 人 は 知 る1 た と えを 音楽会で, 管と絃などの音に触発されたようにして,. 思わぬ過去の断片がふしぎな仕. 方で思い 出されてくる経験をだれでももっている. 死んでいるはずの過去が, 生きている現在の 岸辺に打上げられ, きみがこれとの奇遇に瞳目しているあいだに, それは姿を消してしまう, こ のしくみ の由来は知るよしもないが, 死んだ骨が生き返るともいう べきこの経験は, 疑おうとし て も 疑 う こ と の で き な い ほ ど現 実 的 な も の で あ る,. 日 常 茶 飯 の こ と だ け に, か え っ て, 人 が そ の. 秘密に 疎くなって いる経験である, しかし, この経験をも幻 想あるいは 錯覚であるというならば, 闇夜にも木 の葉は 緑に見えると 主張したほうがよい. 雨の日にも空は青く見えると主張するなら ば, 過 去 に 起 こ っ た こ と が どう い う 仕 方 で そ の ま ま 生 き て い る と い う の か. - 82 -. だ が, 過 去 は 人 が 思.
(5) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). い の ま ま に 蘇 ら せ る こと は で き な い, そ れ は 過 去 の ほ う か ら や っ て く る.. 6年2月 昭和4 思い出を触発す る あの. 音楽はなんというふしぎな働きをすることだろう. 聴衆ひとりびとりの耳に同じ響きを伝えてい ながら, 相互に似ても似つかぬ独自な過去との出逢いをそ れぞれの人に経験させて いるのである, 5 )> < ま っ た く, ふ し ぎな こと が 多 す ぎる1 ,. 虚心に活字に向かえば, 華著な活字の骨組のすきまから見知らぬものが絶え間なく復活してく る, 音楽の旋律の間隙からは, きみにもっ ともふさわしい 風景がほんの一瞬間, 垣間見られ る. これを思い出というのであろう. 思い 出は人が作りだすものではな い. 旋律に思し ・出を寄生させ ようとすれば旋律は雑音と化す, つけてほしい病名を医者に押しつける患者にも似ている, 旋律 を して 語 る に ま か せ よ.. そ う す れ ば 思 い が け な い と こ ろ か ら, こ の 世 の も の と は 思 え な い 舞 台 が. 現われ, 人は, <「幸福」 ということばがこれまでとは違った意味を持つ, あるいは持つように思 6 )〉 に生 える世界, 《自分だけのものではないのに》自分だけの世界, 時間が無意味になる現在1 きた と 感 じ る.. 浦 島 太 郎 の 世 界 と は こ の こ と を さ す の で あ ろ う, 一 生 と い っ て も 短 い と 感 じ る ほ. ど長く続くように 思えるこの瞬間は, おそらく続くということばさえあてはまらな い, こういう 瞬 間 は い わ ば 「光 る」 の で あ ろ う,. は っ と し て わ れ に 帰 る と, 音 楽 は ま だ 続 い て い る. 持 ち 帰 っ. 7 )〉 はどこにも見えない あれは夢であったの たはずのく最初にしておそらく最後の現実の経験1 , か, もし夢なら, 夢こそは現実であるといわなくてはならない, そ して人がこれこそ現実である と 思 っ て い る も の は す べ て, 夢 で あ り 幻 で あ る と い う こ と に な ろ う。 「目 覚 め て い る の か, そ れ と ) 8 」 と 自 問 せ ず に は い ら れ な い 境 域 で あ る. も 眠 っ て い る の か1 四,. 疎. 外. と. 仲. 間. わが子とのあいだにも横たわ っている深淵は, 疎外とか断絶ということばでよばれる. しかし ことばが使われても, その無限の距離がいくらかでも短縮されるわけではない. そのことばにあ の見知らぬ客 との応接を代行してもらうこともできない, 鳥うたい 花かおる大地はあんなにも美 し い の に, な ぜ こ ん な に も よ そ よ そ し い の か.. 人は くなぜ 自 己と い う 牢獄 か ら出 る こ とが で きな. 9 )>, 皮膚ですっぽり包まれた狭い 奇妙な一室の肉の壁に, このむなしい叫 び声がこだ ま いのか1 するだけである, 人はこのひとり ぼっ ちに耐え切れず, わが身の疎外を喧伝する. しかし伝達が 可能になったとき疎外は疎外であることをやめる. 話合いが始まり<仲間>が生まれ, 連帯の輪 が広がり, ついに <疎外〉は克服きれたかにみえる. だが, 仲間の連帯が深まれば深まるほど, ますます骨髄に徹するものがある, 人生の底知れぬ さびしさ, もの悲しさが厳として存在するのをどうすることもできないのである, それは仲間の 生暖かい陶酔をかたくなに拒む, 疎外には仲間で耐えることができようが, 人間本来の根本的条 件をなしてい る孤独にはひとりで耐えょと命ずるかのごとくである。 意欲と情熱を ふりしぼって 0 ) この孤独の牢獄からの脱出を企てても, 「血が騒ぎ, とつぜんの期待が沸きでる2 」 だけに終る. 肩を組んだのは孤独からの脱出のあかしではなかったのか, やがて失意が来る, ひとときの連帯 感が逆に幻滅を生み, 人と人との関係を悪化させることにもなりかねない, 自己の疎外感を他人 1 )> こ の と き の せ い にす る か ら で あ る, < 人 は 自 己 の 欠 点 の せ い で 相 手 を 非 難 す る こ と が あ る2 . ,. 疎外感の道連れ, 仲間の押売りの結果として利用される<話合い〉は, 自己欺隔の隠れ蓑となる. 2 )> < だれ と 《話 合 っ て み て も 》, も は や どう に も な ら ぬ よ う に 思 え る2 .. 真の交流を求めてもあきらめに似た挫折感しか残らないならば, 一切の交渉を謝絶し無限地獄 の主観の殻に閉じこもるべきであろうか. しかし,たとえ人間嫌いの看板を掲 げて 学問研究の口実 - 83 -.
(6) . i ion IA) fr lokka i ido Univers t lo t t Journa on (Sec y of Educa. Vo l .21 No .2. Feb , ,1971. を設けようとも, 生きている限り応接を避けることのできない見知らぬ客に人は取囲まれている. とりわけ主観のなかで怪しく乱反射する観念との応接に当っては, 人は思わず煉獄の火を呼ぶこ とであろう, 話合 いをすることも不毛, 話合いを しないことも不可能という事態である, ことば の遊 び どこ ろ で は な か ろ う.. しか し, こ と ば の 遊 びと も み え る こ の 表 現 の な か に こ そ, こ と ば の. 真掌な息 づかいがきこえ, ことばの指している人間的状況にたいする共感を誘いださずにはお か な い も の が あ る.. 物事を説明したり 思想を伝達したりするのにもっとも適当な手段は 「ことば」 で あ る こ と に ま ず 異 論 は な か ろ う.. し か しこ の こ と は, こ と ば が そ れ ら の こと を 満 足 す べ き ほ ど に な し得 る と い. うことを意味しない. 話合いがいかにしばしば偏見の大量生産に役立つことか. ことばが解答を 出 し充 分 な 説 明 を な し う る こ と は ほ と ん ど な い, と い う こ と を 知 る の は き わ め て 有 益 で あ る,. こ. とばによる理由の説明で人を納得させ,うると考えることは, きわめて有害である, 説明は多けれ ば 多 い ほ ど こ じ つ け の 度 合 を 強 め る,. < な に を し よ う と い う の か 自 分 に も わ か ら な い. ま た そ れ. を しよ う とす る 理 由 も さ っ ぱ り わ か ら な い, そ う す る よ り ほ か に しょ う が な い と い う こ と だ け が,. 3 )>, 弁解がい かに理路整然として それをしようとする唯一の理由であり, 最上の理由でもある2 学問にたずさわる人間にと 分列行進のように味けないゆえんである い ようとも制服の っ て最小 , 限に必要な資質は, 説明のつかぬことを説明のつかぬこととして説明できる勇気と 誠実さのよう に 思わ れ る, こ と ば の な か に,. 自 己 正 当 化 の た め の 不 可 侵 の 聖 域 を 築 こ う と しな い こ と で あ る.. ことば には, 矛盾した表現をとらなければどうしても安らわない性質がある, 活字の姿がいみ じ くも暗示してい るように, ことばは屈折し, 蛇行し, 跳躍し, 直進したかと思えば円環をつくる. 「そ うい う 矛 盾 の あ る と こ ろ に の み,. 4 )」 正 統 は見 出 せ る の で あ る2 . こ の 逆説は 人生そのものの. 逆説である. 疎外にも仲間にも安住できないという事態のなかでこそ, ことばの観想に耽ること が, ことばの遊 びを越えた意義を獲得するのである. 五,. 屈. 辱. 感. 人は鏡に映 った自分の顔にうろたえることがある, ある朝, <中年になっ たことに気づき, 年 5 )〉 と, を と る と い う こ と が どう い う こ と か を 知 り 始 め る2. 見 知 らぬ 老 年が も うそ こま で 来 てい る. い ず れ は 来 る こ と の 予 想 さ れ て い た こ と で あ る, あ き ら め の 気 持 は 否 め な さ ぎよ く 耐 え る ほ か は な い, だ が, 鏡 に 映 っ た 自 分 の 姿 が, 人 間 と い う よ り は く 人 い に して も, い )> の 姿 で あ り, 自 分 の 声 が < 虫 を ふ み つ ぶ し た と き の 音 〉 に ひ と し い こ 6 間 の 大 きさ を した 甲 虫2 こと に 覚 悟 を 固 め る,. とをも認 めざるを得ないとき, 人は屈辱を感じない であろうか, そして, あるときは腐ったバ タ 8 )」 で あ り, さ ら に ま た, 朝 早 く 樋 の ま た, 路 地 で 骨 を 溜 る 「鼠2 2 9 あ た り で 喉 る 「雀 )」 で あ る 自 己 の 姿 を, む し ろ い と お しむ よ う に な る,. 7 ) 」 で あ り, ー を 紙 め 廻 す 「猫2. 鏡に向かって人は時々, ありのままの姿以上の自分の姿を見ることを期待する, 写真の出来上 りを待つ気持に似たこの期待は裏切られることも少なくない. 鏡のほうに癌があっても鼠が人間 に変わるわけではないのに, 自己を正当化し美化してみせようとする人間の本能は癌疾のように 抜きがたい, <こ の世のわざわいの半分は, 自分は偉いのだと思いたがる人たちによっ て引起こ 0 )> さ れ る の で あ る3 .. 1 )」 の か 自 分 が 人 格 者 で あ る と 考 え る よ り も, 「河 馬」 の よ う な 「肉 と 血3. たまりであると自認 することのほうがはるかに容易なはずである。 にもかかわらず, 人はなにゆ えか, あえて困難な道を選 びたがる. だがきみは, マスクをした医師らに囲まれて手術台に横た )〉 と 自 負 す る こ と が で き る か 2 わ っ て い る と き も な お, < 主 体 で あ り, 現 実 の 中 心 で あ る3 ,. - 84 -. 健康.
(7) . 北海道教育大学紀要 (第一部A). 第 21 巻 第 2 号. 昭和4 6年2月. に恵まれ自信に満ちて昼間階段を昇るとき足を踏み外してよろめくのも, 人間が動物以上のもの で あ る 証 拠 な の か.. 3 )〉 と 変 わ ら な い こ と 人 間 で あ り 人 格 で あ る と 思 い こ ん で い る と き, < 物 体3. にも同意しなければならぬと したら, 屈辱を覚える反面, なにかしら安堵に似たものを感じな い であろうか, 鏡に映った自分の顔とまともに出逢う勇気がふしぎにも沸 きあがっ てくるのは, こ の と き で あ る,. 恐ろしい小さなけものと罵られても, 猿は, おそらくなにら屈辱を感じはしない. だが人間は 欲求と現状との落差に比 例して, 屈辱の度合も大 きい. 愛の共有を信じていたのに, 男からく気 4 )〉 と し て しか 扱 わ れ て い な い こ と を 知 っ て, 多 く の 女 は 癒 しが た い ほ どの 屈 辱 を まく れ の 慰み3 感 じる,. 屈 辱 は, し か し, 他 人 に よ っ て 与 え ら れ る も の で あ ろ う か. お そ ら く そ う で は な い. 相. 手がいささかも屈辱を与えるなどという意図のないときに屈辱は感じられるものである, 教育の 意図が見え透いているところには教育が育たないように, 自己を高しとするものは屈辱のもたら す思いかけない恩恵に あずかることができない. <狂気と暴力〉に満ちたこ の世のさまざまな病気に対する処方の第一歩は, 鏡に映る自己の顔 とまともに直面し, 自己の言動に対し常に検討を怠 らないことである, 自己と世界の病状を勝手 に素人診断することは, 本物の病気が手におえないほ ど悪化するのを忍耐づよく侍っにひとしい, 赤ん坊の眼のように, 正直でそして無心な眼をもって, 見知らぬ客に応待することである. 人が 愛とか誠実とか正 義などの活字を利用し自己の醜さを忘れようとしても, 活字はじっ とその受難 に耐えていくだろう, そして屈辱を屈辱として 感じることもできない人間をあわれみつつ, い う 5 )> で あ ろ う, <忘 れ よ う と す る こ と は 隠 そ う と す る こ と で あ る3 , 六,. 夫. と. 妻. 人はひとりで生まれひとりで死ぬ, もっとも身近にいるはずの人たちとさえも気絶するほどの 遠い距離で隔てられているために, 孤独そのものである, <出逢うたびごとに人は見知らぬ人と 逢 っ て~・る%)>. し か も,見 知 ら ぬ 客 で は あ っ て も,い や 見 知 ら ぬ 客 で あ る が ゆ え に,常 に 新 鮮 に 語 りか け て く る ゆ え に, 人 は ま っ た く ひ と り ぼ っ ち で あ る と い う こ と は な い.. 群衆 のなかの孤独 の. ご と く, ひ と り で は な い 場 所 に ひ と り で い る ほ か は な い と い う こ と に な る.. こ の や や こし さは 結. ひ と り で い る の は よ く な い, し か し で き る な ら ば ひ と り で い る ほ うが 卯 ) よい , 結 婚 し た ほ う が 結 婚 し な い よ り も さ び し さ が 少 な い と い う こ と も い え な い. ミノ タ ウ ロ ス の 迷 宮 に 入 っ た か の よ う にみ え る が, こ と ば の 外 見 上 の 錯 綜 に と ら わ れ て い る あ い だ は, 示 さ 婚 に よ っ て も 解 決 し な い,. れている単純な解決の糸口が眼につかない. つまり問題は, 結婚したほうがよいか否かではない. 8 )>をするかが, 問題の核心で 各人がどういう<死の形>を選ぶか, どういう<死に至る生き方3 あ る, 夫 と 妻 と い うよ う な く 役 割 > か く 当 然 の こ と と み な さ れ て > い る あ い だ は,. なに ごとも起 こる. まい, その役割に忠実に, 幸福にあるいは 退屈に, 「あす, そしてまたあす, さらに次のあす」 と消光していく 生活が続く, だが,その約束ないしは役割自体に対して, 素朴ながら真剣な問いか けが始まるときが, やがて来る. 役割とは, 実体の伴わない虚名ではないのかという疑問である. 親と子という関係さえもが仮面ではないのかと疑われる時期は, 残酷な面とともに輝かしい面を 備えている。 この試錬にどう立向かうかが, 役割を人間化できるか否かを決定するものである, まっ たくの見知らぬ人のあいだでならば起こりようもなかった不信, 猪扉, 憎悪などが, 身近な 人たちのあい だに生まれ, 取返しのつかない深手を与えることがあるのは, 不幸のきわみである, - 85 -.
(8) . Vo l ,21 NO .2. lofI JOkkaid。 Uni i ion (Sec i JOL ty 。f Educat . rna t ver s on 工 A). Feb . ,1971. 身近な人た ちに対する善意の押しつけがこの不幸のおもな原因ということができる. しかし, 「ど 9 ) んな人とい えども, 自分の鋳型に合わせて他人を改造するなどということは許されない3 」. 善意 ほど悪意に 早変わりするものはない, 相手の心への強制 の代名詞として善意ということばが利用 さ れ て い る こ と が, い か に 多 い こ と で あ ろ う, こ と ば に 罪 が あ る の で は な い .. 存在の支えが 崩れるとき人は恥も外聞も忘れて, 失われたものを求めるものである. 出世を望 む妻から解放された夫は, 求めていた自由を得たはずなのに, 母の姿を見失っ た幼児のようにそ の不自由を二怯える. 妻が<理由もない のに>家出をしたとき, 家出の理由はその<理由もないの に > の な か に 十 二 分 に 尽 く さ れ て い る.. < こ れ か ら は 毎 日, 毎 時, い つ ま で も, 地 獄 に お ち た と. )>. 自分の手で肉体 の息をとめることなら意志 0 同然の呪われた状態で生きていかねばならない4 ひと つで案外簡単にやってのけることもできよう, だが時が来れば 雀は落ちる, なにも急いで, 1 )> 招 か れ ざ る 客 に な る こ と も な か ろ う, そ れ に な に よ り も,肉 体 の 死 よ り も 恐 ろ し い < 精 神 の死4 を 恐 れ ね ば な ら ぬ,. }> こ の こ 2 死 の う と 思 わ な い で も, 人 は く 毎 日, 相 手 に 対 し て 死 ん で い る4 ,. とは, 肯定することよりも否定することのほうがむずかしい. 刻々に人は見知らぬ客に対して死 ん で い る か ら こそ 常 に 新 し い 応 接 を な し う る の で あ る,. 自 己 自 身 に 対 し て も 刻 々 に 死 ん で い る,. 自己自身も自己に対して<見知らぬ存在>であるからである. 見知らぬ存在は代用品 で間に合わ 3 )>, そ れ と と も に 生 き て ゆ く べ き 掛 替 そ れ と と も に < 自 己 を 語 り4 , え の な い も の で あ る. こ こ で も, も っ と も 大 切 な の は, 逆 境 を 恩 恵 に 転 ず る と い う よ う な こ と ば に. せ の つ か な い も の で あ る.. 酔うことではけっしてない, ことばの指すものが思わず人の心を動かすのは, ことばが本来のつ 4 )> つ ま し さ を 守 っ て い る と き で あ る, < こ と ば は, 忘 れ ら れ た と き に, 状 況 を 変 え る の で あ る4 . こ と ば が 腫 れ あ が っ て み え る と きに は, こ と ば が 人 間 の 虚 栄 心 を 映 し だ し て い る の だ, と 思 え ば よ い.. 愛する能力があると信 じこみ, 愛される資格があると自負している男と女, 夫と妻は, その確 信にひびかはいると, みずからこしらえた屈辱の重みに耐えきれず, それぞれ別の女と男に, 代 用品をひそかに期待する. しかし, 出逢うことを期待して いた自由は, じつは実体のない抽象的 な幻想であり, 望んできた愛 の実現は病める主観の描きだした妄想にす ぎないことを認めること 5 )> に な る. <だ れ か は わ か ら な い が な に も の か が, 常 に 干 渉し て い る4 ,. こ の 常 に 干 渉す る も の. に追われるようにして不自由の極限に到達した男と女は, 家出によっ ても代用品によっても, 事 態は悪化こそすれ好転しないことを知る, <妻と一緒には生きていけないんだ. とてもがまんが な ら な い.. 6 )> 一 見 矛 盾 し た 二 つ の 命 題 の 桔 抗 し あ で も, 妻 が い な く て も 生 き て い け な い ん だ4 ,. う緊張のなかにこそ, 解決は思わず示されるものである, 昔と同じ場所に帰って いくことになっ て も, じつ は ま っ た く 新・し い 場 所 で,. 刻 々 に新 しい 見 知 ら ぬも のと対 面 して 生き て い く ことが で. き る. も は や 逃 げ よ うと し な い か ら で あ る. 「も っ と も む ず か し い こ と で あ る と 同 時 に, た だ ひ と. 7 ) つの可能なこと4 」 を, 一瞬一瞬にかけ続けて, 人は生きるほかはな い, 七,. 人. 間. と. 行. 為. 見えるもの, 聞こえるもの, 触れるもの, つまり応接を余儀なく迫られている 「現象」 の奥に, 「本 質」 な る も の が あ る か ど う か に つ い て も,. だ れ も 説 明 で き る も の は い な い, な ぜ 雪 は 白 く,. 土 は 褐 色な の か, こ の 間 自 体 が 愚 問 に み え る ほ ど, こ の 現 象 は く 当 然 の こ と 〉 と 考 え ら れ て い る, 8 ) 「な ぜ, あ そ こ に で な く, こ こ に い る の か4 」, 納 得 の い く 理 由 を 与 え る こ と は 到 底 で き な い. だ. が, 失敗とみえるもののなかに成功以上に深 い味わいがあるという経験はだれもが知っている, - 86 -.
(9) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 6年2月 昭和4. また, 最善を祈っ て決断しても最悪の結末をみることがあるこ の世はどこかに狂いがあるはずだ と, 思わず叫びだしたい気持にかられなかっ た人はいない だろう, この世 界を相手に人はどうす 9 ) 」 と絶叫し続けるほ どの狂気が必要とされよう, <神経衰 ればいい のか, 「仮面を 叩きこわせ4 0 )〉 と見まごうほどの正気が要求されよう, だが, 病状の自己診断は危険である. 自称健康者 弱5 1 )〉 は重態の徴候である. 重態であるほど健 康であるといっ の多いこの人の世では, <誠実な心5 て もよ い. 健 康 と い う 病 気 に 穫 っ て い る こ の世 界 で は, こ と ば ま で も 噛 い で い る, こ の 病 状 を 正 )〉 の み で あ る. しく診断し治療することのできるのは 〈最高の名医よりもすく れ た ひ と52. , 証拠がなければ窃盗も美談となることがある. 法律は刑罰によっ て殺人の罪をも相殺してくれ る, 刑罰は重宝な身代りのごとくである, 善人がいとも簡単に悪人に変身し, 悪人は善意と法規 の抑制のもとにその潜在能力を 発揮することができず, み ごとに善人に仕立てあげられる, 戦争. はごく例外的な事変とみなされ 金儲けの種ともなる, 「殉教」 という活字が尊崇されるのは, こ こならば自己の虚栄心や 陰険な野望を温存するとしても 人に喚ぎつけられることのない場所であ ると い う, な さ け な い 計 算 の せ い で あ る, 倫 理 は こ こ に は 育 た な い.. こ こ には表 彰 はあ り刑 罰 は. あっても, 真の意味での善と悪は存在しない. 人間的な善悪の通用しないその彼岸の世界には, 近親相姦的な動物の姿が見え, 生暖かい自足の土壌が あるだけである, 善悪が始ま ってもいない 所 に は, 時 間 もな い,. 猿は, 人に被害を与えても責任を負うことはできない, 責任のないところではなに ごとも起こ らない, 弱肉強食の世界には活字は不要である, 人は活字なしには 人間でありえない. 人が生き ると い う こ と は, 活 字 と の 命 を か け た 折 衝 の こ と で あ る. も っ と も 呪 わ し い も の, 恐 怖 そ の も の,. つまり<殺す〉という事態に,実際に直面することは, 毎日の生活経 験のなかではまずほとんどな い. たとえ現場を目 撃しても, 時間がその衝 撃を徐々に薄めてくれる, そ の極限的な事態とのい のちをかけた交渉は, それゆえに, 不幸な事件に出くわす稀な確率によっ てではなく, ことばに よ り 活字 に よ っ て, 常 に な し う る の が 人 間 で あ る,. こ と ば に よ っ て 人 は, 人 間 と し て 人 と 人と が. 生きていくためのく出発点〉に導かれる, だがこの出発点は, 人が眼をそむけずにはいられない )> 地点である 人が生きるとは, かく 3 棲惨 な 地 点 で あ る, < お た が い に 殺 し あ う こ と も で き る5 , もきびしい 緊張のな かで呼吸を続けていくことなのである。 倫理はここに根をおろす. 「逆説的に 4 ) 」, 身 の 毛 も よ だ つ ほ ど の 可 能 性 の 極 限 い えば, 人 は, な に もし な い よ り は 悪 を な す ほ うが よ い5. を絶えず見張りながら生きていけということである. 職業に従事して日夜働いて いるとか, 口や 頭や 体 を動 か して い る と か だ け で は,. な に か を し て い る と い う こ と に は な ら な い. < 自 己 の 想 像. 5 )〉 とのひとり相撲も, 人間的な 「行為」 と呼ぶに価しな 力によって勝手につくりだされたもの5 い, 不毛の行為をどんなに堆積しても どこまでも不毛の行為がごある, こうして活字は, 人をあの 物騒なことばにまで連れ戻さずにはおかない, 雨 に 濡 れて も, 忘 れ て き た 傘 の せ い で は な い よ う に, < 殺 す 〉 と い う こ と ば に 戦 課 を 覚 え て も,. 活字が悪いのではない, 愛し得ないのは相手のせいではない. 利用す べき<物体>として相手と 姑息な馴合い を続けてきた自己のせいであることを, 活字は教えてくれる. 活字は人間とともに 旅をする. 活字が案内してくれる土地, <恐怖と苦痛と嫌悪と, …- そ し て こ れ ら を ひ っ く る め 6 )>の地の眺望に, 人は息を呑んで見入る. 死が生に変じ夜が昼に変ずるにも似た たほどの苦難5 ふしぎな経験を, この日から毎日することになる, 役割や容貌が変わるのではない, それでいて 7 )> こ と が し ば し ば で こ れ ま で は, 役 割 に 気 兼 ね し て < 嘘 を つ く5 5 8 ) き よ う に な っ た の で あ る, < が で 〉 る な 喧嘩 … か ら は, 破 局 を 恐 れ る こ と も い. こ;. これ ま で と は 違 う こ と が あ る, あ っ た.. - 87 一.
(10) . Feb . ,1971. i i lof Hokka ido Uni i t t journa o on I A) s l l(Sec ver y of Educat. VO1 .2 ,21 No. 9 )> 自分の気持をむりに ごまかす必要もなくなっ た. やわらかい <同じお世辞を二度ききたがる5 朝の光が大地を染めるとこの露あの雫にも光が宿るように, この世にあるす べて のものをその見 え る が ま ま の 遠 近 に お い て 眺 め る こ と が で き る よ う に な れ ば, を 帯 びる に い た る,. 卑 小 に み え て い た も の も 高 貴 の光. も っ と も 身近 な も の の た め に 痛 み を 覚 え な い 心 が, ど う し て も っ と も 遠 い も. ののために口先だけの慰め以上の行 為をなしえよう, 結婚も, 単なる役割や契約の堅苦しさを脱 却して, 一瞬一瞬破棄されるとともに更新されるものとなる, 惰性や見栄のために飲まれるとき 0 )」 が, それを人と人との真のふれあいに役 カ ク テ ル は, 「若 い 人 に と っ て き わ め て 有 害 で あ る6 立 て る こ と が で き る か ど う か は, カ ク テ ル が き め る こ と で は な い. 八,. 内. な. る. 自. 然. 人の噂に打興 じているあいだにも死は確実に近 づいている, い や, 人は刻々に死んでいる. 一 瞬 ま え の 時 は どこ へ 行 っ た の か。. こ の こ と に 無 関 心 を 装 っ て も, 脚 の 下 か ら 忍 び よ る 冷 気を ど う. することもできない, なによりも奇妙なことには, 死んだはずのものが見知らぬ客と して思わぬ ときに蘇ってくる, 死んだものが住んでいるその世界, この世ならぬそ の世界の名前を, だれが 知ろう. 人は思い思いの名でそれを呼んでみる. しかし, 「この永遠の国の秘密は, 肉と血の塊り 1 )」 と い う 返 答 で あ る で あ る こ の世 の 人 の 耳 に は 打 明 け る こ と は で き な い6 ,. こ の声 す らだ れに で. )> が 住 ん で い る だ ろ う. 2 も 聞 え るわ け で は な い. お そ ら く そ の 世 界 に は く 嘱 蝿6. 真 夜中 になると. 妖精の天国となることだろう。 海の底には, 難破船の残骸と溺死 した水夫の骨が眠り, 墓のなか では, 女の髪の毛が男の腕に巻きついているのが見られよう, 人間が宿命的に授かっ ている<割 3 )> の結末を見せつけられる思いがする 外なる自然にあるもの, これまであっ たも の 悪 い 仕 事6 . の, さ らに, あ り え た で あ ろ う も の の す べ て が, こ こ に は, 図 り 知 る こ と の で き な い 形 で 貯 え ら れ て い る と 思 わ れ る. そ の 世 界を, 内 な る 自 然 と よ ぶ こ と に し よ う. 4 )> < そ の 世 界 は こ の 世 界 の 代 り を つ と め る こ と は で き な い6 .. だ か ら こ の 人 の世 の 苦 難 は こ の. 世の人が耐えるほかはない. しかも内なる自然は, 外なる自然に生きている人間のなかで復活す ることを, 最大の念願として いるように思える. 人はその自然を 愚かにも概念化しようと試みる が, それは鼓動を続ける心臓 を外からとめようとするようなものである. しかも概念化への誘惑 は根強い, 内なる自然はその秘密を活字に対してのみ開示するからである。 人は主観の正し い使 い かたを知らず, ほしいままに色づけした意味や思い出によって, 内なる自然の開示する秘密の 恐怖を和らげようとする. 人はこうして生きるほかはない のかもしれない. 少なくとも錯覚を錯 5 )> 覚として認め屈辱を屈辱として感じうる限りは, 人と人とが共有している迷妄すらも, <紳6 6 )〉 の で あ る い た ず と な り う る. 人 は み な死 に 至 る 病 に 雁 っ て お り, < 死 の 宣 告 を 受 け て い る6 .. らに自他の迷妄を嘆くにはおよばない, 迷妄が常態であるようにして人は生まれたのである, 気 づ い た と き に はす で に こ う い う 状 態 に 投 げ 出 さ れ て い た の で あ る. 恋 人 を ま えに し て そ の 骸 骨 を 見 て い る こ と は む し ろ 異 常 な こ と で あ ろ う,. し か し, 人 間 と い う. )> で あ る, と い う こ と を 否 む に も, よ ほ ど の 愚 7 ものはくあらゆる過去が現に住んでいる古い家6 直 さ が 必 要 で あ る.. 人 は 自 分 の語 る こ と ば に つ い て 確 信 が あ る と 思 い こ ん で い る, し か し, な に. かに 押 さ れ るよ う に し て 人 は 物 を い わ な い だ ろ う か, ま た, 遠 い と こ ろ に あ る 自 己 の 過 去 と 対 面 8 )> 人の語る す る か の よ う に し て 語 ら な い だ ろ う か. < し ゃ べ っ て い な い こ と に ま で 気 を つ け て6 の を 聞 く のは, 病 的 な こ と の よ う に も 思 え る が, じ つ は ご く 当 り ま え の 聞 き か た で あ る. だ か ら, そ の 言 外 の こ と ば に, 語 ら れ 書 か れ る こ と ば の 生 命 は あ る の で あ ろ う.. - 88 一. こ とを は, こ う し て, 生.
(11) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和46年2月. まれたとたん, 見知らぬものとなる. それは死ぬのであろうか, いな, 「それはまさしくその日に ) 9 生 き 始 め る6 」, こ とば の 受 難 の 一 生 が こ こ に 始 ま る.. 思想や感情の伝達をことばに託すとき, 人はことばをいわば脅迫してしまうことが多い. 相手 に理解してもらいたいという焦燥感のなせるわざである. 理解してもらいたいとい う甘えた気持 )>ことを知ることだ だがこ 0 を活字は忠実 に伝達する, く相手はこちらの動機を理解している7 , ちらからは, 相手は常に見知らぬ客である, それなのに, 一度逢うと相手は知合いであると人は 錯覚したがる, この錯覚は偏見を固定させてしまい人間関係の通 風を悪くする, <見知らぬ人に 1 )> 心をむなしくして見知らぬものに向かえば, 死者と のほうが, 話しかけやすいものである7 . なったものたちが, その見知らぬものをいわば 「触媒」 として, いかによくきみを理解して いる かがわかるであろう, 当然のことと思っている日 常の経験ではあるが, 人間には知るよしもない 謎にみちた世界からの干 渉を人は絶えず受けてい るのである. このことに気づくと, 人はことば がいかに無力であるか, 自己の業績を誇示することがいかに愚劣なことであるかを覚る, <自分 2 )> の は, な に も 恥 か し い こ と で は な い 結 婚 交 が な に を い っ て い る の か 自 分 に も わ か ら な い7 , .. 友などあらゆる人間関係がその名に価するかどうかも, 見知らぬ客に聞かなければわからない,し かも, この見知らぬ客の本籍は, この世にではなく, あの内なる自然にあるのである, 九,. 死. へ. の. 道. 特定の人との特定の関係の破綻は, 双方に理解の不如意を認めさせ, 見知らぬ人との新しい関 係の樹立に向かわせるものである, 少なくともそう考えることによって, 過去が払拭され清算さ れたことを喜び, 再出発する力を得る, だが, 出発するのはある特定の時点に限られるのではな )>. そうでなければ, 再出発の喜びも日毎に薄れゆき, ま 3 一瞬一瞬が新鮮な発端である7 い. <- もなく, 以前の関係と大同小異の結末に達するであろう, 姪橋だった結婚からは離婚によって解 4 )〉は訪 れる, しかし, 出所にょ 放されることができる. 刑期が満了すれば待望のく自由の瞬間7 っても離婚によってもどうしようもないものがある. <後にも前にも行けないと き, どうしたら 5 )>, い い の か7. 理 屈 や 理 由 に よ っ て で は な く, ほ と ん どな に か に 引 か れ る よ う に し て 選 択 し 決 断. す るの は, こ の と き で あ る,. 他 人 に 呼 吸 を 代 っ て も ら う こと が で き な い よ う に, 自 己 の 運 命 は い. かなる善意ある他人の容壕をも究極的には謝絶する. 結末と発端, 死と生とが一瞬間のなかに縫 いあわされ, 思いもかけなかっ た綾模様をくりひろげる, こうして人は孤独な運命の軌跡を残し つ つ, 死 に い た る の で あ る,. 愛しえず理解しえないことを人は嘆く. だが, 理解しえないのに理解できるふりをすることの た め に,. こ の 世 が ど ん な に 住 み に く く な っ て い る こ と か. < 理 解 し 合 え な い こ と を 知 っ て い る ふ. 6 )> ほ か は な い の が 人 生 で あ る な らば, た りの 人 が, こ れ ま た 理 解 し 合 え な い 子 ども を 育 て て い く7. 理解し合えないことへの開眼は, 人に謙虚を教え苦境の人間的な克服への道を示唆するとい う余 沢を生むことさえできよう, 理解し合えないとい うことは, 夫と妻あるいは親と子とがそれぞれ 相手を映す鏡であるということを否定するものではない, 相手を理解できると思うのはこちらの 主観の高ぶりであり, 相手はこちらを理解できないと断定することはこれまた, 自己のうしろめ た い 部 分 を どう に か し て 隠 し お お せ た い と す る い じ ら し い ま で も の 足 掻 き に ほ か な ら な い.. だか. ら, 理解し合えないということは, 理解し合えないという活字が自己主張をする必要 がな いとい うことでもある. 理解し合えないことを知って生きていくことは, 孤独のきわみではあるけれど 7 )〉であるといえよう. も, ことばを強制する必要がないという意味でも, 人間的なくよい人生7 一 89 -.
(12) . Vol ,21 N0 ,2. Feb . ,1971. i i id。 Uni i ーof 日ol d t on I A) Journa on (Sect く a s ver y of Bducat. 人は理由をつけて愛しはしない. 理屈によっ て理解するのでもな い, よ い人生では, よい人生ということばは登場しない, 善意とい うことばが呼出されるのは善意 のないときにきまっ てい るようである. 活字が迫害を免れ平安を恵まれることは奇跡的なほど少 ない. このことがすぐにはなかなか見抜けないこの世では, それが見 抜ける人はむしろ病人であ る, 権力や金力ある いは慣習などがいかに執勘な誘惑者であり, 人間を人間でないものに変身さ せ よ う と し て い る か を,. こ の 病 人 は 知 っ て い る,. 人 間 が 昆 虫 に み え る こ と も あ れ ば,. 結 婚 が,. )〉 としてみえることもある. 自己と特定の人との関係だけ 8 <降伏, --というよ りは, 裏切り7 9 7 ) でな く, < あ ら ゆ る 人 と の 関 係 > が, この人の眼には, <具体的な画像となっ て即座に示され 0 )>. 自己の存在の支えが揺らく のを感じるとき, 人は初めて<人間として > 生きることの意 る8 味を考え始める, そして考えれば考えるほど, 自己の病気が人間固有の不 治の病であることを認 め る に い た る.. 道徳的にみても悪いことはなにらしてい ないのに, なにかにつけて強烈な罪悪感に襲われる人 がいる, <自己の外にあるだれか, またはなにかに対する空白感, すべての努力が水泡に帰したと 1 )>, 人事を尽くしたのちになお心のなかで手を合わ せて許しを乞わずにはい きのような虚脱感8 られない気持のことである, この世に生まれて いわゆるよ い人生, <幸福な人生> を送ることは け っ し て 容 易 な こ と では な い,. だ が こ れ に お と ら ず む ず か し い の は, あ の 空 白 感 に た ま し い を 侵. 蝕され, 人生の孤独と苦悶を常に胸に秘めて生きていく生涯である. みんなが溺れようとしてい るときに自分が助かっ て いることがなにを意味するかを, この人はよく 知っ てい る, 人生の旅路 に待ちうけている苦悶を予見で きる人はいない, だが, <神話や職え話のなかでのみほのめ かさ 2 )> その苦悶から, 眼を離すことので きない人は いる, 自己の不幸に耐えること れ る こ と の あ る8 の で き る こ の 人 は, そ の 不 自 由 の な か で 精 い っ まいの自由な選択をして いくに違いない.. 他人に. は悲惨な最期にみえ る死にかたを選ぶことがあっても, この人の死は, あの<編蝿>の住む島, )>の判決を与えられるはずである, この 3 「永遠の秘密の国」 の法廷でヰま, 輝かしいく幸福な死8 「人が計画できるこ ) 4 」 死は 「偶然ではない8 , 人が選んだ死であるにもかかわらず, この死は, 5 )」 こ の死 は あ の 秘 密 の 国, 内 な る 自 然 の 所 有 と な り, こ の 世の く 見 知 ら ぬ も の > と で は な い8 , 。. すべてのなかに, ことば を媒介として復活し続けて いく. この死の悲惨なすかたに, 生き残った )〉 と 感 じな い で は お れ な い. し か し こ の 6 人たちはそれぞれ もの 痛 み を 覚 え, 〈 自 分 に 責 任 が あ る8 死は幸福な死であったのだ. 幸福と不幸は 人間の頭で診断することができないゆえんである. 他 人の幸福に対 してまでく責任がある〉と思いたがる人は, 他人の不幸に対してはく責任がない> と うそ ぶ き た が る も の で あ る. こ とを を媒介として復活する過去のほうから, きみの果す べ き 責任はなにかが語られる. <過去を受容することによってのみ, 人は過去の意味を変えるのであ )> で あ る か の 間 に 対 す る 真 の 解 答 は, た ん な る こ と ば 8 7 )> あ る 作 品 が 悲壕ルであ る か く 喜 劇8 る8 . の 穿 醒 と は ま っ た く 無 縁 な と こ ろ で 開 示 さ れ る こ と が, こ こ に 明 白 と な る, 十,. 物 い わ ぬ 自 己. す べてを疑おうとしてもどうしても疑うことのできないものとされているものに 「自己」 があ る, だが, このことはそれほど確実なことであろうか. 自己はそれほど自明な存在であろうか, 個性とか性格とか, また肉体とか精神とか, さまざまに命名しその幻影に一喜一憂して いること は な い か, お み く じ や 迷 信 に よ っ て 運 命 を 決 め て も ら お う と す る こ と は な い か,. 自 己 とは な にか. という間を, 他人に問うことはないか, 自己のことばに対して所有権を宣言したり逆に否認した. 一 90 -.
(13) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和4 6年2月. )> を仮構して これが 命名を拒む本当 9 り す る こ と は な い か, 自 他 の 双 方 に く 個 性 と い う も の8 , ,. の自己および他人の 「案山子 (かかし) 」 にすぎないことに気づかないことはないか, 自己とはこ ん な に も 暖 味な 存 在 な の か. な に か に 促 さ れ る よ う に し て 口 が 動 い て い る こ と は な い か , な い の に 泣 い て い る こ と は な い か,. 涙が出. 相 手 を 愛 し て い る と 思 い こ も う と し て い る 自 己 は, 同 じ 相 手. を憎み嫌っている自己であるということはないか, 問うことによって, 人は く自分自身の間に答 0 )> えて い る9 .. 眠っている あいだでも所有権を認められて いる自己の肉体ではあるが, 死んだあとまでそれを 主張し続けるこ とはできない, だから, 皇帝が いつ か酒樽 の栓にならないという保証はない 欄 . 駿はもはや語る口をもたな い, しかし, それの語る雄弁を, 墓掘り人夫は 聞くことができる 墓 , 掘りという自分の仕事を通して, 掘っているのは 「自分の墓」 であることをよく知っ てお り, 墓 ) 1 とは無縁であるといわんばかりの生きている人間の「まことしやかな嘘9 」をただちに見透かすこ とができる. その健康な歌を聞くがよい。 どこにも弱々しい自己なるものはない 語 っており歌 , っ て い る の は 墓 掘 り 人 夫 で あ る の に, 墓 が 語 り 嗣 畿 が 歌 っ て い る と し か 思 え な い.. 死 ん で し まっ. たとみ えるものは, なにひとつ失われることなく, 人間の理解を越えたふしぎな仕方で, どこか に保管されているに違いない.だが, <人間的なものが越えられる過程は, きみにもわたしにも, )> 2 わ か ら な い9 ,. 海面の風波のように人は常に動き, 意志し, 語り続ける. <これがほしい, あれがほしいとい )> である 生存維持の本能ともいうべ き自己であるだけに破局を招来すること必至 の 3 う自 己9 , , 手に 負 え な い 自 己 のこ と で あ る,. し か し, こ の 物 い う 自 己 の 底 に も う ひ と つ の 自 己 が あ る < 物 .. をいわず, けっ して語らず, 議論しない自己, 物いう自己よりももっ と手に負えない頑固な自 )> のことである 大しけのときにも海面 の乱舞の底深く悠然として 永遠の時を刻む底波にも 4 己9 , 比すべき自己である. この物いわぬ自己は, むしろ隔護が語るように, 沈黙によって最大の雄弁 をふるう. 墓掘り人夫 のように, 臆するところなく, もっ とも身分の高いものにももっ とも騰しめ られているものにも同じ格調をもっ て語る. 物いわぬ自己の眼には, 物いう自己のごまかし の扮 5 )〉 と映 る 一 分 の 隙 も な い 話 は 隙 だ ら け の 話 と も い え 装 さ え も, < ま こ と に ふ さ わ し い 衣 裳9 , .. る, 語る自己が息を継ぐところで, 語らぬ自己は語っ ている. 怒りに憂いに, 悲しみに喜 びに, しばしば体が動き舌が纏れるのは, 物いわぬ自己が, 物いう自己に対して語ることばである, 物いわぬ自己, 語らぬ自己は, 人がく見知らぬ客>と人間的に交渉することのできる あの <- つの眼>である. この自己は, なにかにつけて自己主張をして物いう自己に逐一指令を発するよ うなことはしない, 見知らぬ客を一網打尽に捕えて 審問し意味づけたりする主観ではない, 映る ものをただあくまでも忠実に映す鏡である, 自己という名称さえもふさわしいとはいえない,<な 6 )〉 と し か よ び よ う の な い も の で あ る 二 つ の 眼 が た と に か あ る も の, ま た は, だ れ か あ る ひ と9 ,. え決り取られてもなおいささかも光を失わない<一つの眼>, この眼に対する確固とした信頼の )〉 か ら の 物 い わ ぬ さ と し を あ る 限 り, 唾 棄 す べ き も の の な か に さ え, あ の < も う ひ と つ の 世 界9 7. 聞きとることができよう, もっ とも身近にいる見知らぬ客との日々刻々の応接に当っては, <あ 8 )> 心 づくしの御馳走をつく ていくほかはない 材料の乏し り あわ せ の 乏 し い 材 料 を も ち いて9 っ , さを嘆き環境の荒廃に怒るのは, 物いう自己である, もっ とも悲しむべき窮乏はなにか, もっ と も 恐 る べ き 荒 廃 は ど こ に あ る か を, だ ま っ て 教 え て く れ る の は, 物 い わ ぬ 自 己 で あ る .. この世界. )> が奇跡的に可能になるのは 物いわぬ自己の応接間に 9 にありながらあの世界 との真のく交流9 , お い て で ある。. 現 在 に お い て, あ らゆ る 過 去 と の 出 逢 い に 心 を 開 い て 未 来 に 向 か o て 生 きて い 、. - 91 -.
(14) . VO I .21 No ,2. i i i l of Hokkaido Univer t on (Sect on I A) s Journa y of Educat. Feb . ,1971. くこと, これが、 「伝統」 とよぶに価 するものである. --. 視. 点. --. 読むたびに 汲み尽くせない味わいを与えてくれる作品は少なくない. 読むたびに新鮮な感動に 誘うこれらの作品は, 紹介とか解説な どというものを固く 拒む. 紹介とか解説などによって作品 と読者との橋渡し ができると考えることは, その主観的善意が じつは相手の責任まで負ってやろ うという倣慢であり 軽蔑の代名詞ともなることを 知らないことを意 味する, <紹介というものが 必要であるとしてもim)>, それは, 読者みずからが, 解釈とか批評に拝脆するごとき卑屈で安直 な態度をすてて, 虚心に作品自体を読み直し味わってみることのほかにはあり えない. この論文 の な か で わ た し が 自 戒 し て き た の は, こ の こ と で あ る. こ の 〈 カ ク テ ル ・ パ ー テ ィ ー > と い う 作 品 は, わ た し が そ れ に つ い て な に か を 語 ろ う とす る と,. 幾度も, <待て 皿)> と命じ続けた, そもそもある作品を読むことはそのまま, 鏡に自分の姿を見 る こ と に ほ か な ら な い,. こ ち ら が 語 る と い う よ り, そ の作 品 の ほ う か ら 語 っ て く れ る と い う の で. ある, 作品をまえにして頼りになるものは, その作者に関 する事項ではない. 作品の登場人物で もない. 物語の筋でも主題 でさえもない. それらはすでに過ぎ去ったものであって, あとから読 0 2 )> 勝手気ままに描きなおし解釈できるものだからである. それ 者かく自分自身の必要に応じてi ゆ え に, 頼 り に す べ き 唯 一 の も の は, 活 字 と し て 印 刷 さ れ て い る こ と ば だ け で あ る,. 活字はひとたび生まれると, 人が改築しようとしてもその申 出を拒む. そして, おせっ かいな 読者の姿をありのままに映しだす. 他人から借りためがねをかけて作品を論じようとすれば, そ 1 0 3 )〉 に し の さ も しい 魂 胆 が, 翻 面 に 作 品 を ぼ や け さ せ る. た と え < 片 方 の レ ン ズが 紛 失 し て い る. ても, <自分のめがね〉で見ることである. 借物のめがねでは焦点が合わないのである, 人は自 分がもっているめがねに気づカ ずに, 他の場所を深そうとすることがよくある, これでは, 作品 )> 知 る こ とす ら お ぼ つ か な い こ と に な ろ う。 作 品 の 意 4 0 を 知 る こ と は も ち ろ ん, 作 品 < に つ い て1. 味は, 批評家に問いかけるべきものではない. 「詩の意味は, 詩劇においても, それをょむひとり ) 0 5 」, びとりが自らの経験から受けとる意味にほかならない のである1 ことがある. 作品からの語りか 自己正当化の企てである て 見苦しい は 論文を書くの , 往々にし , 1 0 6 )> けが な い の に, 待 ち き れ ず に こ ち ら か ら 語 っ て や ろ う とす る の は, 作 品 の 冒 漬 で あ る, < 虎. を探 しえないとき猿を虎と思いこもうとするのは, だれよりも 自己を欺くことである. 作品をし て 語 ら し め よ, 読 む た び に 新 し く 作 品 が 挑 み か か っ て く る よ う に な っ た と き に 初 め て, き み の 出 番 が 来 た の だ, そ の と き に こ そ, き み は た め ら う こ と な く, 最 強 の 挑 戦 者 に 対 して, き み の な し 0 7 )> を も っ て 応 え ね ば な ら な い, 作 品 < に つ い て > 知 る だ け で は, う る 限 り の く 心 づ く し の 歓 待1. この挑戦者 との緊迫した人間的な 折衝を避けるこ とになる, 人生の不幸, 悲惨, 苦難, さらに栄 し か も, こ と ば に よ っ て で な け れ ば, 暗 示 さ ‘ i れ る こ と さ えな い, 文 学 と は こ の 逆 説 的 事 態 に 耐 え ぬ く 苦 行 の こ と で あ る. だ か ら こ そ, Lfe 1 0 8 )’ な の で あ る. 作 品 < に つ い て > 知 る だ け な ら ば, く 肝 心 な 事 実 を 見 落 す こ と に iterature. i sl )> 真 に 作 品 を 知 る た め に は, < た だ ひ た む き に, し か も お ち つ い て, お 使 い に い く 子 ど o 9 な るi , )>, 自 己 の し ご と に 精 励 す る こ と で あ る, こ れ は, も っ と も 迂 遠 な 道 に み え て, も 1 0 も の よ うに1 作 < を > 知 る こ と と は, っ と も 近 い 道 で あ る, こ の と き に 初 め て, 作 品 < に つ い て > 知 る こ と と 品 光 と い う も の は, こ と ば に よ っ て は 懐 柔 さ れ な い.. そのどちらかを選ぶべき二つの 道ではなくて, 二つにみえて一つの道であることを, きみは会得 す る こ とが で き よ う,. - 92 一.
(15) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和46年2月. iot 1) E1 Z poガン i t ons , T, s. , rたe co物如! , (Faber PaPer Covered Bdi ,1967) ,74 , PP.29 ,73 ,75. i dent i 6ed Gue (Un t ) s ,73 . この作品からの引用 (和訳) は< ,pp ,74(Bdward). l i 2) 恥蔵, a) ,177 (Ju , ,p d 3) 妨i , ,176 (Bdward) , ,p. >で示した,. 4) 夏目蹴石, 「徽石全集」 8頁. , 第一巻, (岩波, 昭和40年) ,『吾輩は猫である』 ,34 ia) Z Pのり C l 5) rZ e co 1 3 z cたね′ 2 ( e P . . ,. i ” 6) 崩ぜ l l y) , ,140 (Re , ,p d E 7) あ蔵, 1 7 7 w ( ard) p , , , d l i 8) あ′ a) , ,138 (Ce , ,p 9) 肋緩. ,54 (Edward) ,p , i i 10) 肪緩, l p y) , , ,111 (Re α i l ly) 11) 肪′ , ,138 (Re ,p ,. l l 1 2) 必然,p.114 (Rei y , , Edward) 13) ヱ毎仏,P ,49 (Bdward) . メリ p 14) あメ er) ,48 (Pet , i 15) あ煽り p,36 (Jul a) , う緩,p 1 i 16) ゑ a) ,63 (Ce ,. 17) 形謬り p ) er ,47 (Pet , ‘ i 18) Kea l t s f O / nga e’ ght s s e125 1918 z eγ . ,J , 〇de TO A Ni , r力g 〇尤′oγ〆 βooた oヂ β”g! ,( xford Univ e s s 7 4 4 p , Pr , , ,1953) , 19) “ぞ β GOGたね” Pのむ、P,99 (Edward). i 20) Di z ck nson l e poの”so t ’ “〆e ′ E?””y Dノ c履”s o 7 t t z ed by Thomas 日,Johnson e , B. , rみe Co ,edi ,(Li , Brown and Company Bos t # 4 0 7 7 on,1960) p , , , , , l l 21) ”2 8 co豹な” Pqγか,P,125 (Rei y) , C l i 22) 茄 履,p 1 3 ( 3 e ) a , . i l ] i l 23) 衣封〆 a y) , .144 (Ce , ,p , Re ‘ i ′ 24) B1 ot e’ e eαed Es sqys , , T,s , Dant .270 , ,s ,(Faber and Fabe 1966) ,p d d 25) ?角e CO E 6 6 ( Gたね” P解か,p w a ) r . , l i 26) 肋濁り p,67 (Ce a) . ‘Rha sod on a Wind Ni hヒ’ CO i T S 27) B1 ot g粥sl909一1962 y g , Z腐す蛸 Po p y , . . , , (Faber and Faber , 1965) 2 7 p , , , 28) ‘The Wa t s e Land’ , 吻, , ,0ゑ ,p,67 lude’ すん p 29) ‘Pr e ,G ,24 , ,op Z P〃“,p.111 (Re i l 30) r彰 co豹ねデ l y) . ‘ iot 31) E1 Z ′ ご e c ed poβ amus’ “得,p , , T,S , The Hippopot , .51 , Co i d i 行 d Gue U 3 2) Tんe Coc霧のZ PQ打y,pp,30f ( t t e ) n n e s , , メメ,p i行ed Gue i l l t 33) ムラ ) s y) ,30 (Unident .180 (Re , ,P う緩, i l 34) れ a ,64 (Ce . ,p , Edward) denヒ i賃ed Gues 35) 五男α t ) , 、p,73 (Uni . i行ed Gues う畝,p.73 (Unident t 36) ゑ ) , ‘ i 37) Cf i l f pau lt he Apo l t EP i t s’ 2:18一24;・The Fi r eo t s s s eto the cor n- . r膨 βめ彰 , The Genes i th - a 1 1 s’7:1‐2 9 7 , , l) 38) rZ i ! e co c就”” pqだy .179 (Re ,p , i 39) E1 ot i s 飴e P匂飴脇o t ’ zof c観粥γe ons , , Mo如 如〃”γd , T,S ,(Faber Paper Covered Edi , ,1965) p ,65 , Z Pの り,p 40) “z g co熊如! .100 (Edward) , d d E 1 1 3 ( w r ) 41) 妨 履,p a , . ident i 行ed Gue t ) 42) 刀う溺, s , ,p,72 (Un ia) in 43) ゑう旬, ,176 (Lav , ,p メ4,p,126 (Re i l 1 44) 〃ウ y) , i , 〆 45) あす , ,p・88 (La▽nia) 46) 坊溺, ,112 (Edward) , ,p T l i z 47) E1 ot on g c ed p! αys y Reuni , , ,S , The Fami , C〆/ ,. - 93 一. aberand Faber ry) ,110 (Har . ,1962) ,p.
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