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東医大誌 55(6):707,1997
昨今の医療をめぐって
日本医学哲学倫理学会 会長 大阪医科大学教授(哲学・倫理学)
矢 次 正 利
20世紀後半における医療技術の進歩はめざましく,先進国での乳幼児死亡率の低下,感染症の 激減などによって,われわれの社会は未だかつてみられなかった長寿社会を迎えようとしている.
とはいえ,他方,いわゆる先端医療が人間社会に提起した課題は大きい.それは人間の誕生から死 に至る過程にまで及び,従来の生・老・病・死の自然的リズムに対して大胆な人為的介入を行って いるからである.
その一つに,科学と倫理観の相剋が考えられる.医療は言うまでもなく,科学的な医学知識の研 究を通して疾病の克服を目指すものでありながら,同時にその成果はわれわれの人間社会の健全な 在り方へと還元されるべきものである.生殖医学と延命治療など個別の問題はひとまず措き,例え ば最近話題になったクローン問題にしても,日・米政府はもとより,バチカンのローマ法王などが,
人間に対するこの種の適用に鋭敏に反応したことからもうかがえる.そこでは,単に医学というよ り,むしろ,人類の今後の社会の在り方が問われているのである.今世紀二度にわたる世界大戦を 振り返って,科学の技術への無批判的な応用が,われわれ地球上の人間にどんな脅威をもたらした かは明白である.医療の場においても,本来,人間の健康という社会福祉の増進がその目的であり ながら,ともすれば,医療が本来の目的を逸脱し,思わぬ暴走をひき起こす懸念が憂慮される.
このようなマクロの視点と同時に,考えなければならないのは,倫理観の内容そのものである.
換言すれば,道徳的善悪の価値判断は,いわば特定の社会の歴史的,文化的伝統と切り離して考え られないことである.周知の如く,欧米先進国の生命倫理(バイオエシックス)論争の背景には,
近代化の三世紀にわたって培われた,個人の道徳的自律と社会契約思想がある.問題は,このよう な欧米の自由主義的個人主義を産み出した合理主義思想が,普遍的に世界のいずれの国にもそのま ま妥当するかどうかである.これを端的に例証したのが我が国における脳死・臓器移植論議である.
そこでは,脳死が人の死か否かの文化的摩擦が生じたと言える.インフォームド・コンセントとか リヴィング・ウイルに関しても同様であろう.
事柄の是非はともかく,昨今の医療をめぐって,医療寸たるものは,人類の長期的展望に視野を 拡げると同時に,身近な病める人への同悲の念を失わぬことが肝要である.
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