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Vol.65 , No.1(2016)078松森 秀幸「引用文献より見た『浄名経関中釈抄』の特徴」

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五重玄義を用いた『維摩経』の経題解釈であるが,この部分は基本的に智顗の『維 摩経玄疏』(以下,『玄疏』)の引用あるいは要約であり,これが本書の大きな特徴 の一つとなっている.ただし,経題解釈部分の大半が『玄疏』の引用・要約から 構成されているとはいえ,『関中釈抄』には,『玄疏』に対応する箇所が見いだせ ない内容も存在する.それらは道液が独自に撰述した箇所であり,彼の思想を解 明する上で重要である.そこで以下に,まず経題解釈部分の中で『玄疏』の引用・ 要約以外の箇所における引用文献の特徴を確認し,次に本文解釈部分における引 用文献の特徴を検討したい.

3.経題解釈部分の『維摩経玄疏』引用箇所以外の引用文献の特徴

『玄疏』を引用・要約した箇所以外での経題解釈部分における引用文献の特徴を 確認したい.『関中釈抄』の判教相の段の第三「明近世判釈」は,「約義及時」と 「就乗兼蔵」の二項目からなる.「約義及時」は,頓・漸・不定・秘密の四教を解 説する『玄疏』の「正判明此経教相」(T38. 561c27–28)の段の内容に相当するが, 「就乗兼蔵」は『玄疏』には対応箇所が見られない.この箇所は,文字通り「乗」 と「蔵」について論じられている.「乗」については,四つの論点が挙げられる. 第一に「乗」には,二乗の意味と三乗の意味があるとする.二乗は大乗と小乗で, それぞれ満字と半字のことであるとし,三乗は声聞乗・縁覚乗・菩薩乗のことで あるとする.第二には,乗を四つに分類する場合である.ここでは『法華経』方 便品を引用し,「於一仏乗,分別説三」(T9. 7b26–27)が権であり,「十方仏土中, 唯有一乗法」(T9. 8a17)が実であると規定して,「権実具論為四」(T85. 507c15)と コメントしている.第三は,諸経論の「乗」について言及している.この箇所は, 例えば,「婆沙等論明生滅三乗」(T85. 507c16–17)とあるように,具体的にではな く,大まかな経論名に言及するだけである.第四には,「通明乗者,運載為義」 (T85. 507c18–19)とあり,運載という「乗」の一般的な意味を示している.そして 最後には「此経具権実半満通論也」(T85. 507c19)と注釈し,『維摩経』において 「乗」は,四乗(権実),二乗(半満),一般的な意味(通論)の三つの意味で用いら れているという解釈を提示している.ここで特に注目すべきことは,道液が『法 華経』には「四乗」が説かれると理解している点である.道液は長安において活 躍した僧侶であり,後述するように玄奘による新訳経典や法相唯識学派系の僧侶 の著作をかなり受容していたと考えられる.しかし,彼が「四乗」の立場,すな わち,いわゆる三論・法相系の論者がとった三車家でなく,四車家の立場を取っ 引用文献より見た『浄名経関中釈抄』の特徴(松 森) (47)

引用文献より見た『浄名経関中釈抄』の特徴

松 森 秀 幸

1.問題の所在

資聖寺道液(生没年未詳)撰集『浄名経関中釈抄』(以下,『関中釈抄』)は,道液 集『浄名経集解関中疏』(以下,『関中疏』)に対する注釈書である.道液は,唐中 期の長安において活躍した僧侶であり,『関中疏』は,『注維摩経』(以下,『注維 摩』)から主に僧肇を中心に鳩摩羅什・道生らの注釈を部分的に抜き出したもの に,道液自身による科文と彼の注釈とを加えた著作である.これら道液の著作に は,「天台」についての言及が散見され,天台智顗(538–597)の著作からの引用が 確認される.筆者は,すでにそれら「天台」に対する言及箇所を検討し,道液が 僧肇の注釈をとりわけ重視し「関中」と呼称するとともに,智顗の維摩経疏を僧 肇の注釈に匹敵するものとして重要視していたことを確認した(松森 2015).その 意味では,道液が智顗を偉大な仏教者として尊重していたことは確かである.し かし,このことによって,直ちに道液を天台系の僧侶であるとみなすことは早計 であろう.ほぼ同時代の江南地域では,荊溪湛然(711–782)を中心とした天台宗 復興運動が展開されているが,管見の限り,道液がそうした動きと直接的な関係 があったようには思われない.そこで,本稿では,『関中釈抄』に引用される文献 の特徴を考察することで,道液がどのような思想的背景をもっていたのかを明ら かにしたい.

2.

『浄名経関中釈抄』の構成

まず『関中釈抄』という著作の構成について確認したい.前述のように,『関中 釈抄』は道液自身が編集した『関中疏』に対する注釈書である.上下巻からなり, 上巻の約半分は『維摩経』の経題を解釈する内容(経題解釈部分)と僧肇の『維摩 詰経序』(以下,『肇序』)に対する随文解釈(序文解釈部分)に占められており,そ れ以降は『関中疏』に対する随文解釈(本文解釈部分)である.経題解釈部分は, (46) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月

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五重玄義を用いた『維摩経』の経題解釈であるが,この部分は基本的に智顗の『維 摩経玄疏』(以下,『玄疏』)の引用あるいは要約であり,これが本書の大きな特徴 の一つとなっている.ただし,経題解釈部分の大半が『玄疏』の引用・要約から 構成されているとはいえ,『関中釈抄』には,『玄疏』に対応する箇所が見いだせ ない内容も存在する.それらは道液が独自に撰述した箇所であり,彼の思想を解 明する上で重要である.そこで以下に,まず経題解釈部分の中で『玄疏』の引用・ 要約以外の箇所における引用文献の特徴を確認し,次に本文解釈部分における引 用文献の特徴を検討したい.

3.経題解釈部分の『維摩経玄疏』引用箇所以外の引用文献の特徴

『玄疏』を引用・要約した箇所以外での経題解釈部分における引用文献の特徴を 確認したい.『関中釈抄』の判教相の段の第三「明近世判釈」は,「約義及時」と 「就乗兼蔵」の二項目からなる.「約義及時」は,頓・漸・不定・秘密の四教を解 説する『玄疏』の「正判明此経教相」(T38. 561c27–28)の段の内容に相当するが, 「就乗兼蔵」は『玄疏』には対応箇所が見られない.この箇所は,文字通り「乗」 と「蔵」について論じられている.「乗」については,四つの論点が挙げられる. 第一に「乗」には,二乗の意味と三乗の意味があるとする.二乗は大乗と小乗で, それぞれ満字と半字のことであるとし,三乗は声聞乗・縁覚乗・菩薩乗のことで あるとする.第二には,乗を四つに分類する場合である.ここでは『法華経』方 便品を引用し,「於一仏乗,分別説三」(T9. 7b26–27)が権であり,「十方仏土中, 唯有一乗法」(T9. 8a17)が実であると規定して,「権実具論為四」(T85. 507c15)と コメントしている.第三は,諸経論の「乗」について言及している.この箇所は, 例えば,「婆沙等論明生滅三乗」(T85. 507c16–17)とあるように,具体的にではな く,大まかな経論名に言及するだけである.第四には,「通明乗者,運載為義」 (T85. 507c18–19)とあり,運載という「乗」の一般的な意味を示している.そして 最後には「此経具権実半満通論也」(T85. 507c19)と注釈し,『維摩経』において 「乗」は,四乗(権実),二乗(半満),一般的な意味(通論)の三つの意味で用いら れているという解釈を提示している.ここで特に注目すべきことは,道液が『法 華経』には「四乗」が説かれると理解している点である.道液は長安において活 躍した僧侶であり,後述するように玄奘による新訳経典や法相唯識学派系の僧侶 の著作をかなり受容していたと考えられる.しかし,彼が「四乗」の立場,すな わち,いわゆる三論・法相系の論者がとった三車家でなく,四車家の立場を取っ

引用文献より見た『浄名経関中釈抄』の特徴

松 森 秀 幸

1.問題の所在

資聖寺道液(生没年未詳)撰集『浄名経関中釈抄』(以下,『関中釈抄』)は,道液 集『浄名経集解関中疏』(以下,『関中疏』)に対する注釈書である.道液は,唐中 期の長安において活躍した僧侶であり,『関中疏』は,『注維摩経』(以下,『注維 摩』)から主に僧肇を中心に鳩摩羅什・道生らの注釈を部分的に抜き出したもの に,道液自身による科文と彼の注釈とを加えた著作である.これら道液の著作に は,「天台」についての言及が散見され,天台智顗(538–597)の著作からの引用が 確認される.筆者は,すでにそれら「天台」に対する言及箇所を検討し,道液が 僧肇の注釈をとりわけ重視し「関中」と呼称するとともに,智顗の維摩経疏を僧 肇の注釈に匹敵するものとして重要視していたことを確認した(松森 2015).その 意味では,道液が智顗を偉大な仏教者として尊重していたことは確かである.し かし,このことによって,直ちに道液を天台系の僧侶であるとみなすことは早計 であろう.ほぼ同時代の江南地域では,荊溪湛然(711–782)を中心とした天台宗 復興運動が展開されているが,管見の限り,道液がそうした動きと直接的な関係 があったようには思われない.そこで,本稿では,『関中釈抄』に引用される文献 の特徴を考察することで,道液がどのような思想的背景をもっていたのかを明ら かにしたい.

2.

『浄名経関中釈抄』の構成

まず『関中釈抄』という著作の構成について確認したい.前述のように,『関中 釈抄』は道液自身が編集した『関中疏』に対する注釈書である.上下巻からなり, 上巻の約半分は『維摩経』の経題を解釈する内容(経題解釈部分)と僧肇の『維摩 詰経序』(以下,『肇序』)に対する随文解釈(序文解釈部分)に占められており,そ れ以降は『関中疏』に対する随文解釈(本文解釈部分)である.経題解釈部分は,

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のが,『無垢称』では見如来品となっていることを指摘している.このように,『関 中釈抄』には玄奘訳に対するある程度の配慮を確認することができる.次に本文 解釈部分に『大宝積経』が二箇所で引用されている.このうち一箇所(T85. 526c29–527a1)は現行の『大宝積経』に対応する箇所を確認することはできなかっ た.しかし,もう一箇所については「『大宝積経』清浄陀羅尼品云,『以虚空印一 切法,以無相印能示現彼虚空無相』」(T85. 534c1–3)とあり,ほぼ同文を『大宝積 経』第二無辺荘厳会,清浄陀羅尼品に確認することができる(T11. 36a3–4).第二 無辺荘厳会は,唐の菩提流志が 706 年から 713 年にかけて,梵本にあわせて旧訳 を整理した際に,新たに翻訳した箇所に当たる.この引用文では,品名にまで言 及がなされており,かなり意図的に新訳されたテキストを用いていたといえるだ ろう.次に『聖善住意天子経』の引用が一箇所にだけ見られる(T85. 519b19–23). これは『聖善住意天子経』の文(T12. 129a8–12)を要略して引用したものである が,『関中釈抄』が引用する『聖善住意天子経』とほぼ同じ内容の引用文を道宣 (596–667)の『四分律刪繁補闕行事鈔』に確認することができる(T40. 129a28–b3). この引用文の類似性から推測すれば,道液は道宣の著作に引用された『聖善住意 天子経』を孫引きしたものと考えられる. [② 天台教義の受容]次に道液の天台教義の受容に関して三点からその特徴を 確認したい.(1)『摩訶止観』の引用 『関中釈抄』には書名を出して『摩訶止観』 を引用することはないが,『摩訶止観』の表現を踏まえて論じる箇所が確認できる. 「一念知一切法」者,小乗以四諦真理釈滅異品.有苦可厭,惑可断,故三十四心成仏.大 乗以一色一香無非中道,一心一智俱含万行故,即一念而能知也.(T85. 523a14–17) ここでは,「小乗」に対する「大乗」の立場を取りあげるなかで,「大乗」の特 色として「一色一香無非中道」,「一心一智俱含万行」という二つの考えを取りあ げている.後者の「一心一智俱含万行」の典拠は明らかではないが,前者の「一 色一香無非中道」は明らかに『摩訶止観』にみられる特徴的な表現(T46. 1c24–25) である.ここからは,道液が大乗の代表的な思想と見なす思想が,少なくともそ の半分が『摩訶止観』に基づいていたことがわかる.またこれは同時に道液が智 顗の思想だけを重視していたわけではないことも示しているといえるだろう. (2)天台教判の受容 『関中釈抄』は,『維摩経』弟子品第三と菩薩品第四の品 名を解釈する際に,『維摩経文疏』(以下,『文疏』)の品の来意を参照している.こ れらの箇所においては,明らかに五味説から展開された教判が受容されている. 引用文献より見た『浄名経関中釈抄』の特徴(松 森) (49) ているということは,道液の思想的立場を表す指標の一つといえる. 次に「蔵」の段の内容は,まず「蔵」に関する六つの説を紹介し,次に「蔵」 の一般的な意味を解説して,最後に『維摩経』では,人についていえば菩薩蔵で あり,法についていえば経蔵であると論じている.『関中釈抄』が紹介する六つの 説の第一は,声聞と菩薩の二蔵説である.第二は,経・律・論の三蔵説であり, これは『毘婆沙論』に説かれる説とする.第三は,三蔵に雑論蔵を加えた四蔵説 であり,『分別功徳経』に説かれるとする.第四は,四蔵に菩薩蔵を加えた五蔵説 であり,法蔵部の説とする.第五は,大乗と小乗それぞれに経・律・論の三蔵が あるとする六蔵説で,『対法論』(『俱舎論』)に説かれるとする.第六は大乗と小乗 それぞれに経・律・論・雑の四蔵があるとする八蔵説で,『胎蔵経』に説かれると する.『関中釈抄』が紹介する「蔵」についての諸学説は,基(632–682)の『大乗 法苑義林章』「諸蔵章」の第二「名数増減」に説かれる二蔵説(T45. 271a12–16)・ 三蔵説(T45. 271a21–22)・四蔵説(T45. 271a27–b3)・五蔵説(T45. 271b16)・六蔵説 (T45. 271b18–20)・八蔵説(T45. 271b24–25)を参照したものと推定される. このように諸蔵を分類する議論では,道液は直接的には『大乗法苑義林章』を 参照していたと推定されるが,これと類似の議論は『法華玄義』末尾の灌頂(561– 632)による追記部分にも見られる(T33. 812a11–27).その箇所で灌頂は経論に説か れる諸蔵として,二蔵・三蔵・四蔵・八蔵を挙げており,形式的には『関中釈抄』 と類似している.ただし,灌頂はそれらの諸蔵を蔵・通・別・円の四教によって 解釈しているのに対し,『関中釈抄』は諸蔵を提示するだけで内容についての言及 は見られない.

4.本文解釈部分における引用文献の特徴

次に『関中釈抄』の本文解釈部分における引用文献の特徴を確認したい. [① 経典の引用]『関中釈抄』の本文解釈部分において引用される経典の中から 特に注目すべきものを取りあげる.まず『維摩経』の異訳についてである.『関中 釈抄』が基本的に鳩摩羅什訳の『維摩経』のテキストを用いるが,本文解釈部分 では,二箇所で玄奘訳『無垢称』が引用されている.一つは「無垢称経云,凡夫 劣位非其所堪也」(T85. 528b21–22)とある箇所で,不思議品第六の一部の内容(T14. 572b18–20)を要約したものである.もう一つは,「見阿閦仏品 『無垢称』云,『見 如来品』.准前半品,応云見如来,准後半品,即云見阿閦.亦無異義」(T85. 533b13–15)とある箇所で,『維摩詰所説経』では品名が見阿閦仏品とされているも (48) 引用文献より見た『浄名経関中釈抄』の特徴(松 森)

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のが,『無垢称』では見如来品となっていることを指摘している.このように,『関 中釈抄』には玄奘訳に対するある程度の配慮を確認することができる.次に本文 解釈部分に『大宝積経』が二箇所で引用されている.このうち一箇所(T85. 526c29–527a1)は現行の『大宝積経』に対応する箇所を確認することはできなかっ た.しかし,もう一箇所については「『大宝積経』清浄陀羅尼品云,『以虚空印一 切法,以無相印能示現彼虚空無相』」(T85. 534c1–3)とあり,ほぼ同文を『大宝積 経』第二無辺荘厳会,清浄陀羅尼品に確認することができる(T11. 36a3–4).第二 無辺荘厳会は,唐の菩提流志が 706 年から 713 年にかけて,梵本にあわせて旧訳 を整理した際に,新たに翻訳した箇所に当たる.この引用文では,品名にまで言 及がなされており,かなり意図的に新訳されたテキストを用いていたといえるだ ろう.次に『聖善住意天子経』の引用が一箇所にだけ見られる(T85. 519b19–23). これは『聖善住意天子経』の文(T12. 129a8–12)を要略して引用したものである が,『関中釈抄』が引用する『聖善住意天子経』とほぼ同じ内容の引用文を道宣 (596–667)の『四分律刪繁補闕行事鈔』に確認することができる(T40. 129a28–b3). この引用文の類似性から推測すれば,道液は道宣の著作に引用された『聖善住意 天子経』を孫引きしたものと考えられる. [② 天台教義の受容]次に道液の天台教義の受容に関して三点からその特徴を 確認したい.(1)『摩訶止観』の引用 『関中釈抄』には書名を出して『摩訶止観』 を引用することはないが,『摩訶止観』の表現を踏まえて論じる箇所が確認できる. 「一念知一切法」者,小乗以四諦真理釈滅異品.有苦可厭,惑可断,故三十四心成仏.大 乗以一色一香無非中道,一心一智俱含万行故,即一念而能知也.(T85. 523a14–17) ここでは,「小乗」に対する「大乗」の立場を取りあげるなかで,「大乗」の特 色として「一色一香無非中道」,「一心一智俱含万行」という二つの考えを取りあ げている.後者の「一心一智俱含万行」の典拠は明らかではないが,前者の「一 色一香無非中道」は明らかに『摩訶止観』にみられる特徴的な表現(T46. 1c24–25) である.ここからは,道液が大乗の代表的な思想と見なす思想が,少なくともそ の半分が『摩訶止観』に基づいていたことがわかる.またこれは同時に道液が智 顗の思想だけを重視していたわけではないことも示しているといえるだろう. (2)天台教判の受容 『関中釈抄』は,『維摩経』弟子品第三と菩薩品第四の品 名を解釈する際に,『維摩経文疏』(以下,『文疏』)の品の来意を参照している.こ れらの箇所においては,明らかに五味説から展開された教判が受容されている. ているということは,道液の思想的立場を表す指標の一つといえる. 次に「蔵」の段の内容は,まず「蔵」に関する六つの説を紹介し,次に「蔵」 の一般的な意味を解説して,最後に『維摩経』では,人についていえば菩薩蔵で あり,法についていえば経蔵であると論じている.『関中釈抄』が紹介する六つの 説の第一は,声聞と菩薩の二蔵説である.第二は,経・律・論の三蔵説であり, これは『毘婆沙論』に説かれる説とする.第三は,三蔵に雑論蔵を加えた四蔵説 であり,『分別功徳経』に説かれるとする.第四は,四蔵に菩薩蔵を加えた五蔵説 であり,法蔵部の説とする.第五は,大乗と小乗それぞれに経・律・論の三蔵が あるとする六蔵説で,『対法論』(『俱舎論』)に説かれるとする.第六は大乗と小乗 それぞれに経・律・論・雑の四蔵があるとする八蔵説で,『胎蔵経』に説かれると する.『関中釈抄』が紹介する「蔵」についての諸学説は,基(632–682)の『大乗 法苑義林章』「諸蔵章」の第二「名数増減」に説かれる二蔵説(T45. 271a12–16)・ 三蔵説(T45. 271a21–22)・四蔵説(T45. 271a27–b3)・五蔵説(T45. 271b16)・六蔵説 (T45. 271b18–20)・八蔵説(T45. 271b24–25)を参照したものと推定される. このように諸蔵を分類する議論では,道液は直接的には『大乗法苑義林章』を 参照していたと推定されるが,これと類似の議論は『法華玄義』末尾の灌頂(561– 632)による追記部分にも見られる(T33. 812a11–27).その箇所で灌頂は経論に説か れる諸蔵として,二蔵・三蔵・四蔵・八蔵を挙げており,形式的には『関中釈抄』 と類似している.ただし,灌頂はそれらの諸蔵を蔵・通・別・円の四教によって 解釈しているのに対し,『関中釈抄』は諸蔵を提示するだけで内容についての言及 は見られない.

4.本文解釈部分における引用文献の特徴

次に『関中釈抄』の本文解釈部分における引用文献の特徴を確認したい. [① 経典の引用]『関中釈抄』の本文解釈部分において引用される経典の中から 特に注目すべきものを取りあげる.まず『維摩経』の異訳についてである.『関中 釈抄』が基本的に鳩摩羅什訳の『維摩経』のテキストを用いるが,本文解釈部分 では,二箇所で玄奘訳『無垢称』が引用されている.一つは「無垢称経云,凡夫 劣位非其所堪也」(T85. 528b21–22)とある箇所で,不思議品第六の一部の内容(T14. 572b18–20)を要約したものである.もう一つは,「見阿閦仏品 『無垢称』云,『見 如来品』.准前半品,応云見如来,准後半品,即云見阿閦.亦無異義」(T85. 533b13–15)とある箇所で,『維摩詰所説経』では品名が見阿閦仏品とされているも

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からの引用も確認できる.ここでは特に注目すべきものとして,(a)「娑婆正議」, (b)「沼法師劫頌云」「詔法師頌云」を取りあげたい. (a)「娑婆正議」は「八万四千」について解説する内容である(T85. 533a10–18). これは円暉の『俱舎論頌疏』に「『婆沙』中正義家釈」として言及される内容と同 じものである(T41. 825c4–18).「正義家」という表現は,普光の『俱舎論記』や法 宝の『俱舎論疏』などに散見されるものであり,論書の正しい解釈を述べる立場 を指していると考えられる.ただし,円暉が正義家として紹介する「八万四千」 の内容は,普光の『俱舎論記』においては「真諦師解云」と紹介されている(T41. 32a23–b3).「正義家」が真諦説であるかどうかは定かではないが,道液が引用する 内容に関しては,引用内容の類似性から『俱舎論頌疏』の方を参照した可能性が 高い. (b)「沼法師劫頌云」は,成住壊空の四劫に関する五字一句の散文であり(T45. 709a19–b2),「詔法師頌云」は賢劫に関する五字一句の散文である(T85. 535a5–10). 両者はいずれも四劫に関連する内容であり,「沼」と「詔」の草書体もかなり似て いるため,これらは同一人物による散文であると推定される.時代的にみれば, 「沼法師」は慧沼(648–714)である可能性が考えられるが,慧沼の現存する著作に は該当する内容はない.これらの箇所は慧沼の著作からの引用であるとは限らな いが,こうした散文が当時の長安仏教界で流行しており,道液はそれを積極的に 用いていたものと考えられる. 以上,本稿では『関中釈抄』に引用される文献の特徴を確認した.これにより, 『関中釈抄』には智顗の思想が色濃く反映されていることと,同時に智顗の思想だ けを重視していたのではないこと,比較的新しい文献を積極的に参照していたこ となどが明らかとなった.このことは,道液が当時の長安仏教界の阿毘達磨研究 や唯識研究などを背景としつつ,智顗の思想を継承して独自の仏教観を構築しよ うとしていたことを示しているといえるだろう. 〈参考文献〉 矢吹慶輝 1933『鳴沙余韻(解説)』岩波書店. 松森秀幸 2014「『浄名経関中釈抄』と『天台分門図』」『印仏研』63 (1): 494–489. ――― 2015「資聖寺道液による天台文献の依用について」『印仏研』64 (1): 514–509. 〈キーワード〉 道液,中国天台宗,長安仏教,『浄名経関中釈抄』,『注維摩経』 (公益財団法人東洋哲学研究所研究員,博士(人文)) 引用文献より見た『浄名経関中釈抄』の特徴(松 森) (51) 弟子品については,具体的な記述内容は『関中釈抄』独自のものであるが,「天台 云,品来五意」(T85. 518b23–24)として,『文疏』が提示する五意を用いて解釈し ており(X18. 537c5–8),その第四「折二乗成生蘇之教」では,次のような「五味 教」が説かれている. 四為已入正位声聞成生蘇教 声聞昔説『花厳』,如聾.凡夫不変色.故於漸次二乗如乳. 次聞『阿含』得四果如酪.令聞『浄名』□等智果不真如生蘇.次聞『般若』許伝大乗, 未得授記,故如熟蘇.後説『法華』『涅槃』,同帰仏乗為醍醐.此五味教漸次,並対二乗 為言.非菩薩也.(T85. 518b29–c5) これとほぼ同様の五味教は,菩薩品の品名の解釈(T85. 522b23–28),さらに,「即 得転酪成生蘇也」(X18. 609a4)という『文疏』からの引用に付された割り注(T85. 528b8–10)にも確認することができる.「五味教」という教判は智顗の法華経疏や 維摩経疏,『摩訶止観』などに頻繁に登場する教判であり,道液がその教判を忠実 に受容していたことがわかる. (3)智の分類 すでに確認した例からは,道液が智顗の学説に基づいて注釈書 を撰述していたことが明らかとなった.ただし,次の例をみると道液が智顗の学 説を重視していたとはいえ,それを最も優れた学説として位置づけていたのかと いう点には疑問が残る. 「大智本行」 (a)天台云「大智歎解,本行歎行.解如於目,行如於足.目足備者到清涼 池」.(b)又有二智.実皆権智,実智是本.故大.(c)又三智.一一切智,観空.二道種 智,照仮.三一切種智,照中.智体用円,故名大智.(d)又有四智.一成所作智,二妙 観察智,三平等性智,四大円鏡智.此第四為大.小乗十智非此明也.(T85. 512c29– 513a7,引用文中の記号と下線は筆者による) この箇所は『維摩経』の「大智本行」(T14. 537a9)についての注釈箇所で,冒頭 に『玄疏』の引用があり(X18. 480a13–17),二智・三智・四智の三つの智について 言及している.下線部(c)は,一切智・道種智・一切種智の「三智」を三諦に関 連づける天台教学的な概念である.一方で,下線部(d)は,成所作智・妙観察 智・平等性智・大円鏡智の「四智」が紹介され,大円鏡智を最も優れたものと規 定している.これは唯識学派的な概念を用いていると考えられる.この箇所は三 智と四智の優劣を判定してはいないが,少なくとも三智も四智も価値的には同列 の概念として捉えられている.これは湛然が『法華玄義釈籤』において『唯識論』 の四智説を批判していること(T33. 899a11–20)とは対照的な態度といえる. [③ 唐代撰述の著作]本文解釈部分では,唐代に撰述されたと推定される文献 (50) 引用文献より見た『浄名経関中釈抄』の特徴(松 森)

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からの引用も確認できる.ここでは特に注目すべきものとして,(a)「娑婆正議」, (b)「沼法師劫頌云」「詔法師頌云」を取りあげたい. (a)「娑婆正議」は「八万四千」について解説する内容である(T85. 533a10–18). これは円暉の『俱舎論頌疏』に「『婆沙』中正義家釈」として言及される内容と同 じものである(T41. 825c4–18).「正義家」という表現は,普光の『俱舎論記』や法 宝の『俱舎論疏』などに散見されるものであり,論書の正しい解釈を述べる立場 を指していると考えられる.ただし,円暉が正義家として紹介する「八万四千」 の内容は,普光の『俱舎論記』においては「真諦師解云」と紹介されている(T41. 32a23–b3).「正義家」が真諦説であるかどうかは定かではないが,道液が引用する 内容に関しては,引用内容の類似性から『俱舎論頌疏』の方を参照した可能性が 高い. (b)「沼法師劫頌云」は,成住壊空の四劫に関する五字一句の散文であり(T45. 709a19–b2),「詔法師頌云」は賢劫に関する五字一句の散文である(T85. 535a5–10). 両者はいずれも四劫に関連する内容であり,「沼」と「詔」の草書体もかなり似て いるため,これらは同一人物による散文であると推定される.時代的にみれば, 「沼法師」は慧沼(648–714)である可能性が考えられるが,慧沼の現存する著作に は該当する内容はない.これらの箇所は慧沼の著作からの引用であるとは限らな いが,こうした散文が当時の長安仏教界で流行しており,道液はそれを積極的に 用いていたものと考えられる. 以上,本稿では『関中釈抄』に引用される文献の特徴を確認した.これにより, 『関中釈抄』には智顗の思想が色濃く反映されていることと,同時に智顗の思想だ けを重視していたのではないこと,比較的新しい文献を積極的に参照していたこ となどが明らかとなった.このことは,道液が当時の長安仏教界の阿毘達磨研究 や唯識研究などを背景としつつ,智顗の思想を継承して独自の仏教観を構築しよ うとしていたことを示しているといえるだろう. 〈参考文献〉 矢吹慶輝 1933『鳴沙余韻(解説)』岩波書店. 松森秀幸 2014「『浄名経関中釈抄』と『天台分門図』」『印仏研』63 (1): 494–489. ――― 2015「資聖寺道液による天台文献の依用について」『印仏研』64 (1): 514–509. 〈キーワード〉 道液,中国天台宗,長安仏教,『浄名経関中釈抄』,『注維摩経』 (公益財団法人東洋哲学研究所研究員,博士(人文)) 弟子品については,具体的な記述内容は『関中釈抄』独自のものであるが,「天台 云,品来五意」(T85. 518b23–24)として,『文疏』が提示する五意を用いて解釈し ており(X18. 537c5–8),その第四「折二乗成生蘇之教」では,次のような「五味 教」が説かれている. 四為已入正位声聞成生蘇教 声聞昔説『花厳』,如聾.凡夫不変色.故於漸次二乗如乳. 次聞『阿含』得四果如酪.令聞『浄名』□等智果不真如生蘇.次聞『般若』許伝大乗, 未得授記,故如熟蘇.後説『法華』『涅槃』,同帰仏乗為醍醐.此五味教漸次,並対二乗 為言.非菩薩也.(T85. 518b29–c5) これとほぼ同様の五味教は,菩薩品の品名の解釈(T85. 522b23–28),さらに,「即 得転酪成生蘇也」(X18. 609a4)という『文疏』からの引用に付された割り注(T85. 528b8–10)にも確認することができる.「五味教」という教判は智顗の法華経疏や 維摩経疏,『摩訶止観』などに頻繁に登場する教判であり,道液がその教判を忠実 に受容していたことがわかる. (3)智の分類 すでに確認した例からは,道液が智顗の学説に基づいて注釈書 を撰述していたことが明らかとなった.ただし,次の例をみると道液が智顗の学 説を重視していたとはいえ,それを最も優れた学説として位置づけていたのかと いう点には疑問が残る. 「大智本行」 (a)天台云「大智歎解,本行歎行.解如於目,行如於足.目足備者到清涼 池」.(b)又有二智.実皆権智,実智是本.故大.(c)又三智.一一切智,観空.二道種 智,照仮.三一切種智,照中.智体用円,故名大智.(d)又有四智.一成所作智,二妙 観察智,三平等性智,四大円鏡智.此第四為大.小乗十智非此明也.(T85. 512c29– 513a7,引用文中の記号と下線は筆者による) この箇所は『維摩経』の「大智本行」(T14. 537a9)についての注釈箇所で,冒頭 に『玄疏』の引用があり(X18. 480a13–17),二智・三智・四智の三つの智について 言及している.下線部(c)は,一切智・道種智・一切種智の「三智」を三諦に関 連づける天台教学的な概念である.一方で,下線部(d)は,成所作智・妙観察 智・平等性智・大円鏡智の「四智」が紹介され,大円鏡智を最も優れたものと規 定している.これは唯識学派的な概念を用いていると考えられる.この箇所は三 智と四智の優劣を判定してはいないが,少なくとも三智も四智も価値的には同列 の概念として捉えられている.これは湛然が『法華玄義釈籤』において『唯識論』 の四智説を批判していること(T33. 899a11–20)とは対照的な態度といえる. [③ 唐代撰述の著作]本文解釈部分では,唐代に撰述されたと推定される文献

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