• 検索結果がありません。

日・月食の記号論

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "日・月食の記号論"

Copied!
67
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

著者 中島 成久

出版者 法政大学教養部

雑誌名 法政大学教養部紀要. 社会科学編

巻 63

ページ 1‑66

発行年 1987‑01

URL http://doi.org/10.15002/00005277

(2)

一九八三年六月一一日(士)に、ジャワの各地ですばらしい皆既日食が観測された。前日までの雨模様の空も日 食直前には晴れあがった。世界各国からの日食観測陣、観光客、それにインドネシアの人々は、皆既時間五分余り の太陽食を異様な熱気のなかで過した。NHKはTVRI(インドネシア国営テレビ)と協力して、ポロブドゥー ル寺院から日食の模様を中継したので、私もその放送を見て興奮した。人類の歴史において、日食や月食のような

一、喧騒と静寂lジャワ、’九八三年六月一一日I

日・月食の記号論

目次『喧騒と静寂lジャワ二九八三年六月二日’二、月の交点上の怪物三、日・月の対立と接近四、時の非調律五、境界と音

中島成久

(3)

(4)

天体の異変は、彗星や流星とならんで、人間の精神に深い印象をしるしてきた。日,月食の原因探求とその予知は、既にビバロニアの時代から始っている。ギリシア時代のプトレマイオスの『アルマゲスト』には、天動説に元(一)(一一)(一一一)づく日・月食の理論が展開され、それがインド、アラビアにもひろまってゆく。だが人類が日・月食を理論的に)工(四)全に予知できるようになったのは、ニュートンの力学的世界像の完成以後のことである。この坐叩老で私がめざすのは、そうした科学史の素描ではない。もし天体現象が人類の生活に深い関りがあるという前提を認めるならば、それは種々のメッセージを発信するコードであると言うことができる。所詮人間は、意味の宇柵のなかでしか生きることはできないのであるから、日・月食の時の未開人の入職ぎを笑うことはできない。既に『プリニウスの博物(五)誌』のなかでも③次のような文謹早が承られる。「星の蝕に際して何らかの犯罪とか死とが起ることを恐れたり、あるいは月が死にかけているとぎ、それが赤を艦られたものと考え、そのためにシンバルをかまびすしく打ち叩いて救いの手を仰くようとする(蝕の原因について無知であったアテナイの将耶ニキァスは、雛慨のあまり、艦隊を率いて出港することを恐れ、そのためにアテナイの方策をだいなしにしたのだ)」。しかもプリニゥスは、宇宙の運行に音楽的譜調を求めるピュタゴラスの理論を、「説得的というよりも見せ物的な粘妙さというべきだ」と断定してい(一ハ)るから、彼の批判糀神は相当のものである。先のジャワの日食の時にも、プリニウスが笑ったものと同邨緬の現象がおきた。日・月食は怪物ラーフ(閃昌ロ)が太陽や月を飲永こむために生ずる(その詳細は第二章参照)、そのラーフを追いはらい太陽や月を救うために激しい臓音が必要である。H・月食は地上に災害をもたらすが特に妊婦に悪影響をおよぼす等だ。インドネシア政府も、民衆を迷信から解き放つために、テレビ、ラジオ、ポスクーなどで日食の科学的説明と注意(太陽を直接見ないことなど)を何した。しかしそれでも、ジャワの村々やヨクャヵルタやスマランなどの都会でも人々の熱狂は発生した。また一方では、Ⅱ食の附始前から、家のなかに息をひそめて川じこもる人々の姿もあった。こうした民衆の行為を笑うことは容易であるが、一体何故そのようなことがおきたのかと問うことがより重要である。それは科学的合理主義が剥奪した人間と宇宙とのあるべき調和の世界へと、我々をいざなう試みに通ずるから。日・月食という天体現象が発するメッセージの解読がこの小論の目的である。

(5)

0■、凹勾か‐DC向一

由盛

iiRikl1m蕊iま

iliiljliiijli嚢噂;雷

゛・・塵2S曇骸。

jji1ii霧:

図I皆既11食の「11心線と各地の部分食の様子 チラチャップ8.バソジェルマシソ ボロプドゥール9.コク・キナバル

クンジュン・コドック10.マナド ジャカルク11.ハルマヘラ パレソバソ12.タヤプラ バソダアチェ13.クソニパル

クグー14.束ヌサクソガラ

(Tempo,llJullil983をもとに歌者作製)

●●000●0 つ■ⅡL〈咀〆】冗壹、U△扣処△戸山田リハハリ、”〃。 図Iによれば、一九八三年六月二日の皆既日食稀は、インド洋に而するジャワの海岸部からジャワ海に面する東ジャワの海岸部へ抜け、スラウェシ島の南岸を経て、更にイリアソ・ジャャ南部へ至っている。無い日食柵にそった網Ⅱ柵は、皆既日食に近い状態の部分食滞をあらわしている。黒と網Ⅱによる円は、各地の部分食の形状を示している。日食のおきた時間は、ジャワ島の各地によって四’五分の時間の前後はあった。西部インドネシア標準時(日本標準時より二時間遅い)の午前一○時前に太陽が月に隠されはじめた(節一次接触)。午前一一時過ぎにはタカのような暗さになり、二時一一六分項完全に太陽は隠された(節二次接触)o空には黒い太陽と、金星、火星、水星などの惑陥が見られた。五分二秒間の皆既食のあと、一一時一一二分風、蚊も美しいゴールデンリングが現れ、次節に肌るくなってきた。日食が完全に終ったのは午後一時過ぎである。六月一一日のジャワを中心としたインドネシア各地の様子を、インドネシアで発行されている新聞と週刊(七)誌の記事をもとにして再椛成してみようc今回の儒既日食の観測の中心は、スラバャの北にあ

(6)

C○) 日食が始ってからしばらく経過した午前一○時一二四分、地震が発生した。タソジュソ・コドックでは震度五、ソロの近くにあるラゥ山の麓のタワマング(目ロゴ日ロ目、ロ)それに中ジャワのクラテソ(【]臼の口)では、震度一一一を記録した。震源地はタンジュン・コドックから二百五○キロ離れた地点である。ジャカルタでは稲れは観測されなかった。新聞の報道ではこの地震を「多くの日食観測者が驚いた」とあるが、太陽を食べる怪物ラーフの存在を信じる者には暗示的な現象である。というのは、ラーフはヴィシュヌ神にその首を射切られて、その頭だけ天空をさまよい、胴体は地上に落ちて地震を発生させたとされるからである。勿論、地震と日食は新聞の論調のように、「偶然の一致」である。だが、エヴァソスⅡプリチャードの妖術理論を持ち出すまでもなく、我女が偶然に帰す事象間に因 (八)ろタンジュソ・コドック(目:]ppm【・ロ・丙、蛙岬、岬に蛙の石像があるからその名がついた)であった。タンジュソ・コドックを日食の中心が通過するので、アメリカ、イタリア、日本、インド、北アイルランド、カナダ、ベルギーそれにインドネシアの観測隊がつめかけた。日食一日前の一○日の日は、各地の観測地点は厚い雲でおおわれ、タンジュン・コドックでは嵐になり、観測器に一部障害がでた。だが二日の日食直前には空は完全に晴れあがり、美しい日食の光景が展開された。ただ東から西に絹層雲が流れ、それだけが唯一の心配であった。だが観測は完全に成功し、各国の観測隊は、日食終了後ビールで乾杯した。海岸にはビキニ姿の女性もいたが、何千人という人は殆ど座って見ていた。アマチュア天文家もそれぞれ手に望遠鏡を持って忙しく観測していたが、そのそばで黒いサングラスや目を保護する道具を売る人の姿もあった。太陽が隠されはじめた時には余り変化は見られなかったが、ただ三三度Cあった気柵が下がりはじめ、風が強くなった。一一時一一○分、太陽の東方に一片の岬く雲状の天体が呪れた。それが金雌で、間Jもなく火昆も几えた。太陽が完全にかくされた時、普通肉眼で見ることの大変むずかしい水星も明瞭に見ることができた。オリオンのベテルギウスとリゲル、牡牛座のアルデバラン、駅者座の力(九)・ヘラなどの肌るい星jも見えるJものと期待されたが、絹層雲のため見ることはできなかった。気棚は二七.九度にまで下がった。ブロモ山付近のプナソジャヵン(勺の目口〕畏目)山では、一一五度から一一一度にjも下がり、観光客が寒さにふるえあがった。

(7)

采の連鎖は結びうるものである。日く、何故特定の人が特定の時と所で、ある事故にあったのかと。これと同じ問いは、この日食と地震の間にも設定しうる。すると怪物ラーフの存在を肯定する論理が部分的には実証されたことになり、人々は満足する。「コンパス」、「シナール・ハラパソ」、「スァラ・カルャ」の一一一紙は、節一面で、大した被害も出ていないこの地震のことを取りあげている。見川しはいずれも「日食中に地震」(傍点辨老)である。そして、「多くの人が驚いた(が、それは仙然の出来訓ピと結ばれている。その行間を読むならば、多くのインドネシア人にとってこの地震は、怪物ラーフの存在を暗示している現象と解釈することは許されるだろう。(一一)今回の日食は、ジャワの南海岸のチラチャップ(Q}口・Pb)地力でもっとも早く始まった。「コンパス」紙は、この地力の様子を次のように伝えている。、ハンガンダラソ(勺目的目&『目)では、午前二時一一一分一○秒に太陽が完全に隠れ始めた。空には姿がかかって、観測条件はあまりよくはなかった。日食前一一三.一一度あった気温は一一八.一度まで下がった。興味深いことに海岸の潮位が大きく上昇している。人々は皆子供たちとともに、家の中にカギをして閉じこもっていたが、外国の旅行者は写真を撮ったりしていた。日食の禁忌は強く、漁師の船も出漁することは許されていなかった。メスジットや村辻の礼拝所には、お祈り(の巳&)をする人々であふれていた。他の村から来た六人の男性が、海岸に膝をくんで坐り、ある儀礼(その内容水川)をしていた。チラチャップでは天候は良く、殆ど雲はなかった。川の店々や市場は閉められ、川は櫛寂につつまれた。海で泳ぐことは禁止された。チラチャップの工場地柵は休業になり静かだった。日食の時に外に川てはならないという禁忌はよく守られていたが、黒い太陽がコロナに包まれて御くその美しさに感動したある役人は、泣きながら「こんな美しい光最を何故見ては(一一一)ならないのだ」と語った。だが「シナール・ハラパン」紙は、この地方が静寂さを破る騒幸口にあふれていたことを次のように伝えている。チヵトマス(Q百s目Pの)の村は静まりかえり、メスジットはシャラットの祈りの人であふれていた。|力、村の各所から米臼を禍く音が聞こえてきた。家々はランプをつけていた。束の.ハソガンダラン(一一一一)(一四)は戦争のような雰囲気であった。クントンガソ(屍のロ(・ロ、目)、ティティール(葺〕H)、米臼が打ち鳴らされ、同時に自動車のクラクションの音が響いた。いつもは多くの海水浴客がいる海岸には人影はまばらで、バンドンの。ハジ

(8)

ヤジャラン大学から潮位の変化その他の調査にやってきた百人ぐらいがいるだけだった。ヨクャカルク特別区の天候は良く、各地で観測、熱狂、静寂という対照的な光承が見られた。ポロブドゥール寺院は日食の中心線の通過する地点の一つで、テレビ中継をはじめ、多くの観測隊がいた(実際は、前、の天候が悪かったので危険を分散させて予想よりは少なかった)。皆既食が頂点に達した時、寺院の近くで歌舜をおこなった。だが突然、寺院の孤上のストゥー。〈から叫び声が聞こえて中断された。その男はあるアリランの信者で、大声で「神」(目昌目)の名前を叫んでいた。暗くなってきた時、惑星が兄えてきた。遠くのムラピ山もくっきりと浮かびあがった。気州は二九度から一一一一一度に下がった。ヨクャカルタ市内の天候はよく、殆ど雲がなかった。このために日食時の太陽は完全に死んでしまったかのように兄えた。道路に人影はなく、脳は閉まっていた。数ヶ所の地点で、数人の若者がクントンガソやグングン(ぬの己目、、ゴソグ)などの打楽器を日食の間中鳴らしていた。また、A・アズワール(し国ョ日)に率いられた「テアテル・アラム」(Hの臼の門し]ロ日、世界劇場)の一五人は、ベドゥグ(一五)(一一ハ)ロ七)・カチル(、のロロ、【のQ])やクソプル(【のBbB)、ケチュレ(【の。Hの【)などを打ち鳴らして、町を歩きまわっていた。なお、ヨクャカルタ市内で肢高級の、ホテル・アムバルクモでは、日食の一日前にS・H・ロスマット(閃・の日日)作の「バタラ・カラ・ラーフ」(団の片言]P【巳口宛呂ロ)が上演された。それは多数の観光客に見せる舜踊で、日食をおこす伝説上の怪物の物語である。南の.〈ラソトリティス海岸には多数の観光客がつめかけた。オパック(○gご川の渡しをする竹製の筏は、平術はたったの五○ルピアであるが、この日は何と一、○○○ルピアにまで器鵬した。渡しを待つ多くの人々は不平をもらしていたが、それでも皆しぶしぶ払っていた。.〈ラントリティスでは午前一一時二九分に皆既食が始った。ポロブドゥールで観測を予定していたベルギー、オランダの観測隊はここにやってきていた。士腿日の朝この海岸では、日食川のサングラスが一ヶ五○○’一、○○○ルピアの値がついたが、よく売れていた。グヌソ・キドゥル地力でも、日食の情報は流され、外に出ないよう注意がされた。いつもなら市のたつ日(勺目)なのに、ここの市場は全部閉鎖された。人々はじっと家の中にひきこもり、テレビを特(一八)っている者は殆どいないが、ラジオを持っている者もそれをつげようとはしなかった。

(9)

懸櫻 乳蝋

薑iL1i蕊

澱鰍雫駆茸

1m〈バー-2〉

雲i篝ilbLJ‘ 蕊

三三護憲三ブララ

イラストI日食ナンセンス没imi

上太陽を飲永こむ首だけのラーフと地」二の大騒ぎ。クソトソガソが打ち 鳴らされ,サングラスをかげた少年を事情の分からない男が本当の盲だと 感違いする。サングラスをつけたまま望遠鏡を見る人をさして,学校のカ

リキュラムを変えないとならないと教育相は心配する。

下(左)|]食観ii('1用のサングラス売場に,盲人1Nの杖の「在Iilf一掃」セー ルをやろ感迷い男。下(右)サングラスをかけて太陽を襲うラーフ,いず れもSH,11-6-1983(夕刊)。

が、「シナール・ハラロ九)パン」紙には、家の中の寝台の下に隠れている人と、腹をさすって胎児の安全を祈っている妊婦の写真が掲載されている。妊婦は部屋の中で、震少日津-し日詳]口宮口、団口]〕馨(お腹の中の赤ん坊が無事でありますように〃)と祈っている。/スマラソやソロといった中ジャワの中心都市でも、ヨクャカルタと同じ現象が見られた。スマランの町は死んだようになった。民 これまでの記事のなかで、人々は家の中に刑じこもったとある

(10)

スマランでは一人の男性が、太陽を直接見たために目がつぶれてしまった。この事故は私が参照した四紙のすべてにとりあげられている。「コン。ハス」によると、彼の災雌は次のようにしておきた。「四人の子供を持つ三一一才のウィジさんは、水を入れたバケツを川意して、家の後ろで日食の過職を見ていた(月兄の要価)。だが彼はこれに満足せず、家の前の広場で直接太陽を見だした。一一時三○分、彼の目は突然見えなくなり、彼はパニック状態におちいった。彼の妻と両親も慌てふためいた。彼は近所の人と警察の助けで病院へ運ばれた。眼科医の話では、一五人ぐらいが日食を凡て目を悪くしたが、ウィジさんほどひどい状態になった人はいないという」。ヨクャヵルタで(一一一)は、皆既日食の終ったあと何百人もの人が、サルジト病院に目の治療にやってきた。インドネシア政府の注晋凹は、完全には徹底しなかったようである。次に、中ジャワの北海津地帯から束ジャワにかけての皆既食帯とスラバャ周辺の様子を凡て承よう。漁師町のルンバン(肉の日冨長)では人々は家を閉めきっていた。バスターミナルには人はおらず、店やワロン(屋台)は閉まっていた。ルソバソの若者は参加者がいたいため、。ハトル(両日・」、伝統的なレスリング)とオレック(○門の戸、伝統 間の事務所は殆ど閉められていたが、政府の事務所は普通のようにやっていた。だが通りには殆ど人影がなかった。人々は鍵を閉めて家に隠れていたのみならず、窓も布や新聞紙で覆いをしてしめきっていた。時折、クントソガンやサイレンそれに電柱も打ち鳴らす騒音がひびいた。ソロの町も閑散としていた。車は何の障害もなく町を走れた。汽車は時刻表通りの運行をしていたが、市内を走るバスは普通の日の三分の一に減っていた。手峰なアンドン(シ己・信)という馬車は一合も走っていなかった。ボョラリ(団・]・巨昏)の近くのチュポゴ(○の□。、。)は、日食の中心線が通過する地であったため、多くの観測陣・見物群がつめかけた。早朝雲がぶ厚くたれこめていたが、次節に暗れあがり、十分観測できた。ソゴロ(Z、。B)、ジ.ハソ(]ご目、)、ガドソ(○&・ロ)の村々では、日食がはじまるとクントンガソが打ち鳴らされた。人々はコロン(【・]・信、家の広間、普通竹でできている)のなかに入り、(大型)椅子の下に身を隠した。一部の人は村長の家に集まり、自分の家は固く閉ざしたまま、村長の家でテ0、(大型)椅子の下)(一一○)レビの日食中継を几た。

(11)

10

的な歌郷)を附けなかった。。ハティ(蚕は)やクドゥス(属口自の)の町の状況もルンバンとほぼ同じであった。チュプ(○の宮)では朝晴れていたが、鋪二次接触の時に雲がかかり、観測隊をハラハラさせた。ソグロラン(z、]・’3口)の観測地点で見ていた人のなかには、大声でお祈り(スンバャソ)をする者がいた。ために近くにいた人は彼が気がふれたと思った。大声で祈る人には、日食の時トゥハン(神)の偉大さが一層増したのであろう。スラバャの町は日食中天候は良かった。市場や店々は閉められ、通りには人がいなかった。いつもなら千人は入る動物園も、この日は三五○人しか入らず、その人達も入場料は払わなかった。ジュンブル(]の日ウ関)の川は皆既食ではな

凸ヘム

譲驚

ii言護ii

イラスト][今週のスターQiD,太陽を飲糸こんだも のの暑過ぎて吐きだすコロ・ラーフ。この日の社説 には,核兵器による人類の絶滅が懸念されており,

核融合炉としての太'場にはコロ・ラーフもお手」:げ といったところ。KPS,12-11-1983.

ソブル(]の日ウ関)の川は皆既食ではなかったが、町は静まりかえった。いつもならにぎわう市場も空になった。人☆は家のなかに閉じこもり、窓は布や紙で覆いをされⅡ光がささないようにされた。クディリは一一時一一一一一一分に皆既食が始り三六分まで続いた。川は夜のように随くなった。ブリタール(国辱閂)のスヵルノの蕊にはいつもと比べて訪れる者が少なく、この日の朝は一二七人だけだった。ブリタール(一一一一)は皆既日食にならなかった。バリ島でも皆既食にはならなかったが、デン。ハサールではテレビの日食中継放送が始ると、町の人々は、クソトンガンを鳴らし始めた。老人のなかに

(12)

11

そして日食の終った翌六月一二日から、イスラムの断食月が始った。イメラム暦は朔望月をもとにするから、宗教右の「月齢計算局(田の号己目閃昌]臼)」では新月が日の出時の西の空に出た時に、ラマダン月の開始を宣一一一一口する。西暦一九八一一一年は、イスラム暦一四○一一一年に相当する。イスラム共同体(ロ日呉)の成員(冨巨の]ご)にとっては、日食のような現象は神の恩龍の確認できる時である。すべては宇耐を創造した神の為したもうことであるか(一一五)ら、そこに神秘の入る余地はなく、人々はただ祈るだけでよい。 (二四)部の人影はなくなった。 は、この時「カララウ」(【&日自)というラクササが太陽を食べていると信じている者がいる。マドゥラ島の.ハメカサン(勺口日の百m目)でも町は死んでしまった。一○時一五分には多くの人がメスジットヘ行って、お祈り(シャ(一一一一一)ラット)をした。海岸の漁師は一別の晩から海へ出ていない。その他の町の様子をざっと見てふよう。ジャカルタでは部分食であった。町は静まり、テレビの前には人が集まった。スハルト大統領は自宅で日食中継を見たとのことである。スマトラのメダソは朝の七時から町は静まりかえった。下町では風窓が布で固くとざされていた。日食が終って「太陽光線が突然さしこんでくるのを防ぐため」だと人々はいう。村々では人々が恐れて、なかには川へ用を足しに行けない者までいた。スラウェシのウジュソ。ハソダソは皆既日食の通過点に入り、約五○○人の外国人が訪れた。他の都市と同じくこの町も麻拝した。町は静かで、数匹の猫の行動が異常だった。北スラウェンのマナドでは、部分食は一二時二五分に最大に達した。町の中心 ジャワ島で皆既日食があったのは、一六二六年以来実に一一一五七年ぶりのことであった。一九八一一一年六月二日のジャワを中心としたインドネシアは、まさに喧騒と静寂につつまれた。各地で人々は家の鍵をしめ、窓には布や紙で覆いをして、寝台・椅子の下に隠れた。妊婦はお腹の赤ん坊の安全を祈った。外に出ることは固く禁じられ、漁 二、月の交点上の怪物

(13)

12

師は海に出るのをひかえた。人々の信ずるところでは、日食はラーフ(又はカラ・ラーフ尻巴口閃口冨、ジャワ語的に読めばコロ・ラー乙という怪物が、太陽をむさぼり食べることによって起きるのである。日食直後に地震が発生したが、それはヴィシュヌ神に射切られた彼の胴体が地面に落ちたことによって発生したとされる。ラーフを恐れる人々の恐怖感と禁忌は、ラーフに対する騒音による防御という行為と連続する。人々は、クソトンガン、米ョ、ゴング、砺柱などをはげしく叩き、サイレンやクラクションを鳴らした。町の交通はほぼ停止し、店や市場、覗務所、工場もほぼ閉鎖状態であった。イスラムの信仰に鰯い人々は、メスジットや村の礼拝所でお祈りをした。彼らは普通毎金雌日とイスラム暦の並要な日に、メスジットヘ行きお祈りをする。日食のような現象は、怪物ラーフの存在を信ずる者にとっては天変地異の一つであるが、ムスリムにとっては神の恩寵を知りうる機会である。それでも気がふれたように神の名前を呼んだり、泣いたり、叫んだりする者がいた。外国から多数の研究者、観光客がおしかけ、皆既日食の中心点通過地には多数の人が集まった。人が集まると、物売りが集まる。日食用のサングラスがよく売れた。又、一時的に物価が暴鵬した。日食は潮位を上昇させただけでなく、物価まで押しあげたようである。ポロブドゥールからテレビによる実況中継が放送され、多くの人は家のなかにいて「安全」に日食(放送)を見ることができた。それはメディアによる二次体験で、まさに今日的情況である。ラーフの神話を詳細に検討する前に、S・アトモジョ(し汁日・□〕・)の「コンパス」紙の甥箱入り解説記事を紹介しよう。ジャワで日食をおこすラーフについて記した文献は、古代ジャワ詔で書かれた「アディ。ハルウォ」(シ臼‐□日ゴロ)と中仙ジャワ識で書かれた「タンッ.、ハンゲララソ」(H:旨勺目、、の]日:)の一一つである。「アディ.ハルウォ」ではラーフの神話は次のように腱剛する。「(神戈とラクササの戦闘で)ラクササ凧が敗北したあと、八ダラ・ヴィシュヌは他の神につきそわれてアメルト(し日日宮、生命の水)を持って帰った。天界で神々はアメルトを飲んだので死ぬことがない。サン・ウィプラチティ(の目四二〕b3Q三)とサン・シソイコ(の目、のど、匡百)の子供である一人のラクササ(ラーフ)はこのことを聞き、神に変装してアメルトを飲みに来た。サン・ヒャソ・プラン(の目、国呂目、団巳目、月)とサン・ヒャン・マタハリ(の.国・宮口冨冨凶、太陽)がこれにきづき、ヴィシュ

(14)

13

ヌに伝えた。アメルトがまだラーフの首にある時ヴィシュヌはチョクロでその首を射切ってしまった。彼の胴体は地面に落ち地震をひきおこした。彼の胴体は地上で滅びたが、頭部はアメルトを飲んだため不滅で、告げ口をした太陽と月を追いかけ、時と両天体を完全に飲みこんでしまう。だがラーフには胴体がないため、飲みこんでも、しばらくすると太陽も月もまた外へ出てくる」(伝承1,以下田と略記)。「タンッ・・ハソゲララン」では、地面に落ちたラーフ(コロ・ラーフ)の胴体は米臼に変わる。日・月食の時に人々はコロ・ラーフを苦しめようとして米臼を描く(、)。「世界劇場」という意味のタンッ・・ハンゲラランの著者は不明である。それは神々によるメルー山のジャワへの設値、日・月食の起原、シバとウマなど七章より成っている。H・サルカール(の日百門)は、不死の液【四日目QP]屋(【の(の丙冨の]のロ、)を飲む怪物を閃日日P〕口と門凹一日巳】の一一人のラクササとしている。これと共通の怪物はダャク、バタック、ハルマヘラのアルフハス人の側でもみられるという。ラーフの体が米臼に変るモチーフ(一一一ハ)はサルカールにはみられない。そもそも、このラーフという怪物はヒンドゥ教の悪魔の一人である。M&J・ストットレイ(のどこの])の『ヒソ(一一七)ドゥ教辞典』では、ラーフは次のように説凹されている。「ラーフは、《の①〕国のH》(とらえるもの)を語源とする。日・月食をおこすヴェーダ以後の悪魔の名前。リグ・ヴェーダではスヴァルヴァーヌ(の国門ウ冨目)が日・月食をおこす。マハーバーラタやいくつかのプラーナ文献では、ラーフはダーナヴァe晋四国)と呼ばれ、神に変装して海の攪排(の口日目日日日宮口)に現れ、聖なるアメルタ(不死の秘薬)を他の神女とともに飲んでしまった。だが、の冒怠(太陽)との○日P(月)が彼を見やぶり神々に告げた。ヴィシャヌはただちに彼の頭を射落とした。彼の頭は悲鳴をあげて空中へ放りあげられた。かくしてラーフの頭と、太陽と月との長期にわたる争いが始った。ラーフは太陽と月をとらえて飲糸こもうとするのだ。ラーフはシ○日目の、8(空の悪魔)という称号をもつ。インドの天文学的神話では、ラーフの頭は月の昇交点を、尾のケトゥ負のご)は月の降交点だとみなされている。いくつかのプルスではケトゥは彗星や流星の人格化とみなされている。、ハドマとバーャバータ・プルスではケトゥとラーフは、ダーナヴァ・ヴィプラチティe山口ロ『pご】ロ日・〕三)の妻のシミーカ(の〕日亘菌)の悪魔的息子たちとされて

(15)

14

いる。ラーフの乗物は八頭の黒い馬で、彼は天界の南西をつかさどる。彼の息子は三一一の彗星で、彼が太陽の円雛上に見える時は、飢餓、盗み、外国軍の侵入、王の死などの前兆とされる」(E)。ラーフとケトゥが月の二つの交点をあらわすということについてはもっとあとで検討する。ここではもう少しラーフの神話の異伝をゑて承よう。H・ツィンマー(凶日日のH)の『インドの芸術と文肌における神話と象徴』では、(一一八)次のような展開をとげている。「乳海撹伴後神々は不死の水(アミルタ)を、輝く月を容器として飲んでいた。月は生命を付与する原理の代表である。神々の間にしのびこんだラーフは不死の水の一滴を務んだが、すぐにヴィシュヌの武器のチァクラ(火輪)で首を射切られた。ラーフの頭部は不死性をそなえ、それ以来不死の水を汲む容器である月を求め続けている。月食はラーフが月をとらえ、飲永こんだ時におきる。だがラーフには口と喉しかなく(胴体は切り落とされたから)、月はまた現われる」(山)。マレイ半島でも、日・月食は巨大な竜(ラーフ)又は犬によって天体がむざぼり食われているしるしである、とゑなされている○日・月食の時のゴングや大音声によ(一一九)る大駁ぎは、それによってその怪物を追いはらっている。W・スキート(の戸の口汁)はM・ウィリァムス(ミ〕」盲目の)を引川して、ラーフの神話を述べているが、その内容は岡と殆ど同じである。より詳細なラーフの伝承がカンボジアより報告されている。アンコール・ワットの乳海撹伴図は、次のような杣(一一一○)話を伝婆えている。「悪魔と神々はかつては協力して何千年もの間乳海を蝿押していた。マンダラ山が彼らの撹伴擁で、ヴァースキ蛇がそれにからみついたロープの役割をしていた。ヴィシュヌ神が地の上にのり、蝿伴捧である山の於部をささえた。神☆は蝿伴捧の一方の端を、恕脆が他力の端をおしていた。乳海から現われた肢初のものは、〆巳員三口(無い頂上)という名の黒い赤煙で、仕事は誰かそれをすいこむ勇気のある者がでてくるまで中止された。腰想を中断したシバ神がやってきて、その死の液(煙)をのんだ。すると彼の喉は青く変ったが彼は死ぬことはなかった。その後撹排はまた続けられた。乳海がバターになりだすと、アプサラス(水の緒)があらわれた。次に。〈ドマー・ラクシュミーがあらわれ、ヴィシュヌは彼を自分の配偶者にした。次に白い馬、乳白の象、真珠が次々にあらわれて、最後に神々の医師であるガンバンタリがあらわれ、手には月である白い容器を持っていて、そ

(16)

15

のなかにアミルタ(不死の液)が入っていた。すると神々と悪魔との間に、この不死の液の所有をめぐって戦いが始った。悪魔の一人のラーフがどうにかその一滴を飲むのに成功したが、ヴィシュヌはアミルタが彼の喉を通過する前にその首を切り落としてしまった。彼の胴体は腐敗したが、彼の頭部は不死性をそなえ、今日に至るまで月を(一一一一)追いかけそれをとろうとしている。これが月食の理由である」(B)。カンボジアの他の異伝は囮とやや異る。「ラーフは乳海から神々が汲みあげた水死の液を総むのに成功した。だが月と太陽はこれに気づき、ヴィシュヌに報告した。怒ったヴィシュヌはラーフの体を、胴体と頭に二分してしまった。この一一つの部分は既に不死の液を飲んでしまっているので死ぬことはなく、獣帯の各宮をうろつきまわっている。だが元の一つの体に一灰ることはできない。しかし、どちらかが太陽か月をその軌道上で見つけると、ラーフはそれを追いかけ、むさぼり食おうとする。仏教の伝説では、ラーフはブッダの介在によって彼の餌食となった天体を放す」(町)。

これまで述べてきたラーフに関する四1町までの神話群は、その細部において異る。その神話群のプロットを、

ラーフの系譜関係(1)、ラーフがアミルタを飲む手段(Ⅱ)、ラーフの浸入をヴィシュヌに告げるもの(Ⅲ)、ヴィシュヌに射切られた頭と胴体のその後(Ⅳ)に分けて比岐検討してゑる。Eはラーフとケトゥを月の二つの交点とする天文学的神話の前を前段とし、その後を後段とする。図Iがその結果である。ラーフの系誹について田と凸後段がそれに言及している。ラーフはウィプラチティ(夫)とシミーヵ(シンイコァ妻)を両親とする。他では一一一一口及されていないがこの系誹関係はほぼ妥当だろう。後段では更にラーフとケトゥは兄弟とされ、ラーフの子供が一一三の彗星とされている。この点についてはあとで検討する。ラーフが不死の液を飲む手段ではその迷いによってⅢ、Ⅳの結果が異ってくる。変装してアミルタを飲むとする田、、、四前段、町では、ラーフの好計を見破るのが月と太陽であり、ヴィシュヌに告げる。そして一フープはアミルタがその喉にある時、ヴィシュヌのチァクラで首を射切られてしまう。ラーフの頭部は不死性をもち空中をさまよって、太陽と月を追いかけ、両天体をとらえた時に日・月食がおきる。残った胴体の結末で違いがでてくる。田では地上に落ちた胴体は地震をおこすとされるが、、では興味深いことに米臼に変ったとされる。ジャワの人女は日・月食の時に、「ラーフを苦しめるために米臼を搗く」という。

(17)

16

ロ已口)や・ヘルシャのジャウザール(C]口三目言) I することができる。アラブの一プィソニーン(且‐ 食をおこす悪魔・怪物は、他にもいろいろ指摘

ラーフのように月・太陽を飲みこんで日・月 及されている。

されているが、それは他の場合にも潜在的に言 しない。喝後段では日食と災厄の関連性が肌示

食をおこす原因となる。日食について何の言及

ーフの頭は不死の液を求めて月を追いかけ、月 いきなりヴィシュヌの反撃を受ける。そしてラ フ神話群の榊造ヌに告げ口をする存在がいなくなり、一フープは ことをひかえよう。そして囮、昭ではヴィシュ みとることは可能であるが、ここでは詳論する いて、月と生命付与というような観念連合を読 入っている。月は殆どアミルタと同一視されて れる。、と時ではアミルタは月の容器のなかに やなく、そのどちらかが日。月食をおこすとさ 獣帯をさまようが、二つはつながることはもは てしまうとされる。町では胴体も頭部と同じく

げてみよう。塒ではラーフの胴体は地上で腐っ

この問題は第四章、五章でもっと詳しくとりあ

II IⅡ

シンイコウィプラチティ

(火) 変装して天界へ至})

1lll々とともにアメル トを飲む

月と大ドルがラーフの 変装をAl破る

jijn→[1.月食をお こす IllI体→地震をおこす すう 諒及なし liiI-上 liil」:

mi→[1.}1食をお こす 腓1体→地」:で米臼に

変る

砥前段

喬及なし 変装してアミルタを飲む liリ」1 Hji→[1.)1文をお こす 1ル1体->(言及なし)

唾後段

ウィプラチティケトウ 32の灘111 誘及なし 言及なし ラーフが太iMiの|']盤 上にくると災厄(肌 lWi、城争、死)の前兆

汀及なし

天界へしのびこみ)1 を容器とするアミル タを飲む

該当二打なし

jjIi→ 食 ([1食なし)

llE1体→(言及なし)

冨及なし

11の容器に入ってい るアミルタを盗み欲

該当:行なし

頭→)l食 (日食なし)

肋1体→腐敗 言及なし アミルタをiiiみ飲む

)1と太陽かラーフに 女(づきヴイシュヌに 報(!;

斑iと11リ体は別々に獣 1Wをさまよい、日.

)j食をおこす

(18)

17

(一一一一一)はラーフと並んでその代表である。スカンジナヴィァの神話では太陽は常に狼のスコルに追われている。リトアニアでは悪魔のチクニスが太陽の乗物を攻撃する。ユダヤ神話では太陽は周期的に大きな魚にのみこまれる。古代ヵ(一一一一一一)ナン人は竜または蛇が日・月食の原因となっているとみなしていた。マレイ人は、n匁・太陽を飲ゑこむ傑物を巨大な竜あるいは犬であるとみなすことは先に指摘した。その名前をラーフというのだが、ラーフというヒンドゥーの恐魔の観念がマレイに浸透する以前の日・月食の怪物に、ラーフの名前がつけられたようである。ポリネシアでも(一一一四)日・月食は経物(そのイメージ不詳)が太陽や月をむざぼり食うことでおこるとされている。北米のパイュテ族で始まったゴースト・ダンスの予言者ウォヴォカ(ヨコ「・ぐ○百)は、太陽が死んだ時(日食)啓示を受けた。、ハイュテ族の考え方では、太陽は生きた存在で、大きな力を,もち祝福を与える。太陽が一時暗くなることは、太陽をむざぼり食おうとする超自然的怨雌の攻撃で生ずるとされている。そして怪物が太陽を食らいつくした時には、まじないと騒音で追放されない限り、地上は永遠の夜になってしまうとされている。子一一一一口老ウォヴォカが啓示をえたのは、一八八九年一月一日のネバダ州での皆既日食の時と推定されている。その時。ハイュテ族の人々は與齋して狂乱状態におちいり、空は騒音と泣き叫ぶ声と銃声で油たされた。日食の興籍と轡告が、病気で弱っていたウォヴォヵの鯖(一一一五)神と肉体に作川して、彼に震界の入、に立つ彼口円身の姿を幻視させたのである。だが日・月を食す悪魔という神話的怪物については、太陽・月を含めた天体の神話論的背景、暦、季節、天候、人間の成長、植物、動物界への影響などといった側面との関連が十分に認識されるべきである。それは天文学、占星術の発達していない地域に‘も萌芽的には認められうるⅢ題ではあるが、何といってTも天体の観測とそれに元づく暦法の発達という高度な宇宙論的知識の体系を前提としている。、の中段で、怪物ラーフの頭は月の昇交点を、尾のケトゥは月の除交点をあらわすとある。あるいはケトゥは、彗星や流星の人格化であると,もされている。Eの後段では、ラーフとケトゥは兄弟で、ラーフの子供が三一一の彗星とされている。月の鼎交点とか峰交点というのはy高度な天文学的知識を必要とするが、これとラーフあるいはケトゥという神話的怪物を結びつけたインドの天文学、占星術について、我々は検討しなければならない。

(19)

18

’11菰道にそって三○度ずつ一一一等分したものが菰道一一一宮(獣帯)である。一一一宮は、天球の哉逆を一二等分した宮と天球上の星座から成っており、占星術の埜礎をなしている。占星術が碓立した古代ギリシア時代の春分点である白羊宮(牡羊座)を起点として、以下次の順番で続く。金牛宮(牡牛座)、双子宮(双子座)、巨盤宮(盤座)、獅子官(獅子座)、処女官(乙女座)、天秤官(天秤腿)、天鰍宮(鰍座)、人馬官(射手座)、階鍋官(山羊座)、宝瓶宮(水瓶座)、双魚宮(魚座)。現在の春分天は歳差のため、魚駆にズレていて、占凪術の妥当性を揺るがす問題である。占塊術の埜本は、個人の出生時の獣帯(黄道一二宮)と天動説で考えられた地球を回転する七惑星(月、太陽、水屋、金星、火星、木星、土星)の位置関係を読承とることである。獣帯の各宮も、各惑星もその属性・性格を持ってはいるが、その位置関係

図H天球上の黄道とIヨ道

地球のまわりを回転する天球は,太陽の運動を説 lリ]するために,古代の天文学者によって考えださ れた。天球の南・北極と赤道は地球の南・北極と 赤道の天への投影である。天球は伽三1その1111のま わりに東から西へまわるので,太陽や品々は両極 のまわりに同心円を描く。太陽は腿女より少しず つおくれて動くので,1年たつうちに太陽は天球 上で黄道とよばれる大円の上を東向きの道すじを たどり,月は1ハかけて天球を一週する。黄道と

|ヨ巡が天球上で交叉する点が月の二つの交点であ る。

Brown,1976,120,ギソガリッチ,1986,34よ り筆者作製。

太陽は見かけ上、地球を中心とする天球面を一年に一回転する。天球面に張りついているとされる動かない恒星に対する位腱を埜準にして太陽の動きは示される。天球面を太陽が通過する経路を黄道と呼ぶ。茨道は、約束として地球の森分点から始るとされている。そして黄道の南北に八度づつの幅を持った帯状部分を考え、春分点を起点として

(20)

19

によって、更に複雑な影響を示すとされる。ある惑星がある獣帯の宮に入った時、最高の状態とされたり最悪となったりされる。またその時、他の惑星との位置関係が、合(黄道上の同一地点に並ぶ)、六分(角差六○度)、矩(角差九○度)、三分(一一一○度)、衝(黄道帯のなかで直径の方向に並ぶ)などによっても意味が異るとされた。古代において、天文学と占星術は殆ど区別することはできなかった。日・月食のⅢ題でもそれは、一方では純粋天文学的説凹と他力では占晶術的解釈が同居していた。茨道而は、地球の赤道の無限延長天にある犬の赤道と三一一.五度極いている。また、月の軌道面(白道)は茨道而と五度九分価いている。月が南から北に武道面をよぎる天が外交点であり、北から南によぎる天が降交点である。この二つの交点を紬ぶ線は、武道にそって月の巡行方向とは逆向きに動き、一八.六一年で地球の回りを一週する。日食は地球が月の影に入り太陽が隠される時おこり、月食は月が地球の影に入った時におこる。日食は新月の時おき、月食は満月の時おきる。つまり、日・月食は月がその交点上に達した時におきることになる(ただ太陽・月・地球の軌道面が傾いているので、月が交点上にきても月、地球の影にお互いが入らないこともある)。そして、何千年も前から日・月食はサロス周期と呼ばれる一八年二日八時間の周期でくりかえされることが分かっていた。バビロニアのカルデア人が紀元前六○○年頃発見したとされ、カルデァ周期ともいう。『アルマゲスト』でも『プリニウスの博物誌』でも、カルデァ人の発見した日・月食の理論(一一一一ハ)を下にした精柑な日・月食論が展開されている。古代の天文学・占塁術はバビロニアにおこり、それがギリシアに伝えられた。『アルマゲスト』をまとめたプトレマイオスはアレキサンドリアの学者だが、古代ギリシアの天文学(天動説)を体系化した。その体系はインド、イスラム諸国に伝えられ、その地域で独特の発達をすることになった。矢野道雄は、ピングリー(四口四のの)の説を(一一一七)紹介しながら、インドにおける天文学の発展を次のように五つの時代に分けている。Hヴェーダ時代(紀一兀一Ⅲ一○○○年から紀元前四○○年)。暦法体系は存在しないが、二七または一一八の星宿をもっていて、のちの天文学・占星術に重要な役割をもった。ロバビロニア要素の時代(紀元前四○○年から紀元後一一○○年)。バビロニアの天体暦で重要な時間単位であるティティ(一朔望月を三○等分した時間単位)をもとにして、五年をひとつの周期と考

(21)

20

え、不完全ながら閏月を配置した暦法をもった。それによると、五太陽年Ⅱ一八三○恒星日Ⅱ六一一朔望月Ⅱ一八六○ティティという関係が基本とされる。ロギリシア・バビロニア両要素並立の時代(消略)。囚ギリシア要素の時代(西暦五○○年から西暦一五○○年頃)。ギリシア天文学を韮本としながらも、いったんインド化されたのちはギリシア要素を受けつけず、インド内部のものとして発展していった。古代インド肢大の自然科学者アールャバタが職場したのは、この時期の初期のことである。ラーフとケトゥが月の交点上の怪物としてⅡ.月食をおこす、という観念が定蒲したのもこの時代のことである。伽イスラム要素の時代(一六世紀のムガル朝の時代からイギリス(一一一八)の柿民地化まで)。インドとイスラム諸国との交流はもっと以前からあるが、インドがイスラム天文学の優越性を認めたのはずっと後の時代で、それが定若しないうちに、西洋の新天文学がイギリスから入ってきた。さて、「月の交点とH・月食をおこすラーフ・ケトゥとの一体化の妓後のステップはきわめて論理的である」とW・ハートナー(国閏召のCはいう。彼はその「ヒンドゥー・イスラム図像表現における白道上の擬似惑星交点」という論文で、イスラムの日・月食をおこす怪物ジャウザールが語源的にも図像表現上も、ラーフ・ケトゥの影響(一一一九)下に成立したことを主張する。そして「惑星としての一父点」と題する一節で次のように述べている。「日・月食をおこす月の二交点は一八年(サロス周期)で地球を一回転することから、惑星との並行関係が暗示される。そしてその公転の周期の点でその一一交点上の仮の天体(惑凧)は、木凪(公転周期約一一一年)と土星(約三○年)との間に位樅しているとされた。ただその述動の力向は、〃水物の〃惑星とは反対向きにⅢるとされた。だが、いつ、どこで月の交点をⅡ.乃食をおこす仮の惑星として考える結合が生じたかを正碓に述べることは附難だ。ギリシア後期の占晶術において同様な傾向を脂摘できるが、その観念はインドにおいて十分に発展した。紀元六世紀のイソドの天文学者(ラーハミヒーラはその著書において、ラーフ・ケトゥ神話と月の一一交点と日・月食の科学的剛論を関連させて論じている。そして正統化惑星にラーフとケトゥを加えた九惑星像(zmぐ鑓日宮)が、紀一兀八’九世紀にはつくられており、イスラムのイコノグラフィーにそうした〃付加的な〃惑星が登場するよりもかなり早い。インドの初期の占星術の文献には、月の交点の惑星としての性格については述べられていない。私(ハートナー)は、

(22)

21

;i貯鐇iill

鵜」

lllij

...;.,「17.勺

■口達 I蕊iIiiili霞I

写真Iナーヴァグラーハ(九惑星)

左から月,太1場,水星,金星,火星,木星,土星,

右端にあるべきケトゥの像は脱落している。

Hartner,1938,124より転載

そしてラーフ。

六’七世紀頃にインドで月の交点を擬似惑星としてとらえることが一般化したと仮定する。占星術家はこの擬似惑星に不安感を示し、軽んじて呼ばれることを嫌がった。だが芸術家はそうした心理

的重圧にとらわれず、自由にそれを表現した」。

更に、サンスクリット語で「光り、明るさ」を表すケトゥは天体現象では「彗星や流星」であり、それがラーフの尾としてH・月食をおこすと考えられるのには矛盾がある。これをハートナーは、「月食で太陽の光りを奪うのは月そのものであるということが知れわたるにつれ、月の光りと豊穣性に関する観念が中性化して、ケトゥと日・月食(四○)をおこす怪物が結びついた」と述べる。その妥当性について筆者は今のところ保留したい。矢野道

雄によるインド天文学書『アールセハティーャ』

の解説には、日・月食とラーフとの関りが次のよ(四一)うに述べられている。「日・月食はラーフがおこすという伝統的な考え方をアールャパタ(紀元四七六年生れ)は、『地球の影』という一一一一口葉ではっきりと打ち破った。紀元七世紀のプラフマグプタもこのことは知っていたが、伝統にもとること、

(23)

22

(四二)ハートナーは一一一向う。「イスラム占星術の文献のなかには、意図的に交点の惑星としての解釈を無視しているJものがあるが、これとは反対にそれをきわめて当然だとふなしているJものしある。だが、インドにおける占星術ほど重要な地位は与えられていなかった」と。S・H・ナスルによると、イスラム中世を代表する自然科学者、宗教家、占星術師のアル・ピールーニー(之1国己曰、西暦九七一一一’一○五一年)には、自然科学者としては月の交点上の怪物を否定し、占星術家としてはそれを肯定する矛盾があった。つまり、一方ではインドの占星術を評して次のよう(四一一一)にいう。「七惑星については我々アラビア人との違いはない。彼らはそれをグラーハ(の日ロロ)と呼ぶ。そのうちの水星、金星、月は吉をあらわし、の:口舌、田富と呼ばれる。そして土星、火星、太陽は不吉で、【己日、国富と平

ァ「ルャパタを批判することを主眼としていたので次のようにいっているI月食の時には地球の影と同じ大きさのラーフが月の軌道上に位置して地球を陰らせる。日食の時には月と同じ大きさの〈ラーフ〉が太陽を陰らせるI

昌括田富と呼ばれる。そして土星、火星、太陽は不吉で、【己日、国富と呼ばれる。後者のなかに本当の星ではないが竜の頭(ラーフ)が入れられている」。だが他方、占星術で人間の運命に最も好都合な昂揚物成

服蛎の説明表のなかに彼は、怪物竜と尾の位世を示しているのである。

上よナスルはそれを「奇怪なこと」だといい、ハートナーは「後世の写(四四)

瑚孤本家の書きこゑだろう」と一一一一口っている・だが、ケ・フラーあたりの天

の1

月鍋文学者が実は占星術で生計をたてていたことを思えば、アル・ビー Ⅲ四ルーニーに見られる「矛盾」もそう大したことではないであろう。 川川ナスルは、日・月食をおこす怪物は当時の占星術では普通のこと う帥だと述べている。イラストⅢは、アブ・マシャールの《己の富岳日の ィH○・日目三・日宮の..(一五一五)に見られる「月の交点上の怪物」の

姿である。黄道と白道の交差する一一点に、頭と尾を巻きつけたこの

(24)

23

怪物竜のイメージは、まさにラーフとケトゥのイメージそのものである。アル・ピールーーーーはインドでは七惑星をグラーハと呼ぶと言っているが、これはイソドのごく一部でしか妥当性(四五)がないようだ。ストットレイ夫妻の(〕国冨の項の説明は次のようになされている。「語根の、国声はとらえることを意味する。つまり、犠牲者を〃とらえ、あるいは懲依する〃悪魔で、病気、狂気をもたらす。グラーハには種点の型があり、特定の場所、時間に供物をそなえて宥和されるべき存在である。後期の神話では、占星術に元づき人間の生命をとらえ、またそれに影響をおよぼす惑星と結びついた。だがそうした神話は地域が限定されていて、内容も一致しない。時にグラーハは人間に良いことをなすが、大部分は悪影響を、もたらす。グラーハは旅人や寂しい場所、湖・池のそばなどに住んでいる人には危険である。九惑星のうち、ラーフは日・月をとらえ、ケトゥが彗星として大災厄をもたらすと信じられていることと同じく、グラーハは不吉なきざしととらえられている。惑星は植生にも影響を与えたから、朔望月の特定の日の食物の選択には注意がはらわれるべきである」。現代インドネシア語で日・月食のことを(の①吋冨目.と呼ぶが、これは勿論サンスクリット語の(の国冨・から派生した言葉である。(四一C標準ジャワ語では《の国富》あるいは、・の国富ロ⑬》と呼び、これ、屯同様である。サンスクリット語の「とらえる、つく」という意味の⑦田園は、日・月食をさす表現だけでなく、インドネシア諸語のその他の表現にも管見される。「何かとらわれたしの、例えば戦利品、略奪品など」を表すサンスクリット語の《の国富》は、カロ(パタック)族の《の国富》(科料、罰金)のなかにあらわれている(ジャワ語、パリ語も同様)。カロの《の①国富・は同時に日・(四七)月食をも表す。「意図的に悪事をなす」意味を、もつジャワ語の《z房四国》》《ご国涛胃四》は、二m}富国》(悪事)と同じ。後者は、「強制する」の意味である古代ジャワ語の《、亀涛山国》であるが、サンスクリット語で●もぬく】圃国》(要求す(四八)る)という。これはまた、《⑫『一百国の国冨.(強制的奪取)で○もある。ジャワ語の巾の一猪国富‐用・宙》は石切人、彫刻家伝説をそのうちに含んでいる。つまりサンスクリット語で、銅冒》(石)、(の国冨》(とらえる)で、閃目》は(四九)ジャワ語で「窪地」であるから。また古代ジャワ語で、《嵐山弩の⑪色。且〕色.とは「悪い星にとらえられる」ことであ(五○)る。それはサンスクリットの(缶くの⑩②.(悪鬼の愚依)と、《⑦国富》(惑星)である。スキートは、マレイ半島のプ

(25)

24

(五一)カン(勺の丙目)では、月食をおこす怪物そのJものJもゲルハナ(の①吋嵐目)と呼ばれていることを示している。セイロンのシソハリ人の占星術においては、九惑星は現在でも重要である。その九惑星とは、閃四己(太陽)、○冨已‐・国(月)、【巳幽(火星)、国巨:(水星)、の戸日(木星)、の日戸田(金星)、の目〕(土星)、閃:口(月の昇交点)、【の目(月の降交点)である。シンハリ人の間ではァ今農村よりJも都市部でよく占星術が用いられている。結婚、選挙の月の決定、議会の召集、僧の得度式などは占星術の判断で決められる。スリランカでは男性も女性もその誕生時のホロスコープを持つが、女性は初潮の時に第二のホロスコープをjもつ。そして彼の運命を左右するのは第一と第一一(五一一)のホロスコープのどちらであるかが問題で、結婚の準備のために女性のホロスコープは入念に調べられる。カンポ(五一一一)ジアでjも九惑星は重要で、それぞれが支配する動物と属性、曜日をjもつ。弔円:脾膏(太陽)、ライオン、金でおおわれた貴重品、日曜、厚呂の冨口(月)、虎、銀でおおわれたガラス、月曜、囿国ロレロ鴇田(火星)、豚、青、火曜、句日丘囿員(水星)、ロ.〈、薄い色、水曜、旧日戸田国富、(木星)、象、赤、木曜、尼H島、C炭(金星)、孔雀、緑、金曜、祠円昌の目(土星)、水牛、青、土曜。これ以外にアシュラに保護され、神々に敵する二天体がある。卑農肉:臣、ガルーダの王、黄色、勺『島尻の【・目冨邑の鳥○C自己の凹具(不明)、』金色。最後の一一天体が月の二つの交点で、ラープとケトウであることは言うをまたない。マレイの占星術にはアラブの影響が暦然としている。マレイの占いには、カティカ・リマ(【昌一百回日四、一日を五つの時間帯にわけ、それをヒンドゥーの神々にわりあて、五日周期でくり返す)がまずあげられる。これはジャワのモソチョ・パット(五曜とそれに対応する方位、属性、職業などのくみあわせ)と基本的には同じ考え方に基いている。マレイのカティヵ・リマはイスラムの神々を用いてなされることjもある。更に、七惑星を用いて占うカティカ・トゥジョー(【臼房色曰巳・ロ)がある。これは一日を七つの時間帯にわけ、それぞれに太陽、金星、水星、月、土星、木星、火星を配置して七日周期で回転する。七区分はそれぞれ沢山に分れ、妥当な職業とJも結びつく。獣帯の各宮の呼称法もアラビアのそれを採用しており、二八星宿Jもアラ(五四)ビア風だが、かなり誤解して用いられている。マレイーの占いには、ラーフ、ケトゥは登場しない。この章の最後にキールティムカ(【】『再日日百)という魔除けの由来を述べておこう。かつてジャランダラ(]巳目‐

(26)

25

たちと、ラーフに従われている。彼女の属性は落雷、鉤、矢、針、アショカの弓、ヒモなどで海諒)(蝿)。

彼女臆三つの顔をもち、そのうちの一つは豚の鼻である。七頭の豚にひかれた車に乗り、動物の鼻口をもった女神 に対抗するものとして一般的になった。あるいはラーフは恐ろしい女神のマーリーチ(三凹同】a)に仕えるという。 (五五) 特にラーフに対する怒りをあらわしているという。ジャワにおいてキールティムヵは、あらゆるところに棲む悪鬼 百国、ワーー)と並置されることが普通になった。彼らの存在で病気や死をもたらす悪魔は退散される。だがそれは の表象で、シバを祀る寺院の架台におかれた行)。その後キールティムカは同じ機能をはたす一対の魚の怪物(冨四‐ ンはシバの子供として認められ、その後胃H三日目富(栄光の顔)と呼ばれた。キールティムヵはシ傘〈自身の特別 怪物はシバ・ルードラ(、三国l肉且国、罰巨国Ⅱ呪える者)という形でのシバの破壊性を示すものである。半ライオ こでシバは半ライオンに彼自身の体を食べるよう命じた。半ライオンは自分の手も体も食べ顔だけが残った。その たまらず、シバの衣類のなかに隠れた。シ今〈はラーフを許したが、半ライオンは獲物にありつけずイラだった。そ すぐにライオンの頭をした悪魔に変わった。ラーフはシバの放った悪魔に肝をつぶし、怒れる半ライオンの突進に ていた。ラーフの伝える要求を聞いたシバは、眉間の第三の目(し)&‐○島国)から恐ろしい弾丸を発射し、それは 一一一一口った。ジャランダラにとって「一一一界の美女」(自己C巨日‐の目目国)を得ることは、神倉に対する彼の勝利を意味し という名前をもらっていた。ラーフはシ簿〈に、彼が.ハールヴァティーをあきらめ、彼女をジャランダラに渡すよう である女神は彼と離れている間に生れかわり、ヒマーラャ(国圓山}亀色)の美しい娘の。〈-ルヴァティー(厨2日]) 維持と破壊をなすシ翁〈神に挑戦した。その時シ標〈は結婚するための苦行をおこなっていた。彼の不死のシャクティ 掩を追いだし、彼による新秩序をつくろうとした。ジャランダラはラーフを派遣して、世界の創造者であり、その 昏四国)という巨人王がいた。厳しい苦行によって彼は他に対抗しえない力を身につげた。そしてその力によって神

(27)

26

(五七)大林太郎教授は「東南アジアの日蝕神話の一考案」と題する論文において、わが国のアマテラスの岩一F隠れの神話を解く鍵を、モン・クメール系の原アウストロアジア人の日・月食神話に求めている。大林教授は、天体に関する観念の分布の大綱を呈示したL・フロベニウス(句【◎すのロ旨切)の業績を高く評価しながら、太陽と月の性別の問題と日・月食の起源神話との関りに焦点を絞ってゆく。そして、モン・クメール語族の人々の日・月食神話のモチーフを次のように整理している。H日と月は。①m・旨菖禺①局であり、その下にまだ一人の弟或は妹がいる。pそれは極めて行いが悪い。曰そのため、日、月は死後、(天体の)日、月となるがその悪い弟妹は怪物乃至妖星となる。四日蝕或は月蝕は彼または彼女のためにおこる。このモチーフと日本の天岩屋神話との顕著な一致は歴然としている。「古事記』では黄泉の国から生還したイザナギの涙ぎの際、イザナギの左右の眼および鼻から、日神アマテラス、月神ツキスミ、そして乱暴者のスサノウが生まれた。そのスサノオの乱暴にアマテラスは怒り天岩屋に隠れると、世界は闇にっつまれ災厄に襲われる。大林教授は「この一致は偶然とは考えられない、歴史的な系譜関係をもつものに違いあるまい」と両者の文化的親縁関係を推定している。このモン・クメール語族の日・月食の起源神話

は、太陽を飲染こむこと以外はヒンドゥーのラーフと殆ど関係がない。ラーフはヴェーダ神話には登場しない(喝

参照)。大林教授は、かつて北部・中部インドの大部分を占めていたムンダ語族において、日、月の○の印◎旨菖旦の円‐【目、篇一一鷺一目の観念と邪悪な太陽あるいは月の説話の存在を指摘して、その後インドの主流となってゆくドラヴ

ィダ系のラーフ神話が各地に受容されていったと推定している。ただ大林教授は日女、月男という性別に固執し過

ぎている傾向があって、その反対の日男、月女という関係も元点は日女、月男であったとやや強引に主張している。また、モン・クメール系の日・月食神話の日本への伝播の確かな証拠については教授自身も保留している。大林教授の若き日の力のこ〕もったこの論文は、我々後進に大きな示唆を与えてくれる。日、月の①、C亘「】普曾の 三、日・月の対立と接近

参照

関連したドキュメント

はある程度個人差はあっても、その対象l笑いの発生源にはそれ

剥落箇所にも同様の矢が描かれていた可能性があり、正確な本数は復元できない。また弓 Masaru INOUE, Qizyl mural painting “conversion of King Mahā-Kalpina”and an icon

「カキが一番おいしいのは 2 月。 『海のミルク』と言われるくらい、ミネラルが豊富だか らおいしい。今年は気候の影響で 40~50kg

それで、最後、これはちょっと希望的観念というか、私の意見なんですけども、女性

それは10月31日の渋谷に於けるハロウィンのことなのです。若者たちの仮装パレード

彼らの九十パーセントが日本で生まれ育った二世三世であるということである︒このように長期間にわたって外国に

  支払の完了していない株式についての配当はその買手にとって非課税とされるべ きである。

①配慮義務の内容として︑どの程度の措置をとる必要があるかについては︑粘り強い議論が行なわれた︒メンガー