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「 道徳性 の発達 について ( その 2) 」 の前書 き

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「 道徳性 の発達 について ( その 2) 」 の前書 き

関口 昌秀

これは昨年か らは じめた共同研究 「道徳性の 発達 について」 の2年 目である。今年 は須川公 央の 「エ リクソンにおける女性性 とジェンダー (1)」が収 めてある。 これは,副題 にある よう に

,

「ケア」 (care)概念 を検討す るための予備 的考察である。

ここで須川 は, フェ ミニス トか ら批判 をあび たエ リクソ ンの女性論 ,「女性 と内的空 間」 を 取 り上げて検討 している。

須川 によれば,エ リクソンの女性論 は,女性 の身体 的特徴 ,つ ま り 「肉体的土台」 か ら女性 を論 じる点 において, フロイ トの正統 な継承者 である。 フロイ トは男性性器 だけで男女の発達 をとらえた。その結果,男根 の欠如態 として女 性 をとらえて しまった。 これ に対 して,エ リク ソンは

,

「男根 の優位 で はな く,性器 の優位 を 主張 した」。 この ことによって,エ リクソンは,

フロイ トの男性優位思想 をの りこえる男女平等 の女性論 を展 開 しようとした。 しか し,性器 と い う解剖学的特徴 に女性 の原理 を置 こうとした にもかかわ らず,他方 において,エ リクソンは, 家事 や育児 とい う社会的役割 まで解剖学的属性 か ら説明 して しまった。

女性 の社会的役割 は文化 的社会的に規定 され た ものであ り,肉体 的 に規定 される ものではな い。 この ような誤謬 をエ リクソンは犯 して しま った。 こjMま 「本質主義的な性差観」が もつ誤 りだ, と須川はい う。

そ して,次稿 で,エ リクソンの批判的継承者 であるギ リガ ンの議論 を取 り上 げて,女性 の道

徳性発達 と 「ケアの倫理」 をめ ぐる本質主義的 な問題 とその超克の可能性 を検討す る予定 を告 げて, この論文 は終 る。

***

昨年 は須川の論文 と私 の論文の2本 を載せ た が,今 回は須川論文 1本 となった。私 の論文が ない理 由は忙 しさにか まけた とい う以外 にない が,少 し言い訳 めいた ことを書かせ て もらいた

い。

正直 な ところ, この共 同研 究 に2年 目がある とは思 ってい なか った。 「道徳性 の発 達」 を継 続的に研究す る意図が なか った とい うわけでは ない。共 同研究 とい う形で続 ける とは思 ってい なか った とい うことである。現在 で もわた した ちの間にこのテーマで共 同研 究 を してい こうと い う約束があるわけではない。そ うい う意味で は,実 に軽 いノ リで出発 した。 む しろそ うい う

「軽 さ」 ゆ えに, ピアジェについての論文 を書 きは じめることがで きたのだ と思 う

大学で教授す る者の役 目は, 自分 の講義す る 授業のテキス トない し講義 ノー トをつ くること と,そ して, 自分の専 門領域 の研 究論文 を書 い てい くこ とであ る。 そ う言 ったの は, た しか, 我妻栄 だった と思 うが,大学教員 の教育的役割 が どんなに比重 を増 して も,研 究 を抜 きに して その職業 は成立 しない, とい うのは真実 だ と私 も思 う。本学 に採用 されたのは教育心理学の担 当者 としてだが,出 自的 には,私 は教育哲学 を

‑ 123‑

(2)

神奈川大学心理 ・教育研 究論集 第 27号 (2008年3月31日)

専攻 した者である。教育心理学 は 自分の専 門領 域ではない。

一般論 としていえば,教育哲学 を専攻 した者 が教育心理学 を教授す るとい う事態 はそれほ ど 異常ではない。かつてマ ックス ・ウェーバ ーの 研究者 としてその筋で名 を知 られた人 間が,覗 在ユ ング心理学者 として振舞 っている とい う現 実 もあ る。そこにはおそ ら くある種 の コンヴァ ージ ョン (回心)があ ったのだろ う。 しか し私 が教育心理学担当者 として採用 されたのは,た んなる偶然,あるいは巡 り合せ の成せ る業 とい うべ きものであって,別 にコンヴァージ ョンと い う個人的 自覚があったわけではない。

** *

大学 院当時,私 は堀尾 (輝久)ゼ ミのゼ ミナ リステ ンで もあったが,そ こでは発達論 をテー マ としていた。

心理学者 として ピアジェや ワロ ン,社会学者 としてデュルケ‑ム,そ してマルクスなどが堀 尾 の関心であ り,堀尾 が ピアジェで問題 と した のは ピアジェ本来の問題意識である個 人の発達 と社会の発展 の平行性 とい うものだった。 ピア ジェをたんに発達心理学者 ととらえるのではな く

,

「発生 的認識論」 とい うピアジェ本来 の思 想 その もの を考 えることが,教育思想研究者 と

しての堀尾 の関心であった。そ うい う中でゼ ミ の一員 として私 もピアジェや ワロンの文献 を読 んだ。

試行錯誤 と妥協 の中で,私がや っと専 門領域 として見つけたのは,青年期教育 とい う (社会 学的関心 と人間発達が混 じり合 う) 中間領域で あ り,当時青年期論 として もてはや されたのが エ リクソンであった。今で もエ リクソンは青年 期論 を考 える ときの第 1準拠枠 である。 しか し 私 は, ピアジェやエ リクソンに関す る論文 を書

くほ どに読 んだわけではない。門前の小僧 ほ ど には習い覚えた とい う程度である。

***

その ような事情か ら,教育心理学の授業では, 認知発達 をピアジェでや り,人格発達 と青年期 論 をエ リクソンでや った。教育心理学の標準 的 なテキス トの内容 も少 し含めたが, ピアジェ と エ リクソンが わた しの教育心理学の中心骨格で ある。 ピアジェとエ リクソン以外 で きない, と い う開 き直 った気持 ち とい った方が よいか もし れない。

10年 たった今で も私の授業の中心 はこの2人 である。多少話す内容が増 えたせいで,2人 に ついて話す時間は減 りは したが,私 の教育心理 学では認知発達 は ピアジェ,人格発達 はエ リク ソンとい うのが,中心骨格 に変 りない。

講義 をは じめて数年 して,講義 ノー トをつ く ってみた。 は じめる と新 しく勉強す る ものへの 興味が湧 くか ら,それ を反映す るようにつ くり 直 した くなる。2008年4月か らはVer.5になる

講義 ノー トは,最初 「レジメ」 と して始 めた。

ただ し 「レジメ」 とは言 って も,全13回分で原 稿用紙120枚程 あ った。現在 で は 「教育心理学 講義概 要」 と名称 を改め,容量 も倍増 した。 こ のテキス トは,わた しが勉 強 したことの レポー トで あ る。 「他 人の禅 で相撲 を取 る」 とい うの が,私 の授業 の基本姿勢 だが

,

「他 人の

」 が 学問分野の蓄積 を意味す る限 り,それ も1つの 授業ス タイル として許 されるだろう

しか し,わた しの場合 ,そ こに私の研究 とい える ものが まった くないわけであ る。 だか ら, 授業 を しなが ら,教育心理学のペーパ ー (と自 分で思 える もの)が ない ことに伍恨 たる思いが ある。ふつ うには,我妻 のい う第2課題 の専 門 研 究 は,第1課題 の授 業 の一部 となってい る。

私 の場合,教育心理学へ 回心 しなか ったのだか ら,教育心理学の研 究論文が生 まれるはず もな

い 。

しか し,そ う強弁 してみて も, 自分が ノー ト をつ くり,そ こへ の記載 にあたっては一定の評

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(3)

価 を迫 られる。やは り少 しは, 自分 の禅 で相撲 を取 らねばな らな くなったのであ る。 だか ら,

「道徳性 の発達」 とい うテーマ に魅 かれて,か って堀尾 ゼ ミで文献 に挙 げ られていた ピアジェ の 『子 どもの道徳判断』 をきちん と読 んでみた

くなった。

***

大学院時代 ,私が ピアジェをどこまで理解 し たかは怪 しい。

堀尾 ゼ ミでの 1つの成果 は, ピアジェの論述 は難解 だ とい うこ とを知 った ことであ る。 (ち なみ に, ワロ ンは もっと難解であ り,理解不能 に近い。それゆえ, ワロンについて講義では触 れない。)

しか し, ピアジェには,理解 しやすい部分 も あ る。その議論 には正当性がある。そ うい う感 触 を抱 いたの も事実である

ピアジェの議論 の正 しさは,行動主義の国ア メ リカにおいて ピアジェが受け入れ られた こと に端的に示 されている。 ただ しそれは, ピアジ ェを発達心理学者, と りわけ認知発達の研究者 と して受容す るとい うものである。 ピアジェ自 身は自分 の研究 を 「発生的認識論」 と呼び,栄 達心理学 はその一部で しかない。 しか し,受 け 入れ られたの は認知発達 を中心 とす る発達心理 学の部分 だけである。 この部分がた しかに理解 しやすい。それは,実験心理学 に基いた普遍性 をもっている。

道徳性発達 の部分 も,アメ リカ的合理性の風 土 の 中で コー ルバ ー グに よって発 展 させ られ た。道徳性の発達 に関す る ピアジェの主張 も正 しい といって よい と思 う。 しか し,道徳性 の発 達 に どこまで普遍性 を認めるかは微妙 な問題 と なる。 「道徳発達 における文化 的規走性」 とい う難問 に出 くわすか らだ。わが国の戦時下 にお いて波多野完治が ピアジェの 『子 どもの道徳判 断』の全面的 な紹介 を断念 したことに,その問 題の重要性 は象徴的に示 されている

道徳性の発達 について (その2)」 の前書 き

私が教育心理学の講義で扱 うのは,文化 的普 遍性 をもって正 しい とされる ピアジェの認知発 達の部分 だけであ り,道徳発達 は含めていない。

半期2単位 とい う時間的制約 もあ る。教育心理 学の内容 として道徳発達 を含めるべ きか とい う 問題 もある と考 えてい る。いやそれ以前 に, ど アジェの道徳発達 の主張 を,私が 自信 を持 って 評価 で きない とい うことが,第1の原 因 とい う べ きか もしれない。

そ うい う状況の中で昨年偶然 に も, ピアジェ を読 む機会 を与 えられた ことは貴重 な経験 だっ た。やは り原典 に接 しては じめてわか ることが ある。当然他 人の評価 と私の感触が ちが うとこ ろ もあ る。 同一 の物 を見 て も,その色 の感 じ, 色合 いは,人それぞれ に異 なる。色彩感覚 につ いて,そ う言 われる。価値 的 な道徳性 を扱 うの だか ら,その判断が対立 して も驚 くにあた らな い。 ピアジェの道徳発達の捉 え方 に普遍性があ るのか。それは大 きな問題である。

それはひ とまず脇 において, ピアジェの主張 を内容的に理解す ること,それが私 の当面 の課 題である。昨年の論文 はその端緒である。

ー 125‑

参照

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