歌語「むなしき空」考 : 和歌の風景
著者 生澤 喜美恵
雑誌名 同志社国文学
号 32
ページ 26‑37
発行年 1989‑03
権利 同志社大学国文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000005037
歌語﹁むなしき空﹂考
歌語﹁むなしき空﹂考
中世和歌の風景
はじめに
歌語﹁むなしき空﹂の用例の一っに次のような歌がある︒
百首歌中に
花はちりその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる o ︵新古今・春上・一四九 式子内親王︶
﹁正治二年院初度百首﹂の春題で詠まれたものである︒新古今集
の宮内庁書陵部蔵鷹司本や式子内親王集の諸本の中には︑第五句を
﹁春風ぞ吹く﹂とするものがある︒﹁風﹂は花を散らすものとして︑
新古今集においても巻二︵春歌上︶の一四九番より前に配列された
歌に散見される︒この配列上の有利さをもちながら︑新古今集諸本
で﹁風﹂本文が独自異文である事実は︑新古今集本文としては﹁春
雨﹂を採るべきであることを示唆している︒ 一エハ
生澤 喜美恵
式子の歌が﹁正治二年院初度百首﹂の際に︑いずれの本文で詠進
されたかは依然問題であるが︑久保田淳氏が次のように評されてい
るのは興味深い︒
鷹司本の独自異文は︑前出の良経の一四七番の作との混清の結果かもし
れない︒歌として﹁春雨ぞ降る﹂のしっとりとした情感の方が逢かに良
い︒﹁春風ぞ吹く﹂では情感がかさかさになってしまう︒良経の歌は虚
無的なイメージでもっている︒しかし︑この女歌は春雨の情感を抜きに @ しては成り立たない︒
一四九番に対する漢然とした印象をよく代弁してくれているが︑説 明されるべきは﹁春雨の情感﹂であろう︒参考歌に考えられる歌に
あめふる日︑女につかはしける おもひあまりそなたのそらをながむればかすみをわけて春さめぞふる
︵新古今・恋・一一〇七 俊成︶
がある︒恋人に雨が降ることを詠み贈り︑それが自己の嘆きを象徴
していることから︑﹁雨﹂が伊勢物語第百七段で詠まれた﹁身をし
る雨﹂を指示していることに気付くのである︒
かずかずにおもひおもはずとひがたみ身をしる雨はふりぞまされる
一古今・恋四・七〇五 業平︶
このように恋歌の世界では︑恋のつらさに嘆く側によって雨は﹁身
を知り﹂流す涙とされるのであり︑この涙雨への連想を式子の歌で
は﹁春雨﹂で喚起し︑﹁情感﹂に高めているということもできよう︒
それでは︑その雨が空に降るということが︑式子歌ばかりでなく︑
俊成歌においても︑何故強調されているのだろうか︒その鍵を握る
のが︑第四句﹁むなしき空﹂であると私は推測するのである︒式子
の歌についての同じ疑問をめぐっては︑既に奥野陽子氏が一首に収 @敏させて論じ︑﹁春雨﹂が目に見えないものと詠まれることを指摘
された上で︑
﹁むなしき空﹂の意味も︑何者かの不在を意味する相対的な﹁むなしき
空﹂から︑絶対的に﹁むなしき空﹂への転換がみられるとしなければな
らない︒
と述べられ︑﹁春雨﹂と﹁空しい空﹂が両立するものと結論づけら
れた︒ しかし︑奥野氏は触れられなかったが︑歌語﹁むなしき空﹂は成
立とその後の変遷をたどると︑その内包する風景は︑けっして﹁空
歌語﹁むなしき空﹂考 しい﹂空ではないと思われるのである︒﹁むなしき空﹂は新古今時代を中心に集中的に用いられた歌語であるが︑その風景を明らかにして︑鎌倉初期の和歌世界をより具象的に把握する一助としたい︒
虚しき空・空しき虚
古今集から玉葉集までの勅撰集に現れる和歌における﹁むなしき
空﹂の用例を数えると次の表1のごとくとなる︒
一表−一古 今
新古今
七 後撰
新勅撰 拾遺
続後撰
三 後拾遺続古今 金 葉続拾遺 詞花
新後撰 千 載
玉 葉
他の集では一首あるかどうかという状況である中で︑新古今集・新
勅撰集.続後撰集の三集における集中的な用例増加が注目されよう︒
しかし︑﹁むなしき空﹂は古今集ですでに用例を見ることができる
のであり︑古今集を歌ことばの範とする新古今集時代の歌人がその
影響を受けたことは容易に想像される︒まず︑古今集・後撰集の用
例を次に見ておきたい︒
﹁むなしき空﹂は万葉集には用例は見られないのであり︑参照で
きる最も早い例が次の古今集の例ということになる︒︵なお︑私に
二七
歌語﹁むなしき空﹂考
傍線を施した︒︶
わがこひはむなしきそらにみちぬらし思ひやれどもゆく方もなし
︵古今・恋一・四八八・読人不知︶
右の歌においては自らの恋の思いがあまりに広がって︑もう﹁ゆく
方﹂もないというのであるから︑﹁むなしき空﹂は﹁大空﹂の意で
使われていると考えられる︒また︑一方で恋が﹁むなし﹂︑つまり︑
思いが受けとめられない空虚さを表す掛け詞にもなっている︒次に
挙げる後撰集や古今六帖の例も﹁大空﹂という意に﹁むなし﹂を掛
けるという点で古今集の用例と一致している︒
返ことせぬ人につかはしける よみ人しらず
打わびてよは・む声に山びこのこたえぬそらはあらじとぞ思
返し
山びこのこゑのまにくとひゆかむむなしきそらにゆきやか一らん
︵後撰・恋五・九六九︑九七〇︶
あま雲のよそなる思ひつけしよりむなしき空になりわたるかな
︵古今六帖・第一・あまのはら・二五九︶
このように﹁むなしき空﹂が大空の異名として用いられているのは︑ @小沢正夫氏や奥村恒哉氏が既に指摘されているように︑漢語の﹁虚
空﹂に拠る可能性が高い︒﹁虚空﹂は次に挙げた荘子や中唐の詩人
の作品の他︑王維・李白・杜甫など盛唐の詩人の作晶にも多数見ら
れるのであり︑本朝の歌人が容易に見い出せる漢語といえる︒ 二八
逃劇空者︑聞人足建然而喜実︒ ︵荘子 徐無鬼︶
近来自説尋担塗 猶上劇翌跨緑駅 ︵中唐・韓愈﹁寄盧全﹂︶
劇空無霊応 終歳安所望 ︵中唐・張籍﹁学仙﹂︶
また︑﹁空﹂も﹁むなし﹂︑﹁虚﹂も﹁そら﹂と訓まれるのであるが︑
﹃大漢和辞典﹄の﹁空虚﹂の項を見ると︑﹁空虚﹂が﹁虚空﹂の異名
でもあることがわかる︒
﹁空虚﹂一むなしい︒から︒又︑からになること︒ 二そら︒虚空︒
三物たりない気持︒
この空虚も典拠に加えるならば︑その用例はさらに増える︒
断巨延︑榑玄援︑騰空虚︑距連巻 ︵前漢・楊雄﹁羽猟賦﹂文選・巻八︶
避席脆自陳 賎子實碧圃 ︵魏・応臓﹁百一詩﹂文選.巻二十一︶
省圃寒競競 風気較捜漱 ︵中唐・韓愈﹁南山詩﹂︶
したがって︑古今集において登場した歌語﹁むなしき空﹂は漢詩文
受容の過程で生まれたと考えるのが妥当なのである︒
また︑勅撰集に用例が見えない拾遺集・後拾遺集時代の﹁むなし
き空﹂を私家集に探すと︑早い例として中務集と和泉式部続集の例
が得られる︒
また︑ひと
たのめともむなしきそらをながめつつしのひにそでのぬれぬ日ぞなき
︵中務集・一五八︶
ならはぬさとのつれづれなるに
あけたてばむなしき空をながむれどそれぞとしるき雲だにもなし
一和泉式部続集二八二一
何故︑空を眺めるのかは和泉式部の歌において︑より明らかーになる 0だろう︒すなわち︑清水文雄氏によれば文選・巻十九﹁高唐賦﹂︑
楚の嚢王が︑昼寝の夢で巫山の神女と契ったという故事に拠るもの
なのである︒神女は別れる際に︑次のように言う︒
去辞日﹁妾在山之陽︑高丘之阻︒旦為朝雲︑暮為行雨︑朝朝暮暮︑陽雲
豪之下︒﹂
和泉式部もこの故事を承知していただろうが︑この故事は古今集の
段階で次の七四三番のように受容されており︑空を恋人の形見とし︑
さらには雲を面影とする考え方が中務や和泉式部のころにはすでに
定着していたと思われる︒
おほぞらはこひしき人のかたみかは物思ふごとにながめらるらむ
一古今・恋四・七四三 酒井人真一
中国の故事を踏まえるとき︑﹁大空﹂を用いるより︑漢語の翻訳語
である﹁むなしき空﹂の方が︑なるほどふさわしいといえよう︒恋
歌においてはその後︑﹁雲﹂を﹁おもひ︵火一﹂の﹁煙﹂が化したも
のという展開などを加えながら︑﹁空﹂を形見とする詠作が継承さ
れていく︒
歌語﹁むなしき空﹂考 恋の心をよめる こひわひてたえぬおもひのけぶりもやむなしきそらのくもとなるらん 一金葉・恋下・四六五 忠教一新古今時代の小侍従は︑﹁高唐賦﹂に直接拠って次のような歌を成している︒ 後京極摂政家百首歌よみ侍けるに くもとなり雨となりても身にそはばむなしきそらをかたみとや見む 一新勅・恋五二八三〇 小侍従一もちろん︑﹁むなし﹂を掛け詞とする点︑古今集四八八番と同様である︒ こ く・つ 二 虚 空 古今集時代に多く生まれた翻訳語の一つが﹁むなしき空﹂と考えられるのだが︑佐藤恒雄氏は﹁新古今的表現成立の一様相 ﹃む @なしき枝に﹄﹃露もまだひぬ﹄をめぐって−﹂という御論考の中で︑﹁むなしき空﹂について次のように述べられている︒ 元来︑﹁むなしき空﹂は仏教語﹁虚空﹂に由来する表現であったに違い ないが︑既に古今集や後撰集に︑一用例略一とみえ︑以後それほど作例 は多くなくて︑新古今集に至って急に増え︑一中略︶要するに院政期以 降︑特に新古今時代に著しい表現であったことを跡づけることができる︒そもそも仏教語における﹁虚空︵こくう︶﹂は奥行の深い語である︒
二九
歌語﹁むなしき空﹂考
たとえば︑岩本裕氏の説明では次のようなことになる︒
佛教的には︑﹁虚空﹂は一切の現象的存在が存在する場としての空間︒
無擬︵さわりなく︶・無障︵さえぎられることなく︶︑広大にして一物
もない意にも理解する︒特に道元は︵中略︶﹃眼蔵﹄︵虚空︶﹁かくのご
とくの虚空︑しばらくこれを正法眼蔵浬繁妙心と参究するのみなり﹂と ゆ 言って︑虚空に特別な宗教的意義を付托していることが知られる︒
すなわち︑﹁虚空﹂という空問は無常ではないのである︒中村元氏
の説明も挙げておこう︒
空問の意︑おおぞら︒空中︒虚・空ともに無の別称である︒虚にして形
質がなく︑空であり︑その存在が他のものに障害とならないがゆえに︑
虚空と名づけると解する︒﹃倶舎論﹄︵一巻三ウ︶では﹁虚空とは擬げの
ないことである﹂︑﹁虚空とは擬げのないことを特性とするものであって︑
色がその中に行処を占める一と説明される︒仏教では﹁:はなお虚略の
ごとし﹂のように︑よく無限・遍満を表す場合のたとえに用いられる︒
たしかに︑古今集や後撰集に見られた﹁むなしき空﹂は︑﹁虚空﹂
が意味する広大な空の意で用いられてはいたが︑それは典拠が仏典
・漢籍の別なく︑本朝の人々が自然に有していた大空の捉え方と考
えられるのである︒仏語も漢語で書かれているという限りにおいて
は︑翻訳語としての典拠に加えることが可能であるが︑仏教語﹁虚
空﹂が仏教教理の中でも重要な位置づけを成される語であることと︑
歌語の﹁むなしき空﹂が恋歌において仲らいの疎遠を嘆くために用 三〇いられ始めたという点に注目すれば︑仏教語由来の可能性は少ないと思うのである︒ しかし︑平安中期以降における﹁むなしき空﹂の用例をたどると︑この歌語が仏教語由来と誤解されたことも納得されるのである︒これまで見てきた例では﹁むなしき空﹂は大空の異名以上の役割は果たしていなかったようであるが︑大空と置き換えたのでは歌意が伝わらないと思われる例が︑見られるのである︒ 内侍のうせたる頃雪の降りて消えぬれば などてきみむなしき空にきえにけんあは雪だにもふれはふるよに ︵和泉式部集・四七三︶ 後朱雀院かくれたまひて︑源三位がもとにっかはしける あはれきみいかなる野べの煙にてむなしき空の雲となりけむ ︵新古今・哀傷・八二一 弁乳母︶ 母のおもひに侍りけるころ︑又なくなりにける人のあたりよりとひ て侍りければ︑っかはしける 世中はみしもききしもはかなくてむなしき空は煙なりけり ︵新古今・哀傷・八三〇 清輔︶右の三首はそれぞれ︑和泉式部は娘小式部内侍を︑清輔は母を偲び︑陽明門院の乳母︑弁乳母は︑後失雀院乳母の源三位に哀傷歌を贈るのである︒特に弁乳母が後朱雀院が﹁むなしき空の煙と﹂なったと詠むことの背景には仏教語﹁虚空﹂の影響が窺え︑故人が無常の世から無限の世界へと旅立ったことを詠んでいると思われるが︑一方
で︑残された者の﹁むなしき﹂感情をも表現している︒つまり︑和
泉式部らは仏教における﹁虚空﹂を理解してその翻訳語として﹁む
なしき空﹂を用いようとしているが︑この世でより長く故人とまみ
えたかったと希望しする哀惜の気持ちから無常観には達せずにいる︒
平安中期以降︑法文歌が作られるようになるなど︑仏教と和歌の
交渉が盛んになったとき︑仏教語の﹁虚空﹂を表現するために︑す
でに歌語として成立していた﹁むなしき空﹂が用いられたのは自然
の推移といえる︒ところで︑先に見たように平安朝では︑古今集の
伝統に沿った﹁大空﹂の異名としての用例も存するのであった︒し
かし︑たとえば︑和泉式部続集の﹁あけたてば﹂歌はいわゆる﹁帥
宮挽歌群﹂に含まれており︑追慕の情自体は存命の恋人に対して以
上の熱情を感じさせるものの︑﹁むなしき空﹂という表現には︑無
常の世を離れ︑世界を違えてしまった亡き帥宮との隔絶の思いが込
められていると考えることもできる︒﹁虚空︵こくう︶﹂の意味を和
泉式部が知っているならば︑そのことからもはや自由ではあり得な
いように私には思われるのである︒和泉式部と同時代の大斎院選子
内親王は法文歌において︑経文の﹁虚空﹂を﹁おほ空﹂と詠みなし
ている︒
仁王経上巻 世諦幻化起︑警如虚空花
おほ空に咲きたるはなの吹くかぜに散るを我が身によそへてぞみる
歌語﹁むなしき空﹂考 一発心和歌集・二〇一 ﹁大空﹂という空間を仏教語﹁虚空﹂を思わずには見られない人々もいたであろうことが推測されるのである︒
三 ﹁むなしき空﹂の風景
無常歌や釈教歌の詠作機会が増すことによって︑﹁むなしき空﹂
は﹁虚空︵こくう︶﹂の翻訳語の様相を帯びてくるのであるが︑そ
れに伴い︑空に浮かぶところの﹁くも﹂の意味にも恋人や故人の面
影ではない仏教的な比瞼としての役割が付加される︒
崇徳院に百首歌たてまつりける無常歌
世中をおもひつらねてながむれはむなしき空にきゆるしら雲
︵新古今・雑下・一八四六 俊成一
右の久安百首の無常歌では︑思うことによって﹁雲﹂を消すことが
できたと詠み︑今まで見てきた例とはまったく異なる﹁雲﹂の扱い
が成されている︒俊成の歌とは反対に﹁雲﹂を消すことができない
事を嘆くのが次の後鳥羽院の歌である︒
おしなべてむなしき空のうすみとりまよへはふかき四方の浮くも 0.︑ 一後鳥羽院御集・一七六七・撰歌合 法文一
すなわち︑﹁雲﹂は仏教的観想の﹁虚空﹂に浮かぶ妄想の比瞼なの
である︒また︑これらの例から﹁むなしき空﹂には﹁雲﹂が浮かぶ
三一
歌語﹁むなしき空﹂考
ことがわかる︒この意味において︑﹁むなしき空﹂を﹁何もない空﹂
などと置き換えては︑誤解を与えるものということができるのであ
るが︑次の堀河百首歌の場合のように︑祝意を述べるという目的上︑
﹁むなし﹂を掛け詞にしない明らかな例もある︒﹁むなしき空﹂から
﹁虚空﹂を想起させ︑広大無辺のイメージを基に時空間の広がりを
図っているわけである︒
月みてもむなしき空にあまるまで君が千代へん事をこそ思へ
︵堀河百首・述懐・一五七一 国信︶
さらに︑御鳥羽院歌から︑空虚な印象が強い﹁むなしき空﹂の色
彩を﹁みどり﹂と認識していることが知られる︒もっとも︑﹁そら﹂
を﹁みどり﹂と認知するのは︑現代の我々が﹁青﹂と認知するのと
同様に当時の共通感覚であったようであり︑﹁みどりのそら﹂とい
う歌語も貞信公忠平息︑帥氏の例を早い例として見い出すことがで
きる︒ ひさかたのみどりのそらのくもまよりこゑもほのかにかへるかりがね
︵新勅撰・春上・四九 帥氏︶
かすみはれみどりのそらものどけくてあるかなきにあそぶいとゆふ
︵和漢朗詠・晴・四一五 読人不知︶
また︑歌語の成立の際に︑﹁翠空﹂などの漢語の影響を受けたであ
ろうことは︑和漢朗詠集に用例が見られることからも想像されるの 三一一だが︑勅撰集としては新勅撰集の例が初出であり︑現存の用例はほとんど︑新古今集時代前後に集中していることが注目される︒さて︑
一般的に﹁みどり﹂と認識していたにしても︑﹁そら﹂が色彩を持
っということは︑﹁色即是空空即是色﹂に通じるため仏教的立場か
ら特別な感慨を持たらす事実なのである︒
おなじ百首のとき︑色即是空空即是色の心をよめる
むなしきも色なるものとさとれるやはるのみそらのみどりなるらむ
︵千載・釈教・二三九 宜秋門院丹後︶
後法性寺入道前関白家百首歌に︑般若心経︑色即是空︑空即是色
くももなくなぎたるそらのあさみどりむなしき色もいまぞしりぬる
︵続後撰・釈教・六〇八 皇嘉門院別当︶
﹁そら﹂を﹁みどり﹂と見ることがむしろ︑重要でさえあるような
のである︒
釈教歌の理解には経典に対する理解が要求されるため︑仏教文学
の立場から主に論じられ︑法文の出典などが明らかにされてきてい
る︒筆者はそれらの成果を敬して利用させていただくだけで︑それ
らの経典に対しては浅薄な理解しか持ち合わせないのであるが︑あ
えて︑和歌世界の風景を成す資料として参照していきたいと思うの
である︒釈教歌において﹁雲﹂は晴れるべきものとして空にあるよ
うだが︑在るべきものとして詠まれるのが﹁月﹂である︒
菩薩清涼月 遊於畢寛空
雲はれて空しき空にすみながらうき世中をめぐる月かな
一新古今・釈教・一九五二 寂然一 夏日舎利講演次同詠十如法文和歌
是報如の如如のことわり十にしてむなしき空に秋のよの月
︵拾玉集・四二〇八一
寂然歌の歌題となっている﹃華厳経﹄の句に明らかなように︑﹁月﹂
は菩薩を表している︒こうした例は非常に多いが﹁月﹂の風景につ
いては別の機会に考えることにして︑ここでは﹁むなしき空﹂の主
な要素として﹁月﹂があることを確認しておきたい︒
また︑﹁むなしき空﹂には妄想の雲以外に﹁紫雲﹂が浮かぶこと
があるようである︒
普門品︑心念不空過
おしなべてむなしき空と思ひしにふぢさきぬればむらさきの雲
一新古今・釈教・一九四四 慈円一
@右の歌において︑﹁むなしき空﹂を﹁何もない空﹂とか﹁何もない @虚空﹂と解すると︑心澄むという望ましい状態にあることを印象づ
けているのに︑藤の開花を契機に妄想の比職である雲が新たに現れ
たことを詠むのが︑不可解である︒極楽浄土を暗示する﹁紫雲﹂を
はたしてそのように扱うだろうかと疑われるのである︒また︑﹁こ @の世は総じて一切が空であると思ったのに︑﹂と﹁そら﹂とは関係
なく解してしまうと﹁むらさきの雲﹂との関係が弱くならないだろ
歌語﹁むなしき空﹂考 うか︒散るために咲くような無常の存在︑花を契機に無常を真に知るとき︑藤を藤としてではなく︑観音と結びっく紫雲として観ることができると解してはどうであろう︒﹁むなしき空﹂を﹁みどりの空﹂かつ心中の虚空と考えれば︑眼前の紫雲を思わせる藤と紫雲から連想される心中の観世音菩薩にそれぞれ対応すると思うのである︒ 仏教文学としての釈教歌については︑類型的︑あるいは真の無常観に達していないなどの評価が聞かれるのであるが︑和歌文学の立場から見れば︑風景がどのように類型化されているかが︑むしろ興味深い点だと考えるのである︒しかしながら︑以上にみてきたように︑﹁むなしき空﹂にっいては風景として省みられることが少なかったように思われる︒仏教と和歌の交渉を経た後︑さらに︑釈教歌がその他の和歌に影響を及ぼすことが考えられてよいのではないだろうか︒
四 方法としての仏教語
定家に次のような詠歌がある︒
建久八年︑秋歌あまたよみける中に
ながめっっおもひしことのかずかずにむなしき空の秋のよの月
︵拾遺愚草・二二五三一
秋の夜の月に﹁ながめっつおもふ﹂ことは次の歌どもにも詠まれて
三三
歌語﹁むなしき空﹂考
いることであり︑秋歌の類型的な発想である︒
ながめっっおもふもぬるるたもとかないくよかはみむ秋のよの月 ︵新古今・秋上・四一五 段富門院大輔︶
ふくるまでながむればこそかなしけれおもひもいれじ秋のよの月 ︵新古今・秋上・四一七 式子内親王︶
それでは︑定家歌の特徴はどこにあるのだろうか︒まず︑﹁かずか
ずに﹂が伊勢物語第百七段の業平歌を想起させ︑そこから︑﹁身を
しる﹂を導くことができる点である︒また︑﹁秋のよの月﹂が﹁む
なしき空﹂に在るという点で︑風景ということに関しては先の慈円
の法文歌と同じであるということも看過できない︒ここでは︑定家
歌の裏に潜む仏教意識を指摘しようと試みるのではなく︑問題にし
たいのは︑表現上の効果である︒﹁身をしる﹂のが無常感において
か︑恋愛においてかは明らかにはされていない︒しかし︑しみじみ
とした思いに耽る者の眼前の風景を︑釈教歌において虚空に浮かぶ
菩薩の比瞭である表現を用いた場合︑そのことに思い至らないわけ
にはいかないのであり︑風景はより清澄なものと感じられる︒﹁む
なしき空の秋のよの月﹂とはそのような効果を有する表現ではない
かと推測するのである︒
そこで︑最初に挙げた式子の歌をもう一度見てみたい︒﹁むなし
き空﹂といい︑﹁色﹂という言葉使いはやはり︑仏教的な風景を暗 三四示しつつ詠んでいると考える必要がある︒まず︑﹁春雨﹂について見ておきたい︒式子歌に対する次のような鑑賞がある︒ 色美しかつた桜@のあとの︑むなしい空の春雨とともに︑やるせない寂し さが無限に広がる︒
つまり︑風景は寂摩としたものであると考えているのである︒一方︑
釈教歌において︑﹁雨﹂は法の雨として衆生である草木を潤すはず
のものであるが︑草木の在り方によってその潤い方が変わるとして
詠まれている︒
法華経薬草瞼品の心をよみ侍りける
おほぞらの雨はわきてもそそかねどうるふ草木はおのがしなじな
︵千載・釈教・二一〇五 源信︶
和歌における﹁雨﹂はコ涙雨﹂﹁身を知る雨﹂﹁五月雨﹂など様々で
あるが︑その中の﹁春雨﹂の詠まれ方は草木特に︑青柳を潤すもの
であり︑法雨と共通する︒桜に降る雨が新芽を育ませる暖かい雨で
あることは︑釈教歌を参照しなくても想像できることである︒恋歌
における﹁涙雨﹂を思い起こす以前に︑﹁春雨﹂には﹁情感﹂が備
わっているといえる︒したがって︑少なくとも﹁春雨﹂という現象
から﹁寂しさ﹂を導くのには無理があると思うのである︒次の二首
は眺めているとき降りだした春雨を詠むという点で式子の歌と似る
が︑霞と並ぶ春の特徴的な風景として詠じている︒
ながめするみどりの空もかきくもりっれづれまさる春雨ぞふる
一長秋詠藻・七・久安百首 春︶
ながめっるよもの木末のむら霞ひとっになりぬ春雨の雲
︵正治初度百首・春・六二〇 慈円一
春雨を眺めていた景を腱化させてしまうべールのようなものと扱っ
ている点が注目される︒
また︑﹁むなしき空﹂は﹁虚空﹂として種々のものを内包するこ
とはすでに述べたが︑この場合も﹁何もない空﹂や﹁むなしい空﹂
と解する必要はないと考えるのであるが︑奥野氏は春雨は目に見え
︑ @ない細カいものとして﹁むなしい空﹂に包含されると考えられた︒
しかし︑﹁むなしい空﹂が次のように目には確かに見える五月雨を
降らせる用例もあることを示しておきたい︒
さみだれはむなしき空にみちぬらし行かたみえずあくる白雲
︵洞摂政家百首・五月雨・四一八 基家︶
なお︑式子歌の新古今集の配列上の直前の歌は次のような歌であ
る︒ 故郷の花のさかりはすぎぬれどおもかげさらぬ春の空かな
︵新古今・春下・一四八 経信︶
﹁そら﹂に花の面影を見ている点において︑後ろの式子歌と呼応さ
せようとする編者の配列編成上の意図を読みとることが可能であろ
歌語﹁むなしき空﹂考 う︒式子の歌は﹁その色となくながむれば﹂とはあるが︑第一句で眼前に花の無いことを明確にした点で︑﹁花﹂の面影を見ていることを吐露しているも同じである︒俊成には﹁みどりの空﹂︑慈円には﹁よもの木末﹂というように︑眺めにも対象があるのであるが詠者は何処を眺めているのだろうか︒第四句において視点が上方に向けられていたことが示されているので︑遠くの木々︑あるいは空であろうことがわかるが︑配列の中での前歌との関係を尊重し︑また︑﹁色即是空空即是色﹂の反映を読みとれば︑空が眺めの対象ということになるであろう︒したがって︑式子歌の世界では︑知らず知らずに面影を求めて桜色に見なそうとしていた空が︑気がつくと︑本来の﹁みどりの空﹂に戻り︑浮かぶ雨雲︑さらにすべてのものに薄い覆いを掛ける春雨が降るという情景に転じる︒私はこの展開こそがこの歌のすばらしさだと考えるのである︒詠者は花の季節が終わったことをしみじみと思い入るのであり︑けっして︑悲しみや寂しさに陥るというのではないだろう︒恋愛的な情感や仏教的な意味を読むこともまた︑可能であるが︑本稿では春歌としての風景を明確にすることにとどめたい︒
おわりに
式子の歌では﹁虚空﹂を﹁むなしき空﹂と置き換えることによっ
三五
歌語﹁むなしき空﹂考
て︑仏教世界で説くところの清澄さや広大さを映そうとしていると
考えたいのである︒つまり︑いわゆる本歌取りや物語取りが本歌や
物語の世界を引用句に凝縮して映しだすのと同様な方法と考えるわ
けなのである︒﹁むなしき空﹂の用例は︑表皿に見るごとく︑釈教
歌や無常歌中心に見られたのであり︑四季歌の例は少ない︒歌人な
らばほとんどが釈教歌を詠む中世において︑そうした状況で四季歌
や恋歌に﹁むなしき空﹂を用いている場合︑何らかの積極的な意図
があると考えられる︒新勅撰集の恋歌に入集している先掲の小侍従
の歌が︑それとわかるように文選﹃高唐賦﹄を本説としているのも
仏教的な﹁虚空︵こくう︶﹂でないことをむしろ︑明らかにしてい
るものと思われる︒
︹表皿︺ 部立ごとの﹁むなしき空﹂の用例
部立
勅撰集名新古今集
新勅撰集続後撰集 四季歌
○ 恋 歌
一一 雑 歌
一一 哀傷歌
一一 釈 教
一一 合計
七
三
﹁むなしき空﹂という歌語は︑本来は漢詩文受容語であったが︑
しだいに︑仏教語の翻訳語として用いられるようになっていった語
である︒しかし︑それは言葉の上での置き換え語になったのではな 三六く︑﹁むなしい気持になる空﹂から仏教的世界を内包した﹁そら﹂︑すなわち︑より広大で清らかな映像を映し出す語として︑風景を豊かにしていったことが窺えるのである︒ 注 ¢ 和歌の引用と番号は﹃新編国歌大観﹄による︒ @ ﹃新古今和歌集全評訳 第一巻﹄︵昭和五十一年 講談社刊︶ 錦仁氏﹃式子内親王全歌集﹄︵昭和五十七年 桜楓社刊︶ ﹁式子内親王の歌−﹁むなしき空﹂をめぐって1﹂︵﹃叙説﹄昭和 五十四年十月︶ 小沢正夫氏・松田成穂氏校注・訳﹃完訳日本の古典9古今和歌集﹄ ︵昭和五十八年 小学館刊︶脚注 @ 奥村恒哉氏校注﹃新潮日本古典集成 古今和歌集﹄︵昭和五十三年︶ ¢ 岩波文庫﹃和泉式部集・和泉式部続集﹄︵昭和五十八年︶ @ ﹃峯村文人先生退官記念論集和歌と中世文学﹄︵昭和五十二年三月︶所 収 ﹃日本仏教語辞典﹄︵昭和六十三年 平凡社刊︶ @ ﹃仏教語大辞典﹄︵昭和五十年 東京書籍刊︶ 0家隆によるこの歌に対する判詞を次に示しておく︒ ﹁法性のそら念来清浄なれども︑妄想の雲おほひぬれば︑正因仏性あ りともしらず︑このことわりをしらでは仏になる事かたし︑即一微塵の うちに法界ことごとくをさまる︑況柑一字の問に実相のことわりきはま れり︒﹂ @ 峯村文人氏校注・訳﹃日本古典文学全集 新古今和歌集﹄︵昭和五十 三年 小学館刊︶ @ 久松潜一氏校注﹃日本古典文学大系 新古今和歌集﹄︵昭和三士二年
岩波書店刊一
@ 久保田淳氏﹃新古今和歌集全評釈 第八巻﹄一昭和五十二年 講談杜
刊︶@ 前掲注@参照︒
@ 前掲注@参照︒
︹付記︺ 本稿は︑仏教文学会本部昭和六士二年度十二月例会における口頭発表
の一部に加筆したものです︒発表の席上︑あるいは発表後に御教示賜り
ました諸先生方に深く御礼申し上げます︒
歌語﹁むなしき空﹂考三七