論 説
マ ー ケ テ ィ ン グ 研 究 の 学 的 貧 困 性 を め ぐ る 論 議
上 沼 克 徳
VIV皿 皿1
目次
プロローグ
論駁1科学的方法ω
論駁2主題
論駁3科学的方法鋤
論駁4マーケティング科学論争
論駁5ハントによる科学哲学論争と一般理論構築の試み
エピローグ
ープロローグ
199
近年における社会.経済環境の変化は︑了ケティング研究に対して追い風をなしているように思える・かって私
が商業.マーケティング研究を専攻分野に選んだ.δ余年前とは︑ずいぶん様変わりした・当時・研究分野の外に出
商 経 論 叢 第32巻 第1号 200
れば・了ケティング研究は・下賎な学科目で︑商業実務か販売管理論の亜種としてしか理解されず︑例えば経済関
連科目の中にあっては・ある一定の場所を与え︑りれつつも擾下位に見据え・りれ為チ科目でしかなかった︒そして︑
そうした了ヶティング研究に対する蔑みや劣等意識は︑通常︑"社会魁rの女王〃として君臨して来た経済学に対し
てなされて来たのである・まして︑かかる状況ドにあっては︑了ケティング研究鳶チ的独・目性を有す至学問分野
であるとして考えていこうとする塑場など了ケティング研究者においてすり稀であった︒
恐らく・そこには幾つかの経緯なり理由があったように思われる︒第一は︑それが︑商取引や市場実務(ビジネス)
そのものを取り扱う学科目であるという}﹂とである︒すなわち︑ζしには︑商(行為)が︑非生産的で︑利幅(七冗買差
益)によって生計を営み・時として詐欺的です・りあったとして認φりれて来た︑また(わが国では)嚢⊥商とい.つ身
分制度のドで商人魑が最ド位に位置づけられて来た︑という経緯があるのかも知れない︒経験的凄としての商行
為やビジネス事象と・それらを認識対象とすることによって成享る商叢rや了乞丁イング研究とはもともと次︑兀
が異なるのであるが・実際問.題としてイメ←的に.両者が覆混同されて来てしまった︑とい.つ}﹂とである︒
第二は・加えて・それが・個裂験的事象についての記述的ないし規範的餐口明の象口体である▼﹂とが多く︑経済
学のように普遍性や一般法則を追求する理論体系ではなか.た︑という}︑とである︒そ}しには︑個別的知識の籍よ
りも普遍的.体系的知識の方が優れているとする伝統的かつ正統派の知識観が根底をなしているものと思われる︒
第三は・了ヶティング研究(者)それ自体が︑学としての自覚に乏しく︑したがって学として確享るための蓼
力が必ずしもト分でなかったり︑あるいは的はずれであったりしたことに拠る︒例えば︑ワ﹂の分野の研究者は︑時と
して・経験的事象とそれらを認識対象とする学との区別を曖昧にし︑混同すりして来たが︑経済学(者)は︑その成凱
の当初からその区裂明確にし︑またいち早く科学的方法を採用して来たなど︑とりわけ方法論議や知識の形藷整
マ ー ケ テ ィ ン グ研 究 の 学 的 貧 困 性 を め ぐ る 論 議 201
序への取り組みに関して経済学者との間に資質の差異が認められる︑ということである︒あるいは︑マーケティング
研究者の中には︑経済学を信奉するあまり︑自らを経済学の方法と論理のドに従属して嘉とする一部の勢力があり︑
従って︑彼等の論理からすれば︑マーケティング研究を独自のアイデンティティを有する学として措定していこうな
どの発想は生じないばかりか︑むしろ奇異なこととして映って来た︑ということである︒さらには︑マーケティング
研究は外部に対して︑その学的アイデンティティを訴えるに足るだけの論躍と方法を明示できて来なかった︑という
ことである︒
第四は︑科学性をめぐる論議に照らす時︑経済学はト分に論議の対象たりうるし︑多分に"科学"としてのラベル
を与えられるが︑商業.マーケティング研究はその論議さえも成甑するかどうか疑わしいとして一般に認識されて来
た︑ということである︒科学であることの社会的評価の一つとしてノーベル科学賞があるとするならば︑経済学の受
賞はあり得ても︑商業.マーケティング研究の分野からの受賞など夢想だにされぬ状況にあるということである︒別
言すれば︑{般社会の理解のレベルにおいて︑マーケティング研究は科学としての社会的認知をまだ受けていない︑
ということである︒
第五は︑とりわけわが国では︑マルクス経済学がアカデミズムにおいて相当の勢力を有していた時代があったわけ
で︑その思想の下では︑商業やビジネス活動は︑そして中でも人規模製造業者(産業資本)によるマーケティング活動
は資本家階級の下に労働者階級を隷属させる手段として機能するのであって︑批判すべき対象であるピ白髭一鴇鰻との
考え方が成り立ち︑それらが流布されて来た︑ということである︒
以上︑五点にわたって︑マーケティング研究が︑経済学ないしは絶対的州学﹂なるものに比して︑これまで学的貧
困性を自他ともに認め︑それに甘んじて来るに至った経緯ないし理由を述べて来たわけであるが︑そして︑それらは
商 経 論 叢 第32巻 第1号 202
根底においては何ら変わっていないはずなのに︑少なくとも表面的・状況側面的にはこの数年の間にかなりの変化が
見られるようになった︒もっとも︑それは︑この分野の研究者の誰かが︑ないしは学会がそうすべく主導的役割を果
たしたというわけではない︒時代状況が︑そうさせつつあるのである︒しかもそれは︑マーケティング研究に対して
"追い風"をなしているように思われる︒以ドにそれら追い風的時代状況を明らかにしよう︒
まず︑前述の第五点目に関してであるが︑旧共産圏の崩壊とその後の市場経済システムへの実質的移行は︑思想
的・方法論的にはマルクス主義経済理論の崩壊を意味するのであり︑それを根拠に成り立っていた批判マーケティン
グ論は︑結果としてその基盤を失うことになって︑影響力を喪失しつつある︒
次に︑商行為や市場実務(ビジネス)に対する蔑視観は︑経済活動の比霞が弔工業や製造業部門からサービス産業部
門へと移行し︑また経済がソフト化するに伴って︑次第と軽減されて来た︒物的な意味において財貨を生産しないが
故にそれらは非生産的であるとする占典的な考え方は︑実際の経済活動において︑また人々の日常的消費生活の中で
果たす商業・マーケティング活動の役割(時間的︑場所的︑所有的効用の創出)の重要性が高まるにつけ︑根拠の乏しい
ものとして消え去りつつある︒あるいはまた︑かつて伝統的社会の中で権威づけられてきた大学︑病院︑地方自治体
などの非営利組織は︑"市場"(顧客)の存在に気づくことすらためらっていたが︑いまやマーケティング的考え方を採
用しないことには存続を危ぶまれる事態になり︑営利企業顔負けのビジネス.マインドを修得しつつある︒マーケ
ティングは営利企業はもちろんのこと︑"顧客"を有すると解されるあらゆる組織にとって必要不可欠な原理であると
いうことが︑少しずつ認められつつある︒
第三に︑科学を巡る問題であるが︑実証主義(論理経験並義・反証並義)以降の科学哲学論争と︑そうした中でのパラ
ダイム論や相対主義的科学観の展開は︑それまで疑うことなく無批判に崇め奉られて来た"科学〃(的知識)の絶対的
マ ー ケ テ ィ ング研 究 の学 的 貧 困 性 を め ぐる論議 203
優位性を懐疑的にさせることとなった︒そうした状況下では︑経済学がR指したような論理的知識体系の有効性さえ
も実は疑わしいものであり︑例えば正統派科学哲学の境界設定基準(例えば反証可能性)に照らしてみるとき︑経済理論
は甚だ心許無いものであることが判明したのである︒むしろ︑それどころか︑経済学(経済理論)の成功は︑物理学の
それのような科学的方法の成果に因るのではなく︑その諸仮説が当時の時代状況と偶然の}致をみた結果に過ぎない
[村上お刈凹とか︑その社会制度化による[佐和お︒︒隠といった見解が説得力をもって出てくる始末である︒このような︑
絶対的優位性を認められていた科学や経済学の"相対化"は︑結果として︑劣勢にあったマーケティング研究を浮上
させる︑ないしは横並びにさせる効果をもたらしたといえよう︒
マーケティング研究に対する追い風を物語る第四は︑社会経済のあらゆる側面において︑近年︑富にマーケティン
グという言葉や︑マーケティング研究の中で育成されてきたコンセプトや技法が用いられまた成果をあげつつあると
いうことである︒"マ!ケティング〃が︑学問研究や大学のカリキュラムにおいてどのように位置づけられているにせ
よ︑実際の社会の中にあって︑それは︑あらゆる分野や局面において顔を出し︑"大モテ"であるということである︒
以上に述べたように︑マーケティング研究に対する蔑みや学的劣等意識は︑いま︑社会情勢の変化の中で消え失せ
つつある︒そのこと事態は歓迎されるべき事柄であるとしても︑それらは"外"からの追い風にすぎない︒換言すれ
ば︑いま迎えているマーケティング研究に対する追い風は︑時代状況的産物であって︑マーケティング研究共同体に
よる内的努力の結果ではない︒マーケティング研究に対する蔑みや学的劣等意識は︑いまもって論理的には解消され
ていないのである︒だとすれば︑この際︑われわれマーケティング研究の内部に身を置く者は︑マーケティング研究
に対する蔑みや学的劣等意識の背景を成してきた論理や思想を整序し︑再検討し︑そして論駁することが肝要であっ
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て・追い風をよいことにそれらを風化させてはならないのであろう︒そこに︑この時期に本稿を著わそうとする基本
的動機があるのである︒加えて︑本稿には︑実はもっと積極的な理由もある︒それは︑マーケティング研究が︑ある
いはマーケティング主義思想が︑今後の人間社会における諸問題の解決にとって従来にも増して重要になってくると
確信されるからである︒
以下に・科学的方法︑主題︑マーケティング科学論争︑そしてハントによる科学哲学論争と一般理論構築の試み︑
等々について改めて議論を起こし︑それら議論の帰結を︑マーケティング研究に対する蔑みや学的劣等意識に対する
"論駁"に充てることにしよう︒
H
論 駁 1 科 学 的 方 法 ω
われわれは︑社会科学者であると臼認しつつも︑研究方法や科学的方法のことになると︑ずいぶん占い考え方
学生時代ないしは研究者になりたての頃に学んだものをそのまま踏襲していたり︑あるいはその結果として誤っ
たままであることが多い︒そしてそれは︑他の学問分野のみならず自らの学問分野に対しても誤解や偏見を生み出し
たりする︒以下の事項について改めて議論を起こすことは︑マiヶティング研究に対する誤解や偏見を解消すること
にもなろう︒
そこで︑まず科学的方法について共通の理解を得ることから始めよう︒パースは︑信念確定の方法(ヨ.昏︒良の︒h
自図3σqげo一一Φh)として固執の方法(自己巾心性ー自己の願望に適う)︑権威の方法(集団中心性ー集団の日的に適う)︑先天的方
法(思弁的普遍性1理性に適う)︑そして科学の方法を挙げ︑これらの中では︑科学の方法が論哩的に最も優れた方法で
あるとした︒すなわち﹁科学の方法﹂とは︑経験的普遍性によって特徴づけられ︑信念確定の基準は"事実との一致"
205マ ー ケ テ ・ ン グ研 究 の 学 的 貧 騨{三を め ぐ る 論 議
に求め︑りれるとするものである[℃Φ冨一・︒・︒刈王山華︒これに倣うなら︑いまここでわれわれがなそうとする議払珊
は︑もちろん科学の方法の段階に位置づけられる︒
とワ﹂ろで︑Aコ日︑われわれ研究者(集団)が自りを"鷲r者である"と呼ばれることを嘉とし・また展社A本から相当の信頼を置かれているのは︑その発︑↓n(判断)が科学の方法に依拠するものであるからに他ならない・科学的方法は︑個人の好みや集団の権威を越えて誰にと︒ても回の帰結が導かれる客観的かつ論理的方法であるからである・社会が︑様々な局面においてある判断(命題)の客観牲を訴えるために︑しばしば科学の名を用いたり科学責研究者)
の見解を引用したりするのは︑そのためである︒このように︑ある意味では︑近代そのものが科学の方法によって特
徴づけ︑りれると︑昌︒つ}﹂とができるのであり︑実際に︑含の社会は︑科学的方法叢上位に位置づけるように制度化
されている︒
も︒とも︑実際の社会において科学的方法がいかほど実仔されているかとなると甚だ疑問である・例えば・科学者
を標榜する研究者においてす︑b︑学会や教授会での発言がしばしば臨則科学的方法としての固執の方法や畿の方法に
訴えるものだったりするのは稀なことではない︒しかし︑それは︑三しで別の議論を構成しよう・話を︑兀に戻し︑科学の方法について︑より内窩な検討荒えることにしよう︒そこで・現代科学哲学の歴史を辿るとき︑例えば︑正統派鳥チ哲学の潮流は論理実証義(素朴帰摯義)︑論理経験義・反証義(批判的合翠義)・そして現代経験霧とい・つ具A口に展開して来たということができよう[︒冨一ーω蔑・これらの間には・若よ方法
論的相違がうりれるものの︑}し▼しで重要なことは︑それらのいずれもが﹁統科学﹂の磨を採用しているということである︒統科学(錺)とは︑真なる知識とは鴛r的知識のことであり︑それは科学的方法によって獲得されると
するものである臼慧r事典︒すなわち︑正統派科学哲学の嬉からすれば︑物理現象を扱う自然科学であろうと・社会
商 経 論 叢 第32巻 第1号 206
図1正 統 派科学 哲学 の科学 的方法
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現象を扱う社会科学であろうと︑方法は︑科学的方法それ一つであるということになる︒また︑従って学問分野の区
分が成り凱つとしても︑それは便宜的ないし副次的なもの
に過ぎない︒そして︑この論理からすれば︑国民所得や貨
幣の動向を対象とする経済学が基礎的で上位に位置づけら
れ︑これに対し︑製造企業の顧客創造活動やス!パーマー
ケットでの人々の購買行動を対象とするマーケティング研
究が応用的でド位に位置づけられる︑ということにならな
いのである︒
ならば︑科学的方法とは何か︒そこにいう科学的方法と
は例えば図1に見られるような︑それである︒その際に正
統派科学哲学には.一つの立場が支配的であると思われ︑す
なわち︑論理経験屯義者田ロ薯9零出と反証主義者(批判的
合理主義者)罵oooΦ﹃おαPお①・︒Lの刈・︒]のそれである︒そして前
者は左図のように︑後者は右図のようなものとして科学的
方法を想定しよう[﹀づα①鵠︒巳㊤︒︒ω一︒研究者は︑当人がその
ことに気付いていようといまいと︑図1の科学のプロセス
の全体ないし一部に関わっていることになる︒
マ ー ケ テ ィ ン グ研 究 の 学 的 貧 困 性 を め ぐ る 論 議 207
以上の論議において胆りかな}﹂とは︑そして図解によっても明らかなように︑われわれが科学的方法を採用するとき︑研究の出発点は︑﹁経験鼻における知覚的事象﹂についての︑ないしは知覚的事象と既存の理論(説明)との
杢致(矛盾)﹂など︑"何かし︑bの問鞍轟の発生であ.て︑その際に知覚的経讐象・すなわち研究対象が何であ
るかは問われない︑ということである︒
皿 論 駁 2 主 題
上.述の登許的方法についての議論の中で︑その学が取り扱う研究対象の如何によって勘予の区分をなしたり・あるい
鮭﹃の優劣を判断しよ.つ刃テる}﹂とが︑論理的に妥当ではないとして論警れ得たとしても・次のような問題が残されていよ.つ︒とい.つのは︑学についての伝統的な見方においては︑学はそれが取り扱う中心概念としての〃主題"との関連において論じ・りれる▼﹂とが多い々りである︒例えば﹁物理学は覇とエネルギを﹂・﹁化学は物質の反応と変
化を﹂︑譲済学は希少財の慧分配をL巌とする賜商である‑といった圏パ合である・このような視点からすれば・
7ケティング研究の轟は何であるのだうつか︒恐・りー︑それは︑﹁交換﹂または販引Lということになろう・実際︑﹃乞アィング研究の歴史の中でも︑しばしばそのように募れて来た︒より具体的に言えば・交換(または取引)ヨの床︑床︑客体︑条件︑範囲と内容︑帰結‑・等々︑交換(または取引)に関連する蒙態が研究対象を護し・そ
れ︑りのもとに了ケティング研究が形成される︑とする理解である[量Φ象岳助αq§一壽論川墓昏註り....﹂・四子についての甲﹂の様轟解は︑亘もっとうりしいし︑実際に流布され︑場合によっては支配的ですらあるが・論
理的問題をは︑りんでいると♪口わざるを得ない︒なぜ︑﹁物理学は運動とエネル干を﹂・﹁経済愚子は希少財の醤分配を﹂︑そして﹁了ケティング研究は交換(取引)を・嶺とする学問であらねばならないのかについての論理的説明
商 経 論 叢 第32巻 第1号208
(根拠)が困難であるからである︒というのは︑それらは単なる思いつきであるのかも知れないし︑あるいはある権威
筋の考え方を踏襲しているにすぎないのかも知れないからである︒そのよ・つな信念難の方法は︑パースの考え方に
倣うなら﹁固執の方法﹂ないし﹁権威の方法﹂に位置づけられるであろう︒
むしろ・学をその謹との関連において説明づけようとするやり方の血口義は︑当該学問分野への入門者や外部の人
達のための道標として役立つという限りにおいて認められるのかも知れない︒彼等は︑漣吊︑当該学問分野の"公約
数的"研究対象禁.題という形で誘︑小されていれば︑不安にかりれなくても済むであろ・つかりである︒
あるいは・次のようにも考えられよう︒前述したように主題は学との関連において語・りれるが︑実はそ.つではなく
て・ド題は・当該学問分野において支配的な腹理論が扱う中心概念と同義であるか︑あるいは一般理論との関連に
おいて語られる・との理解である︒例えば︑交換概念は︑社会学とい・つ学問分野において支配的なホ←ンズ
﹁=§琶峯の社会交換理撫鯉おける中心概念であり︑セ︑題でもあると見倣す}﹂とができるかりである︒
ところが・このことは・別の意味で新たな問.題を発生させる︒というのは︑交換概念は︑ホ←ンズの理論のみな
らずエヶ翼.三埠等の理論においても中心概念であり︑†題であり︑サしの意味かり︑﹁社会学は交換をt題とする
学である﹂ということができることになり︑先に了ケティング研究は交換を患とする学であると述べたワしとと翻
齢を差し・ならば社会学と了乞アィング研究とは何によって区別されるのか︑との新たな問題が生じるかりであ
る・まさか・社会学の方が了ケティング研究よりも歴史があり︑社会的認知度も高いのだかり︑了ケティング研
究は主題を社会学に譲るべきである︑ということにはならないであろ・つ︒甲﹂れに対し︑嶺ではなく方法の相違に
よって区別されるというのであれば︑社会学はどのような方法を︑また了ケティング研究はどのよ.つな方法を採る
のかが明らかにされねばならない︒さらには︑その際に︑両者にとって﹁科学的方法﹂はどのよ,つに位置づサりれる
マ ー ケ テ ィ ン グ研 究 の 学 的 貧 困 性 を め ぐ る 論 議 209
のであろうかという当初の問題に突き当たってしまう︒
このように考えて行くと︑学を宅題との関連において説明づけようとするやり方は︑一見もっともらしいが・論理
的根拠を欠いており︑堂々巡りに陥ってしまうか︑曖昧であると誘わざるを得ないのである︒
W 論 駁 3 科 学 的 方 法 ②
先に科学的方法について議論を展開したが︑それは正統派科淋r哲勘野の論理に依拠したものであった︒実は︑科学哲
学にはいま}つの潮流がある︒すなわちそれは広義の意味での相対セ義的科学観のことであり・例えばクーンによる
パ岬7,ダイム史観に象徴的である鼠昌三霧N一鶏O]︒かかる意味での相対セ義的科学観に立脚するとき・マーケティン
グ研究の学的貧困性をめぐる論議は︑どのように解決されるのであろうか︒これについて論じておく必要があろう︒
ここで相対セ義的科学観とは︑﹁科学的知識といわれるものの絶対的優位性を判定する基準はないとの認識に立つ
立場﹂のことであり︑あるいは剛観察事実の理論負荷性と準拠枠の共約不可能性を根拠にして︑正統派科学哲学とし
ての広義実証主義的科学観を論駁し︑かつ歴史的事実に関心を払う疏場Lのことである嶺きω8一圏︒︒鮨①器冨9コ鳥
お刈9上沼お︒︒忍︒従ってこの肱場は︑科学を︑正統派科学哲学のように論理的手続きにおいてではなく︑科学者共同体
による営みないしは社会的制度として捉える︒例えば︑そこには︑価値︑方法︑そして記号的一般化を共有する専門
母型ないしは見本例(.問題解Lの成功例)としてのパラダイムが存在し︑その下に研究者集団・テキスト(問題集と
解答例)︑専門ジャーナル︑学会︑研究者の卵(大学院生)等々が形成される︒そして︑それらは全体としてパラダイム
を強化するように制度化されているのであって︑通常の科学活動は︑既存の理論(パラダイム)を厳しい検証(ないしは
反証)テストにかけようとするのではなくて︑なんとかしてそれを護ろうとする︑すなわち変則事例の取り込み(バズ ⁝禰⁝
商 経 論 叢 第32巻 第1号 210
ル解き)から成る︒その際︑多少の無理をしてでもパズル解きに成功する者が優れた研究者であるとされ︑パズルが解
けないのは理論に問題があるのではなくて︑その研究者の能力が足らないたあであるとされる︒ところが︑そうして
いつの日か・既存のパラダイム(理論)では解決することができないような変則事例が多発してくると︑}しのづフダイ
ムは危機的状況に陥り︑そうしてある日突然に︑研究者集団は全く論理体系を異にする別のパラダイムに乗り移ると
いう事態が発生する(科学革命)︑というのである[内自ぎち①Nおざ]︒
このような論理に凱つとき︑マーケティング研究はいかに評価されるのだろうか︒この場合︑恐らくマーケティン
グ研究が実社会の中で︑どれだけ制度化されているかが問われることになろう︒マーケティング研究の制度化につい
ては・﹁プロローグ﹂において若﹁ふれたように︑追い風的状況にある︒ここで詳細に述べることはできないが︑マー
ケティング研究は・それがどのようなものとして認識されているかに関係なく︑そして経済学のそれに比べれば制度
化の度合いは弱体であるものの︑各大学のカリキュラムに設置され︑研究者集団︑テキスト︑専門ジャーナル︑学会︑
研究者の卵等々が形成されている︒また︑研究者集団にとっての専門母型(づフダイム)として︑ハワード冒︒名︒.α
一綜刈]・マッカーシー喜︒O畳ξ一80]︑そしてコトラー舅o二雲お①呂らによって体系づけられて来たマーケティング.
マネジメント理論を挙げることができる[上沼一㊤⑩冨]︒
こうしてみるとき・マーケティング研究は︑すでに科学としての体裁を整える学問分野として制度化され︑成熟し
つつあると.ぎ[うことができるのである︒
V 論 駁 4 マ ー ケ テ ィ ン グ 科 学 論 争
マーケティング研究共同体は︑その学的貧困性の克服に対して全く怠慢であったわけではない︒ 少なくとも︑マー
マ ー ケ テ ィ ン グ研 究 の 学 的 貧 困 性 を め ぐる 論 議 211
ケティング研究が形成されてほぼ半世紀を経んとする辺りから︑マーケティング研究の科学性やマーケティング理論
についての関心が高まり︑一部の研究者の間でそれなりの努力がなされてきた[ω冨葺O舘曾費俸Ω霞冨け二㊤︒︒︒︒]︒そう
してAフ日に至っているのであるが︑ここでは科学論争の軌跡を辿ることによって論じよう︒もちろん︑科学論争その
ものは形而上学的論議であるから︑それをもってそのままマーケティング研究における学的貧困性克服のための諸努
力とは考えにくいが︑﹁学﹂としての成熟度を推し量るバロメータとして位置づけることはできよう・
科学論争の経緯は︑その屯要な論争点に注目するとき︑たとえば素朴科学志向期︑科学対技芸論争期︑科学条件論
争期︑科学論争潜伏期︑そして科学哲学論争期の五段階に分かつことができよう[上沼お︒︒呂︒
第 段階"素朴科学志向期(一九四五〜四〇年代末"08︿Φ﹁ω①一〇ホ旧﹀ζ︾一濠①〜"≧9房呂卿O寅お心︒︒)
コンバースは第.一次人戦後の研究再開に先だって︑マーケティング科学の現状を調査し︑分析し・その
結果を論文に著した︒この研究が噛矢となって︑マーケティング研究の分野において初めて科学と理論へ
の関心が芽生え︑続いてアメリカ・マーケティング協会が学会を挙げてこのテーマに取り組んだ︒またオ
ルダースン&コックスは﹁マーケティング理論へ向けて﹂を著した︒すなわち︑後発の学問分野であるマー
ケティング研究が︑現状にけんじることなく︑科学の地位に高めることの必要性が唱えられ・そのことは
伺時にマーケティング理論の構築の必要性の提言でもあった︒もっとも︑この時期のマーケティング理論
家による科学観は︑それがどのようなものであるかが明示されないままの︑しかし追求されるべき絶対的
に信頼の置かれたものとしての素朴なそれであった︒
第.一段階u科学対技芸論争期(四〇年代末〜五〇年代初頭"<匙Φ一逡︒︒扇母盛︒︒一㊤㎝一詑三︒三コ︒︒§お総一望餌一黒8お紹)
マーケティング研究は︑科学(︒・6一28)か技芸(銭酢)かが明示的に論争され始めた︒例えば︑ハッチンソ
商 経 論 叢 第32巻 第1号 212
ンは﹁何故︑マーケティングの分野が固有の理論体系を発展せるのにぐずぐずしているのかについての本
当の理由がある︒それは単純なことである︒すなわち︑マーケティング研究は科学ではないからである︒
ルへそれは・むしろ技芸または実践であり︑また物理学︑化学︑生物学というよりはむしろエンジニアリング
医学・建築学に非常に似通っている﹂と述べ︑芳︑バ上アルズは﹁了ケティングは科学であり︑学科
であり・あるいは技芸であると.︑・えよう︑⁝了ヶティングを技芸として見倣すと.一.零ことは︑知ること
よりも行うことを強調し︑⁝学科としての了ケティングの概念繁題のアカデ︑︑︑ックな側面を強調し︑
⁝科学としてのマーヶティングは︑理論︑法則︑そして概念といった方法論的付随物を伴うところの流通
についての知識体系から成る﹂とした︒
第三段階"科学条件論争期(六〇年代初頭〜六〇年代中期HしdロNNΦ一=⑩①︒︒角鋤覧o門お①㎝)
科学条件論争は︑第二段階での科学対技芸論争においては各論者の科学観がまちまちであり論議が噛み
合っていなかったことへの反省の結果として生まれた︒バゼルはある学科が科学であると判定されるため
には四つの条件を満たす必要があるとして︑①分類され系統づけられた一つの知識体系であり︑②一つま
たはそれ以Lの中心理論と数多くの一般原理を囲んで構成され︑③たいていは数量的用語で表現され︑④
予測を可能にしそしてある状況のドでは将来の出来事の制御を可能にさせるよ・つな知識である︑を挙げ︑
これらに照らし合わせるとき︑マーケティング研究は未だ科学たり得ないとした︒一方︑テイラーは︑科
学のプロセスは①創造的行為としての思弁的思考︑②演繹的理由づけ︑③少しずつの試みないしは経験的
実験・から成るとし︑﹁マーケティング行為そのものは技芸である︒実践家それ自体は科学者ではない︒し
かし︑彼は仕事の過程で︑観察したことを公表し︑そして実験を執り行うだろう︒彼がそう行い︑そして
マ ー ケ テ ィ ン グ研 究 の学 的 貧 困 性 を め ぐ る論 議 213
実り豊かでマーケティングの理論の範囲を拡人するところの概念図式の形成に貢献する限りにおいて・彼
は科学者として機能しているのである﹂と述べた︒
第四段階"科学論争潜伏期(六〇年代中期〜七〇年代中期)ないし規範科学論争期(ヒO年代初頭勇︒玄嗣書おδ"o︒≦ω8
一㊤コ)
前期のバゼルによる科学であるための四つの条件の指摘が的を射ていたので︑論争はしばらくの間潜伏
することになった︒論争を.再開するためには︑バゼルの指摘を論駁できるような論理が用意されねばなら
ないからである︒それは︑七〇年代中期のハントの登場を待つことになる︒あるいはマーケティング研究
の内容的充実への志向をもたらすことになった︒概念拡張論争が発生し︑またマーケティングの一般概念
が論じられたのも︑このためである︒一方︑七〇年代初頭に︑一部の研究者によってマーケティング科学
のあるべき姿が論じられた︒そうした背景には︑米国社会における六〇年代から七〇年代にかけての戦争︑
貧困︑人種差別︑環境汚染︑自己喪失︑若者の精神障害等々といった問題の深刻化があったものと思われ
る︒この意味か.b︑この時期の蔀を一方において︑規範科学論争期として位置づけることもできる・
第五段階"科学哲学論争期(七〇年代後期〜八〇年代中期H団§静お♂p一紹①σ噂一り︒︒N6︒︒卸﹀裟︾一ゆ︒︒鱒≧αΦ話︒巳り︒︒ω㌔Φ§卿
9ω8お︒︒︒︒)
ハントは︑潜伏ないしは中断していたマーケティング科学論争を再開させ︑完結しようとするのであれ
ば︑従前の科学論争を科学鴛r論争の次兀にまで引き上げて論ずるのでなければならないことを悟り・
マーケティング研究の分野に初めて科学哲学の論議を導入した︒すなわちハントは︑マーケティング科学
論争に参画しようとする者は︑自らがどの科学哲学に依拠するのかを予め明示してから臨むのでなければ
商 経 論 叢 第32巻 第1号 214
ならないとし︑彼自身は論理経験屯義を唯一絶対の科学哲学として措定していこうとの立場を採った︒ハ
ントの立場に賛同する者と反対する者とが現れ︑後者には例えばアンダーソンとピータ&オルソン等が含
まれる︒そうして・両者はマーケティング学会挙げての大論争︑すなわち論理経験主義対相対主義論争を
もたらした︒もっとも︑それらは︑科学哲学の分野ですでに六レ年代半ば以降においてなされた論争冒鎚評︑
卑︒ω卸竃塁αq鑓くΦ一鷺o]の繰り返しであり︑この意味では︑科学哲学論争の"マーケティング研究バージョ
ン'であった[上沼一⑩︒︒Σ︒ノ
マーケティング研究の現場で作業に携わる研究者と科学論争に参画する研究者とは必ずしも同一ではないが︑右に
展開された議論は当然のこととしてマーケティング研究の現場に︑または現場からフィードバックされていたものと
思われる︒すなわち・マーケティング研究は︑概ね右に展開されたような経緯の下に︑科学研究の成熟度を高めて来
たということができるのである︒
W 論 駁 5 ハ ン ト に よ る 科 学 哲 学 論 争 と 一 般 理 論 構 築 の 試 み
前章での議論において明らかなように︑了ケティング科学論争はハントとい・つ新しい旗手を得登﹂とによって︑
その下に収敏していくこととなる︒すなわち︑ハント[ち嗣鮎には︑約一〇年間に渡って潜伏していたマーケティン
グ科学論争を再開させるべく幾つかの動機があった︒第一にハッチンソンの議論(前出)を論駁することにあり︑第二
にバゼルの議論(前出)を論駁し︑かつそれを凌駕することであり︑第三にバーテルズロ霧︒︒Lが提示したマーケティ
ング一般理論構想を批判し代替案を提示することであり︑第四にマーケティング概念拡張論争の帰結[閑︒江.同お鐸
一雪の]を自身のマーケティング科学論争の中に取り込むことであり︑そして第五に論理経験主義を唯一正当な科学哲
マ ー ケ テ ィ ン グ研 究 の 学 的 貧 困 性 を め ぐ る論 議 215
学であると訴求し︑同時に相対主義的科学観を批判することにあった︑と思われる︒
そうしてハントは︑数扁の論文と著書を著すことによって︑以下のような成果を得︑また貢献をなした︒
ωアケティング研究の分野に初めて科学哲学の論議を本格的に導入した・このことは・従前のマーケティング科学論争をメタ.了ケティング魁ヂ論争へと︑すなわち﹁アケティング科学はどの科学哲学に立脚すべきである
か﹂にまで止揚させた︒
図2ハ ン トの 「マ ー ケ テ ィ ン グ 研 究 の 範 囲 」 図 式
佗そのことは一方において︑
醐 コ ︑﹁ ーコ
実 証 的(positive) 規 範 的(norma
胃 営 象利禅 セ
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屠
ヨ マnクOロ 占 7 8マーケティング研究者たちに科学哲学には幾つかの肱場があることを知らせしめ・
結果として︑科学論争に参画せんとするなら自らが立脚する科学哲学を明示して
からでなければならないというルールを確立した︒
捌ハッチンソンとバゼルの議論に対して︑次のような論理を展開することに
繭よって論駁に成功した.すなわち︑晶剛者に対しては︑﹁ハッチンソンが言うよう
㎝に︑マーケ響アィング研究の全領域が︑営利/ミクロ/規範的(セルの墓にある
蜘のであれば︑マーケ一アィング研究は科学ではないし︑恐らく科学たり得ないであ
㌍ろう︒しかし︑仮にマーケティング研究がミクロ/実証的とマクロ/実証的の両け
死方をA己むものにまで拡張されるなり︑その時︑了ケティング研究は科学たりえ価よう︒‑実際7ケティング研究に装証的研究も存在して来ている﹂と・そし
て後者に対しては︑﹁この(バゼル)の要求は︑科学的努力の継続的蓄積ということ
と科学の成果とを混同している︒⁝ある学科が中心理論を有するまでは科学とい
う名を与えられないとするのは︑道理に適っていないのではないか﹂としたわけ
商 経 論 叢 第32巻 第1号 216
である︒
こうして・ハントはマーケティング研究︑とりわけ方法論の分野に相当の貢献をなしたのであるが︑肝心な点にお
いて決定的誤りを犯しているように思われるのである︒ハントの経緯にふれつつ︑以下にそれ・りを明りかにしよ.つ︒
すなわち・ハッチンソンとバゼルの両見解を論駁し得たとしても︑そしてさらにはマーケティング研究が科学であ
ると論証し得たとしても︑了ケティング一般理論と称されるさつなものが無いとい・つ事実は否定できない︒な︑りば︑
早急にその構想だけでも提示しなければならない︒こうして︑ハントは一般理論の構想を思い立.たと思われる︒そ
の際に・マーケティング研究における過去の試みをレビュと︑それ・りを批判しておく必要があったわけで︑そ.つし
て取り上げられたのがfテルズ[田吋垂霧とバゴッチ冨・NN蔓・.]による試みであった︒すなわち︑fテル
ズに対しては・マーケティング一般理論の構想や了ケティングのメタ理論を構成する七つの公理の提示は︑発見の
文脈において意義づけられるものばかりであり︑正当化の文脈に耐えうるよ・つなものではないとして冨¢ロ毫昌︑ま
たバゴッチに対しては︑交換行動についての非常に限定された一連の仮説群から一般理論を開発するといったやり方
は現実的ではないとして︑批判を加えたわけである︒
そして・今度は自ら以下のようなマーケティング一般理論構想を展開する[野コニ㊤︒︒ω﹂︒
①現代科学哲学における通説は論理経験義であり︑その科学観のドに了ケティング科学や了ケティング裏理
論は形成されねばならない︒
②科学理論とは・観察罷な結果が︑観察事実と基本的仮説群との導口によ.て︑論理的に導出されるよ.つな演繹体
系のことである︒
③了ケティング科学の基本的主題は︑交換関係(の説明と痴)にあり︑その被説明項は次の四項目である︒ω交換
217マ ー ケテ ィ ン グ研 究 の学 的 貧 困 性 を め ぐる論 議
図3ハ ン トに よ る マ ー ケ テ ィ ン グ ー 般 理 論 構 想 マ ー ケ テ ィ ン グ 科 学 の 特 質
躰 醗 題 躰 的被糊 項(FE)『 『 国一厩 癒 禰 証 『 一 … 〜
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(1粘rl斤:Hunt1933,p.13 .)
ケティング一般理論は︑⁝幾
つかのド位理論の統合され
た集合として構成される︒
そして︑図3にみられる
ように︑マーケティング科
学の特質を基本的t題︑基 ④このような意味でのマ; を達成しようとする買い手
の行動︑②交換を達成しよ
うとする売り手の行動︑⑧
交換を達成及び/または助
成しようとする制度的枠組
み︑ω買い手の行動︑売り
手の行動︑そして交換を達
成及び/または助成しよう
とする制度的枠組みの各々
がもたらす社会への帰結︑
である︒
商 経 論 叢 第32巻 第1号218
本的被説明項・そして研究を導問いから成るものとして描〜﹂とによ.て︑了ケ一アィング一般理論の構想をなす
わけである
ところが・ハントによるかかる試みには・方法塗の決定的な誤りがあり︑それは以下の.一占{にまとめ.りれよ,つ.
誤りの第点は・ハζが論理経験義に立脚しつつ了ケティング盤論を懲している}しとである.すなわち︑
論羅験義に歯することと了乞アィング盤論を構想するΨしとが論理矛盾を犯す﹂とに気︒ついていないとい
うことである・先に﹁科学的方法﹂の箇所で確認したように︑科学的方法の下では︑対象は問われない.もつすしし
言うなら・科学的方法の下では・﹁了ケティング﹂というある特有2日心味を備えたものの雇理論を攣しよ.つなど
という発想は浮かばないはずである・﹁了ケティング﹂をどのようなものとして規定するかについて︑論理的議論が
成立し得ないからである・﹁了ケティング﹂は︑買い手の行動とか売り手の行動とかとは違.て知覚的経験事象では
ない・ある価値ないしは意図を備えた概念上の獲物である.論理経験義にせよ批判的合理義にせよ︑彼が歯
する正統派科学哲学の立場・すなわち縫科学の蕩からすれば︑科学的方法のみがあるのであ.て︑対象に特別な
意味を持た芸いのである・その一般理珊構想から判断するに︑ハζは︑芳でマーケ}アィング研究の学的独自性
を有する学問分野として確立していこうとの立思図があるが︑ならば何故︑論理経験嚢に依拠するのであろ.つか.ワ﹂
れらの点について・ハントは・牒であるかまたは論理矛盾を犯していると.一nわざるを得ないのである.
彼が了ケティング一般理論懲套すにあたって誤っていると田心われる第二占描は︑次の}︑とである.社会科学の
中で最初に科学として認められたのは経鏡子であるが︑それは︑経済学が科学になるにあた.て︑経済現象を物理現
象覧立て・次のような三つのーックを用いたからである.①孤立系の概念︑②原子論的/機械論的手法︑そして
③蛋化の採用である・加えて・経済理論は功利義や自然法の概念を羅削提に採用しているのである[村去り刈㎝].
219マ ー ケ テ ィ ン グ研 究 の 学 的 貧 困 性 を め ぐ る 論 議
要するに︑ハントのいうよ・つな︑何の理論前提もークも無しの︑生のままの経験婁の中からの帰納推論に拠っては︑﹁帰納の問題﹂を藷するまでもな‑︑(了ケーグの)盤論は形成され得ないのである・現に・ハントは︑かかる籟を提示した充八三年以降(実際には充ヒ奮開始している)今日に至るまで・結果として何らの進展も
噂りれない[鵠ロロニ¢刈=Φ・︒ω﹂.それは︑難論の蟻がかなり根気のいる作業であるということにではなくて・その
乃法に誤りがあった▼﹂とに起因していると思われる.そのためか︑一九八三年以降7ケ三グの展理論につい
ての言及を止めてしま.た.代わって︑より肩科学哲学の分野へのめり込んでいってしまっているようである
蜜§二80]︒
かくして︑ハントの登場によ.てその学的粛性の克服に対して理論武芒たはずのマーケティング研究は・いま方向喪失現象に陥っていると言わざるを得ないのである︒
孤エピローグ
}しれまでの議論において︑われわれは︑マーケ一アィング研究に対する蔑みやその諾貧困性の背景をなしてきた論理を解き明かし︑論駁し︑応の成果を得ることができたように思う.加えて・﹁プ︒7グ﹂において鯖したように︑時代状況は確実にマーケ一アィング研究に対して追嵐重しており︑何ら事態を焦る必要はないように田心われる.だが︑実は︑本研究にはいま;の目的があった.それは︑了ケ三グ概念の拡張論が璽思する新高について論じ︑方向喪失現象に陥っているマをアィング研究の今後を見定め・そして高づけることである.
αマーケ綱アィング研究は︑科学論争が漠期にあった六卜年代末に全画期的ともいえる}連の論文の登場を見た.それは︑﹁マ﹁ケ}アィング概念の拡張﹂と題された論文に始まるのであるが・そこではマーケ三グ概念の汎用
榊 榊 闇
{
商 経 論 叢 第32巻 第1号220
性応用可能性が唱道され・了乞三グ概念を︑経済的な財やサービスの瘍取引に限定しないで︑非経済的な
ものの市場外取引をも含むものにまで拡張していこうとの考え方が提示された[閑︒二︒.卿ωし.じ.<︽一Φ①¢︑内︒二Φ⁝.
N巴暮⁝重Φ=㊤刈隠当然のこととして・こうした概念拡張の高に対し︑賛成論と反対論が噴出し︑七左代
前半にかけて学会をあげての論争に発展した.そうして含︑了ケ一アィング概念拡張論は︑非営利組織のマーケ
ティング(葦婁箋.コ量δ鷺Nき琶とかソ←ヤル了乞アーングと呼ばれる分野を創出するに至り︑
実を結びつつある・いまや・了ケティング研究においては︑大学(教礒関)のマーケ一アィング︑医療機関のマーケ
ティング・そしてアイデァの了ヶティングなどといった分野が鹿権毒︑また研究(者)のすそ野も広がりつつあ
る
勃ところが・マーケティング研究共同体は︑概念拡張論の提唱者であるコト一フ巻も含めて︑結果として︑マーケ
テ召ング概念の拡張論が根底において出忌味するところのものを︑そしてまた非莉組織マーケ一アィング論やソーシャ
ル了ケティング論へと後に引き継がれて・いったその理論的含意についての研究を︑継続して深化させる道を選ばな
かった・大勢は・拡張論を・傘了乞アチグ論としての了乞アィング.マネジメント理論の非営利組織部門や
社会的諸問題への応用といった次兀において理解し︑収束させてしま・た.その結果︑いまや簑珊は︑各非営潮
織別の戦略論として整序されつつあり︑あるいは野放図にされたままである.実は︑そ}しに▼﹂そ︑マーケ一アィンク研
究 が 他 の 先 達 諸 科 学 に 比 し て 欠 如 し て 茎 般 理 論 や 固 有 の 方 法 ︑ す な わ ち 学 的 独 自 性 を 明 示 化 で き る 可 能 性 が 秘 め
られているように思われるのである.ハントは︑恐貯︑そのことに気付いて︑あのよ.つな展開を試みたのであうつ
が・論理経験義という伝統的科学観及び方法論に固執したが故に成功していない.方法を見誤.たのであろ.つ.
鋤了ヶティング研究における一般理論や固有の方法の発見︑すなわち学的独自性の明示化は︑伝統的科学観にも
221 マ ー ケ テ ィ ン グ研 究 の 学 的 貧 困 性 を め ぐ る論 議
とつく方法によっては扱い得ないのかも知れないのである︒これまで︑アケティング研究が他の先達諸科学に比し
て︑学的貧困性を指摘され︑時には蔑まれ︑あるいはそうした状況に甘んじて来たのは・その歴史が浅いということ
に加え︑従来の方法論や価値観の中で評価され︑あるいは苦悩して来たからである・いま・求め︑bれることは・伝統
的科学観や方法論ではない︑新たな翰や思想の下での7ケティング研究や7ケティング知識の再評価であらね
はならないのだろう︒
但も.つす}"し亭つなり︑}しれまで下ケティング研究は︑科学的方法や経済学への穰のあまり・あるいはまた7ケティング概念が営利企業に固有の概念にすぎないとの外圧のもとで︑自らがその形成の当初から育んできた方
法やコンセプトのオ装ソナリ}アイの何たるかを正面から取り上げ三般化しようなどと発想することは分不相応なこ
ととして脇に追いやってきたのに違いない︒かか重屈な状況を転換させるきっかけを与えることになったのが了ケティング概念拡張論であり︑あるいは相対主義的科学観の論理である︒
㈲本稿の日目頭に述べた︑7ケティング研究に対する近年の追い風的状況は故ありなのである・7ケティングが﹁馨書し︑それ︑りとの間に価値物の交換があると巖されるすべての組墾般にとって必葉可欠な論理である﹂[国︒に①.一ゆ刈㎝芝するなり︑あるいはAコ日そのように認められつつあるとするならば︑かかる事態はマ蓄ケティング研
究にとって人変意羨い}﹂とである︒了ケティング研究者は︑臆すること夢︑了ケティング知識の知性史的意
義を問つたり︑あるいは︑▼﹂れまで支配的であ・た経済義思想に代替する了ケティング主義思想の論理を明らか
にせねばならないのだろう︒