【学位論文審査の要旨】
論文目次
序章
1.研究の区的、背景 2、方法論
3、用語の定義 4、論文の構成
第1章 エスニック・マイノリティとしての琉球華僑から沖縄社会を捉え直す 1、沖縄社会とエスニシティの概況
2、地域・都市社会学における沖縄社会の特徴 3、地域研究における台湾・沖縄関係
4、台湾との結びつきから見る華僑・華人研究 5、琉球華僑から沖縄社会を見直す意義
第2章 中華民国にとっての「琉球」:国府および中国国民党による対「琉球」工作とその 意義について
1、 中華民国の戦後国際秩序構想と「琉球問題」の起源:1943−1945 2、 中華民国の情勢変化と「琉球問題」の変容:1945−1957
3、 琉球における「国民外交」の展開とその限界:1958−1972
第3章 戦後における台湾から「琉球」への技術導入事業について 1、 中琉文化経済協会の創設と技術導入事業の開始まで
2、 台湾との技術導入事業の確立過程 3、 技術導入事業の展開
4、 すれちがうまなざし
5、 沖縄返還と日華断交から派遣事業の停止へ
第4章 1950年代から 1970年代にかけての琉球華僑組織の設立過程:国府からの影響を 中心に
1、1950年代:琉球華僑八重山総会の設立過程
2、1960年代:台湾同郷会の設立過程
3、1970年代:琉球華僑総会の設立と復帰・断交の影響
第5章 沖縄施政権返還と日華断交が琉球華僑にもたらしたもの:国籍選択と観光業への
集約を中心に
1、 琉球華僑に見られる社会的な分断の位置づけの変化 2、 沖縄施政権返還後の沖縄社会と琉球華僑
第6章 グローバル時代の「中琉関係」と琉球華僑:「中琉関係」と沖縄社会における琉球 華僑の位置づけを中心に
1、1980年代後半から現在にかけての台湾と沖縄の政治史
2、「中琉関係」:停滞から再興へ
3、 沖縄中華街構想の挫折と琉球華僑への顕彰
第7章 沖縄における多民族関係の形成過程:琉球華僑総会龍獅團を事例に 1、 沖縄におけるエスニシティの概況
2、 龍獅團の多民族化進行過程
3、 多民族間結合の媒介としての龍獅團の意義 最終章 琉球華僑・華人の社会学的考察
補章1 戦後における琉球華僑をめぐる記憶と忘却:「石垣市唐人墓建立事業」を事例に
1、「正史」としての「石垣市唐人墓建立事業」
2、琉球華僑にとっての「石垣市唐人墓建立事業」
補章 2 米国施政権下の沖縄ロケ映画に見る「三角関係」:「海流」「琉球之戀」、「夕陽紅」
を中心に
1、メロドラマ映画が映し出す「政治」について 2、琉球独立を求める台湾からのまなざし
3、映画を通じた沖縄をめぐる中華民国と日本の三角関係
論文審査報告
本申請論文は沖縄における台湾人コミュニティーの歴史と現在の姿を丁寧に一次資料か ら迫っていったものである。第一次資料として主に台湾の中琉文化経済協会、中華民国外 交問題研究会、中央研究員近代史研究所、沖縄県史資料館、外交史料館での公文書、およ び那覇市、沖縄市、名護市といった沖縄本島、さらには八重山や先島諸島の台湾人への聞 き取り調査に依拠したものである。調査期間も、本学大学院博士課程に入学してからすぐ に、沖縄那覇市・国際通りから牧志公設市場の界隈の台湾人コミュニティーに出入りする ようになったので、フィールドワーク調査も12年にわたって継続的に行ってきたものに基
づいている。
沖縄を訪れる観光客の多くが訪れる公設市場での沖縄物産販売業や沖縄料理店のかなり の部分が台湾人によって営まれている。だが、本土から来た観光客にとって、沖縄で買い 物をした記憶は残っても、台湾人から買ったとは露とも思われない。台湾人は不可視な存 在となっているが、戦後沖縄の商業史を考える上では常にキーとなる存在であった。
従来描かれる近代の沖縄・台湾の関係は両国であまりにも違いがある。日本では沖縄に のみ関心が集まり、琉球処分を経て日本における国内植民地として組み込まれ、その支配 の被害者として描かれる沖縄の人びとであった。同じ植民地でありつつも、台湾では沖縄 県人も加害者として日本の植民地経営のなかに組み込まれていった過程が分析されてきた。
沖縄・台湾関係からのアプローチでは日本帝国の植民地支配のなかで被害者の側面に光が あたりがちな沖縄の人びとが、植民地・台湾では近代化を推し進める先兵としての役割を 与えられ、加害者としての側面をあらわにしていくという複雑な状況となっていた。また、
終戦直後の与那国島と台湾間で盛んに行われていた密貿易時代の研究などでは、沖縄・台 湾の双方からの証言記録を元にした研究も出ている。これらの研究では戦前の日本帝国の 周縁地域であった台湾と沖縄の間に国境線が引かれ、一方の台湾は国民党の支配のもとで 大陸中国と対峙し、もう一方の沖縄はアメリカの占領下におかれた後に日本へ復帰すると いう、それぞれが複雑な戦後史を歩むのである。本論は、こうした複雑な歴史的経緯の元 に置かれたマイノリティのあり方に着目する。
第一章「エスニック・マイノリティとしての琉球華僑から沖縄社会を捉え直す」は、先 行研究に対するサーベイが中心であり、沖縄研究のなかに抜け落ちている領域として、台 湾人の存在があることが示される。第二章「中華民国にとっての『琉球』:国府および中国 国民党による対『琉球』工作とその意義について」では、沖縄の連合軍による占領と戦勝 国中華民国という戦後の出発点において、台湾人は戦勝国民としての地位を手に入れるこ とになった。また、日本の台湾統治終了後も本土から渡った日本人が日僑と呼ばれたのに 対して、沖縄県人は琉僑と呼ばれて、台湾でも区別されていた。沖縄における台湾人そし て台湾における沖縄県人は、相互に日本との関係では捉えることのできない、独自の位置 を獲得していた。この独自の位置の確認が、公文書に残された資料から論じられる(一部、
当時の事情を知る者への聞き取り調査に基づく補強が行われてもいる)。
そこで、申請者八尾は、第三章「戦後における台湾から『琉球』への技術導入事業につい て」において、まず、1)琉球華僑の移住及び定住過程と沖縄という地域社会(あるいはシ マでの)の中での位置づけを解明する。そして、台湾人の沖縄への移住・定住過程は、産 業の空洞化・少子高齢化が進行し、外国人労働者の受け入れ問題が重要性を増しつつある 現在の日本社会と非常によく似ていることを指摘する(ただし、進んだ日本が途上国から 労働者を入れるという発想の現代とは異なり、この時点での沖縄での発想は進んだ台湾か ら人を受け入れるというもの。IT労働者の受け入れに近い発想。)。続く、第四章「1950年 代から1970年代にかけての琉球華僑組織の設立過程:国府からの影響を中心に」および第
五章「沖縄施政権返還と日華断交が琉球華僑にもたらしたもの:国籍選択と観光業への集 約を中心に」では、沖縄は、製造業が弱く、第三次産業が肥大化しているという産業構造 と少子高齢化が急速に進む地域社会という背景がまず論じられる。そのなかで、琉球華僑 は、日華断交後、戦勝国民である有利性を失ったこともあり大半は日本国籍に帰化する決 断をしていく。そのため、エスニックには民族たるもナショナリティとしては日本人とな っている者が多い。だが、よく知られているように、沖縄は血縁や地縁にもとづいた制度 による社会関係が張り巡らされた社会であり、琉球華僑に対しては強い拒否反応も存在す る。しかし、そうした強い拒否反応のなかで、コミュニティを維持してきた様子が第六章
「グローバル時代の『中琉関係』と琉球華僑:『中琉関係』と沖縄社会における琉球華僑の 位置づけを中心に」、第七章「沖縄における多民族関係の形成過程:琉球華僑総会龍獅團を 事例に」で論じられる課題である。
しかし、琉球華僑を沖縄と台湾という二つの地域間の枠組みではなく、アジア太平洋に おいて日本帝国崩壊後、冷戦体制へと国際秩序が大きく変動するなかで生じた人の移動と いうより広い地域の枠組みから捉えると、違った風景が見えてくる。沖縄の施政権の返還 とほぼ同時期に日中国交回復が起きると、戦勝国民という台湾人の位置は消失する。その ことによって、台湾人の日本国籍への帰化が一気に進むのであるが、それと同時に国家関 係としての台湾の位置づけは低くなり、以後、琉台間の関係も長期にわたって停滞する。
しかし、台湾で国民党政権が倒れ、台湾独立志向の強い民進党に政権が委譲される頃に、
沖縄県のフリートレードゾーン構想が日本側で議論が行われるようになってくると、最終 的には頓挫するのであるが台湾人の存在を核にした中華街構想がでてきた。また、それま でほとんど無視された存在であった台湾人の顕彰碑が各地で建てられるようになってくる。
だが、長い雌伏の期間を経ながらの、沖縄のなかでの台湾人の承認は、エスニック集団 としての龍舞に大きな変容を引き起こしていた。新たに台湾から流入してくる移民は少な くなり、国籍上も日本に帰化した人々の集まりであるから、純粋なエスニックなルーツを 等しくする者だけで会を維持することは構造的に不可能だ。だが、それ以上に、一方での 目立たないようにという人々のつながりのあり方は、絶えず閉じた方向ではなく開いた方 向に会の運営を向けていく。すなわち、外部からやってくる者を積極的にメンバーに受け 入れていくというものだ。こうしたこともあって、エスニックな集団を見る際に、出自と して等しい人々に注目しつつも、その周辺にいる人々も含めて捉えていく必要があり、こ の周辺にいる人々のあり方を見ていくと、沖縄社会がどのようにしてマイノリティと対峙 しているのかについても論じられるようになることが実証的に説明された。
2月14日11時より人文会議室で主査・副査による口頭試問が行われた。そこでは、沖縄 を台湾との関係で説明することについては新しいと思うが、アメリカの占領政策との関係 はそこにどのような意味を与えたのか。エリアスタディとしては面白く読めたが、社会学 者に対するインプリケーションはどこにあるのか。一部に社会学の概念を無理矢理に当て はめているように見える部分があるが、そこはどのように考えているのか。沖縄と台湾の
間の関係を琉球処分以後の関係からみており、それ以前は捨象している。先行して存在し ていた沖台を結ぶつながりはどのように考えるのか。本論が優れたエリアスタディであっ たのに対して、台湾政府(国府)が台湾の利益のために強力なエージェントを送って、映 画制作を通して情報戦を行っていたことを論じた補章「米国施政権下の沖縄ロケ映画に見 る『三角関係』:『海流』、『琉球之戀』、『夕陽紅』を中心に」が最も社会学的であったのは なぜか、といったことに疑問を挟まれたが、いずれの問題に対しても適切な応答で説明を した。
同日の15時より、公開審査を行った。そこでは台湾から沖縄への人の移動は、一般的な 周縁から中心に向かう労働力移動とは異なり、周縁間の移動だ。なぜそのような移動が成 立するのか。台湾は占領下の沖縄で、琉球独立運動を裏から支えようとしているが、そこ にはどのような意図があったのか。人の流れを理解する上で、この研究はどのような意味 があるのか、といったことがフロアーより質問が出された。それにたいして、申請者は、
台湾から沖縄という周縁間移動が成立するのは、経済的な次元には還元できない社会的メ カニズムが存在している。沖縄への台湾系移民の流入は単に戦前の日本帝国内での移動だ けではなく、中華民国の国際ネットワークが重なりあっているからである。また、中華民 国の国際ネットワークと旧日本帝国の帝国内移動を同時に分析し、冷戦期のアジア太平洋 における広範な人の移動の一端が理解できるようになる等のことが説明された。
以上の通り口頭試問及び公開審査のいずれにおいても、申請者八尾祥平に首都大学東京人 文科学研究科より、学位、博士(社会学)を与えるにふさわしいと主査副査による審査体 制は判断した。