経済成長と教育について
中国と日本
毛 剣文
1 近代化建設と学校教育
新しい技術革命は国民経済発展途上にある中国にとって厳しい課題であり,
そしてまたとてもよいチャンスである。中国は現在11億余りの人口をもち,教 育水準もかなり立ち後れているので,わたしたちは中国の事情に合うような四 っの近代化した社会主義を建設するために確実に世界の経済の変化と未来に注
目しなければならない。中国の四つの近代化とは「工業近代化,農業近代化,
国防科学近代化,科学技術近代化」ということであるが,それを目指すと同時 に中国の実際の困難と事情を忘れることはできない。例えば,11億の人口の中 に8億は農業人口で,そして四分の一の人は非識字者もしくは半非識字者で,
さらに山奥やへんぴなところに行くとまだ教育の施設がない。工業機械は一部 は新しくされたが,30年代の古い機械はまだ多く残っている。現時点において は外国からの機械設備と進んだ技術を導入しているが,それを自力で消化し操 縦する人材がまだ足りないという現実も無視することはできない。だから,中 国の現在の実際の情況から出発し,その他の先進国のよい経験を汲み取り,教 育に力を入れ,他国の先進的な技術を導入し,吸収できる科学技術の人材と企 業管理の人材を養成し,正しい発展の戦略を定め,わが国の近代化建設のテン
ポを速めるべきである。
日本の現実も世界の新しい技術革命の発展の一面を反映している。戦後,日 本が大量に欧米の先進的な技術を上手に取り入れ,ハイスピードで経済を発展
させることができたことの主要な原因の一つは,多くの先進的な技術を消化
し,吸収できる科学技術の人材と企業管理の人材をもっていたからである。日
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本はずっと昔から教育を重視し・早≦も明潰維新から,教育脅発展させ,人材 の養成を国の政策とした6
大学教育のほかに,日本ではまた,企業内教育と職業教育及び社会教育から 成っている教育のネットワークもすでに形成されていた。それによって,絶え ず職員の文化知識と技術のレベルを高φている。経済発展は常に教育と密接な 関係をもっている。国民全体の教育水準を高めなければ,国民経済の発展も得
られないわけである。国民全体の教育水準が高ければ高いほど,国民経済の発 展も速くなると言えよう。日本では60年代に入ってから,重化学工業を中心と
して急速な経済高度成長が始まったのである。どうして日本で経済成長のスピ ードがこんなに速かったのか,それは決して教育と無関係とは言えないだろう。
もちろん,経済成長とともに,中小企業の倒産,農業の破壊を進行させ,物 価の上昇,公害,過疎と過密,交通戦争をも生み出した。そして,高度経済成 長政策,地域開発政策は,太平洋沿岸ベルト地帯に資本を集中し,新産業都市 の指定,農業基本法による農業のスクラップ化,再編を進行させた。これらい
くつかの政策は,自然の破壊,人命の軽視,生産,生活基盤の破壊をもたらし ていたが,それは,教育を成立せしめる基礎的条件の破壊を意味し,子どもの 身体的,精神的成長に複雑な歪みを与えた。子どもをめぐる文化的環境も,年 間7億冊以上出版される週刊誌やテレビなどによつて,国民の実生活とかけ離 れた消費生活,レジャーブームを煽り,異常なまでのセックスの追求に見られ
る退廃的な傾向の中におかれている。少年少女雑誌やテレビの子ども番組も怪 獣もの,根性もの,スパイもの中心で,興味本位の低俗的なものが多く,申に は,好戦的な気分を煽るものが巧みに組み込まれている。その反面,受験やテ ストに追われたり,テレビに時間を取られ,読書量が減少していることも見逃 せないのではないだろうか。、
経済建設の面では,日本は確かにうまく成功を収めたと言えるかも知れな い。しかし,人々の精神的な面では貧弱になってきているのも事実である。独 占資本主義の体制だからこそ,どうしても無視された面が多いわけである。そ
ういうわけで社会問題も相次いで出てきている。
昔は就学率が高いほど,その国の教育が発達していると考えられていたこと
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がある。今になっては,就学率が高くても,その国の教育の発達したところの 一部しか反映していないと言えよう。就学率を見るとともに,その国の社会制 度,教育内容,教育質量,教育効果をも見なければならない。 1 1977年8月の中国共産党第11回全国代表大会では,10年の長きにわたったプ
ロレタリァ文化大革命に正式に終止符が打たれ,農業,工業,国防,科学技術 の「四つの近代化」実現という新しい挙国一致の目標が提示されたω。この目 標実現のカギは,必要な人材の確保である。人材の養成を担う教育は新たな注 目を集めることになった。70年代末から80年代にかけて,中国の教育は文化大 革命の慣行を徹底的に否定し,それを完全に払拭することを目指す一方,人材 の速やかな養成にとって多少とも有効と思われることは何でも,と言っても過 言でないほど,次々と改革のための施策を実行に移してきたのである。
先進国に追い付き,追い越すために,開放・改革政策を出し,より速いテン ポで計画経済から市場経済へと制度的に変わろうとし,農業,工業,国防,科 学技術の近代化建設のいずれの面においても大きな変貌をもたらしつつある。
教育の分野も例外でなく,教育制度,学校管理,教材編集などの面において教 育改革が行なわれている。
中国の教育改革はどのように行なわれるか,またどのような方向へ進めてい くかは模索中であると言えよう。近代化建設の中でその重荷を担えるような人 材も必然的に必要となってきている。人民日報の『広州専門人材欠乏』と題す
る記事に「目下広州市人事局の予測によると,広州市の専門人材の需要人数は 80万人で,現在30万人しかない。50万人必要としている。解決方法としては,
市内の大学,専門学校の卒業生を募集する以外に,毎年地方から3万人ずつ受 け入れなければならなくなる」(2)と書いてある。これは広州市だけでなく,他の ところでも同じような現象が起きているであろう。
中国の近代化建設と日本の60年代の高度経済成長とは似ているところがあ り,教育の分野において似ているところもあると思う。ところが,中国におい ては60年代の高度成長期以後を背景にした日本の教育現状と諸問題に対する研 究がまだ行なわれていない。だから,日本の教育現状を中国の人々に紹介し,
中国の教育現状を日本の人々に紹介したい。学校教育に焦点をあてて,60年代
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の高度経済成長期以降の日本の教育の現状と近代化建設期における中国の教育 の現状を取り上げて比較しながら考えてみようと思う。日本の科学的で進んだ 経験の一面を学び,学校荒廃現状の一面を今後の中国の戒めとして中国の教育 改革に生かそうと考えている。
2 経済成長と教育
(1)日本の経済成長と教育成長
1960年代から1970年代初期にかけて日本において繰り広げられた目覚ましい 経済成長の時期を一般に高度成長期と呼んでいる。この時期を境にして日本社 会は日常普段の生活のほとんど全局面で様相を一変させたのである{3}。
高度成長期とは,豊かさを求めて,個人,家族,社会のすべての営みが大変 貌を遂げる時代となったのであった。
高度成長期は,また多くの人々に「教育の夢」を実現するチャンスを与えて くれた。その申心にあったのが志望者の高校全員入学の取り組みであった。こ の時期,高校全員入学運動が起こり,これに応えて各自治体も高校を増設する 金銭的余裕をもつようになった。こうして,高校進学率は1950年の44%,1960 年の58%から1970年には82%,1975年には92%と急上昇し,以後93〜4%の高
さをずっと保持している(4)。
高校生が増えると,大学(学部及び短大)進学志望者も増えてくる。大学の 新増設に支えられて,大学進学者は1960年の20万人(同年齢者のうちの10%)
から1970年の47万人(同上24%)へ急増し,さらに1975年には61万人(同上 38%)に達した。僅か15年の間に大学進学者の数は3倍も増えたのである(5)。
みんなが上級学校へ進学して行くという「教育の夢」が実現された瞬間,皮 肉なことに,点数が人生の進路を決定する状況が広がり,学校の決定権が強化
し,かえって教育の自由が失われていくようであった。こうして学校の選別的 管理的性格が強まっていけばいくほど,生徒の間に自治と自主が失われ,友情
と連帯が損なわれて,点数による序列化の意識が広がっていった。その結果,
いじめや登校拒否,学校に起因する子どもの自死が多発するようになった。点
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数が子どもたちから人間の心,生きる力を奪っている事実が,誰の目にもはっ きり映るようになったのである。
60年代の経済成長は子ども文化にとっても大きな変化をもたらした。1953年 2月1日,NHKは東京地区でTV放送を開始し,同年8月,日本テレビがこ れに続き,以来NHKの地方局,民間放送のTV局は放送網を全国に拡げてい
き,1960年までには,全国ネットワークが出来上がった。また1957年12月には NHKと日本テレビがカラーテレビ実験局を開局,テレビ契約数もすでに1958
年には90万を越え,1967年には2000万を突破し,普及率は83.1%となった〔6}。
国民の業余文化生活は確かに豊かになった。しかし,それは決していいことだ けではない。もちろん問題はその内容にある。
子どもの読み物も,TV文化と視聴覚時代の特色を反映して,色刷りの美装 丁版が好まれるとともに,テンポの速い,空想漫画が氾濫し,子どもの思考力 の発達に問題をなげかけた。
テレビ時代の成立は,子どもをはじめとする人々に週感覚を定着させた。め まぐるしい時代の流れの変化に対して,月単位ではそれに対応することは困難 となり,週単位の情報メディアが時代の要請としてクローズアップされてく る。59年に「週刊現代」「週刊平凡」「週刊文春」などが次々に発刊され,週刊 誌ブームが出現するが,同じ年「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」{7}も
発刊され,子ども文化にも週刊誌が登場し,マンガを読む大学生へと成長して いく。日本に来てから,電車の中,本屋,図書館などのところで,注意を払っ て見ると,確かにマンガを読んでいる人が多いのにびっくりした。
こうして,60年代に進められた高度成長政策は,ハイタレントと各種労働力 の確保を中心課題として教育制度の多様化,種別化を進め,戦後の六・三・三
・四制の学校制度を実質的に変更していったが,そればかりでなく,それが必 然的にもたらした地域と自然の破壊のもとで,子どもは,その誕生の時,い や,母体に生命が宿った時から,発達的困難と不安をともなう状況におかれ,
伝統的な集団遊びは失われ,子どもたちが父母とともに働く機会は少なくな
り,地域は教育力を失っていった。こうした状況の中で貧困な幼児教育施設
は,学校に行く前の段階で,すでに多くの不平等を作り出し,テストと競争の
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教育は登校拒否症の子どもを生み出した。非行や自殺の増加も,教育不在の深 刻な事態を反映するものだと言ってよい。
ところが,わたしたち外国人の目から見ると,世界の経済大国にもなった日 本は,工業,農業,科学技術などの分野が進んでいるのに,学校教育の過程に おいて,なぜいじめや,登校拒否,自殺などのような問題が続発したのか・不 思議に思うわけである。これもわたしだけでなく多くの中国人の関心ある問題
だと思う。
(2)中国の近代化建設と教育重視
子どもは国の未来であるとよく言われるが,世界各国において,子どもに対 する教育は非常に重要視されている。中国も1949年の建国以後,子どもの教育 に力を入れ,学校施設の設置,福祉を高め,「徳育・知育・体育」の三つの方 面から関心を寄せ,国に役立つ人間に養成するよう努力してきた。しかし,周 知のように,中国の歴史には教育荒廃の時期があった。他でもなく「プロレタ リァ文化大革命」であった。この文化大革命の風潮は大人に影響を与えたばか りでなく,子どもにも大きな影響を与えた。時の政府は,学校教育を無視し,
小学生から大学生まで全員を社会に出し,肉体労働をさせ,実践主義を強調し た。そこで,培われた人間は実践的能力だけを持ち,理論はさっぱり分からな いという有様であった。
文化大革命が終わって教育の意義も再び高く評価され,そして1986年4月
「中華人民共和国義務教育法」が全国人民代表大会で審議され,採択された。
小学校から中学校までの九年間の教育が義務付けられた。また1993年に第8回 全国人民代表大会第一次会議における政府工作報告では,「この五ケ年に,教 育事業は比較的大きな発展ぶりを見せた。教育事業への投資は3,200億元,前 五ケ年より1,710億多くなった。全国76%の県で小学校教育を普及させ,多く の都市では初級中学を普及し,高等教育も新たな発展を見せている」と評価
し,同時に中国政府は次の2点を上げ,「その1,国民全体の素質を高めるこ
とは根本的な大計であり,その2,教育は社会主義近代化建設に奉仕し,生産
労働と結びつけなければならない。徳育,知育,体育の全面的に発達した建設
経済成長と教育について 14g
者,後継者を養成すべきである」(8)ことを重点的に強調した。
近代化建設のテンポが速くなるにつれ,進学率も高まりつつあり,高等教育 機関の例で言うと,1949年の建国当時,205校だったのが,1990年現在1,075校 になり,在学生数は1949年11万7,000人が,1990年現在210万人になった。大学 院生は11万人であり,各種学校は1,300校で,学生数は170万人である。1949年 の時,総人口5億5千万人のうちの80%以上,農村では実に95%以上が非識字 者であり,学齢児童の入学率は20%前後にすぎなかった。しかし,1987年の統
計によると,学齢児童の入学率は全国平均で97.2%で,小学校卒業生の初級中 学への進学率は69.1%,初級中学卒業生の高級中学への進学率は2.8%(職業 系諸学校を含めると39.1%)である{9)。
中国の教育制度を見てみると,小学校6年,中学校6年(初級中学3年,高 等中学3年),大学は文科系4年制で,理科,医科系5〜6年制である。省市 で運営している学院もあり,2年制である。そのほかに専門学校,技術学校,
夜間大学,通信大学などがある。80年代に入ってから,重点大学,重点学院,
重点高校,重点中学校,重点小学校,重点幼稚園も現われるように至ったので
ある。
日本の60年代の経済成長期にしろ,中国の近代化建設にしろ,このような経 済成長を発展させるには,多くの各種の人材と各種労働力が必要である。これ
を確保するために政府としては相応の政策を制定するのも当たり前のことであ る。但し,中国と日本は社会制度と経済成長の目的が違うために,その人材を 養成する教育分野における目的も自ずと違ってくる。教育における社会主義の 特徴は平等主義を提唱し,社会主義に奉仕する人材を養成し,資本主義の特徴 は能力,効率を提唱し,資本主義に奉仕する人材を養成することである。しか し,先進国に追い付き,追い越そうとしている中国も教育構造が変わりつつあ
り,資本主義の競争原理を導入し,個人の能力と学歴が重要視され,点数によ
る学級の再編成,重点学校の指定などという点では,日本の能力主義と学歴主
義の提唱,エリート校の存在,点数による人間の価値の序列などと比べてみ
て,大して差はないように思われる。
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3 教育競争の異同
(1)学校の序列化:日本の教育競争
60年代に入り,日本において独占資本主義が確立して,財界が国家と癒着す る中で,経済界をリードする経営者団体(日経連,経団連,経済同友会など)
が次々と教育に対する「要望」や「意見」を出していた。例えば,1960年7月 に経済同友会の「産学協同について」,1961年8月に経団連,日経連の「技術 教育の画期的振興策の確立推進に関する要望」,1965年2月に日経連の「後期 申等教育に関する要望」などをあげることができよう。これらの「要望」や
「意見」の柱は,技術革新と経済発展のために必要な産学協同の組織的,制度 的推進,ならびに労働需要に見合った人材の選別と配分のための教育制度の再 編の二本である。
その二本の柱を確実に政策に反映しようとしたのが,経済審議会の答申「経 済発展における人的能力開発の課題と対策」(1963年1月)と中央教育審議会の 答申「後期中等教育に関する拡充整備について」(1966年10月)であろう。この 二つの答申は,いずれも能力主義教育を徹底する必要性を強調している。それ
は,ハィタレント・マンパワーの養成を頂点として,コース別学級編成,能 力,適性に応じた教育,高校の多様化を進め,選別を制度的に体系化すること
を意図していた。さらに文部省も1961年から1964年にかけて,いわゆる管理的 テストとして「全国中学校一斉学力調査」を実施したflo)。
全国中学校一斉学力調査は,日教組の組織的反対闘争と広範な父母や国民大 衆の反発によって中止となったが,高校の増設と全入を中心の柱にして父母や 国民大衆の後期中等教育への関心と要求が急速に高まっていった。日本政府 は,これを逆用して,能力主義教育政策を推し進めるばかりでなく,学校間の 格差を広げ,高校の多様化を確立し,総じて差別と選別の教育を再編成してい った。このような社会雰囲気の中で,結果としては,父母や子どもの間に学歴 信仰が強まり,受験戦争が激しくなる一方である。能力主義教育が唱えられ,
それを基調とする学校の序列化も,実は企業や行政などの諸社会組織における
管理体系のピラミッドの縮図にほかならない。能力主義教育は,管理的な社会
経済成長と教育について 151
を成立させるための大きな条件を成すものと言えよう。
それにしても,子ども,父母や教師,学校側の払う犠牲は余りにも大きかっ た。例えば,日本の新聞,雑誌を広げてみると,次のような見出しの記事がし ばしば目に入る。「埼玉で 小4暴力教育 同級生の女児に集団リンチ」78.2.
10(毎日),「中学生,友達3人を殺傷,2人でメッタ突き いじめられた仕 返し」滋賀・野洲中78.2.13(読売),「中学生,集団で暴力・部屋で女生徒殴 る一 野球拳 で裸にも」長崎78.2.27(朝日),「不良仲間にいじめられた中
3生がガス自殺を図る,爆発して出火し団地2戸全焼」東京78.5.15(朝日),
「熊本で中2生が首吊り自殺, 友達がいじめた と」78.11.11(朝日),「いじ められて登校拒否に,思い余った母が中1生の息子を絞殺,母親を逮捕」神奈 川・茅ケ崎80.8.28(各紙)(11)等々,例を挙げればきりがないほどである。85年 には59件も発生したという。こうした暗い悲しい事件は,増えこそすれ減るこ
とはない。
高度成長政策にともなう社会構成と社会形態の変化は,子ども,青年の発達 の基盤そのものを変えていった。地域開発と石油と化学工業を中心とする新産 業コンビナート都市の出現は,同時に,大気汚染,河川,海洋汚染をともなっ
ての公害産業と公害都市の出現であり,農業の集約化は,水銀農薬の集中過剰 散布による自然と地域の破壊をもたらし,子どもの発達的環境にとって,重大
な影響を与えたが,さらに,薬品医療公害,食品公害は,最も弱い存在である 老人と子どもに被害を与え,とりわけ可能性に満ちた子どもへの影響は,それ が一生にわたるだけに重大であった。
自然環境が破壊されつつあり,生活環境もどんどん変わってきた。子どもの
孤独問題がその一例である。一言で言うと,子どもの数が少ないため,父母に
よる過保護,あるいは子どもへの教育が厳しすぎたなどに原因があるのではな
いか。だから子どもの自殺,家出,非行などの事件が多く発生している。それ
は決してその生育過程における精神的な孤独と無関係ではない。核家族化の進
行,共働きの数の増大,大人たちのバラバラな生活,これらの条件が重なり合
っていて,子どもの孤独を深める一方である。都会の土地価格の高騰により住
宅はますます職場から遠く離れ,単身赴任と残業も加わって,お父さんと子ど
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もは顔を合わせる時間も滅多にない。仕方がなく子どもは家庭の申では一人遊 びに慣れさせられ,勉強とテレビ視聴に明け暮れ,父母や兄弟姉妹とは切り離
されて育ち,彼らとの心と心,体と体のぶつかり合いもない有様になってい る。学校でも先生たちや友だちとの交際で深入りできず,勉強の上でも楽しく 勉強するのではなく,仲間に打ち勝つことが先立って,本当の友情が生まれな い。地域でも子どもの組織や集団が減少し,父母とくに母親の過保護や過干渉 により,仲間からの離脱が目立つようになった。
子どもの孤独はもう一一般化してきている。普通,一つのクラスの中において
「できる子ども」と「できない子ども」がはっきりと分かれ固定化してくると,
「できない子ども」がクラスからの孤独感を鋭く意識すると考えられがちであ る。しかし,それだけではない。激しい受験競争の中で孤独に陥っている「で きる子ども」も少なくはない。また,現実としては,口もきかず集団に背を向 けた本当の孤独な子どももいると同時に,群れの中に入って,群れの動きに身 を任せて主体性もなく弱い子どもをいじめたり乱暴を働いたり,かなり威張っ ている子どももいるようである。
(2)重点学校の指定:中国の教育競争
ところで,社会主義の中国でも近代化運動とともに,日本に起きた例に近い 事件も相次いでおり,とくに中国政府が「一人っ子政策」を出してからいろい ろ思いも寄らない事件まで発生している。例えば,申国の昔からの根強い封建 的意識のせいで,一人っ子ならどうしても男の子が欲しい。女の子が生まれた ら嫁が姑に見下げられ,家庭不和の原因となってしまう。また,一人っ子だ と,どうしても過保護になってしまう。学校での教育はなかなか順調にやって いけない。ひ弱な子とわがままな子と両極端に分かれ,いじめる子といじめら れる子も生じてきた。競争も例外ではない。「わが子が竜になるのを望む」の は社会の風潮になった。
文化大革命後の教育改革の中で,最も速やかに着手されたのは高等教育分野
の改革であった。大量の高等専門人材に対する需要から見て,無理からぬこと
である。文化大革命中停止していた統一大学入試が77年に再開されたことを皮
経済成長と敦育について 153
切りに,以下のような施策が次々と打ち出されてきた。すなわち文化大革命中 停止していた大学院の復活と建国後はじめての学位制度の創設,重点大学の指 定,学年制の教育課程に代わる単位制の導入と選択科目の開設,専科学校・課 程の拡充,海外への留学生の多i数派遣,従来軽視されてきた財政,経済,管 理,法律といった学科・専攻の増設,学内管理機構の簡素化と管理職の専門化 及び若年化,管理運営に関する大学の自主権拡大方法の模索,教師の昇格・研 修制度の充実と待遇の改善,などである。
中でも,重点大学の指定が行なわれると,その大学は一気に人気を集め,多 くの大学進学志望者の競争の目標となった。実は大学だけでなく,小学校,中 学校,高校も重点の指定が行なわれた。各省,市には重点校が必ず一校乃至数 校あり,大都会の場合十i数校もある。重点校の中にも全国重点と地方の省,市 重点の区別があり,その頂点にあるのは全国重点大学,高校,中学校,小学校 である。勿論,重点校には全員が入学できるわけではなく,やはり点数によっ て決められる。このような制度が復活されてから,日本でいう「受験戦争」が
また始まった。大学に入ってからも,文字通り寸暇を惜しんで学習する学生の 姿がよく目につく。一言で言うと,文化大革命中に蔓延していた極端な「平等 主義」に対して競争原理を導入したのである。
ところで,統一大学入試再開の77年には570万人の受験者に対して,その僅 か4. 8%にあたる27万3,000人が入学許可された。驚くべき「狭き門」である。
その後,入学定員は年々増やされ,85年には60万人を越えた{12)。しかし,中国 の大学生が「エリート」であることは依然として変わらない。そうしたエリー
トの座を求めて,当然起こるべくして起こったことではあったが,文化大革命 前に優るとも劣らない受験競争が再燃したのである。
日本の学校の序列化と中国の重点校指定についていうと,すべて能力主義の 具現で,ランク付けという点においては似たようなものであると言えよう。
義務教育とはもともとすべての適齢児童に修学の機会を平等に与えることが
当然のことである。しかしこれはあくまでも建前のことであり,実際の現状は
違う。日本の学校の序列化,コース別の学級の再編成と中国の点数による選
抜,重点校の指定とは,一見して違わないように思われる。違うと言うなら
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ば,中国の場合,付加条件がついていることである。これはよい生徒を判別す る上で重要な条件となっている。つまり「三好学生」である。思想道徳が好 い,学習成績が好い,健康状態が好いという内容であるが,最も重要なのは社 会主義を愛するかどうか,共産党への忠誠心があるかどうかという条件が必ず 付いている。日本の場合は,その生徒の成績がいいかどうかと能力があるかど うかを見るのである。ここは生徒を判断する上での資本主義と社会主義との大 きな違う点ではないだろうか。
能力主義教育を克服する道は極めて険しい。だからと言って,手をこまねい て傍観しているわけにはいかない。教師たちが自分の小さな努力を積み重ねて いかなければならない。そうした実践の上に教師は,父母や国民大衆と手を携 えて,人聞らしい教育を子どもに保障する民主的な制度を実践していくほかに は道はない。
4 学歴主義の出現
(1)学歴主義の国家:日本
学歴主義とは何か。一言で言うと,人を使うにあたって,肩書きだけを見,
実際能力を重んじないことである。日本社会は昔から「学歴社会」だと言われ ている。学歴の違う人は社会において見つける仕事,地位とサラリー待遇の差 別がとても大きい。たとえ大学卒業生であっても,必ずしも同様な仕事と平等 の賃金待遇を得られるわけではない。しかし一流の名門大学卒業生だけに限れ ば一流の大企業でいい仕事を見つけ,多くの昇進の機会を得られるわけであ
る。
学歴主義と試験地獄は分けられない密接な関係にある。これらはみな進学制
度の不適当が原因でもたらされてきたのである。そしてこれらは産業社会を過
渡する資本主義官僚制度がもたらしてきた結果である。「試験競争」また「試
験地獄」とは,高い学歴を求めることである。過去において小学校,中学校の
段階では,日本の都市と農村の間の教育水準の格差はさほど大きくはなかっ
た。けれども,現在ではこの格差は相当大きくなってきた。農村の学校及び公
経済成長と教育について 155
立学校の教育質量の下降はとてもはやかった。他方,国立,私立学校の教育の 質量が高まり,このためエリートを養成する一流の学校になった。よい高校に 入るために,生徒が小学校の一,二年から補習学校に通いはじめ,進学試験の ために必要な知識を勉強するのである。
学歴主義,試験地獄はどういう背景のもとで生まれてきたのであろうか。最
も重要な背景は就職問題であろう{13)。
1973年石油危機以後,一連の大企業は職員を募集する時に「指定校制」を実 施し,有名な一流の学校,名門大学と連絡をとり,求人の際にはこれらの学校 の卒業生を採用する。雇用関係においては,日本にはまだ長期にわたって封建 的思想が残っている。つまり一人の人間が職に適するかどうかを見る時に往々 にしてその人の実際能力を重んじるのではなく,学歴を見,そして最も重視さ れるのは相手は一流の大学を卒業したかどうかということである。もちろん当 企業の歴史,バック,背景の如何,関係学に精通するかどうかなどのことも職 員を採用する標準の一つである。しかし,学歴ほどには重視されるものではな い。だから一流の大企業に入りたいならば一流の大学に進学しなければならな い。一一流の大学に入るために小さい時から数えきれないほどの試験を受けなけ ればならない。学歴,試験と就職はこのように密接に絡んでいる。長い間学歴
を重んじる勢力が衰えなく,試験地獄の状況はずっと改善されていないわけで
ある。
日本社会で学歴主義が流行したのはそれなりの歴史の根源がある。日本の資 本主義官僚制度と民間企業の伝統的募集制度は何れも学歴主義乃至試験競争を 形成させる重要な原因である。
企業では,学歴がいい職を得る最も重要な条件である。明治維新以後,三 井,三i菱,住友,古川のような私営大企業が必要とした技術人材は,みんな名
門大学工学部で育ったものである。早くも19世紀の末,大きい私営企業が政府 機関の組織形式をならって,名門大学の卒業生を招聰し,下の子会社へ派遣し 職に勤めさせる。東京高等商業学校(一橋大学の前身),東京高等工業学校(東 京工業大学の前身),慶応義塾,東京帝国大学などの工学部の卒業生は,ほと
んど大財団の重要なポストに在職していた。これらの人たちにとっては,大財
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団に所属する企業で仕事をするのはいい待遇を受けるし,また極めて高い社会 地位が得られる。私営企業の高級職員に対する需要は学歴主義を形成するのに
もう一つの原因となっているのである。
学歴主義は教育自身にも悪い影響をもたらしてきた。日本では,人々は試験 を重んじ過ぎ,試験成績を重んじ過ぎるのである。知育だけを重視し,徳育,
体育を重んじなくなった。教育自身の価値は歪曲され,学習は肩書きを勝ちと る手段になった。学歴主義の影響のもとに,子どもは小さい時から,名門学校 に入り,威信の高い仕事をし,幸せな生活を送り,方策を考え尽くして,相手 に勝つといった思想が形成された。
学歴主義試験競争の中で,大部分の優勝者は,疑いなく家庭経済条件が優越 であり,いろんな学習条件に恵まれた上層階級の子弟である。日本では,社会 地位,職業と家庭内における文化資本の蓄積が子弟の進学に大きな影響があ
る。
一流学校,名門学校に入りたいと思い,受験競争の中でよい成績を勝ちとり たいと思うならば,まず必要なものは金銭である。教育費というと,人々は往 往にして補習学校(日本では塾という)に支払う学費のことを思い出す。
(2)立身出世論:中国
社会主義国家においても,特に開放・改革政策が実施されて以来,学歴が高
いほどいい職業に就職でき,収入も高い,地位も高いわけである。1988年頃ま
では周知のように,中国の就職制度は「統一分配」で,つまり卒業すると,学
生の就職先はみんな学校が斡旋してくれるのである。その基準といったものは
まず第一に政治思想の面において向上心があるかどうかを見るのであり,専門
知識が合っているかどうかは第二の次元であった。そのため,多くの学生が大
学に入っても,専門知識を勉強するよりも如何にして政治の面においていい業
績を取るか,如何にして早く共産党に加入できるかに関心をもち,優先的に考
え,結果的には専門知識の勉強を疎かにしてしまう。しかし,いい職業につく
ことができた。これは政治による「立身出世論」の現れと言えよう。他方,専
門知識について専念した学生は成績は優秀だが,政治に対して「無関心」だと
経済成長と教育について 157
判断されていい加減な職場に送られ,一生涯自分の専門知識と合わない仕事を してしまう。こうして当時,学生としては希望があっても自由に職業を選ぶ時 代ではなかったため,往々にして就職先の希望と現実がずれた場合が多かった
し,実際に習った専門知識は就職先の専門と一致しないことも多かった。いっ たい何のために勉強したのかという疑問を抱く者も多く,「読書無用論」とい う風潮が一時流行り,結果的に学習意欲に燃えなくなった。ところが,専門知 識と実際の生産労働を統一し,結びつけるべきであるという発想から,現在一 部の学校では自由就職制度をとるようになった。そうすると,雇用側としては もちろん有名校出身で,学歴の高い人,成績のよい人を条件として採用するの も不思議ではない。したがって,学生側としては本人を含めてその親も何とか して一流の会社に就職できるよう,より高い学歴を目指して必死に頑張ろうと する現象が現われた。
ここで指摘しなければならないもう一つの現象は「コネで就職する」という ことである。自由就職制度ができたからといってみんな順調に就職できるよう になったとは限らない。多くの高校卒業生がコネがあるからいい会社に就職で
き,逆に一部の大学生がコネがないため,就職ができなかったということもあ るようである。そこで,大学に入って四年間勉強するのは無駄なのではないか と考える人もいないわけではない。だから,高校卒業してから外国語学校へ行 って英語なり日本語なりを覚えて外資系の企業に就職することも一つの流れと なっている。
主流から言うと,やはり学歴が高ければ高いほどいいとみんな思っている。
国内の新聞もそうであるが,日本で見られる海外版「人民日報」も一流企業の 人材募集欄においては必ず大卒,修士卒,博士卒を条件として募集し,待遇か
ら見ると普通の人よりかなり優遇されているようである。
学歴主義について言えば,中国では日本ほど悪効果は出ていないけれども,
未来に満ちた子どもたちが能力主義と学歴主義政策の犠牲者にならないよう心
から願っている。ところが,現実としては,自分の子どもを将来「○○家」と
か「○○者」とかに成らせようと思い,つまり自分の夢を子どもを通して何と
かして実現きせようと考えているのが今の親の本音である。自分の子どもを出
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世きせようと思うことは日本の親も中国の親も共通した点ではないかと思う。
5 学歴主義教育の傾向
(1)学校教育への逃避
日本の学歴主義は,日本の厳しい管理社会に深くかかわって成り立ってい る。そしてそのかかわりが強く一般化している。中,高卒を底辺とし,有名大 学卒を頂点として,学歴のピラミッド構造となっている。それが官庁や大企業
を中枢とする巨大にして高密度の管理社会を支えてきたし,また現在も支えて いると言えよう。
日本において,その構造的な関連は何に由来するかというと,明治維新以降 の「後進国」としての日本が,従来の身分,階級や門地を乗り越え,学歴とし ての能力を基軸にして,国家の強大化,企業の巨大化のために,それら行政や 経営の担い手としてヱリートを養成することを重要な任務としたからである。
能力を学歴で測り,そうした学歴主義が,日本という資本主義国家の体質の一 部を成してきたと言っても過言ではない。
資本主義国家が発展の途上にあった時期には,学歴主義という思想が国民や その子弟の心の一部に願望や憧憬としてうずいていたとしても,それほど大き な社会問題にならなかった。しかし,1960年代以後の独占資本の復活と経済の 高度成長の時期には,中高等教育への就学が高まるにつれ,学歴主義がさらに 強まり,これが国民の間の進学熱を一段と促進した。このように波が広がるよ うに,教育界における学歴主義の思想は,ずっと現在まで一貫して流れてきて
いる。
学歴主義の影響で,学歴の格差が,そのまま個々人の所得や社会的地位とな って現われるのである。そうした学歴の社会的な重要さと有効を身に染みて知 っている父母たちが,激しい受験競争の,わが子どもの心身に及ぼす弊害を承 知の上で学歴にこだわるとしても,一概に責めることができないであろう。
日本政府,文部省や企業は,1960年提唱の「国民所得倍増計画」,1963年答
申の「経済発展における人的能力開発の課題と対策」などをきっかけとして,
経済成長と教育について 159
経済の高度成長に必要な「労働力の能率的養成」,一握りの「ハイタレント・
マンパワーの養成」などの政策を出した(14)。人的能力開発政策は能力主義の名 において,学校の選抜機能が幅をきかせ,あらゆる段階における学校の間に格 差を広げ,学歴主義をいっそう強めた。それは,管理社会の強化への道を開く
ことにほかならなかった。
強度な学歴主義に影響され,また学校の選抜機能優先の結果として,有名国 公私立高校一有名私立中学校というエリート・コースへの集中が生まれてく
る。学校間の格差序列化がどんどん進む。そしてエリート・コースにのるため の受験競争が,小学校や幼稚園にまで影響を及ぼしている。有名小学校への進 学を目指すため,幼稚園児を対象とする塾も出現してきた。また受験のための 特訓を施し,受験組を設ける幼稚園もあるという。有名中学校入試を目指すた めに,小学校高学年児を対象とする進学塾も増える一方である。また普通の小 学校の中にも,人間の教育とその発達段階に即する指導を放棄して受験能力を 高めるために熱心に指導しているところが少なくない。こうしてどうしてもテ ストや宿題も多くなる。それについていけない子どもは,勉強嫌いになり,や る気を失ってしまう。「落ちこぼし」児童,「見切り発車」授業が,小学校教育 の中に蔓延していく。果ては「ガリ勉」の子どもをねたんでいじめるような事 例が続発する。できる子どもにしても,息を抜く暇もない受験勉強に疲れきっ て両親に反抗し暴力をふるい,傷つけるところまで事態は発展している。成績 の低下を苦にして父母が子どもを道連れにする心中や子どもの自殺という痛ま
しい事件も発生している。こうした事態や事件は,中学校,高校と上に行くほ どエスカレートする傾向にある。
中学生・高校生の非行,家出,学校嫌い,快楽追求,情緒障害,自殺など が,毎日のように新聞紙上やテレビの画面などで報道されている。こうした一 連の問題の原因や動機は,子どもの性格,仲間関係や,家庭環境などと関係が あるが,より大きく「学業不振」とか「進学問題」といった学校の問題に関係
がある。
上昇傾向をたどり父母や教師の眉をひそめさせている,子どもの自殺の問題
に触れてみよう。「警察白書」によれば,子どもの自殺者は,1969年の789人か
160
ら1978年の866人と漸増し,とくに高校生の自殺が目立っている。1978年の少 年の自殺者を原因,動機別に見ると,「学業不振」,「入試苦」など学校問題に
よるものが27.8%と最も多い。非行,学校嫌い,家出などについても,多かれ 少なかれ学校問題が左右していることは,きまぎまな調査の結果から明らかに
なっている㈲。
いうまでもなく経済の高度成長政策を促し,能力主義教育政策を支える管理 社会体制の基底に「学業不振」「入試苦」がある。それに由来する管理強化は,
子どもの人間的な発達ややる気を歪め,逸脱的な心理や行動をあおっている。
これに対応するかのように,学校の管理主義的で非教育的な指導が,学校違 反,体罰や懲罰の形をとって子どもに加えられる。こうして子どもは,ますま す教師への反抗,すてばち,欝憤晴らしといった逸脱的な心理や行動に走る。
校内暴力も,その例外ではない。こうした悪循環の中で学校教育は荒廃現象を 呈するようになった。
教師にとっては,こうした管理社会体制の強化の深まりからすぼやく立ち上 がり,人間教育を回復するには,勉強と並んで労働,自治という二つの柱を回 復することが最も重要なことであろう。こうしてはじめて,教師と子どもの間 に信頼関係ができ,子どもの人間的な発達の歪みを取り戻すことができるので ある。同時に,あらゆる活動において,一人一人の子どものやる気がよみがえ ってくるにちがいない。
(2)学校教育への情熱
近代化の中で日本社会は学歴社会になり,今ではあらゆる職場が学歴を重ん じるようになった。親自身それを身に染みて感じている。このような社会の中 でわが子が人並みに,もしくは人並み以上に,暮らしていけることを願うなら ば,そのために,せめて学歴だけは人並みに,できたら人並み以上に,わが子 につけさせたいと望んでも,それは親の情として無理ないことである。こうし て,学歴としての教育を求める気持ちが,とりわけ核家族の親の間に,噴出す
るようになった。
中国では四つの近代化の実現を目指して頑張っている時代において,学歴重
経済成長と教育について 16エ
視という傾向も現われてきており,この中で親の子どもへの教育投資がブーム になってきた。今の親たちはほとんどプロレタリア文化大革命時代を経てきた 者であり,その時代のおかげで,勉強しようと思ってもろくに勉強はできなか った。かつて持っていた夢はすべて泡となった。そのため自分の代わりに子ど もへの期待は大きい。それに「一人っ子政策」の実施にともない,子どもへの 過保護は過去にない有様となって現われた。欲しいものは買ってやる。家庭内 の手伝いはさせない。放課後帰宅してすぐ宿題の時間に入る。おまけにお父さ んかお母さんが付き添っている。お金持ちの家は家庭教師を付けさせる。子ど もの将来のために自分の子どもをピアノ,バイオリン,絵描きなどの教室へ送 る。とにかく,自分が実現できなかった夢を子どもに託し,子どもを通して実 現させようとするのは両国の親の共通点であると言えよう。
申国の社会事情は日本の場合と違って,100%と言っていいほど共働きで,
会社の仕事を終えて一杯飲んで帰るような習慣はない。普通の家庭は退社の時 間になると夫婦そろって帰宅し,そして片方は台所に立ち,夕食を支度する。
片方は「家庭教師」になって子どもの宿題をチェックしたり,学校での一日を 報告させたり,課外宿題を与えたりして完成するまで付き添うのである。とく に都会ではこのような光景はあちこち見られるようになった。日本に父母会が あるように,中国にも「家長会」があり,年に2回の定例となっており,それ は7月と1月に開き,そこに出席している親は日本と反対にほとんど父親であ る。これは教育に対して父親の方がより関心を持っているからなのかも知れな い。日本では「教育ママ」と言い,中国では「教育パパ」と言っても不思議で
はないだろう。
ところが,現在の中国の社会において,日本のように塾がなく,あっても塾 へ行かせるような余裕がないのが現実である。家庭教師を家へ呼べる家庭もや はり多くない。人に負けないように父親は自分が先に子どもの教科書を勉強
し,もし分からなければ本屋へ行って「家庭指導参考書」を買ってきて勉強 し,それから仕入れた難題を子どもに押しつける。家庭での子ども教育は父親 の重荷になるようになった。これは「教育パパ」としての責務なのかも知れな
い。
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子ども側から見ると,「おまえの今日の任務は遊ぶことではなくて,勉強だ」
と教えられ,自分も「遊んではいけない,とにかく勉強するのだ」と意識して いる子も少なくない。だから「テレビを見るのは土,日に限る」,「テレビゲー
ムは日曜日の午後に限る」と制限されても子どもは素直に聞いて抵抗しない。
このように学校では勉強,家庭においても勉強という状態に置かれている子ど もは心身ともに健康的な発達が得られるのだろうか,考え直さなければならな い。これと関連のあること,つまり子どもの労働離れの問題である。昔のよう に朝早く起きて朝市場へ買物に行かないと何も買えない現象はなくなった。そ れに半既製品,パック製品も市場に出回り,家庭における家事労働はその量が ずいぶん減少された。それに従い,子どもの家事労働への手伝いもますます少 なくなった。もともと勉強第一で,家事労働の手伝いはどうでもいいと考えて いるから,七輪の火の起こし方や,靴下とハンカチの洗い方や,お碗やお箸の 片付け方法などが分からないのも不思議ではない。労働を愛する思想を培うど
ころか,実際は労働喪失という傾向も現われつつあるのではないか。
ところで,中国の八割の人口は農業人口で,その農家の子どもは依然として 大自然に接しているし,学校から帰ってから放牧,草取り,家畜の飼育などの 手伝いをしている。労働喪失や自然離れを防止するために,中国の小学校では 労働という時聞を授業科目に編まれ,中学校から大学までそれぞれ3ヵ月乃至
6ヵ月の工業と農業の労働に参加することになっている。学んだ知識を実践の 中で立証するのも目的の一つであろう。
終わりに
学校教育の一環として,近年来,教師の社会における地位や待遇を高めるた
めに政府もいろんな配慮を配っており,とくに教師の給与引き上げや住宅など
の待遇改善の面において力を入れ,また教師を尊重する社会的気風を促すた
め,1985年から,毎年の9月10日が「教師の日」として定められた。1986年5
月には「教師職位試行条例」が公布され,小学校および初級・高等中学の教師
をそれぞれ高級,1級,2級,3級,4級に分け,各々の職責と資格要件につ
経済成長と教育について r63
いて明確な規定がなされた。こうした措置によって教師の社会的地位の安定や 質の向上も見られるようになり,教師の積極性も発揮できるようになった。
楽しい学校を作るには教師だけの力では足りないし,生徒だけの力でもでき ない。現在中国ではとくに大都会では楽しい学校を目指していろんな実験が行 なわれており,「教材を使わずに授業をやろう」,「野外で授業をすすめよう」,
「生徒を教壇に立たせて学習体験を述べさせよう」などといった例は珍しくな い。生徒の方も「学校は楽しい」という実感が湧いており,朝早く学校へ行っ て教室の掃除をしたり,クラスメートの机と黒板をきれいに拭いたりし,学校 が終わってからトイレと廊下の掃除やキャンパス周辺の草取りなどを積極的に やることは,ごく自然の現象として現われている。
学校教育の過程において,日本は一本立ての教育システムに対して,中国は 二本立てのシステムを貫徹している。つまり知識教育とともに思想教育も同時
に行なわれている。小,中学校において,「少年先鋒隊」という組織があり,
中学校から大学にかけて「共産主義青年団」という組織があり,大学から(満 18歳以上)「中国共産党」という組織があり,これらの組織を通して政治思想 教育を行なっているのである。これは社会主義と資本主義との制度的違いによ
る異なった教育目的,教育内容と方法である。
但し,先進国に追い付き,追い越そうとしている中国では教育構造が変わり つつあり,資本主義の競争原理を導入し,個人の能力と学歴が重要視され,点 数による学級の再編成,重点学校の指定などという点は,日本の能力主義と学 歴主義の提唱,エリート校の存在,点数による人間の価値の序列などと比べて みても大して差はないように思われる。だから,資本主義の高度成長政策とそ の教育方式によって生み出された非行,いじめ,登校拒否などの問題は中国で も再現されるのではないかと心配せざるをえない。非行やいじめや登校拒否な どの問題の事実,背景,原因を真正面から正視し,教訓として受けとめておか なければならない。
日本における学校教育の諸問題は,まさにこれから中国の学校教育の申に出
てきそうな問題だと思う。これらの問題をいかにして教訓にし,防ぐかは,教
育に携わっているわたしたちが考えなければならない問題である。
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子どもは無限の可能性を秘めている。その可能性のたった一角に過ぎない子 どもの「学習」に,親や教師たちは期待をかけ過ぎていないだろうか,またそ のほかのすべてを儀牲にして学習効果を上げたところで,果たしてそれが子ど もたちにとって,幸福な人生につながるのであろうかと反省しなければならな
い。
教師としては子どもたちの要求を無視して,彼らをがんじがらめに縛り上げ てはいけない。子どもの希望を尊重し,子どもの実力を客観的に分析して,何 の教材が必要で何の教材が必要ではないかを見極めて,授業を行なっていかな
ければならない。これぐらいのことは教師にはできることである。そして,学 校教育の中に,「学習,労働,自治」という三本柱を取り入れてこれを中心と
して指導を行なうと同時に,子どもたちには自由の時間を与え,子どもとの付 き合いを多くし,子どもとの間で本当の人間関係を作っていかなければならな い。これこそ教師としての使命だと言えよう。
日本の客観的発展の規律に符合した対策はわたしたちの学ぶところであり,
独占資本の利益ばかりを考えたためもたらされた悲劇はわたしたちの戒めると ころである。これもわたしの今後の研究課題の大きなテーマであると考えてい
る。
(1)中国教育年鑑編輯部編r中国教育年鑑1949一ユ981』中国百科全書出版社,1984年 を参照。
(2)記事「広州専門人材欠乏」(人民日報・海外版)より,1939年7月23日。
(3>高度成長と日本人PART 1個人篇r誕生から死ぬまでの物語』高度成長期を考 える会編日本エディタースクール出版部,1985年,p.1。
(4)小沢有作「高度成長と子どもの生活構造の変貌」(r教育科学研究』第8号)東京 都立大学教育学研究室,1989年,p.1。
(5)小沢有作「高度成長と子どもの生活構造の変貌」(r教育科学研究』第8号)東京 都立大学教育学研究室,1989年,p.1。
(6}高度成長と日本人PART 1個人篇r誕生から死ぬまでの物語』高度成長期を考 える会編日本エディタースクール出版部,1985年,「遊び」を参照,p.68。
(7)高度成長と目本人PART 1個人篇r誕生から死ぬまでの物語』高度成長期を考
える会編日本エディタースクール出版部,1985年,「遊び」を参照,p.68。
経済成長と教育について 165
(8)1993年3月15日第8回全国人民代表大会第一次会議における国務院総理李鵬の 「政府工作報告」(人民目報・海外版)より,1993年4月2目。
(9}馬越徹編r現代アジアの教育』第6章,中国,第3節を参照,東信堂,1989年。
(10)高度成長と日本人PART 1個人篇r誕生から死ぬまでの物語』高度成長期を考 える会編 日本エディタースクール出版部,1985年,「修学」を参照,p.106。
(11)r体罰・いじめ』季刊教育法,86年9月臨時増刊号,エイデル研究所,1986年,
P.35。