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(1)

ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一 考察

著者 中村 博文

雑誌名 主流

号 46

ページ 90‑107

発行年 1985‑02‑20

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014967

(2)

90 

Byron の Manfred における主人公の拒否 についての一考察

中 村 博 文

Manfred  (1817)の 主 人 公 は 一 般 に , 飽 く こ と の な い 探 求 心 を 持 っ た Faust的人物だとされている

J

過去に犯した自分の罪を忘れるため,あらゆ る学問をおさめ,魔術を自由に使って精霊たちを呼び出す.彼らの面前でも 主人公は,何ら怖じけることはない.Manfrdの,このような大胆不敵な 巨人主義的態度から,彼をPrometheusにたとえることもできょう.

しかし他方,主人公の苦悩とは飽くまで己れのもの,己れがために忘却を 求め,死後の魂の救いすら拒否しつつ彼は死んで行く.人類に火をもたらす 為,あえて神の提に背き,そのため未来永劫神から責苦を受けることとなっ たPrometheusとは,従ってこの点で一線を画している.2Manfredはまさし

く,自我に目覚めた近代人の悲劇的記録と言っても差支えない3

本稿の目的は,主人公の自我の問題を,彼の他者に対する度重なる拒否の 本質をさぐることによって,少しでも明らかにして行くことである.

Manfredが,他者に何らかの拒絶的態度を示す場面は,人に対する拒否 と霊に対するそれとに大別できる.さらに,霊に対しての拒否でも,作品の 冒頭で現われる TheSeven Spirits (1, i,),  Arimanesと彼に従う霊たち (ll,  iv,),また主人公臨終の床に現われる霊 (ill,iv,)などの一群に対す るものと 2幕2場でのtheWitch of the Alpsに対する拒否とではニュア

(3)

ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察 91  ンスが異なる.The Witch of the A1psは次章で検討することにし,本章で はそれ以外の霊に対するManfredの拒否について考察してみたい.

作品の冒頭,主人公は,すでに失意の状態で登場する. Phi1osophyand  science, and the springs / Of Wonder, and the wisdom of the world" (I,  i, 11.  13‑4) 4などを全て極め尽したにもかかわらず,彼の胸中は一向に穏や かでない.あたかも GoetheのFaustの主人公を思わせる Manfredの独白は さらに続く 5彼の精神的苦痛の程度は尋常ではないらしく,とうとう彼は超 自然的存在にまでそれを解決する手段を求める.このようにして 7人の Spiritsたちが主人公によって呼び出される.彼らはそれぞれ,空・山・海・

地・風・夜・運命を支配しており,各自はおのおのの支配力が及ぶ領域のも のを何でも主人公に与えることを約束する. しかし, Manfredの求めるも のは Ob1ivion,self‑oblivion!"  (1, i, 1.  144)であり,これはいかに霊た ちと言えども主人公に与えることはできない.Spirits ii,We are eterna1

and to us the past / Is, as the future, present."  (1, i, 11.  150‑1)と述べな がら,永遠性を帯びた者に忘却は無縁であることを主人公に説いて聞かせる.

過去のある苦い体験を忘れ去ることにのみ心を奪われていた主人公は,ひと たびSpiritsが自分の望みをかなえてくれそうもないことを悟る否や,彼ら に立去るように命じる( Hence‑ begone!" [1, i,  1.170]). 

主人公と Spiritsの一連のやりとりが行なわれるこのくだりで,主人公の 態度は不死であるSpiritsたちと比較して何ら遜色ないほどに毅然としてい る.たとえ滅びるべき肉体を有していようとも,その精神は,

The mind, the spirit, the Promethanspark,  The 1ightning of my being, is  as bright,  Pervading, and far darting as your own, 

And shall not yie1d to yours, though coop'd in clay! 

(1, i, 1 1.154‑7) 

と彼が述べるように, Spiritsのそれに劣らないほど高揚している.城主

(4)

92  ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察

Manfredの,さらには貴族の末喬,作者Byronの自尊心をここに読み取る ことができょう. しかし,忘却を切望する気持ちが余りに圧倒的であったが 為,主人公はあえて霊たちとも対等に,堂々と渡り合えたと解釈することも 可能で、ある.人は極度の欲求心に駆られると,何ものにも恐怖を抱かなくな る.Childe Haroldは,メランコリックな気分を一掃するためなら黄泉の国 へでも行とうと言つで陣らなかった6これはManfredの主人公にもまた受 け継がれている.

ここで興味深いのは, GoetheのFaust冒頭との比較である.そこでは現 世のいかなるものをも得たのに9 なお,懐疑的な主人公が,超自然的存在の 助けを借りるべく書斎で霊を呼び出すや否や,霊の余りに恐ろしい姿を見て おじけづく.7Manfredにおいては,飽くまで主人公は毅然としており,さら に第3幕4場で、臨終の床へ主人公の魂を奪いにやって来た霊たちに対しでも 彼は, 1do defy ye"  (ill, iv, 1.  99)と断固霊たちの要求をはねつける.ま たChristopherMarloweのDocωrFaustusでは, Mephistophelesとの契約 により Faustusは24年間現世での生を保証されることになる 8いよいよその 期限が切れる日の接近するにつれて,主人公の不安感はいや増じてくる.と

うとう悪魔との契約が履行されようとする夜Faustusは,

Stand sti11, you evermovingspheres of heaven,  That time may cease and midnight never come  Fair nature's eye, rise, rise again, and make  Perpetual day; or let this hour be but  A year, a month, a week, a natural day,  That Faustus may repent and save his soul 

(V, ii, 11.  129‑34) 

と必死に祈り続ける.悪魔に自分の魂を持ち去られる今はの際に及んで,主 人公は恐れをなしたのであろう.

(5)

ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察 93  Faust伝説に基づく作品を創作したこれら 2人の先駆者たちはいずれも,

主人公が悪魔や霊に対面する際一抹の恐怖心を主人公に抱かせているにも拘 らず,ひとり ByronだけはManfred創作にあたりその主人公を恐れを知ら ない大胆不敵の人物に仕立て上げた.9Manfred第2幕4場で挽 Spiritsの長 たる Arimanesの 館 を 訪 れ た 主 人 公 は , こ こ で も 毅 然 と 振 舞 う . 手 下 の Spiritsどもがこぞって Prostratethyself" (n, iv, . 134)と主人公に命ず るのに,主人公は lkneelnot" (1. 36)と言い張る. Powersdeeper stil1  beyond一一1come in quest / Of such, to answer unto what 1 seek." 

( n

, iv,  11.  76‑7)と,その目的が達せられるまでいかなる困難をも厭わない積りら

しい.結局主人公は, Spiritsの面前で屈服することは最後まで拒否する.

そもそも主人公の求める自己忘却とは,感情面にかかわるものである.

Astarteという名の女性を精神的に苦しめた挙匂殺してしまったものと信じ 込む主人公は,過去の一切合財を忘れて苦悩から解放されようとする.にも かかわらず,忘却のために主人公がこれまで行なって来たことは,冒頭での 独自からも明らかなように(1, i, 1. 113‑4)諸学問の錬磨で、あり,知性面 に属することがらである.それ故,忘却というかねてからの希望はいつまで fこっても満たされることはない.主人公自身にもそれは自明であるに違いな

く,あえて彼は

. . they who know the most 

Must mourn the deepest o'er the fata1 truth,  The TreofKnow1edge is  not that of Life. 

と告白する.

(  1

, i, H.  10‑2) 

一方, the SevnSpiritsの本質に関しては WilliamH. Marshallが th

[the Spirits] themselves atespectsof Mind"と定義しているように10少く とも人の感情面の問題とは無縁な存在だと言える.それは以下の理由によっ

(6)

94  ByrohのManfredにおける主人公の拒否についての一考察

ても説明できょう.即ち,第2幕2場でtheWitch of the Alpsによって自 身の過去を内省させられたとき,主人公は,あらゆる学問を極めた結果魔術 (sciences untaught  1.84) まで行なえるようになったと述べる.学問に対 する探求欲は,学聞に深入りすればそれだけ益々高まって行き( with  my knowledge grew / The thirst of knowledge ..  "[11. 94‑5]) i その結 果彼が得たのが魔術であり,それによって劇の冒頭彼は霊たちを呼び出す.

ニれらの霊たちは主人公の知性の産物とみなして差支えないと思う.むろん,

そういう霊たちに,主人公の求める忘却が与えられようはずがない.

ところで, The SventhSpiritは, apowr"(1, i, 1.  126)によって主 人公に従うため彼のもとへ遣わされて来たと述べるが,その apower"とは Arimanesに外ならない.従って,これらの霊たちは皆Ariman自の配下に いると考えられる.ArimanesとはZoroaster教における Ahrimanと同ーの,

悪の原理を具現した霊だ、と Marshallは説明している 11また,キリスト教の Satanの原型を,この霊の中に認めている学者もいる 12ともあれ,第2幕 4場での Hymnof the Spirits" 01 .1‑16)で描写されているArimanesの 容姿から,彼は悪の化身であると判断してよかろう.そのAriman自に,

the Seven Spiritsはおろか, the DestiniesやNemSlSすらも恭しく仕えて いる( wewho bow / The necks of men, bow down before his thronel

, 

iv, 1. 120‑1]). 

以上のことから, Arimanesや彼を取巻く霊たちはいずれも堕天使に属す る霊と考えて差支えない.堕天使は Godと同じく不死でありながら,悲し みも永遠に消えることはない13the Seven Spiritsが,自己忘却という主人 公の望みを適えられないのは,堕落の悲しみを永遠に背負い続ける霊たちの 宿命とも解釈できる."kingdom",sway",strength",length of days" (1,  i,  .1168)などは与えられるが,肝心の忘却を与えることのできないSpirits は,主人公に退散させられてしまう.もはや霊の力を頼りにしない( I lean no more on superhuman aid."  [1 ,ii, . 14])と述べる主人公はやがて,

(7)

ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察 95  Arimanesの館を訪れAstarteの亡霊と義見する. しかし,すでに霊たちの 限界を見ぬいた主人公は,悪魔の王であるArimanesにさえ平身低頭する意 志など毛頭なかった.ただ主人公は, Astarteを呼び出すための手段として Arimanesの力を利用したにすぎない.いかにArimanesと言えども,彼の 権力は所詮相対的で、しかあり得ない.なぜなら, Arimanesに向かつて平伏 するように命じる部下の精霊たちに主人公は, Bidhim [Arimanes] bow  down to that which is  above him."  (II, iv,  1.46)と, Arimanes以上に強 力なものの存在をほのめかす発言を行なう.また Astarteの霊に一言も話さ せることのできないArimanesの様子を伺いつつ, Nemesisは ShlSnot  of our order, but belongs / To the other powers."  (II, iv, 11. 115‑6) と述 べる.むろんNm巳SlSは,彼女らの住む魔界を凌ぐ別世界を意識していた のだろう.

以上のように,霊たちに対する主人公の拒否は,忘却という感情面に係わ る問題を解決できない知性の限界を知った主人公には必然的なものである.

知性の諸相を示す霊たちがいかなるものを主人公に申し出たところで,それ らは自己忘却を求める主人公にとって無益に等しい.さらに,堕天使として の苦悩を永遠に背負って生きる霊たちには,襖悩があえて忘却できるなどと は,思いもよらぬことであったに違いない.

第2幕2場に登場する theWitch of thAlpsとは, Edward E. Bostetter  の言うように Shelleyan‑Wordsworthian spirit of nature and ldeal Beauty" 

と考えて差支えないだろう 14多くのByronの伝記作者が認めているよう に, 1816年夏,スイス滞在中 Byronは, She11eyとの親交を通じてWords‑

worthの汎神論的思想に接する機会を持った15]ungfrau山中で岩壁の突端 にイ宇むManfredは,

(8)

96  ByronのMan

ρ

‑edにおける主人公の拒否についての一考察 Oh̲ that 1 wer

The viewless spirit of a lovely sound,  A living voice, a breathing harmony,  A bodiless enjoyment 

(  1

, ii, 11.52‑5) 

と独自を行なう.自己をしばし時却し,周囲の自然と一体感を得たいと望む 主人公の言葉に,明らかにWordsworthの影響が認められる.

主人公が,同じAlps山中の谷間で雄大な

i

暴布を眺めつつ件んでいるとき the Witch of the Alpsが登場する.明らかに彼女は,周囲の美のシンボル

と考えられよう.彼女の容姿はどのように描写されているか見てみよう.

Beautiful Spirit! in thy ca1m clear brow,  Wherein is  glass'd serenity of sou ,l Which of itself shows immortality, 

O

 ,I ii, 11.  25‑7) 

永遠の美の権化であるかのような彼女の姿に,主人公はしばらく見入る

O .

32) ̲ ManfredとこのWitchの会話はさらに続き,もし主人公が被女の命令 に従うことを誓うなら,彼女は主人公を手助けできるかもしれないと述べる (11.  155‑7).  もちろん,主人公が従うことを拒否するのは他の霊に対する ときと同じである.だが興味深い点は,主人公がこの魔女の美しさに深く魅 惑されるという事実で,他のいずれの霊に対しても主人公は心を動かされる

ことはなかった.

Peter ].  ManningはこのWitchに母性原理を読み取り,主人公の彼女に 対 す る 態 度 は ・ 町 desirefor  the  vanished  security  of  the  maternal  embrace"を日音示すると説明している 16事実,主人公が彼女に対して見せる 態度に女性憧憶を看取できょう.さらに,彼があれほど執劫にAstarteとの

(9)

ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察 97  再会を求めるのも,今や故人となってしまったAstartε,即ち過去の女性原 理への回帰を彼が望むからに外ならない17Witchは,やがて主入公が再会 することになるAstarteの伏線としての役割を果たしている.この魔女との 遭遇により主人公は,女性的なるものを希求する気持をさらに掻立てられ,

Astarteと再会するための精神的な準備を整える( Withinfew hours 1 shal1  not cal1 in vain ← 十 " [II, ii, . 1198]). 

だが一方で,主人公はこのWitchとの遭遇以後幾分恐れをなしたかに思 える独自をするのも見逃せない.それは,以下の如く解釈できる.

Byronの伝記を辿れば,彼の母親は愛憎両極端でもって彼を育てたらし い18その結果十分な愛情を母親から得られなかった作者は,さらに,

Annabella Mil bankeとの結婚生活にも破綻をきたす19Byronは作品中でし ばしば,女性蔑視と思える態度を取るのは,このように本来の女性的優しさ を知らぬ不幸な彼の生い立ちに原因があるのだろう. しかし他方で, Au‑

gusta Leighに寄せる作者の恋慕の情から察して,女性に対する好奇心もか なり旺盛だ、った.言い換えれば, Byronの女性観には相当ambivalentな面 があり,これは Manfredにもあてはめられる.一度はtheWitch of the  Alpsの女性性に魅了された主人公が,やがて彼女の命じるままに従うこと

をきっぱりと拒む.さらに,彼女と遭遇した後, Astarteに話題が及ぶや主 人公は, 1dread the thing 1 dare" (1I,  ii,  .1199)と,怖けづいたかのよ うな言葉すら口にする.女性に関心を抱きながらもぞ、っこん惚れ込めず,逆 に相手を恐怖の対象とみなすManfredの態度はまた,作者Byronのそれで もある.

このWitchが女性性 (anima)の象徴だと仮定すれば, animaには当然,

男性を優しく抱擁しようとする母性的な面と,相手の男性性 (animus)を 抹殺してまで自身と同化させようとする危険な面の両方が存在するはずであ

る,20Manfredのよ.うな唯我独尊に生きる人物が,あえて自己の男性性を否 定し,魔女の命令に素直に応じるとは考え難い.同時に,前述したWords‑

(10)

98  ByronのMafredにおける主人公の拒否についての一考察

worth的自然観のシンボルがこのWitchだとして,なるほど一時はShelley を介してByronはこれに関心を示した. しかし, Byronにとってこれは飽 くまで借りものの思想にすぎなかった21Childe Harold's Pilgrimageに端的 に見られるように,静的な自然観よりも動的なものをより好む彼の性向も無 視できないが

F

静的な調和を得るためには何はさておき先ず己れを否定 し,永遠の流れの中に自己を埋没してしまわなければならない23その目的 に対して,作者ないしはManfredの自我が余りに強力だ、った.

ところで, the Witch of the Alpsは他のいかなる霊よりも強力な影響力 を,主人公に対じて持っている.なぜなら,彼女との問答によって主人公は,

自らの過去を回顧し始める.彼は異常とも思えるほど他人を避け,孤独を愛 したこと,魔術を駆使して霊を自由に操れるようになったこと,さらに道な らぬ恋で相手の女性を精神的に深く傷つけ死へと至らしめたこと等々,主人 公は自分の罪状まで素直に告白してしまう.作品全体を通じて,主人公にこ れほど大きな影響を及ぼし内省させることができるのは,このWitch以外 に, the Abbot of St.  Maurice (後述)のみである.他力に頼ることを潔し としない主人公は,結局このWitchにも従わず,彼女を退散させてしまう.

しかし女性的なるものの象徴Astarteの伏線とじてこの Witchを考えると き,あえて主人公に罪の告白までさせることができたこの魔女の母性本能に は,主人公の頑な自我をすら凌ぐものがある.

前章までは,主人公の霊に対する拒否について論じてきた.彼は霊に対し てのみならず,人間に対しでも拒否を行なう.先ず,• Chamois Hunterに対 する主人公の拒否を考えてみたい.

The Seven Spiritsによって己の願望を挫かれた主人公は,絶望して ]ungfrauの高峰へ来て,断崖絶壁の際で件んでいる( ye crags, upon  whose extreme edge / 1 stand . . .."  ,1[ii, 11. 13‑4]). Chamois Hunterも

(11)

ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察 99  丁度,獲物を追って崖の縁までたどり着く.両者の遭遇は,大変象徴的であ る.主人公は,自己忘却を求めながらもその願いが果たされず、( The spe11s which 1 have studiedbaffle me." [I,  ii, 1. 2]),文字通り絶望の瀬 戸際に臨んでいる.Hunterも獲物を取り逃がし( hernimb1e feet / Have  baffled me." [1, ii, 11.  57‑8]),今絶壁の際で行く手を阻まれる.両者と

もその求める対象は異なっていても,探求が中途で頓挫したまさにその瞬間 出会うということは意義深い.Hunterが獲物を求めるのは,それによって 肉体の充足を図ろうとするからであり,これは彼にとって死活にかかわる重 大性を帯ぴている.他方,主人公の求める忘却も,彼にしてみれば目下の精 神的苦悩を取り去る唯一の手段に違いない.だが,まさに岩壁から身を躍ら そうとする主人公と異なり, Huntrは獲物を得られなかったと言って死を 決意することはない.さらにHunterは,主人公を救助までする.Hunterに

とって死をえらぶことは,明らかに神意に背く行為である.

このHunterは,主人公自身の台詞の中で次のように描写されている.

a peasant of the A1ps  Thy humb1e virtues, hospitab1e home,  And spirit patient, pious, proud, and free; 

Thy self.respect, grafted on innocent thoughts . 

(n, i, 1. 163‑6) 

A1ps山中に住む,素朴ながらも敬慶な農民らしく,主人公も披に対しては 好意的である.このHunterは,自殺を決意した主人公をつかまえ, Stain not our pure va1es with thy guilty b1ood." (1, ii,  .1111)と述べる.先祖 代々罪に穣れない生活を営んできた.今主人公の血で土地が不浄となること を恐れる.彼は主人公を自分の小屋へ連れて帰り,気付に葡萄酒を勧める.

この葡萄酒のおかげで, Hunterは今まで何度も高山の寒さに耐えてきたと 言う( many a day / 'T has thaw'd my veins among our glaciers . 

(12)

100  ByronManfredにおける主人公の拒否についての一考察

[II.  i, 11.18‑9]).あたかも命の水の如きこの同じ葡萄酒によって,自身 の罪を連想する主人公はこのHunterと著しいコントラストを成す.いずれ にせよ,このHunterは信心深いキリスト教徒として平安のうちに暮してお

り,当然彼の人生観も信仰によっで支えられている.

Peter J.Manningが評しているように.Alpsの高峰に固まれた山岳地帯 の住人という場所的なシンボ、ルも見逃せない24 Myway of life  leads me  but rarlydown / To bask bythe huge hearths of those old halls."  (II, i,  11.  11‑2)とHunterが述べることから.Manfredの館は明らかにHunferの 小屋より下界にある.元来,山は平地より高みに釜えるが故に,それだけ天

に近く,従つで神聖視されていた戸このHunterも山中に住むことから,聖 域にいるとみなせる.そLてこの点で,俗界に居を構える Manfredとは対 照的である.

Hunterが,キリスト教徒として敬漫な信仰の中で暮しでいる人物である ことは,両者の時間に対する考え方の相違からも明確である.激しい'襖悩の 中で生を営む主人公には、自身の生存がすでに長きにわたると思えてならな い( 1have lived many years, / Many long years . . . . " [II, i, 11. 44‑5J). 

しかしHunterの自には,主人公は彼よりずっと年下であるように映じ,そ れを不思議がり Hunterはたずねる. Why,on thy brow the seal of middle  age / Hath scarce been set;  1 am thine elder far."  (II, i, 11.  49‑50)主人 公は, actionsare our epochs." 

O .  

52)と答え,さらに過去に犯した罪の ために,彼のみじめな生存の日々は永遠に続くこととなった,と述べる

0

1. 52‑5) .ここで主人公が念頭におく時間は,明らかに主観的なそれである.

主観的な時間とはいかなるものか,同じ作者のCainを例に考えてみよう.

第2幕でCainはLuciferと共に一大宇宙旅行に出かける.やがで帰還した 主人公は, Adぬから 'Tisscarcely / Two hours since ye departd." (III,  i, 1. 153‑4)と聞かされ驚く.宇宙旅行に参加したC丘IIIは,自分の心理的 な尺度によって旅行中要した時間を測定していた.これに対し.Adahは旅

(13)

ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察 101  行に参加せず,部外者として客観的に時の流れを見守ることができた.それ による旅行の所要時間が twohours"と出た.これは日常我々が,時計を基 準に考える時聞に近似している.

さて ,Manfredの主人公が立脚している,彼自身の主観に基づく時間の進 行は,キリスト教的な時間の概念とは異質である.なぜなら,キリスト教的 な時間は概して,この世の始まりと共に生れ一直線上を最後の審判の日へと 向かい,そこで終結する 26その途上での時間の流れは比較的坦々としてい る.即ち,例えば人が病気や事故など一見神意に反するかに思える不幸に見 舞われたとしても,それはあくまで一過性のものであり,その時点で静止し 必要以上に悩み続けるのは,信仰心に乏しい証拠となる.キリスト教徒は,

最後の審判の日メシアが再来し彼に救われることをのみ念頭に置きつつ日々 を送る ,27ManfredのHunterは主人公に向かい, "patience" (1I,  i, 1 .134)  こそ肝要だと説く.遠い未来へ希望を託して始めて忍耐が可能となる.むろ んそのためには,過去を立ち止まって回顧してはならない.

だが,過去を忘却できない主人公は,まして未来に期待するなどとうてい 不可能だと考えていた.彼の内面では,時間の正常な流れが阻害され過去の 罪に対する意識が常に実在的となっている.彼に対しては,素朴かつ敬度な Hunterの説教も空しかった.

The Abbot of St.  Mauriceの使命は,臨終の床で主人公の魂を救出する ことである( 1come to save , • • ."  [盟, i, 1. 47]),主人公の自殺を未然 に防ぎ彼を救出したHunterと,この点で類似している.このAbbotには僧 院長としての威厳が感じられる, The Witch of the Alpsがそうであったよ うに,彼も主人公を深く内省させ,自己の性格分析を行なわせることに成功 する (ill,i, 11.116‑20), 

他方,この Abbotの聖職者としての態度は,一貫して因襲的キリスト教 の立場からのものであり,新鮮さを欠いている.例えば,主人公に神との和

(14)

102  ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察

解 を 勧 め て .• reconci1e thee / With the true  church, and through the  church to heaven." 

C i l l

, i, 11.  50‑1)と述べるあたりは,いささかお座なり の感が強い.だが,因襲はこの作品では無視できない意義を有している。

Chamois Hunterは先祖伝来の土地を守りながら生活を営み, ananC1ent  vintage" 

n

, i, . 118)で肉体を暖められ活力を得ている.また第3幕3場 での Hermanと.Manue1の会話から察するところ, Manfredの父親Count SigismundはManfredとうって変わり( ・.whom he [Manfred] nought  resemb1es" 

[ i l l

, iii, . 115]),城主としてはより適した人物だったようで,

Hermanは当時を偲ぶ

C i l l

,iii,l.126‑7).  Abbotが館を訪れた目的の一つ には, Mnfred家の anob1e name / For centuries" 

C i l l

, i, 11.  31‑2)を主 人公によっ一て汚させないことがあった( .• may he who bears it  nowノ Transmit it  unimpair'dl[困, i, 11.  32‑3]).ここでも,因襲に立脚して現 在という時間が考えられている.遠い過去からの連続体としての現在,それ がManfredという型破りの人物によって今過去から切断されようとする.

そうすることを主人公に思いとどまらせようとAbbotは,主人公が拒むに もかかわらず,最後まで主人公を見捨てない( 1'11fo11ow him." 

[ i l l

, i, 1.  171]) •

主人公と Abbotの,霊に対する態度の違いを見てみよう.主人公が今際 のとき,霊は彼の魂を奪いにやって来る.両者とも霊に対して,断固たる拒 否を行なう点では一致している 28しかしAbbotは,

Avaunt! ye evi1 ones!一一一Avaunt!1 say;  Ye have no power where piety hthpower,  And 1 do charge ye in the name ‑

C i l l

, iv, 11.  92‑4) 

と述べ,飽くまでオーソドックスな信仰を貫く聖職者としての立場から霊を 退散させようとする.これに対して, Manfredは 1'11dias1 have lived‑一

(15)

ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察 103 

a

:

lone." 

C

Il,l  iv,1. 90)と,唯我独尊の立場を臨終の場に及んでも尚維持す る.むろんその背後には 自分の求めるものが霊によって与えられなかった ことによる,主人公の霊に対する不満も垣間見られる( 1bear within / A  torture which could nothing gain from thine." [Ill,  iv, 11. 127‑8J). 

臨終の間際,主人公はAbbotに向かい Giveme thy hand" (Ill,  iv, 1. 149)  と言う.主人公のこの言葉でもって,彼が最終的には信仰を取り戻したとは 考え難い.なぜなら,主人公がこのように述べた後Abbotは, Butyet one  prayer" (1. 150)と,あくまで祈りを求めている.祈りの無い状態、で,神と 和解することは不可能である.むしろ Abbotの手を求めた事実を象徴的に 解釈して, Abbotその人即ち男性社会との和解を求めたと考えるのが妥当 だと思う.厳格な戒律を基調とする僧院長としてのAbbotは,同時に父性 的世界のシンボルとみなせる.Abbotが因襲をことのほか重んじようとす る点も,それ故納得できる.ManfredはWitchが示す女性原理に強く引き 寄せられる一方,自己の属性である男性原理も失ないたくはない.Man‑

mngは,この握手の場面に言及しつつ,¥.• an acceptance by the world  of men"と解釈しているタ男性社会に復帰できた点に関しては,かろうじて 主人公の勝利を認めるべきだろう.

結び

後年Byronは,Heaven and Earth . (1823)の中で,男性社会と女性社会の 二者択一を迫られたことによるジレンマに苦しむ主人公を描いている.

Noahの息子として洪水以後の新しい世界の sire"(1, iii, 1. 497)となる 定めの]aphetが,堕天使と恋をし滅ぴるべき運命のAnahという女性を救 出したく,両者の葛藤で苦しむ.巻末で]aphetはあえて, Why,when all  perish, why must 1 remain?" (I,  iii, 1.  928)と自問するが,これはあたか

も女性なき後の男性社会の不毛を予見し嘆いているかのようである.

Manfredの主人公は Astarteという女性を過去に傷つけ死へと追いやっ

(16)

104  ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察

たことを忘却できず,そのために絶えず苦しむ.Astarteの霊に許しを求め る主人公には( .• • am 1 forgiven?"は, iv,  .1153}) Astarteへの未練 も依然強く残っていて,、彼は, Say,thou lovest IIie."  ,1(155)と述べる.

Astarteは,これらの問いかけには無言のままであり,ただ, To‑morrow ends thine earthly ills."  (1. 152)と,主人公の死期が追っていることをの み告げる.なるほど,死によって earthlyills"は全て忘却できる.しかし,

主人公があれほど執掲にAstarteと再会を願った背後には,単に忘却を求め るだけでなく,彼の女性憧慢も顕著に見出せる.だが一方で,主人公は人並 みJ以上に自尊心の強い人物でもある.相手の女性性と同化されることによっ て,自身の男性性が危ぶまれることは,彼の強力なprideが許そうとしない.

この点で, ShelleyのAlastorとは対照的である .Alastorの主人公の a Poet"  0.50)30は,若い頃のM

: a

nfredと同様31飽くことのない探求心を抱 いて孤独な旅に出る 01.75‑7). ところが,その旅の途中Cashmireの谷間 で, aveiled maid" (1. 151)を夢見るや否や,主人公は,以前に求めてい たものにもはや興味を示さなくなる.主人公は愛に目覚め,未知の国に strange truths" (1. 77)を求めるはず、だ、った旅行の目的は,彼女を探求す ることに変わってしまう. しかし,彼女を得ることは容易で、ないため,主人 公の苦悩は増し,痩せ衰えて,ついには,彼女のために時ならぬ死を遂げる.

Manfredの主人公も, Astarteという女性を求め,彼女のために苦悩を続け るが,彼の場合, HunterやAbbotに象徴される男性社会への未練も捨て切 れない .Alastorの主人公は, "a veiled maid"との遭遇以後,男性的なもの と女性的なものとの二者択一に悩まず,一貫して aveiled maid"を求め,

そのために苦悩し,結果左して死ぬ.Manfred主人公のambivalentな態度は,

こニでも顕著となる.

Manfredのジレンマは大むね,

r

男性原理

J

対「女性原理」に関してであ る. しかもその中に,

r

個性」対「没個性

J

r

J

対「不死jなどの対立物 が常に介在し,問題の解決を妨げている.このように,きわめて ambiva‑

(17)

ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察 105  lentな態度で生き続ける主人公は,それを避けるためにあえて死をえらぶこ とになる.巻末での,¥. tis  not so difficult to die" (1. 151)という主人 公末期の言葉にこそ,現実逃避を切望してやまない彼の気持ちが,最も端的

に表われている32

人を病から解放し,可能な限り命をこの世に繋ぎ取めておくのが医学の真 の目的だとすれば,その反対に,ロマン派の時代は死を何よりも願う傾向が あったという点で,誠に奇妙な時代だ、つたと言つて過言でで、ない33

not sodif白f白lCulttodleぜ"と述べて't陣車らないM昌担nfrdも, むろんそのような時 代の申し子だった.己れの内面の問題は他者の助けによって解決できず(も

しくは,彼の強力な自我が,他者に頼ることを許そうとせず、),ひたすら己 れ独りで悩み続ける以外にない.その結果最後に獲得したものが死だから,

これは己れの死に相違ない.自己以外の存在をあれほど激しく拒絶し続けた 主人公が,死に対しては意外に素直な態度でそれを享受したことからも納得 できる. しかし, Philippe Ariesが指摘するように,死が本人から覆い隠さ れ,タブー視されるようになった現代の我々にとって戸己れの死とはいか なるものか想像し難い.最後に Abbotが述べる Whither?1 dread to think 

一, (1. 153)という台詞は同時に,死を考えることすら恐れる,現代の 読者のそれでももある.

i主

1長谷川つとむ著,

r

魔術師ファウストの転生j(東京:東京書籍, 1983), pp  141‑61 

2 Peter].  Manning, Byron and His Fictions (Detroit:  Wayne State  University  Press, 1978), p.  72. 

3 上杉文世著,

r

パイロン研究j(東京:研究社出版, 1978), p.  313  4 本稿中のManfredからの引用は,全て下記に拠る.

Frederick Page (ed.), Byron: Poetical  Works, Correctdby John Jump (3rd ed.;  Oxford: Oxford University Press, cl970) 

5 Johann  Wolfgang  von  Goethe, Faust:  Der  Tragadie  erster  und zweiter  Teil  UイaustHrausgegebnund kommentiert von Erich Trunz (M chen:Verlag C. 

(18)

106  ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察 H. Beck, cl972), erster Teil, 1. 1354‑9 

6  Childe Harold s'Pilgrimage, Canto I, stnzavi, 1. 9  7 Goethe, op.  cit., erster Teil, 1. 1482‑5. 

8 Christopher Marlowι Doctor Faustus,"  I, iii,  .191, The Plays of Christopher  Marlowe, ed.  Roma Gill  (Oxford:  Oxford University Press, cl971. Reprinted in  1979) 

9 長谷川つとむ,前掲書, pp.  159‑61. 

10  William H. Marshall, The Structure of Byron's Major Poems (Philadelphia: Uni  versity of Pnnsylvania Press, 1974), p.  99. 

11  William H.  Marshall (ed.), Lord Byron: Selected Poems and Letters (New York  New York University Press, 1977)p.522.

12  Gustav Davidson, Dictionary of Aηgels: lncludi昭 如FallenAngels (New York  The Free Press, cl967), p.  12. 

13  Cain I, i, 1. 180‑2参照.またManfredII, iv, 11.  53‑5でも, First Destinyが自 身永遠の苦悩を負っていることを暗示する.

14  Edward E.  Bostetter, The Romantic Ventriloquists:  Wordsworth, Coleridge, Keats,  SheUり"Byron (Seattle:  University of  Washington Press, cl963. Paperback edi  tion, 1975), p.  279 

15 例えば, Leslie A. Marchand, Byron: A Biography (NwY ork: Alfred A. Knopf,  1957), II, p.  624.また ,ChiltたHarolds'Pilgrimage, Canto IIIのLakeLemanをめ

ぐる描写にも,それが端的に表現されている.

16  Peter J Manning, op.  cit., p, 79 

17  作品中に登場する人聞は,主人公も含めて全て男性である.

18  L. A. Marchand, opαt., I, p.  29  19  長谷川つとむ,前掲書, pp. 142‑50 

20  C. G.ユンク他著,河合隼雄監訳『人間と象徴j(東京:i可出書房新社,1983),下, pp. 36‑67.尚,優しさの反面,恐ろしさも有する母性の二面性に関しては,河合隼 雄箸,

r

昔話の深層j (東京:福音館書応, 1983), pp. 31‑5が示唆的.

21  Ernest J Lovell, J ,.rByron: The Record of a Quest: Studies in a Poet's Concept and  Treatment of Nature (Hamdn,Connecticut: Archon Books, 1966), pp. 117‑84  22  上杉文世,前掲書, p.154 

23  E. J Lovell, J ,.rop.  cit., p 137  24  Peter J Manning, op.  cit., p.  73. 

25  近藤等著『アルプスを描いた画家たちj(東京:東京新聞出版局, 1980), p.  37.  26  マリールイーゼ・フォン・フランツ著,秋山さと子訳

a r

寺関:過ぎ去る持と円環

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ByronのManfredにおける主人公の拒否についての一考察 107  する時j ( イメージの博物誌シリーズ'勺東京:平凡社, 1982), p.  8. 

27  ただし実際には,キリスト教の直線的な時間の中で,回帰する時間の存在も指摘 されている.だが,ここでは詳細に触れない.

28  Manfred臨終の床には,片や説教僧が主人公にざんげを求め,他方では霊たちが 主人公の魂を奪いじ来ている.このような臨終の場面は,中世以降ヨーロッパの絵 画の中でしばしば見受けられる.死ぬべき本人が,己れの死を余裕を持って迎えた と, Philippe Ariesは考えている.フイリップ・アリエス著,伊藤晃,成瀬駒男訳

f死と歴史:西欧中世から現代へj(東京:みすず書房, 1983), pp. 15‑25  29  Peter]. Manning, op. p.87.

30  Percy Bysshe Shelley, "Alastor," She.l匂':Poetical  Works, ed.  Thomas Hutchin‑ son (Oxford: Oxford University Press, c1970. Reprinted in 1983) 

31  II, ii, 1. 149‑96.及びIII,iv, 11. 8‑41.参照.

32  E. E. Bostetter, op. ~it. , p.  281.では,主人公が忘却を求めるのは,自己逃避だと

述べられている.

33  マルセル・サンドライユ他著,中川米造,村上陽一郎共監訳 f病の文化史.1 (東 京:リブロポート, 1984),下, p.112 

34  フイリップ・アリエス,前掲書, pp.69‑83 

参照

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