• 検索結果がありません。

著者 中村 博文

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "著者 中村 博文"

Copied!
19
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ByronのMazeppaにおける"馬"の意味

著者 中村 博文

雑誌名 主流

号 45

ページ 1‑18

発行年 1984‑02‑20

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014955

(2)

Byron の Mazeppa における 馬"の意味

中 村 博 文

Byron作 Mazeppa (1819)は, Voltaireの Histoirede Charles XII  に登場する Cossackの首領 IvanStepanovich Mazepakoledinsky (1644?‑ 1709)にまつわる物語を素材としているが 史実を正確に辿ることを意図

して書かれたのではない.オリジナJレをあくまで素材とし,そこから作者の 逗しい想像力を発揮させようとするととは, ロマン主義詩人の常であるえ

この作品は,Childe Harolcfs PilgrimageやDonJuanなどという長篇物 語詩にくらべると,その規模においては当然及ぶべくもないものの,背中に Mazeppaを縛り付けられた荒馬の疾走の躍動感と速度感,及び野生馬が棲息 する世界の幻想性は読者を魅了せずにはおかず,The Prisoner 

0 1  

Chillon  などと並んで, Byronの作品中とりわけ傑出したもののーっと言える.本稿 では,特に作品中での罵iと関する考察に焦点を絞り,その本賀を少しなりと

も明らかにして行きたい.

そもそも人と馬との関係は,犬などと共にきわめて古い時代から続いてい ることは誰しも認めるであろう なるほど有史以前の人類が馬を家畜化し た最初の呂的は,牛と同様馬を食料の対象にしようとするためであったらし いが しかしやがて馬は, もっぱら騎乗に利用する目的で飼育されるよう になった.あたかも天期る鳥を見て,人々は自ら空を飛べるように憧れた如 く,荒野を駆け巡る馬によっても彼らは,それをうまく飼い慣らし,自由自

(3)

ByronのMazψ'Paにおける 馬"の意味

在に乗り回わしたいという気持を,いやが上にも掻き立てられたに違いない.

騎乗の技術はその後,戦術としてもとり入れられ,言わゆる騎馬戦術の発達 を見るに至る.その発展には,中世ヨーロッパ社会の騎士道文化が一役を担

っていた乙ともまた見逃せない

と乙ろでイギリス人もその例に洩れず,馬術に関心を抱き始めた歴史は古 い.だがそれ以後,彼らと馬との結び付きは,他のいかなる民族にもまして 次第に深まっていったようである今日でもイギリスでは,Derbyはじめ競 馬が盛に行なわれているのは,乙の事実と無縁であるまい.当然彼らの文学 作品にも馬はしばしば登場し,主要な役割を占める.例えば, ]onathan Swift  の Gulliver'sTravels中の Houyhnhnmは馬であり,また Shakespeare の諸作品中にも馬に対する言及は頗繁に見出せる.

さて,Mazeppaの中で馬は少くとも三か所で登場する.最初に登場する のは,老練の武将 Mazeppaと一心同体の如き Bucephalus"(1.  104) 7. 

次に,主人公を乗せて疾走する荒馬(1.358以下)と野生馬の群(1.672以 下〉の登場を見る.では以上三つの場面で,それぞ、れいかなる背景のもとに 馬が現われるのか,以下に辿ってみたい.

物語の冒頭, Mazeppaは極度に重苦しい雰囲気の中で主主場する.Pultowa  の戦いで敗走する途中,彼は Charlesと共に森の中で敵方に包囲されつつ一 夜を明かすととになった.

And in  the depth of forests  darkling,  The watch‑firesin the distance sparkling一 The beacons of surrounding foes← ー (11. 27‑9) 

残兵を包囲する敵軍の松明だけが,闇夜で不気味な輝きを放っている.もは やいつ何時捕われの身となるかも知れない追いつめられた中で, Mazeppa  はさすがにおびただしい数のいくさを経験してきた人物だけあって,振舞は 冷静そのものである( TheUkraine's Hetman, calm and bold" 1.  56).  激しい合戦で疲れ果てているにもかかわらず,愛馬の手入れに余念がない.

(4)

ByroriのMazeppaにおけ{) 馬"の意味 The Cossack prince rubb'd down his  horse,  And made for  him a leafy bed, 

And smooth' d his  fetlocks and his mane,  And slack'd his  girth, and stripp'd his  rein,  And joy'd to see how weIl he fed.  (11.  58‑62) 

このあたりの描写には, Mazeppaの馬を愛する気持ちがよく表現されてい る.

ζれら一部始終を見ていた Charlesは次のように述べる.

So fit  a pair had never birth

, 

Since Alexander's dystiI1 now, 

As thy Bucephalus and thou.  (11.  102‑4) 

Bucephalusとは言うまでもなく Alexanderthe Greatの愛馬である.それ ほどMazeppaとBucephalusは他人の自には一体となって見える.Mazeppa  の Bucephalusは主人の言いつけにきわめて従順( doci1e"1. 68)で,合戦 の最中でさえ主人の声を幾多の中から聞き分け, すばやくかけつける (11. 72‑3).まさに駿馬の典型と言ってきしっかえない.しかし乙れほどまでに 馬を調教した主人の技量も相当なもので,もはや完壁に馬を操れるとみなす

乙とができる.

ところで Mazeppaが馬術に巧みであるのは,何も生れつき彼に備わって いた能力ではなかった.外でもなくある苦い経験がその原因であることを自 身よく承知していたので彼は, "Illbeti凶deザ/TheschooIwherein 1 leanI

rideば1" (αI口1. 107‑8め)と恩わずず、言つてしまう. しかしこの言葉が Charlesの 興味をより一層掻き立て, OIdHetman, wherefore so . . .?" (1.  109)と, すかさず Charlesは問い返す.

John Casimir王.(1609‑72)治世の当時,青年 Mazeppaは王の小姓とし て仕えていた(11.128‑30).乙の王は,今 Mazeppaの目前にいる Charles

とは対照的で( mostun1ike your majesty" 1.  132),いくさを好まず,反

(5)

ByronのMazeρpaにおける 馬"の意味

対t乙芸事色事l乙精を出していた (11. 133‑8).始 終 催 さ れ る 酒 宴 の 席 に は Warsaw中から貴賓たちが集まってきた (11. 143‑6).そのような君主に仕 える青年 Mazeppaが, とある伯爵夫人と恋仲になるのもまた当然である.

なんでも乙の夫人は,夫より三十歳も若く,もはや初老の夫に嫌気がさし始 めている(11.168‑9). 

齢七十にして( Atseventy years 1 so  may say" 1.  182)老 Mazeppa は, 当時を回顧しその夫人の容貌を述べる力ζ少しも衰えを見せずl (The  memory is  so quick and warm" 1.  205 ,) 乙の部分の冗長さを指摘する批 評家もいるしかしそのような熱弁をふるっての昔語りの一方で, Mazeppa  は絶えず現在彼らが置かれている状態を意識している. 例えば, 伯爵夫人 の目の黒さを形容する dark"(1.  211)という言葉から読者は, Mazeppa  が現在いる闇夜の森と,敵方ζ包圏されている危機感を容易に連想するであi ろう.さらに Mazeppaは,その夫人を sentinel"(1. 262)の如く見つめ ていたと言うが早いか,すかさず (May ours  (our  sentinelsJ  this  dark  night watch as  well!)"  (1.  263)と,明らかに現状を意識した言葉を口に する.乙れは,敵に現在包囲されているという緊迫した雰囲気を,甘ったる い昔語りの最中に醸し出す乙とに成功し,物語の深刻さをいや増すのに大い

に貢献している

Mazeppaと夫人の逢いびきはやがて発覚する. 当然彼は捕えられ,過酷 な刑罰が課される.即ち,一匹の荒馬に彼は全線で縛りつけられ,激しい疾 走へと駆り出されることになった.その荒馬は,

A Tartar of the Ukraine breed, 

Who look' d as though the speed of thought  Were in  his  limbs; but he was wild, 

Wild as the wild deer, and untaught,  With spur and bridle undefiled一(11.360‑64) 

と描写されているように, Bucephalusとはうって変わり, 調教は全くでき

(6)

Byronのルlazeppaにおける 馬"の意味 ていない,捕獲されたばかりの野生馬である( 'Twas but 

  : a

day he had  been caught" 1.  365).馬は Mazeppaを乗せて疾走に出るが,このような 馬を御するζとは不可能であり,ひたすら馬の暴走に Mazeppaは身を任せ る以外にない.疾走の激しき,荒々しさは, Untired,untamed, and worse  than wild" (1.  517)という表現からおよそ推測できる.

ある種の動物には常に群を形成して行動する習性があり,馬もその例にも れない.もし仮りに一匹だけ何らかの理由で置き去りにされた場合,その一 匹は手段を選ばず,仲間のところへひたすらもどろうとする.Gilbert White  の有名な TheNatural History of Selborneでもこれが言及されており,

さらに Whiteは,単lζ発情期の雄馬が雌馬を求めるためのみならず,同性 問でもこういった傾向が見られると述べている10 Maz

ψ

,>ta Iと登場する馬 は全て雄馬であるが,一目散に仲間のいる場所へ疾走する荒馬の行動は,科 学的に十分説明可能である.

やがて荒馬と Mazeppaは野生馬の世界にたどり着しあたかも尽きるこ との無いかのような活力に満ちた馬の疾走も,ついには衰えて行く (11.625 

‑8).  もはや A sickly infant" (1. 629)でさえその馬を十分に引いて行け ただろうと Mazeppaは言う (11.629~30). 尚もよろめきながら両者は進

んで行くが,ふと何か生き物の気配がする (11.669‑70).ここで彼は野生馬 の群と遭遇する.

Mazeppaが目撃したのは,全く文字どおりの野生馬の群であり,かつて騎 乗に用いられたことなど一度もない荒馬ばかりである( A thousand horse,  and none to ride!" 1. 678).たどたどしい足取りの Mazeppaを乗せた馬に 向かつて,野生馬の群はどっと押し寄せて来る (11.684‑87).  Mazeppaを 乗せた荒馬比仲間を見るや元気を回復したかに思えたが,一瞬噺き,つい には倒れて息を引き取ってしまう( His firstndlast  career is  done!" L  694).野生馬の群が, Mazeppa !と近づこうとする描写は興味深い.

(7)

ByronのMazeppaにおける 馬"の意味 They stop, they start, they snuff the air,  Gal10p a moment here and there, 

Approach, retire, wheel round and round, 

Then plunging back with sudden bound. (11.  698‑701)  見知らぬ相手に関心を寄せながらも,尚警戒して容易に接近せず, しかも関 心を全く捨て切れないで少し遠巻きに周囲を旋回するさまは,動物一般の習 性をきわめて巧みに表現している.

野生馬の群は, Mazeppaと死んだ荒馬を再三遠くより吟味した挙句, し かしながら Mazeppaのもとへ寄り付く乙とはなく,逆に本能の働きで( by instinct" 1.  708), a human eye" (1.. 708)を逃れ,再び、森の奥へ去って

しまう.結局 Mazeppaは,野生馬の群と遭遇したことによって,顕死の状 態から救出されることはなく,依然馬に縛られたままで後日 Cossackの娘 による救出を待つことになる.かつて ChildeHarold's Pilgrimageでは,

人聞社会から追放された, exi1eとも言うべき主人公は,人跡未踏の森深く,

獣の住み家を好んで我が家のようにみなしていた11 なるほど Mazeppaの 主 人 公 私 城 か ら 放 逐 さ れ た と い う 点 i乙かろうじて既成社会で疎外されて いる人物の面影を読み取れる.だが,決死の疾走を経てはるばる到達した野 生馬の世界で,彼はその世界の住人である野生馬と結局は融和できず,野生 馬 l乙見捨てられ置き去りにされる.以上の点から,乙の物語は,人聞社会か ら隔離された孤独な主人公を描くためにのみ書かれたのではない乙とは明ら かとなろう.作者が創作した意図を,もっと別の面に求めるばきである.

かつて Platoはその著 Phaedrusの中で,馬を人の情念にたとえ,次の ように興味深い説明を与えている.即ち彼によると,人の魂は三つの部分か ら成り立ち,

r

理性

J

を中心に,それを人間的欲望へと駆り立てる部分(abad  horse にたとえられている〉と,

r

理性」の働きを助長する部分 (a  good 

(8)

ByronのMazeppaにおける 馬"の意味 horsめとに分けられるという12 a bad horseとは

. crooked, heavy, ill put together, his neck is  short and thick, his  nose flat, his  colour  dark, his  eyes  grey and bloodshot;  he is  the  friend of insolence and pride, is  shaggyearedand deaf, hardly obe‑ dient to  whip and spurs.13 

と説明されており,鞭でも拍車でも言うことをきかない代物である.了度前 述した Mazeppaを縛りつけた荒馬も乙れと同じく,騎乗者に対しきわめて 不従順であった.乙れに反して agood horseとは

The horse [The good horseJ ..• is  upright and has clean limbs; he  carries his  neck high, has an aquiline nose, is  white in  colour, and  has dark eyes; he is  a friend of honour joined with temperance and  modesty, and a followrof true  glory;  he needs  no whip, but  is  guided only by the word of command and by reason.14 

と述べられていて, これは老 Mazeppaの愛馬 Bucephalusを連想させる.

a bad horseの方は,恋人を見るなり,駅者の pricksや whipを無視して やおらつき進み,それを制しようとすると strugglingヘ neighing"そして

pulling"などの手段に訴えても強引に自らの意志を通そうとする15

乙のたとえは,肉体的欲望がいかに強力なものであるかを如実に示してい る.しかし, Platoの場合最終的には, a good horseの助けを借りつつ叡者,

即ち「理性」が勝利を占め,精神的欲望と言って差し支えない Ideaに対す る憧僚をもって彼はとの話を終えている16

とまれ, Byronの Maz

φ

>j>aもこのように「理性」の最終的勝利という 図式のもとに物語が展開すると解釈するのはjいささか早計に過ぎるであろ

う.にもかかわらず, Graham Houghが指摘しているように,人間の理性 を左右するものを善悪二頭の馬にたとえるというパターンは Plato以来,西 洋人の伝統に深く根付いておりベ その長統的図式の上!C, さらに Byron

(9)

ByronのMazeppaにおける 馬"の意味

独自の解釈を加えることによってオリジナノレを変形して行くことは大いに可 能である

Jerome  J.  McGann は Houghの解釈を支持しつつ,さらに Mazeppa の中で野生馬の群が主人公を置き去りにする場面を次の様に説明している.

. the, horses  are in  fact  a wild herd roaming the reaches  of  the  Ukraine, and a symbolic revelation of what is  most vital  and most  dangerous in  man.  Thεy represent a part of that which makes man  human and all  that  makes him bestia .l At fIrst  unable to  distin‑ guish Mazeppa from his horse, they whir1 around him sniffing the  air, attempting to  discover his  nature.  Finally they detect  his hu~

manness and  By instinct"  (708)  flee  away.18 

人も馬も共に生物として獣性を有している. しかし前者と後者の著しい差異 は,人の場合,理性によってその獣性を克服し,従えてしまったという点に 見出せる.人には多かれ少なかれ理性が備わっており,人はそれに基づいて 行動する.ところが,馬には理性など存在しないことは言うまでもなく,も っぱら獣性の支配によって馬は行動する. Mazeppaが厳しい刑罰を課せら れた原因は,伯爵夫人を寝取ったことにあり,乙れには彼の情念が禍いして いる.即ち,乙の時点では,主人公の獣性がまだかなり強力だったと言える.

当時を回顧して老 Mazeppaは,部下を戦場で指揮するにはたけていたが,

(1] could not o'er  myself evince/The like control"  (11.  293‑4)と感J慨 深げに述べているように,自身には抑制がきかず,もっぱら情念の支配する がままに身を任せでいた.他人は巧みに操れても自分に対しては同様に感情 の高まりを制することができない, というのは Byronが創造した主人公た ちにしばしば見受けられる特徴であるべ 大抵の場合,それらの主人公たち は自己破滅へと至るのだが, Mazeppa は幸か不幸か,死の一歩手前で救出 され,後年 Charles王にも部下として取り立てられるのだから,他の作品の 主人公とは乙の点、で異なるζともまた事実である.

(10)

Byronのl¥1fazePl切における 馬"の意味

ともあれ Mazeppaは,刑罰として荒馬に縛られ疾走に出される.主人公 が縛りつけられた荒馬は, wildぺ untaught"などの表現から明らかなよう に,獣性そのものの象徴と考えられ, しかもその強度において主人公自身に 内在する獣性をはるかに凌駕している.もとよりそのような馬を制すること など,彼に出来る相談ではない.ひたすら馬の疾走に身を任せる以外にない.

やがて主人公が到着する野生馬の世界とは, Graham Houghの言葉を借 りると, theuntamed passions"の支配する世界と言える20 即ち,人間性 と相反する獣牲を極度に誇張したものの象徴と解釈して差し支えあるまい.

この世界の 住人"である野生馬の群も,当然前述した荒馬と同じく獣的な 存在と考えられる. Mazppaはなるほど, 自身の情念を抑え切れずに伯爵 夫人との一件をひき起ζす. しかし所詮彼も人の子であり一抹の人間性を未 だ有しているはずである.野生馬の群は,それを彼らの本能 "By instinct" 

(1. 708)によって撲ぎ分け, やがて主人公から離れ去るζとになる. 疾走 する荒馬と,それに続いて登場する野生馬の群は,以上のように解釈する乙

とカヨできょう.

荒馬の背中に縛り吋けられての疾走,それに続く野生馬の群との遭遇及び 彼らの退去という一連の筋の運びによって,主人公は内面的な変化を受けた はずである. ζ乙では,主人公に焦点を当て,彼の変化する様子を辿ってみ る.

Graham Hough は,Mazeppaを論じる中で,特i乙野生馬の世界を取り 上げ¥D.H. Lawrenceの TheRainbowIこ,きわめて類似した場面が描か れていることを指摘している.それは, Ursulaが Skrebenskyとの婚約を 破棄した後の或る臼,用事で外出して帰る途中の出来事である.荒野を歩い ている時,突然馬の群に遭遇する.幾度か馬の群は,彼女におそいかかって 来て,また逃げて行く.その都度彼女は巧みに身を交しはするが,最後に垣

(11)

10  Byronの1'v[azepl における 馬"の意味

根の上i乙難を逃れる21 乙の事件そのものは乙れ以上発展しないが, 乙れを 転機として Ursulaは , あ た か も な nut.from its  shell2の如く naked"

の状態で,新たな人生に出発する .Mazeppaの場合,野生馬の群が主人公 を置き去りにするのに対して,The Rainbowでは, Ursulaの方があくまで,

迫り来る馬の群を振り切って逃れようとする点で異なり, Julian Moynahan  の解釈によれば,乙の事実は anexit  from the wilderness of  instinctive  experience"  と考えるととも可能であろう23 しかしこ乙で重要なのは,

Mazeppa, The Rainbow いずれにおいても,野生J馬の群との出会いが主人 公の生き方を変える大きな転機となる乙とである Moynahanはさらに,

Ursulaが馬と遭遇する場面を儀式的とさえ見なしているが24 確かに乙の儀 式性は主人公の内面変化を知る上で重要である.Ursulaは馬との遭遇以後,

ずっと重病で床i乙伏す.数週間後ようやく床を離れ,窓越しに景色を眺めてい るとき,乙の物語の表題である虹を目撃する.それと共に,彼女は重い nau‑

seどから快癒へと向い,物語は将来への明るい希望をもって閉じられる.以 上 TheRainbow巻末での筋の運びは,生きながらにして象徴的な死を体 験し,その後新たな生命を与えられて再生するという古代儀式を連想させベ Moynahanがいかに妥当な解釈を行なったかは明確となろう.さらにこの儀 式性は,Mazeppa についても言えると思う.

と乙ろで, Mazeppaが刑罰とじて伯爵により,例の疾走に出されてから,

野生馬の世界に到着し,死ぬ間際に救出されるまでの筋の運びは,表面的に は一種の penanceと考えられよう. rebaptized"(1. 589)などの表現も見 られ,過去の罪一罪を償なうための試練一悔い改め一救済,という図式を用 いて説明することも可能である.しかし実際には, penanceとしてのみ乙の 物語を解釈するのは当を得ていない.William H. Marshallは,乙の物語が ordeal的か否かを説明する中で thereis  sin but no atonement, rscuebut 

llO salvation6と評しているように,主人公には伯爵に対して,その夫人を 寝取った罪を償おうとする気持ちは全く見出し得ない. なるほど Mazeppa

(12)

ByronのMazeppaにおける 馬"の意味 11  は,昔語りの最中, he (the  CountJ  had reason  good to  be  (angry J" 

(1.  344)  と, 夫人の不貞を怒る伯爵がそうするのも無理がないと認めはす る. しかし Mazeppaは,後年 twicefive  thousand horse" (1.  411)を 率いて伯爵に寵讐を果たし( 1paid it  well in  after  days" 1.  393),城が 崩れ落ちたと豪語する際,伯爵のことを thevain fool" (1.  848)とまで 呼ぶo Mazeppaは, 乙の伯爵の仕打ちをつとめて非難せずにはおれない.

こ乙で TheRime of the  Ancient Marinerの場合を少し見てみよう.

主人公は,罪無き Albatrossを手なぐさみに射殺したかどでざんげの航海を 続けねばならない定めとなる.しかし,彼の場合,明らかに罪を悔い改める 言葉を口にするのは興味深いo Mariner は婚礼の客に対して,自らの苦々し い体験談を一部始終話した後,自分の務めは諸国を放浪しながら,出会う人 に体験を話し相手を教え諭す( teach"1.  590)27乙とであると述べ, He  prayeth wellwholoveth welljBoth man and bird and beast"  (11.  612‑

3) と,愛による履いを強調する. 当然その背後には For the  dear  God  who loveth us,jHe made and loveth all" (11.  616‑7)と自身述べている

ように,明らかにキリスト教思想に基づ、いた深い宗教的雰囲気が感じられ,

さらに vesperbell" (1.  595)が主人公を礼拝へと誘うと言う.

Mazeppaでは, 己の非を主人公はあくまで認めようとせず, た ま た ま Cossackの娘に救出された後,部族の Hetman!に乙までなつて伯爵iに乙復讐を 遂げる乙とができ7たこ体験から

というイ信言条まで得るlに乙至る. もちろんこの背後には,伯爵の仕打ちを罪悪と 見なそうとする主人公の意図が読み取られるが,それは同時に,いささか空

しい自己弁護の感が強い.

以上の理由より ,2'.1azeppa I乙penance的要素を見出そうと試みるのは,

読みが深過ぎる.主人公の変化は,罪の悔い改めではない,全く別の面に見 出されるべきであるo The Rainboω では, Ursulaが野生馬と遭遇した後,

かなり緩慢な内面変化を読者は彼女の中に発見するだろう. しかし変化の兆

(13)

12  ByronのMazeppaにおける 馬"の意味

しが見え始めると同時に物語は終わり, Moynahanも指摘するように the new Ursula"  とはいかなる人物なのか, 作品中では具体的に全く言及され ていない28 乙れはまた MazψJ についても言える. しかし他方,いずれ の作品中でも,主人公は馬と出会う乙とにより,心理的に大きく変化する乙 とは疑いない.Mazeppa, Ursula両者とも,自身の熱情の激しさは人並みを はるかに凌いでおり,そのような人物が情念の象徴と向い合った時,いかな る事態が生じるかはおよそ推測可能である.いかに強力な情念とは言え,潜 在的に有している限りにおいては漠然としており,捕えにくい. しかしーた び馬という象徴を用いて客体化すると,より具体性を帯び,明確に見つめる ことも可能となる.Moynahanは, Ursulaが野生馬との出会いによって心 理的変化を遂げる過程を,次のように説明している.

She is  punished by sueringthis  visionary confrontation and simul

taneously she is  saved' by being brought face to face with a truth  about herself  and about life... .29 

いかに自分自身の情念とは言え,それに面と向かえば,人は一瞬度肝を抜か れる.なぜなら,視覚に直接訴えかけられる方がそれだけ受ける衝撃も大き くなる.それは言わば一種の刑罰であろうが, しかし同時に人は,むしろそ れによって救われると Moynahanは述べる.その理由は,なるほど情念は the ordered world"にとって危険だが, しかしそれは theultimate en‑ ergic source of  man's vitality"でもある30 情念を象徴する馬との遭遇と いう一種の儀式を通して,自己の情念も掻き立てられ,その結果生の享受を 強く再認識する機会を得る .Mazeppaでは, thedying on the dead" (1.  715)であるべき主人公が, 情念の象徴である馬によって再生する機会を得 たと考えてもよい.

Lawrenceは晩年,Apocalypseの中でも,馬が人の情念を象徴するとい う持論を展開させ,現代人はその馬を喪失したと嘆く31 Graham Houghは, あたかも前世紀の Byronの如<., • Lawrenceもまた,既成社会に対する反

(14)

ByronのMazej'pa1乙おける 馬"の意味 13  逆者だったと述べている32 そのような人物が,あえて上記の思想を抱くに 至った心境は理解できないこともない.ただし,同じく Houghが認めてい るように,心理描写の巧みさでは Lawrenceの方が Byronよりも格段に 優れていることは, 誰しも認めるところであろう Byronの場合,物語が ややもすると皮相的となり,軽薄な印象しか読者に与えなくなる嫌いがある

乙とは否定できない33 Maz,φJaでは, 伯爵に対する復讐心が,主人公の 心中で極度に支配的となっていたため,野生馬との出会から直接得たものに 関して必ずしも明確に語られていない. しかし, Lawrenceの作品から遡及 的に解釈すれば,以上のように考えることができる.

疾走に端を発する Mazeppaと馬との関係を辿って来たが,では最後に,

老 Mazeppaの現在所有している Bucephalus と彼はいかなる関係にIある のか考えてみたい.

前述した Bucephalusの描写を読む限りでは, Bucephalus は Platoの 言う agood horse"により近い印象を受ける.合戦の最中でも,あくまで 主人に従順であるその様子を見て Charlesが, Sofit  a pair" (1. 102)と 両者を評していることから考えても,かつて疾走に用いられた荒馬とは正反 対で,大人しい性質の馬であることは明確であろう.もちろん,それほど完 霊に調教したのは主人公自身だが,だからと言って Plato!C従い,主人公 が理性に目覚め情念を抑えてしまったと解釈を急ぐのは,はなはだ危険だと 思う.

乙の物語では,主人公の罪に対する悔い改めに関して全く言及されていな いことも重要だが,さらに次の部分で,いかに主人公は,老年に至っても尚 情念の強力な支配 i乙身を任せていたかが裏付けされる。即ち,主人公が昔語

りを行なう最中,例の伯爵夫人の容貌を述べるついでに,

(15)

14  ByronのMazeppaにおける 馬"の意味 1 loved her then, 1 love her still; 

And such as 1 am, love indeed 

In fierce extremes‑in good and il .l(11.  225‑7) 

と思わず口から出してしまう. 物語官頭の,主人公を描写する calm and  bold" (1.  56)という表現から,読者は恐らく,おびただしい戦歴を経た古 参のつわものとしてのイメージを彼に対して抱くだろう. しかし,やがて物 語の進行と共に,年老いても尚色事に尽きない興味を抱き続ける主人公のも う一方の側面をもまた,読者は発見することになる.色事に対する興味は,

彼が死ぬまで失せる乙とはない.

But still  we love even in  our rage,  And haunted to  our very age  With the vain shadow of the past,  As is  Mazeppa to the last.  (11.  228‑31) 

以上の理由により,主人公は情念を捨て去り理性に目覚めたとは言い難い.

かと言って,主人公は結局,疾走と,野生馬との遭遇という一連の儀式を 通じて自己の情念をそのままの形で再確認したにとどまり,それ以上の域に は達し得なかったと考えるのも,作品全体を解釈するためには不十分である.

仮りにこの物語が,荒馬の疾走と野生馬との出会いだけで終わっていたなら そういう解釈も妥当となるだろう. しかし,過去の体験談に対し,現在愛馬 Bucephalusを操る年老いた Mazeppaが登場している事実を見逃せない.

Bucephalusは, 先の二つの場面に登場する馬と同一視できない乙とはす でに述べた.それは Bucephalusが「理性」を象徴しているからではなく,

むしろ他の馬とは異なった次元での情念を表わしているためと考えるべきだ ろう.主人公を乗せて疾走する荒馬や,野生馬の群は,確かに,理性ζi全く 従わない危険な獣性の象徴と考えられでも差し支えない.しかし,荒馬の死

と野生馬の群の退去とをもって,獣性に対する主人公の異質性は明確となる.

また他方,主人公はその後も理性に目覚める兆しを見せる乙とはなく,老年

(16)

ByronのMazψpaにおける 馬"の意味 15  になっても依然情熱の虜のままでいる.そのような主人公と一心同体に見え る Bucephalusは,従って,何か危険でない情念の象徴と考えられる.

では,危険でない情念とはどのようなものかみてみよう.老 Mazeppaが 伯爵夫人を未だ愛していると述べる際,彼は good and ill"  (1.  227)の 両極端でもってそうするのだとまで言い切る.事実,情念にも善悪二種類が 存在しており Mazeppaの心は絶えず振子のようにその両極端間を行き交 っている.伯爵夫人との一件は,抑え難い情熱によって引き起乙され, しか も結果的には大変な刑罰が課せられたのだから,乙れは明らかに悪い情念が 禍いしたと考えられる.悪い情念とは却ち,それを制するためには人間の力 ではとうてい及ばず,例の荒馬のように危険極まりない.他方,人にさほど 害悪を与えない情念も存在するに違いない.乙れなら人の支配力が及ぶ範囲 内にある.作品中では,善い情念と呼んで差し支えないものに関して一切具 体的な言及はない. しかし Mazeppaの心は善悪二つの情念にはさまれて 絶えず揺れ動いており, Charlesが言うように主人公と Bucephalusが一心 同体に( fit勺見える間,少くとも主人公は自身の情念を制するζとが可能 であり続けるだろう.

結 び

本稿では,Mazeppa !乙登場する馬の意味を論じてきたが,要するに Mazeppaの馬は,多少そのニュアンスに違いがあっても,全て人の情念を 象徴したものと考えるのが妥当であろう. しかし同時に, 情念にはその程 度においで差異が存在している乙とは重要であり, ζれは情念の本質にもか かわってくる.人の情念には善い情念と悪い情念とが存在し MazePlaの 主人公は心中 lとその両者を有し,常に両者の聞を行き交っている.三か所で 登場する馬は,それぞれ善悪二つの情念を象徴する.疾走する荒馬と野生馬 の群は,彼らが危険な獣性そのものの象徴だという点で悪い情念を示し,愛 馬 Bucephalusは,主人に従順だという点から,良い情念のシンボJレと考え

(17)

16  ByronのMazeppafとおける 馬"の意味

られる.Platoの言う善悪二頭の馬のたとえを,当然 Byronは意識してい たに違いないが,果たせるかな Mazeppaの中では, abad horse"はとも かくとして, agood horse"の方は「理性」を助ける働きで登場している とは考え難く,乙乙に作者の創意を見出せる. しかしその反面,作者自身も 抑え難い程強力な情念を有していた乙とを思えば,あえて情念を完全に克服

し得なかった宿命を読み取る乙ともできょう.

Childe Harold's Pilgrimageでは,全巻を通じて,愛と憎,静と動,栄 光と衰退,生と死という両極端間の対立と融和が追求され,結局は全てを呑 み込み,永遠に揺れ動く海を眺めつつ物語が終結した( Rollon, thou deep  and dark blue Ocean‑roll!" IV, c1xxix, l.  1).  乙ζでも作者は,海を馬

にたとえていると見え,事実 mane" (IV, clxxxiv, l.  9)という表現が見 出せる.海は Theimage of  eternity"  (IV, clxxxiii, l.  6)である反面,

あらゆるものを含んだ混沌とした存在でもある.即ち,相対立するものを融 和させようとする作者の試みが未解決のまま永遠に残されようとしたと解釈 するのが,海のイメージの妥当な解釈であると,思う34

Mazeppa においては,善悪両極端の情念が, 馬 lと象徴され提示されるが,

乙れは先に ,Childe Harold's Pilgrimageで追求された,相対立するもの の融和というテーマの再現とも考えられる.

元来,馬というものは大変臆病である反面,また強情でもありへ そのよ うな言わば扱いにくい動物をあえて意のままに従えようとするのが,洋の東 西を間わず人々が欲すると乙ろである.従って, Platoの比織はきわめて当 を得たものと言わざるを得ない.なぜなら,人聞の情念も同様に強情で,従 わせる乙とが困難なのだから. しかし他方,馬と人との付き合いは,有史を はるか遡る時代より続いており,常に人の良き相棒として人を助け,人聞に はなくてはならぬ存在となった.との点でも,人から切り離せない情念とき わめて類似している.

(18)

Byronのl11azeppaにおける 湾"の意味

17 

1 Wi1liam H. MarshaIl  (ed.), Lord Byron: Se!ected  Poems and Letters  (New  York: New York University Press, 1977), p.  526. 

2 Ibid., p.  526. 

3 F.  E.  Zeuner著,国分直一,木村伸義共訳『家蓄の歴史JI(東京:法政大学出版局,

1983), pp. 335‑83. 

4 加茂儀一著, Jr騎行・車行の歴史jJ (東京:法政大学出版局, 1981), pp. 123.  5 Ibid., p. 22. 

6加藤憲一著, Jr英文学動物ばなしjJ(東京:松柏札 1978),pp. 1‑22.  7 本稿中の l11azeppaからの引用は,全て下記に拠る.

Frederick Page (ed.), Corrected by John Jump, Byron: Poetical Works (3rd ed.;  Oxford: Oxford University Press, cl970) 

8 William H. Marsha ,lIThe Struc.reof Byron's J11ajor  Poems (Philadelphia:  University of Pennsylvania Press, 1974), p.  122. 

9 上杉文世惹『パイロン研究Jl(東京:研究社出版, 1978), pp. 269‑72. 

10  Gilbert White, The Natura! History of Selborne(Gresham Books"; Surrey: 

Unwin Brothers Ltd 1979),pp. 233‑5. 

11  とのような描写は Chi!deHarold's Pilgrimage中にしばしば見うけられる。とり わけ CantoII, stanza xxvはその傾向が著しい.

12 プラトン著, 藤沢令夫訳『パイドロス.J] ( 岩波文庫東京:岩波書庖, 1982), pp.  189‑210の解説参照.

13  Plato, Phaedrus, trans.  Harold  North Fowler (The Loeb Classical  Library";  Cambridge, Massachtisetts: Harvard University Press, 1982), p.  495. 

14 Ibid., p.  495.  15  Ibid., p.  497.  16  Ibid.,p. 499. 

Now when the bad horse has gone through the same experience many times and  has ceased from his unruliness, he is  humbled and fol1ows henceforth the wisdom  of the  charioteer, and when he sees  thbeautiful one, he is  overwhelmed with  fear;  and so  from that  time  on the  soul  of  the  lover  foIlows the  beloved  in  reverence and a we. 

17  Graham  Hough, Image  and E,xρ.erience: Studies π a Literary  Revolution  (Westport, Connecticut:  Greenwood Press Publishers, c1960.  Reprinted  in  1978);  p.  138. 

18  Jerome 1. McGmann, Fiery Dust: Byron's Poetic Development (Chicago: The 

(19)

18  ByronのMazeppaにおける 馬"の意味 University of Chicago Press, c1968), p.  182. 

19  Childe Harold's Pilgrimageの中のNapoleonがその典型. Conquerorand Cap. 

tive of the Earth art thou!"  (III, xxxvii, 1.  1)  20  Graham Hough, op. cit.,p.  139. 

21 Ibid., p. 156. 

22  D. H. Lawrence, The Raibow(Penguin Books"; Middlesex; Penguin Books  Ltd., 1979), p.  493. 

23  Julian Moynahan,The Deed of Life: The Novels and Tales of D. H. Lawrence," 

D. H. Lawrence: The Rainbow and Women iπLove, ed.  Colin Clarke (Casebook  Series勺London;The MacMillan Press Ltd., 1982), p.  145. 

24 Ibid., p. 142. 

25儀式を象徴的に解釈しようと努めた研究書は,枚挙にいとまがないが,本稿作成にあ たって,主として下記のものを参考にした.

Carl G. Jung 他著,河合隼雄監訳『人間と象徴Jl2 vols. (東京:河出書房新社, 1983)  Curt Sachs著,小倉重夫訳『世界舞踏史Jl(東京:音楽之友社, 1980) 

Roderyk Lange著,小倉重夫訳『舞踏の世界を探るJl(東京:音楽之友社, 1981)  Maria.Gabriele Wosien著,市川雅訳『神聖舞踏:神々との出あいJl( イメージの博物 誌シリーズ東京:平凡社, 1982) 

26  William Marshall, The Structure 0/ Byron's Major Poems, p.  123. 

27  Ernest  Hartley  Coleridge  (edふ Coleridge:Poetical  Works  (Oxford:  Oxford  University Press, 1980) 

~8 Moynahan, o~ρ. cit., p.  147.  29 Ibid., p 146.

30 Ibid., p. 146. 

31  D. H. Lawrence, Apocalypse (Penguin Books"; Middlesex; Penguin Books Ltd.,  1974), p. 61. 

32  Graham Hough, op. cit., pp. 133‑4.  33 Ibid., p. 156. 

34  Jerom J.McGann, op. ciι, p.  138.  35加茂儀ー,op. cit., p.  4. 

参照

関連したドキュメント

ここから、われわれは、かなり重要な教訓を得ることができる。いろいろと細かな議論を

これは基礎論的研究に端を発しつつ、計算機科学寄りの論理学の中で発展してきたもので ある。広義の構成主義者は、哲学思想や基礎論的な立場に縛られず、それどころかいわゆ

実際, クラス C の多様体については, ここでは 詳細には述べないが, 代数 reduction をはじめ類似のいくつかの方法を 組み合わせてその構造を組織的に研究することができる

当社は「世界を変える、新しい流れを。」というミッションの下、インターネットを通じて、法人・個人の垣根 を 壊 し 、 誰 もが 多様 な 専門性 を 生 かすことで 今 まで

基準の電力は,原則として次のいずれかを基準として決定するも

それに対して現行民法では︑要素の錯誤が発生した場合には錯誤による無効を承認している︒ここでいう要素の錯

第三に﹁文学的ファシズム﹂についてである︒これはディー

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から